はてなキーワード: 非対称性とは
女は人間である前にメスというカテゴリで見られる。女はメスであることを利用したりして人権を獲得する。メス競争は幼稚園・保育園ごろから始まる。
獲得できない奴もいる。獲得できない奴は不可視化される。
一方で、男はまずオスというふうに見られない奴が多い。むしろオスとして見られない奴の方が多い。
男はオスと見られないことを利用して人権を獲得する。(ただし男の一部はオスであり、オスは人間にならなくても生きていける。人間になってもいいが)
ここでいう人権というのは社会権とか生存権とか尊厳とか財産権とかそういうの。あると人生がワクワクするやつ。
非オスは、女がメスを利用して人権獲得することに羨ましさを感じる。「メスはいいよなー。最初からメスがあって。非オスはオスが無いんだぞ」と。
女は、オスに惹かれるが、中でも自分をメス扱いせず人間扱いするオスに惹かれる。そして逆説的なことだが、女は自分を人間扱いするオスにメス扱いされたい。なぜならそれは特権だからだ。
男から見ると女は単に人権を獲得したように見える。だが女は実はその裏でメスなりなんなり使って闘争している。この闘争は男からはほとんど見えない。とりわけ女と接触点が無いと全く見えない。
闘争から脱落したメスは非メスとして扱われている。非メスは、非オスからすらも興味を持たれない。
一方で、女から見ても、男は単に人権を獲得したように見える。これはこれでその努力が女から見えていない。
「メスとして見られる」という屈辱を受けていないだけで女からしたら羨ましい話だからだ。イージーに見える。
男のほとんどは自分をオスとして見られたいはずだが、女のほとんどは自分を人間として見られたいはずだ。
非オスは「オスとして見られないし、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きているが、メスは「メスとして見られる上に、人間としても見られない」という屈辱の地獄で生きている。
年を取って、女からメスが失われていくと「メスとしてすら見られなくなった」となって、非オスが凛々とするのはそういうことだろう。
8/31日17:50締め切りのメガビッグ(MEGA BIG toto)が、台風による4試合中止の影響により、1等の当選確率が1/65,536となった。
加えて60億円程度のキャリーオーバーにより、公営ギャンブルの期待値が1以上になるという異例の事態が生じた。
期待値1以上とは、要は賭けた金額以上に返ってくるという状態。
これを受けて、普段公営ギャンブルに参加しない人も含めて話題となり、特に数字に敏感な投資・トレード界隈からのメガビッグ購入者が続出した。
受付終了後、1等~6等まで含めての期待値は1.7程度との試算。
理論上は、300円(1口)購入すれば510円程になって返ってくることになる(あくまで理論上は)。
300円×65,536=約1,966万円分を購入すればほぼ確実に1等(2,500~3,000万円程度)が当たる計算になると言われていた。
中にはほぼ全ての現金を投資し、7,350万円(245,000)分のメガビッグを購入した投資家もいた。
基本的に期待値がプラスなら、そこに賭け続けることでプラス収支が期待できる。
しかし今回のメガビッグのケースは、ほとんどの人にとってはその例外と考えられる。
要は、期待値の恩恵を実質的に受けられないだろうということだ。
期待値はあくまで「平均的な結果」なので、期待値だけでそこに賭けるべきかの判断は簡単にできない。
「分布の非対称性」 「リスク」 「実行可能な試行回数」 「その他見えないリスク」
このあたりを加味して考えた方が良いと思う。
今回のメガビッグは、1等2,500~3,000万円程で、当選口数は240本程度と言われている。
それに対して投票口数は1,500万口を超える。
1等であれば大きい金額が得られるが、それ以外の当選金額は極めて低い(300円とか)。
このように大きな金額が低確率でしか得られない場合、期待値は高かったとしても実際にはほとんどの人が当選しないということになる。
・リスクについて
今回の場合、購入口数が少なければ少ない程に当選確率が下がり、期待値の恩恵が受けられにくい。
300円(1口)=0.0015%
となる。
100万円分の購入について考える。
例えば、資産10億円の人が100万円分を買い、期待値プラスの賭けに参加することにはリスクがほとんどないといえる。
一方で、平均的な収入と資産の人が100万円分を買うことはリスクといえる。
当選確率を上げようと多く賭ければ賭けるほど、資産比や収入比でのリスクが高まる。
ちなみに2等以下のみの期待値は0.3程度と言われており、1等が当たらなくても掛け金の30%程度払い戻しされる計算。
しかし今回は数年に一度あるかどうかというケースであり、試行回数を重ねられない。
このケースで試行回数を重ねるためには、より多額の資金を投じ(上限はあるが)多くの口数を購入するしかない。
期待値を活かすには、少なくとも1,200万円分~の購入が必要になると思われる。
・その他の見えないリスク
メガビッグはランダムで割り当てられるため、数字が重複するリスクがあるといわれているようだ。
またその他、システム上のリスクや運営元の都合によるリスクなど、参加者側にコントロールできない隠れたリスクが想定される。
以上の事から、今回のような滅多に発生しないレアなケースでは、期待値の恩恵を受けられる人はかなり限定されると思われる。
少なくとも資産4,000~5,000万円以上、かつ1,200万円以上をメガビッグに投じることができる場合には恩恵があると思われる(ざっくり)。
反対にそれ以外の場合、仮に期待値プラスであっても参加しない判断をしても良かったケースではないかと思われる。
もちろん通常より256倍当たりやすくなっているイベントなので、普段やらない人も(普段やっている人も)、期待せず遊びで少額賭けてみるのは良いと思う。
(私自身はそれなりに買っちゃったので、結果を期待したい…!)
