はてなキーワード: アノニマスとは
数ヶ月前から、増田がダイアリーをアノニマスする際に利用しているデバイスにサクセスしており、それ以降、貴方の増田行動を監視しております。
ウェブログサイトへの定期的な訪問に関して、責任があるのは貴方の方だと私は確信しております。
と言うのも、単純に申し上げますと、訪問されたサイトが貴方のぺーターを私に送信していたのです。
マイルス対策ソフトでは検出不可能にする為、1日に数回署名を更新するノロイの弱男をウッドベースでトッポジージョしました。それにより、私は貴方のカメダやマイコにもサクセスができます。
また、写真、ソーシャルメディア、チャット、連絡先を含む貴方のデータのバックアップも用意済みです。
つい最近になって、動画を1つのスクリーンで再生しながら、別のスクリーンでは貴方が射精する瞬間をとらえた動画を並べたビデオを作成するという素晴らしいアイディアを思いつきました。楽しいビデオが出来上がりましたよ! 私は何度もこれで達しました。
数回クリックするだけでとても簡単に、このヒデオを貴方の連絡先全員に送信できることはもうお分かりでしょう。私が想像するに、貴方はこの状況を回避したいと思っているのではないでしょうか。 ヒデオとは私のことです。
1550 JPY相当の価値を持つ私のウォレットを確認していただけると、私は全てのことを忘れることにします。さらに、全てのペーターやヒデオを永久的に削除しましょう。
私からすると、この金額は私の男ぶりにはやや控えめの金額です。
GoogleやBing等の検索エンジンを利用したとしても私のウォレットは調べられませんし、とても難しいことではないしょうかとすぐにお分かりになるでしょう。
1380
48時間以内にご確認をお願いします。また、下記のことを念頭に置いておいてください。
私が変態しても意味はありません – コードレス電話は自動的に生成されています。
助平を言っても意味はありません。なぜなら、ウォレットと一緒にこの日記を追跡することは可能だからです。
全ては正確に調整されています。
この日記について誰かに話したことを私が感知すると、ヒデオがすぐに共有され、貴方のお知り合いが最初にヒデオを見ることになるでしょう。
その上、ヒデオはウェブ上にも投稿されます!その時、私は絶頂に達することになるでしょう!
この増田を開封した時点で時間は数えられます。(このダイアリーには時間が表示されています。)
先日、はてなから「はてなブックマークガイドライン」が公開された。
冒頭で「表現の自由や意見の多様性を大事にする」一方、「安全性、健全性を保つことも不可欠」という大方針が示されている。
特に、他者へのリスペクトを忘れず、コメントの表現に気配りせよという指摘は重要だ。
はてなユーザーの中には、相手を批判する際に人格否定のような言葉を付記する人が散見される。
私は相手に面と向かって同じことを言えるのか、と考えてから書き込むよう心掛けている。
ただし、アルゴリズムによる掲載順位の調整には反対だ。理由は現状ではアルゴリズムより人間の集合知の方が賢いからだ。
ガイドラインでは「建設的な情報に多くの表示機会がもたらされることを目指してアルゴリズムを調整」しているとあり、
具体的には
の五項目を提示されている。
しかしながら、アルゴリズムがコメント内容を精査し、これら五項目に適合しているかを判断できるとは思えない。
最先端のAIであるChatGPTでも、生成内容に多くの誤りを含むことが指摘されている。はてなが使用しているアルゴリズムが、ネットの情報の中から信頼できるソースを選別してコメント内容と照合し、コメント内容が客観的なファクトかどうかチェックできるとは考えにくい。
他の項目も現状のAIの能力を考えると、人間より精度よく判定できるとは思えない。
実際問題、現状のアルゴリズム適用結果を見ると、五項目について上手く判定できているようには見えない。
このコメントは優れているしスターを集めているのに何で注目コメント入りしないんだと思ったことは多いが、スターが少ないが注目コメント入りしているブコメを読んで、他のスターが多いが下位になっているコメントより確かに優れている、建設的だと感じたことは一度もない。
はてなブックマークは人間の集合知によって有益な情報を集めるサービスだ。はてながブックマーカーの集合知を疑うのは、任天堂がゲームの面白さを疑うような会社の根幹を揺るがす行為ではないだろうか。はてなにはぜひユーザーを、ユーザーの集合知を信用して頂きたい。
次に、現状のアルゴリズムの内容について、ガイドラインで明示されたことや、コメントの表示状況から推察されることに関して私見を述べる。
