はてなキーワード: 所謂とは
誤解がないように先に言っておくと、私はフェミニストが嫌いなわけじゃない。
私自身はフェミニストじゃないけど私の母はフェミニストだったし、女性の就業支援など積極的に活動を行っている人だった。
母の活動は社会貢献だと思っていたし、その気持ちは今でも変わっていない。
まず前提として、私は腐女子だ。
Twitter活用の中身なんて、好きな二次創作をいいねして推しキャラのことを話すだけのキモいオタクだ。
そのTwitterで先日、女オタクのこんなツイートを見て驚愕した。
「呪術廻戦はジャンプ的セクハラが無くて良い作品だと思っていたのに、男性の先生が女子生徒の制服を着るなんてがっかりだ」
…なにそれ??
そもそも呪術廻戦は週刊少年ジャンプで連載中のれっきとした少年向け漫画だ。
私はいい歳してジャンプが大好きな大人げない大人だ。その自覚はある。
男女問わず大人のオタク向けではないし、ましてや腐女子をターゲットにしている雑誌ではないことなんて重々承知している。
そんなこと、オタクはみんな分かっていると思っていた。
それなのに何??
ジャンプ的と言うからには、そういうセクハラ(とツイート主は感じている)描写がある漫画がジャンプ誌面にはたくさん載っていると思ってるってことですよね?
なのになぜジャンプを読んでるの?
自分でテレビのチャンネルを選べないような年齢でもあるまいに。
年甲斐もなくジャンプアニメを見るキモい大人のくせに、ターゲット層でもないくせに、いっちょ前に内容にいちゃもん付けるってどんな神経??
本当にびっくりした。
実はそのツイート以前にも「呪術廻戦はこれこれこういうところがフェミ的に素晴らしい!」みたいな感想を見かけて、
それはそれでもにょもにょしたけどツイート主さんは楽しそうだったからスルーできた。
楽しみ方は人それぞれだし、私だっていろんなアニメを腐った目で見ているし。
でも今回のは違う。
私にとっての呪術廻戦は「週刊で読むけどあまり好きではない」くらいのものだけど、それにしたってこれは酷くないか。
勝手に自分の中のイメージに当て嵌めて期待して、勝手に落胆して、あまつさえそれを誰の目に触れてもおかしくないTwitter上にアップするなんて。
五条先生がいくらイケメンスーパーマンだってこんな理不尽な目に遭ったら困るやろ。
今の深夜アニメは様々な層に向けた作品が有って、誰でも自分好みのものを選べるくらいに飽和している。
それなのに流行っているからって自分がターゲット層でない作品に寄って来て、さも高尚みたいなフェミニズム"風"の言葉を並べて、
ジャンプがセクハラまみれの酷い雑誌みたいな言い方をして、それが許せない。
個人の超絶狭い価値観で作られた自分本位な感想を、薄っぺらいフェミニズム"風"の言葉で覆って負の感情を撒き散らしたことが許せない。
ジャンプが悪いものみたいな言い方も、フェミニズム"風"の言葉も、全方位を不快にさせるものだと自覚して欲しい。
本当にフェミニズムを推進したいのなら、前述の私の母のように現実世界で活動したらどうですか。
Twitterの、しかもアニメや漫画の感想とかいう物凄く狭い世界の中でそれっぽいこと言ってたって世の中なにも変わらない。
ちょっとの賛同者にいいねもらって、「意識高いワタシ」の自己顕示欲が満たされるだけでしょ?
そこであなた達がやってることって、人の"楽しい"に水を差すだけで何の生産性もない、荒っぽい言い方をすれば「攻撃的な行い」なんですよ。
高尚な思想やお気持ちを、アニメや漫画の感想呟くアカウントで言ったって何の説得力もないですよ。
腐女子だって、他の腐女子の言うこと「こいつ妄想をさも公式かのように語るな…」くらいの温度感で聞くでしょ。
売れない同人を描いている
二次創作のBLメインにマイナージャンルのマイナーカプの漫画を描き続けている。
オンリーイベントでは自カプのキャラクターの取り扱いすら他にない為、必然的にオンリーワンサークルになる。これが本当のオンリーイベントである。
絵が上手ならば売れる事もあるだろうが、
以前本が完売した事が一度だけあるが、ギャグ漫画本である。基本はイベントのノリでついで買いされるようなサークルの為、コロナ禍の厳しいオンラインイベントではサークル参加しても本が一冊も売れた事は無い。
一冊もだ。ジャンルオンリーでさえ一冊も売れることは無いのだ。
正直とてもつらい。
周りの方々の
「お手に取って頂きありがとうございました!発送は〇〇日になります!」
オンラインイベントでは本が売れないと本当に何も無い1日になってしまう。誰がスペースに立ち寄ってくれただとか、全くわからないからである。
現在新刊を執筆しているが、これも一冊も売れる気がしない。過去に出した本はまだまだ在庫が余っている。それほど印刷数が多い訳ではない。30冊ほどだ。
そんなに売れないのならば30冊でも多いのでは?と思うだろう。
正直多いと思っている。一度だけ完売したギャグ漫画本の総印刷数が30冊だったせいでエロ同人も30冊刷ってしまっているのだ。
誰も欲しがらないから一冊も売れないのだ。
先日、大阪で独自の基準に基づく非常事態を示す「赤信号」が発令された。
新型コロナウイルスの感染者数が先月から爆発的に増加しはじめたことはメディアで報じられている通りだが、
その中で重症者数も増えてきており、想像以上に早く医療機関の収容・対応能力に限界に近づいてきたため、発令に踏み切ったとのこと。
この師走に差し掛かった直後での発令、ここで食い止めないと医療崩壊に繋がりかねないとの名目なのだろうが、
正直な話、この赤信号発令のタイミングについては「判断が遅すぎた」と言わざるを得ない。
これから2週間は同じペースで感染者・重症者は増え続け、医療機関は野戦病棟さながらの事態となるだろうことは想像に難くない。
一般人の私としては、医療従事者の皆さまには深く敬意を表すると共に、
一人の人間としてこれ以上の感染者を増やさないよう、そして私自身が感染者とならないよう、
慎重に行動をしてゆくこととで、細やかながらこの状況に協力してゆきたいと思っている。
さて、この非常事態宣言たる赤信号だが、15日までという期限が切られている。
この期間中は不要不急の外出は控えるようにとの要請が出ているわけだが、まっとうな人間であればこの要請には恐らく従うことだと思う。
問題は、この期間終了後だ。
果たして、15日でこの赤信号が解除されるかどうかはまだ分からないが、仮に解除されたとして、果たして皆はどう考えるだろうか?
ここでもまっとうな人間であれば
「解除されたとは言え、人混みは避けて、飲み会などもやめておこう」
となるのが自然だろう。
まさかここにきて、
「解除されたからもう飲みに行っても大丈夫!自分は感染しない!」
などと迂闊な考えたをしたりする人間はいないだろう・・・と私自身は願望を持っているが、
たった2週間という短期間の外出自粛要請と、年末という忘年会シーズンただなかでの解除ということを鑑みるに、
どうにも人々の理性のタガはいとも簡単に外れかねないのではないかということを大変に危惧している。
それに、そもそも15日までという期間が短すぎるのがどうにも気になるところだ。
既に飲食業界はガタガタで、特に居酒屋や緊密に接待してくれる店などの所謂「夜の街」のダメージはかなり深刻だ。
だが、この「夜の街」こそが感染の温床となっていることも事実で、
第2波の時も東京都知事が毎日のように会見で発言していたことは、今でもげに印象に残っている。
本来ならば「夜の街で働く人の生活は保障するから完全に閉めてくれ」と国が動くべきところだったが、
残念ながら、「自分の飯代くらいは自分で稼げ」と国が突き放してしまったのだから、
(関東では店舗の照明を切って営業してる、なんてところもあり、その傾向は以前の比ではないように思える)
当然、一部のお店は通常通り営業を続けることとなり、店が開いてるなら酒を求める人々はそこに集中する。
狭い範囲ながら新型コロナウイルスの感染者発生を維持する手助けをすることになる可能性がある。
活動自粛を強制することができない関係上、居酒屋だろうと職場だろうと感染経路を遮断することは現行法では不可能だが、
このたった2週間程度の自粛期間では感染症の広まりを抑えるということについては焼け石に水といったところだろう。
そして、15日を迎え、晴れて赤信号を解除し、黄色信号になると同時に
「自粛要請を解除するが、5つの小を徹底して飲食することを要請する」となった場合に、
果たして皆それを忠実に守り、極少人数で客の入りの少ない店に入り、個室で短時間のうちに静かに飲食を行い、速やかに退店するだろうか?