元記事
https://kensuu.com/n/na6ca1ced8f65
「私刑がだめ」というのはわかるし、さらにけんすうさんは「なぜ私刑がだめなのか」や「落合さんのやり方は私刑である」というのを丁寧に解説してくれているけど、堀元さんと落合さんの因縁を少なからず調べて知っている私から言わせてもらえば、「説教する方向が違う」といった感じです。そもそも落合さんが堀元さんから悪口ビジネス(堀元さんいわくコンテンツ批評ですが)を食らっていて、それで人気を得て味を占めた堀元さんが多方面に悪口ビジネスをやっていって……みたいな感じの流れです。
落合さんいわく、いろいろなことを長年やってきたが、どうにも埒が明かないので、今回のような"コンテンツに関わった全員が「後味が悪くなること」"を目指すやり方にしたらしいです。
堀元さんに原因があったはずなのに、落合さんだけが正しいアクションを求められて批判されているというのは、結構歪んだ構造になっている気がします。
たしかにけんすうさんも落合さんもフォロワーは多くて人脈もあってお金も使えるタイプだと思いますが、対して堀元さんがそうじゃないかというと全然そんなことないと思うんですよね。「落合さんのフォロワー数のほうが多いから」じゃなくて、堀元さんもフォロワー万超えしてるのでふつうにフォロワー多いんですよ。これはすなわち、「堀元さんの悪口ビジネスを楽しんでる人が万単位でいる」ということになります。そんな堀元さんが有料noteで個人をターゲットに悪口ビジネスするとどうなるか? 100万以上稼いでXでトレンド入りして悪口のターゲットにした本人の目に届くほどなんですよね。それでお金を稼いで力をつけているわけです。
落合さんがフォロワーを煽動してファンネルをしていると言われていますが、まだ名前がついてないだけで、堀元さんのやってることもファンネル以上に悪質な行為だと思っています。
そもそもけんすうさんは堀元さんのことをよく知らなかったのだと思います。Xでも書いてました。だから堀元さんの動画も紹介したのだと思います。
けんすうさんは落合さんの言う「堀元は悪口ビジネスをしている」というのを鵜呑みにする必要はないですし、知らないのにシェアしてしまったことを非難されるいわれもないと思います。でも、今はどうですか?
けんすうさんの記事で堀元さんの記事を引用しているので、ある程度のことは堀元さんのことを調べていると思います。けんすうさんは落合さんの本人の周りを攻めるやり方を「マフィア的」だと評価しました。堀元さんのことを知った今、堀元さんをどのように評価をしますか? 「悪口や揶揄をコンテンツにするのはあまり好きではないといっている」というスタンスのけんすうさんですが、自身の記事では、堀元さんの評価を出していませんでした。
「落合さんの周囲を巻き込んで後味を悪くさせる作戦に同意できない」というのはわかります。けんすうさんは自身の記事で、その構造について書いていました。真に落合さんがやるべきだったのは、開示請求や訴訟、X社を訴訟する、地道な通報、ブロック、コミュニティノートを書く……などの法に則った正攻法だったのだと思います。どれも正論で、法的かつモラル的に正しいと思います。
いや、わかるんです。めちゃくちゃダルいし、お金がかかる割に、進みがものすごい遅いので。即効性のあることではありません。「そんなんじゃ変わらねーよ!」と思う気持ちはめちゃくちゃ理解できます。
対して堀元さんの方は、それすらもビジネスにつなげる可能性があります。非常に大きな問題は、この労力の非対称性にあると私は思っています。
落合さんが多くの労力をかけ、多くのお金を費やして訴訟を行っても、対して堀元さんはそれをネタに記事を書くことができ、お金を増やすことができる。
「マフィア的」だと思いませんか?
