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はてなキーワード: 平板とは

2024-03-16

家系ラーメンってあんまりおいしくない?

脂と動物臭を感じるが味としては平板スープ

店によっては明らかに冷凍と分かる筋張ったほうれん草

特に感想のない海苔

久しぶりに食べたらこんなんだったっけ?ってなったわ。歳かな

2024-02-04

自分もっと孤独に強い人種だと思っていた

子供の頃から本が好きで暇さえあれば読書に耽っていた。

一人で時間を潰すのは全く苦ではなく、自分の中に新しい物語知識

流れ込んでいくのがただただ楽しかった。

一人の時間に耐えられない人、

手持ち無沙汰になるとすぐに携帯を開いてゲームをしたり

他人コミュニケーションを取るといった方法以外で

暇を潰せない人種のことを少し見下していた部分もあったと思う。

それが社会人になってやりたくない仕事をこなし、

非人道的なほど満員の電車に毎朝揺られるうちに自分も上に書いた人種のようになってしまっている。

まり本も読めなくなったし、楽器演奏する時間も減ってしまった。

今では暇があればスマホを開いてYouTubeを開いてたいして見たくもない動画

垂れ流しているし、

定時で上がった後も何をやればいいかからずとりあえず居酒屋に入って

ただ酒を飲んでタバコを吸ってそこにいる人と話したり話さなかったりして

酔いが回ってこういったことも考えられなくなって気づけば眠りに落ちている。

単純に仕事によって自分時間と体力が奪われているからそうなったとも思えない。

中高の学生生活でも9時5時くらいの時間毎日拘束されていたわけだし

なんならそのあと塾とか部活に行ったりもしていたか自由時間という

意味では社会人になった今の方が多いからだ。

おそらく合ってない社風向いていない仕事をずっと続けることは

自己肯定感の低下に大きく影響する。そして低下した自己肯定感のもとでは

新しいコンテンツ創造的な趣味に取り組む意欲も湧きづらくなるのではないかと思う。

毎朝ベッドから出る意味が見出せない、1日を始めるモチベーションが湧かない。

本を開いても目線活字をただ撫でるだけで、自分の中に新鮮なイメージ意味

与えてくれない。世界平板化してしまってどこに行って何をしても結局同じなんだ

という感覚がつきまとって離れない。

2024-01-27

森下佳子原作改変はい原作改変

例の脚本家による原作改変は全般的に不評なのかもしれないが、それは改変の仕方が良くなかったからで、

世の中には改変によって原作超えを果たしたドラマもたくさんある。

「何はともあれ原作改変は罪」という原理主義はやめてほしい。

その意味個人的に、神改変を連発する脚本家だとあがめてるのが森下佳子だ。

白夜行

原作で内心の見えないモンスターとして描かれていた主役たちの内面を徹底的に描いた傑作ドラマだ。

原作者(東野圭吾)は改変が気に入らなかったようだが、俺は逆に原作の方に物足りなさを感じるようになってしまったくらい、

主役たちの心理状態の変遷には納得感があった。安っぽい紋切り型美談にしているわけでもない。

原作では単なる敵対関係だった刑事武田鉄矢が演じたが、彼と主役たちの間に生まれた悲しい絆の物語は見事。

JIN

原作漫画は良くも悪くも「大河ドラマ」で、話のスケールは大きいが平板で発散するだけの展開に感じ、没入しきれなさが残る作品だった。

ドラマ版は設定をうまく整理し、全てを視聴者の没入できる近距離ギュッ圧縮した。

主役(大沢たかお)の性格をいじり、江戸時代適応しきれない現代人という要素を強めたことで、共感できるドラマ性を一気に強めた。

本作が当時の覇権ドラマとなったことは覚えている人も多いと思う。

義母と娘のブルース

ドラマ以前に原作漫画を知る人は少なかったと思うが、「よくこの原作を感動ドラマにできたな!」という別の感動が生まれるくらいのギャップがある。

綾瀬はるか演じる主人公性格原作漫画以上に漫画的に強調されているが、その分、漫画仮面が剥がれていくクライマックスシーンが、視聴者の心を激しく揺さぶ効果を生んでいる。

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あとセカチューとかもあったな。あれは観てない。今の大奥はどうだろうか。

みんなが知ってる「いい原作改変作品」を教えてくれると嬉しい。

anond:20240127032134

2023-12-30

NECネッツエスアイネッツって平板アクセントと思っていたけど

最近ネッツエスアイのCMでは頭高アクセントで言ってるのが意外過ぎて耳から銀河出てきた

anond:20231229143045

少なくともその「アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人」の文章での表現が誤解されてないなら、話す場合であってもその文章で行う表現をそのまま使うだけなので、平板で緩急なくても伝わるだろうから、「わかりづらいかイントネーションちゃんしろよ」みたいに圧力かけられる機会はないのでは?

あと、面倒くさがってるのはただの事実なのでそれをいまさら言われてもって感じ。

話し言葉での意味上のイントネーションの使い分けは学ぼうとしなくても母語話者なら勝手に身につきその意味を言おうとしたとき苦もなく無意識にそう言ってしまもの

同じ感覚通用すると思ったら、書き言葉場合イントネーション情報消失してるから伝わらないんだということは、こういう他人からの何言ってるかわからないいう指摘により初めてカルチャーショックとして経験する問題だと思う(もしくはなんでかまでは何度指摘されても一生気づかないままかも)。

意識的にしないとできないことを要求されるんだからそりゃめんどくさいと思う人がいたって不思議はないだろう?

