はてなキーワード: 固定観念とは
でも長く住み続けて、治安が悪くなったとは思わない。
むしろ相当良くなったと思うし多くの「現地の住民」はそう思っている。
そういうデータも出ている、が実際世間的なイメージというのは昭和から平成になって令和になっても30年40年50年と経ってもなかなか払拭できないものであり、治安が悪いと言われる場所に住んでいることには変わりないだろう。外国人も多いしね。
最悪から悪になったくらいで治安がいいと言っていると取られるかもしれないが、少なくとも家の中の押し入って強盗するような事件はこの地でも、その近辺でも起きていないようだ。
実際市民が良くするように活動したり、そこに重点的に市政などが重きを置いてきたからというのはある。せざるを得なかった。治安が悪かったから。
今急激に治安が悪くなっている地域がある。世間イメージはそうでもなかったのに、なぜか。
結局日本の各地域はそれぞれいつでも治安は悪くなるのであって、一度そうなるとぼーっとしてるだけではその地域は平和になることはないのだろう。でも人々はぼーっとはしてられないので、いつか浄化する。(イメージ回復はなかなか難しいが)
そして油断していた別の地域に悪は移っていって、また別の地域の治安が悪くなる。
日本のネットはいわゆる過激な層が40代50代60代以上で集まって地域差別的な言論する傾向があるように思う。だいたい2ちゃんねる民なのではないか。これは偏見か?
なので一昔前どころか二昔三昔前の現状で地域を語っているように思うが、いま住んでいる人の声は大事にしてほしい。
そのうちこの国は「治安が悪いイメージの場所」しか無くなってしまう。固定観念を払拭できないのは老いにも等しい。
それとは別に、治安が悪い場所を正確に把握しないと駄目だ。今進行系で治安が悪くなっている地域は、住んでいる人ですら気づいてない場合がある。
年寄りどころかおそらく防犯情報を逐一チェックしている人は「ここは治安はいいから」と生まれ育った大人にも少ないだろう。
「女叩き」がなぜ流行るのか、その理由は複雑で、歴史的、社会的、文化的背景が絡み合っています。単純に一つの要因で説明できるものではなく、様々な要因が複合的に作用していると考えられます。
* 女性はこうあるべき、男性はこうあるべきという固定観念が根強く残っている社会では、その枠から外れる女性に対して否定的な感情が湧きやすいことがあります。
* 特に、社会的地位や発言力のある女性に対して、嫉妬や脅威を感じ、攻撃的な態度をとる男性もいるかもしれません。
* 女性に対する差別や偏見が社会構造に組み込まれている場合、それが無意識のうちに人々の行動に影響を与え、女性蔑視的な言動を助長する可能性があります。
* 例えば、職場での昇進機会の不平等や、家事育児の負担が女性に偏っているなど、社会構造的な問題が根底にあることがあります。
* マスメディアの影響:
* マスメディアは、意図的か否か、女性をステレオタイプ的な形で表現したり、女性に対する暴力や差別を肯定的に描くことがあるかもしれません。
* これらのメディア表現が、人々の意識に影響を与え、女性に対する偏見を強化してしまう可能性があります。
* インターネットの普及:
* インターネットの普及により、匿名で誰でも自由に意見を発言できるようになりました。
* その結果、誹謗中傷やヘイトスピーチが横行し、女性に対する攻撃的な言動が容易に拡散されるようになってしまいました。
* 心理的な要因:
* 自分の不満や不安を、特定の個人やグループに向け、攻撃することで解消しようとする心理的なメカニズムが働いている可能性もあります。
* 女性に対する攻撃は、自分自身の問題から目をそらすための手段として利用されることがあります。
「女叩き」は、単なる個人間の問題ではなく、社会全体が抱える問題です。
この問題を解決するためには、個人が意識改革を行うとともに、社会全体でジェンダー平等を実現するための取り組みを進めていく必要があります。
* 学校教育において、ジェンダー平等に関する教育を強化し、子どもたちに多様な価値観を育むことが重要です。
* マスメディアは、女性を尊重し、多様な価値観を表現するようなコンテンツを提供する責任があります。
* 法整備の強化:
* 誹謗中傷やヘイトスピーチに対する罰則を強化し、女性に対する差別や暴力行為を厳しく取り締まる必要があります。
* 女性に対する偏見や差別をなくすためには、社会全体で意識改革を進めることが不可欠です。
「女叩き」は決して許されるものではありません。
一人ひとりがこの問題に関心を持ち、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていくことができるはずです。
もしあなたが「女叩き」に悩んでいるのであれば、一人で抱え込まずに、信頼できる人に相談したり、専門機関に助けを求めることをおすすめします。
* 最寄りの保健所: 女性に対する暴力に関する相談窓口があります。
* 地域の女性相談センター: 女性に関する様々な相談に対応しています。
* 配偶者暴力相談支援センター: 配偶者からの暴力に関する相談に対応しています。
* インターネット上の相談窓口: 匿名で相談できる窓口もあります。
これらの窓口では、専門の相談員があなたの話を聞き、適切なアドバイスや支援をしてくれます。
もしあなたが「女叩き」を目撃した場合には、決して見過ごさないでください。
加害者を注意したり、関係機関に通報したりすることで、被害者を助け、加害者の行為を止めさせることができます。
私たち一人ひとりが、声を上げ、行動することで、より良い社会を作っていきましょう。
この回答は、あくまで一般的な情報であり、個々の状況に合わせて適切な対処法を選ぶことが重要です。
