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はてなキーワード: 鈴木敏夫とは

2023-11-08

ゼルダ実写映画 この監督にすればメチャクチャにしてくれるはず!!

山崎貴 映画最後現実に帰れと説教してくれるはず!!

押井守 いつもの虚構現実テーマにしつつ、ゼルダ姫は実在しなかったという映画にしてくれるはず!!

新海誠 リンクゼルダ姫が入れ替わっていろいろしてくれるはず!!

細田守 映像ものすごいけどシナリオが良くないと叩かれてくれるはず!!

宮崎駿 実写よりアニメの方が上だ!!と劇場アニメを作ってくれるはず!!タイトルは「ぜるだ姫」のはず!!題字は鈴木敏夫が達筆で書いてくれるはず!!

庵野秀明 タイトルはシン・ゼルダの伝説のはず!!いろいろとこだわりまくったわりにはショボいCGリンクが大活躍するはず!!

2023-10-26

anond:20231025090608

X世代としてはあの当時プロダクション勤務の宮崎駿が関わった作品は全て『娯楽作』であり

鈴木敏夫が関わりだしてから思想作家性』の色が強くなっていった。

ルパン三世1st(1971年

アルプスの少女ハイジ1974年

未来少年コナン1978年

ルパン三世2st(1979年7月28日)死の翼アルバトロス

ルパン三世2st(1979年10月6日さらば愛しきルパン

ルパン三世 カリオストロの城(1979年12月15日)

2023-09-21

ジブリ日テレの子会社になったら宮崎駿次回作はどうなるんだろう?

これまでみたいに鈴木敏夫宮崎駿の話し合いで物事を決めていたようなわけにはいかなくなるだろうからな。

2023-09-10

20230910[アタック25]Next 2023年9月10日 #77 通常大会 学校先生大会 2023-09-10結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

日曜日の本放送だけ1時「25」分から

BS1からボタン2回(今だけ?)とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [ある人物名前]吉田松陰 よしだしょういん

・02 小豆島 しょうどしま

・03 なでしこ

・04 インパルス

・05 [3択]『ロッキー

・06 僕が見たかった青空

・07 [すべて][4答]広島市 岡山市 倉敷市 福山市

・08 桜木建二 さくらけんじ

・09 [近似値]4万5300

10 Chief チーフ

11 北政所 きたのまんどころ

12ノシン(酸

・13 [トルコ石]ターコイズ

・14 [2択]フランクリン(・ルーズベルト

・15 利休揚げ/利久揚げ

・16 鈴木敏夫 すずきとしお

17 フランス

・18 YOSHIKI

・19 [ふるさとクイズ][秋田県大仙市]スマイルソーセージ)ハイチーズ

20 ゴスペラーズ

・21 かわぐちかいじ

・22 1(番目

23 愛媛(県

24 五味太郎 ごみたろう

・25 [AC]『RRR』 アールアールアール

・26 グスタフ・クリムト

・27 [3択]サル

28浅草キッド

・29 虎(の巻

・30e サザンオールスターズ

・xx [ある都市名前]滑川市 なめりかわし

2023-09-01

魔女の宅急便OPEDの雑採用背景好き

元々はいもの鈴木敏夫の私情採用なんだよね。

 

鈴木 音楽について決めなきゃいけない打ち合わせの前夜に、ガールフレンドユーミンコンサートに行ったんですよ。それが初めてのユーミン体験。それで翌日、監督宮崎駿音楽演出をやっていた高畑勲に「ユーミンいいんじゃないかな」と提案したんです。

こいつホンマに私情を仕事に持ち込むことに躊躇しない男やな。

 

で、宮崎駿毎日ラジオで聞くくらいユーミン好きだったかユーミンにお願いしましょうってなって

書下ろしでお願いしますって事務所に持っていったんだけど

ユーミン夫妻が全然乗り気じゃなくて1年以上「まだすか?」「どうすか?」って通い詰めてたら

ユーミン旦那が「なんかちょっと重いんでなしでw」って言ってきたんだよね。

 

しょうがないので当時のユーミン楽曲の原盤権持ってたレコード屋の偉い人に頼み込んで

楽曲を使わせてもらうことになったので、

魔女の宅急便にあの2曲が使われることに対しては

当時のズブリユーミン夫妻に直接許可は取ってないっていう。

大ヒットしたのちに「ええで!」ってなってるんだけども。

2023-08-28

カップリングのリバは戦争になるのって言うほど理解できんか?