私は絶対にそうはならないだろうな、という確信めいた実感がある。
日本の居酒屋は換気を徹底できるような作りになってるところは少ないように思うし、
1グループごとに完全に個室に案内できる店は少し大きな料亭クラスの店くらいのもので、
申し訳程度に立てられたアクリル板はどうやら意味を為さないことが分かってきており、
安定した感染経路の提供口として機能してしまうことになることは想像に難くない。
また、いくら冷静に「小」を守る人でもひとたび酒が入れば感覚は鈍り、
徐々に声は大声に、顔も近づけて話すようになる。
「おいおい、密だぞ!」「ワハハハ、悪い悪い!」などと大声で笑いごとにしてしまうことすら想像できてしまう。
短い自粛期間を潜伏期間として過ごしたウイルスたちが、晴れて店中にばらまかれ、クラスターが広がる可能性が高くなる。
年末になると、医療現場は更なる地獄を見ることになりかねない・・・。
大阪府はどう考えているのだろうか。
恐らくは、上記のことなどとっくに把握済であることは間違いないのだろう。
その上で
「この期間中に医療体制をそれなりに確保する動きをしたうえで、各方面にはなんとか正月の餅代は自力で稼がせてやろう」
といったあたりの着地点を目指しているんだろうと想像する。
先日、自衛隊に対し吉村府知事が看護師派遣の要請を行ったという報道も小耳に挟んだ。
それが実現・成功するかどうかは分からないのだが、これを踏まえたうえで、15日でこの赤信号は解除し、
前回と同じく「飲みに行くなとは言いません」的なことを発表するのだろう。
看護師派遣要請も今更という気しかしないが、そもそも根本対応にはなっていないことは果たして認識できているのかどうか。
追加のベッド数をねん出するには新型コロナ以外の患者を収容するベッドを転用せねばならないという事実に変更はない。
看護師の確保と一口に言っても一朝一夕どころか数か月で多人数を動員出来る話ではない。
一時感染者数が減ったとしても、ひとたび再感染が起き重症者が増えてしまえば一気に現場が逼迫してしまうのは考えたら分かる事だ。
このままでは、なんとか掴みとれた餅を詰まらせてしまい救急搬送されてくるご老人の命一つ救えなくなりかねないという事態になりかねない。
よく考えていただきたい。
医療崩壊はこうやって起きる、というシナリオを忠実に1歩ずつ歩んでいるこの状況を無傷で乗り越えるにはあらゆる対応が足りない状態だ。
ワクチンの供給も、いつになるか分からない状態で、来年の夏のオリンピック開催を我々は果たして笑顔で見届けることができるのだろうか?
年の瀬になり、「中止になるのではないか」という個人的に妄想してるプランが少しずつ現実味を帯び始めてきた気もする。
だが、この新型コロナウィルス感染症を抑え込む気がさらさらない日本が、どうして健全な大会を開催できようか・・・
まぁ、オリンピックは国全体の問題であり、大阪とはあまり関係のないこと(そうでもない?)なのでここで言及はやめておこう。
一人の一般人として大阪府に望むことは、今にも崩壊しそうな医療現場を必死で踏みとどまっている方々への背信行為となるような赤信号の解除の仕方をしないこと、
それと同時に、より強力な経済対策と医療現場で働く方々への支援を日本国政府に対して引き続き要請を続け、そして引き出して頂きたい。
そして私と同じ一般の皆さまにも、赤信号が解除されたからといって街に繰り出したりしないよう、
理性を保って行動していただけることを切に望む。
偉そうなことを書いて大変に恐縮している。
だが、何故このようなことを書いたかと言うと、実は先日持病の発作で倒れてしまい救急搬送されたばかりなのだが、
新型コロナウイルス感染症の影響か近くの病院で受け入れてもらえず、遠く離れた病院へ回されてしまったのだ。
搬送先で短期間ながら緊急入院となった訳なのだが、そこの病院も新型コロナ用の隔離病棟を準備していた関係で一般病室に空きがなく、
やむを得ない形で、ぱっと見ではホテルなのではと見紛うような個室に入院することとなった。
いいのか悪いのか複雑な気持ちになったものだが、だがこれは全く他人事ではないと身をもって体感したからである。
何かあった時に入院できなくなる事態、考えただけでゾッとするものがある。
そして、それは自分だけでなく祖父・祖母・父・母・そして家族にも降りかかる災難となる。
助かる命が助からなくなる医療崩壊が今後起きてしまうと、未曾有の大災害に匹敵する凄惨たる光景を目にすることになるだろう。
それだけは、いやだ。
最終巻読んだ。
何ってこの作品、とにかく物足りない。
やろうと思えばこの作品、所謂深い設定・複雑な設定・長期的な連載が出来たと思う。
やろうと思えば、炭治郎たち主人公の同期ズの昇進を少しずつ見守りながら、最終的に柱にできた。
やろうと思えば、カナヲの先祖が実はすごい人だった、的な事もできた。
やろうと思えば、下弦の鬼の戦闘も全部やれた。
やろうと思えば、もっと柱の一人一人に出番を作れた。
やろうと思えば、善逸が他の技をする為の過程を描けた。
と思う。
でも鬼滅の刃はそれをやらなかった。
炭治郎は柱にはならなかったし、下弦の鬼は殆どスキップされたし、煉獄さんは割と急に死んで、最終決戦になるのも早かった。
話の展開は常に最低限だ。どこか削られている感じすらある。
登場人物も主人公同期+柱+α程度だけ把握しておけば話が進む。関係性もそこまで複雑ではない。
大体少年漫画は、だんだん設定が複雑になったり登場人物が増えていくにつれて話がややこしくなってきて、把握が追い付かなくなりがちだ。
鬼滅の刃はぶれない。最初から最後まで「妹を人間に戻す」と「家族の仇である鬼を倒す」という目標に常に向かっていて、途中でなにか寄り道することがない。変わらない。
鬼滅の刃は物足りない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
ブコメのブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。
「おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的な意味に転じた言葉に
「クイア (Queer)」がある。
「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、
「オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者の意思・意識とは関係なく、
経産省やその界隈、メディアの都合でメジャーの舞台に引き上げられ、なんとなく、
(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)
したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、
ゲイ・プライドの文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、
侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツのカテゴリーとしての「オタク」の用法は、
なし崩し的にゴッチャになっている。
というか、役所やメディアが勝手にでっち上げたメジャーの舞台に乗せられてるという自覚がない
今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然
という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした
不満を募らせている (らしい)。というのは…
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]
というブコメから「保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、
オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。
それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、
明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的な意味をもつ「オタク」に読み替えて、
それを世間に認めさせたらいいじゃないの?
