はてなキーワード: 発言者とは
えー、こちら、最初のnoteがバズってから何となく眺めている程度の野次馬一号です。原作は好きだけど二次には触れていない、界隈外腐。
noteがトレパクという盗作疑惑をふっかけられた場合の対処法として120点満点の名文だったという理由で興味を深め、未だに経緯を追い掛けています。なるべく丸く収まって関係者全員の傷が浅いといいねと思って頭の隅っこにしかなくなった頃に、お祓い炎上が目に入ってきて、思い出して検索したら、わぁ燃え広がってるしえっぐい増田が目立つやん…と幾つかを斜め読みした結果、多少毛色の違う増田も投稿しといてやんよとお気持ち投稿をしにきました。
当事者のKさんAさんZさんではなく、本来無関係な大勢にまつわる話です。
ちなみに私の個人的主観で名文であったからといって羅列された情報の正確性に関しては何ら保証されないのだし、少なくとも双方から話を聞かなければ当事者間で起きた出来事の客観的判断は不可能だと思っています。
更には名文と褒めそやしながらも読んだ内容を完全に記憶してなどまったくいないので、noteの内容で誤情報を流したらすみません。私の記憶力は当てにならないので怪しい部分はご本人様の発信分で確認してください。
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
④デマ?でもパクってるよ
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
⑩まとめ
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
平素の振る舞いや作品で積み重ねた好感度ないしヘイトは、今回の問題とは無関係です。良い悪いの基準はさておき、良い人であれば道を誤らないわけではなく、悪い人なら必ず問題を起こすわけではありません。
むしろ知らないから今回の件に絞っての客観的な印象を抱けるのではないでしょうか。
もしも「界隈内の者でなければ分からない事情や感覚を判断に用いているので、外の者と意見が異なって当然」と考えているのであれば、それは極めて狭い社会の中でしか通用しない、一般感覚と乖離したルールに縛られている証ではないかと思います。どこかで、界隈の空気やローカルルールを俯瞰して客観性を取り戻す気付きを得られれば良いですねとしか言いようがありません。
だから私みたいなのが乱入してんだろと言われればそこはその通りですが、根本的な原因の追求としては誤りです。
前提として、トレパク即ち盗作とは著作権の侵害であり、親告罪なので、権利者と侵害者または侵害疑惑のある者との間でしか成立しません。本人同士の問題です。
盗用でも相手が海賊版を製作販売している業者であったなら買わないようにと広く呼びかけるのは真っ当な対策ですが、個人同士が、しかも趣味の範疇で活動しているのであれば、当事者間のみで片をつけるべきだったのではないでしょうか。
最初に無関係な外野を呼び込んだのは、不特定多数に向け「助けて」と発言して問題が起きていると知らせた上で救援を望んだ、つまり事態への参入を求めたのは、誰でしょうか。しかも救援とは、具体策やその時点で考えている解決へ向けた道筋等を添えていなかったのではありませんか。救助を要請したは良いが方針も度合いも示さない、加えて不特定多数に発信した以上、事態が発言者にすら制御不能の状態になるのは当然ではありませんか?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
バズったのは結果です。これバズらせたろ!で万バズ狙うのは難易度が高すぎます。
そもそもなぜKさんがnoteを出したのか。不特定多数の前で疑惑をかけられたから、不特定多数に向けて弁明を発信せざるを得なかったのですよね。
ネットで先にデマ(あえてデマと表現する理由は後述)を流されると、後からの反論は極めて難しい。○○って××なんだって〜、と誤った豆知識等がバズった時、間違いですよと大勢が発信しても、一度流れたデマはなかなか取り消せません。間違った知識を覚えたままの人がいつまでも残り続けます。
人々の頭に一旦入ったデマの払拭は、デマ以上の拡散力がなければ成しえません。狙った万バズではなかったにせよ、今回、後出しにあたる反論の方が広く拡散されたのは良い事例だったと、私個人は思います。
拡散による界隈の評判云々は、外野から言わせてもらえば、「どこの界隈にも変な人がいてやべー問題が起きることはあるよね」でしかないので、「これだから○○(CP名)は」なんて別に言いません。所詮どこででも起こりうるので作品やCPの民度は言及に値しないし、一部がおかしければ全員がおかしいなんてわけはない。そう思わない人も当然いるでしょうけどね。
④デマ?でもパクってるよ
検証および告発を行った人が冤罪だったと言っているのですから、盗作ではなかったとの結論が出ています。私は絵に造詣が深くないため絵の検証には何の感想も出しませんが、その結論が現時点で誰からでも確認可能な事実情報です。
どちらの肩を持つ気もありませんが、盗作疑惑に関しては冤罪被害が確定しているのでKさんを被害者として扱います。
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
絵柄を多少模倣したところで何の罪にも問われません。著名なクリエイターだって先人からの模倣や影響を取り込んで創作している、と私は認識しています。
影響度合いにもよるだろと言われれば、他ジャンル、一例として松の二次作品群を確認してきてみてはいかがですかと返答します。Kさんと手本にしたとされる方の絵とは見比べていないので知りませんが、私が調べていないのは模倣であれば検証の必要性を感じないからです。
民事ですら問題にならないので、個人の好き嫌いとお気持ちの範疇です。そしてお気持ちを理由に罪なき他人を攻撃するのは、それこそ不当な行いだと思います。
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
デマをふっかけられた被害者は、自身の名誉のため声を上げるとと公共の福祉に反するので、泣き寝入りしろと?
