はてなキーワード: 生来とは
立野玄一郎から、日常の簡単なことは行えるが労働は不能とされ、予後は不良と診断されているため、金は全然はいらない。
佐藤もぐらは定期的に携帯に電話をしてきて、 東大法を出た、というと、「ちっ」と言いながら、いくらでも振り込みますよ、でも、あなたが金に困ってないというから振り込まないんです、といい
実は一度も振り込んだことがない。
では、どこから金が振り込まれているのか? 年金機構+生活保護開始決定処分による事務所からの振り込み
年金機構はなぜ広汎性発達障害で年金を許可したのか? → 実はアスペルガーは黒羽の長谷川が作ったもので、最初からそんなものはないが、長谷川、森脇、晴生が無理やり方にはめ込ん
で
野田省治をまるめこんで診断書を書かせたのが通過し振り込まれている。
なぜ、平成17年以前、小泉政権以前はどうにでもなった法律が、H18年以降は完全に固定なのか? → 女の総意= 何も考えずに全部動かさないようにしとかないと新しい世代を
→ その影響のため、 H17年以前はどうとでもなっていたルールについて、H18年以降は、完全につじつまを合わせないと、年金すら出ることはない
→ 完全につじつまがあわないといけないとは? 広汎性発達障害ならそれで、生来からそれがないといけない
→ 山田朋美はなぜ怒っているのか? 東大法学部卒がテロを起こしたことにより、 ルールのつじつまが崩壊した
→ なんで現実が惨事になってるのか? 元々黒いところを女がルールで固めようとしたために、ルールが無くなったらすっぴんになるだけだから
→ 検察官の土屋大気はなぜ怒らないのか? ある程度怒っているけど、女と比べて社会とかどうでもいいから 男だから
→ 野田省治は、なぜ、アスペルガーではない、警察に捕まると発狂してるのか? 野田がフェミニズムだから
→ 杉浦真理子、 須佐由子は? 本人はそうでもないが、女の総意なので、診断内容は曲げられない 不可能のひとこと
→ 立野玄一郎は? 男だったからフェミに殺されたらしく看護師の多くも、立野先生は亡くなりました、というばかりで本人から何があったのか分からない
本当に怒っているフェミニストってだれ? 具体的には見たことがない。
→ 多分、警察の女。 おそらく、その気になれば包丁で切ってくる。しかし、 女がそうした行動に走った場面は見たことがない。
https://note.com/sws_jp/n/nb81ae1e3137c
https://twitter.com/asahian222/status/1660925438808698881
https://twitter.com/UN_SPExperts/status/1660601329394278401
ジュネーブ(2023年5月22日) - 性別と性的指向について意見を述べる女性に対する脅威と脅迫は、深く懸念されると、女性と女児に対する暴力に関する国連特別報告者のReem Alsalemは、本日声明で述べました。
一部の女性の権利活動家とトランスジェンダーとの間に意見の相違が見られるという背景があります。
Alsalemは、女性に対する暴力と、異なる意見を表明したことに対する人々への脅迫を警告しました。
「ナチス」「大量虐殺者」「過激派」という烙印を押すことは、女性の発言や意見表明を抑止することを目的とした攻撃や脅迫の手段です。
このような行為は、女性に恐怖心を与えて沈黙させ、女性に対する暴力や憎悪を煽ることを目的としているため、深く問題視されています。
女性と女児は、脅迫や暴力の脅威から解放されて、あらゆるテーマについて議論する権利を有しています。これには、彼女らにとって重要な問題、特に生来のアイデンティティの一部に関連し、差別が禁止されている問題も含まれます。性別や性自認に基づく社会における権利の範囲について意見を持ち、表明することを、委縮させたり、矮小化したり、否定したりしてはなりません。
私は、トランスジェンダー(性別違和)が治療(体の性に脳を合わせる)すべき疾患だと考えている差別主義者だけども、しかし、反トランス論者の多くが性別違和の病態つまり「性自認とは何か」を誤解していることは苦々しく思って見ている。
彼らはあたかも、性自認が意識の問題だと考えている。「女だと言えば女として扱うのか」という意見がそれだ。
フロイトの「無意識の発見」は100年前、仏教における識と般若の区別は遅くとも1400年前に遡るが、我々の論理的思考なるものが心理作用のごく一部に過ぎないことは現代では常識であろう。
我々が自覚的に考えるものなど、大脳新皮質の作用に過ぎない。「自分は女だと思い込んでみる」なんてのは意識界、脳で言えば大脳新皮質の働きに過ぎない。
これと異なり、性自認は脳の分界条床核からもたらされる。「自認」とは言うが、認識はできても思考によってコントロールすることはできない。
だから、「俺が女だと言い張れば女なのか」という問いに対しては、「女性器がないあなたが身体的女ではないように、女性型の分界条床核がないあなたは精神的女ではない」という答えになる。
その上で、性器と分界条床核にミスマッチがある時にどちらに合わせるかといえば、性器に合わせた方が良い。
分界条床核はセロトニンを作用させる機構であり、うつ病などと同じく向精神薬による調整が見込めるが、性器は作れないし、生来の性器を切除し別の性器風の見た目を形成するのは身体的にもホルモン的にも害が大きい上に得られる成果が小さい。
被告人の犯罪性はただにブサイクということに尽きるのではなく、生来は女の子で性狂いであり、その性格に危険なところありというも、日本人が元来そういうものであることを認めることができない
自分は男になったのに女の子には戻れないから自分が世間を何とかしてやっているという気負った偉そうな感情の塊である。
