はてなキーワード: ヒアリングとは
子供は産まなくてもよかった、というブログを見て、自分の気持ちも書いてみよーと思ってアカウント作って書いている。あの記事に原動力があったんだなーと思う。だいたいのことに共感した。あの記事を書いた人はけっこうすてきな保護者なんじゃないかとおもってる。とても疲れている人。ゆっくり休めるところで良いサービスを受けてほしいなとおもう。
自分には答えが出せない。産まない世界線、自分のすきなことに時間を使えて楽しかったろうな。一方で子供がいる状態の今、いなくなった状態のことを考えると、悲しくて苦しくなる。不可逆ってゾッとする。
妊娠する前は子供欲しいかどうか決められなかった。積極的に産みたい気持ちはないけど、絶対産まない、とは言い切れない、みたいな。中間地点にいて、年齢を重ねるとともに、女の役割って、みたいな呪いにかかって、苦しんでいるうちに妊娠した。社会的にけっこう非常識なタイミングだった。社会からはじき出される…とか思って冷や汗でた。でもそんな非常識さを受け止めてくれる環境であったことは救いだった。
(コンドームが避妊率低いことを知らなかった。コンビニに低用量ピルとか置いて避妊率○%!とかシールつけて刷り込んだほうがいい。自分で調べる知識もなかった。性について話す友達もいなくて雰囲気全然わかんなかった、妊娠が及ぼす自分への影響をまったく知らなかった。)
で、おろす勇気がなかった。豆みたいな影から心臓の音聞こえて、おろす=ころすだと思ってしまった。たぶんこれにはいろんな解釈があって、どんな解釈もその人なりの選択だとおもうけど。自分の場合はそう感じた。
それから先は、眼の前のことだけしか見えてなくて、産むしか選択肢が考えられなかった。とにかく子育てって何かわかんないまま産むって決めた。産むって決めたっていうより、ころせない、が近いかも。自己犠牲に憧れているところもあった。無痛にしたりとか、立会出産にしたりとか、何かを選ぶたびに親とか、おばあちゃんとか、道を歩く人達とかの言葉をネガティブに拾ってしまう。すっごいストレス。急にみんなマウント取ってくるし、見られ方が変わる。(男でよかったね、女なら次は男産まなきゃね、無痛なんてありがたみがわからないからやめなさい、私が産んだときはうんぬんかんぬん…妊婦ってエロいよねって、大学生くらいの男がコソコソ言ってる、妊婦って気使わなきゃいけないからダルい、って会社で思われてるかもなどなどなど)大好きな嗜好品を制限したり、ご飯食べれなかったり、常にお腹はち切れそうだったり、不安で上手く寝れなかったり。それでもころせないから我慢した。この精神状態が、ホルモンバランスのせいなのか性格や環境のせいなのかはわからないけど、とにかくあの気持ちで暮らす10ヶ月をもう一回やるのは結構度胸いる。産休、もっと早く始まっていいと思ったよ。安定期とかに限らず、早めに休めたら気持ち楽だったかも。無痛にしてよかったけど、麻酔するまで特大の生理痛ある。知らんかった。痛いって言うしかできない。産んだあと入院中どう過ごしたいですか?的なヒアリングがあったけど(どう過ごしたい・・?え?あ、、わからん)ってなって、気づいたら母子同室になってた。貧血でふらふらのなか泣き声にどうにか対処して、自分がしんどいときは看護師さんが赤ちゃんのケアをしてくれる病院のシステムをよく知らないで、入院1週間の母乳だのミルクだの、え?寝不足で頭まわらないんだが…
誰かスーパーサポートしてくれる人来て、全部聞いといて、、、って思った。全然わかんない、、って弱音吐いたら産休中なにしてたの?え、産休ってやっぱりたまひよとか読み込んでおく期間だったの?普通に社会から放り出された気分だったから将来が心配でFPの勉強とかしてた…(これはしてよかった)
電車やバスでしんどかったときに、当たり前のように席を譲ってくれた学生たちや、さりげなく体調を気遣ってカバーしてくれる大人たちのあったかさも知っているし、今はその時よりいろいろと理解が進んで、周りが見えてきている。しかしそれでも、またやれって、頼まれても、できないって言いたいと思うのは、やっぱ環境が不健全なんだろうな…
話は戻るけど、子供と関わるとき、めんどくさいな〜、つかれるな〜って感情が先立つ、っていうのにも共感した。
今幼児だけど、ルールが3つ以上ある遊びはできないから、大人にとってはすごく単純な遊びを2時間繰り返してる。それを床でやってる。こっちとしては10分遊んだら飽きるし、腰痛いし、床に座ってる状態から立ち上がると立ちくらみする。それをおくびにも出さずに子供に笑顔を向けたり、いちいちリアクションする。幼児が本当に飽きるまで付き合ったら過労死するんじゃないだろうか。イライラする原因で思い当たるのは、「単純な作業を同じルールで何度も繰り返す」「同じ言葉を繰り返し大きな声で言う、ずっと」「ぐずってみたものの、終わらせ方がわからなくて眠くなってきて更に機嫌が悪くなってギャン泣き」みたいなところ。意思の疎通ができると思って接すると、このあたりに「は?何言ってる?」となる。意思の疎通はできないものとおもってとにかく耐え忍ぶ。自分のための時間が削られていく。ああ〜
こうやって保護者っていうのは耐久値のレベルばっかり上がっていって、狂気的な育児を誰に助けを借りなくてもできるようになっていく…これ親からは、何甘えてんのよ〜って言われてます。甘えてはだめなのか。
これから先成人までの残り期間を疲れながら、麻痺しながら、なんとか続けていくんだと思う。カレンダーに、「母の気持ち優先する日」「父の気持ち優先する日」「子供の気持ち優先する日」とか割り当ててバランス保っていけばいいだろうか…決めたら逆に守れなかったとき更にストレスになるだろうか…やっぱアマゾンエコーのでっかいやつほしいかもな…試行錯誤なんだな考え続けるんだな、答えは出ない、正解はない
頭の中でだけ考えて誠実不誠実を断じた論。なんか若いなあ、って感じ。
故障以外でユーザによる自己解決を勧めるエラー表示なんて白物家電においてもいくらもある。メンテ性ゼロなんてことはないぞ。きちんと調べたことはある?
汚れなんかそもそも気にしてないユーザが存外多数なのは他ツリーでも触れられている通り。本質機能(冷蔵庫でいえば「冷す」)以外の、例えば汚れセンサーとかにコストかけてしまうと、過剰品質だとか、そんなんいらんから値段下げろとか、これだから国内メーカーは(藁)とか、マイナスの評価になってしまうのだけど。そういう声に対してはどうすんの?
