はてなキーワード: 激情とは
やや地獄だった。
やや地獄、というのは、昨年の4月か5月か6月ごろの本当の地獄と比べれば一瞬に近いものだし、瞬発力はあったとしてもあの一か月と比べようもない。
しかし、しかしだ。この激情において、地獄はやはり地獄なのである。吸う空気は同じなのである。
さて何があったかといえば、冷静になりさえすればなんてことのない現象だった。
しかし、これであっさりと冷静になれるのであれば、今頃地球は欠け、人類は滅亡しているに違いないのである。
つまり、無理
不倫現場を目撃しただとか、目の前で知り合いが刺されたとか、そういう救いのない現象よりかは100000倍マシだ。
ただそれでもやや地獄だと表現するのは、案外真実は、目に見えた現実とイコールで結ばれている可能性があるからだ。
嘘だと言いつつ本当だとか、あえて真実をさらすことで誤魔化そうとしているとか、そういう可能性がないとは言えないからだ。
だから、やや地獄だった。全体的には些細なことかもしれないが、自分の境遇からすればとんでもない地獄だった。
間を取って、やや地獄。
まあ、これが着火点だとしたならば、人生の起爆剤となったのならば、ここまで生きてきた価値はあるだろう。
ああ、地獄だった。
これより臨戦態勢となる。
続け、未来。
だって男って「男が性的に消費されてる!キモイ!」って言わないじゃん。
これからはポリコレに配慮してイケメンキャラクターがねっとりした絵柄で観光地をアピールすのが流行ると思う。
伊豆砂荒波
伊豆の砂浜である日見つかり地元の優しいサーファーたちに育てられた生粋のサーファー。産湯の代わりに波を浴びたと自負しており、子供の頃からいつもサーフボードを手放さない。髪の毛をかきあげるとどこからともなくサッファ~という音がする。地味と言われると激情してしまう。一時期は方向性を見失い本当に地味になっていたが最近は復活してイケイケしている。地味だった頃の歴史を掘り起こされるとサーフボードで殴ってくる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/m_nsc/status/1449950761505361920
greenT 人類に元から備わっている欲望を勝手に悪に分類するのがおかしい。しかも存在せず社会的に構築されたものとして扱うなどもってのほか。
z1h4784 id:greenT 殺人もいじめもオタク差別も性暴力も人類に元々備わっている欲望「だから」制限しないといけないんですよ
俺(greenT)のブコメへの反応として正しいのか?ってのが疑問なのと
複数の論点を1つのコメントに盛っていて100文字では対応できなさそうなので
確かに差別も性欲も元から備わっているんだが、id:z1h4784 が列挙したものは社会がうまく構築できれば存在しなくていいものが混じってる
この中で暴力や殺人は人が追いつめられる前に介在できるリソースがあればある程度は防げそうだし
オタク差別なるものはそもそもオタクに何の予備知識や情報を入れていなければ発生しないな?
性欲はそういう性質のものではなく、何も知識を入れなくても個人個人に備わっている欲求だ
自由に生きたいとか衛生的に暮らしたいとかそういう欲求と同列のもの
そういうのをあたかも「社会のあり方によっては存在しなくてよいもの」と取り扱うのは尊厳を損う行為だ
「教えさえしなければ自由なぞ与えなくてもよい」と言ってるのと同じだと思ってもらえばいい
上段で「人類に元から備わっている欲望」を分類したが、俺はこれらを「勝手に悪に分類するな」と言い、id:z1h4784 は「備わっているから制限するべき」と言っている
悪に分類するのと制限するのとでは大きな差があるんでいまいち会話が噛み合ってないが、最善の層を組み取って理解してみよう
人類に元から備わっている性質、以下のように列挙したがそれぞれ「制限すべき状況」があるのは理解できる
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
差別の項目は意見が分かれると思うが、こういう場合俺がよく出すエッジケースは入墨差別だ
入墨を入れたからと言ってそれ自体が何か悪さするわけではないが入墨を入れた人間に悪い人間が多いので一律付き合いが制限されるし、入浴も拒否される。これは個人を見ていない明確な差別だ
しかし入墨の人間に恐怖を感じる感情自体はそこは尊重すべきものだと俺は思っている
しかし制限が本当に容認できない場合、例えば手術も何もできなくても容認すべきとまでは思わない。そういうスタンスだ
場合によっては制限が必要と言っても、今現在受けている性欲の扱いはそれを発露する描写だけで忌避される非常に制限のきついものだ。正直ここまで制限を受けるべきものではない
上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ
そこが端的に現れるのが夫婦関係だと思うが、「夫にいじめられないと/暴力を受けないと夫婦関係が維持できない」という悩みを持つ夫婦はほぼ見たことないが
「夫に性欲を向けられないと夫婦関係が維持できない」という悩みは古今東西枚挙がないくらい見る
つまり、性欲の問題は「適切な対象には向けられたいが不適切な対象には向けられたくない」という性質から発生するもので
男女の差はそこの対象の適切性が広かったり狭かったりするから発生するものなのだろう
んで、「どの対象が適切なのか」は人によるに決まってるので、他人の適不適に口を出すのが不当なのはここからわかるはず
先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない
ここまで説明して、やっとブコメの元記事となるツイートの話題に戻るわけだが
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
という結論が導き出せるはず
そこからid:z1h4784のブコメへの回答としては
→ここが元ツイートの更に大元の話題、共産党の表現規制の話に繋がっている
[おまけ]
思ったより多く反応があったので人気コメントに反応。別に人気コメ以外見てないわけではないのでご容赦ください
saiusaruzzz ド直球で言うと「男は女を犯すことが可能だが、逆はかなり難しい」けど、男はこの前提を認めて話すことが難しく、女性はこの肌感覚ありきで話すので、最初から話がまったく噛み合っていないんじゃないかなと最近思う
非対称性は事実あるし知識は持っているが、肌感覚は持ちようがないので制限のある中で喋ってる意識はある
ただ女の肌感覚も論理的に落としこまれている訳ではないなとは感じていて、
犯し犯される肉体の非対称性の範疇外にも性嫌悪を表出している例がある。ここはきちんと論理的でないことを認識してから議論したい
→好例としては女湯に入る男児の視線を気にする話。当然精通していない年齢だし力で十分勝てる年齢の眼差しにも嫌悪感を抱く発言が多い
俺も女児にちんこガン見されて失礼だなとは思うけどそこは年齢が低いからしかたないと受け入れている
肉体の差だけではない、社会的に構築された性への嫌悪が含まれているように感じる
mahal 性欲自体の問題より、ポルノの規制が「予防戦争」的なものという性質の問題が重い気はするのよね。予防戦争に勝利というゴールは無いから、それにフリーハンドを与えると永久機関で動くゴールポストが出来てしまう
ぶっちゃけ、本文に出した入墨差別についても予防的な防衛意識から出ているものだ
ポルノを好む人間の性逸脱を警戒するのも、もっと踏みこむと加害の意識が証明できもしないのに女性用トイレや風呂から男性を排除するのも、
差別は許容されうる範囲もあるというのが俺の見解だが、昨今の性欲の扱われ方は容認の範囲を越えている
t-oblate 性暴力や性虐待は暴力や虐待が悪いのであって性が悪いわけじゃない、つか暴力や虐待は性がつかなくても悪い、ということを理解してもらうのは結構大変。
そう、大変なんですよね
暴力や虐待は性がつかないものも包括的に社会問題とすべきなんだけど
どうも性にかかわるものは個人の中で嫌悪感が強いのか、分離して議論されやすい
aquatofana 性欲を全て制限すべきとは思わないが、刑法で「一方的に性行為を強要した際、された側が全力で逆らわなければ無罪」なのはむしろ社会の管理が弱い証拠では。性欲が安易に暴力と結びつくのをなんとか止める必要がある
→性犯罪は支配欲から来るという話には繋がっていない。ここは後のコメントにも記載
frothmouth 性欲=性暴力みたいな認識の人たちがいるのな。まずそこからか/性暴力を抑制するためには国家の警察力を高める方向でいくしかなくて、性欲を抑制する方向性は正直無理だと思う。また、教育だけで性犯罪は消えない
はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな
今回の話は共産党の表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して
それらは加害ではないということを主張したい
NOV1975 ここで殺人を本来欲求ではないって扱うのって、人間と社会におけるバグ的な存在を仮定からすっ飛ばす話で、それで済むなら性犯罪も大抵バグ(一定の度を越すのが)で済みそうではある
平成22年の犯罪白書でデータはやや古いが殺人とその動機の分類のデータが↓9ページに見える
https://www.moj.go.jp/content/000112398.pdf
他4種類の「報復・怨恨、暴力団の勢力争い等、痴情・異性関係トラブル、介護・養育疲れ」を含めたTop5で8割を占めている