注目コメントの表示状況を見ると、短いコメントは一律に弾かれているか、マイナス評価がかかっていることが推察できる。
「はてなブックマークガイドライン」のブックマークコメントでもdogdogfactory氏の「文字数が少ないことは「コメントが建設的かどうか」と何の関係もないとおもいます。文字数少ないコメントも上位表示させてください。」というコメントが圧倒的支持を集めていた。私も同意見だ。
百歩譲って、政治経済・社会問題に関する記事であれば、短いコメントは熟慮されずに書かれている傾向があるかもしれない。しかしながら、「あと一つは?」といったアンケート記事において短いコメントが注目コメントから排除されているのは弊害しかない。改善をお願いしたい。
ガイドラインでは「客観的なファクトを提示するもの」を良いコメントとして提示されている。であるならば、ソースリンクを張ることは推奨される行為であるはずだ。
しかしながら、現状ではソースリンクを張ったコメントが注目コメントに入らないという事例が散見される。改善をお願いしたい。
「はてなブックマークガイドライン」によると、「アルゴリズムによる掲載順位の調整は、利用状況に関する情報も加味したものになります」とあり、ユーザーが望ましくない利用をしていると、コメントが注目コメント入りしにくくなることが示唆されている。
しかしながら、誰が書いたかによってコメントの評価を変動させるのはおかしい。コメントの内容だけで判断すべきだ。
例えば、政治問題では暴言ばかり吐いているようなユーザーでも、おすすめの漫画を訊ねるような記事では非常に良い作品を挙げるような事例はしばしばみられる。このような場合に、普段の利用状況が悪いからと、良い漫画作品を挙げたコメントの評価を下げることが、利用者の利益になるとは思えない。コメントはユーザーによらず、コメントの内容だけで評価すべきではないだろうか。
アルゴリズムについて否定的な見解ばかり書いたが、唯一アルゴリズムが機能し得ると考えているのが「公共の場にふさわしくない表現は評価がマイナス調整」という機能だ。公共の場にふさわしくないような罵倒表現、人格を否定するような表現を登録しておき、マッチ度が高いコメントや記事を注目コメント、人気記事に入りにくくするというような操作はAIの得意とする所だ。
はてなブックマークコメントやアノニマスダイアリー記事の中には、必要もないのに他者を罵倒するようなものも散見される。そのような暴言が含まれていると注目コメント、人気記事に入りにくくなるのであれば、書き手も表現をセーブしようと考えるかもしれない。
アルゴリズムを導入した背景は、はてなブックマークコメントに暴言が飛び交っており、安全性、健全性が保てないという判断があったものと推察する。であるならば、アルゴリズムの適用は安全性、健全性を保つという目的に限定すべきではないだろうか。
アルゴリズムによる掲載順位の調整については撤廃してほしい。どうしても適用するのであれば、公共の場にふさわしくない表現の抑制のみに機能を絞って適用して頂きたい。
ダメな場合せめて、アンケート記事にアルゴリズムを適用することによって短文コメントが注目コメント入りしない事態を改善して頂きたい。
具体的には、「当該記事の平均文字数に比べ、著しく文字数が少なくなければマイナス評価しない」といった風にアルゴリズムを修正することが考えられる。
また、アルゴリズムの適用カテゴリを限定するという方法も考えられる。「安全性、健全性を保つ」という目的であれば、議論が荒れがちな「世の中」と「政治と経済」カテゴリの記事にだけ適用すれば十分であり、元々安全・健全な「おもしろ」等のカテゴリに適用する必要はないのではないだろうか。
ある種のヒューリスティックとして機能しているうちは(機能させる必要があるうちは)、その観念から脱却するのは無理だと思うな。
思考とその主体を切り分けて考えると、本来は拾い上げられた含意を無視しかねない。これは、自閉症スペクトラムに見られる字義通りの解釈に近い。言外の情報や文脈を考慮できない場合は障碍があると見做されうる。
テクストは全てを語れないからな。もし語ることができたのなら、完全に切り離しても全てを正確に取り上げられるのだが、それができない以上は極端にはなれないだろう。
このアノニマスダイアリーは、そういう思考とその主体を別個にしやすい場所でもあると思うが、話していて(あるいは会話を見ていて)、細かい意義づけの違いなど、通じてるんだけど微妙に通じてない感覚があることがないか?
