はてなキーワード: 法医学とは
ただし、不適切な執行が行われた場合はこの限りでない。絞首刑を残虐刑とするオーストリア法医学会会長のヴァルテル・ラブルによると、縄が短すぎる等して脳虚血に至らなかった受刑者は、長くて2~3分間は意識が消失せず、窒息によって多大な苦痛を味わう[2]。逆に縄が長すぎる等して過剰な負荷がかかれば、首が切断される事故を招くこともある。またラブルは、懸垂が最適に行われた場合でも、受刑者の意識が失われるのは、執行開始後最低でも5秒から8秒と分析している[2]。
2. オーストリア法医学学会会長ヴァルテル・ラブル博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/rabl_kaitousho2/)
絞縄の長さや結び目の位置の調節などの手順が適切になされた場合、左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞され、脳虚血から脳死を起こし、最終的に心臓も停止する[1]。懸垂時に脊椎骨が骨折すれば、延髄の損傷によって身体機能が停止し、同様に脳死から心停止がもたらされる[2]。
1. 法医学者古畑種基博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/huruhata_kanteisho/)
2. オーストリア法医学学会会長ヴァルテル・ラブル博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/rabl_kaitousho2/)
絞縄の長さや結び目の位置の調節などの手順が適切になされた場合、左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞され、脳虚血から脳死を起こし、最終的に心臓も停止する[1]。懸垂時に脊椎骨が骨折すれば、延髄の損傷によって身体機能が停止し、同様に脳死から心停止がもたらされる[2]。
1. 法医学者古畑種基博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/huruhata_kanteisho/)
2. オーストリア法医学学会会長ヴァルテル・ラブル博士の意見(http://deathpenalty-trial.jp/shiryou/rabl_kaitousho2/)
石原さとみの法医学ドラマ「アンナチュラル」。米津玄師のLemonはこのドラマの主題歌である
韓国でリメイクされると聞いて「ふーん、リメイクされるくらいだから面白いのかな、見てみよ」と思って視聴したら止まらなくて2日で完走してしまった。
いや〜ね〜いいドラマだった。ミステリーとしてまずおもしろいし、過労死とかイジメ自殺とか社会に問う硬派なドラマだし、性癖である年上のお姉さんと理系大学生のコンビもありで、よかった…………よかったほんとに…………
続編ありそうな終わり方だったからさあ、もう科捜研の女みたいにシリーズ化してるのかと思ったらないんだわこれが。4年前よ放送。事実上、続編はないと言ってるようなもんだわよこれ……視聴率は10%台だったかな。厳しいか。
アンナチュラルロスでつら。もっとUDIの活躍を見たかった。韓国のリメイクはもちろん見るけど、オレァよお、オリジナルキャストでやるUDIが見たいんだ……
そもそもの問いの立て方が間違い(酷いストローマン)。ホロコーストでのユダヤ人の犠牲者は、大雑把に言えば、アウシュヴィッツで100万、その他の約四箇所(マイダネクは少ないので計算から除外)の絶滅収容所で200万、ソ連等のその他の地域での虐殺で150万、ゲットーや強制収容所などで100万、その他50万、合計で600万人と言ったところ(繰り返し言うがかなり大雑把)。つまり、ホロコーストの象徴になっているアウシュヴィッツでは約100万人なので、それを6倍もストローマンした虚言・戯言である。
また、アウシュヴィッツでさえ「骨まで残さず焼却した」だなんてことはない。むしろ、非常に荒っぽい不完全火葬で、細かい話だが炉の中の死体を載せる格子から下の灰皿に落ちた残骸は、掃き出してランマーで細かく砕いて、集めて近くの川に捨ててしまったのである(司令官を含む複数証言)。他のヘウムノなどの絶滅収容所では焼却後、粉砕機を用いて骨類は砕き、周辺の土地へばら撒いた。また、犠牲者数こそ数万と少ないものの、マイダネク収容所には大量の遺骨が残っていた。「Majdanek bone」とすればその画像が得られる。
