はてなキーワード: アウシュヴィッツとは
https://anond.hatelabo.jp/20220503215621
・日本では中絶が合法とされたことは過去に一度もない。刑法には堕胎罪規定がある。母体保護法(旧優生保護法)において、「やむを得ず堕胎が許認される例外的場合」の規定があるだけである。基本的には心身的な理由で母体を保護する場合以外は駄目だが、後に著しく経済的不都合のために養育が困難な場合が付け加えられた。現在はそれが拡大解釈されている状態。立法意図から敷衍した場合は、低所得者層への養育のサポートが充実した現在は中絶の99.9%違法性がある状況。
・出生の定義は全身が母体から出た瞬間。それ以前の胎児は、人間ではないが厳密に物でもない。物であればそもそも堕胎罪規定などはない。中絶胎児を生ゴミとして出したら違法になるのは産廃法違反だからではなく、死体遺棄罪に相当するからである。つまり胎児は部分的は人間であり、準人間的な扱われ方をしている。
・アメリカには中絶関連の連邦法はない。州法レベルでかつて中絶を違法化する法律があったが、それら州法が違憲であるとの判断を1972年に連邦最高裁が下した。法源はこの判決であり、従って最高裁の判断が変わる可能性はある。であるから、裁判になるのを承知で、各州議会で中絶違法化を進める立法がなされている。憲法に中絶権規定がなく、それどころか連邦法で立法化もされていないので、ほぼ永遠に連邦最高裁で判断が繰り返されることになる。今回、連邦最高裁への上告を却下せず、最高裁判断が示されることになったと言うのは、従来の判例を棄却すると言う意味であるから、最高裁が中絶違法化(と言うか中絶違法の州法の合法化)に転じることはあらかじめ予想されることであった。なぜ連邦法で立法化されないかと言えば、議会多数派が民主党、共和党でころころ変わり、変わるたびに中絶合法化、違法化の法律が出来、大統領が議会多数派と反対党の場合は拒否権を発動してカオス化するのが目に見えているからである。現状は、「実質的には中絶が容認されている」と言う点で民主党を満足させ、「中絶の合法化まではされていない」と言う点で共和党を満足させると言う落ち着きどころになっているが、連邦最高裁が中絶違法化判断に踏み切れば、逆に民主党は立法化に動くかも知れない。
・ヨーロッパ諸国でも中絶の許認は結構国によって差がある。フェミニスト的な女権のニュアンスが一番強い「ヴェイユ法」を持っているのはフランスで、基本的には中絶に関しては女性のみが全権を持っている。1975年に成立したヴェイユ法は女性政治家シモーヌ・ヴェイユ(著名な哲学者とは別人)の働きかけで成立した。カトリックの強いフランスでは「人間の選別はナチズムである」との批判も強かったが、ユダヤ人であったヴェイユはアウシュヴィッツ収容所からの生還者であった。2017年の逝去では国葬されている。ドイツでは、例えばダウン症と分かってからの中絶は違法である。これは人間の選別に対する恐怖によるものであり、日本でも安易に行われているダウン症児堕胎については議論があるべきだろう。
自分が子供の頃(確か小3-4くらい)、何かで話題にでたので、友達に原爆やアウシュヴィッツの話をしたことがある。
その後、その友達のお母さんにうちの子は夜寝れなくなっちゃうから、そう言う話はしないでと言われた。
また別な子に(それも小学生の頃)、原爆資料館?だったかな、戦災や原爆の記録を残す所に今度行くみたいな話をしていたら、その子の母親にもうちの子には原爆のことはしかるべきタイミングで話すから絶対それまで教えないで、と言われたことがある。
そういうもんですか?
なんで同じ歳の子と歴史の話するのを大人に止められなきゃいけなかったんだろう。
なんかふと思い出してもやっとした。
阪神淡路大震災とオウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定の記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである。
「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」
西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。
上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体は存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所のソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体の発見の事実がさらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連に解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部の黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体が発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連に占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体の写真まである。
このように実際には見つかっていたという話を知らないネットの否定派は多いようだが(西岡も1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定派である。実は個人的にもマイダネクの報告書はちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒の死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連の裁判という理由で否定派は認めようとしない。当時ソ連は見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。
しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である。定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまったからである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。
確かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体が存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格の共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言で事件を立証する以外になかったのである。
しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから、疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。
では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?
流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料に精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。
しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判で採用されているようである。ナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺の事実を隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書に記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツの火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。
さらに、裁判で採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害の目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人がガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンドの生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスのニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのである。さらに彼は、拘置所において自らの意思で回想録を執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝は日本でも普通に売ってる)。
細かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺の隠蔽に関する証言でさえも、囚人は証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現を記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的な部署でも囚人が働いていたからである。さらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判で反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである。
結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺を否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人や被告が存在しただけである。果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?
ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室・大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。
証人:アウシュヴィッツで絶滅された子供たちの移送に関しては、ゾンダーコマンド(特別部隊)で働いていた同僚から聞いたことを繰り返すことができます。この子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初の火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした。
私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロのセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーはシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。
その後、私は火葬場から「カナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部の部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。
ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより
人間の証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外のサイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。
しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのである。しかもそれらは裁判の中での証言であり、被告が法廷に存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告はガス室を否定しなかった。
でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国の陰謀者によって、ガス室の証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりである」である。ルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室・大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。
少なくとも、マルコポーロ事件の西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないからである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことである。ユダヤ人がナチスドイツの手によって大量移送されたこと自体を否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連のスターリンが収容所に収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。
ほんの僅かだけど、ネットで議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。
「ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコーストを否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米は否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようである。Twitterなどで状況が意外と簡単にわかる。
だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないからである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的か無自覚であるかは別として「詐術」なのである。しかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。
「アウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、親衛隊員や囚人が水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所は地獄のような過酷な収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、元囚人の手記によると親衛隊や囚人が水球などで楽しんでいたようである。
先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所が地獄のような過酷な収容所であった事実は変わらない。登録囚人に限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プールの存在は思っていたアウシュヴィッツのイメージと全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所のイメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。
あまりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単に解説する。アウシュヴィッツ収容所はポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的にスタートした強制収容所である。最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯を主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人やポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初のガス室での殺害犠牲者はこのソ連兵捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所から三キロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所の建設が始まると、そのソ連兵捕虜が建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連兵捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである。
ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人の絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初の一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所のガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室の使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人のガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年の10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。
もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的に囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラックで注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法も親衛隊の選別の担当長が適当に恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行も日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。
……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プールの存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツの悲惨なイメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。
このプールの詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプールは絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的は防火用であり、完成したのは1944年8月ごろであると推定される(フランクフルト・アウシュビッツ裁判の証言にある)。収容所の親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである。上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷な労働をしていなかった囚人長であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人が毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのである。ビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラに演奏会をさせたり、囚人に劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人の食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的に食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰な処分が下される)。
もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活を謳歌している姿も知っていた。だから戦後の地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊員被告の非道ぶりを存分に告発したのである。
ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないか。アメリカの死刑用ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国の死刑専用ガス室の写真とともに出回っている。
えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンBは害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものである。アウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室が複数存在し、現在も現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけである。チクロンBの製造元であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室でしか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。
「じゃぁ何故米国の処刑ガス室があんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから、米国の処刑用ガス室の構造は、アウシュヴィッツのガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツのガス室を否定する理由になるのか?
今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しかし最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突の位置が正確なのも素晴らしい。未完成で監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像を繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所をロケ地に使っていた映画が存在したというのも発見だった。
PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)
増田でほぼ誰も読まないホロコーストネタを時々投稿してる私であるが、「サラダ油は燃えないネタ」がバスっていると、どーーーしても気になって仕方がなかった。というのはこんな話があるからである。
死体を焼却するための火葬場は溝の中に置かれ、その底には溝の長さに沿って水路が掘られていて、(液化脂肪の)通り道になっていました。この水路からは、2×2メートル、深さ4メートルの竪穴へと分岐していました。炉の上で死体を焼却している間に、脂肪がこの穴に流れ込んでいました。この脂肪を使って、よりよく燃えるように、焼却炉の上の死体に液化脂肪をかけたのです。
これは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の火葬場で、ガス室で殺されたユダヤ人の遺体焼却作業を担当していたユダヤ人ゾンダーコマンドの、ヘンリク・タウバーという人が証言したものである。なおここで火葬場と言っているのは、有名なクレマトリウムという建物の中にある火葬場ではなく、野外に掘ったピットの中に作った簡易の遺体焼却場所のことである。こうした人間の液化脂肪を利用して遺体を焼却していた証言は他にもいくつもある。
ホロコースト否認論者は、ホロコーストの定説を認めてしまうことになる証言者は嘘つきにしなくてはならない義務があるようで、この証言を「そんなことは不可能である」として例えば以下のように否定する。
確かに火で焼かれた肉からは脂肪が出てくる。しかし、脂肪は非常に燃焼を起こしやすいので、脂肪を集めることはできない。また、脂肪は沸騰せず、一定の温度(184℃)を超えると分解して燃えてしまうのである。
同様の否認論理が何人もの否認論者によって語られている。要するに、遺体にある脂肪は野外焼却をしているピットの底に垂れて流れていったりはせず、野外焼却をしているのだからそのまま液体脂肪はその焼却の炎で燃えてしまう筈だ(からそれら証言はあり得ないことを語っており嘘である)と言って否定しているのである。別に、収容所で遺体を焼却処理していたこと自体は誰も否定していないし、ガス室も関係しない話なので、無理に否定する必要はないと思うのだが、証言は嘘ではないと思う私でも、そんなことが出来るんだとトリビア的にちょっと驚く感じの話ではある。
この話が興味深いのは、焼却中の遺体の脂肪が液化して燃えずに垂れてその液体状の脂肪をどこかに一旦溜めておき、それをガソリン燃料のようにして遺体の上からかけると今度は燃えるという点にある。燃えないのに燃える、というのをホロコースト否認者が大好きな「科学的」に説明するのはなかなか難しい。動物性脂肪の引火点は200℃前後であり、発火点が280℃くらいらしいが、そんなデータを知っていてもうまく説明することは私には出来ない。ちなみに話題のサラダ油の場合は引火点も発火点も動物性脂肪よりも100℃くらい高い。
今回の事件で、サラダ油が燃えない話を知った否認論者は今度は逆に「液化脂肪は燃えないのだから嘘である」と逆の論理を使い始める気がするけど、上の引用で示した野外火葬における液化脂肪の利用をうまく説明できる人はいるだろうか? 現象としては網焼きグリルの上での焼き肉を思い浮かべれば、肉から液化した脂肪が下に垂れるのも、その液化脂肪に火が着いて燃えるのもよく見るわけだから、現象自体に不思議はないとは思いますが、科学的にそれを説明しろったって難しくて出来そうにありません。
人口数について簡単に解説したけど、そのついでというかこんな話も。
ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人にありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツがドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育の世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所と絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊(映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である。現実の現地虐殺は映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。
そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラー・ナチスドイツは計画的にユダヤ人を大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的」とあるから、何やらナチスドイツはユダヤ人絶滅のために綿密なプランを策定してから絶滅計画を推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ、最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家が同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的=意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅を引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅がヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。
しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からのユダヤ人の排除だった。そして当初のユダヤ人排除のマスタープランであったマダガスカル作戦がバトル・オブ・ブリテンでのドイツの実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ人地域を東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約を勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパのユダヤ人をソ連地域へ追放するという東方移送計画が生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから、最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。
しかし、ユダヤ人のポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットーは悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さらに移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである。現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域のユダヤ人は危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。
このような流れの中、1939年頃から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮が実施されていくのである。だから、毒ガスの代表格であるとされる青酸ガス=チクロンBは最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンベから始まったのだ。もっとも、最初はポーランド・ポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域のユダヤ人殺害に転用しただけのことである。そのうちに、ガスボンベ積載車で地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジンの排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。
このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初の絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのである。リッツマンシュタット・ゲットーのユダヤ人を絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年に短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人が虐殺されたと言われる。
これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的なものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツはラインハルト作戦の収容所ではなく、そもそも一般の強制収容所・捕虜収容所であり、絶滅の機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘスの証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初のガス室はアウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのである(チクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態が不明瞭ではっきりしない)。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所のガス室(観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月頃から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人が虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所の第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力に問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室は1942年末で使われなくなった。
では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋にビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘスが自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』である。
ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題を引き起こしたので親衛隊トップのヒムラーの命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしまう事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺の情報は外部へ漏れてワルシャワの地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。
実は、ビルケナウのクレマトリウムにガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点で問題がありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所のガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連やアウシュビッツ博物館の資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュートが1942年12月19日の図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。
修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室を否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッド・ロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダの修正主義者、エルンスト・ツンデルの扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しかし裁判所から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツのガス室とされる場所の採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンBの合法的な使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ)駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味である。しかし、これは分析のルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。
その数年後に、ポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフの調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず、死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。
そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコーストを勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通のホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害がホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。
その割には、アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ、今はドイツ国公式見解は100万人ということになっているが、その実態は10万人である。
なぜ600万という途方もない数字が出たのか回答していただけないだろうか?