そういうのを避ける仕組みなんだと思うぞ。自覚して修正できるなら差別をするリスクは低いし、あなたにその意図がないなら誤解だったと謝ればいい。
4. 条件式と分岐
https://www.python.jp/train/if_condition/index.html
以下、気になったところ。
コンピュータのプログラムは、どんなに複雑そうにみえるプログラムでも、細かく分解すれば次の3つの単純な構造の組み合わせで構成されています。
3. 条件が満たされている間、処理を繰り返す 反復処理
重要なことがサラッと書かれている。
これは一般的に「構造化プログラミング」と呼ばれている考え方のことだ。
構造化プログラミング(こうぞうかプログラミング、英: structured programming)は、コンピュータプログラムの処理手順の明瞭化、平易化、判読性向上を目的にしたプログラミング手法である。
一般的には順接、分岐、反復の三種の制御構造(control structures)によって処理の流れを記述することと認識されている。
制御構造は制御構文、構造化文(structured statement)、制御フロー文(control flow statement)とも呼ばれる。
また、プログラムを任意に分割した部分プログラム(サブルーチンとコードブロック)の階層的な組み合わせによるプログラムの構造化も指している。
このプログラミング手法の普及に貢献したのは、1968年の計算機科学者エドガー・ダイクストラによるACM機関紙への投書「Go To Statement Considered Harmful」と言われている。
プログラムを構成する要素は、(1)データと(2)処理であり、構造化プログラミングは、このうちの(2)処理に関する話という位置付けになる。
手続型プログラミング(命令型プログラミングの一種)では、処理を
後で学ぶ関数型プログラミングでも、この3つと同じことができる動作が登場する。
参考までに手続型と関数型の基本動作について、対応関係を押さえておこう。
手続型 | 関数型 | 動作 |
順接 | 合成 | 処理をつなげていく |
分岐 | パターンマッチ | 処理を場合分けする |
反復 | 再帰 | 処理を繰り返す |
構造化プログラミングの仕組みは、文字でゴチャゴチャ説明されるよりも、目で図解を見た方が早いと思う。
Googleの画像検索で「構造化プログラミング」を検索して、分かりやすそうな図解を探してみよう。
https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/1008/17/news092.html
↑ちなみに、図解で出てくる流れ図みたいなのは「フローチャート図」と呼ばれていて、プログラムの構造を紙に書くときよく使われる書式である。
値を比べる方法が紹介されている。
はてなアノニマスダイアリー(通称:増田)で記事を書く時、一部の文字はエスケープされて元々の文字を表示できない。
& → &
< → <
> → >
演算子 | 条件 |
a < b | a は b より小さい |
a <= b | a は b と等しいか小さい |
a > b | a は b より大きい |
a >= b | a は b と等しいか大きい |
a == b | a と b は等しい |
a != b | a と b は等しくない |
