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はてなキーワード: 粗相とは

2019-10-07

友達母親になるのが怖い。

母との間に良い思い出がない。

子どもの頃から粗相をしようがしまいが、向こうの機嫌次第でよくぶっ飛ばされたし、顔や手足に傷が出来るのは日常茶飯事。「自分仕事から帰ったときトイレにいたから」とかいうよくわからない理由食事を抜かれることもあったし、言葉暴力に関してはバリエーションが豊かすぎてもはやギャグ。ちなみにぎりぎり平成生まれ。今ほど虐待に過敏ではなかった世の中。お前には価値がないお前はみんなに嫌われてるいるだけで迷惑、と洗脳のように刷り込まれていたので、高校までまともに友達が出来なかった。

大学入学して実家を離れて、ようやく少しずつ人間関係が広がっていって、いつもなんとなくつるむメンツも出来て、彼女たちとは社会人になってからも定期的に集まってご飯食べたり飲んだりしている。

その友人ら4人のうちの1人に、子どもが生まれて、その子母親になった。その子は色白で美人で、旦那さんも紹介されたけど、爽やかなイケメンだったので、こりゃ子どもの将来も約束されたもんだななんて友達と笑い合った。

赤ちゃん抱えてると、なかなか外ではご飯食べづらいよね、ってことで、少し前に彼女の家に食べるものを持ち寄って(食器の用意とか洗い物の面倒もかけたくなかったので紙皿紙コップも持参、ゴミは持ち帰りで)、この前久しぶりに集まった。彼女の子どもとも初めて会った。かわいい赤ちゃんだった。で、その赤ちゃんを抱えてるのは、友人であり、「母親」という人種だった。

それが、本当に怖かった。

とにもかくにも母親という存在に良い思い出がないのだ。わたしにとって母親というのは、いつ爆発するかわからない地雷のような、突然目の前に現れて火を噴いて暴れる怪獣のような、理解できないおそろしい存在ということになっているようで、彼女母親として子どもに向き合うのを見るたびに、胃の辺りがしくしくと痛くなった。

彼女わたし友達で、わたし母親とは違う。

母親という存在がみんなあんな感じになるわけじゃない。理屈ではよくわかってるつもりなんだけど、なんとなく、また年末に仲間内で予定を立て始めている、彼女に会える機会からちょっとずつ後ずさっている自分がいる。

きっとわたし母親孤独だったんだと思う。

結婚して、父親の転勤でまったく馴染みのない土地で、今で言うところのワンオペ育児をしていた母。おまけにわたしは育てにくいお子様で、言葉は遅いし集団行動には乗れなかったようだし、きっとものすごく手を焼いたに違いない。だから仕方のないことだったんだ。何の因果か今のわたし児童福祉関係で働いてて、日々いろんな子ども出会うけど、その度に、母もきっと辛かったのだと思って自分を納得させ続けてきた。

でも、親しい人が母親になったのを見てこの有様なので、たぶんちっとも納得出来てないんだろう。だからといって年に1、2回くらいしか顔を見ない母親に対してわざわざ蒸し返すのも気が進まないし、どうしたらいいのか途方に暮れている。

2019-09-24

anond:20190924141052

本当のことを言っても嘘をいわせても高確率で親戚にバレて言葉ボコられるのを知ってれば

「ださない、だせない」のも一種愛情では

犬育てるんだったら別にトイレ以外のとこに粗相してもウンコ食ってもかわいがれるし

万引しようが嘘つこうが子供だって社会に出さない前提なら猫かわいがりはできるのに

子供ボコられるところに勝手に這い出して行こうとするのをとめると子ども自身虐待されたと思うんだよね

それは親が子供虐待しているのではなく社会不適合者を匿っているのでは

親の言葉社会のよく知らない人から言葉だったらもっと凹むじゃんお前

2019-09-10

将来、下の粗相迷惑をかけるのが恐い

元来腸が弱く、特に酒を飲んだ時など必ず腹を下し成人以降も年に一度は粗相をしている。先日も外で酒を飲んだ後、腹の痛みを抱えながら家に帰りつくものトイレに入った瞬間決壊ズボンを駄目にした。この先ボケ始めたら一番にコントロールが効かなくなると思われ、妻や子供達ほか周囲の人に下の粗相迷惑をかけてしまうことを恐れている。何か未然に対応できない、ものか。今年中に大腸内視鏡検査を受けるつもりでいる。

2019-08-30

甥っ子(1歳)がネッコをむんずって掴んでも我慢して引っ掻いたり噛んだりしないのエライ

すぐに気づいて引き離したけど諦観って顔してた

イッヌは甥っ子を家族みんなでかまってたら普段粗相しないのにウンチした

おまえはそういうとこー!!

2019-08-29

命日の決まっていた猫のはなし

の子は命日が決まってるんだな。


安楽死を決めた時、私はそう思った。


うちのかわいいかわいい猫のはなしをしようと思う。

疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。

「猫なら手がかからないよ」

あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。

結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。

いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネット検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。

買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。

残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。

メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。

ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。

ただ、私の猫はとても朗らかだった。

人間が大好きで、友人たちのアイドルになった。

「猫は好きじゃないけどこの子は好き」

積極的に会いに来てくれる人もいた。

7歳の時にアレルギー改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。

10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものから対症療法しかないとのことだった。

13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。

近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。

私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。

朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。

向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。

タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシー運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。

採血レントゲンCT、様々な検査をして酸素が投与された。

原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。

今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。

妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。

ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。

酸素投与とステロイド抗生物質の点滴を続けた。

猫は三日間何も口にせず、病院許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。

どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。

毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。

内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。

猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓肥大していた。

「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃん重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります

うちの猫喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。

近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。

ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。

その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。

これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。

二週間後、先生が言った。

「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫可能性があります

そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。

右側からしか出ない鼻水、瞬膜、大きくなってきたおでこ

「顔の悪性リンパ腫はどうなりますか」

「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います最後は悪液質で亡くなることになります

私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療選択した。

けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。

25mg/日を10間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。

副作用による空腹感で、猫は鳴いて鳴いて、可哀想だった。

ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。

苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足しか思えなかった。

薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。

ステロイドを中止した翌日から、猫は昏昏と眠るようになった。

ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。

から鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。

カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。

視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。

トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。

2週間が経った。

ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。

最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口から出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。

