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はてなキーワード: ドイツ帝国とは

2022-05-16

保険業古代貿易船の保険から始まっているので、海運造船業界と保険業界は異種同業

船同士の事故、難破、事故船があえてコンテナを捨てざるを得なかった場合、過失割合、どちらの船がどこまで損害を負うのか

ドイツ帝国が率先して、国際法をまとめる国際法協会を作り、共同海損の保険規則を作った

 

そのドイツシーメンス薩摩閥海軍軍人斎藤実などに贈賄したのはバレたが、当時の検事総長忖度思想検察平沼騏一郎

しまいには満州事変がおきて犬養が暗殺され、斎藤実軍事政権が初登場

ナチス内閣保険会社アリアンツ出身閣僚が仕切り、平沼騏一郎大審院長やら総理大臣になった

 

まりナチス保険業界・海運造船業界が、日本の人事をやって戦争計画を推進したようなもん(あるいは国際法協会も)

ロシア政治家もよく「国際法がー」言うが、彼らは国際法協会の何だろうな

226事件だって斎藤の口を封じるための暗殺事件だったかもしれないしなぁ

 

組織を知って世界事情が分かっても、戦争止めれるわけじゃないけどな

2022-04-30

世の中は暴力容認制度奴隷制度)を構築して発展してきた

法律法曹制度が作られた目的も主にそれ

ドイツ帝国が大量殺人兵器を使ってようやく国際連盟ができた

日本ベルサイユ条約による中国進出が失敗し法曹支配が強化されて今年100年目

そして法曹満州や南進でとんでもなく失敗した責任軍部だけに押し付けたクソ教徒

2022-04-26

昭和天皇動画への反応が面白い

まれる前の戦争責任なんかしらねー、とか言ってるやつが真顔で怒ってたりして面白い

大元帥たる天皇なんてお前の生まれる前の話だろ?

表現の自由戦士も一部では懸念を表明しているのもいるが、おおむね批判的。

ああ、あと日本戦争責任に関して、海外から批判内政干渉だとか言うやつが、顔真っ赤にして動画批判してるのマジうける。

論理的整合性はどうなってるんかね?

いや、論理的整合性なんて実際は口でいうだけで、単純に「お気持ちベースなんだろうけど。

あと、天皇ローマ教皇のようなものというのも、無理がありすぎる比喩だよ。実権はないが宗教的権威もつみたいな事を言いたいんだろうが、そもそも血統による天皇選挙による教皇の違い。キリスト教というコスモポリタン志向のそれとあくまエスニック神道では話が違う。

そもそもローマ教皇教皇領という国家元首であって実権がないわけではない。ローマ問題とかしらないの?

宗教的権威天皇とは比べ物にならない。むろん権威という言葉定義にもよるけど法王が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が御心に叶はぬ物」ってローマ教皇では考えられない。というかカトリック異端ギリシア正教へどんな態度かくらいは朧気に聞いたことない?

あとイタリアムッソリーニではなく、ヴィットーリオ・エマヌエーレIII世が、という意見もあるけど、ムッソリーニWWII期を通じて、解任後もイタリア社会共和国の元首として1945年4月まで。

それに対して日本総理WWII勃発以後だけでも安部米内近衛東条小磯鈴木と変わってるのでかろうじて3年弱の東条ならどうにかレベルじゃね?

というか、大日本帝国憲法はまさに天皇主権で、ドイツ帝国憲法以上の権限天皇にあったんだよね。理論必然ではないが、君臨すれども統治せず、に親和性のある天皇機関説も当時は排撃されてたしね。本人がどう思ってたかはともかく、あの憲法イギリス式の君臨すれで統治せずは厳しいんじゃないかな?

大日本帝国憲法には内閣総理大臣規定もなく、憲政の常道あくまで慣習にすぎず、天皇への権限が集中されてたのである程度コントロールできてた元老がいなくなったらやすやす陸海軍にハックされた感じかね?

まあヴィクトリア女王が無くなった1901年まれベルリンの壁崩壊した1989年と30年以上前に死んだ人がまだ「歴史」にはなってないし、正直、日本対応も、宇の対応も、戦後国際秩序無視してると取られても仕方ないんじゃない?いや、無視するぜ!ってどこかのプーさんみたく息巻くつもりならいいけど

2021-11-01

anond:20211101150608

からアメリカ本土攻撃されてないか日本雑魚」という論理が成り立つという主張なのかな? その伝で言えば、ドイツ帝国ナチスドイツソ連習近平中国も、全て雑魚ってことかな?

anond:20211101145857

なるほど。アメリカ本土攻撃されてないか日本雑魚、という論理なのかな? その伝で言えば、ドイツ帝国ナチスドイツソ連習近平中国も、全て雑魚ってことかな?