日本人の三要素を決定するのは、女性器、性狂い、幼稚な悪魔であることだが、被告人の佐藤はこれのいずれに戻ることもできない。男になったので男としてのこれらの要素を発揮するしかない
平成時代において日本人のこの3要素を発揮していた事象は大量にあり、日本人はもともと現在のような完成した美しい世界に生きるものでなくもっと醜悪な悪魔的な世界に生きるものである
ところ被告人は平成時代にあったこれらの事象を認めることができない。
日本人のほとんどは悪魔でありそうではないような者はほとんど存在しない。被告人は男になるをもって日本人のこの悪魔的存在から脱却しうるという独自の思想をもっておる。
また被告人は、 ブサイクそうでない二分論をつよく採用しており、ブサイクかそうでないかで日本人は分かれるという理論に拘泥する。
当然、男になった前田晴生でさえ、気に入らない自分の母親の後頭葉を包丁で切り裂いて暗殺せんとするような人格をもっているので、日本人の女の子がいざ凶悪犯罪にいでんとすれば晴生と
被告人の佐藤は、あなたは醜いことができない、といっていたのは、初顔合わせの平成29年3月29日の後、生活保護開始後の平成30年6月頃の電話においてであるが、
このときに佐藤は、醜いことができないのをいいたかったのではなく、醜いことをしてほしかったのである。
しかるに、晴生でさえ、自分の母親が憎いと思えば包丁を用意して母親の後頭部を切り裂いて殺害するような側面もあるのだから、日本人がただに、性に狂う女性器の女の子であるに尽きる
ものでなくそれを超えて、幼稚な悪魔という面も具有すること、昭和の歴史に照らして明らかである。
ところが佐藤は、日本人のこの3要素を全て列挙するものではない、ことに、日本人が赤ちゃんの状態のときの感情ないし性格の状態につき、これを一向に明らかにしないのである。
加害属性を見下したり冷笑的になることで、相対的に自分のダメージを軽くしようとする防衛本能がはたらくことがある
「こんな哀れな奴のやったことだから、自分がされたことは大したことない」って理屈で、性別関係なく見られる
性的暴行の被害者が色情症になる行動原理は行動(性被害≒性行為)にフォーカスして矮小化したものだが
驚くほど無知なうえ、元増田の文章すらまともに読解できていないのに
人格形成に性被害が関係ないだの生来の性格だの女はこういうのが多いだの言い放てる神経には恐れ入る
思想や理由がないとイライラする、というよりかは本当に単純にどんなきっかけがあるのか、生来のもの(もともとなければ一生ないようなもの)なのかが知りたいなと思っただけなんだけどね。
なんというか、もともと欲しいけど理由があって(自分みたいな理由も含めてね)欲しくなくなった、はもしかしたら欲しくなることがあるかもしれないじゃん。
自分もずっとそうなのかなと思ってきたけど、よく考えたら子どものころとかも別にきょうだいほしいみたいなのもなければ赤ちゃん将来欲しいとか考えたこともあんまりなくて…。
あれ、もともと欲しくない気もする、と思って、じゃあ他の人ってどこでその気持ちを得たのだろう?って疑問に思った、という感じ
子ども自体は嫌いではなくてかわいいのだが、パーソナルスペースにいる生きている人間全般がうっすら苦手なので自分が育てるのはムリだからいらないという感じ。上下左右の家から子どもの騒音すごいアパート住んでるけど、それはそんなに気にならないし、部屋から出た時とかにみかけるとかわいいので迷惑とかではないよ。
後出しみたいなコメントだけどこの話ってどの企業でも団塊の世代が引退するころの前後に表出する話だと個人的には思っていた。
そしてさらに将来には生来の性的機能や家族システムの再評価から昭和スタイルな家庭内分業(男性が仕事専念、女性が家事専念)に立ち返ると思っている。
もちろん在宅ワーク制度の円滑化や育児業務のアウトソーシングが広がって、昭和の頃とは比べ物にならないくらいにライフスタイルの選択肢は幅広くなっているとも思うが。
何しても不平不満は出るんだから基本に立ち返って勤務実態や負担に応じて給与調整をするしかない。
もちろん在籍しても復職できるような制度は大切だし整備しておくべきではあるが、会社という組織が仲良しチームではなく営利目的の団体であるという事を考えると手放したくないよっぽどの人材でない限りは帰ってこなくていいよっていう扱いになるのは自然なことだと思う。
昭和63年に弟と保育所に入れたが行きたがらず泣き叫び園長からも様子を見ると言われたがこれだけ時間経過しても発話をしないのはおかしいので発達障害ではないかとして医者にみてもらったが
一般的な発達障害とは違うように思うとアドバイスされた。小学校では先生に背中を押されて歩く程度で高学年になり発話が出来なかったが先生から君は大人しいだけで勉強はできるから、
勉強で頑張れと言われた。中学校ではサッカー部に入るが途中でやめてインターネットに没頭、勉強を頑張ると言い出し、高等学校ではこんな学校では東大に行けないと愚痴をこぼすようになる。
一浪して東京大法学部に進学。社会全般のことは疎く買い物などを親が全部教えた。ブログではランキング上位だったが卒業後から不審な言動が目立ち始め、文科省を脅迫して逮捕。
警官からはこんなことでは逮捕しないがこれから増加するこういう書き込みのために逮捕したと説明され、釈放後に延岡に連れて帰ってからも問題言動が増加し、2ちゃんねるに書き込みで2回目の
逮捕。無実を訴え続け、俺が全てを支配しているといった言動、有罪判決で服役し、満期出所してからは更に酷くなり、 専門の医者からは、アスペルガー障害と統合失調症と指摘された。
野田省治の見解 初診に対して表情は硬く、 次第に自閉的になっていったと思われた。診断に対してはわずかに答える程度でほとんど母親が答えると言った状況。