もしソフトウェアエンジニアがこれを書いているなら、例えば潜在的な不具合の可能性をすべて公開の上で顧客にリリースするべきと考える人だろうか? ソフトウェアにバグが付きものなのは周知の事実。この論に倣えば、そうしないのは「不誠実」になるのでは?(「そんなことは理論上不可能」「ケースが違う」とか、ただでさえ自分の論に都合の良い前提を追加するのはやめてな。)
誠実なエンジニアなら、まず現状をその道の人にきちんとヒアリングして事実に立脚した上で、他人他者を断ずるべきでは? 優秀な俺様が考える「あるべき論」はいらんのよ。
ぶっちゃけるとこの「依頼事項」って年末調整とか労務関係とかの類いの仕事で、そう言うと大体想像付くと思うけど、こういう前提に応じて必要な情報が変わる質問が大量にあるんだよね
全部を段階分けして質問してるとこちらの手間も何倍にもなって大変だし、だからといって個別にヒアリングするのも単純に時間が凄くかかる
さらにこの手の人はヒアリングしても先の通り直接的な回答が出来ないっぽいので、都度毛繕いコミュニケーションして回答を引き出す必要があるから、他の人の倍ぐらいヒアリングに時間と感情労働が必要になる
クソマジレスすると、日本のメーカーが開発モニターのヒアリングしてないことが明白だな
だって、試作品にケチつけられた日には、設計の男さんたちやその上司の未来が傷ついちゃって、逆恨みされるかも分からないからねえ
男さんたちは男さんたちのなけなしのプライドや地位が絶対に傷つかないよう、暗黙のまま絶大な天然のチームワークで仕事してるの
部品部材を作るにしても工場側の男さんに面倒がかかるような部品など使うわけもない
ありもんに近い部品をパパっと作って寄せあつめてやりゃあええやろ、工場に仕事回したれや、よっしゃよっしゃあ、って作り手の都合で開発してるの
大人の事情っての? それで日本の家電は、試作品レベル以下なわけなの
発電機と洗濯機の違いが、ヒアリングも使いもしないで分かるはずもない
ヒアリングしない、聞く耳はもたない、既存の工場優先、男さんのお気もち優先
まあヒアリングは、タバコのパケデザイン会社なんかではやるんだけどね
偉い男さんたちは、パケデザインとか女がやりそうな仕事には、心底嬉しそうにケチつけたがるしねえ
おおかたデザイナー女を期待させて釣っといて、次にはそれを切るために、開発モニター使ってるの
商品のクオリティを考える頭は微塵もないが、仕事を仕切って金や人を回す特権もらって人からチューチューしたいという欲望だけはたっぷりある生物が、得意げなんだからクソ笑うわな
https://anond.hatelabo.jp/20230522022604の補足です。
本編では1ページに収めるために色々カットしたので、ちょっと書き足そうと思います。増田には字数の上限があるんですよね。仕様が変わっていなければ、6000字あたりで以降をばっさりカットされるはずです。以前、1万5000字くらい投稿しようとしたら半分以上消えてしまって焦った記憶があります。
まあそれはどうでもいいんですが、カットした内容のうち、Bさんのことを少し書いておこうと思います。Bさんのことを知ると、この事件の見え方が少し変わると思うんです。
本編の論旨が変わるものではありません。念のため。
今回のメインはBさんです。すごく情報量の多い人です。そしてウィシュマさんのことを理解しようとする上で、極めて重要な人物と言えます。
Bさんとウィシュマさんの関係はなかなか複雑です。
Bさんとウィシュマさんは2017年12月頃に交際を始め、遅くとも2018年4月頃から同居しています。2018年9月にウィシュマさんと一緒に虚偽の内容で難民認定申請を行っているのですが、その時の作り話はBさんの実話が元になっています。Bさんは母国で借金を抱えており、Bさんの幼馴染みが反社とトラブルになっていたそうです。Bさんも留学ビザで入国しているのですが、借金から逃げて来たのでしょうか?
ここだけ見るとただの悪い人です。一方で、2019年12月頃にウィシュマさんとは別れたものの、行く宛のないウィシュマさんと同居は続けるという気遣いをしており、2020年5月からは仕事を辞めたウィシュマさんの生活費まで面倒を見ています。不法滞在のことはそれとして、そこまで悪い人でもないようにも見えます。
借金を残して日本に来ていることからも分かるように、お金にはだらしないみたいです。Bさんは車を持っていたのですが、その費用はウィシュマさんが建て替えていたそうです。ウィシュマさんから返せとせっつかれ、それへの不満があったようです。恋人でなくなったのなら当然の権利のようでもあり、「誰がお前の食費を出してると思ってるんだ」みたいなことを言われたら黙らざるを得ないような、微妙な問題です。ちなみにBさんは無免許です。不法滞在なので免許を取れないですからね。
個人的には、ウィシュマさんとBさんとの諸々はけんかの範疇であり、DV認定はできないと思います。理由はいくつかありますが、大きく以下の3点です。
・2人の関係性
まず、DV被害の証拠として怪我やあざ等は確認されていません。ウィシュマさんが入管で誰かにDVについて相談したという記録もありません(恋人から殴られていたというのは話していますが、だからどうしたい等の話はしていないと思われます)。被害の程度が全く分かっていないのです。Bさんの証言によるとウィシュマさんも結構手を出しており、DVと言うよりもけんかではないかと思わされます。また、Bさんはウィシュマさんを特に束縛しておらず、買い物やSNSで知り合った人に会いに行く等、自由に生活していたようです。
次に、どちらかと言うとウィシュマさんの方がBさんに執着しているような雰囲気を感じます。恋人関係を解消した後も同居を続けていた点や、逮捕の2日前に復縁を迫っていた点は、ウィシュマさんがBさんからDVを受けて逃げたがっていたことを前提にすると違和感があります。
また忘れてはいけないのが、警察に駆け込んだ際にウィシュマさんは「追い出された」と言っている点です。初めから、Bさんから逃げ出したわけではないのです。Bさんが追い出したのならわざわざ追いかけて来るわけがなく、帰国への障害にはなり得ません。なぜか多くの人が「Bさんからの暴力に耐えられず逃げ出した」と考えていますが、ウィシュマさんがそんなことを言った記録は残っていません。
ついでに言うと追い出されたというのも嘘で、Bさんは「(ウィシュマさんが)家を出て行った当日朝も、仕事に出かける私を見送っており、特におかしな様子はなかった」と話しています。DVが原因で逃げ出したのなら、わざわざ嘘をついてまで追い出されたと言った必然性がありません。
そこで脅迫の手紙が出てくるわけですが、本編で指摘したように、これはBさんがウィシュマさんの密告に怒っているという内容でした。DV男が被害者を支配下に置くために「逃げられると思うなよ」みたいなメッセージを送るのとは根本的に違うのです。この手紙を見てウィシュマさんは何を恐れた(ということになっている)のかというと、1回目の仮放免申請にもあるように、密告に対する報復です。申請理由は「私が密告したのでBさんは復讐しに来る。スリランカで待ち構えているので帰国できない。入管にいると脅迫の手紙が来るから外に出たい」という感じの内容です。Bさんの手紙はあくまでウィシュマさんの密告に対して書かれたものなので、ここからDVの存在を読み取ることはできません。
