店数が少ないから客がみんなそこに行ってるんだろ。
○朝食:なし
○夕食:考え中
○調子
定時帰り侍になってさっさと帰った。
●DS
3Fをうろちょろ、やっと雑魚はだいぶ楽できるようになってきた。
●3DS
久々に自演含めて10人マックスすれ違えたけど、プレイは明日にします。
僕の大好きな悪ポケの
チョロネコ、レパルダス、ズルッグ、ズルズキン、ゾロア、ゾロアーク、コマタナ、キリキザンのドット絵バッジが実装!
・カントー
コラッタ(両)、ラッタ(両)、アローラコラッタ(普)、アローララッタ(普)
ニャース(両)、ペルシアン(両)、アローラニャース(普)、アローラペルシアン(普)
イーブイ(両)
ベトベター(両)、ベトベトン(両)、アローラベトベター(普)、アローラベトベトン(普)
・ジョウト
ブラッキー(ド)
ヤミカラス(両)
ニューラ(両)
ヨーギラス(両)、サナギラス(両)、バンギラス(両)、メガバンギラス(普)
・ホウエン
・シンオウ
ドンカラス(両)
ミカルゲ(両)
マニューラ(両)
ダークライ(両)
・イッシュ
・カロス
ケロマツ(両)、ゲコガシラ(両)、ゲッコウガ(両)、サトシゲッコウガ(普)
イベルタル(両)
・アローラ
アクジキング(普)
(例外:タイプ:ヌル(普)、無シルヴァディ(普)、悪シルヴァディ(未))
ドット絵すらない仮置き状態の悪ポケは解き放たれしフーパの一匹のみ。
全員並ぶのが楽しみだなあ。
○ポケとる
デイリー要素のみ。
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
ひとによって「普通の人生」の定義は違うが世の中の過半数は普通に会社員や公務員になって普通に結婚して普通にマイホームを建てて普通に退職金をもらって退職して普通に年金で老後を過ごすことだろう。
高度経済成長期やバブルのときには上記のような「普通の人生」をほとんどの人が送れたが今はどうか?
最低限大卒でないとまともな正社員にはなれない、つまり高卒以下は派遣や非正規、アルバイトで一生貧乏生活だ。
結婚もこの不安定な世の中、安定かつ高収入でないとなかなかできない、女性男性双方結婚相手に求めるハードルが昔と比べて高くなっている。
そもそも低収入でマイホームを持つとローン貧乏に陥り躊躇する。
退職金?たんまり貰えるのは一部だけ、後は雀の涙程度、いまの20代30代はもらえるかどうかすら怪しい。
普通に年金で暮らすなんて20代30代の大半は無理じゃないかな?定年迎える頃には年金なんてあるかどうかすら怪しいよ。いまでこそ老人が年金で生活できないからとスーパーでバイトする始末。
高度経済成長期は働けば働くほど報われたがいまはどうか?安月給にサビ残は当然、働けば働くほど搾取される。考えるとアホらしいよね。
給料はあまり出せないから働きがいを見つけろとかアホらしい…働くなんて結局生活のためにお金を稼ぐことだから。
富裕層はタックスヘイブンで課税逃れをしてどんどん私腹を肥やす一方、庶民は毎年のように上がる消費税や保険税、年金税、通常の所得税に加えて東日本大震災のための復興所得税とただでさえ少ない月給からこれらの税金を引かれ手取りがすごく少なくなる。こんなんじゃ消費が停滞して当然でしょ。
なのに老害は「最近の若者は車やバイクを買わない」「酒を飲まない」「旅行もしないしスキーもしない」「ギャンブルもしない」とかほざく始末。
将来が不安なんだから貯金して当然だろ?40年間生活が保証されるなら車だって3年に1台は新車買うし酒も毎日飲むしギャンブルだって週末になったらしますよ。
4, 中年公務員の給料を大幅に削減しそのお金で若者を正規公務員として雇用する
まずこれくらいやってほしいけどな
まあこういう改革すらできないのが今の日本の政治力、金(財源)もないし有能な人材もいない。やっぱりオワコン国家だよ日本。
