「一義的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 一義的とは

2020-07-29

anond:20200729164242

データなくても、合理的に考えたらそうだよね。

出産において一義的不利益を被るのは女なんだから、その女に不利益押し付けられるのならば、現状と比べて出生率は上がるでしょ。

仮に法の規制がなかったら、今より従業員ブラック労働やらせ企業が増えるだろう、というのと同じくらい合理的予測

2020-06-22

anond:20200622140128

政府無駄だの緊縮財政だの事業仕分けやってたって時点でネオリベだって

そもそも1980年以前のケインズ社会主義がうまく行ったっていうのをのっとったネオリベが単純に右=正義、左=悪としたい。

そして民主党政権は悪としたいか経済的右派だというのを強引に否定するのだと感じるがな。

ケインズ社会主義右派左派一義的に分類できない時点で、もうネオリベが復活したあとに右派左派という分類の意味は失われてしまってるんだよ。

2020-05-30

anond:20200530205333

先進国はぜんぶ少子化だよ。

日本韓国が酷いのは一義的国境まで歩いてやってくる移民がいないという地理的制約のせい。

2020-05-07

絵文字顔文字区別がつかない人

未だに絵文字のことを顔文字と言ったり、顔文字のことを絵文字と言ったりする人。

絵文字顔文字は例えばこんなものだ。

😷:絵文字

(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`):顔文字

似たようなものに似たような名前がついていて紛らわしいのは分かるんだけど、間違えたら相手にはそう伝わってしまうよね。

絵文字だと言われたら絵文字のことだと思っちゃうよ。顔文字って言われたら顔文字だと思うし。

何でそれぞれに名前が付いているかと言えば、やはり区別するためなんだよね。

絵文字顔文字も聞いたことあるんだろうから区別ちゃんとして欲しかった。

確認不足はこちらの落ち度と言うこともできるかもしれないけど、やはり一義的にはあなたが間違いを犯さないように努めるべきだと主張させてもらう。

これは決して細かい話ではない。大事なことだ。違うもの区別する精神を持ってほしいという意味で。

一事が万事で、結局この話はこれだけでは収まらない訳だ。

ふざけるなよ。

2020-03-23

( ・3・) クラシック好きの上司ディランを聴きたいと言いだして 2

https://anond.hatelabo.jp/20200322025040

第二スタン


They walked along by the old canal

A little confused, I remember well

And stopped into a strange hotel

With a neon burnin’ bright

He felt the heat of the night

Hit him like a freight train

Moving with a simple twist of fate [2]


――では、第二スタンザに進みます。どうぞ。

( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりネオンの輝く奇妙なホテルに入った。

――「奇妙なホテル」とは?

( ・3・) ホールフランク・ザッパ蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。

――はいどうでしょう

( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。

――「わたし」が出てきましたね。

( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。

――……。

( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『   』を読んで、「   」と「   」とが同一人物だと気づかないようなものだ。

――『   』は読んでいないのですが……。

( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書カウントされないからな。

――話を元に戻しましょう。

( ・3・) 三人称物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。

――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう

( ・3・) 1行目と2行目、canal と well母音が合っていないんじゃないか

――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います

( ・3・) 違ったっけ。

――違うんです。第一タンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています

( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか

――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います

( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、trainfate も韻を踏んでいないぞ。

――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります

( ・3・) まず列車概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車概念フレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。

第三スタン


A saxophone someplace far off played

As she was walkin’ by the arcade

As the light bust through a beat-up shade

Where he was wakin’ up

She dropped a coin into the cup

Of a blind man at the gate

And forgot about a simple twist of fate


( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。

――まだ覚ましてはいません。

( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。

――はいどうでしょう

( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。

――as が場面転換の役割果たしてます

( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。

――何を象徴しているんですか?

( ・3・) 何かをだよ。メルヴィル白鯨は何を象徴しているんだ?

――何かをですね。

( ・3・) そう。ある行為対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為対象象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。

――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――

( ・3・) それどころか、彼女運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。

――強い。

( ・3・) 強い。運命抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。

――その前にひとつだけ。わたし面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。

( ・3・) 音だけの出演。

――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――

( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?

――……。

( ・3・) 名前は?

――アルトゥーロ・ベネデッティミケランジェリです。

( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。

第四スタン


He woke up, the room was bare

He didn’t see her anywhere

He told himself he didn’t care

Pushed the window open wide

Felt an emptiness inside

To which he just could not relate

Brought on by a simple twist of fate


――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生ハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。

( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。

――クマ

( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。

――真面目にやりましょう。

( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――

――虚しさを?

( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――

――He just could not relate to an emptiness inside ということです。

( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?

――辞書を引きますか?

( ・3・) おまえが引きたいというのなら。

――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽わたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラーからして、もう調性は不

( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。

――はいどうでしょう

( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。

――そうです。ここではっきりと目を覚ます

( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。

――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉自然に導かれています

( ・3・) きみ、名前は?

第五スタン


He hears the ticking of the clocks

And walks along with a parrot that talks

Hunts her down by the waterfront docks

Where the sailors all come in

Maybe shell pick him out again

How long must he wait

Once more for a simple twist of fate


( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。

――はいどうでしょう

( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去出来事ではないんだな。

――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。

( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。

――このオウム実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。

( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか

――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。

( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。

――「周囲の人たちの話が、オウム言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?

( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。

――次は最後のスタンザです。

第六スタン


People tell me it’s a sin

To know and feel too much within

I still believe she was my twin

But I lost the ring

She was born in spring

But I was born too late

Blame it on a simple twist of fate


( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女わたし双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。

――はいどうでしょう

( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。

――もう自分が誰であるかを隠すことはない。

( ・3・) そう。三人称過去のかたちで物語が始まり彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称現在になる。そして今、一人称現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。

――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?

( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。

――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルド流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――

( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称仮面も外れる。他人物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。

小休止

( ・3・) はっさく匂いは猫たちには不評だな。

2019-12-22

批判補足

結論をまずかくと狐の人は文章をろくに理解できてないし、論証は雑でおよそまともに評価できる点が一つもありません。私が「小宮友根の文章を読んで反論せよ」という問題を出した大学教員なら、理解力も論証も雑すぎて、さらに知ってる知識を喋りたいのか余事記載とでも言う部分もあり不可としたいが、お情けでゴミだけど長い文章を書くことはできてるので可にしようか迷う感じですね。

アニメゲーム等における男女の露出の違い

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20191212/1576136093

まず、初手のビキニアーマーに関して。

普通「私は第二次世界大戦軍用機といえばゼロ戦くらいしかしらない」と言ってる人が第二次世界大戦軍用機日本のみならず各国の)について何か発言していたら、無知な人が抱くイメージの1サンプルにはなっても、その妥当性に関しては「全く耳を貸す必要がない」と判断します。

https://anond.hatelabo.jp/20191222150200

実際ビキニアーマーは1つや2つでなくメインビジュアルで全面に押し出されることは少なくとも、確実にオタクカルチャー根付いてます

そして、提示されたイラストに「主人公性別選択してください」に引っ張られてか、オタクカルチャー商業化して30有余年という時間的な長さ、さらジャンルアニメゲーム漫画、など多種多様なのにゲーム主人公選択問題矮小化しています。絵は読解できても文章理解できてないのかもしれません。沖縄貧困問題議論してるのに日本貧困率を出してきたり、「安室奈美恵沖縄県民だけど超金持ちハイ論破!」とか言い出す人かもしれません。

