なんていうか、メインテーマとなってる『ぐーたらな妹とその面倒を見るお兄ちゃん』とか『お互い告らせたい生徒会長と副会長』
みたいな関係性が凄くよくできてて、そのアイディアが作品の9割を担っていると言っても過言ではないような作品だと、
サブキャラ増える度にこいついらねーだろはよ最初のメインキャラだけ出してろってなるのない?(いやどっちも凄く好きな作品ではあるんだけど)
実際は丁寧に作られているのに、本人が読み取れないがゆえに苦行だ修行だというのだ。
読み取れないことは仕方がない。ただ、それを表明する必要はない。
読み取れないことは知能の問題だが、それを表明しないことは知能に加えて倫理の問題である。
そのあとで、一話の再評価の機運が高まってくるにつれ、手のひらを返してきた人もいた。
意見を替えること自体は問題ではない。人は変わるものだからだ。
しかし、酷いと言っていたにもかかわらず、手のひらを返してから絶賛するのはあまりに浅薄である。誠実でない。
正直この手の人々にうんざりしているけれど、それを止めることは困難だ。
そもそも異なる人間であり同じ見地に立っているわけではないのだから議論も成り立たない。それでも議論しようと突っかかっていく人もいるが、自分と別のやり方で楽しんでいる人々に突っかかっていくことが正しいやり方とは思えない。
善悪の区別に乏しいファンでもない雑に言及する人間に見つかってしまうことは不幸だが、それは優れた作品が広まる過程では仕方のないことのようにも思う。
いろんな人がいてそれぞれ得意なことが異なる、までは良いが、そのために生じる摩擦や不幸ないさかいは減ってほしい。それも戦争ばかりの人類には難しいのかもしれんが。
15年くらい前だったかな。どこぞの大学の教授が「ゲーム脳」なる造語で、「ゲームを遊びすぎると、痴呆症に似た脳波になる」という珍妙な学説を提唱したことがあったっけ。まあ結局のところ、信憑性がないってことになってたけども。
それでこの「ゲーム脳」なんだけど、その教授の造語である以上、その学説の中身の意味しか持たないと思うわけで。
でも、どうも「ゲーム脳」という言葉がいつの間にか「ゲームをやりすぎて、日常生活をゲーム的に考える」と言った意味に変貌していて、ものすごくモヤっとする。ツイッターとか見てると、結構その使われ方をしてるし……。前述の意味を踏まえると「ゲームをやりすぎてバカになりました」という自虐ネタかと初めは思っちゃったよ。
他にいつの間にか、本来の意味で使われなくなった単語といえば「ガラケー」とかね。元々は「日本人仕様に作りすぎて、海外でサッパリ売れない日本産高性能携帯電話」くらいの意味だったはず。従来型携帯電話を指す単語ではないし、低性能な携帯電話を指す単語でもない。元の意味で考えれば日本メーカーのスマホは今でもガラケーのはず(「ガラスマ」なんて単語もあったけど、すっかり消えちゃった)。どちらにせよ、ガラケーという単語は元々蔑称だから、俺はこの言葉は嫌いだ。
あまり本来の意味で使われない単語と言えば忘れちゃいけないのが「アダルトチルドレン」。「問題ある家庭で育ったことにより、成人になってもそのことについてトラウマを抱える続けること」が正しい意味で、誤った使い方をしたら支援団体が抗議したってこともあるのに、「子供じみた性格のまま大人になった人」と誤用する人の多いこと。
パッと思いついたのはこの3つだけど、他にも何かあるかな。
住むとこ食うものは支給してたんだから平気だろうという話があったが
この「住むとこ」は、まぁ社宅とかで経費化していたのだろうが、食うものについてはどうしてたんだろう。
普通の会社だと、社員や業務委託先の三度の食事は、経費化できないよな?
打ち合わせとか適当な費目つけてるんだろうけど、体の良い脱税だよなーとちょっと思った。
声を出すと気持ちよさを残しながら苦痛を抜くことができると思う。
くすぐったさと気持ちよさがせめぎ合うときにはくすぐったさを紛らわせることができるし、ガシガシ突かれているときは内臓を押されるような衝撃を口から吐き出すことによって緩和できる。
この日、奥さんは晩ご飯をどうしたのだろう?普段はどうしてるんだろう?
旦那さんがなぜ晩ご飯を食べずに待ってたのかは分からないけれど、
でも読む限りそれは違うような気がするのでよく分からない。
待ってた理由が「あえて料理を温めさせる」だったらさすがにちょっとキツイけど…。
ビールのくだりの「なんで俺に対して同じことを強要するんだ!」には、
我が家はおそらく、いや間違いなくセックスレスの部類に入ってしまった。
恋人時代はもう何かとべったり過ごしていたし、ちょっと触れ合っただけでそういう空気になってセックスしていた。
あまりにもべったりだから結婚して子供ができてもこういう夫婦でいられるだろうと思っていた。
曰く、子供に掛かり切りでそういう気分に離れないと。
もちろん赤ん坊の世話の激務を考えると仕方がないとも思った。
寝かしつけてもいつ起きるかわからない、起きたらすぐ子供に掛かり切りにならねばなれない、気が抜けないという時期があったし、
俺もそれを少しでも軽減しようと努めたつもりだった。
もうすこし大きくなって少しは時間の余裕ができれば少しずつこっちにベクトルが向くかとも期待していた。
それが幼児になり少しずつ手が離れてきても(夜のまとまった時間が取れるようになった)全く変わらなかった。
それどころか
「体ばかり求められてそれだけかよ、違う形でコミュニケーションがしたい。」
セックスは愛情表現の一つだと思っている自分は完全に裏切られた感。
ただ発散するなら風俗なりオナニーなりなんとでもなる、ただそれだけならさ。
もちろん気がないのに無理矢理するもんじゃないから必死に我慢してるものの、
ここまで相手にしてくれないのもただただぞんざいに扱われてるだけとしか思えない。
俺は金を稼いでくればそれでいいってことかな?
もちろんセックスがすべてではない、そもそも家に帰っても少し離れたところで違うことしてこちらに何も絡まない。
それこそ一緒に映画みたりゲームしたりとかすれば少しは楽しめるだろうけどそうでもない。
あえて言うけどさ、あんまり相手しなさすぎるといざって時にたたなくなってもしらんからな??
なんせ嫁は俺がオナニーするの嫌いだからね、他の女でムラムラしてるのが嫌だとか言ってたけど、
世の中浮気や不倫する男女がいらっしゃいますけどね、どういう気持ちでそういうことしてるかは知らないけど、
こんなに相手されなさすぎるとそういう人らの気持ちもわかる気がしてくるぞ?
浮気や不倫はするほうが悪いけど、されるほうにも理由があるとは思うぞ?
ちなみに一度本気でレスは嫌だという旨話ししたことがあるが、
そういう気になんかなれない。
性欲がなくなったから。
などと言われた。
まあ言っても炉の内部だからなー、そりゃ高くもなるという