はてなキーワード: 失望感とは
筆者は明らかに先入観を持って親友について語っている。親友の性格や行動を独自の視点で解釈し、親友の選択に否定的な感情を表している。筆者は親友の変化に対してショックと失望を感じており、これは親友に対する一定の期待や観念があったためと思われる。
また、親友の人間性や選択を一方的に批判する姿勢が見受けられる。
筆者は親友の内面や状況を深く理解しようとはせず、自分の視点から親友を評価しているように感じられる。
このような先入観に基づいた視点は、筆者自身の感情や価値観を反映しているが、親友の実際の心情や状況を正確に捉えることは難しい。
Chat GPTもこう言う批判的な評論することがあるんだなあ。まぁそう言われると全部主観だなこれ。
Chat GPTって「どこが主観で、どこが事実の記述か」を旨く分離してくれるから、それを利用して冷静になるのはアリかもね。
https://anond.hatelabo.jp/20240216163351
この投稿にもある通り、水星の魔女界隈では「スレミオが公式だなんて認めない、スレッタはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」「ラウペトが公式だなんて認めない、ラウダはグエルと一緒にいた方が幸せになれるはず」とキャラの幸せを勝手に決め付ける人がとても多いよね。
こういう人たちはスレッタやラウダの幸せのためと言いながら、本当はグエルのケア役をスレッタやラウダに求めているところが共通していると思う。
スレミオとラウペトの関係性の描写が完璧だったとは言わないけど、自分は本編を最終回まで見て普通にスレミオとラウペトがカップルとして成立したと感じたし、スレッタはグエルよりもミオリネと、ラウダはグエルよりもペトラとの方が良い関係を築けていると思った。
グエルとスレッタの関係性にも、グエルとラウダの関係性にも、もっと言えばグエルのキャラクター自体にも、あまり魅力を感じなかった。
シーズン1のグエルのスレッタへの態度には問題がたくさんあった。けどまだストーリーの前半だったということで、ここでは詳しく言及しないことにする。
シーズン2の17話でグエルがスレッタに告白するシーンが評価されているようだけど、個人的にはそんなに良いシーンとは思えなかった。
視聴者視点ではグエルが父親を誤って死なせてしまったり地球に拉致されたりと壮絶な経験をしたことを知っている。でもスレッタはそれを知りようがないんだよね。久しぶりに会って、その間どうしていたかもわからない人にいきなり告白されても困るだけだと思う。
グエルはスレッタに告白しないで、自分の心の中だけで恋にけじめを付けてほしかった。
しかもグエルはスレッタのことを大切だと言っておきながら、この後スレッタの意思を確かめることなくミオリネと共謀してスレッタからエアリアルを取り上げてしまう。そしてその結果、プロスペラによるクイン・ハーバー襲撃事件が起こる。
スレッタからエアリアルを取り上げたのはミオリネの提案だから、ミオリネの方により責任があるとは思う。それでも提案に乗ったグエルにも責任はあるはずなのに、襲撃事件についてミオリネばかりが落ち込んで、グエルは特に後悔している様子がなかったのはどうかと思ってしまった。
ミオリネがこの後スレッタと和解できたのはシーズン1からスレッタと過ごしてきた時間があったから、それにスレッタに対して悪かったという気持ちを示したからじゃないかな。申し訳ないけど、そのどちらもなかったグエルをスレッタが選ぶ理由はないと思う。と言うか、そもそもグエルはスレッタへの恋は諦めて恋愛よりもジェターク社を守る道を選んでいるし…
ミオリネはスレッタのことを搾取してばかりだからスレッタはミオリネよりもグエルとの方が幸せになれるはず、という意見もよくわからない。シーズン1でミオリネがスレッタの実技試験を手伝ったり、インキュベーションパーティーでスレッタを助けたりしたのはなかったことになっているんだろうか。
次にグエルとラウダの関係性について。
シーズン1の印象では、この兄弟は確かに仲は悪くないけど二人とも相手の気持ちを考えずにお互いを傷つけ合っているなと思った。
ラウダはグエルのためを思ってとは言え、グエルを父であるヴィムの思惑に従わせようとする。グエルはヴィムの横暴さも悪いとは言え、ラウダの心配をよそにヴィムの言いつけを破り続け、ついには誰にも行き先を告げずに家出して行方不明になってしまう。
この二人にBL人気があることは知っていたけど、血が繋がった実の兄弟なのに「公式カップルだ、結婚だ」と言っている人たちの気持ちは理解できなかった。
と言ってもこれだけすれ違っているからには、シーズン2ではこの兄弟は和解するのかな?と思っていた。
ところが、シーズン2でもグエルとラウダはすれ違い続けた。
地球から戻ってきたグエルは、ヴィムを死なせてしまったことも、今までどうしていたのかということもラウダやジェターク寮の仲間たちに話さなかった。それに、ラウダに代わってジェターク社の新しいCEOになったグエルは会社や仕事の詳しい状況をラウダや仲間たちに共有していない様子だった。
正直、実の弟や寮の仲間たちに対して冷たすぎない?と思ってしまった。ヴィムを死なせてしまったことを言いだせなかった、自分がいなかった間ラウダに苦労をかけたからもう苦労をかけたくないと思った、というのもわからなくはない。でも、ラウダも仲間たちもそんなことを望んでいないと思うんだよね。
その後、グエルは緊急だからとラウダに理由を説明しないままダリルバルデを運ばせてシャディクと交戦し、結果的にではあるけどシャディクがノレアを解放して学園でテロが起こり、テロに巻き込まれたペトラが重体になってしまう。
ミオリネとグエルはスレッタに対して良かれと思ってエアリアルを取り上げたけど、それはスレッタのためにも作中世界のためにもならなかった。それに加えて、グエルはラウダに対して良かれと思って会社のことを一人で引き受けたけど、それはラウダのためにも作中世界のためにもならなかった。
本当に見ていてしんどい展開だった。途中まではグエルとラウダに和解してほしいと思っていたけど、もういいよ…という気持ちになってしまった。
