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はてなキーワード: 総大将とは

2023-07-19

ぬらりひょん妖怪総大将というのが納得できない

ただの頭のでっかいはげたオッサンじゃん

手長足長の方がキモいので上だよ

2023-05-28

【三流国日本日本人はやはり戦争

https://anond.hatelabo.jp/20230527200318

やはり愚かで傲慢。身の程知らず。

中露を舐めるくせが抜けない。

中国提案現実的だが実現しない。

 日本アメリカの属領で和平交渉できない

そもそもプーチンが来たら逮捕するだろ。

この決定をしたのも日本人の女。

から和平交渉できない。

しかアメリカの言いなりだ。

そして非友好国。

誰が聞くんだ。

そういう批判ならできる。

ウクライナは公金チューチュー国際版

不同意性交罪とかもそう。全部ジョージ・ソロスの息のかかった組織

WHOの言いなりだ。そういう意味でも自治政治もない。

ウクライナに出た金は暗号通貨タックスヘイブンを通じて還流する。西側政治家とかそう。

そのためにテレビ局大学まで作って子供から洗脳した。

オレンジ革命ユーロマイダン。全て民主化ウラCIAがいる。

現実の戦況

全く反転攻勢ではない。

もうザルジニーは死んだ。生きているというのは噓。総大将が死んだ。

次に裏切り者が続出。ロシア拠点情報漏れている。これで高精度ストライクする。

最近では大隊指揮官が撃ち殺された。

同士討ちもしている。

西側武器は役に立たない。

少なくとも10万の死傷者が出ている。

このまま続けても死ぬだけだ。

ゼレンスキーロシアミサイルを撃とうとしている。

その場合キエフ更地になるだろう。

クリミアドンバスロシアのもの

ウクライナ必要はない

NATO東方進出ドンバスクリミア

ウクライナは親露派の住民虐殺していた。

なぜならウクライナ西側になりたかった。そのため白人至上主義者に洗脳された。

日本人もそうだ。

中露をデフォバカにしているのも洗脳の結果。

なので2月22日にロシアドンバスを救出しないといよいよ皆殺しだった。

どこまでもロシア正当性がある。

東野篤子は逃げ出した。

国際政治学者は全員インチキ朝日新聞日経新聞毎日新聞も嘘つき。

嘘で固めれば本当になる。

ゲッペルスの言う通り。

日本人勝てない北方四島どころか北海道まで南千島列島

そもそも資源もないのに戦争する気なのがすごいですね。

戦って勝てる見込みがない。それでも中露を徴発するのか。

中国の和平案はロシアの案

そもそも領土放棄するのは日本は当然。

無条件降伏したでしょ。忘れたんか?

ウクライナもそう。

あいつらに渡してもネオナチマフィアの食い物になる。

あるいはウクライナ領ならモンサント小麦の値段を操る。ポーランドも狙っている。

なのでロシア領のほうが日本もマシ。

実力事情、現状からそれで停戦ならまだいい方。

決裂すれば第三次世界大戦ハイパーインフレ

天然ガスも輸入できない。

 ウクライナ日本となる

非武装化、非ナチ化戦後日本のもの

なにを恐れる必要がある?

それでも日本人は敗北する

学習できない。戦況が読めない。鈍い、トロイ、どんだけ弱いのか。敵を知らず己を知らない。これで百戦危うからずか?

ケネディ大統領の甥も同意

少なくともロシア正当性があると認めている。未だに中国ガーなんてアメリカの犬だろ。しかネオコンのね。

日本人は殺戮しか思い浮かばない。外交もできない。アメリカの言いなりで中露を2正面作戦。それで死にたいらしいか戦争狂。

2023-02-28

anond:20230228002530

関 盛信(せき もりのぶ)は、戦国から安土桃山時代にかけての武将関一政・関盛吉・関盛忠・関一利・関氏俊の父。妻は蒲生定秀娘。官は中務大輔。安芸守。諱は盛宣とも。

略歴

伊勢国の有力な国人領主伊勢亀山城本拠地としていた。盛信は日野城主・蒲生定秀の娘を娶り、六角氏に属していた。

織田信長伊勢に侵攻してくると、神戸氏等一族が次々と降る中で唯一独立を保っていたが、抗しきれず信長降伏した。神戸信孝に属したが不和であったため信長の怒りを買い、元亀4年(1573年)春に信長から勘当申し伝えられ、神戸具盛と同様に蒲生賢秀に身柄を預けられ、近江国日野城幽閉された。

だが行動が束縛されていた訳ではなく、天正2年(1574年)8月越前から逃亡して甲賀郡に入ろうとした樋口直房を討ち取り、その功を信長から褒められている(関文書)。しかしこの功績だけでは許されず、天正10年(1582年)に信孝が四国征伐総大将として大坂へ出征すると、盛信もようやく許されて亀山城に戻った。

信長死後は信孝を離れ、羽柴秀吉の家臣となる。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際は居城亀山城滝川一益に落とされたが後に奪還し、亀山城主として蒲生氏郷与力大名となった。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いなどにも参戦した。晩年は万鉄と号し、家督関一政に譲っていた。文禄2年(1593年)に奥州白河で死去。

2023-02-08

さまざまな桶狭間

桶狭間の戦い

桶狭間度:★★★★★

海道一の弓取りと謳われた今川義元大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったこから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。

奥州桶狭間人取橋の戦い

桶狭間度:★☆☆☆☆

父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州覇を唱えることとなる。

関東桶狭間河越夜戦

桶狭間度:★★★★☆

泥沼の争いを繰り広げていた古河公方山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方山内上杉・扇谷上はいずれも滅亡・没落し、関東北条氏を中心として動くようになった。

甲斐桶狭間飯田河原の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

甲斐に侵攻した今川大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐統一を成し遂げた。

近江桶狭間野良田の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

北近江浅井氏は、越前朝倉氏と南近江六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。

備前桶狭間」明善寺合戦

桶狭間度:★☆☆☆☆

備前大名浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏従属しながら備前進出しようとした備中三村氏の当主三村家親を、日本史上初となる火縄銃狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。

西国桶狭間有田中井手の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利吉川連合軍の戦い。寡兵連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就歴史の表舞台に躍り出ることとなった。

「海の桶狭間厳島の戦い

桶狭間度:★★★★☆

毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢要衝厳島拠点安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土併呑し、中国地方覇者となっていくのである

肥前桶狭間今山の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

肥前勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州覇者大友宗麟大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂わずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。

九州桶狭間木崎原の戦い

桶狭間度:★★★★☆

島津当主島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国伊東氏島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである

2023-01-07

蒼い土煙

時は13世紀、世界帝国モンゴルの小さな軍団が、

要塞堅固強兵で名だたる強大な都市国家に襲いかかります

都市の強みはなんと言っても地形を生かしつつ、

代々に渡り何重にも巡らした堀や城壁

かつてどのような侵略者も一度もこれを破ることは、

叶わなかった。

一族言い伝えには、

要塞を出て戦ってはならぬ、

ひたすら塀を厚く高く、堀を深く大きく、

いつか東方からやってくる蒼き狼も、

これを食い破ることはできない、、、。

400年に渡りコツコツと造営された城壁はもはや

絶峰のように積み上げられ、

日々更に積み上がっていった。

さてモンゴル軍、

反撃を受けると多くの戦死者を残して、

意外にもアッサリ

逃げ始めます

それに、先方に立った歩兵傭兵なのか、 。

ロクな装備ではありません。

騎兵と見ると馬は驢馬の様に小さく、兵士甲冑も貧弱です、

敵は弱し、逃がしてはならじと追うのですが、

の子軍団ども、延々と遁走を続けます

深追いはならじ、要塞都市に引き上げると、

意外にも又攻めてきますが、

又又貧弱な歩兵隊が大敗して騎兵が遁走を繰り返します。

3年にわたり

弱いのに、只々、数万の犠牲を払って

ハエのように襲いかかる軍団

いつからか、狼どころか負け犬ハイエナ軍団嘲笑する声も、、。

剛腕と武勇で知られた若き王はまさに人気絶頂

白兵戦では常勝、味方の損傷はほぼゼロに近い、

近隣の小さな村々で卑怯な略奪放火強姦を繰り返すモンゴル軍、

村長からも嘆願の声が、、、。

そんなある日、

城外に討って出ることに一番反対していた、

皇太后密偵の手にかかり場内の寝室で惨殺。

遂に決意した総大将隣国の協力も取り付け、

10万の連合軍で大追尾の命令を下しました。

それでも反対する幼馴染の大臣の家から

大量のモンゴル帝国金貨皇太后暗殺手紙が、

密告により発見

疑心暗鬼の中処刑は断行された。

今年の収穫や交易の時期も迫っています

それに実は、

三年間塩の流通路を絶たれ欠乏してきています

今度は徹底的に弔いの殲滅攘夷命令です。

軍団の指揮は大いに上がり、

女たちも勝利確信してお祝いの用意すら始めました。

蹴散らし蹴散らし徹底追尾すると、

さなモンゴル馬と軽装備騎兵

とんでもないスタミナで逃げ続けます、。

総力戦の興奮で見落としていたのですが、

各騎馬兵は数頭の引き馬まで引き連れて、

走りながら巧みに乗り換えています

時間でも12時間でも追っ手の息が切れるまで走る、

実は人馬一体の、内蔵を揺らさない見事な走法です。

遂に追っ手の馬脚が止まった瞬間から

遠巻きに囲み矢の嵐を降らせます

追うと下がり、又矢を浴びせます

各自数頭の引き馬には、

大量の矢が積まれていました。

どうも下手な矢で大軍団の戦士には殆ど当たらないし、

戦士の堅固な鎧や盾はドンドンはじき返します。

押し問答が続くのですが、

追っ手兵士の損傷は極、軽微です。

やはりハイエナども、今日は引き上げようと号令に合わせるように

馬が泡を吹いて倒れ始めました。

馬を狙った毒矢だったのです。

城塞の方を見やると、

夕闇に紛れて蒼い不気味な土煙が、、、。

おや、更に援軍が来たのかとみやると、、

モンゴル帝国の重装騎兵大軍団が地平線を埋め尽くしています

リーダー蒼き狼の地を轟かす咆哮に、

祖先皇太后親友言葉を思い出しました、、、、。

ムスリム商人偽装し、

潜入していたスパイ城塞都市リーダーの大追尾命令を、

本軍に通知していました。

軽騎兵奴隷を使って徹底的におびき寄せられ、

密偵情報戦に愚弄され、

背後から遊撃能力抜群の主力重装騎兵大軍団に囲まれ

草原の真っ只中で脚を失った、

甲冑兵団蒼き狼にすり潰されるように、

殲滅され、

それでも、投降するもの奴隷として生かされました。

つぎの、堅固な要塞都市の前で死ぬ為です。

王は祖先城壁の前で惨殺され、

城内の士気は多いに下がる中、

三年間をかけて開発された超大型の攻城機が投入されます

実は地下には城壁を避けるトンネル

完成間近です。

この400年の都が一人残らず見せしめ虐殺されたあと、

近隣では刃向かうものは無くなり、

奴隷たちは更に西方の強大な王国戦に投入された。

自分たちが侮った罪を贖うように。

〜〜〜

この創作たとえ話は20年前に、

デフレファイターとの同質競争まり

相手土俵や戦法での戦いは、

止めた方が良いのではないかと、

知人にした例えです。

「君のやっていることはこの若き王のように、

 実は凡庸ではないか、、と。」

自分らしい

戦い方はいくらでもあるのですから

参謀情報を集めて知恵を出しあい

勝てる作戦戦場を選び、

それに合った兵の訓練や装備を固めて、

時に備えるべきです。

必ず出自自然に合わせた自分らしい、

漸進的な努力を、

平時の今こそ、、と、、。

ある理由があって、

飛行機の中で思い出したので書き留めておきました。

テーマ性の深い、映画でも作ってみたいですね。

商売も常に原点の確認です、、

皆に好かれる面白いテーマがいいですね。

お話の筋を妄想するのと、ビジネスを組み立てるのは全くよく似てますね。

2022-12-08

「やあやあ我こそは九州防衛局伊藤 哲也なるぞ!」

元寇中国が攻めてきたらこの人が総大将になるの?



局長あいさつ

九州防衛局伊藤 哲也 (令和3年6月25日付着任)

九州は、古来より大陸との

2022-09-02

[]9月1日

ご飯

朝:なし。昼:海鮮丼。夜:サンドイッチ

調子

むきゅーはややー。お仕事は遅くまで残業

残業抑え目にしたいとは? 疲れた

シャドウバース

アンリミ勝てねえ。

けどハンドレス楽しい

グランブルーファンタジー

サマーミッション進んでなさすぎて笑えてきた。

これ土日にやるんかな? まあもう諦めてよい気がしてきた、

ウマ娘

サークルPt集める根性スペちゃんの交換が終わって、サークルPtで交換できるサポカは全部最後まで凸れた。

長かったなあ。

第二部はどうなるんかなあ、サポカ配布もいいけど、日本総大将スペちゃんみたいな、育成ウマ娘配布もあると嬉しいな。

2022-08-27

名将ですなあ

人物逸話

歌川芳虎「大日本六十余将」より『薩摩品津兵庫守義弘』

家康だけでなく秀吉島津氏を恐れ、その弱体化を図るために義弘を優遇して逆に兄の義久を冷遇する事で兄弟対立を煽ろうとしたが、島津兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の結束は固く、微塵も互いを疑うことは無かった。この流れで義弘を17代目当主という見方が出来たとされるが、義弘は「予、辱くも義久公の舎弟となりて(『惟新公御自記』)」と義久を敬うこと終生変わらなかった。しかし、『樺山紹劔自記』では「弟・家久の戦功を妬む様は総大将に相応しい振る舞いではない」と人間くさい一面も紹介されている。

敵に対しても情け深く、朝鮮の役の後には敵味方将兵の供養塔を高野山建設している。

祖父島津忠良から「雄武英略をもって他に傑出する」と評されるほどの猛将だった。

許三官仕込みの医術や茶の湯学問にも秀でた才能を持つ文化人でもあった。また、家臣を大切にしていたので多くの家臣から慕われ、死後には殉死禁止令下であったにも関わらず13名の殉死者も出すに至っている。

義弘は主従分け隔てなく、兵卒と一緒になって囲炉裏で暖をとったりもしていた。このような兵卒への気配りもあってか、朝鮮の役では日本軍の凍死者が続出していたが島津軍には一人も出なかった[11]。

義弘は家臣らに子が生まれ、生後30余日を過ぎると父母共々館に招き入れて、その子自身の膝に抱くと「子は宝なり」とその誕生を祝した[11]。また元服した者の初御目見えの際、その父親が手柄のある者であれば「お主は父に似ているので、父に劣らない働きをするだろう」と言い、父に手柄のない者には「お主の父は運悪く手柄と言えるものはなかったが、お主は父に勝るように見えるから手柄をたてるのだぞ」と一人一人に声を掛けて励ましている[13]。

三ツ山城を攻めたときに重創を負いその湯治場として吉田温泉えびの市)を利用して以来、島津家の湯治場として度々利用していたが、自身のみならず家臣らにも利用させた。

九州平定後、義弘が秀吉から拝領した播磨国領地管理する際、現地で井上惣兵衛尉茂一という人物が検地などで義弘に協力した。そのお礼として、義弘は井上島津姓と家紋を授けた。この井上が、島津製作所の創始者・初代・島津源蔵の祖先である島津製作所の歴史に記されている[14]。

