はてなキーワード: 相対評価とは
「『努力は裏切らない』って言葉があるけど頭使わないと嘘つくよ」って聞いたことがある。
努力するにはその人自身の気力とか時間とかお金とかいろんなものを使う必要があるんだけど、それも正しいものじゃないと身を結ばない。
かといってそれが正しいものだとしても身を結ぶかどうかはわからない。スポーツだとか、受験戦争だとか、仕事とか、その他いろんなこと。資格試験みたいな絶対評価のものならともかく、相対評価になるものは頑張っても期待通りの成果にならないことがほとんどだと思う。
「これくらいなら努力すればできるだろ」みたいなラインも人によって違うし、できたとしてもそこに辿り着くまでに必要な努力量や時間も違う。「努力しても無理だったんだよ!」みたいな叫びも「努力が足りない」とか「やり方が違う」みたいな言葉で封殺される。
努力してもうまく行かなかった時、頑張った分だけ辛いと思う。
俺たちは「努力」に呪われている。
神に選ばれたレベルで信じられないくらい恵まれた才能があるみたいなありえない例外を除いて必ず努力をしなくてはならない。
努力は辛くて、できる限りしたくないものだからこそ努力しない人間を蔑むのだと思う。
でも努力したくねえよなあ。
何もせずに全部手に入れたいよなあ。
うちの会社、世間の流行に乗じて相対評価から絶対評価に変わったんだよね
そんで当初予定より150%の業績を上げたので素直に絶対評価でも150%の業績、って提出したんだけど
そしたら上司から「ごめん、絶対評価に変わっちゃったから100%にしてもらっていい?」って言われた
何を言ってるかさっぱり意味が分からなくて詳しく話を聞いてみたら
人事部から150%の評価を付けられる人数の通達があって、それに合わせないといけないから100%にしてほしい、とのこと
「それって相対評価って言うんですよね?絶対評価の意味分かってます?」
って聞いたら
「会社の仕組み上、給与は限られてるんだから人数に限りがあるのは当然」
とか言い出しててマジでこいつらアホかと思った
絶対評価を導入するのなら給与支払いの予算を業績連動にするんでしょう
個人の業績が上がれば給与に回せる予算も増えるんだから「給与は限られてる」とかいう前提がそもそもおかしい
会社の業績に連動しない仕事をしている人もいるけれど、だからこそ最初の目標をしっかり設定すべき
そういう話をしたけど上司は全然ダメだし人事部も全然アホしかいなくてどうしようもない
つまり自分は全然仕事してなくてもどこかの誰かが頑張って業績上がったら高めに付けていい、ってことみたい
そんなん誰がマジメにやるんだよ
他の科目の評定は10段階で8ぐらいだったけど保健体育だけずっと1だった
三者面談で「相対評価だから仕方ないよ(笑)」って担任に言われたの今でも覚えてる
1つけられる人の比率的に、自分は学年で下から4番目か5番目までに入る成績らしくて
1回も休まずに授業受けて補講も受けてペーパーテストは満点近く取ってたのになんで???ってすごい悲しかった
体育1やったわ!!って教室で話してる子もいたけど、どの子もヤンキーというか、そもそも学校全然来てない子だった
毎日学校来てクソ真面目に体育の授業受けてる自分が惨めに思えた
評定=受験で加算する内申点だから1つでも1があるとかなりハンデで
そう言われて次郎は育った。
褒め言葉ではない。
「いい人なんだけど、男としての魅力はないよね」
「いい人なんだけど、いい人止まりだよね」
周囲からの言葉を自らの課題として受け止めた次郎は周りの男をよく観察した。だが自分と彼らの間にどんな違いがあるのか、本当のところは理解することができていなかった。
誰も彼も自分と同じような思考回路を積み、見たものに対して同じような反応を示しているように見える。しかしそこに自分にはわからない、それゆえ小手先では埋められない決定的な違いがあるらしかった。
「いい人だよね」
そう言われる度、次郎は静かに傷つき、それを押し殺してきたが、青春時代を終えるまで、次郎はついぞこの決定的な違いを本心から理解することはできなかった。彼が住み慣れた都市を出て、縁もゆかりもない土地に移り住んだのは、何年かけても「いい人」以外にならない環境に倦み疲れたからかもしれなかった。
奇妙なことに、移り住んだ先では、次郎が「いい人」であることは好意を持って迎えられた。それまで没個性の象徴であったレッテルは、突如として「育ちの良さ」に化けた。それはその地域の男達との相対評価の産物でしかなかったかもしれないが、移住してそう経たずして嫁を迎えられるほどには良い評価をもたらしたのだった。
そのうち次郎は「いい人」であることに悩まなくなった。そして彼のことを「いい人止まり」と称した人々の気持ちも少しずつ理解できるようになった。
彼らは恐らく、大人の行き先が「いい人」であることに退屈を感じ、違う何かを欲して都市に出てきたのだ。それは都市で生まれ育った次郎には分からない感覚だった。そう次郎は考えるようになった。