強烈に誤解されることの多いホロコーストにおけるユダヤ人虐殺数。
600万人と言う数字にどうしても目が行ってしまうため、その途方もない数字に信じ難いと言う気持ちが起きるのでしょう。ちなみに、「アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ」や、「ドイツ国公式見解(何それ?)100万人」だとか実態が「10万」なんてどこから出てきたのか知りたいところですが、まぁそれはいいでしょう。一応全部間違いです、そんなの聞いたことありません。
先に、私は研究家でもなんでもなく、本やら様々なネットの情報(海外サイトが主)を色々と調べ回っただけの知識しかないと断っておきます。
どうやって600万人と言う数字が出てきたのか。
これはまず、ナチスドイツ内でアイヒマンが語っていたとされる数字として、ニュルンベルク裁判である親衛隊将校が語りました。それによると「収容所で400万人、それ以外で200万人」という数です。これが最初に出た600万人ですが、実は別にニュルンベルク裁判では判決で触れられているだけで、別に認定などされていません。また、ニュルンベルク裁判起訴状に「570万人のユダヤ人がヨーロッパから消えそのほとんどがナチスに殺された」なる文言がありますが、これもまた別に認定などされていません。
そして、裁判以外で、1950年頃から人口統計学者によって600万人や550万人以上のユダヤ人人口が失われていると計算されるようになります。で、今度は歴史家ジェラルド・ライトリンガーの方から「反ユダヤ主義を意識して」極力最低限の数字を計算し419〜458万人という数字を弾き出します。以降、有名な『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の著者であるラウル・ヒルバーグが1961年に510万人という数字を弾き出しました。
以降様々な研究者が発表してきましたが、概ねの間違いない数字としてはユダヤ人600万人説が変わったことは実際一度もありません。以上のように、例えば「ニュルンベルク裁判で勝手に決められた数字」であるとか、「イスラエルの公式数字である」とかは全然違うわけです。おそらく適当な数字は一つも無く、近年は非常に膨大な資料を用いて推計しているようです。
ではあのアウシュビッツは? というところですが、アウシュヴィッツについては最初は基本、二つの数字から始まります。何故二つあるかというと、その出所が違うのです。一つは、よく言われる400万人説です。これはソ連の0018-USSRと呼ばれる戦争犯罪調査委員会の報告書(1945年5月)です。ここに、400万人という数字が登場しますが、この数字は報告書上は火葬能力からの推計値と書かれていますが、それはあり得ないと言われています。火葬能力があり得ないのではなく、火葬能力で推計値を出すということ自体があり得ないわけです。問題は実際に殺した人数だからです。では一体どこから400万人説が実際に出てきたかというと、それはおそらく火葬場で働いていたユダヤ人ゾンダーコマンドの生存者の証言です。その中に400万人説が出てくるのです。おそらくソ連はそれを聞いて、火葬能力など何も調べずそれっぽく推定したかのように書いたのではないかと思われます。しかし、奴隷労働をしていたゾンダーコマンドが正確な数字を知るはずもなく、単に囚人同士で噂話のように推計していただけの数だと思われます。
ところが、1946年3月に、逃亡していたアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスが逮捕されます。ヘスはニュルンベルク裁判の証人になったときの証言で「250万人を殺害し、50万人は病死や餓死でなくなった」と証言したのです。ところがこの250万人という数字は実際にはヘスが現場で知った数字ではなく、アイヒマンに教えてもらった数字だと答えています。何故なら、犠牲者数の数を記録することを許可されていなかったのです。ただしヘスは司令官なので、それなりに犠牲者数の実感は持っていたようで、250万人は多すぎると自伝に書いています。
なので、アウシュヴィッツの犠牲者数は、最初はこの250〜400万人説からスタートしたのです。が、実際にはすぐにこれは多すぎるとわかっていました。何故ならば、研究者によると、アウシュヴィッツへの囚人移送記録が出発駅や経由駅などにたくさん残っているので、それをもとに計算すると、いくらなんでもそんなに大勢のユダヤ人が移送されたはずがないことが明らかだったそうです。それで、前述したライトリンガーなどは80〜90万人だろうとし、ヒルバーグは100万人とします。で、現在の数字は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の主席研究員であったフランシスゼク・ピーパー博士による研究成果として、110万人(ユダヤ人以外も含めて150万人)の犠牲者が出たとされているのです。
以上の通りなので、例えば「以前はアウシュヴィッツの公式プレートは400万人だったのに今では110万、なのに何故トータル600万人が変わらないのか?」が誤解であることはお分かりいただけるかと思います。そもそも600万人の数字計算の中に400万人説は含まれていないからです。
それ以外の収容所の犠牲者数の細かい計算方法は存じておりませんが、最もわかりにくいのがソ連(ウクライナやバルト三国など)でのいわゆるアインザッツグルッペン、移動虐殺部隊を主体とした現地殺害による虐殺数で、広い範囲でたくさんの場所で細かな殺害が行われたため、いまだによくわかっていないそうです。概ねの数字で言えば100万人から200万人の間だろうとされてはいます。
さて、もちろんこんな数字、修正主義者達は全く否定しております。はっきりした数を言わないのが修正主義者で、ないとも言っていません。修正主義者達は、人口調査すら自分達でした気配もありません。たまに適当なことを言って「600万人などあり得ない!」と主張するに留まります。でも、大勢のユダヤ人が移送されたことは認めているのです。で、どっかに殺されずに消えたんだと。私には修正主義者が何を言っているのか意味がわかりません。修正主義者は、例えばアウシュビッツであるとか、トレブリンカ・ソビボル・ベウジェツなどのいわゆる絶滅収容所を絶滅収容所とは認めず、「通過収容所」と読んでおり、そこまで移送されたことは認めるのに、その通過収容所から先を言いません。言ったとしても「ミンスクへ1000人移送されたことはわかっているから通過収容所であることは間違いない」であるとか、その程度です。実はこのことが、修正主義者の最大の問題であり、修正主義者達はこの件の答えを常に誤魔化していますが、絶対にはっきりしたことはいいません。もちろん一般の歴史家は全員が「虐殺された」です。
ともかく、それら犠牲者数の数字は、色々な人たちが様々な資料を検討した上で推計した数字であって、別に適当な数字を言っているわけではありません。中にはよくわからない計算方法で算出している人もいるかもしれませんが、一般に言われている数字は全て研究者達が推計した数字です。ですから、別に誰も数字を盛ったりしていることもありません。
なお、最新のユダヤ人人口統計でさえも、ユダヤ人人口数は第二次世界大戦中の最大値を回復しておりません。ともあれ、戦後様々な推計結果はあったとはいえ、概ね600万人という数字は一度も変わったことはなく、最近でもそれはありません(リビジョニスト達はしょっちゅう「600万人説は既に信じられていない」だとかのデマをばら撒いていますがね)。実は、ユダヤ人人口を把握している元は、ユダヤ人の教会みたいなシナゴーグなのです。シナゴーグなしにはユダヤ教はあり得ないので、シナゴーグの管理しているユダヤ人数を集計すれば自ずとユダヤ人の数はわかるのです。もちろん近代的には国勢調査で把握される宗教別人口もありますが、昔は主にシナゴーグ集計を使っていたようです。ですから、戦前などの場合は、ユダヤ人協会に聞けばわかったので、ナチスもそれを元に殺すべき人数を知っていたわけです。
【追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137、anond:20210722183851)
『クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
ただそれだけなんだが?
2021年においても上級ソシオパスと逆張りクズが幅を利かせてるジャップランドなので
小さな劇場ならジャップは中世の民(価値観)だからでまだわかる
でもTVでこのネタやってるって終わってんじゃん、マルコポーロ事件は1995年だよ?
ラーメンズって小卒だった?高等教育受けてなかった?上級国民の代名詞、美大へ行ってなかった?
文藝春秋による謝罪と『マルコポーロ』廃刊
発売から13日ほどが経った1月30日、文藝春秋は、編集権は執筆者ではなく編集部であり発行責任は出版社自身にあるとして、西岡には相談せず、出版社として「記事は誤り」と発表し公的な謝罪をすると共に、『マルコポーロ』の廃刊と花田紀凱編集長の解任、記事に関係する幹部構成員の更迭を行った。田中健五社長は廃刊を発表した1995年2月2日のホテル・ニューオータニでの記者会見で社長の職に留まると述べたが、後に社内外から批判を浴び、結局、2月中旬に田中は代表職を辞任した。廃刊により文藝春秋の社員有志がSWCでのセミナーやアウシュヴィッツ見学に参加した。『マルコポーロ』1995年2月号の回収は、実際には行われていない。
廃刊が発表された1月30日、外務省の斎藤事務次官は記者会見を開き、外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」と述べている。
小卒じゃないなら、平和の祭典で日本人収容施設・沖縄集団自決・東京大空襲・原爆を弄ったヤツがわざわざ表に出てきても、
『俺は気にしないし(笑)』or『日本政府は強く抗議しないし、気にする方がおかしい』か?
マジでどうすんの?