夜間に2時間~2時間30分ジョギングをしている。気に入らないことがあると大声を上げるが暴力はない。収容されていた刑事施設での待遇に
対する批判を曲げず法務局に行う。規則に拘泥し被害言動が多いことからアスペルガー症候群と統合失調症に該当するものと判断した。
備考 生来の発達障害から公共施設の利用などもほとんど不可能な状態であると判断するほか、心理的に不安定であり、多くの援助が必要であ
る。
備考(2) 統合失調症 (4年間)
あの須佐とかいう訳の分からない医師とかですね、健康管理士も何言ってるのか分からないんですね。私は昭和58年に生まれたんですけど生まれたときはどうだったかというと多分ただの
バカで何の可能性もなかったんすね。で、昭和59年~62年の、2歳から4歳のときに、昭和天皇からバカ女がいじめられていて、ざまあっていう顔をしている醜い顔をした写真が前にアルバムに
はさまっていたんですけど見るに堪えないから捨てましたが、それが私の正体だと思うんですね。まあ滅茶苦茶見にくい顔をしていたので、その写真を撮ったのは晴生で、晴生の偉いところを1つを言えば
昔まだ、人間性があったときは、息子の正体をとにかく写真にしておくのが趣味だった。正体が出ているところは全部記録しておいた、あれでも前は新聞記者をやっていたが、精神が狂う前は記者だった
わけでけっこう真面目にやっていた。ただし、晴生は、団藤重光のように生まれてからの才能ではなくて昭和天皇に感化されていたのでそうなっていただけだが。で、晴生が偉いと思うのは、私の正体が
出ている写真をある程度撮影して保管しておいたんですね。滅茶苦茶悪いところを。デビルっていうんですね、そういうところは隠さずに全部撮影しておいた。それだから私が、女の子で、馬鹿で、性的な
デビルっちゅんですか、そういうのを写真で証明できているので、それで、私が生来からそんな感じだったのと、平成6年に高千穂に郁子が帰ってきた時に、ちゃんと、ねーよバカっていう写真もとっているので
それからその後もですね、最近の中嶋康弘が、最初からなかったって言っているときに何がなかったかっていっていると平成の政策に使えるものがなかったっていってるわけですが、当然、昭和天皇について
いって文科一類に入ったのであるわけないんですね。だからその辺から推論して、中学2年生のときもインターネットにはまっていたのでやっぱり性的なバカでデビルっていうかその辺の女の子だったわけで
長谷川のところにいったときもやはり女の子だったので、自分がバカがデビルの女の子で、他の日本人も大体同じで、特に、ゆりかご保育所にいた、上杉あすかは、典型的な魔女だったので、
まあその辺のことだと思うんですが。んで、そういうデビルなバカなのに、文科一類に選ばれたわけですね。んでそこの中でしっかり勉強しているわけだから、私が、うえすぎあすかのように、人殺しに走る方の
最近明らかに20代の頃と比較して、自分が怒りっぽくなっているのを感じる。
社内外の協議等で、相手が真意をついていない発言や、自分の立場のみ主張する人と相対すると、
なぜきちんとした思考をしないのか、適切な発言ができないのかイライラしてしまう。
さすがに怒りをものにぶつけることはないけど、悪態をついたり、冷静なフリをして徹底的にやり込めたりしてしまう。
書き出してみると全然冷静じゃないし、大人がやるようなことでもないな...
それに30代になってとか書いてるけど、もともと生来の気質が先鋭しただけかもしれない
(職務上のボリュームが増えたり、内容が深度化していたり、それに応じて単にストレスが溜まりやすくなっているだけかも)
上記に書いたイライラする点なんて、こちら側でも懇切丁寧に説明したり順序立てて教えてあげればいいだけなんだが、その瞬間は突発的に不快・イライラが先行してしまうんだよな。
(つまり、相手側にうまく話が入っていないのは、単にこちら側の落ち度でもある)
誰かアンガーマネジメントのコツだったり、実践的な解説が記述されている良本を教えてくれないか。
んーこうなんか、最近、佐藤もぐらが、語気を強くして、東京が最悪っちゅうんでしょーとか、平成30年頃に言っていたとか、でんも、東京の何が最悪なのか分からないというか、私が
黒羽でみた?黒羽っていうのは、赤いところで、絶対に入ってはいけないところで、物理学者の松井千尋さんが入ってる原発みたいなところですが、木野崎新人セミナーが開かれる木野崎と
関係はないですが、佐藤もぐらって、本人はとにかく運営上のことで絶対に本人が出てこないようにするというか、東京が最悪っちゅうんでしょーっていって、本当に最悪なのは森脇な
気がするのですが、っていうか平成30年6月に、交番で後ろから警察官の頭を撃った警察官とか、東京より最悪なものはいくらでもある気がしますが、東京が最悪だとかいって、確かに
板橋区のイオンから車で落ちて自殺する人もいるとか色々最悪だとは思いますが、何が最悪なのかは具体的に分からないというか、んーで、その最悪っていうのがどこから来てるかといって、
日本人って、生来、多分、女性で、バカで、性狂いで、正体は最初から最悪だから最悪に決まっているとか説がありますが、Twitterにいるクソガキが、東京が最悪っていうとき、日本人の
正体が最悪とは言わなくて、何もないから最悪っていつもいうんですね。でんも、私は、その何もないところを行くのが大好きというか、何もないところっていうのは、荒川の河川敷とかですが、
あ、そういえば、戸田の川岸とかにも近寄ったけどあそこってただの家しかなくて何もないんですね、でも、そんな私でも、さすがに何もないところばかりだと気が狂いそうになって?東京のデリヘルって
店のHPをみても、何も書いてないっていうか、99%の店が存在してないっていうか、んーで、実質? 池袋のLIPしか受け入れ先がなくて?店が存在するというより?キャスト本人が?
