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2020-09-08

歴史問題の難しいところ〜Nスペアウシュビッツ 死者たちの告白

アウシュビッツ 死者たちの告白 | NスペPlus

つい最近起こった出来事ですらもよく知らないことがほとんどだろう。

例えばウイグル自治区でほんとにナチスドイツのやったような虐殺は行われているのだろうか?

遺体焼却用らしき『電気炉』の話をする、なんとか協会ウイグル人副理事youtube動画で見たけど、証拠は一切ない。話をよく聞いているとどうも噂レベルの話のようである

個人ウイグル人の弾圧はあっても、大量虐殺などはどうも胡散臭くて信じがたいと思っている。

そもそも中国共産党ウイグル虐殺をする理由がない。とは言え、事実はまるでよく見えてこない。

最近事象ですらこうなのだから、昔のことになればなおさらだと思う。

私でももちろん知らないことはいっぱいある。私などは不勉強すぎて、日本戦時中の話ですらどうなっていたのかまるでよく知らない。

からはてな民のような平均的ネット民に比べれば多少はリテラシーのある人達でもホロコーストのことをよく知らないという事実は、過剰な期待をはてな民にしてはいけないという意味で、ある程度は致し方ないことだと思う。

 

しかしそれでもがっかり来る。

記事の中にさえきっちり書いてあるのに、何が「ドイツ」なんだろうか?

 

id:haru-k 自国の辛い歴史を正面から見切るドイツに敬意。

id:kanoseアウシュビッツ 死者たちの告白』の書き起こし。番組を見たけど、地中に埋められていたメモが発掘、しか解読不能だったのが、やっと解読できて、内容がわかってきたというドイツの執念がすごかった

 

この人達が、アウシュヴィッツ博物館)がドイツではなくポーランドにあるという事実を知らないのも恥ずかしい話だが、もっと恥ずかしいのはこの2つのブコメスターがたくさん集まっていることである

それを知らなくてもアウシュビッツ強制収容所ドイツにあると誤解しているのは珍しくもないので別にしょうがないとは思うけど、記事の中に書いてあるだろ、

 

中でもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」では、およそ110万人がガス室などで殺されたとされる。

 

とはっきりと、しかも冒頭近くに。研究してる人も下記の通りである

 

「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチス大量虐殺目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部長 ヴォイチェフ・プウォサ)

 

アウシュヴィッツビルケナウ強制収容所絶滅収容所は、アッパーシレジアと呼ばれるポーランドの南、スロバキアとの国境近くにある。行った人なら知ってるかと思うけど、結構遠くて辺鄙なところにある。

元々はポーランド軍の兵舎だったところで、1939年9月1日ナチスドイツポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦で、要するにポーランド軍を追い出したのである

そしてこのアウシュヴィッツビルケナウ収容所がこれほどまでに有名になったのは、戦争期の後半にはビルケナウこそがユダヤ人虐殺絶滅政策の要になった収容所からだ。

戦後すぐから冷戦末期まで、旧ソ連適当な推計計算を行ったがために四百万人のユダヤ人虐殺されたとされていた。ビルケナウの遺体焼却炉の火葬率を大幅に過大に評価したためである。ちなみに、冷戦時代からそれはあまりに多すぎると西側研究者は言っていた。だってユダヤ人移送記録からかけ離れているし、精度の高いユダヤ人人口計算から言ってもアウシュヴィッツけが突出して多いために計算が合わなくなるからである

しかしそれでも、百万人も工業的にユダヤ人虐殺し得たのはビルケナウしかなかった。

アウシュヴィッツ以前は、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカ、ヘウムノといった絶滅専用収容所ユダヤ人工業虐殺をやっていたが、こっちの方は、もう一つある絶滅収容所機能を持つマイダネク以外、全てナチス破壊処分して証拠隠滅されて残っていないのである。なお、アウシュヴィッツ以外の絶滅専用収容所トータルでざっと二百万人のユダヤ人虐殺されている。