おねショタのお姉さんがショタ攻める本だと思ってワクワクして読み始めたら

ショタがお姉さん攻める本だったらブチギレるだろ。

鈴木敏夫も違う違うそうじゃそうじゃないって言うだろ、それは。

それと同じなんだよ。

2023-08-26

ジブリ鈴木敏夫みたいな顔したジジイでこれまで関わってきた奴揃って頭おかしクレーマー気質のやつばっかりなんだけど、キチガイがああいう顔つきになるっていう遺伝的要因みたいなものあるのかな

2023-07-22

岡田斗司夫ジブリエヴァ汚染構造

作中では描かれてないけど下品なことを考えた

岡田斗司夫が同様の自説を垂れ流していた

断定口調なので実際にあった話だと思い込んだ

岡田斗司夫が言っていたが鈴木敏夫あたりが言っていたにすり替え

鈴木敏夫あたりが言っていたか宮崎駿or庵野秀明が実際に言っていたにすり替え

公式裏設定

2023-07-21

君たちはどう生きるか」見たんだけどさ

初見感想が「AIのつくった宮崎駿映画みたい」だった

どっかで見たよ~な要素がぶち込まれまくってひたすら車輪の再発名をしている感じ

全然まとまりきらないけどとりあえず殴り書き

開始1分経たないうちに戦時中っぽい雰囲気萎え気味

もう風立ちぬでその時代やりましたやん

ハ号が画面に大写しになって主人公独白で確定してどっちらけ

まじか~同じ時代やっちゃうしかもまたお坊ちゃんじゃないの

あんたそれ以外描けないの?いや描けないであろうことはわかるんだけどさ

風立ちぬはいいよ?初めて(その年にして初めて!)「俺は結局はお坊ちゃんなんだよ」って言ったからね

でも二度も三度もやることじゃないでしょ

良くも悪くも心が動かされたのは序盤の風立ちぬ+トトロ再利用したような絵面に突っ込みいれているあたりと

終盤に入って爺さんから積み木の話聞かされて以降くらいだった

こだまペリカンに食われるシーンとかもふーんって感じ

どーせペリカンフォロー入れるんだろうなー

あっそっすよね

ペリカンさんも大変っすよね

しかNHKドキュメンタリーの「終わらない人 宮崎駿」のなかだったと思うけど

鈴木敏夫ポニョについて「あまりきじゃない」と語るくだりがあった

いわく「昔やったことをもう一回やってるから

いやー鈴木さん、あんた今どんな気分なんだい

全編昔やったことだらけじゃないの

絵コンテ見て「やりますか」って言ったこと後悔していない?