憤懣や怨恨、介護疲れなどの動機を見て、本来欲求によって起こったことと思えるだろうか
これらは様々な悪条件が重ならなければ生じなかったものだと思うし、
今の性欲の議論のようにメディアの悪影響などがなければ発生しなかったとも思えない
そういうわけで、今回の俺の議論では社会構築されたものと扱っている
getcha “いじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらす” / 自民支持者のTweetの「あなたの姓になって嬉しいわ。と女性が喜ぶので論理的に夫婦別姓は反対」を思い出した。
そこでもう一歩進みたいのだけど、選択的夫婦別姓は同姓を選ぶ権利も、別姓を選ぶ権利も平等に選ぶ自由があるというのが建前だったはず
同姓を選ぶ人間がメディアに出るのは抑圧だという論調は踏みこみすぎだ。ドラえもんの映画でしずかちゃんが同姓を選んでる描写に反発があったけど、あれは自由から逸脱していてよくない例だと思う
今、性欲の扱いは性欲を発露したいという欲求と発露を見たくない欲求が平等で自由に選べる状況とは思えない
はてなの中には性欲の発露はクローゼットの中のみ許容されて公的な場では出していけないとまで主張する者もいる
greenbuddha138 性暴力の大半は性欲より支配欲が根源じゃないかな ʕ•̫͡•ʕ*̫͡*ʕ•͓͡•ʔ-̫͡-ʕ•̫͡•ʔ*̫͡*ʔ-̫͡-ʔ
性犯罪は加害者の性指向が色濃く反映されすぎてて、支派欲ベースで考えるには分離が困難なように思う
端的に言うと、「とにかく弱い者が困るところを見たい」というのなら、痴漢はひったくり同様もっと老人の被害者が増えてもいい
rirukarinka 純粋な性欲=内心の自由は問題なくて、合意がある場合を除いて、性欲を表明することは推奨されなくていい。/夫の性欲が〜のくだり、男女で非対称がすごい例えだなぁ。その辺りから非物理暴力の匂いしてる
内心の自由を狭く捉えすぎ。心では思っていても他者に表出した瞬間に断罪されるのであれば、それは自由とは言えないと考えてる
「夫の性欲が〜のくだり、男女で非対称がすごい例えだなぁ」
男女の非対称性はあるとは思っている。ここは非対称性は必ずあるものなので、これがない例えを出すのが難しい
どこら辺に暴力性が?乱暴な議論はしたくないので、威圧的な口調などが伝わって言いたいことが言えない状況だったら指摘してほしい
h5dhn9k
h5dhn9k もっとシンプルに。食欲(性欲)を持っている事は自然だ。盗み食い,食い逃げが犯罪の様に、相手の合意が得られない性行動は基本的に全て抑えられるべき。で良いと思うが
このブコメも含め、性欲を食欲・睡眠欲と混ぜて3大欲求などとくくっている例があるが、俺このくくり方は雑であまり議論に資するところ少ないと思う
ぶっちゃけ睡眠欲って欲望か?運動しまくって疲れて休みたい状態を「休息欲がある」なんて言わないはず
レイヤーが違うものをくくっているのでこれで議論は進めづらいが、あえてブコメに乗っかるとすると
ただし食欲を見たす欲求を公的な場で表出しても何も問題ないはず
金銭を支払って食欲を見たす行為が社会の風紀を乱すとも言われてない
ので、性欲は過剰に制限されていることはわかるはず
→ただし性欲は人間関係と密接にかかわっているので、食欲並に何でもありにはできないとは思っている
これはレイヤーの違う3大欲求を似たようなものとしてくくっているためにバグが生じている
===== おまけ =====
z1h4784 こんなに深く考えてくれて嬉しい。あとで返信を書きます。とりあえずオタク差別を入れたのは、はてブで絶対悪として扱われているテーマだからです。単に差別とすると否定的でない人もいるので
元ブコメでは若干喧嘩腰に書いたのに誠実に回答してくれてありがとうございます
返信については必ず目を通します
カラシイロノシャーツッス 竹内まりや/September ( からし色のシャツ追いながら とびのった電車のドア )
てにをはが上手いこと使えていないだけじゃなくて、単語や専門用語を間違えて使っておられる方も以前はおられました。今いるかどうかはさておいて。
そういう物事を間違えるタイミングというのは、何かしら惰性で行っていたり、激情に駆られていたりするものなので
増田での作業をする時ぐらいは一度冷静になって、使っている言葉の意味を検索してみると激情に冷や水をかけられず、現場での二次災害三次災害を引き起こさずに済むかと思われます
ということで本日は【道具の適切な使用よいか】で行きたいと思います。
いいよね…。
壮大なギミックやひりつくような激情が渦巻く帝愛からの脱出として沼で綺麗に終わったカイジ。黒服しゃんしゅき…。
スケールちっせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
通しのイカサマが2重3重になっているのは面白いけれどほかのサマがトイレ中に覗き見るってさああああ~~~。
店長お前ちっせ~~~~~~~~。ちんちんちっせ~~~~~~~~~~。
うふふ、でも覗き見前提で捨て牌と手を直前で入れ変えるシーン好き~~~~~~~。
こうですね、箸休め的な戦い。悪くない。そんな風に味わえる俺、かっこいい。
長編と長編の間にある短編集が嫌いじゃあないのだよ。短編?長いわボケ!
ただカイジはこのあと盛り上がるかというと和也~ワンポーカー編はいい話を聞かなくて不安。
ま~ね~この話もやっぱ見劣りしちゃうよな~~~~~~~。
まず二人の裏切りがね~~~~~。艱難辛苦っ!艱難辛苦っ!!三好てンめぇええええええええええええええ~殴ったぐらいで済むか!?済まんよなァ!?おっちゃん!?あいつは許す!!!?!
私、続編で過去作の感動を台無しにするのやめてって言ったよね!
もうチンチロも沼も読み直してもすっきりしな~い~よ~。
次、偽白。山にあることを祈るまでは運否天賦としてデジカメで撮られるだろうから粗くてバレないだろうってのはないよ~ないないよ~。覗いてる現場を押さえる方がメインの保険としてもちょいムリめ。どちらにしてもカタルシスが失踪中~~~~。
敵も場所もシチュエーションもギャンブル方法も盛り上がりが欠ける設定すぎてそういう縛りにチャレンジする作品なのかいと問いたい。小一時間問い詰めたい。
最後、終盤がアカギ並みに時間が泥めいて鈍化!長い長い長い半分ぐらい読み飛ばしたよ~~~~~~~。
結局この漫画で一番ドキドキしたシーンはぼっちゃんが金を貸すか貸さないかってとこでしたな。ウン。
和也が居なかったら究極の駄作とこき下ろしていたかもだが。ぷんぷん!
その和也もそこまで魅力あるかと言われるとこれまた無い。
少なくともおそらく和也と店長のスピンオフは作られないんじゃない?自信あるよ。カシオミニを賭けてもいい。
賭博堕天録、これから評価をひっくり返せるかどうか。敵はおそらく和也なのでギャンブルが面白いかどうかだな。
しかしひとまず…読むのは気力のチャージが出来てからってことで…。
地道にいこう…!キラン…
https://anond.hatelabo.jp/20210621104507
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210621104507
の反応見てこれはホンマモンだなとなった。
lady_joker
「誰でもよかった=本気出したら誰でも殺せる」という点が疑問視されてるのでは。
大口叩くやつは出した結果との整合性が問われる。万年吉野家バイトが「本気出したらグーグルに入れる」とか言ってたらバカにされるよ
2021/06/21
えっ
「誰でもよかった」って発言、「誰でも殺せた」「俺は世界最強」って意味になる?
そんなわけわからん読解を元に嘘つきとか言われても殺人犯さんも実際に調書作った警察官さんもビビると思うんだけど。
「誰でもいいから〇〇したい(したかった)」という発言は志高い?低い?どっち?
低いよね?
「結婚と言う形にさえ辿り着けるなら年収300万の男でも妥協します」って意味になるよね?普通は。
「私が本気出したら大谷翔平でもイーロンマスクでも誰とでも結婚できます」という地球最強の女宣言にはならないよね?
「誰でもいいから○○したい」は
「私は超志が低いです」「相手について贅沢言いません」「〇〇達成が最優先で、それ以外の拘りないです」
って意味です。よね?
(日本語があまりにおかしい人や集団と疎通を試みる時はどこまで確認すりゃいいのかわからなくて困る)
「ちょうど結婚したがってる年収400万の30歳フツメンがいるんだけどどう?」と言われて
「え、イケメンがいい」「600万円がいい」「同い年がいい」って言い出したらそれは嘘つき。お前口でいうより志高いんじゃんてなる。
誰でもいいから殺した~いと言っておきながら
「動きのとろい婆さんはどう?幼稚園児はどう?」と言われて
「え、子供は気が咎める」「お年寄りは寝覚めが悪いなあ」「もうちょっと面白い相手の方が」って言い出したらそれは嘘つき。お前結構志高いんじゃんてなる。
もしくは「中学の時に俺をイジメた△△を狙いたいんだよね」って言い出したらそれも嘘つき。誰でもよくねえじゃんてなる。
でも
誰でもいいから殺した~いつって
殺しやすいやつを殺すのはまさに志の低い宣言、志の低い犯行、これどこにも嘘ないよね?
wosamuwosamu 誰でも襲いかかるような見境ないやつじゃなくて弱いやつ狙うくらいの知性とか理性とかあるわけじゃん・・・って言う話じゃないの?
2021/06/21
「誰でもよかった」のどこに「ボクは知性や理性の無いモンスターです」なんて示唆が含まれてんの?