秀吉への降伏の際に島津家は本拠である薩摩一国以外の領土を全て奪われることを覚悟していたが、秀吉方の使者として交渉にあたった石田三成の取りなしにより大隅一国と日向の一部が島津領として残った。この事から義弘は三成に対して深く感謝し、その後も深い交誼があったため関ヶ原の戦いにおいて島津家中において東軍参加を主張するものが主流派であったが義弘は自身の三成に対する恩義と親交を理由西軍積極的に参加したとも言われており、最初東軍に参加するつもりで軍を出していたという説は江戸時代島津家が徳川将軍家に臣従していくにあたって創作されたものであるともいわれる。

愛妻家であり、家庭を大事にする人情味溢れる性格だったといわれている。朝鮮在陣中に妻に送った手紙の中に、「3年も朝鮮の陣中で苦労してきたのも、島津の家や子供たちのためを思えばこそだ。だが、もし自分が死んでしまったら子供たちはどうなるだろうと思うと涙が止まらない。お前には多くの子供がいるのだから、私が死んでも子供たちのためにも強く生きてほしい。そうしてくれることが、1万部のお経を詠んでくれるより嬉しい」という内容のものがあり、義弘の家族を心から愛する人となりが窺える。

武勇と実直な人柄から福島正則武闘派武将たちに大いに尊敬されていたようである。その為、関ヶ原撤退戦においても松平忠吉井伊直政徳川譜代のみが追撃を行い直政自身が深手を負う結果に繋がった。

若い時の義弘は特に血気盛んだったようである。弘治3年(1557年)の蒲生城攻めの際、23歳の義弘は真っ先に攻め入って一騎討ちを制したり自らの鎧の5ヶ所に矢を受けて重傷を負ったりしたほどの決死勇戦を見せたという。また、木崎原の戦いにおいて、日州一の槍突きとうたわれた柚木崎正家を討ち取っている。

慶長4年(1599年)、剃髪・入道し惟新斎と号したがこれは祖父・忠良の号・日新斎にあやかったものである

木崎原の戦いにおいて伊東祐信、柚木崎正家との戦いの折に愛馬が膝を突き曲げて敵の攻撃をかわし義弘の命を救っている。この馬は後に「膝突栗毛(膝跪騂)」と呼ばれ義弘の主要な合戦にの従軍するようになり、人間の年齢にして83歳まで生きた。姶良市に墓と墓碑が建てられている。

慶長の役の際、義弘は正確な時を知るために7匹の猫を戦場に連れて行ったという逸話がある。猫の目の明るい所では細くなり、暗い所では丸くなる特性から、時刻を読みとったとされ7匹のうち2匹が日本生還した。この2匹を祀った神社鹿児島の仙厳園にある「猫神神社である[15]。

晩年は体の衰えが顕著になり、1人で立ち歩き、食事を摂ることも不可能になっていた。それを見かねた家臣が昼食を摂る際、「殿、戦でございます」と告げると城外で兵たちの鬨の声が聞こえてきた。それを聴いた義弘の目は大きく見開き、1人で普段からは考えられないほどの量の食事を平らげたという。

関ヶ原で敵中突破をした後、生き残った家臣らは義弘に薩摩への早期帰還を勧めた。しかし義弘は大坂人質になっている妻子らを救出するため、「大坂城で人質になっている者を捨て、どの面下げて国に帰ることができようか」と述べ、妻子の救出に向かったという(『惟新公関原合戦記』)。

義弘の肝の太さを示す逸話がある。義弘の小姓らが主君の不在をいいことに囲炉裏端で火箸を火の中で焼いて遊んでいた。そこに義弘がやってきたので、小姓らは慌てて火箸を灰の中に取り落とした。それを見て義弘は素手囲炉裏に落ちていた火箸を拾い、顔色一つ変えず静かに灰の中に突き立てた。後で家臣が「大丈夫でございますか?」と尋ねると「大丈夫だ。まったく小姓どもは悪さばかりして手を焼かせおる」と笑って返した。家臣が義弘の手を見ると、その掌が真っ赤に焼きぶくれていたという(『武功雑記』)。なお、同じ内容の逸話加藤嘉明にも存在するため、島津家か加藤家のどちらかが模倣した可能性が高い。

戦陣医術に詳しく、『上井覚兼日記』によると天正12年(1584年)10月1日から7日までの一週間にかけて、島津忠長と上井覚兼に対して金瘡医術の伝授を行い、秘伝の医書を与えている。金瘡医術とは戦傷全般とこれに付随する病気、およびこれから派生する婦人病を扱った医術のことである[16]。

茶の湯千利休古田織部に学んだ茶人でもあり、茶書『惟新様より利休え御尋之条書』や織部から薩摩焼の茶入の指導を受けた書状が残る。

2022-07-10

今回の暗殺は、陣形不備が招いた人災である

後詰の重要

戦国時代総大将がやられることは総崩れを意味したため、、

後詰(ごづめ・うしろづめ)という布陣が存在していた。

陣形の基本、八陣は諸葛孔明によって定義化されたといわれ、

武田家の山本勘助によって採用されたといわれる。

こちらのサイトを見てもわかるが、総大将の後ろを見張るようにして、後詰を配置している。

後詰は副将級の武将担当することが多く、2つ以上の軍勢で守ることもあるようだ。

https://www.touken-world.jp/tips/18700/

高さも重要

関ケ原では家康本陣は桃配山に陣取っており、万一に備えていたことがわかる。

演説では街宣車の上に乗る、というのがそれに該当するだろう。

http://tanaka-takasi.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/index.html

SAT伊藤氏のコメントで印象深かったのは、

犯人が立っていた場所左側には、本来警察車両が配置されているべきだったというものである

警察車両にはカメラも配置され、かなりの抑止効果があったはずである

一台で軍勢10名以上の威圧力はあると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=HreN31RMoAY&ab_channel=%E6%97%A5%E3%83%86%E3%83%ACNEWS