から、出てくるキャラクター露出度の問題なのに、それにまったく答えきれていません。

さらナーガ云々は意味不明です。フィクションの中のお話現実区別できてないと言わざるを得ません。

詳細はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20191222154831

男女の露出度の差に関してはたとえば

http://www.jp.square-enix.com/DFF/character/

を見ると、あからさまに男性キャラより女性キャラの方が露出度が高いのが見て取れます

まあ、職業だ、なんだと設定の違いとか言い出すかもしれませんが、たとえば0年前後流行ったMMORPGだと職と性別だけで一義的グラフィックがきまってました。

以下2つは韓国産ですが日本でも広く受け入れられたMMORPGです。

リネージュ君主ナイトウィザードエルフが皆女性キャラの方が露出度が高かったです。

ラグナロクオンライはちょっと職が多いので表にすると

露出
ノービス-
ソードマン-
ナイト
クルセイダ-
マジシャン
ウィザード
セージ
アーチャー
ハンター
吟踊
アコライト-
プリースト-
モンク-
シーフ
アサシン
ローグ
マーチャント-
ブラックスミス
アルケミスト

女性キャラの方が露出度が高いのは「○」同等は「-」男性の方が高いのは「☓」のつもりでしたが男性の方が露出は高いのは一つもなかったです。

結果19職中12職と女性キャラの方が露出度が高いです。

さらに言えば最近キャラクターの外見をカスタマイズできるゲームだと女性キャラ男性キャラと比べ露出度が高い傾向がありますね。

ビキニアーマーの件も『アレサ』や『ラングリッサー』はそれこそ男性フルアーマーなのに女性ビキニアーマーの良い例ですし、ゲームにおける露出度の差もオタクのくせに社会学者より詳しくないって驚きですね。

「顔のない女性

「このような顔を消されたキャラクターが描かれた事例が、この数年間の炎上であったことはない」

この文章は呆れますね。「炎上の背景にある性的客体化の表現技法」の話なのが理解できてません。

というか、これが反論になればそもそもビキニアーマーに関しても、炎上案件ビキニアーマーはなかったで反論は終わりです。

なんというか文章理解できてないので、有効反論ができていませんね。

この手法を多様する漫画家としては桂正和あたりが浮かびますし、ポル産アニメの「神田川JET GIRLS」では多用されてますし、そこまで露骨でなくとも、胸やお尻などをアップで写して主人公視線がそこに集中している事を表現するのは漫画アニメで多用されていますね。

オタクなのにやっぱり社会学者よりオタクカルチャーに詳しく無いみたいで本当呆れますね。

性的メタファー

繰り返します「炎上の背景にある性的客体化の表現技法」の話なので、その起源オタクカルチャー外にあるかないか問題ではなくて、オタクカルチャーにそういう表現があるかどうか?と言う話です。「定番」とか適当言葉使って誤魔化してません?

それこそ「神田川JET GIRLS」にも出てきましたし、正直この人、本気でオタクカルチャーになど興味がないのではないか不安になります

社会学者の方がよっぽど「正しく」分析できてます

最後

人文科学なり社会科学大学で学べば「である論」と「べき論」の違いは初歩的な段階で習うかと思います。もちろん、区別が難しい事例もありますが、この小宮友根の文章は「である論」なのに「べき論」だと解釈してる段階で、正直問題外なんですけど。

もう、いい加減、こういうまともな理解力も知識論理的思考もできない「オタク代表の人は完全スルーするくらいがいいんじゃないかな?

2019-12-10

反社会的勢力定義は困難」の何が問題だかさっぱり分からない

煽りでも何でもないので教えて欲しい。

反社会的勢力時代とともに移り変わる」←これ正論じゃない?戦後間もない頃は今でいう反社会的勢力闇市を立ち上げて、国民物資が行き渡るようにしたわけでしょ?その時代は少なくとも反社会的勢力ではないわけだよね?

もっといえば江戸時代に「切り捨て御免」とかやってた物騒な連中だって、当時は反社会的勢力どころか士農工商でいえばハイエスソサエティ位置していたわけでしょ?

それを追認するだけの閣議決定がなぜここまで叩かれるのか、さっぱり意味不明

それに、ウチの会社でも契約書に暴排条項を入れているけど、あれだって一義的に決めてしまうと、必ず抜け道をついてくる勢力がいるはず。そうすると、無理にフィックスするよりは、フレキシブル運用するほうが良いともいえる。この意味でも、閣議決定は理にかなっている。

それがなぜ叩かれるのか。安倍憎しの感情論で突っ走っているだけのように思えて仕方がない。

安倍は一度冷静になったほうが良い。

2019-11-18

SBI証券、SOR、高速取引の件

わかる範囲で。

はてなブックマーク民は、知らないことを知らないと言えない人間が多すぎ。

なお、筆者は機関投資家勤務、SBI証券に口座はあるけれど(機関投資家勤務なので)売買は出来ない立場。なので、個人のトレーディングには詳しくないところはある。

起きていること

個人で利用できる株式の売買執行市場は、東京証券取引所と、他に私設取引所PTS)。これらは個人機関投資家も利用する。

他の売買方法としては、ToSTNeTの利用、証券会社との相対取引証券会社等が提供するダークプール等もある。ほぼ機関投資家のみが利用するし、利用できる。

今回の減少は、SBI証券で、プリセットの設定のまま、成り行きで売買したときに起きる。

SBI証券で売買する個人は、株を発注するとき(便宜のため、売りオーダーにする。)、スマート・オーダー・ルート(SOR)をONにしたままにすると、東証か、PTSの中で一番良いプライス市場で売買される。

そこに、従来は「Immediate or Cancel」条件で執行されていたので、発注数量のうち一部でも執行できれば執行して(partial fill)、残りはキャンセルする執行方法だった。

これが、「Time in Force」条件、つまり一定時間は「成り行きのまま板に晒す」という方法に変えられたことと、加えてその残存時間があまりに短い(日経によれば何百ミリ秒)こと、これが問題となっている。

Time in Force条件そのもの一般的にも使われる取引で、まあ、ノンビリと成り行きで板に晒しておくという意味になる。

ただ、その残存時間ミリ秒世界になると、実質的には機関投資家のうち高速取引業者HFTしか取ることのできないオーダーということになる。

機関投資家他人の注文をのぞき見することが出来る訳ではない。

A市場とB市場(例えば、東証PTS)の値段の差をついて、A市場で安く売られている証券を買ってB市場で売ることそのものは、悪い行いではない。

これが流動性提供につながるし(市場が繁盛する、という意味)、市場間の裁定取引が働くことで値段が収れんするから

ただ、今回SBIがセットしてた設定は(SORで、TIF設定で、しかも非常に短時間TIF事実上、高速取引業者HFT)のみがテイクできるさや抜きで、不公正という感じはする。

