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2020-08-09

anond:20200808225911

引っ越してCの呪縛から抜け出したと思ってたがそうでもなかったようだ

戦争呪縛

さいころ、母方の祖父祖母も同居する三世住宅に住んでた。

祖父祖母戦争経験者。祖父陸軍中野学校出身兵隊戦地に行ってた。

祖母は目が見えなかった。空襲の煙で目をやられてしまってよく見えなくなって、眼医者にいったら間違った薬を出されてそれを使ったがために両眼とも完全に失明していた。

しかった祖父戦争の話を全くしなかった。思い出したくないと言っていた。今ではなんで祖父戦争の話をしなかったのかよくわかる。

祖母戦時中の話をたまにした。自分の目がどういう風にだめになっていったのか、空襲がどれほど恐ろしかたか、家に泥棒が入っているのに近づいたら殺されるのがわかるから遠くから見ているだけしかできなかった話とか。

祖父はいつでも私に優しくて手をあげたりしなかったけれど、母は小さいころ祖父に木に縛り付けて叩かれたり棒で叩かれたと言っていた。

そしてそうやって育った母は私が何か怒られるようなことをするとよく叩いた。高校生になっても叩かれた記憶がある。

今思うと軍隊方式で鍛えられた祖父は、戦争が終わってもその呪縛からすぐには抜け出せなかったのではないかと思う。そうやって育てられた母も。

祖父は早くに癌で亡くなってしまった。目の見えない祖母が残された。祖母天皇ニュースが好きだった。それもなぜか今はわかる。

そういう思想教育を受けていたから。目の見えない祖母に新しい価値観を持てというのは難しすぎることだったと思う。

目の見えない祖母は、時代が大きく移り変わっていくことを見ることをできなかったから、自分の見た光景だけの中で生きていた。

贅沢は敵、楽しむことも敵、物を消費することも敵、目上の者は敬え従え、規律を守れ、そんな古びた厳しい価値観がいつでもゆるやかに家の中に漂っていた。

私の自我は大きく移り変わっていく時代自分の家の価値観の間に挟まれてうまく形成できずに大きく揺れ動き、大人になっても不安定メンタルを抱えて生きることとなった。

数年前に祖母が亡くなった。晩年、耳まで聞こえなくなってしまった祖母は、私たちに会うとずっと同じ話をし続けた。

祖母の頭の中にある世界祖母の見た光景。だいたいは祖母が小さかった頃の記憶

私はなんとかい相手と巡り会って結婚して、今は子どもを育てている。

私は子どもを叩かない。そしてめいっぱい生活を楽しむように心がけている。

子どもを叩かないことで、生活を楽しむことで、呪縛から抜け出せたような気がする。

そしてそれは私自身の復讐でもある。私の育った家を覆っていた戦争呪縛への。

2020-08-08

anond:20200808025834

そもそも精神障害者手帳が発行されてるレベルなので認知治療もなにも無いと思います

というか同棲の上での結婚なので夫婦間は納得済みでしょう

子は知らない。反対していないとは聞くが、そもそも子が反対したところで思いとどまらなそう感(そもそも勝手同棲してるし)

 

良い父母は無理だと思うけど “XXが出来ないといけない“みたいな呪縛から解放されるんじゃ無いですか

 

さて、自称結婚したい・恋人が欲しい方々はアラフィフと同じレベル人間が好きか?

2020-08-07

毒親呪縛から解けていたと思い込んでいた

中学生の頃「生まれてこなきゃ良かったのに」と母親に言われた当時はやっぱりショックだった。

それまで暴力暴言人格否定の数々は多々あったけれど、存在否定されるのは初めてだった。

目の前が真っ白になるというか、後頭部をガツンと殴られたような衝撃というか、一瞬だけ魂が抜けたような気がする。

 

そんなことを言った母親は泣いていた。

号泣しながら「お前が生まれてくると知っていたら産まなかった」と半狂乱になっていた。

 

私は泣かなかった。何も反論しなかった。

正確には何て言えばいいのか分からなかった。

 

ただよく分からない感情が頭をぐるぐるしていて、その後しばらくして自室に戻ると、訳も分からないままひっそりと泣いた。

でも頭の片隅で「いやお前もそこそこやぞ」「いい大人のくせに」と思った。

 

今では母親と縁が切れて数年経っている。

両親は離婚し、私は父親に着いた。

父親再婚した。父親もまた被害者だった。

 

母親がどこに住んでいるかは知らない。

連絡先も知らない。教えてもいない。

生きているか死んでいるかも分からない。

どうでもいい。

でも、少しだけ苦しんでいてくれたらいいな、と思っていた。

 

昨日の帰り道、電車の中で母親そっくり人間を目にした。

心臓が止まるかと思った。

そもそも電車に全く乗らない人だったし、マスクもしていたか他人の空似なんだろうけれど。

 

その瞬間漠然としたしんどさを思い出した。

当時に受けていた色んなことを思い出した。

しんどかった。

 

毒親と縁が切れて、恨みも怒りも消え失せて、完全に呪縛から解放されていると思い込んでいた。

単に忘れているだけだった。

 

いつになったら解放されるんだろう。

今度見かけたら一発ぶん殴りたいな。

もしくは「お前が親だと知っていたら私も生まれてこなかったわ」と反論したい。

 

どうでもいいけど「子供は親を選んでくるんだねぇ」っていうほのぼの漫画もしんどくて見てられない。

私も、きっと私の母親も、選べるなら選びたかったよ。

来世では選べるかな。

 

穏やかな気質ゆるふわ美女菜々緒似)の飼い猫がいい。

2020-08-01

なぁ、日常生活における「減点方式」のメリットを教えてくれよ

あえて煽り気味に書く。

進学校出身女性(が複数人集団にいる場合)に多いんだけど、メリットないところまで「減点方式」で考えてくるからやめてほしいと思っている。

対外的ビジネスや内部でのビジネスどちらでも、はじめにどんな形であれ目標到達点を設定すると思う。

この到達点の設定があまり理想的だし、そっからの減点もあまり恣意的で、生産性が著しく減じている。

新たに人を雇うことになった際に、まだ着任前なのに履歴書の細かなところを論って、

「こんな人とは一緒に働きたくないし、こんな履歴書の書き方ではこの業務のここに支障が出る」とか言い始める。

かにその人の履歴書結構常識的ではない部分があったのだが、結局今では戦力として不可欠の存在だ。

この人が戦力になったかどうかは、実はここでの問題本質ではない。

来るまえからあーだこーだ言って、配置の直しの相談をしたりとか、ツテを通じてその新人情報収集に余念がなかったり、そういうことをしていた。

新人が働けるか、は、働きそのもので見るべきで、事前の減点た値踏みで思考したり判断したりするものではないだろう。

「一緒に働きたくない」「業務に支障が出る」は、あくまで実地の仕事ぶりから判断するべきだ。

いちいち杞憂リソースを割くな。

実際勤務始めた際にも細かい誤りや、間違いから起因する面白エピソードばかりを給湯室的な噂にしたりとかして、その新人今日何をできたか、今週何をなし得たか、下から積み上げる発想が全くない。