あなたの大切な人が同じ立場に立たされても、「かわいそう。でも界隈のためにパクラーの汚名と人々の軽蔑を甘受して沈黙しててね」と理不尽さの追い討ちをかけるのでしょうか。無茶言うな。
第一、note公開のDMが偽造でない限り、Aさんが公表の許可を出していたと記憶しています。当事者同士が同意のもとで行ったのに結果から見て一方のみのアクションを非難はできません。noteを出したのが悪いのなら、それを認めたのも等しく悪いということになります。
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
もう一方の話を聞こうにも現在は不可能です。両方の話を聞かなければわからないにも関わらず、片方からしか情報が出てきていないので、話半分で聞いてもその半分が情報全体を占めているのが現状です。
繰り返しますが、発端は著作権の侵害が焦点で、当事者間だけの問題でした。
しかしAさんは不特定多数の人たちに問題の発生を知らせました。告知したのならば、その後のことも知らせるのが筋ではないのでしょうか。
リアルでも、相談と称した愚痴だけ聞かせて、付き合わせた相手をその後は放置する人、いますよね…。報告がないとだらしない人だなとの印象を持ちます。私にとって相談と報告とは必ずワンセットであり、仕事であれプライベートであれ、何かしら尋ねたりアドバイスを求めたり、第三者に助力をもらえば必ず結果ないし経過の報告をします。
ですから私の感覚としてAさんは「助けて」以降は問題に関する説明責任を負っていると思っています。
今後、Aさんから説明と信頼性の高い証拠が提示され、それがKさんのnoteの内容を覆すものだった場合、当たり前ですが私は掌クルーしますよ。
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
疲れていらっしゃる方に無理を要求はしませんが、最初に事態を公にしたのがAさんである以上、Aさんが始めた物語です。ならば今少しご自分で収束への道程を進められれば良いのではと思っています。
いつ、何があって、どうして問題が生じたのか。いかにすれば解決すると考えているか。そのために相手方に何を求め、自分はどうして行くのか。周りの人にはどうして欲しいのか。
これらをKさんは全て表明しました。トレパクについて被害者であった側が明晰に説明し、説明責任を担う側からは説明が出てきていません。これでどうやって両方の主張を等しく吟味しろと言うのでしょうか。
あのDMからでは読み取れなかった侮辱や嘘とは何だったのか、時系列に不審な点があった(Aさんが検証画像を送られたタイミングに辻褄が合わない)のと、話し合いによる手打ちを済ませて後はAさんが説明しますとの報告から行動が一転した展開には、特に首を傾げていますので、説明があれば知りたいなぁとは。Kさんの出したDM画像が捏造や切り取りだったとか、和解したとはKさんの虚言だった等の実情がAさんから発信されれば、両者の主張乖離で改めて見方を変えるでしょう。
Aさん側の主観を知りたくはありますが、しかしながらAさんが私を含めた人々にまで説明責任があるとは思っていません。私のような後から湧いた外野の好奇心に対して責任を取れとは言っていません。私が言っているのは「助けて」を受信した人たちや、Aさんが問題を公にしたことによって心を痛めている界隈の人たちに対してです。
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
お祓いのことを指しているのであれば、不幸を願ったというのは誤情報です。
私の記憶では、悪縁を断って良縁を願う、なお強力な神様なので願いの仕方を間違えないよう気を付けた上でお祓いを依頼した、だったと思います。そもそも一人で手を合わせたのではなくて神主さんによるご祈祷なら、不幸を願う祈祷なんて絶対に受けてくれる筈はありません。神社に風評被害はマジでやめて差し上げて。
お祓いはさておき、仮に人格に問題があったとしたら、それが一体何なのでしょう。性格が悪い人に対しては個人攻撃をして構わないとでもお考えでしょうか。悪事を非難するならまだしも、"性格が悪い人"と"悪事を働いた人"では全くの別物ですよ。
