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はてなキーワード: 内田樹とは

2023-05-20

何年か前に内田樹

ネトウヨ韓国叩きばかりして中国には触れない。中国には敵わないから弱いものいじめ韓国を叩いてる」のような分析をしてた。

でも最近は、日韓関係は良くなって、中国には反中どころか武力で対抗しようって感じになってるじゃん。

中国に敵わないか軍事力で対抗するなって言ってるのは左派だし。

ほんと適当だよね。

2023-04-16

大阪維新について

ヨッピー:働かずに給料もらってた公務員問題視して減らしました。

https://note.com/yoppymodel/n/nfb5ed80ea890

内田樹公務員は減らせるだけ減らす。行政コストは削るだけ削る。

http://blog.tatsuru.com/2023/04/16_1101.html

先生、そう言う都合の悪いとこは伏せて語るようなとこはもうみんなに見破られてるからやめた方がいいんでは。

維新評価」として書いた文章やけど賢い先生なはずやのにヨッピーさんに明らかに負けとるがな。あと維新あかんいうならもう少し具体的な違う未来像見せてくれ。国際競争から外れるのが良い言うなら北朝鮮みたいな国になるのがいいってこと?絶対はっきり言わんのよね。「維新ダメだよねーはいはいマッチョマッチョなことばかり、あかんわー」くらいなことしか言ってないぞ。

2023-04-05

anond:20230404001501

はいダウト

なんではてな民って毎回毎回この手のしょーもない専門性無人文系おじさんの戯言をわざわざ読みに行って

俺は内田樹なる名前を見ただけで「いつも何か変なこと言ってるおっさんか」と思うだけでわざわざ読みに行ったりせんわ

2023-04-04

anond:20230403182404

この増田は、内田樹という権威脱構築するものだし、内田樹本人が広めるべきだよな。

anond:20230404091244

ちなみに内田樹とか亡き小田嶋隆も実はそういう「ちょっとおかしくね?」的なことにツッコミを入れる芸風でウケたので(内田の方がよっぽど上品ではあったが。俺は小田嶋の方が好きだけど)、ある意味ひろゆきとかの先駆者ではある。問題は、これは彼らに限らないけど、ネットSNSガチ専門家発言力を持つようになったことによって、その「ちょっとおかしね?なツッコミもっとおかしくね?」と可視化されてしまたことにある。

内田樹の論評って、事実誤認っていうか、認知の歪みレベル事実解釈おかしいのが多々見られるからブクマがついてホットエントリに来ていても見なくなったわ。

2023-04-03

anond:20230403182404

色々間違っているのは内田樹ではない。

日本アメリカの属領でアメリカの機嫌をソコネルとクビが飛ぶ。

これは陰謀論ではなくて本当。

まず事実関係認知が甘い。

あと日本人がなにをどう言おうとロシア認識アジアで最もロシア制裁積極的な国とされている。

サハリン利権を確報?それだけじゃだめだね。

この辺の認知は甘すぎるし雑。

あと岸田はロシアに嫌われすぎ。全く信用や人望がない。

しか日本人の批判内田樹とかーと大体似てるの。

一つ言っておくと国内でなにをどう言おうと真珠湾攻撃でまったく世界から信用されないのが日本

サハリン2はサハリンの人たちの生活もあるからやっているけど9条を改憲したらアウトだな。9条は国際的日本誓約で(なぜ死文化してるデマ流行るのか?)それを破ればその時点で戦争になる。

なにしろ嘉手納基地岩国三沢アメリカ基地ばっかり。どこかに核ミサイルあるでしょ。

さらパトリオットポンコツで役に立たない。撃つのに人数が多すぎ。あとスピードもおそい。ロシア中国には通じない。あっちのミサイル極超音速

まあなにを言っても文字しか読めないカタログミリヲタには通じないけどな。

内田樹記事事実誤認が多すぎて体調崩しそうになった

ネタ

http://blog.tatsuru.com/2023/04/02_0947.html

賛成できる部分もあるが、個別の具体例に対して事実認識が古いか間違っている内容が多すぎて、読んでて気分悪くなった

一つは米国に徹底的に追随すること

外圧を利用して政策を通す、といういつも通りの政府のやりかたであって、米国のいいなりと言い切ってしまうのは一面的にすぎない。米国日本要求している事項は多くあるが、日本にとって都合のいい要求だけ呑んでいる。例えば、米国ははロシアへの経済制裁圧力をかけているが、日本サハリン2から撤退する気配はない。米国へ徹底的に追従するというなら、今すぐにでもサハリン2から撤退してしかるべきだが、そうしていない。

