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はてなキーワード: まなざしとは

2017-11-04

anond:20171104124127

ルパンですね。

https://www.youtube.com/watch?v=TxrJsGH1RLg

真っ赤な薔薇あいつの

やさしく抱きしめて くれとねだる

瞳の奥に 獲物を映して

淋しく問いかける 愛の在りかた

男には 自分世界がある たとえるなら

空をかける ひとすじの流れ星

孤独な笑みを 夕陽さらして

背中で泣いてる 男の美学

真珠の色は あいつのまなざし

遙かな幸せを 夢に描く

いためることを 恐れるあまり

冷たく突き放す 愛もあるさ

男には 自分世界がある たとえるなら

風をはらい 荒れくるう稲光

都会の闇に 体を溶かして

笛吹いてる 男の美学

直後の歌詞や、2番の歌詞を読む限り、男=流れ星=一人で疾走する ということでしょう。

2017-10-31

anond:20171031161505

マーヴェルは「そっち方面」に行くことで映画を通じて世界販路を得たわけで、

まなざしうんぬん言う馬鹿日本だけじゃなくてアメリカにも居るけど、お前らコンテンツからもう客として見なされてねーよって話だよね。

めでたし、めでたし。

2017-10-11

まなざし村目線について 、その2

昨日とはまた違った話題だけど、Twitter絵師さんの垢が凍結されたと次々流れてくる。

過去ツイートをほじくりだして「コ○ス」とかを通報しているようだ。

関係ないけど、関西でコ○スは挨拶がわりだけど大丈夫なん?)

目的は、気に入らないエロ絵師さんを葬り去るためだろうけど、

どうやってそのエロ絵師さんを探し出してるのか気になる。

まさかフォローはしてないだろうし、RT同好の士フォローしてないと流れてこないはず。

自分公共の場で、その類のエロ絵がTLに流れて来たらクライアントをそっと閉じる。必要ならミュートすればいい)

想像だけど、まなざし村民は、エゴサですごいエロいキーワードで探したりしてるのかな。

グーグル画像検索ですごいエロい絵を探したりして、

TweetDeckとかのカラムクライアントで、エロ絵師さんがずらっと並んでいるのは壮観だな。

やべえ興奮する。

やっぱり一番エロいのは、村民じゃないの?

2017-10-10

デュアリパたそ〜

あの凛々しい眉毛まなざしとぽってりとしたエロくちびるがたまりませんなwww

いんすたに載せていた皮のピッチリした体のラインがクッキリ見えるライダースーツなぞ吾輩の目が潰れるセクシーさでござりまするwww

2017-08-16

隣の芝は青い

他人を見て苛立ったり妬んだりするのは、自分にはない何かを持っているから。

では反対に、自分他人にはない何かを手に入れ、羨望のまなざしを向けられる立場に翻ったら?

一見承認欲求が大きく満たされ、気分よくてしかたないように思えるが、「妬まれることに対するストレス」とか感じて結局のところ元の木阿弥、何も変わらないのだろうか。

2017-08-15

コスプレ参加すんなまじで

今回初めてアイドルマスターシンデレラガールズライブに行った。担当アイドルのひとりが出演しているSSA2日目。すっごく楽しかった。アイマスは最高。

ライブが終わって、帰宅して、ツイッターを見て、SSAをみたPさんたちの感想やレポを見て「それ~~~わかる~~~~!!!はぁ・・・・」みたいな、ライブ終わり独特の空気を楽しんだ。

SSAコスプレ参加しているセクシー女優さんがいたことを知った。とてもショックだった。てかSSAだけじゃなかったんだ。情弱つらい。

ま~~~たキモオタデブス女の妬み嫉みブログかよ!と思われるかもしれない。正直キモオタデブス女であることは全く否定できないし、彼女かわいいお顔、そして恵まれプロポーションに対する羨望のまなざしは隠すことができない。

私がプロデューサーになる前からいる界隈では、現地コスプレ参戦はタブー暗黙のルールだ。

「昔からアイドル現場コスプレした人間はいから、お前のいた界隈のことなんて知らねえよ。」と言われてしまうと、新規Pの私としてはお返しする言葉がない。

でも、私はどの現場でも誰でもコスプレ参戦は許せない。

私は現地で彼女出会うことはなかったから、直接彼女出会った人たちの気持ちは分からないけど、私がもしSSA現地で担当アイドルコスプレをしたセクシー女優さんに出会っていたら、

オメ~~~~~~ェの知名度アップにアイドルを利用してんじゃね~~~~~~~~よ。マジであり得ない。あんたも一人のプロデューサーなんだったらわかるだろ!まじで!あんたがコスプレして参加することによって、そのアイドルあんたのイメージがついちゃうんだよ!!!!!

って泣きながら怒ってた。絶対。てか担当アイドルじゃなくてもこう思ってる。

私は現場に出かけるとき、私の大切な推し担当)が少しでも恥ずかしい思いをしないように!と思って、服装はいつもよりキレイめで、化粧だって時間をかけて会いに行く。本当に大好きだからだ。

で、現場に行ったらいるコスプレ。いやいやいや、違うじゃん。私はあんたを見に来たわけじゃないんだよ。何?目立ちたいの?まじで意味わかんない。

推し宣伝?アホか、現場にいる人間ほとんどファンなんだよ。努力の方向間違ってない?