もし、より詳しい情報が必要な場合は、専門機関にご相談ください。
* 誹謗中傷
* ヘイトスピーチ
* 相談窓口
この意見には、いくつか気になるところがある。まず、性別に対する見方だ。「女性がいなくても技術がそれを代わりにすることができる」というような主張があるけれど、それは現実的ではないし、どこか冷たく感じられる。確かに、科学は驚くほどのスピードで進んでいる。クローン技術や人工子宮の研究も進んでいることは間違いない。でも、性別の役割を完全に置き換えられるというのは、技術や倫理の面から見ても、まだずっと遠い未来の話だと思う。そういう発想自体が、性別に対する固定観念や偏見をそのまま残しているようにも思える。
それから、経済に関する考え方も少し偏っている。「女性が経済を回すために重要だ」というような視点だが、経済は性別によって動いているわけではない。もちろん、生理用品や高級ブランドなど、女性の消費が大きなウェイトを占めている分野もある。でも、それだけで経済全体を語ろうとするのは、何かを見落としているような気がするんだ。経済というのはもっと複雑で、さまざまな需要と供給から成り立っているものだから。
さらに、一夫多妻制についても、一筋縄ではいかない話だ。「一夫多妻制は女性の自由な選択肢の一つだ」という主張も、よく考えてみれば矛盾をはらんでいる。一夫多妻制は、長い歴史の中で男女の不平等の象徴ともなってきたし、現代ではジェンダー平等の観点からも批判されることが多い。多くの国で受け入れられていない理由のひとつは、女性の権利や家庭内の平等が十分に保たれないリスクがあるからだ。女性の利益を尊重すると言いながら、実は根底に偏見が残っているというのは、論理的にもすっきりしない。
全体を通して、この意見には現代のジェンダー平等や協力の価値観と相反する部分が多く含まれている。今の社会は多様性を尊重しようという流れの中にあるけれど、この主張はどこかその大切な価値観に背いている。だから、現実的にも、そうした社会の流れには馴染まないだろう。
要するに、この意見にはジェンダーについての誤解や偏見が含まれている。社会的にも倫理的にも納得できるものとは言いがたいし、実際の社会構造や多様性を無視しているため、提案としての現実味も乏しいと言わざるを得ない。
と、こう書くと過激に聞こえるかもしれませんが、今の私は、確信を持ってこれを言えるようになりました。昔の私は、まるで迷路の中でキャリアパスというゴールを探し求める鼠のように、必死に進むことしかできなかったんです。
大学生の頃、未来は明るく見えていました。周りが言う「立派なキャリア」「安定した生活」が手に入れば、幸せがやってくると信じていたのです。でも、社会に出た瞬間、私はその幻想がいかに儚いものかを痛感しました。理想と現実のギャップに苦しみ、職場の過剰な期待と要求に押し潰されそうになり、次第に自分が自分じゃなくなっていくのがわかりました。そこから鬱病が始まったんです。
この病気は私の世界を変えました。生きている実感がなくなり、ただ「何とか耐えている」だけの毎日が続きました。生きることが苦しくて、死をちらつかせることさえあったのです。通院を続け、薬を飲み、無気力な日々に追い打ちをかけるように、社会は「キャリアを築け」「もっと努力しろ」「もっと頑張れ」と命じてきます。それに従わなければ、何も価値がない、存在する意味がないとさえ思わされていたのです。
けれども、どこかで「違和感」に気づき始めました。なぜ、誰もが同じゴールを目指して、同じように苦しんでいるのか。私たちの生きる意味や価値が、どうして収入や地位で決まるのか。この疑問は頭から離れず、心の中で次第に大きくなりました。
仏教に興味を持つようになったのもこの頃です。仏教では、「今の自分が本当の自分ではない」と教えてくれます。私たちが抱える苦しみの多くが、社会や周囲から押し付けられた「こうあるべきだ」という幻想から来ているというのです。目から鱗でした。
特に「無常」と「無我」という考え方に救われた気がしました。すべては移ろいゆくものであり、私たち自身もまた、固定された存在ではない。自分が「成功しなければならない」「立派なキャリアを積まなければならない」という固定観念から少しずつ解放されるようになったんです。
私がたどり着いたのは「メメント・モリ(Memento Mori)」、つまり「死を忘れるな」という言葉です。人生はいつか終わるものであり、私たちはその終わりを見据えて、今この瞬間をどう生きるかを考えるべきだという視点です。
多くの人は「キャリア」や「将来の安定」に執着し、必死で未来を確保しようとしています。でも、「今この瞬間」が本当に大切だと気づいた私は、そこに人生の意味があるように感じ始めたのです。死ぬことを恐れず、むしろ「いつでも終わらせることができる」覚悟を持つことで、私の中で生きることへのプレッシャーが軽くなりました。
「今すぐ死んだって構わない」というのは、決して自暴自棄の気持ちではありません。むしろ、今ここにいる自分を自由にし、どんな時でも自然体で生きる覚悟を持てたという意味です。
こうした考えに至った今、私は社会と一線を引きながら、自分に正直でいることができています。もちろん、社会の一員として働かなければ生活はできませんが、だからといって自分をすべて犠牲にする必要もないのです。「無理にキャリアを追わなくてもいい」「成果を出さなくてもいい」と言い聞かせ、自分らしい生き方を探すことで、自然と心の負担が軽くなりました。
いわゆる「普通の労働者」である私が、キャリアを追うことをやめて、ただ「ここにある今」を大事にして生きる。それは社会から見れば「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、実はその方が、私にとって本当の意味で生きることなのです。
