はてなキーワード: 先祖とは
Another World/アウターワールド(1991)
2Dゲームが中心の時代に3Dで繰り出される、異世界転移してしまった学者が元の世界に帰るための冒険譚。
24歳だったフランス人クリエイターが全て一人で作っており、一貫したプロットを築かないままその都度継ぎ足された先の読めない波乱万丈ストーリー、
ヒントのない即死ゲームで種類の多すぎる死に様、直線ばかりの独特なグラフィック、それらから伝説的な怪作となった。
Assassin's Creed/アサシン クリード(2007)
超古代文明の残した奇跡をもたらす遺物を巡って紀元前から争い続ける二大勢力を描く長大なシリーズの第一作目。
当時としては最先端の美麗なグラフィック、フランス発祥とされるパルクールを駆使し作中に登場するあらゆる建物のてっぺんまで登れる超体力でステルスするシステムが受けた。
21世紀の若者が超技術によって、先祖である12世紀エルサレムの暗殺者の視点を追体験させられるという設定で、12世紀の風景を緻密に描写した街並みも評価された。
遺伝子情報から再現された、あくまでも紛い物の風景のため「それっぽい」けど現実とは異なるしバグで有り得ない光景が発生することもあるという設定が、時代考証ミスによる怒られを軽減する効果にもなった。
Dishonored/ディスオナード(2012)
発売は『The Elder Scrolls』などで有名なアメリカのベセスダだが、開発はフランスのArkane Studios。
仕えていた女王を殺され、後継ぎたる王女をさらわれた護衛官が、女王殺しの冤罪をかけられるも、超能力を得て王女を救出し黒幕を倒す話。
「超能力シミュレーター」とも称され、瞬間移動・透視・暴風を起こす・体を乗っ取る、など様々な能力を駆使し、能力同士を上手く使いこなしコンボを決めるなど創意工夫も楽しめる。
例えば敵の体を乗っ取って高所の端まで立たせた後で暴風を起こして墜落死させたりできる。
誰一人殺さず、誰一人に目撃されずに不殺・ステルスでクリアすることも可能で、殺した数に応じた展開分岐もある。
Life Is Strange/ライフ イズ ストレンジ(2015)
現代アメリカが舞台だが、フランス産である。後に、超能力+青春という要素だけ継承してシリーズ化。
タイムリープ能力者になった女子学生が、ちょっとしたミスをするたびに時間を巻き戻し、その積み重ねがやがて大きな事件へ発展していく。
ボタンを長押しすると時間が巻き戻っていくシステムがゲームの手触りとしてもストーリーとしても面白い。
女性主人公が幼馴染の少女とコンビで行動をすることが多く、その子と百合百合することもでき、この作品で百合に目覚めてしまった者も多いという。
Detroit Become Human/デトロイト ビカム ヒューマン(2018)
人間そっくりの外見・思考能力を持ちながらも人権のないロボットたちが、プログラムの制約を破って人間に逆らいだす現象を追っていく。
膨大なシナリオ分岐が最大の特徴であり、プレイした人によって全く違う展開・結末を辿るようになっている。
シナリオ分岐量の多さ、実在俳優を用いたリアルな映像表現は制作会社Quantic Dreamの過去作にも見られたが、その集大成的作品。
いいか。
よく聴けよ。
日本のこと好きだよな?
特に、ものづくりが巧くて控えめで自己主張よりも和を以て貴しとなす日本が大好きなんだよな?
昼間は水の澄んだ小川の畔なんかを散歩して蕎麦屋で日本蕎麦を手繰って。
夕暮れは広々した日本家屋の縁側で猫を撫でながら馴染みの酒屋に寄って買ってきた日本酒と旨い肴で一杯。
最高だよな?
分かるぜその気持。
それはおまいらが大好きでオレが大嫌いな安倍晋三とか櫻井よしことかが言うまでもなく、日本にいる全員が愛していると思うぜ。
で、だよ。
そんな日本ってどこにある?って話なんだよ。
意味不明!とか言ってないでもう少し読めや。
静寂の神社がどこにある?
おまいらの大嫌いなアジア系の外人が山のように詰めかけてるか、ド田舎で後継者がいないからって荒れ果ててる神社ばっかじゃねえか。
水の澄んだ小川がどこにある?
広々とした日本家屋がどこにある?
ド田舎ならある?
バカ言うな。
そんなところで働き盛りの世代が暮らせるのか?
