はてなキーワード: 外交文書とは
大君とは徳川将軍が外交文書において自らを称するときの言葉である。
征夷大将軍という名乗りは単なるひとりの将軍という意味合いしか持たず、それを避けるための権威付けに大君という言葉を使うようになった。
もともとは朝鮮との外交文書に使われるものであったが後に欧米とのやりとりにも使われた。
欧米は初期の段階では天皇と将軍の関係がよく理解できず(日本の天皇の特殊性)将軍のことをエンペラーといったふうな既存の言葉を用いて表現していた。
しかし、のちに天皇こそがエンペラーであると理解すると徳川将軍を表現するための新しい言葉必要となった。
だが、そのような単語を持ち合わせていなかったために「大君」をそのまま「Tycoon」として用いるようになったと言われている。
テーマの限定性:春画は主に性的なテーマを描いたものであり、当時の社会全体の現象を網羅的に描写することが目的ではありません。したがって、春画に描かれた内容は非常に限定的であり、社会全体の一部しか反映していません。
芸術的選択:春画の制作者が何を描くかは、彼らの芸術的選択によります。特定のグループや現象(この場合は黒人奴隷)が描かれていないのは、単にそれが彼らの興味や関心の範囲外だった可能性があります。
描写の偏り:春画に描かれている内容は、当時の社会の一部を反映しているに過ぎません。描かれていないものが存在しなかったとは必ずしも言えません。例えば、春画に農民や商人が描かれていなかったとしても、彼らが存在しなかったという結論にはなりません。
存在の証拠不足:春画に黒人奴隷が描かれていないことだけをもって、その存在を否定するのは証拠として不十分です。存在の証拠としては、他の歴史的文献や記録が必要です。
多角的な証拠:歴史的な事実を確認するためには、複数の証拠を検討する必要があります。春画だけを根拠にするのではなく、他の文献、記録、物品なども考慮することで、より正確な結論を導くことができます。
補完的証拠の必要性:例えば、交易記録、外交文書、他の絵画や文学作品などが黒人奴隷の存在を示しているかどうかを調査することが重要です。春画に描かれていないだけでは、黒人奴隷が存在しなかった証拠にはなり得ません。
■結論
春画は当時の社会の特定の側面を描いたものであり、その描写が社会全体を反映しているわけではありません。したがって、春画に黒人奴隷が描かれていないことをもって、黒人奴隷制度が存在しなかったと結論づけるのは不適切です。歴史的な事実を確認するためには、複数の証拠を総合的に検討する必要があります。春画だけでは不十分なため、「春画が黒人奴隷制度がなかった証拠にはならない」と言えます。
・・・ いやいや、日本でも政府の公文書は文語中国語で書かれていた時代が長かったでしょ。東アジアの外交文書も長いことそうだった。ヨーロッパを見てもラテン語という特定の国の言語が西ヨーロッパの公用語だった時代が長いし、ニュートンの主著ですらラテン語で書かれている。その前はギリシャ語の時代もあったし新約聖書は最初からギリシャ語で書かれている。ほかにもアラビア語が公用語の地域とかスワヒリ語地域とかもある。
公用語なんてそんなもんでしょ。
日本国内だってヤマト王権が各地を征服して行って現地の言葉は今では滅ぼされてしまってヤマト言葉が席巻しているところがほとんどじゃん。日本書紀の時代にはヤマトの軍勢は通訳を介して敵軍と交渉していたというのに。
以前から指摘されてきた「世界はサイン文化で日本は遅れてる」問題、調査班はファクトチェックを行うことにした。
そもそも何故日本では印鑑を捺しまくるのか?と言えば、日本では法律の作成や外交文書の作成の際に国璽と御璽が必要な制度となっており、つまり日本の認証の最高権威がそもそも印鑑なのである。
そこで疑問に思わないだろうか?海外の認証の最高権威とは何なのだろうか?と。
中華文化へ強く影響された文化圏は印鑑が今でも強く残る。特に日本と韓国は日常にまで浸透しているようだ。
イギリスではエリザベス2世女王陛下の封蝋が外交文書へ捺されることとなっており、そのほか貴族、教会、古い商家などが封蝋を受け継いでおり公式の場で使うこととなっている。
つまりイギリスの認証の最高権威とは封蝋である。単に印鑑ではないだけなのだ。
しかもこれはヨーロッパ全土で共通した文化を有するらしくイギリスだけではなくフランスやドイツ、イタリア、スイス、トルコなども公式の場で封蝋を用いることがある。
ちなみに中東も封蝋の文化圏のようだ。古い時代では丸い棒を転がす印章が使われてたらしい。
アメリカはサインだ!と思ったら間違い。
アメリカでは企業や団体へ対して公証人がカンパニーシールとよばれる印章を求める場合があり、このカンパニーシールとはエンボッサー(カンパニーシールスタンプ)と呼ばれる紙を挟み込んで凹凸を作り印影を生み出す機械によって捺される。
例えばアメリカ大統領の印章であるSeal of the president of the united statesのエンボッサーも存在しており外交文書へ捺されるのだ。アメリカには州章や郡章もあるぞ!
なぜ大統領のマークやスタバなどの企業マークが丸いのか?と言えばエンボッサーで捺す必要があるから団体のマークが丸いことがよくある。
そもそもパスポートに入国スタンプ捺されてる時点で「印章捺してるの日本だけwww」ってのはありえないわけで、単に真実は印鑑なのか他の道具なのかという差であった。
しかしまぁ印鑑が面倒くさいというのは理解できるので、どのレベルまで印鑑が必要なのか?という議論は丁寧に進めていったら良いんじゃなかろうか?