「おはいり」とか言って?もうほとんど現物支給みたいな、でんも、スーパーのLIFEとかにいくと、生活雑貨とか食べるものは置いてるし、本は終わってますが、完全に終わってるかというとそうでは
色々と込み入った問題があって、どうしたらいいのかわからない。
最初に断っておくが、嫁はそこまで規模の大きな配信者ではない。Twitterのフォロワーが千人とかそんなもん。配信者を仕事にしているというわけではなく、趣味として配信をやってたら段々人が集まってきた、くらいのもの。
自分はそんな嫁とリスナーとして最初知り合い、コメントとか視聴者参加型企画とかで認知されるようになり、企画の準備での困りごとにたまたま提供できる知見があったところから個人的に話すようになり、仲良くなって実際に会ったりもして付き合うことになり、二年ほど付き合って一緒に暮らすことになって、今はそこから更に一年余、という状態だ。(※厳密には現状婚姻関係にはないが、事実婚の状態にあるので嫁と呼称している。)
そんな嫁なのだが、もうここ二年程度、完全に配信者としての活動をやめてしまっている。
理由は、要するに負担に感じることが多くなったから、ということらしい。元々個人の小規模配信者らしからぬ生真面目な態度でやっていた(数週間分の配信予定を告知してスケジュール通り行う、急用が出来ればすぐにTwitterで連絡するなど)ため、楽しさ以上に息苦しさが段々と大きくなってきたようだ。
これ自体はよくわかる話だし、そもそも自分はなんとなく予想できていた。嫁の生来の性格はそこまでまめな方ではないので、かなり強く義務感を抱きながらやっているのだろう、と思っていたからだ。
問題は、「引退」や「休止」などの宣言をしないまま、ずっと宙ぶらりんの状態でこの間放置し続けていることだ。
いや、厳密には、放置という言い方は適切でない。最初に「また明日!」と言って最後の配信を終えてから数週間完全にSNSやプラットフォームでの活動を止め、心配したリスナーからDMなどで連絡が届くようになった後、「しばらく忙しくて配信できない」といった旨の発表を行った。そこから数ヶ月ごとに、「生活環境が変わる出来事があったのでまたしばらくできない」「○月○日に復帰配信します」→「どうにもならない事情でできなくなりました」というような理由をつけて保留期間をずっと伸ばし続けている状態にある。
自分としては、もう引退宣言を出すなり無言でアカウントを削除するなり、あるいは完全に放置してしまうなりすればよいのではないかと思っていたが、彼女としては、まだ復帰したい気持ちはあるのだという。配信に楽しかった思い出は多く、また始めれば楽しいはずで、今でも配信を行いたくなることは度々あるらしい。しかも、全く新しい環境でやると言うよりは、元々いたリスナーの皆とまた仲良くしたいという気持ちが強いようである。
それを度々聞いているので、自分は折に触れて「そろそろ配信について考えてみるのはどうか」と声をかけている。例えば今日なんかも、ちょうど年度始めの日でもありなおかつ週末。更にはエイプリルフールというイベントもあり、何かを始めるにはちょうどいいし、完全な嘘というわけではないにしろ、今日言ったことはどこか気楽に受け止められやすいのではないか、というような話をして勧めてみたりした。
この回答も4度目くらいで、期間にして言えばもう半年以上続いている。なにかきっかけを待っているのか、など聞いてみたりもしたが、そういうわけでもないようである。
ではこうして保留し続けていたいと内心思っているのか?というと、恐らくそうでもない。数ヶ月に一回、動向をツイートして引き延ばす前には目に見えて精神状態が悪くなるし、「あー、配信したいなぁ」とひとり言のように漏らすことも時々ある。今の状態を続けることは、明確に彼女にとってマイナスであるように見受けられる。
一つには、配信のための固定費が月々千数百円かかっていることだ。ゲーム環境のためのサーバ代とプラットフォームの有料会員代なのだが、現状ほとんどなんの役にも立っていない。しかし、それらの環境を変化させることによる「意味」(=引退したがっている、など)をリスナーに伝えるのが嫌とのことで、完全な無駄金を支払い続けている。
ただまあ、別にこの程度の額はさしたる問題ではない。どちらかというと、月々の請求を見て少し嫁の気分が落ち込んでいるのが気になっている。
もう一つの問題は、夫である自分がリスナーコミュニティの中で何も身動きが取れないという点にある。
元々自分は配信者に認知されている程度に熱心なリスナーであったため、このコミュニティに友人が多数いた。
そんな友人達は、今も時々嫁のことを気にかけて話題に出したりしている。リスナー同士でやり取りがあるのを見かけたりもする。
それに対して自分は、なんの反応を示すこともできない。
