はてなキーワード: 精神力とは
他の人がしてきた経験をしてきていない、という面もあるかもしれないけれども、逆に他の人がしてきていない経験をしてきている、という面もあると思うよ。
スポーツで培ってきた体力、精神力、思考力、人脈、経験、色々あるはず。
絶対無駄にはならない。
世の中のプロスポーツ全体を見れば、30過ぎて残る人のほうが少ないのだから、そうでない人はそれぞれ、それなりに色々なところで頑張っているはず。そういう人に会いに行って話を聞いたり、体験談を読んだり、そういう人を支援している団体に問い合わせてみたらいいんじゃないかな。今やっているスポーツでも、協会とかがそういう支援をしてたりするんじゃないのかな。
今までやってきたことで無駄なことは何一つ無いって、とりあえず信じてみよう。
そしたら少し気分が楽になって前向きになって、次の一歩を探しやすくなるかもしれない。
睡眠、運動、瞑想、バランスのいい食生活…この4つの習慣を身につけるのにもある程度の精神力がいる。特に、既に鬱っぽかったり、発達障害などで生きづらさを感じている人にとっては、そんなん言われなくたってよーく分かってるけどできねーからつらいんだよ!という思いがあるのではないか。
そこで、睡運瞑菜に代わって「ストレッチとトリプトファン」というのを推したい。簡単に言えば、ストレッチが「運動・瞑想」、トリプトファンの摂取が「睡眠・野菜」の第一歩になるのではないかという考え方だ。
ストレッチは運動として一番とっつきやすく、疲労回復効果もあり、翌日の反発もない。その上、まじめにストレッチに取り組み始めればある程度は筋肉を使うことも実感できると思う。自分自身をより良い状態にするために身体を動かしているのだという自信を即座に得られるのも大きい。慣れない状態で筋トレやランニングをすると、かえって翌日以降のコンディションを損ねて精神的にも落ち込んでしまう可能性がある。その点、軽度のストレッチは限りなくリスクが低く、得られる効果が高い。
身体が硬くてストレッチが苦手だという人にありがちな間違いが、痛くなるところまで筋を伸ばしてそれを我慢しなくてはならないと思い込むことだ。「痛気持ちいい」でもいけない。まったく痛みを感じずに「ちょうど筋が伸びていて気持ちい、でもここから少しでも倒すと痛くなるだろう」というところでゆっくり10回呼吸するだけでいい。
ストレッチは瞑想の代用とすることができる。身体の内側がどうなっているのか意識を傾けて、ゆっくりと呼吸をする。それだけで立派な瞑想的な行為といえるはずだ。坐禅や特定のヨガのポーズなどは「瞑想するまさにそのために、それをするんだ」という目的を強く持てる人じゃないとなかなか続かない。安心して見てもらえる師匠みたいな人がいる環境でない限り、ネットで見聞きした情報だけで瞑想を始めるのは万人にはオススメできない。
起床直後にするなら動的なストレッチがいい。ラジオ体操と若干似ているが、身体を目覚めさせるように、息を吐きながら身体を伸ばす(倒す)というのを1秒ごとに10回繰り返すとか。一番怪我をしやすい時間帯なので、上とかぶるが痛みを感じるところまで倒してはいけない。また、寝る前ならジワジワと伸ばす静的なストレッチが好ましい。副交感神経を優位にするイメージで、半目の状態でいかにも眠くなりそうな感じでやるとよい。
個人的に最もコスパがいいと思うストレッチは、合蹠(がっせき)のポーズ、長座前屈、開脚前屈の3つだ。合蹠のポーズは無理に体を前に倒さなくてもよくて、膝を揺するだけでも股関節まわりがほぐれてくれる。長座前屈は、つま先に手を触れようなんて思わなくていい。膝裏と背筋を伸ばして真っ直ぐに座っているだけで十分ストレッチ効果がある。慣れてきて物足りなくなってきたら上体を前傾させればそれでいい。開脚前屈も同様で、90度の開脚、身体は真っ直ぐ起き上がっていても問題ない。ももの内側が伸びているなーという感覚が得られるところで止めるので問題ない。
次に、トリプトファンだ。朝にトリプトファンを摂取すれば、昼に光を浴びてそれがセロトニンになり、夜にはメラトニンが分泌されて眠くなるという。3食バランスの良い食事や野菜350gなんていきなりは無理なんだから、まずは起きた後の栄養素のことだけ考えてみるのだ。トリプトファンの摂取を「野菜・睡眠」のきっかけとしてみよう。