周りがみんなお年寄りのなか、1人でデカい日本家屋を買い取って、無職で生活できんのか?
農業がある?
もう手遅れだよ。
それ以外はおまいらの大嫌いなアジア系の金持ち外人がみんな買い取って半導体の工場建ててるよ。
漁業がある?
もうねえよ。
みんなおまいらの大嫌いなアジア系のガイジンの研修生の方が安く便利に使えるから、おまいらの出る幕はもうねえよ。
そのうちそいつらに乗っ取られるか、あまりに奴隷みたいに使ってるからBBC辺りに報道されて、風評被害がキマっちまって誰も見向きもしなくなるのは目に見えてるよ。
なあ。
それがみんな「反日」のせいだと本気で思ってるのか?
おまいらの大好きな憲政史上最長記録を更新した安倍晋三は、何年首相やってたか知ってっか?
06年〜22年だよ。
ほぼ20年に近い期間、おまいらの大好きな日本のトップだったんだよな?
坂道を転げ落ちてんじゃねえか!
おまいらの大好きな安倍晋三が「美しい国日本」とか急になんだか右翼団体みたいなこと言い出して
悪目立ちして当選してたよな?
正直「父ちゃん坊や」以外の何者でもなかったよ。
舌っ足らずで苦労を知らねえお坊ちゃまみてえだったよ。
あの時から大っ嫌いだったよ。
でもよ。
おまいらが日本の誇りを取り戻すんだ!
結局憲政史上最長記録の首相になって、国葬まで税金で出してやったんだよな?
で、その結果。
父ちゃん坊やの親玉みてえな石破とかいう変なヤローが首相になってよ。
安倍晋三の影に隠れて甘い汁をチューチューしてたヤローたちが悪事を暴かれてヒーヒー言ってるじゃねえか。
ガキじゃねえんだからそろそろ目え覚ませって。
このいまの底の底まで落ちてる日本を強いリーダーシップで作ったの誰なんだよ?
安倍晋三だろうが!
なあ
ここまで読んだやつ
何人いるんだろうな
目え覚ませって。
朝日出版社の株式譲渡・取締役全員解任・資産売却と労働組合の要求
https://note.com/asahipress_union/n/nc5e3f3b27509
こんな記事があった。これで思い出したことがあるので書いてみる。
ワイの地元でち昔からあるローカルのホームセンターチェーンで知られる会社がある。実はその会社はホムセンが有名だが、それ以外にも貿易業をやっていて特にアフリカや東欧からの輸入に強かったりした。
また、先祖伝来の土地を東京の新宿で持っていて、その関係でとある高層ビルの権益をかなり抑えており、実はその金だけでも相当儲かっているはずだ、というのは爆サイ情報である。
さて、その社長さんはボンボンである。いや、ボンボンだった。本当にいい所のおじさまと言う感じで、部下を信じて任せるのが経営者の仕事であると信金の講演会で言っていたのを良く覚えている。私は何も知らないので、信じて送り出してやることしか出来ないのだと。
もちろんそんなのんきな話でこんなに会社が成長するはずもなく、景気よく店舗を増やしていたし、魅力的な商品も作っていたし、打率が4割ぐらいの謎のPB(東欧や中東の謎のお菓子とか)も好きであった。
さらに、M&Aをたくさんやっていた。と言っても、取引先が経営に行き詰まると買収しては、それを立て直して自社の商流に組込み、さらに自社の商社を通じて他者へもPBを提供すると言う商売をやって成長させる事を得意としていた。(これも信金の講演会で聞いた)
あった、と言うのは何故かと言うと、いきなり死んだからである。社長が。
社長が死んでから、半年もたたないぐらいに、会社が投資目的会社っぽい所に買収されたという報道がひっそりとあった。
今となっては、その名前でぐぐるとなんかよく分からないぺらっとした、WordPressで1時間で作ったんじゃないかと言うようなページが出てくるが全容がわからない。法人番号で検索すると創立は買収されたと報道があった数ヶ月ぐらい前であったが、それ以上はわからない。法務局いけばもうちょっと情報があるんじゃ無いかと思うが不明。
以下は、報道と、それから聞いた噂と、爆サイ情報であるので間違っているかもしれない。
会社はプライベートカンパニーであり、全部創業家が株を持っていたようである。
ただ、社長は独身で子無しだったらしい。というところで、親兄弟が相続したのだそうだ。
元々は遡れば創業150年と宣伝してたこともある家柄だが、一子相続を続けてきていたらしくずっと1人がまとめて相続をすると言う方式だったようなのだが、ここへきて法的に分裂。
爆サイによれば、親兄弟は商売に口を出さない代わりに金をもらってグループの慈善団体などの理事等に収まっていたようであり、毎年会社からの寄附で慈善団体を運営していた模様だ。
この慈善団体が実質的な資産管理会社として機能させていれば別だったんだろうが、個人で株を全部押さえていたようである。
