はてなキーワード: 美しい人とは
日々の仕事で疲れてメンタルが逝きそうになってる中、疲労に反比例して性欲だけが増しており、エロ同人でも読んで抜くかと思ったところ思っていた以上に感情移入した作品に出会った。
これはレビューでも書くべと思い立ったがFANZAのレビューは1000文字までらしく大幅にオーバーしたのでここに供養がてら記す。拙文たれ流し申し訳ない。
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_216128/#area-link-review
世の中にギャルと致すエロ漫画は多数あれど、その中で本作のどこが抜きん出ているのか、その魅力を説明したいと思う。本作は、エロ漫画としてセックスシーンが多く、ヒロインのキャラも絵も魅力的ではあり実用性は非常に高いが、それが本作の魅力ではない。
本作の一番の魅力、それはエロ漫画としての文脈ではなく、恋愛漫画または青春マンガとしての文脈がメインを担っている点にある。
ヒロインの阿川さんはクラスでも目立つ可愛らしいギャルだ。明るく、気さくで誰とでも打ち解ける雰囲気を持つ。しかし、教師を始め、乞われれば誰とでもヤるという噂も流れている。またモブの容姿と比較すると彼女以外に金髪は見受けられず人当たりのいい性格とは裏腹にやや孤立している様子も見受けられる。
そんな彼女に優しくされ、一目惚れした陰キャである主人公が話の流れから彼女で童貞を捨てさせてもらうというのが大まかな流れである。背景やモブは大雑把に書きつつヒロインの阿川さんは丁寧に描かれ、セックスに至るまでの期待感をコミカルにしかしリアルに描いている。
さて、連載のエロ漫画と同人のエロ漫画の違いはなんだろうか?それは行為の濃淡ではないだろうか?連載のエロ漫画は少ないページの中でその行為を描かなければならないという制約がある。行為に至るまでの過程を丁寧に描くほどリアリティは増し没入感も感じられるが肝心のエロシーンが希薄になってしまう。そのため連載のエロ漫画の大半はエロシーンに配慮した結果どうしてもリアリティが無くなるといった問題が生じる。もちろん、それが一概に悪い訳ではない。ヒロイン自体の、またエロシーン自体の魅力、フェチズムでエロ漫画は十分別の魅せ方が可能であるし、連載を通して複数の話でキャラクターの核心にせまることも可能ではあるからだ。その点同人のエロ漫画に制約は無い。その結果生まれるのがリアリティの差である。本作におけるリアリティとはオナニーが恋愛に至るまでの過程である。
セックスとはもちろん快楽を伴う行為であり、互いを求め合う行為でもある。オナニーとの違いは相手がいることだ。そういう意味では、阿川さんがいままで相手にしてきた男(教師、他の同級生)は阿川さんを気づかうというよりかは、阿川さんをオナニーの道具として使い、阿川さんも同様に相手をオナニーの道具とみなしている。阿川さんが興味があるのはセックスであり恋愛ではないからだ。主人公が初めて彼女とセックスをする際、彼女の中で、最初は主人公とのセックスはオナニーの一環であっただろう。主人公の中でも憧れの女性ということはあるがこちらも行為自体がメインであっただろう。しかし、このセックスを通じてオナニーではない、相手のいるセックスとしての良さをふたりが薄っすらと体感したように思う。
セックスでは相手が嫌がるようなことはすべきではない。主人公は生来の臆病さもあるだろうが、一度セックスをした以降、1ヶ月ほど彼女に話しかけられずにいた。これは自分なんぞがまた話しかけても迷惑に思われるのがオチだと気遣い半分、否定されるのが怖いという臆病さが半分であると思う。
その後、友人の後押しもあり、彼女ともう一度話すことになるが、その際、迷惑だと思ったので話しかけられなかった≒オナニーの道具としてではく自分を気遣ってくれていた主人公に対し阿川さんに初めて恋愛感情が湧く。これは、奇しくも、陰キャの自分にも屈託無く話してくれた阿川さんに惚れた主人公と同じ構図であり、これをもってエロ漫画の文脈は完全に恋愛漫画の文脈に置き換わる。この辺り、なぜか、映画エレファントマンのワンシーンで「こんなに美しい人に優しくされたのは初めて…」というシーンが想起された。