ご飯派であれば納豆や卵かけご飯、豆腐・お揚げの味噌汁が手っ取り早い。味噌汁はインスタントでも全く問題ない。朝に味噌汁って偉くない?なんか気分いいよね?と思えることが大事だ。パンはご飯よりそもそも多くのトリプトファンを含むらしいが、しいていえばベーコンエッグやスライスチーズを乗っけたトーストが楽だと思う。
朝が苦手な人は、昼食や「起床後の食事」に意識するだけでもいいと思う。要は、寝る前の食事でトリプトファンを摂取してもすぐにセロトニンやメラトニンに変換されるわけじゃないということだ。1日あたり必要な量のトリプトファンは、日本人であれば普通の食生活で充分摂取できているとされるが、ちゃんと朝(起床後)に摂取できているかを気にするべきだ。セロトニンが足りないと脳がハッピーになりにくいし、メラトニンが足りないと寝たくてもなかなか寝付けない。睡眠習慣に悩んでいる人はトリプトファンに着目してみてはどうか。
ちなみに私自身は栄養学や脳科学の専門家ではないし、そもそも高校生物すら履修していない。明らかな間違いがあればコメントやトラバで指摘して欲しい。ちょっと調べれば分かるが、上記の全てだっていわゆる「ネットでかじった程度の情報」のまとめでしかない。しかし自分の場合は、ストレッチとトリプトファンのことを考えるようになってから、毎日死ぬことだけを考えていたような状態から、なんとなく人生を前向きに考えられるまで復活してきた。
勢いで書いたら長くなり過ぎたので、短縮バージョンをまた書くかもしれない。でも、一人でも多くの人に生活習慣改善のきっかけとして見てもらえると嬉しい。とにかく、生きづらさを感じているはてな民に幸あれ。
ずっと羽生結弦が嫌いだった。
発言は優等生、行動はドラマチック、絶対王者の名に相応しい勝率。それにあの綺麗な顔と、二次元から出てきたような体と、二次元のキャラクターみたいな名前の字面。
肝心のスケートは全く好みではないが、並の実力と精神力では不可能なジャンプの堪え方と、演技中にジャンプの構成を即座に計算・変更する頭の回転は尋常ではなく、そこだけは本当に認めていた。
どこを取っても全く隙がなく、面白くなくて不愉快で大嫌いだった。
自分はあまり人気ではないスケーターのファンだったので、僻みだとか言われたらあまり否定できなかった。
僻み半分、完璧すぎる存在へのおぞましさ半分といったところだろうか。とにかく嫌いだった。
それが、平昌五輪で変わった。
もともと好きではなかったので、あまり見てなかったために今まで気付いてなかったことは多かったのかもしれない。動画などで彼の演技をとりあえずおさらいするくらいのことはしていたが、ただの流し見で足元までは注視していなかったので、今までも同じことはあったのかもしれない。
ショートプログラム、怪我でずっと休んでいたのに素晴らしい演技だった。相変わらず魅力は感じなかった。でもやっぱりすげぇ奴なんだなと思った。
これは両足着氷の判定になるはずの降り方だった。きっとそれは本人が一番わかっているはずなので、いつもの通りすごいリカバリーをしてくるのだと思った。
彼も怪我でしばらく氷に触れていなかったとのことだったので、まだ本調子でないのかもしれない。後半は失速し、3回転ジャンプの着氷も乱れ、ステップパートは彼らしい気迫が見られたが、繋ぎのスケーティングは遅く、これは宇野ハビエルの演技によっては金メダルを逃すかもしれないと思った。
しかし実際はそんなこともなく、フリーレッグのことはなかったかのように満点のGOEがつけられ、後半明らかに滑りきれていなかったスケーティングも素晴らしく加点され、彼は金メダルを獲得した。
このような事はこの競技ではよくある。
演技以上に何故か不明瞭な加点減点がされる、それはもう10年以上もこの競技を蝕む癌のようなものである。銀メダル銅メダルの選手にも、それがないわけではないことは知っている。
しかし自分が嫌いになった羽生結弦はプライドが高く、スケートにひたむきで、「全員がノーミスの中圧倒的に勝ちたい」と発言するなど、誰よりも高みを、競技の成長を望む人物だった。こんなことで満足するわけないと思った。不正な採点をされたとまでは言えなくとも、「満足はしていない」くらいは言ってくれると思った。