アイドルマスター世界はみんな平等だって誰かが言ってた。いい世界

でも、プロデューサープロデューサーアイドルにはなれない。あくまで陰で支える側の人間じゃないと。うちら秋月律子なっちゃいけないんだよ。

コスプレしたいだけならそういうイベント行ってくれ?ここはお前のための会場じゃない。アイドルと、それを支えてきたみんなの会場なんだよ。

つーか喜々として名刺交換してる男オタクたちも意味わかんない。お前が好きなのはコスプレ女じゃねえだろ。ツイッターとかで、俺の担当コスプレだったらシコってたみたいなこと言ってるやつもほんとキモイ

二次元しか俺にはない!みたいなこと言ってても結局女体の前ではただのチンポコなんだね。

こういう男オタクのこと一生理解できないと思う。

は~~~~~~~~~~~楽しい気持ちで5th終わりたかったな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


追記

たくさんの反応ありがとうございます

Mマスのことは何にも知らないか申し訳無いんだけど、コスプレって賛否両論ある中で公式場所で好反応示したってすげえなと思った。Mマス好きになったとしても現場絶対行けねえ。現地コスプレ参戦反対の民には地獄じゃん。

私はコスプレ嫌いなわけじゃないです。友達コスプレしてる人たくさんいるし、すげえなって思う。でも本当にコスプレライブとか参加しちゃう人の気持ちがわからない。

追記2

私が思ってる以上に公式現場コスプレして参加するの賛成の人が多くてほんとにびっくりしてる。

歌舞伎観に行くのに歌舞伎大好きだからって隈取して行くやつがいるか?

2017-08-05

性の対象とされる比率に男女差はあるか?

性犯罪被害率などから一般的には男性より女性の方が性の対象として見られる比率が高いと思われているが実際はどうだろうか?

確かに、性犯罪被害にあったことのある女性は、性犯罪被害にあったことがある男性より遥かに多いが、

それらのケースの殆ど若い頃に被害にあったという話である

「性の対象にされる」というのを性犯罪などの「行為」を行う対象ではなく、いわゆる「性的まなざし」を向ける対象という意味で捉えると、

男性女性に向けるまなざしよりも、むしろ女性から男性に向けられるまなざしのほうが広く深い用に思える。

例えば、男性向けのアニメ漫画アイドルなどのコンテンツで出て来る女性の多くは若く、目が大きく、髪が長い。

年増キャラなどにおいても、見た目は現実女性に比べてだいぶ若くがかれている。

一方で女性向けのコンテンツに目を向けると、そこで消費される男性像は少年から壮年まで幅広く、

ハゲやちびやデブといった一般的マイナスと言われる要素もある種の清潔感がある前提ではあるが許容されている。

近年で言えば星野源のようなイケメンとは言えない男性が人気を集めていることからもそれは伺える。

これらのことを考えると、性的対象とされる比率を単純な数で表したならば、そこに有意の差はないと思われる。

しろ結婚などの社会的な状況においては、年齢や容姿などの変えられない資質努力次第で美点に変えられる男性の方が有意であり、

タイムリミット存在し厳しい、ルッキズムさらされる女性の方が不利と考えられる。

しかし、現実には実際には男性の方が未婚となる傾向が高い。

理由は少し考えれば分かることである

いくら需要となる容姿や年齢の幅が広くても、男性自身対象範囲が狭い以上、小さいパイを奪い合うことになるのは必然である

まして若い女性は同世代若い女性のみをライバルとしていればいいのに対し、男性はほぼすべての同性がライバルということになってしまう。

かくして男性の方が需要が高いにもかかわらず、恋愛弱者男性大量生産されるのである

2017-07-20

https://anond.hatelabo.jp/20170720154530

同じ「性的攻撃」でも

オタクから場合は「まなざし」だけで「重大な人権侵害」だけど

パリピの所業場合レイプでも「それぐらい我慢しろ」とセカンドレイプに及ぶ人間が出るぐらい

非対称性」があるんだよ。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-06-01

会社もっさりした女オタクが許せなかったのに

私が働いている会社には女性社員100人ほどいるのだけど、

廊下ですれ違うたびに「今日ももっさりしてるな……」と思う数人がいて、

その数人の一人が彼女だった。

おそらくきちんと乾かさずに寝ているだろう髪の毛はなんとなくしっとりし、

先端は肩に当たって不規則にはねている。

肌の感じもぱさぱさしていて口周りは産毛のせいかぼんやりし、

全体的に加齢と睡眠不足を感じさせる顔だ。

そのうえ、控えめに言っても「ぽっちゃり」に分類されるだろう体形のくせに

やたらとフリルレースのついた安っぽい布の服装を好んでいて、

フレアスカートから大根のようにずんぐりした足をむきだしにし、

社内ではリボンのついたスリッパ使用している。

すれ違うだけでも

もっさりしていてやだな……」

「その魔法少女みたいなハートリボンまみれのスマホケース何なんだよ……」

「せっかく美容院に行ったなら毎日ヘアケアもきちんとしろ!」

「30代になってサマンベガカバンを使うな! アニメキャラマスコットもつけるな!」

といった感想がうかんでしま相手と同じチームに配属されたのが、去年の9月。

歓迎会で「あ、増田さんって26歳なんだね。私より2つ下とは思えないくらいしっかりしてるね」と言われて、彼女がまだ20代であることを知り、非常に驚いた。ついつい「先輩こそいつかわいい洋服を着て若々しいので、もしかして私より若いのかも……?とか思ってました(笑)」と思ってもみない返答をしてしまったくらいだ。