anond:20210722140554 anond:20210722152037 anond:20210722151446 anond:20210722155559 anond:20210722163703 anond:20210723003923
元増田で、ホロコースト否定派の特徴をいくつか示したが、一つ書き忘れていた。それはタイトル通り、「ホロコースト否定派は常習的な嘘つき?」の可能性があると考えざるを得ないことである。
https://twitter.com/lumberwendigo/status/1296814068490067969
この人はおそらく、日本のTwitter上でも最も有名なホロコースト否定派の一人であると考えられる。何かに取り憑かれたように、否定論ツイートが目立つツイッタラーだ。さてこのツイートにはこう書いてある。
調べた時に驚いたのですが、100万強というのも何にも基づいていない全くの妄想なのですよね嬉し泣き
この100万人強とは、正確には現在の推定値であるアウシュヴィッツのユダヤ人犠牲者数110万人のことである。この人は自分で調べてこの数が「全くの妄想」だと書いている。唖然とする他ない。現在のアウシュヴィッツの犠牲者数はユダヤ人以外を含めて150万人、ユダヤ人は110万人であるが、これはアウシュヴィッツ国立博物館勤務だったフランチェシェク・パイパー(Franciszek Piper)博士の研究成果であることは、アウシュヴィッツ博物館のサイトにすら書いてある事実である。こちらのサイトのどこかに書いてあった筈なのだが、今回は探し出せなかった。
アウシュヴィッツ博物館の歴史部門の責任者であったフランチェシェク・パイパーは、ホロコースト史家やメディアによって何度も翻訳され、広く引用されている学術的分析の著者である[3]。ピペルは、少なくとも合計130万人がアウシュヴィッツに強制送還され、そのうち110万人が収容所で死亡したと結論づけています。約20万人の囚人が、収容所の最終的な清算だけでなく、労働力の再配分の一環として、アウシュヴィッツから他の収容所に送還された。ホロコースト列車でアウシュビッツに運ばれたユダヤ人の約81%、89万人の男女と子供たちは、到着後すぐに死を迎え、登録されなかった。1946年のニュルンベルク裁判で発表された収容所の司令官ルドルフ・ヘスの戦後の証言も、理由は不明だが、信頼性が低く、著しく誇張されていることが証明されたのである。フランチシェク・パイパーの著書は『アウシュヴィッツ』として英語で出版された。How Many Perished Jews, Poles, Gypsies』として、1991年、1992年、1994年に連続して出版されている[4]。
博士の研究手法の詳細はともかくとして、「何にも基づいていない全くの妄想」なのだそうだ。いったい何を「調べた」のだろうか? このツイッタラーがホロコーストの情報に関し何を見ているのかはツイートを追えば大体わかるので、偏った知識しかないことくらいはすぐにわかるのだが、研究者の研究成果を「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりできる神経がさっぱり理解できない。もちろん、「何にも基づいていない全くの妄想」は嘘である。この研究成果は広く知られているようで、多くの世界中の研究者に認められたものである。日本のホロコースト研究では有名な芝健介氏もその著書『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量殺戮の全貌』で触れている。こうした学術研究をやったことがある人がいるなら推測できると思うけど、膨大な資料や文献との取っ組み合いの末に算出された数字であることが疑いの余地がない。アウシュヴィッツ博物館なのだから所蔵資料だって豊富なのである。私もほんの一部だけこうした犠牲者数の推計方法を知っているが、出発地や経由地、あるいはアウシュヴィッツの到着時などで輸送人員数の記録がある程度残っているのである。何故なら、ドイツ帝国鉄道に対して輸送人員数に基づいた運賃をナチス親衛隊が支払っていたからだ。その上で囚人登録数やその他のデータを徹底的に照合することにより、適切な仮定を経て犠牲者数を算出していくのである。めっちゃ手間かかるが、基本は「アウシュヴィッツに入ってきた輸送人員の数」ー「囚人として生き残っていた数、どこか別の収容所へ移送されたりその他の理由で収容所を出た囚人の数、病気等により死亡が記録されている人の数」=「登録もされずにガス処刑された犠牲者の数」になる。それをこのツイッタラーは「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりするのである。
こうしたネット否定派の嘘には事欠かなくて、最近では「カチンの森」に関する明確な嘘話をする人もいた。ネット否定派はこのカチンの森事件の話が大好きらしい。何故なら、ホロコーストに関してソ連への疑惑を深めると共にドイツへの疑惑を薄める材料として使うことができるからである。カチンの森事件を知らない人はこちらを参考にして欲しい。
最近出会った「嘘つき否定派」は、「カチンの森事件はニュルンベルク裁判でソ連がナチスドイツを糾弾するために用いた」などと言う。ところが、このWikipediaにある通り、カチンの森事件はニュルンベルク裁判では審理すらされていない。この「嘘つき否定派」は他にも「アウシュヴィッツの第一火葬場は旧ソ連が忠実に再現したと言っている」(第一火葬場はガス室のあったところだが戦時中にガス室での絶滅がビルケナウで行われるようになると使われなくなり防空壕に改修された。戦後にポーランドが中途半端ではあるが元のガス室に見えるよう復元工事を行なった。が、この件でソ連どころかポーランドですらなんらかの声明をしたなど全く知られていない)など、嘘を言いたい放題だった。
「最も悪質な」は完全に私の主観であるが、数限りなくある否定派の嘘で、これほど悪質な嘘は滅多にないと思う。完全な悪意でしかこんな嘘は作れないからだ。
このダブルクォーテーション付きでGoogle検索すると、現時点で三件引っかかるはずである。一つはこの嘘に関する解説、残りは日本での嘘の発生源と、それをコピペした2ちゃんねるスレッドである。元ネタ自体は、解説記事にもあるとおり元々は海外発なのだが、この日本での嘘の発生源はそれをわざわざさらに悪意を持って酷い訳に変えたものである。
アウシュヴィッツの様々な議論(12):否定派は、感動的な話ですら否定論へと捏造する。アウシュヴィッツの3,000件の出産、助産師スタニスラワ・レズチンスカの話。|蜻蛉|note
詳しくは解説を読んで貰えばいいと思うが、しばしばこの話は二名の看護師が出生児を抱いて写っている出所不明の写真が添えられていることも多い。例えば以下のサイトではその写真が添えられているのを見ることが出来る。
Lets stop with the Auschwitz lies
ともかく、実際の話は「レズチンスカが分娩した3,000人の赤ちゃんのうち、半数は溺死、1,000人は飢餓や寒さで即死、500人は他の家族に送られ、30人は収容所で生き残った」と言う決して喜ばしい話であるどころか悲惨なアウシュビッツの実情の話なのに、アウシュヴィッツは平和だったかのように変えてあるのである。悪質なのは、この話は助産師レズチンスカの話を知っていなければ、出てこない話であることだ。
ところが、私はこれをあまりに酷い嘘だと思っていたのだが、前述した「嘘つき否定派」は「でも3000人の出産はあったと認めるんですよね?」などと問い返してくるからさらに呆れてしまった。「嘘つき否定派」は自身も嘘つきであるためか、この嘘に関する悪意を全く認めず、平然とそう問い返すのだった。私は呆れて「3000人は多過ぎだと思うけど、女性囚人も何万人もいたし、ロマ人(ジプシー)は家族で収容されてたし、出産くらいあって当たり前だろ」と返すだけだった。ちなみに1940年代くらいの乳児死亡率は現代とは全く比較にならず、ざっと乳児の半数は死んでいた時代である。日本だと1950年で約六割の乳児は死んでいた。そうした歴史を知れば、出産は現代よりもはるかに当時の方が日常だったとわかるはずで、強制移送されてきた女性囚人の何割かがすでに妊娠していても別に何も不思議はあるまい。
歴史修正主義者が嘘ばかり言ってるのは日本の歴史に関する場合でも珍しい話ではないのだけど、どうしてこうも平然と嘘を言えるのか、ほんとに理解しにくくて。例えば、クローズドなSNSで仲間しかいない中でそれを言うならまだわかるけど、Twitterなどの公開の場で、ググると検索できてしまうところで平然と嘘をつける神経がわからない。以前は、「お前らは嘘つきだ!」のような具合に批判するだけで終わらせていたけど、最近は、批判ではなく、一体どうしてそうまでして嘘が言えるのか、その理屈が知りたいという気がしている。私だってしょっちゅうネット上で間違ったことも言っているけど、間違っていることに気づいてその都度削除するとか訂正するとか、それが無理な場合は反省するとか、ともかく自分の間違いに気づくとそこそこ恥ずかしいと思ったりするのだけど、それら嘘つきはそんな感覚は全くないのだろうか?
「ホロコーストの嘘に比べたら微々たるもの」って感覚? その辺がさっぱり理解できない。それとも普段から、日常生活でも嘘ばかり言ってるのだろうか? どうもこの後者のような気がしてならない。ともかく、なんであの人たちは平然と嘘ばっかりつくのか? 理由を知っている人がいたら教えて欲しい。
またお前か、って思われるだろうけど、滅多に増田に書かないから許して。
私が言ったんじゃないのです。ネットで情報を拾い集めている最中に、私でない反ホロコースト否定論ぽい意見を見つけて、その人が言ってたのです。その人曰く、いろんな証拠を示しても、例えば「イェーガー報告書」というリトアニアでのユダヤ人虐殺を報告する文書があるのですけど、あるネット否定派はこう言ったそうです、「そんなものタイプライターがあれば捏造できる」って。
イェーガー報告書って、旧ソ連が持ってたのですけど何故か、ニュルンベルク裁判には提出されなかった証拠でして、1963年になって初めてドイツに公開されたものなのです。なぜそんなに遅くになって? というのは、詳細は知りませんけど、一説によれば旧ソ連って特にスターリン時代がそうなんですけど、「ユダヤ人が虐殺された」って主張するのを嫌がったのです(なのでアウシュヴィッツ博物館の犠牲者数400万人を刻んでいた石碑には、ユダヤ人とは一言も書いていませんでした。現在の石碑は冷戦後に修正されて150万人(ユダヤ人犠牲者数は110万人)になっています)。イェーガー報告書はまさにそのユダヤ人を集中的に殺戮して、「ユダヤ人をもっと殺したかった」のようなことまで書いてある報告書なので、旧ソはあまり出したくなかったのではないかと。そうした出自を考えれば、捏造される事はあり得ないのですが、否定論者にとっては非常にまずい報告書なので、どうにかして捏造ということにしたいわけです。
しかし、いくら何でも「タイプライターがあれば捏造できる」とか、めちゃくちゃにも程があります。そんなこと言い出したら、世に存在するありとあらゆる文書は捏造の可能性があり信用出来ない、とまで言えてしまいます。これでは、デカルトが方法的懐疑でやった「悪魔に騙されているかもしれない」レベルにまで至ってしまい、議論にすらなりません。
ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた | ハーバー・ビジネス・オンライン
「我々は(陰謀組織に)騙されている」のようなのが陰謀論の一つの特徴ですので、ホロコーストの場合は連合国であるとかユダヤ人であるとかですから、十分すぎる程陰謀論です。ちなみにですけど、よくある「でも600万人は多すぎだろ、絶対盛ってるに違いない」と言った主張も陰謀論に含まれます。何故なら、600万人説は純粋に調査組織や研究者たちが独立して調査した値で、それら値が概ね同じになってるだけだからです。これも素人なりに調べているとわかります。大体で少なくとも500万人以上はユダヤ人犠牲者がいないと計算が合いません。何れにしても、「盛ってる」ならば、そうした研究を裏で操っている(私もか?w)人がいるという示唆なのですから、結局それも陰謀論になってしまいます。「盛ってる」的批判は戦後割とすぐぐらいから予測済みだったようで、ジェラルド・ライトリンガーという1950年代の研究者は、可能な限り低く見積もって450万人程度のユダヤ人犠牲者数を主張しました。
ともかく、ホロコーストには裁判でも膨大な証言もありますし証拠文書なども提出されてますし、裁判以外でも同様に証言・証拠などもあるので、それらを全部否定しないことにはホロコースト否定は成り立たず、結局、陰謀に見立てなければならなくなります。そうするととんでもない話になっていきます。
これの例を挙げると本当にキリがないのですが、例えば、ユダヤ人世界人口の推移を見ると少しわかります。
1880 7,800,000
1914 13,500,000
1922 14,400,000
1925 14,800,000
1931 15,700,000
1939 16,728,000
1945 11,000,000
1948 11,500,000
1950 11,297,000
1955 11,800,000
1960 12,079,000
1970 12,585,000
1980 12,819,000
1990 12,868,000
2000 13,150,000
2010 13,854,000
2018 14,606,000
2019 14,707,400
Vital Statistics: Jewish Population of the World
ホロコースト否定論者によれば、ホロコーストの600万人ユダヤ人虐殺は起きていないので、今もなおこのユダヤ人世界人口は捏造されているという話になってしまいます。確かに、この値は研究者によって調整されたものであり、1945年などは特に終戦年でもあってセンサスデータなどありませんから戦前の値からユダヤ人消失数の推定値である約600万人程度を差し引いて、切りのいい1100万人にしている可能性がありますが、1947年くらいからはセンサスが始まっており、それらの調査データを用いていると考えられるので、このように2019年に至っても戦前人口を回復していないのであれば、延々と捏造がなされていることになってしまいます(グラフ化すると何を言っているのか一目瞭然です)。
戦前の値は、戦前の書籍などに記述があるため、ホロコーストが起きていない時期の人口数は捏造のしようがありません。さらに実際には、ユダヤ人世界人口は細かい国や地域ごとの値を積算したものであり、ユダヤ人世界人口を捏造しようとするとそれら細かなデータの整合性を取る必要があり、不自然な人口推移にならないようにしなければなりません。例えば、アメリカユダヤ人人口が戦後に一気に500万人減るなどという事は不自然過ぎてあってはならないわけです。しかも、ユダヤ人人口の細かな数値は、各地のシナゴーグやあるいは役所が持っていたりするので、それらの辻褄さえ合わせなければならなくなり、はっきり言って人口数値合わせの陰謀だけで気が遠くなります。
なお、古くは一部のリビジョニストが「ユダヤ人はソ連に囚われている!」とバビロン捕囚のように言っていたようですが、冷戦が終わってもそれらユダヤ人は全く現れませんでしたので、残る主張は「ソ連が殺したんだ!」となりますが、もちろんそんなの何の証拠もありません。付け加えると、もし仮にそうした主張の通りにソ連がユダヤ人を隠していたのなら、「ユダヤ人を隠していた」のですからそもそも人口数値は捏造されておらず、発表されてきた人口数値は普通に合っていたことになります。ちなみにソ連に普通に住んでいたユダヤ人は戦後にどんどんイスラエルに移住が進んだのは周知の事実であり、人口推移的にも完全に裏付けられていて不自然な点は全くありません。
ホロコースト否定派の大難問:一体ユダヤ人はどこに行ってしまったのか?|蜻蛉|note
こうした証拠がらみの荒唐無稽な捏造話もあれば、どうでもいいようなところにまで捏造は行き渡っています。例えば、私は『アウシュヴィッツの子供たち』という本を持ってますが、これはアウシュヴィッツを奇跡的に生き抜いて生存者となった何人かの子供の足跡を追って本人にインタビューするなどしてまとめた本ですが、ごく普通に「ガス室」の話が書いてあります。子供たちだった人たちは普通に色々な形でガス室の話をするのです。ホロコーストに関連する本を出版する際には、ユダヤ人陰謀組織のチェックを経て「ありもしないガス室の話」を記述するように変更を迫られるのでしょうか?
