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はてなキーワード: パウロとは

2019-02-26

anond:20190226095717

実在人物とかマジでいってんの?w

って、何言ってんだよ。

ペテロパウロ実在しなかったとでも言いたいのか? あの後もあれだけいろいろあってすったもんだして記録もいろいろ残っている弟子たちだぞ?

2019-02-14

anond:20190214133942

俺はカトリックで、いわゆる洗礼名をミドルネームに使っている。本当は洗礼名って一番最初に書くものなんだけどな。

どういうことかと言うと、普通は「パウロ磯野波平」(仮名な)と書くべきところを「磯野パウロ波平」"Namihei Paul Isono" って書いてるわけ。

何故かっていうと、外人と一緒に仕事することが多いんだが、俺の名字が二重母音バリバリ発音しにくいから、あと同姓同名の奴と分けられるようにこうしてる。

ただなあ……純粋日本人顔の俺が、たとえば売店の前で同僚に出くわして挨拶されると周囲はかなりひくよ。

波平さんが "Hi, Paul!" みたいににこやかに大声で挨拶されてるところを想像してくれ。

ドルネームほしくね?

長嶋一茂のミドルネームパウロ本名は「一茂・パウロ長嶋」らしい。

俺をとりあえず「増田一成(ますだ かずなり)」とした時、やっぱりここにミドルネームが入るとかっこいいとおもうのよ。

俺がほしいミドルネーム一覧

一成・ケイン増田

一成・ベンジャミン増田

一成・マザーファッカー・増田

一成・ブロント増田

一成・ホークアイ増田

一成・深淵歩き・増田

一成・ドラゴンスレイヤー増田

一成・グッドラック増田

一成・ザ・増田

一成・DC(ディーシー)・増田

一成・フロストホワイト増田

一成・トッケビ増田

一成・アンノウン増田

一成・安納芋増田

一成・ワシントン増田

2018-11-17

anond:20181117073421

西洋人はと言うが、キリスト教西南アジア一角ユダヤ人たちから始まった宗教だぞ。イエス自身ユダヤ人だし、弟子たちもユダヤ人だし。ペテロとかパウロとか、十二使徒たち全員。

それがのちに西洋にも伝わったというだけの話であって。

2018-07-11

麻原彰晃は復活する

麻原と、弟子12人の死刑囚という構造は、キリストそっくり

キリストも、使徒12人いた。

麻原も、キリストも、正当な裁判を受けられず不条理に死んだ。

全く同じじゃん。

麻原は、正式精神鑑定を受けさせてもらえなかった。

死刑要件を満たしているかどうか不明のまま、死刑になった。

その必要はないと言われて、受けさせてもらえなかった。

もちろん裁判中は合理的自己御言動をとっていたから、たしか正気だった。

だがその後は?

真相は解明されている!裁判記録を読め!」と

正義に酔ってブコメしてる連中がいたが、

麻原が指示したかどうかについては、弟子の口からも、麻原の口からも語られてないだろ。

裁判記録を読めと言ってる連中ほど読んでない。

指示したかどうか明らかではない以上、弟子たちの忖度合戦、つまり裏切りによって麻原が追い込まれたと解釈される余地が残されてしまう。

キリストは、弟子12人に裏切られて死んだ。

裏切られ、十字架にかけられても、裏切った弟子たちを愛して、死んでいった。

弟子たちは後からその話を聞いて、衝撃を受けて、罪悪感が極限まで高まり、ついには彼は神だったのだと捉え返して、認知協和を解消した。

復活の噂をパウロから聞いたとき、すんなり信じられたのも、深い罪悪感と、悲劇性、法的な不条理があったから。

麻原もキリストと同じように、奇跡を起こせなくなった。

最後にはみじめにも、ここ一番の重要タイミングで空中浮遊に失敗した。

信者からしてみれば、ここでは奇跡を起こすだろうというところで、ぶざまに失敗した。

前例のない洪水と、地震があったくらいで、日本社会はびくともしていない。

キリストが死んだときは布が真っ二つに裂けたけど、それと同じような、ささいなしるしに過ぎない。

無力のただなかで死んだ。

しかも麻原の場合はそれに加えて、7人の弟子たちと死刑にされるという、強圧的な執行によって死んだ。

共犯者同時執行慣行が守られずに、国家恣意的判断で死んだ。

平成区切りだとかなんとか言って。

一緒に転生させる判断って何なん?

本当に執行して良かったのか?