国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているかである

でたよ雑な日本人論。安全保障について考えるのが政府仕事というのは世界共通であり、別に日本に限ったことではない。日本人が平和ボケしているという人は多いが、実際平和なのだからしょうがない。ウクライナ戦争が始まってから慌てて軍縮撤回しているドイツなど見てわかる通り、平和ボケ別に日本に限ったことではない。紛争を抱えていない国はたいていこんなもんであるロシア中国隣国とは言えども海を隔てているのであり、例えばロシアと陸続きの東欧などとは、安全保障に対する意識の差は比べようもない。世界中積極的揉め事引き起こしているアメリカでさえ、一般国民の大半は安全保障に関しては無関心で、日本人より関心を持っていないまである共和党の有力な大統領候補ポピュリスト二人がウクライナへの関与を減らせと言って支持を得ているのが、その証左だ。

安全保障戦略米国が起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権別に安全保障政策の「大転換」したわけではない。政権によって米の要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから国民は誰も驚かないのである

最近日本外交政策を全く追いかけられていない無能アピールか?俺は安倍首相政策に対してはかなり批判的な方と思っているが、「外交安倍」に関してはかなり評価している。というのも、QUAD提唱したのが安倍からだ。QUADが始まったのが2007年アメリカが対中シフトを始めたのが2011年であることを考えると、むしろ日本アメリカ外交政策を動かしたといっても過言ではない。いや、過言かもしれないが、少なくともアメリカのいいなりになってQUADを始めたわけではないというただ一点において、内田樹の言説は全く持って誤っていると言わざるを得ない。安倍首相時代安全保障政策は大転換しており、そして、その時の外務大臣は岸田である安倍政権がクソであったことはさておき、日本外交安保政策における主体性は正しく評価されるべきである

岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢ものではない。だから長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力生命線となる。ホワイトハウスから米国にとってつごうのよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「米国に盾突く 」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。

陰謀論。まだGHQ日本駐留してるならともかく、21世紀現代でそれは無理がある。日本アメリカ属国であるという命題から逆算した結果、とんでもない主張をしているとしか思えない。属国であるということは否定しない。外国軍隊駐留していて、その駐留費用日本負担しており、外国軍隊治外法権享受している事実を列挙してみれば、属国扱いもしょうがない。だが、現代アメリカに、その時の気分次第で日本首相の首を挿げ替えるような力があるのだろうか。いやない。あるなら事例を出せよという感想しかない。菅首相アメリカのいうことを聞かなかったかアメリカに首を挿げ替えられたとでも思っているのだろうか。

岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権延命」だけである。喩えて言えば、船長目的地を知らない船のようなものである自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。

岸田首相安倍首相外交安保政策主体的継承、推進しているので、指摘は当たらない。岸田首相動機に関しては、本当かどうかはともかく、NHKの以下の記事示唆である

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93812.html

総理周辺はこう解説する。「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分仕事だと、よく語っている」岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣経験短期間だが防衛大臣兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交努力だとしながらも、外交説得力を持たせるためには防衛力必要だという考えを持つに至った。「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」

それが、岸田の信念だという。その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。

国民の声を聴く」とか「個性多様性尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされた。

これは同意。まあ選挙向けの適当アピールだったんだろうが、特に「新しい資本主義」の中身のなさっぷりにはかなり失望した。何をどうやったら再分配が消えて投資連呼になるんだよ、内容が180度転換してるじゃん。これこそ国民をナメてるとしか思えない。

今回の防衛予算の積み上げも、まず米国から要求があり、それに合うように予算が組まれさらにその予算枠に合うように、「中国北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである

ここに関しても同意金額ありきなのは本当に意味不明アメリカから外圧を利用しての2%なのは構わないが、予算の内容について防衛省と調整してから出せよ。それを悠長に待ってたらタイミングを逃すから、という極めて政局的な判断なのであれば、それは批判されてしかるべき。

日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシープログラム)」の兵器とされている。中国との競争において、米国AI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地空母戦闘機時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのであるしかし、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである

ここに関しては完全に誤認している。情報が間違ってるし古い。開発中は開発期間の延期と開発費の高騰で失敗作扱いされることもあったF-35も、今では様々な不具合が改修され、最新鋭の戦闘機として各国に順次導入されている。本当に時代遅れの欠陥機なら、米国と仲が悪いトルコがわざわざF-35供与要求するわけないじゃん。トマホークも初出は古いものの常にアップデートされており、日本が購入するブロックVは2021年開発である亜音速巡航ミサイルが古いという言説も、ロシアウクライナ戦争前に自慢していた超音速ミサイルが期待通りの成果を上げていないことを見れば、何言ってんだこいつしか思えない。

米国AI軍拡で後れを取っているという言説に至っては完全に意味不明だ。OpenAI中国製だったのだろうか。中国米国比較して先進的な軍用AIを開発した、というのも聞いたことがない。一応中華ソースニュース記事も調べてはみたが、中国AI開発に遅れを取っているというような内容しか見つからない。

不良在庫を言い値で買ってくれるのだから米国にしてみたら日本自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることを米国が願うのは当然なのである

前提があらゆる部分で完全に間違っているため、この結論にもうなずけない。思いやり予算批判でもしてればいいのに。

日本国民属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国政権正統性根拠第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである米国に気に入られている政権であることが何よりも重要だと日本国民自身が思い込んでいる以上、日本人が岸田政権に不満を持つはずがない。だから、岸田政権防衛増税を進めても、インボイス制度マイナンバーカードなどで、国民負担を増大させても、国民デモストライキもしない。それは国民自身が「政府というのは、国民生活のために政策実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているかである

全体的に批判が雑。岸田政権に不満があるから支持率が下がってるんじゃないのか…最近また上がってるけど。デモストライキをしない=政権支持というのは短絡的すぎるし。

インボイス制度の導入で被害を被るのは零細の個人事業主という狭いターゲットであり、これに対して大規模なデモストライキは起きにくい。というかデモ自体はやっているが、ニュースにならないだけである安保闘争の時のように、100万人単位で動員しないとデモ認定されないんだろうか。サラリーマン非正規というプロレタリアートにとって個人事業主というプチブルは敵であるから、むしろインボイス導入を喜ぶべきであるという冗談はさておき、労働組合個人事業主に雇われる側なんだからストライキにはならんだろ。

またマイナンバーカード国民負担を減らすための施策であり、マイナポイントというエサで導入を釣ったり、保険証からの性急な切り替えに対して文句を言うのはともかく、国民負担増大というくくりに入れるのは具体事例としてどうなの。復興特別所得税防衛費へのつけかえとかもっと直球な負担増大の具体例あるじゃん

そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党選挙には勝ち続けることができる。

https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

長期的なトレンドとしては下がってますが、ここ数年の国政選挙投票率は上がっています。この理屈だと菅と岸田政権国民の期待が上がってるみたいじゃん。

通してみると、全体的に認識が間違っているというより古い認識からアップデートできてないのかな、と悲しい気分になった。

2022-11-26

anond:20221125182635

内田樹さんかだれか現役の名前さらしてる大学教授だったか

ハラスメント対策室はなにもできません」っていってた

なにしろ教授間のハラスメントも、さえぼうさんへのものをはじめとして、たくさん実在してるわけなので。

生徒へのハラスメント以前にオレへのハラスメントやめろや!ってがちけんかになる人間たちが

回り持ちでうしろだてもなく「室」の肩書きつけてたって解決するほうがおかしいでしょ。

あと研究者ってのはどう説教されても主義主張をまげないよ。首にされたら不当解雇訴訟するし。

野球選手だのブラックジャックみたいなフリーランスだし、そのうえ高給でもないのにこきつかわれるのは部活ブラック高校教諭と大差ないからね

論文同人誌とおもえばほぼ自分勝手エログロかい一部の人からもちあげられて喜んでる同人作家とおなじタイプの生き物なんだぜ、研究者ってのは。

組織にいても不自由なだけだから理不尽なことで注意されたとおもったらすぐ出て行く(訴訟も起こす)だけなんだよ。

じゃあ第三者委員会権力もたせればいいだろって?