当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血浸出液ピタリと止まった。

このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。

けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。

別れたくない。悲しい。寂しい。

それと同じくらい、楽にしてあげたい。

戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。

自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。

動物病院に状況を報告した。安楽死選択ひとつだと思うと先生は言った。

苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。

の子は命日が決まってるんだな。

翌日は動物病院休みだったから、一日中猫と過ごした。

苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。

愛しさと諦めが交互にやってきた。

安楽死の当日。予約時間ギリギリまで悩んだ。

行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。

猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。

やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。

猫は起きて、苦しそうに叫んだ。

看取りたいというのは自分エゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。

病院は昼休みだった。着いたときから先生看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。

点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。

けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。

猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。

大丈夫もっと話す?」

顔を出した先生に、私は言った。

「お願いします」

病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。

早く連れて帰りたかった。楽にしてあげたかった。

最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。

数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。

そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり心拍が止まった。

二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。

先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。

「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」

先生は私も、猫も褒めてくれた。

帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。

たっぷりシャンプーリンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。

体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。

帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。

「どうして」

体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。

すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。

猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。

「もう大丈夫だよ」

妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。

いつかはと思っていたから、その後の段取りスムーズだった。

猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズダンボール箱を用意したりするのはつらかった。

でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。

それから、死後の処置自分でしてよかったと思う。

鼻血浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。

大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。

処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。

けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。

どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。

姉が言った。

「いっぱい愛してもらったね」

そう。猫に愛されていたのは、私だった。

家猫のあの子にとって、世界で一番愛しい相手は私だった。

安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリー記事がとても参考になった。

自分ペットに対して安楽死選択したことは、あまり口にできないことだと思う。

感謝気持ちを込めて、私も書き残そうと思った。

それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。

目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。

もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。

ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。

ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。

対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情対処する方法は見つからなかった。

結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。

とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。

自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。

離れている間にしんでいないか毎日戦々恐々としていた。

最後お金の話をしようと思う。

7万円を最初に出したのはそういう意図だ。

4日間の入院で15万円ほどかかった。

酸素ハウスを3ヶ月レンタルして6万円。

薬代が月に1.5万円~3.5万円。

採血レントゲンが1.5万円。

CTが4万円。

そして安楽死処置が3万円で、葬儀が2万円。

治療11ヶ月に及んだ。がんばった私。

もっともこれはミニマム治療だった。良心的な動物病院だった。

抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。

お金がない人はペットを飼ってはいけない。

これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。

最低賃金上がればいいのに。

雑然と書いたけれど、私の猫の話はここでおしまいです。

いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。




8/31追記

twitter感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。

自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉ありがとう。とてもうれしかった。

今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。

安心してるんだ。もう苦しんでいないって。

でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。

この感情はそれぞれ別のものから、ずっと抱えていくと思う。

話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。

便宜上妹と言っているけれど、血縁関係はないんだ。

今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。

姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。

姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。

飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護問題ペットショップの不適切販売を知ったんだよね。

私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。

妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。

その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。

妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。

「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ

姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。

実際のところ来てくれたから、わかったことがある。

それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。

妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。

最初ちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。

妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶ひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。

亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。

兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。

きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。

別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。

いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。

姉猫も兄猫も妹猫も、どの子世界一かわいい

世界一ひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。

生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。

の子もみんな世界一だよ。

あとな、創作って言ってた人な。

文章力があるって受け取っとく。ありがとうな。

創作だったらいいな。

そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。

キーボードダイブしてもいいよ。叱るけど。

ずっとずっと愛してるよ。

ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)

2019-08-26

初めて風俗に行きました

 風俗店を利用する同級生あるいは同僚を、心の中で「俗物」と罵っていた。先輩社員の奢りでピンクサロンへと吸い込まれていく同期を、心の底から軽蔑していた。私は今日その男根への承認という勲章を求めて風俗店を利用する許されざる「俗物」となった。最もなりたくなかった存在へと身を落としてしまった。それだけではない。下らない自尊心と間違った配慮、そして醜い自意識によって、正常に風俗店を利用する彼らよりも程度の低い存在へと成り下がったのだ。そして、自分の汚れた心の言い訳にこのような俗物的な文章を書き残すことが、さら私自身を俗物へと貶めるのだ。

 私は鬱病だった。毎日のように精神的発作を起こし、衝動的な自傷行為――主に私が許し難いと感じている非道徳的な行為私自身が行うこと――に明け暮れ、一人孤独に単調な日々を過ごしていた。それでも、他者を私の精神的安定の材料として利用しない、という規範自分に課していた。それが今日、あろうことか破られたのだ。気づいたときには風俗街にいた。私は自身脳内で散々に罵倒していたあの「大学生」あるいは「社会人」達と同じ線の上に立っていた。ここ数ヶ月の見窄らしい自らの行いを、許されざる粗相の数々を精算するため、最も忌み嫌う場所へとこの脚が無意識に私の身体を運んだのだ。私は鞄から精神安定剤を取り出し、僅かに残っていた飲料水でそれを胃の中へと流し込んだ。

 何度も嘔吐しそうになりながら、それまで未来永劫に自分とは関係のない場所だと思っていた欲望の通りを歩いていく。私はこれから、今まで見下してきたあの俗物達と同じ存在となる。価値のない私にはそれくらいの地位が相応しい。しかし、ああ、なんということだろう! 真面目に労働として性交提供している女性が、そんな卑俗な目的のためにこれから私と交わるという悍ましき状況が発生しているのだ。なんと失礼なことだろう。なんと不誠実なことだろう。彼女らはその吐き気を催すような目的に協力するため労働時間とその身体提供することに同意するだろうか? ――するはずがない! もしそうでないのであれば、同意しないことを強く勧める! 性産業従事するということ自体が――その産業構造が現実的女性への搾取を含まざるを得ないという事情こそあれど――世間一般で言われているような尊厳を切り売りする行為だとは思わない。しかし、私のこの悪意に満ちた目的を拒絶せず性交に応じることは人間尊厳を切り売りする行為だと言っていいだろう。根源的な悪人である私は、黙ってその目的を達成しようとしているのだ。他者を利用してまで!

