はてなキーワード: 短い髪とは
※嘘乙、と思われることを前提として本当に覚えてることを書いている
今日みた夢
推しに振られる夢。
推しに気があるそぶりを結構ぐいぐい見せてしまう自分で、例えばみんなで座ろうという席の隣を座ろうとするとか、手に触れようとするとか。
その時にすごい戸惑いというか、嫌な顔をされて「え…?」と言われた声色がかなりリアルで、今なぜか申し訳なくなってしまい推しの配信を見に行けない……クラスの女の子のえっちな夢見て気まずいみたいな感じかもしれない。よくある話。
でも途中でなんか、ふとした瞬間に髪の毛をサラッと触られたり、「かわいい……」ってぼそって呟いたのが聞こえたりするんだよ!そんなのさあ!あげておとすなんてさあ!卑怯だよ!
凄まじいのがそのあと。まじで10年ぶりくらいに淫夢を見た。あっちじゃない。
「推しの好感度が20になった瞬間の傷ついたあなたの顔は、その場面を見ていたAというキャラクターの逆鱗に触れる。強制イベント」
Aはなんというか、犬みたいな子だ。これは完全に自分の中の創作キャラ。黒髪で短い髪の毛、いぬっぽいまろ眉に八重歯、吊り目、赤い瞳。
ここでわかるのは自分はこのゲームの主人公というところ。そして夢あるあるだけど見た目は現実の自分とは違う。
そして気まずくなった理由は好感度が20になってたから、らしい。色々間違えたっぽい。何してんだ。
そしてその様子を見ていたAの行動は、というと、
「なんでこっちの方が主人公のこと好きなのに、アイツにばっかりアピールするんだ?アイツもなんであんなに可愛い主人公のこと冷たい目で見るんだ?意味がわからない!!こっちの方が好きなのに!!主人公もアイツもおかしい!!……いや、おかしいのは主人公だ。あんな冷たい目をしたやつのどこがいいんだ?……こっちのほうが愛してやれるってわかってもらわなきゃ」
こんなことを言っていました。
詳しくは書きませんけど、ヤンデレになったAによる、主人公睡眠中の強制パーティータイム発動。
しかもミニゲームで起きたか起きないか判断される。どんな仕様だよ。
しかもなぜか魔法世界。暗くて埃っぽい美術館みたいな一室の中央にある燭台の上。月明かりに照らされている、みたいな謎きれいシチュエーション。
果たして主人公はAと推し、どちらと結ばれるのか。はたまたBADエンドなのか。
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。
ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。
医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。
「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」
とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。
「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。
翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。
溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。
その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。
母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。
程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。
実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。
副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。
「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。
その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。
それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。
細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」
とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。
「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。
ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。
改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。
これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。
母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。
この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。
妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。
死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。
12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。
ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。
足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。
そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。
母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。
急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。
少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。
妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。
「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。
その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。
泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。
訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。
そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。
最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。
看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。
一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。
翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。
覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。
おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。
納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。
短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。
葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。
夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。
翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。
母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。
それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。
その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。
母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。
当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。
そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。
ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。
思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。
癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。
【追記】
たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。
野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。
母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。
経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。
なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。
長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。
私も「女子高生」になった。
鏡で自分の姿をまじまじと見るようになった。
中学生の頃、男子に「キモいから触るな」と言われたことを思い出した。
女子の友達はいたが、男子は可愛い友達と話したがってると思った。
修学旅行で同じ部屋だった友達が、たまたまシャワーしている時に、同じクラスの男子から内線がかかってきた「同じ部屋の友達と話したいんだけど、いる?」と。
この時代、メイク特集も可愛い女の子を対象にしたものばかりで絶望した。
(一重はアイラインが見えないし、稀に載ってる一重メイクは魅力を感じなかった。クールな一重、以外の褒め言葉を見たことがなかった)
女の子扱いされたい、というよりも、女の子扱いされないことに傷ついていた。
高校生の私は、女の子扱いされるための努力をめちゃくちゃ頑張る気力はなかった。
これ以上やりすぎて色気づいてると思われるのは恥ずかしい、大学受験、趣味の時間。
だから、私は、一生女扱いされずに生きていくのだろう、と漠然と思っていた(当然、恋愛は自分に関係のないもの)
「俺、汗臭かったらほんとごめんな!女子の前で恥ずかしいわ」
初めて女の子扱いされた!他の女子と対等に扱ってもらえた!とめちゃくちゃテンパった。
恥ずかしかった。
嬉しかった。
私は、大丈夫だよ、とかそんな返事をした気がする。
20年たった今でも、夏になると思い出す。
私を対等に扱ってくれてありがとう。
本人にとっては何気ない一言だっただろうけど、私の夏の思い出として輝いています。
あれから社会に出て、仕事で技術を磨き、好きなファッションをして、好きなメイクをする。
自分に自信がつくと、女の子扱いされるとかされないとか、他人からの評価軸でうじうじすることはなくなったけど、高校生の頃は本当に重要な問題だったんだよなぁ。
そのくせ、生地が薄いペラペラのシ◯インやハ◯ーズのワンピースを着るもんだから座れば三段腹がクッキリ透け、足が太すぎるので膝丈ワンピースがミニワンピースになりサンダルにはまん丸の足が醜くぎゅうぎゅうに詰まっている。
本人は清楚系(笑)のつもりなのか、染めたことがない真っ黒な重たすぎる髪は一切の手入れもしていないため、前髪は脂でベッタリ張り付いている。
この前は肩にもかからない激重セミロングを無理やりハーフアップにしてリボンをつけていた。見てられない。
ところで学生の時、いや無理あるやろってぐらい短い髪を無理矢理結んでた子、1人ぐらいいなかった?