そこで、社長が死んだ。
社長が死んだが、創業家は会社に関わっていなかったためどうしようもできない。
そこでまっさきに取り入ったのが、謎のコンサルタントらしく、社長の友人を名乗って取り入り(※爆サイ情報)あっという間に信用させ、死んだ社長の部下達との繋がりを断たせたのである。
そして、慈善団体だけを長く続けていられればいい、と言うような話と、莫大な相続税の前に、会社を手放すことにして、株式を売り払ったと言うことらしかった。
それも激安で。
そうしてどうなったかと言うと、会社の不動産などを次々と売却して金を作っては株主に配当を繰り返し、遊休資産だけではなく店舗の土地建物を売り払って不動産屋に渡して賃貸に切り替えるとか謎の動きを繰り返し、売れる物はなんでも売却
グループ会社もあちこちの企業に売り払って、祖業の繊維卸すら売り払ったし、店舗は微妙に価格が上がってきて、昔からいた店員がいなくなってとなりのカイ○ズにいたりとか、どんどん酷い状態になったあげく、コロナ禍が明けたある日、突然潰れた。
そして破産管財人がついたが、次々と問題のある行動をとっていたということで裁判で揉めている。
ホムセンチェーンはその後、とある大手ホムセンチェーンが支援に名乗りを上げ、買収され、ブランドそのままに復活しているが、そもそも最初からこのホムセンチェーンに身売りしていたら何の問題もなく成長し得たのでは?という疑いがある。
資本関係はないものの、かつての企業グループの取引関係は残っているらしいというのが救いなのだろうと思う。
気がする。
嫌いな生き物がいる。名前を書くのも憚られるほど嫌い。
文字で見るだけで吐きそうになる。
その生き物(Aとする)は、物心ついた時から本当に嫌いで、Aを取り扱った絵本などを見て大泣きしていた記憶がある。
理科の教科書には写真が載っていて、そのページをホッチキスで止めて絶対視界に入らないようにしていた。
DNAに畏怖の対象として刻まれているんじゃないだろうか。恐怖症と言っていい。
赤ん坊が蜘蛛や蛇を怖がるのは遺伝である、という話がある。いわゆる恐怖実験。
先祖が、蜘蛛や蛇などを脅威と見做していたため、遺伝子に情報が刻まれているという話。
蜘蛛や蛇はよく聞くけど、A恐怖症というものがこの世に存在するのか知らない。
Aが嫌い、という人はたまにいるが、恐怖症レベルまで嫌いな人はあまり知らない。
調べたらいるレベルだとは思う。
世間的な嫌われ度でいうと、Aも蜘蛛も大差はないかもしれない。
自分で調べたいのだが、Aという単語を調べて画像が出てきてしまったら気絶するかもしれないし、脳裏に画像が焼き付いてしばらく吐き気がするかもしれない。
Aをうっかり見てしまったら、フラッシュバックのように頭に画像が浮かび続け、とんでもないストレスを被るのだ。
正直この文章を打ちながら、何度かAを想像してしまっている…。
うわーーーっと叫んだり、手をブンブン振ったりして想像を掻き消しながら打っている。
これ以上書きたくないな もうやめよ
誰かA恐怖症とその原因について詳しく調べて、Aという言葉を出さずに詳細を教えてほしい。
親ガチャという言葉、最近よく耳にするけど、私はそれで言うとアタリの部類なんだろう。
裕福かと言われると別に裕福では無い。必要最低限の暮らしと、美味しいものを食べることが出来る家庭だ。ほんとにただそれだけ。
あと、自分の考えていることや思いを受け止めてくれる両親だったので、精神的には良かったのでは と思う。
この普通が当たり前ではないことを、幼い頃から理解出来ていたのは、いとこ家族と父方の祖父母の存在が大きい。
父の育った家庭は、互いに興味を持たない家庭。
父が結婚する前の話を聞くと、互いが変に共依存しているみたいだった。共依存というよりお互いを駒か何かと勘違いしている感じ。
父はみんなの駒だったみたいだ。黙って話を聞いてくれる駒、車出しをしてくれる駒、自分の下で働いてくれる駒。父の自由なんてなかった。
自分の将来を決めることも許されず、自分が働く場所さえも今後駒として使えるようにと親に決められた。
父方の祖父母、父の妹は性根が腐っていた。
祖母は私の母にチクチクと嫌がらせをしたり小言を言ったり。そしてとても自己中。自分の話しかしない。
祖父はずーーーーっと寝っ転がってテレビを見ている怠惰極まりない人。
父の妹はダブル不倫で家庭崩壊後も不倫相手の家に泊まり込み、まともに母親をしていなかった。
自分の育った家庭が変だと気付くのに16年かかっていた。そりゃ、33年そこで生きてきてすぐにはおかしな部分に気付けないだろう。
気付くキッカケになったのは、父の甥、私のいとこの自殺だった。
大人が大人をしない家庭は子供が子供らしく居られず、健康な精神の発育が出来ないんだなと思い知らされた。