※なお、TIFの残る時間もっと長い時間だったとしても、結果的にはHFTがオーダーを取るとは思う。結論はかわらないと思う。

問題は無いのか

SOR設定かつ短時間TIF設定を、利用者にわかりにくい形でプリセットにしていた点は、道義的非難は浴びると思うが、金融庁監視委員会処罰する法令上の理由までは無いと思う。

形式的な該当条文は無い。誠実公正義務くらいしかない(第三十六条 金融商品取引業者等並びにその役員及び使用人は、顧客に対して誠実かつ公正に、その業務遂行しなければならない。)。

とはいえ個人投資家も、オーダーの際の条件(SORなのか、TIFなのか、Fill or Kill(一部出来なら約定しない。)なのか etc.)、細かい取引条件は自ら確認する注意くらいは負わないといけないと思う。

改めて、実質的問題は無いのか

一義的には、金融商品取引法で定め、開示が求められている裁量執行方針に反していないのか、という形式面になる。

https://search.sbisec.co.jp/v2/popwin/info/home/bm_171129_16.pdf

問題となる可能性があるのはSOR対象銘柄の選定のプロセス妥当性があると思う。

SOR対象として、東証以外の市場(=PTS)に回していた銘柄が、本当にそれで良かったのか? 発注者の利益のみを考えた選定だったのか?(あるいは、PTSに参加するHFTに便宜を図ったりしていた形跡がないのか。)。こういう検査は、やった方がいいと思う。

あと、SOR時の利用条件変更の同意の取り方は、不誠実だったと思うので、行政指導がされる可能性はあるかも。

取引所特にPTS)は・・・

HFTに明らかに有利な執行体系を、特にSBIが使っているXマーケット個人投資家とHFTが両方利用する市場)で残しておくのは、不誠実かと思う。

明確な法令違反事項ではないが。

海外では、HFTだけだオーダーを取れないように、スピード制限があったりするので、取り入れるべきだと思う。

HFTはなぜ速いか(早いか

・速いコンピュータを使っている。

東証提供する、東証の処理サーバーラックの至近に、サーバーを設置する権利を借りて、東証の近くでオーダーを処理している。

HFT必要悪

たぶん、そう。 HFTが居ないと売買量が減り、個人を含めた参加者の売買がやりにくくなる。

ただ、実際の問題は、今回の報道以外の部分で多々あると思う。

例えばダークプール証券会社内部で、証券会社が抱える顧客のオーダーを、内部でぶつけて、約定させる。)での取引情報を、一部のHFTが得ているのではないか?という噂は常にある。

ダークプール内での大口オーダーの流れ(例:売りが強い)を見て、つまり市場オープンになっていない情報を見て、市場で有利執行をしているのではないか?という疑念はある。

2019-11-10

表現 雑考

私の立場とか

正統派フェミニズムの考え方は正しいと思うし、

セクハラは笑って許すのがいい女」的風潮はクソだなと思うし、

世の中アップデートしていくべきだとも思うけど

最近の性表現にまつわる流れには釈然としないものがあるのでつらつら考えた。

なお公共の場に置く表現少年マンガ表現ゾーニング配慮必要だと思うが、

R18指定表現同人表現深夜番組なんかはそこまで厳しく基準を設ける必要はないと思うし、

弁護士みたいにゾーニングされた場所から引っ張り出してくるのもマナー違反だと思っている。(後述)



はじめに考えたこ

とりあえずグラビア表現セクハラ表現は別々にかんがえるべきじゃないかなと思う

グラビア表現 「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起しようとするような表現。宇崎ちゃん秋葉原広告はこっち。グラビアアイドルの水着写真もこっち。

セクハラ表現 物語の中で登場人物セクハラ行為を行わせる表現漫画でのスカートめくり等はこっち。セクハラ=性加害行為

結論を先に言うならば、これらはどちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである。)



セクハラ表現の是非

少年誌セクハラ表現は真似する奴が出て来るからそれ自体問題だ」という主張がたまに見られるけれど、

物語の中でセクハラ行為がきちんと「許されない物として扱われている(報復が為される、周囲から非難される等)」場合

子どもにとっては「セクハラ行為は駄目だぞ!」という教材になるのではないかとも思う。

なので今の段階ではセクハラ表現を無くすより、教材として活用していく道を模索する方が建設的かなと思うし、実際時代の変化と共にそうなってきているようにも思う(これはただの個人的イメージ)。

その一方で加害者報復非難をきちんと受けていればセクハラ表現OKなのかどうかはまだ考える必要があるよな~と思う。

(「漫画みたいにちゃん報復すればいいのにw」というクソ意見蔓延報復できないタイプ現実女性が泣きを見ることになるからだめかな~…。)

世の価値観アップデートされていくにつれ(実際に存在するセクハラおじさんが淘汰されていくにつれ)少年誌からはなくなっていくべき表現なのかもしれない。

セクハラ早く絶滅してくれ。


グラビア表現の是非

グラビア表現故意

さっき『「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起するような表現』と書いた。重要なのはこの故意性だと思う。

誰の故意性か?それは勿論表現者、作者の故意である

どういうことかというと

作者が、「鑑賞者に「エッチだ!」と喜んで貰おうと思って描いた表現」は、グラビア表現であり性表現ってことなんだよ。

宇崎ちゃんの作者さんだってエロ広告絵師だって、大きなおっぱいをみんなに喜んで貰おうと思って描いてるはずで、その努力無視して「性的じゃない!」と否定するのは逆に表現者に対して失礼だと思う。

宇崎ちゃんの作者はそういう意図で描いてないのでは?とか言い出すのもナシだと思う。一般女性より過度に不必要に大きく作為的に描かれたおっぱいに向かってそんな擁護し出すのは流石に欺瞞しかない。

でも宇崎ちゃんの作者は作者で、献血ポスターの依頼が来たときに、「自分イラストから一般人がどんな印象を受け取るのか」ということを想像できなかったのなら、創作者として致命的に想像力が欠けてるんじゃないのと思う。

うーん…それとも忙しくて編集者に丸投げだったのかなぁ。同人作家なら性表現責任基本的同人作家本人が負うべきだけど、商業作家場合作家の性表現をどのように取り扱うかは編集者責任があるかも。

(勿論作家本人の同意なく掲示されたような場合はその限りではない。その時は掲示した者が表現者として責任を負うべき。)

グラビア表現への眼差しについて

一方グラビア表現を見て性的だと感じる我々の「眼差し」について、私はこれを責めるべきとは思わない。

なぜなら我々には内心の自由があるためだ。

グラビア表現女性に対する実害に結びつくのは実際のセクハラ行為の道具として用いられた時(絵を指して「この子おっぱい大きいね~」と女性に向かって言う、など)であって、鑑賞者が内心で何かよからぬ事を考えた時ではないんだよね。