2018-07-10

anond:20180709134500

ラピュタの石のおじいさんになりたい。

 

おじさんは、暗い洞窟の中で、それぞれの小石の中に潜む夢や希望理想などの小さなキラキラを集めて過ごしている。

小石はどこにでもあるが、暗い洞窟の中でないとキラキラが見えにくいし、声も聴きとりづらい。

キラキラを見つけるたびに、「素敵だね」「かっこいいね」「きれいだね」と返事をし、

自分の中にキラキラを取り込んできた。

洞窟の中は、誰にも気兼ねせずに自分キラキラさらけ出せる居場所だった。

 

あるとき、おじさんは強烈な「ギラギラ」を放つ石を持つ若者出会う。

他のどんな石よりも美しい輝き。

私が探していたものはこれだったのだ。

そう確信したおじさんは、こんなところで腐ってられないと思い立ち、

洞窟を出てその美しさを喧伝した。

 

洞窟の中で小さな声に耳を傾けていたおじさんは、

外に出ると一番声の大きい人になっていた。

つの間にか若者は去っていて、周りの人は怯えた目をしていた。

ヨハネでもパウロでもなく、ファリサイ派になっていた。

石はとても美しいけど、世界のすべてではなかった。

 

おじさんは後悔している。

未熟さから周りを傷つけてしまった。

場所を失ってしまった。

あのときシータパズー出会ったポムじいさんのように、

ギラギラした石を「しまっておくれ」と言えればよかった。

2018-04-08

聖ヨハネとか聖パウロの聖って

今日知ったんだけどセイントことなだってね。

それなら最初から聖闘士ヨハネとか聖闘士パウロって書いた方がわかりやすいのにね。

2017-09-10

夏の終わりにお勧めする美曲3曲

Jeff Beck / Diamond Dust (Vinyl)

https://www.youtube.com/watch?v=zzvG3q5Evlk


夏の終わりに冬を想う1曲。

ジェフ・ベックアルバムブロウ バイ ブロウ」で最後を飾る曲。

元々はハミングバードベニーホランドが作り、ジェフレパートリーしていた曲で、それがアルバム制作時にジョージ・マーティンによってアレンジされたらしい。

ジョージ・マーティンの偉大さがわかる1曲。

安定と不安定が入り混じる進行は、強く/弱く不定期に瞬くダイヤモンドダストのものと言って良いと思う。

ストリングスの美しくエモいアレンジ聴くたびにこみ上げる物があるし、5/4 のリズム上で展開される散文的なドラムは力強くも繊細で、ダルくなりがちな曲にひりひりした緊張感を与えている。



Orquestra Jazz de Matosinhos & Joao Paulo Esteves da Silva - "Fantasmas"

https://www.youtube.com/watch?v=xjkUV9hpWDk

夏といえば幽霊

ってわけで ジョアンパウロ の "Fantasmas"。ジョアンパウロ日本ではほぼ(完全に?)無名だと思うけど、個人的には最も好きなピアニストの一人。

かなり長く散文的な展開が続く曲で、初見では「何やってんの?この人たち」と思うだろうけど、あせらず最後まで聴き眺めてほしい。

怖い幽霊ではなくて、子供がある夏に出会不思議だけど怖くはない幽霊って感じかな。オッサンの心の柔らかい部分に本当に刺さる。

こうした厄介な構成を完全に再現しきる OJM の力は本当に凄い。




Summer Snow Yui Onodera And The Beautiful Schizophonic Radiance

https://www.youtube.com/watch?v=LUnHWKrS0pE

アンビエントかな。こういうジャンル評価言語しづらくて困るんだけど、"明確に" 良し悪しがある。鳴っている時は特に意識させないが、終わった直後、空間密度が一気に薄くなった事をはっきりと感じさせる。それは良いアンビエントだ。

この曲は夏の終わりってよりは盛夏に似合うと思う。今年の夏はパッとしなかったけど。

狂ったような日差しの中でゆらぐ風景に、一枚なにかのフィルターを挟んだような不思議感覚に浸れる美曲。

2017-03-27

けものフレンズ聖書かばんはイエスキリスト

かばんはイエス・キリスト

けものフレンズという物語は、キリスト言行録たる福音書である

ジャパリパーク女性フレンズしかいないのは、キリスト処女懐胎を暗示している

フレンドにとってのヒトとは、人類にとっての神。

ヒトに似せて作られたフレンズとは、神に似せて作られた人間

ミライは神そのもので、かばんはその神の子

かばんと、ミライ、および精霊たるサンドスターとは三位一体

サンドスターがなぜかばんと一体なのかというのは、もとのキリスト教三位一体説もかかえる矛盾

かばんが現れるなりセルリアンに襲われるのは、ヘロデ王が赤子を皆殺しにしようとしたことに相当する

そこでかばんを助けるサーバルは、イエスを救うためにエジプトに逃げた聖母マリア

サーバルは同時に、イエス最後を見とるもう一人のマリア、すなわちマグダラのマリアでもある

かばんを導くラッキービースト洗礼者ヨハネ。不幸な最後が予想される

かばんを泥棒扱いするが後に改心するアライグマは、改宗パウロおよびサウロ

かばんが各地で行う数々の偉業は、イエスの行った奇跡

ジャパリパークに広がるサンドスターローとは、サンドスターにより知恵を得たフレンズが同時に得た原罪

サンドスターローにより力を得るセルリアンは、蛇であり、悪魔であり、同時にイエスに害をなすヘロデとその一党

原罪サンドスターローにより力を得たセルリアン)を背負って倒れたかばんは、神性をあらわしミライとして蘇り、フレンズがいつか神の国(彼の世界人間世界)へ召されること、またミライがいつかふたたびジャパリパークに現れることを告げて去っていくだろう

