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はてなキーワード: 自己言及とは

2021-09-15

anond:20210915161827

聞いてくれる人がいないので。というかたぶん根本的にそういう問題でもない。自発的文章書くのもトラバに反応するのも疲れたけどせずにはいられない。それは「疲れた」という単純な感情言語形態にもおよび、いわば自己言及的に「その手段疲れた」ということを「疲れたといったはずの、手段」でもって表明してしまう。

2021-09-08

anond:20210908094203

自己言及: 

心が折れたので早退しました。明日は元気になれますように。

2021-09-04

anond:20210904151802

ループするよ。この主張は「自己言及的」なので。たとえば「日本人は嘘つきだ」と日本人がいうのと、同じ。

2021-07-19

ルックバック』は藤本タツキ先生の極めて私的決意表明しかない

藤本タツキルックバック』のネタバレ

先に断っておくと,今から私は極めて(藤本タツキ氏に対して)無神経なことを書くつもりであり,その点については先に謝罪しておく.ごめんなさい.じゃあなぜわざわざ書くのかといえば,既に以下のようなコメントネット散見される状況ならまあ書いてしまってもいいかと思ったから.

https://twitter.com/imaitetsuya/status/1416946323043979267?s=21

ルックバック』、すごく面白くてすごい作品だったんだけど、あの事件をこうやってすばらしいエンタメ昇華することやその世界共振して祈りや救いのような気持ちに包まれること、になんというかすごい恐ろしさのようなものも感じる気持ちもあってうまく考えがまとまらない。すごく面白くはあった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355

masa_bob どんなに才能があったとしても2年前の実在事件Don't Look Back In Angerと言って公表する権利があるのかが気になったことはブコメしておく

world24 ”Don't look back in anger”は遺族しか言えない言葉だと思うけど。なんか事件が読者には「エモさを強調するもの」として消費されちゃってるな。


端的に言ってしまえば,藤本タツキ先生はその事件の「遺族」だったんではないの,という話である.それがどこまで文字通りの意味でそうだったのか私は知らないし特に知りたいとも思わないが,マンガの描かれ方からして私はそう読み取った.

この作品倫理的な危うさを感じてしまう人が一定数出てきてしまうのは理解できる.作者情報ゼロで読んでいたら私もそう感じていたと思う.そのような目線で読むと,この作品はまるで読者に対して「事件からもう二年も経ったんだし,うじうじしてねーで前向こうぜ」と語りかけているようではないか.何様のつもりだ.

でも,このマンガタイトルは『ドンルックバック』ではないのだ.作者はルックバックしているのである.作者自身過去を.

このマンガは,作者自身リアルな経歴に対する自己言及の量が度を越している.ちょっとした遊び心のあるセルフパロディといった次元で片付けられるものではない.

登場人物名称藤野」+「京本」=「藤本」.京本大学は明らかに作者の出身大学だし,『シャークキック』は明らかにチェンソーマンである

https://twitter.com/12_Popo_36/status/1416781566928244742

ルックバックに出てきたシャークキック名前の由来

チェンソーマン)↔シャーク

(ファイア)パンチキック

って考察があったけど

チェンソー対義語シャークなの完全にシャークネードで笑った


から,私はこのマンガ藤本タツキ先生自伝だと思って読んだ.おそらく先生は,あの事件自分の中のおよそ半分くらいを奪われたのだと思う(藤本の「本」=京本).それがどこまで文字通りの意味なのか,藤本先生に「では君は当事者なのか」と踏み絵を迫るが如く問い詰めることは,それこそとんでもなく無神経な行為となるので私は望まない.先生がこのような形で自分の思いを弔うことを選択したのだから,ドヤドヤと首を突っ込む権利こちらにはないと思う.

では仮に当事者だったら許されるのかとか,事件に対する関係性を濁したままで許されるのかとか,ああいったトラウマ的な事象表現として扱う際の手つきとしていかがなのか,とかいった問題は,私は詳しくないのでここでは触れられない.こーいう問題系ってホロコースト表象不可能性に関して『シンドラーのリスト』や『ショア』と絡めてめちゃくちゃ論じられてきた話でしょ.誰か詳しい人論じてくれ.