真か偽かを示すデータの種類として、ブール型という新しい型が紹介されていた。
ブーリアン型(ブーリアンがた、英: Boolean datatype)は、真理値の「真 = true」と「偽 = false」という2値をとるデータ型である。
ブーリアン、ブール型、論理型(logical datatype)などともいう。
2種類の値を持つ列挙型とも、2進で1ケタすなわち1ビットの整数型とも、見ることもできる。
また、各種ブール演算を行うことができ、論理積 (AND、&、*)、論理和 (OR、|、+)、排他的論理和 (XOR、NEQV、^)、同値 (EQV、=、==)、非同値 (NEQV、<>、!=)、否定 (NOT、~、!) などの操作が可能である。
ブール代数(ブールだいすう、英: boolean algebra)またはブール束(ブールそく、英: boolean lattice)とは、ジョージ・ブールが19世紀中頃に考案した代数系の一つである。
ブール代数の研究は束の理論が築かれるひとつの契機ともなった。
ブール論理の演算はブール代数の一例であり、現実の応用例としては、組み合わせ回路(論理回路)はブール代数の式で表現できる。
cf. 「Boolean」の翻訳を「論理型」とすべき3の理由 – Kenchant
https://senooken.jp/post/2016/03/21/2571/
プログラミング言語やHTMLのようなマークアップ言語などプログラミングに関する文書を呼んでいるとboolean(ブーリアン)という単語に出くわす。
Booleanとは真(True)と偽(False)という2値をとるデータ型のことである。
情報元によって、このBooleanの翻訳や呼び方が異なっている。以下のように呼ばれたり訳され、最後に「型」や「値」がついたりつかなかったりする。
このBooleanの呼び方としてどの訳し方がよいか気になったので調べた。
その理由は以下3点だ。
文字列同士の比較では、人間の感覚とはことなった比較結果となる場合があるので注意してください。
一般的には、半角の数字やアルファベットの比較は、次のような結果になり、安心して利用できます。
1. 数字は、文字の0が最小、9が最大(0 < 1 < 2 < ... < 9)
2. アルファベットでは、a が最小、z が最大 (a < b < c < ... < z)
3. 大文字は小文字より小さい (A < a, B < b, ...)
文字列の大小の比較に、ユニコードという文字一覧表を使っており、その文字コードの大小で比較しているという種明かしをしないと意味が分からないと思う。
種明かしをしていない、という意味で、この説明もあまり良くないと思った。
cf. python 文字列の比較 | Hello, Pygineer
文字列 (str のインスタンス) の比較は、文字の Unicode のコードポイントの数としての値 (組み込み関数 ord() の返り値) を使った辞書式順序で行われます。
抽象文字のレベルで (つまり、人間にとって直感的な方法で) 文字列を比較するには unicodedata.normalize() を使ってください。
文字列の比較は、一致か不一致かを調べる場合が多いと思うので、大小の比較はあまり気にしなくても良いような気がする。
if 条件式:
処理1
処理2
...