このようにけものフレンズとは、動物物語にみせたキリスト宣教受難、そして復活の物語にほかならない

そしてまた本稿は、人間というものは全く関係のない事柄の間にいくらでも共通点を見いだせるものであるということの証左である

2016-12-13

なぜ日本人名は代わり、ヨーロッパは変わらないのか

日本人名にはトレンドがある。

「一郎・二郎・三郎」は廃れた。最近名前漢数字が入らない。

もっと前は、「五右衛門」や「八兵衛」が居たけれど、今そんな名前をつける人は居ない。

平安は意外と現代でも違和感の無い名前が多い。坂上田村麻呂みたいなのもいるけど。

しかし「○○麻呂」の流行奈良時代のほうだ。奈良時代まで遡ると、現代漢字読みでは到底読めないような名前ゴロゴロ出てくる。

なお「○子」が男の名前なのもこの時代

それより前になるともうキラキラネームと見分けつかない。

一方で、ヨーロッパ聖書時代から名前が変わらない。

国によって発音が違うというのはあるけれど、ヨハネ(ジョン)、パウロピーター)、ヤコブジェイコブ)は現役だし、ゆうたの代名詞アレックスも、アレクサンダー大王時代には既にあったし、もっとから存在してるのだろう。

それ以外にも、父と子で同じ名前とかわけの分からないことをする。

どうやって呼び分けるのか。

ジュニアはいつまでジュニアなのか。

三代続いたらどうなるんだ?


色々調べて書こうと思ったけど、理由が分かるものが全く無かったのでとりあえず疑問だけかいておく。

2016-11-12

[] ※ブコメ返信

今回は思いつきばっか書くので、あんまり本気にしないでください。

1. 「信」について

日本語の「信じる」「信仰する」という言葉は重いと思っている。

自分の神に対するスタンスは、(本当はいるかどうか良く分からないが)①いてくれたら良いな、②いる方に賭ける、③いてくれなければ困る、という幅で気持ちが揺れ動いている状態だ(その理由は以前書いた)。

こうした気持ちを表すのに「信」という言葉は重い。

「信」という漢字は「人」+「辛」+「口」の組み合わせから成るという説があるらしい。

ここで、「辛」は入れ墨に用いる針の象形で、入れ墨による刑罰を示す。「口」は誓いの文書を表す。

この説によれば、「信」という言葉「その発言に嘘があれば、受刑することを前提に誓う様」意味するとのこと。

自分はこの意味では神を信じることはできない。

他方、英語の"believe"は、allow(受け入れる)を意味する"be"と、to hold dear(愛しく思う)を意味する"li"から成るとのこと。

この説によれば、"believe"の意味対象を受け入れて愛しく思う」というところか。

これらの説が本当なのか文献を当たってないので分からないが、もし本当ならば英語の方がしっくりくる。

聖書解釈について

聖書文言というのは非常に抽象的で、中には矛盾するように読める個所もある。

そのため、人生で直面する問題に対して聖書規定適用しようとする際、人によって全く違う結論が導き出されることがある。

このことが顕著に顕れるのが同性愛問題で、①同性愛全面的に罪だよ説、②欲求を持つのはOKだけど行為に及ぶのは罪だよ説、③ノンケの人が男色に走るのが罪なだけで生まれながらの同性愛者は罪ではないよ説、等々、バリエーション豊かな議論が展開されている。

(ちなみに自分は、どの説に立つにせよ、自説をもって他人同性愛者〕を裁くことは「人を裁くな」〔ルカ伝6-37〕に抵触するのでイカンと思っています

上記の説は解釈としてはいずれも成り立つ。

また実際にも、(a)同性愛を罪と考えて信仰に励む同性愛者、(b)同性愛を罪と考えず積極的差別偏見と闘う同性愛者、のどちらも間違いとは言えないだろう。

そうなると聖書解釈というのは単なる主観の表明じゃないのか、客観的に正しい解釈というのはないのか、という疑問が湧いてくる。

この問題を考える際に参考になる議論として、法律学で似たような議論がある。

議論状況は泥沼に陥っている上に難解なのでとても要約なんてできないのだが、論者で議論が一致している点として「裁判官法律家としての直感結論を決めており、法解釈はそれを検証正当化するために用いられる」ということが挙げられる。

自分も2名の裁判官から同様のことを聞いたことがある)