悩んでも相談できない、頼れない、話せない。
家族が100パーセント悪いかと言われると違うかもしれないが、被害者面する叔母に言いたい。
お前が子供に少しでも寄り添って子育てをしていれば、こんな結末にはならなかったんじゃないかと。
「なーに、円谷にだってできたんだ。俺にできないはずはない」
猪熊がそう言ったのは、自殺する2週間ほど前だ。円谷とは、64年東京オリンピックのマラソン銅メダリストの円谷幸吉のこと。68年1月にカミソリで首の頚動脈を切って自殺していた。
その後の猪熊は、東京・世田谷の自宅に会社の側近を泊まらせ、連夜「自殺合宿」をした。あるときは脇差しの代わりに靴ベラを手に、鏡を前に首を突いて頚動脈を切る練習を繰り返す。顧問弁護士に遺書を書き、宅配便で送る用意をした。
当初は自宅で命を絶つはずだったが、結局は会社の社長室を死に場所として選んだ。それというのも自殺すれば近所迷惑になるし、土地の価格も下落すると考えたからだ。
www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/276222/2
私を見て少し微笑んだように見えた次の瞬間、猪熊は「今ならできる!」という低い叫び声とともに机上の脇差を取り上げ一気に首に突き込んだ。
www.amazon.co.jp/-/en/%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E6%96%8C-ebook/dp/B00C36ZNRY
1月9日に、円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にて、両刃のカミソリで頚動脈を切って死亡しているところを発見された[94]。死亡推定時間は前日の午後11時だった[94]。27歳没。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89
明治天皇の崩御に伴い、殉死した乃木希典大将の切腹は、相当に凄いものでした。以下、乃木大将の検死記録から推定される切腹の状況です。
「日本軍刀によって、まず十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命」
つまり、介錯人がいないので軍刀を膝に立ててあごの下に切っ先を持ってきて、そのまま首の部分を突き刺した訳です。それも「まず腹を十文字に切ってから」です。へたな江戸時代の武士よりも遥かに壮絶な切腹ですが、腹を十文字に切った時点で「相当な重症状態」ですので、さらにそこから首を刺したというのは、物凄い気力であると言えます。
太平洋戦争で「特攻の父」と言われた大西瀧治郎中将はポツダム宣言受諾のご聖断が下り、8月15日の玉音放送を聞いた翌8月16日に切腹をしました。
大西瀧治郎中将は青年達を特攻攻撃に送り出す際に「最後は必ず、俺も行くからな」と常々言っていたのですが、その最後の機会は訪れることなく終戦となってしまったのです。大西中将の切腹は予想されたことでしたが、その切腹は大変なことになったようです。
まず軍刀で腹を十文字に切り裂き、頸と胸を刺したのですが、まだ死ねず、遂に官舎の使用人に発見され、多田武雄次官が軍医を連れて前田副官、児玉誉士夫、熱海にいた矢次一夫まで駆けつけてきてしまったのです。
彼は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言い、さらに児玉誉士夫がいることに気づくと、「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ」と言いました。
児玉が "自分も自決する" と言うと、「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と言って延命処置を拒み、夕刻になって死亡しました。
sengoku-his.com/1959
腹を十文字に切り裂きましたが、まだ死ねません。次に首筋の頸動脈に短刀をあて、ぐっと切り裂きました。すると、血しぶきが溢れるように出てきて、辺り一帯は血の海になりました。阿南大将の意識はそこで途絶えます。義弟の竹下中佐が顔に耳を近づけると、まだ僅かに息があり、介錯として短刀を反対側の頸部にあて深く刺し、絶命させました。
sengoku-his.com/1959
万場世志冶
割腹の上頚動脈を左右から切り、失血死していたという。学生服姿であった。享年22。
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%A0%B4%E4%B8%96%E5%BF%97%E5%86%B6