外国が印章捺して外交文書作ってきてるのに日本だけ辞めますとはいかないだろうしね。
ロシアの侵攻を招いた時点で、ゼレンスキーの外交政策上の失敗は失敗として認識されるべきだと思う。別にロシアが悪くないと言う話ではない。
ただ、アメリカがキューバ領内に帝国主義の遺物としてグアンタナモ基地を保有しているように、フランスがヨーロッパではなく南太平洋で核実験を行うように、脛に傷を持たない国は無い。繰り返すがだからと言ってロシアを正当化しようと言う話ではない。
BSフジのニュース番組で、駐日ロシア大使のガルージンは、小野寺元防衛相に対して、「イラク戦争はどうなんだ?日本政府はあれを支持していたではないか」といかにも外交官的「ああいえばこう言う」の発言をしていたが、それはその通りなのである。大国が疑念を持ち、疑念を晴らすための適切な行動をとらなかったため、イラクは侵攻を受けた。もちろんフセインの言動とゼレンスキーの言動は異なるが、基本構造は同じである。イラク国際戦犯民衆法廷はブッシュとブレアを戦争犯罪人として断罪している。小泉純一郎も一部においては有罪とされている。
少なくとも小泉純一郎を泳がせている私たちに首尾一貫性が欠けていることは間違いない。
だからと言ってそれをどうにかしろと言う話ではない。それが国際政治の現実だと言うだけのことだ。
その現実に即して言えば、少なくともエリツィン政権下、プーチン政権下でNATO不拡大の要求を内々でもロシア政府が行って来たのはロシア側にとっては事実であって、宥めの言葉もあったと解釈する方が自然だ。ロシア側がNATO拡大を問題視しないはずが無いし、「まあまあ。そこまでうちらは積極的ではないし」くらいのことは実際に西側は言っている。重要なのはソフィズム的な外交文書の有無の話ではなくロシア側がそう解釈しているという事実である。
NATOはむろん対ソ連包囲網として結成されたもので、単なる多国間安全保障機構ではない。この期に及んでも、ドイツは国防予算TOP10にも入っていない。日本はもとより、韓国よりも額が少なく、海外領土を持たないドイツがいかに安保ただ乗りを続けてきたかの証左である。NATOがあるからこそ、ドイツは安保と言う公共インフラを重視せず、むしろそれに負荷をかける政策を続けてきた。この意味だけでもNATOの存在は冷戦後はネガティヴなものであったのだが、アメリカはその廃止に踏み切れていない。単なる多国間の安保機構ならばロシアを入れても良かったはずだが、エリツィン政権においてすらそれはクリントンが拒絶している。
NATOの拡大は、加盟国が増えれば加盟国全体が戦争に巻き込まれるリスクを負うことを意味するのだが、アメリカがけつもちをしているため、そのリスクが曖昧になってしまった。ゼレンスキーはそこを読み違えたと言うべきだろう。
ゼレンスキーは今になってNATO非加盟もロシアとの交渉であり得ることを言いだしているが、侵攻が現実になってはっきりしたことは、西側は核リスクを冒してまで実際に手持ちの地上軍を投入する意思は無いと言うことであり、フォルトラインの焦点となっているウクライナを、実際にはNATOに入れるつもりはないということである。場合によってはアメリカはNATOに引きずられるくらいならば、NATOから脱退するであろうし、NATOにそこまでの安全確保機能は期待できないということである。
ゼレンスキーは踊り踊らされて、はしごを外された形になっている。もちろん意外と上手く踊っているのは確かである。ロシアは苦境に立たされるであろうし、場合によっては撤退に追い込めるかもしれない。しかしウクライナは戦場になり、多くの国民が殺され、それでいて賠償金は一ルーヴルもとれないだろう。クリミアや東部の回復もままならない。ゼレンスキーは英雄であるかもしれない。しかし司馬遼太郎が言った通り「英雄を必要とする国は不幸な国」なのであって、ただのぼんやりとしたコメディアン大統領として統治をまっとうできなかったゼレンスキーはやはり失敗した政治家なのだ。
大戦は小国の暴発で起きることが多い。善悪の観点からではなく、国際政治はそうした暴発をどう管理してゆくべきかと言う視点で考えられるべきだ。
れいわの、国会決議への反対ね、あれ大層非難されているけど、経緯認識としてはだいたいあってる。と言うか、あの激動の89年をリアルタイムで経験した人たちなら、言わずもがなのことだから、却って文献資料に残ってないため、「NATO不拡大方針の合意」がロシアの陰謀扱いされてしまってるのかなって思うわ。89年から92年までの新聞、読んでみて。むしろそう言う解釈がデフォルトだから。ゴルバチョフがそれを求めて、ベイカー国務長官が「まあ、そうよね」と発言して、そのうえでのマルタ合意ってのは順を追っていけば分かるようになっている。もちろん他国の主権を、ボス間で合意する内容だから、正式に文章として組み込まれるはずがない。
ゴルバチョフとブッシュとの間で問題になったのは、旧東欧圏の扱いだけども、NATO不拡大の方針自体は、ソ連が要求を出して、アメリカが「まあ、そうね」になったからこそ、マルタ合意と言うカタチになっているのだ。
キューバ危機も、あれは逆にアメリカによる主権国家への武力恫喝の例だけども、ケネディとフルシチョフの間で正式な文書として合意があったわけではない。そんなものが外交文書として残るわけがないのだ。
ロシアの側から見れば、WTO諸国に手を突っ込まれて、バルト三国に手を突っ込まれて、旧CISにまで手出しをされた、どこかで歯止めをかけなければならないとなるのは「良いか悪いかは別にして」、当たり前ではある。戦争の多くはそうした予防戦争として発生した。
であるから、平和を望むのであれば、主権国家は「疑いをもたれない、巧妙で丁寧な外交」が必要になるのだが、能力的にそれが出来ない国もある。スイスが永世中立国を続けていてベルギーが止めたのは、ベルギーは地形が平坦であるため、自力で守り切れないからだ。つまり列強としては、中立国が他国に屈さずに中立国として振舞う能力があるのであれば、得にも損にもならないから放置しておいてもいいのだが、無能力であれば、別の列強に占領されて、敵を太らせる餌になりかねないから予防として占領しておくか、となりやすい。
ウクライナはこの、ロシアの疑心暗鬼を宥めると言う外交タスクに失敗した。それはやはりウクライナのせいなのだ。予防戦争に手を染めていない列強が歴史上、ただの一ヶ国もない以上(直近ではイラク戦争は予防戦争の典型例)、ウクライナは①ロシアに配慮した外交政策を採り、疑心暗鬼を解く必要があった。②国防力を高めて、侵攻した場合のロシアの見積もり損失を高くしておく必要があった。のいずれにも失敗したと言えるからである。これは法理的な話ではなく、能力の問題、力学的な話である。
なんでも、「定点観測をしていてたらドイツをたたいときゃいいだろと雑な発想している奴がいてプゲラ」的な雑な反応をしているヤカラもいるのだが、ドイツが責められるべきなのは、ロシア弱体期に率先してEU拡大、NATO拡大を推進したのがドイツだからである。ドイツとしては国境を東に移したいと言う欲求のなせるわざであったのだが、平和を毀損する行為であったのは間違いない。平和とは弱者の犠牲の下に築かれた強者間の合意に過ぎないからである。
これは平和主義者が、異様に共産政権などの圧制下で苦しむ人々に対して「ウイグル話法」などと言って嘲笑的に振舞い、冷酷である理由である。基本的には彼らは、「フランス革命前の穏やかに暮らしている貴族」であるに過ぎない。
私はドイツとウクライナを批判したし、ある意味、ロシアを一部免罪した。これは構造的な話であるが、起きてしまえば、表徴として問題を処遇するしかない。これはNATO拡大に関して確たる定見が無かったアメリカの外交的失敗のせいでもあるのだが、この表徴的に言えば「だからと言って侵略が許されるわけがない」と言うのは現代の国際法では当たり前の話だ。ここに今回のれいわの行動の問題点がある。
いったいどこの国の政党のつもりなのか、と言うことだ。言ってみれば「情状酌量の余地がロシアにまったくないわけではないにしても」、ロシアが現在進行で侵略をしているのは事実であるし、日本の政党がそれをかばいだてする理由は皆無なのである。異常なのは、れいわがこの件だけに限って極端なプラグマティストとして振舞っていて、ウクライナの国民真情としては列強に合意があろうとなかろうとも、数百万人の犠牲を強いたロシアとは「距離を置きたい」と思って当たり前だ。NATOにすがりたいと思って当たり前だ。
これはまさしく、平和主義者が人権侵害国家の圧政の被害者に対しては極端にサディスティックに振舞いがちだと言う典型例であって、国益の観点から言っても、いまさら表向き、ロシアに同情的な姿勢を示しても日本には何一つ益がない。構造に基づいてドイツを批判するのは、個人の資格で考察としてやるか、あるいはG7の席でないないにやるべきであって、日本国の損得勘定から言っても、れいわの行動は日本の国益を害している。そこが問題なのである。
https://this.kiji.is/749070078830755840?c=39546741839462401
韓国、「強いおわび」表明求める
90年、天皇訪韓招請に絡め
【ソウル共同】韓国外務省は29日、1990年ごろの外交文書を公開した。同年5月の盧泰愚大統領(当時、以下同)の訪日に先立ち、植民地支配に絡んで昭和天皇が84年の全斗煥大統領訪日時に表明した内容よりも「具体的で強い」おわびの表明を、天皇陛下(現在の上皇さま)が行うよう日本に求める方針を立てていたことが分かった。