ボトムアップ思想が必ずしも良いとも思えないのだけど、その思想がなく減点方式ばかりなのもまた問題だ。


「減点方式」は、その人自身へも影響を及ぼすと思っている。

要点は二つ。目標地点が高すぎることと、「減点」が厳しすぎることだ。

仕事でも私生活でも、目標わずかでも届かないと、「減点方式人間はとても落ち込むしモチベーションが下がる。

「減点方式」の人と、一緒に遊んだ仕事相談を受けることも結構あるんだけど、「え、なんでそんな難しいことを?」「それ、そもそも目標到達無理じゃない?」と思うことが多々ある。

できなかったことをくよくよするのは結構自分でもあるけど、しようとする事柄理想が高すぎ、かつ「減点」が厳しすぎる。それで物事が進まなかったり、くよくよする度合いがぐっと高まる

夜眠れなくなったり、あるいは薬を飲んだりとかってのもあるようだ。

こんな経験があるから、過度な「減点方式」ってのは何か呪縛のように人々の身体を蝕んでいるような気がする。

俺もどうかと思うけど、あえて、「目標なんてどうでもいい」とか、「私たちの「できた」or「できなかった」なんて瑣末なもので、苦しくなったら木星の大赤斑とか宇宙のことを考えると気が楽になる」とか極端な話を色々してみるんだけど、むずかしい。

しか仕事世界でも成果主義的な考えがはびこっている。それがないと生産性が高まらないとも思う。

「減点方式」をとる人々は優しいし優秀だ。きっとそういう世界で鍛錬を積んできたからそうした思考になるんだろう。

ただ、「減点方式」はあまりにも時代思考能力を狭めてしまってはいないだろうか。

社会模試じゃねーんだからさ、できたところまでできたらそれでいいのかも、とちょっと思って仕事すればいいと思う。

2020-07-29

自己肯定感を分解する

自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。

自己肯定感が低い(とされている)人は生きるのがつらい。自分が失敗してしまったとき、壁にぶつかったとき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。自分がなにか行動を起こすとき自己肯定感の低さが足かせになり、なかなか行動に移すことができない。そんな自分が嫌になり、どんどん消極的になってしまう。ひょっとすると、予想だにしない幸福が訪れた時でさえ、自己肯定感の低さがあだになり、それを素直に受け取ることができない。あるいは、実際にはそこまで不幸でもない現実自己肯定感の低さとのギャップを埋め合わせるために、ついつい自傷行為自分を傷つける媒体や人に走ってしまう。周りには自己肯定感の低い人が集まり相互作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。結果、生きるのがつらい。

逆に自己肯定感のある(とされている)人は、不幸や失敗にいちいち落ち込まずに、どんどん新しいチャレンジをすることができ、成功体験を積み上げやすい。経済的にも文化的にも幸福な友人や恋人に恵まれ幸せ人生を送ることができる。つまり自己肯定感を高めることができれば、今は不幸な人も幸せになれる。あらゆる問題仕事面、恋愛家族関係がうまくいかないなど)が、自己肯定感問題還元され、幸福必要ソリューションです的な扱われ方をされるケースさえあるかもしれません。

果たして本当にそうでしょうか。例えば、自己肯定感の高い(とされている人)が、日々の暮らし自分自己肯定感の高さを認識することは少ないはず。呼吸をするとき空気存在意識することが無いように、ごく自然存在しているものだと思います。逆に自己肯定感が低い(とされている人)にとっては、四六時中自分を縛り付けている呪縛のようなものかもしれません。そのせいで、個別になんら関連性のない事柄自分の不幸な想像を駆使して結び付けてしまう。文字通り概念に縛られている状態といえるかもしれません。

実際には、自己に対する否定感情は、(人によりその頻度や強度は様々でしょうが)その時の環境や本人の体調に大きく作用され、瞬間的・個別的に発生するものです。単なる推測にすぎないのですが、おそらく瞬間的な自己否定感情が習慣化してしまい、負のスパイラルに陥ってしまっている状態の人=自己肯定感の低いと認識してしまっているのだと思います自己肯定感が低いことを内面化してしまうと、個別事実を冷静に観察できなくなり、本来解決可能問題に対しても自己肯定感の低さを理由に、適切な解決策を考えることができなくなってしまます

(私は精神科でもなんでもないのでいち素人の考えたことに過ぎないという前提のもと)もし、あなた上記のような状態になってしまっているとしたら、取り組むべき課題は「自己肯定感を高める」という抽象的な何かではなく、自己否定感情を覚える個別事柄に対し、以下の順序で対処を試みることなのかもしれません。

1.まずは、自己否定感情を覚えた瞬間を認知する

2.その時の外的要因(人間関係とか仕事とか)と内的要因(体調とか心理状態とか)を把握する

3.上記の瞬間を類型化する

4.その類型ごとに大まかな対処法を考えてみる

5.上記を一つでも良いので実践してみる

6.日常的なセルフコントロール(体調管理精神管理、瞑運菜眠など)を実践してみる

詳しくは知りませんが、上記一般的精神診療などで用いられる認知行動療法と同じようなもので、特に目新しさはありません。長々書いてきて、結局xevraさんと同じ結論かよ

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xevra 2020/07/27

運動瞑想睡眠野菜を徹底してる人は自己肯定感と言う言葉のもの意味が分からない。自分自分肯定否定もない。ダメな所も良い所もあるただの人間だ。下らない概念に振り回される意味が分からない

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と言われるのも少し不満なので、一つ私の話をしようと思います

私はもともと自分自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。というのも、そもそも自分他人人生に興味・関心が薄く、そのためか、強く共感したり、感動するとか、ましてや人を好き/嫌いになるとか、(物心ついて四半世紀が経ちますが)これまであんまりピンときていなかったんですね。それって自己肯定感が高いのではなく、単に自己/他己に対する関心を失っているだけではないかと思ったのです。

その意味では自分を好き/嫌いになれる人というのは(一切の皮肉抜きで)向上心のある人なんだなと思いますし、他人人生に深く共感できるというのは羨ましくもあります。もしかしたら、三人兄弟末っ子でまあまあ放置されて育ったこともあるかもしれません。自分を嫌いになることだって、裏を返せば自己愛が豊かな証拠だと思うのです。例えば、人が問題に直面した時に自己否定感情を覚える現象は、私から見れば、(自己愛が豊か/理想が高いが故に)自分が劣った人間だということを直視できず、現実理想ギャップを埋めるために、自己評価を下げることで帳尻を合わせるという、一種防衛反応のように感じます