※前提として、嫁は現在彼氏がいることもリスナーに伝えておらず、そもそも特定のリスナー(筆者)と実際に会ったことすら黙っていた
もちろん、こういうことになった時点で、全てのリスナーと友人関係を維持できるものとは思っていない。というか、完全に消えてしまうのが無難であろうと思っている。
ところが難しいことに、嫁は、復帰するときに、全てを洗いざらい話して、筆者を相方にする形でその後の配信活動を行おうと考えているのである。
それは絶対にやめるべきである、と何度も嫁には伝えている。しかし彼女の意思は固い。
理由としては、
・生活環境的にバレずに配信活動を続けることが困難だと思われる
・女性配信者ではあったがガチ恋ファンみたいなのはほとんどいなかったし規模も小さいので、炎上みたいなことにはギリギリならなそう
というところがあるらしい。そしてまあ、基本的に納得できなくはない。割と牧歌的なコミュニティであるようには感じている。なので、どうしてもというのであれば自分は嫁の要望に沿ってあげたく思うし、その結果何かが起きても受け入れようと思っている。
その上で、もしもいつの日か嫁の要望通りに復帰する運びになるとしたら、その場合の自分の身の振り方というのがどうにも悩ましい。
好意的に受け入れてくれる人のことを考えれば、コミュニティとの繋がりを維持しておくほうが良いだろうが、一緒になって嫁のことを心配したり配信を楽しみにする発言をしていたりすれば、それは裏切りであろう。
一度完全に消えてから別人として参加するというのも…声やコミュニケーションの癖は割れているので、後からバレた時の炎上リスクを考えるとやりたくない。
あと、単純に友人達を裏切り続けている今の状態が心苦しい。せめて、友人で居続けることをすっぱりと諦められる状態に早くなってほしいと感じる。
長々と、本当に長々と語ってしまったが、自分が相談したいことというのは、
ということである。
復帰させる方に進言すべきなのか、引退させたほうがいいのか。
復帰させるとしても嫁の要望通りの形にするのか、それは自分達がインターネットをナメているのか。
夫である筆者はどうコミュニティと付き合って、あるいは付き合いを断つべきなのか。
もしもまだこの文を読んでいる人がいれば、何か意見を寄せてもらえたらとても嬉しい。
痴呆の父本人が嫌がっても強制的に入院させた、という増田にこんなブコメがついてる。
痴呆がすすんでも生きながらえさせなきゃダメなのか。残された家族のQOLが爆下がりするなら安楽死だって選択肢ではないのか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4734234384946062020/comment/emt0
ここでの「安楽死」とは、命にかかわる病気ですぐ先に死が見えている状況で、生きるのに肉体的・精神的な苦痛が続き、本人が望んで死を選ぶ「尊厳死」ではなく、
「痴呆で本人の判断能力が損なわれ、自制力や生活力がなくなり、周囲(家族)に迷惑をかけるので、この世からいなくなってもらおう」という意味で、つまりのところ「お荷物人間の殺処分」てことだ。本人の意に反しても社会的に有益なら殺人を認める、そんな制度を国が法的に認めて整備したらと言ってるんだ。
違うとは言わせない。病識がなく入院すら嫌がってる状況で、自ら死を選ぶはずがないのだから。
これ、「自制力や生活力が現役時代より劣った痴呆親」どころか、もっと重度に精神的に遅滞してる精神障碍者ばかりのやまゆり園の入居者を「彼らは意思疎通すらできない、人間ではない、生きてる意味がない、殺してやるのが本人にとっても幸せだ」と大量殺人を犯し死刑判決をくらった植松死刑囚の思考と、何が違うんだろう。
俺には違いが見えない。
むしろ、こんな言い方をすると反発が来るだろうが率直に書いてしまえば、家族が医療費や生活費を負担して入院させてる痴呆老人よりも、国が生まれたときから一生の世話をすべて公費でまかなってる生来の重度精神障碍者のほうが、「社会のお荷物」度は大きい。
植松は自分が殺人者として捕まり裁かれるのをわかったうえで自ら犯行に及んだが、「国がそういう制度を作れ、誰か(「安楽死」という言い方からして医師や保健所を想定してそう?)が殺して処分できるようにな」と他人任せにしてるブコメ・賛同者のほうが、より醜く見える。
俺個人としてはどちらも「負担だからこの世から無くしてしまえ」など思わないが、でもそんな思考である「痴呆老人は周囲の迷惑だから殺せ」てブコメにこれだけの賛同スターが集まり、批判ブコメがほとんどつかない(現時点では一つだけ)状態にはてブが陥ってるのに、びっくりだ。
それとも上記ブコメに賛同する人たちは、植松の思想・犯行にも共感・賛同してるのか?