それなのに現実の羽生結弦は涙を流して連覇を喜び、他の選手の肩を抱いて健闘を称え、とても満足げだった上にあろうことか「演技が終わったとき(SP僅差の2人が後ろに控えてるにも関わらずに、だ)勝ったと思った」とメディアで発言した。
なんだそれは。
見間違いだっただろうかと何度演技を見直しても、フリーレッグの着氷を主張するように削られた氷が飛ぶ。
安藤選手が「もっと流れのあるサルコウを飛べるはず」と完璧ではなかったことを指摘する。
首相が祝電で後半の疲れを指摘する。
右足靭帯損傷で全治何週間とか報じられていたのにも関わらず、検査ができてないとか注射ができない位置だとか(注射ができない足ってなんだ)、まぁ紆余曲折あってあんまり良くないので団体は欠場、痛み止めを飲んで競技に臨みました!と言っているのに、よくないはずの右足を携えて表彰台に勢いよく飛び乗ったりする。その後のインタビューではやっぱり「良くない」と言うのに、21日の練習では問題なくアクセルジャンプを飛びまくる報道があった。日の丸を大事にするくせに団体戦は休むほど重症だった足は、ある日突然治るものなのだろうか。
おまけに怪我の休養が明けて五輪に出たらまぶたが二重になっている。
今は社会からみたら若いほうの人間として年上の人の時代錯誤的な振る舞いや言動にギョッとすることがたまにあるけれど、
・今はギリギリ許容されてる差別的な言動に自分で気づけなくて、それが許容されなくなった未来にハラスメント老人になってたり、
・長生きして自分の世代が多数派になったときに将来の若者世代の痛みを理解せずに、経済的に逃げ切るためのような行動をとってしまったり、
・加齢が原因で体力が落ちて精神的な余裕もなくなりあらゆることにイライラして周りの人の余裕を失わせたり、
そんなふうに気づかないうちになってしまうことが怖い。
思いやりの気持ちでそうならないように対処していきたいけど、精神力の源泉は健康・財力・体力だと思うと身もふたもない感じでつらい。
知人よりは親しいが、親友という程でもない、友人の結婚式が終わった。
自分はムービー制作、余興、ウェルカムボードの作成などを頼まれてやった。
毎日定時に帰れる職種ではないので、無理だと断ったけど、どうしても!と強引に言われ、結局引き受けた。
余興メンバーとの連絡やり取り、新婦からの要望すり合わせ、メンバーや備品の発注スケジュール管理と材料調達、動画とボードの作成時間。余興の練習。
2ヶ月分の土日は丸々潰れたし、材料費交通費練習用スタジオ代もそれなりにかかった。その間、他の余興メンバーと意見の食い違いがあったり、新婦の要望の多さなどを巡って何度も喧嘩した。
当日は朝早くから美容院でヘアメイクをし、安くないご祝儀を払い、余興があったので飲まず食わずのまま裏方で待機。
裏方に居たのでムービーを見ることも、挨拶も、両親へのメッセージなど聞くこともなく、笑顔で見世物に徹した。
新郎新婦とはろくに会話もできないまま、おめでとうと声をかけ、なんとなく写真を撮り、終了。
感謝の言葉はもらった。お礼の菓子折りも頂いた。でも、失ったものが多すぎて切なくなる。
ムービーって、余興って、用意するのにどのくらいのお金が、時間が、労力が、精神力がかかるのか知っているのだろうか。
ただの安い労働力かつ賑やかしのピエロとして使われた印象しか残らない。
今は、もうわからない。
とりあえず、この式に参加することで、自分は不幸になったと思う。
私は自分自身が毒親にならない自信がなくて、今までそういう本を読み漁ってきました。
実際そうできているかは、子供達が大きくなって、家庭の価値観にとらわれずに物を見ることができるようになるまでわかりませんが。
母親になるために我慢することも諦めてきたこともたくさんあります。
おかあさんだから諦めたのではなく、おかあさんになるために自分で選択したのです。
私の辛抱は何においても一つも子供のせいではなく、だから子供は少なくとも私の犠牲の上に成り立ってはいない。