Pythonの書き方を特徴付けている1つが、この「インデント記法」
if 文の書き方
条件式の後ろに、: 記号が必要ですので、忘れないように気をつけてください。
if 条件式: の次の行から、条件式が True となった場合に実行する処理を記述します。
インデント
条件が満たされたときに実行する処理は、行の先頭に スペース文字 を 4文字 入力してから記述します。
if a == 100:
処理1
処理2
処理3
^^^^
関数型プログラミング言語「Haskell」でも、Pythonのインデントと似た「レイアウトルール」「オフサイドルール」という記法が用意されている。
https://www.tohoho-web.com/ex/haskell.html#layout
Python の様にインデントを用いることで、{ ... } ブロックの { と } を省略することができます。
main = do
話を戻すと、Pythonではインデント(字下げ)が文法的に意味を持っており、省略できないということ。
Pythonでは、1つのブロック(コードの塊)をインデントの位置で束ねている。
他のプログラミング言語では、ブロックの開始と終了を表す記号(「{」と「}」など)がよく使われたりするけど、Pythonはその代わりにインデントを使う。
外見は見やすくなるけど、逆に言えばインデントを間違えたら、コードの意味が変わってくるので、長所と短所を両方併せ持った記法とも考えられる。
元々、Pythonは教育用途の言語としたスタートした歴史があるので、可読性を重視しており、誰が書いてもある程度同じようなコードになることが求められている。
その要求に対する答えの1つが、インデント記法ということだったのだろう。
関数型プログラミングの考え方を参考にする場合、if文を使った関数はelse節を省略しないで、Trueの場合でもFalseの場合でも、必ず戻り値を返すように設計しておいた方が良いと思う。
ifも文ではなく式として見るならば、評価した結果を必ず返すようにしておく必要がある。
(副作用の有無に関わらず)TrueでもFalseでも、必ず値を返すようにしておけば、戻り値なし(void)を避けられる。
これは後々、例外処理の書き方などで効いてくるので、Pythonでもif文でelse節を省略しないで書けないか?考える習慣を身につけておきたい。
特になし。
特になし。
アノニマスダイアリーを登録したのはひとえにこれを書きたいがためだったので、ユーザーネームのことは何も考えていなかった。
頭痛に悩まされる頭からは聖書のナオミ(彼女は苦難の中で自らを苦味を意味する「マラ」と呼ぶように言った)の姿が思い出された。
なんとなくそのまま苦い塩という名前にしようとしたが、なぜだか塩の簡単な綴りを間違えた。
英語は数十年やっているはずなのに、我ながら情けない。
思い返すまでもなく、今日は朝から台風に振り回されてばかりである。
頭に漬物石を括りつけ、それを引きずって歩いているのような気分だ。
体の調子が悪いと人間の思考は悪い方向へとどんどん傾いていく。
鬱々とベッドの中でスマホを弄っていると、円の切れた相手の最近のツイートを何となく見に行く、というあまり良いとは言えない行為にも走る。
友人は複雑な家庭で育ち、発達障害故の躁鬱に日々苦しんでいた。
時折夜中に電話がかかって来ては「自殺しないように見張っていてくれ」と言い、所謂寝落ち通話を求められたりもした。
せん妄状態なのか、訳の分からないことを言いながら私に泣き縋ったり、幻覚の状況を仔細にこちらに伝えてくることもしばしばあった。
友人にいま現在そういった普通でない状態の自分を任せられる相手がいるのかどうかは知らない。
が、ともかく私が友人の呟きに見たのは狂気であった。
この「狂気」といった表現は決して障がい者への差別的な意味を意図したものではないことを断っておこう。
ここ数日間の友人の呟きはほとんどが今敏のパプリカに出てくる台詞にそっくりであった。
以前、ツイッターにて「狂人の文章は稀に凄まじい美を帯びることがある」といった呟きを見かけたことがあるが、私は友人の言葉でそれを深く実感した。
内容を書くことはしないが、そこには(恐らく幻覚の)誰かに向けた必死の懇願めいた内容から、悟りの気配さえする穏やかな詩文の雰囲気を漂わせるもの、意味をなさないひとつの単語、一文一文は理解出来るが繋げて読むと全く支離滅裂な長文など、大量の呟きが残されていた。
友人の健康を祈るかたわら、綴られた言葉はとても美しく思えた。
「私は穏やかです。海のようです。波打つ畳が私の頭を、白い兎、飛び越えて、ああああ」
こういった混沌とした内容が数十ツイート分、ツリーで続いていることもあった。
自分の精神状態的にも敢えて深く読み込むことはせず、一度ざっと目を通しただけで閉じてしまったが、その海のくだりだけは鮮明に覚えている。
友人と縁が切れたのは数年前のことで、理由は私が編集者として働きたいがために引越しを決意した時のことだったと思う。
あまり覚えていない。
時が経ち過ぎたのか、今の私が友人に無関心なのか、それすら判然としない。
台風は、今どの辺りにいるのだろうか。
私の意識にはそればかりがある。