2023-12-29

anond:20231227141829

彼は泣きながら、家を出た彼女を追いかけた。

彼は、泣きながら家を出た彼女を追いかけた。

発話の間で伝わる範囲であれば書き言葉においても読点で代用できるケースはある。

ただそれ以前の話として、そもそもイントネーションを変える」も「一文で言わず二文以上に分ける」も内容が伝わるように表現を使い分ける行為では?

音声言語としては要求されない使い分けを文章表現では一律に求められると元増田は言うけれど、逆ではないだろうか。

音声言語では当然に(元増田が使い分けと思わないほどに!)行われている表現の使い分けを、文章表現では面倒くさがっているのが元増田ではないのか。

アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人が、文章表現にはアクセントや緩急はないのに音声表現で一律に要求されるのはおかしいと主張するようなものでは

2023-10-08

群馬の「マイケルソフト・ビンボウズ」というPCショップ(閉店)が海外話題

今日はとっくに閉店した日本パソコンショップ海外流行ってるというワケわからん現象を紹介するよ。

群馬県新前橋駅にほど近いロードサイドに「マイケルソフト・Binbowz」という中古PCパソコンパーツショップが嘗てあった。店のロゴWindows95&98のロゴを軽くいじったもので、見つかったらMSに張り倒されるのが必至な物件だ。

ここは2001年に閉店してしまったのだが、英語圏でジワジワと人気となり、2年半ほど前にYoutubeにアップされた動画で火が付き、Tiktokなどへも延焼していった。

BinbouwsがWindowsパクリというのは判っても、それが貧乏意味中古屋が客を貧乏扱いしているとかというのは日本語出来ないと判らないハイコンテクストなのだが、それでも延焼するほどのカロリーがあったようである

 

WEB1.0ホームページBuzzfeed発見BBCパーソナリティツイート

元々は米本社の方のBuzzfeedが書いたオモシロ記事ツイートらしい。

これは今は見つからないが、この写真BBCパーソナリティーのジェレミーヴァインが「これは草」って感じでツイートした。

https://twitter.com/theJeremyVine/status/526706980644466689

 

この元のBuzzfeedが出した写真だが、『アルフの部屋』という個人ホームページ2001年に掲出された記事から写真を持ってきたようだ。

https://alf-s-room.com/etc/nandarou/binbows/index.htm

管理人許可を取ったか不明だ(多分取ってない)。

 

Youtube

Youtubeでのbuzzりの切っ掛けはNick Robinsonという日本オタク(Wapanese、またはweeb;註:侮蔑的語彙)がアップした「The mystery of "MICHAELSOFT BINBOWS"」という動画だった。

https://youtu.be/yDzAAjzbV5g?si=cZYz8odZyVWmK3c7

 

binboは貧乏の事で、日本語は平板イントネーションなのでマイクロマイケルが似た音に聞こえる…みたいな説明をくどくどとしている所は笑いを誘う。

そして遂にストビューを歩き回り続けて根性建物を見つけ出した。今のBinbows跡地はここである

https://maps.app.goo.gl/rC36U3xbrq6Zfyhv5

外壁が剥されて痛々しい状態だが、これは311地震の爪痕かと思われる。

また、今ではgoogle maps登録されているので「michaelsoft Bonbows」で検索すると跡地が出てくる。名跡なのでありがたい処置である

尚、古い日付を見ると、テナントが全て抜けてしまった時の画像が表示されるが、「集募トンテナ」となっているのが確認できる。流石はBinbows跡地というべきか。

 

これでグズグズと種火で燃えていた貧乏ミームの火力が急に増して、検索すれば判るが、VR用の3Dモデルとかシティーズスカイライン用のMODデータとかがアップされてワケが分からない状態になっている。

また、アリエクでBinbowsTシャツを売っていた中華業者も居た。

 

因みに当店は無くなったがホームページは残っている。

https://jeji.neocities.org/~binbows/

チルダユーザーネームというのが古さを感じさせるURLである

 

聖地巡礼

そんなNick Robinsonだが、この夏に遂に聖地巡礼を果たす。

https://youtu.be/QRIklga9IBQ?si=KvdrKGQ-sJgIx50o

不思議な事に壁で塞がれていてBinbowsへの扉は無かった。

どういう事だろうか?

Nick RobinsonはBinbowsタンというキャラまで作ってTシャツなども作り儲けようという気満タンのようだ。ちょっと欲しい。

因みにこの跡地のビル、駐車スペース不足のせいかテナントが入らずに苦労しているようだ。

Binbowsの呪いかもしれない。

2023-07-04

YOASOBI「アイドル」のラップふつうにイケてね?

普段HIPHOPある程度聞く人間だけど「アイドル」を聞いて(「アニソンにしては」という補正はもしかしたら有ったかも知れないが)「結構イケてるじゃん」と思ったので、一部の「アイドル」のラップパートダサいって批評が出たときちょっと驚いた

もちろん何がイケてて何がダサいかなんて人それぞれだし、本職のラッパー楽曲でさえ分かれるんだから変な事ではない

ただ評価してる人も居るよ、ってことを書いておこうかと

たまたま見かけた増田 anond:20230704093349 に触発されて、自分なりの見解を書いておこう、というのもある)

 

まず「アイドル」のどの部分をラップパートと考えているかを明記しておく

俺が特にイケてると思ったのはイントロの「無敵の笑顔で荒らすメディア完璧嘘吐きな君は」の部分

同じフロウが2番の「はいはいの子特別です~全てがあの子のおかげな訳」までで繰り返されて、直後の「ない、洒落臭い~誰よりも強い君以外は認めない」で別のフロウに切り替わる

で、また「得意の笑顔で沸かすメディア~そう嘘はとびきりの愛だ」で元のフロウが戻ってくる

以上が俺がラップパートだと解釈してる部分

なんか「ない、洒落臭い~誰よりも強い君以外は認めない」の部分だけをラップパートだと思ってるっぽい人が居たので、まずどこをラップパートだと思ってるのかの共有が必要だと思う