萌えキャラや、乳袋や、スカートの股間の謎の影がそんなに大事なら、
…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…
知らない人のために説明すると、「おたく/オタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる
ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代、80年代、90 年代に思春期を過ごした
第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって
「おたく」という侮蔑語が発明され、エヴァのシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤の事件によって
「おたく」という言葉が世間にひろく知られるようになり、お笑い番組で宅八郎がネタとしてイジられたり、
オウム真理教が布教アニメ作ったり、秋葉原に PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら
十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。
いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫、宮崎駿クラスの巨匠でも
「アニメ・漫画なんて下らない。なぜならアニメ・漫画だからだ」という評価をされる風潮がまだあった。
(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)
そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的に自称しないけど)
(1) 「おたく」から卒業して、世間的に認められやすい映画・文学などの周辺領域に流れる
(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ
(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う
の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。
そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が
自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…
みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである「宅八郎」をもって、
昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような
大学の先輩をツイッターでナンパしてセックスに持ち込んだ。身バレするとまずいから書き捨てる。童貞はこういう怪しい誘いに簡単に乗っちゃってかわいいですね。
いざ優勝!に至るまではそれなりに紆余曲折ありました。LINEで猥談、エロ画像送り付け、毎日深夜に電話、その他色々。一緒にカラオケに行ってえっちないたずらしようと思ってたら、お相手が緊張しすぎてこっちもどぎまぎしてしまった。無念。通されたカラオケの部屋が広すぎて落ち着かなかったのもある。
当日、大学の授業終わりに一緒にラブホの最寄り駅(それなりに栄えている)へ。改札を出てもお相手はラブホに向かおうとしない。「どこか行きたいところないんですか?」と聞くと、「そちらもどこか行きたいところはないんですか?」と聞かれた。質問に質問で返すな。「本当にいいんですか???」と4回くらい聞かれた。いいから来てんだよ。改札の外で10分くらいもだもだ会話を交わしてようやくラブホに向かう。
案内され到着したラブホテルはパネル式だった。あわあわするお相手を後目にぽちっと1番安い部屋を選び部屋に入った。荷物をソファに置き、ベッドに腰掛けると少し離れた位置にお相手も腰かけた。なんでやねん。
ベッドに寝転がり、バンバンとマットレスを叩きながら「こっちきてよ〜!!!」と言うとおそるおそる寝転がる。所謂添い寝。ラブホに異性とはいる時点でこちらも本来なら緊張していたところではあるが、相手が緊張し過ぎて私は非常に冷静であった。ホラー映画見てる時に自分より怖がってる人がいると冷静になるあれである。
添い寝をしたものの特に触られたりするわけでは無かった。無念。ラブホで同衾しても何も起こらない。イベントスイッチはどこか。覆いかぶさって抱きしめてみても「ひゃああ」とか悲鳴をあげて逃げられるだけだった。夏だし汗かいたしシャワーでも浴びてからやりますか、と先にシャワーを浴びてTシャツと下着のみの格好で出ていくとものすごく視線を感じた。20歳童貞迫真のガン見を見た。お相手も風呂から出てきて、いよいよ試合開始である。
再度ベッドにお相手を転がす。ぎゅっと抱きしめるとはぁはぁ言っててかわいかった。人間は興奮するとはぁはぁ言うんだなあ。こちらからお腹を揉んだり顔をもにもにしたりしてみるが、一向に触られる気配がない。お腹に手を導いてみるとお腹をなでなでなでなでされた。「あーすべすべ……うわ………すごいな…………」とお腹で既に満足そうな感想を漏らされた。いやいやいやいやいやいや別のところも触れ。太ももとかおっぱいに触らせてみると「あっやわらかい………すべすべ………」と鳴いていた。やけにソフトタッチでくすぐったかった。童貞ブラを外せないため、外して直接触らせる。ソフトタッチのまま乳首をずっと触られる。もどかしくて死ぬかと思った。
焦らしプレイ(本人は意図していない)によって私は下半身がぐちゃぐちゃだった。「びちょびちょじゃないですか」とか言われた。羞恥プレイ(本人は意図していない)である。日頃のイメプレの結果かやたらと手マンがうまい。1回イかされた。しかしちんちんを出す気配がない。パンツを剥がしてちんちんを食べてみたものの、フェラってなんだ?よくわかりません。AVの見よう見まねでじゅるじゅる。ちょっと痛かったみたいで申し訳ない。フェラを中断し、「えっちしないんですか?」と何度目かの質問。やっといいお返事を貰えて本番へ。
XLのゴム(こわい)を装着し、いざ挿入!だけどなんだか上手く入らない。はじめてだから体位が分からないのである。正常位で挿れようとして、腰と腰が遠すぎたのだ。我々は腰を持ち上げて挿入チャレンジしていたが、男側の腰の位置にあわせるのではなく、女側の腰の位置にあわせるのがおそらく正解であった。結局腰の下に枕を敷いて高さを出して解決。ずぷぷっ!
奥まで入った時は、はじめてでかいもんが入ってきた快楽で腰が溶けそうだった。指より太いのが指じゃ届かないところを抉る恍惚感が凄かった。入口がぎゅうぎゅうとちんちんを噛み締めてるのがわかってえっちだった。おれも処女だったんだな……………………と思った。
そこまではとてもよかった良かった。しかし童貞、やはり腰を振るのが下手なのである。はじめての人が見てもわかる。腰を振るのが下手。下手っぴ。あー童貞なんだなーと思うと無性に愛しかった。とてもかわいい。童貞を抱いたことがある人間にしかこの感情はわかるまい。
腰をへこへこ振ってるのを見るのも楽しいが、イきたいしイかせたかったので騎乗位に変更。上に乗って奥をぐりぐりするととても気持ちがいい。気持ちいいと喘ぐタイプの御相手、いままでの中で一番大きな声で喘ぎ出す。かわいいネ〜!!おれ、愉快で笑顔がやめられない。イメプレの結果、うまく射精させることに成功!あれ俺って床上手なのでは?(この幻想はその後打ち砕かれることになる)
事後、感慨深そうにお相手が感想を述べながら添い寝。「えっちだった」「かわいかった」「綺麗だった」「好き」「えっちだった」「えっちだった」喪失する語彙力。満更でもないおれ。面白さと幸せが混在する不思議空間。まあ付き合ってはいないのだが。
「生でいいなら2回戦しようぜ!」と言うと、「○○ちゃんの体が心配です!」と断られた。まんざらではない。2回戦はなくなった。普通立場逆では?知らんけど。
いかがだったでしょうか!童貞食いisカワイイ!カワイイはつくれる!童貞食いは作れる!(は?)
みなさんもぜひ試してみて下さいね!
これはとある界隈にいる弱小おたくの妄言だということを大前提として読んでください
私は8歳の頃からニコニコ動画漁りに勤しんでいた所謂マセガキだ
今はいない私の父はニコ厨で、3人いる姉妹のうち真ん中の私にだけニコニコ動画を見せてくれた
今思えば彼らと出会えたのもあの父のおかげだった
ROM専ではあったがリスナーも優しくて所謂虚言おたくもいなければ身内ネタで勝手に盛り上がる痛いおたくもいなかった
当時年齢制限のせいでTwitterのアカウントも作れなかったが生放送でコメントを拾ってもらい楽しむ日々
それだけで私は満足出来ていた
この暖かく優しい彼らとリスナーがこのチャンネルの枠内だけで楽しむだけで満足出来ていた
だがそれはそう長くは続かない
彼らの面白さに気づく人は多かった
彼らはリアルイベントに飛び出し人気を博し、新しい形でどんどん飛躍していった
彼らの動画が今までにない驚きの速さで伸びていくのを見るのが好きだったし
彼らの喜んでいる声を聞くのも好きだった
私は悲しかった
虚言吐きのガチ恋女によって踏みにじられることが
私は悲しくて悲しくて仕方なかった
彼らをフォローすると彼らの中の何人かは私のことを覚えてくれていたのか直ぐにフォローを返してくれた
本当に本当に嬉しかった
初めてのTwitterで何を送ればいいか分からずリプライはしなかったが自分の呟いた何気ない言葉に彼らからお気に入りが来るのは嬉しかった
でも数ヶ月後に地獄が訪れた
それはリスナーはやはり当時はスマホの普及もなあなあだったせいか同年代の人がおらず中々他の人と話す勇気が出なかったのが原因だ
彼らのフォロー欄にいる
鍵垢
私は当時Twitterの機能に疎くDMの閉じ方がわからなかった
頭がおかしくなりそうだった
そんなものを送ってきたリスナーのアカウントを覗けば平然と彼らに媚び売りのリプライを送っている
怖かった
13歳の1リスナーに過ぎない私にそんな悪意まみれのDMを送れる大人が怖かった
私はアカウントを消した
元のニコニコ動画を見るだけの私に戻った
だけど彼らをフォローすることはしなかった
コメントしなくなれば1リスナーのことなんて直ぐに忘れてくれるだろうと
案の定その1年後新しいアカウントで彼らをフォローしたときにはフォローが帰ってこなかった
安心した
だけど虚しかった
彼らと築いたものが壊された気がした
私はリスナーを許しはしない
許さない
また、そんなリスナーに合わせてスタイルを変えた彼らも私は許さない
私は彼らには彼らのやりたいことだけをしていて欲しかった
彼らはリスナーに負けた
そんな弱い彼らを私は許さない
ところどころ正しいのに所謂「種の保存」的な理解をしているせいで変な解釈になってる。
一部は正しい(「複数の女王の血統からなるコロニーでは女王殺しが行われないのに対し、単一の女王の血統のみからなるコロニーにおいては女王殺しが起こりやすい」とか)。
女王殺しはなぜ起こるか、未だすべてが明らかではないが、わかっている部分を説明しましょう。
ハチのような半倍数性の性決定様式では、(同母同父の)姉妹との血縁度は0.75で、自身の息子・娘との血縁度0.5を上回りますね?