内心でどう思ってようがそれを人目のある所で表明しないし危害を加えないようにするのがまともな大人というものだと思う。

そしてその内心というものはどこまでも自由であるべきなんだ。

裏を返せばセクハラしてきたおじさんに対し「コイツマジ気持ち悪いな死ねばいいのに」と思うのも思うだけなら自由

ちょっと良いなと思っていた先輩の家の本棚に宇崎ちゃん漫画を見つけて「うわー…こういうのが好きなんだ…」と思うのも自由

たまたま本屋で見掛けた知り合いがジャンプを買ってるのを見て「うわ…」と思うのも自由だ。

特にオタク他人からどう思われても構わない人達なので女性に内心でこう思われたとしても全然気にしないだろうな。

でもそれでいいよね。

オタクはそのまま自分らしく生きればいいし、女性側は逆に近寄るべきでない人を見分ける目印として活用すべきだ。それがお互いのためなんだきっと。

その他

なお今週のジャンプ居間放置されていたもの)に限って言えば、性的表現としていくつか見られたのはこちらのグラビア表現だった。(下着姿、湯気で局部の隠れた裸、女性同士のベッドシーン未遂

2次元女性の綺麗に完璧に鑑賞用として整えられた裸体に慣れ親しんでしまうと現実女性勃起できなくなる可能性があるので少年誌2次元グラビア表現を載せるのは教育的に問題だ」みたいな意見も、わからなくはないんだけど、実際にそういうデータがあるか私は知らないので、なんとも言えないなぁと思う。

これは「(2次元に限らずあらゆる物語に登場する)イケメン性格完璧さに慣れ親しんでしまうと現実男性を愛せなくなる」という意見と大差ないと思うし、データが無いならどちらも邪推しかないと思う。

ただデータがあってもこういうのは自己申告でしかない以上正確性に疑問がのこるし、心配な親御さんだけ気を付けてあげれば良いのではという感じかな。親御さんが気を付けても友達ネットワークから回ってくる場合もあるのでもうそこは運だろうなぁ。



結論的な

私の中で結論は出た。

セクハラ表現グラビア表現も、どちらも性表現であり、適切にゾーニングされるべきものである

だが、この世から消し去るべきとまでは思わない。

必要な人にとっては必要なんだと思う。

例えばそれはチョコレートコーヒー煙草精神安定剤のように。

ただ性表現を楽しみたいならゾーニングされた場所でやるべきだよ。これは2次元エロに限った話ではない。



ゾーニングされた場所から表現を引っ張り出してくる人達

やめた方がいい。本当に。

オタクの中には「ゾーニングしてたのに引っ張り出されたんじゃ意味ないじゃん=ゾーニング無意味じゃん=公共の場エロ持ち出してもいいってことじゃん」と考える人達が出て来ている。

マジでやめて。それ薮蛇だから



書き忘れ

グラビア表現について故意性を強調したのにはもう一つ意味があるんだった。

現実に居る胸の大きい女性ミニスカートを履いた女性制服を着た女子高生は、

例え男性の目から性的に見えたとしても、“「性的だ」と感じる我々の眼差し故意喚起しようとしている”わけではないということ。

それはただ持って生まれた体型であり、ただのファッションであり、学校指定されてるから仕方なく着ているものなのだ

そういう眼差し故意喚起しようとしてファッションを選ぶ場合も、ないわけではないけれど、恋人のためやお金を払ってくれる客のためであって、少なくとも見知らぬ人間のためではない。

現実女性は、グラビア表現ではない。

現実女性は、性表現ではない。

それだけははっきり書いておきたいと思う。

追加で考えたこと(11/18)

局部が見えているかどうか」みたいな分かりやす指標は別として、昨今の性表現について“「客観的性的に見えるかどうか」でゾーニングしようとする試み”には限界があるんじゃないだろうか。

ツイッターの有志が取った統計によるとオタク20代一般男性でさえ宇崎ちゃんポスターに対する感じ方は違ってたらしいじゃあないか

表現を観賞側がどう捉えるか、解釈するかなんて一義的ものになどなり得ないんだから、新たに客観的基準を設けても新たないちゃもんを付け始める奴が表れて堂々巡りになるだけだと思う。

から上に書いたような表現自身主観に基づいた基準で、まず表現者が自主的ゾーニングするべきなんじゃないの?と私は思うのだ。(勿論その「主観」に欺瞞がある場合はその都度批判されるべきだけどね)

これは表現者にとっても決して悪い話じゃないと思うんだけどな。

宇崎ちゃんポスターなんて、表現者が不特定多数からエッチだ!」と思って貰いたくて描いてるのが明らかなのに、性的じゃないと言い張る嘘が嗅ぎつけられるから批判も沢山寄せられるのであって、

そもそも表現者が自主規制してれば文句つけられることも減るだろうし、令和の一般人ならオタクの味方をすると思う。そうなったら私もオタクの味方するんだけどなぁ。

それにしてもツイフェミ寄りでもオタク寄りでもない意見全然歯牙にもかけられないんだなぁ…って軽く絶望感を感じるね。

わかりやすくてカロリーの高い意見ばっかり持て囃されてさ。

反論ほとんど来ないか自分の論のどこが悪いのか自覚することさえできなくて悲しいよ。

私は結構本気でここが着地点だと思うんだけどなぁ…

2019-11-09

認可保育所地域型や認定こども園も含む)の法人ごとの傾向と心構え

子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園幼稚園給付型)などがある。

運営事業者は、株式会社社会福祉法人NPO法人個人個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。

また、運営している園の数もまちまちで、株式会社から多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)

法人種別運営施設数での法人ごとの傾向をまとめたいと思う。

株式会社有限会社など含む)

子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。

また、株式会社人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。

認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。

そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員給与施設充実などに充てろということ)

しかし、弾力運用という制度があり、自治体協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。

(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)

今後、都市部でも新規整備は縮小されていくと思われる。

その場合、多くの園を経営することで、規模のメリット享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。

そのため、現在株式有象無象勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。

近年は新規法人や、学習塾産業進出している傾向が顕著。

【良いところ】

・園内のルール費用が明確

株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用効果効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービス結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)

そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。

【悪いとこと】

保育士不足になると一気に回らなくなる。

採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。

保育所子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。

そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。

たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかい名目本部へ吸い上げているからだと思う。

・実は本部機能ボロボロのことが多い。

拡大路線を取っている法人ほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。

特に子ども子育て支援制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。

一昔前のITベンチャーみたいな…

社会福祉法人

昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。

新しい法人比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。

東京近郊以外の法人京阪神九州四国)、一部北関東法人都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)

【良いところ】

・余裕のある考え方をしてる。

古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人

それがよくて希望する保護者も多い気がする。

【悪いところ】

トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)

福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。

その場合、雇われ園長主任問題であるならいいのだが、法人トップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)

組織として脆弱なところがある。

複数の園を運営している場合本部機能脆弱なことがある。また、地方法人株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。

また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール株式だとそこは考慮してくる。)