まったく理解できないが、はてブが現在こういう状況になってるのに驚いてしまって、暗鬱としてる。
どうなってしまったんだろう。
そんな都合よく認知症になったら死ねるかどうかわからないし今のうちに死んどくといいんじゃないかな。元気なうちなら人に迷惑かけずに死にやすいだろうし
それな。
「痴呆怖い、安楽死、安楽死」つってる人たちは、元気な今のうちなら痛みなく死ねる方法を取れるから、やっとけばいいよ。
痴呆でなくても生きるのいろいろ大変だろ?他人を巻き込む制度化を求めてグダグダ言ってる暇で、さっさと自決したらいいのにね。
実際に重度精神障碍者介護の現場に入って苦労するうちに思想が変わった植松死刑囚もそうだね。
「大変だ」と苦労するところと、「だから安楽死(殺処分)」との間には大きな一線があるんだよ。
「重度精神障害の人と付き合ったことあるなら分かるだろうが見てて痛々しくなるんよ」
『安楽死が認められた世界では俺のような人間はまず間違いなく「社会的に価値がないにも関わらず安楽死を選ばない傲慢で古い価値観の人間」と断ぜられるだろう』
これ。
医療的な基準(余命、肉体的苦痛)に基づかず、「生きるのがつらい、死にたい」という本人の希望だけで「安楽死」が認められるようになったら、
元ブコメのように「社会的に負担にしかならない痴呆老人」「重度精神障碍者」から始まって、「勤労意欲のないひきこもり」「ホームレス」「生活保護受給者」など社会的生産性のない人間までが「安楽死」を選ばされる未来になるのは目に見えてる。
家族や親権者や代理人が「本人は今は意思表示できませんが、元気なころにこうなったら死にたいと言ってました」「本人も愛する家族に負担ばかりかける現状が続くより、死んだほうが幸せだと思ってるはずです」「この状況で安楽死を選ばないのはおかしいです」つってな。
なんせ制度がない今ですら「痴呆老人は負担になるから殺処分しろ」てブコメにこれだけ賛同が集まってるんだから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6
極めて皮肉なことに、「病人は社会の寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。
守る術なき患者が遅かれ早かれ殺されるという事を予期することである。
何故なら、彼らは「生きる価値がなくなった」と担当の役所や委員会が判定しているからである。
君も私も、私たちが生産的である間だけ、生産的であると他者から認められる間だけ生きる権利があるというのであろうか?
もし「非生産的な」人間は殺してもよいという原則がたてられ使われるとすれば、年とった者、老衰した者すべては何と痛ましいことになることか!
もし非生産的人間を殺してもいいなら、生産過程において力を尽くして働いた結果、犠牲になった病弱者は何と痛ましいことか。
もし非生産的同胞を暴力で排除してよいものなら、戦争負傷者、身体不自由者、傷病兵として故郷へ帰ろうとする私たちの勇敢な兵士たちは何と痛ましいことか。
もしひとたび、人間が「非生産的な」同胞を殺す権利を持ったら、原則的にはあらゆる非生産的な人間への殺人、すなわち不治の患者、労働と戦争の負傷者の殺人、そしてもし私たちが年をとり老衰し、非生産的になる時には私たちすべての者の殺人が自由に許されることになるのだ。
82年も前の説話だぞ。
生来の性格が原因の場合は、マジでしっかり話し合いをするか、もしくは旦那以上にあなたが面倒くさがりになるしかない。
※同居で、お互いずぼらで、その上で特に話し合いとかによる分担をしていない場合、相手と比べて汚い状態に耐えられない方が全てを担うことになる。
一度、疲れてるとか体調悪いとかなんか理由をつけて放置して(聞かれなければ自分からそれを言う必要は無い)、どのくらいまで放置したら旦那さんがやり始めるか観察してみるとよい。
旦那さんがやり始める段階であなたてきに汚さが許容範囲内ならそのままほどほど均等になるように「これは旦那さんにやらせよう」とコッソリ割り振ってしまえばよい。
若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。
当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学院受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。
悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初で最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学で法律や経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地や建物の取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。
日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業の内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。
面接まではとんとん拍子なのだ。大学名がよかったからだろうか、エントリーシートを適当に書いても、SPIの勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。
今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。
で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。
今では黒歴史だ。『国民の知らない反日の実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁にテンプレメール送ったり、韓国人や中国人の応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiやGREEで反日活動を認定されたアカウントに突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。
今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分も他人も大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。
ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマのネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。
長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに、現代の異世界転生ブームを予見している感がある。特に『オーバーロード』なんかの異世界転生+光属性の人間が死にまくるようなコンテンツが流行る理由がわかった気がする。
すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。
さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである。自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれ、しかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望を制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句の蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独な学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独な学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安な状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定な精神の揺れである。無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情、他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人の前進への嫌悪感と自分の前進への絶望感からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神が生まれる。実際、人の精神は生来動きやすいものであり、動きへと向かう性向をもつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。
そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分を断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から。
それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。
なお、この頃の俺は、都内のサイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日、レンジやオーブンやIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。
それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテルに芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報を暴露すんな!!」みたいな恰好で炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。
当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間が炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。