そのようなアカウントは覚えがありすぎます。それこそガーシーがやってきたことではないでしょうか。
ただ動画の紹介ポストをしただけなのに、落合さんから唐突に「差別好きの反社的なフォロワーが集う場所が好きなけんすうさんもその類ですか?」とか言われたとき、たぶんけんすうさんは、「なんで急に俺がこんなこと言われなきゃいけないわけ?」と思ったのではないでしょうか。おそらくそれは堀元さんから悪口を言われてきた人も思ったことでもあると思います。
結局、落合さんは堀元さんという当たり屋に、けんすうさんは落合さんという当たり屋に当たったんだと思います。
けんすうさんは落合さんに粘着されましたが、どうやら一日で決着がつきました。しかし落合さんは堀元さんにそうはしてもらえなかったようです。
ことあるごとに冷笑され、記事にされ、食い物にされ……そしてどうやらそれをしてくる人の活動は好評で、順調にフォロワーを増やし、お金を稼ぎ、ラジオやYouTubeで人脈を広げている……
落合さんの当たり屋行為が「マフィア的」で批判されるべきものならば、堀元さんの当たり屋行為も「マフィア的」で批判されるものであった。そういう構造をしていたのではないでしょうか。
労力はそれほどかからない。お金もかからない。ただし人望はなくす。
そしてそれは効果がありました。
けんすうさんは「当事者が持つ他のすべての社会との接点にその是非を問う」やり方は良くないとして、さらに「マフィア的」な例としてガーシーを挙げていますが、これがなんなのかよくわからなかったです。
「ガーシーにいくら言ってもいうことを聞かないので、ガーシー本人と関係ない実家に『マフィア的な』家宅捜索をした」と読めました。別にガーシーの家宅捜索は、私刑でもなんでもないと思います。
私はまさにこのようなコメントをしてしまうことが「歪んだ構造になっている」と書きました。
すなわち、もしこのコメントをするのであれば、
と解釈していることになります。そしてこのことは、堀元さんを「殴った側」だと解釈しているにも関わらず、「殴り返した側」の落合さんだけに正しいアクションを求めていることになります。よってこれを私は歪んだ構造になっていると書きました。
この「堀元さんがしているのはコンテンツ批評か、それとも悪口・誹謗中傷・個人攻撃の類か」というのは大きな争点です。たしかに、堀元さんがしていたのが単にコンテンツ批評であるのであれば、「殴った」のは落合さん側だけになります。
この部分を正しく明らかにするには、法の判断に委ねるしかないかもしれません。
ただ人の心は自由なので、法に委ねることだけが正しい行動とは限りません。目の前に悪口らしきものが書かれていて、法の判断が出るまでそれが悪口か悪口でないかの判断が自分にはできない、というのはただの考えなしと言わざるを得ないでしょう。
個人的には、「堀元さんのはただのコンテンツ批評である」と言う人とは、(仮に司法がそう判断したとしても、)人付き合いしたいと思いません。
俺フリーランス、専業主婦の妻から「全然家事育児を平等に負担してくれない」とかいう舐め腐ったことを言われる
曰く、「家事育児の負担が 妻5:夫5 なら平等だけど、現状 妻7:夫3 くらいにしかなってない」という認識だそうです
勘弁してくれよと
俺はフリーランスだから仕事無いときは積極的に家事育児も分担できるんであって
会社員夫の妻とか、共働き夫婦とか、もっと厳しい状況に置かれてるんだぞ
そもそも、家事と育児が専業主婦の仕事であって、自分の職責の範囲内の事は最後まで泣き言言わずに単独で完遂するのが基本だと言うことが分かってない
俺が仕事で「モウ無理ー!」ってぴえんして仕事投げ出すことが許されてると思うのか?なぜそれが専業主婦には許されてると思うのか?本当に甘やかされすぎだろ専業主婦
しかも、専業主婦の仕事内容は俺でも手伝えるし、なんなら俺の方が手際良いまであるから、仕事の合間に手伝ってるんだが
妻は俺の仕事を手伝う意思もなければスキルもないわけで、あまりにも状況が非対称的に不公平だと思う。
夫でも担当できる範囲内の家事育児の仕事をしてる専業主婦のほうが圧倒的に有利じゃん。「手伝えるのに手伝わない!」ってわめけるから。
リタイア後に、俺が仕事で本当に辛かったとき、妻は仕事を手伝ってくれなかった!ってわめく夫を想像できるか?できんだろ。それが非対称性よ。
もっと言うと、じゃあお前俺の仕事手伝ってみろよ簡単なexcel作業くらいできるだろってやらせたら役に立たないカスみたいな表作りかけて「わかんない!」で終了〜、お気楽でいいですねハハハ
まあ、俺が何かをお願いしたとしても、それを やる/やらない は相手固有の判断だから、もし断られても相手の意思を尊重したいので、俺は全然不機嫌にならないし
相手がその作業を やれる/やれない も相手固有の問題だから、期待したような成果が上がってこなくても、全然不機嫌にならないし、表面上「ありがとう。助かった。」って言って流したが
専業主婦の妻は「お願いしたのにやってくれない!思ったとおりにやってくれなかった!」ってキレることが当然だと思っている。こどもか。
更に家事育児で寝不足だからもっと家事育児手伝ってほしいと言った同じ口で、フリーランスの夫に子供を預けて最低時給のアルバイトに行きたいとか言ってきて、まじでコイツ〜ってなったりしている。
自分はメンタルケアするのに他人を必要としない人間だ(そもそもそんなにメンタル落ちないが)
妻も同じで、よしよししてほしいなんて素振りは全然見せない。それがすごく安心する。
これが、何かある度にメソメソして慰めてほしいみたいなアクションとられると本当に気分が悪くなるだろう。離婚すら考えると思う。
とはいえ、メンタルケアが必要ない人間が上位である、ということを言っているわけではない。
単に人間が2種類いるだけなのだ。メンタルケアの際に他人を必要とする人間か、そうでないか。この2種類の人間はお互いに分かりあえることはない、というだけなのだ。
なのでメンタルケアの際に他人を必要とする人間同士が結婚できていれば全然問題ない。良い関係が築ける可能性は高いだろう。
しかし、一方が他人にメンタルケアを必要としないのに、一方がメンタルケアを必要である場合は不幸というほかない。
メンタルケアの際に他人が必要な方にとっては、思うようなメンタルケアを受けられないのはいうまでもない。
それだけでなく、この2種類の人間には非対称性があって、メンタルケアを他人に委ねる人間の方が社会的には弱者にあたってしまうため、そちらに配慮することが避けられないのだ。