言っておくが、私はめちゃくちゃオタクだし腐女子だ。

からこそ、周囲にオタク腐女子であることがバレないよう、そしてバカにされないよう、身だしなみに人一倍気を使ってきた。

努力が功を奏して、オフ人間関係では、休日は一人BLを読みふけりPixivを回遊してはオンリーイベントに出陣しているオタク女だとバレることもなく、「そこそこリア充」ぽく見せることができている。「美人」と言われることはほとんどないが、自分の素材を生かしつつTPO清潔感配慮したファッションを心がけているので、自分よりも土台のいい女の子からかわいい」「おしゃれ」「その服どこで買ったか教えて~」と言われることは少なくない。好きなキャラのグッズを買うことはあるけれど、身に着けていくのはオンリーファンイベントオフ会ときだけ。

今の会社IT系だし、ソーシャルゲーム部署もあるからオタクも多い。比較自由服装OKな気風で、男性エンジニアなどはアニメキャラTシャツで出勤したりもしている。それでもうちの部署比較外回りが発生するし、つねに「会社の一員としてどうみられるか」「年相応の落ち着きを伴っているか」も意識しながら、ヘアスタイルや髪色、日々の服装・バッグ・ネイルの色などを選択している。痛ネイルをしたくなっても、イベントの前の日の施術してもらって、終わったらすぐオフする。彼氏がいるときは、休日服装には彼の好みを取り入れる(ちなみに現在フリー相手地方赴任で遠距離恋愛になってしまった彼氏自然消滅して以来、今のところ彼氏はいない)。毎月の美容院、毎週のジム通いに、毎日スキンケアと、日々のさまざまなメンテナンスも欠かさない。おしゃれは努力なのだ

もちろん、それはあくまで私の自己満足であって、他人押し付けるつもりはない。それでも、隣にもっさりした人がいたら不快感が生じてしまうのまでは止められない。同じチームではあるが直属の上司部下というわけではないから、できるだけかかわらずに過ごそうと決めた。

決めたのだが……その決意はすぐに覆された。なんと、先輩に「増田さん、もしかして〇〇ってアニメきじゃない? この間のオンリーイベント出てなかった?」と私がオタク腐女子であること、ジャンル、そしてオンリー出展していることまで当てられてしまったのだ。そのアニメのグッズを持っているところを見ていたので警戒はしていたが、まさか同じCPだったとは……。

「気づいたにしても本人に黙ってろよ!これだからデリカシーのねえオタクは……」という気持ちはあったが、現場をおさえられている以上否定するわけにもいかない。次のオンリーも出る予定だったし。やむをえず認めたものの、「ぜったいに内緒にしててくださいねランチおごりますから」と念を押し、二人きりで初めてランチを食べることになった。

「えー、〇〇好きな人、うちの部署にも結構いるよ。一緒に話したかったな」

会社で、趣味の話をするつもりはないんです……。すみません

自分スタンスを明確に伝えると、先輩はそれ以上無理には押してこなかったが、「でも増田さんっていつもおしゃれで爪先にまで気を使ってるし、全然オタクだと思ってなかったから、オンリーで見たときはびっくりしたよ。会場ではたしかにいつもよりもラフな格好だったけど、やっぱり周りに比べて垢ぬけてたもん」と私を褒めまくった。

しかも「実は増田さんのところのサークルの本、いつも買ってるんだよね。私が行くときは売り子さんがいることが多かったから気づかなかったんだな。表紙とか装丁もやっぱおしゃれだし、二人の気持ちの流れが丁寧に書いてあって、本当に好きなんだよね……書いている本人といっしょに働いてるなんて、すごいうれしいな」と言う。

「なんだもっさりしてるくせに意外と見る目あるじゃん……」とうっかり調子に乗った私はついペラペラ自分の話をしてしまった。

「見栄っ張りなので、『やっぱオタクからダサいんだ』みたいに見られたくないし、オタクからこそ人一倍身だしなみにも同人誌デザインにも気を使ってますね。彼氏にも、『え、オタクだったの!?』と驚かれることが多いです」

「徹底してるなあ……。私、ここだけの話、ずっと女子校育ちで、彼氏できたことないんだよね。それもあってあまり人の目を気にしてこなかったな。ファッション誌もきちんと読んだことなくって、今まで少女漫画で読んできたかわいい女の子イメージとか、そういうのをごちゃごちゃに取り入れてこの年齢まで来ちゃった。自分全然合ってないのかも……とは思いつつ、オンリーとかライブに行ったら似たような服着てる同年代の人もたくさんいるし、まあいいかな~ってスルーしてたんだ。でも、増田さんの話聞いたら、ちょっと自分もがんばろうかなと思ってきた」

「見ていてかわいい服と、自分に合った服って違いますもんね。もちろん、『自分テンションの上がる格好』も大事だと思うんですけど、『人は見た目が9割』という本もありますし、少しだけ自分の好みを譲歩して人にどう思われるかを考えながら暮らしてみると、思いもよらない反響があったりして、楽しくなりますよ。自己表現は、同人活動ですればいいんですよ」

増田さんすごい……。そりゃ仕事もできるわけだよ」

「いやいや、見栄っ張りなだけなので……」

「ねえ……もしよかったらなんだけど、私の服装についてちょっとアドバイスに乗ってもらったりはできないかな? 実は、最近思い切って婚活アプリ登録したんだけど、全然マッチングしなくて……。素材がアレだからしょうがいかもしれないけど、増田さんの話聞いて、もう少し頑張る余地がある気がしてきた」