だってほぼ全てのひとが思ってるだろうけど

から落ちてきた石って墓所の石じゃん

出てきた瞬間に「あーはいはい破壊すんのね」って思ったわ

しかもその石の破壊主人公じゃなくてインコがぶった切っちゃう

いや、いろいろ読解の余地はあるよ

外界の住人である主人公ではなくて世界住民自身の(誤った)行動によって世界崩壊するとか

崩壊ではあるけどインコたちは外に出れてるわけで自らを束縛するもの自分たち自身の手で否定できてるとか

でもね、些末なのよ

味のないガムも楽しもうと思えば楽しめますみたいなものであってそれ以上じゃない

インコ王様の動きは「おっ!」と思わせるものがあってここで最後主人公と大立ち回りを繰り広げてくれるのか!?と思ったら

剣でテーブルごと積み木ぶった切るだけ

マジか~

まぁ説明不足なのとか見てると宮崎駿が体力的に持たなかったってことなんかな

それならもう仕方がないや

でも「敢えて」描かなかったとかならエンタメ映画つくるのやめちまえよと思う

通俗エンタメにも作法があるはずで、ここでアクションをいれる!みたいのあるでしょ

ちゃんとそのへん能う限りの力でもって押さえてほしいんだよな

昨今のジャンル映画ジャンルの型を否定するがあまりジャンルのもの否定するのを見てると脱力する

そんなに枠組みを否定したいならそのジャンルでやんなきゃいいじゃんね

そんなに思想性高くしたいなら文芸作品でも撮ってろよ

通俗エンタメならちゃんと観客をスカッとさわやかな気分にさせてくれ

脈絡なく書き連ねたけど風立ちぬで終わっときゃよかったと思う

こんな過去作品の要素を再利用した作品とか見たくねぇ

いや個別にそういう作品もあるってんならまだ納得できるかもだが

引退作品がこれはない

ただまぁ時が経てば言及する奴は熱狂的なファン限定されていくし

否定的なファン感情も摩滅していくから結果的に味のある作品って社会的評価になるのかもね

スターウォーズの新三部作とか見てるとそう思う

宮さんお疲れさまでした

さすがにもう引退撤回はやめてね

俺の中での引退作品風立ちぬ

いやーあれはよかった

2023-07-18

anond:20230718170429

鈴木敏夫自分を通さず他人に任せられるような人なら、年齢を考えたらとっくに後進育成してるはずだよ

してないしできないってことは、そこを退いたら無知無能が露呈するからではないか

anond:20230718165131

元凶鈴木敏夫タイに行って帰ってこなくならないかぎり変わらない気がする

この人コピーとかタイトルの名づけがヘタクソで有名らしいし

2023-07-17

史実では宮崎吾朗ジブリ継承しようとしたんだよな

鈴木敏夫にそそのかされて、宮崎駿後継者となるべく、

ジブリで毒にも薬にもならないような映画を何本かつくったんだろ?

な?

から史実では継承者になろうとしたんだよ。

でも、それはうまくいかなかったんだ。

なぜか?

映画の中で大叔父は言ってたよね。

世界継承者となるには必ず私の「血族」でなければならない、と。

からインコの王が適当に積み木を組み上げてもあっという間に崩れ去って世界崩壊する。

このへんをちょっと考えてたんだよなあ。

まああんまり現実投影しても

実はあまり意味はないような映画なんだ

ということは薄々感じているか

こういう文章自体意味はないのかもしれない。

 

でもさ?

叔父世界継承を促されて

いや俺は自分世界に帰って友達百人作るべ、

って、それを断った主人公というのはいったい誰のことなんだろうな?

まあそもそも自伝的要素が強い映画といわれている。

であれば主人公宮崎少年投影されていたものであるはず。

というか物語の冒頭は完全にそうだった。

とするならこういう考え方もできる。

俺がもしも宮崎駿の息子だったとしても、

そして正当な「血族』だったとしても

スタジオジブリなんて絶対に継がなかったね。

と「血族」でもないのに石を継ごうとした吾郎に言っているようにも聞こえる。

つーか俺が吾郎だったら、そう受け取ってしまって苦悩するかもしれない。

2023-07-16

君たちはどう生きるかで分からなかったこ

色々追記。下の世界アニメ世界、塔=ジブリ世界という解釈の前提。

ペリカンアニメーター?まだ世に出てないアニメ漫画原作者

であれば、ワラワラは上の世界で生まれる=現実世界キャラクター(のアイデア)が生まれるという事?

ペリカンワラワラアイデア)を運ぼう(盗もう)としたところ、ヒミによって焼かれたのは生まれそうになった=作品になりそうになったけど没になったキャラクター達?

ヒミは配給会社とか企画など制作委員立ち位置

魚はキャラに対する属性?魚が少ない=アニメキャラの新しい属性を見つけられない。食いつくしたという事?

死者は生きてるものを殺せない=アニメーターや原作者としての生を失った人?もう新しいアイデアを出せない人を表している?

キリコは設定=ワラワラアイデアを温めるような人?デザイナー

インコ原画マンアニメーター?

鍛冶屋ジブリ作品製作会社

主人公料理してを食べたい=降りてきたアイデア設定資料から物語を作りたい?キャラ設定の咀嚼という事?

塔の世界で産屋で子を産むこと=アニメのものが生まれる?アイデア物理的な物?=全てを総括したアニメフィルムワラワラが上の世界で生まれるのとはどう違う?