ここで気を付けてほしいのは、株式からダメ、社福だからダメということではないという点。

認可保育所幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。

次に施設種別ごとの傾向を書きます

幼稚園

一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます

一方でほとんどの幼稚園私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。

これは先生スキルというよりも、幼稚園あくま私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。

私立の小中学校と同じですね)

そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。

なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。

認定こども園

幼稚園認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。

かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります

気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園民主党政権時代に高い理想待機児童解消に生まれ制度です。)

①で書いた考えの法人認定こども園になった場合産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています

今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。

しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。

幼稚園でそんなことしたことあるのか?と思ってしまます

…保育時間の利用を止めさせようとすることもあります

…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。

(この考え、保育園運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)

認可保育所地域型保育も含む)

いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています

そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。

まれながらにしてサラリーマン並みに外にいるのです。

しかも、大人のように社会ルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…

そういったもの経験する場と考えられています

(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)

そのため、教育幼稚園のところに書いた絵画音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります

近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキル経験が求められます

ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。

幼稚園保護者に対して、元々求めています保育園だけでやれば幼稚園並みの経験教育が出来るというわけではないということです。)

つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所幼稚園を申し込むときには口コミ友達の話だけでなく、ちゃん見学に行くんだよ!ってことです。

あと、自治体では利用申込前から相談に乗ってくれますので、面倒でも窓口まで行って、どんな園なのか聞くといいですよ。

こども関係の窓口に子どもを連れてきて、ダメってことはないですから

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-27

それでは皆様、ご待望の答え合わせのお時間です

いやさ、投下12時間後位に見たらノーブクマ煽りトラバから、こんなに大漁になってたの気付かなかったわ、めんごめんご!

あと、文章なのはごめんなさいその通りです、完全片手間&やっつけ仕事です。まあ、言い訳と言われればそれもその通りよ。しっかし3行目から消して適当文言入れ忘れてるし、小見出し2つ目も入れ替えるの忘れるし、かといって今から手直しも卑怯っぽいから、直すに直せなくなったなこれ

一応ケツに「反転可能性」と書いたので、やや牽強付会に最大限、愛トリに寄せたつもりではあるが、他人思考トレースするの難しいっすね

では皆様の二枚舌(あるいは信念による鉄面皮)をご覧ください。

両方ノーコメントだったブクマカは省略

https://fut573.com/compare/?url1=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20191016150214&url2=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20191019000050