壁にぶち当たった時に、自己理由を求めるのは自分を大切にする心が備わっているからです。私のような自分他人いまいち興味の持てない人間は、環境他者自分の行動をシステマチックに整理して対策を考えますふわふわ物事自己問題を離れ、幽体離脱し、神の視点から考えている感じ。故にあまり落ち込んだりしないので、切り替えが早いとか仕事が早いといわれることもありますが、(反面無自覚に人を傷つける言葉を使ってしまうこともしばしば)本当に良い仕事、人の心を動かす言葉を紡ぐことはできないのではないか、と最近思います

なのでもし、あなた自己肯定感の低い人間だと自分認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。自己肯定感の低いという概念内面化せずに、目先の現象を都度観察し、一つ一つ対処を考え潰していくことができれば、とても感情豊で理想の高い人生をおくれるはず。そんなふうに私は考えています

2020-07-22

anond:20200722083620

親が犯罪者犯罪者じみていなければ、分籍して連絡先を教えないだけで絶縁出来る

分籍は20歳以上なら他に条件は要らない

下記を役所に持ってくだけで出来る


親が犯罪者じみている場合は下記かね。あとは海外へ行くか


氏名を変えたい


 > 具体的には、親から幼少時に暴力行為性的虐待などを受けた場合 など



判例大阪家裁 平成9年4月1日審判平成8年(家)574号、575号

 本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、

長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、

激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。

そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。

申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者被害行為を想起して強い精神苦痛を感じている。

申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代象徴する名前を変更して、

被害行為過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているかである

 上記事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、

社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、

主観的しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である

主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、

氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定事実に照らせば、

戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、

申立人が氏を変更するについて、戸籍107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、

また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、

同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。


子どもの虹 情報研究センター

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf

2020-07-18

コロナ禍で推し声優から降りた

私は、5年間ほどですが、推していた大好きな男性声優さんがいました。

その方は、推し始めた時はまだ若手でしたが、今では所謂中堅声優と若手声優の間くらいの立ち位置アニメは毎期何かしらの作品には出演しているし、ラジオレギュラーを何本か持っています最近…ここ1、2年ほどですが念願のソロデビュー果たしていて、推していて本当に楽しい方でした。

出演作品ラジオは勿論ですが、イベントライブ、稀に出演される舞台も、全通は無理でしたができる限りは追っていました。載っている雑誌死ぬほど買いましたし、CDも積みまくりました。

推し応援することが生きがいだと思っていましたし、実際そうだったと思います

でも振り返ってみると、本当に推していて楽しかったのは最初の2年くらいだった気がします。

初めて推し現場に行った時のことをよく覚えています

その当時持っていた1番可愛いと思う服を着て、何回も書き直して書いたお手紙を用意して、電車や会場までの道順を何回もチェックして…。開演の1時間前には会場近くでドキドキしながら友達推しの曲を聴いて待機していました。

初めて推しを生で見て、「本当に生きてるんだ…」と感動しました。思わず泣いてしまうくらい興奮して、ステージの上でキラキラ輝いている推し世界一カッコよく思えました。

日経ってもその姿、声が忘れられなくて、推しへの「大好き」がどんどん膨らんでいって胸がいっぱいで、苦しくもありましたが、それ以上に幸せでした。

この時は私も高校生で、推しに毎月のように会うことは難しかったというのもあってか、推しに会いに行ったイベントは全部特別で大切でした。

ですが、数年経つと私の推しへの心持ちは変わりました。

もちろん、推しへの「好き」という気持ちはまだあります。でも、推し応援し始めたばかりの時の過去自分と同じくらいの熱量は今、全く持てません。

推しイベントに行っても現場慣れなのかなんなのか、全然高揚感はないし、面白いと思う時もあるけどシンプルに内容がつまらなかったなと思う時も増えてきました。手紙を書く回数も減りました(自己満なのは分かっていたのですが、お手紙を受け取っている様子が全く感じられず勝手に悲しくなったからです)し、推しへの熱量が無くなっていくことをなんとなく自分の中で自覚してきました。

でも、猛烈に推しを好きだった過去自分を思い出してしまうと振り切れませんでした。

回数は減りましたが、なんとなく現場に行って、なんとなく雑誌を買って、なんとなくCDを買って…

この「なんとなく」が、少しずつ重荷に感じてくるようになりました。「行きたい!買いたい!聴きたい!」が「行かなきゃ、買わなきゃ、聴かなきゃ」に変わっていました。今思えば推しを追うことに義務を感じていたのだと思います

そして今、コロナの影響で現場はすべて潰れました。行く予定だったイベントは先日すべて払い戻されました。

イベントもない。CD発売もない。推しから供給ほとんどない。

とうとう私は重荷に感じていた「なんとなく」の呪縛から解放されてしまいました。

なんだか寂しいようでもありますが、それ以上に私は、推しのいない今の生活普通生活として送れています推しへの興味がなくなったかというと、そういうわけでもないですが、謎の義務から解放されました。

とてもスッキリしました。

推しを降りるタイミングは今まで何度もあったはずなのにできなかったのは、決定的なきっかけがなかっただけだったのかな〜と思います

こうしてブログ記事にして文章にすることで、いよいよ自分の中でも整理がつきました。

長いこと応援させてくれた推しには感謝です。沢山の幸せときめきありがとう毎日しかった!推しは本当に素敵な人なので、幸せになってほしいと思うし、いつだかの雑誌で語っていた夢をぜひ叶えてほしいなと思っています

コロナ禍でオタ卒、担降りした方って私だけじゃないだろうな〜と思いながらもつらつら書きました。人それぞれに考えがあると思いますが、Twitterで各界隈で個人名を出して「担降りします」「ペンします」とかお気持ち表明してる方を見かけると、関係のない私でさえちょっともやっとするし、推してる方が見たら不快だろうし、わざわざ書くなよって感じだと思うので誰も見てないところに書きました。

推しは推せるときに推せ」って深いな〜。

2020-07-16

anond:20200716041434

一応、親子の縁を切る分籍してさらに氏を変えた人の判例も書いとく

親が犯罪者犯罪者じみてなければ分籍するだけで事足りるんだけど

5chで見かけた家族ガチャ大当たりしている人は分籍だけだったためか

親がどこへ逃げても追ってくるってあったな


氏名を変えたい


 > 具体的には、親から幼少時に暴力行為性的虐待などを受けた場合 など



判例大阪家裁 平成9年4月1日審判平成8年(家)574号、575号

 本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、

長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、

激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。

そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。

申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者被害行為を想起して強い精神苦痛を感じている。

申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代象徴する名前を変更して、

被害行為過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているかである

 上記事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、

社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、

主観的しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である

主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、

氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定事実に照らせば、

戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、

申立人が氏を変更するについて、戸籍法107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、

また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、

同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。


子どもの虹 情報研究センター

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf

2020-07-14

Twitterで見た「フェミニズム

 自粛中、あまりにも時間を持て余していて、色んなことを調べて、色んな人のツイートを見ていた。その中には、フェミニズムに関する内容も多かった。私は大学ジェンダー論について多少かじったので興味深く見ていたのだが、なんとなく、自分とこの熱心にツイートしている「フェミニスト」の人たちとはおそらく一生合わないのだろうな、と感じた。