内容に満足できた場合、盧氏が日本滞在中に陛下の訪韓を招請することも計画していた。陛下は盧氏を迎えた宮中晩さん会のあいさつで「痛惜の念」を禁じ得ないとのお言葉を述べられ、盧氏は訪韓を招請。韓国は表明に満足していたとみられる。
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最低の環境相丸川 (4)
2011年に日本は大きな衝撃を迎え、現在に至るわけで2010年には一応ちょっと違う未来を見ていたとは思うけど
政権交代できたときの民主党のマニフェストには今もよく見る政策が並んでいる。(manifesto2010というpdfがネットに転がってる)
マニフェストなんて理想を掲げるものだとは思うので、自民党でも民主党でもそこはあまり変わらないのかもしれない。
その中で、遠隔医療、再生医療、医療ロボットの導入という項目がもし本気で進んでいたら、
グリーンイノベーションとも書かれているが、あまり進んでいる感はない。
クールジャパンとも書かれている。あれこれ自民党が積極的にやったんじゃなかったっけ?どちらにせよ「クール」と使うのが現代英語的に微妙という結論に。
無駄遣いの根絶…これは2020年に突然ハンコやらFAXやら言い出したが10年前に出来てたはずだな。事業仕分けとは。
外交文書を含めて行政情報の公開に積極的に取り組みます。→そうですか…
Wikipedia読んだ。
条約締結以前の1946年、日本政府は日本企業に対して朝鮮人に対する未払い額を供託所に供託するよう指示を行っている。2009年8月現在、日本に供託形態で保管されたままとなっている韓国・朝鮮人への不払い賃金額は、強制動員労務者2億1500万円、軍人・軍属9100万円などで総額3億600万円となっている
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 - Wikipedia
・第2条が日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」規定
・この協定に基づき、日本は、韓国との正式国交開始と同時に、韓国に対し、合計5億米ドル(無償3億米ドル、有償2億米ドル)及び民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。当時の韓国の国家予算は3.5億米ドル程度、日本の外貨準備額は18億米ドルであった
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した1965年当時の書面に「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした[2][3]。韓国政府は、日韓基本条約締結時からこの付随協定の内容を韓国民に伏せて
2005年の盧武鉉政権から、韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者の問題については日韓請求権協定の対象外だったと主張し始めた
韓国の与野党議員27人が、1965年の日韓基本条約が屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するよう求める決議案を韓国国会に提出するとともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した書面に「日本に動員された被害者のための(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした
韓国政府は元徴用工の対日補償請求はできないと表明していたが、韓国大法院は2012年5月23日、日韓併合時の日本企業による徴用者の賠償請求を初めて認めた。
韓国大法院は「1965年に締結された日韓請求権協定は日本の植民地支配の賠償を請求するための交渉ではないため、日帝が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」とし、「消滅時効が過ぎて賠償責任はないという被告の主張は信義誠実の原則に反して認められない」と主張した。
また、元徴用工が日本で起こした同趣の訴訟で敗訴確定判決が出たことに対しても、「日本の裁判所の判決は植民地支配が合法的だという認識を前提としたもので、強制動員自体を不法と見なす大韓民国憲法の核心的価値と正面から衝突するため、その効力を承認することはできない」と主張した
韓国の下級裁判所では元徴用工と元徴用工の遺族が日本企業3社(新日鉄住金、三菱重工業、不二越)に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。
2015年12月24日現在、確認されただけで係争中の裁判が13件あり、このうち5件で日本企業側に損害賠償を命じる判決が出ており、3件が韓国大法院の判断を待つ状態になっている
2015年12月23日、1965年に締結された日韓請求権協定は違憲だとする元徴用工の遺族の訴えを審判の要件を満たしていないとして却下した。
韓国大法院は2018年までの約5年間徴用工訴訟について判決を出していなかったが、2018年に韓国の検察当局は朴槿恵政権期に大法院が大統領府や外交省と協議し故意に判決を先送りしてきた疑いがあるとし法院行政所の元幹部などを起訴[19][20]。2018年12月3日には職権乱用などの容疑で当時大法官(最高裁判事)だった朴炳大の逮捕状をソウル中央地裁に請求した
2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院は差し戻し審で新日本製鉄(現新日鉄住金)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。
2018年12月、戦時中に日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が、1965年の日韓請求権協定で日本政府から3億ドルの無償支援を受け取った韓国政府に補償責任があるとして、韓国政府に対して1人当たり1億ウォン(約1千万円)の補償金の支払いを求める集団訴訟を提起することが明らかになった[23]。
小学校の教科書から「漢江の奇跡」を削除……韓国の歴史とは「道徳教育」である | 文春オンライン
韓国大統領、教科書から「黒歴史」消してさらなる親日潰し(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
でも8月15日時点ではここまでやばくなかったんだよな
「文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。
Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味でWikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。
参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!
参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます。
このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります(最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。
えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リストが存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。
これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。
a)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
b)増田はうんこを漏らした。一方、同人作家はおしっこを描いた。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
c)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います。
日本の出版の問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います。注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。
もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題にしかなりません。しかしいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述の典拠はいったい何なのか」という根本的な問題を惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説を初心者向けにわかりやすく纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)
もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。
増田はうんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.
MLA style:
増田はうんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対に必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。
“自分の実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系の論文での引用見たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね
理系の学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系の論文はちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。
このうち、理系の論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文の重要な核を占めているのです。
たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまでハゼの遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。
しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本は研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。
私が最初の増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合、理系ではこういう資料は引用しないですよね(最近だと古天文学で歴史的史料を引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。
もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります。文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったものが資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地の言語を習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語の話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。
文系の生データは出典となる書籍だったり、原典の資料がある場所と。原典の原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式が理想ってわけか。一時情報が当事者の証言なら信憑性高いって判断にはなるし
違います! 当事者の証言だからといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪で裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女の証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。
歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき、日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカの外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものだから。
なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学の入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたから虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?
(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります。特に科学史や史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)
図書館にScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノードの消滅にも耐えられる。しかし日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマは逮捕なので
出来るといいな、じゃなくて、既にあります。
たとえば国立国会図書館のデジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館のデジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFでダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀のドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。
しかし、当たり前ですが全ての史料が電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも近現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権の問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料にアクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。
また、多くの国では、公文書館の史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所のちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本は戦前の外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。
(さらに言うと、史料が必ずしも公的な機関によって保存されているとは限らず、貴族や武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族の屋敷には私設の文書館が付属している場合もあり、日本の歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールド・ハウスに赴いて史料を収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)
ただ、「みんなが読みたがる重要な史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスやオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内の研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学の研究者は結局それらを所蔵している大学の図書館に行く必要が……
注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛の意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな
注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報を摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。
これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者のあいだから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)
注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語の二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者の仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通のニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。
物理分野では「参考文献」の意味が増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。
誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。
や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。
あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生に上から目線でアドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます。史学科出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科の常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?