クリエイターが盗作をしたなら問題ですが、盗作疑惑は晴れましたよね。「トレパクです」が「冤罪でした」になって100%解決しているのに、なぜそれで話が終わらなかったのでしょう。
始めは盗作疑惑があったから。それが覆ると、絵柄を模倣しているから?性格が悪いから?槍玉に上げる問題点が変化しているのはおかしくありませんか。最初から絵柄の模倣や人格を問えば良かったのに、そういう理由の後出し、後付けは駄目でしょう。
模倣では糾弾性が弱いので頭からは出さなかった、問題が広まっていない時点で性格への非難を行えばした側がおかしいのは一目瞭然なので後からの付け足しにした、のであればそれは最早、目的が個人攻撃であって理由は問わないとする暴挙です。
(なんだかなぁと、とあるニュースを思い出しました。法改正議論で同性間の婚姻に反対した議員さん方の言い分。うろ覚え甚だしいけど「子どもができない間柄での性行為は不適切」だとかいう内容の意見があったように憶えています。その理由で反対するのであれば子どもができない体質の人が結婚できないよう法改正に向けて動かなければ筋が通らないし、閉経後の女性は性行為を禁止されるべきだと考えているのだろうし、なんなら避妊の全否定なので避妊具の規制に言及しなければ辻褄が合わないのですが、そういった話は聞こえてきませんでした。好き嫌いの感情で判断を下したものに理屈を後付けするから破綻するのだと思っています。)
好き嫌いで判断した後から、嫌うと決めた一方への攻撃理由を見出していませんか?Kさんの非難に値する要素を、わざわざ探してしまっていませんか?Kさんの言動に触れようとする時、不明瞭な事実を知る一端を得ようとフラットな気持ちで向かうのではなく、嫌いなやつをもっと嫌いになれる要素を見出そうとする心情で赴くのであれば、とても不健全な行いです。
嫌いな人には悪いやつでいて欲しいのが人情なのでしょうし、悪いやつは殴っていいと信じている人は一定数いるかと思いますが、それは私刑です。
誰を好きになって誰を嫌おうが個人の自由ですが、問題とは分けましょうよ。ましてや好悪感情を非難の原動力に据えるのは間違いです。
「無実の人をパクラーに仕立て上げそうになったのだから、AさんとZさんは良くないことをした。でもやらかしたことの尻拭いをしてから前に進めると良いですね」、「それはそれとしてKさんのことは嫌いです」、「Kさんの性格が悪いのを非難したいです」。これらは紐付いているようでいて実は全て別の話なのですが、一つずつを切り離せていますか?Kさんの性格が悪ければ冤罪を被せた過ちに正当性が生じますか?
人ではなく、その人がした行為の一つずつに焦点を当て、それを自分にとって好ましい人あるいは嫌いな人がしていたらどう感じるかと考えてみれば、いくらかは好悪フィルターを外して行為そのものを注視しやすくなるのではないでしょうか。好ましい人がやっても気にならないがあの人がやっているから腹立たしい、というのであれば、客観性を欠いているのが分かりやすいかと思います。
もし冤罪をかけられたのがAさんであったなら、noteの作者がAさんであったなら、あなたが今Kさんに向けているものをAさんに向けましたか?
⑩まとめ
・そもそも無関係な人々を巻き込む道を選んだのはAさんだったという事実の認識は持っていますか
・経緯開示や証拠提示が片方からしか出てこない歪さへの疑問を持たないのですか
・盗作疑惑問題については加害者と被害者が明確にされたのに、最初の加害と被害の存在を放念して次の問題を探そうとしてはいませんか
・好悪感情と事態の問題点を分けて考えなければ客観性を著しく欠きます
目に余ったのがKさんやKさん側に立った人への、反対の立場の人たちの言葉の数々だったので、今回はそれらへ向けて書きました。当然ですが誰は対してでも人格攻撃はダメゼッタイなので、KさんのみならずAさんやZさんへの中傷も等しくダメです。
元々の当事者たちの外で既に被害が出ているようです。これ以上被害が広く深くならないうちに可能な限り穏やかな収束を見られると良いですね。
このケースで女性が「私は違う感覚/考えだ」と主張したくなる気持ちはわかる、ただそれって自分の考えを述べるだけであって、別に当の発言者にリプするわけではないじゃん?それとも引用RTくらいはしちゃうかもしれない?
