はてなキーワード: サッカー場とは
つい最近起こった出来事ですらもよく知らないことがほとんどだろう。
例えばウイグル自治区でほんとにナチスドイツのやったような虐殺は行われているのだろうか?
遺体焼却用らしき『電気炉』の話をする、なんとか協会のウイグル人副理事をyoutube動画で見たけど、証拠は一切ない。話をよく聞いているとどうも噂レベルの話のようである。
私個人はウイグル人の弾圧はあっても、大量虐殺などはどうも胡散臭くて信じがたいと思っている。
そもそも中国共産党にウイグル人虐殺をする理由がない。とは言え、事実はまるでよく見えてこない。
最近の事象ですらこうなのだから、昔のことになればなおさらだと思う。
私でももちろん知らないことはいっぱいある。私などは不勉強すぎて、日本の戦時中の話ですらどうなっていたのかまるでよく知らない。
だから、はてな民のような平均的ネット民に比べれば多少はリテラシーのある人達でもホロコーストのことをよく知らないという事実は、過剰な期待をはてな民にしてはいけないという意味で、ある程度は致し方ないことだと思う。
記事の中にさえきっちり書いてあるのに、何が「ドイツ」なんだろうか?
id:haru-k 自国の辛い歴史を正面から見切るドイツに敬意。
id:kanose 『アウシュビッツ 死者たちの告白』の書き起こし。番組を見たけど、地中に埋められていたメモが発掘、しかし解読不能だったのが、やっと解読できて、内容がわかってきたというドイツの執念がすごかった
この人達が、アウシュヴィッツ(博物館)がドイツではなくポーランドにあるという事実を知らないのも恥ずかしい話だが、もっと恥ずかしいのはこの2つのブコメにスターがたくさん集まっていることである。
それを知らなくてもアウシュビッツ強制収容所がドイツにあると誤解しているのは珍しくもないので別にしょうがないとは思うけど、記事の中に書いてあるだろ、
とはっきりと、しかも冒頭近くに。研究してる人も下記の通りである。
「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチスは大量虐殺の目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部部長 ヴォイチェフ・プウォサ)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所・絶滅収容所は、アッパーシレジアと呼ばれるポーランドの南、スロバキアとの国境近くにある。行った人なら知ってるかと思うけど、結構遠くて辺鄙なところにある。
元々はポーランド軍の兵舎だったところで、1939年9月1日にナチスドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦で、要するにポーランド軍を追い出したのである。
そしてこのアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所がこれほどまでに有名になったのは、戦争期の後半にはビルケナウこそがユダヤ人虐殺絶滅政策の要になった収容所だからだ。
戦後すぐから冷戦末期まで、旧ソ連が適当な推計計算を行ったがために四百万人のユダヤ人が虐殺されたとされていた。ビルケナウの遺体焼却炉の火葬率を大幅に過大に評価したためである。ちなみに、冷戦時代からそれはあまりに多すぎると西側研究者は言っていた。だって、ユダヤ人移送記録からかけ離れているし、精度の高いユダヤ人人口計算から言ってもアウシュヴィッツだけが突出して多いために計算が合わなくなるからである。
しかしそれでも、百万人も工業的にユダヤ人を虐殺し得たのはビルケナウしかなかった。
アウシュヴィッツ以前は、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカ、ヘウムノといった絶滅専用収容所でユダヤ人工業虐殺をやっていたが、こっちの方は、もう一つある絶滅収容所の機能を持つマイダネク以外、全てナチスは破壊処分して証拠隠滅されて残っていないのである。なお、アウシュヴィッツ以外の絶滅専用収容所トータルでざっと二百万人のユダヤ人が虐殺されている。