そもそも、なぜウィシュマさんはBさんを密告したのかという疑問があります。本来ウィシュマさんには密告する理由がないように思えるからです。一時は交際しており、関係解消後も一緒にオーバーステイを続けてきたパートナーなんですから。私が注目したのは、直前に復縁を迫っていたという点です。別の女性と交際中だったBさんは一度は断り、それに激怒したウィシュマさんをなだめるため回答を2日待って欲しいと伝えています。その2日後、ウィシュマさんは回答を待たずに警察に行ったわけです。そういう経緯から、私は自分のものにならないBさんへの報復のようなものだったのではないかと思いました(あくまで私の推測です)。
一般的に、DVは加害者が被害者を支配しようとするという構図があります。一方、逮捕前の最後のけんかがウィシュマさんが怒ってBさんがなだめるというものだったことからも、ウィシュマさんが支配されていたとは考えにくいです。Bさんからの殴る蹴る等はあったかもしれませんが、ウィシュマさんも体当たりや物を投げる等はやっていたみたいですし、それだけでDVだったと認定するのは難しいだろうと思うわけです。
実は、中絶に関しては(方法はともかく)理性的な判断と言えます。というのも、生まれてくる子供は確実に無戸籍になるからです。2人とも不法滞在者なので、出生届が出せません。さらに、出産するとなれば少なくとも数ヶ月の間ウィシュマさんは働けませんし、出産後も世話をするためBさんとどちらかがほぼ働けない状態になります。出産費用も含め、相当な負担になります。不法滞在者の2人が中絶の判断をしたこと自体は変な話ではありません。むしろ生んでどうするつもりだったのかが気になりますし、ウィシュマさんの「無理やり中絶させられた」という話は言葉通りには受け取れません。
中絶の際に服用した薬による健康への影響は、本人の自覚はなく、検査での異常も確認されていません。中絶のことは2020年12月21日の面談で看護師に話していますが、支援者にそれを理由に病院に連れて行ってもらった方が良いと促されたとのこと。本人は「そう言われると心配かも」という程度だったそうです。
交際関係では、Bさんの方にもちょっと気になることがあります。手紙に関するヒアリングの際、「私がA氏(ウィシュマさん)に対して日本人の彼女を作って良いかと聞いたところ、A氏が怒ってきたので、冗談だと言った」と証言しています。いつの出来事か分からないので断言はできないですが、実際にBさんはある時期から日本人女性と交際しているため、このやり取りがあった時点で浮気していた可能性があります。ウィシュマさんと別れた後なら浮気にはなりませんが、その場合ウィシュマさんに確認する必要も、ウィシュマさんが怒る理由もありません。つまり、これは交際中の出来事だったのかなと思います。
Bさんがその人と交際し出してからウィシュマさんと別れたのだとすると、ちょっときな臭い感じがします。ウィシュマさんにとって不本意な形でBさんとの関係が終わったのであれば、復縁を迫ったことや、叶わないのであれば復讐してやると思い立ったことも納得できるのですが、どうなんでしょうね。
Bさんで特筆すべきこととして、仮放免があります。本編ではさらっと流しましたが、入管法違反の程度ではウィシュマさんとほぼ同等のBさんは、8月に逮捕されて11月に仮放免を受けています。身元保証人がいたのであればおそらく交際していた女性だと思われますが、許可されなかったウィシュマさんと対比すると色々思うところがあります。
仮放免の許可/不許可に関しては、法務省から通達が2通出ています。1通目は挙げられている8項目に該当する人物には原則として仮放免を認めないというものです。2通目はコロナ禍における特例として、収容施設が溢れないよう、8項目のうち特に重要な4項目以外に関しては積極的に仮放免を認めるようにというものです。ウィシュマさんとBさんは「重要な4項目以外」に該当していました。引っかかったのは、事由に該当しない難民認定申請です。
2通目の通達を受けて、Bさんは仮放免を許可されています。一方、ウィシュマさんはされませんでした。つまり、ウィシュマさんに関しては通達以外に判断理由があった、要するに支援者が信用できないから許可しなかったということ以外には考えにくいわけです(ウィシュマさんの提出した理由がアレだったのもありますが)。調査報告書では、2通目を適用してウィシュマさんを仮放免すべきだったのでは、2通の通達の扱いが明確化されていなかったのでは、といった意見が出されていましたが、Bさんの件と合わせて考えるとポイントはそこじゃないように思えてなりません。
以上の内容から、想像されるシナリオは以下の通りです(あくまで私の想像ですよ)。
Bさん、ウィシュマさんと交際中に浮気をする>Bさん、新しい女性に乗り換える>ウィシュマさん、Bさんを諦められない>復縁を求めるも断られる>復縁が無理ならと帰国を決意>入管に収容>ついでにBさんを密告して復讐>コロナ禍ですぐに帰国できない>支援者と出会う>帰国をやめる
そう考えると、警察で追い出されたと嘘をついたのもなんとなく理解できます。DVが実際にはなかったのであればウィシュマさんにとって特段アピールする必要もない話なわけで、単純に追い出されたと言った方が保護してもらいやすいと思ったのではないでしょうか。もしBさんが本当にDV男なら、バレバレの密告なんてしたら逆に危険です。最終的には2人ともスリランカに帰るわけですから。密告しなければBさんは日本に残るので、そちらの方が安全です。それでも密告したのは、そうしたい理由(復讐)があったからと、バレても危険はない(BさんがDV男ではない)と分かっていたからではないでしょうか。実際、脅迫的な手紙が来ても支援者に会うまでは普通に帰国するつもりだったわけです。
一方Bさんは、ウィシュマさんに密告されて逮捕されたにもかかわらず、仮放免された時にウィシュマさんの母親に電話をかけて「ウィシュマさんを助けてほしい」と伝えているんですよね。調査報告書から見えるBさんの人物像は、善良とは言い難いですが、人情を持った非常に人間らしいものであるように思えます。
ウィシュマさんの行動の背景にBさんへの愛憎があるのであれば、随所に見られる言行不一致や不可解な言動がある程度理解できる気がします。Bさんを深掘りして背景を考察すると、一連の事件がなんだか血の通った出来事として感じられると思いませんか。
維新の議員さんの件でまた騒がしくなっているウィシュマさんの事件ですが、こう、メディア等の問題設定に違和感があるわけです。
人が亡くなっているわけですし、直接的な原因としては入管の不手際があるわけで、入管の体制の見直しは待ったなしだと思うんですが、本当にそこだけをクローズアップするのでいいんでしょうか。その点では、件の議員さんの問題意識は正しいと思います(まあ、追求するのはそこじゃねえだろ、というのはあるのですが)。
ということで、改めて入管の調査報告書を読んだので私見を述べたいと思います。
亡くなった方を悪く言うのは気が引けるんですが、ウィシュマさんはかなり「やって」ます。
・留学ビザで入国して、学校に行かなくなった(本来ならその時点で帰国しないといけない)
・在留資格を延長する目的で、難民の事由に該当しない内容で難民認定申請を行った