つまり自分が子供を産むより自分の姉妹を増やしてもらった方が進化的にお得なワケです。
ゆえに一見適応度が低そうなワーカー(働き蜂)形質も、包括適応度でみれば適応的な形質と言えるでしょう。
しかし、オス(ドローン)はちょいと違います。女王とその息子の血縁度は0.5ですが、ワーカーと同母の兄弟(=女王の息子)の血縁度は0.25。
ワーカーとその息子の血縁度は0.5、ワーカーとその甥(同母同父の姉妹の息子)の血縁度は0.375で兄弟のそれを上回ります。
つまり、同母兄弟を次世代の父とするよりも自分あるいは姉妹の息子をそうした方がお得なのですよ。
ではワーカーが自分たちの息子を次代へ送り出す障害は?――女王だ。
女王の出すフェロモンでワーカーの卵巣発達は阻害され、それを掻い潜って産卵しても女王が制裁に来る(ポリシング)。
じゃあ、殺すしかないよね?
と、そういうワケで、女王殺しが起こるんですね。
↑の話は同母同父の姉妹で適用される理論。さんざん同父や同母という注釈をつけたのもそれが理由。
そして異父姉妹が多い(=遺伝的多様性の高い)コロニーでは話が別なのです。
そのようなコロニーでは甥の血縁度は兄弟とのそれを下回る可能性が高いので、女王殺して甥を増やすより生かして兄弟増やした方がお得になるんです。
これが遺伝的多様性の低いコロニーで女王殺しが起こりやすい理由です。
実際のところ条件を満たしているようでも女王殺しが起こったり起こらなかったりするもんで、まだまだ未解明の部分が多いんだけど、わかってる範囲ではこんなモンでしょう。
したがって、
そんな
傾向は
ない。
徹頭徹尾、利己的な遺伝子の話。多様性は結果であって目的ではないのです。
スズメバチは社会性昆虫なので、一度コロニーを形成してしまえば基本的に大型の猛禽やクマなどの肉食動物を除いて天敵が存在しなくなります。例えばオニヤンマやシオヤアブ、雀などの鳥類が一時的にスズメバチを打倒できるとしても、数百匹の群れを成すスズメバチに対抗できる動物はさほど多くありません。つまり、繰り返すように基本的にスズメバチにとって天敵は存在しないのです。
となれば、何故スズメバチの個体数はそれほど増加せずに、ある一定の値を保ち続けているのだろう――そういった疑問を持つ方もいるかもしれません。(以下略)
「一度コロニーを形成してしま」う前に死んでるんですよわんさか。
「数百匹の群れ」になる前に死んでるんですよ一匹で。
最大の難関をくぐりぬけて盤石の態勢を築いた後で「天敵は存在しない」って。その前に間引かれてるんですよ。
自分でも「きちんと巣を作ってコロニーを形成できる女王は複数いる女王の内の数%程度に過ぎないという説もあるくらい」と書いてるじゃないっすか。
それが答えです。
そう、スズメバチの巣には内乱が起こります。巣の内部にいる働き蜂は、万民の万民に対する闘争状態さながらに攻撃を開始します。その攻撃の対象は、女王、幼虫、蛹、全てに及び、そこに見境などありません。彼女らは暴走し、一切を食い尽くし、全てを破壊していきます。新女王蜂だけが先見性を持ち、その内乱から脱出し次の巣を作るという使命を持って行動することができるのです。つまり、スズメバチの巣においては、仮に気候条件が彼らの味方をしようとも、女王のフェロモンの効果が薄れるにつれて必ずや内乱が起こるようになっているのです。そのため、彼らは気候条件の云々によらず、必ず滅びる運命にあるということなのです。
そんな
ことは
ない。
研究によっては実験で巣から女王バチ除去することもありますけど、ワーカーが産卵するほかは変わらずあくせく働くんですよ。暴れたりもしません。
「あくせく働く」のはそもそもそれがハチ自身の習性なんです。フェロモンで1から10まで操られてやってるわけじゃあありません。
女王バチだって営巣初期は自分で餌集めしてワーカー育てますからね?
女王のフェロモンだってそんなに万能じゃないです。種にもよりますけど生殖能力の制限と女王のお世話(グルーミングとか給餌とか)の誘発、労働の促進(ミツバチ)くらいです。
それに「内乱」じたい必要ないんですよ。普通に飢えて凍えて老いて死ぬんですから。
(余ったワーカー候補の幼虫をモグモグしたり先述した女王殺しをやったりはしますけど。)
スズメバチは基本的に世界最強のハチであり、さしたる天敵さえも持っていません。それにも関わらず彼らがその個体数を爆発的に増加させないのには、そのような理由があったのです。言わば、彼らの生命サイクルには、内乱と死が含まれているのです。その死が彼らのシステムに含まれていることによって、その個体数は増加せずに済んでいると言えるかもしれません。
さっきも言ったけどスズメバチが爆発的に増えないのは元増田も言っているように「きちんと巣を作ってコロニーを形成できる女王は複数いる女王の内の数%程度に過ぎない」から。
それにワーカーは次代を(オス以外)残せないのだから、こいつらが仮に生き延びても「爆発的に増え」たりしないんですね。
以下の文章は私見となるのですが、あるいはこれは自然の生態系というシステムが破綻を来さないために設けた、一つの安全装置のような気がします。ある種の強大過ぎる種類が個体数を増やしすぎないという、生態系に必要な機能のコア部分が、スズメバチの生態というシステムには凝縮されているように思えるのです。
そんな
ものは
ない
ガイア理論とかナイーブな群淘汰論とか種の保存とか、その手の話にかぶれてるのでしょうか。
生態系に意思はなく、自然に安全装置はありません。生物は利己的な遺伝子の命ずるまま生み育て地に満ちるのです。できる範囲で。
成年向漫画を描いている。
性別は非公開。
今更男になりたいと思わないのでトランスではないが、こんなことなら男に生まれたかったと何度か泣いたことはある。
少し前にXジェンダーなるものを知り、自分がそうなのかただ拗らせているだけなのかわからず悩んでいる。
数ヶ月前に『女性エロ漫画家リスト』なるものがネットで出回っているらしいことを知った。
もし自分があれに載ったらと思うとゾッとした。
作品そのものに関係のない性別なんかでまとめられ個人情報を晒しあげられるなんて迷惑でしかない。