この後、シュバルゼッテに乗ったラウダがグエルと交戦し、一応誤解が解けてグエルと和解したような展開が23話にあった。そして24話(最終回)でラウダがペトラと一緒にいてグエルからは離れていたことが、グエルとラウダのカップリングを支持していた人たちから猛烈に叩かれた。
主に「頑張って会社を立て直しているグエルから離れるなんてラウダは酷い」「あんなにブラコンだったラウダがグエルよりもペトラを選ぶなんて納得できない」という内容だったと思う。
何度も言うようだけど、二人がカップルとしてではなく、兄弟として仲良く一緒にいるエンドを期待したというのなら理解はできる。でも自分は先にラウダを突き放したのはグエルだと思う。ラウダはそれでも追いすがろうとしたけど、父を死なせたのが実はグエルだった、しかもそんな重要なことを隠されていた、となると、もう前と同じ熱量でグエルを慕い続けるのは無理があるんじゃないかな。
それにラウダとペトラの関係性について描写が不足していた(特にラウダ側からペトラへの気持ち)のは事実だと思うけど、ラウダがCEOだった時にペトラが会社でラウダを手伝っていたということは、この二人は苦しい状況を共有して一緒に乗り越えようとするくらいには信頼関係を築けていたということだよね。これはグエルとラウダの関係性よりよほど健全だと思う。
グエルからはラウダと苦しみを分かち合おうとか一緒に頑張ろうという気持ちが感じられない。ラウダはグエルに「兄さんを支える」と言ったけど、それは一方的なもので、グエルの方はラウダに助けてほしいとか側にいてほしいと思っているように見えない。これならラウダがグエルと一緒にいる必然性はない。
「相手に対して良かれと思ったことを相手の意見を聞かずに勝手にやる」「重要なことを相手に話さない」「苦労を相手と分かち合おうとせずに一人で背負おうとする」というのは、パートナーとしては致命的だと思う。スレッタやラウダがこの状態のグエルと一緒にいて幸せになれるとは思えないし、グエル本人も幸せになれるとは思えない。
「家出してバイト生活を送ったり、父を死なせてしまったり、地球に拉致されたりと普通じゃない経験を色々した割にそこから何か学んだ様子もなくこの有り様? 『グエルは成長した、真の主人公だ』と言われているけど、一体どこが?」という失望感が大きい。何度も描かれたグエルの受難描写に何の意味があったのかわからなくなってしまった。
グエルが本編で大変な目に遭っていたのは本当だし、もっと報われてほしかった、誰か寄り添ってくれる人がいてほしかったという感想もわかる。
ただ、それにはまずグエルが相手の話をちゃんと聞いて、自分のこともちゃんと話して、相手と喜びや悲しみを分かち合えるようになる必要があると思うんだよね。
グエルとスレッタ、グエルとラウダのカップリングが公式になるべきだと主張している人たちがそう言っているのを見たことがない。「グエルは大変だったんだから、グエルが何も話さなくてもスレッタ(ラウダ)がそれを察して寄り添ってケアするべきだ」と思っている。エスパーでもない限り、そんなの無理に決まっている。
そうは言っても、「グエルはスレッタに片思いしていたけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので振られてしまったしその後顧みられる場面もありませんでした」「グエルにはラウダという弟がいるけど、適切なコミュニケーションが取れなかったので危うく弟に殺害されかけたしその後破綻はしていないながらも距離のある関係性になりました」というのは、メインキャラの顛末としてあまり後味が良くなかったのも確かだと思う。
個人的に見たかったのは、「グエルがミオリネと一緒にスレッタからエアリアルを取り上げてしまったことを謝り、失恋はしたけどスレッタの良き友人知人として味方に加わる」「地球から帰ってきたグエルがラウダや仲間たちに父・ヴィムを死なせてしまったことを打ち明け、ラウダたちもグエルにヴィムの思惑を押し付けてしまっていたことを謝って和解する」というような展開。
どうしてこういう展開にしなかったのかと言えば、多分「グエルにはあくまでスレミオの当て馬でいてほしかった」「ラウダがシュバルゼッテに乗る展開にするためにはグエルとラウダのすれ違いが必要だった」からなんじゃないかと思う。
水星の魔女のシーズン2について、キャラがストーリーのために無理やり動かされているみたいで生き生きしていない、操り人形のようだ、とよく指摘されているのはこういう部分だよね。
ある意味グエルも脚本の被害者で、公式サイドはキャラのグッズを売ったりして儲けたいという気があるならもう少し後味の良い結末にした方が良かったんじゃないかな。
それにしても、一部の過激なグエルファンたちの「グエルは今のままで完璧で変わる必要はないので周りがグエルに合わせてあげるべき、作中キャラの誰もグエルを恋愛相手に選ばなかったのはおかしい」という態度には本当に辟易している。
上にも書いたようにグエルは(特に恋愛的パートナーとしては)そんなに完璧なキャラじゃないし、仮に完璧なキャラだったとしても作中キャラや視聴者全員から好かれるわけではない。
もし水星の魔女の続編が作られたとしたら、グエルが相手ときちんと対話して一緒に頑張ることができるようなキャラになっていてほしいなと思う。もうグエルの独断専行に他のキャラたちが振り回されるところは見たくないよ。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。 この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。 1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値が実質的に上昇するというメリットが生じました。 2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去の市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験が日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である円預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。 3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。 このように、デフレ経済と円高の環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインドの心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます。