もしそうならば、確かに、大雑把に絶滅期間を500日とすると、十万体しか処理できないことになる。しかし、それは明らかに嘘である。何故ならば、別の収容所であるマウトハウゼン強制収容所の衛星収容所であるグーゼン収容所では、一基の火葬炉あたり、1日あたり20体以上の火葬をしていた記録が残っているからである。アウシュヴィッツには絶滅の現場であるビルケナウだけで46基の火葬炉(マッフル数)があり、1日あたり少なくとも900体処理できたことになって、500日なら45万体である。それでもまだ半分以下だが、アウシュヴィッツでは実は一体ごとに火葬するなどと言う丁寧な火葬などせず、複数遺体を同時に火葬していたので、能力自体はもっと増える。それに、ビルケナウの火葬炉はトリプルマッフル炉や八連マッフル炉になっていて、遺体を入れて火葬する場所が内部で繋がっており、高温を維持しやすい構造となっていて、連続焼却を前提とした構造だった。民生火葬場とは全く違い、遺骨を遺族に返却する必要はなかったのだ。(あっても、適当に遺族に誤魔化して骨壷に入れて渡した)さらに、犠牲者が多かった時期は、野外焼却を実施し、司令官のヘスは自叙伝で「ほとんどの火葬は野外焼却となった」と書いている。以上、百万体程度は十分可能だった。
実は、アウシュヴィッツの火葬炉は、最初の二日間程度、炉内を高温化するためにコークスが必要だっただけで、遺体の火葬自体にはコークスはほとんど必要なかった。何故ならば、複数遺体を同時に連続的に火葬していくので、それらの遺体自身が燃料化したからである。燃えにくい痩せてガリガリの遺体の場合にはコークスは追加されただろうが、太った新鮮な遺体(つまりは収容所に収容されずに即日ガス室で殺された人)ならば燃料替わりにさえ使われた。これらについての細かい技術的な話は、遺体処理を担当したゾンダーコマンドだったヘンリク・タウバーの証言を読むといい。
アウシュヴィッツの様々な議論(9):証人の宣誓供述書1:ヘンリク・タウバー|蜻蛉|note
青酸ガスの爆発濃度下限値は56000ppmであり、人間の致死濃度はせいぜい2000ppm程度(一般には300ppmとされるが諸説ある)である。いずれにしても、ガス室内だけの話であり、ガス室外に漏れ出したとしても、濃度は低下してしまうため、引火の危険があるとは考え難い。否定派は、シアン化ガスの「濃度」を無視する傾向がある。実際には例えば、10ppm程度だと致死に至る可能性は極めて低い。そもそも青酸ガスの元であるチクロンBは害虫(及び害獣)駆除剤であり、害虫駆除作業で使える程度の安全性がなければ使えなくなってしまって全く意味がない。なお、詳細な話をすると、この火葬場の隣のガス室は、アウシュヴィッツのメイン収容所にある、現在でも観光用に公開されているガス室(第1ガス室)のことであり、ユダヤ人絶滅の現場であるビルケナウのガス室のことではない。流石に第1ガス室で処刑最中には、隣で火葬作業をしていたとは思えない。そこでは毎日稼働させるような大量の処刑はしていなかったからである。ビルケナウのガス室では、火葬場はガス室から離れていたので、引火の危険性を考えること自体おかしい。
遺体搬送の働き手は、いつ死んでもいいユダヤ人のゾンダーコマンドである。また、20時間の換気は、ディゲシュ社が想定した害虫駆除作業箇所でのものであり、様々な場所を想定した上での安全性を配慮しただけのことであり、必要十分な時間よりかなり長いマージンをとっている。しかしアウシュヴィッツのガス室は、室内はガランとしたただの空間であり、致死濃度でさえなければ、あるいはガスマスクを使用していれば、少なくとも死ぬ危険はなかったのである。実際、何人かのゾンダーコマンドの証言ではガスマスクをつけていたとの証言がある。十分な換気能力の換気装置のあったガス室と、自然換気で行ったガス室があったが、生存者証言によるとわずかに体調を崩した程度の証言があるのみで、死者があったと言う証言はない。また、非常に細かい話としては、地下型のガス室になっていたクレマトリウム2や3では、金網投下装置なる特殊なチクロン投入装置があり、これを利用してユダヤ人殺害を確認したのち、ガスを放出し続けるチクロンBを容器ごと天井から引き抜いたため、「ガスを放出し続けるチクロンB」の問題はなかったのである。