以降は互いを求め合うセックスに没頭する二人だが、それ故に失敗し、困難もつきまとう。その困難に立ち向かうシーンでは恋愛漫画から青春マンガもしくは青春映画に鞍替えしたのかと思ったほどだ。若いうちの失敗などどうとでもなる。若さと無謀さで是非とも乗り越えていってほしいと思った。
最後に、自分は童貞ではないが、いつまでも自分が童貞であるかのように感じている。それは、高校時代、大学時代と恋愛と無縁の生活をしていたからではないかと思う。こういう恋愛がしたかった、そして恋愛に当たり前の様に存在するこんなセックスがしたかったと強く思わせてくれる作品だった。私は、セックス≒オナニーがしたいのではない、セックス≒恋愛がしたかったのだ。
https://twitter.com/Ljor_O/status/1522908777552687104
結婚衣装を着て登山として吊り(吊られ)ながら崖の途中で写真を撮った人。
https://togetter.com/li/1883657
素人だが考えてみると安全性を問うなら問題はダメ・ヨシの01ではなくいつもどおりのグラデーションだと思う。
こういうアートにうんざりするぐらい出てくる安全性を問う人たちはたぶん見かけ上すごく安全を図られていてもわずかな隙を見つけて安全性が~と指摘すると思う。わら人形だけどね。
そして山の写真を見るとこれも登山としてはできうる限りの安全な装備をしてないよね。どうみても衣装が普通の登山家の服装と比べても安全ではなさそう。でもそういっちゃうとそもそもウェディングフォトを山で、が成立しない。
じゃあ(法律的な問題はあるかもしれないけれど)ぱっと見の詳しい背景を知らない我らはてブ民は一方をよしとすると他方もまあ受容するっつーのがなーなーな態度な気がするな?
高所での自己表現(アートのほうは表現者とリスクを負う人が別なのがままだが…同意は取ってるとする)のリスクは普段より高まるが、閾値が違うのかブコメを見て違和感を覚える人たちもいた。
俺としてはどっちもリスク犯してやってんなー。これらに別々の態度とったらまずそーだなーとしか考えてない。
kurotsuraherasagi
足元に覗くゴツい靴が合成とかじゃないリアルな写真である実感をもたせてて、すごくいい!真似は絶対できない…
たまにみかける「ネガティブな反応含めてアート」みたいなの、気持ち悪く感じるけどうまく言語化できないんだよな…アートって言えば何でも許されるわけじゃないというか…私に現代アートは難しい…
lenore
写真がとても素敵だし、工程聞いてすごいと思う。こんな大プロジェクトを共同で遂行したなら、もうこの夫婦に怖いものは何も無いんじゃない。
ちゃんと安全とモデルの心身の健康と名誉が保たれないなら、アートでも何でもなく傷害罪だ。アーティスト本人が障害を負うなら愚行権の範囲内だが人を巻き込むな。批判だけで済まない場合を想定しないのはただの無謀
mutinomuti
情熱がすごい
nandenandechan
緊縛は体への負担が大きく、数時間程度と言われています。なので、緊縛後に何点かで吊る方法だと思われます。建設業には「1mは一命取る」という標語があり、今回の場合はヘルメットとハーネスが必須です。怖いです。
totoronoki
結婚関連のイベントを「趣味や夢の実現イベント」と切り替えるとお金をかける価値のあるものに変わっていくんだな。そもそも結婚式って旧式のクラファンみたいな部分あるしな。
指が絡まったまま体が落下したら指が飛ぶからな。首なら窒息。車の危険運転等と同じで、アートでも危険行為やったら罰金、となるようにしたほうがいいのでは?(ただ表現の自由との兼ね合いが難しいか?)