 

で、俺が主に評価してるのは「無敵の笑顔で荒らすメディア完璧嘘吐きな君は」等で繰り返される部分のフロウ

偏見だけど、アニソンラップパートって抑揚もフロウも碌にない、いかにも「ラップです」(とHIPHOPをあまり聞かない人がイメージしそうな)平板ラップが多い気がするんだけど

アイドル」を聞いたときは「ちゃんビートに対して自分なりにアプローチしてフロウをつくってるじゃん」と思った

ここで「フロウ」について、HIPHOPをあまり聞かない人向けに、雑に簡単に分かり易い例を挙げると

 

CHICO CARLITO prod. by DJ FumiyaRed Bull 64 Bars

https://www.youtube.com/watch?v=u5hgGrh5aVI

 

これとか聞くと分かり易いと思う

Redbullの64barsの中でも評判のいいこれは、フロウ巧者のチコカリート面目躍如って感じで色んなフロウが出てくる(途中でMummy-Dが明らかにくらってるのが気持ちいい)

ループするビートに対していろんな方向からアプローチしてるこの曲を聴けば、1つのビートでもいろんな乗せ方があって、そこにラッパー個性が出てくることも分かってもらえると思う

 

で、その上で再度アイドルを聞いてみてほしい

まずイントロラップパートを聞きながら、頭の中で後ろで鳴ってるビートだけ取り出す、このビートに対するアプローチとしてどんなフロウがあり得るか?

当然色んなフロウ可能で、「アイドル」で選択されてるフロウが唯一の解でないことがわかるはずだ、なんならスタンダードというか無難選択でもないと俺は思ってる

そこが俺が評価してる点で、「アイドル」はちゃん自分のフロウを選び取ってる、し、そのフロウも割と面白い

個人的に「ない、洒落臭い~誰よりも強い君以外は認めない」の部分は平板ラップに近くて好みじゃないんだけど、この部分で表現したいであろう情動表現する上では悪くない選択かとも思う

惜しむらくはフロウがほぼこの2種類しかないことだな、ビートに対してもっと別の複数アプローチがあれば、「アイドル」を評価してない人達評価も変わるのでは?と思う

 

ちなみに「アイドル」のフロウリンクを貼ったチコの64barsのビートにも(速さを変えれば)合うと思ってて、それも例に挙げた理由ひとつ

つーか、チコの64barsに速度変えた「アイドル」のイントロのフロウが混ざってても全然違和感無いし、むしろアガらね?と思ってる

2023-06-22

カレー

S&Bのこくまろカレーカレーを作ったら、味が駄菓子みたいに平板だったので、

簡易デミグラスソース(中濃ソースケチャップ、酒を混ぜて煮詰めたもの)を少し加えたら、いい感じに奥行が出た。

メモ

2023-05-25

多くの要望に応えるならシンプルな形だよね?

冷蔵庫の話があるからそれで例えると、

単純形状の物だよね、ダンボール箱みたいな形。


サイズ大中小の高さ違いで幅と奥行きは一緒。

冷蔵冷凍野菜室の性能のみの一室タイプ

組み合わせは自由にできる。

欲しい部分だけにして三段重ねたら完成。

壊れたら一室だけ交換可能


電気部は後ろ側に接続部分があって繋がるだけ。

突起物はコンセント以外はフラット平板の形。


完成イメージカラーボックスの扉ありみたいな感じ。

棚はニトリかにある金属の棚みたいなのが別売り


これだったら接続が甘くならないように注意すれば作れそうだと思った。

デザインとかコストの考えは完全無視だけどね。

2023-05-05

映画ポリコレ云々の前にオタクが鑑賞という行為が出来ていない疑惑

マリオ映画評論家と観客の評価乖離してるのはポリコレの強行のせいだ普通の人はポリコレうんざりなんだ増田もそうなんだが、そもそも映画やその他のエンタメ作品の鑑賞自体が出来ているのか?という疑問が湧くのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20230504221408

 

この映画は反ポリコレだ!だからヒットしたんだ!ポリコレが無いか評論家の評点が低いんだ!っていう意見が一か月くらい前からネットで湧きあがってるんだが、それに対して全然そうじゃねぇってツッコミ多数という状態になっている。

そんな状態で「オタクは女とポリコレ攻撃されている」という投稿をすると無条件で持ち上げられるはてなにそのままの認識をぶっこんだら賛同されると考えたんだろう。そしてその通りになっている。

だがこのオタクの反ポリコレブームというのはかなり変なのだ。「ポリコレ的なものを無理くりに見つけ出して批判する」というゲームになっているのだ。

そしてポリコレ要素が「見つかった」ものは棄損されスポイルされたものであるからまらない、と結論される。インフルエンサーの雑な扇動と飯のタネになってるのではないか

 

例えば、聖闘士星矢のネトフリ新作ではアンドロメダ瞬が女になると伝えられて、それがポリコレだ!と糾弾されるわけだ。

でも原作でもアンドロメダ瞬は中性的ななりで、何故か股間に防具が無くてレオタードみたいなのむき出し、なのに股間もっこりがない。

なので二次創作やおいジャンルでは瞬は女役というかもっとはっきり言うとメス役で他の男に犯される役が専らだった。

因みにやおい腐女子と呼ばれるジャンル70年代末に遡るが、それが大きくなって市場化する起爆剤になったのが80年代聖闘士星矢二次創作だった(あとキャプテン翼)。

これって非常に反ポリコレでしょ。

そして四半世紀経ってリメイクするに当たり、公式の方が腐女子に合わせてきた訳だ。これがポリコレかっ!?逆だろう。

からこういう大してオタクでもない増田も知っている文脈を知らないかポリコレという「真理」が見えちゃうというケースである

 