こうして振り返ってみると、鬱病と向き合い、苦しみ抜いた時期があったからこそ、今の私がいるのだと思います。「キャリアパスなんてクソくらえ」と言い切れるようになったのは、社会や他人の価値観に自分を縛られず、自分にとっての「意味」を探す勇気を持てたからです。
もしも、今を生きることに苦しんでいる人がいるなら、少しでも「メメント・モリ」を思い出してほしいと思います。未来ばかりを追わず、今の自分に正直でいること。いつかすべてが終わることを忘れず、押し付けられた生存の重荷を少しでも降ろせるように、生きていくのも一つの選択です。
この意見は、日本の「他人の家庭に干渉しやすい社会性」と「選択的夫婦別姓」についての懸念を述べていますが、いくつかの矛盾や検証が必要な点も見られます。以下、主な問題点と矛盾を検討します。
日本社会には、個人の選択が「家族」や「社会の価値観」に沿うべきとされる面があり、特に家庭の在り方や家族構成に関して干渉される傾向があります。これは、文化的に「集団主義」が重視される日本でしばしば見られる傾向であり、家族観や生活習慣が多様化する現代においても、偏見や価値観の押し付けが残っています。
ただし、他国の同姓や別姓に関する取り組みについて「問題がない」と断言するのは一面的です。例えば、アメリカやヨーロッパでは選択肢の多様性が一般化している一方で、夫婦間や社会的な固定観念が依然として影響するケースもあります。また、多くの国で夫婦の姓に関する制度の在り方や価値観が異なるため、単純に「日本人特有の問題」と断じるのは、国際的な実態と必ずしも一致しない可能性があります。
「別姓と同姓が拮抗したときに、同姓を選ぶ人が古い価値観の象徴になる」との懸念も述べられていますが、これは将来の社会の価値観がどのように変わるかに依存する面が大きいです。現在の日本では同姓が主流であり、同姓家庭への偏見がすぐに生じるとは考えにくいですが、もし別姓が主流となった場合、同姓が「古い」と見なされる可能性もないわけではありません。ただし、選択的夫婦別姓の推進者は「多様な選択肢の尊重」を求めているため、両者の価値観の平等を目指すことが理想とされています。
3. 子供の姓をどうするか
「子供が好きな方を選べばよい」という意見に対し、確かに問題は残ります。子供の姓は出生時に一つを選択する必要があり、両親間で合意に至らない場合に紛争が生じる可能性もあります。ただし、これについては、両親が事前に合意するか、社会的な合意形成が進むことで解決が試みられている国もあります。日本でも、子供の姓の扱いをどのように法的に定めるかについての議論が進んでおり、選択肢の一部として姓の選択権や変更の自由度を高める方法が検討される可能性があります。
別姓を選んだ場合、家族内で「異なる姓」による疎外感を覚える可能性については個々人の感じ方に依存しますが、確かに一般的な懸念点です。しかし、別姓を選ぶ家庭で育った子供や親自身が「姓」よりも「家族としての絆」を重視するという社会的変化が起こる可能性もあります。別姓家庭が増加した場合、姓の一致や不一致が家庭内の連帯感に影響するかどうかについても、今後の研究や社会的な意識の変化によって見解が変わるかもしれません。
まとめ
この意見は、選択的夫婦別姓における課題と日本社会の現状に対する懸念を含んでいますが、同時に「選択肢の多様化」による社会の価値観の柔軟性も考慮すべきです。社会において、選択肢の増加が「個々の価値観の尊重」に繋がることを目指しつつ、制度の整備と偏見の緩和に向けた教育や議論が進められることが重要です。
ジュネーブ - 国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は、最新のセッションでベナン、カナダ、チリ、キューバ、日本、ラオス人民民主共和国、ニュージーランド、サウジアラビアの8か国について審査を行った後、各国の評価結果を発表しました。
この評価結果には、各国が「女性差別撤廃条約」を実施する際の前向きな側面に加え、委員会が懸念している主な課題や勧告が含まれています。主な問題には次のような点が挙げられます:
委員会は、女性に対する性差別的暴力の高い発生率について依然として懸念を示しました。具体的には、家庭内暴力や性的暴力、女性性器切除(FGM)、児童婚が含まれます。また、サヘル地域の紛争の影響により、難民や国内避難民、移民、亡命申請者の女性に対する性差別的暴力のリスクが高まっていると指摘しました。委員会は、特に乳児を含むFGM撲滅に向けて、医療提供者や文化的・宗教的指導者と協力するなどの具体的な対策をベナンに求めました。また、性差別的暴力の被害を受けた女性に対する十分なシェルターや他の保護および支援サービスを確保するよう促しました。
さらに、政府、国民議会、公務員、外交サービス、軍隊、国際機関、民間セクターにおいて、意思決定ポジションに女性が少数派であることが観察されました。委員会は、ベナンがすべての意思決定機関において男女平等(50:50)の達成を求める法的および立法上の枠組みの見直しを勧告しました。また、公的および民間の領域における女性の指導的地位への参画が少ない根本的な原因を特定し、対策を講じるよう呼びかけました。
委員会は、家庭や社会における男女の役割と責任についてのジェンダーステレオタイプや家父長的態度に取り組む政策が、社会のあらゆるレベルで男性を対象としていないことに懸念を示しました。カナダに対して、女性差別撤廃とジェンダー平等の促進に男性を含めるよう求めました。これらの対策は、伝統的な男性性と女性性の概念に挑戦し、女性や少女に対するあらゆる形の性差別的暴力を減らし、家族や社会におけるジェンダー役割に関する家父長的な固定観念を打破するために、社会規範を変革するものであるべきだと委員会は強調しています。