センスも最悪で、似合わないピンクやド派手な色の服が好きで紫のバッグに全身真っ赤の水着みたいな生地のワンピースを着てきておったまげた。
化粧は下手なのに派手なアイシャドウをベタ塗りして顔は脂でテカテカ。
慣れてないならシンプルな化粧にすればいいのにどでかいラメを顔につけてきたりするもんだから笑ってしまう。
化粧しなくても目大きいんだよね〜じゃねえよ、
瞼に乗っかった濃すぎる眉毛に全部目がいくわ。
同じ香水買うのやめてよ。甘い香水なんて似合ってないし、汗で刺激的な香りになっている。
公害も良い迷惑だ。せめて爽やかな香りの香水をつければ良いのに、マネしてたくさんつけるものだから数メートル離れていてもブンブン匂う。
ネイルも真似して同じマニキュアを買うが、まずそのささくれだらけの指とスジだらけの爪をどうにかしてこい。
ケアもしないで色が綺麗に乗るわけもないのに商品のせいにする。やめていただきたい。
他の友達が私のことを本当にスタイル良くて細い、可愛い、お人形みたいと褒めてる間はだんまり。一応自覚あるのかな。
好みは自由とはいえ、フリフリのブラウスを試着した時は二の腕が太すぎてシャーリングのフリル が全部伸びきっていた。
さすがに気になったのか買わなかったが、私は買おうと思っていたので買えなくなってしまった。はぁ。
せめてデブじゃなければ、ダイエットの話題も出せるし、これ可愛い〜似合いそう〜と本心から言えるのに。
一緒にプリクラのレンタル制服着て可愛い可愛いって写真取り合いたいし、隣座って足太!私のウエストぐらいある!とか思いたくないのに思っちゃう。
だけど本当に嫌なのはそんなことを思ってしまう自分。こんなに細くて周りから可愛い可愛い言われてる子が隣にいて、少しでも痩せようとか努力しようとか思わないんだろうかとか、
自分だったら恥ずかしくて外出できないのになんでこの人は大丈夫なんだろうとか。
わかってる、そんなの自由、自分が勝手にそう思ってるだけで友達は悪くない。どんなに見た目を綺麗にしても醜いのは自分の方。
正確には、出してもいいけど女とセットにしろ。
パーソルテンプスタッフ株式会社は以前、Hey! Say! JUMPの中島裕翔の写真を使った全面広告を日本経済新聞に出している(2021年3月23日)。
ttps://www.tempstaff.co.jp/corporate/release/2020/20210315_5025.html
また、ジャニーズから城島茂・国分太一・松岡昌宏が独立して株式会社TOKIOを作ったとき、同じく日経新聞に全面広告を出した(2021年4月1日)。
ttps://sirabee.com/2021/04/01/20162546415/
これらの広告には、日本人の男性しか写っていない。したがって、これは、日経新聞が創設メンバーであるアンステレオタイプアライアンスの掲げる「3つのP」の1項目「Presence」に反しているし、2項目目の「Perspective」も怪しい(後者にはTOKIOの視点しかないし、前者には、イケメン男性を愛好する女性ファンの目線で描かれている)。
だいたい、パーソルテンプスタッフ株式会社の業務と中島裕翔に何の関係があるというのか。中島とテンプスタッフの業務との関係は、巨乳女性が出てくる漫画と献血事業との関係くらい薄いだろう。事業の広告に無関係なイケメンを出すのはルッキズムを強化するので有害である。
えっ? TOKIOの広告にはTOKIOしか出てなくてTOKIOの視点しかなくても問題ない? 商品そのものの広告だった『月曜日のたわわ』は男目線だと叩かれたよね? ということは、商品そのものの広告にも「3つのP」は適用されるべき、ってことになるよな。OK?