 最も店舗の密集する地帯に入ってから入店まではそう時間を要さなかった。雨が降っていたこともあってか、休日の夜にしては人通りがかなり少なかった。私は「これ以上ここを歩くのは耐えられない」と感じた地点で歩みを止め、二、三歩戻って完全に初めての領域へと足を踏み入れた。目に映った中で一番美しいと感じた風俗嬢を選び、直後にはその行為が行われる部屋へと導かれていた。他者の外見を値踏みするようなことをしてしまった自分がいやになった。自分は最低の人間であるという自覚が床板を踏みしめる毎に強くなっていった。

 部屋に入ると彼女は料金表を提示した。風俗を利用したことのない私には躊躇いの気持ちが生まれるような数字が並んでいた。しかし、高ストレス仕事には高額な給与が支払われるべきであるから、私はちょっとした電化製品を買うくらいの紙幣を財布から取り出して嬢に渡した。報酬をどこかへと持って行った後に戻ってきた彼女は「じゃあ、脱ごうか」と言った。私は大袈裟に恥じらうような態度を見せ、服をすべて脱ぎ、私の小柄で貧相な身体露出させた。嬢の身体は今までに見たこともないほど整った曲線を描いていた。乳房乳首も、腰のくびれも、肌の質感も、すべてがお手本のように綺麗だった。陰毛が除去されているのも相まって、その造形は芸術的ですらあった(後から考えると、このことも私の陰茎の勃起を妨げる一因だったのかもしれない)。

 彼女は私に寝転ぶよう促し、乳首を舐めた。あまり気持ち良いと感じなかったが、私は童貞のごとく過剰に喘ぎ声を捻り出した。ある程度ペニスの固さが保たれてきた頃に避妊具を装着し、口淫を施した。口淫にも少し物足りなさを感じたが、私は情けない声で喘ぎ続け、呼吸を速くした。嬢は私の童貞的な反応を楽しんでいるように見えた。不誠実な利用客である私ができるせめてもの償いは、彼女仕事に伴い感じるであろうストレスを少しでも減らすことだった。私が彼女リードしてもらう形で性交が行われた。仰向けになった私の九割ほどの固さになった陰茎の上に、彼女女性器が乗った。騎乗である性交が始まってしまったのだ。私はだんだんと罪悪感に侵食されていった。実際、何度も中折れし、心配する嬢に謝罪を繰り返した。「なんだか、とても悪いことをしているような気がしてくるのです」と私は言った。嬢は相変わらず整った顔で、ふふっと笑った。嬢に導かれるがままに体位を変え、騎乗位、正常位、後背位、そしてまた正常位で必死に腰を動かした。彼女の顔は何年も前に別れた元恋人に少し似ていた。正確には、元恋人の加工に加工を重ねたセルフィに似ていた。嬢はそれほど美しかった。しかし、中折れは何度も繰り返された。そうこうしているうちに制限時間は迫り、残り時間が少ないことを告げるベルが鳴った。嬢は残り少ない時間でもう一度挿入をして射精させようとしてくれたが、陰茎の固さを保つために実施された手淫の間に射精してしまった。私は「すみません」と謝った。嬢は数十分間ずっと私の童貞的な反応を楽しみ、時間内に射精できるよう最大限協力してくれた。とても申し訳ない気持ちになった。

 性交を終え、受付の中年女性との短い談笑を済ませ、来た道とは別の経路で自宅へと急ぎ気味に歩みを進めた。身体を人通りの多い道へと近づけながら、私は自分の心にあいた穴がまったく埋まっていないことに気がついた。自罰行為と、それに伴う射精は私の心の問題解決する方法ではなかったのだ。家に着いた頃には、嬢の顔も思い出せなくなるほど記憶曖昧になっていた。ここまで書いた文章以上のこと、すなわち映像的な記憶は綺麗に脳内から消し去られていた。ただ、彼女容姿が美しかたこと、私が情けない姿を他者に見せてしまたことだけが今日の出来事の象徴としてぼんやりと頭に浮かぶだけだった。私は本当に風俗店を利用したのだろうか? それすら疑問に思うほど、私の体験密度は急速に小さくなっていった。確かなのは、財布の中身が随分と減っているということと、私が以前より私自身を嫌っているということだけだ。

2019-08-04

ワイ、躁鬱

思い出せることだけのメモ

父親心理的虐待

父は一時期母に生活費すら渡さないなど(父含む全員母の稼ぎと貯金生活、父稼ぎは貯金不明)

両親は母方の実家の近くで二人暮らし。当時母正規雇用保育士。私が産まれた後父親が「母親(祖母)が心配から」とか言い出し、父方の実家へ同居。祖父は私が生まれる前に死亡。祖母曽祖母の二人暮らしから五人暮らしへ。

母は実家に入る際正規から非正規雇用(その後20年ほど経つ今も非正規のまま)。二年後弟が誕生。その頃のことはよくおぼえてない。

曽祖母はやたら人気者でよく親族が遊びにきた。私が小学校四年辺りの頃に亡くなった。それ以来客足も途絶えて、従姉妹(父の姉一家)を除く親族お盆の時くらいしか来ない。

祖母は言うことを聞かないと殴る。多分ヒステリー気味だった。「お菓子買ってあげるからおばあちゃんに優しくしてね」「お小遣いあげるから老後の面倒よろしくね」とか平気で言う人。というか言われ続けてきた。ジュースとかもいらないのに押し付けてくる。

自分の将来をあれやこれや言う割に私が怖い目に遭っている時は助けたくれない。というか、この人が喋ると父親が余計にヒートアップする。そして祖母も怒鳴り返す。私が高校の頃家に迎えられた犬を吠えてうるさいからって木材で殴ろうとした。その場にいた私が慌てて止めてちょっとした流血沙汰になったけど誰も問題にしてない。

