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2017-11-26

日本の右翼は在日が多い理由

戦勝国メンバー確認してみよう。

 

朝鮮日本に対して「戦勝国」の立場に付いた。

アメリカ朝鮮現在韓国北朝鮮)>日本、という序列になっている。

まり日本韓国より下なんだよ?

 

戦後の動乱期に戦勝国朝鮮日本に対して賠償を求めたが、図々しいのでアメリカ様に大半の要求却下された。

朝鮮アメリカ様のおこぼれに預かって、わずかばかりの戦利品在日特権)を獲た。

日本において、在日朝鮮人には日本人にはない権利を持っている。同じ在日外国人朝鮮以外の国の外人)でも朝鮮在日特権はないから、在日朝鮮人けが優遇されていることが分かる。

でもね、アメリカ朝鮮日本に対して戦勝国から、これは仕方ないんだよ。

日本人としては、アメリカ朝鮮に不平等を解消してもらうようにお願いする立場しかない。

 

日本右翼には、なぜか在日が多い。必ずしも日本国益を代弁しているようには見えない部分があるのはなぜか?

アメリカ朝鮮日本序列で言えば、日本よりもアメリカに付いた方が利益が得られる場合は、アメリカ迎合するから

 

日本在日はたくさんいるから、友人の中には在日もいる。若い世代在日と話すと反日教育の影響はあまり感じない。(普通に話ができる)

戦後世代日本人は、今でも敗戦負の遺産を引き継いでいるが、根気強く交渉して平等立場を取り戻すように頑張って欲しい。

2017-10-26

日本の原爆開発

アインシュタインが「アメリカ原爆を開発しないと、ナチスが先に原爆を完成させてしまう」とアメリカ大統領に進言して、原爆開発が始められた。

アメリカ亡命したユダヤ人科学者をかき集めて、アメリカ原爆開発に一番乗りできた。

アメリカ原爆開発

マンハッタン計画 - Wikipedia

マンハッタン計画(Manhattan Project)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国原子爆弾開発に焦ったアメリカイギリスカナダ原子爆弾開発・製造のために、科学者技術者を総動員した計画である

計画成功し、原子爆弾製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験実施した。

さらに、広島に同年8月6日長崎8月9日に投下、合計数十万人が犠牲になり、また戦争後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。

日本原爆開発

日本原爆を開発していたけど、アメリカよりも遅かった。

 

日本原子爆弾開発 - Wikipedia

第二次世界大戦太平洋戦争)中、軍部には二つの原子爆弾開発計画存在していた。

大日本帝国陸軍の「ニ号研究」(仁科頭文字より)と大日本帝国海軍のF研究核分裂意味するFissionの頭文字より)である

日本原爆開発と比べて、アメリカ原爆開発は予算人員数が500倍ぐらい多かった。

日本アメリカよりも先に原爆を作れていたら、日本アメリカに勝ったが、現実は厳しい

 

ドイツ原子爆弾開発 - Wikipedia

アドルフ・ヒトラー総統を始め、ナチス・ドイツ指導者からは、研究ほとんど理解されず、教育科学から資金の援助もなかった。

ドイツ日本と同様、指導者科学音痴だったので、原爆開発に力を入れていなかった。

ドイツが本気を出していたら、当然アメリカよりも先に原爆を作れていた。)

 

ユダヤ人と比べると、ドイツ人日本人の頭が悪かったので、原爆を先に作ることができなかった。

ドイツ日本連合国に負けたのは当然の帰結と言えるだろう。

松谷誠の早期講和

日本軍部には、日本敗戦を察知して、被害を最小限に食い止めるべく奮闘した日本人もいた。

 

主戦か講和か: 帝国陸軍秘密終戦工作 (新潮選書) | 山本 智之 https://www.amazon.co.jp/dp/4106037319/

 

松谷誠 - Wikipedia

松谷 誠(まつたに せい、1903年明治36年1月13日 - 1998年平成10年10月7日)は、大日本帝国陸軍軍人陸上自衛官。最終階級は、陸軍大佐陸将

終戦工作

主戦派が主流の陸軍の中で、1943年3月陸軍参謀本部戦争指導課長となり、早期講和模索鈴木貫太郎首相秘書官であった1945年4月、「終戦処理案」をまとめ、ソ連の和平仲介による早期講和を主張した。

戦後構想

松谷は、戦中から戦後初期において自らの業務のために、官僚学者などの部外専門家を集めてブレーングループ(松谷グループ)を組織して、情勢判断対策案の作成を行っていた。1946年1月に松谷グループは、「戦後処理における調査研究」(中央/終戦処理/二四一)として、「建国綱領(案)」という文書作成していた。

昭和18年頃に講和していれば、日本満州国中国領土)を失うだけで損切りができていた。

完全敗北まで突き進んだ天皇および軍部は、判断を誤ったと言わざるを得ない。

歴史にifはないので仕方ないが、周りにイエスマンしかいないリーダーは、偏った情報しか得られないので、適切な判断材料が失われてしまう好例と言えよう。

 

日本人科学者ユダヤ人科学者よりも先に原爆を開発できなかった以上、松谷誠のような早期講和損切り)も必要だったのではないだろうか?

