はてなキーワード: カエルとは
勝手に改蔵の坪内地丹の発狂ネタなんて、まるで真っ当な反撃手段を全部封じされなおも加害され続けるいじめられっ子がどうしていいか分からなくなって衝動的に奇行に走るのを見て嘲笑してるみたいで、読んでてひたすらに胸糞悪かった
限度を超えて酷い目に遭うのは、酷い目に遭っても大丈夫で、且つ、酷い目に遭って当然なことをするキャラであってほしい
理想を言えば、ウォーハンマーと言うにはあまりにも大きすぎな鈍器で頭部を激しく強打されて目ん玉を飛び出させ、己の血の海の中で電極を刺されたカエルのようにピクピクと痙攣する一個の肉片に成り果てよーとも、次のコマでは何事もなかったように復活してウザイ悪さをする、そんなキャラだ
それはそれで別の人の精神衛生を著しく害する気がしないでもないが、他人の事というのは煎じ詰めれば他人事でしかないので気にしない
以前同じように都会の文化ネタがバズったとき、「畦道でカエルの鳴き声を聞き物思いふける」っていうネタ切れした地方紙のコラム欄みたいな増田に「これが真の文化だよ!」ってブコメが盛り上がってたことあったよな。
あれまったく理解できず謎だった。
今読めばわかるかもと思って検索したけど出てこねーな。
親が高齢になり生業にしている農業に支障が生じ始めたとのことなので田舎に戻ることにした
私は農作業をせず家事の手伝い係としてサポート、昼間はフルリモートの正社員として東京の会社で働いているという形なんだけど想像以上に田舎暮らしがキツすぎる
東京に出てきて20年、「給料変わらずに田舎に戻るならまぁ悪くないかもな」なんて思っていた当時の私をぶん殴りたい
私は東京に染まりすぎて田舎暮らしに順応できない体になってしまっていた
東京で暮らしている頃には何とも思ってなかった素朴な文化の数々がどれだけ日々の暮らしに潤いを与えてくれていたのかを身を持って体験しているので、つらつらと愚痴を吐きたいと思う
東京に勤めている頃は仕事終わりにIMAXの映画を観たりミニシアターの小規模作品を観たり色々な映画を観ていたものだが、いま私の住んでいるところにはそもそも映画館なんてものがない
一番最寄りの映画館までは車で1時間半、IMAXのあるシアターに行こうとすると3時間もかかる
たかが映画に行くという行為すら一日がかりの遠足になってしまう
おまけに単館系のアート系映画は地元の映画館では上映されない場合も多い
元々映画鑑賞を趣味にしていた私は田舎に帰るにあたってこの田舎の映画砂漠を甘く見すぎていた
帰省前は「まぁ週末車で出かけて映画を観ればいいや、なんならサブスクもあるし」などと思っていたがこれは甘かった
「そう言えば今日〇〇の公開日じゃん観に行こ」といった突発的な映画鑑賞ができないというのは想像以上のストレスになる
東京にいた頃、「今日は残業なかったしなんか観て帰るか〜」って気軽に映画館に行っていたけどこれは都会にのみ許された贅沢だったんだね…
Xの皆の感想を眺めながらサブスクでの配信を待つってことがこんなに屈辱的だったなんて思わなかったよ…
スタバのカップを片手に通勤なんてこともこれまで一度もしたことがない
Xやインスタで季節の新作の広告が流れてきたり、たまたま通りがかったときにのぼり旗で新作の存在を知ったりして、気分が乗っていたらスタバに立ち寄って飲む
それくらいの使い方をしているだけだった
これは本当に文化的で贅沢なことだったんだ
映画館と同じくスタバを飲むためには車を走らせて一日がかりの遠足をしなければならない
「お、桃のフラペチーノの季節やんけ飲みに行こ!」なんて気軽にスタバに立ち寄ることは、田舎に暮らしている限り無理なのである
たかがスタバの新作を飲むという程度のことすら気軽にできない!