父親は怖い。小学生の頃、テレビバラエティ番組?を父母弟私の四人揃って視聴していた。その時どうやら私が「うちの稼ぎは少ない」などと言ったらしく、番組を見終わりみんな寝ようと居間を出た途端壁に追い込まれ、至近距離で怒鳴られる。二度というなとかそういう類のこと。

私は、稼ぎが少ないだとかそんな発言した記憶が一切ない。なのに怒鳴られて、とても怖い思いをしたことだけはいつまでも頭に残っている。誰も止めてくれなかったことも。

私が中学に上がった頃、仕事のせいでうつになったらしい。詳しくは知らないけど八つ当たりされるのが日常になってた。殴ってないか虐待じゃない、お前が男だったら殴ってた、ブスだの悪口はまあ日常。機嫌が悪いと壁を殴るし床も蹴る。ドアを静かに閉めるという発想はない。テレビ見て母弟私の三人で笑ってると、二階からうるさいと怒鳴られるのは日常家族みんな居間にいる時間が減って、気づいたら居間が奴の居城になってた。

中学の頃は私も八つ当たり精神的に動けなくなり、不登校引きこもりへ。それによりサンドバッグ化が加速、母も基本は止めに来るけど助けてくれない時も。平日昼、母が仕事父親休みの日とかは御察しの通り。

我が家廊下を抜けた先に台所があり、廊下の途中に居間があるので、水を飲みに行くにも怯えながら廊下を通る毎日。通りがかるだけで「おい」と怒鳴られて、奴が寝るまで水すら飲めない日もあった。物音を立てるのがNGなのでとにかく息を殺すしかない。

朝は父親が家を出てから、昼は残り物。夕飯は、母が帰宅して父が帰宅するまでの短い時間で慌てて掻き込んで部屋に戻る。母は食事を摂らせたいので食べないと余計な心労をかけるから基本的に食べないという選択肢はなかった。父親休みで一日居間に居座ってる日は寝たふりでずっと布団の中に籠ってやりすごすしかない(食べさせようと台所に連れ出されるので)

よその人の前では必死に取り繕ってるけど、裏で人が居なくなった時の八つ当たり特にひどい。後述する弟のサッカーの集いなどでは、帰った後に私のなんでもないことを怒鳴ってくるのは当たり前だった。マナーが悪いだの礼儀知らずだの、お手洗いに行っただけだったり、何か粗相をしてごめんなさいをして、相手大丈夫だよと返してくれたのにそれを取り上げてお前はグズだのなんだのとこき下ろされる。

弟はずっとサッカークラブに通ってたので、両親もそっちにつきっきり。構ってほしくて対抗してテニスやりたいって言ってみたけど別にこっちに構ってもらえるわけでもなく、やりたくもないテニス小学四年から卒業までやらされ続けた。テニスは一度やめたいって言ってみたけど、父親に「自分がやりたいって言い出したんだろ」と散々怒鳴られ、後は一切無視居間で両親弟揃ってテレビ見ながら無視土下座して、気付いたら寝てて、起きたら部屋が真っ暗で一人きり。それ以来何かをやりたいともやめたいとも言っていない気がする。

弟は小狡いやつ、サッカー友達がやってるからといって大抵のものは買ってもらえた。ゲーム機も、他にやることがないから私が触ってるのにやれ「弟に貸してやれ」だの「姉ちゃんばっかやってて狡いから俺も欲しい」とかいって新品のゲーム機を買ってもらうだの。

携帯も私よりずっと早く持ってた(サッカーの送迎があるのでまあ仕方がない)。当時流行してたモバゲーだのグリーだので遊んで、裏で課金してとんでもない額の請求書が来た時もめちゃくちゃ怒鳴られてたけどそこまで後を引かなかった。というかその時携帯持ってない私まで巻き込まれて怒鳴られた。お前もやるな、とか。やるな以前にやれない。

それでも彼もやりたくてサッカーをやっていたわけじゃなく。友達がやってたかクラブに入って〜って感じで、最後の方は完全に飽きてた。でも前述の件の目撃者の一人だし、多分やめたいとも言い出せなかったんだと思う。

母の趣味で、弟は小学四年くらいまで、私は中学二年あたりまでピアノをやらされていた。弟はサッカーがあるのでいつのまにかフェードアウトしていたけど、私はやる気もないけどやめたいとは言い出せずにずるずる。どういうタイミングでやめたのか、結局よく覚えていない。中学生の頃の記憶が、怖かったこと以外非常に曖昧

母に関しては、何から言えばいいのか。

悪い人ではないはず。人だからだって父親が怖かったはずだ。自分うつになりながらも私と弟を助けようとはしてくれた。無自覚で人を傷つける節がある

小学校同級生に母の教え子がいて、「○○先生の子供なのにこんなこともできないの?」とやたらマウントを取られる。中学まで継続。わりと仲の良い友達グループにその人がいたため頻繁にいじりが出る。

母は私だけの母じゃないと何度も思わされて、助けを求める先が分からなくなっていた。母は先生からの子も助けてあげなきゃいけない、私ばかりを見てはくれない。せめて迷惑かけないように大人しくしていよう。→手間のかからない便利な子、弟に手を焼かされる

思い出すのにも疲れてきた

現在は母方の実家にて、二年ほど前から怒鳴り声とは縁のない生活をしています。(風で扉が勢いよく閉じると未だに怖くなるけれど)

一年から病院にも通って、ようやく少し落ち着いたような気がします。それでもふとした時に戻ってくる恐怖心はどうやったら忘れられるでしょうか。

最近アルバイトも始められました。いままで母に払ってもらっていた保険料年金も返したいです。母にいろんなものを返したら、できるだけ遠い場所で死のうと思っています

応援してください。

2019-07-29

花火大会に行きたかった…。

有料席のチケットを買って花火大会を見に行こうという話があったのだが、まだ夏の予定が分からなかったので手を挙げそびれた。

そして本番が近づいてきて、今さら申し込まなかったことを後悔している。予定はないので、一人で有料席の近くに場所取りをして見るか、いっそ対岸から見るか、それとも別の花火大会に行くか悩む。写真を撮るのが目的なので、一人でもそんなに退屈しないはずなんだけど、やっぱり痛いヤツになってしまうだろうか。平日開催でかつ我が家から比較的近いところでやる花火大会も予定されているので、そっちに行く方がましかな。

