はてなキーワード: 大人になってもとは
・国民への小遣い給付はめったにやらないのにODAにガンガン金使うのはなぜか
・学校や職場内での刑事事件について警察が告訴状を受理したがらないのはなぜか
・ハラスメント上司や教師への部下や生徒による怨恨殺人が統失案件を除くと何十年に一度くらいしか起きないのはなぜか
・モロ反社風の外見の奴が暴れまくって駆けつけた警官に掴みかかってくるなどしてもギリギリまで丁寧語を通し、現行犯逮捕を躊躇するのはなぜか
・負債を抱えて会社を潰して路頭に迷うどころか相変わらず高級マンションに住み高級外車を乗り回せる社長ばかりなのはなぜか
・他に選択肢はたくさんあるのにわざわざ殺人的に忙しい飲食チェーンでバイトを始める大学生がいるのはなぜか
よく世間では、障害は個性として云々って前向きに受け止めてその姿勢を賛辞するような風潮がある。
自分は幼少期の病気が原因で足に障害を持っているが、何十年経っても未だに健常な足が欲しいって思ってしまう。
歩くことはできるけど完全に足を引きずってる。
学生のときは体育が死ぬほど辛かったし、運動会なんて地獄だった。
大人になっても周囲の目は気になるし、新しく知り合った人に足のことを聞かれるのも辛かった。自然と視線は下を向いてるし、人の後ろを歩こうとする。
障害以外(ゲームとか歩きを伴わない娯楽)では楽しく生活できるけど、旅行とか温泉とかは心の底から楽しめない。
メディアとかに出てくる障害者はみんなちゃんと受け止めていてすごいと思うと同時に、自分の矮小さに押しつぶされそうになる。
金をかけたと話題のVIVANTを見て見たけど本当につまらなかった
全てがわざとらしくて金をかけたコントをやっているみたいだ
でもそこそこ視聴率が良いらしい
まともにドラマや映画が見たい層は海外ドラマとかにとっくに行ってる
残ってる層は細かい矛盾とか人間とはどういうものかとかに気づかない鈍重な貧困層で
なろう系とかワンピースとかを大人になっても見ている層に似ている
たまに例外があってまともな脚本家が書いてるドラマはちゃんとドラマとして見れるものがある
そういうのは普段海外ドラマとか見てる層も戻ってくるのである程度話題になったりする
今更MIPの劣化コピー見せられてもな
こういうのって会議とかで誰も突っ込まないのかな?
特に大学や大学院に進学する人間ほど、社会に対して能動的にかかわっている自分という意識が低い
子供としてふるまえる時期が長くなりすぎてもう子供っぽい振る舞いが大人になっても抜けなくなってしまう
その結果現代人老若男女みーんなガキ、ガキがおままごとで会社経営したり投資したり仕事したり工作したりガキ育てて、何世代もの人間が必死で紡いだ歴史をめちゃくちゃにしながら遊んでるだけ
いまやほとんどのことはマニュアルがあって系統立てられててゲーム感覚でやれちゃうから
言われたこときちんとやっていたらそれ以上何も言われない、というのが染みついているからひたすら指示待ち人間。
社会を動かしているという当事者意識から来る責任感や恵まれた環境に暮らすことの罪悪感なんかもちっとも感じられない
何かにつけて童心に帰りたがり子供を美化するところが最もガキである証拠
子供の記憶なんて無知と愚かさの連続だったはずなのにそれを賛美すること自体が理性的に真実を追求する現代社会の美徳と逆行している
あんな暗愚の時期に戻りたいなんてそれこそどうかしている
よくいる不登校児だったんだけど、
ワイの場合は小2〜中3までまるまる行ってなかった。
いじめられてたわけじゃないが、ADHD傾向があるので普通にクラスに馴染めなかったんだと思われる。
その後バイトしたりニートしたりしてたけどなんとか今は派遣社員だけど長く勤められてる。
かなりすごいな〜と思う。
できるだけ長く細く勤めたいなとか思ってるのもまあすごい。
今相性のいい仕事場に勤められてることだけで
かなりしあわせ。
同僚とかにも誰にも気づかれてないし、
ちなみにワイはまだ九九が言えないのだが、
でも九九は便利だから覚えておいたほうがいいとは思うけど
何が言いたいかっていうと、
うわ〜死にたいな〜!死のうかな〜!