・イベント
2015夏イベマジ疲れた。ってか艦これのイベント疲れるの多すぎ。しかも回を重ねるごとに負担が増える一方じゃん。イベントは歯ごたえある方がないよりはマシだけどさー、でも歯がボロボロになって顎もガクガクになるようなのって違くない?
まずさ、羅針盤うざすぎ。E7の最初の羅針盤とか、あれ無いだけでE7甲クリア者かなり増えたんじゃない?だってさー、あれのせいで支援艦隊とかまず無駄になる。強力な支援持ってこないと意味ないからさ、あれで逸れるだけで戦わずして燃料四桁単位で吹っ飛んでくのって、単に時間と資源の無駄な消費じゃん。なにか意味あんの? 兵站の大切さとやらなら知ってるからさ、だから貯めてるじゃん。その貯めた資源を兵站は大切だって語ってる奴が作った意地悪な仕掛けで浪費させてくって、それ大切さも糞もねえよ。俺らが大切に計算してやりくりしてるのをさ、税金じゃねえんだから。俺らの意思じゃない所で浪費させて、資源がもう無いって状態にさせられたってさ、そこで運営から毎度毎度イベントに向けて資源を備蓄しろってさ、誰のせいで備蓄吹っ飛んだと思ってんだ。ふざけんな。
・イベント2
昔のマップ振り返ってみたけどさ、地獄とか最凶とか当時言ってたのでも今見るとマップそのものはまだなんとかなるって思える。今がなんだかんだ艦娘が底上げされたってのはあるけど、それ以上に羅針盤の制限とかマップの長さとか、そういうのが少ないんだな。
どこのゲーム運営もそうだけどさ、長くサービスやって古参が強くなっていくとイベントをどんどん難しくしていくよな。そうじゃないんだよ。古参とか運の良いやつはあっさりクリアできてヌルゲーいうやつはいるけどさ、そういう奴らの声のでかさで難易度が上がるのはマジ害悪。特に艦これなんてリアルラック(を言い訳にしてるけど実情はどうだか)でどんな難関海域も軽かったっていうやつ出てくるじゃん。そういうやつのご意見を口実にして難しくしなくて良いから。
だってイベントって別にお仕置きじゃねえんだから。力試しとかそういうのはあるけど、そもそも上にも書いたけど難易度上がるって拘束時間長くするってことと同義になるんだって。だってこの運営、回を重ねるとどんどん長く複雑化していくじゃん。今回の札管理とか、あれどうしようもないだろ。ゲームは一日一時間じゃねえのかよ。
それでもスマホ対応してればまだできるって提督は多いだろう。でも公式ではスマホ対応してないんだからさ、なら運営はどれだけの人がどれだけ自分のPCに触ってられるか考えてイベント作りしたらどうなのさ?
イベントなんだから難しく長くってのはそろそろやめようよ。甲乙丙であってさ、でも甲でも時間そのものは長くなく、ぶっちゃけ無駄な羅針盤とか長々としたルートとか無く、育て上げた艦娘がきちんとよくやった!って言えるような活躍をしてボス撃破してくれればいいからさ。強力なボスを倒す快感はわかるけど、普通に育て上げた艦娘がその強さを発揮する様を見るのだって快感なんだよ。育ててよかったって思えるような形にしてくれれば良いんだよ。
今のままじゃ育てたってミスりカスりで時間も精神も資源も摩耗するだけの、本当に何のために艦娘を育ててるのか、資源を貯めてるのかわかんなくなる。
・支援艦隊
戦闘して大破して撤退して、それで支援とか無駄になるってのもさ、あれの方がまだ納得できるって書こうと思ったけど納得やっぱできないわ。
道中支援って全員キラ付けしても来ないことがあるって、そもそも旗艦キラ付けしなくたって来いよ。普通の出撃は別にキラ付けしなくたって出てけるだろうよ。仕事サボって、来ても全員ミスも珍しくないって馬鹿じゃねえの?そのくせ燃料と弾薬は絶対消費するし。電探ガン積みしてもミスしやがるし。それでもそんなコスパ最悪のを使わないとってお祈りしなくちゃいけないのおかしいって。支援だよ?遠征のさ、囮機動部隊とかさ、艦隊決戦支援とかあるじゃん?あれ資源持って帰ってくるけどどう見たって戦闘支援じゃん?あれは編成正しければ絶対成功するのに出撃サポートの支援は来るかわかんない、来ても攻撃当たるかわかんないって詐欺だろ。備蓄が大切とかいうのはさ、こういう支援がきちんと機能して、その上で支援を使うか使わないかでさ、各々が攻略早くするかどうかとかにかかるべきじゃねえの?さっさとクリアしたけりゃ支援含めて大艦隊でドカ食いさせてでもクリアさせるとかさ、そういう選択させるのが兵站とか資源管理を考えるってことじゃねえの?