何故か。極秘裏にユダヤ人虐殺をやったからである。またポーランドは鉄道網が発達していて、効率的なユダヤ人大量輸送を行うことが可能だったのである。
ナチス親衛隊は、ユダヤ人虐殺を徹底的に隠蔽し、「ガス室」や「処刑」といった言葉ですらも文書記録にほぼ残さずにやったのだ。
ナチス親衛隊のトップ、全国指導者であったヒムラーは、部下にヤバい言葉の訂正まで命じている。
あのユダヤ人問題最終解決を話し合った有名な身内以外いないヴァンゼー会議ですらも、処刑だの虐殺だのという言葉は使わずせいぜいが「適切な処置」だの「特別な処置」というような曖昧な言葉しか議事録には残さなかった。
殺される側のユダヤ人にしても「シャワー室に入れ」である。ガス室の周りには「消毒はあちらへ」などの騙すための看板まで掲げられていた。
こうした徹底的な隠蔽工作(つっても、完全な隠蔽は無理で、虐殺を明示的に示す文書はたくさん残っているが)は、戦後の否認論者に付け入るすきを与えてしまったのである。否認論者に取っちゃ証言など「信用できない」で一蹴できるので、どんなに膨大な証言記録があっても全部ウソにされるからね。
『否定と肯定』という映画を見た人も多いと思うが、あのデヴィッド・アーヴィングの背後に一体何人の歴史修正主義者・否認論者がいると思うだろうか? もちろん推測でしかないが、アーヴィングの応援者は何万人もいたに違いない。
アーヴィングの主張にしたところで、彼が否認に用いた主張のほとんど全ては、お仲間の否認論者のものばかりである。フォーリソンであったり、バッツであったり、ロイヒターであったり。
彼ら否認論者の主張は、知っている人にとっては噴飯ものでしかないのだけれど、無知な人を騙すことにかけては絶大な高価を発揮するとてつもなく狡猾な主張である。
例えば、マルコポーロ事件でおなじみの日本の代表的な否認論者である西岡昌紀が一番良く使う否認論を紹介しよう。
さて、これを言われてあなたはどう思うだろうか? 答えは敢えて言わないでおくが、この懐疑論に即座にきちんと答えられる人はきっと少ないに違いない。あるいは、こんなのはどうであろうか?
といちいち上げていったらほんとにきりがないほどの細かい否認論がある。これらもいちいち回答は言わない。問題は、無知な人はこうした否認論に容易に騙されかねないということであり、実際に大勢騙されているという現実である。
未だに、あのクソみたいな西岡論文を信じている奇特な人たちも存在するのである。
ちゃんと教えといてあげるわ、ユダヤ人人口は当時、ポーランドはドイツの大まかに言ってざっと十倍はいたんだよ。
追記:
ほんとに何も知らない人が多いなぁ。
id:deep_one ガス室の謎の一つに「チクロンBでは毒性が低すぎる」っていうのがあるのだが、ガスの種類は明記してあるのだろうか?別のガスを使ったんじゃないのか。一酸化炭素中毒の方が簡単って話もある。
まさかチクロンBの毒性を疑う?(普通の否認論者は毒性が強すぎるという疑問を言うのだが……)HCNって化学式なんだけど、知らないのかな? 「青酸」とも言われる猛毒だよ。当時は広くシラミ退治用に使ってたんだ。シラミは不衛生な上に当時大流行していたチフスを媒介してしまうからね。だけど、人の場合シラミより遥かに低濃度かつ短時間で殺害可能なんだよ。チクロンBっていうのは珪藻土に青酸を染み込ませてあるわけよ。これが空気に触れて26度以上になるとガスを放出する仕組みなんだ。ガス室に裸にした人間をぎゅうぎゅうつめに押し込めて、壁の上や天井からチクロンBの缶を開けて、その珪藻土の粒を部屋に落とすんだ。ぎゅうぎゅう詰めだから26度なんて超えてるしね。あっという間さ。阿鼻叫喚の中10分程度で死んだそうだ。