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そうでもないです。私は90年代に子供でしたが、親や祖父母から、資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールドや土地を買いなさいとか、ましてや株は危険だから買うなとまで言われました。
彼らは日本円の価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?
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1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます。 第一に、1985年のプラザ合意以降、10年近い円高基調が継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたかも常識と化していました。 第二に、1980年代後半のバブル景気による株価と土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。 第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。 第四に、当時の円相場は政府・日銀の管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。 このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。
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だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。
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はい、プラザ合意後の急激な円高を体験した世代にとっては、円預金を選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます。 1985年のドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。 この出来事は日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。 生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですから、プラザ合意を体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。
国内盤は無規制です!つってハシャギながらクィアな関係を示唆するテキストはしっかり消してたらしいDead Spaceを思い出しますネ(ぼくは未プレイなんだけど)。EA日本支部はそういうスタンスなんだな~。
https://twitter.com/makichang23/status/1685508976031780864
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ゲーム会社の方がこういうことを公開で言ってしまうことにかなり失望感あるな~やってること悪質なゲームコミュニティと変わらなくないですか?
https://twitter.com/mttk3029/status/1685570423294222336
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こちらのツイートですが、当該の人物とDMで話し合いを行い、ツイートを削除していただいたので、こちらの発言を撤回いたします。
なおツイート自体を消してしまうといらぬ誤解を生んだり文脈を見失ったりしてしまいかねないので、あえて残しておきます。
https://twitter.com/mttk3029/status/1685607561712771072
IGN Japanは渡邉卓也というライターがFF16を「体験版が一番おもしろかった」とDisったり、発売前に「樽も壊せないの?」と煽って吉田Pに発売前生放送で注意されたり、最近ではAC6のプレイ動画でシステムも理解できないド下手ライターに「カメラ操作がストレス」「ソウルライクではない」等
意味不明なネガキャンをやらかしててヘイトが溜まっているところにこれ。「インチチゲハニュースジャパン」という蔑称にふさわしいメディアだね。東京五輪開会式批判をゴリゴリの左翼&割れ厨ライターワニウエイブに書かせたGamesparkといい勝負のクソメディアだわ。
そういえば渡邉卓也はリメイク版Dead Spaceについて「敵がアイテムを落とすと萎えるわ」というネガキャン記事挙げてたし、批評と勘違いしたオナニー記事で金貰える会社なのかね、IGNJ(産経系列)は。
艦長、山下達郎のラジオを聴きました。結局「音楽業界の片隅に棲息」とこういう時だけ自分を矮小化して、ジャニー喜多川への恩義を滔々と語る。問題そのものへの今後のアクションについては完全に部外者を決め込む、と私は理解しました。長年のファンとしては失望の極みです— Tet=Sur Ko'Yum (@Tezziano) July 9, 2023
長年の山下達郎ファンとしてめちゃくちゃ失望した
おかしいことをおかしいと言えない日本の国民性や文化風習いつまで続ける?