納得してもらえたところで次いこうか。
Yoshikiのワインブランドの全面広告が日経新聞に掲載されたこともある(2021年12月15日)。もちろんYoshikiしか写っていないので、上述のジャニーズと同じ問題が発生する。日経新聞は今後このような多様性に欠けた広告はやめるように。
『月曜日のたわわ』の広告は有害なジェンダーステレオタイプを強化するのだそうだ。なるほど、有害なジェンダーステレオタイプを強化する表現が広告として世に広く掲示されるべきではない。
ところで、日経新聞は『鬼滅の刃』の登場人物である煉獄杏寿郎を使った全面広告を載せている(2020年12月4日)。
ttps://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1293062.html
ものの見事に日本人のキャラクターしかいない、多様性の欠如した広告キャンペーンだ。当然、「3つのP」に抵触する。
しかしそれだけではない。『鬼滅の刃』は、主人公に対して「弱い 未熟 そんなものは男ではない」「どんな苦しみにも黙って耐えろ お前が男なら」といったセリフを投げかけるキャラクターが存在し、主人公はその指導に従う。これは、弱さを否認するウィークネスフォビアや、弱音を吐かず耐え忍ぶという有害な男らしさ(トキシックマスキュリニティ)を助長する描写であり、男性にとって有害なステレオタイプである。このようなジェンダーステレオタイプを強化する広告を載せるべきではない。
また、主人公が刀を振るって戦うことは、刃物による攻撃に怯える人たちをさらに脅かすものであり、「刃物で人を虐殺して構わない」というメッセージを社会に発している。
なに? 『鬼滅の刃』をちゃんと読め、『鬼滅の刃』は主人公が虐殺を肯定するシーンなんて一度もない、だって? 『月曜日のたわわ』にも主人公が痴漢を肯定するシーンはひとつもないが、痴漢を連想する、痴漢を助長するとして叩かれた。ということは、『鬼滅の刃』も、刃物を振り回すキャラクターのイラストを以て、通り魔などの恐怖を連想する、通り魔を助長するとして叩かれなければ筋が通らない。
さて、ここまでは、実際に日経新聞に掲載された広告に基づく話だ。次からは、「アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーとして、このような広告を載せないように注意してほしい」という警告を発しておきたい。もし将来このような広告が載せられたら、みんなは存分に批判してほしい。
プリキュアは短い髪のキャラクターであっても変身後は長髪になり、スポーティなキャラクターであっても変身後はヒールを履くなど、「女性は髪を伸ばしヒールを履くものだ」というジェンダーステレオタイプを強化している。「女性はヒールを履くべき」という固定観念がいかに時代遅れかは#KuTooの運動で明らかになった通りだ。さらに、なんと前作ではメイクがテーマとして扱われていた。「女性は化粧をするべき」というのが家父長制による押し付けであることは韓国のフェミニストたちによる脱コルセット運動が示している。プリキュアは女性のエンパワメントを阻害する。これ以上このような有害なステレオタイプ表現を公共の場に掲示すべきではない。暖簾の向こうにしまって子供に見せないようにすべきだ。
さらに、歴代プリキュアには男性メンバーがいない。これはもちろん、ジェンダー平等であるべき広告にはあるまじき多様性の欠如である。仮面ライダーに女性ライダーがいるべきであるように、プリキュアにも男性プリキュアがいてしかるべきだ。それが本当のジェンダー平等だろう。
したがって、プリキュアという多様性に欠け有害なジェンダーステレオタイプを撒き散らす作品の広告を、アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーである日経新聞が出すべきではない。今後、プリキュアの広告を載せてほしいという依頼が来ても断るように。
『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』という漫画がドラマ化されてヒットを記録した。しかしこれは、男性に性経験がないと馬鹿にされ軽んじられるという有害な男らしさに基づく性規範を下敷きにしたタイトルであり、有害なジェンダーステレオタイプを助長している。日経新聞はこのような作品から広告を持ちかけられても毅然と断るべきだ。
また、チェリまほの原作者の豊田悠は女性である。男性同性愛者というマイノリティの性愛を、非当事者である女性が創作のネタにすることは、文化の盗用であるだけでなく当事者から機会を奪っているし(たとえばアメリカでは、白人女性がメキシコ移民を主人公にした小説を書いたことで簒奪だと批判された)、マイノリティを自らに都合のいい存在であるかのように扱うという性的客体化である。チェリまほに限らず、女性によって書かれた男性同性愛もの(あるいはその逆)を日経新聞は肯定的に取り上げるべきではない。なぜならそれは簒奪であり文化の盗用であり性的客体化であり、つまりはポリティカルコレクトネスに反しているからだ。
映画が大絶賛公開中の『ファンタスティックビースト』シリーズは『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフである。ところで、同シリーズの原作者J・K・ローリングがトランス女性への差別発言を度々行っているのは有名な話だろう。「温泉むすめ」のコラボが叩かれた件では過去にR-18コンテンツを描いていた作家がいたことが批判されたように、「誰がそのコンテンツを作ったか?」は重要な問題である。日経新聞は、間違ってもTERFによって作られた『ファンタビ』を肯定的に宣伝すべきではないし、広告に手を貸してもいけない。多様性を尊重すべき世の中なのだから当然だろう。
『月曜日のたわわ』全面広告批判の急先鋒となった『ハフィントンポストハフポスト』は、もちろん、日経新聞並かそれ以上に厳しい倫理観を問われる立場であるはずだ。であれば、まさか児童性虐待を恒常的に行っていたジャニー喜多川に対して肯定的な記事を書いてはいないだろうし、同性愛への偏見が根強く残る日本において同性愛者を面白おかしく扱ったステレオタイプ強化ドラマ『おっさんずラブ』の記事も同様であるはずだろうし、TERFが原作者である『ファンタビ』の知名度向上に寄与していたりはしないはずである。「ジェンダー、女性の生き方、人権、ハラスメントの問題、ルッキズム(ボディポジティブ)などに関心が」あるライターなら、なおさらそうでないとおかしい、の、だが……あれ?
学校でクソみたいな校則あるでしょ? 今の時代になんでこんなのやってんだ、みたいなの
あれがなんで無くならないかをここに書くよ
例えばよくやり玉に挙げられるツーブロックとか、正直ね、若い教員はみんな別にそれくらいいいって思ってるよ
じゃあなんで無くならないかというと、地域がそれを許さないんだわ
近所のおじさんとかおばさんとか、主婦層とか、その学校に子供を入れようとする小学生や中学生の保護者がそれを許さないんだわ
学校が強権的に校則で押し付けてるってみんな思ってるでしょ? 頭が固いおっさんたちの集団だと思ってるでしょ?
