2020-12-13

毒親持ちの元親友が多分死んでる話

誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。

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そいつの親から鬼電かかったけど無視

非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。

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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、

死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。

余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。

ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」

とか言うのにも、行き場のないモヤモヤゲスいんだよ。

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ウチの親は、そいつそいつ母親のことも嫌っているが、

しかし、私とそいつ小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、

私とそいつが似た者同士だったからだ。

小学校ではじめてそいつに会ったとき

同じグループの子からぽっちゃりからポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。

でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。

それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、

綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。

さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。

私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。

小学校中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。

私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対ルールを持っていて、

泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋椅子に座らせられた。

今でも私は美容院キライだ。

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そいつも、小学校入学時にはロングヘアだったはずなのだが、

三年生になる前には短髪になっていた。

ツヤツヤ過ぎてリアル天使の輪ができていた、

日本人形みたいなキレイな髪だったので、

どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、

そいつがなんて応えたかは覚えてない。

でも、そいつとつるんでいるあいだずっと、

小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。

私は、高校に入ってからはどうにか髪を伸ばすことが出来た。

親の意向無視することができるようになった。

高校卒業して、服も自分で選ぶようになった。

でもそいつは、大学の時も、成人式の時も、最後に会った時も、

小学校のころとまったく同じ、短い髪をしていた。

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髪型だけじゃなくて、そいつ成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。

周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。

誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、

なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。

今だったら、性の多様性ってことでスルーなんだろうけど、

でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。

皆はそう思ったかもしれないけど。

私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。

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そいつの親よりは私の親のほうがいくらかマシではあった。

そいつ母親に虐め殺されたも同然だけど、

私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。

ヒールと化粧は覚えなかったけれど、まあそれはいい。

私は成人式卒業式では着物を与えてもらえた。

私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、

ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。

別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身子供のころ欲しかったものなんだってさ。

あ、ピアノ祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。

まあ、ウチはその程度だったけど、

そいつの家、そいつの部屋に遊びに行ったとき

所謂女の子らしいものは何もなかったような気がするのだ。

ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。

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そいつ母親は、いつ見てもそいつとまったく同じ短い髪型で、

GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。

私とそいつは、程々に外遊びなどもしたが、

ずっと机でイラストを描いてるようなオタク気質だった。

毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。

家にない本や図書館児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。

私の母は、皮肉作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。

母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。

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そいつとは小学校を挟んで家が反対方向だったので、

放課後は違う女の子と遊ぶことが多かった。

三姉妹末っ子の子や、地元パチ屋の子とよく遊んだ

そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんなかよしを読んでいた。

ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドル流行りの歌の話をした。

の子たちは髪型しょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。

悪気なく「あなたも髪を伸ばしたらかわいいのに」と言った。

遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。

の子たちのことが嫌いではなかったけれど、

ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。

私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。

母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。

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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、

旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつホームページがまだ残っている。

今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。

日記もあるが、悩みや病気内面に関することは何も書かれていない。

家族の仲良し面白エピソードが書かれている。

中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。

私もそいつも、大学進学で地元を出た。

それで一度偶然、帰省電車で会ったのだが。

後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。

小柄なのはアレだが、変に生気に乏しいとでもいうのか。

ファッションおかしかったんだと思う。

かぶかよれよれのメンズウインドブレーカーか何かを着ていて、

息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。

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成人式スーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。

小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。

縄文系というか、小動物系というか目がくりっと大きかった。

髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。

面食い自分毎日見ても不快ではなかった。

でも、そういえば、

そいつ母親は、私とそいつが並んでいるのを見て、

我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。

「お前は顔がでかいねえww」みたいな。

その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。

私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。

いや、地獄かよ。

しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。

私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。

いやそれフォローか?まあもう記憶が定かでもないけど。

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私の母親は、子供の頃は頑として私の髪を切り続け、

髪を伸ばしたいという私の希望却下され続け、

その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、

まあ、高校以降はほぼそういう行為は無かった。

進学も希望通り、金銭的にも十分にしてもらえた。

流行りの服を買うこともできたし、趣味私生活に口出しされることもなかった。

周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。

オタク気質生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。

そいつは多分、そうではなかった。

大学行って、一人暮らしはできていたのかもしれないが、

母親の束縛や支配内面化してしまってたのかもしれない。

心の中の母親が、そいつの髪を切り続けていたのかもしれない。

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昨今の性の多様化からすると、そいつ髪型服装趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。

肉体的に女性でも、精神的には男性だとか珍しい話でもない。

そいつ自発的に、自然に、ただ好きで、

髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーバイクサッカーを愛していたなら、

それはそれで良かった。

そいつ母親は、そういう姿でピンピンしている。

でも、そいつは多分そうではなかった。

生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、

そしてそれが自分だと思い込まされていた。

母親が間違っていると気がついてはいけなかった。

コンフリクトがあって、それが体に出た。

病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。

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大学を出て、就職して、

そういえば携帯アドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、

就職先のイベント新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。

私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代記憶ごとまとめて、

そいつのことは思いだしたくない相手だった。

折角小奇麗になることを覚えたのだ。

陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、

根深陰キャコンプを刺激する見たくないモノになる。

仕事時間内は客としてもてなしたが、

プライベートで会いなおしたりはしなかった。

そいつ空気を読んだのか、

それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。

いや、水の一滴も口にできないんだから食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。

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しかし、一度ならず数回ほどそいつイベントに客としてやってきた。

ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。

ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、

インパクト強烈過ぎて覚えてるけど。ドン引きしたわ。

いや、その若さでそうはならんやろ・・・っていう。

転んで受け身をとれないことにしろ、骨密度しろ

もう回復不能分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。

しかし、そんな話をそいつ世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。

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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、

私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、

物知りで成績優秀者だったプライド邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、

同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。

しかし、そいつ自分日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。

藁にも縋る思いだったかもしれないが、

疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて

カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。

というか、そいつ自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?

気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。

いや、そういえば鬼電がかかってきたか訃報と決めつけているが、

フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。

もう、それを知りたいとも思わないのだが。

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既に超長文だけど、続きもあって御免。

https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/mental/1607548535/l50

  • そいつの母親も、少数派というか理解されにくく生きにくい嗜好を持った人だったとは思う。 いわゆるジェンダー、「女性らしさ」のようなものへの反発があったかもしれない。 ...

  • 続きコピペしてあげますね 当時は何とも思わなかったが、 今にして思い当たることがある。 そいつの家に遊びに行ったことは何度もある。 ある時、家の一番奥の和室に入った。...

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