・その申請内容が虚偽だった
・申請が不許可になったので逃げた(意図的にオーバーステイした)
オーバーステイ、事由に該当しない難民申請、偽造在留カード使用はそれぞれ単体でも在留を却下されるやつです。ウィシュマさんがどこまで理解していたかは不明ですが、在留資格を得られる可能性はほぼなかったと言えます。
その他にも怪しい部分がたくさんあります。同情的に語られる恋人からのDVですが、不正確な話が色々あります。
まず、ウィシュマさん逮捕の時点でBさん(報告書の記載にならいます)とは恋人関係ではありませんでした。Bさんの話によると、逮捕の8ヶ月ほど前には既に関係は解消しており、Bさんは別の女性と交際していました。その後も同居は続けていたという話です。その上、逮捕の3ヶ月前にはウィシュマさんが仕事をやめたことで、Bさんが家賃や生活費を全て出していたそうです。恋人でもない人の生活費を面倒見るというのは、一般的なDV男とはだいぶん印象が違います。
しかもBさんは暴力を振るったことがあるとは認めつつ、一方的なものではないと証言しています。ウィシュマさんから体当たりされている動画や、投げつけられたコップや破られたパスポートといった物の写真を残していました。刑務所からウィシュマさんに送った手紙にも、よくけんかをしたという内容が書かれています。
もちろんそれだけでDVがなかったという確証は持てないんですが、Bさんは逮捕の2日前にウィシュマさんから復縁を迫られたとも証言しています。DV加害者に復縁を迫るなんてことあるのかな、という疑問もDVの存在を疑わせるわけです。
また、Bさんはウィシュマさんと同じ日に、ウィシュマさんの密告によりオーバーステイで逮捕されています。DV加害者から逃げようとしている時に相手を刺激するようなことするかな、という点も大いに疑問です。
ちなみに、Bさんから脅迫的な手紙が届いたというエピソードは、ウィシュマさんの密告だと気付いたBさんが怒って書いたものです(Bさんは偽造在留カードを2枚、本人名義と他人名義のものを持っており、警察は他人の方の名義まで知っていたということなので、まあ分かりますよね)。つまり、手紙による脅迫はウィシュマさんのオウンゴールに近いものです。密告すれば恨まれるに決まってるじゃないですか。
余談ですが、ウィシュマさんはBさんへの手紙には誰が警察に通報したか分からないと書きつつ、入管への仮放免申請の際は「彼氏は、私のせいで警察に捕まったと分かったようで」と書いています。
この手紙の脅迫をもってウィシュマさんは帰国できないと言っていますが、これも怪しいです。というのも、Bさんとの手紙のやり取りは10月に行われているのですが、支援者と面談した12月の時点ではまだ帰国するつもりだったからです。その時点ではBさんが障害になるとは考えておらず、在留に気持ちが傾いたためそれを利用したとしか考えられません。
家族についても不思議な点が多いです。ウィシュマさんは家族からの連絡は途絶えている、だから帰国したらお寺に行くと話していました。またBさんは逮捕の後、入管の施設に収容され、11月に仮放免を受けています。この時ウィシュマさんの母親に電話してウィシュマさんを助けてほしい、妹に自分の電話番号を伝えてほしいと話したそうです。しかしウィシュマさんの家族から連絡はなかったそうです。
一方、ウィシュマさんが亡くなった後すぐに来日していることからも、本当に家族と関係が悪かったとは考えにくいです。ただ、留学ビザが1年3ヶ月だったことは知っていたと思うのですが、2年過ぎ、3年過ぎても帰って来ないウィシュマさんについて何も思わなかったのでしょうか?ウィシュマさんが日本で滞在している間、連絡は取っていなかったのでしょうか?来日した後でウィシュマさんと知り合ったBさんは母親の連絡先を知っていたのに?何かトラブルがあったのでしょうか。よく分かりません。
入所後の病院に連れて行って欲しいという要望についてもなかなか厳しいものがあり、ある時点までは仮放免のためのアピールだったと考えざるを得ない部分があります。2月1日の看護師面談の記録に、看守にはなぜ病院に連れて行ってもらえないのかと主張する一方で、看護師には病院に行きたくないと語ったとあります。2月1日は、嘔吐を繰り返していたため共同室から単独室に移動したタイミングです。つまり、その時点での「病院に行きたい」はただのアピールだった可能性があるということです。2月中旬には自力でトイレに行けないほど歩けなくなっていので、おそらくそこまで至っていれば本当に病院に行きたいと思っていただろうと思われます。アピールなのか本気なのか、看守が見誤ったのはオオカミ少年的な事情が感じられるのです。
というわけで、入所時にオーバーステイや在留カード等の諸々でそもそも印象が悪いところに、支援者との面談で帰国の意思が覆り、病院に連れていけとアピールと始めた、というのが実態だろうと思うわけです。これで本当に具合が悪くなったタイミングを見極めてきっちり対処しろというのはなかなか負担が大きいだろうなと思うんですよね。なので、今回の議論の中で見かけた、予断をもって当たることのないよう収容所の運営は別組織にした方が良いと言う意見は、ある程度的を得ていると思ったりします。
・ウィシュマさんに「(体調不良を)アピールした方がいい」と伝えていたこと
・これまで大量に仮放免の身元保証人になっており、その20%以上で取り消しになっていること
ウィシュマさんにとって、この支援者と出会ったことは不幸だったとしか言えません。報告書を読んでも、なぜこの支援者がウィシュマさんに在留を勧めたのか、さっぱり分かりません。12月16日の面談記録に「日本で生活したいなら支援するので仮放免申請等を行ってはどうか」と助言したと残っています。出会っていなければ、ウィシュマさんは帰国できていた可能性があります。入管は帰国の準備を進めていたからです。
当時はコロナ禍対策のまっただ中で、スリランカへの航空便は全便停止していました。そこで臨時便に乗ってもらおうとしたのですが、費用の問題が立ちはだかります。運賃に加え、帰国した際は一定期間隔離されるためその宿泊費を自費で出す必要がありました。ウィシュマさんは手持ちのお金がなかったためさまざまな方法が検討されたのですが、そのさなかに支援者と出会い、帰国しないと言い出してしまったのです。
議員さんは、ウィシュマさんがハンガーストライキをして亡くなったのではないか、支援者がそれをそそのかしたのではないかと言って炎上しました。私もハンストではないと思うのですが、支援者の影響はあるだろうという見解は同じです。
私はどちらかと言うと、報告書に出てきた身体化障害(身体症状症)のたぐいではないかと思っています。体の機能には異常がないのに、悪いところがあるという本人の思い込みで本当に具合が悪くなってしまうというものです。ウィシュマさんが体調不良を言い出したのは1月の中旬で、支援者と1月20日の面談記録に「入管は体調不良者について何もしない。病院に行って体調不良を訴えないと仮放免されない。仮放免されたいのであれば、病院が嫌いでも病院に行った方がいい」「仮放免されたいので,絶対病院に行く」という内容の会話があります。これによって「病院に行かなければ」という思いが生まれ、行けない期間が長くなるにつれ焦りに変わり、強迫観念になってしまったのではないかな、と。こればっかりは想像の域を出ませんが。