こうやって仲間外れみたいになると自業自得でも悲しいんだが、暑くて人混みのすごいところに行くと疲れて人と会話するのも面倒になってしまうので難しいところだ。仮に皆と一緒に有料券を手に入れたとしても、黙々と写真を撮って、疲労感満載でろくに口もきかずに帰ることになってしまいそうな気がする。

何か人並み外れて生理的欲求に弱いんだよな。暑い中で歩き回れば不機嫌になり、トイレに行きたくなればたとえ周りの人を待たせることになっても我慢せずに行く(いちおうトイレのありそうな場所にたどり着いてから言うけど)。

そしてレジャー旅行の帰りに車や電車に乗るとだいたい爆睡である。無理にトイレ我慢して粗相する方が怖いし、疲れて眠いときに寝るなと言われても無理。だから車の運転は知人・友人ではなくて高速バスとか旅行会社の運転手とかの方が気楽でよい。

私はレジャー旅の仲間に向かない人なのだろうか?

2019-07-24

コンビニトイレに5分以上入ってるやつマジくたばれよ。

お腹壊した?知るかよ。

5分あれば第一波は過ぎるだろうが。第二波とかケツに紙詰めて我慢しろ。出ていけ。

便秘はいはい、1チャレンジ5分で諦めろ。

こちとら我慢限界なんだ。嫌だろ?スッキリしてトイレから出たらクソ漏らして泣きべそかいてるオッサンが立ち尽くしてたら。

クソの機会の均等を求めてるだけなんだよ。わかるだろ?

コンビニトイレを独占する権利は俺にもお前にもないんだ。

からといって、便器外に粗相してしまったやつ。お前は落ち着け。慌てず、処理しろ。それは義務から

トイレマナーも守れないやつがろくな人生を送れるわけないんだ。トイレ神様なんていないが、あの部屋は個人良識が試される場なんだよ。

俺はお前を信じているし、ノックの音でどれほど差し迫った状況か察してくれ。次から、頼んだぞ。

2019-06-04

オタクは誰を差別しても良い マイノリティオタクに寛大でなければならない

底辺ネトウヨこどおじだから仕方がないよね

幼子を見守る気持ちでこどおじの粗相を許すべきだ

2019-04-22

コンピューター様はそんなことを言わない

anond:20190422002407

市民あなたコンピューター様について何か誤解をされているようです。

パラノイア1984年に発売された、冷戦下の赤狩り皮肉ブラックユーモアに溢れたTRPGです。

Wikipedia から一部を引用してみましょう

舞台となるアルファコンプレックスは、サンフランシスコ地下にあるコンピューター制御するシェルター都市である小惑星地球への衝突によりネットワークから孤立した各都市コンピューターは、断片的な情報から共産主義国家の核攻撃中にあると誤認。結果、すべての都市共産主義者制圧され自都市けが正常に営まれていると結論するに到った。以後数百年に渡ってコンピューターは「共産主義攻撃」と「汚染から市民守護するという妄想を達成すべく、都市人類が外に出られないように隔離し、独裁的・専制的・全体主義的な支配を行っている(ちなみに、XPの時点ではコンピューター歴214年である)。人類自由を奪うコンピューター支配体制は、かつてのアメリカが持っていた妄想的な「悪の共産圏国家」のイメージのものである共産主義者攻撃から守るという名目共産主義的な社会を作り出すというのは大きな矛盾なのだが、コンピューターはすでに狂ってしまっているのでそのことには気づけていない。



まりパラノイアでは市民は狂ったコンピュータ様の支配の下、特に存在しない脅威と戦い、どうでもよいミッション遂行しつつ、適当な人を反逆者として今日粛清しているのです。(ZAP! ZAP!)

アルファコンプレックスではこのような状況が長く続いたため、科学技術も衰退しきっています

車に乗れば走っている間にタイヤが外れ、エレベーターに乗れば落下をし、銃を撃てば暴発します。

プレイヤーはみな疑心暗鬼です。理不尽ミッション遂行するふりをしながらお互いに監視をしあい、隙あらば反逆者として仲間を処刑しようとします。

なかなか狂っていますね。でもゲームブックさらに狂っています

市民セキュリティクリアランスに従い情報制限されています。そしてプレイヤーセキュリティクリアランス 赤(R: レッド)はルールブックを読むことができないのです! プレイヤーはわけもわからないままアルファコンプレックスに放り込まれまることになります

ひょっとしたら自分で遊ぶよりも他人右往左往している姿を見る方が面白いかもしれません。素敵なリプレイを紹介しましょう。

パラノイアのページ「義務幸福・目次」

作り込まれネタ表現力が魅力です。冒頭を抜粋してみます。こんなノリが好きならオススメです。ちなみに太字はプレイヤー名です。

みなさんは、いつものように仕事へ出かける前の朝食をいただくため、食堂に集まっています

食堂収容人数3000人ぐらいの、カマボコ型の天井をした、とてつもなく広い体育館のような場所想像して下さい。

その中央を長いベルトコンベアーが貫いており、その上にはポリカーボネートの皿に乗った灰色ペーストが並んでいます

これがアルファコンプレックスにおける主食です。

直に匂いを嗅ぐと涙が止まらなくなる強い刺激臭と、スチールのスプーンすら溶かす強烈な味がしますが、食べてもすぐには死なない程度の安全性保証されてい ます

腹を空かせた市民達は、コンベアーに群がり皿を受け取ると、思い思いのテーブルについて食事を始めます

食べ慣れていない市民などはスプーンペーストに長く漬けていたため、スプーンを溶かしてしまうなどといった粗相をするものもいましたが、食事はおおむ ね……失礼しました、完璧幸福に進んでいきます

STAR-R:いやぁ、コンピューターのくださるお食事はいつ食べても美味しいですね~

Rese-R:当然だね。疑いようもなく、我々は幸福だ。

食堂には、より幸福食事を楽しめるよう、娯楽としてテレビまで用意されています

コンピューター万歳

全員:コンピューター万歳

Rese-R:それにしても、いったいどんな番組が流されているのだろう?