まさかの展開である。なんでそんな面倒な頼みを引き受けないといけないんだ……。断ろうかとも思ったが、一瞬考えたすえ「私でよければ……」と応じた。面倒ではあるが、さすがに同じチームの先輩であるオンリーに出ていることも、活動ジャンルCPまでバレている。見栄っ張りの私としては、先輩がそれを言いふらす危険性をできるだけ排除しておきたい。

それに……もっさりしている怠惰人間は嫌いだが、努力して改善しようとする人間は嫌いじゃない。私も、中高時代もっさりしていて、スクールカーストでは底辺オタクグループに入れられていたから。

「その代わり、ちょっと厳しい意見も言うと思いますし、運動とかもしてもらいますよ? お金もかかると思う」

「え、運動?」

ファッションには体形も大切です。今の体形にあった服装を選ぶのでもいいですが、彼氏を作るのが目的なんですから、体形とか髪型とか、ふだんの過ごし方から見直したほうが絶対にいいです!」

「そこまで親身になってくれるなんて……。精いっぱいがんばるよ!」

結論として、先輩はきちんとミッション遂行した。私がいい教師だったということなのだが、この9カ月、ずいぶんと頑張ってくれたと思う。

体重は7kg減ったまま週2のジム通いで維持しているし、髪の毛はすすめた美容院できっちり整え、清潔感のあるボブスタイルにしてもらった。たまのイベントの際に施術していたというジェルネイルも、ゴテゴテしたデザインをやめてもらい、綺麗な塗り方を覚えさせ、自分ピンク系のワンカラーをほどこしてもらっている。メイクも、適当に買ったプチプラ集合体を一つずつやめさせて、年齢に合ったデパコスに置き換えつつ、BAさんから顔に合ったメイクアドバイスを聞くように指導した。

服も、既存の安っぽい服のほとんどはメルカリで売ってもらった。フリルレースのついた服、アシンメトリースカート個性的な柄のワンピースなどが上級者のたしなみであること、サマンベガのバッグはどう考えても年齢に合わないこと、などを丁寧に伝え、休日恵比寿アトレにいっしょに赴いて、シンプルで使い勝手と質のいい服をコツコツと買ってもらった。

きちんとしたプロトータルでアドバイスしたらまた違う結果になるかもしれないが、少なくともこの8年ほど見栄をはりつづけてきた私の基準でも、納得のいく「小奇麗なアラサー」ができあがったはずだ。実際先輩も、前より鏡を見るのが楽しくなったと言うし、つづけている婚活アプリでも、マッチングして食事デートくらいまではするようになっているそうだ。

「ただ、相変わらずコミュニケーションスキルが低いから、結局アニメマンガか、仕事の話しかできなくて、あんまり話が弾むところまではいっていないんだよねえ……練習あるのみかなあ……」

それでも私は知っている。社内の男性社員たちが、先輩を見る目がなんとなく変わっていることを。そして街を一緒に歩いているときの、周囲の男性まなざしも変わってきたことを。肉体とファッション改造をしてもらううちに気づいたのだが、先輩、思ったよりも素材が良かったのだ。私なんかより全然美人である。笑うと、元AKB大島優子に似ている。

自分指導した成果が世間にも評価されていることがうれしい反面、最近、先輩が婚活アプリ出会った男性について話すときに、胸がチクチクする自分にも気づいてきた。つい話をさえぎって、自分からアニメマンガの話を不自然ねじこんだりもしてしまう。先輩が彼氏をつくれるようにサポートしたはずなのに、先輩が男の話を自分からするのを聞くのが、イヤなのだ

この気持ち、一体なんなんだろう。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170522072925

まさに、ブルマーについて「なぜそれが使われてきたのか」という研究出版された。

おそらく制服についてもほぼ同じ論理で読み解けると思うので一読を勧める。

ブルマーの謎 〈女子身体〉と戦後日本

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3410-0

女子体操着であるブルマーは、ブルセラブームを契機に批判を受け、1990年代半ば以降に学校現場から急速に姿を消した。消滅社会的背景はこれまでも断片的には語られてきたが、では、腰に密着して身体の線があらわになる服装が、なぜ60年代に一気に広がり、その後30年間も定着・継続したのだろうか。

地道な資料探索や学校体育団体企業への聞き取り調査を通して浮かび上がってきたのは、中学校体育連盟存在だった。そこから、中体連の資金難、企業との提携などのブルマー普及の背景を解き明かす。また、受容の文化的素地として、東京オリンピック女子体操が与えたインパクト戦前から続くスカートの下の2枚ばきの伝統などとの関連も検証する。

ブルマーは導入当初から性的まなざしさらされてきた。にもかかわらず、学校現場ブルマーが存続してきたのは、ブルマーをはく女子身体女子修身教育の幻を見る戦前回帰派と、美と健康を見る戦後民主主義派とが思わぬかたちで共謀していたためではないかと指摘する問題提起の一書。

2017-05-28

君のまなざしが週末興収初登場6位

はてなでもいろんな意味話題になるかと思ったのに、

パンツ増田もないわ、互助会ブログですら取り上げないわとか何事だよ!

柳下某の辛口批評すら大してブクマついてないし


実際のところ、上映館数考えても信者導入じゃ説明つかないくらいの結果なんだぞ!

新宿ではシネマート新宿というまあまあ小規模のとこしかやってないのに、

地下通路の柱に流れるデジタル広告バンバン流れるんだぞ!