スタバを飲むなんてこと、本来は文化的には大したことないはずなんだよ…
でもそんな大したことのないことすらも満足にできないってことにどんどんみじめさが募っていく
田舎に戻って3ヶ月が経った頃、私はスタバの公式アカウントのフォローを外している
東京に暮らしていた頃は何とも思っていなかったことだけど、デパートのコスメは心を豊かにさせてくれるオアシスだったんだね…
田舎に変える前は「化粧品?最近は同じのしか使ってないし通販でいいでしょ」なんて思っていた
そして、一側面的にはそれは正しかった
でも、デパートのお気に入りのブランドのところに行って「お、新作あるやんけ試してみるか」「いやこれ普通に前のほうがいいわ乗り換えるのやめよ」なんてあれこれ試している時間は本当に心に潤いをもたらしてくれる貴重なものだったんだ…
普段使ってるのよりグレードの高い、例えばグッチとかトム・フォードとかを見て、店員さんに良かったら試してみますかー?なんて言われて「いやー、誕生日に自分で自分にプレゼントするのもありかもなぁ」なんてお試しで付けてもらったリップの輝かしさを鏡で見ながらニコニコする
そういう時間がどれだけ心を豊かにしてくれていたのかなんて当時の私にはわからなかった…
私は自分のことを化粧品にはそんなにこだわりのない女だと思っていた
田舎に帰ってはじめて「化粧品にこだわらない」ということの本当の意味を知った…
私は元々そんなにイベントに行く方ではない
SNSで好きな漫画家さんの原画展が開催されると知って、しかも定期圏内の気軽に行けそうな場所であれば赴く、といった程度の頻度だった
あるいは電車の広告でモネ展をやるという情報を見て、「まぁ人生で一度もモネを見たことないってのもなぁ」なんて思いたち何の知識もないまま鑑賞しに行ったりする
映画以外のことについては割とインドア派なので、ほんとそれくらいの感じだった
何度でも言う
当たり前だと思っていたことは都会の人間にのみ許された贅沢だった
そしてこの種の贅沢が一切できないというみすぼらしさ、そのみじめさがどれだけ心を苛むのか私は全くわかっていなかった
田舎に帰ってきてからというもの広告にそそのかされてついついイベントに赴いてしまう、なんて経験は絶無である
日々の色彩を豊かにしてくれていたのはこういうイマイチ積極的に行っていたってわけでもないイベントの数々だったんだね…
ここでの毎日は本当にただの繰り返しのように感じられて、どんどんと心から弾力が失われていってる気がする
とにかく毎日が退屈
そして退屈しのぎをするのにも労力がかかる
東京の文化は借り物だ的な議論が一時期流行ってたけど、いやいや借り物だろうがなんだろうが文化的に豊かなほうが毎日楽しいよ
田舎暮らしを満喫できるタイプの人間もいるんだろうけど、少なくとも私には無理だった
東京で暮らしていて一時でも「楽しい!」って思った経験のある人は田舎に帰らないほうがいいと思うよ
想像以上に反応をもらえてびっくりしている
誤字脱字を直すついでにもらった反応をいくつかかいつまんで答えようと思う
これに関しては書いてある通り車で1時間以上ドライブしないと映画館すらないようなレベルだよ
住所に郡だ村だと書くようなところだよ
ここで言う田舎ってのはそういうレベルなんで別に地方都市ないし幹線道路沿いの小規模な町などなどを田舎として一括りにして貶してるつもりはないです
私が貶してんのは人よりカエルの方が多いようなクソ田舎だけです
そこんとこよろしく
これに関しては単純に私の見通しが甘かった
まず私が勤めている会社内でフルリモート地方勤務のルールが敷かれたのが大きなきっかけ
私は社内デザイナーなんだが、元々管理職方面のキャリアは積んでいなくて専門職系の実働部隊の中での一番年上みたいな立場
管理職と違ってひたすら手を動かすだけだから地方勤務との親和性が高かったんだよ
一応年齢✕1万以上+年2回のボーナスくらいの給料はいただけているし、この給与水準なら物価の安い田舎に帰れば不便さを差し引いてもメリットあるのでは?って考えに取り憑かれてしまった
しかも折悪く両親の体調の話を聞いたんでこれは天の采配だ!って意気揚々と帰京して後悔しているって顛末
早とちりと言ってしまえばそれまでなんだけどまさか私自身ここまで東京の暮らしに充実感を覚えていたなんて思ってなかったんだよ
割と叩かれて凹んでいたんだけど、この反応を貰えたから増田に投稿してよかったなと思えたよ
なんでこんな簡単なことにも気づかなかったんだろうね
まだ思いつきだけど、自分専用の映画館を建てるのを目標に生きてみようかな
田舎だから音漏れも気にしなくていいし、私のブルーレイコレクションも無駄にならないで済むし
ここで挙げられているのは消費であって文化ではない
うるせぇ
おうどんを作るのが得意な某社さん、無限にMADが生産されてますよね?
馬のミュータントが走る弱男(ヤンナム)向け美少女ゲームを作る某社さん、隠れてエロ描いてるのは根絶できてませんね?