2021-06-01

ホロコースト否定派は常習的な嘘つき?

anond:20210527145539

元増田で、ホロコースト否定派の特徴をいくつか示したが、一つ書き忘れていた。それはタイトル通り、「ホロコースト否定派は常習的な嘘つき?」の可能性があると考えざるを得ないことである

 

実例

こちらのツイートを見てもらいたい。

https://twitter.com/lumberwendigo/status/1296814068490067969

この人はおそらく、日本Twitter上でも最も有名なホロコースト否定派の一人であると考えられる。何かに取り憑かれたように、否定ツイートが目立つツイッタラーだ。さてこのツイートにはこう書いてある。

調べた時に驚いたのですが、100万強というのも何にも基づいていない全くの妄想なのですよね嬉し泣き

400万はまだ証言という基づくものがあった数字だというのに、それより更に根拠がないというwww

この100万人強とは、正確には現在推定であるアウシュヴィッツユダヤ人犠牲者数110万人のことである。この人は自分で調べてこの数が「全くの妄想」だと書いている。唖然とする他ない。現在アウシュヴィッツ犠牲者数はユダヤ人以外を含めて150万人、ユダヤ人は110万人であるが、これはアウシュヴィッツ国立博物館勤務だったフランチェシェク・パイパー(Franciszek Piper博士研究成果であることは、アウシュヴィッツ博物館サイトにすら書いてある事実であるこちらのサイトのどこかに書いてあった筈なのだが、今回は探し出せなかった。

Auschwitz-Birkenau

博士Wikipedia解説にはこうある。

アウシュヴィッツ博物館歴史部門責任者であったフランチェシェク・パイパーは、ホロコースト史家やメディアによって何度も翻訳され、広く引用されている学術分析の著者である[3]。ピペルは、少なくとも合計130万人がアウシュヴィッツ強制送還され、そのうち110万人が収容所で死亡したと結論づけています。約20万人の囚人が、収容所の最終的な清算だけでなく、労働力の再配分の一環として、アウシュヴィッツから他の収容所送還された。ホロコースト列車アウシュビッツに運ばれたユダヤ人の約81%、89万人の男女と子供たちは、到着後すぐに死を迎え、登録されなかった。1946年ニュルンベルク裁判で発表された収容所司令官ルドルフ・ヘス戦後証言も、理由不明だが、信頼性が低く、著しく誇張されていることが証明されたのであるフランチシェク・パイパーの著書は『アウシュヴィッツ』として英語出版された。How Many Perished Jews, Poles, Gypsies』として、1991年1992年1994年連続して出版されている[4]。

博士研究手法の詳細はともかくとして、「何にも基づいていない全くの妄想なのだそうだ。いったい何を「調べた」のだろうか? このツイッタラーホロコースト情報に関し何を見ているのかはツイートを追えば大体わかるので、偏った知識しかないことくらいはすぐにわかるのだが、研究者の研究成果を「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりできる神経がさっぱり理解できない。もちろん、「何にも基づいていない全くの妄想」は嘘である。この研究成果は広く知られているようで、多くの世界中研究者に認められたものである日本ホロコースト研究では有名な芝健介氏もその著書『ホロコースト ナチスユダヤ人大量殺戮の全貌』で触れている。こうした学術研究をやったことがある人がいるなら推測できると思うけど、膨大な資料や文献との取っ組み合いの末に算出された数字であることが疑いの余地がない。アウシュヴィッツ博物館なのだから所蔵資料だって豊富なのである。私もほんの一部だけこうした犠牲者数の推計方法を知っているが、出発地や経由地、あるいはアウシュヴィッツの到着時などで輸送人員数の記録がある程度残っているのである。何故なら、ドイツ帝国鉄道に対して輸送人員数に基づいた運賃ナチス親衛隊が支払っていたからだ。その上で囚人登録数やその他のデータを徹底的に照合することにより、適切な仮定を経て犠牲者数を算出していくのであるめっちゃ手間かかるが、基本は「アウシュヴィッツに入ってきた輸送人員の数」ー「囚人として生き残っていた数、どこか別の収容所移送されたりその他の理由収容所を出た囚人の数、病気等により死亡が記録されている人の数」=「登録もされずにガス処刑された犠牲者の数」になる。それをこのツイッタラーは「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりするのである

 

こうしたネット否定派の嘘には事欠かなくて、最近では「カチンの森」に関する明確な嘘話をする人もいた。ネット否定派はこのカチンの森事件の話が大好きらしい。何故なら、ホロコーストに関してソ連への疑惑を深めると共にドイツへの疑惑を薄める材料として使うことができるからであるカチンの森事件を知らない人はこちらを参考にして欲しい。

カティンの森事件 - Wikipedia

最近出会った「嘘つき否定派」は、「カチンの森事件はニュルンベルク裁判ソ連ナチスドイツ糾弾するために用いた」などと言う。ところが、このWikipediaにある通り、カチンの森事件はニュルンベルク裁判では審理すらされていない。この「嘘つき否定派」は他にも「アウシュヴィッツ第一火葬場は旧ソ連が忠実に再現したと言っている」(第一火葬場はガス室のあったところだが戦時中ガス室での絶滅ビルケナウで行われるようになると使われなくなり防空壕に改修された。戦後ポーランド中途半端ではあるが元のガス室に見えるよう復元工事を行なった。が、この件でソ連どころかポーランドですらなんらかの声明をしたなど全く知られていない)など、嘘を言いたい放題だった。

 

こうしたネット否定派の嘘は本当にキリがない。

 

ネット否定派の最も悪質なホロコーストに関する嘘

「最も悪質な」は完全に私の主観であるが、数限りなくある否定派の嘘で、これほど悪質な嘘は滅多にないと思う。完全な悪意でしかこんな嘘は作れないからだ。

"アウシュビッツ産科病院には3000人の出産記録があり、一人も死んでいない"

このダブルクォーテーション付きでGoogle検索すると、現時点で三件引っかかるはずである。一つはこの嘘に関する解説、残りは日本での嘘の発生源と、それをコピペした2ちゃんねるスレッドである元ネタ自体は、解説記事にもあるとおり元々は海外なのだが、この日本での嘘の発生源はそれをわざわざさらに悪意を持って酷い訳に変えたものである

アウシュヴィッツの様々な議論(12):否定派は、感動的な話ですら否定論へと捏造する。アウシュヴィッツの3,000件の出産、助産師スタニスラワ・レズチンスカの話。|蜻蛉|note

詳しくは解説を読んで貰えばいいと思うが、しばしばこの話は二名看護師が出生児を抱いて写っている出所不明写真が添えられていることも多い。例えば以下のサイトではその写真が添えられているのを見ることが出来る。

Lets stop with the Auschwitz lies

ともかく、実際の話は「レズチンスカが分娩した3,000人の赤ちゃんのうち、半数は溺死、1,000人は飢餓や寒さで即死、500人は他の家族に送られ、30人は収容所で生き残った」と言う決して喜ばしい話であるどころか悲惨アウシュビッツの実情の話なのに、アウシュヴィッツ平和だったかのように変えてあるのである。悪質なのは、この話は助産師レズチンスカの話を知っていなければ、出てこない話であることだ。

ところが、私はこれをあまりに酷い嘘だと思っていたのだが、前述した「嘘つき否定派」は「でも3000人の出産はあったと認めるんですよね?」などと問い返してくるからさらに呆れてしまった。「嘘つき否定派」は自身も嘘つきであるためか、この嘘に関する悪意を全く認めず、平然とそう問い返すのだった。私は呆れて「3000人は多過ぎだと思うけど、女性囚人も何万人もいたし、ロマ人(ジプシー)は家族収容されてたし、出産くらいあって当たり前だろ」と返すだけだった。ちなみに1940年代くらいの乳児死亡率は現代とは全く比較にならず、ざっと乳児の半数は死んでいた時代である日本だと1950年で約六割の乳児は死んでいた。そうした歴史を知れば、出産現代よりもはるかに当時の方が日常だったとわかるはずで、強制移送されてきた女性囚人の何割かがすでに妊娠していても別に何も不思議はあるまい。

 

歴史修正主義者に嘘つきが多いのは何故?