このことから法律家はこの法律家としての直感を育てることが肝要であるとよく言われる。

これって聖書解釈にも当てはまるんじゃないか

大事なのはキリスト者としての直感を、信仰聖書研究を通じて育てることであり、聖書解釈はその直感検証正当化するために用いるものなのではないか

上述した同性愛問題でいえば、①同性愛者が直面する問題点、苦悩などをよく勉強したうえで、②キリスト教的な価値観に照らして直感結論を出し、③それを聖書規定に照らして検証正当化する、というプロセスになる。このプロセスを経た結論は、いずれの立場にせよ、聖書的と言える(と勝手に思っている)。

なお、「法律家としての直感」の土台には、無神論と(マルクス主義的な理解における)資本主義がある。

キリスト者としての直感」の土台には、キリスト教的な価値観人間堕落しているという人間観、成功より正義を重んじる姿勢、死後の世界肯定、愛)がある。

3. 関係規定

勉強しないと聖書は正しく読めないよ>

「〔パウロ〕の手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(ペテロ後書3-16)

あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(テモテ後書2-15)

信仰してないと聖書は正しく読めないよ>

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント前書2-14)

恣意的解釈は許されないよ>

「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手解釈すべきではないということです」(ペテロ後書1-20



ブコメ返信

・いつもありがとうございます教理問答買って読んでみます。今は詩篇を読んでいるのですが、終わったらコリント前書も読もうと思います

2016-11-08

[]

ヨハネ書(×ヨハネ伝)を読んで呆然となる。

人は信仰によって救われると主張したパウロロマ書)に対して、本書は神と人を愛することによって救われることを主張する。

結局愛なのかああああ

#わらった

http://anond.hatelabo.jp/20161108233807

2016-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20160828191601

仏教のことは知らんけどキリスト教勢力が拡大したのは

ローマ帝国国教化&優遇たからでは。

パウロ布教から250年くらいくすぶってたし、ミトラ教に負けてた。

イスラムは単に軍事が強かっただけ。

土地征服して、改宗しないと人頭税取るという事にしたり、異教徒奴隷にした。

みんなキリスト教奴隷貿易してて非道!とかいうけど、イスラム教のほうが700年も早く奴隷貿易やってて、19世紀まで続けてたからね。

はてなーは「キリスト教暴力的ムスリムは一部の過激派おかしいだけ!」っていつも言うけど、

近世まではどこの世界非道だし、現代でも非道なのは明らかにイスラムのほう。

2016-08-28

宗教リア充二次元

ここ数日、宗教の成り立ちに興味を持ち、適当に調べていた。

それで改めて思ったのは、宗教というのは、本当に当初の原型なんかねえなということである

キリスト教にしても、イエス自身はせいぜいユダヤ教改革派ぐらいの立ち位置だったのが、

パウロ世界宗教への道を開いた結果、今のようになったらしい。

自分は、特に宗教心もないが、たぶん統計の上では大乗仏教信者ということになっている、

どこにでもいる平均的な日本人だ。

上座部仏教については、「あ、東南アジアあたりでメジャーなやつでしょ」ぐらいの印象しかない。

しかし、どちらが当初の精神を引き継いでいるか考えてみると、もう明らかにあっちだと思う。

確かに、ブッダ王族で、当時としては恵まれていたし、妻も子もいたらしいが、

あんな思い悩んでばかりいたんでは、俗世で生きてて幸せなわけがない。どちらかと言えば我々サイドだ。

きっと、人付き合いも何もかもが煩わしいと感じるタイプだ。

どう考えても、大乗仏教の方がおかしい!