あるいはまた、戦時中に、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスを告発したある文書があるのですが、ルドルフ・ヘスが囚人の女性の一人を愛人として収容所内に囲っていた、というものでその話は非常に下衆なのですけど、それはさておき、その文書の中にたった一箇所だけ「ガス室」の話がサラッとフツーに出てくるのです。その囚人の女性が他の囚人と混ぜられてガス室送りにされそうになった、という話なのですけど、別にガス室を証明する証拠資料でもなんでもありません。そんな細かいところにまで陰謀組織は目が行き届いているのでしょうか?
アウシュヴィッツの様々な議論(18):ルドルフ・ヘスの不倫・愛人問題と戦時中に書かれた「ガス室」。|蜻蛉|note
あと、今思い出したのですけど、ニュルンベルク裁判以降も、ナチス犯罪関連裁判は近年まで数多く行われておりますが、ガス室を否定した証言者や被告は一人もいないのです。「知らない」と言った人はそこそこいますが、「ガス室などなかった」と言った人は本当に一人もいません。例えば1960年代に当時の西ドイツで行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判がありますが、250名以上の証言者や被告が出席して、ガス室を否定した人はゼロなのです。99%が伝聞ないしは直接目撃者として肯定的に証言しており、残りが「知らない」だけなのです。これも、否定論者によれば陰謀だと思いますので、多分全員が脅迫されているか金もらってるかだと思われます。もちろん積極的に証言した人たちの話が辻褄が合うようにきちっと細かくサポートされているでしょう。そしてそうした陰謀者の働きが暴露されたことはこれまでないので、陰謀組織は素晴らしい働きをしていることになります。一体それどんな凄腕陰謀組織???
アウシュヴィッツのガス処刑を否定した人は当時の関係者にいるのか?|蜻蛉|note
というわけでホロコースト否定論者のいう通りであるならば、こんな荒唐無稽な陰謀話が数限りなくあることになってしまうわけです。否定論者にとっては600万人虐殺や、ガス室は絶対になかったことと決まっているので、それらの全てについてこうした荒唐無稽な陰謀を蔓延らさなければなりません。しかし、ホロコースト否定論者はその荒唐無稽さを言い立てることはありません。陰謀だから全ては可能!なのでしょう。
えー、例外なく、陰謀論者でした。出会った全員に確認したわけではありませんが、確認が取れた人は全員、反ワクチン派、または、9.11テロは陰謀、または、例の大統領選は不正なのだそうです(どれか二つ以上です)。流石にフラットアース信者はいませんでしたが。
で、それ以外の特徴としては、その全員が、非常に自意識過剰というか、尊大な態度を取られました。どう考えても、自分でこう言っちゃなんですけど、明らかにホロコースト関連議論では私の方がはるかに知識が豊富なのは明らかなのに、私をバカ扱いするのです。もちろん私の妄想が入ってるとは思いますが、どう考えても、ディスプレイの向こう側でニヤついている否定者の顔しか思い浮かびませんでした。ある人は、コロナワクチンについて「君はあんなの打つ気なのか? バカじゃないの?」とまで言い放ちました。打つ・打たないがその人の価値を決めるわけではないと思いますが、私は正直内心で「じゃぁさっさとコロナに罹って治療も受けずに死ねばいいのに」とまで思ってしまいました。その人は例外的かもしれませんけど、あの陰謀論者の独特な上から目線は、他のタイプの論争議論では見られないものです。昔ですけど、ある有名な新興宗教の信者とやり合った経験がありますけど、それと似ています。どうやら彼ら・彼女らにとって「陰謀」こそ宗教なのだと思います。彼ら・彼女らにとっては「陰謀」への揺るぎない信仰があるので、自分たちは絶対に間違っていないという確固たる自信を保てるに違いありません。
そんなホロコースト否定者さんたちは、あなたの知らない世界かも知れませんが、欧米ほどではないと思いますけど日本人にもめっっっっっっっっっちゃ多いですよ。
おっと、特徴で言い忘れてはいけない。ホロコースト否定者って「凄まじい馬鹿」であることは疑いようがありませんです、はい。増田にも何人かいる、と思われますケド。
実際そうなんです。否定ではなく普通にホロコーストそれ自体に興味を持つ人は結構いらっしゃいます。やはりそれなりに人気コンテンツ的なテーマだからでしょう。ですが、必ずと言っていいほど、例えばYouTubeにホロコースト関連動画があると、コメント欄に否定者のコメントがつきます。酷い時には大半が否定者のコメントになったりします。『否定と肯定』の予告編動画なんかがありますけど、かなり酷いですよ。Youtubeにはそうした人向けに人気を博している『ホロコースト論争』なる否定論そのものの動画チャンネルもあり、これがまた素人目には良くできてるように見えてしまうので、もしかして一定程度否定者を増やしている気配があります。内容は酷いんですよ、実際。欧米では使い古された否定論の焼き直しみたいな構成でしかなくって、オリジナリティの欠片もありません。でもYouTubeですからねぇ、信者がつくんです。ちなみに私は、いくつかコメントしましたけど、動画主にコメントブロックされてしまいましたw
ともあれ、そうした状況のコメント欄にはちらほら「否定論酷いなぁ」的コメントをする人も見かけます。Amazonプライムに『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』ってBBC動画シリーズがあるんですけど、そこに秀逸な修正主義レビューに対する反論レビューがあって、今のところ「参考になった」数でトップを走っています。Amazonレビューであんな長いレビュー見たことないですけど、修正主義的レビューを完全に論破しているという興味深いレビューです。「参考になった」数でトップってことは、それくらい修正主義的レビューが迷惑がられてるってことだと思います。Twitterで流れてきたあるツイートには、「修正主義が完全論破されててスキッとした」というコメントさえ見たことあります。同動画のレビュー欄にも「修正主義のレビューはAmazonが責任を持って削除すべき」とレビューする人もいます。
私自身は、言論の自由が保たれている方がいいと思っているので、あっても別に構わないと思ってますけど、日本はホロコーストの情報があまりに少なすぎるのとあまり関心がないのとが合わさって、申し訳ない言い方だけど、無知な人が大半なのである程度は否定論に傾倒してもやむを得ない面もある気もします。でも、ちょっと知るだけで、ホロコーストへの懐疑がどれほど荒唐無稽なことであるかがわかるので、少しは勉強して欲しいなぁと思ってます。舐めんなよ!ホロコーストを!どんだけ膨大な情報量だと思ってんだ!どんだけ学んでも知らんことだらけじゃ!ゴルァ!ってなもんです。
せめて、中公新書の芝健介氏による『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』程度はパラパラめくってくれたらなぁと思います。
単純な話ですけど、陰謀って「バレないように」企てられ密かに実行されるものであるはずなのに、なんでそんなにあっさり「陰謀だー!」と発覚するんでしょうね? ・・・ああそっか、それで陰謀論者はあんなに超上から目線なんですね、「私たちこそ世界の真実を知っている優秀で選ばれた人間なのだ!」と多分思い込んでいるに違いありません。ああそうだ、9.11テロを陰謀だと言っている人に聞いたんですよ、「ビルに飛行機が衝突しただけであんな崩れ方はしない!」って仰るんで、それどこで見たんですか? って聞いたら「テレビで」って・・・。てめーら、テレビとかは陰謀の片棒担いでるマスゴミじゃなかったのかよー!w
id:daydollarbotch 「タイプライターがあれば捏造できる」に対しての「そんなこと言い出したら〜」がよく分からない。こっちの増田https://anond.hatelabo.jp/20201008002119で書いてたような何らかの文脈があるんだと思うけど
そのその増田を書いた頃より、知識は相当増えてるので、それはちょっと気恥ずかしいものがありますが、グリクシュ報告書の場合はその文書それ自体を徹底的に検証してあることを無視して「捏造」と言うのはおかしいと言う趣旨でしたが、イェーガー報告書はちょっと違います。ていうか否定者のいう捏造主張全般ですけど、この主張には大きく二つ問題があります。
あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体が無茶苦茶なのだ。
どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。
西岡昌紀、木村愛二という1990年代にホロコースト否定でちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である。
私は西岡とTwitter上でつい最近やり取りした。必要以上に詳しい内容は書かないのでそんなもんだと思って読んで欲しい。
西岡の本に否定論界隈では有名な話が載っている。「137人のドイツ人捕虜の睾丸が修復不可能なほどアメリカ兵によって蹴られた」という虐待話である。その話自体はどうでもいいので割愛する。
この話が、いったいどこに書いてあったのかがポイントだ。
この時は西岡本を読んでなかったので、西岡のブログしか知らなかった為、「文献名も知らないのに読めるわけねーだろ」と私は噛み付いた。
すると、西岡、文献名を示した。後でわかったが、その文献名は西岡本に書いてあったそのままである(実際には一文字抜けてたが)。
ところが、どういうわけかなっかなか見つからない。でも、Googleさんは偉い! ちょっとくらい単語が違っても似たような候補を勝手に探してくれるのである。
それは、アメリカ合衆国の政府サイトだった(ちなみに彼らの著書の執筆時である1990年代には存在しなかった)。
そしてそれは確かにあった。しかし、資料名がかなり違う。西岡の言った文献名の「Report」は実は「Record」だった。しかもそれは、正しく記述したとしても、文献名そのものではないのである。
実は、西岡が書いた文献名は、その資料のいわゆるヘッダーに記載された文字だったのである。
どこの世界に、文献名ではなく、ヘッダーを記載するバカがいる?
なぜそうなったのかは、実はその資料、木村が西岡にそのコピーを渡したものであり、木村が国会図書館で簡単に見つかった!と自著で豪語していた資料だった。
つまり、木村は西岡にきちんとした文献名を伝えなかったのである。そして西岡は木村に確認もしていない。ヘッダーに書いてあったからそれをそのまま脚注文献名に書いたのだ。アホか……。
木村は西岡に「ここにあのネタが書いてある」しか言わなかったに違いない。
私は、西岡に怒った。違う文献名を書くとはどういうことだ? と。でも西岡は、木村が国会図書館にあると言ったから、とか言い張るのである。お前著者だろ? 文献名も知らないで自著に全然違う文献名を記載したのか? と文句言ってやったが、まだわかってないようなので、私は今度は国会図書館をネットを通じて探した。
ところが。
正しいと思われる文献名で検索しても、まるで見つからないのである。この辺の事情はちょっとややこしい。アメリカの政府サイトの文献名が正しいとは限らないからだ。その文献名はあくまでも、ネット上の資料を示している。
それで、文献名の単語の組み合わせを工夫したりして、延々と探し続けたが、今度はそうすると、ヒット件数が多くなりすぎたりして、どれがどれだかさっぱりわからない状態が続いた。
イライラしてきた私は西岡に「木村のやつ嘘ついてんじゃねーのか? 国会図書館に見つからないんだが」と言ってやったが、西岡の木村に対する信頼は揺るがない、絶対にあるはずだという。
そこまで言うならと、国会図書館に直接問い合わせていやったら……あった。しかし、外部からは絶対に検索できない文献名だったのである(国会図書館もどうかしてると思うけどw)。
見つかったので、正直言えば、ある程度は嬉しかったが(自力で苦労して見つけたから)、それだけ苦労させるとはどう言うことだ? お前が知ってなきゃおかしーだろ? と西岡に噛み付いたらやっと西岡は謝ったのである。
だが、疑問は終わっていない。その文献は、アメリカ議会記録というもので、議会での議論を記録するものである。アメリカ政府は1800年代から延々とずっと記録し続けている(大抵の国はそうしているが)。そして適当な日数分ごとに製本してまとめて保管している。
だから、膨大な量の議会記録が存在するのである。一冊あたり、私が見つけたその冊子だけでも一千ページはゆうに超える。それが数えきれない冊数が存在する。
もちろん、「137人の睾丸」事件のあった年代はある程度は絞れる(これ自体は別の本に載っている)。しかし、それでもどう考えても何千ページもの記録から探し出さねば絶対に見つからない。
と言うよりも、その情報が議会記録にあるとどうして知ったのだ? もちろん時期も含めて。
つまり、木村が自著で豪語したような「簡単に見つかった!」は絶対にあり得ないのだ。それは誰かから情報をもらったからとしか考えられないのである。多分、その情報が上院議会のある特定の日の議論にあるとだけ教えてもらったのだ。
そんなもん、英語さえわかれば誰でも簡単に見つけられるわ!バカタレ!