と思ってる小中学生のそこのお前!
なんとか生きて大人になると、
いろいろなことそりゃいっぱいあるけど、
楽しいこともいっぱいあるし、
とりあえず20歳くらいまで生きてみて、
正午、自閉症の4歳の息子はおもちゃ屋で夢中になっていた。午後の療育の時間が迫っているが、彼は10時の開店から一向にここから離れようとしない。半ば強引にベビーカーに彼を乗せ、全力で駅へと急ぐ。
そこに突如、オープンハウスの営業員がチラシを持った手を出してきた。
水平チョップである。
危うく私の体にぶつかり転倒しそうなところをぎりぎり避けることができた。
なんとか予定時間の駅に到着。息子は電車内でベルトを外してしまうが、最寄り駅に到着。
息子は電車から降りた途端全力ダッシュ。私も子どもに「待って待って!」と大声を出しながら必死で追いかける。
今度は転倒しそうなことはなかったが、前方を走る子どもに待って待ってと大声を出してるところを、J:COMの男も「ティッシュ配ってます」と追いかけてきた。途中で諦めたのか声が遠くなり、最後に「今日はティッシュ配ってるおじさんです…」と小さく聞こえた。
オープンハウスとJ:COMの営業員たちは一体何を考えているのか。
属性的には子連れで営業ターゲットかもしれないが、明らかにチラシやティッシュを受け取るシチュエーションではない。仮に受け取っても立ち止まって話をする状況でないことは誰の目にも明らかだ。
仮にケガして血だらけの子どもを連れていても、チラシやティッシュを渡してきそうだ。
実際、以前別の機会に、咳き込んでいところをオープンハウスの営業にチラシを渡されそうになったことがあった。
状況把握能力が著しく乏しいのだ。
「状況把握能力が乏しい」
そこから、オープンハウスとJ:COMについて2つの仮説を考えた。
仮説2:状況把握しない、強引な営業が是とされている
仮説1が真であれば、これは素晴らしいことだ。自閉症スペクトラムの人々が状況把握に苦手意識を持つ一方で、その特性を活かして優れた業績を上げる可能性がある。オープンハウスとJ:COMはその特性を上手く活かしているのかもしれない。
しかし、現実的には仮説2がより可能性が高そうだ。それでも、自閉症スペクトラムの特性は活きる可能性がある。
息子には、療育や今後の成育を通じて他人に迷惑をかけないよう、その特性が抑えられたらと願っている。
しかし、もし彼が大人になっても、自閉症特性が影響するようであれば、いっそオープンハウスやJ:COMで働き、その特性を活かしてよい営業成績をあげて、自立した生活を歩んでくれたらと思う。
ここでいうこども部屋とは、文字通り小学生くらいの頃から使っている部屋がそのまま残っていて、それを大人になっても使い続けるという意味だったと記憶しているので、子供部屋がないならこどおじこどおばではない…のかな。
両親が虐待してくる人間だったとかで、子どもである自分が病んでしまって大人になっても抜け出せないみたいな話、これは仕方ない
どんなに努力しても乗り越えることが困難なことはこの世にいくらでもあるのだから
ただ、自分が一般と比べてメンタルこじらせてるままなのがわかってるのに、結婚して子供持つのは意味がわからん
トラウマを克服したつもりで子供持ったけど、やっぱ色々問題出てきてしまったな…とかならまだ理解できるけど、なんで対人関係がまともじゃないって明確なのに他人の人生に責任のある立場になろうとするんだよおかしいだろ
自分の持った家庭の問題の話をするときに、そもそも自分はヤバ家庭出身だからそのせいなの…とか言い出すやつはガチの馬鹿だし、不幸の再生産をするクソ野郎だ