name献血イラスト問題についてトリエンナーレアート問題について短評
id:aomeyuki献血は困っている人を助ける為の良い行いだから、そこで発生する「モノ化」は甘受せよってロジックが増え始めてるけど、それこそが性や身体への搾取の具体例なると思うんで、それを広めて大丈夫かな。自分は「日本人」ではあるけど、「日本」ではないのでよくわからない話だった。それと憎悪嫌悪人間内包している当たり前の感情感覚なので、それが外側に出てしまう事を殊更に避けるのも不自然その「よくわからない」から出るそぶりを出せるかよ
id:SweetGiraffeこれは日本赤十字も『複数女性性交渉を持たず体重がそれなりにある若い男性』に寄り添った広告は打てなくなる。残念だが2019年では『人の命』より『政治的な正しさポリコレ』の方が重くなってきてるのだ。表現に対する嫌悪感』は、あいトリも献血ポスターも同じでしたね。 
id:kyo_juすげぇ。ビリーバーだ。釣りかそのぐらいかは見抜こうぜ
id:memomizawaなぜこの絵がエロいと思えるのか、他の絵はなぜエロくないか、考えていくと美術って面白いと思いませんか?そこには文脈がある。我々は性によって生きている、存在しているということもまた事実であるのです…日本に対して絶望したり、憎悪したりすることない?この主張だと公的な場では愛国的な作品しか見れなくなるよ。誇りに感じている日本の歴史を振り返れよ。ほら、「みんな憎んでる」としか見えてない
id:onigashira_3追記読んでも主語デカいなとしか思わなかった。個人の話を男女の話として語ってるだけ。  
id:kiku-chan複雑な問題なのに、単純化したブコメ星がつくのな。/ 戦略として「思考停止」って言葉を使わないほうが言葉は届いたのかな? 丁寧に言っても届くべき人には届かないようにも思うが日本過去の過ちに言及すると「反日だ!ヘイトだ!」と騒ぐ人の思考が見えた気がする。そりゃそれを見せようとして訳でな
id:myogabとは言え、切りが無いよなあ…。襟足や首筋や足首にフェティッシュを見出す者も定番として、古来から居たわけでな…。裸にペイントしたような「服」は画力が無いよな…とdisりながら潰してゆく方向かなあ。苦痛があるのは理解するが、被害者特権を振りかざし更なる弱者により酷い苦痛を与える事を容認する事には無理があるわな。弱者恫喝サヨクだと批判してきた事だろ。建前は守れよ。まず救う事によって救われようよそれ結局弱者トーナメントっすよね。あなた基準では後者の方がまだ強者だとおっしゃってるだけで
id:mimoriman貞操逆転世界をみんなに読んでほしい。原作エロ同人らしいんだけど、商業化で女の子主人公に。男性性的な目で見られまくる世界転移してしまう話。正直ここまで女性エロと密接に生きてきたのかと衝撃だよ?言葉尻をつかまえてるブコメ多いけど、たぶん若い子はこんな考えの人多いよ。自国ディスしまくりのインテリ層の大人辟易しながら成長したんだよ。今の若い衆、そんななの?
id:pikopikopan最近性の教育が適切でないから、無駄に傷ついたり傷つけたりして、結果殴り合ってるのではないかと思い始めてる。  
id:tomoya_edw性的消費」という文言への思い込みいね。この絵の対象世代はとっくに意識変わってるのにな。思考停止はどっちなんだろうか、女性という性はそこまで特別扱いか?この作品ですらその部分の捻りがあるのに。思考停止という言葉は嫌い。誰だって考えている。同じ言葉とて受け入れられるタイミングは異なる、そういう経験あるでしょう。党派性は雑フィルターだと思っている、普段は働かせていないと脳みそ負担がでかいとはいえ、何のフィルタもなしに世界を受容することが出来るかというと
id:tatsuya_memo宇崎ちゃんワンピースセーラームーン。挙げられた個々の例へのスタンスはどうあれ増田主張の骨子は理解できるはずだし、特に男性は深く受け止めるべき。意識しないと無自覚女性差別し続けるよ。自戒を込めて。例のポスター表現の自由が侵害された案件ではなく、ミラーリングのつもりなら不適切萌え絵を扱った美術展に展示されていたとしても誰も文句言わないだろう。その他ツッコミどころ満載で頭の悪さが溢れ出ている。ところがぎっちょん、美術展にも放火あったんだなぁ
id:RRDこの議論からポジショントークしかできないアニメアイコン排除して欲しい。まずはそこからそもそも日本」ってなんだ? ってところから考えるのが思考だよ。こいつは間違いなく、「日本」とはなにか考えたことがないことが文章からよくわかる。考えたことない人、ちっすちっす。いきなりアイコンだけで排除しろって、それ考えてやってるの?
id:mohno思考停止しないで聞いてほしいが、「不快ものから否定するのはおかしい、表現の自由」という看板を掲げていたあいトリエンナーレ応援してた太田弁護士自分不快とき看板下ろすなよ、と言ってるんだ。そもそもあいトリエンナーレ」は実施から男女平等じゃないくらものすごいことが起きる」と“認識してやったこと”だから、“予期せず話題とされた”であろう「宇崎ちゃん」と比べるものでもないんだよね。そこまで細かいフレームを比べだすと、凡てモノは比較できなくなるのでは
id:Ayrtonismこの意見に賛成の人も反対の人も、一行一行に反応するのを止めて、一旦最後まで読んで、胸の中に収めて、咀嚼して、消化してみてほしい。それくらいよくまとまっている。自分もすごく参考にしたい。最初から前提が全く理解できないので、全編通して全く理解共感もできない。「日本に対する憎悪を煽っている」という自分勝手に設定した前提を疑わないことこそが「思考停止」そのものじゃん。理解できないんじゃなくて理解したくないんでしょ?宇崎ちゃんエロ、って自分勝手に設定した前提じゃないって言いきれるの?
id:deep_one非実在に対して「性的に消費」とか言われてもな。しかもあのレベルで。そう来るか。当たり前だが元を崩せないから内容は無茶苦茶だな。そこがこの芸の弱点よ・・・
id:asx個人としてあの手のイラストは好きじゃないんだけど、ただの「お気持ち」だと自覚してるからなくせとは思わない。基準があるようでない「性的消費」を印籠にこの手の議論をするのは悪手なのでは。思考停止」という言葉、左右フェミその他問わず結局「自分意見が違う人間は間違っている」とイコールで使われすぎで、この単語を見ただけでそっ閉じしたくなる昨今。正確には「この思考に従って停止せよ」って話よね
id:EnergeticDuckセーラームーンSM連想させるので公に出すな、まで言うならまだしもフェミニストから同じ熱量で上がってきた事は無いので、お気持ちでしょう。自分を善人の顔した利己主義者だとも振り返って頂けませんか?"日本を憎むことは普通の事なんだよ、という教えが公的の場におかれていることが問題なんです。" 子供自己肯定感かに関係しそう(アメリカ人アメリカ肯定感つよそうUSA!USA!が大前提からあいつら・・・
id:kyoto117性的に消費」という言葉定義がよくわからない。性を意識する部分を強調した描き方をしたポスター問題なのか、それを使うことが問題なのか、ポスターを見て「性的に消費」することが問題なのか。単に文字遊びをしたいのか、事象皮肉りたいのか、だとすれば対となる元ネタとしてこれを採用した意図は何か、つまるところどういう効果企図したのか、全てにおいて不明瞭。わかりやすくいうと覚悟が足りない無名者に何の覚悟の在らん。迷陽迷陽无傷吾行
id:grdgsあの絵が性的欲情を狙って描かれているのは明らかだからな。一応言っておくが性的がすべて駄目ではなく議論余地はあるってこと。議論スタートにも立たず「オキモチダー!」ってそれこそお気持ち思考停止だよね。あれを作った人・支持する人は日本を憎んでいるという発想が間違っている。「憎んでいるに違いない」というお気持ちだよ。被害妄想批判=増悪と単純につなげる雑な「思考停止」多すぎ。自陣以外に正しいお気持ちはないらしい
id:world3話の前提がおかしい。献血ルームは日本赤十字の管理する私的空間であって公共の場ではない。なんだかよくわからんけど、元ネタの出来が悪いから改変後もイマイチすまん、こういう時はすべて改変者がへっぽこなせいだ・・・元ネタ悪くない
id:teto2645ただ単に面倒で図々しい人。なるほど。思考停止という言葉には普通に考えれば自分と同じ考えにたどり着くはずなんじゃ低脳どもが、という意味がある訳ですね。わかりますまあ、左側の前衛史観に立つとそうなりがち
id:amematarouあれを東京オリンピック公式キャラにして世界に発信する事を考えてみてよ。公的機関がやる事じゃないって思わんのかなぁ?こんな奴がいるから、漫画アニメオリジナル天皇が出てくる作品が作れないんじゃないの?漫画オリジナル天皇出てくる筋が見えねぇ・・・
id:ug_idolsexual objectification の概念なんて馬鹿には理解できない  
id:right_eyeでもそれを言うならアイドルガーリーな服等も性的消費だし、性的消費を肯定する女性向けの媒体女性誌のモテファッション特集等)も全てアウトと思いますが、なぜポンチ絵ばかり?思考停止せず答えて貰えますか?検閲を是とする気も少女像否定するつもりもないが、「これは日本人に向けたものではない」「これは日本否定ではない」という主張には説得力がないと思う。明らかにその要素はあるし、あった上で表現の自由が必要萌え絵あなたに向けたモノではない」
id:tikuwa_oreうん、いいから、黙って病院に行け。脳の。自分モデルになってるワケでもない単なる「絵」を、「女性」という共通点つのみで自分と同一視するんだからマジで病気以外の何者でもないワケだが。表現不自由展については「国家自治体国益を損なう表現に対し公金で支援する必要はない」「民間企業個人が自費でやる表現国家が口出ししてはいけない」でいいんだよ。 
id:kincity女性社会からどう見られたいのか」って人間として見られたいんじゃないの?男は精子供給するだけの存在と見られたいの?/「黙って病院行け」←君がな。君女が男より犯罪率高いてデマ流して撤回もしてないだろまぁ昔はそこらじゅうでフィリピンかにまれててそれが雑誌に載ったりカジュアルにしてたんだけどね。古本屋行ってごらん。じゃあ、昔はいっぱいあったかヌードカレンダー復活させようぜ!って違うだろーッ!
id:laislanopira……。あるいは一番正解かもしれない
id:inferio北拳見て現実人間殴るヤツはそいつキチガイだ。エロい絵見て現実人間危害加えるやつもそいつキチガイなだけ。自分不快に思う以上の意味を持たない主張に社会正義のような絹を纏うやり方は不誠実だまず旧日本軍ていうのがキチガイカルト民衆がハックされた状態なわけで、そんなもんに唾を吐きかける表現が今の日本の何を傷つけるのか分からない。オウムテロの行状くさして展示してるようなもんやろオウムほど彼岸ではなくない旧軍?ってか、その孫曾孫に至るまで謝罪のため拝跪せよって話なんすけど先様は
id:udukishinだったらスナックとかキャバクラとか接待する店を非難しろよ。あっちは「実在する人」が性的搾取されてるぞ。「生活のため」?ならイラスト関係者や漫画家は?他の職業しろ?それならスナックとかも同じだろ!あーなるほど「それ敵増やすだけだからやり方考えよ?」と言いたいのか。それはわかる。そこまでどっちかに肩入れしたいわけではない
id:LittlePenguin新宿二丁目ポスター修正が求められるのと同じだね。制限かけたい人々がいる。 http://murapo.sakura.ne.jp/pl2/?p=84弱者ランキングが始まったようですね。併せて性的消費で女性弱者なのかBLについて https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1910/23/news105.html[後で読む]
id:mutinomuti増田性的搾取されていると感じる公的コンテンツは許されない(´・_・`)まで読んだ読んでないけど思考停止するなと言う人の多くが思考停止してあらかじめ自分の考えたストーリーしか提示できないので読む価値は低そうである(´・_・`)逆もまた言えなくはない、という話なので、そこが読めれば見る価値が低いことはある
id:mukudori69あの絵自体は明らかに、胸を強調するための構図・彩色・視線誘導だよ。性的魅力を強調するため以外の目的あるんだろうか。性的魅力の強調度合いは露出や肌面積で一義的には表せないと思う。してやったりと思ってるのかな。苦笑しかないけど。公的な場って何回も自分で書きながら意味差異を考えなかったの?…書いてないのか。しょーもな自分で書いておきながらその共通性も考えなかったの?しょーもな
id:quick_pastサヨ叩きしてる愛国者連中や、少数者を社会から追い出してコスト削減したがってるネオリベとか、これもだけど行き着く先は欲望を好きな時に開陳できる、ケンのいない北斗の拳なんだが、それでいいわけか?から、なんども言ってる通り、ちゃんと、相手言葉を、一度でもいいから、真っ直ぐ、聞いて、知って、その上で解釈して、それから自分なりに考えたことを、書いてください。一度でいいから、脳味噌を通して。君も、条件反射じゃなくて、一度でいいから、脳味噌を通して。
id:cha9ファンタニマチらによる一大性的消費コンテンツ男性の裸体丸出しの大相撲公共放送毎日お茶の間に届けられてる異常な国ニッポンに関して増田はどう思ってるんやろ。伝統だしセーフは無しな、元は丸裸なんや自然文章だなと思ったら改変後の主体おかしい。比較揶揄するならフェミ弁護士の双極になるのはガソリン脅迫犯や電凸やった奴ら。で日赤漫画作者に当たるのが表現不自由展。日本不自由やと思考停止の例何らかの表現を葬ろうとした段階で同じでは。フェミ弁の双極はあえて言うなら名古屋市長付け火して煙喜ぶ連中よ
id:frothmouth🤔 フェミニスト学会とかで、この絵は性的ポイント何点とか基準を作ったらどうだろう?80点以上はフェミニスト的には禁止とか?もちろん、社会の側はそれに従う必要はないけど...パロディなのか真剣なのか7:3位っすね正直
id:mouseion自衛官イケメン化するのも辞めて欲しい。僕はごつごつしたラグビー稲垣選手みたいな自衛官の方が大好きです。むしろ野人系推してけよ~。アゴラ読売記者ネトウヨがね、この間僕を名指しで日本不自由なのか“バカサヨ”って発言してるのよね。そのリテラシーの欠片もない不自由発言を僕は評価したい。左翼バカなら右翼もっとバカなのだとね。ごめん誰か解説して