この棘まとめ
「小説家の有川浩さん「『抗議します』『反対します』系ハッシュタグは怠惰が過ぎる」 桜庭一樹さん「声を上げた誰一人怠惰ではありません」 https://togetter.com/li/1886301
なんだけど、実名で署名した投書よりも実効性が非常に低い、って話は多分その通りではないかと思われるのね。
「だからもっと有意義な『実名での投書』をやった方がずっと良いのに」って話なら、まあわかるのよ。
でも有川浩は著作やネット上での発言でわかる様に「匿名の自称弱者」とか「気持ち悪いオタク」とかを憎んで軽んじる人なので、「匿名の発言にもっともらしいハッシュタグでなにかやった気になっている馬鹿」を侮辱しないではいられなかったからああ言う発言になったんだよね。
社会運動には下からの積み上げが必要なんだけど、その最底辺をどこであるかと考えるかなんだと思うんだよね。
のめり込んで運動やっている人間には「最低でも街頭でのデモに参加する」「勉強会くらいには参加しているレベルが最低辺」みたいに考えがちだけど、底辺がそこで、それ以下の広がりがない運動は良くても日本共産党、おそらくは現状の新左翼程度の社会的影響力しか持ちえないと思うのよ。
匿名でブログやSNSに意見を投稿する。応援したい政治的ツィートのリツイートや政治的なハッシュタグを付ける、って言うのは本当に簡便でリスクがほとんど無く、それ故に数が集まらないとほとんど意味を持たない行為になるのだけれど、そういう「ほとんど無意味な行動」まで含めて「運動の最低辺」としないと、その運動は社会運動としての力を持ちえないと思うんだよな。
有川はもう一つ、そういった発言者の数を頼んだ運動のあり方自体を嫌い、軽蔑していて、国家が制度的に定めたり、社会での慣例になっている抗議や意見表明の方法(実名での強制期間に対する投書・政治家に対する正式な形での陳情)を踏まない、広範な大衆行動を背景とした圧力で政治を動かそうとする「左翼的な発想」を嫌っているのだと思われるんだよ。
それは著作からも認められる著者の政治的傾向(秩序志向の保守右翼)とも一致するし、それ自体を悪いとは思わない。 思わないけど、俺の大衆運動も大事だと考える左翼的な政治思想とは対立するし、だからこそ桜庭一樹の反論ツィートが出されたのであろうよ。
有川浩は右翼だけれど、ネットウヨクと呼ばれる右翼の一派に対しては「尊敬に値する部分の見当たらない、オタク臭い下等右翼」と認識して軽蔑している、って構造があることを理解することも大事。
ネットウヨクに限らないけれど、大衆的な右翼運動は既存左翼の大衆運動のやり方を取り入れてて、その意味では左傾化しており、有川はその左傾化を憎む右翼である、って言い方も出来るのかも知れない。
せやね
という事でいうとその通りだと思うわ
ただ、私は「他人の評価を他人の発言で他の事と評価している」という表現方法で
①自分が受けた恩恵に感謝するのはまず自分にそれを手渡しした直接対応者にしてもよいのでは
結果神がそう計らってくれたとして神に感謝すべきだとしても、まずはそれを手渡ししてくれたその目の前の相手に「ありがとう」と言っても「そいつはただの使者だから感謝しても意味がない」と言う必要、必要性がそこにあるのかという事
別に言ってもよくない?だめかそんなに?
その上、気づかなかったとかわからなかったしてなかったできなかった、それらが悪として悪を退治したのがどこかのだれかだとしても、その手の渡った施しは「その勇者のだれか」を個人が感謝する必要があるのかと
組織体系や社会としてその構造を良い物とするために偶像化したり構造に取り込むこと、勇者を表したり感謝の念を示すことは有意義で価値を再生産させる意味合いをもつとおもうけど「個人が勇者に感謝する」必要性があるのかと
またその組織の未熟さを個人として非難する必要があるとすればそれは「勇者」ポジションに名乗りを入れるわけでなければ「それをうまく利用して害悪をなそうとした」モンスターのポジションになるのでは
とりあえず、そういう構造性の指摘に例を利用したまでで、この情報を発信した私個人としては「市政がだめだと言ってくれた事に感謝」という言い方はどうなんだという事柄についてのみ発言した内容でした
真に感謝すべきはだれかとか公務員とかの話は知らないしそういう話ではないです
これあんまり掘り下げて話するようなことではないと思うのですが「桶屋の私が儲かったのは風が吹いてくれたからです」と発信して風を生んだ山や海の環境問題や既得権益の話をしたりポジションや情勢の話をする必要性が個人からどこに必要性などがあるかって話です
桶が売れて儲かったのは買ってくださったお客様のおかげですで止めてはいかんのか? 目をつぶしてくださった砂粒を巻き上げる風さまのおかげですっていうのが妥当なのかということで、そうだとしてもそれを発信するならば「目をつぶしてくれたのは事実だから、それは私じゃないし私は事実を言っただけだから」という態度で逃げれるとは思わないでほしいという事です
お客様ありがとうではなくてなぜ「目をつぶしてくれた風さま」とか選んだのかって事について、選ぶプロセス的にを加えたところがわかりにくさを伴っていたら申し訳ない
②いや例として価値観を例えたわけで
超えてたら申し訳ない
①の構造性を例えたらそうなった
③そう考えるのがおかしくないとしたら②も同じ用途で例えたものなので
よしとはしてくれんか
①の表現者や発想者がいてもおかしくはないと思うし、良いとも思う
ただそれが問題視されることがあるならば、発言者は「元ネタ・ソースをみて」といわず、自己で責任を取るべきだというのが私のスタンスなわけです
つまり偽物が何人いようと偽ソースを何人が出してこようと、結果影響を与える発言をした人間が「だってそういうソースがあったから」と言ってもその責任を負えばいいし負うべきだろうと思うわけです
ウクライナ戦争を伝えるテレビ番組の中で、傭兵のことを雇い兵と呼ぶ、または傭兵と口にだした後に雇い兵と言い換えている発言者が多くて気になったので
ちょっと調べたら、新聞報道の方針で、傭兵の傭は常用漢字外だからなるべく雇い兵に置き換えることになっているらしく
そちらとの統一というか整合性のために音声情報でも「やといへい」が使われているんだろうなあ、と自分の中で納得したのが1・2ヶ月前のこと
地上兵力不足のロシア 傭い兵途切れ戦力に赤信号 ウクライナ戦争 2022/5/11
https://www.sankei.com/article/20220511-Q7WHDFUNVFJ75NS3AZ5STBQHWM/
有料記事でタイトルと冒頭しか読んでないけど、雇い兵ならぬ傭い兵が出てきておどろいた
雇用はもともと雇傭と書き、どちらも雇うの意味の同義漢字を重ねて作られた語で常用漢字外の傭を同音の用で置き換えた
だから傭の字も雇うと読むからおかしくはないが、傭兵のかわりに「やといへい」が出てきた経緯を考えれば
「やといへい」にしたいなら雇い兵とするべきだし、傭の字が使いたいなら傭兵でいいだろう
ちなみに報道によっては見出しでは傭兵、本文中で雇い兵を併用していることもある、あくまでガイドラインなので
「シリア市民殺りく」ウクライナでなぞるロシア 現地指揮の統括司令官任命 ブチャ虐殺に傭兵ワグネル関与か 2022年4月11日
https://anond.hatelabo.jp/20220429220736
——ゼレンスキーについてどう思う?