ずっと自分の顔が嫌いだった。
左右でバランスの悪い眼、大きい鼻、しゃくれた顎、高くて目立つ頬骨。どれも嫌いだった。
ずっと美しいものが好きだった。《聖テレジアの法悦》のような、ミケランジェロの《ピエタ》のような均等の取れた顔立ちが好ましかった。だからこそ自分のアンバランスな顔がずっとコンプレックスだった。母親は顔の美しい人だったが、父親はそうではなかった。親類や近所の人に「お父さん似ね」って言われることが辛かった。
とはいえそう思っていることを口にすると雰囲気が悪くなってしまうから、自分のコンプレックスについてなにも言わなかったのだけども、どうしても態度に出てしまっていたのかもしれない。友人が「君の顔がすきだよ」と言ってきたことがあった。
憐れんでだろうか?めんどくせぇなと思ってのことだったのだろうか?わからない。
もうだいぶ昔のことだからどういうシチュエーションでそう言われたのかも忘れてしまったけども、彼女はたしかにそう言ったし、飛び上がるように嬉しかった。
就職して稼いだ金で買ったお化粧品を色々試したり、肉が落ちて顔立ちが少し変わったこともあり、たしかにバランスは悪いがなかなか悪くない顔だねと思えるようになってきた。
バランスの悪い眼はミステリアスだし、大きい鼻としゃくれた顎と思っていたがその実Eラインに唇が収まる顔立ちで、高い頬骨は頬がギュンと上がっているように見えて、なんだい、わたし、案外いい女じゃないか!なんて、鏡に映った自分の顔を好ましく感じられるようになったのだった。
そう思えるようになったのは、家族でも恋人でもない友人がわたしの顔を好きだよと言ったことがきっかけだったのは間違いない。彼女がわたしの生活をどれほど明るくしてくれたかわからない。
もうちょっと眼が大きかったらなあ、とか、蒙古襞がなかったらなあ、とか、そういったことを思わないと言ったら嘘にはなる。だけども、もしそうだったらもっと良かったのにな、と思うことであって、そうでないから自分の顔は悪いのだという気持ちにはならない。
遠くに住んでいることもありコロナのせいで随分と顔を合わせることがなかったが、これから久しぶりに友人と会う。彼女が好きと言ってくれた顔でめいいっぱいおめかしするぞ!と年甲斐もなくなんだかはしゃいだ気持ちになっている。
https://www.pixiv.net/artworks/97652638
ともかく、今回の話は凄かった
杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる
「ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる
これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と
とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする
【ネタバレ要素】
ちょびっツ、ブルーピリオド、物語シリーズ、ライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス
【4コマ目】
「真剣に聞かないでどうするの」
最後のコマのセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで
【5コマ目】
個人的に好きな所
【6コマ目】
ここは難しいところ
家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか
答えはない
【7コマ目】
今回のメイン
表情も含めて、本当に苦しい
「ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」
自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然”であると感じる
誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く
ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性をネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った
ひとにすがたを 見せられぬ
「早く人間になりたい!!」
【8コマ目】
「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」
「追い出すということは その先で壊されることも あります」
後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね
久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ
厳しく辛い道である
もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と
【9コマ目】
「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」
「ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」
「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」
“自分(自分たち)と違う相手を排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚
この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる
ここが、この話の本質だ
頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ
意地悪な人より、優しい人が好きだ
醜い人より、美しい人が好きだ
自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ
自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ
至極当たり前の人だ
自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか
それをなしに、我々は我々を規定できない
その町には 誰もいなかったの
お家もあるし
窓から明かりも見える
でも 道には誰もいない
窓から中をのぞいてみた
ヒトがいた でもアレといっしょだった
ほかの家もみた
やっぱりアレといっしょだった
この町も ほかの町とおんなじだった
みんなはもう外には出てこない
この町には誰もいない
「最初は 好き好き言っててもさ」
これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる
自然だとどうして良いんですか
「裸も」
「幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」
【14~15コマ目】
「死ぬほど頑張って 恋人も友達も 出来ない人は どうするんですか?」
「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」
「… 振り向いて もらえなくても 努力は無駄に ならないはずです」
「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」
「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」
「言います…」
「人でなし!」
ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い
皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある
そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である
もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。
それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。
――坂口安吾「余は弁明ス」
【16コマ目】
「文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」
「お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います」
「ロボットが居る事で 私たちは 必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」
「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」
「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」
「でも私は そうするべきだと 思います」
「心が満たされた あとの社会」
「その向こう側に 行けると 信じているからです」
「ロボットと 一緒ならね」
ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ
以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた
究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない
その向こう側に行けるのだろうか
「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい
機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える
「…………どの真実をだね?」
「あの時代 どれほどの憎悪と絶望が 世界を満たしていたかを 想像したことがあるかな?」
「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」
「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」
「とるべき道はいくつもなかったのだよ」
私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。
そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
「ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」
「? そうですね」
「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」
「私 ブロックになりたいの」
全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回しだ
「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」
「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」
「大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」
「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」
「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」
「子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」
「一日中僕はそれだけをしてる」
「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」
――J・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
【18コマ目】
「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」
「今回の件は保留ということにします」
地味に好きポイント
やはりフェア
「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」
「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面を 否定することになる」
「どちらにしても 勇さんは救われない」
「どうすれば…」
やはり誠実だ
そして、ここのテーゼ・アンチテーゼが次のコマからアウフヘーベンの布石となる
「あなたが誰かを 傷つけても」
「人やロボットを 殺しちゃっても」
「自分を 殺しちゃっても」
「私は そのとき 一緒にいたいの」
「殺していいって言ってます?」
「久永先輩 いいんですか? こんなの」
「いいわけ ないでしょ」
「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」
これがジンテーゼとなる
否定も肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者
これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセプタンスである
ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在を承認」してもらうこと
「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」
「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。
ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
一日一日を生き、
この時をつねに喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として受け入れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら
あたしはどう致しましょう
【27-27コマ目】
「みんなが」
「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ」
もう、なんというか
ズルいと思う、このセリフは
これをやられたらもう何も言えない
逆になんで今まで気が付かなかったのか不思議なくらいに共通点だらけで自分でも笑ってしまった。
そもそも世の中で言われる美人にあまり興味がなくて、学生時代なんかに異性の話になっても、適当に周りに合わす程度で自分の好みというものが人と一致することはほとんどなかった。
世の中で言うところの美人がどんなものかは理解しているけど、それが好きになる理由になったことがほとんどない。
そのせいでいっときはブス専などと言われたことがあって、それが当時付き合っている彼女の耳に入って一方的に振られたことすらある。
まぁその程度の付き合いだったんだろうと割り切ったものだが、それでなおさら世の中の美人信仰が嫌いになった。
かといって、その反面に自分の好みが今ひとつわからないでいた。
一目惚れをすることだってもちろんあったが、思い返してみても顔のタイプは本当にバラバラだった。
そのために、その瞬間に好きだと思う直感に従うしかなくて、好みのタイプなんかを聞かれるのは本当に苦手だった。
なにせ、本当に好みだと思える異性に出会える確率が、そもそもものすごく低かったからだ。
実際、今の妻は顔が好みかと言われれば全くそんなことはなくて、嫌いな顔ではないというだけで、性格や考え方で決めたような感じだった。
妥協と言われるとそうかも知れないけど、自分でも好みがわからない以上、見た目以外の部分で選ぶことが当たり前になっていた。
唐突になんの話かと思うかも知れないけど、寒い時期にしか見られない、あのロングヘアーがマフラーに巻かれている姿がこの上なく好きなのだ。
マフラーに巻かれることで下の部分がふんわりと膨らみ、髪の毛のツヤが強調される。
実際に触ったことなんてないが、柔らかくてすべすべしてそうな質感がたまらなく好きだった。
それだけじゃなく、寒さのせいでマフラーの内側に入り込んでいる髪の毛のひんやりとした質感を想像するだけで胸がどきどきした。
それは別に興奮しているわけではない。何か美しい芸術作品を見ているような、恍惚とした気分になるのだ。
それがいかに美しいものなのかを熱弁しようと増田を執筆しているときに、ふと気がついた。
そうである。
自分の異性の好みを思い返してみると、顔のタイプはバラバラだったのに、誰もが髪の毛が異様に美しい人ばかりだったのだ。
しかも、美しければよいわけではなくて、ある特定の髪型に集中していることがわかった。
ポニーテールとかツインテールとかそんなベタでメジャーなものではない。
おそらく名前もついていないような髪型で、なおかついくつかの条件を満たしている必要があった。
それさえ満たされていれば、正直顔の中身なんてどうでもよかった。
そのことに気がついて過去を振り返ってみると、それを裏付けるようなことがたくさんでてきた。
バイト先の買い出しでよく使うお店で、顔見知り程度にはなれたけど一度も話をしたことはなかった。
顔はもちろん美人ではない。
愛嬌がある感じが可愛らしいとは思っていたけど、なぜ一目惚れしたのかは自分でもよくわかっていなかった。
ところがある日、その店員さんの髪型がパーマをかけたようなウェービーな髪型に変わっていた。
黒髪のつややかな質感は一切なくなり、ぱさついた茶色いモップのような髪の毛が頭にのっているような姿だった。
その瞬間、恋心は一瞬にして揮発した。
その店員さんに対する興味ごとまるごと消え失せてしまったのだ。
バイトの辛さだけが残って、それから一週間持たずにやめてしまった。
そんなにも急に興味がなくなるものかと自分でも驚いたことはよく覚えている。
でも、何度見返しても全く興味のない女性がそこに立っているようにしか見えなくなってしまった。
それ以外でも、髪型が好きで気になり始めた女性のエピソードはいくつもある。
今まではその程度に思っていた。
ところが、今思い返してみると、違っていた。
一つ一つあらためて思い返してみれば、女性を好きになる切っ掛けが、髪型以外にないという事実に気がついてしまったのだ。
直感で好きだと感じて、思い返してみると髪型が含まれているくらいに考えていたつもりだった。
それが今になって、過去、好きになった異性全員が、好みな髪型の条件を満たしていることに気がついてしまった。
気がついてみればこんな簡単なことだったのに、40年間生きてきて今やっと気がつくことができた。
わたしは、執拗に髪型に執着のある変態だったという事実を、今になって突きつけられるとは思ってもいなかった。
ただ、今はめちゃくちゃ清々しい気持ちでいる。
でもこれですっきりした。
わたしは、その人の髪が好きなだけで、その人を好きになる必要がないということがわかった。
その人自身にはそもそも興味なんてないということがわかったのだ。
女性とお付き合いをしているときに感じていた違和感も全て解決した。
もうその人に興味がないと感じてしまう自分に嘘をつかなくてもよいのだ。
これからは自分の本当に好きなものだけを愛せる幸せを考えれば、心が踊らずになんていられますか?