違うんだな~~~ クレーム入れてくる地域の方々(笑)が諸悪の根源なんだわ
制服の着こなしとかも全部そんな感じでね、ああいうのって、その地域が持つ「りそうのこども」を反映してるんだわ
ネットのみんなは、学校教育について、さも何でも知ってるように偉そうに物申すよね
分かるよ~ 小中高って、12年間過ごしたもんね 12年もいれば色々見えるよね
はい残念、そんなことはないよ
10年近所のコンビニに通ったとしてさ、そこの店員さんが裏でどんなコトしてるかとか、給与形態とか、レジと品出し以外の仕事とか、あんまり分からないでしょ? コンビニで働いたことないから
学校もそれと同じ 下手にみんな長く過ごしてるから、分かった気になってる人ばっかり
学校はね、地域に根差しているんですよ~ これは、よくも悪くもね
例えばさ、放課後に街の公園のベンチでいちゃついてる高校生がいたら、制服から特定されて学校に苦情の電話くるんだわ
どんな教育してるんですか? 恥ずかしいです しっかり指導してください はい、お決まり~~~
知らねーんだわ、そんなの 下校した後の行動なんて、ぶっちゃけ、家庭の躾の問題なんだわ それが当たり前のように学校に届く現状がおかしいんだわ
制服の着こなしもそう
髪型もそう
素行もなんでも
全部全部、地域が目を光らせてて、煩いおっさんや井戸端会議大好きなおばさんの目に留まると、すぐクレームが飛んでくるんだわ
そんなことに毎日のように追われてる先生たちがいるんだわ、日本中に
たまにさ、校則なんてなくていい、生徒が自由に選べばいい、自主性~~~~~ とか言ってる人いるけど
それはね、多分、君がほどほど上流階級で生きてきてるんだよ
地方の田舎の学校は、すぐ動物園になるんだよ ちょっと目を離すと猿山なんだ
そんな集団を手っ取り早くそれなりにまとめて、地域からの面倒なクレームを減らそうと思ったら、校則で縛るのが一番早いのね 超効率的
刑務所みたいって思った? 軍隊みたいって思った? それが正しいと思う 日本の集団教育はまさにそれがベースで成り立ってるよ
学校が治外法権とか言うでしょ? まさにその通り そうするように、地域が求めてるんだよ
学校に苦情が来て、教育委員会に苦情が来て、保護者の間に噂が広まれば評判が悪くなって入学者も減る(今は小学校だって選べるしね~)
クソ校則って、その地域にある、素行への感覚が明文化されたようなものなんですよ
みんな、子供たちを取り巻く環境を変えるには、まず学校からって思ってるでしょ?
社会に出る前に学校が先にあるから、最初が肝心ってみんな思うよね?
社会全体が前時代的な価値観を変えていって、それから何十年もして、価値観を変えられなかった頭の固いおじさんおばさんが亡くなって地域からいなくなって、そこでやっと学校の順番なんですわ
ここまでこないと無理なんですよ
たまにめちゃくちゃ改革をする人が校長になってばさっと全部変えることもあるけどさ、あれも地域の頭の固い人からはとっても嫌がられたりするのね
そういう劇的な人がやってこないと根本が変わらないっていうのは、民間企業も同じでしょ? 業界ごとにある、ガンっていうかさ、風習みたいなのあるじゃん
だからね、クソ校則のような学校を変えたかったら、先に変わるべきは大人なの
俺はもう転職したけど、面倒臭い地域の相手をしたくないから教職には戻らない
>その、地域の一部のうるさいおじさんおばさんのクレームをいい大人が処理できずに校則という形で子供に押し付けてるのは何なの?って話なんだが。
一部なんて書いていないんだけどな~~~~ 特に地方はあなたが思ってるよりず~~~っと保守的だよ
残念ながら、おじさんおばさんのクレームの言い方は酷いけど、趣旨は地域の総意に近いことがほとんどだよ
昔ながらの短い髪で、決められた制服をしっかり着てね、放課後に買い食いなんてしないで真っすぐ家に帰る品行方正な学生が理想(笑)なんだよ
自分の会社にもいない? 50代とか、60代とか、今時そんな~ って考え方を、信じて疑わない人
「クレーム処理しろ」って、なに? 仏教信じてる人にキリストの教えを理解させること? こういうのってね、信仰なんだよ、一種の
「ツーブロックは今時めずらしくありません。あなかが古いんですよ」って言って聞かせるの?