また、委員会はインディアン法の改正にもかかわらず、カナダにおいて先住民の女性や少女に対する性差別が続いていることに深い懸念を表明しました。男女が自分のインディアンの身分を子供に平等に継承する権利を確保するため、さらなる法改正を行うようカナダに求めました。さらに、以前にその身分を否定されていた先住民女性とその子孫に対し、インディアンの身分を付与し、インディアン法に関連するものを含む先住民女性およびその子孫に対する人権侵害に対する完全な補償へのアクセスを制限する法的障壁を取り除くよう、カナダに求めました。
委員会は、最高裁に設置された「ジェンダー平等および差別撤廃のための技術事務局」の設立を称賛しましたが、依然として母親や妻としての伝統的な役割を強化するジェンダーステレオタイプが根強く存在していることに懸念を示しました。これらのステレオタイプは、女性の社会的地位や自律性、キャリアの見通しを制限しています。また、メディアで女性政治家が「繊細」や「感受性が高い」といった表現で描かれ、外国人排斥的で人種差別的な発言や男尊女卑の理想が目立つことについても懸念を表明しました。委員会は、女性や少女を対象としたヘイトスピーチに対抗する政策をチリに採用するよう促し、政府関係者やメディア関係者に対してジェンダーに配慮した言語や女性の前向きな描写に関する訓練を提供するよう求めました。
さらに、チリにおける広範な性差別的暴力、特に性的暴力や高いフェミサイド(女性殺害)率について深い懸念を示しました。サイバーストーキングやハラスメント、親密な画像の無断共有など、オンライン上の虐待の増加についても指摘しています。委員会は、女性に対するあらゆる形態の性差別的暴力が犯罪であることについての啓発活動を強化し、被害者の保護を改善するようチリに要請しました。また、オンライン虐待に対抗するためのより厳しい措置として、明確かつ十分な罰則の導入や、プラットフォーム提供者が有害なコンテンツの報告や削除を怠った場合の責任を追及するよう求めました。
委員会は、農村部の女性が土地使用権(10%)や農業技術、教育および保健サービス、特に性と生殖に関する保健サービスへのアクセスが限られていること、さらに彼女たちが労働時間の80%を無償労働に費やしていることに懸念を示しました。委員会は、インフラや種子、機械、設備、拡張サービス、研究情報へのアクセスなど、女性農業者への農業支援サービスを強化し、適切な報酬を提供するようキューバに求めました。
また、委員会は、公共および私的領域におけるあらゆる形態の性差別的暴力を犯罪化する包括的な立法が不足していることについて、以前からの懸念を再表明しました。委員会は、女性の権利擁護団体との協議を経て、すべての形態の性差別的暴力を犯罪化する包括的な立法を速やかに策定し採択するよう、キューバに要請しました。
委員会は、既存の差別的規定に関するこれまでの勧告の多くが未だに対処されていないことに懸念を示しました。特に、夫婦が同一の姓を使用することを義務付ける民法第750条の改正に向けた措置が取られておらず、事実上、女性が夫の姓を採用することを強いられることが多い現状についてです。委員会は、日本に対し、結婚後も女性が旧姓を保持できるよう、夫婦の姓の選択に関する法改正を行うよう求めました。
さらに、委員会は、母体保護法第14条が規定する制限的な例外のもとで、配偶者の同意が必要とされることにより、合法的な中絶へのアクセスが制限されている点についても懸念を表明しました。委員会は、日本に対して、女性が中絶を求める際の配偶者同意要件を撤廃し、すべてのケースで中絶を合法化するよう法改正を行うことを要請しました。また、安全な中絶サービス、特に中絶薬を含むサービスが、すべての女性や少女に対してアクセス可能で、手頃で、十分に提供されることを確保するよう求めました。
委員会は、法的禁止にもかかわらず、18歳未満で結婚する女性が30.5%に達するなど、同国における児童婚の高い発生率について懸念を示しました。特に、15歳から結婚を認める「特別かつ必要な場合」という不明確な規定を含む家族法に注目しました。委員会は、ラオスに対し、最低結婚年齢18歳の例外をすべて撤廃するよう家族法を改正することを求めました。また、児童婚を支持する社会規範に挑戦するために、伝統的リーダーやメディアを巻き込んだ公共の啓発キャンペーンを実施するよう呼びかけました。さらに、児童婚の犯罪化、加害者の起訴、被害者への十分な支援サービスの確保を強く求めました。
委員会は、非政府組織や女性活動家の活動に対する過度の制限についても懸念を表明しました。また、女性活動家に対する報復事例についても懸念を示しました。委員会は、NGOの登録要件を見直し、女性の権利団体やその他の組織が過度の制限なしに自由に活動できるようにするよう同国に求めました。また、女性人権擁護者やその他の活動家に対する報復についての調査と処罰を行うよう呼びかけました。
委員会は、女性に対する性差別的暴力および特別措置に関する国の四半期ごとの公表報告、特に男性のトラウマやその家族・人間関係に対処する「彼女はあなたのリハビリではない」というプログラムについて言及しました。しかし、過去5年間で家庭内暴力や親密なパートナーによる暴力が60%増加していること、特にマオリや太平洋諸島出身の女性、民族的および宗教的少数派の女性、障害を持つ女性がより高い割合に直面していることに深刻な懸念を示しました。委員会は、ニュージーランドに対し、女性に対する性差別的暴力の根本的な原因や複合的要因に対処する政策を策定するよう求めました。また、被害者支援サービスを適切に提供し、社会的に不利な立場にある女性に対する性差別的暴力からの保護を強化するために法執行を強化するよう呼びかけました。