だから世界から遅れを取るんだよ
それ以上にジャニーズ絡むと色々おいしいんですねー
もうライブいかねーわ、ガッカリ#山下達郎 https://t.co/RD5G6PFyFo— HUC (@LgsbWd9pLn4Pg8Q) July 1, 2023
山下達郎さんのCDは全て持っていますが、正直今回のことで聞く気にはなれないし、全部中古ショップで処分しようかなとまで思っています。それくらいファンの喪失感と失望感は大きいのです。#山下達郎— ペテルギウスの語り部 (@U4appF58Zqr6LGa) July 10, 2023
自民党は1700万~1800万ぐらいで安定して得票している。
それは数万から数十万規模の業界団体組織をていねいに束ねているからだ。
そしてこの小規模組織、中規模組織しかないところが強みでもある。
特定の業界団体が極端な影響力を行使できない。それは自民党議員が八方美人的にあらゆる支持団体にいい顔をするということでもある。
統一教会にしろ日本会議にしろ集票力という点では高い能力は持っていない。
ただし、統一教会は見返りよりも関係性の構築を優先して選挙支援をしていたのだろうと思う。
これは他の業界団体にはできない。一般的な業界団体は、あくまでも御恩と奉公の関係であり、一方的に奉公することはありえない。
創価学会を自民党の集票組織としてみなすなら圧倒的な大規模組織となる。ひとつの塊で自民党のために数百万票を動かせる組織は他にない。
自民党のように創価学会が小規模中規模の信徒団体が組み合わさったような体制であれば、自民党は間違いなく切り崩しをおこなっていただろう。
公明党を潰して自民党直属の業界組織とするなら、これこそ自民党が乗っ取られるという表現になる。
自民党を牛耳るというのは創価学会ほどの集票力と結束力があって始めて可能性が生まれることであって、統一教会程度の規模ではできるはずもない。
また日本会議が一枚岩の組織でないことは宗教の歴史を少しでも知っていればわかること。自民党議員は上手く付き合っているに過ぎない。
自民党に対抗できる自民党と似たような組織動員ができる唯一の政党だった。
旧民主党がもう少し踏ん張っていれば、財界でも二大政党制を睨んだ恒常的な組織再編があっただろうと思う。
政権についている最中に次々と御恩を蔑ろにしていったのが解体されてしまった原因だろう。
原発の稼働停止、行き当たりばったりの行政改革、円高の放置などは政権の獲得を支えてきた御家人たちを切り捨てるような行為。
消費税の増税を決めたからから下野したのではなく、支持団体をことごとく蔑ろにした結果でしかない。
連合は創価学会に相当するような集票組織ではあるが、創価学会とは違いひとつの塊ではない。
様々な利害が絡む産業別労組や公務員労組が組み合わさっている団体である。
旧民主党は自民党と同じようにコントロールできると踏んでいたんだろうと思う。
自民党の優れていた点は、郵便局長会や農業団体などの紀伊藩尾張藩クラスの集票組織にダメージが伴う政策を実現するときに、雄藩たる外様大名公明党との関係を良好に保っていたことである。
旧民主党にとっては連合内の各労組は、御三家クラスの支持組織にも関わらず粗末な扱いを続けた。代わりもいないのにだ。
良い政治は理念だけでも実利だけでも達成しえないが、理念のために実利を無視すればそれはもう政治ではない。
宗教ですら理念と実利の両輪を信者に提供することで成り立つ。統一教会のようなカルトが悪なのは理念だけで洗脳し搾取するからである。
旧民主党勢力が実利を無視するからと自民党や公明党に接近する連合内組織は、自由意志を持ったまともな状態の人たちの集まりと言えるだろう。
民主主義国で業界団体や宗教組織などの集票に頼らない政権政党などない。
社会観を共有できない人間同士がどうやって同じ政治的目標の実現に向かって歩んでいけるというのか。
無党派層のような浪人だけを大量に集めたとしても豊臣のように滅亡するだけである。
恩顧の大名とそれにつらなる家臣群や領民たちを敵に回して勝てるとでも思っているのだろうか。
自民党が政権政党たりえるのは、自らがその機能でしかないことを自覚しているからだ。
政権を目指すなら政党は調整スキルを高める必要があるし、支持者は社会観の共有できる最大限の大きい塊を作り支持政党の調整に期待しなければならない。
理念と実利の両方を同時に重んじるということは、他の社会観を持った組織の理念と実利も尊重するということ。
SNSで浪人を大量に集めても一発逆転の改革志向革命志向に毒されていくだけだ。
自民党は調整機能に特化した政党。理念はそれぞれの集票組織が持ち、そのそれぞれが理念に基づく実利を自民党に要求すれば、それを勝手に取り込んで調整していく。
自分たちの理念と実利は少しも譲らずに他組織に譲歩ばかりを迫るような団体が集票組織の中心となる政党は機能停止となる。