自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。
何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフにアディダスの社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内のアディダス店舗にアディダスがスポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿を侮辱するツイートをしていた。
「これだ!!」
と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。
サッカーの試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――
そんな、大学時代のサッカー部のコーチからのメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。
そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めるツイートをした。
……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスをクリックする手が震えたのを覚えている。
それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員はボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。
ツイッターを確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。
あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。
その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。
だから俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上を回避できていたか、あの子は若気の至りで済んだのかもしれない。
あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。
同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスのひとつにニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaがもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。
ここに電通の記事があった。やはり『国民の知らない反日の実態』などのネトウヨサイトを巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。
それで、ニコニコ大百科にある電通の記事を編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。
こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通は反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。
さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。
内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。
残念ながら、要編集記事に指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。
というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員の仕事をやらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職に成功したのだ。
あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。
それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨを卒業したのだ。
今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語の舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨを脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質をゼロにしたい。
終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部や私生活の日記とか、フリーター時代にサイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixiやtwitterのマイページとか、公務員試験の学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。
ネトウヨにならない方法は簡単だ。毎日の食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。
つまらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなたの暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう。
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お気に入りに入れてた人がいたらごめん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/nalltama/status/1633447007925993473
女性が結婚に焦っていた時、男性は結婚に難色を示した。男はいくつになっても大丈夫だからと思っていたから。
女性が生理休暇を求めた時、男性は声を上げなかった。男性には生理のような生来的な身体の不調はなかったから。
女性が「労働者の権利、有給使います」と言った時、男性は有給を使わなかった。休まず働く事で上司にアピールしたいと考えたから。
定年近くになった男性が、独身男性の平均寿命が短い!幸福度が低い!と言ったとき、彼らのために声を上げる者は誰も残っていなかった。
下ブコメ欄でのトランス女性(肉体がたまたま男になってしまっただけで、自意識・心は女性)に対する分離排除を肯定するブコメの理屈が、
黒人の犯罪・黒人の肉体に恐怖心を感じて、安心感のために黒人の分離排除の差別を認めた白人の理屈ほんとーにそのまんまで、ウンザリする。
普段あれだけ「差別よくない」「少数弱者の保護を」「人権大事」と言ってるのは、ポリコレ教科書のお題目を唱えてるだけの口先だけだったんだね。
心は差別主義者のまんまだよお前ら。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DXRqhPhsjPUAUPJ/status/1632197993431715840
「家族と他人を区別するのは差別だから、赤の他人でも自分の家に自由に出入りさせましょう」「泥棒が怖い?悪いのは泥棒なので他人全員を警戒するのは差別です」と言われて受け入れられる人ってどの程度いるんだろう
『家族と他人を区別するのは差別だから、赤の他人でも自分の家に自由に出入りさせましょう』
って、誰が「自分(あなた)の家にトランス女性を自由に出入りさせろ」なんて言ってるの?誰もそんなこといってないよ。女性として女性なら入れる場所には入れてと言ってるだけでしょ。
例にすらなってない「トランス女性受け入れ論はこんなに危険で酷いのよ!」と事実無根・元発言者皆無の捏造文で印象操作して危機感を煽る卑怯で卑劣なブコメ。夫婦別姓や同性婚が実現したら日本が壊れる!と言ってる反対論者と全く同じ(いやそれ以上に)汚い手法。典型的な差別の扇動者。
こんな捏造ヘイト扇動が批判されるどころか、トランス女性相手であれば逆に最も支持のスターあつめてトップブコメになるのが今のはてブなんだよね…酷すぎる。
はてブの女性達にとっては「生来の肉体的女性だけが入れる場所を守らなければならない、体が男で女を自称してるだけのニセ女をそこに受け入れるのは、他人を自分の家に入れるのと一緒。我々の住処を守ならければ。トランス女性は異物だ。家に家族だけが住むように、女性だけの場に異物であるトランス女性を入れるな。排除しよう」て意識なんでしょうね。そうでなければこんな酷すぎる例え出てこないし、スターもつかないよね。
『泥棒が怖い?悪いのは泥棒なので他人全員を警戒するのは差別です」と言われて受け入れられる人ってどの程度いるんだろう』
だからー、トランス女性は泥棒なの?性犯罪者なの?違うでしょ。
「我々は男の性犯罪者から被害にあう可能性がある」そこまではわかる。事実だ。でもそこから「トランス女性は女を自称してるだけで実は男だ。男なのだから我々女性に性犯罪を加えてくるはずだ。怖い。排除しよう。女性だけの場に入れるな」て思ってるからそんな泥棒に例えちゃうんだよね。
それ、「トランス女性を女性と認めない」「トランス女性を潜在的な犯罪者として扱う」と2重の意味で差別なのよ。
ほんとにもうね、「不安だから安心感のために区別して排除しよう」って、黒人の犯罪率の高さや肉体の屈強さに恐怖を感じて、白人女性達の安心感のために黒人の分離排除の差別を肯定したジム・クロウ法を作って肯定してきた白人達の主張まんまなのよね。
黒人が白人女性に声をかけただけで「白人女性に恐怖を与えた。白人女性を襲おうとしてるんだ、女性を守れ!」と正義の怒りにかられて14歳の黒人少年をリンチで惨殺したエメット・ティル惨殺事件の犯人たちとまったく同じ思考だよ。そこから何も進歩してないよ君たち。人間の本性はそうそう変わらないということかね。
そうそう、黒人を排除した白人達も、「恐怖故の排除じゃなくて、現実に犯罪とその被害があって」排除したんだよねー。
で、トランス女性が「現実に犯罪とその被害」を起こす根拠は??