これがメンタルケアを必要としない人にとってどんなにストレスが溜まることか、そうでない方は想像もつかないだろう(他人のメンタルケアをすることがストレスにつながる人間がいる、という発想もなさそう)。
この場合、結婚生活を続けるにあたっては、結局はメンタルケアを必要としない方が我慢することになり、そいつは真に精神的に落ち着いた生活を送ることはできない。落ち着くためには、1人の時間を無理やり作ることになるだろう。
メンタルケアを必要とする人間の方は、自身のその害にも気づかずに、お互いの不幸を加速させるのだ。
ひゃく@MajesticStudy 最近🇫🇷(L1-M2の5年間法学部)
価値判断なしのただの観察なんだけど、今までも日本人男性がさんざん海外で買春してきたのに日本のパスポートの信頼が落ちてなかったことに非対称性と世界のミソジニーがあると思った。
フェルヲ@makkinze
海外へ売春しに行く女性のせいで日本のパスポートの信頼が暴落してるって話、直接的には売春女子が悪いんだけど、海外売春システム作ってる元締めを殲滅しないとイタチごっこだと思う
観光ビザで入国しといて不法に商売することがダメだってこと位法学の基礎どころか一般常識レベルで身に着けるべき話でしかないんだけど
男なんだけど、数年前に同性から性被害にあった事があって、精神的に未だに不安定なのでカウンセリングには通っている
大変お世話になっていたカウンセラーの方に出会うまでは本当に酷かった
大体が「女性もこういった被害に遭う方が多くて~」とか「女性は男性の何倍も被害者が多く、辛い目に~」とか
酷いのだと「(性被害については)女性の方が何倍もダメージが大きい」とか「性被害者の男女の非対称性の問題が云々」とか言ってくるんだよね
何で俺のカウンセリングなのに、カウンセラーの貴方が持論みたいなのを主張してるのって
辛い目に遭う機会も多く、ダメージも大きいのかも知れない
けれど、それと俺が受けた肉体的・精神的被害やトラウマとは、何の関係も無くない?
何で俺が代わりに責められなきゃいけないの?
相手はそのつもり無かったかも知れないしこっちが過敏になってるだけかもしれないけど、一旦そう受け止めちゃったら終わりだよね
加害者になる事も無いだろうし、ましてや被害者である俺が、どっかの誰かのゴミ男の責任、というか原罪を押し付けられている様で
正直何のカウンセリングにもなってなくて、被害者ですら男の場合は中々助けてもらえないんだ…って更に絶望したよ
これがセカンド◯◯◯なのかなとも思った
金も時間もかかったけど、カウンセラーガチャしまくって、ちゃんと俺に向きあってくれて
先の輩みたいにげんなりさせられる様な事も言わずちゃんとしたカウンセリングで治療をしてくれる方に出会えたのは不幸中の幸いだった
だいぶ精神的にも安定する様になり、他人とも距離は取りつつも何とか普通の人と同じ様には接する事が出来る様になった
おばちゃんのカウンセラーだったけどとても信頼していたんだけど、年歴と家庭の事情で退職してしまった
で、次に受けたカウンセラーは、「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に~」なんて言い始めて、本当にがっかりした
そりゃ被害者は多いかも知れないけどさ、俺は別に加害者では無いし、そこの責任を問われても困るのが正直な所
「お前たち男が悪いからお前が被害に遭った、自業自得だ」なんて事を自分に言いたいのかって邪推してしまう
それぐらいに考えがネガティブになってる自覚はあるし女性カウンセラー自体への不信感が強い
カウンセリングを受けなければ良いのかもだけど、そうなるとまた精神のバランスを崩して酷い事になるだろう
男も女も怖くて(性被害にあった後、周囲の女性達に随分からかわれネタにもされ、二次被害に遭った)
一時は対人恐怖症で仕事どころかまともに生活出来なかったからさ
けど現状だと(嫌な言い方だけど)当たりの人に当たるまでは耐えなければいけない
それが酷いストレスだし、悔しくも思う
一体俺が何したって言うんだろう
ある日突然被害者になった上に、救われもしない
思想が強くて関係無い人間にまでしてくる様な人間はカウンセラーになんかなるんじゃねぇよ
カウンセリングと称してセカンドレ◯プしてくるとか何考えてんだ
追記すると、「男性カウンセラーのカウンセリングを受けては?」という意見がブクマカの人からあったけど、色々な事情で困難
まずカウンセラーという職業は男女比率では女性の方が多く、男性のカウンセラー自体が少ない、性犯罪のケアともなると更にグッと減る
少なくとも自分が通える範囲では男性カウンセラーからのカウンセリングを受ける事自体が不可能
被害の後遺症か自律神経も色々とおかしくなってて、電車特に混雑した満員電車に乗っていると気分が悪くなり立っていられなくなる(実際に倒れてしまった事もある)
なので通える範囲はその圏内になってしまう、仕事での通勤も無理なので徒歩か自転車で通える範囲で仕事をしている
男性カウンセラーガチャをやるには引っ越しも含めてやらなければいけず、さすがに現実的では無い(男性でも先のカウンセラーと似たような考えの人間は多いだろうし、「当たり」の保証は全く無い)
こういった事情で平日にしか通えないので、何とか仕事を調整して平日に休みを取ってカウンセリングを受けて
思想の強い女性カウンセラーにセカンドレイプをされて、安くはないカウンセリング料金を払って帰る
負担が大きいし、それ以上に精神的に屈辱的でおかしくなりそうだ
でもカウンセリングでもやって安定させないといよいよもっとおかしくなって働く事も難しくなるので、生活する為には何とか治療していかなければいけない矛盾で更に苦しくなる
信頼出来るカウンセラーの方にカウンセリングして貰っていた時は、本当に安定していたんだよね…救われた気分にもなっていたしさ
でも、現状だといずれ元に戻りそう…
あまり詮索する気は無いんだけど、性犯罪のカウンセリングを専門としている様なカウンセラーをやるぐらいなのだから
俺みたいに性犯罪の被害者となった経験がある人も普通にいると思う
でも、だからと言って、被害者である俺にセカンドレイプをするのは違うだろ
俺は、貴方を傷つけた人間じゃないし、傷つけようとも思っていないのに
「女性の方が男性と比べて被害者が多く、もっと辛い目に遭っていて、被害に苦しんでいて…」などと言うが、苦しみながらも受けた性被害を話した俺に言う言葉なのだろうか?