ともかく,このマンガ藤本タツキ先生の極めて私的回顧録かつ決意表明であって,それ以上の何かは特に込められていないのではなかろうか.

https://tomoko.fanbox.cc/posts/2500517

まりルックバック』という作品はそのまま藤本タツキ先生メメント・モっている状況、葛藤を描いたもので……ラストシーンは「充分にメメント・モったのでここからはやっていきをやります」というお話なんだと思った。

↑この記事には概ね同意するが,特に読者が「べき」を感じる必要性はないと思う.何か規範的なものを論じているわけではなくて,藤本タツキ先生の「やっていきますうおお」という日記が半ばフィクショナルな漫画作品として結実したものに過ぎない.そのマンガ的技巧の卓越さに驚嘆しようが,あまりの圧倒的な才能の発露に心を折られようが自由では.

メタ的なことばっかり書いてきたが,以上を踏まえての私なりの『ルックバック』に対する感想シンプルである

チェンソーマン』で一番好きなのはアキくんです.高校編楽しみに待ってます

P.S.

加害者の描かれ方について苦言を呈するコメントに対して,「そもそもこのマンガはそういうテーマを扱う話ではないのだからその指摘は的外れ」という指摘もちょっと的外れだと思っている.まだ二年しか経ってないんだぜ.今の段階で,そもそも遺族に加害者側へ多少の同情をするよう強要できるのか?

anond:20210717145658

自己紹介ソングとかキャラソンは多いけど、伊代スタイル(=歌い出しからは自己言及的な歌ではなさそうなのに途中で「お前やったんかい!」ってなるやつ)は案外少ない気がする。

ブコメとかで大量に上がってるのは、最初から自己言及してる曲でかなり毛色が違うと思う。

思いついたのこれぐらい。

そういえば今夜はブギー・バックの「おれスチャアニ」のとこは、カラオケで歌う時はちゃん自分の名を名乗れってスチャダラだったか小沢だったかが言ってた

2021-07-10

女体嫌いの女好きなので、受けをメス化してしま

どうしてBL同人で受け役になった男は、言動が女っぽくきゃわゆく描かれるのがメジャーなのか。

それは、腐女子の中には女体嫌いの女好きがかなり多いからなんだろうな。

女体は見たくないが、女の子みたいに照れたりキュンとしたりする言動は好きだし、そんなかわいい存在が男女恋愛テンプレをなぞって女役として愛されたり挿入されたりしてるのが好き、という多くの腐女子のホンネが、受けを女の子っぽくするのだ。

ケンコバ自分のことを女体は好きだが女嫌いと称したけど、その反対だな。

(ちなみに、ミソジニー男を叩く時に「女体好きの女嫌い」を使う人が多いけど、ケンコバ自己言及が元だと知らない人が多そう)。




ケンコバ他者である女についての好き嫌いだったけど、腐女子の「女体嫌いの女好き」は自己嫌悪が混じってくるのでグチャグチャしてるんだよな。

しろ自己嫌悪こそが核心なのかもしれん。

物語には女キャラが少ない方が嬉しいけど、現実女性アイドルは好きですみたいな腐女子は、女体全般ではなく自分の女体への嫌悪デカい故とも考えられる。

リアルアイドルの女体は感情移入しづらいのであくま他人存在と感じやすいが、物語の女体は自分を重ねて読んでしまやすい、だから物語で女キャラが目立ったり性に絡むと苦痛、という心理だな。

自分の女の体は嫌いだしそれを思い出させられるのも嫌だけど、女性的な振る舞いをする存在はかわいくて好き、男女恋愛テンプレに則った交際セックスが好き。

そして受けちゃんを女化したうえで自己投影することで、自分の女体は脱ぎ捨てつつ、女性人格承認され、女性っぽく愛されてる気持ちになれる。

浅ましく感じる人もいそうだけど、別に悪いことじゃあないよなコレ。過剰に浅ましく感じる人は、自分の女的欲望を憎んで抑圧してるから解放した方がいい。

ただし、男役女役の恋愛テンプレが大好きなくせに、表面的な肉体が男キャラBLを好んでるってだけで「腐女子ジェンダーフリーだ、先進リベラルだ、マイノリティ理解がある」みたいな態度を取る腐女子はよくない。