タブーはというのは宮崎駿仕事部屋に入るなという事?物理的な部屋じゃなくて脳内みたいな空間通路の石が怒っているもの宮崎駿が良く怒るから元ネタアイデア)を知られたくなくて怒ってる?

継母はアイデア元ネタ元ネタ設定資料ネタ帳スケッチブック的な物?ペン?なので産屋では紙が襲ってくる?

鍛冶屋に継母いたというくだりも昔宮崎駿が元アニメーターで、その身分だった頃からアイデアを練っていたことを示唆

子がいる人間を食べられないのは、子=上の世界で生まれもの既存アイデア=食べると盗作

インコの育て親(繁殖させた人物)=大おじ=駿だとしたら食べられないというより、食べるなと命令した?駿のアイデアパクるなという事?

インコの王は鈴木敏夫とよく言われてる。

裏切りではないか!=ファンたちへのメッセージジブリスタッフとしての別観点から意見

綺麗な積み木だけではファンから見放されて身を亡ぼすという事?

悪意が含まれてないとアニメ世界崩壊してしまう?

お守りのババアは何?

キリコ人形現実世界で本物になる=寝てるときに周りに会ったババア達のお守りも本物?

現実世界との記憶繋ぎ止めるもの現実世界記憶がなかったら真人が悪意を認めたとした大おじへの説得もできなくなる?

ババア達も忘れていただけで塔の中に入っていたことがある?

君たちはどう生きるか』の考察ゲームに対しての個人的意見 ネタバレあり

アオサギ鈴木敏夫」は確定情報ではないが、「鈴木敏夫のような油断ならない存在友情を育むことの尊さ」は紛れもなくあの映画存在していた。

映画のもの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。

外野元ネタ探しをするほどに「解釈」の本質からは離れていく

映像の奥から表現たかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象のものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。

それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。

眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿引退詐欺元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。

そもそも人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画監督だけに限らない普遍的出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。

巨大な塔が存在し、その支配者は老い後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。

アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。

作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃん意識するべきだ。

この切り分けが出来ているか重要なんだと思う。

物語からメッセージを読み取ることを投げ捨てろというわけではない

元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。

多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。

たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれ友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。

実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。

時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。

物語一貫性を持つためにはそういった精神的支柱必要なのだ

「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンスパイダーマン足り得ないのである

それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。

君たちはどう生きるか」は問い詰めているのではなく問いかけているんじゃないか

このタイトル過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。

でもこれって問いかけぐらいでしか無かったと思うんだよな。

名前元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。

そしてその答はなんでもいいんだと思う。

主人公は「汚れ無きもの時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。

無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語方向性が確定した。

より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。

インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。

自分理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。

母との再会・別れ・そしてアオサギとの友情

変えられるものと変えられないものの話なんだと思う。

何が元ネタだったか考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。

自分気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。

必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。

アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。

最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。

でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。

本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。

たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。

あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。

自分意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。

「それは宮崎駿が結果を出した人間から言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。

元ネタ探しを辞めても作品とは向き合える

作品をどう解釈していいか迷ったとき元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。

それはエヴァンゲリオン解体新書日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。

特に最近庵野監督が何かと話題になったので、作品考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。

それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。

まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違い絶対にしないでほしい。

世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリー背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。

かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。

考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。

君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。

おせっかい老婆心なんだろうけどさ。

anond:20230715194659

プロットを考える上でメタファーが元になってるのは間違いないけど、

個々のメタファー間の整合性はとってないので

勝手整合性取ろうとしても絶対無理が出るよ

あそこはアレのメタファーであそこは全然関係ないアレのメタファー

ぐらいに考えたほうがいい

青鷺はシーンによって高畑勲でもあるし鈴木敏夫でもあるし

宮崎駿は眞人でもあるし大叔父でもある

君たちはどう生きるか特別番組作って欲しいよな

鈴木敏夫宮崎駿が10分ぐらい「パクさんには本当さ~~~」ってアレコレ言い合って、そのあと個別インタビューで「でもあの人(鈴木敏夫宮崎駿)も人の事言える義理かなとは思うよね」って今度はお互いにDISりあうような感じの奴。