宣伝トラックも駆け抜けてるんだぞ!

仏陀再誕でなかなかのこじらせアニオタぶりを見せつけた大川宏洋が、

企画して出演して主題歌まで歌ってんだぞ!やる気満々なんだぞ!



から早く誰か俺のかわりに観にいって、感想ドンドンあげてくれよ!

http://anond.hatelabo.jp/20170528113521

それにしても、引用法律で認められた権利だ、と主張すると、研究者傲慢だーとか言う人出てくるけど、心配するポイント間違ってるよな。

研究者引用できるってことは、新聞記者雑誌記者も、新書文庫の著者も漫画家引用できるんだよ。

っていうか、アフィブログ引用したとしても、それが法に従った適正な引用なら拒否できないんだよ(あいつらがそんなマジメなことやるかというのは別だけど、もしマジメモードでやられたら合法になる)。

そこで研究者側に自己規制求めたって、研究者側のルールマスコミ一般書の書き手に通じるわけないじゃんね。

そして、研究論文というのはまあPDF一般公開されることがあるので破壊力クソデカなのだが、これが「本」となると、研究者の書いたマジメなサブカル研究の本と、小規模書店でも平積みされる新書文庫の、どっちが破壊力かいと思ってんのかね。

研究者側に自制・自重すべき点があるのは間違いないし、研究者側のウカツな行動が腐女子に不信感を植え付けてきた歴史なんかを考えると、お前らもうちょっと自浄作用見せろよと思うし、研究者というだけで胡散臭がるのはよくわかるんだが、研究者自重を求めることが最優先になってる人を見かけると、なんか、こう、それでいいの? って感じになる。

やるべきことは、絶対引用されない場所への潜行か(まあ数十人単位読書会自分作品を見せ合うとか数十人のマイピクしか持たず細々と活動するような規模になるよな)、引用してるやつを見かけたら全力で袋叩きにするという圧力団体組織するか(ってこれ、今やってることか。けどまあそれ地獄だよな)、引用されるのは仕方ないという文化を新しく作っていくか、どれかじゃないの?

最後選択肢は、腐女子だけではどうしようもなくて、社会の他の人たちの意識変革も必要になるけど(女性性的創作へのまなざしとか同性愛嫌悪とか)、漸進的に変えていくことはできると思うし、そういう意味で今回撤退戦が選ばれてしまったことはあのPDFの不意打ち具合を考えれば仕方ないと思うんだけどやっぱり今後の発展のためにならないよなー、という感じがする。

2017-05-10

嫁がカクヨムデビューしたいらしいので全力で止めて欲しい

メルカリタンスにあった服をあらかた売ってしまったので今度は小説家になりたいらしい。

ただ、俺にはこれが良いものかどうかわからないが、嫁はけっこう大病をして入退院したこ

ともあったので小説家とか、不規則仕事を専業にしなくても、俺がもっとしっかりすりゃ

いいんじゃ無いかと思う。

つきましては増田の目の肥えた皆様に、とくに「この話は○○に似てる」とか、

これで食っていけるなんて修行不足とか言ってもらいたい。

文中出てくる「アルマジロ本」は、どうもITの小説資料として古本屋で買ったらしい。

ISBN:4873111382

すがすがしい一週間がはじまろうとしている、月曜の朝7時。

 

むぎゅっ、むぎゅっと、本の表紙に描かれたアルマジロは、紫の髪の毛を生やしたおばさんのタイトなお尻に、いままさにつぶされようとしていた。

「うおおおうこの本高いんだって! あああぁ」

本の持ち主は、糸井ヨシヒコ。もうすぐ40才、小学生の一男一女がいるパパさんであるしかし平日昼間は、しがないサラリーマンしかも、先月急に異動を命ぜられ、今は会社の一番隅っこの席で本ばかり読まされている。

前はお客様会社に車で直行直帰だったから、こんな満員電車でのバトルはもう何年ぶりのことだった。会社でも肩身が狭いっちゅうのに、ここでも隣のお姉さんに手が触れようものならチカン扱いだ。しかも。

ちょっとアンタ! 何アタシのカラダ狙ってんのぉ!?

と、ぜんっぜんアウトオブ眼中のおばさんにまでニラミをきかされる。思わず手先がふるえるけど、この本はまじで6000円くらいしたもんだから、手放すわけにはいかない。

「いや違うんです! ボクはこの本が……あ、いや、すみませぇん……いやこの本……」 

 

とりあえず糸井のチカン疑惑は晴れ、なんとか始業までに会社--システムビッグ略称SB社)にたどりついたものの。さてこれからが大変だ。糸井は眼鏡にくっついていたまつ毛を2本爪で飛ばして、デスクにあの『アルマジロ本』をバタンと立てる。

SB社とは(決してポテトスナック販売元ではない)、名前はなんだか壮大そうだが、単に社長カタカナ好きだっただけである。もともとは”永島帳票印刷”--といういかにもな社名で、小さな工場商店で使う専用帳票を作ってきた。最近は、大のパソコン好きの社長の息子(いま専務)がはじめた事業パソコンの使い方を教えたりとか、客が出す電子メールがちゃんと届くように『サーバ』を管理することとかの方が売り上げが多い。糸井もこの前、『帳票課』からシステム管理課』へ異動したばかりなのだ。--人手が足りないらしくて。

 