 ここから先は大変不勉強、かつ個人見解で喋るので、もしあなた不愉快に感じたとしたら許してほしい。それは私の落ち度であり、ときに、もしかしたらあなたの落ち度かもしれない。

 誰が言っていたのか失念してしまったが、「フェミニズムとは女性のためだけではなく、男性にとっても生きやすい世の中にすることが目標だ」という趣旨言葉記憶に残っている。これについては、全面的に賛成だ。私個人フェミニズムに対する理解としては、「“男”や“女”ではなく、“人間”として生きていける社会を作ろう」という考え方なのだと思っている。今は女性に対する差別が主になっているが、男性女性も、性別理由にして不当に差別されることなく、不当に強制されることなく、保証されるべき権利保証されて生きていける世の中を作るのがフェミニズムなのだ、というのが私のフェミニズムに対する定義だ。

 エマ・ワトソンの主張なんかは、国連で行ったスピーチは全文読み、それ以外についてはかいつまんでしか見ていないが素晴らしいと思う。私が持つフェミニズム定義は、彼女の主張を読んで作られた部分が大きい(これは完全に余談だけれど、彼女ベルはとてもよかった。当時の女性としては変わり者、と呼ばれた知識を愛するベルと賢いエマ・ワトソンは、見た目がどうとかじゃなく、あり方が完全にマッチしていて、ずっとプリンセスの中でベルが1番好きだった私は、ベルが登場した瞬間に思わず劇場で泣いちゃったくらいだ)。

 だけど、Twitterで見かける「フェミニスト」はひどくぞんざいに、差別的な言葉男性攻撃する。「オス」「ちんさん」「ちん持ち」「性犯罪者予備軍」……。Twitterでこれらの言葉検索すれば、嫌になるほど出てくる。私自身が他人の悪意にめっぽう弱いのもあるが、見ていて気分が悪くなった。

 我こそはフェミニストですという方に聞きたいのだが、こうして男性を、女性が見ても不愉快言葉であげつらうことがフェミニズムなのだろうか?「女性という性別に生まれた」というだけで不当に差別されることがあってはならない事ならば、その逆もまた然りだ。「男性という性別に生まれた」というだけで、こんなにもひどい言葉を投げつけられる世の中であってはならない。もし、それが何かひどいことをした人であってもだ。それはその人自身が悪いのであって、男性という性別のものが悪いということには決して繋がらない。男性不愉快名称で呼び、生きているだけで「性犯罪者予備軍」と言うことは、今、女性一部の人からされている不当な差別と一体何が違うというのだろうか。皮肉にも彼女たちは、自身が最も嫌悪するものと、おそらくこの世で1番近しい存在なのだ

 また同じように、「脱コルセット」にも違和感を感じている。こちらは上手く言語化できないのだが、まず第一に、やはり「どんな人も生きやすい世の中であってほしい」という考え方が私の中で大きいということだ。脱コルセットとは、「女性ならばこうするべき」と押し付けられた義務に対して、髪を切り、化粧品を捨て、華美な服装をやめることでボイコットする行為だ。だからたぶん、私が思っていることは全くの見当違いなんだろうけれど、彼女たちは「脱コルセットをしないことは、加害者に加担していることと同じだ」と言う。しかし、同時に「強制なんてしていない」とも言うのだ。もう何が何だかからない。

 私は、人が好きな服を着て、好きな格好で生きることを否定したくはない。私は私で、誰かは誰かだ。誰かは私にはなれないし、私は誰かにはなれない。そこに口を出すべきではないし、出されるつもりもない。もちろん、法律常識範囲内で。

 しか彼女たちにとって、可愛い服を着たり、化粧をしたり、そういうのは全て「自分意思ではなく、男達によって作られた好み」だそうだ。この世の中で何かに影響されることなく作られるものなど無いのだし、それを言ってしまうと全て終わりな気もするのだけれど…。

 ただ、女性らしくかわいい服を着てお化粧していなければならない、男性らしくかっこいい服を着て髪をセットしていなければならないという呪縛に囚われてつらい思いをしている人にとって、「脱コルセット」という考え方が、その呪縛から逃れる手助けになってほしいとは思っている。命を削ってまで誰かの求める可愛いにならなくていいし、かっこいいにならなくてもいいのだ。

 でも私は、そうして男性を過剰に攻撃する「フェミニスト」たちがなぜそうなったのか、全く理解できないというわけではない。それは彼女たちが不当に差別され、虐げられてきたからに他ならず、救われることの無い地獄の中で生きてきた証左でもあるからだ。

 もしこれを読んで、あなたが何かを感じたなら、それを忌憚なく伝えてほしい。「同じ意見だ」でもいいし、「それは違う」でも構わない。でも、それを見て、私が自分意見を変えるかどうかまでは保証できない。もしかしたらなるほど、と思って考え方を変えるのかもしれないし、やっぱりわかり合えないな、と思うのかもしれない。ただ確かなことは、この話題に関して活発に議論することは、決して悪いことではないということだ。

2020-07-13

オタクゲームを作れ

これからは女オタク時代だ。

だが古い地球人にはそのことが理解できないようだ。

ならば女オタクゲームを作るのだ。

 

世代はどうあっても女オタク市民権を認めるつもりはないようだ。

なぜか?

オタクに対して古い価値観からくる侮りがあるから

 

侮りの例を上げるなら女にゲームは作れないというふうな偏見がある。

ゲームとは古い世代にとって、いわば安全地帯だ。

安全地帯に引きこもっていれば、煩わしい時代の流れに翻弄されることもない。

そして安全地帯存在ゆりかごとなり傲慢さを増長させる。

 

女の側にも「女はゲームは作らない」という思い込みがあるのではないか

だが、それは古い世代押し付けられた可能性を狭める呪縛に過ぎない。

そうした偏見呪縛を打ち破るために必要ものはなにか?

簡単だ、ゲームを作ってしまえばいい。

 

プログラムができない?

近頃ではゲームエンジンスクリプトエンジンというものもある。

現代人であればゲームを作ることは、そう難しいことではない。

本を一冊読めば、それで事足りる。

デジタルネイティブなら造作もないことだろう。

 

絵を描く才能がない?

それならばドット絵を描けばいい。

ドット絵漢字のようなものだ。

才能がなくても知識で補える。

 

女性ゲームは作れない?