ちょうど食事時の人気番組である電子顕微鏡世界」というのが放映されています

この番組は、様々な金属電子顕微鏡映像を延々と流し続けるというもので……ちなみに、今日テーマベリリウム原子番号 4 の元素記号Be 原子量 9.013)です。

Tokyo-R:すばらしい! なんておもしろ番組なんだ。

Rese-R:いよいよ、明日は「ホウ素」か、いゃあ~、楽しみだなぁ!!

STAR-R:まったくです。こいつぁ目が離せませんね。

 市民幸福そうですね。

全員:当然です。幸福義務です。

(注: 本来名前表示は「個人名」-「クリアランスイニシャル」-「ホームセクター」-「クローンナンバー」でしたが、読みやすさのため「個人名」-「クリアランスイニシャル」に変更しました)

雰囲気が伝わったでしょうか。

パラノイアについてもっと知りたい人はこちらをどうぞ。

これであなた今日からアルファコンプレックス市民です。

市民あなた幸福ですか?

アルファコンプレックスの基礎知識 - paranoia_jp

アルファコンプレックス基本用語集 - paranoia_jp

2019-04-16

自分毒親にならないために

毒親」という言葉をためらいなく使うなら、間違いなく私の親は「毒親」だ。

でも、「毒親」という言葉自分が毒されてしまったみたいな悲しい気持ちになるから、「強烈な親」と普段は言っている。

まあ、でも一般的基準から言えば「毒親なのだろう。

自分の色々な困難(身体的な病気とかウツとか)をネタ記事を書くことはあるけれど、親のことはどうしても書けない。

自分の生きづらさの原因を親に全部押しつけているみたいで悔しいから。

でも、今回はどうしても記事にしたかった。それは、自分の親がどれだけひどいかを主張したかったのではなく、自分自身が毒親にならないように備忘録を作るべきだと思ったからだ。

つい先日「ああ、こうやって自分毒親になってしまうのかな」とゾッとする出来事があった。

そのエピソードを書く前に、まずは親の「強烈エピソード」をまとめてみる。

とにかく肉体的・精神的な虐待は当たり前、それに加えて過保護と過干渉

肉体的な虐待でいえば、小さい頃は成績が悪いと殴られる、蹴られる、髪を引っ張って家の中を引きずり回される…からの真っ暗な押し入れに閉じ込められてご飯抜きだった。

小学校高学年のとき勉強が終わるまでトイレにも行くなと言われて、家で粗相をしてしまたこともある。未だに忘れられない。

引きずられたせいで変形してしまった体の部分は、ずっとそのまま。

精神的な虐待でいえば、「あんたの精神腐ってる」「キチガイ」「心の大事な部分が欠けてる」「私を困らせて、殺したいの?」「あんたに私の血は入ってない」「あんの子育て楽しくない」「あんたみたいなヤツに育てられる子供がかわいそう(私は未婚で子供もいない)」などなどの声かけ

でも、過保護・過干渉からあなた心配して…」「あなたのためを思って…」と言うから、ああきっと私を思って厳しくしてくれているのだと感謝さえしていた。

実際、大学に入るまで自分の親が最も正しいと信じて何も疑わなかった。

ふと「おかしいな」と思ったのは、大学生になってからだった。なぜか大学3年生(20歳くらい)になると殴られたりしたとき記憶フラッシュバックするようになった。

『きみはいい子』という映画を見て、虐待シーンでパニックになって大声で泣いた。

当時、つねられて青あざが腕にできると、「先生に聞かれたら、タンスにぶつけたと言いなさい」と言われて、そのとおり先生に言ったこと。全部フラッシュバックするようになった。

友だちや社会人の先輩、親と同じくらいの大人にもたくさん相談した。

それでやっと「うちの親は強烈なんだな」と自覚した。今までの生きづらさの原因のひとつが親であることも理解した。

もちろん親を責める気持ちに取り憑かれた時期もあったけれど、人間そんなに長くは過去のことに腹を立ててはいられない。

未来の、これからのことを考えなくてはならないと思ったとき、「自分と同じような思いをする子供を減らすためには…」ということを考えた。

そして当然行き着くのが、「自分子育てちゃんとできるのだろうか」という怖さ。

ネット虐待毒親のことを調べると、必ず「自分も親のように同じことをしてしまう」と書いてある。

いわゆる「世代連鎖」というやつだ。確かにうちの親の親もなかなか強烈だったみたいだ。

愛情の示し方のお手本が親しかいないから、自分も同じような愛し方をしてしまう。

愛する相手子供だけでなく、恋人や友人も含まれる。

私は恋愛もそのほかの人間関係もとても下手だ。親のように支配的になってしまう。

でも、運良く比較若いうちにそのことに気付くことができた。そうしたら、そのために頑張るしかない。自分自分愛する人たちを大切にするために。

まずは親から離れようと思った。でも持病のせいで体調に波がある。とりあえず1人暮らしをしてみたが、準備不足でもちろん続かなかった。

余計に体を壊してしまった私は、また親元に戻ることになった。

からひどいことを言われると、そのたびにどうしてそんなことを言うのかと傷つき、反発した。途中でうつ病にもなった。

でも、そんな私も何とか独り立ちできる見通しがついた。それがつい最近。そして、独り立ちしようとする私と親はもちろんぶつかる。

「どうして、わざわざ家を出て行くのか?」「『結婚するタイミングで家を出て、養ってもらう』という普通な道を行かないなら、一切応援しない(そもそもそれって普通なのか?)」

