はてなキーワード: 天辺とは
お笑いが好きだ。
昔から好きだったが、今年に入りライブで好きな芸人がコンビトリオピンと何組かできて、劇場に足を運ぶ機会が急激に増えた。ネタを見るだけでなく、YouTubeを見たり、インスタライブを見たり、ラジオを聞いたり、ネタなしのトークライブに行ったりと色々なコンテンツに触れるようになった。
そうして様々な芸人を見ていく中で、ある一つの問題に気が付いた。
・頭の天辺から毛先までグリングリンかつくるんくるんの強カール
・今時マダムですらこんなに強いのはかけないだろと思うレベルのチリチリで細かいソバージュ
これに加えて、後ろをメチャクチャに刈り上げるか、一定期間髪を伸ばしつづけてベートーベンや偏屈な文豪みたいな外見になるケースが多い。
強調したいのは、決してインスタでフォロワーが何万人もいる美容師がかけるようなオシャレパーマではないということである。芸人は、どこで流行っているのかわからないパーマを、何の前触れもなくある日突然かけるのである。
そしてそういうパーマが似合う芸人であれば別に何の問題もないのだが、ここで問題なのはそういった強パーマがまるで似合わない芸人がかけているということである。XX年生きていて自分に似合う
/似合わない髪型もわからないのか?と正直思ってしまう。※何かしら戦略があってわざとかけている場合は除く
とにかくネタが入ってこない。これに尽きる。
集中してネタを見たくても、「そんなことより何あの髪型?」という余計な考えに遮られてしまうのである。
38マイクを挟んで立ちネタをする。その時客である自分は何処を見るか?マイクから離れてネタをやる芸人もいるのは置いておいて、基本的には腰より上を見る。
その時、以前はかけていなかったとんでもないパーマをかけた姿を見ると、なまじパーマをかけていなかった頃のビジュアルでネタを見たことがあるせいで、当時はクリアな思考で見ることのできたネタにいらんノイズが入ってくるのだ。ネタの情報を処理する上で支障しか起きないのである。
こういうことを言うと「結局顔ファンってことじゃん」等と言われそうだが、生粋の顔ファンは髪型なんてどうなろうが気にしていない。顔ファンは「顔」以外の情報を自動的に切り捨てて一切見ていないからだ。ネタを見ているからこそ気になってしまうのが問題である。
(少し話がずれるが、そもそも顔ファンの何が悪いんだと思う。好きになる・応援するきっかけは多ければ多いほどいいと考えている。
ことお笑いジャンルは顔ファンが忌避される傾向にあるが、人前に出る職業を選択した時点で顔ファンがつくことは諦めるべきではないだろうか。どうしても顔ファンがついてほしくないなら、黒子姿でネタをすればいい。どうせ「○○ 素顔」って検索されるけど。
たまに芸人側も顔ファンを減らしたいのか、わざと奔放な女性関係の話をするときがあるが、あれは顔ファンが減るというかただただ好感度が下がるだけなので即刻止めた方がいい。)
話がずれすぎたので元に戻します。
散々文句を言ったが別に本人の好きにすればいいと思う。罰ゲームでかけたのではなく、本人が明確にある戦略を持ってかけたり単純に好きだからかけたりしたのであれば、こんな一ファンの意見など無視して好きなだけかければいい。「好きな色のリップを塗りなさい」というやつである。
それにこの問題は、自分が元々アイドルや俳優といった特にビジュアルが重視されるジャンルを見てきたからここまで気にしてしまうという要因もある。あと、そもそもありえないパーマでも好きだというファンの意見もある。
だから、自分のようなオタクがパーマ如きでキーキー喚いたところで「なんか言ってらあ」と思ってスルーしてほしい。まあそういう人もいるよね、ぐらいで流してくれればいい。
というかそんな一意見で左右されるなら最初からかけんなや……としかこっちは思わない。
A.最初から変だからそういうものだと受け入れているだけです。
Q.髪型を変かどうか思うかなんてハマったタイミングによるだろ
A.そんなのわかった上で言ってます。
A.坊主は失敗しようがないから別にいい。激太りor激痩せは心配が勝るのでノイズにはならない。
以上です。ご清聴ありがとうございました。
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
強烈な他人の才能に相対すると、畏怖の念を抱くのはもちろんだけど、自分の実力のなさにも衝撃を受ける
ごめん大仰に言いすぎた。俺の実力なんてのははなからカス程度だろうとの見積もりがあるので、自分の実力の無さにはそれほど衝撃は受けていませんでした。
でも本当にすごい人というのはこの世に存在するものでして、その衝撃たるや、同じ時期のこの日本に生まれ、彼の生み出す卓越したコンテンツを日本語で摂取することができて、私はこのコンテンツに触れるために生まれてきたんだなぁという、心の奥深く腹の底の底までを充填する納得かんに沈んでいるわけです。
なんかすごいものに相対するとなんかすごい以外の何も感想が出てこないってのが問題で、私の知能が元々低いので、なんかすごいみたいなとても交渉で語彙力の高い洗練された感情表現しか出てこないってのもあるけど、なんかすごいものを見たら、なんかすごい以外の感想はやっぱり出ないんだなーと思いました。
アニメ化もされて割と有名な作品だけど、それにしても社会一般での評価は良作止まりなんだよなぁ
俺からしてみたら今世紀最大の傑作って言っても過言じゃないくらいすごい作品なんだけど、ファッション感覚で消費されているような感じはちょっと寂しいです
までも、社会一般に浸透することなくエタってしまった作品に比べりゃ超弩級タイトルでもあるし、まあいいか
俺がこの作品のヤバさを頭の天辺から我慢汁の先までよーく味わって、理解できてるだけでいいという意見もありますよ?
あと好きすぎて多分この作品にことを他人と語ることしんどい感じもする
好きすぎて誰と喋ってもお前如きがこの作品の感想を語るんじゃねーよ!みたいなめんどくさいDV彼氏みたいな境遇に陥ってしまっている感覚もあります。
どうでもいいこととかは話題にできるけど、自分が極めて心身を研ぎ澄まして相対している概念とかを語るって、すげー難しいんだなというめんどくさい世の中は多分どうにもならないのでしょう
とにかくすげー作品がこの世にはあって、作者の脳みそを見てみたい気もするし、いくら作品が好きだからと言ってもそこまでやるような変態であってはほしくないと言った家族の声が散見されます。
無能な努力と、普通の努力の違いが分かってない奴が多すぎるんだろうな。
漫然と同じことを繰り返して時間を過ごしてるのは、努力とは言わない、努力した気になってるだけ。
大なり小なりの結果をだして、自分なりに設定した目標を達成できる人は、
という事を繰り返している。
今日は何を昨日の自分よりも積み上げるのかと成長を意識しながら仕事したり練習したりしてる人と
例えそれがゲームであっても、何を上達したいか?と意識してるプレイヤーと、ただ遊んでるプレイヤーでは
それでもね、金メダルが獲りたいとか、チャンピオンになりたいとか、フィールズ賞が獲りたいとか、頂点に立つ夢があったり
プロアスリートになりたいとか、ミュージシャンとしてメジャーデビューしたいとか、日本代表選手になりたいとか、限られた枠を狙ってるのならば、
少数以外の全員が敗北者になる。
どんなに日々の成長を積み上げても、上位0.1%に入れても、誰か一人にでも伸び幅が劣るなら世界一にはなれないし届かない。
でも、そんな大それた夢があるわけでもない普通の人が、努力したのに才能がないからなんてのは99%が嘘だ。
東大は無理でも、早慶程度なら才能がなくたって、高校3年間日々適切に勉強すれば誰だって合格する
億万長者は無理でも、年収1000万のITエンジニア程度なら、才能なんてなくても10年間、日々適切にキャリアを作れば誰だってなれる
ノーベル賞は取れなくても、適切に研究すれば博士号なら誰だって取れる
世界チャンピオンになれない世界ランカーは世間では無名だし、経済的にも最高には報われないけれど、それでも十分に努力は実っているのを実感してるだろう。
今回は、池江さんに勝てなかったアスリートも、やれることをやって、これまでの人生の他の大会では勝つ喜びを味わって来ているだろう。
仮にノーベル賞が貰えなくても、研究成果が人の役に立てば、あるいは学会誌に採択されれば、それだけで嬉しさを味わえる。
努力すれば本当に欲しかった結果に届くとは言えない、だけど努力しなければ最高の結果に届くことも絶対にない、全く報われない努力もない、そう言うはず。
1000万円を稼ぐために考えて努力したけれど、届かなかったとしても、「この知識(技術、経験)があれば1000万」と定めて手に入れたものは身を助ける力になってるはずで
それを無駄だったという人は、よほどの成果至上主義以外はいないだろう。
無駄でしかない、考えてない時間を漫然と過ごした人間だけが、努力は必ずしも報われない、といって諦める。
考えてない時間の垂れ流しなんて努力ではないし、報われることなんて殆どないだろう。それこそ、それで天辺が獲れたなら天与の才能があると認めたいくらいだ。
自分が出来る小さな目標を毎日達成する努力すら出来ない無能を、天与の才能のなさに置き換えるのは、世界一になろうとして届かない様な、本当に報われにくい戦いを挑んでる人への侮辱だよ。
せっかく天辺まわる前に寝付いたというのに眉間が痒くて目が醒めた。布団を敷いている時に羽音がしたので分かってはいたが、カがいる。
腹立たしくも目が醒めた。起こされたことに、そしてプロ意識のなさに腹が立つ。お前もプロのカなら羽音も出さずに忍び寄り、痒みもなく刺せ。昼頃にようやっと気づくくらいの芸当を見せてみろってんだ。
少し水を飲み、落ち着いているとまたも羽音が聞こえる。壁に小さい黒い点を見つけ、深夜にも関わらず全力で叩く。しかし、渾身の平手は虚しくヤニくさい壁を叩くのみ。また止まった、今度は渾身の左ジャブを叩き込む、が、サンドバッグにするには硬すぎるタンスが左右に揺れただけだった。
俺はもう完全に居直り、布団から抜けてゲームを始め、生活習慣をぶっ壊すことにした。
死体撃ちと屈伸をされるのにも飽きた頃、再び布団に入った。耳障りな羽音が聞こえてきたので左耳を叩いた。布団のあたりに気持ち悪い造形のカが落ちていた。
なんと虚しい結末だろう。あんなに全力を尽くして捉えようとしたカは、無造作で無作法な仕草で戦いは終わってしまった。私は力を求めすぎていたのだ。カなんぞを仕留めるのに力など無用で、肩の力を抜き、風の流れを読み、払うような平手を打てばよかっただけなのだ。
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
※フェイクあり。
これは自カプオンリーへの参加を断念した腐女子の嘆きの日記です。
私はアニメや漫画、小説などの二次創作をすること、読むことを楽しむオタクの中で、BL妄想が大好きな人種です。
それもライト層ではなく、本を出したり買ったりする、首どころか頭の天辺までどっぷり同人沼に沈んだ人間です。
※公式に金を落とせというご指摘もおありでしょうが、何か出たら喜んで買ってます。今回は金銭の授受を伴う二次創作の是非は脇に置かせてください。
そういう人種にとって、同人誌即売会は特別なイベントです。同じものを好きな人と本を売り買いし、お喋りできる場だからです。
そんな特別で非日常のイベントの中でも、更にちょっと特別なのが、カップリングオンリーだと思います。
普段のオールジャンルやジャンルオンリーでは、逆や攻め違いのサークルさんも近くにいます。相手にとっても私は逆や攻め違いです。敵ではありませんが、同ジャンルであっても、やっぱり少し違う相手です。
ですがカップリングオンリーなら、同じカップリングが好きな人ばかりで島が作られます。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、お仲間しかいません。天国です。
買いに来る人も自カプを好きな人ばかりです。楽園はここにあった。
7月12日に開催された七夕FES.はそんなカププチオンリーの集まりですが、普段と少し違うことがあります。
それは全てのオンリーが、サークルの投票によって決まったものだという点です。
詳しくは割愛しますが、同人文化を応援しようという目的で、新刊を印刷したり、既刊を再版したりすると、印刷所から「新刊カード」というものが配布される、というキャンペーンがあります。
カードはいくつか活用用途がありましたが、このオンリーもその企画の一つです。
「新刊カード」を投票券に交換して、イベント会場ないし郵送(制限あり)で投票する形式で行なわれました。
このお知らせに、界隈は色めき立ちました。
オンリーはオールジャンルのイベントとは少し違う雰囲気があります。
過去に活動していた移動済みの人や、参入を迷っている人、普段はオン専の人が、オンリーがあるなら、と参加を決めることがあるからです。しかもカププチ。つまり自カプの本がずらりと並ぶ。
これは勝ち取らねばならない。そんな空気になりました。
それでも、新刊や再録本を出したり、再版をかけたり、別ジャンルの友人に譲って貰ったりして、どうにかこうにかカプオンリー開催決定までこぎ着けました。昨年の冬のことです。
この時点では、私を含めて多くのサークルが、この七夕FES.に参加するつもりだったはずです。
しかしその後、状況は一変しました。世界を襲った新型コロナウィルスによる影響です。
春以降、多くの同人イベントが延期・中止を余儀なくされました。
もちろんその他のコンサートや各種イベントやスポーツ等の大会も同様で、飲食店やアミューズメントその他、各方面に甚大な経済的被害が出ました。
夏には収まっていないかという希望的観測も虚しく、現在も新規感染者は増え続けています。
その状況下で、政府から出ていたイベントの開催の制限が緩和されたのが、この七夕FES.の直前でした。
屋内なら最大5000人以下もしくは収容人数の50%以下の、数字の小さい方までなら、感染症対策を取れば、開催して構いません、ということになりました。
私は当然のように、コロナが騒がれはじめるより前にサークル参加を申し込んでいました。
友人たちも同様です。投票を呼びかけた立場上、退くに退けない、という友人もいました。
規制が緩和されるとはいえ、この状況で開催されるのか? 本当に?
仮に開催されたとして参加できるか?
私が行けたとして、友人や買い物に来てくれる人はどうか?
悩んでいる間に月日は過ぎていきました。
主催から感染拡大防止のガイドラインの類いが出たのは、サークル参加申し込み締め切り翌日の6月6日の夕方でした。
そこには、高齢者や基礎疾患持ちの人と、その同居者は来場の自粛を検討してください、という旨のことが書いてありました。あくまで自粛のお願いで、なんら強要するものではありません、というようなことも書いてありました。
今確認できるものは少し内容が変わっています。私も記憶で書いているので不正確でしたら申し訳ございません。ただ、内容的にはおそらく大きな違いはないと思います。
こちらも大人ですから、当然リスクを考慮して判断をします。ですが、腑に落ちない思いがありました。
もともとオンリーは、オールジャンルのイベントと比較すると集客が少ないです。
更に7月は閑散期です。だからこそ、このタイミングにカププチを設定したんだと思います。
これはつまり、人の少ない7月に、試しにイベントを開催してみて、その後の8月の東京大阪のイベントへの対策を考えようとしているのではないかと、そう感じました。
↓の一覧を見ればわかる通り、このカププチが初カプオンリーというカップリングが多くあります。
https://www.akaboo.jp/event/item/ca039.html
処女厨みたいでなんですが、初の自カプオンリー、しかも自分たちの手で勝ち取った自カプオンリーを、とても粗雑に扱われていると感じました。
ここに掛かっているのは端的に言うとお金で、もっと言えば愛情です。情熱です。執念と熱意です。
それらは同人活動の根本的なものでもあると、私は思います。それをないがしろにされていると感じました。
東京都知事から、都民に対し、他県への移動を遠慮するようにとの要請が出されたのが、7月4日でした。
検査対象を増やしたことと、自粛の解除の影響か、東京の新型コロナウィルス感染者が拡大していたので、無理もないこととは思います。
あと1週間で、関東から大阪に、イベント参加できる状況になるだろうか?
友人たちと相談し、どう考えても遠征での参加は難しいこと、3日から一般参加者用の入場チケットが販売開始されているので、出欠の告知は早い方がいいことを確認し合い、このタイミングで欠席のお知らせをしました。
9日、主催から開催直前のサークル参加者宛のメールが届きました。
来夏に12日のカプオンリーの再開催を企画していますとのことでした。
まるで「来年またやるから、今年は諦めろ」と言われている気分でした。
私達が投票したカププチは、今回の無番のこのカププチなのに。
一年後にはジャンル移動している人だっていて、今と同じ情熱の本が出るか分からないのに。
それに、再開催ということは、今回参加者(欠席者含む)もまた申し込みをしなければなりません。
サークル参加費用はそこまで高額でもありませんが、無にするには惜しいお金です。
来夏に、はたして参加できる情勢になっているのかも分かりません。
ここまでの状況で、私はもう、無邪気に喜ぶ気力もなくなっていました。
春に移動した今年の夏コミは中止でしたが、当選サークルは一部分しかサークル参加費が戻ってきていません。それと比べれば、開催された以上は返金がないのは諦めるしかない。
特に私は、主催の自粛要請の対象でも、移動の自粛要請の対象でもありませんでしたから、自分の判断での欠席なのは事実です。
でも、次また開催されるか分からない、行けるか分からない、人が来ないかもしれないイベントに申し込むのは冒険に過ぎる。そう感じました。
会場の写真が上がっていて、そのあまりの「疎」ぶりに乾いた笑いが出て来ました。
ただ、気になったことがありました。主催を心配する呟きが散見されたことです。
欠席したサークルには返金するんだろうから、という内容の呟きを見て、あれ? と思いました。
開催された以上は返金なんてありません。サークル参加費用と手数料は払いっぱなしです。
返ってこないのは仕方ありません。
でも、誰一人返金されていないのに、まるで主催が返金しているかのように誤解されるのは業腹です。
ネット主体で通販メインになるのか、いずれは元の形に戻るのか。
短期的には、8月以降のイベントが開催されるか、あるいは中止延期になるか、その時、返金はあるのかどうか。
ただ、参加申し込みをした人が泣きを見る結果にならないことを強く願っています。
あの男は頭の天辺から足の爪先まで、自己中心的な話しかしていないんだ。
そりゃあ、「自分を変える」ハウツーなのだから筋は通っている。
俺だって自分の都合を優先させることはあるから全否定はできない。
だが現実問題、その他の諸々を甘く見積もったり、そもそも無視しようってのはキツくないか。
自分次第でどうにかなることなんて、多いようで少ないんだから。
それが多いと思っているならば、ほぼ「好きに、楽に生きよう」と言っているのと同じだぞ。
そんなことを肯定的な表現で、色とりどりに飾り付けるのは欺瞞な気がする。
「自信を持つのです。あなたたちの成功も失敗も、全てはあなたたちのものなのですから」
これも良いセリフのように感じるが、言い換えれば「お前らが成功しようが失敗しようが、こっちは知ったこっちゃない」ってことだ。
「『よく学び、よく遊べ』…… いいですか、『よく学び、よく遊べ』です。 声に出すことでより効果があります。『よく学び、よく遊べ』!」
同じことを三回続けて言いやがった。
こうしてセミナーは小一時間ほどで終了したが、実際はそれよりも長かった気がする。
セミナー終了後、会場に陳列された関連書籍やグッズの前に受講者がゾロゾロ集まっていた。
金欠の弟はそこに並びはしなかったものの、以前に買わされた本を返す気は完全になくなっているようだ。
「『よく学び、よく遊べ』!」
「どうだった、兄貴。意外と悪くなかったでしょ?」
「んー、俺にはあまりピンとこないなあ……」
良くなさそうなものもポジティブに捉え、些細なことは気にするなとエネルギッシュに語る。
「俺、将来は“ああいう感じ”になれたらいいなあ」
とうとう、こんなことまで言い出した。
我が弟ながらチョロすぎだろ。
「1冊の本と、1時間のセミナーだけで、そこまで決めてしまっていいのか?」
その時になって、俺はようやく弟に直接的な忠告をした。
上手く言えないが、強い危機感を覚えたんだ。
「“ああいう感じ”になりたいというが、あれは人格を無責任に矯正して、体よくモノを売りつけているだけだぞ。誇れるような仕事じゃあない」
だが漠然とした危機感のまま意見したところで、それはイチャモンにしかならない。
弟の自我にまで踏み込めない以上、瑣末なことを指摘して屁理屈を捏ねても納得するわけがなかった。
「兄貴の考える“誇れるような仕事”が何なのかは知らないけどさ、犯罪でもないのに他人の仕事をなじるのはどうかと思うよ。自分が理解出来ないもの、気に入らないからものを否定するのは“誇れる事”じゃあないだろ」
って、どうやって創作活動してるんだろう。
自分はがっつりADHDで、アイデア出す時の頭の中を無理矢理具体的に描写すると、
一本の枝からハイスピードカメラの映像の様に光る枝や葉がにょきにょき生えていく感じ。
葉にはひとつひとつタグが付いていて、過去に自分が見た風景だったり、言葉だったり、感情だったり様々で、その中の1つに意識を向けると、そこを起点にまた、光る枝や葉が生え繋がっていく。
少し俯瞰する様に意識を向けると、繁った枝葉の中に共通する物や関連タグを見つける事が出来るので、
それを繋げるような枝を探したり、葉を集めて新しい枝に付け替えてやったりする。
まあ、これは上手くアイデア出しに集中出来ている時の話で、そうでない時はひとつひとつの繋がりに関連性の無い、泡のような思考とイメージが、入浴剤の泡の如く水底からポコンポコン湧いて弾けては消える。泡だらけの水に頭の天辺まで浸かっている感じ。
この思考の制御不能な奔流がADHDの(注意欠陥の方)症状だと知って、
え、じゃあ定型発達の人はどうやってアイデア出ししてるんだろうって不思議になった。
誰か知ってたら教えて欲しい。
高校に入ると皆、多かれ少なかれ、高校デビューというものをする。それが「理想の高校生活」というイメージと混ざりあい、最初の3ヶ月は妙に皆テンションが高く、性格がおかしくなる。
俺はこれを俗に集団的高校デビューと呼んでいる。そして俺はこの集団的高校デビューというものに、根本的にトラウマを持ってしまった。
まず初めにいうと、俺の高校デビューは初っ端から失敗した。中学からの顔見知りが俺の事を話しのネタに使い、「こいつは下ネタ好きの変態ドインキャ」って事をバラされた。まぁこれ自体は大した話じゃない。下らない笑い話だ。
当時は斜に構えた腐った15歳だったから、高校デビューしてテンションが高い友人を薄ら笑いして見つめていた。
最悪だったのは、いや、最悪の始まりだったのは、集団的高校デビューした輩を統率する奴が居たことだった。
そいつは力が強く、常に偉そうで、周りにちょっかいをかけて声が大きくオラついてる。漂流ネットカフェの寺沢にそっくりだった。
「普通だったら」避けられるが、集団的高校デビューしている輩は一種の催眠状態なので、そう言うのに簡単についていってしまう。皆そいつが何か言えば機嫌をとり、無理して笑う。そいつに認められる為に媚び諂う。特に中学の頃からの顔見知りで俺を売った奴は、そいつのスネ夫ポジにいた。
俺はそう言うのが嫌でそいつにプチ反抗した結果、ボコされてカーストから外れた。
ピエロになった。
中学からの顔見知りや、その他取り巻きも俺の事をゴミみたいに扱った。
俺はそもそも斜に構えてたし、同じように寺沢っぽいやつを嫌って俺と交流する奴が居たから、つまらなくは無かった。寺沢はそんな俺にちょっかいを出し続けたが、正直どうでも良かった。寺沢にもまぁ憎めない所があったし。
高校生活への理想がなくなり、みんな省エネで目の前にある勉強や部活を楽しむ方向にシフトしていった。
そこに寺沢みたい奴の居場所はない。うるさくて、煩わしいリーダーを気取る奴は要らないのだ。
結果、皆そいつの事を無視し始めた。中学の顔見知りも最終的にそいつを無視し始めた。
寺沢を天辺に形成されたカーストが上下にひっくり返り、相対的に俺と寺沢が一番仲が良いと言う状況になった。
寺沢と一緒に俺にちょっかい出してた奴が、寺沢を無視する、その何というか変わり身の速さというか非情さというか
寺沢は、悪い奴では無かった。ただ俺とは相容れなかっただけだったはずなのに、その取り巻きは完全に、悪い奴だった。
結果的に寺沢を利用し、切り捨てた。権力に縋り、権力でなくなったら捨てた。
そいつの事を思い出すたびに、寺沢に対する少しのムカつきと、同情、その取り巻きの寺沢に対する仕打ち、人間のあり方に絶望する。このモヤモヤはずっと消えない
とでも書いていたと思う。
でもどうせ批判するなら、「想像力のある、賢く優しい人」の罪悪感を刺激するばかりで「想像力のない、愚かで無神経な人」にはまるで届かない戦術は避けたいとも思う。
結局満員電車がなにもかも悪いんだよ。だけど、これに関しては日本全体が諦めムードなんだよね。私はやってみなきゃわからないと思うけど。政治は一人の力じゃ動かせないし。まあ、満員電車を解消するつもりがないとすれば、「男性専用車両の導入」は次点の案としては呑み込めないこともない。そんなの導入されたところでセクシャルマイノリティーの居場所はどんどん狭くなるばかりだし、私のように男性の痴漢被害者が救われることなんてないんですけどね。ここは何も考えず、「極度に密着してしまうプライバシーのない空間」をお風呂やトイレのように男女別とするのは(マジョリティにとっては)合理的なのだろうと思うよ。別にそれくらいいいよ。でも全車両はやめてね。今時お風呂やトイレだってマイノリティに配慮してる時代なんだから。
とにかく長いよ。
撮影業界に希望を持ってる若い子に、やめとけって意味で書いてみた。
テレビや映画って華やかで楽しいイメージを持たれがちだけど、圧倒的なブラック。
よくブラック企業が〜って言われるけど、労働の違法性と過酷さならダントツでブラックだと思う。(サラリーマンとしてブラック企業で二年働いた上での比較)
①休みなんてない
作品に拘束されたら撮影期間中は休みなんてない。例えば四ヶ月間拘束されたら一日も休みなく撮影撮影撮影(撮休日というのが一週間に一度くらいあるが、その日も準備で拘束される、撮影がないだけ)
お金のない作品なんかについたら、スケジュールに余裕がないから、朝は5時に集合、6時に出発、ロケ現場で8時から撮影、日が落ちる6時には撮影撤収、戻ってセットで撮影か、ナイター撮影がある場合は天辺を越える。
例えば22時に家に帰ったらまた次の日は5時に集合、これが何日も繰り返される。
スケジュールの急な変更なんて普通、明日のことは前日にわかるし、例え一週間のスケジュールがでていても一週間後のことなんて確約できない。(天候でスケジュールは変わるし、撮影が順調に進まなかったらどんどんスケジュールはきつくなる)
だから、ここ五年、友達との誘いはとにかく断ってばかりだった。
「今日飲める?」っていう誘いを、わからないと言って断るのが一番辛かった。
わからないってなんだ、今日飲めるかどうか、そんなこともわからないのか。
撮影は17時に終わる予定だが、撮影は押すかもしれない、予定通りに終わるかもしれない。17時に終わるとスケジュールには書いてあるが、撮影が押し押して押してなぜか22時に終わることもある。馬鹿なのかスケジューラー(スケジュールを立てる人、毎日、毎週、一ヶ月のスケジュールは紙で配られる)、そんな甘い読みでスケジュール立てるんじゃねえ!だったら最初から22時って書いておけ!17時に終わるって書いたから、お弁当を頼んでなかった制作部の女の子が慌ててコンビニに50人分のおにぎり買いに行ってるだろ、可哀想に!!
もちろん飲みにはいけなかった。
②老害が多い
とにかく高齢化社会。
この業界の違法性の高さの原因がフリーランスが多いってところにある。
カメラマンも監督もデザイナーも制作部も、とにかく上の役職のやつらがやめない。70代になっても現役、トップ。退職とかないからね。
だから、60代になって始めて監督やる人や初メインカメラマンとかふつうにいる。
若い奴らはとにかく弟子入りしたら我慢、我慢、我慢、ジジイどもが死ぬ、はいデビュー。60代で初メインとか感性死んでるだろ。
映画もテレビもエンターテイメントの世界なのに、辛く地蔵のように耐えて、50、60代でデビューして、温めてきたアイデアに面白さなんてあるの????
もちろん20代や30代でデビューする人もいる。そういう人は、脚本や自主制作で賞を取っている人が多い。若い監督が自分の同期の若いカメラマン(殆どカメラマン経験なし)を起用して映画を撮ったりする。もうそれしか若手で映画を撮れる機会なんてないんだよ。
今の映像業界で弟子入りみたいな形で名カメラマン、名監督の下についたって、こき使われて、いつまでたっても下っ端のまま。運良くチーフになれたって、プロデューサーに気に入られなければデビューできるかなんてわからない。50、60代でデビューできるのも一握りなんだよ。
③お金がない
とにかく五年間で一番聞いた話がこれ。
お金がないから良い映画が取れない、そんなお金がない映画で客に見放される、お金がとれない映画にお金は払えない。
老害が多いって言ったけど、お金がないお金がないって一番いうのはこの爺さんたち。
「昔はよかった、お金があったからこんな豪華なセットが建てられた、お金があったからこんな挑戦的に作品が撮れた、今の日本映画はダメだ、これからは中国だよ」
ジジイのボヤキがとにかくうざい。
そんなに日本映画はだめだと嘆くならとっとと辞めろ。
昔より少なくなったと老害はいいますが、普通に殴られますけど?
頭を叩かれるのと蹴られる暴力に入らないらしい。平手打ちはよくされる。
暴言もすごい。
死ね、クズ、早く辞めちまえ、暴言と暴力の嵐、自分たちも下っ端の時に受けていたから感覚マヒしてるんだろうね。
逃げたくなる気持ちもわかる、殺される前に逃げろ、って感じ。
ちなみに俺は土手で作業してたら背中蹴られて土手を転がり落ちた。先輩は笑ってた。異常すぎる。
とりあえず総括すると、
撮影予算がない、慢性的な金不足によるこの業界への先行きのなさに対する鬱屈とした空気、若手の成長を阻もうとする老害のパワハラ、謎の年功序列、蔓延る暴力、なにより奴隷のような長期拘束っていう感じ。
まともな奴から辞めていく。
だって外には普通の仕事沢山あるし、売り手市場だから。こんな業界辞めたって生きていける。
最近の若者は根性がないってジジイ達は言ってるけど、若者を育てる気がないし、若者の希望を搾取して奴隷のようにこき使ってることに気がついついない、自分たちもそうやって育ってきたから。奴隷のように扱うのを権利だと思ってる。
でも昔と違うんだよ、こんな環境まともな奴ならいつくわけない。
今はネットで配信もできる、自主制作しやすくカメラも安くなっている、撮影業界で下積みしなくても、デビューできるやつはできるんだよ。