そして私は私の責任において、時にちょっとした我儘も言う。しかし決してそのために子供を不幸にするようなことがあってはならない。
その我慢をどこに噴出させることもなく最後までやり遂げるのは美談かもしれないが、
余程強い精神力と体力の持ち主でなければ最後まで無理をやり遂げられる人間などほぼいないのだから、
自分を過信しないで、自分の感情は自分の中だけできちんと処理できるよう、休むなりして対策を取る。
それほど器用にできてはいないかもしれないが、そういう私の姿勢から、我慢や無理をしすぎず責任を果たすということを学んでくれることを願っている。
そして子供も、誰からの負い目も感じることなく、誰のせいにもせず、自分自身の責任において、そして決して無理をすることで自分を追い込まず、しっかりと人生を歩んでいって欲しい。
それが私の見つけた、子供を愛するということです。
あの、おかあさんが諦めたものや我慢しているものばかりを恨み節のように挙げ連ね、最後に全部あなたのためよ、あなたを愛しているからなの、と呪いのように締めくくるあの歌が、まだ幼い子供に向けて発信されることは、私の努力が水の泡になるということなのです…
だから、あの歌を許容することができなかった。
(みなさんがおっしゃる通り、大人向けに作られ、子供が触れることがない歌なら、まああまり好きな考え方じゃないけど…という程度で、それほど攻撃する必要もない話だったのです。)
それを言いたいがために、あなたを傷つけてしまったことは本当にすみませんでした。
10年前くらいに鬱で死にかけました。
そんなわたしが色々なことを経験してみたどり着いた5秒で幸せなる方法。
それは、目を閉じて軽く深呼吸して心のなかで「許す」とつぶやくこと。
慢性的な人手不足で月の残業時間は300時間超え。(もちろん手当は雀の涙)
20代後半から5年くらいはまともに休みもなく、いつもお店にいました。
家に帰るとわたしと同じ実家住まいの5つ上の兄、冷え切った夫婦仲の両親。
母がけしかけるせいで父と兄の仲は最悪に悪く、父の一挙手一投足に兄が舌打ちやらいらだちを見せ、家の中は常に緊張の糸が張り詰めている状態でした。
仕事では体力も精神力も尽きるまで働き、家に帰ると親兄弟の顔色を見て釣り糸の上を綱渡りするような生活でした。
兄は極度のマザコンで、父が母を苦しめていることが許せなかったのでしょう。
母も、それがわかっていながらわざと兄の前で父からの仕打ち(といっても正直しょうもないものばかりでしたが)を、さも不幸な様子で語っていました。
(わたしはそれがわかっていたから母の話はほぼ聞き流していました。それがあったからなおさら兄にばかり頼っていたのかもしれませんが)
仕事中、いくら忙してく返事ができないといっても5分おきに着信履歴が溜まり、留守電にはわたしが助けてくれないから不幸になるといったような呪いの言葉が溜まっていました。
(困っているから助けてくれではなくて、わたしが困っているのはあなたが助けれないからだ、というような内容です。母を助けない子供は悪い子。子供に助けてもらえない母は不幸。という呪いです。)
そのままベッドに倒れ込みたい気持ちを我慢して、母からの頼み事を聞きました。大半はしょうもないものばかりです。お金払って業者に来てもらえば終わるものです。
もちろんありがとうはありません。
彼女にしてみればわたしが手助けしなかったせいで不便を強いられていたのですから、直したところで普通を取り戻した気分でしかないのでしょう。
こんな毎日が、終わりを見せる様子もなく続きました。
ある日、いつものようにお店に立っていると入って一ヶ月くらいの新人さんがぎょっとした顔をしてこちらを見ています。
「え?○○さん、どうして泣いているんですか?」
【そんなことはない】そう言い返そうとしても言葉がでてきませんでした。
その時はじめて自分が泣いていることに気が付きました。
泣いていることに気づいた途端に、目からは更に涙が溢れ、何か説明しようにも頭のなかで次から次へと湧いてくる言葉が嵐のように渦巻くばかりで一向に口から出てくることはありませんでした。
わけもわからないままに控室に飛び込むと、次のシフトで出勤予定のこれまた入りたての主婦さんが驚いた様子でこちらを見ていました。