「大人物だ。with the capital letter P{増田注:Aによると、「とても良い人物」と言う意味の言い回しらしい} 人々に、また彼が選ばれたときに求められていたものに注意を払っている。ウクライナはウクライナの人々と文化によってより良くなった。これからもより良くなるだろう」
「すべてのウクライナ人は自分達の国に興味と心配を抱いているので、すべての政治家を知っている」
——「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。
「未来については一つだけ言う。全てが良くなる、より良くなっていく。唯一悪いことは人々の命を取り返せないことだ。戦争が終わったらこの惨劇で親を失った子供を養子に取ろうと思う」
——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?
「どんな国にもある法律だ。人々はこの法を誤解している。私はこの法をenableしている{増田注:賛同という意味…か?}が、見ての通りロシア語で書き送っている。ウクライナでロシア語を話すことは禁じられていない。政府機関と公共機関ではウクライナ語を話さなければいけないというだけだ」
——(日本にそんな法律あったっけ)DNRとLNRの人たちはどういう暮らしをしているの?
「ウクライナに統治されていたときにはあった自由を全て失っている」
「人々は互いに親しくなり、自己中心的ではなくなった」
——ロシア軍がウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?
——日本人に言いたいことはある?
「援助してくれたこと、理解してくれたこと、ウクライナの真実を見て語ってくれることに感謝する」
——ロシア語で「ウクライナで」を表すна Украинеという言葉についてどう思う?
「в Украинеと表すのが正しい」
——ゼレンスキーについてどう思う?
「最高の大統領だ。ヤヌコビッチとは違い、ウクライナと人々を見捨てなかった。ゼレンスキーと彼のチーム、そして我々国民は国を救うために可能なことも不可能なことも全て行っている」
「たくさん知っている」
——(そういう質問された時ってふつう知ってる人を何人か挙げるもんじゃない?)「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。
「ウクライナの領土を全力で取り返したい。国際法に承認された領土だったから」」
——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?
「支持している。この国にはいくつかの言語があるという事実に関わらず、迫害や摩擦が起きたと言う話は聞いたことがない」
{増田注:無回答だった}
「人々はとても団結し、互いを助け合うようになった。戦争は皆に消えない経験と痛みを残した」
——ロシア軍がウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?
「恐ろしい罪だ」
——日本人に言いたいことはある?
「我々の国を支援してくれてありがとう。平和、成功、繁栄を祈る」
——ロシア語で「ウクライナで」を表すна Украинеという言葉についてどう思う?
——日本語のインターネットにロシアからの声を届けたいから協力してほしい。
「『peace! peace!』ジャッキー・チュンがこのYTPの中で言っている通りだ。https://archive.org/details/rytp-feat-megahitmen-1」
「大して」
——ならゼレンスキーは?
「ああ、知っている。
実のところ私はどの立場もとらない。どちらの側も支持しない」
——どうして?
「どちらも好きではないからだ。2014年のときもそうだった。中立の立場と呼んでほしい。」
——なんで好きじゃないの?
「どちらの政府もいわば犯罪行為によって作られた。つまり、前の犯罪国家https://en.wikipedia.org/wiki/Mafia_state ソ連によってだ。…いや、完全に連合していたわけではない。いくつかの意味で完全な統一とはいえなかった。
私は1世紀以上前から犯罪国家だったのだろうと思っている。プーチンはただそれを継承しているだけだ。
実のところその解釈は誤りを含むと考えている。思うに政府自体が犯罪者になっているのだ」
——シベリアに送られたウクライナ人には会ったことある? {増田注:ちなみにこのインタビューはDMで他の人と並行して行っている}
「refugee? 会ったと言う人はいるが、私は会ったことがない」
——なら2014年に送られた人は?
「知り合いに数人いる。そのうちの1人はDNRかLNRから来ている」
——そこの人々はどういう暮らしをしているの?
