はてなキーワード: 所謂とは
営業のせいで年末年始も仕事しなければならないことが決まったので、ウチの営業に対してずっと腹が立っていることを書きます。
入社した頃は営業と技術が喧嘩するとか都市伝説かコミュニケーション不足だと思っていましたが、最近はもう連絡がくるとイライラして泣きそうになるので末期です。できることなら喧嘩したくないので営業職から言い分があれば是非教えてください。
私の仕事は、お客さんの仕様書を読んで仕様書や図面を作ったり金額を見積もったりするよくある仕事です。いろんな機器をあつめて一つの製品にするので、ある程度システムは決まっているけど毎回1から設計します。
とか言って無駄に大量の仕事させるのやめてください。お客さんはどれかひとつしか買わないんだから、ヒアリングしてもうちょっと選択肢を狭めるのが営業の仕事なのでは?
設計なんてエクセルでちょっと計算して、ちょっと図書書きかえれば終わると思っているのかもしれないけど、一々検討が必要なので複数件数と変わりないことのほうが多いです。
部署全体で見積に時間かかってきているのは、最近そういう適当な依頼が増えているからです。やめてほしいときちんと毎回伝えているんだから、自覚してください。
② 「それは後から調整するところなのでとりあえず見積出してください!」
技術的な要求について対応が難しければ事前に書面確認を取るけど、契約事項についてはなかなかやってくれないのなんでなんですか?
契約条件で難しそうなところについて気づいたから尋ねたら「契約段階にならないと…でも大丈夫なのでとりあえず見積してください!」って言ってましたよね。それで技術的な項目については何度もお客さんと打ち合わせして、何度も見積改訂して、ほとんどウチに決まりそうだったのに、最後に契約条件を再確認したらダメでポシャった。虚無。それを何回かやっているのでなおさら虚無。
前にもあったのに信用した自分に呆れるし、信用するという行為をあきらめる自分が最低な気がして落ち込む。泣きたい。
③ 高圧的な人多すぎ問題
自分の言っていることは正しいですよという態度で語りかければ通ると思ってる人が多すぎる。所謂ハッタリというやつかもしれないけど、内部の人間相手にハッタリをかましてどうするんですか。あとハッタリでお客さんに適当すぎる説明をして技術に対応させるのやめてください。
④ 急ぎで作成させるくせにお客さんに提出しない人
3番までは全体にむけてですが、ここからは数名の個人に対する愚痴です。本当に急いでるからすぐに出してほしいとか言うから深夜残業してやったのに、お客さんにはずっと後になってから提出したやつ本当になんだったんですか。何回かやられましたが、こちらでは本当に急ぎなのか嘘を言っているのかわからないので、いい加減にしてください。
⑤ 電話でてすぐため息つく人
しかもため息が長くて、最悪名乗らない。ちなみに私だけじゃなく商社さんも私に言ってきたので、本当にやめたほうがいいと思います。歳が20近く離れていて指摘しづらいので誰か早く言ってくれませんか。商社さんには私が謝っておきました。
こちらだってできるものならやりたいです。人を傷つけるためだけの言葉を選んで言って、ごめんただの愚痴だから忘れていいよなどと言うので、私はあなたのことだけは一生嫌いでいると決めました。
終わり。
今年の所謂年末年始は半分以上勤務予定で、丸一年田舎に帰れていない者の取り留めのないつぶやきである。
患者さん(以後患者)は感染予防の意識があるのかないのか、しゃべりにくいという理由で高確率でマスクをわざわざ外して話そうとするのを毎回マスクをつけてくださいというのにも疲れてきた。正直あなたのために言っているのではなくこちらを濃厚接触者にしないでほしいという気持ちだけである。個室の患者にマスクなしの状態で泡をとばしながら詰め寄られ二重の意味で怖かった。高齢者とはいえ大柄の男性に詰め寄られることがどれだけ怖いか想像してほしい。高齢になればなるほど理性の箍が外れるのか威嚇や恫喝は当たり前で、何度も詰め寄られたり物を投げられた。コロナ患者はベッドを長期間占有するので経営と人員が圧迫される。医療機関への例の20万円はまだ…?コロナ病棟に関わる時の緊張は言葉に尽くせない。どこの病院も面会謝絶で患者はストレスが溜まっているのかスタッフに対する当たりがきつい。そしてすごく絡まれる。病気というストレス要因にさらに負荷がかかっているからしょうがない。
ただ、前からだけど正直男の人に夢が持てなくなった。女性も獰猛な人がいるので性別に限らないけれども。やっぱり筋肉量の差というか物理的な差は大きい。大柄な人を見ると将来介護大変だな…せん妄の時の抑制とか薬剤の調整難しそう…とか思ってしまう。そういえば記憶から抹消していたが、以前男性患者に言葉のセクハラ受けたことが何回かあったな…。とめどない不快感と予後不良な患者だということ、こういう心理状況だから言っているんだろうなっていう予測と。でもやっぱり気持ち悪さが渦巻いて、一瞬絶句した後受け流したけど、今思い出してもやっぱり気持ち悪い。今まで誰にも言ったことないけど気持ち悪かったよ。どの接客業にも有り得る話。
医療従事者でも危機意識はばらばらだとは思う。なぜ三世代同居の同僚の方が一人暮らしの自分より危機管理が甘いのか(食事等)疑問である。自分が感染していても自分が一人で苦しむだけだが、あなたが感染すれば祖父母を殺す可能性があることに意識が向かないんだろうか。我慢しているから…みたいなことを同僚が前に言っていたが、家族と同居してごはんを食べ、昼は他の職員と一緒にご飯を食べ、年始は家族旅行に行くと言っていたあなたのどこが我慢しているんだろうか。なったらなったときに考えるという他の同僚の言葉にボロボロに傷つけられながら一人でご飯を食べる。一般の人の無理解や行動にはそこまで傷つかないが、同職種の言葉や態度にはこんなに傷つけられている。クラスタ発生の医療従事者を断る医療機関のどちらの気持ちもわかるから辛い。友達からの食事の誘いを断るのにも疲れてきた。