しかし何れの絶滅収容所も、ポーランド国境近くにしかない。

何故か。極秘裏にユダヤ人虐殺をやったかである。またポーランド鉄道網が発達していて、効率的ユダヤ人大量輸送を行うことが可能だったのである

ナチス親衛隊は、ユダヤ人虐殺を徹底的に隠蔽し、「ガス室」や「処刑」といった言葉ですらも文書記録にほぼ残さずにやったのだ。

ナチス親衛隊のトップ、全国指導者であったヒムラーは、部下にヤバい言葉の訂正まで命じている。

あのユダヤ人問題最終解決を話し合った有名な身内以外いないヴァンゼー会議ですらも、処刑だの虐殺だのという言葉は使わずせいぜいが「適切な処置」だの「特別処置」というような曖昧言葉しか議事録には残さなかった。

殺される側のユダヤ人にしても「シャワー室に入れ」であるガス室の周りには「消毒はあちらへ」などの騙すための看板まで掲げられていた。

こうした徹底的な隠蔽工作(つっても、完全な隠蔽は無理で、虐殺を明示的に示す文書はたくさん残っているが)は、戦後否認論者に付け入るすきを与えてしまったのである否認論者に取っちゃ証言など「信用できない」で一蹴できるので、どんなに膨大な証言記録があっても全部ウソにされるからね。

 

否定と肯定』という映画を見た人も多いと思うが、あのデヴィッド・アーヴィングの背後に一体何人の歴史修正主義者・否認論者がいると思うだろうか? もちろん推測でしかないが、アーヴィング応援者は何万人もいたに違いない。

アーヴィングの主張にしたところで、彼が否認に用いた主張のほとんど全ては、お仲間の否認論者のものばかりであるフォーリソンであったり、バッツであったり、ロイヒターであったり。

 

彼ら否認論者の主張は、知っている人にとっては噴飯ものしかないのだけれど、無知な人を騙すことにかけては絶大な高価を発揮するとてつもなく狡猾な主張である

例えば、マルコポーロ事件でおなじみの日本代表的否認論者である西岡昌紀が一番良く使う否認論を紹介しよう。

 

  • ガス室があったと言うが、ガス殺された遺体は一体も見つかっていない

 

さて、これを言われてあなたはどう思うだろうか? 答えは敢えて言わないでおくが、この懐疑論に即座にきちんと答えられる人はきっと少ないに違いない。あるいは、こんなのはどうであろうか?

 

 

といちいち上げていったらほんとにきりがないほどの細かい否認論がある。これらもいちいち回答は言わない。問題は、無知な人はこうした否認論に容易に騙されかねないということであり、実際に大勢騙されているという現実である

未だに、あのクソみたいな西岡論文を信じている奇特な人たちも存在するのである

それなのに、はてな民によるブコメ状況の酷い有様なのである

記事すらまともに読まずに「ドイツだって

 

ちゃんと教えといてあげるわ、ユダヤ人人口は当時、ポーランドドイツの大まかに言ってざっと十倍はいたんだよ。

 

追記

ほんとに何も知らない人が多いなぁ。

id:deep_one ガス室の謎の一つに「チクロンBでは毒性が低すぎる」っていうのがあるのだが、ガスの種類は明記してあるのだろうか?別のガスを使ったんじゃないのか。一酸化炭素中毒の方が簡単って話もある。

まさかチクロンBの毒性を疑う?(普通否認論者は毒性が強すぎるという疑問を言うのだが……)HCNって化学式なんだけど、知らないのかな? 「青酸」とも言われる猛毒だよ。当時は広くシラミ退治用に使ってたんだ。シラミは不衛生な上に当時大流行していたチフス媒介してしまうからね。だけど、人の場合シラミより遥かに低濃度かつ短時間殺害可能なんだよ。チクロンBっていうのは珪藻土に青酸を染み込ませてあるわけよ。これが空気に触れて26度以上になるとガスを放出する仕組みなんだ。ガス室に裸にした人間をぎゅうぎゅうつめに押し込めて、壁の上や天井からチクロンBの缶を開けて、その珪藻土の粒を部屋に落とすんだ。ぎゅうぎゅう詰めだから26度なんて超えてるしね。あっという間さ。阿鼻叫喚の中10分程度で死んだそうだ。