俺は男だから、苦しんでいないとでも言うのか?
「男性には女性が日頃苦しんでいる脅威に共感するのが難しいのか?」「何故男性はもっと女性に寄り添わないのか?」なんて事も言われた事もあった
それを俺に言ってどうするの?
一人で立ってるのもやっとの状態で寄り添おうとしても、される方が逆に困るだろ
脅威を感じてて実際に被害を受けてここに来てるんじゃないのか?俺は?
「何故、(男性から性被害を受けたのに)『自分を助けてくれないから』と女性に敵意をぶつけるのか?」などと問いただされる様な事を言われた事もある
俺は助けてくれなんて言った覚えも思った事も無いのにね
被害を受けたのは男からだけど、被害を受けた後、「私はそういうの(LGBT?)に理解があるから大丈夫!」とドヤ顔で寄ってきたり、おかしな妄想や噂話を流したり
PTSDで人前に出るのもキツくて休みがちになってた頃に「そんな事ぐらいでウジウジするな!女はみんな多かれ少なかれもっと辛い目に毎日遭っている!」と責めてきたのは、全て女性だった
当時友人だった人たちは、まあ裏ではキモいとか思ってたかも知れないけど、少なくとも表向きは気遣うか、何も無かった様に触れないでおいてくれたけどな(結局精神の悪化でしばらく引きこもりになり当時の付き合いは全員切れちゃったけど)
直接の被害を受けたのは男からだったが、二次被害のセカンドレイプをしてきたのは女だった
これで男女というか人間不信になるな、「女にだけ」敵意をぶつけるな、というのがカウンセリング業界では普通なのか?
まるで、そこにいない加害者を、俺を通じて攻撃しているかの様なカウンセラーもいた
アンタ達はアンタ達で傷ついているのかも知れないけど、悪いけどそれと俺は関係無い話なんだよ…
加害者性、だっけ?そういうのがあるのであれば、「被害者性」を持つ人間は加害しても良いというのか?
貴方を傷つけたのは俺じゃないのに、俺も傷ついているのに、俺は加害者性の側だから、「被害者」にすらなれないのかって、絶望している
◎:序論
結論を先に述べると、そろそろ彼自身、みずからの戦略がリベラル側に受け止められ模倣される時期になったのではと推察する。
筆者は暇空茜がWBPCという攻撃目標に、攻勢の利を取れる限界が迫っており、彼がこれ以上の法廷闘争は泥沼化することを、内心で実感しているのではないだろうかと感じる。
東京都知事選挙というスポットライトはある意味で、彼がカリスマ性を維持できる最後の挑戦であり、体制に対する王手をかける最も効果的な一手なのだ。
確かに彼はナポレオンであるが、東京都知事選挙はライプツィヒの戦いである。
つまり、彼の手法が陳腐化する前の最後の灯といって差し替えない。
事実、彼は窮地に立たされている。
だが、その窮地に立つこと含めて、彼の戦略であると筆者は考えている。
ついては、今が政治におきようとしているパラダイムシフトを理解するために、彼がとった戦略をここに考察したい。
いうなれば、これは手品の種明かしであり、十分彼の行動が必ずしも属人性によるものではない、ポピュリズムのもとに流用可能な「手段」であることの証明である。
本論は、彼の手法を流用する「攻勢策」と、彼の手法に対抗する「防衛策」に分かれている。
防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。
悪しからず。
◎:本論:暇空茜の攻勢策について
一つは「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性を積極的に攻撃すること」
WBPCへの攻撃が第一の手法、石丸候補への訴追や都知事選に第二の手法が用いられている。
これら二つの柱を併用する「勇者の戦略」を活用することで、彼は都知事選という一見無謀なステージに足を踏み入れることができている。
2024年現在のポリティクスに対しては、どちらも有効な戦略であることを認めたうえで、これらの手法を解説をしていこう。
第一の手法である「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性を積極的に攻撃すること」は、本来ポリティクス側の基本的なドクトリンである。
彼は取った手法も、古典的なジャーナリズムの手管に端を発するものであり、特段解説することはない。
本来議会やマスメディアという単位で行う追求を、個人として行っているに過ぎない。
その例外的な非対称性が、攻勢策として極めて有効な効果を発揮していることは事実である。
彼は交渉を行わず業績を絶え間なくアピールすることで、SNSという構造に対する優位性と属人性によらない一定の支持層を両立している。
既存の政治組織やマスメディアにとって、これは幾分困難が付きまとう手法であり、戦略的手法としては斬新なアイディアであることを認めるべきである。
だが、戦術レベルで見ると、むしろ常識的なレベルを外れることは何一つ行っていないことも補記しておきたい。
▼:第二の手法
第二の手法である「積極的なゲリラ戦略の活用」 は、第一の手法と合わせて最大の効果を発揮している。
自らのステージに相手を乗せ、攻勢の利を生かしたゲリラ戦略的な対応をとることで、彼は防御側である現体制に痛撃を与えている。
2024年現在、多くの個人や政治組織は、積極的なゲリラ戦略への対策を有効に取れているとは言えず、悪く言えば、大分いいようにされている。