少し前は所謂コロナ鬱だったんだろう、食事が食べられなくなって一か月で5㎏痩せた。体重が10%以上減少するのは正直危険だとはわかっていた。ここまで追い詰められたのは国試の時以来だったと思う。心の中をよくわからない不安が渦巻いて食べ物を見ても食べ物と思えず、ずっと動悸が収まらなかった。寝ることもできないし、這う這うの体でいつも通りの仕事をしていた。同期にも友達にも家族にも誰にも言えなかった。恐慌状態に陥って混乱していた。縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。夜な夜な色んなこと思い出してワーッとなるし、消えたくなる衝動が何回もある。生きたい人がいるとかもっといいことがあるとかそういうことじゃない。自分というものを飲み込んで、思考が覆われて身の置き場がない衝動。今は若さというか理性が衝動をねじ伏せているけど弱った時や理性が働かなくなった時が怖い。家族が死んだときの「もう逝ってしまった」という親の慟哭が耳に残って離れない。自分の患者が休み明けにいなくなっていることは何度もあった。老いも若きも関係なくあっという間に、少しのことで人は死ぬ。わかっているし、患者の死にももちろんダメージを受けている。それなのに家族というだけで死というものがこんなにもつらい…このダメージは何だろうか。ずっと前に祖父母がなくなったときに親がポツリと呟いたもうこれだけになっちゃったねという言葉が心に迫る。
当直明けのぼんやりした頭でこれを書いている。ずっと今年の頭からため込んできたよしなしごとをどこかに吐き出したかった。これくらいは守秘義務を逸脱しないし個人を特定されないと判断する。今年のボーナスは厳しいかもしれない。奨学金も家賃も待ってはくれないから働かないと。ほしいのは感謝でも賛辞でも卑下でもなく切実に金や資材だ。いつまで続くのか、そして出会いもないままこのまま独り身なのかはわからないが、だらだら頑張っていきたい。医療の基盤のお金も経済活動から生まれるので経済を回している皆さんには頭が上がらない。うまく言葉にできないが頑張ってくださいと言いたい。とある団体(グループ)のファンをしているが推しが楽しそうにおいしいものを食べて好きなことをしているのを見て救われている自分もいる。忙しすぎて机の上で突っ伏して寝ていたDrは、途中で何回も電話が鳴って起こされていた。その後食堂でスマホでドラマを見ながらご飯をかきこんでいる光景を見て好きなドラマをめいいっぱい見てくださいという気持ちになった。現場に差し入れというか製品を寄付して下さる企業もある。人が生み出すいろいろなモノに支えられている。ありがとう。
患者さんにはよくなってほしいし、予後が悪い人には少しでもいい時間を長く過ごしてほしい。自分が接する人は元気になって帰るというより完治しない病気とどうつきあっていくか、そしていつか訪れる最期を楽にするかという人が多い。痛みや苦しみをやわらげてあげて、ご飯を食べられるのならお楽しみレベルの好きなものをたべてもらって、お家が好きなら最期はお家で。家族の心の準備も大事なので少しずつ心づもりをして、家族も本人も穏やかに最期が迎えられるように。
この気持ちは嘘じゃないのに。
そして今からする話は、現実で付き合いのある所謂リアルの家族や友人の話であって、オンライン上の話ではない。
若い頃はプレゼントを予算内で悩みに悩んで贈っていたけれど、周りがほとんど社会人になったあたりで、お祝いのメッセージと、タイミングが重なった時にランチかお茶をご馳走する程度の気負わなくてすむ形に変えた。
お祝いのメッセージはと言うと、なんとゼロ。0、ZERO、零。ほんとに何もない。
同居している家族とは前日(23日)に喧嘩をしたので期待していなかったが、存在そのものをスルーされた。なかなかエグい。心にきた。
それを抜きにしても、リアル友人達からのお祝いメッセージがない現実に打ちのめされ、勝手に落ち込んだ。
今まで自分が勝手にお祝いしてきたのだから、見返りを求めるのはおかしいと頭では理解している。
それでも、おめでとうの一言が欲しかった。誕生日おめでとうと言われたかった。ありがとうと言いたかった。
あ〜〜コミュニケーション能力が欲しい。
https://ima.goo.ne.jp/column/article/9229.html
ギフテッド凄いね。この人はソフバンの禿に飼われてるみたいで幸せだね。でも本当の天才以外は興味無いのが禿らしい。てめぇ自身は凡人なのに。
結局この人レベルじゃないと周りは助けてくれないわけで、この少し下レベルや才能を発揮する方向が違うだけで世間は途端に冷たくなる。たぶん禿も見向きしてくれない。
天才の奇行は許されるべきという話もあるが、当事者にとっては別だ。実際自分がそうだ。
我が家は毒親じゃなかったし母親が専業主婦な昭和~平成の一般的家庭だった。自分は診断を受けたこと無いが所謂定型で弟がギフテッドだった。なんでもそつなくこなす弟に対して不思議と北斗の拳のジャギみたいな感情にはならなかった。そんな暇が無かった。
ギフテッドって『痴呆じゃない元気な若者』なんだよ。興味があれば何でもやる。家族とか気にもしないし世間体も気にしない。季節も時間も気にせずやりたい放題するので尻拭いは家族である。なんか徘徊老人の世話してる家族に共感を覚える。高速道路を歩くとかは無いけどそのレベルのやらかしはたくさんある。
ギフテッドに理解がある社会になればとかいう人も居るが、では貴方の家の敷地になんか分からないモニュメントを作られて「ああ、なんて素敵な作品だ」と縁側で茶をすすりながら眺める余裕があるか?賃貸物件の家主なら部屋がビビットピンクに塗られて「これは青春の怒りと葛藤を…」とか言って原状回復をしなくて済むか?もっと色々あるけど実際貴方に彼らの活動が降り掛かった時に受け入れるだけの度量があるのか?