スタジオ案内しつつ過酷すぎて死んだ目になってるアニメーターの姿をサブリミナル的に入れるのも頼む。

カンヤダさんは本人は出さないようにしつつ匂わせだけしとこう。

絶対面白いと思う。

金曜ロードショー特別番組でやって、そのあとネットで2週間ぐらい配信しよう。

アオサギ鈴木敏夫」と言ってる時点でソイツの考察は読む価値ないよ

だが『ジブリ教科書19 かぐや姫の物語』によれば、『君たちはどう生きるか』の中には、高畑勲と思しきキャラクターが登場すると記されている。

宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』で高畑勲が描かれる?…その「驚きの理由」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュースより引用

高畑勲っぽいキャラってアオサギ以外におるか?

キングインコも親父も大叔父も違うでしょ。

じゃあアオサギしかおらんくね?

アオサギ鈴木敏夫だと言ってる人は、じゃあ他に誰が高畑勲だと思ってんの?

そこを答えられないならソイツの考察妄想しかないんだよ

君たちはどう生きるか』は宣伝しなくてよかったね

いつもみたいに派手に宣伝してたらジブリブランドに傷がつくところだった

だってあれは宮崎駿オナニーだもん

鈴木敏夫も困っただろうね

こんなもんをファミリー層にはお見せできない、でも宮さんは功労者から最後に思いっきテクノブレイクさせてあげたくもある

内容が理解不能でも一生懸命理解しようとしてくれるアニメオタクけが見て、一回見たらギブアップちゃう普通人達の多くが存在に気付いたときには公開終了しているのがベスト

台風が過ぎ去るのを家の中でじっと待っているような、そんな感じ

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

君たちはどう生きるか商業映画として健全じゃない

あの映画ストーリー破綻しまくってるので逆に心に引っ掛かりを残して、見た後に誰もかれも監督である宮崎駿を読み解こうとする。

原液であるとか、走馬灯であるとか。

これは商業映画としてとても健全とは言えないのではないか

鬼滅の刃を見て、原作者がどうのとか監督がどうのなんて話は誰もしない。

新海誠の君縄以降は売れ線志向でも監督深読みされることもあるが、素直にエンタメとして楽しむことが本道であるように思う。

翻って君生きは、エンタメとしては煮え切らない不発弾に過ぎず、宮崎駿を知らない人間にはまったくとるにたらない駄作に映ることだろう。

いいや宮崎駿はそれほどの人間なのだから自分表現の終着点としてああい作品はあってしかるべきだ、というのも分かる。

意味を深く読み取ったものには名作たりえることもあるだろう。

あとは見たものにゆだねるから勝手にいろいろ読み取って自分だけに映画にしなさい、という意図もあるかもしれない。

であるならば、岡田斗司夫蛇蝎のごとく嫌ってSNSカラーと結託してディスったのは蛇足だったなと思う。

岡田斗司夫的な物語の読み解きがこれほど必要になる映画もないからだ。

今起こってることは、映画鑑賞者の総岡田斗司夫化だ。

誰もかれも深読みしてSNSに私はこう読み解いた、あれはこういうことだと思うという「答え」が並ぶ。

皆答えを探しているので、有名無名に関わらずそうしたSNS感想へのview数も増えていく。

いや案外目論見どおりなのかもしれない。

これはSNSバズを狙ったプロモーションであり、巧妙な岡田斗司夫しなのかも。

だってもうこの後に岡田斗司夫が何を言おうが、たぶん自分の中の答えがある人には自分のほうが正解になるから

いずれにしても商業映画としてはどこかいびつで健全でないと思う。

そしてアオサギ鈴木敏夫投影であるのはほぼ間違いないと思うが、鈴木敏夫のくちばしの穴に挿さった栓を握ってるカンヤダには、ぜひその栓を一思いに引き抜いてもらいたいものだ。

(以上はすべて私の妄想であり正しい解釈ではありません)

2023-07-15

宮崎駿説教される映画かと思ったのに私が宮崎駿説教したくなる映画だった

ふ〜ん、なるほど?→うんうん…→パヤオ〜!!成長したな〜!!→え…?ん…?→まてまておいおい→あーあーあー→後半宮崎駿ジブリの悪いところ全部出てる💢

前半のまま自己内面を見つめて母と義母との葛藤を描く映画作ればよかったのになんで途中で方向転換しちゃうの〜〜!?!?