今から妻に会うのが本当に楽しみで仕方がない。
[注意]
全ての人々の命が戦禍によって、人の手によって奪われることのないよう心から願っています。
既に**沖には**の**、推定**に登る被害が報告されています。
これを受けて日本国政府は非常事態宣言を発令し、全ての日本国民に避難命令を発令いたします。
直ちに**の攻撃を受けている地域から可能な限り離れてください。
繰り返します
ただ今避難命令を発令しました。少しでも安全な場所に逃げてください。隠れてください。ご自分の命を守る行動をとってください。
団体、あるいは個人の判断で抗戦することを政府は推奨致しません。
日本という資源に溢れる、価値ある島と資産が侵略者の手に落ちることが何を意味するのか。
今後の世界を考慮すれば、無抵抗で全ての所有物を差し出す行為は到底看過されるものではないでしょう。
私は最も臆病で無責任な人間として歴史に名を残すかもしれません。
それでも今、自国民の命を、それぞれの愛する人の命を何よりも優先させるという判断を下しました。
日本国という社会通念上の国家は間も無く解体され、一つの歴史が終わることになるでしょう。
この結果は第二次世界大戦を経た日本が平和主義に則り、自衛のための軍事力しか持たないという方針をとり**に頼ったことに起因するというのも一つの事実です。
しかし日本国民が情勢の安定を甘受し永遠の平和を夢見たこの数十年間を「平和ボケ」という言葉のもとに否定することは果たして正しいのでしょうか。
それは反省すべき間違いだったというのでしょうか。
私たちがその実現を切望する平和とは、断じて緊張によって維持された張り詰めた平和などではなく、全ての人が「平和ボケ」できるような真の安息を手に入れることであると信じます。
私たちは他でもない、その真の平和が訪れる日のために武器を捨てて命を守ります。
祖国が踏み躙られ、破壊されることは、あなたを武力による反撃に駆り立てるかもしれません。
しかし最も絶え難い苦しみ悲しみは、国民の命が失われることです。
どうか落ち着いて、日本を見捨てるためではなく日本を守るために今逃げてください。
愛する人と全員で生き残ることを諦めないでください。
生まれ育った風景が跡形もなく焼き尽くされるのは死ぬより辛いことのように感じられるかもしれません。
何よりも、私たち国民こそが日本であり、一人一人決して失われることを容認できませんし、するべきだとも思いません。
国土を失った民族となっても私たちはこの美しい島で過ごした日々を忘れない限り、日本国民として、日本国民であることを誇りに生きていけるはずです。
日本国が地球上の勢力図から無くなったとしても、どんな強大な国家もとい連合といえども日本列島を海中に沈め去ることはできません。
そして日本人は、どこにいようとも日本人であるという帰属意識を打ち砕かれることはないでしょう。
21世紀の今、国は国土だけにあるわけではありません。生きて新しい土地で、他でもない自らのより良く美しい人生を探求してください。
逃げてください。隠れてください。これは避難命令です。
[あとがき]
今一度言っておきます。以上の文は私の思想以外の論拠を持たない創作であり、参考として挙げるべきものもありません。
百歩譲って現実的・国際的な問題について傍に置いておくとしても、実際に「日本列島」と引き剥がされた日本民族が何年、何世代民族の同一性を保っていられるのか。
それは「肉体を失った魂」か、あるいは「魂を失った肉体」に例えることができるかもしれません。
上の文で描かれたものは「お国のために自らを擲つ殉国」の美徳を全時代的な全体主義の思想として批判した上で、「世界平和のために一国を殉ずる」という美徳に基づき最高権力者が国防を放棄する一種の無理心中と言えます。
私たちは前者の美徳を経験した上で反省点としてその恐ろしさを認識しています。
後者の美徳の実現に関しては有史以降前人未到の夢物語でしかありません。
それでも、それぞれ好悪善悪を超えてある種の「美しさ」を感じさせるレトリックではないでしょうか。
私個人は上述の内閣総理大臣のような「命あっての物種」思想を持っていますが、前者の美徳にも共感する者です。
「国を守るために死ぬ」ことを厭わない国家単位の「究極の共感」は社会的生物である我々にかつて経験したことのない高揚をもたらすでしょう。
そのエクスタシーの頂点で敵の兵器によって鮮血とともに命を散らせるのは、一生分の生きがいにも相当する劇的経験かもしれません。