マオリ女性(Wāhine Māori)に関して、委員会は、ニュージーランドが国連先住民の権利に関する宣言(UNDRIP)への支持を撤回したことや、ワイタンギ条約を実施するための具体的な措置を講じていないことに懸念を示しました。これは、同条約の条項の再解釈と見なされる可能性があります。委員会は、ニュージーランドに対し、UNDRIPへのコミットメントを再確認し、国の政策や立法が宣言の原則および条項と整合するようにし、ジェンダーの視点を統合することを求めました。
委員会は、サウジアラビアが法律および実践において死刑を維持していることや、2020年1月から2024年7月の間に異なる国籍の女性11人が処刑されたことについて、深い懸念を表明しました。委員会は、サウジアラビアに対し、死刑の執行を停止し、死刑囚のすべての女性の処刑を中止し、死刑を懲役刑に減刑することを検討するよう強く求めました。また、サウジアラビアのテロ対策法(2017年)およびサイバー犯罪法(2007年)について、これらが女性人権擁護者に対する脅迫、逮捕、拘留、旅行禁止を科すために使用されていると報告されていることに関して、委員会は、特に男性後見制度の廃止や旅行禁止を求める活動家に対し、嫌がらせや監視、恣意的な逮捕・起訴、委員会との接触や関与に対する報復から解放され、正当な活動を行い権利を行使できるよう保証するようサウジアラビアに求めました。
委員会はまた、すべての移民労働者、特に移民女性家事労働者に対する保護が不十分であることに懸念を示しました。移民労働者は労働法の最大労働時間、残業代、年次休暇、医療休暇に関する規定から明示的に除外されています。さらに、主に女性で構成される移民家事労働者は、法的地位が雇用主に結び付けられている制度の下で管理されており、経済的および身体的虐待、売買春、搾取のリスクにさらされています。委員会は、サウジアラビアに対し、労働法を改正し、すべての移民労働者に対する保護を拡大するよう求めました。また、移民女性労働者が虐待的な雇用契約を報告できる機密かつ独立した苦情処理メカニズムの設立、さらに女性移民労働者の職場や寮に対する定期的な労働検査の実施を求めました。
この意見には、一部妥当な面もありますが、問題点や矛盾も含まれています。以下に主な論点を挙げます。
• この意見は、歴史的に制限されていた選挙権が現在の「当たり前の権利」になっているという認識に基づいています。投票権が歴史的に多くの人々に制限されていたことは事実であり、その経緯を知ることは、投票行動の重要性を理解する一助となるでしょう。
• ただし、「歴史を知れば自然と投票に行くべきだと感じる」という考えは、個人の動機づけを一律に捉えており、すべての人が同じように反応するとは限りません。投票への意識が低い層に対し、歴史的な背景だけで行動を促すことは、十分な説得力を持たない可能性もあります。
• 「特に女性や弱者男性」に向けて投票を強調する部分には、特定の属性に対する偏見が含まれているように見えます。投票率の低さは、年齢層や居住地域、教育水準などによる傾向があるものの、特定の性別や属性に限定されるものではありません。
• 一部の層に対して「文化資本の低さ」や「愚か」と決めつけることは、投票行動の重要性を理解してもらうよりも、むしろ反発を生む可能性が高いです。
• 「投票に行かない人は意識が低い」といった論調は、個人の自由な意思決定を軽視していると受け取られる恐れがあります。投票は民主主義において重要な権利ですが、同時に「投票しない自由」も存在します。何がしかの理由で選挙に参加しないことを、直ちに意識の低さや不適格とするのは、多様な意見を尊重する民主主義の観点から見て問題です。
• 「選挙に行かない人から金を取る」という発想は、現実的ではなく法的にも非現実的です。選挙は義務ではなく権利であり、投票しなかったからといって罰則を設けることは日本の民主主義の理念と矛盾します。また、実際の投票率向上には、罰則よりも教育や啓発活動による理解促進が効果的だとされています。
• 投票率を上げるためには、若年層への政治教育を充実させ、興味を持ってもらう取り組みが重要です。また、特に非投票者の意見も尊重し、投票率を上げる仕組みづくり(インターネット投票や投票所のアクセス改善など)も考えるべきです。
• 失業保険の充実: 若者や非正規雇用者向けに、より手厚い失業保険を提供する。
• 低所得者層向けの生活支援: 生活費の補助や奨学金制度の拡充を進める。
• 職業訓練の提供: スキルアップを図るための職業訓練やセミナーを無料で提供する。
• 学費の無償化: 高校・大学の学費を段階的に無償化し、経済的負担を軽減する。
• カウンセリングのアクセス向上: 相談窓口を増やし、気軽にメンタルヘルスケアを受けられる環境を整える。
• ストレス管理プログラム: 企業や学校でのストレス管理プログラムを導入する。
• 男性の育児休暇の促進: 男性が育児休暇を取りやすくするための制度を強化し、育児に対する理解を広める。
• 男性への教育: 男女平等や育児に関する教育プログラムを推進し、固定観念の打破を目指す。
• 地域活動の支援: 地域のサポートグループやコミュニティ活動を促進し、孤立感を解消する。
• ボランティア活動の奨励: ボランティア活動に参加することで得られる特典を用意する。
• 意見表明の場を提供: 弱者男性が意見を述べられるフォーラムやイベントを開催する。
雨かしらね?