女の子っぽくない趣味嗜好は親含む周囲からあまり理解を得られず異端児扱いをされ、女子からも男子からも浮いていたから。
いつしか一括りに女とか言うな!とジェンダー観を拗らせていった。
そんな子供時代を過ごした私は成長後、ネットやSNSに触れ見た目の性別で判断されない素晴らしさに感動した。
ありのままの趣味嗜好を呟いても「いやアナタ女でしょ笑」って言われない。
下らない下ネタを一緒になって笑ってくれる、男か女かもわからない顔も知らないフォロワー達…
あまりに居心地が良すぎた。
抑圧的だった幼少期の反動から私はありのままの自分でSNSを謳歌した。
ただ、それも長くは続かなかった。
当時は大っぴらに女性と主張することもないが聞かれれば正直に性を明かすスタンスでやっていた。
男性向エロ漫画を描いている人間が女とわかった途端、それまでなかった所謂セクハラリプや質問をする輩が出現した。
性別を知る前と後で絡み方の毛色が変わった人がいた。
何というか率直にショックだった。
私はただ皆で下ネタを、女子の臀部とかについての話を馬鹿みたいに楽しみたかっただけなのに。
「女の人がどういうつもりでエロ漫画を?お金の為?本当に楽しいの?ヤられる女に自己投影しているの?」
という質問も定期的にあった。
最初は素直に「女の人の裸が好きで楽しくて描いてるんですよ」と言っていたが最終的にうるせえ!!!という気持ちしか残らなかった。
結局ネットでも性別を出すことは自分にとって不愉快なハンデでしかなかったと悟った私はSNSで自分が女である事実を抹消しようとした。
Twitterの検索欄で自分のID+女、等で呟きを抽出し性別がわかるツイートを時間を掛けながらコツコツ削除していった。
SNSにアップする写真に手元や身体の一部がなるべく写らないよう注意した。
とにかく自分を隠しに隠した。
そして数年が経った。
フォロワーの大多数は新陳代謝で入れ替わり、殆どが昔の私を知らない人達になった(と思う)
一部の顔見知りを除き、私の性別をちゃんと知る人はほぼほぼいない筈。
居たとしても女と認めてしまわなければ誤魔化せる。
…そう思っている。
ここで改めて、もし自分が例のリスト入りをしてしまったら…ということに想いを馳せる。
ここまで徹底してやったのに。
本当に恐ろしく、最悪の気分になるだろう。
多分膝から崩れ落ちると思う。
リスイン後も私自身が認めてしまわなければきっとそれまで通りでいれるのだろう。
というか触れない以外のムーブが出来ない。
(煽り耐性的なものが皆無の性格上、やめろ!!!と言いたい気持ちでいっぱいになるとは思うが)
それに「性別の問題は自分にとってデリケートなことだから触れないでほしい」
いくら最近LGBTに理解がある人が増えたからと言って不特定多数にTwitterで打ち明けるメリットよりデメリットの方を考えてしまう。
元々社交的でもないのに界隈内で腫れ物扱いされたら、親しい人達に気を遣わせたらと思うとあまりにしんどい。
正直忌々しいまである。
何でわざわざ性別で括ってまとめる?
放っておいてくれよ。
うるせえよ。
でもこっちは生身の人間なんだよ。
どれもこれも無いち◯ぽ擦って最高にシコれると思うものを描いたんだ。
もしあれに見つかったら、これまで作り上げてきたセルフイメージがズタズタになってしまうのではないかと思うと恐怖しかない。
しんどい。
何だかんだ性別に一番囚われてるのは自分自身なんだとわかってる。
でも情けないことに、今でもいい歳こいて自分が何者かわからない。
創作の場だけは自分が外見の性を気にせずいられる自由な場所だった。
作品にまで性別を紐付けられてしまったら、一体私はどうなるのだろう。
ただただそっとしておいてほしい。
どうせ他人の性別を一括りにして下世話に騒ぐ奴には何言ったって響かないだろうけど、ちょっと興味本位くらい気持ちで作家のことを知りたいだけのピュアな読者さん。
以前TVアニメが放送されていたのが2019年の4月から9月の事らしいので、丁度1年以上遅れて好きになった訳だ。
放送当時も一応見ていたけれど、「ああ、空の境界やFateのufotableが好きそうな作風だな」と思ったくらいでその頃はそこまで興味が無かった。
鼓の屋敷から伊之助登場あたりで顕著になったと思うけど、話の進みがそこまで早くないのだ。
OPでは初めから鬼殺隊の主要メンバーが登場しているのに、1クールが終わってようやく伊之助が仲間になるかならないか…くらいのペースに、やきもきさせられた。
2クール目の終盤など、鬼殺隊本部に連行された炭治郎と禰豆子が傷を癒し新たな任務に向かうまでの話に4話以上使うのだから堪らない。
古き良きジャンプアニメといえばそうだけど、例えばufotableが以前製作したTVアニメ版のFate/ZeroやFate/stay nightなら2クールもあれば話は終わっている。
アニメ鬼滅の刃の続編が劇場で公開される事は放送が終わってすぐに公表されていたと思うけど、この「続きは劇場で!」というやり方も正直嫌ではあった。
ジャンプ作品の長編アニメーション映画は本編と時系列上は関係ない番外編をやるもの、という意識が僕にはあったからだ。例外は殆ど無いと思う。
その結果はご存知の通り、現在公開中の「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は日本映画史の記録に残る歴代興行収入2位という凄まじい成果を叩き出した。間違っていたのは僕の方だった。
鬼滅の刃はアニメの放送終了後、女性ファンを中心に人気が爆発し流行した事が話題になった。
去年の終わりかそれとも今年の初めの方だったか、30~40代の女性に高い人気を得た作品としてTVでも取り上げられる事が多くなった。
2019年の年末に紅白でLiSAが主題歌の「紅蓮華」を熱唱した事でアニメや漫画には興味の無かった人達にも曲は有名になったんじゃないだろうか。
この作品が、ニュースで取り上げられた時のように女性層だけでなく、老若男女関係なく幅広い層に支持されるようになったのはいつからだろうか?