・連合艦隊
だって艦娘の戦い方さ、空母が駆逐艦の砲撃が当たる場所にいるんだぜ?なのに連合艦隊だけはやれ距離がー命中率がーって、単にあれ第一か第二かどっちが先に盾やるかって違いだけじゃねえか。少なくとも正面切って敵と戦ってる方の艦隊が命中率補正かかるのおかしいだろ。どういう戦い方してんのさ。大体連合艦隊って大本の意味にそんな命中率が下がるとかねえよ。
・艦娘の戦い
今回もそうだけどさー、攻撃ミスるのはわかるよ? あと2とかの駆逐艦相手に味方全員が殴りかかってミスするくせに、敵は平然とこっちの中破大破艦に当ててくるとかやる運営のゲームメイクだけどさ。
でもよ、戦艦とかが駆逐艦相手に4とかなに?しかも連撃とかカットインとかさ、クリティカルとか割合ダメージとかそういうんじゃないじゃんこれ。実際の砲戦を考えればこういうカスるってのはそりゃあるだろうさ。でもカットインとか連撃とか、いかにも必殺技じゃん?演出つきの攻撃でああいうのやるって萎える。普通にRPGやってて必殺技やってカスダメ出されたらたまったもんじゃない。史実重視の艦これ運営だけどさー、弾着観測とか連撃とかでそういうプレイヤーに不利な史実のねじ曲げ方ってないんじゃない?だって両方とも命中率が上がるプロセス踏むやり方での攻撃じゃん。弾着観測やったりとか、連続しての砲撃だって敵を夾叉しなきゃやらないじゃん。誰が散布界に収めてもいないのに数撃ちゃ当たるでやるよ。それでミス連発したりカス当たりして逃したヲ級に大破させられるとか、やってらんない。
こういうのでさ、一生懸命育てて万全にした艦娘に対してなにやってんのとか文句言いたくなるわけ。キャラクターの魅力(容姿も歴史も)が第一のゲームなんだからさ、そこを明らかにバランスも作りも劣ってるゲーム部分で阻害してどうすんのさ。
・反抗戦
彩雲積んで丁字不利を回避したってさ、反抗戦引いたら諦めムード入るってどうよ。結局敵がインフレしてるからこっちは相手を撃破しにくいけど敵にとっちゃちょっと命中率が下がった程度の差じゃん。そりゃ重巡レベルならまだ敵も火力下がるし、道中なんかこっちの方を引きたいって需要はある。だけどさ、結局こっちが火力下がる率が彩雲積むと丁字不利回避するだけで下がる率そのものは増えるっておかしくない?せめて五分五分だろうよ。大体彩雲でそういう効果作るんだったらさ、複数積めば同航戦率上がるとかそういうのにするべきだろ。なんでこっちが有利にしたいって方法は取らせてくれないのさ。
丁字有利不利もさー、いい加減修正しろって。東郷平八郎元帥に敵も味方も強くなるって説明できんの?少しはさ、史実に合わせたプレイヤーが有利な部分は捏造してでも下方修正しようって姿勢やめてくんないかな。
・資源
代表的なのが自然回復備蓄量の上限が著しく低いの。10万とか20万とか平気で使わせるくせにさ、そこはちっとも変えないよな。どうせまた冬だかのイベントではまた無駄にプレイヤー自身がまったく意図してない部分で本来消費するはずじゃなかった備蓄を浪費させて、備蓄をしっかりしましょうとかほざくんだろ。プレイヤーが本来与えられているべき戦力を正常に動作させないことで浪費させる真似さえしなけりゃ、2万の備蓄でクリアできんじゃね?
そうさせないのは誰だよ。兵站(笑)備蓄(笑)を大切に考えてる運営様だよ。
大体さ、レアドロップあんだけ絞る理由ってなによ?ドロップテーブルの中に建造でも1-1でも容易に出るような艦娘を散々苦労して倒せるようなボスドロップに混ぜてくるっておかしくない?
そりゃ他のソシャゲでもオンゲでもレアって渋いよ。でもそれって超強力だったり季節限定グラだったりとかじゃん?艦これはなにさ。給油艦とか駆逐艦とか出たってゲームバランスに全然影響しないじゃん。敵だって大和を平気で大破させるようなのがゴロゴロいる中で、ついにギミック解除前提のインフレしまくった敵出してるじゃん。むしろ敵だよバランスどんどん壊してるの。羅針盤とか道中大破とかに耐えて耐えて挙句にインフレしたボス持ってくるってゲームバランスおかしいだろ。観測機だの対空カットインだの増やしたって敵が強くなるスピードが早過ぎるって。つまりさ、モンタナ級とかミッドウェイ級とか海外艦でやってきても敵が大破しないよう祈るような火力盛った時点で大した戦力アップになんないじゃん。
それなのに100回掘ってもイベントの新艦娘出てこないって、艦隊これくしょんなのにコレクションさせる気ないとしか思えないし。
そりゃ多少はわかるよ、コンテンツの寿命伸ばしたいからとかの理由でそうしてるのはさ、ビジネスだし。
でも田中Pって艦娘通じて俺らに史実を知って欲しいとかそういうこと言ってたじゃん?
手に入らない艦娘でどうやって通じろってんだよ。Wiki見りゃすぐわかるけどさ、そんなの艦これやらなくたってわかるし。艦娘手に入れる意味無いって。公式はなんなの?レアが手に入らなくてひいひい言ってる俺らを見て高笑いするために当初の思想もドブに捨てたの?