「処理」(笑)なんてむりだよ
我が子を持つ奥様方も、あんな不良ばっかりの学校には行かせたくないって思うんだわ
例えばね、ツーブロックが多い学校には、お父さんが若い頃にすげ~剃り込み入れてたようなヤンキー親子が集まるんだわ 傾向として 嫌な保護者は避けるから
それでね、義務教育の中学はともかくさ~ 公立も私立も、高校は少子化ですごく厳しいのよね 上の人はどうやったら入学者が増やせるか頭ひねってる
お客様のご機嫌を損なうと、受験者とか入学者とか減って、定員割れを起こすんだわ
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
もう3年ぐらい、朝はサラダを食べてる。
かなりボリューミーなサラダをつくって食べ続けてる。
レタス何枚か、トマト半分、ゆで卵1個、シャケの切り身を茹でたやつは大体入っていて、
あとはオクラ、小松菜、レンコン、人参、玉ネギ、リーフミックス、ほうれん草、キノコ類、チンゲンサイ、ブロッコリー、セロリ、ラディッシュやらなにやらこの辺りの値段間の野菜を何種類かをボールいっぱいに入れてポン酢とマヨネーズとレモンとレモンペッパーで和えて食べてる。
野菜の緒種類が豊富なほど口の中で噛んでるときの味に満足感があって美味しい。そもそもは「野菜1日350gもムリじゃん」と思って、じゃあ1食で食べきってやろうと思ったのがほったんだったんだけど、慣れてくるとカラダもシャッキリするし、意外と飽きもこないのでちょうどいいと思ってた。
ずっと、家からいちばん近いスーパーで買っていた野菜を使っていたんだけど、最近買った総菜2つの2つともに不純物が入っていたのが原因で(短い髪の毛とビニール片が混入していた)少し気分良く買い物ができなくなったので少し遠目の、通っているジムの近くにあるライフで野菜を買った。
そしたら、味がまったく違うの。
同じ野菜を買ってるんだけど、全部合わせたときのトータルの味がなんか違う。ポン酢とかマヨネーズとかは同じメーカーのものを使ってるから味が変わっているはずもなく、つまり、「野菜の味って違うんだな」という不思議な感覚に陥った。
いままで、トマトはトマトだったし、そりゃたまにはすっぱいとか甘いとかゆるいとかああったけどさ。レタスはレタス。小松菜は小松菜。同じ種類の野菜は全部同じ味としか見てなかったんだけど、やっぱり作る農家さんによって味って違うんだなと思った。
私は実家ではライフを重宝していたので、ライフで買った野菜を食べて、「そういえばこれ実家で食べてたレタスの味だわ!」って記憶が蘇った。美味しいとかまずいとかではなく、味が違うって感じ。あの店のカレーとこの店のカレーは味が違うのと同じ。
今まで、同じスーパーで買うか、他のスーパーの野菜を買っても一部とかさったので気付かなかったけど、全部変えて気付いた。近所のスーパーは農家さんの名前がいちいち書かれている野菜が売られていて(田中さんの大根!みたいな)、結局、総菜に罪はあっても野菜に罪はないと思って近所のスーパーに戻った。うん、これこれ。
何度も諦める努力をした。でも、いつの間にか好きになって貰える努力ばかりしていた。
新しいことに挑戦して、失敗するのが怖かった私はいつも何もしなかった。現状維持を優先していた。何の向上心もないのに、どんな私も愛してくれるだなんて自惚れてた。
失ってから後悔しても、もう遅い。けど、失ったから変わろうと思えた。新しい事にも挑戦しようと思えた。
似合わないと決めつけていた、短い髪型も、どうでもいいと思って切ったら、そっちの方が似合ってると言ってくれた。
口だけだった留学ももうすぐ実現する。ダイエットなんてした事なかったけど、もっと引き締まった体が欲しくて頑張ってる。
無理するくらいなら逃げてしまえと思っていた事から逃げずに、ちゃんと向き合う事もできるようになった。
どうせ、治らないと思っていた病気も少しづつよくなってる。性格も穏やかになった。少しでも心に余裕を持てるようになった。
元カレと別れてから、死ぬ程辛かった。死んでしまいたかった。馬鹿馬鹿しくなるくらい好きだった。
どれだけ泣いても想っても、当たり前に何も戻ってこなかった。まだたまに泣いてしまう。今でもずっと想ってる。でも立ち止まってはいない。進んでる。
元カレはすごく素敵な人だから、私ももっと素敵な人になりたい。例え、よりを戻す事ができなくても、せめて元カレの素敵な友達になれるように頑張りたい。
と、強がっていますが、めちゃくちゃより戻したいです!!!めちゃくちゃに頑張るのでより戻して貰えませんでしょうか!!??もう何でもしますからあああああ。
でも、でも、本当に今の私はみんなからめちゃくちゃ褒めてもらえるほど成長したんです!!今更感が強すぎるんですけど!!!!でもでもでもでもそんなの関係ないって言うか、こんなにも人として成長しようと思わせてくれてありがとうございます。愛されてた時はめちゃくちゃ幸せだったけど、今はちゃんと自分で自分を愛せるようになったんです!!だけど、貴方がいたら私もっと幸せで世界一幸せになれると思うんです!!!!一生努力し続けて素敵で素敵な人になりますうううううう。
強制とかじゃないですので、もし、もし、気が向いたらより戻しましょう!?全然全然、貴方の為に頑張る!!とかじゃないんで!!!私自分の為に頑張ってるんですよ!!!だって全部私が幸せになる為の努力なんです!!!!だから別に、貴方とよりを戻せなくても無駄ではないし、プラスにしかならないんです。だけど、私は貴方と幸せになりたいし、貴方をめちゃくちゃ幸せにしたい。一度出来なかったのに、出来るわけがないと言われるかもしれませんが、できる気しかしないんです!!出来なかったらもう保険金全部あげるので他の人と幸せになってください。そういう事です。好きです。ありがとうございました。
終わってから、あと2ヶ月くらいで1年!
その節は独り言のような日記を見ていただきまして、ありがとうございました。
私は無事再発などもなく、髪もショートくらいまで伸びました!
髪質はほとんど変わんないかな…。太った! 今はちょっと痩せた!