禿の財団が尻拭いしてくれるのかは知らないが、してくれるなら最高だ。でも禿のお眼鏡に適わないレベルや方向だった場合、その家族や周囲にソフトバンク並みの資金と社会的地位を要求されるのだ。
禿の財団だろうと国だろうと、ギフテッドは鎖で繋げられないし、その被害は必ず多くの一般人に行くしその時全てを受け入れられますか?国の宝だと優しく接しられますか?私は弟は親族だし糞みたいな言動と行動の裏の葛藤も知ってるから好きだし、助けることに義務感を感じていない。普通の家族的思考だ。でも赤の他人のギフテッドは嫌いだし、出来るなら彼らの被害に遭いたくはない。
要するにSkebとかPixivリクエストとかで依頼したのに納品期限超過して絶望した話し。
「Skeb 不満」で検索すると言いたいことを書いていた人がいたのでコミッションサイトの問題点をあげつらうのは省略するが「人がお金を払って交わした約束事(契約)をほったらかしてアニメ見たりゲームしたり無料のお題箱に来たリクエストを平然と描いたり挙句には納品期日当日に他人家で遊んで”楽しかった~”とTwitterでクライアントが見ている可能性があるにもかかわらず平然とツイートする」社会性が一切合切ない絵描きが平然といることに気づいた。
それと同時に所謂イラストレーターや漫画家が社会的地位が低い理由も理解してしまった。
一部の漫画家は平然と「締切すぎちゃった~」とか「締切だけどゲームしてたわwww」とか平然と描いて担当者と揉めたとか漫画にして書いているけど、それはただ単に自身は約束事(契約)を守らないと告白していることに気づいたほうがいい。
いまじゃどこでも見かける”いらすとや”が出てきたときに自分は怒りを覚えた。
「イラストを描くことで生活しているプロの漫画家やイラストレーターを侮辱するとんでもない外道だ!こんなのを許してはいけないし使ってはいけない!」と。
しかし今、”いらすとや”がなぜ顕現してきたか、その理由がよくわかる。自分はこれから”いらすとや”様が制作されたイラストを積極的に使っていきたいと思う。
信用ないんだもの、イラストレーターに対して。平然と約束ぶっちぎって謝罪の言葉もないとか”ふざけるな”と怒鳴りつけたい。
Skeb や Pixivリクエストは納品期限超過したら全額返金はされる。しかし、依頼したクライアントからすればそれだけでは賄いきれないほど精神的ダメージが大きい。それもずっと見守ってきた好きな絵師であれば尚更。
納品されるまで二~三か月はかかる。短いと思うかもしれないが人生何があるかわからない。不慮の事故に巻き込まれる可能性だってあるし、身内に突然襲い掛かった不幸でイラストを描く気力を完全に奪われてしまい、依頼どころの話ではなくなってしまうこともあるだろう。
前者ならTwitterを見れば更新されてない、イコール、あっそういうことか…と想像つくし、後者ならTwitterで「身内の不幸によりリクエスト消化が難しくなりました。申し訳ありません」と一言書くだけで「それならどうしようもないな」とあきらめもキレイにつく。
でもね、締切当日に他人家で遊んでいるとかはないだろ?いくらなんでも。挙句にSkebアカウント消してんじゃねえよ。
「お前が過度な期待をしているだけの話だろ?」と言われたらその通りかもしれないが金銭が発生している約束事を反故にされたらキレたくもなるわ。
少女漫画について衰退しただの色々言われているけど、個人的には単に工業化しただけだと思う。少女漫画より以前に女性向け小説はもっと以前、70年以上前から工業化を迎えていた。主な要因は、ロマンス小説界隈ににおける寡占企業とも目されるハーレクイン社の方針である。この企業は自らを「ロマンス工場」と銘打って、システマチックな小説生産体制を作り上げた。システマチックというのは比喩ではなく、作家に細かいガイドラインを渡し「これに沿って描いてくれ」と指示し出来上がりにも具体的にNG要素を指摘する等して「規格外品」が出荷されないように気を配っている。作家募集や素人の原稿募集の際にも同じくガイドラインを示し「これに沿って描ける人」を基準にし、選考することによって沢山の作家を抱え次々に新作を発表しながらも「ハーレクインらしさ」を喪うことなく読者の期待を裏切らず作品の質を一定に保つことに成功している。これは発足当時の(大衆文学やコミックも含めた)文学には盲点の発想で、作家独自の個性とか奇抜な展開とか新しい視点の開発とか「売れる物語にはオリジナリティが必要」という固定観念を打ち崩したのである。そして、そういった固定観念と共に打ち壊されたのが読書のハードルであり、複雑な設定や作家による当たりはずれをたのしめないタイプの読者を大量に増やすことに成功した。即ち、激しい「喜び」はいらない… そのかわり深い「絶望」もない…平穏な読書生活とを求める顧客を開拓したのだ。これは所謂オタク(物語に精神力や頭を使いたい人々)以外の層にとって非常に効率的であり、今の日本における少女漫画はこれに近づいてきたのだと思う。文化の衰退ではなく、少年漫画とは進む方向性を変えた発展といえるのではないだろうか。
コロナで好きだったジャニの現場がなくなってモチベもなく自粛してた時、妹がよくわからないイケメンとビデオ通話で話していたのが彼のグループとの出会い。
所謂メンズ地下アイドル、しかもメンバー1人に対してオタクが1人いるかいないかくらいのガチ地底アイドル。
