はてなキーワード: ヨイトマケの唄とは
昔から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。
同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者の右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田は20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。
ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーターの江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法や麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者の芸能人の後ろに守護霊がみえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子の番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観の押し付けじゃないかと感じていた。
別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報にアクセスできないということでもある)「大学も出」ることなど現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。
こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…
バブル絶頂期のキッズアニメでも主人公格の嫁はバイトしてるのだが?
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母(かあ)ちゃんの働く とこを見た
母(かあ)ちゃんの働く とこを見た
姉(あね)さんかむりで 泥にまみれて
日に灼(や)けながら 汗を流して
男にまじって 網を引き
天にむかって 声をあげて
力の限りに うたってた
母(かあ)ちゃんの働く とこを見た
母(かあ)ちゃんの働く とこを見た
慰(なぐさ)めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら
あれから何年 たった事だろ
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母(かあ)ちゃん見てくれ この姿
母(かあ)ちゃん見てくれ この姿
何度か僕も グレかけたけど
やくざな道は ふまずにすんだ
どんなきれいな 唄よりも
どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