ニュースや、ホッテントリでも、ガンの話はいっぱい聞くし、亡くなる方も多くてとても心がズキズキする…。
実は、私が手術の後すぐ、小林麻央ちゃんが亡くなったんだ……。
その時は本当にショックで… でも、当時よりも、段々とショックが大きくなっていった気がする。
あの時は、むしろ反発した部分もあった。今は、もう、彼女に対する想いはよくわからなくなってしまった…。
先日、伯母さまが亡くなったの。やっぱりガンで。長いこと闘ってらした方で。お通夜とお葬式に行って、やっぱり短い髪で、しょんぼりしたよね…。ああ、そうよね… って。抗がん剤のつらさも思い出したりしてさ。いや、長く治療した人はずっともっともっとつらかったんだろうなと… 自分の場合、終わりが見えてることが希望もてたよね…。あと、そこまで吐き気も強くはなかった。それでも、つらかった。もう、つらかったことなんてすっきりさっぱり忘れちゃってたくらいつらかった。
やっぱり、今も戦ってる人がいる。この前、術後もつらい増田がいてさ…。
自分なんて元気になってからは、つらかった生理なくなってヒャッホーイ☆ な気分(ちょっと強がっちゃった…… ほんとはちっちゃい子見るとちょっとだけしょんぼりする…) だけに、申し訳なさもあったりして、悩んで悩んで悩みに悩んで、結局、トラバも書けなかったの…。
私は元気! ちょー元気! 仕事はじめたよ! でも、ブラックだった☆
でも楽しく元気に生きてますよ!
あと、ブッコメでもらった、「元記事のリンク」って言われたの、できなかったの、ごめんね…
ジャニーズにハマった。
だけど気付いたらビジュアル系にハマり、よくあるジャニーズが苦手なバンギャになっていた。
そして気付いたら特撮にも浸かっていた。
人の興味は大体3年で薄れるというけれど、本当だなって。
ちょうど以前見たことのある
少年倶楽部を放送しているからと思ってチャンネルを回せば、ジャニーズぽくないメンバーがいるなと感じた。
なんとなく、LDH感もあるなあと思っていた。
それは神宮寺くんと岩橋くんにいかにもなジャニーズ感があったからかもしれない。
それからしばらくして、ふとYouTubeで(ごめんなさい)漁ってみたら、岸優太くんのまとめ動画が出てきた。
天然なキャラに、後輩感あふれる言葉遣い、他のメンバーに比べて短い髪の毛。
そのまま歌を歌う岸くんが流れてきた。
ちょうど見てなかったけどテレビ初披露時に岸くんは村上信五くんに似てると話題になってたらしい。
わかる~~と思いつつ、歌って踊る岸くんをみたら、村上信五くんだけじゃないぞ………これは渋谷すばるくんも存在してる………!という感情(?)が生まれてきた。
それから、4月。推しの共演者に色んな事があって、落ち込んでいた時。
気づけばまた岸くんを調べる自分がいて、
知れば知るほど、岸優太くんというアイドルにのめり込んでいった。
ケチと言われるくらい倹約家だけど、しっかりと自立していること。
だけど二人とも、本当に岸くんのデビューを待ち望んでいたこと。
同じグループのメンバーだけじゃなく、後輩、たくさんの人から慕われていて、
これに関しては全くの素人目だけど、アウトロの移動の足がめちゃくちゃかっこいい。
岸くんのこのバキバキのダンスの気持ちよさは何度見てもゾクゾクする。
Snow manとTravis Japan、そしてHiHi Jetsの更新が楽しみ。
でも特に顔が好きなのは金指一世くんと岩崎大昇くん。顔ファン拒否に刺されるぞ。
岸優太くんというジャニーズのアイドルに出会って毎日が楽しいということ。
期待をいい意味で裏切ってくれる岸くんが、これからもっともっと有名になるのが本当に楽しみ。
LDH感があるなんて思っていたけど、キラキラまぶしい岸くんは、紛れもなくジャニーズのアイドル。King&Princeの王子様だ。
語彙力の不足でジャニオタの皆さんみたいなテンポのいいブログは書けないから匿名ブログという形で書いたけれど、これだけは言える。
そして、デビューおめでとう。
私は22歳女だ。長年疑問に思っていることがある。
私は、重たい髪の毛が好きなのだ。重たいというよりも、一本一本の髪の毛の長さがすべて同じで、例えるならば日本人形のようなヘアスタイルにしたいのだ。
何故梳くのが嫌かというと、一つ目に短い髪の毛がピョンピョンで出て痛んでいるように見えるから。
そして二つ目に仕事上髪の毛括るのだが、その時に量が少ないと少々貧相な印象になってしまうからである。
オーダーの仕方だが「梳くと表面から短い髪の毛がぴょんぴょん出て髪の毛が痛んで見えてしまうので、絶対に梳かないでください。重たいのが好きなのです。毛先を揃えてください」と美容師さんに伝えてきた。
結果:梳かれた
何がいけなかったのだろうか。美容室がいけないのだと思い、また違う美容室へ。
前と同じオーダーの仕方をした。
「お客様は髪の毛がとても多いので、さすがに少し梳きますからね~」
結果:有無を言わさず毛先を梳かれた(チキンなので、あ、はい・・・としかいえなかった)
またしても違う美容室にいった。また同じオーダーの仕方をした。
そうしたら「かしこまりました。毛先だけ少し梳くといいますか、整えて宜しいでしょうか」
と聞かれたので「梳かないのであれば何でも大丈夫です」と答えた。
次の瞬間あろうことか、梳きバサミであろうハサミで耳の下からザックザク梳かれた。(鎖骨ぐらいの長さの髪の毛)
「お客様は髪の毛が多めなので、少し軽めにしておきましたよ~」といわれた。
本当に死にたくなった。私の伝え方がいけなかったのだろうか。いや、そんなことは無いはずだろう。