それは、細かくいうと第95巻のvol.1という108ページ分の塊の中にある、冒頭ページから20ページ分くらいのところにある情報だったのだ。
俺でもあっさり見つけたわ!バカが!情報を知っていたからだ。西岡の言ったヘッダーにある日付分だけを探したのである。
どうして、そこの情報を欧米のリビジョニストから教えてもらえたか(もちろん知り合いだからだが)、は簡単に理解し得る。欧米のリビジョニストの多くがお気に入りにしているネタであり、元ネタの記載が事実上そこにしかないからだ。
元々はある古い雑誌の記事なのだが、1949年当時、議会の中で、その記事のことが話題になり、議会記録に記録することになったからである。
当時の雑誌を入手するのはアメリカ人ですらかなり難しいそうだ。
が、有難いことにある程度の規模の図書館なら、議会記録は存在するので、アメリカ全州で簡単に確認可能なのである
日本でも、国会図書館にだけは存在する(その後調べたら、戦後占領政策をやったGHQが米国政府議会記録を日本の国会図書館に保管するようになり、この業務が停止されず延々と続いたそうだ。ただし、今はアメリカ政府のサイトで容易に閲覧可能なので、近年の議会記録については国会図書館に保管はされていないと思う)。
このことを知っていたら、情報だけで日本人も容易に見つけられる。
ところがまだ話は終わらない。
西岡とこの話を最初にしていた時、私が言いたかったのは、上院議会のことではなく、その事件に関する公聴会の報告記録の方だった。ところが、西岡は上院議会と公聴会の区別がついていないのだ。だから、西岡は自分が所有している木村からもらった上院議会記録のコピー用紙の中に公聴会の記録もあると、訳のわからないことを言うのである。
そんなもんある訳ない。だって、公聴会の報告記録は上院議会記録とは全く別のものである上に、議会記録は日本にも関係するから国会図書館に所蔵するとしても、細かい公聴会報告までいちいち国会に所蔵するわけがない。しかもその公聴会報告は「137人」事件を否定するものでああり、リビジョニストが知っているわけがない(知ってたら、リビジョニストに都合の悪い話だから、自著に絶対に137人事件は書けない)。これを何度言っても、西岡は理解しないのである。
こんな連中の書いた本の内容を、どうやって信じる? だから否定論は出鱈目なのだ。あった・なかったの問題のレベルではないのである。欧米のリビジョニストの論文も幾らか読んだけど、まじで酷すぎるよ。フォーリソンなんか読んでるこっちが頭がおかしくなりそう。ただし、基本的な文献名などの記載は、欧米の方はしっかりしてる。西岡・木村よりはその面では欧米の方が信頼できるけどな
元増田ですが、N医師は、多分本気で今も「ホロコーストはなかった」と信じてます。実際にネット上でやりとりしたので、私にはそうとしか思えません。
いまだに延々と自身のブログで、もはやとっくに腐ってるとしか思えない主張を披露し続けています。
その彼の主張は細かいものがたくさんありますが、代表的なものはアウシュビッツ司令官だったルドルフ・ヘスが戦後に逃亡して逮捕され、逮捕したイギリス軍人に暴行を受けて自白するのですが、実はルドルフ・ヘス自身が死刑を受ける前に自分で回想録にそれを書いているのです。1950年代後半にその自伝は出版されるのですが、その時点で世間には周知されているのです。
で、暴行を受けて自白はしたが、自分が主張した事は嘘ではないと、ヘスは自伝にそうはっきりと書いているのです。
ところが、N医師は、それよりもずっと後になって出版された、暴行をした軍人の回想録の記述を持ち出し、「ヘスが暴行を受けたのは事実であるから、主張は信用できない」とおかしなことを言うわけです。そんなの知ってるっつーのw 暴行を受けた事実など事情を知っている人は誰も疑ってねーw
他にも本当にたくさんあるのですが、2000年頃に散々論破されてるのに、本人は論破されたとすら自覚してないのです。
せいぜいがアウシュウィッツをアウシュヴィッツに直した程度です。
私は今回、元増田に書いた「防空壕」を認めさせましたが、そんなの欧米の否定論者だってとっくに知ってる話なんです。あの人、よほど頭が悪いとしか思えません。
この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件は文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCからの圧力という事実は存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌を廃刊し、社長が辞任し、そして勝手に花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのである。しかしこれは最悪だった。ホロコーストに否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識を世間に与えてしまったからである。SWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらいホロコースト否定論は昔から大きな問題だったからである。
事件の中心人物だった、N医師のその当該記事は噴飯物の記事だった。何せこのN医師、普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazonや古本で『アウシュウィッツの真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師をネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である。
N医師は、デイブ・スペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味が1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米のホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師は別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師の記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。
だが、たった一度のその記事は、N医師の人生を大きく変えてしまった。未だにN医師は日本のホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者が存在する人物になってしまったのである。知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。
この問題は、結構事情が複雑である。簡単な説明は英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルト・フォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥である。フォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局に逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。
続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダの事件にフォーリソンは深く関与した。有名なロイヒターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑のネタがまたこの裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能である。コール自身はこのビデオの販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものはしょうがない。しかし、このデビッド・コールのネタ元は間違いなくフォーリソンである。コールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリアの否定論者フレデリック・トーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑を喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。
簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対に断じて「ガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室は現在もアウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから、否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後に捏造された」ものでなければならない。
ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現」工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判に証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手は東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。
前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるときに解体されたのである。そして、その煙突はアウシュヴィッツ博物館が1948年にオープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰な再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在の写真と比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。
実際、煙突はガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突は必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室は否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロ(だって「死体置き場」自体はバッチリ図面にそう書いてあるのだから)である。むしろ、煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題の根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだから、アウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言・証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。
N医師は最初「アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室の根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘスは逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物がいるからである。ポーランドは、ドイツが撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツの終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから、1945年4月16日にアウシュビッツの囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドのクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。
「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。
まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師は自身の脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベルの陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人に拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリス」である。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論を披露しているだけなのである。陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体の証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているからである。
だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である。
当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在でしかないから、支持はN医師に集まる。N医師自体がネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスターを形成する仕組みだから、それ自体は現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。
というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベルの世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。
追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。
え? 1と2はどこにあんの? って?
1はこれだね。
2はこれかな。
優秀ブクマカーに捕捉されないと、これだけブクマ数に開きがつくというのは凄いですね。
さて、今回の問題はそんなに長文ではありません。皆さんの思考能力を試します。
ゲルシュタイン報告という、これもまたホロコースト否認派が忌み嫌うホロコーストに関する告発報告があります。否認派にとっては、少しでも内容がおかしければ全て間違いであり嘘であり捏造であり信用ならないものなのですが、ゲルシュタイン報告には実にたくさんの首を捻る記述がありので、さすがの正史派も取り扱いに困る報告書だったりします。クルト・ゲルシュタインはアウシュヴィッツではなく他の絶滅収容所を手伝った人物なのですが、戦後、この報告を書いた後自殺してしまいます。ですので余計に謎に包まれた感じもあります。
ゲルシュタイン報告それ自体については、ドイツ語ですが、以下をご紹介します。しかしいくつか修正バージョンはあるようで、私自身はこれ以外のバージョンを把握してはおりません。
NS-Archiv : Der Gerstein-Bericht
で、何が問題かというと、色々あります。本当にどう考えても間違ってるとしか言いようのない記述もありますが、その中でもこれがよく突っ込まれます。
さて、これは本当でしょうか? 実は正史派もこれを信じてはいませんでしたし、170〜180人の間違いであろうと言った人もいるそうです。
問題の段落を、上のリンクから、翻訳エンジン直訳で以下に引用しましょう。
そして、電車が動き出す。美しい若い女の子の前では、彼らはすべての裸、男性、女性、子供、義肢のない通りを歩いています。私は、部屋の間のタラップの一番上に ヴィルト船長と一緒に立っています。赤ん坊を胸に抱いた母親たちが出てきて、躊躇して、死の部屋に入っていく。- 隅に立っているのは屈強なSSの男で、貧しい人々に向かって牧歌的な声で「あなたには何も起こりませんよ!」と言っています。あなただけの部屋で深呼吸をする必要があります、それは肺を拡張し、この吸入は、病気や伝染病のために必要です。どうなるかと聞かれると、「そうですね、もちろん男性は家を建てたり道路を作ったりして働かなくてはいけませんが、女性は働かなくてもいいんですよ。本人たちが希望すれば、家事や台所の手伝いをしてくれるだけです。" - これらの貧しい人々の何人かにとって、小さな希望の光は、彼らが抵抗することなく会議室までのいくつかのステップを歩くのに十分である - 大多数は知っている、臭いは彼らに自分の多くを教えてくれます!これらの貧しい人々のために、小さな希望のきらめき。- そこで彼らは小さな階段を登っていくと、すべてが見えてくるのです。胸に子供を抱えた母親、小さな裸の子供、大人、男、女、すべての裸......彼らは躊躇しながらも、後ろにいる他の人たちに押し進められたり、親衛隊の革の鞭に突き動かされたりしながら、死の部屋に入っていく。何も言わずに多数派。炎のような目をした40歳くらいのユダヤ人女性が、殺人犯の上にここで流されている血を叫ぶ。彼女はヴィルト大尉自身から乗馬鞭で顔面を5、6回殴られた後、彼女も部屋の中へと消えていきます。多くの人、祈りなさい。私は彼らと一緒に祈り、自分を追い込み、自分と彼らの神に向かって大声で叫ぶ。彼らと一緒に部屋に入りたかった、彼らと一緒に死にたかった。彼らはその後、彼らの会議室で制服を着たSOの役員を見つけただろう - 問題は事故とみなされ、跡形もなく消えて処理されただろう。だから私はまだ許されていません。私がここで体験していることを、先に発表しておきます! - チャンバーが埋まっていく。しっかりと荷造りをしろ、それがヴィルト船長の命令だ。人はお互いの足元に立っている。45立方メートルで25平米で700人から 800人! SSは物理的にはありのままの姿で、それを一緒にしぼっています。- ドアが閉まる。その間、他の人たちは裸で外で待っています。言われてみれば:冬でも同じ!?そうだが、彼らは死を捕らえることができる、と私は言う。- そう、それだけのために親衛隊員が日記で語っているのだ。- 今、私はようやく、この機関がヘッケンホルト財団と 呼ばれている理由を理解しました。ヘッケンホルトはディーゼルエンジンの運転手であり、小さな技術者であり、工場の建設者でもある。ディーゼルの排気ガスで、人が殺される。しかし、ディーゼルが効かない! キャプテン・ヴァースが来ます 私がここにいる今日だけで、こんなことが起きなければならないと恥ずかしい思いをしているのがわかります。はい、全部見えています! そして、私は待っています。私のストップウォッチは全て順調に登録されています。50分70秒 - ディーゼルが始動しない! 人々はガス室で待っている 無駄だ!泣き叫ぶ声、すすり泣く声が聞こえる[13] ... ヴィルト大尉はディーゼルでヘッケンホルト親衛隊員を助けるはずのウクライナ人の顔面を鞭で12、13回殴った。2時間49分後、ストップウォッチがすべてを記録した後、ディーゼルが始動しました。この瞬間まで、人々はこの4つの部屋、4倍の45立方メートルに4倍の750人の人々が住んでいます! - またしても25分が過ぎていく。そう、多くの人が死んでしまった。電灯が一瞬だけ部屋を照らす小窓から、彼らが生きていることがわかります。28分後にはまだ数人しか生きていない。ついに32分後にはすべてが死んでしまった!
さて、読者はどう思われますか?
当然こういう問題の出し方ですから、700〜800人入ったという答えを私が持っていると、皆さん想像されるでしょう。でも、取り敢えずはそんなことが可能なのか素直に考えてみてください。どう思われますか?