別の場所では一酸化炭素も使ってたよ。アインザッツグルッペンは現地でガス車を使ってたし、T4作戦でも使われた。ソビブルやヘウムノなどの絶滅収容所でも使われたよ。
近所に長い間病気で寝たきりだったおじいさんがいたんだけど4年前に亡くなった。
当初つきっきりで看病をしていたおばあさんはショックで寝込んだり入院したりで、
いつ後を追ってもおかしくない位に気落ちしていたんだけど、半年経った位から
次第に明るくなり白髪だらけでボサボサだった頭も綺麗に染めてパーマをかけ、
すっぴんだった顔もバッチリ化粧をし、地味な色合いだった服装もこじゃれた華やかな色合い
になってすっかり別人のようになり「彼氏でもできたんじゃないか」と近所で噂になっていた。
ある日、私と母が犬の散歩をしていると道端でおばあさんに会い「お茶でも飲んでって」と家に呼ばれた。
その時に母が「最近明るくなったよね」と言うとおばあさんは「そうなの!これ見て!」と
旦那さんの遺影が飾られている仏壇から手紙を取り出して見せてくれた。
それは遺品整理の時に見つけたと言う旦那さんからの最後の手紙との事で
非常に丁寧で柔らかい筆跡で「僕はあなたより先に行きます。あなたには本当に迷惑をかけた。
僕はあなたの明るく溌剌とした笑顔に惹かれ結婚を申し込みました。
どうか僕が死んだらあの時のようにいつも明るく元気でいて下さい。
存分にお洒落をして沢山遊んで笑って下さい。僕はあの世からあなたの笑顔を見ています」
だいたいこんな内容
「読んだ時、嬉しくて嬉しくて…だからしょげてられないって思って月に2回美容院行って、
なるべく綺麗にして外に出るようにしてるの」とニコニコなおばあさん、
そして涙腺崩壊の母。私もウルッと来た。
これだけだとしんみりした話なんけど、衝撃だったのはその後。
「夫の好きだった野球を観に行こう」とちょくちょく野球観戦に行くようになり、
そこからサッカー観戦、バスケ観戦、バレー観戦ととにかくスポーツ観戦ばかりをするようになった。
もう80歳過ぎてるんだけど、出かけているうちに体力ついたらしく見る度に姿勢が良くなっていた。
兄はサッカー場で2度、私は野球場で5回くらいユニフォーム着て
しかも「このバッター、去年は盗塁○個だったけど今年この時期でまだ○個じゃ心配ね」とかサラリと詳しい。
そして今年、東京ドームで行われたWBCの試合の時に青いユニフォーム着て
観客席ではしゃいでる姿がTVに映っていて「何か1人で行ってるっぽいぞ!」と近所中で話題になり、
「次はイタリアでACミランの試合が観たいの」とどんどんとアクティブになって行くおばあさんに
衝撃を受けた。
このことを考えるには「本とは何であるか」を今一度考える必要がある。
本はもともとは「情報を記録してより多くの人に伝達する」ためのものだろう。
「作者が金銭を得る」ことは本来なら「副作用」に類するものだ。
「本とは何であるか」を見失ってしまったから複製が罪とされるのだ。
もちろん、これは個人の感想に過ぎないが、もし間違っているなら教えてほしい。
本とは一体何なのか?
なぜ本を複製することが罪となるのだ?
※なお「本」をテーマとしているのは真偽は不明であるがダウンロード違法化は出版業界の要請であるとされているため。
もはや、この前提が正しくないのかもしれない。
ミリオンセラーを出せば巨額の富を得ることできたのが、よくない。
「良い商売」になってしまったから権力構造が生まれることになる。
当初の目的は忘れ去られ、一部の人間のための理屈が全体を支配する。
かつては「製本にコストが必要」だったから、その費用を請求したに過ぎない。
しかし現代ではデジタル技術によりゼロコストでの複製が可能だ。
「本を出したい側」すなわち「情報を記録したい側」「情報を伝達したい側」にとっては「無制限にいくらでもデジタル複製できる」現代の状況は本来ならば喜ぶべきことではないのか?
記録性や伝達性を高めるために生み出された手段としての本だが、逆にそれらを喪失しつつある。
複製が悪と言うならばテクノロジーは間違った方向に進んでしまったのだろうか?