自分の女体嫌いと女好き欲望不一致を無理矢理解消してるだけじゃねーかっての。

世間一般の男女恋愛に馴染めなかった私たちって異端だよねフフ、みたく悦に入ってんじゃないよ。女体嫌いという意味では少数派だけど男女恋愛規範好きという意味では多数派から、思ってるほど異端じゃねーよ。

オメガバースなんかも「男役、女役は完全固定! 世界設定として覆らないことにします! だけど女体は嫌いなので、体は男同士でもアルファオメガという性別を加えておきます! 女体を見ることなく男女恋愛テンプレに則った話をどんどん書こう!」って欲望発散に便利だからあんだけ流行ってる。

オメガバは悪くないが、オメガバがセンス・オブ・ジェンダー賞の大賞もらったのは流石にガバガバよって感じだ。

BLオメガバも、ムリヤリ大義名分を持ったり社会運動に繋げずに、真面目に快楽エンタメとしてやってけってね。(真っ当にリベラル思想からやってるタイプBLだったら、それをかかげるのは正しい)




ちなみに、「女体好きだが女は嫌いなケンコバ」の反対としては「男体好きだが男は嫌い」も考えられる。

こっち方向だとミサンドリー腐ェミっぽさが強くなる。

もちろん、腐ェミと非フェミ腐女子はパッキリ別れるわけじゃない。

「女体嫌いだが女好き」という、自己肉体嫌悪と、かわいく優しく柔らかい人格への好意に関心が強ければ、イチャつきメス化恋愛作品を楽しむ腐女子っぽい活動が多くなる。

「男体好きだが男嫌い」という、男の肉体への好意と男の人格への憎しみが強ければ、腐ェミとしての活動が多くなる。

ちょっと脱線したな。




ということで元増田のこの疑問の答えもわかることでしょう。

なんで自分に自信満々な筋骨隆々ガハハな男が、突然内股になって下げ眉困り顔で頬赤らめて生娘みたいな貞操観念の鈍感男になって「ふぇっ?」とか声あげて攻め「可愛い…っ!」ってなんのよ

受けの皮を被ったそいつは誰なんだ

そいつは受け男の皮をかぶった腐女子ちゃんです。

anond:20210629070253

2021-05-17

anond:20210516213506

感動したって自己言及してないで買い支えるのがファンだろ

感動した自分をみてくれってのは若いのがやってこそかわいい黒歴史たりうるのであっておっさん・おばさんであれば単なる大人気ない人。

2021-02-25

キサマ等の居る場所は既に上野千鶴子が30年前に通過した場所だッッッ

https://anond.hatelabo.jp/20210201211448

一枚の切り取り画像をみなで寄ってたかって論評していて、誰も引用元の本を読んでいないようなので、前後を引いてみよう。

古市 上野さんは、社会学者であると同時にジェンダー研究者でもありますが、その2つの間で葛藤はないんですか。

上野 ない。どうして葛藤があると思うの?

古市 社会学者というのは、それが社会科学である以上、中立的物事を見るっていう視点必要だと思うんです。一方でジェンダー研究者としての上野さんは、「社会はこうなるべきだ」という社会運動家の意識も入っているんじゃないですか。

上野 いね、キミは。社会科学者って中立的なの?