それは、ロイヒターやルドルフは、殺人ガス室とされた場所には存在していない、(シアン成分が鉄分と結合して化学変化した長期的に安定的な)プルシアンブルーを害虫駆除室で試料採取し検量したからである。プルシアンブルーが、青酸ガスが使われたら必ず発生するという証明は一切されていない。その上、害虫駆除室の壁面をよく見ると、プルシアンブルーのある場所とない場所がはっきり分かれており、これは青酸ガスが存在してもプルシアンブルーが発生しない場合があるという証明になっている。プルシアンブルー以外のシアン化物質成分は、非常に水に流出しやすいことがわかっている(ビルケナウのガス室のあった火葬場は全てダイナマイトで破壊されており長年に渡って雨曝しだった)。さらに、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンの使い方は、その残置時間が全然異なる。害虫駆除ではシラミはなかなか死なないので、通常は丸一日の燻蒸を行ったのに対し、殺人ガス室では証言によるところ、せいぜい三十分以内であった。死体の火葬処理の方に時間がかかるため、一箇所のガス室での集団処刑はせいぜい1日に一回、多くても2回が限度だった。したがって、殺人ガス室の後とされる場所にプルシアンブルーが生成されていなくても、何ら不思議はない。以上のことから、プルシアンブルーを含めない検査方法でなければインチキである。それをやったのが、ポーランドの公的機関であるクラクフ法医学研究所であり、結論として殺人ガス室があったとみなして良い結果を得たのである。
ロイヒター&ルドルフレポートに対抗したクラクフ報告とは。|蜻蛉|note
野外焼却の証拠は、まず司令官ルドルフ・ヘスの自叙伝に記載されているものがある。他にも複数人の証言がある。また、1944年中の米軍による航空写真にそれら証言が伝える場所での煙が写っている、さらにはユダヤ人ゾンダーコマンドによる極秘に取られた焼却中の写真もある。さらには1960年代に行われた民間会社による野外火葬場所の発掘調査で遺灰などが発見されている。否定派は、「アウシュビッツに焼却用の燃料がなかったこと」「どのくらいの燃料が必要だったかの客観的根拠」など、否定すべき内容についての証明を一切行っていない。なお、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所は、十万人規模の囚人と二千人規模の親衛隊員を有する巨大施設であり、燃料不足で燃料を使わずに活動・生活していたなど信じ難い。ユダヤ人絶滅は「総統命令」として実施されており、極秘作戦だったから、遺体の証拠隠滅も必須であり、戦争遂行と同じであって、何が何でも実施したであろうことは想像に難しくない。彼らは命令で動いていたのである。否定派は、何故ユダヤ人絶滅をやっていたのかを全く考慮していない。戦況が敗戦必至になって、絶滅作戦が中止されたが、それもまた親衛隊トップのヒムラーの命令であった。
今更何を……。[しかしいまだにアンネの日記のデマはツイッターなどでしばしば流れる]
Twitterホロコースト否定論への反論(18):アンネ・フランクの日記|蜻蛉|note
昔からあるアルマナック・デマと呼ばれる既に何度も論破された愚論。戦後のセンサスがアルマナックに反映されるのは1949年まで待たなければならない。それまでは、単に1939年の値からの推計値を記載していたのである。また、ニューヨークタイムズは後日、その数字を1200万人に訂正している。
ダッハウに米軍が入った時、大量の囚人の死体があったのは周知の事実である。ガス室のあった建物であるバラックX周辺にも遺体が山積みとなっていた。そして「浴場へ」と書かれた看板のある、ダミーシャワーのついた謎の部屋……、戦時中からドイツ軍がユダヤ人のガス処刑をしていることは広く連合国側に伝わっており、これらの状況からダッハウのガス室で大量虐殺をしていたと誤解しても致し方のない状況であった。米軍は当初勇足で「ダッハウのガス室での大量虐殺」を報告してしまった。しかし、直接的な目撃証言や裏付けのある証拠が当初は見当たらず、ガス室でのガス処刑があったとは言えないとわかるのは1960年代まで待たなければならなかった。のちに僅かな目撃証言と文書資料が見つかったが、裏付け能力に乏しく、「実験的なガス処刑があった可能性がある」くらいしか言えない。いずれにしても、歴史的事実がさまざまな調査研究により、後々になってより詳しく判明していくのは当たり前のことである。とくにおかしいところはない。
知らんがな。確かにNHKの番組ですら誤ったホロコーストの内容を伝えていることはある。実は著名な研究者ですら、非常に細かいところで誤った記述をしていることもある。しかし、日々のニュースでさえも、「先ほどのニュースの中に誤りがありました。訂正してお詫びします」を聞かない日はない。人は誤りを犯す生き物である。それが何か?