「多くの噂や目撃談がある。私が知っているのは、その二つの政府が旧ソ連諸国のうちで最も不名誉であること、人々はそれに耐えていることだ。DNRとLNRは明らかにロシア連邦に参加したがっているが、せいぜい強盗団と仲良くすることしか成し遂げられていない」
——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?
「囲い込みのためのものだと考えている。ロシア連邦の周りのすべての国にとってOKなものだろう。しかし奇妙なものだ。注意を払わなくてはいけない」
「ジョージアのことを少しだけ覚えている。すべてのものが今ほど隠蔽されていなかった。ナチスがどうとか、その類のたわごとを口にする人はいなかった。
他の国のニュースのことはよく知らないが、ここの国営放送ではいつもウクライナはナチの国ということになっている。このような作り話は老人のためのものだろう。テレビを見ているのは老人だけだ。若者は見るとしてもドラマか映画だけだ。圧倒的多数の人々がインターネットを使っている」
——ジョージア?
——(アゾフ……なんか見覚えがある名前だ。なんだっけ)なんで急にジョージアの話をし始めたの?」
——戦争?
「そうだ。これもロシアの荒っぽい外交政策の影響で起きた。『協力しないなら武力で攻撃する』ロシアは弱い国相手にはそうしている。強い国には逆だ。ウクライナがロシア軍を花束を手にして迎えるとロシア政府は思い込んでいたのだろうと私は思っている。おそらく私以外の人もそうだ。
——私もそう聞いた。
「言語法の問題は難しい。一方では、ロシアはウクライナが公的な場で国民の母語を話すのを禁じたことを非難している。ちょうどバルトの国々と同じように。他方では、ロシアはトルキスタンが同じようなことをしたのは無視している。ベラルーシ以外の旧ソ連諸国ではどこでもあることだが、トルキスタンでもロシア系住民に抑圧がある。国家同士の友好関係を壊さないためだろう。不愉快な偽善だ」
——抑圧?
「ロシア語の使用が制限されている。トルキスタンもmultinationalなのにもかかわらず、だ。ソ連がトルキスタンをロシア帝国におけるシベリアや大定帝国におけるインドのような流刑地にしたためにそうなった」
「mononational国家では自然なことだ。実のところmultinational国家でもそうだ。国への帰属意識を高めるために一つの言語を公用語にする。ビッグブラザーとは隔たりがある、ここが重要だ」
「ところで、ウクライナはこの8年でかなり強くなった。戦争を始めるなら遅すぎたと思っている。この長い間ウクライナが進歩していないと思っていたとは甘い。これは私が戦争を支持しているということではない」
——わかってるから安心して。するとつまり、Dさんはこの法律に賛成しているの?
「賛成でも反対でもない」
——ふむ。
「どちらかといえば反対している。人は自分の話したい言語を話すものだ。とはいえロシア語は今も使われている。ブロガーたちもロシア語を使っている」
——どうしてだろう。
「彼らはどちらも話せる。香港には中国語も英語も両方できる人が多いのと同じことだ。ブログではロシア語を使う人が多く、メディア{増田注:テレビのことかも}ではたいていウクライナ語だ」
——ウクライナのロシア語が母語の人の割合は3割くらいらしい。なんでブロガーには多いのかな。
「私が2013年にウクライナを訪れたときには、ロシア語を好む人が多い印象を受けた」
——ウクライナ東部の人はロシア語をよく使うと聞いたことがある。
"そう。"
——ちなみにロシア軍がウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてはどう思う。
「聞いたことがない。たとえ本当だとしても、ロシア政府は自らの信用を落とすようなことをしないだろう」
——いま06:13だけどそっちは?
「1:26」
——2014年にそういうことがあったというのは本当?
「知らない」
——ロシア語で「ウクライナで」はどうしてв Украинеではなくна Украинеなの?
「島や半島、山地、統治者のはっきりしない土地にはнаを使う。ただ私にはこの違いは方言のようなものに思える。{増田注:ちょっとわからない箇所があったので今本人に尋ねて答え待ってるところ}
実はプーチンも2014年まではв Украинеと言っていたがその後на Украинеに変えた。独立国家の尊厳を犯しロシアの一部であることを匂わせるためだろう。その年からウクライナとウクライナ人に対するいじめのような番組がテレビにあふれかえった。もしかするとウクライナのテレビではロシアとロシア人に対し同じような放送をしていたかもしれない。
祖父が一日中このような番組を見ているのは気持ちのいいものではない」
——(あっ)
——ゼレンスキーについてどう思う?
「戦争が起こるという不運に遭った、普通のウクライナの大統領だ。愉快で信頼が置けるように見えるが、ときどき経験の欠如を見せる」
「知っている」
——(そういう質問された時ってふつう知ってる人を何人か挙げるもんじゃない?×2)「ありそうな未来」と「望む未来」について政治面で具体的に教えてほしい。
「ウクライナにはそこそこの、ロシアには悪い未来が待っていると見ている。ロシアは30年以上にわたって積み上げてきた信用と親交を失った。暗い数十年が目の前にある。
——ウクライナのlanguage lawについてはどう思う?