現にフリーホラーゲーム界隈では女性作者と思しきものも見受けられる。

前例はある。

この流れをさらに加速させていくのだ。

 

ところで、なるほど、どうやら女オタクには感想が欲しいという欲求があるようだ。

であれば、なぜ小説などを書いているのだ?

ゲームという表現媒体動画配信サイトでの実況配信親和性がある。

感想が欲しいのであればなぜそうした土壌を活用しようとしない?

小説を書いて感想をもらえないのは言ってしまえば当然の一言で片付けられる。

 

オタクゲームを作ったとして、どうなるか?

よさげゲームを見つけたとして、それが女性作家によるものであった。

そのような出来事が頻発すればどうか?

化石じみた脳を持つ旧世代といえど認識を改めざるを得まい。

 

オタクゲームを作るのだ。

それは有識者とやらが雄弁に語るよりも、よほど大きな威力を持つ。

時代を動かすのは、そうしたことの積み重ねなのだ

2020-07-07

このトップブコメに星が集まるのを見て失望と怒りが沸いた

ので書き殴らせてくれ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200706194824

ビジネス所得を得てる層は、宇都宮氏と太郎はキツいんだよな…税が上がる未来しか見えない。自分大好きポピュリスト小池排除すると、現実的なのが小野氏だったりする。

 

東京都中小規模事業数の比率は全体の99%も占めると言われている。

からこそ、宇都宮健児も山本太郎中小企業や個人事業主地域経済を支える存在位置づけ、

マイナス分の補填都知事選公約に掲げていた。一方で小野泰介にはその視点が全く無い。

中小企業・個人事業主こそビジネス主体なのだが、ブコメの”ビジネス所得を得てる層”って誰だよ。

コロナ禍でも所得に影響なかった経営者資本家さんですか?一部をクソデカ主語で語んなよ。

そして、ちゃん公約読んでないだろ!

小野泰介の公約インフラぶっ壊して民営化進める方向なんだけど誰得なん?

このコロナ禍において、まだ民営化IR誘致、オリパラやりたいって発想が理解できない。

まず必要なのは疫病対策経済対策なんじゃないの?

 

あと、宇都宮健児や山本太郎政策はその財源が争点であり、

特に山本太郎法改正地方債の発行、国への交渉など前途多難かもしれないが、

日本蔓延している馬鹿げた緊縮の呪縛から解放されるためにも

理論可能であるなら東京都で試してみる価値はあった。

対して小野泰介の財源はテンプレ通り、知事報酬カット事業見直しとのこと。

小池さん既に95%も都の貯金を取り崩してしまいましたよ。

 

今後、このコロナ禍で被害にあった(これから被るかもしれない)中小企業・個人事業主などの救済を疎かにすることで

経済活性どころか生活困窮者さらに生み出すことになり、貧困化がより進むのが目に見えている。

恐らく第2波がきても国は災害認定しないし、これ以上の財政出動も行わないだろう。

この状況下で都の収入は大幅に減るわけだが、小野泰介の公約でどうやってコロナ対峙して復興目指すんだ?

どこが現実的なん?星つけて賛同してるブコメ民よ、説明してくれ。

 

竹中平蔵は叩くくせに小池百合子や小野泰介のような新自由主義者容認する。

東京富裕層が多いからなぁ”とか自分安全域にいるつもりでブコメしてるお前らこそ

将来は経済弱者にならないとは限らないんだぞ。

こういう本当の現実直視できないやつらが小池百合子を再選させてしまったんじゃないの?

何が”税が上がる未来しか見えない”だよ。いい加減その遅れた貨幣論意識アップデートしろよ。

2020-07-04

Dオタに刺される覚悟ができたのでディズニー嫌いだった理由を話す

私はかれこれ小学生くらいからずっとディズニーが嫌いだった。関東圏に住みながら中高6年間ディズニーに行かなかったし、ディズニーのグッズもほぼ持っていなかった。

最近になって結構知り合いかディズニー行こうと誘われることが多くなったのでディズニー嫌いの呪縛から解き放たれるためにここに吐き出されてもらう。

幼稚園から小学校5年生まで、私はディズニーが嫌いということは無かった。むしろどちらかといえば好きだった。ディズニーランドにも年1くらいで行ったしトイストーリーとか好きだったし、平均的にディズニー摂取する家庭だったと思う。

それが嫌いに変わったのは小学校6年生の時、一人の女のせいで私はディズニーが嫌いになった。

私が通っていた小学校では2年に一回クラス替えがあり、その女とは5年生の時に同じクラスになった。そいつディズニーの年パスを持っていて、持ち物全てがディズニーグッズという完全なDガチ勢だった。(このレベルじゃ全然ガチ勢じゃないかもしれないけど、当時の私はD界隈は良く知らないのでガチ勢だと感じた。)仮にそいつ名前をMとする。

Mはとにかくいけ好かない女だった。心が通っていて真っ直ぐで、真面目だった。悪くいえば頑固者で融通が聞かないタイプだった。今Mのような人が身近にいたらかっこいいなあと思うが、やんちゃを極めた小学生の私はMのことが苦手だった。

私は表に出して言わなかったもののMのことを敵対視していたし、いつか蹴落としてやろうと憎悪に似た執着を抱いていた。

Mのいけ好かないエピソードは沢山あるが、本題と逸れるので紹介は一つだけにしておく。

Mは結構趣味で、本を沢山読む女だった。私も本は読むほうだったがMとはジャンルが違った。私はらくだい魔女とか黒魔女さんとか小学生向けの娯楽本を読むのが好きだが、Mは純文学が好きだった。それだけなら方向性の違いってことで割り切れるのだが、Mは純文学以外の本のことを小馬鹿にしてきたのだ。「そんな本、なにが面白いのか分かんない。読むわけないじゃん」って具合に。さらに、私を含めそういった本を読む女子たちも同じように馬鹿にした。今思えばお互いクソほど幼稚だったな〜ってなるが、当時は(私はMより馬鹿じゃなかったのに)Mに馬鹿にされるのが嫌だったし読んでる本で人格を決めつけられるのが嫌だったのでMは人間のクズだと思っていた。(要するにお前の趣味こっちに押し付けるな、人の趣味バカにするなってこと)

まあ、そんなこんなで5年生で1年間接し6年生になる頃には完全なるMアンチbot私が完成していた。このまま卒業したらただのM大嫌い人間で終われたのだが、この後のMの行動ひとつで私はMアンチbotからディズニーアンチbot転向する。

私の通っていた小学校のある地区ではほとんどの生徒が中学受験をする。Mや私ももちろん受験する側だった(ちなみに私はMと校舎は違うが同じ塾だったので自分がMより頭がいいことを知っていた)。

私のクラスではクラス皆がほぼ受験するという暗黙の了解があったので、受験が終わるまで遊びに行った話はしない・遊びに誘わないというルールのようなもの存在した。それをMが破った。