あくまで前時代的であると感じ懐疑的ではあるにせよ、私は殉国を志す人のことを止める術を持ち得ませんし、やりたいようにやったらいいと思います。
何者かの操作によって無意識のうちに行動させられているのではなく、熟慮の果てに可能な限り内発的に選んだ道であれば、ですが。
以前手紙を書きながら、この速度感いいな?!となったので懲りずに書いてます。よっぽど気が向いたら読んでください。
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ラインの既読機能が苦手です。いつ読んだかとか読んでないとか、、手紙はそういうのないから気が楽だな。読まなくてもいいし、読まれないかもと思うと、不思議と素直になれる。
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逆に私は_さんのどこが好きなのか考えて、昔の日記もぜんぶ読み返して、結論は、見た目でした。
今だから言いますが、どタイプです。めちゃくちゃ好み。そそられる。いちばん好きな部位は、、全身360゜ナイスだけど、、ふくらはぎかな。すっごくきれい!
なんて美しい人なんだろう。好きすぎる。私は_さんにつりあう人間ではない、できる限り魅力的に映りたい!でもこの人、何を考えてるんだろう?
_月に初めて話したときから、私の原動力は性欲でした。言いすぎか。でも恋って性欲じゃないの?
何を考えているの?と問うのをやめてみました。立ち入らないことにしよう。わからないってことを尊重しよう。別々の場所ですごして異なる受容体をもつ他人同士が、知り合う、わかりあうなんてそもそも無理なんだ。
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結果として、_さんの価値観をないがしろにする行動に出たことを、後悔しています。
ごめんなさい。
セフレになりたいわけではなかったんです。
でもさわりたい。内面にふれることができないならせめて。_さんはセックスに愛が必要だと言う。それ性欲のマイルドなやつじゃないの?恋と愛は何が違うの?そんな、誰に対しても欲情するわけじゃない。他の誰でもなく、_さんに、さわりたい。けどさわれない。私は_さんをなにひとつ知ることができない。頭痛も快感もわかりあえない。だけどこれ以上立ち入った話をしたらきっと拒絶される。。
.
.
立ち入らないということは、受け身でいるということです。受け身ばかりでは、勝てません。
いつしか、私は負けているんだ、1位には程遠いんだ、最後に選ばれるのは私ではない、、妄想からの執着、不安と嫉妬が全身に充満していました。なにひとつ現実ではなく、ただの思い込みで、本人に訊けばはっきりすることなのに。
私は自分の想像力を全く制御できません。爆発的な負の感情。疲れた。腫瘍でしかない。切り落としたい。
だから_さんが荒療治をさずけてくれたことに、とても感謝しています。
助かった。
醒めました。
勝負と考える時点で何かがずれていることに、やっと気づきました。_さんは標的、獲物だったのか。手に入れたら終了?私は_さんに向き合っていない。自分勝手に設定したゴールに押し込もうとしているだけだ。
.
.
私は_さんをどう思ってるのか?
どういう関係になりたいのか?
.
あらためて、打算を抜きにして、考えました。打算を抜くのになかなかの時間とエネルギーを費やしました。
もし目の前にあなたがいたら、気持ちをどんな言葉で伝えるだろう。
「好き」とは言えるけど、「つきあいたい」とは言えるかな。
友達でも恋人でもない、そんな categorizeできるような、一般的な関係にはなれない気がする。
でも、絶縁はやだな。
さみしいな。
そう思って手紙を書きました。読んだ?読んだからラインくれたのかな。
ありがとうね。
実はね、あの日、もうブロックされてると思ってて、どうせ届かないし好き放題言っちゃえ〜てなったの笑
うれしかった。
初めて、コミュニケーションがきちんと一往復した感じがした。
ということはこの_ヶ月間の私は、一人相撲だったのか?_さんはずーーっと隣にいてくれて、きいてもないのに始まる自分語りに静かに耳を傾けてくれていたのに、私は見栄と性欲と妄想に振り回されていただけだったのか?私は一体なにと戦っていたのだ、to be continued...