また伊藤氏によると、本来立っているべき警察官の数が絶対的に少なく、

あのような交差点中央演説を行うのであれば、

交差点の四隅に警察官を配置するのが普通だということである

以上をふまえると

そもそもの布陣計画の失敗

・警備人数、警備車両の手薄さ

が9割の理由であると思う。

また、手薄であればそれなりの危機意識で防御態勢を築くことはできたと思う。

SP警官10人以上いたということだが、一人も後ろを配慮することなく、前方だけ見ていたのは本当に奇妙である

背後から車で近づいて銃撃されることもありえるのだから

交差点はよくない

ガードレールに囲まれ街宣車乗り入れることもできず、高さが利用できない。

見晴らしがよく、鉄砲からすれば「撃ってくれ」といわんばかりの場所である

また風水・方位学的にも、あのような踊り場はよくない場所といわれる。

クルマによる四方からエネルギー交錯する場所であるからである

日本最大級交差点・踊り場は東京赤坂見附なので、

興味がある人は実際に訪れたり、Googleマップで調べてみるといい。

いずれにしても、あの場所を選んだことが最大の失敗である

戦国時代勝敗が、布陣で決まるのと同じ結果となってしまった。

やはり今回の最大の犯人は、あの無防備な平地を指定した人間だと思う。

もし、ビルを背に向ける布陣や、階段車両の上に乗る高さのある布陣だったり、

SPが固まって大勢に見える布陣だったら、と思う。

そうした「ちょっとした」要素で、100%防げたかである

以下コラム

隣国である中国ロシアとの戦争が起きないとは限らない。

平和ボケした日本が招いた惨事である

いついかなる時でも、戦闘できる体制を作る必要があるのではないだろうか。

そのためには自衛隊の培った軍事知識を、警察庁・海上保安庁シェアし、高いレベルの調練を繰り返すことだと思う。

また、我々はそうした報道を通して、常に戦時状態認識し、危機感を持つことが必要である

多くの現場を見てきた伊藤からは、ある程度、疑いの目をもって不審者を見抜くことも重要だと分かった。

性善説日本人は素晴らしい民族だと思う。しかし、もはやそのフェーズではない。

中国ロシアは虎視眈々とこの国を狙っている。

サイバーセキュリティによる企業攻撃だけを見ても、ここ2年で数倍に増えているのである

もはや暴力に対して、きれいごとではこの国を守れない。

先日の駅員の大声で叱る動画は物議をかもしたが、

テロリストに対するあのような公然毅然とした態度が、日本人に求められている。

追記

こちら、岸田首相の警備であるが、ガラリと変わって、高いレベルのものになっている。

事件の翌日だというのに、その迅速さとレベルの高さに驚いた。

このレベルの緊張感さえあれば、日本を守り抜くことは絶対にできると思う。

自衛隊警察民間警備業、すべての関係者仕事をありがたく思う。

https://www.youtube.com/watch?v=8qVWxMYLVxg&ab_channel=ANNnewsCH

今後は、この事件きっかけにあらゆるセキュリティ国防体制が見直されるだろう。

安倍氏は、その命をもって、日本を守ってくれたのかもしれない。

2022-05-26

東京優駿(日本ダービー)予想、、、ではなくアスクビクターモアのこと

今週は日本ダービーだね

もはや予想しても馬券とれるかわからないのが今年の競馬なので、今週はただ推しについて語ろうと思う

推しというのはアスクビクターモアのこと

アスクビクターモアというと中山専用機なのに皐月賞負けた子、みたいなイメージしかない人もいるかもしれない

しかしそのイメージは今すぐ改めてもらいたい

ダービーでも必ずいい走りをするから

とりあえず今までの彼の経歴を語っていく

ビクターの戦いは本当に少年誌みたいだよ

第一章 デビュー

ビクターデビュー戦は2歳6月東京1800

騎手は戸崎

この新馬戦は、第三章クラシック編のボスになるジオグリフ、第一デビュー編でライバルになるアサヒが出ている

最終直線ではビクターアサヒが抜けだして一騎打ちになった

そしてアサヒに直線で幅寄せされてぶつけられ、ラフプレーをされて激しく競り合うという、漫画にしても描きごたえのある展開になった

2人は激しく競ったもののゴール手前でビクターは力尽きるという結果に…

しかし、勝ったのは競り合う2人を横目に鋭い差し足で交わしていった後の皐月賞ジオグリフ

クラシック編で倒す敵ジオグリフは強大だったものの、とにかくアサヒには借りを返さねばならぬ!

2戦目は3か月後の9月、未勝利戦、中山1800

騎手は戸崎

前走で因縁のついた相手アサヒの出走に合わせたリベンジ戦となった

2人は中団以降から競馬選択し、どちらも3コーナーから大外まくりを仕掛けて競り合うのだけど、ビクター最後までアサヒに並ばせずに最後1馬身半つける完勝を見せる

2着アサヒは3着に5馬身差をつけたので、この2人の力が抜けていた

アサヒにきっちり借りを返したビクター

ここで勝ち抜けたビクターは次のステージに駒を進めた

第二章 クラシック出走権争い編

ビクターの次のレースは1か月後

リステッドアイビーステークス東京1800

騎手は戸崎

勝利から抜けてレースレベルは高くなるが、ここで1番人気に推される

当然、ここは勝てるレースだし、勝ってクラシックにつなげたい

レースは3番手に控えて順調に進むが、3コーナーではビクターのすぐ後ろの外側に位置取り、ぴったりビクターマークしていた2番人気の馬がいた

この馬の名前はドウデュース

ビクターにとって生涯のライバルとなるこの漫画ラスボスである

最終直線で前2頭の狭い隙間を一瞬で突いてビクターは伸びていくが、ビクターより速くスピードに乗せたドウデュースに追いつけず、再び屈辱を味わったビクター

ビクタークラシックで勝つには、このドウデュースを超えなくてはならない

ドウデュースに力の差を見せつけられ悩むビクターの前に現れたのが、第一章のライバルアサヒ鞍上にいた田辺騎手

ビクター鞍上は戸崎から田辺へと変わることになった

あのライバルアサヒの元相棒パートナーになることで、ビクターは新たな境地に進んでいく


次の3戦目は年明けての3歳1月

普通の1勝クラス中山2000

新たなパートナー田辺ビクターを信頼し切った騎乗を見せ、それほど着差はなかったものの、ステッキを打つことなく勝ち切った

これで中山は2戦2勝

ドウデュースへの借りを返す日を待つ

しかし、その間にあのライバル、ドウデュースは無敗のまま年末朝日杯を勝ってG1馬となり、最優秀2歳牡馬に選出されていた

世代チャンピオンとなった生涯のラスボス、ドウデュース

アイビーステークスの前と立場が逆転してしまった

だが、田辺という相棒を得たビクターも、以前のビクターではない


ドウデュースへのリベンジ舞台ビクターにとって初めての重賞レースとなる報知弥生賞ディープインパクト記念

ドウデュースは1番人気、ビクターは3番人気とすっかりビクターは追う立場

レースでは、中団に控えるドウデュースより早く4コーナーで仕掛けて直線で先頭に立つと、やはりドウデュースも追ってきた!

最後は抜け出した2人の競り合いとなるも、今度はビクターが並ばせない!

無敗の2歳王者ビクターが初めて土をつけ、ビクター重賞馬となった

負けた分はきっちり返す、これがビクター

こうして皐月賞の出走権を確保し、クラシック戦線へ駒を進めた

第三章 クラシック

弥生賞を勝ったビクター中山3戦3勝

そしてクラシック初戦皐月賞中山2000

強い相手はいても、中山なら勝負できる

相棒田辺中山巧者だ

ビクター師匠田村師はこう言っている

世代の頂点の18頭に名を連ねられたのは嬉しいこと」

「今度はG1馬(ドウデュースキラーアビリティ)も出てくる、東京前哨戦を勝った馬(ダノンベルーガ)も出てくる」

中山競馬場というビクターホームグランドで、そういう超一流の馬と一戦交えられるのは光栄なこと」

最後の直線でそういう人気馬と全開で叩き合えるような状況にしたい」

ライバルのドウデュース、新たなライバルとなるダノンベルーガ以外にも、ビクター新馬戦で負けた因縁相手ジオグリフもここに出てきている

体は弱くキャリア2戦だが破壊力抜群のイクイノックスも強敵

この4強にビクターはどう立ち向かえるかが皐月賞様相となった

この日、馬場は内が荒れて、内枠が不利となったが、ビクターは2番という内枠を引き、前に出る馬がいないために先頭でレースを引く形になる

この展開はビクターにとっては不利な流れ

対する2歳王者ドウデュース最後方に控える

それ以外の3強は先団後方に並んで控える

2コーナーではダノンベルーガは枠が1枠1番のため最内を通り、ジオグリフがその外、大外スタートのイクイノックスがその外につける

その形のままレースが流れ、最終直線手前から各々ついに仕掛け始める!

残り200m地点になって、最内をついたダノンベルーガ、先頭を引いていたビクター、外にかぶせたイクイノックス、大外を選んだジオグリフが4頭ぴったり並ぶ!!

並んだ!!さあここからは一歩も譲れない!!!

さあ誰が勝つの!?

そして王者ドウデュースはまだ来ない!?

先に抜け出したのはイクノック

だがそれを追ってジオグリフが伸びる

レースを先頭で引いて、内を通ったビクターには苦しい展開

これはもう、馬場の加減で仕方がない…

だが、なんと最内を通したダノンベルーガビクターを交わしていく!

同じく内を走った者同士、勝ちは無理でもお前にだけは負けられない!

奮起したビクター最後の力を振り絞って、一度開いた差を縮めにかかる!