どうやら、宗教というのは、仮に個人の救いという小さな問題から始まったものだとしても、

どこかの段階で「勢力拡大」というものが、教えのうちに組み込まれものらしい。

誤解を恐れず言うならば、それはリア充に乗っ取られるということである

他者を救わねば自らの救いもない、とか細かい理屈はあるが、要は群れたがる人間が主流派となり、

そうでない人間はそこから追いやられたと考えるのが自然だろう。

おそらくキリスト教もまた、リア充パウロに乗っ取られてしまった結果が今なのだ

イスラームちょっと別だ。あれは最初からリア充サイドだったとしか思えない。

ムハンマド商人軍人としても有能だったらしいし、自らジハードなんて言っちゃってる。

そしてなにより、幼妻であるリア充でなくてなんだというのか。

自分社会性がないので、リア充のいるところでは幸せに暮らせないと思っている。

そもそも、他人との交流苦痛だ。人に好感を持ってもらえるような容姿もなく、話せば人を不愉快にする。

まり他人を癒やす能力がないということだ。

そんな人間が、他人に癒やしを求めるべきではない。

から自分を救うものがあるとすれば、それは趣味以外にないと思っていた。

確かに、その辺を歩いている人の真似をするよりは、二次元にはまっていた方が気が紛れた。

しかし、その趣味もまた、自己完結する世界ではなかったのである

そんなことは最初からわかっているつもりだった。

だが、この世界にもリア充侵入し、そして幅を利かせている今、自分は肩身の狭さを感じつつある。

ライブに通い、SNS他者と絡む。そういう人間が、やがてここでも正統派となり、

自分はまたどこかに散るしかないのかもしれない。

どうやら、宗教二次元も、もちろんインターネットも、安住の地にはなりそうもない。

自分はどこに行けばいいのだろう。

2015-10-11

280、意

280、意

メンタルと天へ伸びる作

あぁ、奴すら!!」

日々から同じこの世がやってきました。

経済パウロは真からやめましだ。

2015-10-01

続、続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

こちらの記事http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、

http://anond.hatelabo.jp/20150929000832

投稿させていただいたものです。



なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…

いやはや、こんな思考駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。

少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…






まず一点目。

前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。

重ねて言いますが、主観がモリモリ入っております

客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。

あくまで、私が思ったこと。自己語りの範囲です。

それを理解していただければ幸いです。


更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』

その、たった一例を出したに過ぎません。

しかもこれは、私だから救われた話です。

誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法言葉を言われたわけではありません。


当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています

未熟者でお恥ずかしい限りです。



しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。

から一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが

助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。

でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います

親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…

難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。

さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…

自分に酔った文章だというご指摘も最もだと思います




さて、こういう風に自分思考に少し風が通ったのは、

トラックバック南直哉さんを紹介していただいたからです

私と考えが似ていらっしゃるとのことで、

色々と関連したもの動画など)を拝見させていただいたのですが、

私の思慮の浅さが露見するばかりで…

こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。



この方のお言葉にハッとさせられたのですが、


自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。


当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。

モヤモヤした私の言えない部分を言葉にしてくださいました。



私は何も選んで生まれて来ていない。性別容姿も親も何もかもです。

それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。

というか私には不可能に近いです。

じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。


だって好きで選んだものじゃないんですものしか絶対に逃れることなんて出来ない。

そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。

まれた時から理不尽だなあ…



私は、この考えに触れて、『資本論』を思い出しました。



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人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、

私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから

人間最初はまず他の人間なかに自分を映してみるのである

人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロ関係することによって、

はじめて人間としての自分自身関係するのである。」

カール・マルクス岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】


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さらに調べていたら、もっと分かりやす文章が出てきました。


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アメリカ社会学者チャールズ・ホートン・クーリー

一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。

すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、

このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。

要するに、他者という鏡に照らして自分を見る、ということだ。

これによって自己認識が可能となり自我形成される。

あらかじめ自我があって他者と関わるということではなく、

他者と関わり他者の鏡に映った自分認識することによって自我形成されるのだ。

クーリーによると、このような自我は三つの側面からなる。

第一に他者自分に対してもつイメージ

第二に他者自分に対してもつ評価

第三にこれらに対する自分感情[自負や屈辱など]である

【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】


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他者を映さなくては自分を見ることが出来ない。

からこそ私は他者排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います

人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…

私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしま

でも得るのはとても難しい…

ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。



さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。

とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます

書籍も近々手に取ってみたいと思います

気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。






二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います




◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方




私はまずDVの話はしていません。

同じような「劣等感からくる事件を持ち込むならまだ分かります

例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます

そして加害者被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。

もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。

なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。



そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。

私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。

どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています

分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく

『止められなかったのか?』という『過程』と、

『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。


しろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います


加害者擁護に感じる不愉快さは被害者人権軽視の姿勢』についてのお話

しなくてはいけない大切な問題だと思いますので、

どうぞご自分トピックス内で書かれることをオススメします。



あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが

これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?


社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、

それはとても喜ばしいことに思えます

他の場面でなら、彼女体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。





殺人理由は、大抵くだらないとエントリーを書かれた方




こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます


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馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

という言葉自分に刺さるように感じるこの増田書き手)は、

犯人自己投影してしまうからこそその言葉自分に返ってくるように感じてしまう。

コメント賛否になるのは当然でどれに感情移入主体として)するかによって風景が変わる。

コメントする人間は、自分いちばん近い距離感に対し感情移入する。

でも「殺人理由」なんてのは大概くだらない。

どんな理由であれ殺人に至るほどのものじゃない=くだらない

他者一般からみたら「くだらない」の一言

であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。


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そういう見方も出来るのですね!