「困らせてばかりだ」「育て方を間違えた」「どうしてうつ病なんかになるんだ」「何様だ」「普通に家族大事にできないのか」

うつ病聴覚過敏を癒やすために静かな場所で働きたい。体が弱くても自分で自立して稼げるようになりたい。

そういう気持ちで頑張ったけれど、こんなふうな声かけをされると一気に気持ち萎えしまう。

「なんかもういいや。傷ついたり反発するのやめよう。」

そうして「忘れる」のと「慣れる」ことを覚えた。

自分から謝った。「言い過ぎてごめんなさい」と。私はなんにも言ってないけど。

今までで一番気持ちの切り替えが上手く出来た。もう慣れっこだな~なんて思った。

これが今回のゾッとしたエピソード

かに楽だった。だけど、これってすごく恐ろしいことだと後で気付いた。

から投げかけられる強烈な言葉に、慣れてしまって麻痺しているけど、慣れていい言葉じゃないんだと思う。

キチガイ」とか「ブス」とか「あなたの子育て楽しくない」とか「精神腐ってる」とか子供に言うことは、当たり前じゃない。

でも、傷つくことに慣れてしまうと、「傷つく基準」がどんどん下がる。

ということは、他人が傷つくと想像できずに、無意識に傷つけてしまうかもしれない。

きっと「お母さんだってこれくらい言われて育った」と子供に言ってしまう。

慣れることの怖さに気が付いて、ゾッとした。

よく私の親も「これくらい私も言われた。なんならもっとひどいことをされた。」と言っていた。

こうして、「傷つくこと」に麻痺していって、「世代連鎖」が続くのだ。

そういう意味では、私の親も私と同じように自分身を守るために、感覚麻痺させて傷つかなくなってしまったんだなとかわいそうにも思った。

自分の親が「毒親」だと気が付くと、「感覚麻痺させる」という選択肢ができなくなる。自分絶対に親のようにはなりたくないから。

そうすると傷つかなくてはならないし、生きづらくなる。だからしんどい。

でも、どこかで誰かがこの連鎖を止めなきゃいけない。同じように誰かを傷つけないためには。

から今日も私は傷つく。傷つけられることに慣れない。

それが自分を大切にするということだから愛する人たちを大切にするということだから

2019-03-13

anond:20190313155352

逆にむこうが粗相をしてしまったと思いこんで枕に顔を埋めてゴロゴロしてるころかもしれんぞ

初めてのデートの後に連絡しあっておやすみってスタンプ送りあって終わったけど、次の日もその次の日も連絡は止まったまま。

 自分から送ればいいだけのことなんだろうけど送る内容がない。向こうがグイグイきてたから行ったのに、デートで何か粗相をしてしまったのかと不安になる。一応次もまた会おうって別れ際に話していたけど、あんなのただの社交辞令だっただけかな。

 社会人になると学生時代のつながりでも会社関係でもない人とだと、なかなか連絡を取るきっかけも共通話題も大した接点もないから難しい。こうやってぐだぐだ考えて増田に書く時点で気になってるのかもしれない。増田を知らなさそうな人だし、私もインスタしかやってませんみたいな顔して過ごしてたから、ここから本人につながることはきっとないと思う安心感はある。

来るかもわからない連絡を何となくこの3日くらい待っている。

追記

相手が興味ないんじゃない?って反応にチキってたけどとりあえず連絡したところ、返事は来た。相変わらず話す内容はないけど粗相をしたわけではなさそうなので一安心

映画天気和パフェ以外にオススメ話題とかあったら教えて欲しいです。

2019-03-02

アートって世間に対して色んな粗相をしてはアートからゲージツ様だから許せオラァァァンしてきてたのに

アート業界内部同士ではずいぶん敏感肌なんだなという印象

2019-02-19

ケーキバイキングで『次は女性の方と一緒でお願いいたします。』

929: 名無しさん@おーぷん 2017/02/11(土)17:03:55 ID:p3Q

ちょいと小さな相談すまん。

自分は年長から年中、年少の3人の子持ち男です。

近くに出来た食べ放題ケーキに行きたいとせがまれ考え中。

そこは小学生未満無料なのだが連れていって大丈夫なのだろうか?

飲食店的に迷惑かな?

よく居酒屋に飲めない人間はくるなのように…


931: 名無しさん@おーぷん 2017/02/11(土)17:15:16 ID:p3Q

子連れは多いのだが、いかんせん幼児無料ってのがどうも敬遠材料なんですよ。

3人つれて大人1人分しか払わないのが悪い気がして…

それがあって嫁が逝ってから食べ放題に連れていくことはなくなってまして…


291: 名無しさん@おーぷん 2017/02/13(月)00:56:06 ID:Swn

昨日なんでも書いてもいいので~に書いた食べ放題ケーキのものです。

自分は年長、年中、年少の3人の子供をもつ寡夫です。

ケーキ食べ放題の店に行きたいと言われたので幼児無料って事に後ろめたさを感じつつ、今日いってきました。

店のオーナー確認まで取っていったのですがお会計時に

『次は女性の方と一緒でお願いいたします。』

と言われました。

いやそれを電話確認してokもらったやんって頭の中グルグルまわりましたが、子供の手前だったのですみません一言だけ…

騒いだりなど粗相はありませんでした。

おいしかたから食べ過ぎたのもあったかもですがどうも納得できませんでした。

子供たちはまた行きたいね!と言いますが、とうちゃん行ききらんよ(;_;)

2019-02-06

anond:20190205131852

俺もあれ意味ないじゃんとか思ってたけど、犬飼ってる家が多い地域で一日観察してた結果、衛生面の話ではなく「私は自分の犬の粗相に注意を払っております」という飼い主の対外アピール的な意味が強いのではないかと思った。