……ほんとにネット界隈(特にTwitter、Youtubeあたり)は修正主義支持者が多いので、誰か手伝って欲しいくらいなんだ……
医学生物学論文の 70%以上が、再現できない - 目次 | Nature
特に医学の試験・研究で、実施している薬や治療法などの性質を、医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法である。プラセボ効果や観察者バイアスの影響を防ぐ意味がある。
2016年11月12日放送 テレビ朝日 テレメンタリー2016「DNA鑑定の闇Ⅲ ~崩れる”証拠の王”の座~」
‟同じ『9カ所』のDNA型を持つ人間が複数人いた”というもの。実は、日本では『9カ所』を調べたDNA型が決め手で、実刑・服役中の事件がある。しかし、再審の請求すら出来ていない。唯一の証拠〝DNA資料〟が警察によって、破棄されてしまったからだ。警察が独占し、かつての「自白」に代わる〝証拠の王〟となったDNA鑑定。その闇に迫るシリーズ第3弾。
テレビ朝日系列 テレメンタリー2015 「DNA鑑定の闇 〜捜査機関“独占”の危険性〜」
DNA鑑定が一審有罪の決め手となった事件で、衝撃の再鑑定結果が出た。警察が「鑑定不能」としていたものを再鑑定したところ、簡単にできた上に、しかも別人のDNA型が出てきたのだ。なぜ、こうしたことが起きたのか。事件の深層をあぶり出し、捜査機関のDNA鑑定“独占”の危険性に迫る。
9箇所の型が全部一致する確率は「黒人では5億6千万人に1人、白人では7億5千万人に1人」とされてきたものの、約6万5000人分のDNA型を収録した犯罪データベースを調べたら、9箇所一致が122組も(10箇所一致は10組、11箇所だと1組、12箇所一致の1組は兄弟)
Observed partial matches in Arizona data
number of matching loci number of partial matches
9 122
11 1
12 1
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4846196089
血痕は語る
ttps://www.amazon.co.jp/product-reviews/4788701693/
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4946448187
UNLUCKY NUMBERS
Richard Gill is fighting the shoddy statistics that put nurses in prison for serial murder
これこそネットの力が発揮すると思うけどな。
https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401
下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)
▽取り違えの発端
日本が高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。
赤ちゃんのころの江蔵さん
産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。
出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。
Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届を墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区で暮らした。
▽「家族の誰とも似ていない」
「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃな子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電の運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。
お盆や正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。
中学卒業後は家を出て、浅草のおしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手、貿易関係など仕事を転々としたが、時代は高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。
10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社を設立。仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。
▽親子としてはありえない血液型
転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。
「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。
約7年後の2004年、福岡市に仕事の拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族の血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大の法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液を提供した。
▽「あの看護婦かしら」
約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。
「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」
衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」
母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。
すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都の担当部署に電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査と損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
▽「過失は重大。人生を狂わされた」
05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権が消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。
江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決は正反対の結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。
上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方の人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。
▽60人の候補者、誰ひとり拒まず
それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機で東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。
半年ほどかけ、約100人をピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。
反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。
ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。
▽該当者は黒塗り100人の中に
頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシーを理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟を東京地裁に再び起こした。
育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。
東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都内
その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初の訴訟に提出した陳述書で明かしている。
「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」
母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。
「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都の責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」
江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
[B!] 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
松木 洋人
大貫 挙学
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
事件あるところに法医学ありと、東大法医学教室の歴史の中で、数え切れないほどの鑑定書が作成され、法廷で証言がなされた。
松山事件、下山事件、財田川事件…。戦後の再審、無罪事件を中心に、東大法医学教室の事件簿から"恐るべき証人"の声を聞く。
第3章 下山事件
第7章 DNA鑑定
人口数について簡単に解説したけど、そのついでというかこんな話も。
ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人にありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツがドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育の世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所と絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊(映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である。現実の現地虐殺は映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。
そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラー・ナチスドイツは計画的にユダヤ人を大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的」とあるから、何やらナチスドイツはユダヤ人絶滅のために綿密なプランを策定してから絶滅計画を推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ、最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家が同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的=意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅を引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅がヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。
しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からのユダヤ人の排除だった。そして当初のユダヤ人排除のマスタープランであったマダガスカル作戦がバトル・オブ・ブリテンでのドイツの実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ人地域を東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約を勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパのユダヤ人をソ連地域へ追放するという東方移送計画が生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから、最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。
しかし、ユダヤ人のポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットーは悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さらに移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである。現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域のユダヤ人は危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。
このような流れの中、1939年頃から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮が実施されていくのである。だから、毒ガスの代表格であるとされる青酸ガス=チクロンBは最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンベから始まったのだ。もっとも、最初はポーランド・ポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域のユダヤ人殺害に転用しただけのことである。そのうちに、ガスボンベ積載車で地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジンの排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。
このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初の絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのである。リッツマンシュタット・ゲットーのユダヤ人を絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年に短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人が虐殺されたと言われる。
これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的なものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツはラインハルト作戦の収容所ではなく、そもそも一般の強制収容所・捕虜収容所であり、絶滅の機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘスの証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初のガス室はアウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのである(チクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態が不明瞭ではっきりしない)。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所のガス室(観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月頃から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人が虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所の第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力に問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室は1942年末で使われなくなった。
では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋にビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘスが自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』である。
ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題を引き起こしたので親衛隊トップのヒムラーの命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしまう事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺の情報は外部へ漏れてワルシャワの地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。
実は、ビルケナウのクレマトリウムにガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点で問題がありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所のガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連やアウシュビッツ博物館の資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュートが1942年12月19日の図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。
修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室を否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッド・ロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダの修正主義者、エルンスト・ツンデルの扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しかし裁判所から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツのガス室とされる場所の採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンBの合法的な使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ)駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味である。しかし、これは分析のルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。
その数年後に、ポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフの調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず、死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。
そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコーストを勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通のホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害がホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。
まずは次の話を読んでもらいたい。
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若い頃に大学の図書館で、昭和の頃(ハッキリと記憶していないが、昭和40年代以前だと思う)に書かれた古い法医学文献を漁っていた時のことである。その文献が書かれた当時「変態性欲」と呼ばれていた、現在で言うところの「性的マイノリティ」に関する記述に突き当たったことがある。法医学文献の中で、ストレートの男女性愛行動に関しては特段の記述が無いのにも関わらず、わざわざ性的マイノリティについての記述を設けること自体、その著者が「性的マイノリティ=犯罪者予備軍」という偏見の持ち主であったことを示唆するものであるが、ひとまずそれは横に置く。その箇所では「同性愛」について、概ね次のような内容の説明がなされていた。
曰く「同性愛行為は、異性との性的関係を結ぶのが困難な環境(例:服役中の刑務所の中など)において『代償行為』として観察される」と。つまり、この著者は「人間が同性愛に走るのは、単に異性にモテない/なかったから」と考えていたと推察される。
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さて、上の話を読まれた貴方は、何と思っただろうか?「なるほど、同性愛行為は後天的なものなのだな」と納得しただろうか?