特にアニメをプッシュしている訳でも無いスーパーマーケットやドラッグストアー・コンビニエンスストアに、鬼滅の刃とコラボした各社の商品が並ぶようになった。
「ああ、この作品は本当に人気があるんだなぁ」と自分の身で実感出来た時、僕は鬼滅の刃の事が好きになっていた。
土曜プレミアムで放送された総集編の「兄妹の絆」と「那田蜘蛛山編」を見たのが決定的だったかもしれない。約1年振りに見る鬼滅の刃だった。
本放送時は話の進みがゆったりしていた事に不満があったけど、総集編で一気に見るとそこが解消されて良い部分しか残らないのだ。
放送終了後に人気が爆発したというのも、動画配信サイトで全25話を一気に見れる事と関係があったのだろうか?とにかく、まとめて見ると鬼滅の刃の面白さがとても理解しやすかった。
僕は鬼滅の刃のキャラクターの中でも主人公・竈門炭治郎とヒロイン・竈門禰豆子の二人が特に好きだ。
人食い鬼に家を襲撃され一人の妹を除いて母親と他の兄弟を皆殺しにされた長男と、鬼に襲われた際に自らも人食い鬼へと変えられてしまった長女。この二人が鬼滅の刃という作品の主役である。
炭治郎はこのたった一人の妹を守るために戦う。これまで争いとは無縁だっただろう少年が、鬼になった妹を守るために鬼狩りを生業としている凄腕の剣士に一本の斧で立ち向かった。
禰豆子は人食い鬼に変えられても、兄を食らいたくないと涙を流した。鬼になったばかりで重度の飢餓状態でありながら兄を食らう事より兄を鬼狩りの剣士から守るために戦う事を選んだ。
鬼狩りの剣士は、この二人は今まで見てきた鬼とその被害者とは何かが違うと感じ、この兄妹に行く道を示した。鬼になった人間を元に戻す方法を探すため、炭治郎と禰豆子は二人で孤独な旅に出る。
鬼滅の刃1話の大まかな流れはこんな感じだろうか。人を食らう怪物となった妹をそれでも守ろうとする兄と、人を食らう怪物になってもそれでも兄を守ろうとする妹。実に心に響く関係性だと思う。
この兄妹が仲睦まじく一緒に居る所を見るだけで、何だか嬉しくなってくる。現在発売されている鬼滅の刃のコラボ商品も大体この二人がセットになっているので、そこも嬉しい。
原作者の吾峠呼世晴先生やufotableのアニメーターさんが描き下ろしたこの二人の公式絵も、非常に華があると感じる。兄妹として二人一組として生み出されたキャラなので、並ぶと絵になるのも自然なのかもしれない。
タイトルには「カップリングが好きだ」と書いたが、僕は本当に炭治郎と禰豆子にカップルになってほしいとまでは思わない。元増田が言及しているように、直接的な描写が無いが禰豆子は公式には善逸と結ばれたと言われている。
もっとも、直接的な描写が無いので、善逸は禰豆子に振られてその子孫同士がくっついたのではないか?と言っている人も居る。禰豆子は鬼殺隊の風柱・不死川実弥と結ばれたのではないか?と考察している人も居る。
僕としては、禰豆子が鬼と知りながらも人間の女の子と変わらぬように接し続けた善逸の好意が禰豆子に通じてこの二人が結ばれたなら喜ばしい事だ、と思う。
一人で鬼になった妹を背負って戦い続けてきた炭治郎の優しさと頑張りに真っ先に気付いて、炭治郎の大切な物が鬼だと知りながらも命懸けで守った善逸だから、炭治郎からの評価が初期から極めて高いのも納得行く。
それはともかく僕は炭治郎と禰豆子がカップルのようになっている二次創作も好きである。前言と矛盾するようではあるけど、要はこの二人が仲睦まじければそれが良いと思っている。
禰豆子が作品のヒロインでありながら妹であるのは、主人公である兄・炭治郎と絶対恋仲にならない関係だから、という考察を聞いた事がある。
確かに禰豆子には少年漫画のファンによく居る熱狂的なヒロインアンチはどちらかといえば少なく、むしろマスコット的なキャラクターとして女性ファンからも高い人気がある。
そんな炭治郎と禰豆子がカップルになるなど原作無視も良い所ではないか!と思わなくもない。別にカップルでなくてもこの二人が兄弟として家族として仲睦まじいだけでも僕としてはある程度満足出来る。
ところで、鬼滅の刃の二次創作において最も勢いがあるキャラクターのカップリングは、鬼殺隊の水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶの二人組だと僕は感じている。BL界隈の事については詳しくないので失礼する。
しのぶさんが原作に初登場した時からこの二人は一緒に行動していた。意見の対立から二人で刃を交えたり、体を絡ませるような事もあった。アニメではしのぶさんが冨岡さんに「月が綺麗ですね」と語りかける場面もあった。
口下手であり人付き合いの上手くない冨岡さんを、何かと世話焼きなしのぶさんが構ってあげている…という関係性であり、しのぶさんはよく冨岡さんを指で突いたり二人きりになると彼を下の名前で呼ぶなど意外な一面もあった。
こうやって見ると、なるほど、確かにこの二人は親密な間柄で実は恋人同士なのではないか?と思う人が少なからず居る事も分からなくはない。冨岡さんがしのぶさん以外の同僚と壁があるのも理由の一つだと思う。
美男美女であるこの二人は、並んで立つととにかく絵になる。鬼滅の刃が何かの商品がコラボした時もいつも二人で一セットという扱いである。容姿を見ると確かにお似合いだと思う。
しかしこの水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶのカップリング、所謂「ぎゆしの」は公式設定という訳ではない。初登場時二人一緒に行動していた事以外、それ以降この二人が本編で絡む事は殆ど無かったのだ。
鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴先生はキャラクター同士の好意や恋愛関係を描くのは好きな漫画家さんだと思う。その吾峠先生がこの二人の恋愛関係を描かなかったという事は…原作でこの二人は脈が無かったのでないだろうか。
勿論公式であろうとなかろうと、二次創作を楽しむのはファンの自由である。今日も鬼滅の刃のファンはぎゆしののイラストや漫画を描き小説を書く事だろう。それだけ「ぎゆしの」に心を惹かれたファンは多い。
炭治郎と禰豆子のカップリング、所謂「炭ねず」も非公式である。こちらは鬼滅の刃の二次創作のカップリングとしてはマイナーではあるけど、見たところ熱心に愛好するファンはぽつぽつ居るように感じられる。
こちらは原作ではお互いが違う相手と結ばれたので公式になる可能性は100%無い。まあ兄妹でくっつくのはインモラルだし仕方ない事だと思う。二人とも誰とも結婚せず山奥で静かに暮らす、という展開なら無くもないだろうけど。
そういう僕からすると、禰豆子が善逸と一緒になり炭治郎から離れていくという公式の展開は少し寂しくはある。勿論禰豆子と善逸が幸せならそれに越した事は無いと思う。
炭治郎は鬼になった禰豆子を人間に戻すために、禰豆子が人間としての幸せを掴めるようにと命を懸けて戦い抜いた。その禰豆子が一人の人間としてこれから逞しく生きていくなら、炭治郎は誰よりも喜ぶだろう。
「鬼滅の刃」は炭治郎と禰豆子の兄妹の話から始まり、炭治郎と禰豆子の兄妹の話として終わった。誰にも引き裂けない強い絆を持つ二人が、「結婚」というゴールを機に自然と離れていく事に、少し物悲しさを感じた。
普通要素を組み合わせた普通の人なんて存在しない、みたいな話はよくあるけど、
良い大学出て良い会社に入ってたらこんなスペック1%でもなんでもないんだよね。
周り見ても身長だけはどうしようもないけど、おおむねこの辺の条件は満たしてる。
逆に言えば周り見渡してこの手の人が全然いないんだとしたら、
メンヘラでオタサーの姫でサークラでバイでM女だった私が、一般男性と結婚するから一部始終を聞いてくれ。
最初に言っておきますがこのページは100%自分語りと惚気です。
相手:30代前半正社員、程よく筋肉質なイケメン、但し重度のオタク
ここまでで分かる通り、私は自己肯定感が皆無だ。他者肯定だけでなんとか生きてきたタイプのメンヘラだ。
家庭問題のアレソレで心身症を引き起こし、どことは言わないけど学校を中退して、向精神薬漬けになり。ド底辺メンヘラが家を出るために生計を立てられるまでに社会順応するには、平静を装うために精神衛生をある程度保たなきゃいけない。定職につくまでえらい時間がかかったし、努力も要ったし、パニック発作を抑圧するのがしんどすぎたし。選んだストレス発散方法が、セックスだった。
選んだというかそれしかなかったというか。
幸い男性に好まれやすい体型に恵まれていたのと、自分の言動に対して相手がどう思うかを考え続けて生きてきたのでモーションをかけるのは得意だったしで、相手に困るということはなかった。選ばなければヤりたいだけの男なんていくらでもいるんだから当たり前だが。また、男性側も恐らく相手を選んでいなかった。全てが希薄で、霞のようだった。