歴史修正主義者が嘘ばかり言ってるのは日本歴史に関する場合でも珍しい話ではないのだけど、どうしてこうも平然と嘘を言えるのか、ほんとに理解しにくくて。例えば、クローズドSNSで仲間しかいない中でそれを言うならまだわかるけど、Twitterなどの公開の場で、ググる検索できてしまうところで平然と嘘をつける神経がわからない。以前は、「お前らは嘘つきだ!」のような具合に批判するだけで終わらせていたけど、最近は、批判ではなく、一体どうしてそうまでして嘘が言えるのか、その理屈が知りたいという気がしている。私だってしょっちゅうネット上で間違ったことも言っているけど、間違っていることに気づいてその都度削除するとか訂正するとか、それが無理な場合反省するとか、ともかく自分の間違いに気づくとそこそこ恥ずかしいと思ったりするのだけど、それら嘘つきはそんな感覚は全くないのだろうか?

 

ホロコーストの嘘に比べたら微々たるもの」って感覚? その辺がさっぱり理解できない。それとも普段から日常生活でも嘘ばかり言ってるのだろうか? どうもこの後者のような気がしてならない。ともかく、なんであの人たちは平然と嘘ばっかりつくのか? 理由を知っている人がいたら教えて欲しい。

2021-05-08

anond:20210508023604

どこかと思ったら本当に死ねと書いているのだな

五輪に賛成しないと死なないといけないってなんだ北朝鮮か?ドイツ帝国か?

2020-05-17

anond:20200515175802

マルクス史観の影響だな

レーニンたちにさんざん苦汁を嘗めさせたロシア帝国ドイツ帝国が最も酷薄支配体制とされ、これらを悪者とする見方が広まった。

また、日本事情として戦前日本が建前だけでもアジア民族自立を謳う上で目の敵にされたのが大英帝国(とフランス

さらには大日本帝国敗戦擁護すら許されない絶対悪となった

これらの事情から昭和後期~平成初期の創作物では「帝国」は悪の象徴とされたんだよ

当時は共産圏無茶苦茶さもまだバレてなかったしな

2019-10-19

anond:20191019103717

ドイツが勝ってたら日本南洋庁を手にすることはなかったしハワイも下手したらドイツ領(当時は準州から編入領域だよね?)になってたし、そうなってたらアメリカナチス化して日本と手を組んでたかもしれんな

で南への進出を諦めてABCD包囲網存在しないので史実より熾烈な日中戦争が起こる(この世界ではソ連存在しないので満州国沿海州回復して史実よりもっと強大、でも中華民国に対するファルケンハウゼン軍事援助も史実より遥かに強大なんだろうな)

って考えるとやっぱりWW1でドイツ帝国が負けたのが全ての原因だった気がしてきた、ルーデンドルフ許せねえ…

天皇戦争責任が問われなかったのって、WW1でドイツ帝国がヴィルヘルム2世を退位させた成れの果てを見ての判断だけど、当のドイツナポレオン3世捕虜にするわヴェルサイユ宮殿戴冠式やるわでメチャクチャやってんだよな

モルトケとクルックが悪いよ彼らがもっと頑張ってたらドイツが勝った世界線なのでこんなことにはなってなかったし、いっそ共産革命成功してたらやはりこんなことにはなってなかったのでリープクネヒトとローザ・ルクセンブルクが悪い(錯乱

2017-11-02

anond:20171102013356

反骨精神世界最強のアメリカに挑戦状を叩きつける金一族のことか

それとも戦前は強いドイツ帝国に媚びて戦後世界最強のアメリカ犬の日本国

2017-02-18

窮地を乗りきって飛躍した歴史上の国家十選

歴史ネタをまとめてくれる増田をしばらく見かけないので

自分で書いてみる。

このエントリーでは基本的首都まで攻められるか、首都以外を失うに等しい状況から

反攻に出て逆に周囲に脅威を与えるレベルにまで回復した国家を取り上げる。

ナポレオン戦争は単なる大災害なので無視

※※独立戦争関係は「弱くて当然」なので極力避けています。(追記)