これは賃金上昇を目指す組織一択である。実利先行で理念後追いの組織とも言える。
ただのお題目でもなく綺麗事でもない、実際的な健康で文化的な生活の実現が可能となる。
特定の属性の弱者の力が強くなるから賃金が上がるのではなく、賃金が上昇するから弱者の力が増すのだ。
賃金が上がれば物価も上昇するが、それはさらに賃金上昇を目指す圧力にもなる。
今の日本には賃金の上昇を目指す組織がないので、たいして上がってもいない物価を下げようとするという相も変わらぬマインドで乗り切ろうとしている。
そんなことはない、私が参加している組織は賃金上昇を目指しているぞという人がいるかもしれないが、それはただ単にSNSでバズるためであり、浪人を集めるための釣りである。
集められた浪人は賃金上昇のためではなく、空虚な理念のために奴隷のように扱き使われるだけだ。
気づいたときには統一教会の信者のように家族も財産も失い、人生も失う。
大坂の陣のような時代であれば集められた浪人は華々しく散って歴史に名を残すチャンスもあるが、今の時代は裏切られた失望感を抱えながら生きていくことになる。
経団連でさえ中長期的には恩恵を受ける。被害妄想にとらわれるのは老い先短い高齢の経営者だけだ。
弱者属性を抱えている組織にとっては参加している人々の生活力を格段に上昇させる。
それは日本からしか買えないものがたくさんあるからだ。日本すごいでもなんでもなく少々高くても日本から買いたいというブランド力はまだまだある。
こういうと日本を評価することが微塵も許せない人たちがワラワラと湧き出てくるが、そういうイデオロギーの問題ではない。
高くても売れるものを自信を持って売ればいいだけのこと。
そのためには賃金を上げて生活力を向上させて、さらに付加価値を高める能力を国民が身に着けないといけない。
自民党にたくさんある小規模中規模の集票組織、公明党の創価学会、旧民主党勢力の連合内組織、どの団体でも賃金上昇を一丁目一番地に掲げるチャンスはある。
どれもがSNSでバズりたい欲求はなく、実利志向の強い組織でもある。一発逆転狙いではなく、要求と譲歩を積み上げることで成果を生み出すことにも長けている。
今もっとも票が集まる政策でもある。たいして上がってもいない物価を下げることにお金を使っても、また税金を増やされるだけだ。
ゲームのcvにVtuberなんていう演技のド素人を起用するなら、演技指導は徹底しろって言いたい。
徹底しても改善されないんであれば、それは才能が無いか経験不足なんだから商用するのが無理だってことを認識しろと。
そういう所がはっきりと決断できないで強行するから、いざ発売されたら棒読みでやる気失せる出来って言われるわけで、
やっぱさ、プロを使わないんならそれ以上に演技指導って必要なわけ。
瞬間的に売れればいいやって後先考えずに売るのは構わないけど、次回作以降の期待感は全く感じられなくなるのでクリエイターも企業としても悪イメージにしかならないことに気づいてほしいんだわな。
そもそもVtuberをcvに起用するのは、根本的に間違ってるんだよ。
アイツラは自分の配信という土俵じゃないと相撲が取れない素人集団なんだからさ。
いくらアイツラがボイストレーニングをしても、それは自分の土俵で相撲を取るためのもので商用として売れる世界の話じゃないんだよ。
プロはそこを考えてるからプロなんであって、素人のVtuberがその世界に踏み込むのならプロがやってきた以上に演技の勉強をしなきゃならんわけなんだ。
それが出来ないぽっと出の素人が棒読みで声当てたら、そりゃ失望感が酷いんだよ。
作り手側はその辺しっかり認識して作って欲しいんだわ。
宮崎駿が声優を使わないで作品を完成させるけど、やっぱ演技が微妙な人っているわけ。
だけど、あれはそれなりに演技指導を行って修正した結果なんだろうなって思う。
棒読みじゃないようにセリフを言っている感じがするし、声の抑揚をなんとかつけようとしている努力が感じられるし。
SESや多重下請け構造だと、基本的にスキルというよりは単純労働力が求められる。
新しい技術を使って100時間で開発するより、Excel作業で2000時間かけたほうが20倍もうかる。
よって、多重中抜きの元請けには、IT技術というより「人売り」「奴隷商人」のスキルが求められる。
異業種のトップ人材のほうが確実にITツールを使いこなしていると感じるレベル。
「それで肩書がエンジニアなの?」という失望感から怒りに変わることも多いので、
根っからのエンジニア気質の人間は、内製の会社に行った方がいい。技術で社会貢献できるだろう。
あと人売りのポンコツの多くは、あまり自分のレベルアップに興味がなく、
会社にしがみついて人生を平凡に逃げ切るプランを実践してるので、人間的に合わないことが多い。
悪い腐り方をして、腐葉土になりきれず、滞留して社会という森を腐らせてしまうような生き方である。