おはようございますぅ(はぁと)」

さっきのおばさんもともかく、庶務の新田ヒカリも、糸井の”どうにかしてほしい人リスト”の筆頭である。たしか年は27か28だったと思うのだが、制服に某ネズミとか某犬のバッジつけまくったり、真っ赤なマニキュアに砂粒乗せたり、それでもってその言葉遣いもそろそろやめてぇな、と思っている。そのうえ、目当ての男にしか丁寧な言葉が向けられない。

「さ・さ・き・さぁ~ん、どうぞ~ん(らぶらぶ)」

ほどよい熱さのコーヒーを、こん切ゆっくり丁重に、その男デスクに置く。すでに朝の作業を始めている佐々木カナメは--「ああどうも」と短く切って、パソコンモニタに流れる文字をじっと見ている。

佐々木は実にクールガイだ(死語?)。必要最低限のコトしかさない。タタタンタタタと、やせた指でコマンドを打ち続けている姿は、まるでピアニストだ。糸井とは同期だった。(佐々木高校を出てすぐSB社に来たので、年は4~5才離れているが。)同じ『帳票課』から異動してきたメンバーの一人ではあったが、入社から機械いじりが好きだったらしく、専務ともよく話が合うらしい。異動してきてからは、ずっとSB社自体メールサーバ管理する仕事をやっている。

それに比べて自分はどうだ? 糸井は”ふせん”のいっぱいはさまった、『アルマジロ本』を見つめた。新田がその様を気持ち悪そうにいちべつして、プイと給湯室に去ってゆく。糸井にお茶挨拶もくれない--いるもんか、あっかんべー。と舌を出したら、ちょうど目の前に課長がいた。

 

「ほほう。糸井、いい度胸だな。朝一番から

「あがっ」

 

「そんなにオレのワキガが気になるか」

「誰もそんなことツッコんでません……」

糸井や佐々木新田所属するシステム管理課の課長、進藤ユウジロウは、頭を9:1に必死で分けていることよりも、ワキガを持病と認定していた。夏場は近寄りたくないが、めちゃくちゃ気にしなくても、と糸井はため息を吐く

「ほら、ほら、臭いんだろ?」

「違いますって!」

ベタン。『アルマジロ本』が、倒れた。

 

システム管理課に異動が決まった時は、係長昇進か?! と焦って特上うな重と松の寿司セットを家族全員でおいしくいただいてしまったが、フタを開けてみれば、”もうすぐ”どこかの会社からサーバ管理する仕事が入るから、それまで勉強しててくれ、わかんないとこは佐々木に聞いてね状態で、まったく後味の悪い出前だったなと糸井は振り返る。

しかしほんまにこのまま、100円寿司にも行けなくなって、子ども誕生日駄菓子すらも買えなくなったらばどうする? めくったページはずしりと重く左手首にのしかかる。この腕時計は--あかん、これは親父の形見から絶対質屋には入れないぞ。

 

たばこを吸いに喫煙室へ、あるいは数回トイレに立ちながらも。ほぼ1日じゅう、糸井は『アルマジロ本』をずっと読み続ける。たぶんこの本とはお友達になれるかもしれないくらい。(表紙のアルマジロはけなげなまなざしをたむけるだけで、糸井のことをどう思っているかなんてわからないが。)そして、わきのパソコンを使って、本に書いている文字--コマンド、を指一本で打ってみたりする。しかし本の通りに文字が出てこないことがたいていだ。その度たびに、糸井は佐々木にそっと手で合図を送り、「これ打ってみたけどアレがコレと同じようにならないんだ」と困ってみる。たいてい佐々木は「デストリビューションが違うんで」とまだ理解できない返答を一言だけつぶやく。デストリだかデスティニーだかよくわからんので、糸井は適当にふむふむと無茶にうなづいて、また椅子を鳴らす。以下、繰り返し。

 

 

15時過ぎには新田が何かしらの手作りおやつ佐々木にふるまい、16時台は眠気と戦い、そして17時になるとまず新田が「おつかれさまでしたぁ~、さ・さ・きさぁ~ん、また明日もよろしくおねがいしますぅ(ウインク)」と去ってゆく。糸井も残業申請できるような仕事をやっていないのでいちおう定時で帰ることはできるが、良心がとがめてもうちょっとだけ『アルマジロ本』にマーカーで線を引く。佐々木ネットワークトラブルが無いことを確認したら18時くらいには席を立つ。

今日は、課長の進藤は客先での打ち合わせが遅くまであるので、ここには帰って来ない。--糸井は頃合いを見計らって、カバンの口を開けた。

 

 

夕方のけん騒がやけに背中にしみる。駅は徐々に帰宅ラッシュ客を迎え入れていた。駅前本屋に寄りたかったが、またアレなおばさまとかにめぐり会うかもという不安トキメキの方が大きくて、急いで定期入れを胸ポケットから取り出す。

ちょうど、東側の窓際の横椅子に座ることができた。向かいから、まんまるな夕日がきれいにきれいに、通り過ぎる電線の上をはねたり転がったりしていた。あああ、きれいな夕日だなぁ、と、鼻の脂がちょっと残ったレンズからあかね色のそれを吸収した。

 

から家までの間に、1本でも、とたばこを取り出したら、あららとはじき落としてしまった。しかもそれは、どこからかたまった水たまりの中にダイブした。--くしゃり、とつづきのたばこはもう箱になく、握りつぶしてから気づいてまたため息をひとつのばした。

 

慣れちゃいけないとは思いつつも、充実感の全く無い日々が、彼の血管をひとめぐり半はしていた。

しか家事の傍らいつ書いたんだろうか。。。

追記 いちおう掲載許可はもらった。

追記の追記 でも、カクヨムまったりマイペースで書いて、楽しんでくれるなら、彼女身体にもよいのかもしれないな。カクヨムって絶対みんなプロになるために登録してるものなの?