「本を売る」ということで作者の生活を保障するシステムだ……、というのは一理あるだろう。
だがシステムとしては欠陥まみれだ。拗れすぎてしまった。まるでスパゲッティコードだ。
通説では「本を売るだけで生活できるようになれば生活のすべてを本を作ることに費やすことができる」とされている。
しかし「売れること」への強迫観念が質的変化をもたらしてしまった。
「売れなければならない」から表現したかったことを切り捨てる。
だというのに本は売れずに儲かりもしないなら怒りも沸くだろう。
一体誰が得をしているというのだ?
「本が売れなければ作者は生活できない」とは作者になれた側の理屈だ。
日の当たることのないものは闇の中へ葬られ、なかったことにされているだけだ。
「本を出す」ということが「競争に勝利した」という別の意味合いへと変容しつつある。
半ば競技化した出版競争というものは他人を踏みつけた上にある勝利だ。
ジャンルにもよるが、作品の中でどれほど綺麗事を語っていても、背景にあるのは血生臭い権利の獲得競争だ。
トロフィーの価値が下がるから「本は売れなければならない」という逆説的理論が構築される。
目指すべきは「本が売れなくても生活できる」社会ではないのか?
ところで映画や音楽はいち早くダウンロード違法化を取り入れた。
しかし音楽なら公式にMVが公式に無料配信され、映画なら地上波で放映されるものも珍しくない。
有名な作品ほど、そうなる。
結局はダウンロード違法化とは裏腹に無料でデジタル・コンテンツが提供されている状況だ。
その一方で知名度の低い作品は人に知られることもなく消え去っていく。
ダウンロード違法化によってデジタルデータ販売の収益が得られるようになったのだろうか?
映画ならば映画館が、音楽ならばライブハウスやコンサートホールがある。
野球ならば野球場、サッカーならサッカー場、バスケットボールならバスケットコート、プールならプール、ゴルフならゴルフ場といった具合にだ。
「他人の土地に無断で立ち入ってはいけない」という始原的なルールに基づいているためだろう。
うまくいっているファンビジネスには施設があって、うまくいっていないファンビジネスには施設がない。
本は施設との結びつきが弱い。
「基盤となる施設の不在」こそが本の作者の食えないことの最大の要因であるとは考えられないだろうか?
本にも書店、図書館、漫画喫茶といった関連施設があるにはある。
デジタルデータのない時代、本は書店に行かなければ入手することができなかった。
書店は「発売日に本を手に入れる」という日常の中でのプチイベントを提供する施設であったといえる。
しかも売る側の人間が「本と電子書籍は同じ価値ですよ」と宣伝しているのだ。
書店でのサイン会のようなイベントは「宣伝になるから」という理由で無償であることが慣例となっているらしい。
むしろデジタルデータが無料でサイン会が有料であるほうが直感的ではないか?
テレビで放送されてこそ「遊園地で僕と握手」というシステムがなりたつ。
アニメ業界も同様に施設を持たないから金策に苦労するのではないだろうか?
イラストレーターならアトリエ、アニメならアニメスタジオのような施設はあるが、これらは工場に近い。
売れないといわれているアニメ業界だが、一部のアニメ映画はその例外のようだ。
映画館という施設のパワーを借りたからうまくいったのかもしれない。
もし何のアイディアも思い浮かばないようであれば出版業界になんの存在意義があるのか?