自粛期間は毎日showroomで課金アイテムを投げてビデオ通話で話し、Amazonほしい物リストを送りまくってた。強いオタクもいないので、対した金額を使わなくても彼の「特別」になれた。
相変わらずオタクは増えないのでチェキ数十枚を撮っただけで、dmで早めに情報を貰ったり、こっそりエアドロで写メを貰ったり、そんな日々の彼の「特別」であることに依存していた。
8月は現場の数もハチャメチャ増えて金銭面は本当にきつかったけど頑張った。50万円分の思い出がちゃんとあるし、18の私には大金だったけど後悔はしてない。
そんなある日いろんなことがあって彼のlineを見つけた。そこからいろんなことがあってほんとにいろんなことがあった。最初は楽しかった。優越感に浸ってた。
けれども素の彼は、アイドルで接してくれてた彼とは少し違う彼だった。
アイドルなんて9割そうだと思う。
彼の作り出すアイドル像と私の理想の押しつけていたアイドル像が私の中の彼だったから、素の彼を受け入れられなかった。
繋がって苦手なところとか、嫌なところは何個かあった。
好きになったところはひとつもなかった。
彼の作り出すアイドル像を好きになったんだから、それ以上踏み込んじゃだめなんだなあ、とその時気付いた。
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アイドルオタクやってるけど、最初は所謂茶の間ファン寄りだった。テレビやYouTubeで満足、CDやDVDが出たら初回限定盤のAかBか迷って1枚買います、地元にツアー来たら1回行きます。
でも友達もハマってくれて、一緒に話をするようになったらその子が今までのDVDとCDを全部一括購入した事が分かった。初回限定盤とかは在庫がなくてメルカリとかで安く買ったらしいけど、一気に使うお金の違いに驚いた。自分の方が前から好きだったという謎の意地から、ハマるずっと前のDVDは買ってなかったけどすぐに全部買い集めた。勿論DVDの内容は全部良かった。
新しいCDが出た時、なんの迷いもなく全形態予約してた。つられて全形態予約してしまった。勿論CDの特典は全部素晴らしかった。
一緒にコンサート行こうってなって、その子は当然の様に上限まで応募してた。2回当たっても3回当たっても行くつもりだったし、飛行機の距離もなんとも思ってないみたいだった。
私もコンサートには行きたかったし、何回も見られるのは素敵だと思ったから同じように応募した。1回のツアーで新幹線の距離に3回行った。勿論全部楽しかった。
勿論全ステとかグッズ全購入、CDを全形態×n買う人もいる中で、全然良心的な推し方だとは思う。
本人の意識も、オタク友達欲しいけどそこまで本気で追ってる訳じゃないから同じくらいの金銭感覚の人がいいな〜って思ってる。
私は「同じくらいの金銭感覚のオタク友達」に入っているが、無理ではないというだけでちょっとキツい。
お金を使うのに抵抗が無くなって、出来ていた貯金が出来なくなってきてる。
多分これからもちょっと切り詰めれば払える位のお金を、友人につられて、友人に見栄を張りたくて、友人に嫉妬したくなくて使い続けてしまうと思う。
無理に付き合って払ってる訳でもなく、強制された訳でもない。お金を払った分だけバックがあるから使ってしまったお金に後悔はない。ただ自分が払いたくて払ってるんだけど、アイドルに払ってるんじゃなくて自分の見栄の為に払ってる気がして虚しい。やめたい。
なんとなくだけど、彼氏や夫にはまってオタ趣味から足洗った元腐女子女性は、所謂「尽くす女」になる率高いと思う
SNSに頻繁に惚気を書いたり、彼氏や夫の趣味にひたすら付き合ったり、普通の女性なら引いてしまうような変態プレイに応じたり…
深夜の勢いで書き散らかすので長文乱文に目を瞑って欲しい。
——
もう30代も後半。結婚適齢期はとうに過ぎた。
付き合うと長続きするタイプだったので10代の後半から20代のうちは常に恋人がいる状態だった。
でも付き合う人付き合う人、みな暴君と化した。原因は多分私。
所謂機能不全家庭で育った。父親からの日々の暴力、母親は見て見ぬふりしつつ父親への愚痴とも悪口ともつかない黒い感情を私に注ぎ続けた。
母は父の従順な所有物だったので後から降って湧いた私には幼少期から家庭に居場所がなかった。
何故生まれてきてしまったのか、小学校低学年の頃から漠然と死にたいと思いながら育った為、自己肯定感もバイタリティも皆無な人間に育った。メンタルを病んだ時期もある。多分今でもどこかおかしいんだと思う。
それが影響しているのかは分からないが他人に興味が持てない。他人様のことを知ってもどうせ惨めな気持ちになるだけだし、増して自分を理解してもらいたいなんぞ烏滸がましいと思っている。それだけでなく、単純に「知りたい」という気持ちが湧かない。
だから、好きだと言ってくれる人を好きになった。私みたいな人間を好きだと言ってくれる人を大切にしなければと思った。大切にされる為には相手の要求を満たせる「いい子」で、従順であらねばならないと思った。
みな最初は優しかった。しかし私が従順であればある程、全てを受け入れようとすればする程、彼らの要求は大きくなり、期待値は高まり、それを満たせなかった際の落胆ぶりは激しくなっていった。そして落胆は怒りに変わり精神的・肉体的暴力で私にぶつけるようになっていった。
そういう状態に陥ると、私の中に私を責めるヤツが出てくる。彼を落胆させ怒らせるような事をするお前が悪いと。生きる価値のないお前を大切に(冷静になれば全く大切にはされていないのだけれど)してくれる人を失っていいのか、お前の努力が足りない、忍耐力が足りない、と。