根拠もなく「男の体を持ってるから怖い」ていう偏見による恐怖そのものでしょうが。こんな一瞬で看破される詭弁にスターが2番目に集まって上位2位ブコメになるのがはてブなんだよね・・・ほんとひどすぎるよ。
そうそう、黒人を警戒するなという平等主義者の理屈だと、子供に見知らぬ大人を警戒させることもできなくなるよね。犯罪者の味方なんだろうね。
という、またまたトランス女性→男だ→性犯罪者だ、の2重の偏見による差別扇動ブコメ。こんなのが3番目にスター集めて(以下略
ほんとウンザリだ。
「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るなら浴場を男女で分ける必要ないとも言えそう。同性愛者の犯罪もあるし。「肌の色」による区別は非合理だけど「身体的性別」を同視するか、合理性の程度の問題。
上位4位のブコメ。これまた酷い。
『「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るなら浴場を男女で分ける必要ないとも言えそう。』
「犯罪者個人が悪い」もわかるけど、それで解決出来るならバスの座席を白人・黒人で分ける必要ないとも言えそう。
その通りですよね。当時、「知性があり肉体的に弱い」白人と「肉体的に強く犯罪傾向の高い」黒人の分離は、男性と女性を分けるのと同じくらい「当然のこと」だったんだよ。モンゴメリーのバスで白人・黒人の座席を分けてローザ・パークスを排除した白人達もそう思ってたんだよね。
差別を「今それが当然だから」と認めたら差別が続くだけなんだよ。
だから何?それだと「肉体的女性で女性を性好する同性愛者による犯罪もあるから、トランス女性だけ排除する意味はない」というあなたの主張と逆の結論になるけど。バカなのかな。
それとも「トランス女性と同じように同性愛女性も女性に対して性犯罪をするから女性だけの場から排除しよう」という主張なのかな?より酷いね。
『「肌の色」による区別は非合理だけど「身体的性別」を同視するか、合理性の程度の問題』
自分が差別の合理性を判定する権限を持つ神様・世界の支配者気取りなのかな。
その「非合理」「合理的」て誰がどう決めるの????「黒人差別は非合理で、トランス女性差別は合理的」と誰がどう決めたの??本気で教えて。
「大衆の意識、世論、多数決」なんて答えならがっかりだよ。それだといまだに黒人差別は公に続いてただろうね。
以下、多数の差別肯定・差別扇動・偏見ふりまきブコメが最新に至るまでズラーッとつづくが、ひとつひとつ読み込んで反論してると、あまりに皆の本音の醜悪さへの怒りで心がすり減ってダメになりそうなので4位までで勘弁してくれ。
もうほんっっと酷過ぎるわはてブ・・・普段「差別反対」「少数弱者を尊重しろ」「人権人権」と言って他人を殴りつけたり放火したり薪をくべてる連中の本音、本性がこれかと思うと、怒りと情けなさで涙が出てくる。ポリコレはお前らのうっ憤はらすための攻撃兵器じゃないんだよ!人権のための思想だよ。
解がさっぱり分からんので、素人が言えるとしたら「統計的差別を容認する前にせめてトランス差別解消の意思を見せろ」くらいだと思うけど、そうすると「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」で膠着状態に…
これだけ言ってもまだわからんか。
黒人差別反対の主張に対して、「黒人差別の解消を叫ぶ前に、その前にせめて黒人による犯罪の多さの解消の意思を見せろ」と要求するクソな醜悪さがわからんのか。(実際に過去にも今もそういう主張する白人、わりといる)
「膠着状態」になんてなんないよ。なぜそんな意見を考慮する必要があると思うの?「せめて黒人の犯罪をなんとかしてから黒人差別反対を訴えろ」と思うのか?それと全く同じ主張を差別反対と同列に扱ってると自覚できんのか。
なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。
「その前にせめて」じゃねえよ。
個人が犯した犯罪を、属性全体の罪にするのは差別そのものなんだよ!
論旨はわかるが、これで「肉体的に男性のトランス女性が公共施設の女性のスペースに入って来たら怖い」という女性の意見を「差別」だと非難して封殺する風潮を正当化はできないと思う。。
誰も「怖いと思うな」なんて言ってないでしょ…
実際には知的で犯罪や暴力を嫌悪してる黒人がいても、黒い肌を見たら反射的に「怖い」と思う人はいるし、それは批判されないよ。
「黒人は怖い」と思うところまでは自由で、そこから「怖いから分離して排除すべき」と制度や行動に訴えたら差別なんだよ。
そして今はトランス女性の分離排除の差別が公然と行われて、しかも「怖い、排除して」の意見が差別的とされず「多数の肉体的生来女性の自然な意見」と認められちゃってるんだよ。
なんでそんな基本的な事がわからず(あえて無視して)「怖いと思うのすら差別扱いされる」とオーバーに表現して差別反対論への危機感・嫌悪感を煽るかなー
あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。
高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的な理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。
それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。
え、あ。
へえ〜。
はあ、そっか。
言葉が出てこなかった。普段は感情を言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。
友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。
そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ちの弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。
元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。
それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。
こんな簡単な言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手、しかも女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。
きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。
もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。
浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。
そう、私のものだったんだよ。
高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前の漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。
高校1年生の夏、みんなで頑張った部活の練習。暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。
高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後の喫茶店。お前はキャラメルのカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。
高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン。本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから、義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎、義理チョコにあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。
高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったからあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。
高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。
高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石の気持ちを強くわかったな。
高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚のスカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。
高校3年生の春、コロナが流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所に公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。
高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しかも受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語と読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。
高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験を応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。
高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。
でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。
選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。
また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラに爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯をリクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。
もう一度好きになってよ。
本日はビキニデー、日本ではデコポンの日、マヨネーズの日となっております。
ビキニはビキニでもビキニ環礁での核実験、その中の一つとなる水爆実験キャッスル作戦のうちのブラボー実験が行われた日でございます。
水着の元ネタの方は第一回目の原爆実験クロスロード作戦の中の爆発試験の一つエイブル実験が元ネタになります。
ややこしい、
ブラボー実験の方では被爆した船が1422隻もあり、そのことから今日がビキニ・デーとなっております。
まぁさらっと言いましたが人間は人間が扱うにはとても危険すぎるものを取り扱ってなんとか文明を進化させております。
危険な火を火傷や燃焼させながら使いこなしているのだから、僕らは生来から懲りない性格なのかもしれません。
ということで本日は【危険物の適切な取り扱いよいか】でいきたいと思います。