私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。


そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか

とても疑問だったのですが、すっきりしました。

ありがとうございます


トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。

こういったトラウマ的な部分は気をつけていても

反射で反応してしまものなので、中々コントロールするのは難しいですね

そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います


ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。

背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、

なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか

しかしたら犯人人生において共通の何かがあるのか、ないのか…

私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。

探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態関係ないのかもしれない。

それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。




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今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会セーフティーネット機能していない深刻さ。

それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。

続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

ここに集約されてる。


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おっしゃるとおりです。まさに、私が欲しかったものです。

ストンと真っ暗な穴に落ちて行くような恐ろしい気持ちです。

社会と私が容赦なく切り離されていくような感覚です。

なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、

だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。




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社会セーフティネット」って漠然といい感じの言葉だけど、

問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。


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残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。

本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?


そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?

作るなら誰なんでしょうか? 政府民間ボランティア

予防線を張るために私たちが出来ることってあるのでしょうか?

家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?

直すべき形態はどこなんでしょうか?

殺人犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、

それって何が悪かったんでしょうか?

遠くない私たち問題なのかもしれないと、私は思ってしまます




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ニュースの少ない情報から同類だ」と勝手思い込み

劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。

結び付いたらそれを「くだらない」といった母親言葉自分に向ってきた。


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そうですね、少ない情報から同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。

もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人他人だと分かりそうなものですが…

しかし、少ない感情で強烈な既視感を感じたのもまた事実です。

そして、私の書いたもの共感してくださる方がいたのも事実です。

こういった切実な感情を抱えてしまう私がいる、

割り切れない何がある?それってなんだろう?

そうやって考える自分がいるのも確かです。


そして、私のことを「少ない情報犯人自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら

「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います

だって、わたしのこと、この2つの記事しかあなたは知らないんです。

女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。

やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。




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犯人が違う理由を言いだしても増田投影し続けられるんだろうか。


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どうでしょう


「人を殺せば刑務所に入って人生リセット出来ると思ったこと。」

この点は、もしかしたら揺らいでしまうかもしれません。

人生リセットしたい』と思ったことは何度もありますが、

よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…


ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」

「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」

この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、

この点だけにおいては共感することが出来ると思います




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自分人生責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分しかない。


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その通りですね。自分人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。


ただし、ご自分人生責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、

やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います

持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。

私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。

この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、

その点に置いては私は自分発言責任を持とうと思っています






自分自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方




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「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う


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私は前回の記事でとても傲慢なことを書いてしまいました。

そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。

どうかその考えることを大事にしてください。


とてもいい環境で育てたのですね。それはあなた財産であり、誇りになると思います

どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。

そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。

だってやり方をきちんと教わってきたのだから

うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。


でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。

きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから

時々、休みつつ、問題真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。


私もようやく「自分は、自分であることから逃れられない」

ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います


その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。

そして、時にものすごく得ることが難しい。

でも自分大事に出来てこそ、他者大事に出来ると思います

陳腐だと言われてしまいそうですが、

自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。

そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます


書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう

あなたの近くで転べる人は幸せなのかもしれない。

きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。

あなた人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。


私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。






以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌範囲でお願いします。



そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。


この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと

心のどこかで思っていました。

でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。


きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?

それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。


これが現時点での結論です。

きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います


この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら

これほど書いてよかったと思うことはありません。


長文、失礼いたしました。

2013-11-04

[][]『人と思想 パウロ

路上の人』つながりでキリスト教関係の書を読んでいる。今回取り上げるのは『人と思想 パウロ』(八木誠一・著 asin:4389410636 )。キリスト教現在につながるものに体系化した人物であるパウロがどのような人生を歩んで、どのような思想を持つようになったのかが解説されている。

パウロを通して語られるキリスト教の「赦し」や「愛」の観念の解説が新鮮だった。キリスト教というと、同性愛の禁止といった聖書の教えを忠実に守ろうとする人びとの宗教というイメージ勝手に合ったのだけれども、そういう教えを厳格に守ることを重視するのはユダヤ教的発想で、そういう態度への批判から生まれたのがキリスト教であるとしている。

なぜ教えを守ることにこだわることが問題なのだろうか。

ユダヤ教では旧約聖書にある様々な律法を守ることで神に救われると信じる。そこでは律法を守ったか否かが重要だ。しかし、自身も厳格なユダヤ教信者であったパウロはそれを否定した。律法完璧に守ることができる人間はごく少数であり、たいていは律法を守ることができず、絶望に陥る。または律法を守り切ったことの優越感が、やがては本来の神への信仰を忘れさせてしまい、そのことを自覚した時そこでも絶望に陥る。つまるところユダヤ教律法主義は必然的絶望へと至ってしまうのだとパウロは考えた。

そこでパウロは、イエス神の子と信じる原始キリスト教に意義を見出す。すなわち、人間の罪はイエス十字架によってすべて赦された。だから人はただ神を信仰することに集中しさえすれば救われるという理屈を展開したのであるパウロユダヤ教の持つ厳格な律法踏襲しつつ、それを守りきれない人間の心も考慮に入れて、堕落絶望もしない状況に人を導くように教義設計したのだ。