絶対に梳かないでくださいと伝えているのに。重たいのが好きだといっているのに。
私の思う梳くの意味が違っていたとしよう。だが、私の伝え方で、私のなりたいヘアスタイルは伝わらないものなのか?客の希望を汲み取るのが美容師の仕事だろうが。
美容師のセンスの押し付けがうざい。私の好みがあるのだから、ほっといてくれ。
お前らと私の好みは違うんだよ。自分のセンスがとても良いと思ってる美容師うぜえ。
最終的にもうどうにでもなれと思い、1,000円カットへ行った。
「日本人形のような髪型にしてください。絶対に梳かないでください。すべての髪の毛の長さを揃えたいのです。パツ切りにしてください」
と、オーダーした。
何とバリカンが登場したwwwバリカンで横一直線にパッツンにしてくれた。
ハサミが登場せず、何というかとても安らかな気持ちになれた。あ、私にはハサミは不要なんだわwと強く思った。
値段も安く、予約も不要、時間もかからず、思った通りの髪型になったので大満足だった。
ラーメンズ、椎名林檎、星野源、古屋兎丸、写真、映画、舞台、漫画、文学、美術館巡り、丸フレームの眼鏡、短い髪、あとヴィレヴァン。
世間ではこういうのを好む女をサブカルクソ女と呼ぶ。そうとも私はサブカルクソ女。上にあげたやつ全部好きだ。今月なんて稼いだバイト代ほとんど全部小林賢太郎とペトロールズにドバドバ注いだせいでおやつを買うお金がなくて今は小麦粉と砂糖を牛乳でといて焼いた何かにマーガリン塗って食べている。美味しい。
スイーツ()もキモヲタもひどい呼び方だ。なぜ西野カナが好きなだけで()なんてつけられてバカにされねばならぬのだ。なぜ推しへの情熱をキモいなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。
なぜだ。なぜ好きなものを好きだと言っているだけで私たちはクソなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。何が好きなら文句がないんだ。
置いとこう。きっと何を好きでも文句いう奴はいなくならないんだろう。
しかし、サブカルクソ女などという不名誉な呼称が広く使用されている以上、呼ぶに値するような、何か共通項を複数備えたクラスタが存在するのは事実なんだろうとも思う。
一体何が原因なんだろう。共通項の根幹はどこにあるんだろう。私は私のことを知りたい。
親の年収?
うちはトータル1000万くらい。親が若い頃はもっと少なかったかな。
学歴?
私は普通の共学の進学校からそんなでもない国立大に進んで理科学んでる程度。
クラシックのコンサートや博物館や科学館にはよく連れてってもらったけど、演劇や美術館には自分で目覚めたかなあ。
というかサブカルクソ女のみんな、絵でも小説でもダンスでもなんかしら恒常的に作品作ってない?あるいは作りたい欲求ない?私映像作ってる。あんまり人に見せないけど。
役者とかやってみたいと思ったことない?私はブスで勇気が出ず結局できなかったけど、文化祭で演劇打つ時なんか側で関われるだけでとても楽しかった。
人と目を合わせられる?劣等感多くない?自信がないのを奇抜な服装でカバーしようとする気持ちない?
こんな風に色々聞いてみたいことがある。あーあ、もっと拡散力あるツイッターアカウントとか持ってたらアンケート取ってみたいんだけどな。
落ちた。
大手カラオケ店でのアルバイトの面接。店の部屋で先方が用意した履歴書に記入し、1シート800円の証明写真1部を添えて面接官の店員に手渡す。面接には決まった手順があるようで、最初の「志願理由の確認」にチェックが入ったあと、店員は言った。
「当店には服装の規定がありまして……身だしなみとして、男性の方の長髪では働くことができないんですね。……もちろん個人の価値観等はあるでしょうから無理強いはしませんけども、飲食物を扱いますし、耳が出るくらいに……改善が見られないのなら、面接をしてもお互い時間の無駄ですが……」
ぼくの履歴書は、のりの付いていない顔写真は、カラオケ店のシュレッダーのタンクの中に細切りの状態で存在するのだろう。
肩に付かないくらいの短いボブカット。美容院だって2カ月に1回だけど行っているし、ボサボサってことはないと思う。ワックスでかためたりもしてないし、こんな感じの髪型をした女性はしょっちゅう見る。でも、それは男性がするには奇抜でふさわしくないらしい。
18年間生きてきて、耳が出て襟足の短い髪型をずいぶんとしていないことに気がついた。中学も高校も通わず、高卒認定とセンター試験だけで大学受験をしたので、その間のNEET時代に髪型を気にすることはなかった。大学に入って髪型についてあーだこーだ言われることはない。16歳で始めた性ホルモン剤で、黙っていれば男物の服を着ていても相手はぼくのことを女性だと認識する。
NEETな、本来高校生であるべき時代に同年代のトランスジェンダーは診断書や名前変更について話していた。そんなこと気にせずに自由に自分らしく生きればいいと、自室のPCの前でTwitterを眺めていた。
社会に出ようとして、働こうとすると髪を切らないといけない。当たり前のことに、ようやく気がついた。かけずに耳が隠れない長さまで髪を伸ばすのはぼくには無理だ。当時のTwitterのフォロワーはそれを知っていて、診断書で学校への理解を求めていたのだ。
自分のジェンダーとかよくわからないし、戸籍変更とかどうでもいいかなって思っていた。日本でMtFが戸変するには、膣に類似したものを手術で作らないくてはならない。新車が買えるくらいの費用がかかって、生殖機能なくなるんだけど、日本ではそこまでして裁判したいと戸籍の性別を変えることはできない。