入管の扱いが悪いから体調を崩したのだ、という考え方もありますが、個人的にはそちらには否定的です。8月に入所してから4ヶ月間は健康に過ごしている点と、体調を崩し始めた後の1月29日にウィシュマさんは看守、支援者のどちらにも「入管での生活は快適で、ストレスは感じていない」と話しているからです。もっとも、ウィシュマさんは病院が嫌いだったようなので、行きたくないから嘘をついた可能性も否定はできません。仮放免のために病院に行きたい、でも嫌いだから行きたくない、そういうアンビバレントな精神状態もストレスになっていたのかもしれません。もし嘘だったのであれば、嘘をつく癖が悪い方向に働いたと言うべきでしょう。いずれにせよ、精神的な問題を抱えていたのであれば、支援者の助言は影響していたと思います。
ウィシュマさんの仮放免申請は2回提出され、1回目は不許可、2回目は亡くなったため判断なしという結果でした。2回目は許可の方向性だったものの体調が著しく悪いため保留というステータスだったのでともかく、1回目が不許可だったのは半分支援者のせいです。
今回身元保証人になる予定だったS3さんという方は、2015年1月から2021年3月までの間に47件の仮放免で保証人になっています。そのうち10件で、逃亡等の理由で仮放免取り消し処分になっているのです。約21%にあたるので、同期間の全国の仮放免取り消し率(約6%)の3倍以上です。さらに保証人になった後、仮放免された当人を近隣に住まわせないという暴挙に出ています。名古屋入管の話なので多分愛知県にお住まいだと思いますが、なぜか対象者が兵庫県に住んでいるケースもあったようです。身元を保証する気があるのか疑われたのも無理ありません。また今回のケースでは特に、ウィシュマさんが在留希望に転じたのは支援者の影響なので、支援者と暮らしたらより帰国させるのが困難になるのではないかと考えていたようです。
要するに、「この人に預けると退去強制が執行できなくなる可能性がそこそこ高い」と思われていたということです。仮放免はあくまで帰国までの間収容所の外で暮らせるという制度なので、帰国しないぞと頑張られては困るわけです。
結局、ウィシュマさんは支援者の助言により仮放免を求めて帰国をやめ、支援者の負の実績により仮放免を受けられなかったわけです。ウィシュマさんが入国管理の制度についてどれだけ理解していたかは分かりませんが、仮放免を在留許可と勘違いして帰国を思いとどまってしまったのであれば、これほど不幸なことは無いと思います。ウィシュマさんは日本で働きたいと思っていたはずですが、仮放免は就労不可なので生活費の全てを支援者に頼ることになり、思っていたような生活はできないんですよね。
あと、ヒアリングの途中で調査チームへの協力を拒否した点も印象悪いです。
悪い条件が相当重なっていたこともあり、個人的には入管に対してかなり同情的なのですが、それでもこんな形でウィシュマさんが亡くなって良いはずがありません。私の思う問題点は1つだけです(そこから色々派生するんですが…)。
・歩けないほど衰弱してるなら病院に連れていけ。
そこそこ元気だった人が2週間ほどの間に歩くことすらできなくなったのを目の当たりにして、緊急性を感じないのは感覚が麻痺しています。さすがにそこは擁護できません。いくら2月19日の段階で3月4日に精神科を受診することが決まっていたからと言って、その間に寝たきりになって関節を動かすリハビリを始めるに至ったら、精神科では不十分だと分かりそうなものです。
報告の体制が徹底されていない点は調査でも指摘されていましたが、看守の自己判断で報告義務のある内容が報告されないほど規則が形骸化しているのであれば、事故を防げるはずがありません。そういう意味では、これは防げた可能性が十分にある事故です。若干繰り返しになりますが、健康管理に関しては独立チームを作って運用した方が良いのではないかと思います。
この事件をどうすれば防げたかということを考えた時、実際のところ事件は3年前から始まっており、入管は最後の最後なんですよね。入管だけを責めてどうにかなる問題ではないんです。簡単にまとめると、こんな感じでしょうか。
・入国する外国人の皆さんに、適法に滞在してもらう(不法滞在者にアメを与えない)
・支援者は収容者にやみくもに手を差し出さない(身元保証人には欠格条項を作るべきでは?)
・入管はちゃんと被収容者の健康管理をする(というよりも、緊急時の判断の訓練をする)
そのためにも、入管の対応を責めるのは良いとして、ウィシュマさんを無辜の被害者として祭り上げてはいけないと思うのです。適法に滞在している外国人の皆さんに対して失礼ですし、「日本は不法滞在者にも優しい」なんてメッセージを出してはいけないんです。不法滞在者や施設の収容者が増えれば、それに応じて動的に人員を増やせるわけではないのですから、当然事故は起きやすくなります。
ウィシュマさんは不法滞在者であった。しかしその命が入管で失われるようなことがあってはいけないのだ。この事故を繰り返さないためには、そういう論調こそが重要なのではないでしょうか。
俺は答える「買いません、自分でバイトして自分のお金で好きなものを買いなさい、それは止めない」
というたら「僕はまだ4歳だからバイトできない」とか言い訳する。
知恵を働かせなさい
可愛い顔して、えーん、新しいトミカが欲しいよー、とか動画出したらアホがトミカ買える程度の投げ銭してくれるんじゃねぇの?知らんけど
つーたら、そういうのは嫌だと言う
ならばジジババに頼みなさい、それも立派な労働だ。
可愛い顔して、「ねぇじぃじぃ、あのね、明日雨でしょ?オウチでしか遊べないでしょ?だから新しいトミカが欲しいんだけど500円くれない?」にこっ
とかやればイチコロよ
息子は「やる」と決断
で、ジジババからまんまと500円をせしめたのだが
そんな話はどうでもいい
翌日、「今からジジババのオウチに行くよ、買ったもの見せて、ありがとう言いなさい」と
すると息子は「恥ずかしい」と申すのであります。
ん?
んん?
まてまてまて、ありがとうと感謝を伝えるののなにが「恥ずかしい」のか。
ヒアリングしたがとにかく「恥ずかしい」のだそうだ。
で、わかる、他人にありがとうは何故か恥ずかしい、この年になると躊躇なく言えるようになったが
確かにおれもガキの頃はなぜだか恥ずかしいと感じてた気がする。
なぜだ?どういうメカニズムなんだ?
ありがとうと伝えることを恥ずかしい事だと教えたことはない、むしろ逆
だが子供はなにかの学習的な結果か、あるいは人間の本能的な心理なのか、
これは面白い
答えはわからんが
誰か答え知ってたら教えて欲しい
ペーパーハウスくん
@paper_house_
【濃縮ver.】ウィシュマさん死亡事件、マスコミが決して報じない支援者の闇について【入管法改正】【不法滞在】
ここで重要なのはウィシュマを死に追いやった支援者の妻は多数の外国人の身元引受人になっていました。
ここで伊藤和子がどういう改正か一切触れない点に注目しましょう。
Shuji Kato
@Shurd3
> このまま入管法を通すことは〜非人道的な差別的発想を是認し〜
と自らの政治思想に結びつけて騒ぎ立てる.
この人達こそがウィシュマさんの死を活動に利用していると分かる.
この人達の方が許し難いと考える.