出版業界などダウンロード違法化と一緒に崩壊してしまえばいい。
もしも作者と読者が直接的に結びついてしまえば出版社はお役ごめんだ。
今後の生き残りを狙うなら出版社にも施設を用意する動機はあるはずだ。
商業施設というのはただそこにあるだけでなく「関係性」を提供するものだ。
演者と観客、対戦相手、講師と受講生、提供する側とされる側といった関係性だ。
お金を持っている人、お金を使う人、あるいは大勢の人との「関係性」を提供する「施設」だ。
ここでいう施設というものはまったく新しい概念でなくてもかまわない。
地図でも開いて目に付く限りの施設を本と結び付けて考えればアイディアのひとつも思い浮かぶことだろう。
いま話題になっている南青山の児童相談所。その学区である青南小に通っていたので経験を書きたい。もう20年以上前になる。我が家は、私が小学校にあがる時期に合わせて南青山(5丁目)に引っ越した。卒業後は、他県の私立中に入ったので、引っ越したし、私は今は別の区に住んでいるので、最近の南青山事情は知らない。この話は、表参道の駅が綺麗になる前のことだ。(いまは本当に綺麗な駅だよね)
だいぶ昔なので、いまは少々事情が異なるかもしれない。はじめに結論を書くと、“貧乏な子”たちは児相云々以前に青南小に存在していたし、家庭に事情を抱えている子もある程度いた。そして、私はそういった子たちを受け入れられるような教育を受けた。
児相が出来てもし青南に通うことがあったら、恐らく学校の中で受容されて社会になじめるようになるだろうし、“金持ち”の子たちも多様性を理解できるようになると思う。特に、中学校受験をして私立に通えばそういうバックグラウンドを持った人たちと関わることはほぼ無くなるので教育上プラスに働くのではないか。私はプラスになったと、いま感じている。
さて、青南小学校に通っていた頃、私の学年には100人弱の生徒がいた。その内、4割が越境(近場はガーデンヒルズ。あとは世田谷が多かった)、2割が地元に元々住んでいた人、4割が私のように小学校に合わせて南青山に引っ越してきたり公務員住宅に住んでいた人だったと思う(引越民)。越境の割合はほぼ間違いないが、地元民と引越民の割合はすこし違うかもしれない。
そう、越境が意外と多い。そして越境はだいたい金持ちだ。緊急時の下校班みたいのがあって、帰る路線別に班になっていたので、学校の先生たちも越境前提だったと思う。いまは越境のハードルが下がったと聞くので、もっと多いかもしれない。
また、校舎の目の前とフロムファーストの裏の2箇所に官舎が有り(当時)、財務省が外務省などの役人の子息が多かったように思う。彼らも金持ちだったし、親がプライド高いのか、本人らもプライドが高い子が多かった。とは言え、根は優しいので少なくとも表向きは皆と仲良くしていた。
地元民は意外と質素な暮らしをしていた。彼らは北青山の団地や、根津美術館の脇から西麻布に抜けるエリアに住んでいた。家に遊びに行くと築40以上の一軒家に住んでおり、車も持ってなかったり、持っていても国産車だったりした。家の中も取り立てて豪華でもない。共働きも多かった。団地の子たちは片親だったり、何かしら事情がある子だった。そう、児相に駆け込まざるを得ない子たちと同じ背景を持った子たちである。
そうした子達が問題を抱えていることは教師が生徒たちに説明することもあり、ある子が不登校になった時は(いじめはなかった)、皆で解決策を考えて受け入れられるように環境を変えたこともあった。
私は“金持ち”の部類だったと思う。だが、“貧乏な子”たちも遊んだ。小さい公園が西麻布の手前にあるのだが、その公園でなわとびをしたりしてよく遊んだ。赤坂の米軍基地の裏のサッカー場でみんなでボールを持って行って遊んだりもした。こどもの城のラウンジでカードゲームをして1日中過ごしたりした。子供の間では親の所得や職業などは知っているが特に意識せず、それによって階層が出来たり、仲間はずれができたりしたことはなかった。
過半数の“金持ち”の子は育ちの良いので素直だ。まだ自意識などが固まらないうちに、多様な背景を持つ子と生活することで、損得や利己的な感情ではなく、人と人として向き合えるようになると思う。