お前は問題文読めずに書いてないことについて語り出すから結構知性や理性怪しいぞアピールできてるよね。
vkara
2021/06/21
「誰でもよかった」という供述は「ボクは判断力がないです」なんて主張をしてなくね?
popopoyyy 「何でもいい」が嘘なのは事実じゃん。目の前に叙々苑があるのに隣の吉野家に入ったなら「何でもいい」じゃない。「何でもいい」は手当たり次第みたいなニュアンスがあるけど大体確実に選んでる。
2021/06/21
逆でしょ?
「なんでもいいからお腹に入れたい」って言われたら普通はすき家に連れて行くじゃん。どこにでもあるし安いから。
「なんでもいいからお腹に入れたい」って言ってる奴を予約必須の高級寿司屋に連れて行かないじゃん?
「お腹を満たすことが目的で、食い物は何でもいいです」って言われたら普通は牛丼食わせます。一番イージーだから。
「殺人を経験するのが目的で、被害者は誰でもいいです」って言われたら普通は老人殺させます。どこにでもいるし弱いし比較的気が咎めないから。
そこでレアなのとか難しいのとか対価が高いのとかに行く方が選好であって「なんでもいい」の逆だろ?
これぐらいちゃんと考えてくんねえかな。
by-king 「弱者を殺したい!」と「誰でも良かったので殺せそうな奴を狙った」は全然論理的な意味が違うよな。財布の状況関係なく無性に吉野家食いたい時があるけど、それが前者
2021/06/21
そうそう。
頭悪いはてな民たちに言わすと「子供を狙ったんです」とかの方が正直な供述になるらしいが
「誰でもよかったので狙いやすい子供を狙いました」と「子供を狙いました」とではかなり違う動機の犯罪になっちゃうから
tk_e 嘘っていうよりは無意識のバイアスで弱いもんに凶行が及ぶ。
2021/06/21
殺すのが目的なら殺しやすいのを狙う、これ無意識っていうか?ただの意識的合理的な判断のような
kingate 「殺せる相手を殺したかった」って警察作文に発表すると裁判の心象は最悪になるので、むしろ社会秩序的には大変効果的だと思いますよ。1人殺人で死刑になっていただきたい。
2021/06/21
同じ身勝手通り魔でも、殺せる相手を殺したら心象悪くて、殺せるかわからない屈強な男にトライしたなら「そのチャレンジ精神いいね!」って情状酌量入るの?
yetch 弱い相手を狙ったとか言ったら裁判で心証悪くなるじゃん
2021/06/21
マジで「強い奴を殺したら加点」「雑魚狩りは減点」とかそういう感じなの?刑法って。
nanomatel 相手が悪人で対象が悪行であるなら、難癖やイチャモンや揚げ足取りで人を責めるのが許されるのかという話であり、まあ高度に発達したはてな倫理に照らし合わせれば多分許されないんじゃないですかね……
2021/06/21 リンク
単純にめっちゃガキっぽくてバカっぽいからやめてほしいんだよね。
けどlady_jokerはじめとしてどうも「難癖やイチャモン」ではなくマジっぽいのまで相当数いるからこいつらマジで何なのかと。
他に前提条件が無く本当に「何でもいい」だけならやらねえな。難易度もリスクも高いから。コンビニに履歴書持ってく方が楽。
「持たざる者がしけた人生を短期間で逆転する」「前項の条件を満たせる限り何でもいい」ならやるだろな。現にやるバカがいる。
これぐらいはきちっと考えてくれない? お前の脳味噌はゆるみすぎ。
例え人を殺したくても、か弱い子ども狙うなんざ最低だ。絶対に許せねぇんだよ、この社会の道徳は。それが分からないケダモノは山へ帰れ。
2021/06/21
はあ、元増田はそういう話してましたっけ?
peta0227 「誰でもよかった=特定個人を狙ったものではない」でしかないので「この犯人は虚勢を張ってるので喝破してやろう」みたいな行動がズレているとは思ってたが、それを指摘するのも特に意味がないとも思う。
2021/06/21
いや指摘されても全然納得してない奴が相当数いてマジでヤバくない?このコミュニティ。
5chよりバカが多い気がしてきてるんだが。
camellow増田の言う通り。自分もずっと違和感を抱えてた。なんでもいいからこそ手軽そうなモノを狙うんじゃんね。いちいち注釈をつけなきゃわからないってのはアホ臭い。
2021/06/21
冗談抜きになんかヤバくね?難癖イチャモンならすげえバカっぽくてガキっぽいというだけだが、なんかほんとにわからないっぽいのがいるぞ。
www6 ようするに弱者男性とかいいつつも、真の弱者は女性であり子どもだという厳然たる格差があるということだ。
2021/06/21
肉体的強弱で「真の弱者」を判定してくと竹中平蔵がパソナの兵卒の殆どより弱者になるが大丈夫か?
Nihonjin
秋葉原通り魔事件の加藤智大のほうが附属池田小事件の宅間守より正々堂々(?)で、
フォロワーも加藤が多いが、宅間は5回結婚して獄中結婚もしてるから、「卑怯でない」のは男にはアピールしても女は興味ないのがわかる
2021/06/21
論理としては「犯罪者を憎む正義の味方気分のはてな民」の皆さんよりよっぽどまともだよね。
こういう風に日本語や論理がおかしくない受け答えしてくんねえかな最低限。
多くのはてなの皆さんは卑劣な犯罪者を憎んでるつもりだろうけど有害なレベルのバカ。
世の中に害を撒き散らしてるのってわりと後者だと思うんだけどね。
sqrtsqrt そもそもこれって特定の誰かを狙った犯行じゃない場合の調書作文の定型表現であって犯人が実際に「誰でも良かった」と言った訳じゃないんだから、深い意味を考えても無駄では はてな言葉
2021/06/21 リンク yellowyellow
そう、これ。
そもそも殺人の動機って多い順からざっくり憤怒・激情、怨恨・復讐、痴情のもつれ、物盗り、わいせつ目的なのよ。
被害者がその人である必然性がない時点でかなりレアで異常な殺人事件なの。
(「殺人を経験してみたかった」とかいって面識のない近所のばあさん殺した高校生とかいたよね。)
だからその点を強調して「誰でもよかった」って調書になってるのに
書いてる事の意味も読み取れず日本語も滅茶苦茶な読解で「嘘ついてる!」ってなんなん?
頭どうなってんのよ。
goldhead 目的が無差別殺人だとしたら、殺せなさそうなやつは狙わんよな。「殺せるなら誰でもよかった」と警察発表の文例を変えるべき。 暴力
2021/06/21 リンク yellow113yellow 71 clicks
murishinai 確かにちゃんと「弱そうな奴なら誰でも良かった」って言うべきですね。言わなければ伝わらない。
2021/06/21
muchonov増田の文脈を補えば 「誰でもよかった(が、御しやすいのは弱者なので意図的に弱者を選んで狙った)」てことでしょ。で、「嘘つき!」と言ってる人たちの多くはその後半の文脈を省略すんなと言ってるんでないの?
2021/06/21
こういうナントカ障害みたいな声が大きくなるなら変える「べき」なのかもねえ。
新聞で難しくもない言葉の漢字のひらがな開きが増えるのこういう奴等のせいだよな。
lettuce0831 これ言う奴普通にアスペよね。普通の理解力あれば相手に恨みとかがあったわけではないだけとわかる。この感じの言論が多数派になるといちいち言葉を過剰に修飾しないといけなくなるのでよくない。小学生理論への後退
2021/06/22
うーん…
keytracker
例えばイジメられて、それで社会に恨み持って無差別殺人しようとしたなら、いじめた奴をまずやれよって思うけどな。特に誰も狙ってないとか言ってないで、狙えよって思う。そういう犯人の性根に対する憤りやろ
2021/06/
例えばネオ麦茶とかどうせなら自分いじめた奴狙えよに同意してもいいけど
それ今俺が言ってる話への反論になってないよね?
これそんなに高度な要求してるか?
muchonov この増田は自分の文脈が強すぎるっつーか、「俺とは違う文脈でこの話を語るな!」と言うてるように感じる。「なんでもいいからお腹に入れたい」って言われたら普通はすき家に連れて行く人の「普通」はあてにならんよ
2021/06/22
きみは「この現場は誰でもいいです」って言われたら
たくさんの現場で引く手あまたのすんげえMH単価高い高品位人材をそこに手配するの?
怖くて一緒に仕事したくねえな。
「誰でもいい」と言った以上は高品位人材入れられても指示の条件満たしてるよ。
今回言ってるはてな民はそういう〇〇〇のレベルにすらなってなくて
「この現場は誰でもいいですと言ったなら最高品位人材入れてないと嘘つきだ!」
と主張してるわけ。
会話になんねえ。
「誰でもいい」と言ったなら時給900円のワープア入れても時給5万円のスーパーマン入れても条件満たすだろ。
はてなみんは国語の成績低くてもプログラムとかやってる人は多いんでしょ?
そんなおつむでやれんのか?
「俺が最強の戦士であることを証明する」とかそういう志高いこと言っといて
「誰でもいい」という志最低発言してるなら
達成コスト安いターゲット狙うのは〇〇〇じゃなければ誰でもわかることだし
百歩譲っても達成コスト安いのばかり狙うことは矛盾や嘘には当たらぬ。
併発してるとすればそれもうただの
brightsoda 増田の言い分もわかるがやはりgoldheadが正しい。なぜなら誰でもよかったは「思い立って最初に目に付いたやつ、いくら勝ち目がなさそうでも襲う」にこそ使われるべきと思うからだ、
2021/06/22
うんだからさ
「ボクチンは思った」とか「ボクチン的にはべき」とかはいいから
日本語で応答してくんねえかな。
「誰でもいいから殺そうと思った」と「なので殺せそうなのを狙いまーす」とは何も矛盾しねえよね?