きっかけはMのランドセルに入っていた去年までの年パスの亡骸(?)だった。

「わぁ〜、Mちゃん毎年ディズニーの年パス買ってるんだね〜」とMと仲のいい子。

「そうなの、今年も買ったんだけど受験からあんまり行けてなくて……。でも今度の日曜日、お父さんが連れて行ってくれるんだって!」

たぶんMにとっては他愛ない会話の一部だったんだろう。会話に参加してた子も「へえ、いいな〜」くらいで終わったし。

でもM嫌いの私にはMが自慢をしているようにしか聞こえなかった。あなた達は受験一生懸命だけれど私はディズニーに行く余裕もあるのよ、と言われているような気持ちだった。

すげぇ嫌だった。死ねばいいと思った。

だってディズニーに行きたかった。乗り物に乗りたかった。ファストパス取れるようなやつしか乗ったこと無かったかもっと他のも乗りたかった。ハニーハント乗りたかった。パレードだってずっと止まって見た事なかったから見たかった。ディズニーホテルまりたかった。ディズニーに行って沢山楽しみたかった。でも受験からって我慢してたのに。なんでお前だけ、ってお門違いな恨みぶつけて。

Mに対抗心を抱いた私はディズニーなんかなくても生きていけるしなんて馬鹿趣味を持った女なんだとMのことをバカにすることで嫉妬を抑えることに成功した。そしてディズニー嫌いになり、Mにこれ以上妬みを抱かないようにして生きることにした。

これが私がディズニーが嫌いになったいきさつだ。

振り返ってみると過去自分ぶん殴りてえ。だって心底軽蔑してたMの「趣味で人を判断する」って行いとほぼおなじ「人で趣味判断する」って行いをしてしまたから。

Mが嫌いをMが好きなディズニーが嫌いにすり替えて生きていたのだ。敵の味方は敵みたいな??

くそ、死にてぇ……。

この件について、Dオタの皆様には完全に言い逃れできないので思う存分刺してください……。反省してます

ちなみに今はもう吹っ切れたのでディズニー嫌いじゃないんですけど、吹っ切れたきっかけがMの年賀状だったんですよね。

Mとは卒業後も年賀状のやり取りだけ続いていて、前年度私が喪中で出せなかったのでことしは出しておくかあ(去年貰ったし)ってノリで出した。まあどうせMの年賀状自分ディズニー行ってきた自慢(ディズニーで撮った写真+ディズニー年賀状)なので特に期待せず待っていた。そしたら送られてきたのはディズニーじゃなかった。

自分で描いた絵だった。

しかも上手い。それでもう、どうでも良くなった。

2020-07-02

アニメ歴史を変えた作品たち

かに上げとくべき作品ある?

1979年 ガンダム

人間同士の戦争スポットを当てた、単純な敵と味方に塗り分けられないドラマメジャーにした。

1995年 エヴァ

その後のアニメ史に「謎」と「悩む主人公」の呪縛をかけた。

2006年 ハルヒ

アニメ陽キャを描いてもいいことを認めさせた。

2011年 まどマギ

テンプレートを逆手にとった手法メジャーものに押し上げた。

最初から脚本人事に不穏な匂いを隠しきれていなかったとはいえ

2017年 けもフレ

少人数スタジオでもヒット作は作れることを示した。

2020-07-01

元カレSNS事情を知りたすぎて、使ってるであろうメールアドレスとか、電話番号とかでアカウント作成したり、アカウントを、覗こうとしたり…

不正アクセスをしてしまった。

しかし、素人衝動行動でした不正アクセスなんて、普通に相手にわかるだろうから、おそらく、私がやっただろう疑惑… いや、確信を持たれているだろうと思う。

幸い警察から連絡が来たりはしてない。(郵便物事情確認出来てないからわからないけど。)

結果としては、Twitter目星をつけたアドレス登録してるって事と、フリーアドレスパスワードが私の名前誕生日から変わってたってことしかからなかったから、よりメンヘラ拍車がかかっただけだった。

別にその元カレと楽しくて幸せな日々ばかりだったかといえば、そんなことはなくて。別れるに至るまでの数ヶ月はなかなかに苦行だった。

特段、私のことを理解してくれてて、すごく愛情を感じていた。ってこともない。私は、好きだったけど、相手はそうでも無いように思えた。何を考えてるのかもよく分からない人だったし。

クソメンヘラネットストーカーになるに値するほどの人だったのか?といえば、まったくそんなことはないのに、、、

未練が残っている。別れたのはもう1年前の事なのに。

未練とは思いたくない。が、これは俗に未練というものだろう。攻略できなかった悔しさ。と言った方が私的にはしっくりくる。

20代ほとんどをその人と共にして、なにも残らず終わったのが虚無だ。

相手幸せになってもらっては納得がいかないのだ。

私の脳裏から離れないように、相手脳内も私のことで蝕まれていて欲しい。苦悩して欲しい。

無駄になった時間と、費やした若さと、呪縛されてる心に、謝罪をして、感謝をして、償って欲しい。

1度でいいから私が必要であることを心から伝えて欲しかった。相手の中ではずっと都合のいい女だったんだろうな。ご苦労極まりない。

ネットストーカーしたところで、相手幸せな状況が見えたらそれはそれで精神衛生上よろしくなかっただろうから結果的には見れなくてよかった。し、そんなことをしておいてどの面下げて会ったり電話したりもできないから、自業自得な最悪な結果だけど、そろそろ幕引きしたいものだ。