やはり何も説明できずに、ただひたすらに涙が流れる目で相手を見ていると、主婦さんは表情を柔らかくして優しく言いました。
それだけ言うと、わたしの両肩に優しく手を乗せてしょうもない世間話をはじめました。
それは何かに対する愚痴や不満ではなく、毎日のちょっとした発見や何でもない出来事の話でした。
それがどれだけの時間だったのかわたしにはわかりませんでしたが、ようやく嗚咽が止まり状況を説明しようとするとその人はただ「大丈夫よ。わたしに気を使う必要はないから。」とだけ言いました。
途端に新人さんだけをお店に取り残していることを思い出し、お礼もままならずにお店に戻ってしまいました。
次の日、お店の開店準備だけ顔を出すとその日は久しぶりの休みを取ることにしました。
お店に自分がいないことはとにかく不安でしたが、それこそ倒れてでもしまったらどうにもならないと考えたからです。
太陽が明るいうちに街なかを歩くのは本当に久しぶりでした。
ビルの谷間から雲一つない青空を見ていると、自分の心の中も綺麗さっぱりに晴れていくような気がしました。
最初はあえて着信を無視しても、履歴はあっという間にたまり、最後に留守電が一つ入って止まりました。
今まで休むことなく自分を犠牲にしてきて、罪悪感に苛まされながらもやっと取った休みを奪うほどの用事は一体何だ、と。
それを横で聞いていた聞いた兄が、今度は「親に向かってその口の利き方は何だ!」と怒鳴ってきました。
わたしはテーブルをひっくり返しました。目につくもの全てを床にぶちまけて叫びました。
「これでわたしが悪いと言うならわたしには生きている意味がない!xんでやる!」
明らかに二人が動揺したのがわかりました。
それでも兄は強がって「何があった。聞かせてみろ」と言ってきました。
馬鹿か。お前に聞かせてどうなるというのだ。また家族の愛だとか綺麗事を並べてわたしを縛り付けようとしてくるだけではないか。
それ以上何も言わぬ二人をおいて、自室に戻りました。兄も母も追ってはきませんでした。
それまで、正直に言うと何度か死んでしまおうと考えたことがありました。
それができればどんだけ楽になれるか。
でも、そんなことをすれば周りが悲しむし、それ以上に迷惑をかけてしまう。
そう思ってはできるだけ忘れようとしました。
しかし、もちろん状況は一向に良くなっていきません。その思いは段々と強くなってきていました。
だからこそあんなことを口にしたのだと思うのですが、その瞬間に、こんなやつらのために自分の命を犠牲にしようとしてだなんてことが心の底からバカらしくなってしまいました。
誰が言い始めたのかもわからない、そんなつまらない思い込みで自分が追い込まれていたのだと気づいてしまったのです。
「バカバカしい。」
口に出してみると、ここ数年の自分の生活全てが本当にバカバカしく感じられました。
今まで一体何をしていたのだろう。
「あなたが何かを許せないと思うとき、あなたは同時にその何かから許されていない。」という言葉でした。
なぜその時その言葉を思い出したのかわかりませんが、わたしは試しに母と兄を形だけでも許してみることにしました。
父をぞんざいに扱う母も、母にいいように操られて父に苛立ちをみせる兄も、そういうものなのだと存在を許すことにしてみたのです。
すると、頭の中だけのことでも、ある意味ではそんな存在がどうでも良くなりました。
どうでも良くなってみると、いままでそんなことに悩んでいた自分がバカバカしくなりました。
すると、自分が職場にい続けていた理由が、売上が悪かったときにせめて自分がいなかったことを悔やみたくないだけだからだということがわかりました。
(おかしなことを言っているかもしれませんが、つまりはそういう追い込まれ方をしていたのだと思います。)
考えてみれば、わたしが父を嫌いではないのは、父のそういうところを許しているからに他なりません。
なんだか、それまでの人生が、まるで動いてもいない電車の中でひとりだけ転ばないようにと必死に踏ん張っているだけなように思えました。
お店の売上が思うように上がっていかないのも、両親の仲が悪いのも、兄が母にいいように操られているのも、自分に何かできることがあるかもしれないけど、自分のせいではないんだ。