それに慣れてきたら、今度は関係性を築いて壊すのが快感になっていった。
好き好き言ってべったりくっついて、ずっと一緒にいようねとか言って、急に連絡をプツンと切る。付き合ってるわけではないのに激昂した相手にストーカー紛いのことをされたこともあったりしたが、脳が快楽物質を出すそれをやめられなかった。喪失感の擬似体験が好きだなんておかしかったよな、良く今まで刺されずに生きてきたなとも思う。
それにも飽きる頃、もしかしたら男が嫌いなのではないかと思い始めた。散々良いように使ってきたのにだ。試しに女性と付き合ってみたら最高だった、関係性を保ちたいと思えたし、セックスなんてしなくても心が潤ったし。お母さんに愛されるってこんな感じかなとか思ったりもしたし。ただレズは大体病んでるから。メンヘラ同士というものはなかなか安定しないものだ、問題ばかり起きて続けるのが苦しくなった。
SMを趣味にしている彼女がいた。縛られて、叩かれて、首を絞められて、頭を踏まれて、綺麗な顔で眉ひとつ動かさないでこちらを見下す彼女のことを見て、このひとに一生ついていくんだと思った。
呆気なく別れてからもそれが忘れられず、アングラの世界に飛び込んだ私を待っていたのは壮絶なS女争奪戦だった。絶対数が少ない彼女たちには多数の貢ぎM男性がいて、侍らせて楽しんでいて、とても貧困アルバイターの私が入り込める世界ではなかった。自然、そこにいるS男性と関係を持ち始めることになる。
私の人生、ノーマルセックスよりもSMの方が多く嗜んでいるかもしれない。サークルをクラッシュしたりなどして気まぐれに遊んでいた時期とは逆転し、まさに奴隷みたいな生活が続いた。金銭を差し上げることは出来なかったけど、呼ばれたら駆けつけて家事をしたり甲斐甲斐しく世話を焼いたりしてそれでやっとプレイをして貰える。ありがとうございますと咽び泣き、ストレスを昇華する。たまの気まぐれで推しの女王様に遊んで頂けたときなどはもう、そのまま死んでしまいたいくらいだった。
この辺りで晴れて就職して正社員になっているのだけど、それでもストレス発散の捌け口は必要で。普通に普通の社会で生きるって難しいね。
肉体的な性欲を発散させてくれるSはそう多くない。お預けにお預けを重ねたり、縄で縛って苦しめて終わりだったり。性欲だけを発散するのには自慰が必要だったんだけど、自己肯定感がないのでひとりでは気持ちよくなれない。行き着いたのがテレフォンセックス、エロイプだった。
互いに慰め合うのが心底苦手で(男の喘ぎ声なんか聞きたくもないし)、一方的に虐めてくれる人だけを探した。女性にしてもらった事もあるけどコンマ数%だ、ここでも取り合いなのかと辟易した。
ここでも色々やった、催眠だの脳イキだの耐久5時間だの...現実で慣れっこだったから、あまりハマらないタイプの相手だと思考を飛ばして次の食事のことなどを考えながら事に及んでいた。全てがインスタントだった。
大抵はそんな内容の相手を誘う書き込みなのに、たまに普通に接してくる変な人が混ざっている。そんな人達と話すのも結構好きで、友達になることも多かった。婚約者は、その中の1人だ。これを読んでいる人は驚くだろうか、私も驚いているけれど。
最初は普通を装って、ワンチャン1発ヤリたいだけの人かと思った。ら、キチンと付き合おう、結婚をしよう。なんて言い出して、いやいや信じませんからねと笑っていたものの、付き合って数年、双方の親の顔合わせまで済んで、会社への報告も済んで、籍を入れるだけになっている。年内には済ませてしまう予定だ。嘘だろ。苗字が変わるらしい。
ここまで書いたことを会う前からほぼ全て知っている上に、出会ったのは私の酷い書き込み、初めて会ったのはホテルで言わずもがなそのままシケこんでいて、そんなセフレルート一択の男がしかもドノーマルの男が、旦那になるらしい。
愛の言葉も何も信じないと言い切る私に、信じられるくらい一緒に居ればいいねとか宣い、挨拶代わりのキスとハグをくれて、毎日褒めてくれて、私の精神的な発作にも文句も言わず付き合ってくれて、それで精神が壊れなかった人は初めてで、強メンタルとはこのことか...となるなどしている。この話になると惚気しかなくて無理。
今でもふらっと、遊んでいた場所に行ってみることがあるけれど、婚約者を越える良い人が転がっているはずもなく全く楽しくない。それを認識して遊ばずに彼の元へ帰る。ずいぶん丸くなったもんだな。
ただ、今のこれも他者肯定に完全に頼っている自覚はある。少しでも嫌われたら、また舞い戻ることになるだろうと。全面的に肯定されることが初めてだから戸惑うけれど、この環境なら自己愛を育めるかもしれない...と淡い希望を抱いていたりはする。少なくとも状況証拠で彼が私を愛していることは間違いないし、私も彼を愛している。生涯を共にすることを誓ったから結婚するのだから、まぁそうなのだけれど。
最近気付いたのだけど、普通にモテそうな彼が私を選んだのは今までまともにセックスできる相手がいなかったから。その...サイズが...あの...規格外で...私は慣れてるから...未だに痛いこともあるけど...致せないほどではないから...
つまりほぼ童貞だった。可哀想。今色々仕込んでるし結果オーライ。神様奇跡をありがとう。
ちなみに私のどこが好きか聞くと、笑ってくれるとこだって答えてくる。ずるいぞ、いつも機嫌良くいたくなるだろ。
ばばばっと書いたのでアラが凄いけど明日の朝になったら躊躇って投下しなくなるかもしれないからエイヤと投げます。長すぎて誰も聞いてくれないぜこんな話。リアルの知り合いには絶対バレたくないしね!!!
意見の是非はともかく
これほどフェミニストが言う所の所謂「名誉男性」っぽい文章が書けるのは凄いと思う
「自分は女性である」と主張しながら男性向けの作品が好き・フェミニスト嫌いって言えば
全ての女性のために活動しているって名目のフェミニストからすればああいうのは女性じゃない名誉男性だって言いたくもなるよなと思った
私は以前は所謂レトルトカレーという奴を殆ど食べた事がなかった。
ところが最近、家で1人酒を飲んだ後の締めにレトルトカレーを食べる事がある。
しかし、レトルトカレーには問題がある。通常のレストラン、カレー店、食堂などのカレーライスに比べると、明らかに量が少ないのである。
ある日、「今日の昼はCoCo壱のカレーにしよう」と楽しみにしていたのだが、午前の仕事から午後の仕事へ移動するための武蔵野線が突如人身事故によって運休し、川越線経由で遠回りした結果、昼食の時間がほとんど無くなってしまった事がある。仕方なく駅の中にある立ち食い蕎麦屋で「カレーライス大盛」を食ったのだが、その量の少ないこと少ないこと、配膳のおばちゃんが大盛券を見落としたのではないかと思った。
レトルトカレーにも同じような問題がある。通常のカレーライスのつもりで皿に飯を盛ると、カレーが実に少ない。終盤には恰も海苔の佃煮でご飯を食べるように、わずかに残ったカレーを飯に塗り広げて「淡白なカレー味ご飯」を食べる事になるのである。
・たぶん一生独身
人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。
煩わしい。
その感情だけを優先して生きている。
右を向いても左を向いても毎日争いあってる。
建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、
2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
自分の限界を知って適正がないことも知っているが、人生を修正するモチベも体力もない。
自分のやりたかったこともやりたくなくなり、何を糧に生きているのか分からない。
アニメオタクはけものフレンズショックで強制的に卒業させられ、
本を読むのもめんどうで、辛うじて漫画だけは読んでいるが面白いと思う作品は減り続けている。
シンプルに何を自分がすべきかは把握しているが、目的が気力を出す動機として不十分…いや、興味を持てないため行動できない。
心技体とはつくづくよく言ったものだと感心する。
・死が怖くなくなってきた
昔は死ぬ事自体に強いストレスを感じていたが今はかなり薄くなっている。
このまま生き続けていても自分に大きな変化はないのを気づいたときからかもしれない。
元々飽きっぽい性格をしているが毎日に新しい刺激がなくなり、退屈している。
さりとて犯罪者になるわけでもなく、凶悪犯のような他人の幸せを理不尽に奪う順法意識のない人間を嫌悪している。
自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところで地球の裏では孤児たちが飢え死にしている。