出来ないならその逆。
「選り好みやめてOKしてくれそうな子にアタックする気になったんだな」って俺は思う。
「この世のどの女でも落とせるという最強宣言だな」とは思わないし
「ガッキーを星野源から奪いに行く決意表明だな」とも思わないし
自分を買い被るのやめて着実な結果を狙いに行くんだなって解釈する。
その友達が前から彼氏募集してた同じクラスの女の子と付き合いだしたら
俺は「有言実行だなおめでとう」っていうけど
君は「言ってることと違うやん!うそつき!」っていうわけだ。
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
お気持ち長文といえば女オタクが書くものというイメージがあるが、男オタクが書いたお気持ち長文も少なくはない。
簡単な紹介文とともに紹介したい。
ゆるゆり作者が自分の取り巻きばかり優先し、普通のファンを蔑ろにすることで心が折れてしまった増田。
作者と繋がっていなくても作品を好きでいることで愛を証明しようするも、ついに折れてしまう展開は哀愁を誘う。
無償の愛を捧げ続けるだけであれば耐えられたかもしれないが、露骨な扱いの違いに疲れ果てる様は同情するに余りある。
クラウドファンディングの対応のお粗末さは制度自体への信頼を揺らがすものであり、増田ならずとも憤りを感じるであろう。
まとめておいてなんだが読み返したら女性のような気がする。でも紹介したいので許して。
アイカツ! -アイドルカツドウ!-の大空あかりと瀬名翼のカップリングが許せない増田。
ヘテロ同人に対する暴言の切れ味が鋭く小気味良いが、それ以上に公式側の人間が投稿したせなあかを推奨するようなツイートに対しての激怒が凄まじい。
「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」はけだし名言であるが、原典以外でこれほどこの言葉が似合う文章を私は知らない。
女の子同士の友情を描いてきた作品で急に恋愛を入れるなというのは一種の正論であり、素人が言うのと公式サイドの人間が言うのはわけが違うから立場を考えろというのは完全な正論である。怒りを覚えるのも当然だ。
最後に冷静に自身を省みる辺りに増田の人間性が伺えどこか微笑ましさを感じられる。
続き(anond:20200817181345)にあるブクマカへの返信も愛を感じられて必見。
実写とアニメを融合させたアイカツプラネットに引導を渡された増田。
今までアニメでしかなかった作品の名前を使って突然実写ドラマ化を発表されて戸惑うのは当然であるし、作品への愛ゆえに感情を爆発させるのもまた当然だ。
「うるせえでございます。黙ってろでございます。」から続く冷笑系へ向けての罵倒と、わかっているがその上で怒っているのだという下りは名文。
「俺たちは数字で動いてるわけじゃない」とはオタクであれば誰もが一度は思ったことがあるだろう。抑えきれない感情とはこのことをいうのだ。
そうしてひとしきり怒りを吐き出した後、最後に改めてアイカツプラネットへの期待を綴って終わる。爽やかな読後感を残す稀代のお気持ち長文。これぞオタクだ。
こちらも続き(anond:20200813130432)が投稿されている。
DCDの方は今ひとつダメなようだが、実写パートがありガワが変わってもやっていることはアイカツなのだと楽しめているよう。
本人が楽しめているなら何よりであり、アイカツプラネットは増田の期待に応えてくれたようだ。
このような後日談を読むこともまたお気持ち長文を読む楽しみの一つである。
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
ぼくたちは勉強ができないの武元うるかの扱いが不遇で作者に愛されていないと嘆く増田。
原作の展開をつぶさに追いながら感想を書いていて、憤怒と憎悪と愛情がありありと伝わる。
上の2人のアイカツ増田からはある種の爽やかさを感じるが、こちらから感じられるのはドロドロとした激情だ。
ハンロンの剃刀であって好き嫌いというよりは無能と想像力の欠如の合わせ技に思えるが、当事者にとってはどちらも変わらないのだろう。
煮えたぎる怒りを文章にして、叩きつけるように書き殴る。これもオタクだ。
上の続編。ボイスドラマと各ルートの最終話後の後日談がヒロインの中で武元うるか一人だけなかったことが許せない増田。
ヒロイン全員が並列、平等を謳った作品での推しキャラへの仕打ちであり、増田の心情は察するに余りある。
作中以外での扱いの違いは無能ではなく無配慮と無神経の産物であり、実情がどうあれその格差に悪意を見出すのはそれほど難しいことではない。
無限に死体蹴りされると書いたら現実になったとはまさしく増田の実感なのだろう。
愛が報われるとは限らない。公式に切り捨てられたファンの恨みつらみが詰まっている。
【追記③】女児アニキャラに乳を盛る馬鹿と賛美するアホ全員死ね【続き有】
anond:20210210183005(削除済)
魚拓:https://megalodon.jp/2021-0211-1903-52/https://anond.hatelabo.jp:443/20210210183005
webarchive:https://web.archive.org/web/20210211040932/https://anond.hatelabo.jp/20210210183005
アイカツフレンズ!の友希あいねにブルーアーカイブのエイミの衣装を着せる二次創作が許せない増田。
豊富な語彙の鋭い罵倒にキレのある文章で人気を博したものの身バレして削除。脇が甘い。
ブログで増田を投稿したとアピールするとかここをなんだと思っているのか。
もっとも女児アニメキャラに乳を盛ること、露出度の高い衣装を着せることに嫌悪感があるファンがいるのは当然であるのでその気持ちは尊重すべきだろう。
それを理由に二次創作をやめる必要がないこともまた当然であるし、発端の絵は性的魅力より可愛らしさが全面に出ているようには思うが。
公式に殴りかかる男オタクがほとんどな中、二次創作界隈に向けて書いた点で希少性が高い。
男オタクのお気持ち長文は女児アニメや百合関係が多かった。というかアイカツが多かった。一体何が彼らを狂わせるのか。
男が好きで炎上しやすいジャンルといえばラブコメだが意外にもぼく勉以外は見当たらない。あれだけ言われている五等分にないのは予想外だった。
サンプル数が少ないものの、二次創作や同人界隈に向けてではなく公式に向けて呪詛を吐くのが男オタクの傾向といえそうか。
アイマスやFGO関係もありそうだが増田を見始めた時期のためか、見かけたことがなく紹介できなかった。
余談だが!や?が多いとカラッとした印象になり、それが少ないとドロドロとした印象になる。
作品の賛否や好みや個々人の思い入れとか見た人それぞれだろう。
テーマが大人になるならないとかメタい意味での責任がどうとかも
各々で咀嚼すればいいと思う。
っていうか普通にアウトでしょ。
「これぞエヴァ」「こういうのを読みたかった」だのブコメで煽るんじゃないよ。
同業者があんな目にあった中に作られたものであるってことをちょっと考えたら
「クソ」だ「クズ」だ「0点」とかは論外としても
「○ね」とか「○す」とか出てくるか?
だから作品の採点を甘くしろ、総監督はじめ制作陣に優しくしろっていうんじゃない。
大人とか子ども以前に人間として、人間に、人間が命とか時間とかリソース削って作ったものに対して
言っていい言葉と言ってはいけない言葉があることぐらい想像しろよ、できるだろって話だよ。
んで、あの事件経てそれが想像できないってどうかしてるぞ。煽ってるやつら込みでな。
壊れんだよ。分かれよ。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序から見返そうとしたら、死ぬほど頭悪いコメントがアマゾンレビューについてて
「はぁ?」
って思った。
いや、序とか破に相当する部分って、年齢に応じてシンジに共感したり、ゲンドウに共感できたりするすごく心理描写が高度なシーン多いのに…それがわかんないんだ…
典型的なのが
「乗るなら早くしろでなければ帰れ」
的なシーンですよ。
アレ、14歳のガキからすりゃロボットに乗るのは怖いですし、親から突き放されたこと言われるのは、ガッカリです。
でも、お仕事として重責を担ってるゲンドウとしては職務的にも状況的にもそれしか言えんわけで…
「みんなまとめて死にそうな時に、自分本位で駄々こねてるシンジってクソガキだし、ゲンドウって非情なようでいて立場的にアレしか言えないよね。」
っていうのを理解していくわけですよ。
だから、エヴァが思春期向けだ、バトルアニメだ言うやつはバカなのよ
「参考になったレビュー」
「序破Q以前に、基礎の基礎からエヴァについて説明しないとダメなんじゃないか?」
みたいな危機感に震えてる…。
このレベルのことがわかんないやつが映画見に言っても多分ムダだぜ?