そう思うと、自分という存在を包み込む殻のようなものがすーっと溶けてきて消えていくような気持ちになりました。
あのまま放っておけば、世の中の不幸は全て自分のせいかもしれないと考えていたかもしれません。
言葉が下手で申し訳ないのですが、「いい」「悪い」と、「許す」「許さない」は別のことです。
逆を返せば、すでに存在しているものは、存在を許すことしかできまないのです。
それならば、存在することに頭を痛めるより、存在を許した上でその中で自分が何をすればいいのかを考えたほうが楽ですよね。
そう思ってからは、世の中の大半のことに心を乱されることはなくなりました。
感情に直接働きかけてくるような出来事も少なくありませんが、そういうときはこうします。
1.目を閉じます
4.目を開けて心のなかで「許す」と唱えます
あら不思議。
自分ひとりではどうにも出来ないことを許せないと歯を食いしばるより、それを許した上で、自分はどう生きるかを考えたほうが健全で現実的だからです。
そう思うと、あの主婦さんはあのときの自分をありのままに許してくれていたのかもしれません。
だから余計なことを考えずに済んだし、パニックになっていたのにもかかわらず、なんだかとてもホッとする時間を過ごしていたような気がしました。
いまでは家族とも程よく距離を取り、仕事も繁忙期以外の無用な残業や休日出勤はしなくなりました。
相変わらず残業代は雀の涙ですが、あの頃より家族関係も仕事の成績も良くなり、何より自分の幸せと正面から向き合えるようになりました。
大丈夫。逃げ道はいくらでもあるし、逃げ道の先にも新しい世界は沢山あります。
だらだらとわかりづらいことを書いてしまいましたが、みんなの役に立てるとは思いませんが、誰か一人の役にでも立てたなら本当に幸せです。
最近精神的にあんまり余裕が無いのもあってしんどいので、どこでもいいし、誰も読まなくてもいいから、とりあえず吐き出したいと思って書く。
それなのになぜか10数年来、友達であり続けて、今やなんというか腐れ縁である。
1つは、私の口下手で大人しめな性格のせいだと思う。はっきり言って人に流されやすいし、あまり人に強く出れない。それがあって、もう嫌い!と言えないまま今に至る。
2つ目は、彼女の性格だと思う。有無を言わさないような言い方をしてくる時が度々あるし、勇気を振り絞ってそれはちょっと…と拒否しても、結局最初の案に近い代替案を立てて、これならいいでしょ?という具合に、拒否したこちらの意図を全く読み取ってくれないのである。その上行動力もあるので、会おうと言ったら絶対会うし、会おうと言いつつ延ばし延ばしでフェードアウト…という事はほぼ無いし、私に会おうという誘いを何回も断れるような精神力は無いのである。
なんというか、彼女は人の意図を読み取れないタイプの人間である。
彼女の友達に私を紹介するとき、彼女は悪気など何もなかっただろうが、私が腐女子である事を勝手にカミングアウトした。うわ…と思った。多分彼女としては、そんな隠すような趣味では無いのだろうと判断しての事だとは思うし、私も隠しているとは言わなかったが、世間的に大声で喋れるような趣味ではないことは周知の事実である。
無理すぎる。
そんなこともあったので、なんとか穏便に縁を切りたいと願いつつもまた月日は流れ、アニメが好きだという男性を紹介された。話し合いそうだから話して見て!とLINEを教えてもらった。
それからその男性とは仲良くなり、今お付き合いをさせて頂いている。
この間を取り持ってくれた、というのもなんとなく拒否しづらい一因である。
そんな彼女は今、私の彼氏の親友と付き合っている。一応、表面的には親友の恋人は恋人の親友という感じである。
そういう間柄だと、ダブルデードでやれディズニーだ、新宿だ、原宿だとそういうお誘いをされる。
私達カップルは、どちらかというとインドア派で、二人だけで過ごすのが一番好きだし、それ以外のデートは望まない。
それに、相手のカップルは正直なところ、めちゃくちゃにイタイ。LINEやらTwitterのアイコンを恋人の写真にするタイプである。
そういう趣味も否定はしないが、私達とはまったくもって馬が合わないのである。