台風が来るとか来ないとかまた言っていて天気が模様どうなってるのかしら?って思うけれど、
私はいろいろと最近立て込んできているゲームは遊びたいけれど昨日は我慢してそうそうに超早く寝たのよ。
一応はスプラトゥーン3の1日1勝というノルマを自分に課しているので、
それだけは必至必須で行ったのよ。
最近私はいろいろと使い慣れてないブキを好んで使う新境地を追い求めて戦っているの。
だけど
上手くまだ立ち回れないから
早々に早く1勝をあげーの今日のノルマ終了!早く寝るの!ってやりたいんだけど
その私が新境地を見付けるための新しい使い慣れていないブキだとどうも上手く立ち回れなくて勝てなかったりするけれど、
するけれどよ!
私のもうここで勝つ!って勝負するときはセブンファイブオーライダーを持ち替えて戦うと
いいわね!やっぱりこの手に馴染んだ感!
まあ前の2戦でインクが温まった感じでの流れで勝てたとは思うけれど、
やっぱりこのブキでなくっちゃ!って
私が自慢したい
セブンファイブオーライダーとセブンファイブオーライダーカスタムの熟練度星5つのバッジを付けて自慢しているプレートに
アメフラシ1200勝のバッジも掲げている人がいたらたぶん似たような境遇の人なので
私はそのタダならぬ気配におののくのよ。
かつて球場ビール売上ナンバーワンの売り子さんはおのののかさん。
その季節の変わり目を逃さない感じで
でも今日はノルマのスプラログインボーナスはやんなくちゃ!って思うの。
そして朝ドラの『おむすび』も見逃さないように録画分は追いつく様に観ているわ。
いつも思っていって心がけているけれど
観るのがどんどんちむどんどんになるのよ。
もうさこのちむどんどんって使い方が便利でどんな状況にも当てはまる感じが、
今日はお仕事普通に予定していたことが変更になって未定になったので、
朝は忙しかったけれど
あとの午後はティーでも優雅に飲みながら過ごしたい午後ティーよ。
昨日は昨日で、
秋刀魚となにかどっちがいい?って尋ねたら、
あなたは秋の秋刀魚の定食屋さんの専門家です!ってなりきってもらって、
答えを出してもらったら
ってせっかくAIに答えてもらったけれど昨日は雨降って傘とカサして手ぶらじゃなくってあんまり乗り気じゃなかったので
私の秋刀魚のバイブスが今日は秋刀魚が輝いているともっとつぶやくように
そうまるでガイアがもっと輝けと囁いているのあの有名なセリフを地で行くように、
秋刀魚輝かせなさいよ!ってつぶやかれたけど
そんなの無視して帰路についたのよ。
傘をさしながらね。
手に荷物を持って傘をさすってションテンが爆下がり!もー!って感じ。
それで定食屋さんに寄ったとしても、
傘の無事を不安に秋刀魚定食を無事食べ終わるまで気が気じゃないのよね。
気にしすぎかしら?
だから
晴れの日に秋刀魚は食べるものよねと勝手に私の中で総相場が決まっていて、
その固定観念もよくないなと思いつつ、
肉を求めるが故になんか替わりになる味付きタマゴをパクッと食べちゃってご機嫌さんになるのは私の得意技よ!
まあ雨降ると地が固まると言うけれど
私のションテンは下がるのよね。
だから昨日はもう早々に寝たワケなのよ。
お陰で今日はシャッキリとたっぷりと寝た感じがしたのでよく寝れたわ!って
驚きの白さ!って言う洗濯物洗剤で驚く様子を吹き込むプロの驚き屋の人も充分驚くほどのいい感じで寝れたのでよかったわ。
水族館でコツメカワウソをずーっと見ているとずーっと寝てるのよね。
分かるわー。
良き行動の原資は睡眠にありきってたぶん昔の人がいった偉い言葉であるから
辞書をめくってみるのもいいわよね。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街のよく立ち寄る喫茶店の和食モーニング。
今日は目玉焼きだっつっててもなんかサービスでメザシ1匹おまけでつけてもらっちゃったわ!
ラッキー!
ションテン爆上がりメザシ!
凄い偶然!
ションテンが上がるわけよ!