相手の顔色を伺い、精神的にボロボロになりながらも、恋愛初期のような優しい彼を取り戻す為の苦行だと思って耐えた。この先に何があるか分からないけれど、耐えた先にはきっと輝かしい何かがあると。だからどうにか耐え忍ばなければならないと。最終的には耐えられなくなって別れを告げるのだけれど。
別れを告げると殆どの人が泣きながら去らないでくれと懇願した。自殺を仄めかして引き止める人もいた。情にほだされて撤回することもあったが、結果全員と別れてきたので今がある。
30そこそこの時に最後の恋人と別れて初めてゆっくり「フリー」というものを味わった。
最初は一人でいることが不安だったが、自分の時間を全て自分の好きに使っていいこと、誰かに何かを強制されず自分の意思で好きなことが出来ること、顔色を伺うことや他人の呪縛から解放されて生まれて初めて「自由」を味わった。新鮮だった、楽しかった、いや、過去形でなく毎日自由で楽しい、好きなことをしていていいってなんて幸せなんだろう。ここに来て仕事も上手く行き始めた。出来の悪い私はまだまだ「平均」には遠く及ばないだろうけど。
でも心のどこかで結婚して子を持たねばならないとも思っている。家庭を持ちたい気持ちもある。家庭を持った周囲を羨ましく思う自分もいる。
ただ、気持ちが追いつかない。婚活だの恋活だの、今の世の中溢れているけれど、他人に興味を持てない私にはメッセージのやりとりですら、相手の反応や見えない顔色を伺ってばかりで接待のように感じられ何も楽しくない。無理矢理会ってみても自分から好きになる感覚が全く分からない。ただただ面倒で、今の幸せを壊されそうで、また同じようになるのではと少し怖くて、すぐ音信不通にしてしまう。
どうしてこうなってしまったんだろう、どこまで戻ればまともになれるんだろう。
どうしたら私は「みんな」と同じようになれるんだろう。
もう、どうしようもないのかもしれない。
もう、なにもかも、とっくに手遅れな気がしてならない。
私は私を救ってやれない。何故ならこの気持ちをどうしたらいいのか皆目検討がつかないからだ。自死して迷惑を掛ける勇気もない。誰か私を助けてくれないか、それが無理ならいっそ殺してくれないか。
自由を楽しむ反面、仄暗い気持ちが常にまとわりついてきて、毎日気持ちがぐちゃぐちゃだ。
——
【追記】
独り言のつもりで吐き出したら存外に反応があって驚いています。
同じような境遇の方もいて同じように苦しんでいると知って私だけではないと少しほっとしました。難しいよね。「俺が正しい、君が間違っている」定型文で笑いました。あと「何故俺の言うことが聞けないの?」もあるあるな気がする。
私みたいな状態から抜け出した方もいたみたいで、私もそうなれたらいいな。
どうしたら人から好かれるのか、愛されるのか、という点で悩んでいる訳ではないんです。正直そこはもうどうでもいい。
恋愛に縋る気もなくて、というより恋愛はもう懲り懲りだし、生まれて初めて親や恋人からの呪縛から解放されて、一人で居ることが楽しくて満たされていて、この幸せを自分から取り上げたくないのだけど、まさに規範意識に囚われていて結婚せねばならないと考えてしまう自分との狭間で苦しんでいます。
義務感で無理矢理相手を探しても興味が持てなかったり恋愛に対する嫌悪感や面倒臭さや先立ってしまい、にっちもさっちもいかないこの状況に困っています。
親が死んで完全に一人になったら辛いだろうとは思うけど、結婚したら死ぬ時は一人じゃないなんて保証はどこにもないし、歪んだ家庭で育ったので良好な家庭を築く自信も正直あまりない。私みたいな思いをするのは私だけで十分とも思ってる。
でも、それでも、「普通」に対する強い憧憬の念が払拭出来ない。私にとって30代の「普通」というのが、結婚して子を持っているマジョリティの方々にあたるんです。
幸い仕事は楽しいし年収もまあまあ貰っているのでこのまま一人で生きていくこと自体は出来ると思う。
先述の通り、自分の中でも色々な気持ちが入り混ざり矛盾しまくっていて、取り止めもなく綴ってしまったけれど、私は自由を楽しんでいる私をもう少し認める努力をしようと思う。出来るかどうかは分からないし、こう書いている間にもそれを否定する自分を殺せずにいるけれど。
本日12月16日をもってコロナとの戦い所謂「勝負の3週間」が終わる。全日本国民の功績を後世に伝えるため、その戦いぶりを以下に記す。過不足あれば随時更新する。
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統計の数値は厚生労働省オープンデータより https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/open-data.html
増田の中学は東京や大阪ほど大都市ではないけど田舎でもない県の中高一貫校で多分偏差値は60くらいの県トップクラスではないけどアホでもない所謂自称進学校だった。
中2の時の担任は男で30〜40くらいの若くもベテランでもない数学教師だった。
何か理由があったわけでもないけど唐突にその担任に対していじめが始まった。
授業に際して教室の扉の鍵をかけて締め出したり、「〇〇はロリコン教師、死ね」って書いたプリントばらまいたりしたり、本人はとてもストレスになっただろう。
所詮中学生なので大人に対して暴力行為はしなかったが所有物の自家用車に傷を付けたりそんな小賢しい事ばかりしてた。