エヴァンゲリオンの話に戻るけど…
「ミサトでいいわよ」
「中学生の異性に下の名前で呼ばせるミサトさん、けっこう攻めたことするよなぁ〜」
って思った。
シンジくんに近い年齢の時は距離詰めてくれるお色気お姉さん感あったけど、大人的にはやべぇ
ミサトさんって独身で一人暮らしなのに、シンジくんに併せて距離を詰めたんだとしたら、それはものすごく頭のいい人だよね。
逆に、ミサトがシンジに料理作らせ、数分で下の名前で呼ばせてるところを見ると
「子供の時は気づかなかったが、実は結構やべぇ女なんおでは?」
とおっさんは気づいたり…
ミサトさんをヤベェ女だと気づくと、Qって納得なんだわ。
序といい、破といいシンジくんの理解者ポジのキャラみたく思ってたところがあった。
だけど、大人的には理解者というよりもうちょっと気分屋というか激情家というか、感情で動いてる人なんだろうね…女らしいといいますか
ミサトさん、気を使ってフランクに接してるんじゃなくてやべぇ女の方で固めたほうがいい気がしてきた。
ネルフに降下中のささいなシーンなんだけども、中学生にワキ見せる格好でいて少しも気を使わない大人ってなんか想像できん。
いきなり下の名前で呼ばせたのも含めてけっこう強烈だよなぁ
やべぇ、ミサトが大人として本来持ってるはずの距離感がないやべぇ女だと気づいた後に、律子に
「ゴメン(*ノω・*)テヘ」
ってやってるのをみて、
「ああやっぱこれ大人が見た時にはやべぇ女か相当なパーティーピーポーみたいな性格なんだな」
って改めて思った。シンジくんに対してだけでなく
「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ」
の後に、よく見ると作業員さんもゲンドウとシンジくんのやり取りを申し訳ないやら、早くしてほしいやらの複雑な表情で見てるんだね!
シンジくんの言い分もわかるし、ゲンドウの言い分通りに仕事を進めて欲しいしで、複雑な表情をしてるねぇ
大人的にもシンジくんみたいな情緒不安定で、未成熟な子どもに命がけでエヴァに乗って欲しいとは思ってないんですよ。
自分の仕事が完遂できるかどうかに他人が入るだけでも大変なのに、ましてや子どもが入るんでしょ?
みたいにいう人いたんだけど、逆よ!
大人になると子供の時とは違う細かーいところに共感したり、申し訳なくなったりする「ダメまたは普通の大人を描く」ことがエヴァの魅力ですって
薄々思ってたんだけど、碇親子はね…都合のいい女に慕われるスキルやたら高いと思う!!
モテてるという感じじゃないけど、かわいいとは思われてるのはなんか伝わるよね〜
「ちとはしゃぎすぎたか」
でも、演技でも過剰だし、その後も感情的にキレたり優しくなったりを繰り返してるからミサトさん単細胞というか感情的な女性なんですよ…やっぱり
一貫性がないこともないんだけど、目の前の感情で行動が大げさになりすぎるのがミサトさんなんですよね。
と思われがちだけど、エヴァの大人で感情表現が大げさな人って逆にミサトさんぐらいなんですよね。
序を見終わったけど…序を見た当時高校生ぐらいだった時に比べて、ミサトさんが全然違うキャラに見える不思議。
ゲンドウが理不尽というかアスペっぽく見えるところもあるんだけども、【余計なことを言って周りに気を使わせる上司や先輩】という職場理不尽あるあるを知るとアレはアレで気づかいしてる
序の印象が変わった理由としては、昔はミサトに違和感どころか、シンジくんの理解者的な側面を感じてたのに、今見るとけっこう気分屋なんですよね。
ネルフの大人で唯一感情的な発言をいっぱいするからこそ愛されてたりもするし、ゲンドウのやりすぎに歯止めをかける部分もあるんだけども…
なんてエヴァファンの間ではよく言われてたけど、大人になると一番ガラッと印象が変わるのはミサト。
最初シンジくん目線で見て、ゲンドウの気持ちが少しわかる年になり、ミサトのヤバさに気づく年になるみたいな…そんな感じ。
予習してよかった
中2病卒業できたつもりになってシンジに共感してるやつを見下ろしてご満悦って・・・ただの高2病やん!
高2になって高2病発症するのはいいけど僕もおっさんになったわーっていいながら高2病って!
シンエヴァンゲリオンを見た。
最後の結末を見て、エヴァンゲリオンはスターウォーズになれなかったという結論に至った。
エヴァンゲリオンとスターウォーズエピソード6との類似点は父子との対決だ。
スターウォーズは、父親であるダースベーダーのアナキン・スカイウォーカーは子のルーク・スカイウォーカーと対決する。
シンエヴァンゲリオンは、父親である碇ゲンドウが子の碇シンジと対決する。
どちらも対決するという点では同じなのだが、結果はまるで違う。
この父子に歴然とした力の差があるのだ。
これでは父子において大事な要素である父を超えるということができない。
現実世界の東京においては、超える必要など全くない父子関係における父を乗り越えるという儀式。
碇ゲンドウは劇中で言っていた。父子同士戦うという行為、これは儀式なのだそうだ。
もしシンジがルーク・スカイウォーカーだったらどうなっていただろうか。
碇ゲンドウが発する挑発に激情し、右手を吹き飛ばしていたに違いない。
スターウォーズでは、ルークが父の善性を信じることによってアナキンを改心させた。
シンジは対話をし、その後の改心のためゲンドウを理解しようとする。
だがそこまでである。ゲンドウはひとしきりしゃべった後、退場してしまう。
当たり前だ。父子が対話で乗り越えられるなら、ルークとアナキンも戦う必要はなかった。
ゲンドウは改心することなく消え、シンジは父のやったことは自分が責任を取るというのだった。
スターウォーズはどうだろうか、アナキンは改心し、自分の命を顧みず息子を守り、敵である皇帝を倒す。
もしシンジがルーク・スカイウォーカーだったらどうなっていただろうか
「僕にユリはいらない。僕は大人だ、かつて碇ゲンドウという人間が大人がだったように。」
ゲンドウはシンジが自分を上回る大人になったこと、そして自分が子供になっていることに気付き改心する。
https://anond.hatelabo.jp/20210214094821
これ読んで思うところはめちゃくちゃあったのでまとめてみた
https://seiga.nicovideo.jp/comic/42845
背景はアシが入っているのかきれいだが、キャラの作画が微妙なときがある。特に男がアレ
https://seiga.nicovideo.jp/comic/34776
表紙などのカラーの塗りでごまかされるが、漫画の作画はめちゃくちゃに違和感がある
話的には面白い……か?主人公が激情型なので合わない人は合わない
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS04201112010000_68/
一目見た印象はドボちゃん……話は文字数が多いが面白いと思う。
https://comic-gardo.com/episode/10834108156661710062
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF00000088010000_68/
ゴーレムマスターよりはマシだがそれでも違和感がぬぐえない作画
話は無料で読めるなら見るくらい
軍オタが魔法世界に転生したら、現代兵器で軍隊ハーレムを作っちゃいました!?
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS01000022010000_68/
人物だけ出す構図は違和感ないが、漫画的構図の経験が少ないのか
主人公が考えているシーン等、作画に困ったら目だけ書いたりが多い印象
ピンキリだがそこまで悪くはないWEB誌掲載作家の実力は保証されている印象
ほぼ月刊ペースなので話の進みが遅いと思う
粗製乱造で数うちゃ当たればよいだろうみたいな感じがする
転スラで持ってるくらい。作家陣は悪くはないが無料で読める媒体がなさすぎる
作画は全然良いがなろう系コミカライズは案外少ないのでは?作画は違和感ないと思う
それっぽいのを作れる原作が多い印象
作画は良い人が多い
なろう系コミカライズって長く連載していても絵柄が変わらなかったりするんだよね
結局のところ読んでみないとわからんのが多い気がするのでみんな読もう!
とある界隈のオタクに燃やされた。経緯を少し婉曲して話すと、某アイドルグループの活動支援のために、ファンが主導してクラウドファンディングを行っていた。当初設定した期間の半分程度でゴールし、最終的に目標金額の1.5倍近くを集めることに成功する。
私はそれを見て、「凄いな~、今って結構簡単に集めることができるんだな~」とツイッターで発信する。そのつぶやきが発起人の目に留まった。
「簡単なんて言わないでください。ここまで来るのに本当に大変だったんです」と言いながら私のつぶやきを引用RT。その発起人をフォローしている界隈住民がわんさと押し寄せてきた。
「私達の苦労の何が分かるんですか?」「こういう発言をする人って思慮が浅いのでは?」
見知らぬ人間からの攻撃的なリプライは、その数も相まって狂気的な連鎖反応を生んでいた。
そんな燃えるタイムラインを眺めながら私が感じたのは、「ネットの人間って、怒るときですら感情を押し殺すんだなぁ」ということであった。ファン達が飛ばす敬語交じりの罵倒には、まるで「感情を表に出すことは低俗で醜い人間のやることであり、怒っていても理知的に振る舞うのが大人のやりかたである」というイメージが内包されているようだった。
ただ、どんな時も理性的に喋るのってそんなに素晴らしいことなのか?
ファンたちの怒り方には感情を感じない。リプライで多く散見されたのは、「何故○○だと思ったんですか?(間違ってますよね?)」と私の考えを推し量った上で否定するような文章――あたかも自分達のほうが良識ある大人であり、間違った考えを抱いている相手に、間違いを気付かせたうえで啓蒙するような言葉――である。その言葉に激情はほとんど乗らない。どうやら感情混じりに怒りを発散するのは子どもの仕草であり、忌むべき恥ずかしいふるまいのようだ。
でも、感情を殺して理性だけで語って、いったい何が生まれるのか?