アメコミ原作の映画『X-MEN』の中では、登場人物の一人が「自分はミュータントである」と両親に告白する場面が有る。その場面で、両親は「でも、それ(=ミュータント)って治るんでしょ?」と言う。同作品の監督ブライアン・シンガーや、マグニートー役のイアン・マッケランなどは、現実に同性愛者である。同性愛者の人たちは「親兄弟にカミングアウトしたら『それ(=同性愛)は治せるんだろう?』と言われた」という実体験を持つ場合が少なくない。上記の場面描写は、そのような同性愛者のカミングアウト体験を反映していると言われている。
これまでに同性愛者を苦しめてきた、あるいは現在進行形で苦しめ続けている考え方の一つが「人間の性愛行動は『後天的』に決定される。したがって、仮に同性愛行為に走る人間でも『治療』することができる」というものである。アラン・チューリングが『治療』された話を知っている人もいることだろう。その結果は余りにも残酷であった。
貴方は「酷い考え方だ」と思っただろうか?私は「酷い」と思う。現在の日本社会で暮らしている人間で、且つ余程の馬鹿でない限りは、同性愛者に対して「同性愛を『治療』してストレートになれば、苦しまなくても済むのに」などという言葉を投げ掛ける人間や場面に出くわしたならば、十中八九「酷い考え方」だと思うことだろう。
では何故、仮にそれが「冗談」や「皮肉」だとしても「ハッテンのすすめ」「モテない男同士で性行為を行えばよい」などと言うことを座視するのだろうか?「ストレートに対しては『後天的に同性愛者になればいいのに』と言っても、それは暴言にならない」とでも言うのだろうか?たとえ「冗談」や「皮肉」であろうとも、このような事を言う/書く人間は、心の中に「同性愛なんて『後天的』なものだから、簡単に『治る』」という愚かな差別思想を抱いていることの裏返しであろうと私は推察している。
恥を知れと言いたい。
ジョージ・フロイド氏の殺害で起訴されたデレク・ショービン氏の裁判に関する覚書。
計画性のない殺人。計画殺人だと第一級になる。上限は禁固40年。
殺害の意図が無い場合の規定もあり、ショービン氏に適用されているのはこれ。
フロリダ州、ミネソタ州、およびペンシルベニア州にだけある殺人罪(他の州では別の名前って場合もある)。
ミネソタ州では「人を死に至らしめることを意図せずに、人命の価値に対する極端な無思慮という邪悪な心情(a depraved mind)および他者に対する非常に危険な行為への従事によって、他人を死に至らしめる」こと。上限は禁固25年。
ミネソタ州では「過失により(他者にとっての)不当なリスクを生み出し、意識的に他人に死または重大な身体的危害をもたらす危険を冒すこと」。上限は禁固10年。
ジョージ・フロイド氏の検死は別々の医師により2回行われている。
ミネアポリスのヘネピン郡の病理医および主任監察官。5月26日に検死を行い正式な調査結果は6月1日に発表された。
フロイド氏の健康状態は特に循環系で悪く(動脈硬化、高血圧、心肥大等)、警官の制圧行為(頸部・背部への強力な圧迫)によりこれが悪化し死に至った、というのが検死の最終的結論であり、これは殺人であると認定された。
ただし、検察に提出した予備調査結果が5月29日に公表された結果、不完全な情報が独り歩きしてしまった。
「世論の圧力で検死結果が変えられた」的な陰謀論はこれが原因だろう。
フロイド氏の家族が検死を依頼した。6月1日に結果が公表された。
制圧行為が死因になったことはベイカー医師の検死結果と同じだが、より踏み込んでベイカー医師が断言していない頸部圧迫による扼殺を主張している。
ベイカー医師の検死より利用できたデータが少ないため信頼性は劣るが、最終的な結論は同じである。
「ジョージ・フロイド氏に手錠をかけてうつ伏せにして、でも膝で押さえつけたりせずにただ放置していた場合でも、彼は死んでいたのか?」という問いに検死結果は「No」と答えた。
白人6人、非白人6人の計12人。BLMや警察への傾倒が強すぎる人は除外。事件現場の近所に住んでた黒人も除外。民事裁判での和解で意見が変わった人も除外。etc.