別の場所では一酸化炭素も使ってたよ。アインザッツグルペンは現地でガス車を使ってたし、T4作戦でも使われた。ソビブルやヘウムノなどの絶滅収容所でも使われたよ。

2020-08-28

韓国兵役の未婚既婚格差について

韓国人男性として生まれると19歳~28歳までの間に必ず兵役があるのはよく知られているけど、

兵役の内容に既婚男性か未婚男性かで格差があることはあまり知られていないように思う。

未婚で兵役のほうが格段にキツい思いをする。未婚男性に課せられる兵役は約2年間、泊まりこみで兵士をやるという地獄の内容。

既婚男性は家庭の維持が優先されるので、自宅から通勤する形式兵役特別に許される。

兵役地獄ポイント兵舎生活する部分、兵舎内で発生するパワハラ等が大きいので、自宅で睡眠をとり休むことができると大幅に楽になる。

既婚の男性家長としての役割が課せられている儒教国家ならではの未婚既婚格差だと思われるが、日本でこの差別が知られてすらいないことを不思議に思う。

(妻子のいない男は、妻子のいる男と比べ、価値が低いような扱いをしていると言われても仕方のない差別である

日本人の結婚したいのに結婚相手が見つからない男と比べ、韓国のそうした男は比較にならないほど悲惨なのでは。

なんといっても「モテないみじめさ」などの形のないものとは違い、兵役負担事実大きいという実害が発生しているという、劇的な違いがあるわけだ。

2018-10-14

http://hima-game.com/archives/68694373.html

スイカクエスト攻略補足

  1. 最初で詰む人: 宿屋で会話して寝たあとのイベント後、事務室の奥の絵を調べると階段が現れる
  2. 円盤乳首開発を見ないと犬のフラグがたたない
  3. 古びた金貨←集まったら道具屋で売る
    1. 宿の庭
    2. 宿のマップの左、殺虫剤の途中
    3. 商業区左下の林から抜けたところ
    4. マッサージ店内左
    5. 壁穴イベント後、穴を通過
    6. 兵舎外の右通路の先
    7. 富豪家入って右下から出る
  4. 後半のフラグ立てはこの順番でやった
    1. できるイベントをすべて消化
    2. 娼館2
    3. 壁穴
    4. 娼館3
    5. マッサージ

2017-10-26

anond:20171026120529

ノルウェーでは女性徴兵されて、兵舎も男女混合だとか。

男女平等を突き詰めればこうなるけど、これ女性にとって本当に嬉しいかねえ?

2016-12-04

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

総統意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツ占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツ占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊パイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20160517003018

toratsugumi記

ブコメでは文字数が足りず、普段ブログを書くわけではないので、この場にて。

いろいろアレなので幾つか。ただし、別にミリタリ・クラスタ所属してるわけじゃないので色々間違っている点もあるはず。

>金がないから、維持整備がろくにできなくて、そのせいで、まともな稼働率を上げられないのだ。

金がなくて築90年の兵舎修いながら使ってた(最近建て直されたらしい)のは自衛隊伝統オスプレイとはなんの関係もない。

読売記者がどういうソースで書いてるのか不明だし、数値が公表されてるわけじゃないので何とも言いようがないが、軍事評論家各位の評価では陸海空三自衛隊航空機稼働率は極めて高いとされてる。その中で、CH-47の稼働率はたしか相対的には低いらしいが、それはあれがトラック扱いで酷使される機体だからという話。