「彼らの国の問題だ。彼らの話したい言語を話せばいい。たいていのウクライナ人はロシア語を{増田注:ロシア語「も」だと思う}話し、Khar'kivなどロシア人が圧倒的に多い街さえいくつかある。ロシア人に対する抑圧などは感じない」
「それらは北朝鮮と同じくロシアのための緩衝国家で、国民の自由も同程度。この世の地獄だ」
——ロシア軍がウクライナ人を捕まえてシベリアに送っていることについてどう思う?
「それについては知らないが、ロシア軍による市民の殺害と民家の略奪については知っている。恐ろしいことだ。彼ら兵士は化け物で、ロシアを代表してなどいない。彼らを同胞たるロシア人とは思わない。野蛮人だ。プーチンの走狗だ。ロシア人ではない」
——日本人に言いたいことはある?
「私は日本とその人々を愛している。我々が平和を打ち立てて一緒に活動できることを願っている。どうかロシア人を悪い人々と思わないでほしい。我々は戦争を支持しない。ウクライナ人と同じく、プーチンとその警察国家の被害者だ」
「2014年のときは確かにウクライナから移送された人たちを見たし、移住先の住民が彼らについて話しているのも聞いた。だが今回そのようなものは全く聞いていない」
——まだ到着してないだけじゃない?
——じゃあサハリンには?
「それは知らない」
——どうして国は普通в Россииみたいにвをつけるのにウクライナだけはна Украинеなの?
「окраина…『辺境』から来た国名だからだ。на окраинеというのと同じくна Украинеと言う。ウクライナ人はこれを好まないが私は気にしない。ウクライナ語では好きにすればいいが、ロシア語として正しいのはнаだ」
「いや、国名は変えたければいつでも変えられたはずだ。彼らはв Украинеと呼ばれることを望んでいる」
——そうなんだ。
増田が訳したものにはカギかっこがついています。元の文体や発言者の性格などに関わらず全て常体にしています。元の雰囲気が知りたい方はhttps://anond.hatelabo.jp/20220430000249 をどうぞ。
A:日本との時差は少なめ。シベリアのどこかの過疎地っぽい村に生まれてこの方住んでいるらしい。
C:まだ聞いてない。
D:日本との時差は7時間。10年ぐらい前まではモスクワと同じタイムゾーンだったらしい。
①、②:面識がない。知らない。
彼らに質問があればどうぞ。答えてくれるかもしれません。
話題の吉野家「生娘シャブ漬け」発言騒動について、ウーマン村本が↓のようにコメントした。
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>ただの喩えね。学生がいたから調子に乗って過激な比喩使っちゃったのかな。飯テロとか自分より可愛い女の子と写真を撮る時に公開処刑とか、グロい比喩はみんな使ってるくせにね。居酒屋で酔って友達と話すのと勘違いしてました学生の場で相応しくなかったです、だけでいいよhttps://t.co/tkT8rUmxT3— 村本大輔(ウーマンラッシュアワー) (@WRHMURAMOTO) April 19, 2022
これはかなり鋭い指摘をしていると思う。
実際ネット上にはこのような露悪的な表現が巷にあふれている。チー牛、メンヘラ、地雷女、和室界隈、他無数。
つまり、表向き口にしないにせよ、こういうノリを内心面白いと思っている者が大勢いるということだ。
「生娘シャブ漬け」にしても、ネットでは面白ワードとして消費する動きがみられる。
本当に不適切な言葉だと思っているのなら文字にして発信することすら憚られるはずだ。
「生娘シャブ漬け」に対して本気で怒っている人など、実はそんなにいないのではないか。
一方で、ポリコレ論者が自論を語るときは必ずと言っていいほど「世の中にポリコレが浸透した」とか「時代が変わった」とか述べる。
こんな感じに
今現在、世の中の流れは、「差別発言は笑いの文脈のなかでもNG」という方に傾いている。
ポリコレの意識が浸透し始めたからだ。ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスの略で、「人種や宗教、性別、容姿などの違いに対する偏見を助長したり、差別的な扱いをしたりするのはやめよう」「差別的描写ではなく、公平な描写を心がけよう」という概念だ。
一体何を根拠に言っているのか。せいぜいTwitter上の固定層が団結して凸るようになったぐらいじゃあないか。
「生娘シャブ漬け」にしたって、発端のfacebook投稿の時点ではさして大きな反響はなく、翌日にいつもの方々に拾って貰ってやっと広まった形だ。
現実は、巷に「正しくない」表現が次々と生み出されては定着し、
「世の中にポリコレが浸透している」「時代が変わった」だなんてポリコレ論者が自論を補強するための大嘘あるいは妄想でしかないのではないか。
それは、「女性を性的に見る」という間違ったことの推進になるから。
「なぜ女性を性的な視線で見てはいけないのか?」それは、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではないから。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも持っている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
これを踏まえた上で、たわわの広告の話をする。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本経済新聞が」「②新聞広告という皆に見せることを意図した場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④新社会人全体向けのプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本経済新聞が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日本経済新聞は広告を撤回してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