これは、日本における政治分野へのゲリラ戦略の適用というテーマにおいて、暇空茜はパイオニアであるゆえに、致し方ないことであるともいえるだろう。
ここ一年半、彼を見てきて思ったことは、「彼は歴史をよく勉強している」こと、そして「大抵の人間は準備なしに他者と論戦をすることはできない」ということである。
彼が特別優れているのではない、皆が特別劣っているわけではない。
論戦を行うことに日々を費やしていない人間というものは、直接他人と口喧嘩をすると大なり小なりボロが出るのだ。
それを知っていて、彼は直接的な論戦という形態で個人を壇上に乗せ、罠にかかった幾人かの犠牲を信用に変えて、論戦に乗っても乗らなくても自身の存在をアピールできる状況を構築している。
ここで政治分野における個人の「積極的なゲリラ戦略の活用」 が、如何に革新的な事であるか読者に理解してもらうためにも、暇空茜のSNS戦略について考察しておきたい。
一昨年、風雲児として現れた彼は、初めはただジャーナリズムを行使して、特定の組織の過失を公言する個人であった。
それが徐々に、個人や組織へと訴訟をアピールしながら、思想家やクラスターへと論戦を仕掛けるインフルエンサーに転じた末に、今の都知事選の候補という立場まで躍進している。
これは、自らの支持者を囲い込み、不平の公表と訴追という、自らの目的を果たすために問った行動であり、彼が行う行動に信任する人間を増やすためには最も効率的な手段であったと言えるだろう。
結果、彼は一定の支持者を確保したうえで選挙戦を開始し、無視できないパイを確保して今に至っている。
ここまでは周知の事実であるが、我々が凡夫が着目するべきは、何故彼がこんな手段を取ったのかを、理解することに他ならない。
彼は個人で組織と戦うために自らの攻撃力と防御力を最大化する必要があった。
特定の思想を実行するシステムとして個の奇襲力と攻撃力を最大化し、他者のありとあらゆる攻撃から身を守る防御力を最大化を行うための施策が求められていた。
その前提を満たすために、暇空茜がとった回答が「積極的なゲリラ戦略の活用」という個人が攻勢の利を最大に生かせるドクトリンの活用であると筆者は考察する。
だから彼は、自らの業績を公表してアピールを行い、彼が行う行動に信任する人間を増やすことで自身の攻撃力を最大化した。
だから彼は、個人への論争を積極的に行い、対象に社会的なダメージを与えることで、自身を攻撃する組織や個人を炙り出すことで防御力を最大化した。
だからこそ、彼は、自らが都知事選に出馬した選挙戦の最中であろうと、レスバをしてスペースで話し合おうと対立した思想を持つ個人と論争を繰り広げなければならない。
なぜなら、融和的な姿勢を取ることは、彼が攻撃的な姿勢を取る以上に自らの攻撃を増加し、自らの行動の一貫性を損ねることで攻撃力の最大化への支障に繋がるからである。
ゆえに彼が都知事選への参加を決めたこと自体が「積極的なゲリラ戦略の活用」 による、既存の政治組織の意向に対するの攻勢的な反撃であると同時に、自らを窮地に追い込む中でSNSへとアピールを行い、思想的に自らの攻撃力を最大化する選択肢なのである。
◎:結論
かくして、暇空茜は不平的な脆弱性を攻撃するために、積極的なゲリラ戦略を活用する「勇者の戦略」を以って、孤独な戦いを続けている。
だが、その攻勢策は決して彼が嘯く「自分だからできる」という、完全なる属人性に基づいた内容でないことは確かである。
彼個人としての命脈が尽きるかは、日曜日の選挙当日にかかっている。
だが、彼が作り上げた無敵の人LV100のような手法自体は、今後も研究されポリティクス的な活用を見ることだろう。
筆者は、彼が行った「勇者の戦略」は以後、多くのポリティクスの場で活用され陳腐化すると断言する。
確かに彼は、ナポレオンやゲバラにたとえてもよい革新的な創業者だったのかもしれない。
重ねて、暇空茜の用いた「勇者の戦略」に対する防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。
悪しからず。
日本の未婚率が急速に上昇しているのは言うまでもないだろう。なんと2020年の国勢調査の段階で、すでに30歳前半の男性の約半数にあたる47.7%が未婚であった。その後、皆も知っての通りコロナが到来し、以降、婚姻数・出生数ともに戦後最低を更新し続けている。出生数に至っては100万を切ってからすでに久しく、最近では80万人を切り、2023年には72万人で、今年(2024年)には70万人を切るんじゃないか、なんていうすごい話もある。筆者は98年生まれの今年26歳だが、僕が生まれた年の出生数は120万だったようで、それでも少子化だなんだと騒がれていたので、それから半分近くにまで減ってきていると考えると驚くべき数字だと思う。そして当然、超高齢化社会なので出生数よりも死者数が多く、人口の自然減は2023年には83万人である。これは驚くべきことで、一説によると、1937年から45年までの約8年にわたる戦争での日本人の戦死者は310万人らしく、これは年換算すれば38.75万人なので、現代では戦時下の平均の二倍のペースで人が死んでいる、という見方もあり、しかも戦時下でも日本の人口は増加幅が減っただけで総人口はまだ上昇していたので、人口だけに着目すれば戦時下よりももっと凄惨な戦争状態にあるというふうに捉えることができるかもしれない。