それから鑑賞が出来ていない疑惑だが、数年前に100日後に死ぬワニってマンガがあったのはご存じかと思う。

変な広告屋に抱かれたせいで101日後にコンテンツとして爆死してしまった訳だが、この4コマ漫画最終回は凝ったもので、ワニの死が直接描写されず、雑誌なら見開き(WEBなので大判だが)に桜が散るというコマで死が暗喩されていた。

これ自体特別表現ではない。

だが、作者のTwitterには「僕の解釈」を開陳するレス殺到したのだ。「このバイクに乗っているのは誰々で、そのキャラが死んじゃった」等という様々な「解釈」が殺到した。

まりはあれだけ簡単暗喩表現が分からない人は結構いるという事と、そういう人にとってはネットで見る物知り達の「自分流の穿った解釈」は単純理解と同レベルであり、単純理解不能だった時は僕の解釈をしてもいいと思われているという事だ。

これはゲームリプレイ動画に付くコメントでも同じで、洋ゲーちょっと洒落表現では必ず「僕の解釈」のコメントが付いている。

エンタメだって楽しむにはちょっとした教養必要だろう。

そういう人がネットの反ポリコレ言説に触れて、ちょっと難しい表現に当たった時、それは「ポリコレのせい」に見えるのではないか

 

元増田場合は「映画評論」というものを知らないのでは?という疑念が湧く。映画評論家は「これはポリコレ的に×、これはLGBTが出るから加点」という風にやる連中だと思ってないか

一般的に人気はあるけど評論家の点数は低いという時、多いのは「全体的に面白いけど平板から」というケースが多い。「大人子供も楽しめますね」ってやつだ。

例を挙げよう。

同じ3Dアニメで「カーズ」ってアニメがある。車を擬人化した映画だ。

この中で古い車キャラ主人公若い車にドリフトを教えるシーンがある。嘗ての街道レーサーみたいなジジイ車なんだな。

そしてレース中にスピンした主人公車がそのまま逆ハン切って大ドリフトに移行するというシーンがある。その時、実況解説してるジジイ車はたまらずに身を乗り出す。

こういう「刺さる」シーン「光るシーン」を平板子供アニメに入れ込むと評論家評価は上がるのだ。

更に今ではこの刺さるシーンのせいでネットミーム化していつまでも残り、続編への呼び水になったりもする。

評論家は他の映画も見て鑑賞してるのだ。

この評価乖離が起きたのってロッテトマトとかだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」じゃないんだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」なら平板ポリコレ安全な方が点数は高くなるがそれ以外なら逆だ。

 

これ書いてる増田の好きな映画ジャンルというのは虐殺暴力理不尽同性愛フェチといったもので、あんまりポリコレが力持ちすぎると困る。

映画パフューム』のAmazonレビューに「無実の人が死刑になっていやな気分になった」とコメントされているのを見て笑ってしまった。同映画では連続殺人を犯した主人公香水の魔力によって大衆を魅了し、死刑を免れる。司法は法的辻褄の為に代わりに世話人の家の一人を犯人でっち上げ処刑して主人公は放免めでたしめでたしとなるのだ。この理不尽は当然観客を反徳でいやな気持にする為に入れられている。

けれどネットオタクが論う「ポリコレ浸食」は見るからトンチンカンなのだ一般的な鑑賞、読解と評論が出来ずに飛びついているというケースばかりなのだ

作品の出来に関連する論争的なポリコレ」の周囲にインフルエンサの養分が分厚く堆積してそれを突いている感じなのだ

2022-08-09

千原ジュニア×木村祐一対談後編

https://youtu.be/8N4HFhMjSM4?t=1510

ツッコミは愛」という話の中で、キム兄が「NSCの生徒と話してる最中ツッコミ入れると(生徒は怒られたと思って引いた後に)『…っ。(続きを)話していいですか』って(ツッコミスルーしてしまう)」と語っていて、あー。今の子ってそんな感じだよなあと思う

一派一絡げにしちゃ悪いし頭の良い子も居るんだけれども、「お前…今の話の奥行きとか全く理解してねーだろ。頭どうなってんだ」って思ってしま

平板思考しか持ち合わせてない印象があるんだよな

芸人を志す子らなんてお笑いガッツリ見てるだろうから、そういう奥行きなんて身に付いてるはずじゃない。でも違う(そもおそも「お笑いガッツリ見てる」という認識すら間違ってるのかもしれない)

なんなんだろうか

「笑い」とか「面白さ」に対する感覚の違い?ただのジェネレーションギャップ?

でもなあ…笑い関係なく、話の奥行きが分からなかったら会話成立しないだろう。でも同世代間では成立してるんだろうから、やっぱりジェネレーションギャップなのかな?(…同世代間では成立してる…んだよな?IQの差とかは別として)

若い人達をつらつら見てると「そこでテンション上がるのか。で、ここではテンション上がらんのか」っていうのをよく感じる

やっぱりただの隔世の感なのかな?