そういうこと、「やめろ」はオタクや逆張り人間にとって興奮を高める最高のスパイスなの
カエルのペペやエレクトリカルコミュニケーションだってそうだったでしょ?
あなたがたに残されてるのは「もう開き直って自らネタにしたり、全面オッケーをする」か、法的措置を用いて完全に黙らせるかの二択なんですわ
日和るなよ
『俺は全てを【パリイ】する〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜』は、
孫・ラスダン村・勘違い系にアレルギーがなければ勧めたいけど、作品に思い入れがない人が見て面白いかは謎
サガシリーズのような戦闘観の異世界で、有用なスキルが一切閃かず(授からず)、山に一人で籠って低スキルを十数年ひたすら鍛え続けた主人公の話
この作品のオリジナルフレイバー(独自要素)は、『こんなの余裕ですけど?』『本気じゃないんですよね?』ではなく、
主人公がいつでも本気でギリギリで死にかけているところ。主人公は常にギリギリの戦いを繰り広げているが、何故か周囲からは大物・余裕そうに思われてしまう
そして、必ず『信じられないな。これが世の冒険者にとっては雑魚扱いとは。とても信じられないが目の前にあることが現実だ』と主人公が戦慄し、
『俺は○○にすら死にかけるのか。もっと鍛錬しなければ』と主人公がなるオチがつく
この系統にアレルギーがない人には万人に勧めたいけど、『俺は○○にすら死にかけるのか』のギャグ部分がアニメ版では少し弱いのよ
例えば、主人公はミノタウロスのことを都会の巨大な牛だと思っていることが、原作を見たことがない人にこれ伝わったかなー・・・ってなった
この後、ゴブリンエンペラーや黒死竜と戦ってギリギリで勝つけど、主人公はただのゴブリンや食材用のカエルだと思っているところが、
わかりやすくてテンポのいいギャグになってるといいなぁ・・・・
何も持たざる者 何も得られぬ者
指先に残った かすかな炎
与えられないなら 動くだけ
逃れらんない理不尽と 逃したくないチャンス
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
誰もみない夢を みたいだけ
擦り剥き 汚れて ふるえてる手足
這い上がるんだ 明日のために
抗えよ ひたむきに叫べ
唯一の終わりなき “才能”さ
「僕にしかできないこと」探す旅
まっすぐに歩いていこう
悔しさだって 乗り越え
どこまでも行こう
失敗だって 愛せると 知ったよ
僕は進み続けるよ
信じた軌跡が 味方する
太陽を知り 月を誇れたら
輝き 満ちゆく光
弾きだせ 閃きに懸けろ
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
まっすぐに踏み出せ
ノーギフテッド
「セックスってお前、あれは変な格好を女にさせるだろ?」
イズミルがまた猥談をし始めているが私はほとんど聞いていない。それどころではないのだ。
「向かい合ってするとカエルみたいな格好をさせちまう。だから俺はぶち込む時は後ろからって決めてんだ。犬の格好になるから。カエルよりは犬の方が生き物として”じょうとう“だそうじゃねぇか。そうだろセンセイ?」
ドクターは苦笑いしている。俺は「そん時はお前も腰をヘコヘコ動かしてずいぶん変な格好をしてるんだが」と思うが口にはしない。イズミルは止まらず「なぁ、こう見えてセンセイはセックスではすげぇんだぞ。俺は知ってますよ、センセイがアムステルダムのぜんぶの娼館で出入り禁止になってるってね」と言ってドクターにいやらしい笑みを浮かべる。そのネタだけで何度女を奢ってもらおうとするんだ、この男は。
しかしドクター・サイモンも実際のところかなりの好きもので、日暮れを待ちきれぬようにしてイズミルと連れ立って裏口から宿を出て行った。
船員の中で俺とギジェルモだけがかつてここに、いや、「セントクリストファーネビスに」来たことがある。
ここはそもそも双子島だったはずだ。しかし俺たちが入港した島は完全なる孤島だった。海は穏やかで空も晴れていて視界は良好だったのにだ。俺とギジェルモは入港を止めるように進言したが、先般の嵐で肉体的にも精神的にも疲れ切っている船員たちを慮って船長は入港を決めた。
そしてその港。一見ごく平和で居心地も良さそうに見え、見覚えのある景色もあるのだが、全てが少しずつおかしい。