Kazuko Ito 伊藤和子
@KazukoIto_Law
13時間
このまま入管法を通すことは
外国人として収容された方々へのこのような非人道的な差別的発想を是認し、国策として肯定することに等しい
syouji.itikawa
@ItikawSyouji
ウィシュマさんの事件を受け、
収容に代わる「監理措置」制度を設けるとして、親族や知人など、本人の監督等を承諾している者を「監理人」として選び、その監理の下で、逃亡等を防止しつつ、収容しないで退去強制手続を進めるとしている。
https://twitter.com/ItikawSyouji/status/1657695140360900608?s=20
ウィシュマさんを利用している。
それを差別で誤魔化している。
対象者の監視や指導を義務付けられ、監理人も監視対象とな得る。資格が取り消されたら補完的保護対象者を収容あるいは強制送還させてしまうことになる。だから従わざるを得ないとしたらそれは支援者を入管の支配下に置くこととも捉えられる。 国会議員が本会議でデマ煽動するような差別社会で。
Atsuko Nishiyama
@NishiyamaAtsuko
私は、仮放免の保証人にはなっても、法案の中の「監理人」には、なれません。 私は彼らの隣人ではあっても、監督、管理する立場にはなり得ないからです。 近弁連の弁護士の方も言っていましたが、管理人になるかもしれないと想定される、弁護士(弁護士会)や支援者団体に、一才のヒアリングもない。↓
昨日 11:49
@sunshine_juice8
https://twitter.com/sunshine_juice8/status/1657678155099025409?s=20
つまり税金泥棒が監視を逃れて好き放題にお金を儲けたいと言っているわけです。
Atsuko Nishiyama
@NishiyamaAtsuko
私は、仮放免の保証人にはなっても、法案の中の「監理人」には、なれません。
私は彼らの隣人ではあっても、監督、管理する立場にはなり得ないからです。
近弁連の弁護士の方も言っていましたが、管理人になるかもしれないと想定される、弁護士(弁護士会)や支援者団体に、一才のヒアリングもない。↓
半ば冷静さを欠いて書き殴った呪詛のようなものがあまりにも読まれてビビった。
富山の男全員がそうではないことは承知だ、主語が大きく差別的な言動をしてしまったことは申し訳ない。女の部分だけでもある程度意味の通じる文章だと思うので、男の部分は削除および文章全体を一部修正した。
富山の男でも家事育児に積極的な素晴らしい男性も知っている。だが、それ以上にこの重すぎる役割に疲れて精神か身体を一時的にでも壊してしまった女性をあまりにも見てきてしまった。
記事内で「女性を男性と同等の仕事を課すようにしていてきたい(意訳)」とみた時に反射的にこれ以上負担を背負わせてどうする?優先すべきは家事や育児等福祉の外部補助の充実だろうと思い書いたのがこの文章だった。
勿論、大前提として女性が責任のある立場で活躍することは素晴らしいことだ。だがそれは必ず本人へのヒアリング(夫がその分家事育児をしてくれそうか)がセットであって欲しい。
個人の家庭環境を顧みず、トップダウン形式で会社の命令だか県の命令で一律に実行しかねないこの県であのメッセージは、疲労して身心を壊す女性が増えかねない。
ブコメで「上野千鶴子を生んだ地」、『ここは退屈迎えにきて』の作者山内マリコの故郷という言及があったが、まさにその通りであり、それと同時に「細田守を生んだ地」でもある。
合う人にはとことん合う素晴らしい場所かもしれないが、合わない人間にはとことん合わず恨み言を吐いてしまう場所。それがこの県だと思う。
逃げ出した私たちの事はもう放っておいてほしい、とにかく残っている女達を大切にしてほしい。
追記終わり。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230502-OYT1T50278/
「県外流出した20代前半女性」の当事者としては当然としか言いようがないし、的外れなスピーカー共にも腹が立つ。
ただただ辛酸を舐めることになる「富山の女」にはなりたくない。
この特有の雰囲気を問題点として反省するどころか指摘すらしない点に「だから富山を出るんだよ」と心底呆れた。
富山県は持ち家率が高く、共働き率も高く、三世帯同居率も高い。たしか世帯収入も高い方だったはずだ。
が、ここにカラクリがある。
富山で働かない女のことを「遊んでる嫁」と呼ぶ。つまり、育児家事のみに専念する女は、嫁として十分ではない、という烙印を押される。
では、男性と同様に働いた所で家事・育児の負担が夫婦間で平等に按分されているか?というとそうではない。
三世帯同居でやや負担は軽くなっているがそれでも子供の親のメインは「母親」という風潮だ。だが、仕事も一会社員として当たり前に勤め上げなければならない。
そしてここからが特有だが、子供が成人したと思うと今度は三世帯同居となって50-60代の頃に「5人家族の家事」と「孫の育児」に専念する第ニの女の人生が始まるのだ。極め付けにここに介護が加わる場合もある。端的に言って地獄である。
つまり、育児・仕事をしっかり両立して家庭を成り立たせ、壮年期には家政婦・乳母・介護者として家のことをするという完全に「家」に隷属してこそ「一人前の富山の女」として認められるのだ。
こんなハードモード一体全体何人がやりたい、と思うのだろうか?
何よりもたちが悪いのはこういった環境で育ってきた人間が多いせいで、結婚して嫁になる時の当たり前の水準がこれになってしまっており、周囲やパートナーだけでなく、自分自身でさえもこれをクリアしていないと「劣った嫁」という意識が生まれる。
つまり、結婚後の生活を見据えた時に女側見えている「これからやらなければいけないこと」があまりにも負担が大きすぎる。
家庭に隷属しない形で結婚し、子を産む場合はこの歪な前提を立ち向かう姿勢とそれに対して理解のあるパートナーを見つける必要があるのだ。
そんな億劫なことをやれる人間、そんなパートナーを見つけられる人間は一握りである。
それだけでなく、魅力的な仕事もなく、商業施設は統廃合される一方で介護施設ばかり増え、先行き暗いこの県に誰が戻りたいのか?