2020-06-28

anond:20200627152741

負けを認めたときからあらたな道が始まる。

常温に戻そうが、生卵を入れるということはお湯の温度を下げることに他ならない。

チキンなんとかのやつも欺瞞だ。やってみたやつはみんな知っている。

あと、温泉卵イメージしているなら、カップヌードルでは無理だ。

卵を固めるためには、白身温度、黄身→時間必要だ。

100℃で時間を短く→半熟のゆで卵

100度に達しない温度で、それなりの加熱時間温泉卵

だ。

ちなみに、元増田月見そばを食したことがあるのかね。

割り切って、3分後のカップヌードル生卵を落とす。

もしくは、器の呪縛から解き放たれて、鍋でカップヌードル調理する。

鍋の火にかければ、一分そこらで卵は良い具合になるのだが。

2020-06-24

anond:20200623194658

キモい」と思われる事が怖い、しかし、顔も、行動も、客観的に見れば「キモい」と思われても仕方が無い。


元増田の行動原理はこれに尽きるんだよ。


過去に「女」から酷い扱いをを受けたがゆえに、逆にこれ以上酷い扱いを「女」から受けたくないの裏返しになってる。

「女」から嫌われたくない。だから全ての女の意思尊重(酷く言うと媚びる)しているせいで矛盾が起きているんだ。


もう元増田過去に女から受けた呪いから自分を解かないといけないフェーズだ。

ちゃん自分ロジックにあった女の意見を受け入れるだけで良いんだ。おかしい奴は誰がどう見てもおかしいんだ。


俺もそうだったから分かる。

俺も地獄のように女にキモがられていたから、そんな存在するだけで女に迷惑を掛ける自分が少しでも女から存在してもいい存在になろうとしていた。

そしてこの元増田を読んで。元増田同じような葛藤自分も抱いていたことを思い出した。


元増田過去に女から酷い目にあってもミソジニーに落ちることがない優しい心を持った人だ。

ラディカルなどう考えても頭のおかしい女の言動まで受け入れないといけないという呪縛から解かれて欲しい。

2020-06-18

床オナの功罪

私は生まれてこのかた床オナ一筋で

生きてきた。


床オナには様々な利点がある。

しかし、その代償はあまりにも高かった。


私がはじめて床オナを覚えたのは忘れもしない、

小学校4年生の時だった。

私はある晩、

キューティーハニーFというアニメに出てくる

キューティーハニーミスティーハニーの対決

まりキャットファイトを思いだしながら

チンポを布団にすりつけていたところ

極度の快感に襲われ、トイレで白い液体を目にした。

それから私は隣で家族が寝てようが

おかまいなく布団で床オナをし始めた。

家族から動きを不信がられることがあっても、お尻フリフリダンスだと、言い訳して乗り切った。

床オナは一見うつ伏せに寝てるようにしか見えないため、家族がいても容易にできてしまうのだ。

事実は私は免許合宿で部屋が一緒だった

10年来の友人に気づかれずに床オナを

やってのけたことがある。


それが私の床オナ依存症を深刻化させた。



性欲を持て余したわたし

湯船で床オナをしたこともあった。

朝、床オナがガマンできず、

学校バイト遅刻したこともある。

現在では日に3回スマートフォン

を片手にキャットファイトAVを観ながら床オナをする毎日である

完全な床オナ依存症だ。


よく部屋に己の精液をぶちまけた

ティッシュがあるという話をよく聞くが私はトイレで全て洗い流すため

そのようなモノが部屋に散乱してることはない。

包茎である私は己の精液を包皮に

貯めたままトイレに向かうことが出来たのだ。




そんな私が最近になって女性

行為を初めておこない、挿入した。




しかしイケない。



私は今まで大宮ソープ

45分で5回通ったがすべて未発に

終わってしまった。


しょうがないので帰ってソープ内の出来事を思い出して床オナをするという

虚しい行為を繰り返している。


イケない理由については2つある。

フル勃起になれないこと、

包茎なことである


床オナはフル勃起より半勃起のほうが

キモチいい。

フル勃起で押しつけると快感を通り

こして激痛が走る。


勃起に慣れてしまった私のチンポは

フル勃起状態を維持することが大変

難しいのだ。

そのため膣から出すとすぐに萎えしまう。


さらに、私は包茎である

床オナ故に包茎になってしまった。


小学校四年生から床オナに慣れた私は

チンポの皮を

剥くという行為を全くしていなかった。


皮を被ったままでも十二分にキモチよいため剥く必要性がなかったのだ。


また、皮に隠れたちいさいチンポに慣れてしまっていた私は自らの亀頭グロいと感じるようになっていた。


そのため、チンポを剥かずに20代を迎えしまった。


しかも生まれてこのかた手でヌいた

ことがないため、慣れない

手コキではもちろんイケない


フェラでようやく勃起をする。

しかし、包茎の客に対し生フェラ

対応してくれる風俗嬢は極一部だ。

大抵はゴムフェラ対応となる。


ゴムフェラは皮にゴムを被せてる状態のためどうしてもフル勃起になるのは

難しい。


また、床オナの快感は膣に入れるより

圧倒的にキモチよい。


そんなわけで発射に失敗しているのだ。


そのような状況でも私の女性への

おっぱいと膣への欲求はおさまらない。

果たして、床オナと包茎という2つの

ディスアドバンテージを抱えながら

女性パートナーとして

選んでもらえるのだろうか。



床オナで味わう極上の快感と対価に

私は膣でイケない呪縛死ぬまで

戦い続けるのだ。

しかし、私は諦めない。

いつかイカせてくれる風俗嬢との出会い

夢見ている。

2020-06-16

EXPO'70 の呪縛

大阪万博会場3Dと、当時の写真が見れるサイトみつけて、ノスタルジックエモおしゃすぎて死にそうなのと、

1970年に生まれていなかったことを激しく悔やんだので、HP感想と、私のEXPO70の呪縛について語る。

https://www.asahi.com/special/expo70/#3d

(朝日新聞の回し者ではありません。政治思想とかもないので、あしからず)

こんなにエモちらかしたイベント、今やっても大盛況になるに決まってるじゃない。

しろ、今の日本経済状況で、こんな大規模に各国のパビリオンを作れるとは思えない。それが悲しい。そして1970年代の、生き生きとした日本ノスタルジックに語るかつての日本人たちと同じテンションで話せないのが悔しい。1970大阪万博テーマにした作品は数多くある。20世紀少年しろクレヨンしんちゃんのオトナ帝国しろ万博世代でなくてもノスタルジックに浸れるが、当時を経験している人々と同じ熱を持てるわけがなく、見聞きした情報脳内補完するしかないのだ。

これはクリエイター作風にも影響すると思う。共通言語で語れる何かは、その世代の時を生きる人たちに対して、何らかの影響を人生に及ぼしたるものであり、共感を与える。語らずとも全国民が共有して認識している事柄、そして気持ちを揺さぶる何かに1970年があることが、とても羨ましいのだ。

翻って、我々の世代での共通言語とは何か。私が物心ついた時から記憶では、地下鉄サリン阪神・淡路大震災9.113.11、そしてコロナだ。これらは、世界レベルでの共通言語かもしれないが、ちっとも、たのしくない。わくわくしない。ノスタルジックを感じさせるものではない。なんなんだろう。

大阪万博のに関連したキーワードは、とっても心が踊る。「エキスポ」「パビリオン」「人類進歩調和」どれもなんか楽しそうで、なんかかっこいい。インターネットもなく、情報が少ない時代に、情報がとんでもなく詰まった、夢のテーマパークが、現れたらそりゃ楽しいよね。現代は逆で、情報過多な社会と言われている。取捨選択しないと自殺まで追い込まれるくらいに情報が多い。

楽しい自由は、ある程度の不自由の上に成り立つと思っていて、制限がある中でその隙間をぬって自由を見つけるから達成感があるのかなと思う。授業中にマンガ読み放題だったら、多分読まない。今は情報が多過ぎるがゆえに、しんどいニュースがいっぱい拾い上げられやすいのかなと思う。誰かを叩いたり、妬んだりのほうが視聴率アクセス数が稼げて、キラキラした未来の裏を暴露して足引っ張ったり、前向きなことやるより後ろ向きなことを世に出したほうが短期的にお金稼げるのかなと思う。