正直なところ、最近私が一番難儀しているのは彼女の惚気である。
私は惚気やら恋バナやらが苦手な類の人間なので、会話している途中に突然惚気をブッ込まれるとイライラする。
聞いてないし。言ってだからなんなんだ。という気持ちになってしまう。
なので自衛には努めているのだが、なにしろ彼女は鈍感女である。相槌で興味なさそうにしていても、構わず惚気る。気づかない。
LINEでも惚気る。聞いてないし。聞きたくないし。返信を2、3日しないでおいて、その話題興味ないよーアピールをしても無駄である。惚気る。
ハッキリ伝えられない私も私だが、冒頭に書いた様に私なりに、どこかに吐き出して少しでも楽になりたいという思いでこれを書いた。
人との縁は大切にしたいものだが、自分が無理だと思うものとは、積極的に早めの決別を私はお勧めする。
早く親友やめたい。
補足
めんどくさいね。と言ってくれた方も、ありがとうございます。
とりあえず熱中できることを増やしたいなと思います。
根暗で陰険かと言われれば、まぁ多分その部類だと思います。ここにだらだら書くしか吐き出せないような奴ですし。
まだここの使い方もよくわからないような始めたばかりの人間の愚痴に付き合ってくれて、ありがとうございました。
使い方がよくわからないので、とりあえずここに書かせてもらいました。
20年前から今までずっと続いてるジャンルにいたけど、別ジャンルに移動した。そして1年経った
20年くらい続いているジャンルとは言え全く同じ作品がずっと続いてるわけではないから、一番好きな作品やキャラの新作はもう出ていない。
一番好きな作品は20年前放送された最初のアニメ。一番好きなキャラもそのアニメのキャラクター。
幸いブルーレイなどが発売されているし、少ないけど、一定以上ファンもいるので枯渇しているというわけではない。
しかし別ジャンルに移動して気付いてしまった。新作が出ない作品に居座り続けることは、相当な体力と精神力が必要になる。
現ジャンルは今も連載が続く漫画で、ファンの数は少なく小規模なものだけど、それでも最新刊が出るとか、作者の方が時々ツイッターにらくがきを上げてくださって、今も常に動き続けている。
この動きのあるジャンルに慣れてしまうと、展開が既に終了した作品との温度差にぞっとする。新作が出ないことは、想像以上に心を削る。
よく自分はあの供給がゼロの中で生き続けていたものだ。同じサイトに何百回と訪れ、仲間同士で必死に二次創作してどうにか新しいものを産み続けていた。
ツイッターで6,7年前に同じジャンルの人のみをフォローしたはずなのに、現在のTLでは別ジャンルがごちゃ混ぜになっている理由を察した。
ジャンルの栄枯盛衰は自分が純粋に好きなら関係ないのだろう。自分もそうだったと思う。だから新作がなくても、7年前からずっと同じ前ジャンルにいられた。でも、もう気付けなかった前には戻れない。
展開が終了した作品で今も活動し続けている人、本当に本当に尊敬する。その愛と体力と気力、本当にすごい。素晴らしいと思う。愛しかない。本当にすごいです。
もちろん、現行のジャンルすべてが展開終了と隣合わせでもあるんだろう。今のジャンルではリアルタイムに追えること、新作に出会えることに感謝しながらお金を落としている。少し雲行き怪しいけど・・・。
太ってるのは本人の怠惰っていうこともあるかもしれないけど、他にも未成年の場合は親も気をつけてあげられてないとか、遺伝とかそういうのが色々あるんだよ。
親がやっぱり肥満の場合はその子もそうなる可能性は高いし、家で一人でダイエットしようと思っても、親が高カロリーの食事ばかりを出してきて改善してくれないなら、優しい子なら親御さんのために何も言えないとかもあるかもしれないし。
体が弱くて親が運動を積極的にさせたがらないとかそういう可能性もあるよね。
もともと太ってる人がダイエットをするってかなりの精神力が必要なことだから、もともと痩せてる人がその苦労も知らずに簡単に痩せろよ!って言うのってちょっと無神経だと思う。
それぞれ人には事情というものがあるから、そういう他人の容姿だけを取り上げてただの努力不足と断罪してしまう無神経さや無関心こそが一番よくないことだと思うよ。