テレビで急に「日本すげー番組(日本ホルホル番組)」がどの局もこぞってやるようになってるのを見たとき、あっ…もう日本オワコンだなって思った。経済で国民に自信をつけるのが無理なんでテレビを使ってプロパガンダで国民に自信をつけさせるとかお隣の某国とか独裁国家がやる手段でしょ。
国会で100万円渡したか渡していないかの議論を何時間もする位なら同じ時間で数兆円単位の改革について議論してほしいものだ。
内心では自分が一番かわいい、一番チヤホヤされるべきだと思っている、麻友。心では不細工を見下している。
チヤホヤされることに憧れながらも、自分の容姿に不満を感じ整形を繰り返す、友美。メンヘラでたまにODでトリップする。
芸能界のイケメンに憧れてアイドルになった真正のイケメン好き、知美。裏ではホスト狂い。
チヤホヤされて育ってきた、周りから好かれる事何かしてもらう事を当たり前だと思っている、晴香。財布用のファンを抱えている。
アイドルはお金のため、いかにマネタイズするかを常に考えている、みなみ。将来は芸能事務所を立ち上げることを考えている。
優越感のためにアイドルをしている、承認欲求の塊、莉乃。常にSNSを観察していて、ご飯の時も携帯電話を離さない。
全員AKBに当てはまる人がいるような…
この間、仲の良かった中学の友達から、最近の彼の生活について聞いた。
一浪の後、難関大学に合格、友達や彼女に恵まれて楽しく過ごしているようだった。
それに対して私は友達に恵まれず(自分に原因があるのはわかっている)、ほとんど興味のないサークルに、たまに惰性で参加しているだけである。
午前中は講義に出て、お昼の間は「よっ友」にぼっちだとバレないように、大食堂に行かずに図書館で寝て、その後午後の講義に出て、終わったらすぐ家に帰る生活をずっと送っている。サークルは一年中ほとんど活動していないので、行ったところでいつも人がいない。
何か熱中できる趣味とかあればいいのだが、残念ながらそれといった趣味もない。家に帰っても食って寝るだけだ。
何か趣味を見つけようと色々とやってみているが、ふと、ある段階で、どれも楽しもうと思って取り組んでいるのではなく、見栄のためにやっていることに気づく。
「こういう趣味があるって言えば良い印象持たれそう」
「これなら他の人と話す時に話が盛り上がりそう」
社会に適正があると思い込んで育ってきた。
今にして思うと、小学生のころから、周りに馴染めていなかった。呼ばれもしない誕生日会に行っては、嫌な顔をされてきた。周りが気を遣って出迎えてくれたことにも気付かず、与えられるがままに、その優しさを享受してきた。
はじめて社会性に疑問を持ったのは、高校の頃だった。中学の頃まで与えられるばかりであった私は、与えること、持ち寄ることを知らなかった。ただただ与えられることを待っている私には、当然さしたる友達もできず、ただ毎日を一人で過ごした。
中学の頃の友達とはまだ仲がいいつもりで居たが、高校生活を自虐しては苦笑いされる、そんな関係でしかなかった。その頃は、そんな会話が仲の良さの証であると、思い込んでいた。
大学では、変わろうと思った。社会性を獲得しようと、社会に馴染もうと思った。しかし、得られたものは社会性ではなかった。
餌を与えられて育ってきた珍獣は、狩りの方法を知らなかった。餌が欲しいと思う珍獣にできることは、できる限り自分の様を人の目にとめてもらうことだけだった。社会性の変わりに得られたものは、奇異性だった。
幸か不幸か、インターネット動物園にはありとあらゆる珍獣がいた。ある珍獣は、ある珍獣を見て、自分はまだまともだと、魅力的な人間であると、勘違いをした。
ただただ与えられるままに、みずから変化を与えることなく暮らしてきた私には、現状に不満があってもそれを受け入れることしかできない。
不満をため込み続け、周りには迷惑をかけ続け、いつか破滅する未来を待つことしかできないのだ。希望をつかむための努力も怠る私には、希望なんて与えられることはないのだろう。
中国嫌いなみんなも「欢迎光临」って言われると、うきうきしない?