そりゃ個人の感情は排して、客観的な事実やデータを軸にして話した方が正確な発言になるだろう。
しかし、「これが正しくてこれが間違っている」という意思決定には、その人の思考や感情が密接に結びついている。誰かに何かを表明するときは必ず自分の思いを言い切らなければ意味が無い。端的に言えば、感情のバイアスがかかっていない主張など存在しないのだ。
私に落ち着き払って攻撃的なリプライをしてきた人間も、本当は思っているのだ。「あんたがムカつく」「お前が嫌い」という感情が。だけれども、それを表立って発散するのは恥ずべき行為であるから、自分の感情を敬語の陰に潜ませてお気持ちを表明する。そんな回りくどい行為の末に出来上がるのは、言葉だけバカ丁寧な侮辱の文句だ。
「どうしてあなたは○○ということが理解できないのですか?普通は発言する前に考えませんか?」この言葉を聞いて相手が悔い改めると思うのだろうか?何故「私はこう思います」といい切ることを怖がるのだろうか?建前は冷静、本音はぶち切れ。どこの誰に気を遣って天邪鬼みたいな煽り屋をやってるのか?
そして何より思うのは、「そんなに感情を押し殺してまでキレて何をしたいんだ?」という疑問である。
リプライのほとんどは、「自分は冷静です」という素振りをし続けるあまりに、「結局お前は何が言いたいんだ?」と首をかしげざるを得ないものばかりであった。
前述のお気持ち表明ツイートが示す様に、感情の秘匿はクソリプの原因に繋がる。
私のツイートに対して思うところがあるにもかかわらず、それをごちゃごちゃこねくり回してなるべく理知的な発言をしようと考えるから、「AについてBだと思った」という簡単な受け答えすら成り立たなくなるのだ。
そもそも、理知的な人間なら見知らぬ人の発言を捕まえてリプで殴り掛かってきたりしない。それをしている時点で理性も民度も無い人間なのだから、素直に「それは嫌いです!なぜなら~」や「私は違うと思います!だって~」みたいに、感情混じりでどう気に食わないのかを表明したほうが、よっぽど有意義な会話でクソリプも少なくなると思うのだが。
クッッッッッソむかつく。マジでむかつく。絡んできたやつ全員頭おかしいカスの集団。
私は「昔に比べてクラウドファンディングというサービスが発達した結果、カンパや出資が簡単にできるようになった」って言ってるだけで、別にお前らの努力を軽んじてるわけじゃねえよ。そもそもお前らのやってる努力にこれっぽっちも興味が湧かねえよ。
そんなに「あなた達がんばりましたね」って褒められたいんか?「アイドルの魅力によってゴールを達成しました」じゃなくて、「私達の頑張りによってアイドルが活動続けられます」ってことにして自尊心を満たしたいんか?クッソ哀れだなこいつら。結局己が褒められたいだけの自意識てんこ盛り野郎の集まりかよ。
ということで、ここからは特にムカついた「冷静ぶったチンパンジー」を2種類発表していきま~~~す。
「これに限らず、世の中の色んな活動は多くの人の努力で回っているんですよ」
何コイツ?そんなん当たり前だろ。自分が何を言わんとしてるか頭で理解できてるのか?
「お前の軽率な発言がムカつく」ってストレートに言いたいところを、「私はあくまで冷静で賢い人なんです」風を装いたいから、丸めて削って薄めた出涸らしみたいな意見を自信満々に発してくるんだ。
そこまでして喋らなきゃいいのにって思うんだけど、そういうわけにはいかないんだよな。だって心の底は「ムカつく」っていう感情で支配されてて、どんな言葉でもいいからコイツにパンチ喰らわせてやらないと気が済まないって沸き立ってるんだから。根はバカのくせに言葉は意識高い。そんな二層式フィルターに感情をくぐらせて出来上がったのは毒にも薬にもならない薄っっっすい一般論。自分の感情をはっきり喋ることができないなら黙っててください。イラつくので。
企画したわけでも出資したわけでもない完全無関係の人間。ファンかどうかも怪しい。何なのこのバカ?
謝っても炎上が収まらないどころか高く燃え上がるのは、加担してる奴らが「別に怒ってない」からである。怒りの感情が無い人間に謝っても効果はないのだ。
こいつはそれ以上の意味不明な存在、「完全な部外者」である。部外者のクセに倫理とネットマナーを説いてくる筋金入りの不審者。で、お前はいったい私に何をしてほしいんだ?
これも自分の感情を無視して殴ろうとする弊害が生んだ動物だ。自分の気持ちと無関係な行動をするという意味では前述のチンパンジーの亜種であり、啓蒙思想の旗のもと正義感に酔うねじ曲がった人間である。キレるパワーがあるなら金落としてやれよ、いやマジで。
はっきりと感情で言います。あの界隈の住人全員嫌いです。今まで名前の知らなった某アイドルグループまで嫌いになるぐらいムカつきました。二度と姿を見せないでください。
彼に会ったのは、人手が足りないからと友人に駆り出された室内楽のイベントだった。
私は普段アマチュアオーケストラの片隅でビオラを弾いているが、コロナ禍でオーケストラの練習は軒並み中止に追い込まれている。
(N響による検証では、管楽器でも一定距離以上の飛沫が飛ばないことは分かったが、練習会場が閉鎖されがちなのでどちらにせよ練習できない。)
そんな中、友人が所属するオーケストラでは、弦楽四重奏や五重奏の数曲を演奏する催しをするという。
予定曲に対して参加希望者が微妙に足りないということで、私にお声がかかった。昨年9月頃の話だ。
初回練習日に会場につくと、私と一緒の組で演奏するメンバーを友人が紹介してくれた。
巷のステレオタイプな研究職のイメージよろしく、眼鏡をかけており、外見にあまり気を遣っていないようだった。
リハーサルが進むごとに、心の機微をよく理解し、優しいことが分かった。そして音は自然で伸びやか。タイプだ。
ただ、こちらも三十余年を生きており、人並みの自制心は持っている。
数回のリハーサルを経て、本番を迎えた。
目を合わせる。息を一緒に吸い、一緒に音を出す。彼が問いかける。私は答える。音楽が少し走り出す。私たちは目くばせをして合わせる。
音楽の根幹が「空間を共有し、呼吸を合わせる」ことにあると再確認する。
コロナ禍で半年以上コミュニケーション自体が激減していたところ、彼との無言の会話は劇薬だった。
本番が終わった後、ご飯に行けるはずもなく、話しながら一緒に帰った。遅くなりがちなところ上手くいってよかったです。でも最後はちょっとばらけちゃいましたね。
話している最中、目を逸らさずに見てくるので動揺した。反則なのでやめないか。瞬間、私は演奏中の光景を思い出して赤面する。
そんなこんなで私はあっさりノックアウトされた。
それから、特に用事もないまま時間だけが過ぎていく。コロナ前ならご飯に誘ったんだろうがこのご時世だ。
友人に探りを入れたが、二年ほど前に「今は仕事の正念場なので恋愛とか結婚とかは考えられない」と言っているのを聞いたという。
かく言う私も、このまま仕事がうまくいけば、半年後に今の居住地を離れる。こんな宙ぶらりんな状態でどうこうするのは申し訳ない。
第一、必死で仕事をしている人に「私のためにあなたの時間をください」と伝える勇気は今の自分にはない。
研究職が今が正念場なのも本当で、考えれば考えるほど、今はそっとするべきという結論になる。私の勝手で邪魔をしてしまうのも悪いしな。
友人の団体には、演奏会の助っ人枠にいつでも呼んでくれと伝えてはあるものの、冬に続き、夏の演奏会も無くなる公算が高そうだ。
というわけで、残念だけど、どうしようもない。
とりあえず、はよコロナ収まってくれ。
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
男女公平を求めるフェミニストって言ってるがアンチフェミニズムだったりミサンドリーだったり下手すればミソジニーだったりするので、本人すら気付いてない呪いをかけられている人が複雑な感情を整理しないまま主張してたりする。主張してたりするのはまだいい方で激情をそのまま生搾りでぶつけてくる。
公平を求めているのか、憎しみをぶつけてるのか、加害するな差別するなと訴えてるのか、妬みや怒りをぶつけてるのか、とにかくネガティブな感情も多々混ざっているので、論点を整理するだけでも疲れる。
twitterを見ているとフェミニスト界隈同士でも喧嘩してるような話を聞かされるので、そういう話を聞くとフェミニストとは何なのだろうかこの世すら呪って女に生まれてきたくなかったという呪詛を吐いている生き怨霊なのだろうかという人物もいる。女の中には菩薩と夜叉がいるという表現を聞いたことがあるが、夜叉とはかくなるものなのか。
これでは彼女たちの主張を落ち着いて聞くことができない。聞いてるこちら側が名探偵ホームズや名探偵ポワロのように、フェミニストか、アンチフェミニズムか、ミサンドリーか、ミソジニーは入ってないか、どのようなブレンドか割合はどうか、分析しながら推理しつつ主張を聞かなければいけない。難度が高めだ。もう少し分かりやすく話し合ったり論点を整理できたりすればいいのにと溜息が出てしまう。
半年くらい前に高校3年間ずっと好きだった人に彼氏が出来た。そのあと1週間くらい何に対するやる気も起きなかったし、コロナ禍で外に出られなかったのも手伝って5キロ近く体重が落ちた。
高校で同じ部活だったけど、無事卒業したのでこれを機に連絡を切ろうと思った。でも出来なかった〜〜!! 私は結局大学でもその子と同じサークルに入り、3ヶ月に1回くらいのペースで遊ぶ関係が続いている。 私はその子にマ〜ジで邪な感情を抱いているので、「一緒のサークルに入らん?」って聞かれて断れなかった〜〜!!!