本当は事件のことを知らない先入観の無い人が好ましいが、そんな人はいないので選ぶのに苦労したそうだ。
第二級殺人罪、第三級殺人罪、第二級故殺罪のすべてで有罪判決。量刑は最大で禁固40年。
8週間以内に量刑の審理が始まり、その結果で最終的な量刑が決まる。ミネソタ州のガイドラインだと12.5年くらいになりそうだが、検察としては15年以上を期待しているそう。
検察側証人38人に対し弁護側は7人。しかも後者の反論がよろしくなかった(後述)。
検察側証人には多数のベテラン警察からショービンの上司、訓練教官までが含まれており、彼らはショービン氏の制圧方法が標準的なそれとはかけ離れていることを証言した。
ショービン氏の受けた訓練記録も提示され、それではうつ伏せで手錠をかけた場合は窒息を避けるため速やかに回復体位をとらせるべきとされていた。
弁護側証人でこれに反論したのは1人だけで、彼の制圧は正当で合理的だと主張したが、「テーザーガンで撃たれた人が倒れて頭打って死んだら、それは殺人じゃなくて偶然の死」と雑なことを言ってしまったため印象悪し。
先にも言った通り、警察による制圧とフロイド氏の死の因果関係は公的に認定されているが、それを覆せる証言は弁護側からは出てこなかった。
検察側証人からはフロイド氏の血中の薬物の濃度が死亡には程遠い事(死亡者のそれの8分の1程度)や、過剰摂取者では通常みられない代謝産物が検出されたため、薬物による死亡は考えにくいことが示された。他にも低酸素による死亡を支持する医師も多数。
また、弁護側証人の「フロイド氏は健康状態と薬物使用とパトカーの排気ガスで死んだ。制圧は無関係」という主張も、検察側証人の再反論(血液検査では排ガス中毒の痕跡はない)で潰されている。
弁護側は2019年にフロイド氏の逮捕された時の映像を見せて「彼は警察に対してパニックになって偽り(faked)な対応をするパターンがある」と指摘して彼の「息ができない」等の発言が虚言であることを示唆した。
正直に言うと陪審員の弁護側への印象ガタ落ちでは?なぜこんな戦略をとったのか謎。
「息ができない」が嘘なので窒息死も嘘って言いたいのか。でも証人の証言がそのラインにあまり乗ってないのでは?:
2019年に逮捕した元警官「手を見せろと言っても従わなかったので銃を向けたが、彼はひどく神経質に見えた」
2019年の逮捕時に健康状態を見た救急隊員「高血圧で脳卒中リスクがあった。あと鎮痛剤使ってた」
SUVの同乗者「フロイド氏はカップフーズ(逮捕される時にいた場所)で居眠りしてた」
ミネアポリス公園の警察官「(フロイド氏の拘束現場の)群衆は警官に対して非常に攻撃的だった」
ミネアポリス警察の医療支援コーディネーター(質問を受けて)「フロイド氏が興奮性せん妄の可能性はある。興奮性せん妄が急な心停止を引き起こす可能性はある」
残りの2人は上で言及済み。
7人全員集めても何言いたいのかわかんないのは凄い。統一感ないぞ。
検察側も褒められたもんじゃないけどね。イメージ戦略。逆方向で。
フロイド氏の遺族や彼女はまあいいが、目撃者の9歳女子はダメでしょ。実際証人として除外されたし。
デレク・ショービン氏はジョージ・フロイド氏をうつ伏せにして後ろ手に手錠をかけた後、7分以上頸部を膝で圧迫した。そしてフロイド氏は心肺停止に陥り死亡した。
そして……
目撃者からの足を退けるようにとの要望も無視あるいは拒否した;
死亡は薬物によるものではなかった;
死亡は膝による頸部圧迫によってもたらされた;
野木氏の書いている主人公(または主人公サイド)はいわば「持っている人」しかいない。
全作品目を通したわけではないが、「持ってない人」が主人公サイドに組み込まれたことはあっただろうか。
逃げ恥は原作ありなので多少違うかもしれないが、主人公のみくりははかつての彼氏に「小賢しい」と言われるほど頭がキレる女性だった。
その小賢しいが呪いだのなんだの言われているが、地頭がいいということである。これは「能力」といっていいだろう。
夫婦になる平匡もである。拗らせた童貞という一種の劣等感は持っていたが、正規で働き、家政婦を雇える収入を得ていた。
そして二人とも性格がまともな両親に恵まれ、お金の心配せずおそらく大学まで通わせてもらっている。もうここである意味勝ち組である。