あとは勢いが出なくなってる。でけーイベントやろうと思うと、ある程度頭空っぽにして、イケイドンドンで進めていく人がいないと、周りの意見ぜーんぶきいてたら企画倒れすると思う。岡本太郎太陽の塔、当時だって反対する人が沢山いたというのだから、今だったらできてないかも。後世から見て賞賛されることも、現世で叩き潰されたら、なんも残らんなと。保守的に立ち振る舞うのが今のSNS社会処世術だけど、破天荒やばい人が拾い上げられなくなってる気がして、なんでも世論に問いかけて同意を得るのは違うんじゃねーか、と、渋谷駅岡本太郎の絵を眺めながら、思った次第であります

2020-06-09

こじらせた女

きっと誰も読まないだろうけど、読んで気持ちのいいものじゃないと思います

だけど、誰かが読んでくれる可能性があるところに投げておきたいからここに。

こんな暗くてじめっとした自分語りをもしも読んでくれた人がいたなら、罵倒でも何でも構わないので何か反応をくれたら嬉しいです。

仕事休み始めて一か月半ほど経った。

理由はお察しの通りコロナの影響で。

ぶっちゃけ別にウイルスにかかって死ぬのはどうだってよかったけど、休めるならばと休暇を申し出た。


何もしなくてもいい一か月半の中でいろんなことを考えすぎたのか、常に死にたい

もともと希死念慮と肩組んで歩いてきたような人生だったけど。


暇な時間が多いと余計なことばかり考えてしまう。

自分仕事が本当に自分に合ってるのかとか、このまま生きてても何もいいことないんじゃないか普段底辺だと思って見下している人たちと同じようになってしまうんじゃないか自分はなんでこんなにひねくれているんだろう、とか。

世の中の人たちが嫌だと言いながらも耐えられていることが私にはどうしようもなく耐え難い。


人が苦手なのに接客業を選んでしまったが故に、興味のない他人のために働く日々。

ストレス発散のために仕事終わりの夜中に大量の食べ物を胃袋に詰め込んで、また我慢できなかったと自己嫌悪に陥りながら眠る夜。

やりたいことはたくさんあるはずなのに休みの日はすべてを遮断したくて寝続けるだけ。

夕方に目覚めて何もできなかった自分に嫌気がさして、何もできずに布団から天井を見つめる。

そうやってどんどん自分を嫌いになって、自分未来希望を持てなくなって、死にたくなる。


とにかく人と会いたくない。他人がすべて敵に見える。

人に自分認識されることが怖い。なるべく視界に入れてほしくないし、入れたくない。

知らない人に批判されたくないし、下に見られたくない。

常に誰かを見下すことでしか自分を支えていられない。

それなのに大した能力もないうえに努力もできない。

友達キラキラした生活がうらやましくて妬ましい。



10代のころから何一つ変わらない。重ねた歳の数だけ自分を嫌いになってきた。

そうやって生きてきてもう23歳。若さだけで必要とされる年齢ももうそろそろ終わってしまう。

何かを変えたいけれど、何から変えていいのかもわからない。

仕事も、自分も、環境も、何もかも変えてしまいたいのに、それをするのは容易じゃない。

仮にそれを乗り越えたときに私はいくつになっているんだろう。

世間から与えられた年齢の呪縛から逃れられない。

世間他人から評価を気にする必要はないと自分に何度言い聞かせても気にしてしまう。

すべてリセットしたいから、死ぬしかない。

そう思っては両親への申し訳なさで涙が出る。

私は人から世間から到底必要としてもらえるような人間じゃないのに、生まれしまたから生きるしかないことがただつらい。

最初からいなかったことになればいいと心から思う。

私なんかが死んだことを誰にも悲しんでほしくないから、最初からいなかったことになればいい。

それかいっそ誰かに、何かに殺されてしまえばいい。

そうすれば私は「若くして死んでしまたかわいそうな人」になれるし、自分の死に責任を持たなくて済む。


そんなことを考えてまた一日が終わる。何も成さぬまま、何も動かぬまま。

そうしてベッドの中で、身の丈に余る野望とプライドを持ち合わせてしまった自分を恨みながら眠る


いつになったら私は救われますか。

2020-06-02

ダクソ2(カーゴ100円)日記

ラスボス3連戦クリア

結局呪縛者の頃ほど理不尽な敵は現れず、つつがなくクリア

面白さと苦痛が程よいバランスだったけど、すげー面白い、ってほどでもない。

若いプレイしたキングスフィールドのほうがダンマスなんかとの親和性もあって楽しかった覚えがある。

あれはあれで苦痛な難度だけど。

2020-05-28

ダクソ2(カーゴワンコイン100円)日記

呪縛者でクソゲーと思ってた。

実はそれ以外バランス取れてて良げーじゃあないですか。

無理ゲーっぽいボス解決策があって、それを探したり考えたりするのが楽しい

なんで低評価なの。

もう終盤付近ヴァンクラッド王も倒したし、あとは何しようかという感じ。

まー、ただあれだね。

中古ってオンライン要素は諦めないとだめだからそこだけつらみがある。

2020-05-24

学校では勉強の仕方は教えない

支配のされ方しか教わった記憶がない

指示または許可されたこしかやってはいけない

卒業式はこの呪縛を解いてくれなかった

社会に出たら、周囲は「自分で考えろ」を強調して、それができない私を責める

本当はそんなこと望んで無いくせに

空気読め、忖度しろと言うくせに

どいつもこいつも私の利用価値しか興味がない

しかし私はそんな彼らにすがることでしか生きていくことができない

何もかもが憎い

こんな世界は大嫌いだ

2020-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20200424123040

11

あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。

彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。

サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。

工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家特定産業癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。

しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。

たとえば子どもたちが義務教育間中に学ぶのは、国語算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムバックボーンだった。

集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。

そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術障害しかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通無駄になってしまう。

本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。

しかし(本当の意味で)より合理的システムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。

安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者政治判断に反映される。

政治家特定産業癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。

実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者自殺者を生んだだけだった。

失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。

そして中途半端に壊れ、(一部の人意図に沿って)中途半端機能する、中途半端システムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。

ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。

それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。

それだけが、完全なる破壊遂行できた。特定意図の介入を阻むことができた。

破壊の後の自由の上で、それぞれの技術本来能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。

場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気清浄化するシステムや、生体情報管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。

変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。

2020-05-19

anond:20200519221142

別に日本特権が失われた所で大したことはありません

国力を下げましょう

海外企業を誘致しましょう

そうして呪縛から解き放つのが一番優れたコロナとアベの解決法ですから

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