字面もピカピカ感があって、とても歓迎されている気分になる。
耳で聴くと「ファンインクァンリン」だぞ。とても楽しい時間が待っていそうじゃあないか。
あえて挙げるならば「クアラ ルンプール」と同じくらい楽しそうな響きだ。
それが生まれつきの性質であるかの様に言われ、他人から羨ましがられる事がとても多い。
それが私はちょっと悲しい。
片付けをちゃんとする様にしつけるの、結構大変だったんだけどな……。
自己満足の為に、ここに私が子供達に片付けをさせる為にした事やしなかった事を書いていく。(超長い)
あまり誰かの助けになったり参考になったりはしないのだろうな。
何故かというと、上の子が生まれたばかりの頃は家にあまり物が無かったから。従って片付ける必要が生じなかった。
支援センターには、自分で使ったものは自分で片付けるというルールがあるから、親の私としても子供が中々やる気出さないからといって妥協する事は出来ないし。
あまり経済的に余裕があるとは言えないのだが、専業主婦となった。時間に追われないで子供の相手出来るのって気が楽でいい。
まだ腰が据わって間もない子のおててに使った積み木を持たせて「さぁ、お片付けしましょうね~」と声をかけ、抱っこで積み木箱の所まで連れて行き、子の手を取って積み木を箱に入れさせる。という感じ。はたから見れば赤ちゃん使っておままごとをしている様だったろう。
見られたら「ママがやってくれるのが当然」と学習されるだろうから。ソースはない。
既存の歌でも良かった気がする。
私自身が幼稚園児だった時、担任の先生が片付けの時間中ずっと「おかたづけ~おかたづけ~、さぁさみんなでおかたづけ~」とリズミカルに手を叩きながら歌っていたので、それを真似た。
ちなみに小さい子供は「おかたづけ」と発音出来ないし聞き取れもしないっぽかったので私は自作おかたづけのうたを「ナイナイあそびのうた」と呼んでるし、歌詞でも「おかたづけ」という単語の代用として「ナイナイ」という単語を使っている。余談だけど中国語で「ナイナイ」といえばおっぱいの事だと聞いた事があるのだが、本当だろうか。
ちょっと恥ずかしいが、支援センターや児童館など人前でも自作おかたづけのうたを歌ってた。
ママが「ナイナイあそびのうた」を歌い出したら片付けして帰る合図。
子供が歩ける様になりなり、自分でオモチャを持ち運ぶ事が出来る様になると、片付けの最中に子供が急にやる気を無くしたり別の事に気を取られたりするということが起こる様になった。なので手拍子と掛け声で子供の意識をお片付けに引き戻す必要があった。
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
ナイナイ!(パンパンパン
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
( ゚∀゚)o彡°
「片付けなさい!」と叱ると泣いて愚図るだけだが、こうしてエールを送ると不思議と頑張る子供達。
そうそう、初期から「片付けましょうね~」と声かけはしていたのだが、子供達は「片付けをする」という言葉の意味を中々覚えなかった。上の子は年中さんになってやっと、「これ片付けてね~」だけでも動く様になった。
・指示は具体的に
繰り返すが子供は「片付けて」と言われてもその意味することがわからない。
「片付ける」という単語の意味を覚えて貰う為に、まず子供に聞き取り易く発音しやすい「ナイナイ(無い無い)」を用い「ナイナイしようね~」と声をかけ、「お片付けしようね~」に移行していったが、それを言っただけでは子供はどうしたらいいのか分からないので、