2012年2月6日午前1時25分頃、齊藤の妻が「夫が暴れている」と119番通報。齊藤は自宅で暴れるなどしたのちに、カッターナイフを持って自宅東側を流れる栗山川に身投げし、父親からの制止を振り切り、カッターナイフで自らの首を何度も切り付けた。病院に搬送されたが、午前4時5分、死亡が確認された。死因は失血か低体温症と見られる[6][7][8]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8A%E8%97%A4%E9%9A%86_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)#cite_note-%E5%8D%83%E8%91%89%E6%97%A5%E5%A0%B1-6
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%9F%A5%E8%A1%8C
1975年に武蔵野市の自宅で日本刀により頸動脈を切り自殺を遂げた。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E4%B8%80%E9%83%8E
学習院を中心とする赤化事件に連座し検挙された公爵・岩倉具榮氏令妹、靖子さん(22)は、その後転向を誓って保釈となり出所。渋谷区鉢山町10の公爵邸にあってひたすら裁きの日を待っていた。ところが、22日の予審終結前日の21日午前6時10分ごろ、突然階下8畳の靖子さんの室から異様なうめき声が漏れるので、次室で食事中の母堂櫻子さんが入ってみると、靖子さんは寝床の中で鋭利な西洋剃刀を左手に持ち、右頸部の動脈を掻き切り、鮮血に染まって苦悶しているので、驚いた母堂は家令を呼ぶとともに直ちに渋谷区猿楽町43、主治医岡田仁吉氏を招き、さらに知己の赤十字病院の吉本清太郎博士に急報。応急手当を施したが、そのかいなく、母堂の手に抱かれながら、間もなく絶命した。
bunshun.jp/articles/-/42366?page=4
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E9%9D%96%E5%AD%90
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%9F%8E%E5%9C%AD%E6%AC%A1
9月30日、岩淵は先祖代々の墓所に逃げ込み、恨みはすべて晴らしたとして、取材に来ていた新聞記者や知人の前で村人の用意した毒入りの最中を食べ、剃刀で喉を切って自殺した[3]。なお、岩淵は死亡の2日前である1926年9月28日の時点ですでに自殺を決意していたらしいが、28日は酒を飲んでいるうちに眠ってしまい、翌29日に首吊りや頚動脈を切るなどしたが、元々体を鍛えていたことから死に切れなかったと言う[4]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%86%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-4
そして午前9時20分ごろ、自宅の応接間(十二畳の部屋)で所持していた刃渡り八寸(約24cm)の短刀で善次郎を刺殺した。しかし、家政婦が警察に通報している間に朝日はその場で所持していた剃刀で咽喉部を切り自殺を遂げた。享年31。朝日は生涯独身だった。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%90%BE
。1908年(明治41年)6月15日未明、文学的行きづまりにより剃刀で喉を切って自殺した。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%9C%89%E5%B1%B1
1908年(明治41年)7月17日早朝、自宅の寝室で血まみれになって死亡しているのを発見される。検視の結果、短刀で喉を掻き切ったあと、刃に付いた血を指で拭い、鞘に納めてから絶命したと判明した。遺書はなかったが、この年の3月頃から卒中を患っていたため、病気を苦にしての自殺と推定された。享年67。墓所は青山霊園2-イ11-36。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%97%E8%83%BD%E9%96%A2%E5%9B%9B%E9%83%8E
畠山勇子