ダノンベルーガだけは差すんだ!

差し返して先着する!

と、そこへ王者ドウデュースも飛んできた!!


鬼足を見せた王者もさすがに仕掛けが遅すぎ、勝ちは逃した

が、ベルーガビクターはまとめて交わして3着へ

勝ったのは新馬戦で負けたあのジオグリフだった

ビクターベルーガ差し返すか、という地点でゴールが来てしまい、クビ差負けての5着となった

あともうわずかに距離があれば…

ベルーガ、このままでは終われねえぞ…


そして次のレースは今週末のダービー

少年誌的な展開からすると、ここでのビクターライバルダノンベルーガ

皐月賞で内を通った者同士の決着をビクターはつけなきゃいけない

そして皐月賞馬となったジオグリフには新馬戦を含めてこれで2敗、まだ借りを返してない

ジオグリフ、お前にもここで決着をつける!

ダービーまでのストーリーはこんな感じだよ!

本編の続きが楽しみだね!

少年誌的には舐めてかかってくるベルーガジオグリフに対し、ドウデュースけがビクターを認めている会話がレース前に行われる

そしてレース結果として一番少年誌っぽいのは、ビクターベルーガジオグリフに先着して2着か3着になるんだけど、ドウデュースにはまたも届かない、という展開かな

クラシック編としては一応、ここでジオグリフとベルーガとは決着をつけておきたいね

菊花賞にはジオグリフはおそらく来ないもんね

田村先生について

田村先生の会見はいつもいい

清々しいような覚悟がいつも見て取れる

見た目ヤクザみたいでちょっと怖いけど、にじみ出る覚悟が美しい師匠

皐月賞前の会見でも、

https://www.youtube.com/watch?v=P0J4Pk3iuQU

前述したけど、「ホームグランドで、そういう超一流の馬と一戦交えられるのは光栄なこと」のような痺れる言葉を放っている

そして、

この18頭に名を連ねられるのは光栄なこと

馬はクラシックだとか、これが大きいレースだとか知らないし、皐月賞を取りたいだとかそんな個人的なことは終わってから考えること

気分良く走らせてあげて、ビクターには、田村君、楽しかったよ、って帰ってきてくれたら

のようなことを言っている

ダービー前の今回も、

https://www.youtube.com/watch?v=pQMGeyiraoE

https://www.nikkansports.com/keiba/news/202205250000483.html

グラム単位で絞ったりして、ものすごい緊張感の中で仕事をさせてもらえる幸せを実感している

幸せなひとときビクターモアがプレゼントしてくれた

まずは無事に走ってほしいと思うし、ジョッキーに楽しかったって言ってほしいし、馬にも一生懸命頑張ったねって言ってあげたい

こんな感じで、いつも心にグッとくるんだわ

田村先生、まじでかっこいいです…



あと、田村先生の今後に向けての注目ポイント

カスタディーヴァというニュージーランド産突然変異白毛牝馬がいてですね

の子日本に来て、ゴールドシップとの間に生まれたのがアオラキという白毛

ソダシを含むシラユキヒメ一族とはまた違う血統白毛馬が日本に登場したので、これはワクワクするね!

アオラキ君も今は田村先生のところで頑張っていて、この夏にデビューしてくると思う

ぜひ応援したいですね

血統家族のこと

ビクターのお父さんは日本競馬結晶ディープインパクト

お父さんディープは2年前に亡くなって、今年のディープインパクト産駒の2歳馬は6頭しか登録されてないらしい

実質的に、ディープインパクトの子供がダービーを走るのはこれが最後ということになりそう

今年のダービーに出てくるディープインパクト産駒は下記の6頭

アスクビクターモア、

キラーアビリティ

コマンドライン

ジャスティパレス

プラダリア、

ロードレゼル

最後の年に亡き父に勝ち星をささげる孝行息子はきっとこの中にいるはず

ビクターディープの息子たちの総大将と言えそう

キラーアビリティは、ディープ意思を継ぐ者同士、盟友と言えるかもしれない

ビクターのお母さんはカルティカというイギリスの馬

カルティカのお父さん(つまりビクターの母父)はレインボウクエストというアメリカの馬で、現役時代凱旋門賞を含む2400mのG1を2勝した馬

レインボウクエストサクラローレルのお父さんでもあるので、父系から言い方違うかもしれないけど、ビクターの伯父がサクラローレルということになる

カルティカの初仔はケマーというアイルランド調教活躍した牝馬

2番仔以降は

Niedziela(IRE)姉(8戦1勝?)

Almuhalhil(GB)兄(レース出走なし?)

Qaabil(IRE)兄(19戦0勝?)

と生まれている

Qaabilから1年空いて、その間に日本に渡ってきたようだ

お母さんが日本に来た経緯はわからなかった

そこから

5番仔はセブンフォールド

6番仔がアスクビクターモア

その下に未デビューの妹が2人

上の妹はシャルラハロートと名前がついたみたい

ダイワメジャー産駒で栗毛美人だよ

下の妹はキズナ産駒、そしてその下にブリックスアンドモルタルの子を受胎中

もう生まれてるかも?

ビクターお姉ちゃん、ケマーはフランス桜花賞にあたる1000ギニーで3着となり、イギリス牝馬限定NHKマイルカップのようなコロネーションステークス(G1)とフランスヴィクトリアマイルのようなロートシルト賞(G1)を勝ち、G1を2勝した名牝

お兄ちゃんセブンフォールドは父親ディープインパクトなのでビクターの全兄

お兄ちゃん中央勝利大井に転厩

しかし、そこからすぐさまダートで2勝して中央に復帰している

今は1勝クラスで芝で走っているけど、中央ではまだ勝てていない

ビクター兄弟は、4人が勝ち抜けて、2人が重賞なのはすごい

カルティカはいい母馬だと思う

ビクターの見た目

毛色は鹿毛と言われているけど、栗毛かと思うような明るい茶色で、ちょうどエフフォーリアと同じような色

鼻筋には白い筋があって、鼻のあたりまで白い

足元は4本とも、ソックスを履いているかのように足先が白くなっている

レースではメンコをかぶっているから鼻筋の特徴はわかりにくいけど、足元のソックスっぽいのはよくわかるよ


終わりに

とりあえずビクターのこと語ったよ

2枠3番に決まったようだし、内も有利な馬場になりそうと聞いている

これはもう、負ける要素ないんじゃないか

ビクターラスボスドウデュースを中心に買います

思えば皐月賞ビクターとドウデュースの2頭軸だったけど、馬連だったから外したんだった

今回も一貫させるで!

2022-05-19

https://anond.hatelabo.jp/20220519132712

いうてフェミ総大将上野千鶴子大先生も腐った資本家ブタ野郎と発覚するご時世。ロンブンやら本やらWEBやらがどこまで信用できるんですかね?

キミもわかってるから、例示出さずに個別指摘もせず、謎の上から目線カマしてるのでは?

2022-05-09

プーチンが4時から赤の広場演説するらしいけど、そこに核ミサイル打ち込めば戦争終わるんじゃね?