学年があがり、クラスがばらけるとピタッといじめはなくなったけどその後高校3年までその先生に謝ったやつは誰もいなかった。
最近SNSでいじめの主要メンバーがテラハの木村花さんがネットリンチで亡くなったことに対して「許せない」とか「いじめは良くない」とかコメントしてて、都合のいい脳みそしてんなと思った。
ただそれだけのお話。
外見が所謂合法ロリ。身長が低くて華奢で(食べても太れない)目の大きな童顔。20代になった今、普段は化粧や格好のお陰で未成年だと思われることは少ないが、小学生の頃からいい大人にナンパされ続けて今に至る。
ナンパというと流暢に喋るチャラ男を連想しがちだが、私の場合勝手が違う。何故かおどおど話すモサっとした男が多い。「俺幼い子が好きなんだけど…」と、わざわざ申告してくるやつもいる。制服姿の私にどもりながら「結婚してください」と言ってきたスウェット姿の男は相当気持ち悪かったし、そいつのせいで通学路を変えた。痴漢にあったことも死ぬほどあるし、1回示談になった男は引きこもりの中年で、親の金での示談だった。
外見的にはそうじゃない、コミュニティ内の男と付き合ってみたりもするが、向こうから告白してきて付き合うと「こいつロリコンなんじゃないかな」という不安が付きまとう。だから自分のことを好きそうな男はさけ、自分のことを一見好きじゃなさそうな男に自分からアピールしていく癖がついた。
長文でお気持ち表明するなら増田が最適だと増田マスターに教えられたので増田に来ました。ただの学の浅いオタクの文句でしかありませんから、きっと読んで面白い物ではないでしょう。
土曜に虹ヶ咲の11話があったじゃないですか。私はあれで1晩狂って朝まで壁打ちを続けて、日曜の晩の裏世界ピクニックのニコ生冒頭4分をきっかけにして朝まで壁打ちを続けて、月曜日は体力が切れててぐっすり暖かくして眠って、火曜に至ったんですよ。
そんなわけで、虹ヶ咲11話絡みのひっでぇツイートがきっかけでどうも百合好きが荒れているらしい、という事を察知したのは台風が去った後、と言った方がきっと性格なのだと思うのです。もっとも、その“百合好き”も簡易的にではありますが観測したところ、一部の界隈という表現が適切な規模感の様に思いますが。
件のツイート主について調べるとプリキュアの界隈で暴れてきた所謂“前科持ち”の様なお方だそう。関連動画もないのにニコ百の記述が充実してるのはたいてい地雷原ですし、プリキュアというのも守備範囲外の私がとやかくいう言う権利はありませんが、ともかくそういう人物の配慮に欠けたツイートが百合好きの一部界隈の怒りを買った、といった構図の様です。
元の投稿は既に削除されているようですが、削除前のツイートをみた私の所感を申し上げますと、コンテンツに対する向き合い方が私とは致命的に合わない人物であるようには見えました。ニジガク11話未見の方の為に具体的な描写の内容はここでは差し控えますが、要約すると「受け入れがたい描写をとある女性の『友情の暴発が原因一過性の物』だとの証言で安心して受け入れられるようになった」といった内容になるものと思います。
「受け入れがたい物を受け入れる為に他人の感覚に縋る」というのは少なくとも私の感覚とは合いません。受け入れられない物は受け入れられない物として拒絶するべきです。拒絶もまた1つの作品に対する向き合い方ですし、もし受け手にとって受け入れがたい描写がなされたのなら、拒絶するのが最も真摯な向き合い方であるように思うのです。批判をするのなら受け入れがたい物がなぜそぐわないか、を説明するべきであるように思いますが、拒絶する権利は誰にだってあるはずです。無理な物は無理。それも1つの正解です。もっとも、「無理な物を視界から排除しようとしないのであれば」という但し書きは必要な様に思いますが。
あるいは、どうしても受け入れるなければならないにしても、「他人がそう言ったからそうなんだろう」というのもいまいち好きではありません。他人の感想などという物は理解のガイドラインにはなり得ても、最終的に理解するのは受け取り手自身、というのが健全な姿なのではないでしょうか。「あの人が駄作と言うから駄作なのだ」や「皆駄作と言っているからアレも駄作だ」というような事を私の好きな作品は長い間言われてきたものですから、なおさらそう思うのです。
件の人物への恨み節なら荒れているニコ百の掲示板にでも書き込めばいい事です。わざわざ増田なんかに投稿するのは私が拒絶し、否定したいのが件の人物だけではないからです。
私が無理な物は無理と言ってしまって良いと考えている事は先ほど書いた通りです。元のツイート主はアニメを見ていただけで、わざわざ受け入れがたい物の中に踏み込んできて無理と暴れまわったわけではありません。“同性愛的な物を見るのは無理”という彼の素朴な感想は否定されるべきではないと私は考えます。排斥運動でも始めたのなら話は変わりますが、荒れたのでツイ消しして逃亡を図る彼にそれだけの事をする度胸があるようにも思えません。
私は荒れていた界隈についても拒絶したいのです。学が浅く、海よりも深い思慮の上で掲げられたこの世で最も尊重されるべき黄金色に輝く理想を推し測ることすらできない私には、荒れていた界隈の言う事が同性愛的な物を「受け入れがたい物」と表現する人物の言う事と何ら変わらないように見えたのです。友情と愛情の間に線を引き、それを超えたか超えてないかで一喜一憂する事と、異性愛と同性愛との間に線を引き、超えた超えないで一喜一憂する事、私にはどちらも同じくらい愚かな行いな様に見えたのです。そして、物語への感想と実際の出来事への感情をあまりにも簡単に接続し、発言者を否定して見せる様は、私には絶対に私にとって好ましくない人々と重なっても見えるのです。