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
私は元増田なのですが、アウシュヴィッツ火葬場の謎の回答を書いたら、結構それに対する異論もあったように思います。私は専門家でもないし確かめたわけでもないので、理屈については不正確かもしれませんが、概ねは否認論者の主張を参考にして否認論の主張を理屈として述べただけでした。マットーニョ先生は同時代の養豚場の火葬の論文まで持ち出して批判してきます。これは的外れの事例なので比較になんないのですけど、でも否認論者が如何に必死かということがわかるかと思います。
正確な知識が必要と、タイトルで断っているのは、決して否認論者を舐めてはいけない、ということです。例えば、火葬炉の回答についたブコメで「絶滅収容所以外では死体を埋めていた」という話をされた方がいますが、そんなの当然知っているのです。アインザッツグルッペンの話かと思いますが、実はこのアインザッツグルッペンはたしかに死体を埋めていましたが、その後に掘り返して焼却処分にしたのです。焼却方法は現地で野外火葬したのですが、鉄道レールを利用した即席焼却場を作っていました。この作業にあたったのが1005アクションと呼ばれる部隊です。パウロ・ブローベルという親衛隊員(元アインザッツグルッペンの一人)が指揮を取って遺体焼却作戦に当たり、アウシュヴィッツのユダヤ人囚人などから特別作業班を作って現場を連れ回っていたのです。当然このユダヤ人はいらなくなったら現場で銃殺刑です。
但し、全部焼却処理できたというわけではなさそうです。近年でもマンション建設現場からアインザッツグルッペンの埋葬遺体は発見されています。ちなみに、ホロ否認派はこのアインザッツグルッペンの虐殺は、「パルチザンだったからいいのだ」と主張します。8割以上ユダヤ人なんすけどね・・・。ともかくも、1005アクションは存在し、ナチス親衛隊はとにかく徹底的に証拠隠滅をしようとしたのは間違いのない事実なのです。ところが、否認論者はこの1005すら否定してきます。
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/sofia/sofia_s36-1.html
古いサイトですが、元ネタはゲルマー・ルドルフのようです。このルドルフもマットーニョと並ぶ、否認論量産人ですが、ルドルフはマックス・プランク研究所で働いておりましたが、首になってしまいます。そしてホロ否認に手を出したがために、刑法犯になってしまい逃亡します。結局イギリス定住だそうですが、最近では公然わいせつ罪で逮捕されています。ルドルフ先生は知名度が高いため世界的ニュースになっています。詳しくは英語のWikipediaを見ましょう。ルドルフくんは真面目に働いていたら博士号も取れたはずなのに博士号持ってないんです。なのに否認派は「有能な化学者」と思ってるそうです。あの噴飯もののロイヒターレポートを称賛するというレベルなのに・・・
かのロイヒターレポートを書いたフレッド・A・ロイヒター・ジュニアも詐欺師でしたし、ゲルマー・ルドルフも上記の通りの人物ですし、否認論本濫造人(軽く100冊!を超えます)カルロ・マットーニョは素性がよくわかりませんが、どうやらイタリア国内のどこかの教師職のようですが、ともかくろくな人物はいませんけど、奴らも生活かかってますので必死です(笑)。多分歴史見直し研究所(IHR)などから金が出ているのだろうと邪推しています。でも、十年ほど前にIHRの会長は、ホロ否認戦略を見限ったという情報も得ています。ホロ否認がいくらやっても世間に受け入れられないので、もう直球で反ユダヤ主義を訴えようではないかと言っているそうです。
例えば、青酸ガスの元となるチクロンBペレットのガス室への投入口など存在しない!というものがあります。これ、実は結構厄介な問題なのです。反否認論側としては、くっそムカつく否認論の一つです。
何故ならば、1)アウシュヴィッツの最初のガス処刑室(クレマトリウム1)の天井には3つか4つほどのちクロン投下孔があけてあったが、このクレマトリウム1は1944年に防空壕に改修されてしまっているのです。1941年9月末〜1942年末くらいまでしか運用しておらず、もっぱら基幹収容所でソ連兵などの処刑(ユダヤ人も含みますが)に使ってただけのガス室だったのです。で、防空壕にしたときに天井を塞いでしまいます。が、戦後にポーランドが収容所を博物館にしようということで、このガス室の再現工事を行ってもっかい屋根の穴を開け直すのです。ところが、この再建工事、内部工事を含め杜撰な工事だったので、ガス室当時を正確には再現しておらず、否認論者のフォーリソンらに見抜かれてしまいます。博物館の案内も杜撰で「当時のままだ」と言っていたらしいのです。そして、このクレマトリウム1のガス室捏造疑惑が発生するのです。
ね? 厄介な話でしょう? そして、2)ビルケナウの方のクレマトリウムはどうだったかというとこれ、親衛隊はダイナマイトで爆破し原型をそもそも留めていません。クレマⅡとⅢにはクレマⅠ同様、天井にチクロンペレット投下孔があったのですが、現在瓦礫しかなく、よくわかんないのです。そして否認派は、1980年代頃に公開されたのであろう、1944年代に撮影された航空写真(連合軍やドイツ軍のもの)を利用し、ビルケナウのガス室には「チクロン投下孔などない!」と言い出します。でも、実は当時の航空写真は解像度が低くてよくわからないのです。また、そもそも論として、親衛隊が残した建設図面には一切このチクロン投下孔が記載されていないのです。
そして、映画『否定と肯定』でお馴染みのデヴィッド・アーヴィングもこの実際の裁判でこの穴のことを裁判中に持ち出すのです。一日中、肯定派側の学者とこの件で裁判中に議論の応酬をしていたこともあったらしい。で、肯定側のリップシュタットを応援する研究者たちが「じゃぁ、この際きっちり調べてきてやろう!」と現地調査に乗り出すのです。結局裁判にはこれは不要でしたが、ビルケナウ・クレマトリウムⅡの跡地の瓦礫から、天井のチクロンペレット投下孔の痕跡を4箇所中3箇所見つけ出したのです。クレマトリウムⅠの投下孔も現在の穴の位置で間違いないと、写真解析により断定しました。
これに対し否認派は、クレマトリウムⅡの残骸にある穴は「戦後にポーランドが内部を調べるためにあけた穴であり、当時のものではねぇんだよ、バーカ」とこれまた適当な反論を抜かしやがるわけですが、どう考えてもその穴は後で開けたものではないと既に証明しているので、言いがかりに過ぎないものでした。こちらに日本語翻訳解説があります。
ホロコースト否認論を否認するテスト-16「毒ガス落とす孔がないんですが」の件|蜻蛉|note
ま、こんな感じで、重箱の隅突きじゃないですが、あらゆる論点でホロコーストなどなかった・ガス室などなかったという主張を辞めないのが否認派です。実態をご理解いただけたらなぁと思います。
ええっと、これが正解!というのはブコメにもトラバにも私の見た限りではありませんでした。近いものはありましたが、これ、知ろうとすると先ずアウシュヴィッツ・ビルケナウのマッフル炉がどんなものだったかを知る必要があります。ええっと、簡単にググった範囲では、このページにある上から3つ目の写真ですね。
わかりますかね、一つのマッフルの口の幅は大体60〜70cmだったかと思います。わかりにくかったら類似画像検索か何かでもっと見やすい写真もあったかとは思いますが、この一つのマッフルが三連になっていて実質的には3つで一つの炉を形成しています。これをトリプルマッフル炉と呼びます。
アウシュヴィッツの大量虐殺の現場はアウシュヴィッツⅡとも呼ばれるビルケナウキャンプの方です。アウシュヴィッツメインキャンプから3キロほど離れた場所にあります。上で示したリンクの写真はすべてビルケナウのものです。
このビルケナウにトリプルマッフル炉を5基備えたクレマトリウムⅡとⅢの2つがあり、そこから少し北に行ったところに……えっと、炉の形式をちょっと忘れましたのでとにかく8マッフルの火葬炉をもつクレマトリウムⅣとⅤの2つがありました。故に、計46マッフルあったわけです。
さて、計算上は1日仮に3,000体ならば、一時間あたり約3体/マッフルとしなければダメであり、一体20分なわけですが、実際はどうやったかと申しますと、実は複数遺体を同時に焼却処分していました。これとほぼ同じ答えはありましたが、でも少し考えてもらいたいのです。
一体を一時間で焼却できるというのは、焼却エネルギーをそれだけ与えるからです。1体につきnカロリーならば、3体なら3nカロリーです。つまりカロリー計算ならば、同時に焼いたところで、炉が与えるエネルギーは同じなのだから、3倍の時間がかかるはずです。
あれ? と思いませんか?
そこで、もっとコークスを入れればいいのだ、という話になってきますよね? 一体あたりのコークス料はこれは流石にデータがまったくないのでわかりません。しかし、幅6,70センチしかないマッフルに三体も入れて、更にコークスを三倍にするなんて、非現実的だと思いませんか?
実は当初、親衛隊自身がそう思っていたフシがあるのですが、これにはカラクリがあります。上で述べたように、実はマッフル一つが1炉ではないのです。トリプルマッフル炉なのです。つまり、炉としては1炉1マッフルよりも三倍も大きいので、熱量/高温をそれだけ維持できるのです(要するに外部へ廃棄されたりして無駄になる熱量が少ない)。しかし、まだ問題は解決してはいません。何れにせよ、遺体量分のコークスが必要なのはそれほどは変わらないからです。
で、一体どうやってこの問題を解決したかというと、それは「遺体自身を燃料にする」だったのです。流石にそれは誰も思いつかなかったのではありませんか?
嘘だろ? と思う人がいたら、そう証言した人がいると答えておきましょう。ヘンリク・タウバーというこの遺体処理作業に当たった、ユダヤ人収容者の作業員、いわゆるゾンダーコマンドがいます。タウバーは酷く否定派に嫌われています。当たり前です、このタウバーの証言を認めたら、否定論は一瞬で破綻してしまうからです。戦後裁判などで当然証言台に立ってます。
で、このタウバーは遺体がよく燃えるので、燃料の追加はほとんど必要なかった、と答えているのです。このタウバー、驚くなかれ一度に9体くらいも遺体を入れたことがあるとまで証言しています。そんな馬鹿な?と思うでしょ?
想像ですけど、おそらく、タウバーのこの証言は、遺体をどんどん連続投入していたがために、実際には同時に9体入れたのではなく、次々に入れていった場合の先に入れた遺体は燃焼して体積が減っていき、それで9体などと言ったのだと思います。あるいは普通に、トリプルマッフル一基を1炉と考えて、3つのマッフルに対しての9体なのかもしれません(それなら理解しやすい)。
何れにしても、遺体自体を燃料にするって少々信じ難いと思いませんか? 人間の体って普通は7割は水です。アウシュヴィッツについてすぐ殺された人が大半ですから、痩せてすらいないわけです。しかも、このついたばかりのユダヤ人の方がよく燃えたというのです。流石にそれは嘘だと、言いたくなってきませんか?
でも、遺体を燃料にしたというのは証言しかないのですが、15分程度で焼いたという当時の文書記録はいくらでもあるのです。
えー、それっぽく引用文献が載ってますが、これはあるページからコピペと少し修正しただけですので、ご勘弁。ともかく文書資料はそれなりに残っていて、多分まだまだあると思いますが、実際に算術的火葬率1体あたり15分程度をやってたということに疑いの余地はありません。
というわけで、こういう具合に細かく突っ込んでくるのがホロ否認論です。そんなの出来るわけない! というのを反論するのが結構大変だということがご理解いただけるのではないでしょうか?
で、どうして引用文献を示したかというと、「Mattogno」という人物の名前が出てきます。この人、超有名なホロ否認論者です。ホロ否認論者が普通に、ホロコーストを肯定するような資料を自著に載せるのです。ホロ否認論者に、粗雑なリビジョニストがやるような「やばい資料を隠す」ような人はいないと言っていいでしょう。
anond:20201008002119 を書いた増田だけど、特にはてな民からも、疑問は示されなかったので取り敢えずホッとしておこう。何人かはきちっと考えてくれたと信じることにして。
おそらくは、ほとんどの人は普通にホロコーストはあり、ガス室でユダヤ人が大量に殺されたのは史実であり、それを信じないホロ否認者は馬鹿だと思っているだろう。ところが、そうとも言えない部分があるのだ。
よく考えてほしいのだが、細かい史実的な話は抜きにして、例えばアウシュビッツはたったの一年で、能力的には100万人をガス室で殺害し、遺体をすべて焼却処分して、骨は砕いて粉々にし川に捨てて証拠隠滅できたのだ。結果的には大体三年かかっているけど。
ということは、一日あたりざっくり計算して3,000人殺して、焼却処分できたということになる。
殺すのはまぁ、ガス室が広い部屋がいくつかあって、それらの部屋に閉じ込めて、チクロンB入れて青酸ガスで殺せるというくらいは想像つくだろう。このチクロンBにも突っ込みどころと言うか多少信じ難い話はあるのだけど、それは結構細かい話になるのでここでは言わない。
さて、3000人を毎日、焼却炉で処分できるのか? という話である。
ざっと、マッフル炉というのがあって、普通の火葬場の粗末なのを想像してもらったらいい。現代の一般的な日本の火葬炉は普通は一体概ね1時間位かけて骨にする。
このマッフル炉がビルケナウには46基あった。では一体当たり、どれくらいの時間で焼けばいいだろうか?