記事内では仕事で女性を男性と同等に扱うとか言ってるが、まずそれよりも家庭で男性も女性と同様に仕事を担うようにしろ、そして大半のそれらの仕事を安価で外部に委託できるようにしろ。話はそれからだ。
それと多様なライフスタイルを認めろ、「結婚して持ち家持ってこそ一人前」とかいう意味不明な風潮で圧をかけるな、他の生活を見下すな。
どうせ無理だろうし、これまでその「富山の女の役割」に耐えられなくて身心を壊した富山の女を数多みてきた自分としては絶対に戻ることはないだろう。
その他人にとってどう利益があるのかを考えていないと、何が正しいかを追う、指示待ち人間になりやすい。
仕事上なら、自分の正しさなどというものは本当にどうでもよい。「この提案を受け入れたらなぜ相手は利益を得られるのか?」「これを提案することでうちも利益が出るのか?」というところが最も重要である(ただし利益というのは金銭的なメリットに限らない)。逆にこうした他者利益を外さなければだいたい問題ない。仕事で要領がいい人はこれを多かれ少なかれやっている。また、それが事に仕えるということでもある。別に何かを教えられなくても、大抵どうすれば良いのかがわかっている。また、誰がその場のボスか(肩書きによらない)もわかっている。
他者利益のことさえわかれば、人は簡単に覚醒する。一度、自分の存在などというものはどうだってよいと考えてしまえばよろしい。相手、相手、相手。常に相手が重要である。相手にとって自分がどれほどの利益を生む存在か、自分の立案によって相手がいかなる利益を得られるか、徹底的に利益を提供する。「相手のことを考える」というのは、自分の利益のために相手のことを考える、ということではない。相手のことを愛するがごとく考えるということだ。こうした考え方は単なる禁欲主義ではなく、近代資本主義の精神で説明されている。情けは人の為ならず(他人に情けをかければ自分にも良い報いが返ってくるのだから、他人に情けをかけつづければよい)ということわざで考えてもよい。「自分を犠牲にしろ」という意味ではない。犠牲という考え方がすでに主客転倒である。
わかりやすい話で言うならば、たとえば小売の素人でマニュアルを渡されていなくても、大きな声で笑顔で挨拶し、困っている客がいたら助け、何らかの商品の品切れを見かけたらどうすればいいかわからなくても上司に報告することはできる。マニュアルがなぜ存在しなければならないかも知っている。マニュアルがあれば、分厚いマニュアルであってもよく読む。マニュアルの作成者に思いを馳せる。マニュアルの間違いを発見する。マニュアルが全てではないことも知っている。こういったことは、いちいち教えられるまでもなく「わかっていること」である。そしてそういう人は「わかってるヤツ」「コミュニケーションコストが低いヤツ」「俺の役に立ちそう」「この人のおかげで私のメリットが増えそう」だと認識され、客は増え、利潤も向上し、よく教え込まれる。また、これは他人に利益を渡せば自分にも利益があるというだけで、「思いやりの心を持て」とは少し異なる。
しかし、他人の人生について深く考えていない人は「なぜ大きな声を出さねばならんのか」「笑顔をわざわざ作りたくない」「挨拶は別に意味がない」「困っている客がいたときになんで助けなければいけないのか」「品切れっていってもあれは別の部門のやつでしょう」「なんで仕事を教えてくれないんだ?」「マニュアルなんて読みたくない」「マニュアル通りやればいいのだろう」のようになっていて、1つ1つが分断されていて、繋がってないように見える。「正しさ」「自己利益」を追求するとこういった1つ1つが "障害物のようなもの" に見え、細かい無数の障害物のようなものに「自分の正しさ」「自分の人生」を邪魔されているように見えるのではないか? そして、本来覚えなくてもいい1つ1つの大量のものごとを別々にそれぞれ覚えなければならなくなる。したがって、仕事ができず、そして不自由であり、湧き出てきた不平不満の感情や他人に支配される。
それから知識の保有量が相手の方が高すぎると思考停止状態になりやすい。まず、1回だけで相手の話を理解できるというのは自分を過信しており、うぬぼれである。何を言っているかわからなくなるのはある意味当然で、言葉や全体の概要を知らないと何を求められているかわからなくなる。そして「よくわからなくて途中から思考停止」という状態は、話を聞いていないということだ。そうならば、お互い時間の無駄だ。罵倒ではない。実際に、お互いの人生を空費している。人の話を聞いていなければわかるわけがない。そしてその聞いていなかった話を前提にした話がまた出てきたら、絶対にわかるわけがない。キャパオーバーならキャパオーバーで、録音なり録画なりすればいい。そうせず、わかったふりをした顔で振る舞うのは自己保身であり、欺瞞であり、誤魔化しであり、ずるく、誠実ではない。そういった人間の末路は、若いときに見てきただろう。無能の烙印を押されて輪から排除され、必死に他人のおこぼれにしがみついている彼らのことだ。
また、40近い人に求められる仕事は、社会全体・会社全体・部門全体を見て利益をあげるような仕事や何も答えが無い仕事が多いはずである。だから「何が求められているか?」とか「何がダメだったか?」とかを人に聞いて回るのは相当な違和感がある。そりゃあもちろん、ヒアリングすべきときもある。ただ、そういうやり方をずっとやっているのは会社に依存している人材である。これを、ぶら下がり社員と言う。周りに聞くのも本来は give と take が必要になるから、普段からtakerになっていると、周りもあまり真剣に受け止めてくれないし、めんどくさがる。若手のときの仕事の仕方を変えるべきタイミングであり、視座を上げなければいけない。外から情報や知識を仕入れてきて、それを会社に還元する必要がある。
これは自分が若手(と言ってもおそらく私は増田よりかなり年下だが)によく言ってることだが「自分の頭だけで考えようとするな」ということをよく言っている。相手は自分ではないのだから、よく聞きよく調べよく読みよく書くのが良い。金を払って第三者と相談するのでもいいし、さまざまなジャンルの本を大量に読んでもいい。下手の考え休むに似たりとも言う。考えても無駄なら他人の知恵を借りるべきであり、考えても無駄なことを考えていて、考えるべきことを考えていないのでおかしなことになるのではないか。
仕事の行き詰まりは、長年サボってきたツケが最近表面化して、自己認識可能な領域にまで来ただけであろう。潔く無知を認め、愚かさをさらけ出し、一歩一歩進むしかない。近道を求めるな。
トランス女性も「女性支援法」の適用対象になるのだろうか、と思って調べてみたら、
やっぱりそういう訴えもあるようだ。
https://biz-journal.jp/2023/01/post_332266.html
女性への支援に係る基本方針などに関する有識者会議」での議論に対し、
障害者女性、高齢者女性、シングルマザー、アイヌ女性、女性依存症者、レズビアン、バイセクシュアル女性、トランスジェンダー女性、セックスワーカー女性、元受刑者女性ら
集会の出席者らは基本方針(案)にセックスワーカーへの職業差別や、LGBTQ、アイヌ民族、障害者、中高年女性らの視点が欠けていると指摘。
「有識者会議は“困難女性”というフレームで議論しているのにも関わらず、“若年女性の性暴力被害”にまるで特化したような発言が目立ち、(方針策定のために行われた困難女性の実情に関する)ヒアリング対象者に非常にも非常に偏りがある」
「女性とは“誰のこと”なのか。支援は誰にとって必要なものなのか。その有様は多様なものであることを(多くの女性活動家は)見てきたはずなのに、その声が届いていない」
などと、疑問の声が続々と上がった。
また、トランスジェンダー関連の各団体は、有識者会議が示した基本方針でトランスジェンダーの扱いが曖昧模糊とした表現になっている点
(「トランスジェンダーの者については……中略……他の支援対象者にも配慮しつつ、可能な限り支援を検討することが望ましい」)
例えば、性被害にあった若年のトランスジェンダー女性が公的窓口に相談にいっても「男性なので無理です」と断られている現状を指摘。
追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152
以下本編******************************************************
両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活のサポートをサポートするような仕事をしていた体験から。
そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ、必須…!!」と思わなくてもよい。
そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃんと円満な人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。
親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から「大事な書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。
そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要。
そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老いの自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。
そもそも、金持ちで株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。
親が金持ちの場合。傾向的には、ガチの資産持ちの人は弁護士や税理士やら銀行の担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行の担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題。名刺交換しておけばおけー。
小資産持ちの場合。プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合、結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。
お金がなさそうな場合。自宅とちょっとの貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券、印鑑を仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気で入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃんと確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫。
もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事な情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。
文章や文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。
エンディングノートは市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。
これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販のエンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近は終活アプリなんてのもあるので、スマホやコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK。
市販のエンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものをズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事。結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分史から書いてもらってついでに大事な資産周りの情報も書いてもらえる。
逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単なものを使って、親にヒアリングをして子供がノートに記入していくのがお勧め。ズボラな人や「そういう書類を作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止しちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。
そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。
あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家の年賀状を取っておいてもらう。正月に帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。
エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位でゆっくりやればいい。
比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラな小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合、エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから、帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業を想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。
今日は通帳を整理したから乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。
自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚前デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。
親子関係を改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。
父親が三男、母親が姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気で余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。
実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。
父は、仲が良くない義理の関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしまう心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家の金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。
ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るから、よろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。
もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。
母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類はファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。
父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。
そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積がめっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。
何ていうか、「死ぬ」というのは人生の時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つの点である死に向かう状態が延々と続いていくのが人生、特に老人の人生なんだよなと思う。
終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。
親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから、家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。
一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産の状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。
これはプロジェクトの性格上、同僚氏あってのものなんだから、まず同僚氏の不満に寄り添うところから始めなきゃダメな案件だろ。
オレならそうする。
すでに一人で成果出せてる同僚氏なんだからおもしろくないのは当然。
協力してもらえるように「いやー会社の命令とはいえ、こんな風に自分のノウハウを公開しろ、って上から強制されるのって大変っすよねー」「でもこれで分担することで同僚氏にはもっと大事な部分に集中して活躍してもらえるようになるし、会社全体の成果が上がったら同僚氏のおかげですよ」とか言って共感を誘って、その上で教えを請う形でヒアリングしてくのが王道。
オレのやってる IT 系でも既存業務の人からヒアリングして業務理解してから設計していく必要あるんだけど、仕事を奪われると警戒してるキーマンの警戒を解いて、むしろキーマンであることに自信を持ってもらって仕事にプラスですよ、と信頼関係を構築するのが第一歩。
増田は起業支援をやっている。それがコンサルなのか、税理士なのか、はたまた他の士業なのかは身バレを防ぐために伏せさせて頂く。
この顧客へのサポートは本当に記憶に残るものだった。事前にしっかり時間をとって、行いたい事業内容をヒアリングし、提携している司法書士に会社設立の書類を作ってもらった。法人印の作り方もわからないというので、どこで買えるかも教えた。そして、会社設立の書類にハンコをもらう予定日の日。
「あの・・・・定款に新事業加えてほしいんだけど。新しい会社を一緒にやろうと言ってくれている友人がこれを加えたほうがいいっていっていて。」
言葉を失った。すでに司法書士さんに書類を作ってもらった後だった。とはいえ、その不満を顧客に直接ぶつけるわけにはいかない。司法書士さんにはひたすら謝って、書類を作ってもらった。
その新事業を提案した友人というのは、聞いていた話ではかなり有望株だった。新事業分野でも業界経験があり、目利き(本人談)とのこと。どうやら社長にとって兄のような存在だったようだ。
一方、顧客である社長はそう言った経験はない。最近まで学生で、ビジネスでの経験がない。むしろ、ビジネスでの経験がある友人が入ることで、より起業がスムーズにいくのではと思っていた。
「社長はビジネスのことがわからないから、私が事業の柱になります。」
その友人はそう言ってくれた。
会社の登記と並行して、事業計画を立てるフェースに入った。うちは顧客と一緒に事業計画は作るようにしている。そのため、顧客側には事前に自分なりに事業計画をまとめてもらうよう依頼している。この会社では友人がそれだった。顧客が作った事業計画を元に修正を加えていき、そこからブラッシュアップするのだ。しかし、彼の作ってきたドラフトを見て、私は言葉を失った。
まず、事業年度が間違っている。12月決算の会社なのに、事業計画では6月決算で書かれている。そして光熱費はまさかの0円計上。福利厚生費も0円だ。しかも事業計画のほとんどはメモ書きみたいなもので、正直、読んでいて意味不明な内容なのだ。
事業計画の策定にはかなりの労力を要した。友人はまだ新会社には入社していない。別に仕事があるようで、打ち合わせの時間も23時とかが普通だった。そして彼と話しているうちに、彼の本当の姿がわかってきた。
1.本人は社員と言っているが、どうやら今の雇用形態はアルバイトらしい。業界経験というのもアルバイト経験のことを言っているらしい。しかし、ろくな社会経験がない
2.彼の目的は、今の仕事(アルバイト)を辞めて、友人の会社でストレスなく安定した給料をもらいたいということ
3.共同創業と言っているが、実際には依頼者(社長)が全額出資し、友人は社員として入社する
実際、かれはしきりに、「今月から私の給料支払う形にしてくれませんか?」と私に言った。この事業には許認可がいる。それは行政書士に取得を依頼しているが、かなり時間がかかるとの見通しだった。正直、許可が取れない段階では会社も収益を生まないので、この段階で友人を雇用するメリットはなかった。どうみても、世間知らずに社長から楽して給料をもらおうとしていることは明白だった。
「それは・・・・あまり得策ではないです。許可を取得した後で雇用開始をしてはどうでしょうか?」
社長もいる打ち合わせの場で私はこうアドバイスした。また、内心ではこんな社員を入社させても会社の為にならないというのもあった。
それから友人は私に敵対的になった。恐らく私の本心を感じ取ったのだろう。まず、私の過去のアドバイス内容をほじくり返し、ガンガンクレームを入れる。また、いきなりこれまで聞いてもいない事業内容の話をして、「これは許可がいるはずだから、ちゃんと調べてください!!」と急な要求をしてくるようになった。すでに終わっていた話がひっくり帰ることも何度もあった。その対応には多くの時間を割いた。当然起業準備のペースは遅くなった。そしてそこにもクレームを入った。うちは零細、大手企業と違って豊富な人的資源があるわけではない。これは致し方のないことだった。
そして最終的に友人は私の会社との契約解除を言い出した。それは深夜0時、社長も同席しても打ち合わせの場であった。
「この会社は使えません!!事業責任者として、この会社との契約解除を提案します!!」
彼は言った。内心ムカついていた。
「お宅(増田の会社)にはお世話になっているし、それはちょっと。」
さすがに社長も躊躇した。
「どうしても契約を続けるというのですか!!社長権限を行使して!!それなら私はこの話からおります。」
この友人の言葉で社長は折れてしまった。そして、うちの解約が決まった。
正直、契約が切れて生成した。この社長は親が金持ちらしく、こちらが解約金を請求すると、あっさりと払ってくれた。上司も何も言わなかった。学生も社会経験のないアルバイターの起業ごっこに付き合わなくていいと思うと、本当に清々しい気持ちになった。顧客から契約切られて本当によかった!!