以上がパウロキリスト教教義への貢献であり、それがゆえにキリスト教教義を学ぶうえで重要な人物足りうるのだという。まあキリスト教についてまともに学ぶからすれば当たり前なのだろうけれども、無学な自分にはパウロに対する自分偏見が訂正されたので面白かった。

2012-02-22

[]図書館

☆☆世界経済の潮流〈2011年 2〉2011年下半期世界経済報告 減速する世界経済、狭まる政策余地 - 内閣府政策統括官室

セックスレス亡国論 (朝日新書) - 鹿島

星の王子さま バンド・デシネ版 (Le Salon des livres) - ジョアン・スファール

人間らしさの構造 (講談社学術文庫 143) - 渡部 昇一

フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。 - きたみ りゅうじ

一日江戸人 (小学館文庫) - 杉浦 日向

使える 弁証法 - 田坂 広志

憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書) - 阿川 尚之

子殺しの行動学 (講談社学術文庫 (1057)) - 杉山 幸丸

次郎物語〈上〉 (新潮文庫) - 下村 湖人

なぜ日本は変われないのか 日本民主主義構造 - 山本 七平

ネット生保を売ろう! - 岩瀬 大輔

☆飢える大陸アフリカ先進国の余剰がうみだす飢餓という名の人災 - ロジャー サロー


アジャイルプロジェクトマネジメント 最高のチームづくりと革新的な製品法則 - ジムハイスミス

アジャイルサムライ−達人開発者への道− - Jonathan Rasmusson

良い経済学 悪い経済学 (日経ビジネス人文庫) - ポール クルーグマン

白熱教室の対話術 - 堀 公俊

新装版 江戸城大奥列伝 (講談社文庫) - 海音寺 潮五郎

検証 中小企業金融―「根拠なき通説」の実証分析 - 渡辺

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

上弦の月を喰べる獅子〈下〉 (ハヤカワ文庫JA) - 夢枕 獏

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1 - 夢枕 獏;

涅槃の王〈巻ノ5〉神獣変化・幻鬼編 - 夢枕 獏

人間進歩してきたのか―現代文明論〈上〉「西欧近代」再考 (PHP新書) - 佐伯 啓思

20世紀とは何だったのか現代文明論〈下〉「西欧近代」の帰結 (PHP新書) - 佐伯 啓思

ささやかだけれど、役にたつこと - レイモンド カーヴァー

ぼくが電話をかけている場所 - レイモンド・カーヴァー;

物語イタリア歴史解体から統一まで (中公新書) - 藤沢 道郎

ハプスブルク家 (講談社現代新書) - 江村 洋

近代絵画史―ゴヤからモンドリアンまで (上) (中公新書 (385)) - 高階 秀爾

仔犬のローヴァーの冒険 - J.R.R. トールキン

記憶の果て (講談社文庫) - 浦賀 和宏

魔の山〈上〉 (岩波文庫) - トーマス マン

マイル 極貧からCA芸能界へ、階段をのぼる私 - 松尾 知枝

オールコック江戸―初代英国公使が見た幕末日本 (中公新書) - 佐野 真由子

イザベラ・バード日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871) - イザベラ・バード

絵で見る幕末日本 (講談社学術文庫) - エメェ・アンベール

ナイチンゲール 神話真実 - ヒュー スモール




イノベーションDNA 破壊的イノベータの5つのスキル (Harvard Business School Press) - クレイトン・クリステンセン

知らないと恥をかく世界の大問題 (角川SSC新書) - 池上

現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、 ボストンルート128は沈んだか - アナリー・サクセニア