2017-04-16

具合が悪くなるとすぐ寝る

同棲して2年になる同い年の彼氏がいた。

三十路という単語が目前に迫っていた時分、もちろんそういうことを考えて同棲していた。

きっと彼も最初はそうだったんだと思う。

きっかけは家計簿些細なズレだった。

その日はたまたま仕事で早上がりできたので、久々に少し手の込んだ夕食を作ってそれでもまだ時間に余裕があった日だ。

何とはなしに家計簿見直し計算をしてみたところ額面と目の前にある現金勘定が合わない。

まさか、と思い二度、三度、計算しても合わない。

はいえ、2000円そこらだったので彼にも特に何も言わずそのままにしていた。

日用品の買い出しを彼がすることもあったし、計上しそびれているかもしれないし、と。

2000円の行方は気になってはいものの、それからは私も繁忙期に入りそれどころではなかった。

そして春先のある週末、彼が友人と花見に出かけると行って出かけた日、ふと思い出したのだ。

家計簿を開いて、電卓を取り出してくる。

5000円足りない。

これはさすがに看過できる数字ではない。

計算の間違いとか、そういうレベルで発生しうる誤差ではない。

しかしその日花見をしそのまま友人宅に泊まった彼と話すことはできなかった。

その2日後、今度こそ彼に話そうと重い腰をようやく上げかけたところ、額面が合っていた。

金額に1円たりともズレはなかった。

2000円や5000円は私の思い過ごしなどではなく、間違いなく足りていなかったことにこのときはじめて気が付いたのだ。

そしてその犯人は彼のほかない。

付き合いはじめから同棲をした今まで、喧嘩ほとんどなく過ごしてきた私たちだった。

私もささやかながら貯金をしていたし、彼とはいずれそういうことになるつもりでいた。

けれど、彼は私に隠していることがあった。

隠してはいけないことで。

その日の夜、私は彼にこれらの経緯を話した。

2000円足りなかった日のこと。彼が花見に行った日、5000円が抜かれていた日のこと。

今は額面通りお金があるということ。

そしてもし何か隠していることがあれば話してほしいと。

彼の返答はこうだった。

「お前こそ何か隠していることがあるんじゃないのか?」

それから何を話したかはよく覚えていない。

どうやら彼には年上のお相手(彼曰く「ただの友達」だそうだが)がいたらしく、その女との交際費現金持ち出しをしていたそうだ。

ちゃんとその後に返していたか問題ないだろうと主張をしてくる。

また、その人と付き合ってどうやら彼は自分が年上好きの人間だということに気付けたらしい。

自分から折れるつもりもなく、謝罪言葉もなく、挙句の果てにはただただこちらを罵倒するだけの会話にほとほと疲れてきた頃。

私の口から出た言葉は「もう終わりにしよう」だった。その瞬間である

「何勝手なこといって終わらせようとしてるの?逃げるの?」

どうやらスイッチが入ってしまったらしく、彼の私への積年の不満を1時間ほど聞かされた。

彼の論理支離滅裂で私が悪者のようだった。

正直ここまでくるともうどうでもよくなっていたし、私の中での結論は全て出ていた。

そんな失意のまなざしに気付いたのだろうか。

「じゃ、おやすみ

それが彼の最後の言葉だった。

彼はそのまま寝室に行き、就寝した。

安らかな寝顔を眺めながら、私は私が愛した男の最後の寝顔を2分ほど観察したのち、荷物をまとめ始めた。

家具家電は備え付けであったし、家計簿お金に手を付ける気にもなれなかった。

自分が正しいと最後まで主張を続け

一切折れることな

自分の都合が悪くなると逃げ出すような

そんな男と交際4年、うち2年は同棲を続けていた自分に今はただただ驚いている。

自分の言いたいことだけ言って、旗色が悪くなったら逃げ出すのはさぞかし気持ちいいんだろうね。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325114741

社会福祉最前線で働いていますが、貧困層の多くが属するのは爆サイ・ホスラブ文化圏のもので、そのような価値観に対して寛容では無いはてなにおける貧困弱者へのまなざしについては、常に危ういものであるなぁという印象を抱いていました。それが今回の件で明らかになった気がします。

寛容性や多様性について大上段に論ずるも、その口汚く攻撃的な様に寛容性や多様性果たして宿っているのでしょうか?

2017-02-10

恋愛のものが悪なのか?

非モテ告白するのはケシカランという話を飛躍させれば、なんかもう恋愛のものが悪だって方向に行きそう。

実際他のところでもそういう主張をしている人って結構いるし

もう恋愛自体がアンポリティカルコネクトになるのだろうか。

よくよく考えたら、同性愛者の可能性を否定できない異性相手好意の「まなざし」を向けるかもしれない、という時点でポリコレ棍棒で殴られかねない。

同性愛者の側からまなざしだって同じような理由で叩かれかねない。

結婚して子供がいる男でも雰囲気とやらで童貞として叩かれるご時世、仮に本人同士が納得して付き合ってるカップルでも

厳しい人に「なんか非モテっぽい」と認定されればたちまち人権侵害のひどい行為をしている二人組になってしまう。

恋愛のものが悪になりそうだなあと思った。

実際本人同士は幸せに付き合ってるだけのカップルに「あいつは非モテからあの二人で付き合うはずがないのに」と延々と文句をつける人というのは周りにもいるし

そういうのが正義になってしまうんだろうか。それは世知辛いなあと思う。

2017-02-03

嫌なら買うなよ、恵方巻き

https://togetter.com/li/1077485

この時期恒例の恵方巻きによる喧嘩がまた発生してるようだけど

別に下品だとか大阪嫌いだとか思う人が買わないということで済まされんの?