2022-06-23

思想歴史狭間

 研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万自称である日本史研究として自分研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌論文投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用理由簡単である。僕の論文はあまり思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である思想史の分野では、あまり事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判対象となる。思弁的な論理合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なである

 思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史であるしかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。

 だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意たか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実いくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観優先順位、置かれていた状況、表現戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲弾圧があったり、出版事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想総体的分析するという場合は、合理的範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板人間理解しか歴史の中に生まれない、ということになってしまう。

 さらに厄介なのは思想史分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史事実に変わりはないではないか、というわけである先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである

 これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究新規性学問無意味だということにはならない。全ての人間行為にはその人の思想が伴っているからだ。

* * *

 以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理シンプルに、証明実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。

2022-06-13

ヒロシのひとりキャンプのすすめ、まゆたんのアニソンコーナーにて

よろしくメカドック」のOPを聴いた。確かに格好良い曲だな。80年代HRっぽいコード進行

(「よろしくメカドック」はあまりにも有名アニメだが見たことない

年寄りが「宜しく」に続けて「メカドック」と言ってしまう点に於いて有名)

番組では続けて「風の谷のナウシカ」のコード進行について語られていたが

確かこの曲、「外国人は歌えない」らしいな

クレモンティーヌカバーしたけど「金色の花びら」の部分が「外国人にとって有り得ないコード進行」だとか

(カバーの鬼クレモンティーヌですら歌えない)

紙とさま~ずで作曲者である細野御大が仰っていた

かに妙な歌い出しだよね。平板…というか

安田成美歌声も相まって、なんかモダモダする感じ

つーか、なんで安田成美を起用したんだろうなあ。そりゃあ富野バリにこだわりがあるパヤオには受け悪そう

もうちょっと(当時)ネームバリューのある芸能人だったら欣喜雀躍してそうだけどな

昔は事務所ゴリ押しすごかったんだろうなあ。森口博子デビュー曲とかさ(あれは名曲だし歌唱力もあるから別に良いと思う。ニール・セダカ三枝成彰あってのZガンダム)

2022-06-03

個人的に『勇者ミーリは58歳』を全く評価出来ない理由

勇者ミーリは58歳 - 寺屋キハチ/くろむら基人 | 少年ジャンプ+

https://shonenjumpplus.com/episode/3270296674382491466

はてなブックマークではほぼ絶賛一色ですが

個人的には「これがネーム大賞???」でした。

   

以下で理由を述べます

   

   

1.いちいちトカゲや竜を殺害してるのが不快

これは細かいイチャモンではなく話の根幹のことです。 

  

この作品

「『人類抹殺を図る魔王』というのは誤解で

 自分意志無関係に毒が噴き出てしまってるだけの人間だった」

「老勇者の戦いも実は攻撃や討伐を目的とするものではなかった」

と言うのが大ネタですよね。

   

そういう建付けならモンスターとのバトルも不要でしょう。余分どころかノイズになってる。 

  

  

勇者なのに戦いではない解決を目指す、強さも求めない

がミーリの個性と斬新さであるという作品

こういうバトルや殺しを見せる必要は全くない。

 

更には作品全体やメイン二人がまあ優しさや思いやりみたいなことをテーマとしてるのに

生き物を結構残忍に殺す描写を入れる理由はなんなのか。

    

別に殺しを描写すること自体問答無用ダメだ減点だなどと言ってるのではなく

作者がきちんと考えたうえで描写しているとは見えない描写が多い、  

そのことが作品の質を落としているという話です。

     

 

無駄に殺しの描写を入れることに疑問のない時点で

「戦わない、恐ろしい相手でも理解する、相手のために頑張って互いによいものを得る」

という作品ライン統一感がなくなり薄っぺらくなるでしょう。

あー作品で描いてることが作者の骨身から出てないんだなとわかってしまう。 

  

ネットのやっすい反応

「はー、いいもん読んだ。」

「泣いた。最高すぎる。映画で見たい。」

「あーー良くて泣いちゃった。すごく好き。」

みたいなのをなるべくたくさん稼いでバズりたいなあという算盤でやってる。

自作品に没頭できない創作特有の痩せた考え があるだけなんだなと。

  

 

またもっと単純な話

ミーリの設定的にもあのバトルはよくないですよね。

 

ミーリは歴代勇者の中でも攻撃の才能がある方ではなく

その後の人生かけて探求するのも攻撃術ではないんだから

若い頃に苦戦した竜を楽に穴だらけにして一方的に殺せるようになりました」

なんて描写は焦点がブレるでしょう。

攻撃力が上がってる描写は要らない。

魔法研究余録攻撃力が上がってるとしてもそれを見せる必要はないんです。

   

しろ若いはいきがって激闘してたけど

今は戦わずに竜を落ち着かせてするっと通行出来るようになりましたとかなら

ミーリの過ごした時間や身につけたもの言葉を使わずに見せられたというもの

 

 

「ここは何のために竜を殺すの?この描写の狙いちゃんと考えてあるの?」

と詰めない担当編集はお給料泥棒です。

 

 

 

  

2.魔王の設定もちゃんと考えてない 

同じことはもちろん魔王にも言えて

自分の体質を忌まわしいと思ってる魔王

たか説明の為にその体質使ってトカゲの命を奪うのは引っ掛かります

  

殺生しないために数百年同じ場所に留まってる人間の行動として違和感があるし

これから救う対象としてはなんだ結構嫌な奴だなあってなっちゃうでしょう。

 

    

もちろんこの時点で嫌な奴なら嫌な奴でもいいし

自暴自棄でワルぶった魔王の振る舞いとして生き物を殺すならいいんですよ。

そこでミーリに

「でもあなたは本当は殺すのが嫌なんでしょう?」

「でなければ同じ場所に留まって我慢しているわけないから」

看破されるとかね。 

 

でもそういう効果とかなんにもなくただ殺してる。

作者の無考えばかり伝わってくるキツい描写はノイジーなんです。 

 

  

 

3.不老不死毒ガス魔法の設定もてきとう

無考えノーアイデアストーリーの土台構造にも及びます

そもそも不老不死になり毒ガスを撒き続ける」って何のための魔法なんでしょうか?