まあそんなこんなで私はその子の20番目くらいに仲良しな友達ポジションに置いてもらっている訳だけど、最近心境に変化が訪れたな〜と感じている。
変化というのも、今までは「好きで好きで仕方ない!その子に彼氏が出来たら死ぬ!」と思っていたのに、今は「その子が幸せになって私より長生きしてくれたらそれでいいわ〜」と思えるようになったのだ(後者も後者で気持ち悪いとか言ってくれるなよ)。
考えられる要因は2つ。 1つ目は「その子の彼氏がメチャメチャ良い奴だった」ことである。もしその子が大学で見つけたぽっと出の男に掻っ攫われていたら間違いなく死んでたしなんなら刺してた(その男を)。 でも、その子の彼氏超良い奴なんだよ……。 そもそも善性の塊であるその子が2年くらい片想いしてた男なんだからいい男じゃない訳がない。周りの評判も上々、顔もいい頭もいい身長も高い。 あれ私勝てるところ無くない?! それはいいとして、2年間少しずつ距離を詰めていってやっとのことで実った恋なのだ。 私は20番目くらいの仲良しな友達なので元々その子の思いは聞かせてもらっていた。 そのため覚悟が出来ていたというのもあると思う。
2つ目は「思ったよりその子が私のことを好いてくれている可能性が出てきた」ことである。 高校1〜2年生の間は私の完全なる一方通行で(今思えばそんなことは無かったのだけれど)、遊びに誘うのもいつも私からだったし、善性の塊であるその子の周りにはいつも他の子がいたし、向こうは私のことなんて眼中にないのだと思っていた。 大学に入ったら多分私のこと忘れちゃうんだろうな〜なんて夜な夜な泣いたりもした。 でもこのところ、実はそんなことないのでは?と思い始めた。 遊びに誘ったら必ず直近で空いている日を教えてくれて、コロナ禍で会えなかったときには電話してくれて、誕生日には忘れずにメッセージをくれる。えっこれ友達としては相当好かれてない? イタい勘違い? イタい勘違いだったらヤダな〜〜〜。 高校のときは「〇〇(その子の名前)過激派ファン」キャラでやってきたので(過激派なのは事実)、その子も"キモオタへの対応"的な返しをすることが多かったけど、私が大学受験で忙しかったのと、その子の恋が上手くいきそうだったことから距離を置いてみたら私からしても向こうからしてもちょうどいい距離感を築きあげることが出来た。 恋愛は上手くいかなかったけど友情としてなら上手くいっていると今は自信を持って言える。
以上の2つの要因から私は高校3年間抱き続けた激情から目を逸らし、一生消えることのないであろう恋心(と言えば聞こえはいいがただの執着もしくは信仰である)と向き合い始めている。
まだその子のことは超好きだから、時々一緒に撮った写真を見て泣いたりもするけどこれもこれで悪くない。
多分私は結婚することも子供を産むこともないだろうけど、その子のことを好きになれて、その子の後の人生を友人の立場から見届けられる人生は幸せと言えるんじゃないかな。
ただ、その子がもし不慮の事故や病気で亡くなったり、誰かのせいで不幸になったら立ち直れないしそれこそ死ぬ気がするので是非ともその子には幸せになって私よりも長生きしてほしい。これは切実に。
あとはその子の結婚式に出席出来て、その子に似た子供と年に1回くらい遊べて、その子が私のお葬式に参列してくれたら大満足かな〜〜!!(いやめっちゃ強欲やんけお前)
ここ数年人に「結構すごいこと言いまくってるから一回診てもらった方がいい、でないと人が離れていく」というようなことを言われていて、増田にドバッと吐いたら増田でも病院に行くべきだと言われたので、流石に行くかと。ちょっとした躁鬱?を繰り返しながらたまに連絡を取ろうとして、でも自分は病気だなんて認めたくないのもあってやめたり迷ったりしている。
関東在住、都内ではない。心療内科はいろいろあるみたいだがとりあえず2軒あたった。
電車で一駅。駅ビルの中にあって、知人にメンクリに来たとはバレにくい(重要)連絡したのは春頃。
平日の午後に電話して、予約を試みた。
「混んでて1ヶ月は空かないんです、一応半月後に新しく受付を始めますが、先着順です」とのこと。loppiじゃないんだぞ。私は今辛くて辛くて仕方がないのに、半月なんて待ってられるかよ死ぬぞ!と怒鳴りたいのを堪えて、なるべく丁寧に電話を終えた。怒鳴ったら次恥ずかしくて電話しになくなるから…。結局今電話して、また同じようなことを言われると思ったら今度こそ我慢できるか不安で、電話できていない。
B心療内科
最寄駅近く。歩いて行けるのは悪くない、悪く無いんだが外に面しているので、ここに入っていくところを近所の人に見られでもしたら終わる。友人が世話になったことのある医院だそうで、予約の電話を入れた。
「混んでいるが、平日の朝なら空いてる」
なんかわかる気がするが、平日の朝は私だって働いているので、土日の朝にしてもらえないか聞いてみる。
「休日の朝は混んでいるので、初診は受け付けていない」
ちょっと気が遠くなった。心療内科にかかるというのは私にとってほとんど敗北宣言と一緒なのだ。自分が負け組なのを確かめるために有給を取るのはつらい。というかいきなり言われても取れない。限界でなんか文字もろくに読めなくなって焦りながら電話するけど、誰も私の焦りなんか気にしてないのだ。当たり前です。どうしてよどうしてよどうしてよなんで私ばっかり!と叫び出したいのを飲み込んで電話を切る。叫んだら電話しにくくなってしまう。
と、そんな具合でなかなか病院に接続できていない。みんな簡単に心療内科にかかれとは言うが、実際無理じゃ?と思う。私はまだ自分で探して自分で電話をかけてられる分それなりに元気なんだろうと思うが、本当に希死念慮の塊みたいになっちゃってる一人暮らしはどうなっちゃうのかなと思った。都内はもっとあっさり行けるのかな?
こんな風になかなかうまくいかないと、就活していた頃のことを思い出す。書類で落ちたことは一度もないのに、面接に入った瞬間バンバン落ちた。ブスだからか、声が悪いのか、答えを考えてもどうしてもうまくいかなかった。面接官と話が盛り上がることもあったが、なんとなく「あ、これ機嫌取られてる」ってわかった。私と面接官の間にはゼラチンの塊みたいな透明の壁があって、言うことは何にも伝わっていないのだ、みたいな感覚が常にあった。ちゃんとキャリアセンターで面接を練習してるのに、「態度も言うこともきちんとしてて悪いところなんて一つもない」って複数人に言ってもらえたのに通らない。グループディスカッションだって「まず人を褒めて、意見を付け足す」のを徹底して協調性のある良い人をやった。バカじゃねえのと思っていても顔に出さない練習をした。それでもダメで、なにがどうダメなのかわからなくて毎日泣いて、目の前の文字が読めなくなったり急に涙が出てくるのを皮膚毟って誤魔化したり、それでもアルバイトなんか全然動けなくなって鍵穴に鍵を差し込んでどっちに回したらいいかわからなくてなってパニックになったり、気がつけば裏方仕事しかさせてもらえなくなっていた。そらそうだ。そんな恥ずかしいこと友人はともかく家族にも絶対言えなかったが、涙だけはボロボロ出て、「いい歳して情けない」とか言われて、本当その通りで何しても止まらない涙やわけのわからない妄想に困り果てていた。ヤバいのが「私は小説家になるので働いてる場合じゃない」何言ってんだ?この思想がポンとバイト中に出てきて、真っ当な人間になれそうにない、終わりだ、と思った。結局めちゃくちゃよく喋る社長がものすごい勢いで楽しそうに話すのを聞いて面接が終わったような会社に入って、そのまま田舎で過ごしているような状態。だけど心が就活中のままなのかもしれない。選ばれないことが苦しくて辛くて悔しくて、何かの調子に頭まで就活してた頃にパン!と戻る。普段バネを引っ張って目の前のものに集中してるフリをしてるが、少しを気を取られるとすぐにバネが戻って頭と心があの頃に戻ってしまうのだ。最近のトリガーは結婚。結婚したいだなんてひとつも思っていないのに、知人の結婚の報せを聞くとバネが大暴れして大変なことになる。結婚するための努力を何ひとつしていないのが唯一の救いだ。何かしてたらもうヤバかった。誰のことも好きじゃないのに、誰か、これも誰でも良いと言いつつも私が定めた「普通」の人に一度は選ばれないとダメ、みたいになっている。就活も結婚も、人生の途中経過を答え合わせしていると思ってしまうのだ。スムーズに良い会社に就職できなければ0点。ちゃんとした人に一度も選ばれなければ0点。このまま0点が続いて頭がおかしくなりそうだ、みたいなことを自虐っぽくツイートして、それで傷つく人がいることを考えられない。今は一時的になんてバカなことしてるんだろうと考えられるけど、ツイートしてる時はそれどころじゃない。表に出せない激情みたいなものを全部吐き出して人を傷つけて、また好きなものがひとつもない日常に戻る。一人暮らしだけど、ひどい時は殺されたくて鍵を閉めないで寝てしまう。田舎だから何も起こらず普通に朝。
要約すると『意味不明』ってことであってる?