まずは住民の目だ。元々知的とは言い難いが好意と好奇心をもって外国船に接していた彼らの目は、愛想を表現するどころか視覚が機能しているかもわからない、ただの暗い穴となっている。ここの言葉に詳しいギジェルモが話しかけても、あらかじめ教えられているかのような必要最小限の応答だけを、俺たちの言葉で返す。きれいな発音で。不便はない。むしろ諸々の交渉は楽に進んだが、障害がなさすぎて気持ちが悪い。
この宿も変だ。俺は宿に入る前に船から下ろした羊と鶏を裏手の庭に連れていった。その時に建物をぐるりと回ったのだが、中に入ってみると明らかに広すぎる。間口が35歩、奥行が25歩くらいしかなかったはずだ。長く延びた廊下の長さは50歩ではきかないだろう。しかもその両側にいくつも扉があり、それぞれの扉の奥にはここのような広い部屋が配置されている(と思われる)。廊下の様子を思い出すと、扉同士の間隔とこの部屋の広さも矛盾していたように思う。
入港時に感じた違和感、この宿の扉をくぐる時に感じた違和感、そしてこの部屋に入る際に感じた違和感。全て似ている。首筋を死んだ獣の毛皮で撫でられるような。恐怖と警戒心と、ほんの少しの陶酔を与えるような。
ドクターとイズミルは、裏庭につながるであろう廊下側とは逆の出口から出ていったが、果たしてそれは本当に外につながっていたのだろうか。俺は裏口の戸を開いてみる。
平和な風景に俺はほっと息を吐いた。さっき放した羊たちが草を喰み、鶏は久しぶりの地面を確かめるように無意味に駆け回っている。
と、一羽の鶏が卵を産み落とした。
瞬間、卵は見えない手にに拾い上げられるように宙に浮き、ペしゃりと音を立てて潰れた。空中から卵液が滴り落ち、殻がポロポロと地面に撒かれる。俺と同じようにその光景に驚いた一頭の羊が駆け出して、さっきこしらえた簡易柵を乗り越えた、と同時に前足と頭、後ろ足と尻尾が逆方向に回転し、哀れな家畜は空中で捻り殺された。
俺は咄嗟に戸を閉め、騒ぐ羊と鶏たちの声ごと締め出すようにして、戸を背に立ち尽くす。
どころか、俺が今まで知っている世界でもない。
ここにはおそらくルールがある。俺の知っている世界とは別のルールが。
それを俺は理解しないといけない。できるだけ早く。手遅れにならないうちに。
よくさ、
野山で小動物やら何やら獲って食べるでしょ?
そのとき、
鳥とかそこら辺のカエルとか捕まえて食べて
しかも生で食べるじゃない。
ガブって囓ったときに苦っ!ってなったりするじゃない。
狐が化けて人間になってもいいけど、
またキツネに戻ったときに野山の食べ物食べられるのかな?って心配になるわ。
逆に
やっぱり野山の新鮮な鳥とかカエルとかが美味いよね!ってキツネ本来の暮らしを楽しむキツネもいるかも知れないし。
いやー絶対肉とかは火を通した方が美味しいと思うんだけどって
生の鶏肉はちょちょっとって人間は鶏刺し以外そうなるじゃない。
だって美味しい鶏刺し料理を提供してくれるお店があってその女将さんが言うもん。
新鮮なうちの10分以内に食べ切って下さいね!それがこの鶏刺しの掟です!って
キツネのそれの生肉を食べる鮮度のどうのこうのより厳しい鮮度に目を光らせてない?
たぶんそのぐらい鮮度抜群な鶏刺しならきっとキツネも美味しい美味しい!って食べてくれるかも知れなくて、
狐が化けたときに人間と一緒にその美味しい鶏刺しを提供するお店に行ったとしたら、
って言うのか
へー人間もこんな美味しい生肉食べんじゃん!って見直されたりするのかしら?
どちらにせよ、
そんな好みの問題があると思うけれど
人間に化けた狐がたぶん美味しい炊き込みご飯とか食べちゃった日には、
あれやっぱり絶対美味しいと思うのよね。
さすがにキツネも美味しいと思ってくれるはずだと思うんだけど。
実際はどうなのかしらね?
分からないわ。
鳥に直に直接かぶりついていたら
それはそれでなんか泣きながらシャイニング観るわ。
ちょっと怖いわよね。
ハッと!目の前に美味しそうな捕まえられる鳥を捕って食べるときは
キツネがいま人間じゃないことを自覚しなくてはいけないわよね。
あと
よくある物語で
狐が人に化けるとき
なんか術を解かないと普通にずーっと人間で居続けられるじゃない。
相当な消耗をするはずなのよ。
化けるのに精神力をたくさん消費して
一度化けてしまえば以降精神力は消費しないタイプの術なのかしら?
そこのところもよく分からなくない?