戦争世界史技術軍隊社会 - ウィリアム・H. マクニール

こうして世界は誤解する――ジャーナリズム現場で私が考えたこと - ヨリス ライエンダイク

TOKYO 0円ハウス0円生活 - 坂口 恭平



ユーロリスク日経プレミアシリーズ) - 白井 さゆり

天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 - ジョン・アレンパウロ

そもそも株式会社とは (ちくま新書) - 岩田 規久男

M&A新世紀 ターゲットトヨタか、新日鐵か? - 岩崎 日出俊

現代の金融入門 [新版] (ちくま新書) - 池尾 和人

弱い日本の強い円 (日経プレミアシリーズ) - 佐々木

ハゲタカ(上) (講談社文庫) - 真山 仁

イヴィング キャピタリズム - ラグラム ラジャ

フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く - ラグラムラジャ

世紀の空売り - マイケル・ルイス

会社の値段 (ちくま新書) - 森生 明

2010-10-16

エリン・スポルティーボ選出 セリエA歴代外国人選手ランキング

1位マラドーナ、2位プラティニ、3位ファンバステン、4位ファルカン、5位ロナウド

6位フリット、7位ジダン、8位カカ、9位イブラヒモビッチ、10位シェフチェンコ

11位ライカールト、12位ネドベド、13位マテウス、14位バティストゥータ、15位ジーコ

16位ベロン、17位ルイコスタ、18位カレッカ、19位ウェア、20位テュラム

21位カフー、22位アウダイール、23位ボクシッチ、24位デシャン、25位ダーヴィッツ

26位モンテーロ、27位ミハイロビッチ、28位デサイー、29位サビチェビッチ、30位サラス

31位ボエニク、32位ブレーメ、33位セレーゾ、34位ブレイディ、35位エメルソン

36位ボバン、37位パウロソウザ、38位プロハスカ、39位ビアホフ、40位コーラ

41位ユーゴビッチ、42位シメオネ、43位ブリーゲル、44位アルメイダ、45位フォンセカ

46位センシーニ、47位ヴィエラ、48位フィーゴ、49位レオナルド、50位バルボ

51位スタム、52位ルベンソーサ、53位エルケア、54位ストレンベリ、55位シュクラヴィ

56位ラモンディアス、57位アギレラ、58位アモローゾ、59位ルディフェラー、60位ルンメニゲ

61位クリンスマン、62位ブロリン、63位シーフォ、64位ラウドルップ、65位オリベイラ

66位ドゥンガ、67位クロル、68位パサレラ、69位エジーニョ、70位リードレ、

71位ジュニオール、72位パパン、73位ベアグレン、74位アンデション、75位ジルセウ

76位カザグランジ、77位フランチェスコリ、78位バロス、79位メラー、80位プラット

81位フランシス、82位ブランコ、83位ヘイトリー、84位スーネス、85位ロベルトカルロス

86位シャフナー、87位中田、88位ベルトーニ、89位ヘスラー、90位シャリモフ

91位ジョルカエフ、92位カニージャ、93位アスプリージャ、94位タファレル、95位ベルカンプ

96位レコバ、97位アドリアーノ、98位ガスコイン、99位エジムンド、100位リバウド

2010-07-16

このあいだの夜、また知らない人の家にいった

このあいだ、バイト先の人といれてないセックスをした。

部屋に遊びにいったつもりが押し倒され、

処女だったので

「怖い」

と言ったら、

ゆっくり教えてあげるから、入れるのはいづれ自分がいいと思ったときに言って。と言われた。

怖いのは痛みではなく、まだ大して知らない人間に体を許すことで、心を奪われたり傷つけられることだった。

好きですと言うと相手は嬉しそうな顔をしたが、抱き合ってみたら自分の頭はあまりに冷静だった。

体を優しくさわられるのは気持ちいい。自分ですることもあるからよく知っている。

でも付き合ってないし。

一応えっなんで?と聞いてみたら、 いいと思ってたからだよと言われた。

早くないですか?と聞くと、大人はこんなもんだよ、と。



それからやっぱりあまりご飯が食べられない。

会いたいとメールしてみたら、「忙しい」と言われ、

不安すぎて、ご飯いきましょー!(^o^)なんてトンチキなメールを深夜に送ってみたが勿論連絡がこない。

忙しいのは事実だ。バイトで会った時パウロ君の存在を知らないくらいニュースを見ていなかった。

一人でいると疑問がわいた。

そういえば先輩は私の下の名前を知ってるんだろうか。

私の名前名字でも呼ばれた記憶がない。

このあいだバイト中に「○○さん」と名字で呼ばれた。

その聞きなれなさに、やっぱり、名前を呼んでたのは私ばっかりだったなぁと思った。

脈がないんだ、と思うと心が楽になった。片想いだと思うとmixi足跡がついてるだけで喜べるようになった。

学生時代から元々知り合いだった男の子がいる。

車でいろんな所に連れていってくれ、呑みを企画したり奢ってくれたりする。

気前よく、気も優しくつきあいは長いが、苦手意識があった。

二人きりのご飯の誘いはずっと断っていたが、上のことがあって近い男性だったので相談してみた。

もう気にするな。飯は食え。

ご飯を作って持ってきてくれた。

嬉しかった。自分が傷ついてはじめて、彼の優しさを素直に受けることができた。

彼と、昨日はじめて二人きりで呑む約束をした。部屋で。

いいけど襲ったらマジコロスからね!とメールすると

へっそっくりそのままお返ししますわ(`ε´)


と帰ってきた。

彼を好きにならない理由がわかった。

2009-10-23

anond:20091023111021

キリスト弟子パウロ(こいつはもともとローマの上流の出身でアンチキリスト教だった)

誤解を招く表現なので補足。

パウロ(サウロ)は、ローマ市民権をもつユダヤ人で高い教養をもった金持ちではあったが、ローマ社会の上流社会に属していたわけではない。

また、イエス弟子というのはあくまでも自称で、実際はイエスとの面識はない。神秘的体験(夢?)で会ったと言っているだけ。

現在キリスト教は、イエスが説いた宗教とはかなり差異があり、事実上パウロが説いた宗教が元になって発展したものである。

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