一時間で、これもざっくり計算して1マッフル当たり3体焼かないといけない。
この時点で誰もがそれは不可能だと思うに違いない。
つまり、一体当たりたったの20分で焼き尽くさないといけないのである。
現代の火葬炉で1時間掛かるものが、1940年代にたったの20分で焼き尽くせるわけがない、と。
ところがどっこい。
なんと驚くなかれ、一日あたり4,756体を計画していた資料が残っているのである。前述とは若干条件が異なるものの、1体たったの15分で焼き尽くす計算なのである。それだけではまだ終わりではない、アウシュヴィッツ司令官は証言として、能力は一日あたり1万体あったと言っているのである。
但しこれには野外火葬をやるという条件が加わるのではあるけれど、それでも火葬炉分は1体10分程度になってしまう。一体どうやったらそんな神業的火葬能力が実現できるのだろうか?
私はここで種明かしはしない。種明かしをすると、おそらくはもっと信じ難くなるであろうから。
つまり、ホロ否認はこういう人の常識に問いかけるのである。多くの人が「そりゃそうだな、よく考えたらそんなことはあり得ないよな、やっぱりホロコーストは嘘だった」と陥ってしまっても無理はないのだ。
一度考えてみて下さい、一体どうやったらそんな膨大な数の遺体処理が可能なのでしょう?
追記:種明かしは、これへのトラックバックで回答します。anond:20201009184853
こんなところで質問してもほぼ意味はないような気がするんだけど、他でも誰も答えてくれず困っている。協力があればなと。
これはパズルなのです。
ホロコースト否認者たちは、ガス室だけは絶対に認めません。ガス室を認めると大量虐殺を肯定してしまうからです。ですから、一番目立つアウシュヴィッツを狙ってきます。問題は、アウシュビッツには正確にいうと、ソ連が近づいてきたのでナチス親衛隊は撤退するのですが、証拠隠滅のために、ガス室だったところをダイナマイトで破壊してしまいます。
ナチス親衛隊は、全国指導者のハインリヒ・ヒムラーや1942年に暗殺されてしまったヒムラーの側近中の側近ラインハルト・ハイドリヒSD長官の指導により、徹底的にユダヤ人殺害を隠蔽したので、文書資料にすらほとんど「ガス室」や「処刑」などの用語もなく、ユダヤ人虐殺を「再定住」、処刑を「特別処理」などと言い換えたりしていましたので、これが戦後ずっと続くホロコースト否認者の格好の餌のようなものになってしまい、奴らは平然と「証拠はない!」とほざくわけです。確かに、ガス殺死体はアウシュビッツには一体もありませんでした。なぜなら焼却して骨は砕いて川に捨ててしまったからです。
実は結構あるのです。文書資料として残ってしまう図面にこそ「ガス室」とは書きませんでしたが、報告文書にうっかり書いてしまった記録などはあるのです。それ以外にも沢山あります。当然ですけど、証言記録は滅茶苦茶あります。アウシュビッツ司令官ですら戦後裁判で証言し、死刑になって処刑されるまでに詳しい殺害方法を書いた自伝まで残しています。
ところが、当然といえば当然ですが、否認者たちは証拠資料は解釈で捻じ曲げて歪曲しまくり、証拠ではないと言い張り、流石に否定できない文書資料などがあると捏造だと一切認めず、当たり前のごとくに膨大な証言は適当に難癖的にあそこがおかしいここがおかしいと文句をつけて全否定するのです。証言者が言ってることが多少誇張が入っていたり変だったりすることはよくある話なのに、一切認めません。ガス室の周りの地面に当時のユダヤ人作業員はメモを証拠として埋めたのが戦後発見されていますが、戦後の捏造だと言って絶対に認めようとしません。頭おかしいと思うレベルですが、これマジなのです。
しかし、いくら否認論者でも、当時の文書記録として、加害者側の親衛隊の人物が業務内容として残した資料の中に、ユダヤ人のガス殺の様子を記録した文書があれば、流石に否定しようがないはずです。実はあったのです。
1970年代後半に、グリクシュ報告というのが見つかります。グリクシュ少佐というのは親衛隊人事本庁の職員で、1943年5月にアウシュビッツの視察に訪れ、司令官ヘス同行の上、ガス室を見回って報告書を書いたのです。言葉は選びながらも、どう読んでもユダヤ人をガス殺する手順としか読めない内容がきっちり書いてあるのです。流石にこれは否定できないだろうということになったのでしょうか、10年以上、否認論者はこれを「まぁ偽造だろう」とほったらかしました。何故ならば、その報告書は原本ではなく、戦後に裁判資料を整理していた米軍将校がタイプライターで打ち直したものだったからです。おそらく原本保管のためでしょう。だから、原本じゃないので証拠にならず、米軍により偽造されたものだと言い張ったのです。
で、1991年に、アメリカ人のリビジョニストのある人が、このタイプコピー版を徹底的に内容批判して、偽造だと断定します(実際には根拠は薄弱であり、捏造それ自体の事実は一切証明しておらず、断定は無理です)。それがこちらです→フランケ・グリクシュ「再定住報告」:偽造の分析(レンク)
で、一旦これで否認論者もほくそ笑んだでしょう。原本などないんだから嘘に決まってる、と。ところが・・・
2019年、つまり去年です。ある反否認論者がふと、「もしかしたら?」と思ってドイツ連邦公文書館を検索したのです。すると、その原本(報告書製作時に同時にタイプされたカーボンコピーだった一枚)があったのです。ニュルンベルク裁判等戦後裁判関係資料は膨大な量があり、昔は探すのが大変だったのですが、インターネットと文書のデジタル化が進んで、いつの間にか外部から検索をかければ見つかる状態になっていたのです。まさか探せるとは誰も気づいていなかったわけです。
発見者は、様々な検証を行い(と言ってもデジタル化された写真なので物理的には調べられない)、当時の他の文書とのタイプフォントの照合まで行い、フォントの一部に欠けがあった文字を数文字発見し、他の文書とそれが一致することから、おそらくは原本で間違いないだろうと。他にも色々特徴を調べていますが、疑問点は今の所ありません。
それがこちらです→Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report
詳しく詳細な解説もされていますが、ともかく間違いないだろうと。内容も、否認論者は批判していましたが、それらおかしいと思われる箇所も十分問題なく解釈できる範囲です。何れにせよ、原本です。
否認論者としては、絶対に認められない資料証拠ですからこれを「捏造」と言わなければならないはずです。しかし、「捏造」と仮定した途端に辻褄があわなくなるのです。捏造でなければすんなり理解できます。普通に原本はあった、そしてドイツ連邦公文書館で整理保管・デジタル化されていた、それだけです。
しかし、「捏造」だとおかしなことになります。先ず時期が問題です。
戦後のその米軍将校がタイピングした時点で原本も捏造されていたと仮定すると、ではどうして裁判に提出されなかったのでしょう? タイプ版も結局は裁判に出ていません。それは別に良いのです、証言証拠は沢山あり、グリクシュ報告は特に必要ありません。しかし、捏造だとすると、他の文書とタイプフォントが合っているということから、それらの他のタイプのフォント形式を間違いなく再現するためには、例えば同じタイプライターを探し出してこなければなりません。そんなめんどくさいことするでしょうか? しかもです、そうやって非常に面倒な精巧な偽造をするのであれば、何故タイプコピー版が存在するのでしょうか? カーボンコピー用紙を使えば、カーボンコピー三枚分用意できます。その一枚を裁判で使えるように回せばいいだけです。「捏造」と仮定すると極めて不自然なのです。かなり精巧なのに(調べてもわからないくらい)、裁判に使われていない事自体が不自然です。なおかつ、そんな手間隙かけた捏造が証明された文書資料などただの一つとして存在しません(そもそも戦後裁判資料で捏造が疑われたヴァンゼー会議議事録ですらも、リビジョニストが捏造だと言い張っていただけです)。
あと、この原本は1980年代にイギリスの著名な歴史家デヴィッド・アーヴィングが連邦公文書館で見たことがあると言っており(アーヴィングは異常なほどの資料収集家です)、2005年くらいのこの資料を議論する会でそのインデックスを述べていて、そのインデックスナンバーが原本発見時にほぼ合っていたのです。とすると、1980年代に原本は存在したことになります。では、タイプコピー版が1976年に発見されて以降、アーヴィングが連邦公文書館で見るまでの間に、何者かがグリクシュ報告の原本を捏造し、連邦公文書館に潜ませた、なんてことはあり得るのでしょうか?
今の時代ならばPhotoshopもありデジタル化された資料など簡単に捏造できるのかもしれませんが、1980年頃にそれが出来たとは到底考えられません。ネットすらないので、ハッキングでファイルを混入させることも出来ません(1980年代頃にデジタル化があったとも思えない)。いろいろ考えても、1980年代頃の捏造というのはあまりにも荒唐無稽です。タイプ文字の形を合わせるために、その他の文書すらも探し出してくる必要すらあります。すると、どうやったって当時ならば、連邦公文書館に物理的に侵入しなければなりません。あまりにもハイレベル過ぎます。
はっきり言って、グリクシュ報告の価値は「否認論者が困る」だけのものであり、偽造された「ヒトラーの日記」のように1円の価値があるわけでもなく、書かれた内容についてはなんら未発見内容はないので、通常の歴史家も特に反応を示すわけではない資料です。普通の歴史家はホロコーストやガス室があったことなど一ミリだって疑いやしません。
というわけで、グリクシュ報告原本を「捏造」と仮定することは、どう考えても辻褄が合いません。というわけで、非常にグリクシュ報告原本発見は否認論者にとって困ったものであるはずなのですが・・・
ネット上の一般否認論者は、どうも意味が全くわかっていないようなのです。「そんなもん捏造だろ」と頭から決めつけてかかっているだけで、捏造と仮定するとおかしなことになるとまで考えが及ばないようなのです。ていうか、そもそも「証拠は絶対にない」とすら思い込んでいるようです。信じ切っていると言っていい。ですから、こちらがいくら言っても、否認論者は「捏造とすると辻褄が合わなくなる」ことまで考えは全く及びません。
聞きたいのは、私が変なのでしょうか? 私自身は「ホロコースト否認信者はアホばっかり」と思うようにはしてはいるのですが、だーれも理解しません。一体どうなっているのでしょうか?
id:anmin7相手の人がどうなったら増田は満足なの? 賢さを讃えてほしいの? ただ考えを改めたらいいの? 土下座して許しを乞うならいいの? 愚かさを恥じて以後増田の奴隷になるべきなの?