美味しくいただきました。
お湯沸かし器を使って150ミリリットルのお湯なら3秒で沸くので
そんで入れて用事を済ませておいている間に
朝だんだんと涼しくなってきたので、
それ私のコトよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
関西でウーロンハイを飲まないという認識は、一般的には誤解です。
なぜそのような誤解が生じたのか、考えられる理由としては以下のようなものが挙げられます。
各地域で人気の飲み物が異なり、それを強調するような情報が拡散されることで、誤った固定観念が生まれることがあります。
世代や層による違い: 若者やお酒に強い層では、全国的にウーロンハイが人気ですが、年齢や飲酒習慣によって、好む飲み物が異なる場合があります。
特定の場面での選択: 家飲みや友人との飲み会など、場面によって選ぶ飲み物が変わるため、特定の場面でウーロンハイを見かけないことから、飲まれないという印象を持つ人もいるかもしれません。
実際には、関西でも多くの人がウーロンハイを飲んでいます。 特に、以下のような理由から人気があります。
ウーロン茶の爽やかさとアルコールの風味のバランスが良く、飲みやすい点が魅力です。
まとめると、関西でウーロンハイを飲まないという認識は、必ずしも正確ではありません。 地域差は確かに存在しますが、全国的に人気のある飲み物の一つであることは間違いありません。
もし、あなたが関西の方でウーロンハイが好きなのに、周りの人が飲まないことに悩んでいる場合は、気にせず自分の好きなものを楽しみましょう。
より詳しい情報を知りたい場合は、以下の点について教えていただけると、より適切な回答が可能です。
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
claudeに聞いてみたらこうだった。マジでGPTで出したのかも。
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恋愛経験が少なく、学生時代に十分な恋愛経験を積めなかったことを後悔している。
自身を「弱者男性」と認識し、社会的スキルや恋愛スキルの不足を強く自覚している。
2.価値観と信念:
恋愛は段階的に学ぶべきものであり、学生時代に経験を積むことが重要だと考えている。
社会人になってからの恋愛は難しいという固定観念を持っている。
自己肯定感が低く、自信がない様子が見られる。
過去の失敗経験から、異性との関わりに対して恐れや不安を抱いている。
4.社会性:
異性とのコミュニケーションに苦手意識があり、積極的に関わろうとしない。
恋愛や人間関係について、理論的な理解はあるが、実践経験が不足している。
社会規範や適切な行動について、後になって学んだ様子が見られる。
6.自己防衛機制:
恋愛や異性との関係を避けることで、失敗や傷つくリスクを回避しようとしている。
7.世界観:
恋愛や人間関係について、やや悲観的で固定的な見方をしている。
結論:
この人物は、過去の経験不足から生じた自信のなさと社会的スキルの不足に悩んでおり、それが現在の人間関係や恋愛に対する消極的な態度につながっています。自己改善の意識はあるものの、新しい挑戦に踏み出す勇気が不足している様子が伺えます。
付き合ったらセックスをするものだ、という固定観念(と言うか男にだけ都合の良い思い込み)をブチ壊すにはどうすれば良いのかな
どこの誰が、付き合う=セックスと決めたんだろう?むしろセックス抜きで一緒にいたいと思えるのが愛情であり、とりあえずセックス!と考えるのはただの性欲でしかないって中学校あたりで教えない?
セックスレスだと離婚が容易になるらしいので、確かに結婚にはセックスが重要な要件なんだと思う。でも交際にはそんなもんない。法的にそんなもん決まってない。
付き合ってもセックスしたくなければしなくても良いんだよ、じゃなくてむしろ、交際の本質はセックスではない、て(特に男には)教えるべきでは??あまりに少女が搾取されてかわいそう。
あーだめだこのサメのヒト。 負けないことに頭行き過ぎてる。 もう「字句で言い返せる所を探してる」読み方になってる。 やっぱりはてブやってるとそういう読み方になっちゃうん...
なんか開いたら内容違うんだけど、書き直してくれたのか。サメのヒトって書き方ちょっと面白くていいね。
負けないことに頭行き過ぎてる。
匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが???
お前「無名で誰からも注目されてないけど、自分の言ってることは間違ってない」って幻想を壊されるのがそんなに怖いんだね
否定されるのを怖がりすぎて、リアルの場であまり意見が言えない。今回もそうやって自己卑下して予防線貼りながらでしか自分の意見を言えない
私ははてなスターがつくっていう成功体験を持っているので、増田や現実に壊されても自己修復できるんだよ。
そもそも、増田が私の書いたものに律儀に返信くれるから楽しくなってきてるよ。
ブクマカはやれないのに、匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しするよ…。
さて、オレオレプロファイルしないと気が済まない増田と、主旨が読み取れない私のために、
これまでの会話を生成AI先生に投げて、問題点を読みやすく整えてもらったよ。
ユーザーA(私)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーAがユーザーBの主旨を完全には理解していない、または意図的にずらしていると見られる点はいくつかあります。以下に具体的な点を挙げます。
ユーザーBは、ユーザーAの行動や発言が「プライドが高く、自己防衛的」であることや、「無名で批判されない安全な場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAはこれに対して、自分が「はてなスターがつく成功体験を持っている」「ブクマカの行動を批判しても自分の利益のために発言している」と返答しています。この応答はユーザーBの批判の核心部分(自己防衛的な態度やプライドに関する批判)から外れており、問題を解決するものではなく、むしろ相手の批判を回避しているように見えます。
ユーザーAは、ユーザーBの批判に対して冷静で皮肉を交えて返答していますが、これはユーザーBの指摘に対する直接的な応答ではなく、むしろ軽視しているように映ります。たとえば、「サメのヒト」という表現を面白がるなど、ユーザーBが伝えたいメッセージの重要性を軽視する態度が見受けられます。これにより、ユーザーBが求めている真剣な議論や反省とは異なる方向に対話が進んでいます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「もっと胸を張って意見を言えばいい」といった感情的な不満や失望感を示していますが、ユーザーAはこれを「匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しする」と応じており、ユーザーBの感情的な指摘を真摯に受け止めていません。ユーザーAの応答は相手の感情を逆なでする形となり、ユーザーBの主張の感情的な部分が伝わらない結果となっています。