オリンピック委員会みててもそうだけど、なんとか協調させるために第三者委員会つくったら、いずれはそいつらが権力の甘い汁をすい散らかすから

その上に第四者委員会必要になるんだよ。泥沼だよ。

2022-11-25

anond:20221124164642

内田樹国内外国軍基地があるとき反基地運動の先頭に立たない右翼なんか世界中探してもどこにもいませんよ。親米右翼というのは、日本だけに存在している奇形的な存在なんです。」

http://blog.tatsuru.com/2022/09/12_1044.html

2022-10-13

係長なのにいつも雑務をこなしている自分肯定したくて書いた

内田樹村上春樹小説に出てくる雪かきのような仕事をする人が現代には必要だと言っていた。

誰かがしなくてはいけないが、責任者が明確でない作業遂行する人のことだ。

会社だと給湯器補給とかコピー用紙の補充とかFAX担当部署に持っていくとかシュレッダー袋の交換とか2コールでも誰も取らない電話を取るとか運送業者荷物を取りにくとかだろう。

市場原理的にはこれはイレギュラーで、引き受ける人は損な役割だと思う。

ここまで書いて筆が止まったのでAIに続きを書いてもらった↓

だけど「みんながやりたがらない仕事」を引き受ける人が日本には足りないらしい。

「みんながやりたがらない仕事」を引き受ける人は確かに損をすると思う。

でもその分、大きなリターンもあるのだ。

村上春樹はそのことをよくわかっている。

ノルウェイの森」も直子が直美のアパートのドアを開けて入って来たところで終わっている。あの後、直美と直子がどうなったのかはわからないが、おそらく二人は再び出会ことないだろう。しかし二人の間に何があったかはわかる。それが「ノルウェイの森」の結末である

ノルウェイの森」を書いた時、村上春樹は「この小説は終わりませんよ」と言ったそうだ。つまり二人の物語は終わらない。二人が再会しないからと言って、それは終わりではない。これからも直子は直子として生きていくし、直美だってそうである。そして直美のことを好きだった和司や裕也たちもまたそれぞれの人生を歩んでいく。

ノルウェイの森」は「終わる世界」の物語だが、「終わる世界」はまだ終わらない。直子たちはその後も生きていかなくてはならない。

直子たちが生きることが、すなわち直子たちの物語の終わりなのだ。直子たち自身が直子たちの物語を終わらせる。

ノルウェイの森」にはそういう側面があるように思える。

ノルウェイの森」は直子の物語であり、直子の物語の先に他の登場人物たちの未来がつながっている。「ノルウェイの森」は直子の人生物語であると同時に、直子以外の人々の人生物語でもある。直子と直子を取り巻く人々は、彼らの人生を生きている。直子自身も彼らと同じように自分人生を歩む。直子は直子として直子の人生を生きる。直子は直子なりに、彼らと一緒に生きる。彼らは直子と共に生きている。

直子の夫であり、直美の父親であるレイジは、直子と共に直子の人生を生きている。直子の家族であるタカシリョウコは直子と共に直子の人生を生きている。直子の友人であり、直子の恋人であったミドリは直子と共に直子の人生を生きている。直子の仕事仲間であり、直子の元恋人であったワタナベさんは直子と共に直子の人生を生きている。

読者もまた、読者自身人生を生きている。

2022-09-16

うっわ

松井市長インタビューへのリプライで「所得制限つら」って言ってる人がいた(個人的同意)のに

それについたクソリプライで「昭和のころも(補助金など)なかったですがなんでできないんですか」って書いてる人がいて

内田樹くらいよまんのか…っておもった

麻雀で払える学費(数万円)だったものを、(学生運動に凝りた)国立大学費ガンガンあげて今や50万超え。

高校たかバイトで50万貯金があるから大学入ろうかなんてやつおらん。親が学費払わないといけないのが大学

もちろん留年でもしたらそのたびに同じ金がかかる。休学も同様でコロナ休学や犯罪被害者休学の人が訴訟おこしてた。

日本大学富豪のためのものにしてしまったって内田教授の話マジで同意です

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クソリプついてたかソースよめ

https://togetter.com/li/1943663 これをみた内田さん

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-20

教養」とは何か

教養を身に付けられる本を教えて欲しい。

anond:20220720124155


この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。

ブクマトラバがもうそんな状態になりつつある)

しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。

ほぼ全員が「教養」と認めるであろう分野

(1) キリスト教

 これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。

ただ日本キリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)

個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。

なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。

(2) マルクス主義

 ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。

その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。

むかしは手に入りやすくてわかりやす入門書不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイ入門書お勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三著作は今でも分かりやすくてよい)

みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。

だいたいの人が「教養」と認めるであろう分野

(1) 歴史

 マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。

好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。

ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。

なお、第二次世界大戦については最近川田稔昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。

(2) 文学

 文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。

そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教知識がここで生きてくる。

日本小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本近代について一席ぶてるようにしておこう。

それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事

(3) 哲学

 わが国では哲学について昔からデカンショデカンショ半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルトカントショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。

ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。

どうせ正確な理解なんて無理なのだから適当アンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。

なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。

教養」として挙げる人が一定数いる分野

(1) 法律学

 「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。

上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。

下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹解説を読んで都度勉強すると良いだろう。

(2) 中国思想インド思想(仏教含む)

 ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。

こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。

ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛作業になるので、視野を広げて中国思想インド思想辺りに目を向けるのが良い。

個人的には森三樹三郎の著作が分かりやすくて良い。

(3) 自然科学

 「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。

自然科学話題になると、トーマスクーン科学革命構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。

ヨビノリをはじめとした学習コンテンツYouTubeに転がっているので、せめて高校数学物理ぐらいはやっておかないといけない。

人によっては「教養」として挙げる分野

(1) 詩

 上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。

論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。

幸いなことに最近詩人渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。

(2) 映画

 なんか知らんが「教養人」は映画好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。

イギリスエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。


 とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。

ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。

2022-07-01

共産党はきちんと見直しするとかいう割に選挙公報見ると酷いよな

共産党毎日のようにTwitterトレンド汚染してるの見る度に嫌な気持ちになるんだけど、はてなー限界中年独身オジサン界隈ではなぜか共産党人気だよな。

家族持ちじゃない人に響くなんかあるんだろうけどさ。

そういう限界中年共産党改善見直しができるとかいうもんだから自分とこの選挙区選挙公報読んでみたんだよ。

公約にまともなこと書いてるのかな?と思って。

選挙公報に書いてる公約上意下達の酷いもんじゃねーかよ。

なんだよ、オスプレイがどうこうって。

自衛隊採用して問題なく空飛んでるのに、未だにくだらない住民運動政治闘争ネタのためだけに載せてるのかよ。

闘争したい老人向けの公約を挙げるのも問題外だし、自分で考えてないのが丸わかり。

しかも左側1/3くらいのスペース使って、共産党応援者の名前が載ってるんだけど、内田樹とか宇都宮健児はあーそーねーって感じなるけど、浜矩子とか載せちゃうのかよ。

浜矩子支援者として堂々と書いちゃう経済感覚の無さは致命的じゃないの?

共産党支持者って、みんな浜矩子とか言ってること正しいと思ってるの?

2022-06-10

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結論

震災話題からコロナ話題になりました。

anond:20220610111821

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全文無料】総目次 世界史/日本史のまとめ|みんなの世界史|note

「この政権、とんでもないところに手を出してきた」 学術会議任命見送られた松宮教授政治地域ニュース京都新聞

安倍首相辞めはりますか - MINITRUE

結論

意識高い系から政治老害系になりました。

2022-03-20

anond:20220320135302

内田樹がそれを「知らない」かどうか、君は知っとるんか、すごいな。

それとも本人なんか? 自虐

2022-01-24

左翼からいまのウクライナ情勢はこう見えている

米英の諜報界(軍産複合体)が、ロシア挑発してウクライナ東部に侵攻させようとしている。

正直狂ってるとしか思えない文章だが、田中宇の関連ユーザーで出てくるのは宮台真司金子勝内田樹左翼界隈の重鎮ばかり。

未だに冷戦時代から一歩も世界観進歩してない老害が牛耳ってるのが左翼界隈。

2021-09-10

anond:20210910201457

もう老人なって死にゆくだけの世代が望む清貧のため、お前らは等しく貧しくなれって言うの本当に酷いよな。

はてなリベラル内田樹とか好きそう。

2021-07-24

日本テレビから気概が失われた

1993年から1995年にかけて、日本テレビ紅白歌合戦裏番組企画野球拳をやった。

これに対しては『なんて低俗な』『女の裸で視聴率稼ぎか』といった抗議が殺到したらしいし、増田もかつてはそう思っていた。

その認識を改めたのは、1997年1998年雑誌掲載されていた企画インタビューを見てからだ。

もう20年以上前の話なのでうる覚えだが、企画者は次のように語っていた。

・「音楽スポーツ視聴率を稼ぐのは高尚で野球拳視聴率を稼ぐのは低俗だというのは根拠があるのか」

・「結局は紅白歌合戦だってNHK音楽関係者自己満足のためにやっているオナニーにすぎない。そこに年末という雰囲気公共放送看板を被せて高尚なものに見せかけているだけ」