いま児相建設に反対している親は他人の子が「かわいそう」などと思わず、自分の子が将来心の広い人物になれるように、児相建設に賛成するようになってほしい。
ベタに、サクラダファミリアとかグエル公園とかを回っていて、ほぼ電車で移動をしていた。
とある場所で電車にのり、次の目的地に向かおうと思ったら、電車がめっちゃ混んでいて、みんな旗を持っている。
「サッカーのチームの旗かな?サッカーの試合でもあるのかなー?」と思っていたくらいのノリだった。
ある駅で大半の人が降りていったので、興味本位でついていった。
地上に出ると、都内の花火大会くらいの混みっぷりで、みんなが同じ方向に向かって歩いている。
「やっぱり本場のサッカーの人気って凄いなー」くらいでしか思っていなかったのだが、
10分ほど一緒に歩いてみても、サッカー場が見えるわけでもなく、パブリックビューイングの様相もない。
周りでは「イ!イナ!イナビカチオ!」と、叫びながら老若男女問わず歩いている。
サッカーの雰囲気でも無いような気がしてきたので、隣で歩いていた人に片言の英語で聞いてみた。
すると、彼も片言の英語でこう答えてくれた。
「カタルーニャ地方は、昔から独立をしたいんだ。今日は独立のデモなんだ。」
「イナビカチオってのは、英語でいうとインディペンデントの意味なんだよ。」
衝撃が走った。
彼と話したあと周りをみた。
孫と一緒に参加している老人や、家族連れの人たちも皆「イ!イナ!イナビカチオ!」と独立を叫んでいた。
サッカーの旗だと思っていたものは、カタルーニャ地方の旗印らしい。
住民が一丸となってスペインからの独立を願っているのは、日本だと見ない光景だなと。
日本だと一部が騒ぐだけだと思っていて、冷静に見ている自分がいる。なさけない。
そのようなことを考えていたら、何故か自然と涙が出てきた。
というか、号泣していた。
感動・熱量・落胆・反省、色々な感情が一気に出てしまったのだと思う。
カタランに囲まれたアジア人が1人で号泣しているのは、不思議な光景だったろう。
後ほど調べたら「2010年カタルーニャ自治抗議」というらしい。100万人近く集まったとのこと。
後日談だが、
その勢いもあり、日本に帰って某政治塾に応募した。ある程度の倍率のなか受かった。
入塾式で周りを見渡すと、初対面同士だがチラホラ会話が聞こえる。
大半は男女の会話で、女性の周りにいる男性が声をかけた感じだろう。
入塾式での男性同士の会話はほぼなかった。
それを見て、なにか落胆したものを感じてしまい、塾を途中で辞めてしまった。
だが、今もその政治塾の人とは交流はあるので、行ってよかったとは思っている。
たまにこの経験を思い出し、自分にはなにが出来るんだろうと思うときもある。
経済的に、この国を盛り上げていく方が向いているんだろうなとか思ったので、
今はそれに近いような会社をやっている。起業支援・成長支援等が生業だ。
自分へのリマインドを兼ねたメモとして、この経験を増田に投下しておこうと思う。
カタルーニャがんばれ!
イーガン音頭(あるいはイーガン節)っていう、オリジナルの音頭なんだ。
イーガンってのは外国のSF作家らしい。俺は読んだことないんだけど、町内会によく顔を出してる妻は忖度的ノルマで本を読まされるらしい。
妻は楽しそうに読んでいるのだが、他人に押しつけられたモノを楽しく読んでいる姿をみて夫としては内心穏やかではない。
妻がいきなり、ワンの絨毯で構成される巨大な生物がもつハードディスクのなかで計算される宇宙に意識のある生物がいる! とかヤチマやっちまったな! とか
スプリンターの可愛い虫たちがほとんど一代でアインシュタインを超える! とか。
妻が語るようなイーガン作品をバックグラウンドに、数年前に町内会副会長はオリジナルのイーガン音頭を作成。会長の承認を経て正式な音頭になった。
きょうも祭りの準備。集会所前の公園から囃子の音が聞こえてくる。子供達はバーチャル空間のサッカー場がうんこやゲロやヒツジにまみれる「くだり」を何の疑問もなく当たり前のこととして、楽しんでいる。