古市 でも、経験的な現実にもとづいて何かを研究結果として導き出すわけじゃないですか。そういう行為と、ある方向に社会誘導する行為は衝突しないんですか。

上野 正しい戦略を立てるには、自分が戦うべき対象を正確に理解しないと間違ったことをやるのよ。おまけに効率も悪くなる。

 私はね、『家父長制と資本制』という本を書いた時に、それがつくづくわかりました。家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。

古市 じゃあ、初めにもう戦うべき相手があるわけですね。

上野 当たり前ですよ。だって、問いが立つというのは、そういうことだから問いに公平も中立もありません。

社会学者科学・公平・中立)とジェンダー研究者社会運動家・嫌い・誘導)は、上野の中では相反も矛盾もしておらず、葛藤はないのである。それは社会学の定義に起因するものだろう。

上野 そもそも社会学というものは、自己言及的な学問。つまり自分の言説そのもの現実の一部を構成していくという言説活動ですから、そこは戦略的に考えますよ。これはどういうことかというと、社会を外部から客観的」に観察することはできない、なぜなら誰しも社会の一員であり、社会の内側から見える範囲を照らしていくことしかできない。しかも照らすことによって、社会自体が変わってしまうこともある、というものです。

 だから社会学的に何かを調査分析する、ということは、社会に対し自分が超然として観察者の立場に立つのではなく(そんなことはできない)、自分社会の一員であり、自分がどうやって社会を見ているのか、ということを自問自答しながら進んでいくものなのです。

 この自問自答から全力で逃走しているのが、「社会学」をヒステリックに叩く人々の実態なのではと私は考えています。なぜ逃げるのかといえば、自分はこう思う、と表明すると、時に間違えることもあるかもしれないし、バカにされたりもするかもしれません。そういったリスクから逃げているのです。

 「社会学」叩きをする人々は、やたら人の意見表明を「お気持ち」と、まるで無意味であるかのように攻撃します。それは、実は碌な意見もない自身空虚を糊塗するために、人を攻撃しているのです。それが誤りであることを指摘した学問こそ、フェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」という。

 だからそういった人々は、「客観的」とか「科学的」といった概念に逃げ込みます個人的なことは問題ではない、客観的科学的でなければならないのだ! ですが、社会科学人文学では、先の図のように、「客観的」というのは成り立たないのです。自分が何者であるかを問い直し続けないといけません。

社会学という学問についての前提が違うから議論が成り立っていないように思える。

引用元古市憲寿『古市くん、社科学を学び直しなさい!!』(2016) pp.73-74 p.76

2021-02-09

anond:20210209082804

自己言及パラドックスをどう解決するのが正しいかについては確かにさんざん議論されてはいるが「詭弁からダメ」なんていう屁理屈ではないぞ

2021-02-04

anond:20210201075638

社会学ってそもそも近代社会自己言及のための(早い話が自画像を描くための)学問で、特に戦後近代社会を支えていた文化制度権威あの手この手批判して骨抜きにするために戦ってきた。

おかげでかつてのような圧倒的な支配力を誰も持てなくなったし、社会の風通しは大分良くなった。その点で功績はあるけれど、その武器として採用した社会構築主義があまりにも使い勝手が良すぎたもんで、それに甘えて研究レベルも下がっていったし、それ自体を人を支配するための武器に使いたがる社会学者が増えすぎたと思う。

そもそも欧米理論欧米近代社会批判するための、向こうの権力関係文脈を前提としたものから、そのまま日本に持ち込めるようなものではない。そこら辺をかなり日本社会学者は都合よくごまかしていると思うし、学問的誠実さにも疑問を感じている。

データサイエンスゲーム理論歴史学と組んでいる領域構築主義汚染がそれほどでは無いからまともな研究者が多い。

から社会学全体が叩かれる必要なんていうのはないけれど、一部の領域構築主義依存しすぎる体質はディシプリンレベルから考え直さないともうどうしようもないと思う。

なので反省して自己批判する必要は大いにあるけれど、謝る必要はさすがにないだろ。逆に謝れと言う奴は一体何にどのように謝る必要があるのかを明確に説得力のある形で言わないとそれこそ不誠実なんじゃないか

2020-12-24

anond:20201224215930

自己言及

昔読んだ別の本が正解だった。

ただ、あれだ、起業イノベーション周りは投資家の都合で動いてるねぇ。そして役所やらもそれに流される。

から熱狂させるような千に3つのネタを求める。うわっぱねを求めようと思えばそのクラスじゃないと儲からいから。

だけど、いざ歩む人間にはせいぜい口先だけで思いつきをいうだけ。だって千に3つしか当たらないから金出したって損するから。だから煽るだけ煽って、一部生き延びるのを待つ。