そんな勝ち組二人が子供が出来き、夫婦となり問題を乗り越えていくSPはこれでもかというぐらいキラキラしていた。
金銭的に余裕があり、話が通じるパートナー、そして助けてくれる両親と友人と親族。
百合ちゃんは子宮体がんで病院に付き添っ杖くれる人がいないといいつつ高校生時代の友人に助けてもらえ、
嫌な役と感じていた上司は実は頼れるいいやつだったというオチ。
何故ならば自分には、助けてくれる、友人も家族もお金もないからである。
だから自分は羨ましい。野木作品にでてくる「持っている人間」達が。
アンナチュラルでは法医学者という手に職をつけ、くいっぱぐれない女性が主人公だった。
MIU404では警察官二人が主役である。よほどのことがない限り定年まで勤めあげられる職業であった。
両者とも「持っている人」である。
「持ってない人」は舞台からいなかったものとして排除されるか、被害者か加害者になるしかない。
それが自分は一番苦しい。
野木作品では「持ってない人間」は加害か被害されないと問題提訴できないのである。
そして「持ってない人」は概ね、主人公たちが試練を乗り越え、ますますキラキラするための舞台装置でしかない。
よく社会問題を扱っているともてはやされているが、本当の底辺の問題は全く取り扱ってもらえないのだ。
それがものすごく辛くてしんどかった。
はっきりいって、もうね、100対0、1回コールド勝ち、相撲なら1.0秒押し出しのレベルで、完膚なきまでに岡村は負け。
矢部が致命的と表現したように、どっからどう考えても岡村はダメな発言したんですよ。
個人的にも、全く賛成というか擁護のしようのない発言だとは思う。
でも、「降板」を求める署名ってのはやり過ぎで、吐くような嫌悪感がある。
その間に、上げた拳、相手を殴った拳の始末が分らなくなくなっちゃったんだろう。
相手の人間性が見えてない状態、「女性を物としてみてきた旧弊」という抽象的な物を攻撃してたつもりが、
「コンプレックス満載で、コミュ障で、人間関係を築けない48歳のおっさん」という「個人の顔」が見えてきて、
攻撃してる方が戸惑ってしまったのだと思う。だから「降板」は求めるが「追放は求めない」とか支離滅裂になってきた。
人を刺して血が流れたのを見て、初めて相手が人だったと分って戸惑う少年犯罪っぽさがある。
初めて、「抗議した相手は抽象的な悪の象徴でなく、人格ある具体的な人間だった」と気づいた。
しかし「降板を求める!」と思いっきり殴ってしまった。自分の行動の整合性をつけられない混乱が見て取れる。
岡村を思いっきり批判していた活動家が「岡村の混乱が分った」というが、混乱してるのはお互い様だろう。
今回の件、簡単に言うと、「喧嘩慣れしてないやつは加減が分らない」というやつだ。
岡村批判派は、どっからどう考えても勝てる正当性という武器を持ってる。岡村の敗北は確定してる。
丸腰の相手に正義という超有力な包丁を持ったうえで喧嘩に臨んでる。
で、その武器を加減せずに使ったら、返り血浴びて、相手が意識を失ったのを見て、我に返って自分のしたことに気づいた状態。
喧嘩慣れしてる人間なら、自分が強い武器を持ってる時ほど、その扱いに気を付ける。
相手に重傷負わせて返り血浴びるようなとこまで、相手のことを傷つけない。
だけど、一発目から致命傷の刺し傷与えちゃうのが、そもそも喧嘩慣れしてない弱者。
法医学者によると、遺体に40箇所メッタ刺しみたいなとき、犯人は凶悪な犯罪者ではなく、むしろ、弱者。
相手が反撃能力を失ったのに、メッタ刺しでダメージを与え続けるのは、
攻撃を辞めたら反撃されるという潜在恐怖が抜けていない。
喧嘩慣れしてる人間は、必要以上のダメージを与えず、最低限で仕留める。
岡村の謝罪を受けても、意固地になって署名を集め続ける若い人達の行動は、
返り血を浴びて、相手が人間だと言うことを認識したが、今の攻撃を止める勇気も無く、
また、反撃への怖さから、メッタ刺しをし続ける、喧嘩慣れしてない少年のように見える。
反撃できない相手にメッタ刺しをし続ける、そのやり過ぎた残酷さから、周囲が引いているのも気づかずに。
攻撃を止めたら負けと頑なに信じて、強迫観念で、相手を攻撃し続ける。
それが、若さというのかもしれないけど。
私は、そこに、嫌悪を感じる。