・「相手低俗オナニーなのだからこちらも『結局はこれと同じなんだよ』と限界まで低俗番組をぶつけるために野球拳企画をやった。それが民放人間気概だったのだがそのことが伝わらなくて残念」

そんなことを語っていて、確かにそれは言えると考えが180度とまではいかないが90度くらいは回転したことを覚えている。

それに比べたら今の日本テレビはなんと気概の無いことだろう。

オリンピック開催までは感染拡大の懸念を煽っておいて始まったら平気でオリンピックを中継する。そのことに何の疑問も持たない。

オリンピック開会式裏番組内田樹氏、北原みのり氏らを呼んで反オリンピック番組をやる』という直接的な行動でなくとも、『開会式裏番組で"あんもの自民党政権スポーツ関係者オナニーしかないのだからこちらもオナニーで対抗する"と野球拳をやる』『野球拳が無理なら故・志村けん氏に敬意を表してうんこちんちん下品番組をやる』などの気概を見せるテレビ局はなかったのだろうか。

2021-07-23

消されたかな?

小林賢太郎氏の解任と、わたし責任

8,674

岸田 奈美

2021/07/22 15:29

※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。

21:26追記

過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたし説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません

ラーメンズが好きだ。

小林賢太郎氏が好きだ。

父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める

父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うときわたし孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。

孤独から出会えた笑いで、孤独からつながれた笑いだった。

その小林賢太氏郎が、東京オリンピックパラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したときわたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。

こう、なんか、ものすんごく無責任オタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたし芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである

わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。

その小林賢太郎氏が、今日をもって当該職を解任された。

実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。

情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。

京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。

解任の理由1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。

その決定に、わたしは反対しない。

五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実侮辱されてはならない。

なのでこの文章は、オタクわたしわたしに宛てた、ただの戒めである

小林賢太郎氏は、責任をとるために、当職を解任された。

というかもう、ここ最近責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。

内田樹氏は自著「困難な成熟」で述べた。

責任を取るということは、不可能です。以上、おしまい

シンプルすぎる。

シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、

要は

「ごめん、で済む話はない」

ということだ。

人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。

体だけじゃない、心だって死ぬのだ。

あってはならないことだけど、学校いじめにあった子ども自殺して「一億円の損害賠償請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。

責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。

ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。

まさに今。

そんな世界で心穏やかに過ごすには、どうすればいいのか。

ここから内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。

「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか

勘違いしてはいけない。

これは、わたしは知らん、わたし関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。

それは「わたし責任を持つよ」と、言うことだ。

なんかまずいことが起こったとき責任他人なすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。

「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。

責任は、誰もとれない。

誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間幸福に、豊かに安全に生き延びることができる。

だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかから

さて。

長くなったので、わたしオタク語りに戻ろう。

小林賢太郎氏が過去発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。

映像に映っている観客と同じく、わたしは笑った。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組MC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。

小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。

今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったかわたしはわかる。

それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである

道徳観は、自然に身につくものではない。

教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。

道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。

小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコント演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイック創作であるストイックすぎて芸能界引退したようなもんだとわたしは思う。

年々、彼の思考作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。

世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉パントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。

そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンわたしたちは話さなければならなかった。

ユダヤ人大量惨殺ごっこで笑うのは、アカンかったね」と。

彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。

今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。

20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ

そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。

しろ批判されているコントできるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。

時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。

からこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。

そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。

つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかし揶揄されるのがつらい。

しかし、それもまた、気色悪いわたし責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。

推しは、推せるときに、推せ。

誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。

行き過ぎた悲しみに気づいたときわたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。

「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」

推し世界に魅了され、推し世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。

それもまた、推すという行為なのだと、信じて。

そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。

最後に、蛇足だけど、これだけは。

10年、企業広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念普通に存在する。

完ぺきを畏れる社会で、人は、簡単に謝れない。

しか小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメント自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言かば余地はないが、なかなかできることではない。

ついていくぞ、どこまでも。

(当初ここに、オリンピックパラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)

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