敵の総大将時間場所指定してノコノコ現れるって言ってるんだから絶好のチャンスだと思う

ゼレンスキーさん、やっちゃってくださいよ

2022-03-28

彼氏のためにカードゲームを始めた

始めたと言っても去年のことだが、こんな感じだったなあという備忘録みたいなものだ。

長いので要約するとMTGが難しかったのでデュエマに乗り換えたという話である

去年の秋頃、彼氏MTGアリーナにハマっているのを横目で見ていたら対戦相手に飢え始めたのか、ちょっと始めてみない?と持ち掛けてくるようになってきた。

そもそもオンラインゲームで対戦相手に飢えるってどういうことだよと思うかもしれないが、どうもオンラインでは使えるカードの中で一番強いものとそれに対応できるカード以外の居場所がないようで、せっかく考えたカードのセットでもそのどちらかに当てはまらなければ瞬く間に負けてしまうらしい(今なら多少わかる)。

そのうえ顔も知らない人間カードのパワーだけで殴り倒されるのは精神衛生上よろしくないようで、カードゲームやるくらいで喜ぶならいいかと思い軽く初めてみることにした。

じゃあはい、と60枚の紙の束が手渡される。これは言わずもがなデッキである

余談だがこの60枚の紙の束に、カードゲームプレイヤーは持ちうる全ての矜持を注ぎ込むため、負けた時の怒りや屈辱は計り知れないものになるらしい。カードショップで叫んでいる人がいても、あの人は自身プライドを傷つけられてどうしたらよいのかわからないのだと思うとつい同情してしまう。

さて、私が矜持を託すことになるこのデッキだが名を「シルバークイル(白黒)」というらしい。その名の通り、「シルバークイルの学舎」なるカードが入っており、そこへ集う「優秀な学徒」や「戦闘学の教授」たちが戦ってくれるらしかった。

だがそんなことは正直どうでもいい。何故なら私はこのデッキで負けて以来二度と彼らに矜持を託すことは無かったからだ。

ざっとルールを聞いてあとは流れでデッキを机の左隅に置いて、そこから7枚引く。これが自身の手札で自分の使ってよいカードになる。うきうきでカードを7枚引き、さてどうしようかと思っている私の目に驚愕光景が飛び込んできた。

沼、沼、沼、平地、学舎……あとは覚えていないが、とにかく手札のほとんどが人ではなかった。なんなら3枚は白骨化していた。

上記のように沼や平地といった環境、学舎といった建築物を指すカード土地カードという。これがなければ学生教授相手攻撃するどころか立つことすらままならない。

しかし、土地けがあっても使う者がいなければ持ち腐れである。私はその後3、4ターンほどひたすら手札の土地を自慢し続けた挙句敗北した。

このように手札に使える人材が来ないことを俗に手札事故という。シャッフルは十分にしたはずだがさすがに60枚となると厳しかったのか、はたまた純粋に運がなかったのか。

手札事故が起こってしまった場合引き直しをすることができたのだが、当時は若く、まあこれでもなんとかなるだろうと思い黙って進めてしまったのだ。土地不本意に所持している場合はすぐ専門家相談すべきである。これは現実MTGも変わらない。

そんなしょうもない初心者あるあるで負けたわけだが、私の心にふっと湧いたものがあった。悔しさだ。かなりあけすけに言うと「運勝ちのくせに喜んでんじゃねえぞボケ」と思った。何も知らないのに心だけはすっかりカードゲーマーである

どんな初心者だろうと負けるとわかっているゲームはやりたくない。特にデッキが同じレベルであればあるほど経験の差が勝敗を大きく分けることになる(まあ今回は運負けだが)。加えて、少なくともMTGは私のようなカードゲーム素養ひとつもない人間最初に触れるには少し難しすぎたように思う。

もういいかな……と若干引き気味でお開きとなったのだが、これ以降彼氏目的が徐々に「良い感じにデッキを回す」から初心者と楽しめるカードゲームを探す」ことにシフトしていった。

そんなある日私に40枚1組のデッキが渡されることになる。デュエルマスターズ主人公が使うデッキ、「ジョースター進化」だ。

ジョースター進化」には「ヘットルとフエートル」とか「ツタンカーネン」とか「ドツキ万次郎」とかいうトンチキな名前モンスターが多く入っている。そんなトンチキ共が力を合わせてトンチキ総大将ボルシャック・大和モモキング」を出して勝つのがこのデッキしかった。すべて個人見解である

ちょっと難しくてもやっぱりMTG続ければ良かったかな~などと思いつつちょこちょこ触っていくと、これが結構面白いということに気がつく。

まず、デュエルマスターズ通称デュエマには土地という概念存在しない。それは土地のようなカード出すための下地的な概念が無いわけでは無く、全てのカード土地からである。ただ、モンスターたちがいきなり土地になったらびっくりなのでマナという言い方をする。

生産者消費者は別人でなければいけない、みたいな固定概念があったおかげで余計に感動した。土地モンスター性質を併せ持ってもいいのか……。

なので何ターンもこれは出せないなーとか土地しか出せないなーなどとやることはまずなく、大体もう一度自分の番が回ってくる頃には何かしら出せるのだ。やってる感があって楽しいし、一枚出ただけなのに相手が何やら考え出すのも面白い

彼氏主人公ライバルポジション的なキャラクターの「ジェンドルのディスペクター」を使い、1勝2敗。まあまあいい戦績ではないだろうか。すくなくとも何が起こったかからないうちに殺された時よりかはずっと良かった。

とはいえトンチキ共に矜持を預けるわけにもいかないのでその足でカードショップに向かい2人で30円カードをガサついてデッキを作った。というか、私はチュリスが使いたいと言っただけなので作ってもらったと言った方が正しい。2000円くらいだった。

そんなこんなで去年の冬にできたデッキだが、未だにカードを入れ替えたりして遊んでいる。この間はバラモルドが3体出てきてチュリスを消し炭にされて負けたが、絵面が面白かったからオッケーである