これくらいにしとこう。もう十分伝わったからね。
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出会う前と後で、明らかに異なっています。いろいろな事柄が。事柄に対する私の反応が。
当事者としての人生に直面したというのでしょうか?役割を演じるのではなく、目標から逆算するのでもなく、、
今までの私にとって人間関係は利害と役割だったので、この構造はとても新鮮で、むずかしいです。
とてもchallengingだな、と思います。
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自意識過剰で保守的で不器用で、めんどくさい・まわりくどい・しんきくさいの三位一体みたいな私につきあってくれて、本当にありがとう。
あらためて、_さんのことが好きです。外見だけじゃないです。この場合は_さんの私に対する態度が好きという意味。
やさしい人。
臆病で、極端で、疑い深くなることが恋なら、もう、やめたいな。
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ここ数年海外を中心に「ファッション誌にわざとブスを使おう」キャンペーンが盛り上がってるじゃん。
それが日本にも徐々に広まってきてて、先日ゆりやんレトリィバァがピーチジョンの何かに出てるのを見た。
まあ感想は言わないでおく。
それにしてもモデルってほんとに綺麗で見栄えがいいんだね。
もちろん街を歩けば美人からブスまで目にするし、テレビにはブス女芸人なんかが溢れてるし、アダルトビデオでブスの醜い体を見たことも数えきれないほどある。
でも、ああいった形で商品のモデルとしてブスを目にする機会ってほとんどなかったじゃん。
「笑い」とか「性」みたいなものを取っ払った上でブスを「魅力的(なんでしょ?)」に提示してるのを見て
比較対象ができたおかげで改めて美しい人の美しさを再認識した。
「モデルとかただでかくて細くてちょっと可愛いだけだろ」なんて思ってたけど撤回します。
御見それしました。
腐女子だからこそ、受けが女おんなしぃのは受け付けないのは当たり前じゃないのか?
自分は腐女子じゃないから本人たちが本当にどう思っているかは知らん。
だが文化論を読む限り、腐女子というのは全世界におり、その事実から本人が「女性であること」が腐女子に傾倒する要素の一つだと考えられている。
女である限り、性的な関係にはいろいろめんどくさいあれこれが多く、リスクも高い。
美しい人間同士の恋愛関係(その先の性的関係)を心置きなく楽しむための装置として
これが仮に正しいのであれば、「受けが女おんなしい」ことはそのマイナス要素(女であるために性的な楽しみにのめりこめない)を不必要に想起させるわけだろう。
上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/4c14deb8308b2307deb2e2accc1cce01510563e0
前半で説明しているのは、男女で評価軸が異なるということであって、
美人はNGでイケメンはOK と言いたいわけじゃないんですよ。
しいてあげるなら、経済力ありそう と言われるのが近いよ という話しなのだ。
後半のチャームは、男女に共通する褒め言葉を使いましょうという文脈なので、
上野千鶴子さん的には、「チャーム」(=魅力的、すてき)は、男女共通に使える褒め言葉と認識しているのだろうと理解できる。
お前ら、ナマポが「やむを得ず困窮した善良な市民」とでも思ってるのかよ?あまりにおめでたすぎる。小綺麗な幻想に取り憑かれて、日本の最低最悪のナマポ制度を無批判に肯定する思考停止が多すぎる。
俺はナマポだ。そして支援団体のお世話になってる関係上、ナマポの実態をよく知っている。その俺が、どんな奴らがナマポを受けてるか実例を教えてやる。
・本人低学歴無収入酒タバコ中毒女、DV無職男と結婚し子供3人作って結婚生活破綻してナマポ。諸々混んで月40万受給中。
・DVバツ3男、子供は5人くらいいる、養育費は当然払ってない。保護費は全額パチンコに突っ込んで支援団体にたかってる。
・若いスマホ中毒女。書類上メンヘラだが詐病。無職と言う建前だが風俗で働いている。稼いだ金は全部スマホゲーにつぎ込んでる。
・高学歴無能リベラル。口を開けば社会批判ばっかりしている。本人は学歴がいいのが自慢みたいだがバイト経験しかない。
・重度のメンヘラ。しかし実態は無能なくせに高報酬の気鋭のベンチャーに行ってついていけずに勝手に潰れたゴミクズ。最近はウマ娘から競馬にハマって多額の借金を背負った。