普通にさ、イベントだーってクリアしてその道中で新しい艦娘も手に入れてさ、それでその艦娘について可愛いってカキコしたり同人誌が出てさ、それでまた艦これの世界観が盛り上がればいいじゃん。ってか田中Pが二次創作で世界観盛り上げてくれって言ってたじゃん。初風の話とかほとんど無いけどそういう不遇っぷりを作り出しててよく世界観とか言えるよな。
・レア艦と装備
震電改とか烈風改とかさ、あれ量産とまではいかなくても最近始めた提督にも手に入る手段はあるべきだろ。ランキング報酬とかって手段はあるけどさ、両方共当時にやればかなり手に入れることができた装備で、なら全員に手に入るようにしたって構わないじゃないか。どうせ烈風改入れた所で今の馬鹿げた制空争いの前じゃ絶対的な強さにはならないんだしさ。
レア艦もそうだよ、プリンツ・オイゲンとか今回のイベントで活躍した提督は多いだろうけど、そもそも艦隊これくしょんの観点から言ってもそろそろ入手できるようにするべきだろ。他にもツチノコみたいな明らかに性能とゲームバランスから鑑みて別に建造で来たっていいじゃないかってぐらい謎の入手難易度の艦娘いるけど、そういうのもいい加減に見直したら?
・課金をしなくても遊べる?
確かに課金をしなくても十分に機能できる。だけどさ、結局艦隊これくしょんをやっていくと母校拡張だけで七千円は使うことになるわけ、今現在の実装艦娘数からして。毎回イベントで5隻はやってくるから、この冬にイベントやるんだとしたらまた必要になるけど。
まあさ、それぐらいの課金はお布施で納得できるよ。むしろ払うよ。でもさ、最近の艦これの難易度って明らかに課金で差がつく作り方になってるよな。
アイマスPとかグラブルのガチャ課金に比べりゃ可愛いもんだけど、艦これって重課金(艦これ基準)と無課金微課金の差がとんでもなく広がるよね。だってケッコンカッコカリで改二の艦娘に限ったって一万いくし、改修用ネジとかバケツとか、あれ消費量に対して入手量が明らかに少ないし。でも普通はコスパ悪いから買わないけど、10万とかポンと出せちまうのは気にせず買ってどんどん強化できる。艦娘の強さに対して敵がインフレしてるし、リアルラック様次第のゲームではあるから、それで極端な差になるとは思わない。だけどさ、少なくとも女神ガン積みとかはできるわけで、さすがにそういうのは強いだろうさ。
だからといって悪いとは言わん。言えるわけがない。むしろ課金での格差はあるべきだ。
だけどさ、艦これって課金しなくても遊べるゲームってので取りざたになったわけで。今回のイベントなんか見てると、心が折れる前に補強増設で女神ガン積みでいかないとって難易度に今後どんどんしていくんじゃないかと思う。
確かにそれでも遊べはする。するけど、無課金で楽しく遊べるゲームでいられるのか?
難易度調整あるし課金前提の超難易度はあって良いと思うよ。だけどこの運営のゲームメイクの下手さを見るとさー、そんな超難易度なのにドロップ渋いとか勲章一個とか、逆に丙なのにケッコン艦前提じゃないとクリアできないとかさ、そういう強者にも弱者も不幸にする作り方してくるんじゃないかと心配になるわ。
・艦これの今後の発展を願って
上にだらだら書いてきたのを見てさ、すぐ「じゃあやめろ」とか「マジになってどうすんの」とか平然と書いてくる輩はいるよ。だけどさ、別に艦これ全部が嫌いになったわけじゃないし。艦娘を別に嫌ってないし、新しい艦娘が出たら手に入れにイベント突撃するさ。だけどキャラを手に入れるのがさ、仮にもガチャじゃなくゲームでやってるんだから、そのゲーム部分が楽しくないならそりゃ文句言いたいし、明らかにおかしいって俺が思う所はおかしいって言うさ。嫌ならやめろって言うやつだって、全部がこのゲームの仕様です、で納得してるわけじゃなくて、少しは違うって思う部分あるだろ?本気で楽しさしか無いですぅって言ってるやつはさ、逆に危ないよ。こういう仕様なんだ運営は正しいんだって、一切合切をそれで飲み込むのが常識だってのはさ、それこそ自分の飲み込めない常識がやってきたら途端に偏執的なアンチになるんじゃないか?