希望絶望に変わるエネルギーを元にきれいごと煽るキュウべぇと本当に同じ人種だな。そしてそれこそが素晴らしいと何も知らずに信じて、煽るやつを求める役所教職員たち、、、まさに狂想曲。

2020-12-05

anond:20201205125705

なるほど

多少の納得を得たが自己言及的というか循環参照的というかそんな印象を受けるな

人間が見て似ているというのはちょっとファジーすぎるような気もせんでもない少なくとも言語化はし難いのかな

2020-10-25

anond:20201025223405

33歳まではなんだかんだ言って頭に入る

そのあとは覚えたそばから抜けていく

33までに詰め込むんだ


あれ?どうだったっけ35までは入ったような気がする

ん?覚えてないってことはやっぱり33

はは

自己言及である

2020-10-08

anond:20201008182247

自己言及パラドックスって知ってるよな。お前は今自分呪文をかけたも同然だ。自縄自縛呪文だ。おれもお前もマンコじゃないし化け物だ。仲良くしようぜ。

ごめん。言い過ぎた。まぁでも仲良くしようぜ。

2020-08-25

円城塔がめちゃくちゃ嫌いだ。評価されてほしくない

後藤さんのこと」を読んでめちゃくちゃ面白いと思ったのがおよそ10年前。大学生の頃だった。

この短編集は今でもかなりの名作だと思っているし、ハードカバーを買って大事に持っている。(小説絶対文庫版で買うという決意を持っているこの俺が、だ)

どの短編もこれまでに読んだことのない新鮮な後味で、何度でも読み返した。

この人の小説もっと読みたいと思った。

そこで読書メーターレビューサイトを見ると、「数学物理を使って書かれた純文学」みたいな書評が目についた(ちゃんとした表現は覚えていない)。

そうかな。と思った。

作者・円城塔理系出身者らしい。

なるほど。確かに、「さかしま」「考速」「ガベージコレクション」あたりには、理系的なモチーフがふんだんに埋め込まれていたし、その中には確かに数学物理単語もあった。

どちらかというと情報系分野の香りの方が強く感じたけど。まあ情報数学の一部だしな。

でもなんか、「数学物理を使って書かれた純文学」みたいな批評にはなんとなく頷けない感覚があった。

言い忘れてたけど、自分は一応ちゃんとした大学数学出身であるので、数学物理単語を言われたらそれが何のことかはわかるし、学問においてどういう立ち位置だったりどう使われるか、はおよそ知ってる(あんまり高度なのは無理だけど)。

からこれらの話はすごく面白く感じた。理系用語が雑に使われてたから引っ掛かったとか、そういうことじゃない。むしろ日本語としてこれ以上ない適切な位置にそれらの単語は置かれていたのではと思う。

次に「バナナ剥きには最適の日々」を買った。これも素直に面白いと思った。

equal」には妙な居心地の悪さを感じたけど、「捧ぐ緑」は今考えても円城塔最高傑作なのではと思えるくらいだ。

なので最初違和感がはっきりと形になったのは、その次に買って読んだ、「Self-Reference ENGINE」ということになる。

全ての可能文字列。全ての本はその中に含まれている。

しかしとても残念なことながら、あなたの望む本がその中に見つかると言う保証は全くのところ存在しない。これがあなたの望んだ本です、という活字の並びは存在しうる。今こうして存在しているように。そして勿論、それはあなたの望んだ本ではない。

皆はこの小説をどのように楽しむのだろう。

言っていることは理解できるし、示唆的ではある。人に何かを「考えさせる」文章でもある。しかしそれは「考えさせる」だけで、後に何も残さな文章しかなかった。

ストーリーもあってないような状態。各章の繋がりもバラバラだし、場面は突然切り替わるし、急に新キャラが出てきて急に退場するし、何もかも説明が不十分で、衒学的な、鼻につく文章けが延々と続く。