SESや多重下請け構造以外ではあまりお目にかからない人材たちである。
あと彼らに共通するのは、徹底して自信がなく、ビクついていることである。
おそらくその中間点で、心地いいポジションを見つけた結果の滞留物・腐敗物なのだろう。
ただ、みずから望んで人権侵害に魂を売り払った以上、簡単には逃げられず、深刻度は高い。
ヤ〇ザを利用してメリットを享受したら抜けられないのと同じである。
しいてメリットを挙げるとすれば、タイトルの通り、ポンコツは反面教師として学びがあるということである。
臆病な卑怯者になってはいけないというサンプルを提供してくれている。
YouTubeでコバンザメの動画を見てみると、どうしても滑稽に見えてしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=BtE2NNzxpvw
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
今まで好きになった全ての作品で2.5の情報を徹底的に遮断し、一切触れる事なく作品を楽しんできた。そう出来ない位2.5の存在が大きくなった作品からは潔く立ち去った。
今まではそう出来ていたのに、アイドルマスターsideMに対してだけはどういう態度でいればいいのか、どういう態度を取りたいのかが分からない。
アイドルマスターsideMが好きだ。担当アイドルが好きだ。担当以外のアイドルも山村も社長も皆好きだ。立ち去りたくない。ゲームをプレイしたいしグッズもCDも買いたいしライブだって行きたい。
でもその後ろに、舞台化を決定した運営がいるのだ。よりによって315の日に舞台化を発表した運営が。アニメ2期も作らない癖に。この運営に私の貴重な金も時間も使いたくない。私の金がほんの僅かでも舞台のために使われたくない。
キャラと声優を限りなくイコールに近い距離に置いてきたアイドルマスターシリーズの一端にいてどうして舞台化するのか。どうしてキャラに異物を混ぜるような真似をするのか。
こんな事のためにあの長期メンテを待ち続けたのか。
運営に裏切られたという怒りと失望感との折り合いの付け方が分からない。
アイドルマスターの看板を外してただの男性アイドル育成ゲームになってくれれば過去の事例と同じように2.5の存在を忘れて楽しめると思うのだが、それは叶わない以上私はどうすればいいのだろう。
Mマスの事なんて忘れてデレマスに帰りたい。でも担当を愛しているからMマスから離れたくない。
この裏切られたという怒りが必ずしも正当な感情ではない事は理解している。でも、私はアイマスシリーズを信じていたのだ。
明日舞台の話がなかった事にならないか。運営解散して新運営に交代しないか。するわけない。
あの発表の日からモバMにもサイスタにも一度もログイン出来ていない。曲も一切聴いていない。
どうすればこの感情に折り合いを付けてアイドルマスターsideMをまた楽しめるようになるのか誰か教えて欲しい。
苦しい。誰か助けてくれ。
自分の好きなドラクエのやり込み動画をあげていた、そこそこ有名な投稿者が不正をしてたんじゃないか?ってことで荒れていた
投稿された動画はほとんどすべてみていたし、根気強くゲームやり込んでいく様(まあ実際はそれも嘘だったみたいだが)を見ていてすごいなとかおもしろいなーとも思っていたのでショックだった
疑惑を裏付けるような画像や証拠もいくつかあがっていて、それを知った瞬間に自分の中にあった、
それまでの熱は急速に失われて、付けた高評価も全部低評価に変えてチャンネル登録もはずした
「あぁ、結局ドラクエのこと好きでもないし、ただ金儲けのためだったんだな……」って。
やり込みプレイって、ゲーム好きの奴がゲーム愛ゆえにある種暴走してやるようなもんなんだよ
はたから見たら一見無価値で無意味なことを他人の評価なんて気にせずやるんだ
この投稿者はそれとは真逆で、ドラクエを利用していたんだなって思うと萎えてしまった
最初は自分の表現の場が欲しくてコンテンツに集まってくる人が多いんだよな
アホくさいことや一見なんの価値もないようなことを、ただ自分の欲求を満たすだけにやってる
利益のためとかじゃなくて、自分がしたいからやってる、みたいなね。
でもそれがアフィリエイトやら収益化やらで金になるとわかると、
対して作品を好きでもないような連中が、金儲けできる!となだれ込んできて、
テンプレートで固めたような薄い記事やら動画やらであふれるようになる
当然作品や活動にたいして愛なんてない。金を得るためのただの道具だからね
当該の投稿者の動画はもう見ないとおもうし、正直な話なんだかyoutubeに対しても白けてしまった
けれど、
たぶんこれからも自分は新しいコンテンツが出てくるたびに、それに乗っかっては楽しんで、期待して、また裏切られていくんだろうな