結局のところ、この長々と続いた文章は、私にとって彼ら全てが受け入れがたい存在であった、以上の内容を持ちえません。あるいは、わざわざ受け入れがたい存在の方に観測気球まで上げてやはり受け入れがたい物であった、と結論づける私は彼ら以上に私にとって受け入れがたい存在であるかもしれません。ただ、恨みを吐いて無理な物を拒絶してみせなければ、クリスマスを健全な気分で迎える事が出来ない。だから、こうやって長々と拒絶するほか無かったのです。
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
自分は子供の頃比較的早期に親や教師から叱られることを避ける術を獲得していた所謂大人しく行儀の良い子だったが、それは単に危機に対する反射的行動をしているだけの動物にすぎなかった。
社会的な意味を理解して対応できるようになったのはボンクラだったので遅く、高校2年くらいになってからだと思う。子供は言うこと聞いてテストが出来れば親も教師も安心なわけで、社会ひいては世界についてまるで関心がなく自分の興味の赴くままに生きていられる環境にいたのは幸いであった。
個人的感想だが小学生は動物で良いと思うし、社会性に見えるのは自分のように反射的行動かもしれない。中学に入ったばかりならもちろん動物であろう。社会的動物に少し踏み出して行くのは中学校での学校生活からではなかろうか。もちろん根拠はない。
夢小説というのは本来女性が主人公に自分を重ねて読む物なので、男である自分は主人公に自分を重ねたり自己投影する事は無い。
かといって主人公とエッチするお相手の男性に自分を重ねる事も出来ない。
彼らはとてもハイスペックな素敵な男性で自分なんかでは比較する事も烏滸がましいし、夢小説は主人公の視点で進む事も多いのだから
読み方としては夢主人公に対して原作では見せる事の無かった振る舞いをする原作キャラを見て
「ああ、このキャラにはこういう一面もあったのかー」と感心したり「そうそう、こいつはこういう事言う!」とにやけるために読んでいるんだと思う。
言うなれば自分は干渉しない・出来ないし重ねる事も無いけど、全てを把握出来る神の視点から二人のイチャイチャを見て楽しんでるって感じだろうか?
【追記】
それと性欲目的ではないと思う根拠としては、どんなにエッチな夢小説を読んでもその作品を所謂「夜のオカズ」には使えない事を挙げたい。
【追記2】
これは肉体関係がある前提の夢主人公と男性キャラの関係が見たいからであって絶対に性欲とか関係無い事を予め断っておきます。
【追記3】
それとR-18夢小説だと♡喘ぎとか濁音喘ぎ物をメインに読んでるんだけど
主人公が「お゛っ♡♡♡」とか下品に喘ぐのは良いけど、男性キャラの方が♡連呼したり濁音で喘ぐのは解釈が合わないなあ…って思う。
そもそもリベラルって思想自体が本能で劣り、知能で優れる集団とその政治的主張だから当然自分達の価値を最大化しようとするわな
リベラルは差別をなくしたいんじゃなくて、有利だから知能の競争のみ許す世界を実現したい訳
まあ所謂ヤンキーみたいな地方で権力を持つ本能的に優れるタイプには良い思い出ないだろうし、まるで公立が地獄の様に公言することで他人を学歴社会に組み込みたいんやろ
男子校工学部・院メーカーエンジニアの経歴で、特に趣味はないため同世代の女性との接点は小学校以来10年以上0。
有料プランじゃないとメッセージが送れないらしくて、有料プランを登録する。
このときにプロフィール画像を登録しないといけないのだが、自分が写ってる写真自体がそもそも存在しないので適当に自撮りした写真を設定する。これがブランディング的にまずかったらしく、マッチしてもメッセージのやり取りし始めたら即ブロックされたり、やり取りできても3往復で終了するパターンが殆どで3ヶ月もしないうちに見切ってしまった。一年プランだったのでここで2万かかる。
次に自分は経験があまりにもなさすぎることに気づき、サポートが比較的充実してる楽天オーネットに登録する。スーツをそもそも持っていなかったりしたので事前準備と入会に13万くらい費やすことになる。
身長175で体重68くらい年収700くらいで、スペックだけで選べるプロフィール検索からの申込みが毎日のように来ていた。だが、いざ顔写真を相手に見せると即ごめんなさいされてしまうことがほとんどだった。確率だと8割くらい。残りの2割もメッセージのやり取りの途中でごめんなさいされるので、誰とも会えない。
この状況を見かねた専属アドバイザーがお見合いセッティングしてくれたり(一回5000円)、パーティの参加を勧めてくれたり(一回3000円)したのだが、お見合いは4回やっても残念な返事だし、パーティでも何も起こらない。
結局そんな状態が入会から3ヶ月以上続き、「必ず会えますよ」と言ってた専属アドバイザーに不信感を抱くようになりそのまま退会する。オーネットでの勉強料が計18万弱。
この時点で自分は女性にとって全く魅力のない人間であることに気づく。
スペックさえあれば一年で結婚はできると踏んでいたのだが、恋愛や結婚においては見た目やコミュ力といった人間的魅力のほうが重要なのだ。
服も親が買ったものばっかりだし、髪型も1000円カットで済ます。コンタクトつけたことない。普段はコンビニ惣菜かファストフードくらいしか食べない。話題は内輪で盛り上がる話題しか話せない。