ユーザーBはユーザーAに対して、はてブでの行動や態度の問題点を指摘し、反省や改善を促すような意図を持っています。しかし、ユーザーAはそれに対して「匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが?」と述べるなど、対話そのものの目的を異なった解釈で進めています。これにより、ユーザーBの意図する方向性(自己認識の促進や反省)とユーザーAの対話の捉え方(単なる論争の場)が合致していません。
ユーザーAは「自分と増田のやってることは変わらんよ」と述べるなど、ユーザーBの指摘に対して対等性を強調していますが、ユーザーBはそのこと自体が問題であると考えています。ユーザーBの指摘は「ユーザーAの態度が自己中心的であり、自覚が足りない」という点にありますが、ユーザーAは「お互い様じゃないか?」という論点で返すことで、問題の核心を避けています。
以上のように、ユーザーAはユーザーBの主旨や感情を十分に理解せず、または意図的にずらす形で対話を進めています。これにより、ユーザーBが伝えたいメッセージや期待している応答が得られず、対話の建設性が損なわれていることが分かります。
ユーザーB(増田)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーBがユーザーAとの会話で主旨を理解していない、または誤解している可能性がある点について、以下の具体的な問題が挙げられます。
ユーザーBは、ユーザーAが「無名で誰からも注目されない場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAは自己防衛ではなく、「自分の利益のために発言している」と述べています。ユーザーBはユーザーAの発言が自己中心的で防衛的なものだと捉えていますが、ユーザーAはむしろ開き直り、自分の意図を正直に説明しています。この点で、ユーザーBはユーザーAの自己認識や意図を理解していない可能性があります。
ユーザーBは、ユーザーAが「負けないことに頭が行き過ぎている」と指摘し、その発言をしつこくアピールすることを批判しています。しかし、ユーザーAは皮肉やユーモアで返しており、ユーザーBの攻撃的な姿勢に対して感情的に巻き込まれていないことを示しています。ユーザーBはユーザーAの応答を「逃避」として捉えていますが、ユーザーAは感情的な反応を避けつつ対話を続けています。この点で、ユーザーBはユーザーAの対話スタイルの一貫性や戦略を理解していないか、意図的に見過ごしているように見えます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して強い批判を繰り返し、相手の行動を「プライドが高い」「自己防衛的」として非難していますが、自身の対話の態度やスタンスについては全く反省が見られません。ユーザーBは、自分の言動もまた攻撃的で相手に感情的なダメージを与えていることを理解していないか、無視しています。これにより、ユーザーBの対話が一方的な攻撃に終始しており、ユーザーAの反応を公平に評価する姿勢が欠けています。
ユーザーBは、ユーザーAの発言を「正しさごっこ」や「お気持ち」として否定的に捉え、自分の視点のみを押し付けています。ユーザーAが対等な立場での議論を求め、「お互い様じゃないか?」と応じても、ユーザーBはそれを受け入れず、相手を一貫して「下」と見なしています。この態度により、ユーザーBは対等な対話を拒否し、自己の固定観念に基づいて相手の発言を評価し続けています。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「視野が狭すぎる」「自分が言っていることの間違いを認めたくない」などと批判しますが、ユーザーAの返答に含まれる感情や意図に対する理解が不足しています。ユーザーAはユーモアを交え、相手の発言を和らげようとしている部分もあるにもかかわらず、ユーザーBはそれを一貫して批判としてのみ受け取っています。このため、ユーザーBの批判が対話の目的から外れたものになっていることが多いです。
- 感情的な反応と主旨の見失い
ユーザーBはしばしば感情的な反応を示し、ユーザーAの意図や主旨を見失っています。例えば、「無名で誰からも注目されてない」という表現でユーザーAの発言の価値を否定していますが、ユーザーAの実際の主張(コミュニケーションの意図や動機)とは直接関係がない批判になっています。このように、感情的な反発が強いため、ユーザーAの真の意図を理解しないまま批判に終始しています。
以上の点から、ユーザーBはユーザーAの発言や態度に対して主観的な解釈を強く押し付けており、その結果として相手の意図や主旨を正確に理解できていない、または見ようとしていない姿勢が見受けられます。これが対話の進展を阻害し、建設的なやり取りを妨げる要因となっています。
参考になったよ。ありがとうね。
牛角の件に関連して。
「〇〇の件ではフェミニストはこう言っていたのに今回はダンマリだ!」みたいな批判は一旦置いておいて、みんなは差別とかマイクロアグレッションに対する規制(自主規制含む)について、どうあるべきだと思っているの?
表現規制に関する話題だと「特定の表現をして差別が増えたというデータは無いのだから表現を規制すべきでない(=規制するには証拠が必要)」という意見が割と賛成されてる印象。
ところで、今回の牛角の件は、「女性だけ食べ放題を半額にしたら男女に関する固定観念を助長する」みたいなデータはないはず。ってことは、今回の件で「牛角は男女によって金額を変えるのはやめるべきだ」という主張をしている人は、確度の高い証拠がなくても差別や偏見を助長する可能性があるのであれば規制するような社会が良い、と思っているということ?そうだとしたら、創作物とか広告とかその他サービスだって内容を変更することを要求されることが増えると思う。
逆に確度の高い証拠がないなら私企業のやることを規制すべきではないとすれば、今回の牛角の件は「女性は食べ放題半額」を擁護しないと一貫性が取れないと思う。
個人的には、重大な場合は確度の高い証拠がなくても規制すべきだと思うが、今回の牛角の件はサービスを撤回するほど大きな問題とは思えない。牛角が食べ放題のサービスを男女で平等に提供している以上、女性だけ食べ放題を半額にすることが「女性は男性より少なく食べる」という偏見を助長するとは思えないし。食べ放題を利用できないとかメニューがそもそも違うとかならサービス変更すべきとは思うけど。
みんなはどういうスタンスなんだろ?