最近ハンデスデッキを作るぞと息巻いてジェニーを集めていたのだが、次のパックで新しいジェニーが出るようなのでそれもまた楽しみだ。

これからもぼちぼちやっていこうと思う。

2022-02-09

三谷幸喜八重にどのような役回りをさせるかがわかった

鎌倉殿の13人のネタバレになるかも知れないので注意】



2月6日放送回で、頼朝訪問を受けた八重がニヤリと笑い、

その後に頼朝の身を案ずるあまり現夫の江間次郎をアゴで使ってるのを見て、

八重にこの先どういう役回りを担わせようと知ているのかピンときた。

時代考証坂井孝一は、根拠薄弱ながらも、

八重が義時と再婚して嫡男である泰時を産んだという説を推しているらしいので、

三谷がこの説を採用することはほぼ間違いない。

からこそ最初からガッキーはいつも2番めにクレジットされている。

八重は義時にとって叔母にあたるが、叔母上ではなく八重さんと呼ばせて、

八重と義時が血縁であることをなるべく視聴者意識させないように配慮しているのも、

のちにそういう展開になるからである


一方で、泰時が頼朝お気に入りだったことは史実上よく知られており、

元服時は頼朝烏帽子親となって頼時と名乗らせていたのだが、

頼朝の死から一年以内に、なぜか泰時と改名している。

泰時は歴史上では知勇兼備の完全無欠の名将名執権として知られており、

承久の変で京都に攻め込む時の幕府軍総大将でもある。

執権職のとき歴史で必ず習う御成敗式目を制定したのも泰時だ。


三谷はきっと、泰時の真の父を、頼朝にする。

父の伊東祐親を失った八重は、頼朝による庇護希望するものの、

政子の目が恐ろしい頼朝八重の世話を義時に押し付け、二人は外面的には夫婦となる。

しかし、義時を見下している八重は(そもそも叔母であるから)義時に指一本触れさせない一方、

ときおり頼朝が政子の目を盗んで通ってくる。

この秘密を知るのは八重と義時と安達盛長の三人だけ。

そして生まれるのが金剛、のちに元服して北条頼時。

しか頼朝死後、忌まわしい記憶払拭したい義時は泰時と改名させる。

そして成長するに連れ頼朝譲りの名将の片鱗を現す泰時に悩まされるのだ。

そんな流れになるのではなかろうか。

叔母甥が夫婦となって子をなすような話は令和的にいろいろ具合が悪いので

NHKとしてはこの展開の方がなおさら都合がよかろう。



まあ、こんな予想は思いっきりハズしているかもしれんが、

とりあえず2月9日の時点でこんな妄想をしていたヤツがいたということで、書き留めておく。

2021-10-26

anond:20211026184727

カリスマだった相手側の総大将が死んでなお、群れないと勝てないってのもなんだか悲しいな。

というか、スマホOS市場支配なのはAndroidなのに、ストアの手数料批判iPhoneに向かうのは面白いよな。

iPhoneのストア手数料文句言う暇があったら、Android独自ストア開けよなぁ。

既にAndroid市場独自ストアが死屍累々からビビってんのはわかるけど、それでiPhone文句言うってのが最高にダサい

2021-09-22

[]PS3 ガンダム無双1

なんだかんだ無双だしクソゲーっていってもそこまでないだろwと思ってなめてたらほんとにクソゲーだった

無双って名前ついてるのに無双じゃないの、ドラクエヒーローズ思い出すわ

もちろん悪い意味

タワーディフェンスほどじゃないけど守ってないとすぐ総大将

死ぬ

あっちいけこっちいけって言われるけど移動クソ遅いしダッシュ連続でできねーし

雑魚は棒立ちでクソ弱いくせにボスだけでクソ固くて攻撃力高くてゲームオーバーになるし

道中クソ楽でボスがクソ硬いバランスのくせに、1つのステージに30分くらいかかるからめっちゃ時間かけてボスまでいってもボスであっさりやられて台無しとかもザラ

じゃあ勝てるようにレベル上げ、と思うけど、レベル上げもできない

ジュドー場合、ZとZZ乗り換えちゃうから、前のステージでくらがんばってもZZは強くならない)

フリーモードもないし

もうどうしようもない

瀕死状態で逃げ回りながら無双ゲージためて技ぶっぱくらいしかやれることな

それでも振り向いたらウシロにいるか無双技当てる前に大体攻撃を食らうし

ビームサーベル近接と中距離射撃あるけど射撃ゴミみたいな精度とダメーじだし

エリア制で各エリア制圧してかないとイベント起きないのクソめんどい

ストーリーモードもはしょりすぎててイミフだし

マジクソゴミ

2021-07-15

anond:20210715150820

小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代武将甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。甲斐東部郡内領の国衆武田二十四将の一人に数えられる。

信茂の勝頼離反から滅亡

岩殿城

天正9年12月織田信長徳川家康武田領攻めを開始し(甲州征伐総大将織田信忠副将滝川一益)、信濃木曽郡国衆木曾義昌が離反する。また、これに伴い相模後北条氏武田領への侵攻を開始した。義昌の離反を契機に信濃領国は動揺し、翌天正10年(1582年)2月2日に勝頼は信濃諏訪上原長野県茅野市)に出兵し、『甲乱記』に拠れば信茂もこれに従ったという。2月29日織田信忠伊那郡高遠城仁科盛信(信盛)を攻め、信忠は矢文で盛信に降伏を促し、信茂らが勝頼から離反したと伝えているが、この段階で信茂が勝頼から離反していることは虚報であると指摘されている[15]。

勝頼は天正9年に新府城山梨県韮崎市)を新たに築城甲府から本拠移転しており、『信長公記』によれば同年3月3日に勝頼は新府城放棄し、小山田氏の郡内へ逃れたという。『甲陽軍鑑』によれば勝頼嫡男の信勝は新府城における籠城を主張したが、これに対して信濃国衆真田昌幸上野岩櫃城群馬県東吾妻町)への退避を提案した。しかし勝頼側近の長坂光堅小山田を頼り郡内の岩殿城大月市岡町)へ逃れることを主張したという。一方、『甲乱記』では信勝や昌幸の提案を記さず、勝頼が信茂に対し郡内への退避を諮問したとしている。

なお、岩殿城小山田氏の詰城とされているが、小山田氏の本拠である谷村城(都留市谷村城)から距離があることから岩殿城小山田氏の城とするか武田氏の城とするかで議論がある[16]。なお、天正9年3月20日岩殿城武田勝頼が在番衆派遣している事実も注目されている[17]。

武田勝頼一行が郡内領へ退避するさなか信茂は勝頼から離反。勝頼は田野(甲州市大和町)において織田方の滝川一益軍勢と戦い、武田宗家は滅亡した(天目山の戦い)。

信茂離反に関して、武田側の史料では、まず『甲陽軍鑑』に拠れば勝頼一行は郡内領への入り口である鶴瀬甲州市大和町)において7日間逗留し信茂の迎えを待っていたが、3月9日夜に信茂は郡内領への道を封鎖し、勝頼一行に対して木戸から郡内への退避を呼びかけると見せかけ、信茂の従兄弟小山田左衛門と勝頼の従兄弟武田信堯(のぶたか)が信茂の人質を郡内へ退避させ、信茂は勝頼一行に虎口から鉄砲を放ったという。信堯は正室御宿友綱の妹で、信茂とは相婿の関係にある。なお、『武田三代軍記』『理慶尼記』でも同様の話を記し、『理慶尼記』では信茂の離反を7日の出来事とし、信茂が郡内への入り口を封鎖した地を笹子峠大月市甲州市)としている。一方、『甲乱記』では信茂離反の日付を記さず、勝頼は柏尾甲州市勝沼町)において信茂を待ち、駒飼(甲州市大和町)に移動したところで信茂の離反を知ったとしている。

甲斐善光寺

一方、織田徳川方の史料として、『信長公記』では勝頼は小山田の館まで辿り着いたが、信茂は勝頼の使者をはねつけたと簡潔に記している。『三河物語』では小山田左衛門が登場し、勝頼が郡内領へ逃れる途中に小山田左衛門を信茂のもとに派遣したが帰還せず、信茂離反を知ったという。

織田氏・徳川氏勢により甲斐が平定された後、信茂は嫡男人質として差し出すために信長拝謁しようとしたが、織田信忠から武田氏への不忠を咎められ処刑された。

信長公記』では3月7日条に成敗した「小山田出羽守(信茂)」の名を記し、『甲陽軍鑑』では武田信堯や小山田左衛門らの名も記している。一方、『甲乱記』、『甲斐国志』に拠れば、3月24日甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたという。享年44。長生寺『月日過去帳』・森嶋本『甲斐国志草稿』に記される伝存しない同寺所蔵の位牌によれば戒名は「青雲院殿武山長文居士」。信茂の命日は『甲乱記』、長生寺『月日過去帳』に「24日」と記され、『甲乱記』では3月11日の勝頼自害から13日後としている。

人物

武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場重臣と共に名を列ねている。

武田の小男と恐れられた山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。

設楽ヶ原の戦いにおいては、早々に撤退して戦線を崩した武田信廉・穴山信君ら一門衆とは反対に、山県昌景隊の後備として最前線で戦い続けている。

鉄道唱歌(作詞福山寿久)には「川を隔てて聳ゆるは 岩殿山の古城蹟 主君に叛きし奸党の 骨また朽ちて風寒し」と詠われており[20]、小山田信茂は「奸党」とまで蔑まれている。

2021-07-07

圧倒的な戦力差にも関わらず勝利善戦した戦い

 戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側  

 多くのコメントブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございますhttps://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください

古代

テルモピレーの戦い

 B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下

 スパルタレオニダス指揮下のギリシア連合軍ペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。

 参考作品「300(ザック・スナイダー監督)」

・彭城の戦い 

 B.C205 楚漢戦争 ★楚3万vs漢56万

 漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態太刀打ちできず20万人以上が戦死した。

昆陽の戦い

 23年 ★緑林軍1万vs新43万

 劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。

・ワトリング街道の戦い

 60年 ★ローマ軍1万vsブリタニア23

 ブーディカ女王率いるケルト人ローマ支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。

・博望坡の戦い

 203年 三国時代 劉備軍4000vs曹操12

 劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。

淝水の戦い

 383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万

 華北統一成功した前秦東晋征服のために大軍派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。

中世

・チェラーミの戦い 

 1063年 ★ノルマン軍136vsムスリム5300

 アラブ人支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入イスラム教徒撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。