所謂結婚できない男のテンプレを地で行ってるような生活をしていた。
その後で自分は努力のベクトルを変え、"普通の男"になるべく美容院へ行く、コンタクトにする、服をコーディネートしてもらう、ジムへ行く、海外旅行へ行ってプロフィール用の画像を撮るなど様々なことをやり始め、多少はマシになってきた。
今は30歳、女性への苦手意識はいまだにあるのだが、ピンクの9のマークの別のマッチングアプリで知り合った恋人と毎日楽しくしてる。
2019年10月の宇崎ちゃん献血ポスターへの反発を基に献血の拒否を呼びかけたツイートに端を発した『献血ボイコット』、ボイコットに対し「命を脅かす行為だ!」という批判が相次ぎ、その後も「献血ボイコットはなかった」という主張が出るなどして論争続いているわけだが・・・。
命を脅かす行為だというのに、献血ボイコットを訴える人々を叩くばかりで、「日本赤十字社法を改正して献血ボイコットを禁止しよう!」と訴える人が不思議なことに誰一人いない。「献血 ボイコット 日本赤十字社法」と「献血 ボイコット 赤十字社法」でツイート検索したけど、前者で1件ヒットするだけで、その内容も法改正を訴える人が誰一人いないということをつぶやいているだけ。
それに、反対を訴える人々が所謂「表現の自由戦士」と呼ばれる類のクラスターに属する人が多く、献血・医療関係者の声が極端に少なすぎるのも不可解。私がざっと検索した限り、以下のツイートしか確認できなかった。
これは随分前の話だし、私は男女論や対立をさせたいわけではない
ただこんなことあったなあという思い出と、結局人によるという話でしかないことをふと思い出した
その時は夕食を一緒にとろうという初デートだった
相手が良い店を知っているので任せてほしいというので任せておいたが、当日その良い店は満員御礼二時間待ちの列となっていた
私は勝手に予約をしているのかと思っていたが予約はしていなかったらしく(別にこれは予約していなかった相手が悪いとは思わない)
そもそもハイヒールをはいてくる方が悪いと言われてしまえば何もいえないが、一応初デートお洒落をしたいという気持ちもありハイヒールをはいていた
そのため歩いているうちに足が痛くなり、正直どこでも良かった
もともと所謂安い汚いラーメン屋にも一人で入れる女なのでおしゃれな店でなくてはという気持ちもなく(これも事前に相手には伝えてある)
しかし、どうしてもココイチはイヤだと相手がいうので、結局相手がせめてここでといったココイチの近くにあった鰻屋さんに入った
鰻は美味しかったが割愛させていただき、会計は割り勘と元々決めていたのでレジで別会計をお願いした
結果振られた
何故ミスコンは問題視されているのか。とある記事を見てふと思ったことをここにつらつらと書き連ねておこうと思う。
元来見た目の美しさは望んで得るためにはあまりにも失うものの多いものであり、もって生まれた人々はそれを活かして何が悪い、作家が本を出して賞を貰うのと本質的には変わらないのではないか、というのが私の基本的な意見である。大体美しい人々はその見た目を誇り努力も重ねているのではないか。
「ブサイクコンテスト」のような見た目で人を貶めましょうというコンテストというわけではなく、持って生まれて努力した人が自分の努力や美しさという才能を評価されたい、つまりは自分を更に好きになりたいという願望の現れが「ミスコン」なのだから、いいじゃないか、べつに。どこがダメなんだろうか。「お金持ちは必ず募金をしなさい」くらい違和感がある。
そもそも人という生き物は、美しい見た目をしている方がより社会に適応しやすい。例えば、就職活動だとか、友達作りだとか。
就職活動に関しては「容姿端麗」を必要とする仕事も多くあるし、目立つ人と友達になりたいという気持ちは割と多くの人が持っているものなので、それも不健全とは言い難い。
ミケランジェロの「サン・ピエトロのピエタ」という作品を皆さんはご存知だろうか。
とても美しい彫刻作品で、私は初めて見た時に本当に衝撃を受けた。
今までは全く興味を持っていなかったのに、私はピエタを知って初めて彫刻について調べたのである。ピエタがどうやって作られ、なぜ作られたのかを。
美しいと思わなければ調べようとは思わなかっただろう。見ても数十秒後には忘れて、きっと別のことを考えていた。
この人類の長いようで短い歴史の中で何回も言われていることだろうが、結局見た目、最初の印象で心惹かれなければその人のことを知ろうとは思いにくい。ふとした時にその人が持つ良さなんかを何かで知って興味を持つことはあるけれど、見た目が100%好みの人間のことの方が知りたくなりやすい、と私は思っている。そう、これはどう足掻いても拗らせた高校生の拗らせた思想の切れ端で、ここまで読んだ方はお気づきだろうが、私は美しさとは程遠い見た目をしており、美しい人々に尊敬の念を抱いている。
多くの人間にとって相手の見た目というものは、相手を判断する大きな材料である。
最初に述べたように、所謂ルッキズムのようにそれで差別され、不利益を被るのならそれはもちろん是正されるべきである。
しかし、誰もマイナスにならない、一部の人間がプラスになる、というのであれば別にそのままで良いのではないだろうか。
その人がもって生まれた長所がたまたま見た目だったというだけで、その長所がなかった事にされては気の毒だろう。長所はどのようなものであれ平等に評価されるべきである。