anond:20191019000050

2019-08-30

リツイート同調したうえでの拡散と見なされるのか?

アホすぎる投稿晒し上げるという意図でする人も多いかと思う

自分判断に迷うもの拡散することで、有識者の目に留まり正しい解説がなされることを期待する人も多いと思う

リツイート共犯誤報増幅!悪質!って一義的に語るのは如何なものか、と思うけど、そうでもないの?

引用リツイートで、審議不明、要解説、くらい書いておかないと、リツイート意図によらず犯罪なの?

2019-07-25

anond:20190725134348

http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-647.html

わたしの一番の危惧は、拳銃麻薬は、一義的にわかるけれども、ポルノ一義的に決まらないことだ。

拳銃麻薬は、それがそうであるとすぐわかる。

「銃でないと思いました。」などという主張は、法廷で許されるわけはない。

しかし、ポルノかどうかは、人によって違ってくる。

与党基準曖昧から」ではなく「ポルノのもの基準曖昧から」としか読めないが。

あと「児童ポルノ規制自体に反対する」というのがどこから出てきたのか分からん

実写の児童ポルノ撮影まで含めて擁護しないと「児童ポルノ問題で頑張ってきた」と表現してはいけない?

狂人か?

2019-07-22

良いと悪い

我々は生きる上で、あらゆるもの自身価値基準に照らし合わせて 良い、あるいは悪い と判断している。だが、何故あるものは良く、またあるものは悪いのかを意識することは少ないだろう。

果たしてそれは“良い”ことなのだろうか、“悪い”ことなのだろうか。

我々が普段どのように善悪判断しているかを指摘し、それを理解しないことがいか危険かというのを主張したい。

そしてあらかじめ言っておくが、私は殺人肯定しない。

さて、我々は一体どのように善悪判断しているだろうか。ここでは、信号待ちにまつわる善悪判断を例にとって考えてみたい。

 

例えば、広くて見通しの良い一本道にかかっている横断歩道信号待ちをしているとしよう。周りには車も人も通る気配が全くない。現在信号は赤であるとする。

この時、律儀に信号が赤から青になるまで待つことは良いことだろうか、それとも悪いことだろうか。

 

結論から言うと、良くもあり悪くもある。

当然の話だが信号無視というのは交通違反であり、実際に歩行者が罰せられることは少ないとは言え法的な観点から見れば明確に“悪い”ことだろう。

一方で、この状況で信号無視をしたとして一体誰が困るだろうか。車も人もいないような歩道で律儀に信号を待つことは非効率である。すなわち、この状況での信号無視は効率的に“良い”ことであると言えるだろう。

したがって、信号無視は良いことでもあり悪いことでもある。こういった事実を前提とした上で、我々は何か1つの思想立脚して善悪判断するのである

 

こんなことはほとんどの人が理解しているだろう。普段我々が行なっている善悪判断の基本原理なんてこの程度のものだ。

にもかかわらず、この基本原理を徹底している人は少ない。さらに言うと、その危険性を理解している人はもっと少ないと感じている。

 

少し話を変えよう。

我々は行動する際、必ず行動目的存在を前提としている。分かりやすく言うと「我々は必ず、ある目的を達成するために行動する」ということだ。考えてみれば分かるが、我々は目的を前提としない行動は取らない。生理的しろ理性的しろである飲食するのは栄養を摂るため、働くのは金銭を得るため、息をするのは空気を取り込むためだ。

換言すると、全ての行動は「目的を達成する」という点において合理的であり、故に正しいと言える。

 

言いたい事はというと「あらゆる行動は他人から見てどんなに非合理的であっても、本人にとって合理的で正しい行動である」という単純な事実である

この事実が導く主張は「殺人は正しい」だ。何故ならば、我々という他人いくら否定しようとも少なくとも人を殺した本人にとっては正しい行いだからだ。これは直感的には理解できないかもしれないが、出来れば無下にせず飲み込む努力をして欲しい。

冒頭で述べたとおり、私は殺人肯定しない。しかしながら、善悪判断に真に取り組むとはこういう事だと思う。我々は「どんな行動でも行動者本人は正しいと思っている」という事を理解しなければならない。逆に、自分がどんなに正しいと思っていても、他人から見れば間違っているという事も十二分にある。その事実認識することで、我々は初めて相互理解し得る。