それは国内でも同じことが起こっているし、祈りが今その瞬間に等しく分け与えられるときは永遠に来ないので平穏な食事はあり得ない。
水が上から下に落ちるのが当たり前で、ずっと変わらず起きているのと同じように誰かの不幸の裏には誰かの幸福が隣り合い続ける。
地球を中心に太陽が回っている事をいまさら信じるやつはいないし、千年たっても変わらないものを変わると信じているやつもどうかしている。
誰かの幸せも泡のように消えるのが世の常であり、できることは人生という物語を綴って誰かに忘れられるまで残す程度のものでしかない。
・生まれる前は
死後の世界に興味を持つ人も、正しく生前の世界について話題にしている事は少ない。
どちらも自分がこの世に存在しない世界であるが、死後にどうなるか話題になっても生前自分はどうだったのか気にする人はいない。
何もないところから自分が生まれたのであれば、当然死によって何もなくなり、きわめて低い確率で何らかの生物に生まれ変わるのも可能性としては残る。
正直なところ、自分は二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っている。
安寧の無があるのなら自分はそこに入りたい。
所謂神話としてのゼウスのような存在というより、プログラマーとしての神をイメージしている。
プログラムにはすべて目的があり、実在として道具は総て目的があって作られている。
人間の世界でいえばガンプラの目的はプラモデルを作る楽しさをモデラーに提供することであり、創造主はバンダイだ。
単純に考えてこの宇宙を作ったのは神であり、目的までは分からないにしても何らかの事情があるのだろう。
とにかく、在るということを肯定したこの基盤でまた生と死を繰り返す退屈さと苦痛を別の形で味わう事にはなりたくないという思いが、今は死よりも強くなっている。
反出生主義は幸福になれない可能性から誕生を否定するが、私はこの世界で生きる事そのものが悪であり不幸だと思っているのでやや主義が異なるように思える。
私は両親に感謝しているし、彼らの長所や短所も理解している。その上で自分をよく育ててくれたと思っているが、生きる事そのものが不幸だという考えは変わらない。
もちろん実際に自分が死ぬ場面に直面すると本能的恐怖に縛られるのは想像に難しくないが、平時における心境としては二度と神の道具の一部として生まれてきたくないと考えている。
生きる事の罪を業というのは人の口であり、自分はそれを信じていないし信じる気にもならない。
なぜなら何も分からずに遺棄され死する新生児は、何の罪と反省の意識があって死ぬというのだろうか。
宗教は祈れない者を救えない時点で信じるに値しない。
今でも乳幼児が飢え死にしかけた状態でお菓子の袋を破こうもがいた話が脳裏にこびりついて離れない。
神が善良であればあるほど、彼の死は重く、決して許されない。
神の使徒を名乗るのであれば彼を救えたのか。救おうとしているのか。いつになれば救えるのか。
私は忘れない。
・余談
あまりブコメに対する返信というのはしたくないが反応があったのと気になった点があるのでここに追記する。
事故死や病死する、凶悪犯罪者となり懲役刑を受ける、仲が悪くなり絶縁する、他人に殺害される。
もしくはこどもに される。こどもを す。
そういった可能性をこどもを持った地点から自分が死ぬまで抱え続けるという事実にはきちんと向き合えているか。楽観的すぎてはないか。
その不安に目を向けているのであれば危険に対処するための行動ができると思うが、ブコメを見ている限りだと「育てるのが大変な猫を飼った」程度の肯定感しか得ていないように見られる。
悲観的だと馬鹿にするのは少し待ってほしい。
失ってみないと分からないのではない、体験しなければ分からないのではない。
何のために想像力があるのか思い出してほしい。
親であるあなたはまた新しい死、新しい不幸を本能によって作り出したに過ぎない。
生存競争という恐ろしい渦中に新しい命を、あなた自身の意志で落としたに過ぎない。
こどもを抱えて頭の中の快楽物質がそれを正しいと言い続けても、事実は変わらない。
死の連鎖を繰り返した事に対して、そんなものに頼らず真正面から、あなたなりのきちんとした反論を用意しなさい。
あなたは訪れる恐怖の予感から、それは発達障害や鬱であると断定して逃げる事は容易い。
・ソープと筋トレとサウナでは解決に限界があり、彼ら自身それに気づいている
動物的快楽にも個々人に生まれ持った適正があり、それがないものには当てはまらない。
なぜ彼らがここまでソープと筋トレ(とサウナ)を信じて布教させようとしているかは、それらをやめた話を本人から聞くだけで済む。
続けている彼らは自分たちの努力や発散が「報われ続ける」ことを信じている。
意図的な継続の裏側にもまた、恐怖が根源としてある。「やめたらどうなってしまうのか?」という恐怖だ。
他人にそれを勧めるのは自分の信じる神を広めたい、宣教師になりたい動機がある。
いつか終わりが来ることを日々頭の片隅で実感しながらも、それを認められない脱出口として「布教」を選択している。
強い刺激は人の考えを変えさせるのに十分な切っ掛けだが、刺激というのはいつか慣れてしまう。
ソープ、筋トレ、サウナそのものを目的としているならともかく、何かの解消手段として行っている者は慣れた刺激と得られる報酬の差が開き続ける。
その結果、神格化して代わりの新たな報酬として「自己肯定感」を得ようと躍起になる。
「あらゆる悩みが〇〇で解決されると信じる」ことが目的にすり替わる。
筋トレで解消できているんだと、解消できている自分は素晴らしいのだと。
純粋に筋トレによって得られる効果だけで満足しきれなくなっている自分に薄々と気づいていながら。
身もふたもない言い方だが、思春期以来のオナニーと違う新しい刺激に興奮したものの、だんだんと刺激が減ってきて横道にそれた結果が布教という形になっている。
このツイートをRTして応募して抽選で素敵なプレゼントを〜といったものでもなく、RT数に応じてなにかがあるというものでもなく、Twitterで行われる創作企画である。
自らのオリジナルキャラを通し他者と交流をしながら創作活動をするというものなのだが(古くからは手ブロやpixivで行われている)、ただ最近そのTwitter企画に疲れてきたというチラシの裏側のとりとめもない話だ。前置きとそして予防線を兼ねて、あくまでも界隈に一言物申したいとか呪いをかけたいというものでは断じてないことだけは書き置きしておきたい。
ただのどうしようもない愚痴だ。書き連ねて、書くだけ書いて満足したい。それだけである。
そして別に交流ができない、関係が結べない、そういった理由ではない。ただ”疲れた”。昨今感じるTwitter企画における界隈の雰囲気にである。
というのも、他参加者のキャラクターを拝借して描かせて(書かせて)頂いたり、描いて(書いて)頂けた際のこと。概ね返ってくる反応は「誰某さんに刺された!(刺せた!)」「殴られた!(殴った!)」「殺された!(殺せた!)」といったもの。
イラストや小説を描いた(書いた)ことで喜んでもらえること、また描いて(書いて)頂けた際の喜びというものはもちろん感慨一入であるということは前提として
(※その時に反応するのが当然などといった逸れる話はしないし言うつもりもない)なぜそのような強い言葉や過剰表現を使用するのだろうか?そのような反応をしてこそでなければ所謂”限界芸人”として見られないのだろうか?それが当然というような昨今のこの雰囲気はなんなのだろうか?
だからこそ「誰某さんを殴れた!(殺せた!)」「誰某さんを刺しにいく(殺しに行く)」などという強い表現があまり理解できない。
相手に絶対に喜んでもらえるという確信の”強さ”を持ち合わせていないのだ。自分にはその自信がない。バイタリティがない。
だからこそ流れについていけないなと思ったそのとき、今がやめ時なのだろうなと感じるのだ。
日毎に寒さが加わり、心細くなっていく。冬将軍はすぐそこまで迫っている。
人との距離感本当に難しい。
普通にしてるはずなのに多々引かれてる気がする。
女友達はもちろん、なんとも思ってない男友達も女友達と同じパーソナルスペースのとり方で生きてるから多分男好きって思われてる。実際男女同じだけど。
遊び人とも言われてる。
実際処女の喪女だし、人を好きになったことも遥か昔なのにね。そう思わせてるこちらが悪いけど!
距離感遠い人より近い人の方が気持ち悪いよね、普通に考えて。もう分からないからあんま人と関わりたくなくなっちゃった。でもそれで引かれることが無くなるならそれでいいかな。人間関係難しいし、顔はもちろん、性格を整形する手術があればいいのにな。大学終わるまで穏便に過ごしたいな。