1986年ごろから導入されたポンコツの機体

CH-47は原型初飛行1961年だけど、現在も改良が進んでいて、少しずつ入れ替えながらエンジンも電装系も機体設計もまったく別物になってる。米軍じゃ最近F型の配備が開始されたばかりで、日本では1986年から配備されたCH-47Jが1995年くらいから搭載装備が入れ替わったCH-47JAにアップグレードされてて、そろそろ耐用年数が切れる初期のCH-47Jの代わりにF型相当の機体が導入されることになってる模様。実はチヌークの調達は今も続いている。ここら辺、新兵器の登場は大々的に発表されるけど、更新はひっそりとされるから実際に出てくるまではよく判らないが。なお、CH-47FはAW-101よりもさらに新しい機体だったりする。

>AW-101

三発で高性能だが機構が複雑なため、開発に難航した機体。自衛隊欧州系の機体を扱い慣れてないせいもあって、稼働率が高くないという噂。ご多分に漏れウェブに内情が転がっている訳じゃないので断言は出来ないが。なお、国内生産しないと、交換部品は一々製造元に手配させる必要が出てくるため、稼働率は下がる。

価格については21億円のソースを見付けられず。なお、2003年度会計でみると、陸自のCH-47JAの調達価格(FY2003)は53億、空自のCH-47Jで35億(ともに航続距離、搭載量はMCH-101より上)、同年のMCH-101が53.5億。

http://www.geocities.jp/kanabow11/price/japan_new.html

この場合、(若干オーバーサイズ評価されている)掃海用の機体じゃなく、輸送専用に民生機を調達することに意味が見出せない。それならすでにCH-47で足りている。

ちなみに、VM-22は純然たる物資輸送用とは違う目的で導入される機体。その肝心のオスプレイだが、調達価格210億の内訳は…

オスプレイ17機とエンジン40基、赤外線前方監視装置40基、ミサイル警報システム40基など機体数を上回る予備部品アメリカでの訓練費用なども含んだ総額の諸経費で、約30億ドル提案されています。今現在為替レートは1ドル120円なので約3600億円になります

ただし、単純に30億ドル(3600億円)を機体数17で割ると1機あたり1.76億ドル(211億円)になりますが、これは前述の通り諸経費込みの価格なので機体単価ではありません。機体単品での価格は1機100億円前後で、諸経費がそれと同じくらいに掛かるという事です。 」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/obiekt/20150507-00045469/

次の熊本震災オスプレイ無用論については、宗教論争は避けたいのでノーコメントとして、

>せっかくのヘリ空母ひゅうがなどを配備しても、それに搭載するためのヘリコプターはろくにない、というありさまだ。11機搭載できるヘリ空母に、4機しか搭載していない。うち1機が MCH-101 だ。

常在戦場米軍原子力空母と違って、遠方に戦力を投射するわけでもない海自艦艇普段回転翼機を定数状態で搭載してるわけではなく、陸上拠点から運用している。現に、ひゅうが以前のDDHにしても、定数三機のはるな級だって一機しか搭載せずに運用している。この場合ヘリ空母の扱いは便利な場所に移動可能なヘリパッドという位置付けに近い。もちろん、作戦行動中は別。現にフィリピン派遣されたいせだって航行中の映像で露天係止されている機体が駐機スポットと同数あるので、艦内にその他の機体が格納されているのが分かる(色々あるので必要がなければ機体は甲板に放置したりしない)。

以上、めんどくなったのでこのくらい。

2013-06-05

●「インドネシアにおける慰安婦調査報告」倉沢愛子

http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf

1 慰安婦募集過程

インドネシアにおいても、当初従軍慰安婦は、もともと売春生業としていた女性たちを中心に募集された。

しかしそれでは十分賄うことができず、やがて一般の女性から募集された。

人種的な近似性のゆえに、バンカ島のマルガレタ(ホ・スイ・リウ)さんのような中国系の女性が好まれたようであるが、絶対数が少ないので、圧倒的多数はプリブミの女性であった。