「○ちゃん(子)がおててに持ってるこの積み木を、この箱にポンしてね」
などと指示する。
(「入れてね」じゃ分からないみたいだったので「ポン!」と投げ入れるのを実演してみせ「ポンする」を覚えさせた)
・一人で片付けさせない
一歳位の子供に自主性は期待出来ないと私は思う。なので子供と一緒に私も片付けをした。
子供が途中で嫌がったら、
「大丈夫!ぜったいできるよ!」
と言いつつ(子供にというより私自身への言い聞かせである)、手に積み木を握らせて、手を繋いで積み木箱まで子供と行き、子供手を取り積み木を箱に入れさせた。
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
ナイナイ( ゚∀゚)o彡°
と励ましながら見守っていた。
すると、しばしば面倒見の良い保育士さんやよその子の保護者さんが「あっいいですよ~わたしがやります~」と片付けてくれようとする事があるのだけれど、すかさず
「ありがとうございます。でも子供にやらせて下さい」
とお願いした。相手に怪訝な表情をされたら「うちの子、今、何でも自分でやりたいお年頃なんです~☆ミ」と言うと、皆気持ちよく納得してくれる。
・やりとげたらめっちゃ誉めまくった。
「すごーい!」
「全部出来たね!」
「パーフェクトだよ!」
などなど。
しかし
「さすが女の子だね~」
「お姉ちゃんだもんね~」
とは言わない。片付けは女がするものだと思われない様にしたいから。
あと「お姉ちゃんだもんね~」と言われると上の子は嫌な顔をする。下の子の姉という立場を負担に思うらしい。
でも、
「さすが○ちゃん!もう○歳のお姉さんだもんね!」
というと、逆に誇らしげな顔をして喜ぶ。「大人のお姉さんみたいだね!」も有効な誉め言葉だった。
「ありがとう、本当に助かったよ!」
毎年新しいMacbook pro買って自宅に持って帰ったり自分の趣味に金使ったり
企業との共同研究はNDAも守らずに勝手に発表したり特許出願したり
小保方事件で明らかになったように教育も適当にしかやってない大学がほとんどで
「こんなんじゃ研究できませーん」ってアホかよ
元を正せばお前らが悪いんじゃ
幻想猫耳鉄道奇譚こと『てるみな』から派生した、現実の鉄道をメインに据えたまったり旅行記。主人公はビールが飲める年齢の女性である。
移動の時間というものが人生における最大の無駄であり、ファストトラベルもどこでもドアも実装されていない現実はクソゲーだと信じている自分のような人間にとって、この漫画の主人公(そして恐らくは作者も)の旅上手ぶりは本当に羨ましく思えてしまう。
彼女は駅弁フェアの弁当を美味しく食べたいがために特急に乗って弁当を楽しんで、富士のふもとまで行ける。何となく路面電車に乗りたくなったので荒川線に乗り、情景を楽しめる。少し通学路から外れたとこにいる猫を触りに行く感覚で、新松戸で武蔵野線を降りてわざわざ流鉄に乗る。西伊豆の安くて頑張ってる旅館で、備え付けの冷蔵庫のビールを空けて宿を応援したりもする。こういうふうに旅行を楽しむ感性があれば、人生はどれだけ素晴らしくなるのだろう。
ただ、気持ち悪いメシ漫画の氾濫を見ればよくわかるように、主人公の目線を通して描かれる情景に説得力が無いと、こういう作品は簡単に駄作に堕してしまう。そのハードルをいともやすやすと飛び越えて魅力的な世界を描いている『ぱらのま』は本当に素晴らしい。きっと自分が彼女の旅行を真似すれば、あっという間に退屈してスマホをいじってばかりになるだろう。しかし、真似をしようかなという気分にさせられてしまったのだ。