2019-01-27

anond:20190127083933

お前が超空気読めないアスペ自分粗相に気が付いてないだけなんじゃないの

2019-01-07

anond:20190107121025

プロ24時間365日対処してくれるかどうか」に粗相の中身は関係ないでしょ。

anond:20190107120816

さあ。粗相の中身までかいてないから、

ご飯ひっくり返したのかおむつ自分で外したのかも知らんけど、

第三者がいるだけで救いにはなるでしょ。

掃除は頼めるよ。

誰も幸せにならない、

認知症の話。


祖父認知症なんだけど、まぁ、今日今日とて粗相を起こしたらしく、

から茶の間に響く父の怒声。


私は寝てた。茶の間で。こたつで。

その怒声で起きた。


今日に限らず怒声で起きてしまたことに関してはまぁ問題は無いが、

父が、毎度つらそうで聞いてられん。


怒っても仕方ないのはわかってる、それでも耐えられない、

そう言う板挟みのような状態


かと言って認知症祖父だってどうにもできない。

なんなら漏らしたことだってもうわからなくなってる。ついさっきのことにも関わらず。


怒る方も怒られる方もストレスが溜まるだけ。

こんなに虚しい不治の病が国中に蔓延してる。


極稀に、本当に極稀に心暖まる話は聞くけれど、おそらく大半は

誰に知られることもなく、日々辛い思いをしてる人たち。


誰も幸せにならない。



なんでこんな病気があるんだろうな。

2019-01-01

父親を殺したい

元日からこんなことしか思えない成人女性は終わってると思います

はいそうです私のことです。

別にうちの父親がとんでもないクズだとは思ってないです。ただ、絶望的に私とは合わないのか同族嫌悪なんだと思います

典型的日本人男性

口下手の癖に我儘で、しっかりしてるけど自分の知らない話題で話されるのは嫌いな潔癖症

子供の面倒を見るのは女親の仕事だと思ってて、子供粗相母親責任だと思っている。

その癖子供の良い面は自分に似たのだと思っている。

すぐに怒り、躾に手が出る。

でもこんなの、きっと父親と同年代男性なら当然のことなんでしょう。

甘やかすところは甘やかすような、きっと不器用なだけなんでしょう。

うるせえよ。

本当は、ちゃん自分だけの空間がほしかった。過干渉は嫌だった。

部屋に鍵をかけると怒られて、高校生になっても自分の部屋のドアを閉めるのを許されなくって、着替え中だろうがお構いなしに入ってくる父親なんて嫌だった。

ものを捨てられない性質な私が悪いのはわかってる。それでも、勝手に部屋に入って引き出しを開けられるのは嫌だった。

なにかあるとすぐに手が出て、大声を出して怒鳴ってくるのが怖かった。

勝手に捨てられることはなかったけど、思春期ネット以外で自分秘密も持てなかったのは、成人してからも男の人の大声に異常に(と職場で指摘された)反応するのは、きっと父親が原因なのだと思う。

殺したい。

離れたい。

離れたところで、過干渉は変わらないだろうけど。

世間的には普通父親なんだろう。虐待なんかはしなかったし、それなりに可愛がって甘やかしてくれたのも、理解してます

私の性格が、合わなかっただけで。

私が殺したいなんて逆恨みを吐くしか、能がないから。

しんどい

おとうさん、ねえ、おとうさん、

私、男の人を好きになんてなれないよ。

怖いんだもの、いたいんだもの、つらいんだもの

私は、あなたを好きになれない。

怖いままだから

息子だったらよかったのかな、物理的に父親を超えられるから殴られることもないし。

ねえ、おとうさん。

私のなかの男は、あなたベースなんだよ。

私にはわからないタイミングで切れて怒って、殴ってくるのが男性なんだよ。

男性が怖いんだよ。

こんな風にしか思えないのに、どうして恋愛ができるって思うの。

どうして結婚ができるなんて思うの。

どうして孫が生まれるなんて思えるの。

責任なすりつけているだけなのかもしれない。

つかこ日記を笑って読み返せるのかもしれない。

でも、今は、父親とかかわるのが、怖いままだ。

2018-12-28

仕事納め

夫が仕事納め帰宅した。

一年お疲れ様、と言って労った。

私は主婦なので仕事納めというものがない。

年末だろうが年始だろうが毎日毎日同じように掃除洗濯炊事育児をしている。

切れ目もない。休日もない。

終わりがない。始まりもない。

一年間の疲れを労ってもらえるわけでも新年新たな気持ちリスタート出来るわけでもない。

大体年末年始年賀状大掃除正月準備等で普段より忙しい。

私の夫は比喩的意味ではなく本当に文字通り何もしない人だ。

大掃除の手伝いなど少しもしたことがない。

高いところの掃除も重い物のごみ出しも全て私がする。

私は正月はいつも疲弊している。

正月からといって服が汚れないわけでも部屋が汚れないわけでも子ども粗相をしないわけでもない。

いつもと何にも変わらない。

仕事納めだ、と言って区切りをつけられるのが羨ましい。

お疲れ様一年ありがとう、と言ってもらえるのが羨ましい。

疲れた

もちろん、誰に食わせてもらってると思ってるんだ、と言われたら返す言葉もない立場なのは百も承知なんだけど、増田に吐き出すくらいは許してほしい。

2018-12-23

アッパー系コミュ障ダウナー系はたいがい一緒にいる

アッパー系コミュ障は同じ人種同士でいるか自分おかしいことに気づかないとどっかに書いてあったけど、たぶん違う

アッパーダウナーと一緒にいるからなおさら気づかない

アッパーはひたすら押し付けてきて、ダウナー限界まで我慢するから

ダウナー自己表現がうまくできないから、意味わかんない感じでキレて離れるか、なにも言わず離れる

アッパーはよくわかんないまま、次のダウナー寄生する

その繰り返しになってる

自分は間違いなくダウナーで、連絡をとってくる友達はみんなアッパー

アッパー自己評価高いから、無意識に人を見下ろす発言をする

私はそれがもう耐えきれなくなってキレたことがある

もう話しかけてこないでとまで伝えたのに、自分にそんな悪意はないからと追いかけてくる始末

仲直りしたいと言われて泣かれたら、こっちが悪いことしてる気までしてくる

こっちが謝った途端からもう使用人の粗相を許してあげた心優しい女王様

もうほんとにアッパーと関わりたくない

でもアッパーがいなくなったらダウナーの私は本当にひとりぼっちになる

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