2017-10-09

アズレン雑感

人によってはなにを今さらという内容だろうけど。このゲーム第一印象は「理解力たけぇなおい」だった。

本家と言っていい艦これーー艦船擬人化はその前からあるけど、ゲーム的にーーのデザインをなぞりながらも、上手くアレンジしている、という感心だ。アメリカ航空母艦野球ピッチャー風だったり、旗のような飛行甲板だったり(これは戦艦少女のほうが先ぽいけど一度もやったことがないのでちょっと脇に置いておく。好きな人ごめんよ)、あるいはミリオタ的こだわりより見栄えのするデフォルメを優先したんだろうなぁというアレンジもある。正直ドイツ艦の艤装とかかなりツボだ。

日本アニメ漫画パロディネタがあちこち唐突に散りばめられているなど、良くも悪くも同人的な節操のなさは、人によっては面白く感じるだろう。

他にも、プレイヤー分身たる指揮官が、はっきり「年少の男」「少年」描写されているなど、間口を広く取るという点ではかえって壁になりそうなとこもさらっと飛び越えてくる。お前らそんなおねショタ好きか。

睦月如月デザインなんていろいろアウトである。なんだあれ。少年指揮官だけど画面の向こうの日本人ロリペド野郎ってか。その通りだよ!

モミミ・妖怪化も、まことしやかにお上配慮した結果」と語られているのを見るけど、理由はなんにせよ、こっち方面オタクなら「ミリ方面でケモミミ……あぁスト魔女か。空と海とはいえ被ってるかな」ってなると思うし(なるよね? ならない?)、艦船擬人化で一国家まるまるケモミミ・妖怪化という発想は、むしろ難易度が高いのではないか

なんというか、キャラクターデザインやその配置にも、文法とか文脈みたいのがあってある程度共有されているのだと思うけど、そこから外れたものを出されたとき、「異国感」みたいのを感じるわけで。しかしこのゲームでは、ガワは完璧日本二次元キャラしているせいで(むしろウケる画風という点では非常にハイレベル)、「なにこの、なに?」みたいになる。世界観キャラデザだけを見る限り、戦艦少女が越えていなかったラインをあっさり越えてきた、という印象だ。

原爆ネタなんて爆弾仕込みながらこれを堂々と日本で出してくるというのは、一種の強みではないかとすら思う。しかもメチャシコエロい林檎仕事しろ

さらなに言ってんだ、艦これが出てから何年経ってると思ってんだ、という話でもある。

これまで、海外オタクたちの「もう日本人じゃねーか!」という言動を楽しんできたし、絵描きのひとりとして、ピクシブなどで海外ユーザーの実力は毎日のように目にしている。同人ゲームフリーゲームあさりのなかで、向こうの人たちが作るモノのすごさも理解しているつもりだった。

が、どれも同人まりだったのだ。あるいはSteam戦艦少女鋼鉄ワルツ(これは戦車だけど)とかぐらいだったのだ。日本アプリストアでセールスランキング5位に入るものなんて初めて見たのだ。上記の大陸ゲーム艦これフォロワー的に人類共通の敵と戦う内容で知る人ぞ知るポジションだったのに対し、連合国側で日本艦船ボコゲームが大ブレイク。これは読めねえ。

艦これ最初プレイヤーのひとりでもあるけど(だいぶ放置してるので胸張って提督とは言いづらいが)、このゲームに対してはいまのとこ肯定的だ。

世界観や内容だって、そりゃ向こうで日本中心の艦船ゲームなんて出せないでしょと思えば、そして深海棲艦的な黒幕がいて、最終的には連合国枢軸国側が手を取り合って黒幕に挑む的流れになるんだろうなという予想を持てる限り、ある程度の納得もある。3-4掘りで飛龍ちゃんボコボコにしてると、ふと「……うん?」と我に帰る瞬間はあるものの、いつだって日本中心の世界観に浸っていたいというほどナショナリズムのなかで生きてはいない。

そもそも自国だろうが他国だろうが現実存在し数多の命が関わったもの美少女化して半裸にひん剥いてる時点で、あまり偉そうに言えたもんでもない。

……が。それでも言い表せないもやっとした印象もたしかにあると、言っておかなきゃいけない。

まだ言葉にできないのでこれには書かないけれど、このゲームに触れて、咀嚼しきれない何かが芽生えたとだけは記しておきたい。それがこのゲーム固有のものなのか、それとも違うのか、いまはそれすら判然としないけれど、いつかそれを言葉にできるまで考え続ける、という決意とともにここまでとする。