感情の備忘録としてただ思うままにだらだらと書きなぐったんだけど、
予想外に色々と反応がもらえてうれしい
以下、返信になります
指摘されるまで自覚がなかったんだが、言われてみると厄介な潔癖症のそれなのかも。
嘘くせー
変えましたねー
さすがに新しく投稿されたものにまで、低評価をつけにはいきませんでしたが……
そこまでのこだわりというか熱がもうない
趣味だけでやってるうちはリソースが半ば無限にクオリティの向上に注がれるけど
一般受けを狙ってか、トガった要素や良さがなくなったりもする
なるほどです
勉強になる
上でも指摘されたけど、たぶん自分は潔癖症でネガティブなんだろうなぁ
改めないと。
なにそれ面白そう
増田に書き捨てといてよかったと思う瞬間
共感を得られたのはやっぱりうれしいし、
色々気づけたのでよかった
私は誰の意志で生きているんだろう
私の意志はどこにあるんだろう
精力的に動けたり、
きっと病院に行ったら躁鬱扱いされて、薬漬けだろうな。数十年前と同じように。
カウンセラーは、話を聞くけど、最終的には自分たちのやっている療法の「型」に私をはめ込もうとするだけだ。
結局、誰にも、何にも、できることはない。私もだ。自分をどうすることもできない。もはや何を信じて良いかわからない。
刺ぬ勇気も無い。
私の親は愛情深く私を育てすぎた。
とてもできない。
明日の朝になったら、ギリギリで跳ね起きて仕事に行くだろう。内面空っぽのまま、その日の仕事をこなすだろう。
何も積み重ねることなく、
何も為すことなく、
ただ両極端を行ったり来たり。
中途入社増で怠けや諦めなど悪習まん延、関氏の任命は判断ミスと
EV事業推進の永守氏は昨年、日産出身の関氏を後継CEOに指名
The Nidec Corp. headquarters stands in Kyoto, Japan, on Wednesday, May 27, 2015.
The Nidec Corp. headquarters stands in Kyoto, Japan, on Wednesday, May 27, 2015. Photographer: Akio Kon
日本電産創業者の永守重信会長が、最高経営責任者(CEO)を譲った日産自動車出身の関潤社長に対する失望感を強めている。事情に詳しい複数の関係者が明らかにした。
関係者らによると、永守氏(77)は昨年末ごろ、高い収益力で成長を続けてきた日本電産に最近ほころびがみられるとし、低収益企業からの中途入社の増加で持ち込まれた諦めや怠けなどの悪習で汚染されていることが原因だとの見方を社内で示した。
特に主力事業の一つである車載事業で業績が悪化していると認識しており、同事業の再建は自身が責任を持ち、短期でやり抜くと強調した。関氏は昨年12月から顧客との交渉でドイツに滞在しているという。
関氏(60)の入社以降、車載事業で計画未達が続いたために日本電産の相対的な業績は悪化したとし、経営力の低い人物をトップに据えたのは判断ミスだったとの見方を明らかにした。任命責任は自身にあり、外部からの人材を後継者にする考えそのものが甘かったとの見方も示したという。日本電産はコメントを控えた。
Nidec Corp. Chairman And CEO Shigenobu Nagamori Holds News Conference
Photographer: Akio Kon/Bloomberg
同社の車載事業は2020年4-6月期に2億5800万円の赤字に転落。その後、黒字に回復したものの直近の昨年7-9月期の営業利益率は3.5%と10%以上を確保している他のセグメントと比べると見劣りしている。
永守氏は昨年9月、幹部社員らに対して業績改善の遅さや対応の甘さに言及し、上期(4-9月期)の連結営業利益について最低限必要な水準として950億円を掲げ、達成に協力を要請していた。その後、10月に公表した上期の営業利益は902億円で未達に終わっていた。日本電産株は今年に入って20%近く下落している、
日本電産、永守会長が求めた利益目標未達-精密小型モーター不振 (2)
世界的に電気自動車(EV)シフトの流れが加速する中、EV関連事業を強化している永守氏は20年1月、日産でナンバー3の副最高執行責任者(COO)まで務めた関氏を採用。4月には社長、昨年6月にCEOに昇格させていた。
Nidec President Jun Seki Interview
関社長
Photographer: Kosuke Okahara/Bloomberg
関氏は昨年7月の決算会見で売上高を25年度に4兆円、30年度に10兆円と順次拡大する中長期戦略目標を公表した。永守氏は同会見での関氏の説明を安心して聞けたとして、次回以降の決算会見には出席しない考えを示していた。