一番ひどいのはこんなところだが、支援団体にお世話になってる人間なんてみんなクズで、話を聞けば酒ギャンブルタバコで支給日から1週間で金を使いきって、後は支援団体にたかるか、禁止されている借金(ナマポに貸すくらいだから、それなりのところだ)して更に無駄遣いするかの二択だ。
ナマポを恥じる気持ちも、脱出するつもりもない。何なら労働者や納税者を小馬鹿にしてすらいる。
そんなの例外だろと、小綺麗な増田様は思うかも知れないが、自分はナマポを受けはじめて、ケースワーカーと揉めて、合計3回引っ越したが、どこの市でも状況は同じだった。ナマポには向上心も、羞恥心も、現状を改善しようと言う気持ちもない。
働かずに金もらえてラッキー。金がなくなったら誰かにたかればいい。どいつもこいつもそんな考えをしている。
勿論、あまりに生活が切羽詰まった奴が、足のつかない日雇労働をするなんてのもざらにある話だ。収入報告なんて全くしないし、それを自慢しあっている。
働く意欲があるけど、働き先がなく、やむを得ず生活保護を受けて生活を維持しつつ、再建を目指す。
そんな生活保護受給者は、現実を知らない、お前らの脳内にしかいない。
ナマポを受けるような奴らは、みな他人にたかることしか考えてないゴミクズで、自立した生活を目指そうなんて奴は1人もいない。例外はない。
勿論、俺も例外ではない。詐病でナマポを受けているゴミクズの1つでしかない。今更働くつもりはない。
ただ、日本と言う国に対して、それなりに敬意は払っている。だからこそ、日本と言う国家の体力を削るだけの無意味なナマポ制度の廃止を強く訴える。しかしノーリスクでたかれる手段が提供されている上、たからないと言う選択肢はない。その選択肢を奪う、自力で稼げない人間に対する救済制度を廃止する必要性を強く感じる。
そうなれば、俺は死ぬしかなくなるが、それは当然のことだろう。いや、その言い方はおかしいな。ゴミクズが生きている訳ないんだから、死ぬこともない。ただゴミクズが適切に処理されるようになるだけだ。それが最低限の義務として自らを自ら処理することになるのか、あるいは公的な機関が処理を代行してくれるのは知らないが、とかくゴミクズを処理しない限りこの国に未来はない。
制度上、存在が許されているなら存在したいが、その制度が間違っている。ゴミクズは存在すべきではない。美しい国は自立して生活できる自助精神のある美しい人間だけが存在すべきだ。
ちょくちょくキスをしていた。
なんでキスをするようになったのかは
よく覚えてないんだけど
スキンシップの延長だったと思う。
小川くんは男なのにやたらと
手をつなぎたがる癖のあるやつだったんだけど
そういった癖もなんとなく
一度手をつないできたときに
うっかりと拒否しなかったら
そのあとも手を絡めてくるようになって
それを払いのけたら小川くんは
みんなで話をしていると、
僕は小川くんが納得するまでされるがままにされていた。
なんでキスなんてするようになったのか本当によく覚えていない。
僕が自身のことを信用できないことの根拠にもなっているのだけれど
とにかくどういう経緯で小川くんとキスするようになったのかはよく覚えていない。
廊下に誰もいなければ僕の手に手を絡めてくるし
これが基本パターンだ。
場所がトイレだったり学食への渡り廊下だったり特別教室だったり
体育館だったりするけれど
やってることは同じ。
ただそれだけだ。
小川くんに自宅で遊ぼうと誘われた。
僕が好きだったアニメを一緒に見ようとかなんとか言われたんだと思う。
そのとき僕は断った。
だから断った。
でもそれほど重大な決意をして断ったわけではない。
ちょっとその日は都合が悪いんだ、とそんな軽い感じで断ったのだ。
でも小川くんはそんなふうには受け取らなかった。
そしてその判断は間違っていなかったのかもしれない。
自覚はなかったけれど小川くんとのことはもう限界に近づいていたのだと思う。
僕の答えを聞いたときの小川くんの表情は忘れることが出来ないすごく不自然な無表情だった。
そして、じっと僕の目を覗き込んできて僕の心を読み取っているようだった。
だけど僕は小川くんの目から小川くんの考えていることはわからなかった。
その出来事の後から小川くんは僕を見るときにはすごく無表情な顔をするようになった。
時折じっと僕の目を覗き込んでくることがあったけれど、
そんなとき僕は目をそらすようになった。
そして小川くんはキスをしてこなくなったし手をつないでくることもなくなった。
僕は正直いうと少しホッとして
まかせているうちに
学年が変わってクラスが変わって
小川くんがその後どうなったのか僕は知らない。