存在自体が気に入らんとかなるとまた

まなざしとかそういう話になるのか?

なんかのうりんポスターとか碧志摩メグときみたいな展開だな。

2017-01-24

ここ数日で

かつてまなざし理由他者の行動の積極的抑制を訴える論者であった方が

表明するだけなら自由

嫌悪感を露わに吐き捨てて悪罵すること自体自由!!

表現の自由の灯を守れ!!!

って表現の自由に目覚めてくれてとても嬉しい

急に守護天使でも降りてきたのかしら

2016-12-23

互助会批判マッチョイズムのたわごと

ブログ書いてもブクマコメント書いても、まったく相手にされないという人々が大勢いる。

ブックマークスターもつかない、ブログアクセス解析しても毎日ゼロブクマは1,000超えてもお気に入られゼロ

そんなSNS弱者大勢いる。

そんななか、スターブクマを付けてくれた人がいたら、嬉しくなってお返しをする。

お気に入りに入れてくれたらお気に入り返す。

そこでようやくSNSの喜びを知ることのできる人間大勢いる。

ひるがえって、互助会批判の連中はなんだ。

文章力があるんだかなんだか知らないが、毎日ブクマスターを荒稼ぎしている。

そんなSNS強者が、弱い立場人間気持ちなど全く知らずに、偉そうに上から目線説教し、攻撃し、否定してくる。

なんという傲慢マッチョイズムだろうか。

はてなでは社会的弱者擁護する人が多いように思うが、

やはりSNSプレイヤーという視点では自分強者に属するからか、

互助会に対する優しいまなざしというのは持てていない。

権力者というのは、自分がその立場になったら、その権力性を自覚的認識することは難しいことなのだという証明なのだろう。

持てるものが持たざるもの気持ち理解しないということ。

これはどのようなシチュエーションでも、理不尽悲劇をもたらすものなのだということなである

2016-12-20

カツラの取れたエンジェル

もし俺がフサフサだったら

まなざしを近づけやしないのに

そんなあいつのつぶやきにさえ

うなづけない頭がさみしいだけ

ohhh… カツラの取れたエンジェル

あいつもカツラの取れたエンジェル

みんな生えないエンジェル

2016-11-23

あるいはIV

いうてJCにボディラインがモロに出ているレオタード着せてセックス

メタファーなことを言わせていれバ

まなざし村界隈の人で無くてもまなざししまうわけですヨ

2016-11-20

俺はゲイから

LGBTのことを考えるとぞっとすると言える人間心理は推し量れない。

同性愛者が身近に存在しないと考えている人間感覚永遠に持てない。

世の中には、そのような人々に対して、正義立場から怒りを表明し、反論を示してくれる人たちがいる。

そういう人たちがいるおかげで、俺のゲイとしてのアイデンティティは救われているんだろうと思う。

だけど同時に、LGBTのことを認められない人たちが俺に向けるだろうまなざしと、俺が彼らに向けるまなざしは、きっと同じものなんだろうとも思う。

2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161111105121

ポリコレ棒がオタクの味方してきたみたいなツラするのは噴飯」に対して何も反論できて無いな。


そのうえポリコレ棒達のオタクへの圧迫と卑下駅乃みちかみたいなのに限らないからな。

オタクがひっそりエロゲーエロ漫画描いてオタクの間で回して楽しんでるだけでも

ポリコレ棒たちは何度もそのオタクの阿片窟に入って来て殴って回ろうとしたよ。

(いまもいるよ。女のエロいイラストを描くこと自体そのまなざしが~っていうよくわかんない呪文俺はついに解読できなかったけど)


そこでオタク側が防衛で固めた論陣ボコボコに殴り返された結果、

ある程度のお行儀をオタクとの実力の激突で躾けられた結果、

駅乃みちかみたいなまあまあ妥当であろうラインまで押し戻されてきてそこに生息してるだけで。


まるでポリコレ棒達が最初から妥当ラインを見究める分別や自制があったみたいに言うなよ。

オタクに殴りかかって殴り返されて教育されてきた歴史無視しちゃダメだろ。

いまだってオタクからカウンターパンチがなくなれば分別を失う奴等だよ。

オタクにも分別無くエロイラスト公然開陳ちゃうような奴は勿論居るけどな。

要はどっちも同じ程度の人間じゃん。

控えめに言ってポリコレ棒なんて言うのはオタクと殴りあって均衡する程度の奴等だよ


ついでに言えばオタクと直接関係ないポリコレ案件でも

悪い男」の代表として童貞キモオタがどうこうみたいなイメージをすぐ持ち出してたのもポリコレ棒の皆さんだからね。

ポリコレ棒はフェアでも反差別でもないってばれてるし、オタクの味方なわけもない。

自分たちから一方的に殴れるつもりで)仕掛けて、殴り返されて、

以後殴り合いを続けてるだけってのがポリコレ棒とオタク関係性の歴史だよ。

その自覚ぐらいは持てよポリコレ棒サイドは。

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