違う違うそうじゃないのです。私一人で考えているだけなので、単に自信がないだけなのです。日本人でホロコースト否認論に反論しようなんて物好きな人はなかなかいません。これで合ってるかどうか、感想でもいいから聞きたいのです。日本人否認論の集まるところへ行くとほとんど孤軍奮闘になってしまうのです。私以外の反否認論側の人がいてもただ、「ホロコーストを否認するなんておかしい」みたいにいう人がいる程度です。ほとんどの人は知識がないのです。
id:rmntc55211精巧に捏造したけど使わなかった、その後、捏造したそれが何かの手違いで文書保管されてしまったなんてありそうだけどね。何もかもが自然にはできていない
そんなこと言い始めたら、あらゆる文書資料は全て捏造になりますよ。本当にそう言ったホロ否認者はいましたが、あまりに非現実的です。グリクシュ報告の一致性は、タイプライターのフォントの欠損が4文字も当時の同時期の文書と一致する、という時点で、捏造なら度を超えて精巧すぎます。むしろ、この欠損フォントで捏造が発覚すべきです。それを捏造でやろうとすると、当時ならば虫眼鏡必須です。今の時代なら、パソコンで画像拡大すれば簡単かもですが(というか、単に画像から同じフォントを使えばいい)、当時はそういうわけにはいきません。また仮に同一のタイプライターを探し当ててきたとしても、戦後ですから、同時期の文書とは2年も差があります。すると、その2年間にタイプライターの他のフォントまで劣化している可能性があります。あるいはその比較された他の文書資料も含めて偽造した、……などと言い出したら結局、ナチスから押収された文書は全て偽造とまで言いええしまい、暴論としか言えなくなるでしょう。何れにせよ、捏造が証明された文書など一枚たりとて存在しませんので、妄想という他はないでしょう。
youtubeに『ホロコースト論争』とタイトルされた動画が存在する。
内容は一話程度しか見ていないが、冷静なタッチで一見して事細かに一次史料的なものを上げて、疑わしいところがこれだけあるのがホロコーストの真相だ、のように作られている。
私は海外の否認論の狡猾さを知っていたので、日本でも同じことをする人がいるんだなと呆れた。
海外で有名なのはアメリカのカリフォルニア州オレンジ郡に本拠地を持つ、歴史見直し研究所だ。よくIHRと略記される。
IHRは明白なホロコースト否認派なのに、「歴史見直し主義者」と自称し、見かけ上は真面目な研究機関であることを装い、ジャーナル・オブ・ヒストリカル・レビューなる一見しただけでは真面目な歴史研究雑誌にしか見えない雑誌まで出している。
しかしIHRを創設したのは、極右からも問題視されるほどの超極右ウィリス・カートなる人物が作ったのである。但し内紛でこの人は去っている。
ともあれ、ネオナチとしてイメージされるようなスキンヘッドなど全くイメージさせない巧妙さなのである。
IHRは米国憲法修正第一条に守られて、ホロコースト否認論はアメリカでは存在を許されているわけだが、CODOHなる派生団体を作って多くの大学の新聞に広告まで載せた実績さえ持つ。議論を要望する組織なので、議論するくらいいいだろってわけだ。
しかし、デマに議論参加資格など許されていいはずがない。明白にホロコースト否認論はデマなのである。
ホロコースト否認論者たちは狡猾なまでによく出来た否認論ばかり垂れ流し喧伝を繰り返す。
ホロコースト否認論はその存在さえ認めてもらえたら、あとは支持者を増やせばいいだけなのだ。
多分、ホロコーストについて無知な人がその動画を見たら、「もしかしたらほんとにそうかも知れない」程度に思う人を含め容認する人が半数を超えるだろう。
それくらいよく出来ているのである。私は見ていて本気でゾッとした。
チャンネル登録者数は話題が話題だから比較的少ないとは言え、それでも数千人もいる。見ただけで登録しない人も含めたら、信じた人は万を超えるだろう。
とは言え、日本人にはホロコーストなどほぼ関係はない話だし、その背景にある反ユダヤ主義だって、日本ではそれを主張する意味もないから、放っておいても特に害はない。日本人極右の敵はあくまで韓国であり中国でありパヨクである。高須のような馬鹿は見学しておけば済む。
でも、ほんとにあっさり騙される人があまりに多いという事実には恐怖を感じざるを得ない。
歴史問題というのは、日本人に馴染みのある南京大虐殺ですらも、その史実的なことを知ろうとするとこれがなかなか厄介である。日本においてはすでに勢力は否定派の方が強いので、情報を得ようとしたら否定派の情報が入ってくるのは避けられないからである。その上、まともな情報を得ようとするならば、最低限度秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書)程度は読まねばならない。歴史問題の事実を把握しようとするのは、実際そこそこハードルが高いのである。
ホロコーストなどはもっと遥かに高い。日本人のほとんど大多数は、ホロコーストの全体像なんて全く知らないであろうし、「ヒムラー、ハイドリヒ」と言われても「はぁ?誰それ?」な人が大半だろう。
アウシュヴィッツと言われたらドイツにあると思っている人だって多いに違いない。
ガス室と言われたら「シャワーからガスが出てくるんだよね?」と思っている人だってたくさんいる筈だ。しかしそれは少なくともアウシュヴィッツのガス室ではない。
こんな無知な状態なのだから、日本人を騙すのが如何に容易いか、そこは容易に理解できるのではある。
しかも、自分で調べようとしても、日本語文献自体がほとんどない。
その動画はほんとかどうかはともかく、脚注みたく多くの文献を調べているという体裁をとっており、沢山の文献情報を載せているのだけどその全ては海外文献であり、調べようったって日本人ならほぼ無理だ(しかもテキストスクロールだからすぐ脚注は流れ去るので、あんなのそれっぽく見えるように飾りでしかないのである。動画主は明らかにそれをわかってやっている)。
さらに言えば、紹介されていることはほぼ何も間違っていないのである、表面的には。
例えばアウシュビッツ強制収容所で、囚人が結婚したという話が出てくる。
これ自体は実は有名な話(書籍にまでなっている)なので、事実なのである。
結婚した囚人はユダヤ人ではない。アウシュビッツにはユダヤ人だけではなく、それ以外の政治犯やら戦争捕虜なども大勢いたのだ。
しかもこの話は、大虐殺の本丸であるアウシュビッツⅡ(ビルケナウ)ではなく、そこから三キロ離れたところにあるアウシュビッツⅠの話である。
否認論はこれらの情報を見事に言わない。極端な話、奴らは嘘をつかずに嘘を付くのである。
例えれば「水道局の方から来ました」と水道局でない人がよくやる詐欺のようなものである。彼は何も間違ったことは言っていない。
そして否認論に染まってしまうと、こんな否定しようのない証拠資料ですらも認めなくなる。
https://note.com/ms2400/n/n61f6452e88f8
内容は海外サイトの翻訳が大半だが、ここまで検証しても否認論者は難癖をつけて絶対に認めようとしない。
ここまで完璧なほどに物理的に資料を捏造するのであれば、どうして内容に間違った部分のあるような証拠になっているのか辻褄が合わない。
ある捏造者はかつて「ヒトラーの日記」まで捏造しているのである。
ちょっと頭を使えば、如何に否認論が下らないか、わかりそうなものなのだが……。
つい最近起こった出来事ですらもよく知らないことがほとんどだろう。
例えばウイグル自治区でほんとにナチスドイツのやったような虐殺は行われているのだろうか?
遺体焼却用らしき『電気炉』の話をする、なんとか協会のウイグル人副理事をyoutube動画で見たけど、証拠は一切ない。話をよく聞いているとどうも噂レベルの話のようである。
私個人はウイグル人の弾圧はあっても、大量虐殺などはどうも胡散臭くて信じがたいと思っている。
そもそも中国共産党にウイグル人虐殺をする理由がない。とは言え、事実はまるでよく見えてこない。
最近の事象ですらこうなのだから、昔のことになればなおさらだと思う。
私でももちろん知らないことはいっぱいある。私などは不勉強すぎて、日本の戦時中の話ですらどうなっていたのかまるでよく知らない。
だから、はてな民のような平均的ネット民に比べれば多少はリテラシーのある人達でもホロコーストのことをよく知らないという事実は、過剰な期待をはてな民にしてはいけないという意味で、ある程度は致し方ないことだと思う。
記事の中にさえきっちり書いてあるのに、何が「ドイツ」なんだろうか?
id:haru-k 自国の辛い歴史を正面から見切るドイツに敬意。
id:kanose 『アウシュビッツ 死者たちの告白』の書き起こし。番組を見たけど、地中に埋められていたメモが発掘、しかし解読不能だったのが、やっと解読できて、内容がわかってきたというドイツの執念がすごかった
この人達が、アウシュヴィッツ(博物館)がドイツではなくポーランドにあるという事実を知らないのも恥ずかしい話だが、もっと恥ずかしいのはこの2つのブコメにスターがたくさん集まっていることである。
それを知らなくてもアウシュビッツ強制収容所がドイツにあると誤解しているのは珍しくもないので別にしょうがないとは思うけど、記事の中に書いてあるだろ、
とはっきりと、しかも冒頭近くに。研究してる人も下記の通りである。
「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチスは大量虐殺の目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部部長 ヴォイチェフ・プウォサ)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所・絶滅収容所は、アッパーシレジアと呼ばれるポーランドの南、スロバキアとの国境近くにある。行った人なら知ってるかと思うけど、結構遠くて辺鄙なところにある。
元々はポーランド軍の兵舎だったところで、1939年9月1日にナチスドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦で、要するにポーランド軍を追い出したのである。
そしてこのアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所がこれほどまでに有名になったのは、戦争期の後半にはビルケナウこそがユダヤ人虐殺絶滅政策の要になった収容所だからだ。
戦後すぐから冷戦末期まで、旧ソ連が適当な推計計算を行ったがために四百万人のユダヤ人が虐殺されたとされていた。ビルケナウの遺体焼却炉の火葬率を大幅に過大に評価したためである。ちなみに、冷戦時代からそれはあまりに多すぎると西側研究者は言っていた。だって、ユダヤ人移送記録からかけ離れているし、精度の高いユダヤ人人口計算から言ってもアウシュヴィッツだけが突出して多いために計算が合わなくなるからである。
しかしそれでも、百万人も工業的にユダヤ人を虐殺し得たのはビルケナウしかなかった。
アウシュヴィッツ以前は、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカ、ヘウムノといった絶滅専用収容所でユダヤ人工業虐殺をやっていたが、こっちの方は、もう一つある絶滅収容所の機能を持つマイダネク以外、全てナチスは破壊処分して証拠隠滅されて残っていないのである。なお、アウシュヴィッツ以外の絶滅専用収容所トータルでざっと二百万人のユダヤ人が虐殺されている。
何故か。極秘裏にユダヤ人虐殺をやったからである。またポーランドは鉄道網が発達していて、効率的なユダヤ人大量輸送を行うことが可能だったのである。
ナチス親衛隊は、ユダヤ人虐殺を徹底的に隠蔽し、「ガス室」や「処刑」といった言葉ですらも文書記録にほぼ残さずにやったのだ。
ナチス親衛隊のトップ、全国指導者であったヒムラーは、部下にヤバい言葉の訂正まで命じている。
あのユダヤ人問題最終解決を話し合った有名な身内以外いないヴァンゼー会議ですらも、処刑だの虐殺だのという言葉は使わずせいぜいが「適切な処置」だの「特別な処置」というような曖昧な言葉しか議事録には残さなかった。
殺される側のユダヤ人にしても「シャワー室に入れ」である。ガス室の周りには「消毒はあちらへ」などの騙すための看板まで掲げられていた。
こうした徹底的な隠蔽工作(つっても、完全な隠蔽は無理で、虐殺を明示的に示す文書はたくさん残っているが)は、戦後の否認論者に付け入るすきを与えてしまったのである。否認論者に取っちゃ証言など「信用できない」で一蹴できるので、どんなに膨大な証言記録があっても全部ウソにされるからね。
『否定と肯定』という映画を見た人も多いと思うが、あのデヴィッド・アーヴィングの背後に一体何人の歴史修正主義者・否認論者がいると思うだろうか? もちろん推測でしかないが、アーヴィングの応援者は何万人もいたに違いない。
アーヴィングの主張にしたところで、彼が否認に用いた主張のほとんど全ては、お仲間の否認論者のものばかりである。フォーリソンであったり、バッツであったり、ロイヒターであったり。
彼ら否認論者の主張は、知っている人にとっては噴飯ものでしかないのだけれど、無知な人を騙すことにかけては絶大な高価を発揮するとてつもなく狡猾な主張である。
例えば、マルコポーロ事件でおなじみの日本の代表的な否認論者である西岡昌紀が一番良く使う否認論を紹介しよう。
さて、これを言われてあなたはどう思うだろうか? 答えは敢えて言わないでおくが、この懐疑論に即座にきちんと答えられる人はきっと少ないに違いない。あるいは、こんなのはどうであろうか?
といちいち上げていったらほんとにきりがないほどの細かい否認論がある。これらもいちいち回答は言わない。問題は、無知な人はこうした否認論に容易に騙されかねないということであり、実際に大勢騙されているという現実である。
未だに、あのクソみたいな西岡論文を信じている奇特な人たちも存在するのである。
ちゃんと教えといてあげるわ、ユダヤ人人口は当時、ポーランドはドイツの大まかに言ってざっと十倍はいたんだよ。
追記:
ほんとに何も知らない人が多いなぁ。
id:deep_one ガス室の謎の一つに「チクロンBでは毒性が低すぎる」っていうのがあるのだが、ガスの種類は明記してあるのだろうか?別のガスを使ったんじゃないのか。一酸化炭素中毒の方が簡単って話もある。
まさかチクロンBの毒性を疑う?(普通の否認論者は毒性が強すぎるという疑問を言うのだが……)HCNって化学式なんだけど、知らないのかな? 「青酸」とも言われる猛毒だよ。当時は広くシラミ退治用に使ってたんだ。シラミは不衛生な上に当時大流行していたチフスを媒介してしまうからね。だけど、人の場合シラミより遥かに低濃度かつ短時間で殺害可能なんだよ。チクロンBっていうのは珪藻土に青酸を染み込ませてあるわけよ。これが空気に触れて26度以上になるとガスを放出する仕組みなんだ。ガス室に裸にした人間をぎゅうぎゅうつめに押し込めて、壁の上や天井からチクロンBの缶を開けて、その珪藻土の粒を部屋に落とすんだ。ぎゅうぎゅう詰めだから26度なんて超えてるしね。あっという間さ。阿鼻叫喚の中10分程度で死んだそうだ。
別の場所では一酸化炭素も使ってたよ。アインザッツグルッペンは現地でガス車を使ってたし、T4作戦でも使われた。ソビブルやヘウムノなどの絶滅収容所でも使われたよ。