「新社会人のみなさん、『月曜日のたわわ』の新刊が出ましたよ!」
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、広告の場で、日本経済新聞によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、社会人の必読紙と言われ、軽減税率を受けている日本経済新聞ではなく、講談社の雑誌や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「アイちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、日本経済新聞にふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
おフェミは園子温も木下ほうかも榊なんとかも全部叩いてるし、ていうか、芸能界はオス社会でクソみたいな感じだし、ウクライナもアフガニスタンも言及してるし、リアル女性の性被害についても当然批判してるよ。
結局、Twitterの今の仕様上、自分と自分のフォローしてる人間が興味持ってるイシューばっかりガンガン流れてくる傾向あるから 、二次元コンテンツが興味の中心だと当然そこが起点の意見がたくさん流れてきて、「おいおい他の問題には興味ないのかよ」ってことになる。もともと表現規制そのものに興味があってそういう発言者をフォローしてる人には、「宗教二世」とか「表現の不自由展」とかについて言及するコメントもガンガン流れてきてるんだと思う。
フィクションのイジメ描写とかでも定番は「キモいんだよおまえ」じゃん。
「キモい」は発言者自身のプリミティブな感情の吐露なんだよな。
私もそう思う
その中でも「本人の人格形成にかかわらない生態的な反応で感想が発生している」
「くさい」「うるさい」「いたい」等感覚的なものと動作原理は同じ
「生物的に危機感を感じる」に近いけれども「危機感」という具体性や方向性を持たない負の感情
これにより
「生体的に負である」という「個人とかかわりのない感想≒同型の生物的に共通的な」にすり替えることができている
逆説的にそれを容認することは異端であり、人格形成など本人の能力によって補われる部分があり補われていることを異常性として指摘もできる
もちろんそんな存在でも存在している限り存在を容認されているし、そんな存在でも容認されることが福祉であり社会秩序や自由、人権といったものになるはず
福祉や人権と結びつけて肯定すると人格形成など知能的な部分であったり治療や矯正が可能な部分において異常性があると認めることができる
そこから引きはがすと生物的で原理的な部分で負の感情をもって否定することができる
救いがない表現だ
それはすなわち人にむけて使っていい言葉ではないだろう
「キモい」がハラスメントである、という点を強調してる人もいるけど、それはそう(当たり前)として、ここで感じる「キモい」への憤りってのはまた違うだろ。
お前らこの場に何の関わりもないだろって奴らが大挙して押し寄せて「コイツが——!!私に——!!不快感を覚えさせた——!!」って被害を訴えるわけ。
いや実際相手は気持ち悪いオタクだよ。でもお前は誰だよ、何かされたのかよって話で。自分を道徳的に優位に見せたくて「キモい」を訴えてるに過ぎない。そんなもん加害行為でなくて何なんだ。
キモオタの多くは自分が気持ち悪いって自覚を持ってるけど、それは実際に自分で確かめたわけでない、人から強く言われて「そっか俺キモいんだ」って学習したに過ぎないから、お前らもっと反発していいんだぞ。そんなことできない?気持ち悪い奴だな。
こんなことを改めて説明しなければならないのは、少なくとも俺にとって、ため息をつくしかない事態なのだけど…
本当にごく一部のブックマーカーらを除いて、キモいは無害な感想だから好きに使っていいでしょう、みたいなノリの人たちばかりなので解説します。
死ね と同じようにイジメで多用されるのに、死ね と違って控えられる様子がない。
エロい と同じように、発言者の内の感覚を相手の属性にすり替える言葉であることも問題だ。
客観的評価じゃなくて主観的評価なので、評価者の物差しがわからない限り反論のしようがない。
バカでないことは証明できるが、エロくない/キモくないことは証明できないんだ。
無根拠のままに、エロくない/キモくない、と言い返すのも無理がある。それは相手の感情の否定になってしまうから。
「この部屋暑い? いや暑くないよ」
気軽に人の感情を否定する人はハラスメント気質として忌避される。
だからキモいと言われた側は一切の非がないのに、みずから悪人にならなければ突き返すこともままならない。“そっちこそどうなんだ式”の反撃をするにしても、 「自分はキモい」というネガティブなイメージを一旦は抱えることになる。
感想のテイをとった無敵ワードである「キモい」。あまりに便利なのでリベラルもフェミニストも、正義側を標榜する人々でさえ惜しみなく使う。
しかし、痛みを知る人は決して使わない言葉である。でも、使わない理由が語られることは少ない。
自分がイジメられていたと告白するのは、インターネットで獲物を待ち構える魑魅魍魎の餌になりにいく行為だからだ。
LGBTへの生理的嫌悪、腐女子への生理的嫌悪、オタクへの生理的嫌悪…
無意識のうちに差別をする人たちは、自分の感情を生理的嫌悪と称する。まるで生物の根本から来ているシグナルだから仕方ない、みたいに。
でも「生理的」の根拠なんて本当は何もないんだ。実際は、差別対象の実態を理解してないか、あるいは関心を払う手間さえ惜しんでいるかに過ぎない。