その魔法を作った者の意図が全く触れられないので魔法がただのご都合装置になってるんです。

  

最大の障害無意味なご都合装置なので

その解析や理解や超克になんのドラマも生まれないんです。

 

 

この作品はミーリの挑戦のお話ですよね。 

ならば魔王から噴き出る呪いを解くには、魔王人格的に激突しないといけないでしょう。

魔王が「害意を持たず魔法に巻き込まれただけの人」という変化球でいくならば

その魔法の主の意図と激突しないといけないでしょう。  

 

不老不死毒ガス」という魔法がただの作者の都合以上のものであるなら、

その魔法を作った存在の願いなり祈りなり悪意なりがあるはずで、

ミーリがそれと戦ってこそ障害がただの障害装置以上のものになるんです。

 

なのにそこがなんにもないので

ミーリは努力して技能上げたので魔法を解けたって話になっています

 

問題解決障害克服がキャラの心の動きと絡み合ってないので

これはドラマになってないですよね。

 

 

4.国や勇者の設定もてきとう

作中説明によると

毒ガス耐性のある人間が数十年に一度生まれ勇者として育成される。

毒ガス散布者である魔王の侵攻を防ぎ、あわよくば魔王を倒して領土奪回するのが任務

これを何代もやってるっぽい。

  

なんで歴代勇者の誰も魔王の正体を報告してない?

 

たぶんどの勇者も何度も生還して何度も再討伐に向かって果たせず衰えたり死んだりして代変わりだよね?  

魔王に悪意はなく変な魔法にかかってるだけです。」

必要なのは国を挙げた魔法研究であの魔法を解くことです。」

「私は魔王との意志疎通やサンプル採取の任を負いましょう」

   

これを歴代の誰1人国王に進言しなかったのは何故?

 

 

無理矢理合理的説明考えるなら

歴代勇者全員国のことなどどうでもいいサイコで、

 勇者待遇が美味しいので長く続けることだけ目標にしてた。

 魔王のとこまでいって茶を飲んで帰って『今回惜しかったっす!』と報告してた」

とか?

 

あとは王家が実は魔王の正体知ってて八百長してるとか?

魔王が居座る地域が強い隣国の侵攻ルートになって国防資するとか?

まあそんな描写何処にもないし勇者送る理由が薄いけど。 

 

ミーリも何の戦果もないまま40年勇者やり続けてて

何で誰も「勇者が居てもいなくても同じ」って気付かないのだろうか?

   

魔王勇者八百長してくれるならちょっと王国に近付いたり戻ったりさせて

毒ガスが近づいてきましたが私が食い止めて押し返しました!」とか出来るけど

そういう描写もないですね。

  

 

5.二人はなんで恋愛してんの?

そもそもミーリがなんでこんなに魔王に惹かれてるのかわからないんですよね。 

 

ミーリが下層出身だとか、国王畜生でミーリを鉄砲玉みたいに考えてるって設定はまあわかる。

でも救国の英雄でそれなりに技能も鍛えた若き勇者承認してくれる人くらいこれまでにもたくさんいたはずでしょ。

 

魔王あんなによろめく理由が話の構造として作れてないので

そこを押し切る為に恋愛にしちゃってるだけ。

 

かに恋愛理屈じゃないかもしれないけど

フィクションストーリーでそこに頼ってモチベーション作るのはダメじゃない?

  

魔王から魔法詠唱がきれいだ」「教えることが向いてるかも」って褒められたのに

結局教師になってないからそこの誉め言葉ディテール無駄になってるし

こういうガバが無数にある。

  

何故ミーリは一人で研究するのか

目的明かして国立研究団作って進めれば数年で終わったのではないか

あたりまえのように何の説明もない。

  

二人の関係雰囲気で押し切っていて

あの境遇魔王からこそ言える言葉でミーリを変えたとか

この育ちと立場のミーリだからこそ魔王を変えた救えたとか

そういうのが何もない。

 

現実恋愛必然性は要らんけど

物語恋愛でこれはどうなんだろう。

魔王はそりゃ数百年で数人しか女に会ってなくて親身になってくれたら

選択余地なく惚れるだろうけどこれはお話なんだから

もっとお互いが特別である理由が惚れた腫れたや歳月の積み重ね以外で作れないとダメじゃないのでしょうか。

  

  

それにエイジズムって言われるかもしれないけど

恋愛モチベーションにしてるのに58歳で達成する話ってなんか変では?

 

別に年寄り恋愛するなとは言わないんだけど

そもそも恋愛尊いとも思わないので

この話が恋愛である必要感じないというか。 

   

     

6.恋愛抜きの話じゃダメだったの?

たとえばだけど 

勇者だがなんかの問題で疎外されて孤独だったミーリちゃん

魔王との交流で自信もらえたとか八百長で功績つけてもらったとかで

人と向き合えるようになった、社会に迎え入れられるようになった、

それで誰かと結婚して家族も持って幸せでした、じゃダメなの?

こっちの方がいい話じゃない? 

 

 

    

それだけじゃ魔王置き去りで薄情だっていうなら

孫の顔もたくさん見てそろそろ寿命を感じた老ミーリが

数十年ぶりに魔王討伐と言いだして家族心配されながら旅立って

国王には「実は魔王を倒す魔法を長年研究していました」「最後のご奉公です」と。

  

それで人のいない毒エリアで不老の魔王に再会して持参の酒でも飲んで

会わなかった数十年の自分人生幸せを報告をして

魔王によかったなあと言われて喜び合って。

  

私に人生をくれたのはあなたから

恩返しにその不老不死毒ガスを解いてあげたいと思っていた

あなたにも人と触れ合えて誰かと家族作って年取って死ぬ人生差し上げる

  

つって

驚く魔王魔法を長年の研究最後の力で見事に解いて

人間に戻った魔王と初めての握手でもして看取られて死ぬ。 

  

とかでよくない?