塔のエピソードとかあんなん後付けバレバレだっちゅーの!!なんで最初そんなに真面目に自己内面について考えてたのに後半になるにつれ主人公ストーリーを進めるだけのコマにしちゃう!?

最後とか僕母親性的対象として見てます、みたいな内容になったけどいいの?!?こんな女の子に抱きつかれたい、みたいなロリコンジジイ目線)とマザコン主人公目線)が悪魔合体した最悪の展開になってたけどいいの!?!?

いやわかってる!!前半から後半への急展開は原因はコンテ進めながら同時進行でアニメも作っちゃうからだよね!!いつものやつだよね!!知ってる!!そういうとこやぞ!!!

宮崎駿絵コンテを進めないし、期限はあるのに制作も滞るし、尻叩きするために鈴木敏夫のいらんテコ入れもまじってしっちゃかめっちゃかになって、後半につれて話の展開が雑になり、最終大団円風に終わる でも細かい部分を見るとわからないことだらけだし、とりあえず終わらせないとという焦りが作品から滲み出ている

ハウル千と千尋と全く同じパターンである なんにも!!成長!!してないのである!!

なんにもというのは嘘、前半の少年内面への向き合い方は今までの宮崎駿作品に観たことないぐらい自分の弱さを言葉少なにアニメーションで描いていて素晴らしかった なのになんで…なんで…

そして何より一番腹立ったのは過去ジブリ作品の焼き増しをめちゃくちゃやってたとこ!!!ジブリパロディとして落ちるなよ!!昨今の国内外ジブリブームをみてウケるぞと勘繰って鈴木かどっかがテコ入れしたんだろうけど、「ジブリっぽさ」を表層でなぞるなよ!しかジブリ本人がよ!!!

高尚ぶって「おまえたちはどう生きるか」って説教垂れてんじゃねーよ!!これがお前らの生き様かよ!!!おまえは!!!どう!!!生きたんだよ!!!

君たちはどう生きるかストーリー理解できない人に解説する

そもそもこの作品は「メタファー型半ノンフィクション

まずここを理解しているかどうかが大事

「そういう部分もある」では駄目。

これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎしかないと思っていい。

作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。

たとえば戦争映画でわざわざ「日本アメリカ戦争をしています日本最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品から情報を補わせることで作品テンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。

困ったときはケツからデータを舐めろ

まずは作品ラストから遡っていき重要用語現実に当てはめて整理していく。

崩壊する塔→宮崎駿が消えた後のジブリ

叔父ジブリの長としての宮崎駿

力を持った石→ジブリという看板

13個目の積み木→宮崎駿長編監督作品ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか

血を継ぐものへの継承宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)

インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)

インコジブリアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)

産屋→新世代の後継者を生み出す儀式(失敗に終わる)

塔の外の世界視聴者達の世界

下の世界アニメ業界世界

下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)

ワラワラ未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)

ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)

若い頃のばあや→古の凄腕アニメーターの現役時代

コレを学ぶものは死す→アニメ業界の門を叩くもの死ぬ

アオサギ鈴木敏夫

主人公は誰なのか

これがマジで難しい。

アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。

そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。

たとえば自傷行為心配されているのは宮崎駿引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり

とあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。

二人の母親について

今作のヒロインは2人の母親である

主人公最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。

塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。

また、新しい母親のことを最初他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。

結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。

これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか

ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。

歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人ヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである

材料は揃ったか作品時系列順にまとめてみよう。

  1. 下の世界において古より漁業アニメ制作)が行われていた。
  2. そこでは死人(非アニメータースタッフ)が若かりし頃のばあや(古のアニメーター)が釣り上げた大魚(名作アニメ)を売りさばきワラワラ未来視聴者)が育っていた。
  3. あるときその世界に繋がる巨大な塔(ジブリ)が誕生する。
  4. 叔父宮崎駿)が塔の主になる。
  5. 塔の中では大叔父が石(長編映画)を積み上げていく。
  6. 塔の中では大叔父が拾ってきたインコジブリアニメーター)が少しずつ力をつけていく。
  7. 主人公(観客・宮崎駿宮崎吾朗等のメタファー)がアオサギ鈴木敏夫)に唆されて塔にやってくる。
  8. 塔の中で主人公は本当の母親宮崎アニメロリヒロインメタファー)に出会
  9. インコジブリアニメーター)に脅かされながらも産屋(継承儀式)へと辿り着く
  10. 新しい母親世間から押し付けられたヒロイン像のメタファー)を受け入れることを選ぶ
  11. 出産(新たなるジブリ監督の選出)が妨害されたと石(ジブリ看板)が苛立つ
  12. 積み上げてきた積み木(宮崎駿監督作品)のバランスは既に危ういことを大叔父は悟る
  13. 13個の石(宮崎長編監督作品と同じ数)を新たにバランスよく積み上げることを血の繋がったもの宮崎吾朗)に求めるも拒絶される
  14. インコの王(米林宏昌)は本当の母親ロリヒロインメタファー)を奪いとったり石を適当にズバズバ積み上げたりして継承者になろうとするも上手く行かずにキレる(ジブリから独立
  15. 塔(ジブリ)は崩壊を始めインコジブリアニメーター)達は巣立っていく
  16. お前まだジブリなんて会社があったことを覚えているのかい。でもいずれ忘れちまうんだろうな。


いかがでしたか

こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑)

宮崎駿の目から見たジブリ物語を描いてますよって感じなのでは。

君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。

ジブリ関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。

でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質かいパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。

しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟とある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲場合柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。

蛇足 結局この映画どう楽しむの? についての私の考え

アオサギ適当人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊い(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう

作画スゲーだけで終わらせるのも吉。

ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。

マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。

やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね

マクガフィン母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。

メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。

悪い意味細田守チックなことされちゃったなーって。

anond:20230714205336

今作は千と千尋以上にメタファー連続からメタファー込みで読み解く必要がある

例えば以下の様なメタファーがあると俺は思ってる

これでもまだ一部だけど

石⇒アメリカから渡来したアニメーションディズニー

石の塔⇒スタジオジブリ/俗世から隔絶された内的な世界

ペリカン⇒旧世代象徴/アニメ業界の古株

ワラワラ新世代の象徴/アニメ業界新人

インコ権威ジブリ)に固執する大衆メディア

インコの王⇒東映日テレ

青鷺⇒鈴木敏夫

叔父宮崎駿分身職業人、特にジブリ以降の駿

真人宮崎駿分身少年時代の駿/未来を生きていく若者達の象徴

ヒミ⇒母性象徴であり永遠の少女

まり今作に込められたメッセージ

・俗世に背を向けて内的世界に耽溺し少女母性を求め続けた表現者としての宮崎駿自己否定

・この先の未来を形作っていく若者達へ向けた「俺(たち)の真似をするな、自分自身の道を切り拓け」っていう警句

・「鈴木さんは嘘つきです」

の3本にまとまっている

ちなみに石の塔っていうのはユング心理学的には深い意味があって、今作ともめちゃくちゃリンクしてると考える

石の塔のユング心理学的な意味については以下URLがわかりやす

http://www.j-phyco.com/category2/entry54.html

駿は千と千尋の神隠しの制作の際にユング心理学言及してたはずなので、意識的に石の塔を描いたと俺は思う

今作は表層のストーリーラインだけを追うとキャラクター感情が飛び飛びで意味不明の怪作になる

宮崎駿とのお別れ (映画ネタバレあり)

君たちはどう生きるかを見てきた。すごく悲しくて寂しい、でも幸福映画だったと思う。

宮崎駿と同じようなおたくの子(あるいはジブリを見て育った子供だった大人でも)は是非見るべき。

ようするに宮崎駿が作った異世界アニメ世界から何か少しでも持って帰って、自分たちで生きていってほしいという宮崎駿遺言・お別れのメッセージ

エンディングエンドロール最後で少し泣いてしまった。


ジブリ宮崎駿に少しでも感謝気持ちがある人は受け取るものがあると思う。あとやっぱ単純に作画がすごいわ。

邪推だけど、アオサギ鈴木敏夫ことなの?

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