前置きがとても長くなってしまったが、ここでは、これから結婚だなんだという年齢に差し掛かかったいわば「結婚現役世代」になりつつあり、さらにZ世代でもある僕の超主観的な肌感覚に基づく、「マッチングアプリがZ世代の非婚化に決定的なトドメを刺し、それによって残念ながら未婚化・少子化はもっともっと加速するだろう」、という仮説について語らせてほしい。
「なぜ結婚を促進するはずのマッチングアプリが未婚化にトドメを?」と思うだろう。順を追って説明していく。まず、未婚化の原因としてニュースなどでよくとり挙げられるのは、「女性の社会進出」、そして、「経済的な問題」の二つだと感じる(主観)。だが、それが未婚化の要因として合理的に考えられたのはひと昔前の話だろう。まず、「女性の社会進出」については、「25くらいには結婚して女性は専業主婦になって男性に生活を支えてもらうもん」、みたいな空気感がなくなって、働いて自立して生活できるようになっとか、そのこともあり女性(だけでなく男性も)が「まだ結婚していないの」みたいなプレッシャーから比較的解放された、みたいな話とか、色々包含してると思うけど、「女性の社会進出」が日本より進んでいるけど日本より未婚化・出生数がマシな先進国は結構ある(e.g. フランス、ドイツ、アメリカ)ので、それは言い訳にはならない(日本文化が欧米の文化に合わせようとしてるのだから不利なのは当然だが)だろうし、僕の世代では女性が働いているのは普通で、むしろ結婚相手となる女性には経済力を求める男性が増えているという話まであるので、僕の世代(Z世代)においてはそれが未婚化の直接的な要因とは考えづらいだろう。あとは「経済的問題」だが、実は、少子化による人材不足も相まって、新卒の初任給は上昇傾向にある。「いや、物価が上がってるし実室賃金は下がってるやろ。」って言われると、「せやな。」としか言えないが、男女ともに稼いでる人が多いんだから、同棲して家賃を折半すれば普通にもっといい暮らしができそうな人はたくさんいるように感じる。
ではなぜZ世代は結婚しないのか、その最も直接的な要因は、中高生の時から当たり前になったスマホ、そしてSNSであり、最後にトドメを刺すのがマッチングアプリ(ここでは、Pairs, With, タップル、Tinderなどの普及しているマッチングアプリを想定)である、というのが僕の考えであり、その未婚化に対する効果は大きく分けて二段階あると考えている。
一つ目は、「結婚しなくても精神的に満足して生きやすくなったこと」。スマホがなかった小さい頃は、朝起きて、飛び起きて、家族に挨拶をして身支度をして、外に駆け出さないと楽しいことなんて何もなかったのに、ある時から急に、布団から出なくても楽しいコンテンツにいくらでも触れられるようになった。LINEを使えば友達といつでも話すことができるし、Youtubeをひらけば世界のいろんなコンテンツに出会えるし、Twitterを始めれば孤独を紛らわせることができるようになったし、それまででは考えられないような性的なコンテンツにさえも、いくらでも簡単にアクセスして、性欲を解消できるようになった。それは僕らにとって大きな大きな変化であった。しかも、僕の世代では、働けば男女関係なく穏やかに暮らせるくらいには稼げる人は多くなってきたので、結婚しなくても、友達や職場の同僚と、それなりに良好な人間関係を築けていれば、経済的な不安や強い孤独感を感じずに、それなりに満足して平穏な生活を送ることができるようになったのである。いつの時代も4割は結婚や恋愛に興味がなく、積極的なのは三割だけ、という話があったりするらしいが、それが本当だとしたら、その特段積極的でない7割は、それなりに満足して生きることができるのだから、僕も含む彼らにとって結婚や恋愛は相対的に価値の低いものとなっただろうし、むしろ、現状の生活を相手に合わせて大きく変え、時には我慢も伴う結婚や恋愛は、よりハードルが高いものになったのではないかと思う。実際、結婚しない理由を聞くと、「結婚の必要性を感じないから。」とか、「独身の方が自由だから。」みたいな根も葉もない理由がほとんどだというし、それが本質だと思われる。便利で快適で、楽しくて夢中になれることが沢山ある生活に慣れすぎたのだ。
二つ目が本題だが、「(主に女性が)マッチングアプリにより結婚相手を比べて選り好みすることができるようになったこと、さらには、その経験を無視できない割合の女性がすること。」だ。これが、ただでさえ相対的に価値が低くなり、ハードルが高まった結婚のハードルをさらに上げ、未婚化・少子化を取り返しのつかないレベルにまで引き上げる決定的な一撃を加える、と僕は予想している。マッチングアプリは、特にコロナによる外出自粛期間中、つまりただでさえ30代前半の男性の未婚率がすでに約半数であった2020年以降に急速に広がり、ちょっとググったところによると、今では最大手のPairsではユーザー数2000万人、2番手のタップルでも1700人以上であり、それ以外にもたくさんのアプリがあるということだ。2020年時点において、20代から30歳前半の人口は2300万人弱くらい(ここでの「弱」は2300万人に満たないくらい、という意味。最近は「弱」に多義性があるらしいので補足。)であることを考えると、今や婚活、恋活をしている20代、30代のかなりの割合が一度はマッチングアプリを使ったことがあるのではないかと思われる。