再三いうけど別に艦これ全部が嫌いじゃないわけ。だけどさ、色々と不満があって、それに対する改善案も上の読みにくい文章の中に入れられてると思うんだ。当然運営にだってもう少し企業向けの丁寧かつ穏やかな文章で改善案は送ってる。一向に取り上げられた様子がないまま、逆に悪化していくばかりだがな。
まあこうやってここでは見づらく書いてるのは、こういう疲れたとか改善してくれの声をやめろの一言で封殺してくる人らにさ、見づらい文章で文句言うだけの低能はさっさと氏ねとか、文字だらけで意味不明だこいつ頭おかしいとか、そうやってレッテル張りして好き勝手貶してくれるだろうという期待からのもので、我慢して読んでくれた人には申し訳ない。
だってさー、外交文書ばりに書いたってそういう奴は艦これに文句言う悪いやつって思考でしか考えないだろうしさー、だったらそういう連中には一目でこいつ国語能力無いカスとかって思って自己満足に浸ってもらえばいいじゃん?まあそんな浅い考えなしで貶す奴なんていなくて、俺がただ自意識過剰でわかりづらくしただけならいいんだけどねー どっとはらい
○参考人(鷹司信輔君) 私は神社本庁の鷹司として参りましたので、神社、神道のものの考えといたしましてこの点を申上げたいと思います。
この問題につきましては、是非日本の伝統を保有して行きたいと考えております。併し私共は決してキリスト紀元を排斥するものではございません。キリスト紀元の便利なところもございますので、現在のように元号式の年代表示法と、キリスト紀元法とを適宜に併用して行くのがよいと考えております。日本の元号は千三百何年の長い伝伝統を持つておりますのでありまして、それは国民の象徴と仰ぐ陛下の御名によりまして常に公布せられました。これは決して天皇主権などというような権力関係のものとは思われません。朝廷から兵馬の権も政治の権力も全く消え失せた時代にありましても、日本人は元号だけは朝廷の公布せられましたところに従つております。官公文書はもとより私人の往復文書、日記等何にでも元号を用いておりました。神社人も仏教徒も又キリスト教徒もこれを用いて怪しまなかつたのでございます。国民のあらゆる党派、教派の人々が如何なる対立関係に立つた場合でも、多くは元号だけは同一のものを用いておりました。このあたりに国民統合の象徴というような意義も感ぜられるのでございます。英国におきましては、公文書にエドワード七世第何年とかジヨージ六世三年とかいうように、君主の在位年限を以て年代を表示する方法が用いられておるようでございます。法学書や歴史文献におきましても、そのような年代表示法がキリスト紀元と併用されて用いられておる例が決して少くありません。その一般的な普及程度においては、大小の差こそあれ、これは日本の現行の一世一元の制と本質的には同様のものであろうと思われるのであります。英国では外交的文書や條約文書等は勿論キリスト紀元一本で君主の年号を用いないのでありますが、日本におきましても同様でよいと思います。外交文書には現在でも公式にキリスト紀元が用いられております。キリスト紀元を採用せねばならんからといつて必ずしも日本式の元号を廃止せねばならんとは考えられないのでございます。
我々神道人といたしましては、キリスト紀元による年代表示の方法が外交文書で用いられようと、学校の教科書や年表で用いられようと決してこれに反対するものではありません。我々の間におきましても年表的な場所では大いに利用しておるのでございますが、あらゆる場合にキリスト紀元一本に統一されて強制されるということは到底承服しがたいのでございます。キリスト紀元一本になるという法案は、必ずしも政教分離の憲法に反するものではないという理論は、理論としては成立ち得ると思います。政教分離の米国におきましてもキリスト紀元を用いております。又キリスト教に対してはむしろ反抗的でさえあつたナチス、ドイツでもキリスト紀元を用いておりましたし、又反宗教無神論者の指導下にあるソ連邦においてさえもキリスト紀元を用いられておるのであります。元号とか紀元というものは、少くとも近代国家においては政治的主権というような問題には直接的な関係を持つものではないと申せます。併しながら我が日本の国民感情を考えますと、決してドイツやソ連と同様には行かないと思うのであります。ドイツやソ連では、過去におきまして長いキリスト教文化の伝統がありましたので、国民はキリスト紀元を用いても、それがキリスト教という一宗教に特殊な関係を持つておるということを全く感じない程までになつておるのでございます。非キリスト教的な宗教教派が別段に存在しないからでありましよう。ところが我が日本におきましては、国民の圧倒的多数が神道と仏教に属しております。キリスト教徒は全日本人口のうちの僅々百分の一に過ぎんのでございます。ここで今後は一切キリスト紀元を用いる。少くとも公式文書ではキリスト紀元以外のものを用いてはならんということになると、神道人や仏教徒は何んだか、国家が特にキリスト教を支持しておるように感ずるでありましよう。これは法理論的に申すのではございません。感情の問題と申すべきでございましようが、政教分離の憲法の円滑なる連用という点から考えますと、このような感情問題も極めて愼重を要することと存じます。
今日では国家の公式文書に用いられるのと同様の元号が、神道人、仏教徒、キリスト教徒のいずれによりましても用いられておりますが、国家がキリスト紀元一本で行くことになりますと、神道や仏教では自然国家と別の年代表示法を持つことになりましよう。神社の祝祠などにキリスト紀元を用いたり、仏教寺院の墓碑銘にキリスト紀元を用いることは、我々宗教人として想像し得ないことでございます。現にこの問題が新聞紙上に報道せられますと、全国の神社人や氏子、崇敬者から随分と熱心な反対意見を申し送つて参つております。過去の東京新聞社の世論調査でも、現在のままの元号を存置するがいいという意見が、キリスト紀元一本の意見よりも二倍以上も多いということを報道しております。これはキリスト教文化の伝統が浅く、神道や仏教徒の多い日本の世論としては当然のことであろうと存じます。元号とキリスト紀元の便利、不便利の問題や法理上の問題や議論は多いここと存じますが、私は全国の神社、神道人を代表する宗教人の立場といたしまして、神道人も仏教徒もキリスト教徒も、如何なる敵宗派に属する人も極めて自然に受入れることのできる元号を存続させて頂きたいと切に希望するものでございます。日本人のあらゆる政派、教宗派の人々がひとしく国民統合の象徴として仰いで来た皇室と縁りの深い元号が将来も尚用いられて行くことを我々は希望するものであります。右のような考えを持つております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/00703020804008c.html
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの8日目。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20121010050507
http://anond.hatelabo.jp/20121023020700
何度でも書く。
なぜなら
根拠は 日米安全保障条約(主要規定の解説) の第5条。
つまり、領有権(≒施政権)が確立されていなければ、米軍は防衛行動を起こす義務を負わない。
日米安保が現実的な抑止力となっている以上、係争地認定など愚の骨頂。
(参考)