勇子は京都で様々な寺を人力車で回った後、5月20日の午後7時過ぎ、「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」と書かれた嘆願書を京都府庁に投じ、府庁前で死後見苦しからぬようにと両足を手拭で括って、剃刀で咽喉と胸部を深く切って自殺を図った。しかしすぐには死ぬことができず、すぐに病院に運ばれて治療が施されたが、気管に達するほどの傷の深さゆえ出血多量で絶命した
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E5%8B%87%E5%AD%90
1889年(明治22年)10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車へ爆弾を投げつけた。爆弾は馬車の中に入り、大隈の足元で爆発した[3]。来島はその場で短刀で喉を突き自害した
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E5%B3%B6%E6%81%92%E5%96%9C
蛮社の獄のあと薬品で顔を変え長く追手を逃れていたが捕縛される。その際に応戦、喉を突いて自害したとされるが、踏み込んだ幾人もの役人に殴打されたことで死亡したとする説がある。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E9%95%B7%E8%8B%B1
延宝8年(1680年)5月、第4代将軍・徳川家綱死去の報を聞き、配流先の徳島にて鋏で喉を突き自殺した。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%BF%A1
昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。
ritouki-aichi.com/vot/%E3%80%90%E7%94%A3%E7%B5%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%80%91%E5%88%87%E8%85%B9%E3%81%97%E3%81%9F%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F/20121230
まあ増田家も行くんだけどさ、増田の両親は増田が生まれ育って今も住んでるとことは全く違う地方出身でね
だからたまに両親の故郷に帰省した時は先祖代々の◯◯家之墓にお墓参りはしてるんだけど、お盆やお彼岸の度に毎回行ってたお墓が別にあって
それはよくある一区画ずつあるような◯◯家之墓じゃなくて、合祀墓?みたいなでかい石塔でね
子供の時から「なんでこの石塔なの?」とか「そもそも誰のお墓なの?」とか不思議だったんだけど、それを尋ねるのも子供心になんだかしてはいけないことのように思ってたんだよね
増田家には死んじゃったペットもいたけど、彼らは別の動物霊園にいるから違うし
だからまあ増田は長いこと誰のお墓かも分からないお墓参りに行ってたような感じで、お線香をあげて手を合わせる度に何を考えたらいいのか全然分からなかった
分からなかったから手を合わせながら「よく分かんないけど、どうもこんにちは。よく分かんないけど、まあ元気です」とか考えてたの
それが数年前にさ、お墓参りに行く途中で母が急にポロッと言ったんだよね
「あそこはね、増田とお兄ちゃんのお兄ちゃんかお姉ちゃんがいるんだよ」って
すっごいびっくりしたのに口では「そうなんだ」ってちっちゃい声しか出せなかったよね
告げられた時は増田も成人だったけど、適切な返しが好き全然分からなかったよね
兄か姉か分からないし、面識も思い出も何もないから相変わらずお墓参りに行く度に「こんにちは、まあぼちぼちやってます」くらいしか考えることがないっていうか、何を思えばいいのか分からないままだし
他界した祖父母やペットだと昔のこと思い出したりもするんだけど、よく分からない相手(というのも少し悪い気はするけど)に手を合わせる時って何考えたらいいんだろうね
わかんねぇよ御先祖さまぁ…
「異世界×日本スゴイ」に秘められた“欲望”とは...ラノベ界→純文学界へ“転生”した市川沙央が読む『大転生時代』(島田雅彦 著) | 文春オンライン
この記事が代表的なんだけどさ、ブコメがすでに多数指摘してる通り、「なろう系」を語る批評家って、「なろう系」全然読んでなさそうだな……ということがありありと伝わってくるよね。
まあ、なろうなんて安っぽい娯楽でごぜぇますから一生読まなくてもいいと思いますけども、それでも読んでもない人には「なろう系は〇〇ばかり」とか「なろう系にはない発想」とかいう表現は使ってほしくないわけだ。
純文学というハイカルチャーの一員だから、遥か下に位置する(ナ)ローカルチャーなんて数作読めば語れると思ったか、白人さましゅごいです!!!