  

ミーリの悲願と研究は隠しておく方が

後半の展開のノベーッと一本調子なところも解消されるし。

 

 

7.まとめ

わかってる。

消費者感想でこうしろとかこうしたらとかとかまで言うのはやりすぎだと。

別に何が正解だとか決めたいわけじゃない。 

   

でもあの作品はあまりにあまりというか。

「作者の衝動もなくさしたる中身もなく置きに行っただけの”いい話”」で

「なのに緻密でもなく考えも足りず技巧すら感じられない作りガバガバ」で

「ページ数のわりに情報薄く展開も平板ドラマも驚きもないボンヤリ」で

これがネーム大賞って大丈夫なの?と感じずにいられない。

    

今まで仕事中に読んできたジャンプ+の読み切り漫画

もっとガチっとした構成ストーリー作品幾らでもあったような。

ネームだけで選抜してこんなフニャフニャガバガバが大賞?

   

  

この出来のもの読んで

「大好き」「泣いた」「最高すぎる」になるタイプの人めっちゃコスパいいよね。

全くうらやましくないけど。

 

ブコメ1 読まずに反論してるだろ系

fukken じゃがトマ警察の亜種かな。。

じゃがトマ警察検索したけど全然違くない?

リアリティ取材の話じゃなくて構成や設定がどうなんですかって話だけど。

  

その適当ご都合主義な部分を丁寧に描いたとしてそれで面白くなるのか、って話よ。

「頑張って魔法能力を向上させて意味わからん魔法が解けました」よりは…

  

創作というのは取捨選択。読ませたいもの面白くするための部品以外は全てを捨てる勇気必要

余分な描写はむしろたくさんあるって話を結構実例挙げながらしたんだけど。

まあ長いんだけどさ、あなたは読まずに反論してるよね。

ミーリはむしろこれだけの中身しかなくて無駄ページ多いと思う。

作画の人大変だったねって感じ。  

 

develtaro 大丈夫なの?は集英社心配することで審査員コメントにある「ポテンシャル」がすべて。この賞は完璧作品を求めているのではなく、将来の原石探しでしょ

2022/06/03 リンク

「まだ粗いけどこいつの熱とかポテンシャルやべえな!」ならいいけど

ミーリの作者はどうもそれの正反対な感じだよね

っていうことを書いたんだけど。

痩せた考え、打算を感じると。

 

つーかあなたはほんとにこれが荒削りの原石とかに見えるのか?

私の眼には「置きに行ってるなあ、もう成果が欲しいだけで描きたいことないんだろなあ」

みたいな印象です。   

 

alice-and-telos ジャンプ作家性を我慢してお約束キッチリやり切れる人が突き抜ける場所なんじゃないのかなあ。作家性はその内ほっといても滲み出るから、ほっときゃ良いやんと思う。

2022/06/03 リンク

あれにそういう抑えきれない作家性は全く感じないので

賞上げる必要あんのかしらと思った。将来性を買えない。全く。

  

studymonster つい最近特に理由もなしにモンスターの討伐をするモンハンが苦手みたいな文章読んだけどどこでだったかな。そういうのが苦手な人もいるだろうね。 2022/06/03 リンク

いや別に荒くれ者の話とか狩りとか連続殺人鬼の話とかなら

最初から最後までずっと生き物殺しててもいいんだけどさ。

関係ないけどサカモトの人死にって誰も得しない人死にだよね。

ただの初期設定ミスって感じ。

絵がかっこいい虚無。

  

ブコメ2 ミーリって恋愛モノ?

cinefuk 不殺テーマではなく、恋愛も大した描写がない。原案問題か、膨らます際の問題原作解釈違い)か。コミカライズと元のプロット大賞作品を並べてくれれば、読者も切り分けできるかも 漫画 増田 演出

2022/06/03

あの恋愛全然憧れないし惹かれないよね。

シルバー恋愛をきちんと描くってスタンスでもないし。

abczchang 5番目は問題やね(※イケメン)。他は難癖に近いし、6はそもそも恋愛から評価されたんやで。ジャンプなのにど直球の(中年女性向け恋愛モノが評価されるんやなぁという意外感はある(まあ意外でもないけど

2022/06/03

恋愛から評価された?中年女性向け恋愛モノ?そうかなあ?

この恋愛恋愛モノとして素敵!って言ってる奴女性読者にもいないでしょ。

もっとエモい」みたいなボンヤリした方向の評価じゃん?

作者は男だと思う。 

  

ブコメ3 情熱漫画読み様

daydollarbotch 漫画読み様はコスパ悪そうで大変だなあ

2022/06/03

漫画に限らないし、残飯食べて満足してれば最高にコスパいいんだよ。 

xevra なるほどここまで情熱的に推されては読むしかないな。相当な名作だな

2022/06/03

クソだなと思った漫画ですらちゃんと読む人間

ボヤボヤボヤーと読んで「最高すぎる!」って言う人と

十年続ければ豚とソクラテスぐらいの差にはなるよね。

これも漫画に限らず。

  

ブコメ4 そのほか 

dirtjapan 増田の言うとおりにしてたら正しい駄作しかできなさそう。

2022/06/03

増田の言うとおりにしたら成功するなんて言う気はゼロだけど

ミーリは「ガバガバしてて熱もなくおまけに駄作」だと思います

BLOGatBENJAMIN あれ、なんやかんやあったけど、魔王討伐した(討伐の正解が解呪だった)という話で、感動部分はおまけだと解釈していた。

2022/06/03

であれば解呪がミーリの最後の答えであることやそれが正解であることは

もうちょっと伏せて引っ張った方がよかったよね。 

  

kuzudokuzu ジャンプ+の読み切りはそこまでレベル高くないよ。

打率は知らないけど良いものはとっても良いぞ。

 

hisawooo ここは嫌いなものを語っていいインターネットですか?イケメン魔王にまほ嫁の気配を感じてしまい駄目だった。

2022/06/03

まほ嫁がわからないので無念。  

話それるけど

嫌いなものを語るのがはばかられるのはおかしいよね。

人間に対してとかならよくないかもしれないけど作品には言っていいと思う。

「この漫画が素晴らしい!」も「この漫画全然だめだ!」も等価だと思うけど

何故か前者言ってる奴は人格まで肯定的評価されて

後者言ってる奴は悪人マナー違反者のように見られる。

まあ全然気にせず好き放題言うんだけども。

 

maxk1 ここまでの粗探しに情熱を感じる ホントは好きなのでは

2022/06/03

漫画読むのと考えるのは好き。ミーリはお世辞にも好きではない。

ぜぶらもそうだけどこの程度で情熱や愛を誤検知する人って

すごくボンヤリやってるだけだと思う。

 

で好きな漫画

たとえばだけど同じジャンプ+で勇者魔王が出てくる読み切り

https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237324248450

はよほどかちっとしてて好きよ。絵もいいよね。 

子供が大量に死ぬけどミーリが竜に穴空けてるのと全然違うでしょ。

    

ブコメ5 怖い

hisamura75 そうまで言うなら、っていうんで読んでみたけど、増田そもそも読めてないのでは? 魔王はこのおっさん一人しかいない。これまでの勇者はみんな負けたんだよ/ファーストブクマ増田ご本人かな?

2022/06/03

???

 

魔王はこのおっさん一人しかいない。

魔王複数いるというような認識を書いただろうか…

 

>これまでの勇者はみんな負けたんだよ

戦う必要どころか意思すらない魔王にどうやって負けるの。

先代も事故死したと明言されている。

 

この人は増田文章もミーリも何をどう読んだのか全く分からない

1の「ほとんど読まずに反論してるだろ」系の人と違って読んだっぽい

それでこれ。

 

自作っぽいアイコンクオリティ含めなんか怖い人だ····

 

2022-03-27

anond:20220327215106

うそ

事実平板に述べても皆見たく無いもんは見ないで流しちゃうしね

2021-09-25

anond:20210925101501

紀元前539年にキュロス大王が、バビロンという都市占領した後、誰もが全く予想もしなかったことを行いました。奴隷になっていた人々を全員解放し、故郷に帰したのです。さらにキュロス大王は、人は自分信仰する宗教自分で選んでよいと宣言しました。彼のこの声明が刻まれた、「キュロス大王円筒」という粘土でできた平板は、史上初の人権宣言となりました。

人には権利があるという考え方は急速に広がり、インドギリシャ、やがてローマにまで伝わっていきました

2021-09-20

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

2021-07-08

anond:20210708171926

主筋から離れた話だけど

アクセント方言圏論適用すべきでない典型的な例

京阪式が東京式を侵略しているという説が定説というのは聞いたことがない

平板化と平進式を同じと考えて間違えているんじゃないか

2021-06-17

昔の俺「純文学小説とかクソでしかないやん」

昔の俺「意味不明ストーリー作品編集者とか大物作家とかが『凄い!凄い!』と褒め讃えて値打ちをデッチ上げてるだけ」

今の俺「純文学おもしれえわ」



ストーリー平板で、

謎のメタファーが堂々と散りばめれらてて、

謎のスイッチが入った登場人物感情を露わにしたり思い切った行動に打って出たり(例えるなら『故郷の村落の祭り山車が目の前を通り過ぎるのを見て堕胎を決意する』みたいな)、

「ここで切っちゃう!?」って唐突タイミング物語が終わったり……

みたいないわゆる純文学らしい純文学作品

『なぜかわからないけど、読み終えたらなんか良いと思った』

的な感覚大人になってようやく分かるようになった。

宮本輝、お前すげえよ。

2021-04-30

anond:20210423190012

川柳サラリーマン川柳として生き残ったというのなら、都々逸労働関係スローガンとしてこの先生き残ればいいんじゃないかな。

ちょうどメーデーも近いし。ああいうクセの強いスローガン都々逸形式でまぁるくおさめれば、労働団体の活動人口膾炙させることができると思うわけよ。

>男女関係だと生々しさを排除した平板ものになる。

ブラック企業とか、最近労働状況は男女関係よりよっぽと生々しいわけだし。

2021-04-23

21世紀都々逸がほしい

都々逸七五調7・7・7・5、正確には3・4・4・3・3・4・5のリズムは今の日本人にも心地好く聞こえる。けれども今の日本人都々逸を作らない。その理由は、たぶん、都々逸が主に扱ってきた男女関係というテーマにある。21世紀私たちが詠む詩は、男女関係だと生々しさを排除した平板ものになる。これでは面白くならない。21世紀ならではのテーマが見つかれば、都々逸復権もありえるのではないかと思うのだ。川柳サラリーマンネタでそれなりに保たれているように、都々逸に合ったネタがほしいのだ。

2021-02-07

「○ー○ー」型の単語でなぜ「コーヒー」だけアクセントが異なるのか

ほとんどの「○ー○ー」型単語は頭高(チーター)なのに対して、

コーヒーけが平板・もしくは「ヒ」がたかいのは何でなん?-

なお、略語に関してはその限りではない。(もしかしてコーヒー略語か?)

  • シーディ
  • エーディ
  • エー

2021-01-30

anond:20210129184651

ネット記事なんてPV集めてナンボなのに「簡単にできる」とかいうクソ地味で平板なワーディングして何しようっての?

それでも頭が悪いはやめたほうがよくて、簡単にできるにしたほうがいい理由が何かあるの?

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