しかし、10月の中間決算会見には前言を翻して姿を見せ、質疑などに対応。一方、関氏は一度も発言しなかった。永守氏はその際、「あくまで日本電産の社長CEOは関である」と強調。会社を掌握するには時間がかかり、「苦手なところはサポートし、関を立派な経営者に育てていく」と述べていた。
永守氏は1973年の創業以来、長年にわたって経営トップを務めてきた。関氏の前の吉本浩之元社長時代にはCEOの地位を譲らないまま集団指導体制を目指したがうまく機能せず、吉本氏は副社長に降格となった後、退社していた。
関係者によると、永守氏は自身の指導に従えば業績は必ず戻るとも呼びかけている。現在の停滞は社員のマンネリや諦めの気持ちに起因しており、創業者の考え方をもう一度徹底する必要があると強調。社員に対して、経営の要諦について記した自身の著書を繰り返し読むよう呼びかけているという。
アベノマスクの最大の失敗は国民を深く失望させたということにある。
その部分を全く無視しているのは論外だ。
当時、コロナ禍が進行していく中でもっとも懸念されたのは経済の失速と雇用の不安だ。
それを払拭するために米国やドイツを始めとした欧米各国では手厚い給付金政策が続々と発表されて
自国民に対して
「大変な自体が進行中であるがどうかパニックは起こさないで欲しい。あなた達の生活は絶対に守る。」
それに対して日本では金を配らずにマスクを配るという政策を大々的に発表することで国民に深い失望感を与えたのだ。
この国はこんなにも、この政府・政権はこんなにも情けないものだったのか?と深く失望をさせてしまったのだ。
コロナ禍という困難に耐え忍ばなければいけないという、その始まりの時に。
マスクの話ではないのだ。そんなこと些末と言ってもいいくらいだ。
結果として、その大きな失望感から公明党の支持母体である創価学会が
給付金を配らないのであれば選挙では一切の支援をしないと最後通牒を突きつけたことで
公明党が給付金国民全員に給付することを安倍総理に要請したから
貧困家庭に30万円を給付するという法案で決まりかけていたものが覆ったのだ。
そのことによって経済的にだけではなくて心理的に救われた人は多かったと思う。
そういう部分を一切無視してマスク議論だけをするのは意味がない、
と言っては言いすぎかもしれないがアベノマスク問題の本質ではない。
アベノマスク問題の本質は給付金への期待、国家が国民を守ってくれるという期待感を一瞬にして崩壊させたことにある。
まず勝ちたいと思ってるとお前が思い込んでるところからして間違ってる
俺は政権選択のタイミングでアホな選択をしなかったという事実が欲しいだけだ
この状況で自民を再度選ぶのはアホの極みだろ…感染者も死者数もガンガン増えてて自宅療養で死んだ数は追えてない
だから「俺は」自民党を選ばない。ただ「アホな大衆は」自民党を選ぶ。そこは多勢に無勢で俺にはどうしようもなかったと後世の人間に言える。その状況が欲しいってだけ
だから別に立民が負けてもいいですよ別に。俺は正しい政党を選ぶし、その正しさがジャッジされることもないだろうね。アホは自民に入れるから。あとはIFのストーリーになる
自民党に対して有権者が失望感を抱かないんだったらそれがジャップのありのままの姿としか言いようがないし、別にそれを否定しないよ。未開の猿に民主主義は早かったかなと思うだけ
だからお前も有権者の失望を高めるとか言わねえで黙って自民に入れたら?有権者の失望を高めるって、どこに向かってのアピールなの?無党派層に立民はクソだって印象付けるためにやってるの?だまって自民に入れてろよ。むしろ自民支持者なら立民に対する有権者の失望高まってんだったら望むところじゃん。なんで焦ってるの?俺は別に焦ってないけど。
はてブのコメントでは「小出しにすることで注目を集めているから成功」と言われているが、果たして本当にそうなのだろうか?
小出し戦術によって注目を何度も集めたとしても、その度に「経済政策やコロナ対策の優先度が低い」と誤解されたとしたら、むしろ逆効果のように私には思える。情報発信の第1弾の時には「政権を獲ったら直ぐに出来ることを述べただけだ。経済政策やコロナ対策は、これから」と言われていたが、第2弾でコレでは、もう有権者の失望感を高めるだけなのではないか?
こういう意見を述べても、最近では自民党の回し者扱いされる。おそらく、戦時中の日本で、戦略の誤りを指摘した人たちを非国民扱いして押し潰した時も、こんな感じだったのだろう。
自民党政治を批判している人たちが、旧日本軍レベルの精神論で勝てると信じているのは、情け無い話である。
【追記】(1)私は二十年ぐらい自民党には投票していません。新自由主義に反対しているからです。自民党政治に対するNOの意思表示のために、私は(支持者ではありませんが)共産党に投票しています。(2)野党を育てることイコール野党への批判を控えることとは、私には思えません。まっとうな野党を育てるためにこそ、批判は必要であると思います。