ジョクジャカルタのマルディエムさんのように一部の慰安婦都市部から選ばれたが、多くは村落社会から募集された。

Ⅰでも述べたように、名乗り出ている女性たちの中には、日本人将校現地妻だった者、強姦された者なども数多く含まれている。

そこで面接に際しては、本来の意味慰安婦、すなわち軍が管理する慰安所一定期間置かれて、繰り返し性的な相手をさせられた者、

という範疇にあてはまる女性だけを選別してもらうよう頼んだ。

しかし、にもかかわらず、われわれの予想に反して、40名の中にはさまざまなタイプ女性が混ざっていた。

中でも多いのは、どの部隊の者も利用できる公的な慰安所ではなく、特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ(正式には慰安所という用語は使用していないが)で働かされた者である

多くの場合それは、軍の兵舎建物や、軍が運営している特定の工場の内部などに女性を多数住まわせ、将兵が必要に応じて「活用」するという形であった。

(略)

「強制」とはいっても、実際日本軍将兵が銃を突きつけてというようなケースは、厳密な意味での従軍慰安婦募集の場合にはむしろ少なく、

以上述べたような行政機構村役場を通じての半強制が行われていたというのが一般的であろう。

それに対して、「準慰安婦」の場合には、日本軍将兵が個人的に女性を「手込めにする」あるいは、上官の個人的な命令を受けて「女狩り」に行く、

まり、実際に軍人が直接手を出して連行したというケースが多かったようである

この場合は、村から町に働きに出ている女性が帰り道を襲われるというようなケース、

あるいは、両親が仕事で出掛けていて1人で留守番をしている間にさらわれるというようなケースもみられる。

2 軍管理慰安所の状況

兵隊たちは、慰安所の入口で「キップ」を買って「有料」で慰安所を利用するわけであり、慰安婦にも、客の数に応じて収入が入ることになっていた。

しか彼女たちの訴えによれば、多くの場合その報酬は未払いになっていたという。

ただし、食事、衣装化粧品などには事欠かなかった。周辺にいた証人たちの証言によれば、その生活は豊かで華やかでさえあったという。

しかし問題は金銭的、あるいは物質的なことではなく、ほとんど自由を束縛されたうえ、1日に何人もの客を強制的に取らされ、からだが疲弊してしまったことである

多くの女性健康を害している。

ただし性病に対しては、日本側も非常に敏感になっており、必ずコンドームの使用が義務づけられていたうえ、毎週定期的に軍医衛生兵による検査が行われた。

しかしそれ以外の健康管理は十分に行われていなかったようである

しかコンドームの使用を義務づけていたにもかかわらず、マルディエムさんのように妊娠する者もいた。

そのような場合には強制的に堕胎を強いられたが、中絶は罪悪であると教えられてきたイスラム教徒彼女たちにとって、それは精神的な重圧であった。

3 私設慰安所場合

それに対して、「準慰安婦」たちが入れられた、軍の兵舎内や工場内の私設慰安所場合は、いろいろな意味環境もっと悪かったようである

「準慰安婦」の場合は、いわば、その部隊の将兵が女性拉致してきて、そのままうむを言わさず自分たちの欲望の捌け口として使ったわけであるから

これらの女性存在は軍司令部には秘密であったと思われる。

そのため、慰安婦に一般に与えられていたような、健康管理のための措置もなされなかった。

すなわち妊娠性病を防ぐためのコンドームの使用もおそらく義務づけられてはいなかったであろうし、

軍医衛生兵による定期的な健康診断もなく、性病蔓延に対する衛生的な措置はなんらなされていなかった。

また、彼女たちを利用する日本軍将兵は、正式の慰安所場合のように「キップ」を買ったりはしていない。

従って女性たちはもちろん何の報酬も受けていない。

それどころか彼女たちのための正式な食料、衣料品供給さえなかったようである

従って多くが、食事はありあわせで、時には1日1食であった、などと述べている。

 
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