それだけだとせっかく書いてくれたのに読んでないっぽいので引用も貼っておく
> 自分より稼いでる人は自分より優れてるって考えてるから、金持ちを妬むこともない。
ここは意味不明。
これは元増田(anond:20200926032122)に対してなのだけど、
そもそも、日本人に生まれただけで世界の大半の人より稼ぐけど、それって優れてるとか努力とやらは要らんよね?
ついでに、Am○zonのジェフ・ベゾス氏の資産が妬ましくて夜も眠れないとかおおよそ一般的な感性でもないよね?
まぁ、そんな激情に身を焦がさず、夜寝てもいいし昼寝してもいいけど、
ふとした瞬間に世界一の富豪のジェフ・ベゾス氏が浮かぶとかなったらそれはもう恋だよね?あるいは宿敵?
どの口が『 傷つきましたは嘘じゃない!わからない人たちは感情が雑なんだ!🥺😡 (anond:20200926032122) 』なのかと
だからこそ、元増田に 『共感・理解したっ!!😤🥺』 を寄せている人たちから解説が欲しかったのだが、
> 努力したんだな、運がすごく良いんだな、とは思う。
ここから元増田の「優れた人間」観が窺える。
優れた人間とは、「努力を沢山出来て運にも恵まれた人間」だと言うことだ。
何をもって元増田が妬み嫉みを判断しているかは気になる。
元増田は自分より劣った人間に妬み嫉みを感じることがあるのかも知れない。
その場合元増田は妬み嫉みを理解しているので、増田への書き込みを「これは妬み嫉みによるものだな」と判断できるのかもしれない。
元増田は少なくとも自分より上の人間には妬み嫉みを感じない。よって自分より上の人間を妬んだり嫉んだりする人間を見て「面白いなあ」と感じているということ
元増田(anond:20200926032122)が、本気で ライフハックなり生き方の考え方なりを書いてるとは思っていないので、
非常にナイーヴな元増田の考え方自体には触れないでおくとして、
おそらく釣りネタで書いただろう、元増田(anond:20200926032122)には思うところなにも無いけど、
この釣りネタをライフハック扱い・生き方の考え方話題の扱いをして尚且つ、
タイトル以外も読んだ、共感した、理解したと称する人たちの世界観は非常に気になっているし、すごく興味があるよ
脳内ダンプって感じでまあまあ、読む人のこと全然考えていない悪文です。なにかの主張とかじゃなく現時点での自分の脳内の整理(とちゅう)です。
どっちが狂っているのかはまだ良くわからん。
とりあえず世界には割と正常な部分と狂った部分が両方ある。当たり前だけど正常っぽい動きのほうが多い。
でも正常な主張や理論に基づくそれぞれの人の動きや制度の仕組みが重なって、狂った現実を紡ぎ出す場面も度々目にします。
よくわからないなりに、折り合いつけているんだけど、それはこの世界の狂った部分を認めているわけじゃなく、世の中狂ってるよな〜。世の中の狂った部分に巻き込まれないように注意して安全ルートを生きるしか無いよな〜。といった形で生きます。
自分からなんちゃら教に足を運んで、狂気の渦に巻き込まれる必要ないし。
大企業とかエリート公務員目指して、圧倒的な過労状態で心身をすりつぶしながら、名誉だか金だかを価値の全てであると、そういった謎の心情にすがりついて、生きるのも良くわからないし。いや、わかるんだけど、その先に何があるかと言うと、実は何も無いのではないか、なにもないことをちゃんと理解した上で空虚に自分の命を燃やしていることに気がついているのか、それを飲み込んでの働きなのか。
そういった部分を考えていくと、ルサンチマンっぽくなるんですけど。
ルサンチマンと違うのは、そういう活動をする人の事自体は批判とか反対とかはしないっていう、そういう考えというかポリシーはあったほうがみんな自分の活動を認め合うことが出来て、比較的幸せな世界になるのかなーって思うけど、
みんな他人の行いはおろかで醜く無用なゴミだと思ってる感じはする。自分も他人がやっているどうでもいいこととか、どうでもいいことでエラソーにしているやつ見かけたら、脳天かち割っててめえの頭骨にヒヤシンス植えてやろうか!ってな気分にも一瞬なる。
だけど、まあ。エラソーにしてるやつが、エラソーな態度するかどうかと、自分の人生にそのエラソーな態度がなんか関係あるのかとか考えると別に自分の人生になんの不都合もないし、エラソーにしてるやつのこと別にどうでも良くなるので、エラソーにしたことに対して頭かち割るのはやりすぎだよなっていう、常識的な結論がついさっきの激情を沈静化させるので、なんとか平静を保てます。
殺されたくなかったら、交友関係とか家族関係のメンテナンスに力を入れるべきです。
不審査警戒して監視カメラとか防犯ライトとかつけても意味ねーです。
あと自分が狂っているかどうかって、やっぱりわからない気がするので、自分が狂っている可能性をいつも頭の片隅に入れておいて、取り返しのつかない行動(たとえば殺人とか)をやらない、みたいな線引は引いていたほうが良い気がする。
でも自分は家族とか知人とか皆殺しにされて、そいつらが絶対的な悪事してたから犯されたりぐちゃぐちゃのミンチにされたり、死体にしょんべんかけられたりするの当たり前だよな〜みたいな感じで、世界中の人間が狂いまくって自分を敵視した時、殺人の衝動を抑えることができるかと、まぁそんなこと無いんだろうけど、仮にそんなやべーことになったとしたらと考えると、流れぶち壊しですまないけど意外と殺人しないような気がする。
まあ実際になってみないことにはわからないんだけど、屈辱というものがどこから来るのか、ってのは自分が社会のどの位置に存在していて、その位置関係、自分の脳内の中の社会マップみたいな部分で自分のいちを誰しも把握していると想うんだけど、仮にそれを脳内カーストとでもしようか、
脳内カーストとずれた態度をされる、たとえば後輩から呼び捨てにされてパシッてこいとか顎で使われたら、めちゃ怒るひと居ると想う。その人は脳内カーストと現実のズレに恐怖するし怒るわけですよ。なので、最初から脳内カーストがどれだけ信憑性あるのかとか、実は脳内カーストってのは妄想であり、現実世界と対になるものではないってことに気がつけるかどうかな気がする。
それに気がつけば、人はすぐに死ぬし、ゴミ雑巾のように殺されるし、ゴミ雑巾のように他人を殺すっていう現実を受け入れられる気がする。
それ受け入れるとどうなるかといえば、自分の苦しみがなくなるのかな。仏教だと多分そんな答えだろう。
神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)信じてる系の人なら、神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)が、私の日頃の行いを評価してさばきを与えてくださる、世の中の幸福のバランスをもとに戻してくれる(公正世界仮説)みたいな、現実逃避のありもしない妄想にすがりついて、死ぬまで苦しんで生きるしかないっぽい。
自分のために怒ってくれるの嬉しい!っていう気持ちはわかるけど、そいつが怒ったからって現実が変わること無いし、もっと現実世界を丁寧に扱って、人間関係とか社会構造のヒエラルキーとか、そういった目に見えないどうでもいいことに固執するの、そろそろ狂っているっていう自覚は、ぽつぽつと気がつく人が出てきてもいい頃合いかな(過度な期待)〜って感じです。
透明のガラス戸ってあるじゃん。あれをガラガラ~つって閉めるふりすると、戸が空いたままにもかかわらず犬がそこに入れない〜っていう、見えない壁の存在を感じてる困っているわんちゃんがめっちゃ萌え萌えきゅんきゅんのヤバかわ動画があるんだけど、(invisible door とかでググれ)昔だと宗教の謎の論理性のかけらもない嘘話を信じ込んで神の教え(文書書いたの人間だろ!)を守れば死後救われる系異常者集団。現代だと人権とか金とか地位とか、そういうこの世に存在しない概念とかイデオロギーを盲信してる人ら(まぁ自分も一部イデオロギーの主張には乗ってるけどそれが宇宙の真理ではなく人間社会の秩序をより良くするための方便で、人工的に作り出された共同幻想であることは自覚してる)はさ、そういう妄想とか幻想を、現実と捉えてて教信者じみたムーブしているの、狂っているとしか思えないし、事実狂ってる。
社会のほとんどの人が空気のように受け入れてる概念(コンセプト)やイデオロギーってのが、妄想の産物であると、共同幻想であると、どれだけ意識しているのか、一人ひとりがそれらを認識すると世界変わるだろうけど、
人間の身体(脳を含む)は基本原始人と同じなので、急激な社会や文化の変革は望めないかな。
実は自分というものも存在しないし、自意識ってのはこれら幻想と同じで実在はしていないらしいっすよ。これはなんとなくわかってて、ソフトなんだから、意識も何かしらのデータであり情報であり、波とかいうとかっこよい理系っぽい感じする。なので物質の上に乗っかった性質みたいな感じで、実在しているかと言うと、実在はしていない感じする。神とか金とか役職みたいな感じで、世の中の人が俺の意識あるよな〜っていう感じに認識している(本人含む)ことで初めて、人間の自我とか意識が立証されていて、すごい不安定なものが人間社会の基礎になってるんですね。