そんなマッチングアプリでは、男女に圧倒的な非対称性がある。経験者はよく知っているかもしれないが、マッチングアプリ会員の男女比は大きく偏っており、男性は健気に「いいね」を送り続けてもほとんど報われることはなく、たまにマッチしたらそれをものにするべく頑張るのだが、女性は何もしなくても毎日のように「いいね」が届く。男性である僕目線からすると、顔写真も載せてない、もしくは他の会員と比べて魅力的とも思えないような女性であっても、100いいね近く軽く稼いでいるのを見て、驚くことにも慣れたことだろう。そういうモテ体験をした女性が、「いいね」を送ったたくさんの男性の中から良さそうな男性を選び(もしくは自分から送り)、実際に何人かと会い、最後に1番良かった人をパートナーに選ぶ、という具合だ。ここで、巷でも言われている通り、実際に選ばれる、「モテる男性」というのは少なく、全体の一割ほどが総取りしているという。つまり、大局的に見ると、悲しいことに多くの女性はほとんどの男性に目もくれないのに対し、一部の「モテる男性」を多くの女性が取り合う、という現象が起こるということだ。(外見に気を使って自分磨きをしている女性が多いのに対し、それほど十分に自分磨きをしている男性が少なく、男性側の怠慢が問題なのではないか、という見方もある。)それ自体はまあ、悲しいが学生生活を思い出せば特段驚くべきことではないが、問題なのはそうしてマッチングアプリで「モテない男性」と、「モテる男性と付き合えなかった女性」、という経験を、全体で無視できない割合の人がすることになる、ということだ。男性はモテない経験をすることで奮起できれば良いが、ただでさえ婚活・恋活がマストではない現代では、自信やモチベーションを決定的に低下させてしまう可能性もあるし、何よりもっと問題なのが、女性側の「目が肥える」ことで、よりそういった比較的に魅力的に思えない「モテない男性」によりいっそう目もくれなくなる、ということだ。マッチングアプリで、無視できない割合の女性が、何もしないでもアプローチを受け、自分は男性を「選べる側」だと思い、「モテる男性」のことを知ってしまえば、それがうまくいこうがいくまいが、ただでさえハードルが高くなっていた結婚・恋愛のハードルをより高くし、よりいっそう「モテない男性」と恋愛・結婚する理由を相対的に感じなくなり、それがさらに「モテない男性」のモチベーションを低下させる、という負のスパイラルを生む。これが、僕の言う「マッチングアプリが下す未婚化・少子化を取り返しのつかないレベルにまで引き上げる決定的な一撃」である。
お気づきかもしれないが、この説が当たっていたとして、婚姻数を上げるためにおそらく最も効果的かつ生産的な解決策は至ってシンプルで、より多くの男性が自分磨きを頑張り、「モテる男性」を増やす、ということだ。男性諸君には厳しいかもしれないが、僕も頑張るので共に頑張ろう。あとはそれ以前に重要なこととして、より多くの人が、「他者に対して寛容になる」ということや、ケネディが「国があなたに何をしてくれるかを問うな。あなたが国に対して何をできるかを問え」、といったが、「自分のために他人が何をしてくれるのか」ではなく、「他人のために自分が何をできるか」という視点を思い出すこと、ではないかと感じる。
長くなったが最後に、僕はこの予測が外れることを願っている。だが、当たっとしても、日本人は反出生主義的には倫理的な道を辿った民族である、とも捉えられるし、共に穏やかに死に堕落していこうじゃないか、という楽観的かつ破滅的な考えもある。でもみんな、できればいい人見つけて結婚しような。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240616133159
のブコメについて
顕名 vs匿名で非対称的なのが気になるのはわかるけどさ、lady-jokerさんは別にそれに言及せずに反論したわけだよ。
上記の非対称性は双方納得済みの事項で、外野の私達が咎められる点ではないよね?
そもそも匿名批判が悪いのなら、増田の初めのエントリの時点で「匿名の言うことだから」で切り捨てなければおかしいよね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240613203515
なぜ増田の反論の時点で匿名であることを今になって持ち出したか、
「あ、これに反論するのめんどくさいけどなんか言わないと負けたことになる、
ここは増田が匿名だから無条件で負け、ということにしておこう」
と思ったのかな?
そう思われてもしょうがないよね?
②「読む価値ないから読んでない」「反論を続けようとする態度が悪い」「増田は頭がおかしいやつだから放置」
筋の通った反論するでもなく、増田の質問に回答するでもなく上記のコメントをつけて悦に浸るのは知性のある行動かい?
「読んでない」
読んでるよね?
読んでないことにして自分が反論しなくて良い理由を作ったんだよね?
「反論を続けようとする態度が悪い」
無茶苦茶じゃん。
そのガチの人にガチで応対したlady-jokerさんもガチの人で、
触らないほうが良い人、ということで良い?
lady-jokerのエントリは増田のはてブの不誠実さの批判に真っ向から答えたものだけど、
はてブに知性がない、誠実さがない、という批判に対する回答がこれで、
という風に私id:p__o__nは思いました。
以上