・黄天蕩の戦い

 1130年 宋金戦争 ★南宋8000vs金10万 

 韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。

志度合戦

 1185年 治承・寿永の乱 ★源氏80vs平氏1000

 屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏源義経が追撃した。平氏大軍が後に続くとみて敗走した。

・下赤坂城の戦い

 1331年 元弘の乱 楠木軍500vs★鎌倉幕府1万

 楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府楠木正成護良親王を討ち損ねた。

千早城の戦い

 1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000

 千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。

・船上山の戦い

 1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000

 後醍醐天皇隠岐の島から脱出すると伯耆国武将名和長年挙兵し、隠岐守護佐々木氏攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。

応永の外寇

 1419年 ★対馬国600vs李氏朝鮮1万7000

 倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。

ビルスの戦い

 1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万

 スイス軍チューリッヒを包囲したことにより、フランス戦争突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍死闘の末に壊滅するが、フランス軍2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。

土木の変

 1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万

 明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝捕虜となった。

近世

九頭竜川の戦い

 1506年 戦国時代 ★朝倉軍1万5000vs一向宗30万

 越前制圧を目論む一向宗朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙朝倉軍は夜襲により一向宗撃退した。

セントラの戦い

 1519年 スペインメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万

 征服コルテス率いるスペイン軍がマヤ大軍交戦マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲わずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオ女性マリンチェを得た。

・オツンバの戦い

 1520年 スペインメキシコ征服 ★スペイン・トラスカ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万

 アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。

・プナの戦い

 1531年 スペインペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000

 スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。

・ディーウ包囲戦

 1538年 オスマンポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラー連合軍2万2000

 ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。

・スィゲトヴァール包囲戦

 1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン10万~30万

 ウィーン遠征へ向かうトルコ軍クロアチア総督リンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍ほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。

今山の戦い

 1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万

 佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。

木崎原の戦い 

 1572年 戦国時代 ★島津軍300vs伊東軍3000

 島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。

信長第一回雑賀攻め

 1577年 戦国時代 雑賀衆2000vs織田10

 信長石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。

天目山の戦い

 1582年 戦国時代甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000

 織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。

・沖田綴の戦い

 1584年 戦国時代 ★島津有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万

 連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。

・岩屋城の戦い

 1586年 戦国時代 高橋軍763vs★島津軍2万~5万

 島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。

忍城の戦い

 1590年 戦国時代小田原攻め 成田2000vs★豊臣軍2万~5万

 石田三成ら率いる大軍忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。 

四川の戦い

 1597年 慶長の役 ★島津2000vs明・朝鮮連合軍10

 島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。

田辺城の戦い

 1600年 戦国時代 東軍500vs★西軍1万5000

 田辺城に立て籠もった東軍西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後後陽成天皇の命で開城したが、西軍関ヶ原の戦いには間に合わなかった。

・第二次上田合戦

 1600年 戦国時代 西軍2500vs東軍3万8000

 関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍真田昌幸率いる西軍交戦した。足止めを食らった東軍関ヶ原に間に合わなかった。

・リオ・サン・フアン・デ・ニカラグアの戦い

 1762年 七年戦争 ★スペイン100vsイギリス軍2000

 イギリス軍ニカラグア処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。

近代

アラモの戦い

 1836年 テキサス独立戦争 テキサス200vs★メキシコ軍4000

 当時メキシコ領であったテキサス移住したアメリカ人メキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。

 参考作品アラモジョン・ウェイン監督)」

・雨花台攻略

 1862年 太平天国の乱 ★湘軍2万vs太平天国20

 湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。

・第二次サビーネ・パスの戦い

 1863年 南北戦争 ★南軍50vs北軍5000

 サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パス防衛する南軍北軍攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍100名が死傷し、350名が捕らえられた。

カマロンの戦い

 1863年 ナポレオン三世メキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ2000

 65名の外人部隊現金300万フラン輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊目的地へ現金を届ける事が出来た。

・ロルクズドリフトの戦い

 1879年 ズール戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000

 ロルクズドリフト伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。

・アブ・クレアの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000

 ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。

・アブ・クルの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000

 ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。

現代

盧溝橋事件

 1937年 日中戦争 ★日本軍5600vs中国軍10

 盧溝橋付近日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由中国軍攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争きっかけとなった。

タラワの戦い

 1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000

 タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊アメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。

・拉孟の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍8000人が死傷した。

・騰越の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍2800vs★中国軍5万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。

アンガウルの戦い

 1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000

 日本軍歩兵第59連隊第1大隊守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍玉砕したが、米軍2000人死傷した。

 参考作品英霊の絶叫(船坂弘著)」

・一江山島戦役

 1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000

 人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。

・ロングタンの戦い

 1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500

 ベトコンオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。

 参考作品デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」

・ロンゲワラの戦い

 1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000

 ラジャタンのロンゲワラ村でパキスタン軍インド軍守備隊が交戦インド軍航空機支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった

モガディシュ戦闘

 1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000

 アメリカマレーシアパキスタンからなる多国籍軍が、民兵リーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍目的を達成したが、100名以上が死傷した。

 参考作品ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」

  

 

2021-04-15

もしもウマ娘世界にト〇・ブ〇ウンがいたら

布〇(以下布):どうもト〇・ブ〇ウンですよろしくお願いしま

み〇お(以下み):120億円2秒で溶かしま

布:キャーだよ細江さんキャーだよその場にいた客全員キャーだよ

み:よろしくお願いしま

布:お願いしま

み:あのウマ娘スペシャルウィークを5人集めて、日本総大将ウルトラスペシャルウィークを作ろうと思ってるんだよ

布:えっ、何言ってるのでしょうね…でも、正直楽しそうですね やってもらいましょう

み:スペシャルウィークですスペシャルウィークですスペシャルウィークです

み:ピースピース!ゴルシちゃんだぞ

み:スペシャルウィークです合体

布:ゴールドシップが入っちゃったぞ一体どうなるんだ

み:ピースピース!ゴルシちゃんだぞ

布:ダメ

布:ゴールドシップキャラいからゴルシそのものになってるじゃないか

み:ミスっちまったな

布:次はしっかり頼むよ

み:ピースピース!ゴルシちゃんだぞ

み:ハイ学級委員長サクラバクシンオーです

み:モルモット君何か用かね アグネスタキオン

み:う゛ち゛と゛や゛ろ゛う゛や゛あ゛ タマモクロス

み:ナウなヤングにバカウケウマ娘マルゼンスキー

み:合体

布:なんかいろんなウマ娘たちが入ってきてるぞ。これは一体どうなるんだ

み:※△□〇×※△□〇×…

布:いろいろ混ざりすぎてわけわかんないことになってる。どうなっちゃうんだ

み:…夢、見ている人に夢を与えられる、そんなウマ娘に…

布:あれは…サイレンススズカ

み:スぺちゃん、出ておいで

布:サイレンススズカスペシャルウィークを呼んでる これはもしかしたら来るか

み:スぺちゃんスぺちゃんスぺちゃんスぺちゃんスぺちゃん合体

布:スペシャルウィークが5人集まったよ、これはもしかして

み:日本総大将ウルトラスペシャルウィーク参上!ブロワイエだって返り討ちしますよ!

布:よっしゃあ、できましたこれですよ

み:できたんで帰ります

布:そうします、ありがとうございました

2021-02-08

きりんさんの感想見てたら、史実ではないし面白くもないオレオレクライマックスが欲しかったみたいなことを言う奴がいて、勝手だなあと思った。

そういう奴に限って、史実ではない総大将同士の一騎打ち議論戦闘とか、史実だけど時代劇では一般的ではない新説を取り入れた演出を見たら、「史実と違う!」って文句言うんだよね。

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