茶髪OKなバイトだけど、性別変更しないとふつうにアルバイトさえできない。就職のことを考えたら憂鬱になった。髪のことをトレードオフしても求められるような技能を持つ人材にぼくはなれるのだろうか。
団地の11階と12階のあいだの踊り場で、下を向いて立っていた。救命される未来が見えて、やめた。
1000円カットで有名なQBハウスが、いつからかスマホアプリを出しているようなので、試しに入れてみた。
待ち人数の予測機能やフィードバック機能も面白いが、いつも髪形の注文の仕方に迷ってしまう自分にはカットカルテの選択肢が見られたのが有用だった。
選択項目は前髪、サイド、トップ、後髪の4つで、短い髪形から長い髪形の順で並んでいる。
これとは別に、前回と比べてどうしたいかの注文もできるようになっている。
こちらは前回カットした時の写真を見せて使う想定だろうとは思うが、カットしてもらう時の髪形を見ればある程度前回の雰囲気もわかるだろうし、こういった注文を加えるのもいいかもしれない。
インターネットは誰が管理しているか? ほとんどの人間はこれを気にしない。
インターネットが普及して80年ほどが経過した。無線による生体ネット接続が通用し、網膜に映して必要な情報を得ることが一般化した。
「昔の人間は、網膜の情報なくしてどのように車の運転をしていたのだろうか?」なんて話題が小学校の生活の授業で登場する。
観光地や官公庁の案内が、紙や吊るされた案内掲示板によって確認されていたという祖母の昔話に驚いた。
最近は微力な電力を提供することで、人間の動作の補助をネット経由で行なうことも多くなった。初めは介護施設で試験的に創められ、今では街を歩くときに障害物などに対応して移動の補助を行ないうるようになった。すでに老人だけでなく、生体ネットを持つ者の多くが、この動作補助アプリケーションをダウンロードして日々を送っている。視力を眼鏡で矯正した往時の人々と同様に、動作を矯正して正しい、より強い動作が可能になった。
かつてIPアドレスやドメインの管理はアメリカの民間団体であるICANNによって行なわれていた。インターネットの利便性が人間の身体性にまで及ぶようになった時、些細な、かつ歴史的に何度もあったような、単純な理由をもって、インターネットの支配権をめぐる争いが起こった。その結果、新たな管理者が現れた、ネットを管理している者の正体は複合的な国家とそれから委嘱された営利団体により巧妙に隠されて一般の人間には見えにくくなっている。そもそもインターネットは大変便利で使うに越したことは無いのだが、その仕組みを考えたり理解したりすることは、一般人には極めて困難だ。そしてネットの管理者はその点を突き、管理者の意に沿わない人のネット接続をはじくようにした。ネットは警察権と癒合したのだ。「犯罪者」は、ネットを外された瞬間、見事にぎこちなく、身体動作がガタガタになる。古典的表現で言うなら眼鏡や杖を外されるようなものだ。諸々の視覚情報も得られず、たくさんあるネット認証ゲートの使用もできない。
誰だかよくわからない管理者が露骨にその支配権を表明し、強制的な徴兵や労働を人民に課すようになった。逆らえばネット接続を外されてしまう。そうすれば生きてはいけない。ネットを梃子に人々はたやすく支配された。私はその状況を打破するために、1990年代後半に造られた「もう一つのネット体系」の復原を試み、ほとんど成功させた。直接のデータは紙媒体、それも感熱紙に印刷しており当局もそこまで情報をカバーしていなかったことは幸運だった。ほとんど歴史学者みたいなことを続けて、私はwwwに寄生する形で改良を重ねついに実用段階を迎えた。
「通常」のネットがある日突然使えなくなった。既に私の研究は当局に露見しており、ネットの不正使用ということで逮捕されると網膜に通告がなされた。25分後に警察が到着するという。
私の家は中山といい、代々貴族の家系で家格は羽林家(Urin‐ke)というレベルで中級の貴族だった。貴族制度などから恩恵を得る時代はとうに過ぎて、羽林家だからといって何か得するわけでもない。一つ変ったことといえば、随身(Zuijin)として古代(Ancient)から忍者(Shinobi)として仕える秦(Hata)という一族(Family)がいることぐらいだ。21世紀の今日び忍者なんて流行らず、一族の最後の生き残りであるくのいち(Kunoichi)珠洲子が一人仕えるのみだ。それが必要かどうかは措くが、彼女は先祖からの知識や知恵や武術を高いレベルで継承したという。私より4つ年上だから今年33になるのだろうか。栗毛の短い髪に大きな二重瞼の瞳。顔の造形は美しく、飲み屋でよくナンパされるという。高い運動神経は美しい身体曲線をつくる。足首がキュッとした美脚を30代でも維持していることが自慢なんだよー、とよく私に話しかける。
珠洲子を呼ぶ。「…ここに」時代劇じゃないんだからそんな台詞言わなくてもいいのだが。裾の短い、くのいちの装束を身に付けた珠洲子が現れる。本当にくのいちはこんな格好してたのか? 謎だ。「君に生体接続を試みる。別種のネットだ。」「?」「私は拘禁される。…が君は逃げのびて、支配的なネット規制の現状を打破してほしい」「…かしこまりました」「仕組み、多分使えば慣れるはずだ」「…かしこまりました、任務ということでよろしいですね」「そうだ、任務だ」任務といえば逆らえないのが随身の定め。酷い話だが、彼女を脱出させる唯一の方法だ。別れの際も、普段のように会話できれば良かったのだが。