……しかしほんと赤城加賀おちないしメイド来ないしハマると沼なのはどこも変わんねーなちくしょう

2017-09-23

テレビ朝日 報道ステーション 「憲法学者に聞いた~安保法制に関するアンケート調査の最終結果」

1.砂川最高裁判所判決は、集団的自衛権の発生根拠とはなり得ない。この判決は、駐留米軍憲法9条2項に定める「戦力」に該当しないことを明らかに判決です。判決文に出てくる「国家固有の自衛権」は、個別的自衛権のみを指します。そもそもサンフランシスコ講和条約締結と同じ日に結ばれた旧日米安保条約では、「日本国は、本日連合国との平和条約署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権行使する有効手段をもたない」ことが前提となっています。そこで、日本安全をもっぱら米軍に頼るという占領政策継続が、日米間で合意されたのです。

2.平和安全法案は、戦争権限である日本国相手国が、開戦の通告(所謂宣戦布告)をした場合日本政府は、戦争状態に入ります。その場合日本政府は、どのような対応をとるのでしょうか。外務省天皇対外的国家元首として扱っていますが、戦時における天皇役割は、現行法上、不明確です。場合によっては、皇室に累が及ぶことがあります。この点についても、政府説明をすべきでしょう。

3.平和はあるものではなく、人知によって作るものです。「日本国には、戦争オプションはない」ということ憲法9条は示しています国際紛争は、一切、日本人の叡智でもって解決されなければならないというのが根本です。暴力によって解決された事柄は、暴力によって、また覆されます現代社会日本人仕事は、「平和が2世代も続けば、このような豊かな社会が実現するのだ」ということを世界の人々に伝えることだと思います

4.大学教師として。二度と学園から学徒を出陣させてはなりません。一憲法学徒として、教室から平和憲法改正問題を説き、人間幸福な条件を学生と共に学び続けたいと思います。それが、平和享受した私の世代の、若人と未来世代に対する責務だと思います

テレビ朝日 報道ステーション 「憲法学者に聞いた~安保法制に関するアンケート調査の最終結果」

東京経済大学現代法学部教授加藤一彦氏の見解

2017-09-03

卍卍卍ナチス批判がうざい卍卍卍

連合国虐殺しまくってるだろ。

旗全部禁止しろよ。

うざいかオリンピックまでに日本を卍だらけにしてやろうぜ。

おすすめwifiアクセスポイント名の変更だ。

卍卍HeilHitler卍卍(ヒトラー万歳)

卍卍HiroshimaMassacre卍卍(広島大虐殺)

卍卍RapeOfTokyo卍卍(東京レイプ事件)

卍卍卍RapeOfBerlin卍(ベルリンレイプ事件)

とかだ。

ユダヤ人への批判ではなくシツコイ奴への批判から個別人種への批判はしないように

()と中身はいらないからな。

目指せwifi卍100万件!

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812103222

因みに玉砕勘違いしてる奴がいるかもしれんが根性論だけではなくて

連合軍捕虜虐殺もあったからだ。

どうせ死ぬならって理論

何かトラバがあったから返信するけど

根性論がもたらした悪影響は否定してない

ただ虐殺が与えた影響も否定できないだろ?

当時の連合国虐殺しってんの?

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170624130725

いやー、とにかく批判オール悪口みたいに取り上げる奴は多いからね。

江戸時代かよ。と思うけど、確かに同調圧力ばかりで、それが強くなれば、偉い人が言うこと、その場の多数意見推し量って黙ってるってのが正解となりますな。

日本太平洋戦争空気突入したということで戦後連合国側びっくりしてたね。

ああ、そういう戦前みたいに空気自分の思うどおりになってくれる社会がいいんだエーンエーンみたいな、政治家側の甘ったれ日本会議だと思ってる。

まあ、こういう発言がでて、今の安倍のアリサマを看る限り、今の自民党はだいぶ「批判のない政治」をなんだろうねぇ、、、、。

2017-06-03

国連腹話術師にマスコミ国民揃って弱いの、本当に未だに「戦後」なんだなって感じる

連合国側に負けるってここまで深い楔となるんだな

2017-04-26

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2017-04-16

復讐なんて無意味

70数年前、アメリカ合衆国日本原子爆弾を投下したわけだが、

長い年月を経てようやく、朝鮮核ミサイルアメリカ本土へ届く日が近づいた。

連合国によって国家は分断されたとはいえ、かつて日本の一部であった朝鮮

アメリカへの報復攻撃果たしてくれることに期待したい。

2017-03-14

なんか車社会感じ悪いよね

振返れば、2000年代前半くらいまでは、高校生バイク禁止時代なので若者鉄道趣味サブカルなどで無軌道さを競い合った。高校大学卒業して社会人になればみんなにわかから本物の「オタク」になり、もっとあか抜けた。当時はいまのようなバイク乗りの高校生みたいなものもなかったと思う。

それがだんだん車社会適応するように強いられ、気づけば高校生バイクのりが許される環境ができあがり、それをすべて適応してしまう人が増えた。合理的理由も、自己選択余地もなく、2010年代になれば、持つ層になれば、年長者になればと環境変化に基づいて装備を切り替えていく。

もっと不気味なのは全体としての車社会人口が減少しているということ。車嫌いは以外にも地方の中高年のほうが多いし、事実30代以上の中には車嫌いの影響で鉄道好きになる者もある。で、若者免許車両取得者が増加しているのだ。今では大都会道路でも無軌道者でないのに若者バイクに乗る。

普通に考えて、車社会や車やバイク洪水ってあんまり楽しい社会ではないよね。外国人車社会限界を感じて鉄道社会にあこがれている。で、日本1980年代公害車社会化の失敗で車社会を一回捨てたはずだった。

それか戦争中の国家連想するんだよな。非常にうざったいイメージ鉄道ファンと言うだけで後ろから指差されて侮辱される。たまに鉄道ファンと言うだけで悪者扱いされるパターンもある。昔の韓国台湾ロシアがそうだったんだけど、正直言って不気味さがあるよね。

日本の「今更な」車社会化やっぱこれ、世界右傾化あるいは日本左傾化が原因じゃないかと思う。今の二代目大日本帝国としての日本の起点にあるGHQは、例えば差別や変わり者嫌いの激しかった連合国のお堅い人達が、植民地政策劣化コピー猿真似日本社会全否定して近代化を進めた歴史がある。なので本来なら非合理や不公正なこともまかり通った。

なので韓国的な非寛容社会社会構造の中で仕組化され、それが問題であることにさえ気づきづらくされてしまう。欧米において時代遅れだった前時代的な交通スタイルである車社会」が何十年も遅れて猛威を振るっている。つまり、つきつめると若造が皆免許取得に走り、日本人が車嫌いを差別する原因はGHQ統治での失敗にあるということではないか

GHQ統治の失敗に対する怒りの感情に基づく行動パターンと照らし合わせれば、暴走族と不良の直結(日本以外では有り得なかった事)やギャルキモヲタヤンキー化は腑に落ちる。そしてGHQ残滓が源流の社会戦後一貫して最右翼で今もその地位にあり、欧米化ぶれする日本人や、右翼になびく日本人批判さらされていることの象徴の一つが、文教利権をめぐる一連の問題だ。

その思想集団に推奨される「人民教育」とは、「常識に反発する」ことを徹底的に去勢するようなものだ。差別偏見奨励で車嫌いの居場所大都会ですら奪い、自己決定権を奪い続け、若いうちに使う使わない問わず免許を取り、欧米目線思想を呑み込ませたり、疑うことの醜さを洗脳されるもの

2017-01-20

うちの親がA級戦犯連合国一方的に裁かれただけだとか言い出したから、 ほんとうこの国ヤバメだね。

うちの親がA級戦犯連合国一方的に裁かれただけだとか言い出したから、

ほんとうこの国ヤバメだね。

しかも、今度安部さんがハワイに行って日本の起こした戦争正当性を示してきてくれるとか(ニュアンスは忘れた)言い出して、

まじで変な宗教数珠とか買わされてないか心配

2016-12-23

戦争死刑

人を殺すことは罪になるのか?

罪になる殺人と罪にならない殺人の違いは一体何なのか?

罪にならない殺人存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。

人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?

戦争死刑は、相似形になっている。

なぜ、アメリカ人日本人擁護したのか?

謎は深まるばかりである

ベン・ブルース・ブレイクニー - Wikipedia

ベン・ブルースブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国陸軍軍人法律家東京裁判においては、東郷茂徳梅津美治郎弁護人を務めた。

開廷早々の管轄権問題では、国際法戦争に関する法規があることから戦争犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。

特に、弁護側反証段階の冒頭で、アメリカ原子爆弾投下問題をとりあげたことは有名である

1946年5月14日には、

戦争犯罪ではない。

戦争法規があることが戦争合法性を示す証拠である

戦争の開始、通告、戦闘方法終結を決める法規戦争自体非合法なら全く無意味である

国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

歴史を振り返ってみても、戦争計画遂行法廷において犯罪として裁かれた例はない。

我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負承知している。

しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか

平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

国家行為である戦争個人責任を問うことは、法律的に誤りである

何故ならば、国際法国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。

個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである

戦争での殺人は罪にならない。

それは殺人罪ではない。

戦争合法的からである

まり合法的人殺しである殺人行為正当化である

たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島原爆を投下した者の名を挙げることができる。

投下を計画した参謀長の名も承知している。

その国の元首名前承知している。

彼らは、殺人罪意識していたか?してはいまい。

我々もそう思う。

それは彼らの戦闘行為正義で、敵の行為不正義だからではなく、戦争自体犯罪ではないかである

何の罪科でいかなる証拠戦争による殺人違法なのか。

原爆を投下した者がいる。

この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。

その者達が裁いているのだ。

彼らも殺人者ではないか

発言

1947年3月3日にも、イギリスソ連パリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。

そして、イギリスのアーサー・S・コミンズ・カー検察官が、

連合国がどんな武器使用しようと本審理にはなんらの関係もない」

と反駁したことに対し、日本はそれに対して報復する権利がある、と主張した。

更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉最後まで努力したことを立証しようとした。

また、米国議会真珠湾攻撃調査委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラット陸軍大佐証人に立たせてアメリカ電報傍受の事実を指摘した。

裁判判決段階でも、少数意見朗読要請する弁論を提出した。

そして、裁判終了後は、ファーネスとともに、豊田副武海軍大将に対する裁判の弁護にあたった。

2016-12-04

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

総統意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツ占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツ占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊パイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-11-12

クリントンが嫌われるわけと、「サヨク」が嫌われるわけ

エリート大衆の逆転

こんな記事を読んだ。「「トランプ支持者は理解できない」で終わり? メディアが見誤った彼らの感情」。都市に住むエリートインテリエスタブリッシュメント)は、マイノリティに目を向け、リベラルな主張をするが、一方で地方に住む大衆の素朴な感覚を顧みなかった。地方大衆は、そのようなリベラルに対する不信感を募らせていた。そして、今回の選挙で、それが選挙の結果を左右するに至った。都市エリートたちのリベラル立場からトランプ批判は、地方大衆から相手にされなかった。

もちろん、都市地方エリート大衆対立は、今に始まったことではない。なぜ今になって形勢が逆転したのか。言い換えれば、なぜ今までリベラルが優勢を保つことができたのか。その鍵になったのは、SNSだと思う。SNS以前のメディアとして、新聞雑誌テレビなどがあった。それらのいずれも、受信者限定されないが、発信者限定されている。したがって、エリート情報の発信を独占することができた。SNSは、発信者限定されない。つまり大衆は、今日になってエリートに対抗しうる情報の発信手段を得たわけである

リベラリズム空虚なわけ

大衆は、エリートの主張にこう答える。「リベラル言葉は、理想主義的で、現実問題解決してくれない」。もちろん、エリートの方も、自分の主張が問題解決にならないとわかってそのような主張をしているわけではないはずだ。なぜエリートの主張は大衆拒否されるのか。それは、エリートが共有するリベラリズム社会科学といった知識を、大衆は共有していないからだと思う。エリートが前提とする知識を共有しない以上、彼らにとってリベラルな主張が突飛なものに思われることに不自然はない。

日本の「サヨク」と「保守」について

そして、以上のことは、日本の「サヨク」と「保守」の関係にも妥当するように思う。「現代「保守」言説における救済の物語」という記事を読んだとき、説得的な分析だとは思いつつも、なぜ彼らがそこまで「左翼が嫌い」だと思うに至ったのかわからなかったが、アメリカで起こっているのと同様の現象が起こっているものと考えることで、一応の説明がつく。「サヨク」が嫌われているのは、人々を説得し、自分たちの考えを説明することをしてこなかったからだ(「「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」 津田大介さんが訴える政治運動の姿とは」)。もちろん、「保守」(の一部)の言うように、「サヨク」が意図して自分たちの都合のいいように情報コントロールしようとしてきたとは思わない。しかし、自分たちの主張が正当だと信じて疑わず、それゆえに徹底した説明をしてこなかったのは確かである。それが「普通の日本人」たちには、新聞テレビを独占するエリートであるサヨクの不誠実な姿勢として映り、反感を生んだとしても不自然ではない。

もちろん、日本の「保守」の主張とアメリカ地方大衆の主張は、特に天皇国旗国家のようなナショナルものに関わる論点軍事に関わる論点国家権力作用に関わる論点外国人に関わる論点においては、異なる。日本にあってアメリカにないものとして、天皇神聖不可侵とする政体のもとで、アジア進出し、連合国と戦い、敗れた経験があるからだ。

2016-06-28

日本的にいうとスコットランド北海道、じゃない。

イギリスEU離脱問題で、Twitterとかで「スコットランド日本でいえば北海道みたいなものからー」という人が意外に多くてびっくり。

スコットランド北海道地理的環境は似ているけど、歴史的に言えば全然違うよ。

強いていえば、東北地方だよ。特にアイヌ文化がそこそこ残っている東北北部

まあ、北海道こそアイヌ文化の本場だけどさ、スコットランド的な意味では歴史性が全然違うんだよ。

現代では東北会津地方以外は「維新史観」に洗脳されて、他の地方との歴史連続性を当然視する向きがあるけどね。

そんなわけで、イギリスの各行政区分「国(country)」を日本にあてはめると、

イングランド

東北を除く本州の大部分。ロンドン東京遷都されずに京都がそのまま首都になった感じ。

あと、カンタベリー大聖堂のあるイングランド南東部は、お遍路とか宗教的聖地という意味四国に近いかな。

でも、実はイングランド王室って、発祥フランスだったりするので、日本に無理やりあてはめると

中国大陸発祥一族日本征服したことになってしまうので、まるで騎馬民族征服王朝説ですね(笑)

ちなみに、イギリスフランス文化的関係は、日本中国関係結構似てます

ウェールズ

九州に近い。王太子が「ウェールズ公Prince of Wales)」と呼ばれるように、他の地域に比べてイングランドとの一体性が強い。

九州宮崎県)が皇室ルーツであるように、かの有名な「アーサー王伝説」もウェールズに縁が深い。

ウェールズ人は怒りっぽいというステロタイプがあるけど、熊本人が怒りっぽい(肥後もっこす)というのとちょっと似てる。

スコットランド

上で述べたように、東北地方に近い。中央政府イングランド)にずっと対抗してきた歴史があり、文化や(遺伝子レベルで見た)人種結構違う。

東北地方地名にはアイヌ語に由来するものが多い(気仙沼の「ヌマ」とか)けど、スコットランド独自の語彙が少なくない(ゲール語)。

じゃあ、同じケルト文化圏コーンウェールとかどうなんだと突っ込まれそうだけど、強いていえば北陸東北日本海側あたりですかね?

北アイルランド

この地域こそ北海道に近い。でも、本当は朝鮮併合後日本から独立しなかった朝鮮半島、というイメージが最も似ている。

カトリックを中心とした民族運動についていけなかったプロテスタント系の住民が多く、アイルランド共和国から分離したので、

無理やりイメージすれば、今の北朝鮮にあたる地域平壌新義州あたり)だけが日本から独立しなかったという感じ。

ほら、こう書くだけでどうしてテロを伴う激しい独立運動が起きたか簡単理解できるでしょう? 最近はまったく平和ですが。

ついでに言うと、マン島とか王室保護領は、独自文化圏という意味沖縄および八重山諸島っぽい感じですかね。


<追記>

この前バラエティ番組で "United Kingdom" を「連合国」って訳したフリップを使っていたけど、

United Kingdom は「国連United Nations)」とは違って、United が形容している名詞単数形から

「(複数の)王国群の連合」ではなくて、「(複数王国が)統合された単一王国」が正しいのね。

実は「連合王国」という公式訳はちょっと誤訳気味だというのは業界(何の業界だw)では有名な話。

イギリスイングランド王室が各王国王位兼業することで、形式的に各王国の形を残しながらも

事実上統一国家になった王国なんですね。

から複数王国連合ではなくて、複数王国統合された単一王国理解するべきなんです。

2015-11-19

連合国による誤爆空爆テロではない

なぜならこれは「戦争」だからだ。アメリカフランスも、この戦いを「戦争だ」と言っている。

イスラム教国側も「これはジハード聖戦)だ」と言って攻撃している。

まり完全な「戦争」だ。

どこかの国の、なんちゃって報道番組バラエティー番組)が「誤爆犠牲者から見れば、有志連合空爆テロだ」といってるらしいが、戦争から、これ。

あと、どこかの新聞の「誤報」については、その「誤報」による被害者日本国及び日本人全員)から見たらっていう視点なんか、持ってるわけないか。誤報による被害キレイ被害ですかね。

2015-11-17

テロで知るさまざまなモノの金額

フランス同時多発テロテロリストが使ったAK47あたりは、ルートにもよるけども10万円しません。

車両調達代や装備品、腰に巻いた爆弾などぜんぶ含めてもせいぜい500万かそこら(犯人他の実働部隊への報酬含まず)。

対して米軍がジハーディ・ジョン一名に、無人機よりぶっ放した対戦車ホーミングミサイルは、安くても一発20ドル日本円で2400万円です。

無人機仕様の専用品ならばその2~3倍くらいはみてもいいかもしれません。

経済的に考えれば、有志連合国側の完敗です。

加えてマスメディアを利用した宣伝効果も、ジハーディン・ジョンの殺害の三日を待たずに被せ、なおかつより身近な場所でみんなが使い方と効果理解できてる小銃爆弾目的を遂げたテロリストのほうが一枚上手だったというべきでしょう。

丸々二日全世界テレビ占領した報道も、宣伝費用いくら分に相当するのかわかりませんが、とにかく費用対効果は抜群というほかない。

まるでリュックベンソン映画ニキータの冒頭から15分をみているかのようです。

そもそもテロリズム本来目的は、社会を恐怖に陥れることで治安悪化経済活動の鈍化を狙うことであり、戦争に勝利することではない。

その点を考えれば、今回の仏同時多発テロは完全な成功を納めたと言っても過言ではありません。

アニメ最近ラノベSFでは、統合経済圏国家権力のものを担う近未来常識の今、作戦遂行のものにかかる費用対効果考慮しない方針を掲げて国家運営を担う組織は将来性がないと言われてしかるべき...ではないでしょうか。

2015-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20151103112555

日本孤立したらどこから石油を買うの?敗戦日本連合国土下座して靴舐めてちんちん晒し石油を売ってもらえるようになったんだよ

2015-09-27

政策倫理的考える人について

↓の為末大さんなる人に関するまとめ見てて思ったのだが、

http://togetter.com/li/879046

世の中には、政策の是非を判断する時に、倫理を主軸に置いてしまっているが結構いるのだろうと思う。

「その政策有効無意味か。リスクはどうか」という観点ではなく、

「その政策倫理的に正しいか間違っているか」という観点判断してしまっているのだ、

と考えると、上記の記事で末為氏に噛みついている彼らの言動の多くが理解できてくる。


自分見解論理的に正しい」ではなく「自分見解倫理的に正しい」と考えているから、

反対意見に相対した時、

「相手の論理瑕疵がある」と考えず、「相手の倫理感がおかしい(相手は人格的に卑である)」という方向で物を考えてしまうのだ。

そりゃ、安倍サタンだと言い出す人も出てくれば、

「負けだ」という人に噛みつきもするだろう。

妥協余地も無いに決まっている。

だって、彼らは正義のために悪と戦ってるつもりなんだから

悪への敗北も妥協も許されないだろう。



これは何も左翼に限ったところでもない。

はいわゆるネトウヨと呼ばれる類の人間だが、

第二次大戦時の日本の是非については、ネトウヨ仲間同士で対立がある部分ではある。

俺はナチス日本も相当酷い事をやってたと判断してるし、その動機アジア解放何かじゃなくて国益軍部組織論理が主だっただろうとは考えているが、

一方連合国側も捕虜虐殺したり民間人虐殺したりその後植民地を奪い返そうとしたりしてる分、

正義と悪の戦いなどではなく、ごく普通の国益と国益がぶつかった戦争に過ぎなかったと考えているが、

どうにもこの考え方が許せない人たちもいるわけだ。

彼らは政策倫理的に正しいか間違っているかで考えてしまうので、

俺が「いや、日本は相当酷い事やってるだろう」とか書こうものなら、「証拠を出せ」の方向で戦闘モードに入ってしまう人が続出して、

政策決定プロセスのどこに瑕疵があったのかとか、誰のどこに計算違いがあったのかとか、その反省を踏まえて日本政府の仕組みのどこをどう変えるべきなのかとか、

そういった俺から見たら建設的な方向に議論がすすまないのだ。


俺のようなネトウヨは、いわゆる左翼人間を、

利害対立している勢力(主に中韓)の言う事を素直に真に受けてる馬鹿

または

他国の歓心を買う事が平和への道だと思っている脳みそ花畑野郎

だと考えているが、道徳的に劣る人間だとは考えていない。

要するに、「頭が悪い」の方向で相手をバッシングしているのだ。

およそ政策を論じる時に、主義主張が異なる人と議論する時には、

「どちらが道徳的に間違っているか

ではなく

「どちらの政策がより現実に即しているか

で考えるべきだと考える。

そうでなければ、為末氏の言う「変わるつもりのない相手とは話しても無駄」という状態になってしまう。

そういう点で、為末氏の言う事にも一抹の誤りがあると俺は思う。

彼らは「ベストの選択にこだわる」から妥協しないのではない。

相手が悪の手先に見えているから、妥協できないのだろう。


相手に「悪」レッテルを貼った瞬間から妥協議論もできなくなる。

それではだめなのだ

あんたを非難している相手は、馬鹿かもしれないが悪ではない。

そう考える事はできないだろうか。

政策について議論する時は、「悪」封印するべき禁句なのではないだろうか。

「お前は馬鹿だ」は言っても良いが、「お前は悪だ」は言ってはならないのだ。


俺達が世界を牛耳る組織の大幹部だとでもいうならいざ知らず、

俺達は小市民であり一国民に過ぎないので、政策の結果は右も左も関係なく平等に受け取ることになる。

政策がどっちに振れようが、右翼左翼で受け取る結果に大した違いは無い。

悪も善もあったものではない。

「お前は馬鹿だ」の方向で議論してほしいと思う。

2015-09-23

Splatoonを通じて戦争で勝利しよう

安保法案も可決されたので、いつ戦地に赴いても活躍できるようにエイム力を鍛え、キル数を稼ぐ立ち回りを意識する。

デスしたら戦死無限に湧き出る敵国兵を前に精神を消耗してもなお冷静になれる兵でなくてはならない。

我が日本国は数々の戦争で勝利してきた。第二次世界大戦で敗北したからといって、トータルでは勝ち越している優秀な国である

今の国際情勢は連合国びいきの腐った体制であるからして、これを打破することは関係各国の宿願であり、必定のものとしなければならない。

さしあたってラグビーW杯で競合をジャイアントキリングすることで国威発揚に大きく貢献した。我が国ラグビーにおいても最強である

当然、スプラトゥーンでも最強でなければならない。さしずめこれは第三次世界大戦である。我らのインクは彼奴らの血。塗り上げられたそれは戦場の傷跡。

2015-08-12

第二次世界大戦におけるソ連所業

おもしろtogetterまとめがはてブにあがっていた。

http://togetter.com/li/859344

ふむ。まあ対日については言いたいように言わせておけばいいと思う。我々の祖先はかつて枢軸国として世界大戦引き起こしたのはまぎれもない事実だし、ソ連宣戦布告をしないままに攻め込んできたなど極めてどうでもいい。パールハーバーの方が100倍酷い。

 

だがしかしヨーロッパ戦線においてソ連があの当時何をしたのか、それだけはみんな正確に知っておいてもらいたいので増田に書く事にした。

ポーランド人はいまだにロシアを恨んでいる

第二次世界大戦において最も甚大な被害を受けた国の一つがポーランドだ。

まり近現代史に興味が無い人はよくソ連がWW2当初より連合国側だったと誤解してるが誤りだ。アメリカイギリスフランスのようにナチス毅然と立ち向かった「純・連合国」と比べるとソ連の狡猾さ、言い換えれば卑怯さが際立つ。

 

ポーランド世界大戦勃発直後にソ連ドイツ分割占領され、その一年後には有名なカティンの森事件が起こる。ソ連ポーランド兵士将校を1万人も虐殺して埋めた悪名高い事件である。WW2で各国がやらかした「残虐さ」でいえばドイツが独走で1位確定であり、2位は原爆落したアメリカ(落したこと自体批判する意図は無い。ただ残虐さは否定できまい)、3位はソ連じゃねーかって俺は思ってる。「悪い順」ならナチスドイツ日本のワンツーでもいいし我が国侵略正当化するつもは一切無いが、しかし残虐さで言えばこいつらがトップ3である。それは譲れない。捕虜1万人も殺して埋めるとか旧日本軍も真っ青ですわ。南京?ねーよ。寝言は寝て言え。

 

ようするにWW2初期はドイツソ連はタッグを組んで欧州荒らしていたわけ。何が戦勝国側だよって話。ただ、すぐに仲違いしてソ連もvsドイツを宣告する。

 

で、その後ソ連ポーランドに対して決定的に非道いことをやらかす。

ワルシャワ蜂起だ。

 

1944年夏にソ連ドイツが治めるワルシャワ(ポーランド首都)へと侵攻する。そしてワルシャワ市民レジスタンス(ドイツに反抗していたポーランド亡命政府を支持する市民ゲリラみたいなもの)へ向けて、ナチスドイツへの反抗を促したのだ。「我々が外から攻めるから君達は中から攻めろ」とね。それを信じたワルシャワ市民は全力を挙げて蜂起する。

 

しかソ連ドイツの反撃を食らってあっさりと侵攻を諦めた挙げ句自分達はもうワルシャワに攻めこまないという情報すらも中のポーランドレジスタンス側に伝えなかった。装備で圧倒的に劣る市民兵士落ち目であったとはいナチス正規軍単独太刀打ちできるはずもなく、ワルシャワ都市ごと完全に崩壊。実に20万人もの市民が装備の整ったナチスドイツ虐殺され、炎で真っ赤に染まるワルシャワの空ををソ連赤軍ワルシャワ郊外傍観していたという。ひでえ。

 

その後、ナチスドイツイギリス等の連合国側に押され瓦解したタイミングを見計らって、ソ連赤軍はがら空きのワルシャワに侵攻し無血占拠。火事場泥棒挙げ句ポーランドレジスタンスを静粛し、当時イギリス亡命していたポーランド亡命政府無視し、ソ連の息のかかった傀儡政権を立ち上げる始末。ひでえ。

 

ポーランド国民ソ連への悪感情をよそ目にまんまと東ヨーロッパ陣営に引き入れる事に成功したのだ。

 

何なのこの鬼畜っぷり。ひどいでしょ?終わってるでしょ?あんだけポーランドにひどいことしておいて、戦後子分にするなんて凄過ぎますわ。

 

WW2を学ぼうとすると、どうしても日本当事者だし、さら極悪非道代名詞ナチスに目がいきがちだけど、ソ連も相当糞なんです。こんだけひどい立ち回りしておきながら、戦後戦勝国としてアメリカとため張るぐらいの大国として君臨したソ連ある意味凄い。感心する。

 

そしてそんなソ連を頑張って何十年も押さえ込んできたアメリカはやっぱり偉い。

アメリカ地球警察を気取っていなかったら、今頃世界地図全然違ってたはず。

からみんなもっと感謝の意をこめてお盆マックハンバーガー食べよう。

2015-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20150810155048

対象戦場の話をしているのに何を言うとるのか。

連合国に囲まれベルリン戦車vs戦車なんてそんな無かったやろが。

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