 

信号無視」が良くも悪くもあるように、「殺人だって良くも悪くもあるのだ。

それでは結局の所、良いとは何か。悪いとは何なのか。

 

私は「あらゆる物事はそのもの構成する事実のみの存在であり、良いとか悪いといった評価は我々の主観から付与された観念にすぎない」だと思う。

信号無視や殺人はそれ自体悪いものではなく、価値観と照らし合わせて評価された時に初めて悪い、あるいは良いものとなる。

ある1つの行動をとっても、それはある観点からは正しくて良い行いだと評価され、別の観点からは間違っていて悪い行いであると評される。だが、それは単に物事見方が違うために生じる差異であって、行いそのものが一貫して良い、または悪いということではないのだ。

良い、悪いは物事性質や側面ではなく、我々の見方差異に過ぎないということを強く主張したい。

全ての物事はある観点から見れば良く、また別の観点から見れば悪いものであってそこには本来物事構成する事実のみが不変的に存在している。

 

では、あらゆる物事が常に良くもあり悪くもあるならば我々はどのようにして判断すればいいのだろうか。

私は、物事それ自体善悪を携えているのではないと了解した上で、自分立脚する1つの主義思想を明確に意識し、それに沿って一義的物事を捉えるしかいであろうと思う。そこで生じるメリットデメリット等を勘案、斟酌し、相手理解しようと最大限努めながら議論するべきである

殺人犯は理性のない獣ではない。合理的判断可能人間だ。

そしてそれを理解しない方がはるか危険だ。

2019-07-04

anond:20190704190618

そりゃ女とのコミュニケーションの話なんだから一義的には当然じゃね?

フェミニストが男に要求するのと同様だから別に不思議には思わん。

2019-05-22

anond:20190522155223

それは社会的矯正じゃないでしょ。

性欲に社会的なあれこれが含まれていないとは言えないけど、一義的には「セックスしたい」は人間に元来備わっている衝動でしょうよ。さすがに。

その衝動欲求をかなえられなかった人間が歪むのは当然だと思うわ。

anond:20190522154310

DV男が「俺がお前に暴力を振るうのは俺が親から暴力を振るわれていたからだ。文句があるのなら俺の親に言え」

なんて理屈を言ったところで、それが通ると思う?

過去にどんな因縁や原因があったとしても、差別一義的責任は、差別をする人間にある。

そうなるに至った経緯についての同情はあったとしても、「文句があるなら原因をつくった人間に言え」という責任放棄は通らない。

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

-----

損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2018-12-27

どうかみんな見てほしい。私刑ということ、世間というもの

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-09-26

思想対立について

自らの愚を自覚せず、考えることすらしないで、高みから物を言っているということにすら気がついていない破廉恥

心の乱れた人が多くなったものだ。

LGBT派とアンチLGBT派の両方がこの言葉を投げ合っている。私は第三者だが、

両派の強硬派のどちらにも当てはまるような気がする。

もう、何が正しいのか、何を正義とするのか、一義的に決定できない状態になってしまった。

言論の自由根拠にしてネットで皆が騒ぐ。落とし所があるのか? 落とし所を見つける努力を双方が取っているか


こんな現象LGBTに限らない。

次に来るのは暴力が優位に立つ時代かもしれない。悲しいけれど。

2018-08-25

私刑について

「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」

日本国憲法31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチ正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれしかもそれが正義などと囃されたりする。

何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律手続きなくして個人個人他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようであるネット私刑と言ってネット上での私刑行為問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしま不可思議ロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。

姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦から、大切な人を殺されたから、自分尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。

ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産夫婦同然の関係を強いられていた女性父親殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。

一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人個人との事件であるということである親族を殺されたもの復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題メディアリンチ経済的精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。

栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準範囲内で酌量するだけのことである

ところが、第三者アジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑ダメ!」などと何故か私刑差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。

ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性ジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈動画を見てしまたかである最初も私は「なんだ、過激ジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しか動画投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネット世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。

けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである

世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人情報発信能力を持つことで、なんの権力地位ももたない一般人も、言動論理性、道徳的な真偽など情報発信するもの必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのであるネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭視点顕在化した結果生まれ単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分ストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人糾弾するのではなく、その考え自体批判しようという姿勢大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。

こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。

自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいいか」と。

私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である窃盗をしたもの馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネット個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である

余談だが不倫事件話題になったベッキー川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。

2018-05-28

anond:20180528115419

それはトートロジーだけど、俺が求めていたのは優秀さの定義の方なので、両文から「優秀さ」を相殺したものトートロジーかどうかは一義的には関係ないよ。

優秀の定義づけになってないことが分かる点で傍証にはなるけど。

2018-04-05

問題化しなければ何をやっても構わない派

法に抵触しなければ。直接の被害者がいなければ。問題が表面化しなければ。何をしたって構わない。そう思っている人間の数は結構多い。もっと極端になると、一義的な成果が見込めるのであればその過程で小さなルール違反があっても構わない。細かなルールに捕われない強引さは優秀さと強さの証しだ。と考える人間も結構いる様に感じる。

政権を支持する人の基本的思考形態って、ざっくりこういう方向性なのだろうと思う。きっとそういう人から見ると「民主主義の根幹」とか「国民を欺かない真摯姿勢」とかにこだわって、現政権批判する人々は全員「成果獲得を邪魔する無能者」に見えるのだろう「たかだか数億のくだらない事件よりも重要国会審議を」という発言には「多少のズルは許されるべき。そんな事で揚げ足取りするな」という思いがにじんでいるのだと思う。

この構図って小学校の学級会とかでも、まぁ見受けられる構図であって、大の大人が集まって形成する構図じゃないのになあ。という事を考えると、なんだか自分達のレベル感に関して、暗澹たる気分になってしまう。人間って成長しないもんなんだなあとか。

2018-02-04

anond:20180204002642

奥行きのある感想ベースって「語彙」では無いと思う。

感想に奥行きのある人って、作品に触れながら、同時並行で

何か別の事を考えたり思い出したりしてるんだと思う。

作品の展開を目の当たりにしながら、

同時に「この演出ってあの時の自分体験と同じ感じがするな」とか。

或いは「ココで描かれる人間関係ってあの事件と同じだよな」とか。

作品構造分解して、自分記憶の中にある別の何かと突き合わせて、

そこから自分独自感想」みたいな物を導き出しているんだと思う。

そうでなければ、誰であろうと一義的で単調な感想になると思うよ。

ブログとかで面白い感想を書いている人は、

その「分解」と「突き合わせ」のマッチング絶妙なんだと思う。

なんというか「一見意外だけど言われてみると確かに納得できる」みたいな。

なのであんまし「語彙力」は関係いかもしんない。

もし増田ガチンコ理系なのであれば、

付き合わせるテーマとして「増田しか知らない超専門ジャンルの話し」を

選んで書いてみると、結構興味深い感想文が完成するかも。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん