はてなキーワード: 収集家とは
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
モモちゃんシリーズがどこかおどろおどろしかったのは民話っぽかったからかなぁ。現実の人生を民話的に語るとああなるんだな。帰りが遅いママに怒ってモモちゃんがお空行きの電車に乗っちゃうエピソードとかはリアル。本当に怖いのは死神が出てくる頃から。
モモちゃんが突然熱を出した原因が牛鬼に影を食べられたからとか、モモちゃん母が牛鬼を説得して牛の本来の菜食主義者に戻してしまうとかのエピソード(うろ覚え)。民話収集家としての松谷みよ子さん自身が源頼光さんの母性愛や妖怪退治に重なっているのかなとか考察するのですが。違うか…
シリーズは読んでいたけど、あかねちゃんが生まれてから、割と存在が薄くなったモモちゃんに自分と妹を重ねて読まなくなったな。
いやぁ?それもオタクなんじゃねぇの?って思う。
とりあえず論点が2箇所あったので分けてみるけど。
これは正直10年前からその論調はあって、その先鋒はそういったライトオタクを毛嫌いするヤマカンだった気がする。
とにかく、この論調は見覚えがあって、そんなコア層10%も居ないんじゃないかって思える。
で、別にオタクであってもコンテンツを楽しめなくなるもアレばグッズに執着を持っていたけど突如失うなんて普通にあるだろって感じ。
ハルヒ辺りのニコニコ動画から入った自分を含めたライト層なんてもういい歳なのよ。
手当たり次第にグッズを集めていた学生も今やそれなりな役職につける年齢で賢くなってる訳で。
そうなると声優なら結婚で下火になるようなブームの終わり、ゲームならサ終、続編のでないアニメとかも経験する。
すると金を持って賢くなったオタクは希少価値の高い=値付けが出来るようなモノを集めるようになるのも理解できる。
ほんで、恐らくそれってレトロゲームマニアとかもそんな感じじゃなかったっけ?と思ったりする。
ちなみにこれはアニメゲーム声優オタクだけでなくて、恐らくそれ以上に知識や経験がモノを言うような
鉄道や虫なんかの非二次元コンテンツ系オタクのかなりディープな友人が居るが彼もまたヤフオクで買ったりしていて
模型なんかは収集家が鬼籍に入られてここで落とされなければゴミとして捨てられるものをまとめて買ったり…
とにかく価値を見出して売買する事を厭わない。むしろ、彼こそが本当のオタクではと思ったりもする。
当然、逆にスペースがなくなり売ったりして手放しているので…話を戻すとそんな彼がオタクでなければなんなのだ…
という具合にもなる。
別にわざとマイナーなイラストレーターばっかひいきしてるとかじゃないのよ。
イラストについては何が流行ってるという情報は見てない。その暇があったらゲームするかテレビ見ることに興味があるから。
んでテレビとか見てて一般人の部屋とかかばんとか映ったときにそこにある見知らぬイラストが気になって、もんもんとしてきて、詳細を調べて、忘れないように、外部に記憶を留めておくためにそのイラストレーターの画集とか買うようになるって流れだね。
改めて可愛いイラストなんて調べると全然似たり寄ったりで、いくらでも代えが効くじゃんとは思う。
検索だとずらっと並んでるから、興味が醒めちゃうって感じかね。どうせ知りたいときにすぐ知れるだろみたいなと楽観によっても知ろうとすることに対する怠惰に拍車がかかってると思われる。
テレビに出て来るものだと録画してないのにちらっと映ってきてすぐ消えるみたいな、そういうところに必死になってしまって、そういう過程が思い入れとなってしまって…というか。
そもそもわざわざイラストを探すということで検索する暇がだったらテレビ見たいし、上のは自分のことを客観視したくておこなったに過ぎないわけで、やっぱり検索ですぐに出て来るような有名イラストレーターの絵を愛するきっかけには乏しい。
恋愛と同じで、きっかけが大事ということではないか。状況において偶然性とか特別さが演出されてるというか。
まあそんな感じで、有名所を全く知らず、あまり知られてない人の絵をぼちぼち好んでるような人が完成すると。
物を買うという手段に頼り過ぎて、部屋こそその道の収集家っぽいが、脳タリンだから一歩外を出るとイラストレーターの名前すら出てこないし、買った本を小道具にしてもそのイラストレーターの他との違いをプレゼンできるわけでもないっていうね。なんかいいんだよねーなんか…(タジタジ)ってなるだけ
この時期欲しくなるものと言えば!
文具売り場とか本屋の一角とか季節柄もうそろそろラインナッピングもスターティングされると思うんだけど、
そうよそう!
手帳!
思うほど選手宣誓したい!
というかするわ!
手帳買っても毎年毎年白紙のままで今年も終わってしまって買うのがもったいないお化けが出てしばき倒される私!ってぐらい何も書かない白紙のままの手帳なのよ。
それに薄々気付いていたんだけど、
私はあいにくそういう趣味の収集家の文房具や手帳を買うまでには至らないから、
素質としてそもそも無かったのよ。
だけど、
スケジュールが全くないわけで無いけれど、
1日1ページの手帳を真っ黒にするほどの予定は無く、
見開き1週間の巻頭カラー6ページの
それだと予定が少なくても何か一言書けば
凄く充実している感じがして。
そう!それなのよ。
手帳書いてもスカスカだから充実していない私の生活ライフスタイルの毎日の生活に潤いがない感じがして後から見返したらむなしくなるのよね。
そっかー合点がいったわ!
そう言うことだったのね、
私文房具心理カウンセラーにカウンセル受けてカルーセル麻紀さんばりに
ズバッと鋭いところを見抜かれて言われたから
そうだったのかーって。
だからもう手帳売り場の前を通ってもスルーできるようにって克服できたの。
でも手帳と言うよりは
メモはメモりまくっているデジあるスマホメモ帳ならテキストや音声でメモできるから、
それが一番大事!って
急にKAN化されるけど
痛いところかしら。
耳を傾けなければいけないところが始まるのよね。
やり始めたら楽しいんだけどね。
重い腰が上がらない御神輿を端っこの各箇所4人で担いで欲しいわけなのよ。
褒められて嫌な人間は
褒められるのが好きではない人だと思うし、
人間って2種類に別れると思うんだけど、
褒められて嬉しい人とそれ以外の人だし
だから事務所のそういう細々とした紙片を片付けて経理処理したいところね。
机のデカいファミレスで仕事するってモーニング食べながらそう思うわけ、
昨年なんかも
急遽超集中して
ホテルに館詰めに自らして
年賀状を書き上げた次第なのよ。
もう年賀状って習慣もいつも干支が決まるのがギリギリだから辞めたいところよ。
だからもう
ここに宣言したいところね。
うふふ。
貴重な朝のグッドモーニングを迎えるためにご機嫌さんにハムタマゴサンド。
おかげで朝からご機嫌さんよ。
美味しいものを食べて元気に1日過ごさないとやってられないマウンテンじゃない。
朝本当に寒いので少し温めで急須で出したホッツ緑茶ウォーラーは温かくていいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2021-03-30
■シン・エヴァに怒っている人たちって
旧劇やQでみんなが阿鼻叫喚になっているのをニヤニヤ眺めながら自分はそういうの分かってます受け止めてますってポーズしてた人たちでしょ。
自分たちは理解しています貴方たちとは違うんですって態度を続けてきた事への因果応報なのに、受け入れられずつまんねーとか駄作とか騒いでいるの本当に見苦しい。
このブコメとかからも自分たちに対する「特別感」が溢れ出てて本当に笑える。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700372410263054178/comment/preciar
■anond:20210330145522言及先エントリを開く
監視カメラ無い所だとキツいよね
どこにでもついてるんだろうか
■anond:20210330163337言及先エントリを開く
■anond:20210330145702言及先エントリを開く
■https://anond.hatelabo.jp/20210330163920
ざーちゃんは、物理10点だった妹さんとか、同じ空間で暴れているママンはどうなったの?
■anond:20210330163912言及先エントリを開く
顎ながい方が顎がないよりまし
■anond:20210330144038言及先エントリを開く
そういうのって「被害届ださないんですか?」みたいな指摘されると
たいてい「なんで被害者が手間をかけないといけないんだ!」とか「被害者にコストを強いるなんて最低!」みたいなこと言い出して面白い。
■anond:20210330131833言及先エントリを開く
頭悪すぎて草
■顎が長い
顎が長い
ふええ…
■anond:20210330163538言及先エントリを開く
横
■anond:20210330162118言及先エントリを開く
それに加えて、スマホの小さい画面でアニメや映画、漫画をみてるってのがもったいない感じだわ。
■
機能はあるのに上が理解してないせいで、使用禁止になってるの、ほんとツラい。
組めば一瞬で終わるのに、クリック確認、クリック確認、って阿呆か。
■anond:20210330045538言及先エントリを開く
一般人でデスクワーカーとかなら、肩凝りと腰痛予防のストレッチや筋トレで十分だな。
あと、ジム通いを始める前に、ラジオ体操第1&第2を通しでやって、息が上がってヘロヘロにならないか確認した方がいい。
■anond:20210330162921言及先エントリを開く
何も問題ないよね
■anond:20210330142500言及先エントリを開く
いや流行りジャンルメインのTwitter一年生~三年生くらいならたまたまそういうこともあるかもしれんけど、Twitter10年やってる同人二次創作オタクは学級会のひとつやふたつ当事者になってるでしょ
■anond:20210330162544言及先エントリを開く
邪魔にならない位置の男にぶつかっていく奴なんかそうそういないの!!!!
■anond:20210330160216言及先エントリを開く
日雇い派遣が負担になってる他の業界は見ないふりしてたくせに。
■anond:20210330160216言及先エントリを開く
自分は小学生低学年の頃に任天堂のゲームウォッチが流行した世代なんやけど、あれも品薄だった気がする
その上、自分はど田舎に住んでいたので辛うじてオクトパスだけ買ってもらえた
スネ夫みたいなやつがいて、そもそも彼の親が収集家だったみたいで、ゲームウォッチもファミコンもほとんどすべて揃ってた
みんなで彼の家に遊びに行くが、彼の気を悪くするとゲームが継続できなくて苦労した
対戦ゲームで負けると彼がブチ切れて物に当たったりするので、その度に「外で遊ぼうぜー」みたいになってみんなで逃げてた
彼の親は某大企業の重役だったけど、彼は今頃どうしているのだろうか、出世しただろうか
ダウンロードすればいいだけだし、インディーも含めてゲームはほぼ無限に存在するのが現代である
そして、小学生高学年になって、コンピュータに否定的だった母がなぜか今頃になってゲームウォッチを買ってきた
買ってほしいときに買うことに否定的だった母がブームも忘れそうな時期に買ってきたのである
これで遊べというが、任天堂ではないパチもんだった
ゲームウォッチは枯れた技術の水平思考を地で行っていた製品だったため、液晶の電卓さえ量産できれば参入できた
ゲームとして成立もしてなかった
母はコレジャナイロボも買ってくるし、スーパーの軒先で売られているパチもんのバッグや服を買ってきては自分に与えた
しかし、品薄でなければコレジャナイロボを買ってくる確率は減るはずである
最近、スーパーでファミコンのエミュ?みたいな製品が売ってたが、最近のああいうのは権利はともかくパチもんでも楽しそうではある
というか、ガンプラも自分の田舎では品薄だったので、自転車で駅前の玩具屋まで1時間以上漕いでは目当てのガンプラがなく、
仕方がないので?コレジャナイロボなプラモを買って帰ったことが何度もあった気がする
なにが言いたいのかというと、品薄商法は許せん、ということだったはずなのだが、母ちゃんの話になってしまった
田舎で元気にしているだろうか
■anond:20210330145913言及先エントリを開く
「オラァ!!!持続させろや!!クソが!!!!」みたいな感じはどう?
■anond:20210330162839言及先エントリを開く
■行け!おじさん!
すてみタックルだ!!
■左寄りのスペースから乗ろうとした
私から見て右側から出ようとする乗客を目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした
全員降車したなら「左寄りのスペース」なんて表現するかな?
普通に考えて、右側がふさがっているときにこう言うよね。ふさいでいるのは、今まさに降車しようとしている人。
こんなところで質問してもほぼ意味はないような気がするんだけど、他でも誰も答えてくれず困っている。協力があればなと。
これはパズルなのです。
ホロコースト否認者たちは、ガス室だけは絶対に認めません。ガス室を認めると大量虐殺を肯定してしまうからです。ですから、一番目立つアウシュヴィッツを狙ってきます。問題は、アウシュビッツには正確にいうと、ソ連が近づいてきたのでナチス親衛隊は撤退するのですが、証拠隠滅のために、ガス室だったところをダイナマイトで破壊してしまいます。
ナチス親衛隊は、全国指導者のハインリヒ・ヒムラーや1942年に暗殺されてしまったヒムラーの側近中の側近ラインハルト・ハイドリヒSD長官の指導により、徹底的にユダヤ人殺害を隠蔽したので、文書資料にすらほとんど「ガス室」や「処刑」などの用語もなく、ユダヤ人虐殺を「再定住」、処刑を「特別処理」などと言い換えたりしていましたので、これが戦後ずっと続くホロコースト否認者の格好の餌のようなものになってしまい、奴らは平然と「証拠はない!」とほざくわけです。確かに、ガス殺死体はアウシュビッツには一体もありませんでした。なぜなら焼却して骨は砕いて川に捨ててしまったからです。
実は結構あるのです。文書資料として残ってしまう図面にこそ「ガス室」とは書きませんでしたが、報告文書にうっかり書いてしまった記録などはあるのです。それ以外にも沢山あります。当然ですけど、証言記録は滅茶苦茶あります。アウシュビッツ司令官ですら戦後裁判で証言し、死刑になって処刑されるまでに詳しい殺害方法を書いた自伝まで残しています。
ところが、当然といえば当然ですが、否認者たちは証拠資料は解釈で捻じ曲げて歪曲しまくり、証拠ではないと言い張り、流石に否定できない文書資料などがあると捏造だと一切認めず、当たり前のごとくに膨大な証言は適当に難癖的にあそこがおかしいここがおかしいと文句をつけて全否定するのです。証言者が言ってることが多少誇張が入っていたり変だったりすることはよくある話なのに、一切認めません。ガス室の周りの地面に当時のユダヤ人作業員はメモを証拠として埋めたのが戦後発見されていますが、戦後の捏造だと言って絶対に認めようとしません。頭おかしいと思うレベルですが、これマジなのです。
しかし、いくら否認論者でも、当時の文書記録として、加害者側の親衛隊の人物が業務内容として残した資料の中に、ユダヤ人のガス殺の様子を記録した文書があれば、流石に否定しようがないはずです。実はあったのです。
1970年代後半に、グリクシュ報告というのが見つかります。グリクシュ少佐というのは親衛隊人事本庁の職員で、1943年5月にアウシュビッツの視察に訪れ、司令官ヘス同行の上、ガス室を見回って報告書を書いたのです。言葉は選びながらも、どう読んでもユダヤ人をガス殺する手順としか読めない内容がきっちり書いてあるのです。流石にこれは否定できないだろうということになったのでしょうか、10年以上、否認論者はこれを「まぁ偽造だろう」とほったらかしました。何故ならば、その報告書は原本ではなく、戦後に裁判資料を整理していた米軍将校がタイプライターで打ち直したものだったからです。おそらく原本保管のためでしょう。だから、原本じゃないので証拠にならず、米軍により偽造されたものだと言い張ったのです。
で、1991年に、アメリカ人のリビジョニストのある人が、このタイプコピー版を徹底的に内容批判して、偽造だと断定します(実際には根拠は薄弱であり、捏造それ自体の事実は一切証明しておらず、断定は無理です)。それがこちらです→フランケ・グリクシュ「再定住報告」:偽造の分析(レンク)
で、一旦これで否認論者もほくそ笑んだでしょう。原本などないんだから嘘に決まってる、と。ところが・・・
2019年、つまり去年です。ある反否認論者がふと、「もしかしたら?」と思ってドイツ連邦公文書館を検索したのです。すると、その原本(報告書製作時に同時にタイプされたカーボンコピーだった一枚)があったのです。ニュルンベルク裁判等戦後裁判関係資料は膨大な量があり、昔は探すのが大変だったのですが、インターネットと文書のデジタル化が進んで、いつの間にか外部から検索をかければ見つかる状態になっていたのです。まさか探せるとは誰も気づいていなかったわけです。
発見者は、様々な検証を行い(と言ってもデジタル化された写真なので物理的には調べられない)、当時の他の文書とのタイプフォントの照合まで行い、フォントの一部に欠けがあった文字を数文字発見し、他の文書とそれが一致することから、おそらくは原本で間違いないだろうと。他にも色々特徴を調べていますが、疑問点は今の所ありません。
それがこちらです→Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report
詳しく詳細な解説もされていますが、ともかく間違いないだろうと。内容も、否認論者は批判していましたが、それらおかしいと思われる箇所も十分問題なく解釈できる範囲です。何れにせよ、原本です。
否認論者としては、絶対に認められない資料証拠ですからこれを「捏造」と言わなければならないはずです。しかし、「捏造」と仮定した途端に辻褄があわなくなるのです。捏造でなければすんなり理解できます。普通に原本はあった、そしてドイツ連邦公文書館で整理保管・デジタル化されていた、それだけです。
しかし、「捏造」だとおかしなことになります。先ず時期が問題です。
戦後のその米軍将校がタイピングした時点で原本も捏造されていたと仮定すると、ではどうして裁判に提出されなかったのでしょう? タイプ版も結局は裁判に出ていません。それは別に良いのです、証言証拠は沢山あり、グリクシュ報告は特に必要ありません。しかし、捏造だとすると、他の文書とタイプフォントが合っているということから、それらの他のタイプのフォント形式を間違いなく再現するためには、例えば同じタイプライターを探し出してこなければなりません。そんなめんどくさいことするでしょうか? しかもです、そうやって非常に面倒な精巧な偽造をするのであれば、何故タイプコピー版が存在するのでしょうか? カーボンコピー用紙を使えば、カーボンコピー三枚分用意できます。その一枚を裁判で使えるように回せばいいだけです。「捏造」と仮定すると極めて不自然なのです。かなり精巧なのに(調べてもわからないくらい)、裁判に使われていない事自体が不自然です。なおかつ、そんな手間隙かけた捏造が証明された文書資料などただの一つとして存在しません(そもそも戦後裁判資料で捏造が疑われたヴァンゼー会議議事録ですらも、リビジョニストが捏造だと言い張っていただけです)。
あと、この原本は1980年代にイギリスの著名な歴史家デヴィッド・アーヴィングが連邦公文書館で見たことがあると言っており(アーヴィングは異常なほどの資料収集家です)、2005年くらいのこの資料を議論する会でそのインデックスを述べていて、そのインデックスナンバーが原本発見時にほぼ合っていたのです。とすると、1980年代に原本は存在したことになります。では、タイプコピー版が1976年に発見されて以降、アーヴィングが連邦公文書館で見るまでの間に、何者かがグリクシュ報告の原本を捏造し、連邦公文書館に潜ませた、なんてことはあり得るのでしょうか?
今の時代ならばPhotoshopもありデジタル化された資料など簡単に捏造できるのかもしれませんが、1980年頃にそれが出来たとは到底考えられません。ネットすらないので、ハッキングでファイルを混入させることも出来ません(1980年代頃にデジタル化があったとも思えない)。いろいろ考えても、1980年代頃の捏造というのはあまりにも荒唐無稽です。タイプ文字の形を合わせるために、その他の文書すらも探し出してくる必要すらあります。すると、どうやったって当時ならば、連邦公文書館に物理的に侵入しなければなりません。あまりにもハイレベル過ぎます。
はっきり言って、グリクシュ報告の価値は「否認論者が困る」だけのものであり、偽造された「ヒトラーの日記」のように1円の価値があるわけでもなく、書かれた内容についてはなんら未発見内容はないので、通常の歴史家も特に反応を示すわけではない資料です。普通の歴史家はホロコーストやガス室があったことなど一ミリだって疑いやしません。
というわけで、グリクシュ報告原本を「捏造」と仮定することは、どう考えても辻褄が合いません。というわけで、非常にグリクシュ報告原本発見は否認論者にとって困ったものであるはずなのですが・・・
ネット上の一般否認論者は、どうも意味が全くわかっていないようなのです。「そんなもん捏造だろ」と頭から決めつけてかかっているだけで、捏造と仮定するとおかしなことになるとまで考えが及ばないようなのです。ていうか、そもそも「証拠は絶対にない」とすら思い込んでいるようです。信じ切っていると言っていい。ですから、こちらがいくら言っても、否認論者は「捏造とすると辻褄が合わなくなる」ことまで考えは全く及びません。
聞きたいのは、私が変なのでしょうか? 私自身は「ホロコースト否認信者はアホばっかり」と思うようにはしてはいるのですが、だーれも理解しません。一体どうなっているのでしょうか?
id:anmin7相手の人がどうなったら増田は満足なの? 賢さを讃えてほしいの? ただ考えを改めたらいいの? 土下座して許しを乞うならいいの? 愚かさを恥じて以後増田の奴隷になるべきなの?
違う違うそうじゃないのです。私一人で考えているだけなので、単に自信がないだけなのです。日本人でホロコースト否認論に反論しようなんて物好きな人はなかなかいません。これで合ってるかどうか、感想でもいいから聞きたいのです。日本人否認論の集まるところへ行くとほとんど孤軍奮闘になってしまうのです。私以外の反否認論側の人がいてもただ、「ホロコーストを否認するなんておかしい」みたいにいう人がいる程度です。ほとんどの人は知識がないのです。
id:rmntc55211精巧に捏造したけど使わなかった、その後、捏造したそれが何かの手違いで文書保管されてしまったなんてありそうだけどね。何もかもが自然にはできていない
そんなこと言い始めたら、あらゆる文書資料は全て捏造になりますよ。本当にそう言ったホロ否認者はいましたが、あまりに非現実的です。グリクシュ報告の一致性は、タイプライターのフォントの欠損が4文字も当時の同時期の文書と一致する、という時点で、捏造なら度を超えて精巧すぎます。むしろ、この欠損フォントで捏造が発覚すべきです。それを捏造でやろうとすると、当時ならば虫眼鏡必須です。今の時代なら、パソコンで画像拡大すれば簡単かもですが(というか、単に画像から同じフォントを使えばいい)、当時はそういうわけにはいきません。また仮に同一のタイプライターを探し当ててきたとしても、戦後ですから、同時期の文書とは2年も差があります。すると、その2年間にタイプライターの他のフォントまで劣化している可能性があります。あるいはその比較された他の文書資料も含めて偽造した、……などと言い出したら結局、ナチスから押収された文書は全て偽造とまで言いええしまい、暴論としか言えなくなるでしょう。何れにせよ、捏造が証明された文書など一枚たりとて存在しませんので、妄想という他はないでしょう。
私の観測範囲ではアカウントに鍵をかけるなど18歳未満に対しての配慮がない(気にしてない?)絵描きとfanboxやfantiaなど他サイトを利用して見るまでのハードルをもうけている絵描きが半々ですね。後者が元増田のいう隠す系の作家にあたるのではないでしょうか。
前者でも最近は検索にひっかからないよう作品名やキャラ名をぼかしたりツイート本文には書かないでいたりする人が多い印象です。エッチな絵はあまりリツイートされないのでこれだけでも隠れる効果はそこそこあると思います。(ここらへんは女性向けも同じような気がします)
なのでエッチな絵を見たい人は支部や他のエッチな絵収集家のいいねやリツイートから作家の存在を知ってエッチな絵を見に行くのではないでしょうか。
私は女であるが手紙を書く人口は女性の方が圧倒的におおいので、グリーティング切手や特殊切手が女性をときめかせるデザインになっていて、思わず欲しくなってしまう。これは買うしかないとおもわせる魅力がある。郵便局の切手デザイナーは女性に買わせるため張りきってデザインしてるんだろうな。
今年は8通は手紙を書いてだした
しかし、欲しい切手を全部買っていたら手紙を書くペースを上回り、切手をもてあますことになる。
困る
切手収集家の死後、孫や子供の手に昔の切手コレクションが渡っていることがある
あの世に切手は持っていけないので、自分の死後は余った切手が誰かの手に渡ることになるのだろうが、その死者が使った切手代がお金の無駄になっていると私は考える。
私はコレクション目的ではなく使用目的で買ってるから、手紙だけでなくゆうパックや現金書留等にも切手を使う
買った切手はぜんぶ使いたいのに使いおわる前から切手を買って増やしてしまう
2020のオリンピック記念切手買ったけど来年またオリンピック切手出たら買うし
文通でもやればいいんだけど、
普通の文通はいやだから文通ボランティアでもしようかと思うんだけど、文通ボランティアはなんだか自分が思うような手紙のやり取りにならないのではないかとビビってしまい手が出せずにいる。
先月、日本国有重工業清算事業団の資産整理の一環として放出されたタクトスイッチ、T-303(黒)。
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約で完売という。
私が生まれるより以前には多くの趣味人口が在った分野のようだが、昭和99年の今では古臭い趣味として認識されている。
世代の違う親に言わせれば例えば、切手収集みたいなもののように映るようだ。
デザインや絵柄しか違いのない切手に比べたらスイッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、眼に映る色、端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様々なクリック感。
大きなものではなく、嵩張らないので例えば自動車のような趣味と比べ所有するのに場所をとらず、多くの種類を所有できるのもいい。
採取した昆虫を陳列するよう離れの書斎に並べてある私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお気に入りのスイッチを手にしてその感触を味わう。
冬の暖かい部屋のなか、柔らかな椅子にくつろぎラヴェルの録音を再生する。
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイッチを左手に取り、クリック。
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
この、スイッチ収集という趣味の市場は世の中に、昭和初期に急に現れたらしい。
どういうわけかは不明である。はじめは細く好事家の間での国の生産計画の情報交換などの会合や、あるいはコレクションの展示会、交換会などが行われていたようだ。
国立国会図書館に存在もするその会の名簿を調べると、参加者には国防機構内のテクノクラートや財閥系の重工業企業の社員の名前の存在が目立つ。
そしてその趣味の市場の人数規模は、この頃では大きくは、なかったようである。
その後、先の大戦中の国家高揚のなか、敵性語であるのでスイッチとは言わないがこのころではすでに開閉器収集というジャンルの趣味が市民の間には広く存在した。
昭和15年2月 東亜開閉器公社発行の、季刊開閉器句報創刊号も私のコレクションの一部だ。
スイッチを手に遊ばせながらブラウン管から聞こえるニュースに耳を寄せると、本営の報道官が伝えている。
先週も三沢基地より、北の方向への弾道ミサイルが2発発射された。
ニュースはヨーロッパ共同体の経済状況に続けて本営、および日本原子力研究製造開発機構の広報官らによる記者会見を写している。
先ごろ国会を通過した法案、憲法66条2項の改正を適用した結果の条項は、兵器を発射する装置を制御する管制官の責任は日本の行政システムの中には存在しないよう、恣意に解釈できるようだ。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいことと同じように、多く憲法が改正される機会のある今日ではあまり興味のない類のニュースだ。
古くからのスイッチ収集家の私から見たら、必要は感じられないのだが最近のスイッチの内部にはただのスイッチ以上の何らかの機能もあるようだ。
また、市民用通信網上に在る、政府の機密に近しい噂のあるページによると、スイッチ部品の販売元は各民間商事企業ではあるのだが、製造は全て国が一元して行っているという話も見る。
製品の処機能が増えるならば趣味の幅が広がるしまた、国が管理しているのならばその製品の品質も安定するであろう。
Dalbergia spp.、 Guibourtia demeusei、 Guibourtia pellegriniana、及びGuibourtia tessmannii (ブビンガ)に関する注釈#15は、ローズウッドとブビンガの附属書II記載が以下を対象としている旨を示しております:
楽器産業と楽器製造業向け木材供給者は、ローズウッド及びブビンガの保全努力とともに、その生物学的特性や保護措置及び取引について、さらに研究していくことを強く支持しております。これらの樹木を守ることが重要です。
楽器を作るのに必要となるローズウッドやブビンガの量はとても限られたものです。例えば、ギターやバイオリン、ビオラ、チェロ、ダブルバス、クラリネット、ピッコロ、オーボエ、フルート、サキソフォーン、そしてピアノで、ローズウッドやブビンガを使っているものは概ね、それらを実質10kgも含んでおりません。マリンバとごく少数のピアノ類ではもっと多く使われているかもしれませんが、それでも通常は楽器あたり30kgを超えることはないでしょう。バイオリン系のような特定の楽器においては、ローズウッドの使用は極めて少量でありながらも重要ですが、それは、例えば調律糸巻などに最も適した素材だからです。楽器製造業・小売業そしてミュージシャンは、生計のため、そして人類の経験を高めるアートを作り出すために、楽器の取引をよりどころにしております。総体として、ローズウッドやブビンガの全世界的取引のなかで楽器が占めている割合は、ボリュームで見れば極めて少ないのですが、発行される許可の割合は顕著なものです。
素材価格の高騰は、楽器製造業と関連事業者(例えばバイオリン・アクセサリ製造業のような)の限界収益性をむしばみ、生計を脅かす恐れがあります。楽器は使いづづけるものですし、小売業と個人の両方で長期間にわたって売却されるものですが、強制され発行してもらう許可のための費用と負担はその都度発生します。ミュージシャンにとって、特にオーケストラや合奏団にとって、楽器の移動や売却を制限されることは、生計と芸術活動を脅かすものとなります。
楽器や楽器部品の商業的、非商業的な移動が明確かつ完全に除外されていないことで、取引に重大な影響が生じ、国際的な文化活動は妨げられ、CITES管理当局に不必要なな負担をかけています。締約国が注釈#15を置き換えるか修正しないことには、音楽の世界と文化は、あの最高品質のトーンを生み出す楽器を失うことになりましょう……相応の保全利益もないのにです。
American Federation of Musicians of the United States and Canada.
American Federation of Violin and Bow Makers.
Bundesverband der deutschen Musikinstrumentenhersteller e.V.
Confederation of European Music Industries.
Dismamusica.
Fender Musical Instruments Corporation.
ForestBased Solutions, LLC.
French Musical Instrument Organisation.
International Association of Violin and Bow Makers.
International Federation of Musicians.
International Wood Products Association.
League of American Orchestras.
Madinter.
Music Industries Association.
National Association of Music Merchants.
Orchestras Canada.
Paul Reed Smith.
PEARLE*.
The Recording Academy.
Society of Music Merchants. The SOMM - Society of Music Merchants e. V.
Taylor Guitars.
「オタク」という呼称は70年代生まれと言われるけど、それ以前からもオタクに類する人はいたはずだ。
マニアとかフリークスと言った単語も、「躁状態」「中毒者」といった「病気」と見なすニュアンスがある。
しかし時代をさらに遡ると、創作物にハマったり道具を集めたりというのは金持ちの道楽ということになり、富の証とされていたのではないかとも伺える。
数寄者や好事家というような言葉は、どちらかといえばそのような意味で、茶道のようなハイカルチャーの愛好家や、学者といったようなニュアンスのようだ。
それに対して「オタク」という言葉が指すのは「大衆文化の熱狂的消費者」であり、「オタク差別」も大衆文化が花開いた以降の時代の産物と言えるだろう。
そして、「オタク差別」は度を過ぎた趣味人を揶揄するようなものではなく、「趣味のジャンルそのもの」に貴賤をつけるものであると定義できる。
その意味で、調べると明治の頃に郷土玩具を集めるブームがあり、その収集家は大きな子供という意味で「大供」と揶揄されたらしい。
更にさかのぼって江戸時代ならば、水野忠邦による「天保の改革」。あれはオタク差別の走りではないか。
目的は倹約による物価の引き下げだが、たとえば寄席では滑稽噺を禁止して教訓性の高いものだけ残すというような娯楽の峻別が行われており、