「落ちる時はいっそどん底まで落ちた方がいいんです。はい上がる距離が長いほど男の子はずっと強く素敵になりますから結崎ひよの(城平京


国名地域簡単な紹介
バビロニアアジアアッシリアシャムシ・アダド王に隷属する都市国家であったが、シャムシ・アダドの死後時間をかけてナイセイTUEEEで力を蓄え、マーリから兵を借りパクするなどして四方世界統一に至る。
アジア老いた大国晋の内乱で智氏ひきいる智・魏・韓の連合軍根拠地を攻められるものの、奇跡の逆転。中国戦時代には強国のひとつとなる。類似例:田氏斉(弱体化はしたので趙を選定)越(追記)
ローマ共和国ヨーロッパケルト人首都ローマを攻められ、みかじめ料を払って帰ってもらう。その後もピュロス・ハンニバル同盟市戦争などのピンチがあったが、根性でしのぎ地中海世界一円支配する強大国になる。類似例:アテナイ
パルティア王国アジアローマ帝国に何度も首都クテシフォンを攻め落とされるが、何度もしぶとく復活する(知識不足すみません)。
ウェセックス王国ヨーロッパデーン人に攻められ国王農家のおかみさんにカマドの番を命ぜられるまで墜ちるなどするが復活。いちおう世界帝国イングランドに繋がっていく。
フランス王国ヨーロッパ百年戦争ではパリ地方政権状態にまで追い込まれ局面もあった。ゲクランジャンヌ・ダルクなど国民英雄活躍イングランドを追い出し、長年のライバルをつとめる。
ビザンティン帝国ヨーロッパアジアイスラム帝国によって首都コンスタンティンノープルまで攻め込まれるもギリシア火の神通力によって撃退小アジアを奪い返す。その後もトレビゾンドゾンビ
モンゴルアジアチンギス・ハーン幼少期には一家族の単位にまで落ち込む。チンギスが成長してから庇護者のトオリル・ハーンのケレイト族すら吸収。チンギスの死後も領土を拡大していく。
ムガル帝国アジア初代バーブルはウイグル族によって故郷を追われた身。背後で敵と戦いながらインド方面進出して領土を得る。二代目のフマユーンイラン亡命する局面もあったが、最終的にインドの大半を支配する。
徳川家アジア今川家の属国状態から義元の死を機に独立。幾多の窮地をめんどうくさい三河武士の助けで切り抜けて天下を取る。類似例:毛利家。


おまけ

国名地域簡単な紹介
新羅アジア朝鮮半島統一直前も百済の手痛い反撃を受けていた。唐の参戦で一挙に形勢を逆転。百済高句麗滅亡後は巧妙に立ち回って唐を追い出す。
スペインヨーロッパ西ゴート王国から連続性が微妙なので十選には加えず。
オスマン帝国ヨーロッパアジアキリスト教徒農民を守る遊牧民ヤクザからスタートギリシアを得て、順風満帆かと思いきやティムールによって壊滅的な打撃を受ける。しかし、ビザンティン帝国が衰退していたおかげで復活の時間をえる。キリスト教世界最大の敵となる。
ズール王国アフリカだいたいモンゴルに同じ感じ。
ベルギー王国ヨーロッパ第一次世界大戦ドイツ帝国侵略を受け、領土の大半をうしなうしかし、西端国王アルベール自らが率いる軍がふみとどまり連合軍の一員として反攻を続けていく。ドイツの敗北によって全土を回復した。
イスラエルアジア現在進行形すぎてうっかり忘れていたので追記
スイス連邦ヨーロッパ最初からクライマックス(追記)
ポーランド第二共和国ヨーロッパ第一次世界大戦による誕生直後の脚がプルプル赤ちゃんバンビ状態で、同様のロシアに攻められる。しかし、ヴィスワ川奇跡と呼ばれる大勝利で逆に東方領土を拡大した。その後はお察しのとおりだよ(ブコメより追記)
サウド家アジア弱体化し一時はクゥエートへ亡命するも、第一次世界大戦の流れに乗ってイギリスと協力し、オスマン帝国からアラビア半島を切り取る。(ブコメより追記)


なんとかアフリカアメリカオセアニアの例を取り上げたかったけれど知識不足でした。

パラグアイさえあの戦争に勝っていれば……!

中国国家組織ができていないように思える内乱の浮動期を入れないようにしました。

ビザティンも最盛期をすぎているので、オスマン帝国と交換した方がいいかもしれません。

まぁ、ゲルマン人の大移動で首都を攻められた後にユスティニアヌス大帝が出ているのでセーフということで。

たいだい記憶で書いているので間違いの指摘があれば調べて修正します(いい加減)。

2016-12-04

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

総統意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツ占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツ占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊パイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-06-29

ドイツ人黄色人種が嫌い

黄禍論世界に広めたのもドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世日本中国を警戒する絵を書かせて世界中に広めた)だし

最近ドイツ好感度調査でも黄色人種国家への好感度は図抜けて低い(日本へもね)。

なので気をつけるように。

2010-08-08

さくせん

ドイツ帝国主義万歳

教養をつけろ」

「打ちてしやまんよ」

欲しがりません勝つまでは

欧米に追いつけ追い越せ」

日本文化国家に」

経済を一流に」

人権を復活させろ」

 
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