端的に言って、「最初から最後まで何も言っていない」。文字無駄に消費しているだけの、中途半端文字列らしき何かだと思った。

そして「エピローグ」を買った。

これでもう俺の円城塔嫌いが確立されたと言っていい。

何故って彼はエージェントで、エージェントとは人間よりも器用にチューリングテストクリアすることのできるスマート・クリーチャにしてオーバーチューリング・クリーチャだからだ。

人間理解できるのはせいぜい、N文字を利用して作成可能な全ての文章であるにすぎない。Nはある程度の大きさのところに留まり、そこには有限個の文章しかない。

「敵艦影、三。天頂方向より接近。ダミー放出。並列存在を開始。複雑性迷彩が起動しました。オーバーチューリングテスト実行。成功成功。失敗。失敗。失敗。当該宙域には、法則69805f9944ed4298311d0cdaa75da2629d6f3bb3756455d504243fla6c565f75が適用されていません。」

はあ。これでやっとわかった。

彼は詩を書いているんであって、小説なんか最初から書く気が無いのだ。

円城塔の紡ぐ文字列の並びは確かになんとなく美しいと思う。なんか感性に訴えかけてくる。なんか良いこと言われているような気にさせられる。

しかしその実、中身が全くない。その点に限って言えば詩としても程度が低いように思う。詩にも訴えたい内容とかあるからね。

そしてそれに「ていよく」使われているのが、SFだったり、数学物理言葉だったりする。

数学SFが、詩を美しく紡ぐための新しい言語の代わりにさせられている。これがなんとなく違和感を覚えた原因だったのだ。

まりこれを「詩集」ですと言われて手に取ったら、「おお、面白い詩だね」といえるんだけど、「小説です」と言われたから、「小説か??」となってしまう。

苛々するのは、読書メーター書評サイトレビューたちだ。

軒並み、「なんだかわからないけどすごい」「深淵」「自分には理解できない新境地と感じる」「文系殺し」といった単語が並ぶ。

お前らホンマに頭で物考えて言ってるんか??????

端的に口をそろえて「理解できませんでした」と言ってるだけだろうが。理解できないものを、適当に高評価するんじゃないよ。ボーッと生きてるにもほどがあるでしょ。

詩の材料にされている数学物理言葉がわからないものから、その意味不明さに脳が酩酊させられてるだけだよ、それ。酒飲みみたいにその酩酊を楽しみたいなら、いいんだけどさ。

自分文系から知識がないから、それらの語彙が入ってこないだけで、ちゃんと語彙力があったらそこに何か深い意味が込められているんじゃないかと思った?

なかったよ、なんにも!!

さらに頭にくるのはそのやり口で芥川賞なんか取っちまったところだよ!

選考委員も、軒並み騙されてんじゃないか。誰か一人でも意味わかってたんか?「道化師の蝶」のモチーフとなっているという、自己言及プログラムを一人でも書いてみたんか??

俺は、この世に理系人間文系人間とやらがいるとはあんまり思ってないけど、もし芥川賞選考委員がそういったSF数学物理に疎い人で構成されているんなら、円城塔作品はまさしくそ脆弱性を突いたクラッキングだよ。

以下が「道化師の蝶」受賞時に高評価をつけていた選考委員コメントだ。高評価だぞ?低評価じゃない。よく読んでほしい。

『二回読んで、二回とも眠くなるなら、睡眠薬の代わりにもなる。』

完全に酔っぱらってるじゃねえか。

あと、円城塔は、いい加減に繋がっているようで繋がっていない短編の寄せ集めを長編と言い張るのをやめて、最初から最後まで一貫して繋がった長編を書くべきだ。詩集から無理か。

2020-08-15

anond:20200815174551

ツッコミは作中で自己言及されることも多いようなありがちな指摘だし

なにより具体例を挙げずに話をしてるから印象論や藁人形的でノれない

書いてる人は良いんだけどこんな浅いネタブクマをつける人がいるのが謎

2020-05-26

anond:20200526173211

そんなことで長文書いてる10分かそこらの時間英単語覚えたほうがいいと思う

増田でこれ言うのって、自己言及過ぎて気持ち悪いよ

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