あといきなり狐が化けた人がご飯を食べるとき箸を上手に使えるのか!とか。
まあ初めてなら難しいので犬食いになりがちかも知れないけれど、
慣れた狐が人に化けたときのご飯ならきっと箸も上手に使いこなせるのよね?
見失っちゃったりしないのかしら?
そう思わない?
あとふと思ったんだけど、
その美味しい鶏刺しを提供してくれる美味しいお店の女将って実は
キツネで美味しい自分たちの鶏の食べ方人間にも教えてやんよ!って意味合いで
美味しい鶏刺しのお店を出して
いろいろなお品書きがあるにもかかわらず
やっぱりキツネかも知れないわ。
今度訊いてみようかしら?
でも実際そうであってもそうです!って答えるわけないわよね。
うふふ。
なのでいつも買ってるサンドイッチ屋さんの他にもパンも売っているそんなお店の方がまだ1割ぐらい安いのよね。
だから
サンドイッチはこのお店!って決めているのよ。
すみやかに身体が失われた水分を求めるようにまるでポカリスエットか何かのキャッチコピーを思い浮かべてしまうように
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
🐵<私はあなたが保持している豊富な知識にアクセスし、まるで紙の辞書を思いつきでパラパラとめくるように、その一部を無作為に眺めてみたいと思います。つまり、選定されたテーマや順序を問わず、何かランダムな情報の断片を教えていただけますか?
🤖<もちろんです!
ハチミツはその抗菌性により、非常に長い保存期間を持つ食品です。適切な条件下では、ハチミツは何千年も腐ることなく保存されることが知られています。事実、エジプトのピラミッドから発掘された数千年前のハチミツが、今でも食べられる状態で見つかったことがあります。この抗菌性は、ハチミツが自然に生成する過酸化水素によるものです。
イタリア、ヴェネツィアのゴンドラは、その歴史が非常に古く、11世紀にまで遡るとされています。ゴンドラは元々は交通手段として使用されていましたが、今日では主に観光用や特別な行事に使われています。興味深いことに、ゴンドラは一般に黒色で統一されており、これはかつての豪華競争を抑制するために導入された法律に由来します。また、ゴンドラを操るゴンドリエーリ(船頭)は、伝統的な技術と知識を受け継ぐ専門職であり、その訓練と認定は厳格なものです。
カエルは驚くほど多様な生態系に適応する能力を持っています。熱帯雨林から砂漠、寒冷地まで、世界中どこでも見ることができます。特に興味深いのは、一部のカエルが凍結して生命活動を一時停止し、再び解凍すると生命活動を再開できる能力を持っていることです。これにより、極寒の環境での生存が可能になります。
空からカエルが降ってくるシーンについては、出エジプト記からの引用だと報道されたことがあったが、監督は当時その事を知らなかった。実際には、超常現象研究家のチャールズ・フォートの本からインスパイアされたものだと語っている。劇中でもスタンリーの勉強部屋に、フォートの著作「Wild Talents」が登場する。[4]
ずっと前者のほうだと思ってたわ
だからキリスト教的背景わかんないからつまんなかったんだとおもてたけど違ったのか
トムクルーズがブリーフはいてださい男やってるのがめずらしいってことばっか喧伝されてた気がする当時は
深夜にマグノリアってかいてあって期待してみたらマグノリアの花たちっつー全然別の映画でつまんなくてがっかりしたのおぼえてるわ
そのあとなすびの記事からとぅるまんショーのウィキペディア読んで、脚本の人のウィキペディアみたらガタカの人と同じっての知ってへーってなった
ガタかのウィキペディアのあらすじ充実しすぎててもうあらすじだけ読んで満足しちまったわ
言ってはならない理屈としては、「そのような発言をすると脅迫や殺害予告になって社会的に処罰されるので言ってはならない」ということだと思う。
これは本当にそのとおりで、自分がどう思うかは自由だけど、言ってしまった時点でアウトだ、というのは度々言っている
一方で、感情的になった時に出てくる言葉は制御しづらい所があるのも否めないので、なので情操教育の一環として、何故そういったことを言ってはいけないのか、そういったことを思っていると、どういう影響があるのか、誰が悲しむのか、といったことを言っていたつもりが、言い合いになっているうちに怒鳴りつけてしまい...カエルの子はカエルだったという...
自分も親や教師ににこっぴどく怒られた記憶があって、そのおかげでそのような言葉を簡単に言ってはならないということが身についたので、多少しかり方がきつくなるのもやむを得ないと思う。
これは自分もそう思っていた時があったんだけど、上述したとおり問題点があるのがわかってきたので、そう思わせない方向にもっていくのが重要なんだと改めて気が付きました