(主に男性向けを念頭に置いて解説する。実は2024年の小説家になろうはほぼほぼ女性向けサイトなのだけど、歴史的には最近まで女性向けは傍流であったし、「なろう系」などという言葉を使ったときに女性向け作品がイメージされることはおそらくまれだからだ。)
その「小説家になろう」に投稿されていた『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブームの火付け役と言われる間違いなくように
俺はログホラが書籍化されたあたり、2011年くらいからなろうを眺めているんだけど、そのころにはとっくに「異世界転生」がテンプレとして確立して流行してる。
定説では、ゼロ年代に隆盛を極めた二次創作文化からの輸入設定だろうといわれていわれてるな。
「好きなマンガの世界に行ってキャラたちと交流したい」という素朴な欲望を実現するために「マンガの世界に転生」という設定が流行り、それがWeb小説読者の中で当たり前のお約束として定着したあと、誰かがオリジナル作品でも「異世界転生」が使えると大発見したわけ。
「異世界転生」に限らず、Web小説文化とは、お互い設定をパクり合う一種の生態系を通して、お約束を研ぎ澄ましていくもの。
転スラが火付け役なんて言っちゃうのは、出版界で一番売れた作品しか見てねーんだろうな。
俺は一般小説も読むから、転生と聞いて「異形の設定が突然現れた!」と興奮して世代論を語りたくなるのもわかるけどさ、海面から顔を出した氷山の一角を見たところで、氷がどのように成長してきたかはわからん。
お約束の形成過程を知ろうとすれば、そう異形でもないということがわかるはずなんだけどな。
ここまでパワフルな大転生時代が招来された要因はひとえに、読者の欲望をダイレクトに満足させるストーリー展開にある。主人公のチート能力による問題解決の連続、いわゆる無双状態の快感を求める若者層(実質的に中年層という説もある)
俺TUEEEモノというジャンルのことだな。なろう小説は決して俺TUEEEモノだけの世界ではないので「ひとえに」とまで言うと嘘だが、Web小説で人気を得るためには必ず意識しなければいけない、大本の土台的なジャンルであることは同意できる。
ただ一つ付け加えると、俺TUEEE小説の魅力というのは、現代日本の大谷旋風や藤井竜王名人ブームと全く同一のものであり、決してなろう系特異なものではない。
大谷ファンも藤井ファンも、野球や将棋のルールすら知らない人が大多数だろう。ただ大実績を積み重ねるという情報、「クソ強えー!」ただそれだけの情報の原始的で荒々しい魅力は、他の洗練された娯楽コンテンツのどれよりも普遍的に我々を惹きつけるものだ。
よく大谷や藤井を称賛するのに、「マンガだとリアリティがなさ過ぎてボツになってしまう」という言葉が使われるが、これはなろうの俺TUEEEモノがなぜ受けるかという理由でもある。
それは転生とか異世界とか、リアルな現代日本から舞台を変えてしまうことで、読者が求めるリアリティの基準を下げ、摩擦なく最強キャラを出すことができるからだ。事実として、大谷より強い野球選手も、藤井より強い将棋棋士も、Web小説界には人気作品として普通に存在する。
なお、なろう系を読んでるのは若年層か中年層かという話は、お金のない若年層がWebでタダで小説読んで文化を盛り上げて、お金持ってる中年層が書籍化された本を買い支えている、という見方が定説のはず。
われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界(ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。
俺は『異世界食堂』あんまり好きじゃないんだけど、この批評はさすがに『異世界食堂』を読めていなさすぎる。
「異世界食堂」とは、1週間に1度だけ異世界から来客が訪れる、現代日本の食堂を指している。誤解しやすいが舞台は異世界ではなく日本だ。
そして小説『異世界食堂』も1週間に1度だけ更新された。作中設定と、小説の更新頻度の一致は何を意味するか。
小説の更新を異世界食堂の開店に見立て、読者を異世界の住民に見立てているのである。
なろう読者は毎日毎日、異世界で主人公が大活躍する小説を読んでいる。異世界の冒険者であったり、国王であったり、魔王であったり、感情移入しながら読んでいる。
そして、感情移入を継続したまま、週に一度、異世界食堂に入店する。直前まで読んでいたなろう小説では戦場で無双していた竜王も、異世界食堂の中では特別な人間ではない。庶民派食堂の常連の1人として料理が運ばれてくるのを待つのみである。
そして、洋食屋で食べる料理の素朴な美味しさを追体験したあと、感情移入を解いた読者は、冒険者になったつもりで小説を読み耽るのもいいけど、気になる食堂を訪ねるのも楽しそうだなと思うようになる。
そして、異世界食堂は平日5日、どこかにあるはずの現実のお店として、読者である日本のあなたが訪れるのを待っている……、これが小説『異世界食堂』の仕掛けである。
という但し書きは、このアンチなろう性をわかりやすく読者にアピールしている。
よって「理想世界はつねにどこか遠くにある異世界(ガンダーラ)である」という市川沙央の読みは完全に誤読だ。
遠い異世界に夢中になってないで、身近な幸せにも目を向けようよというのが『異世界食堂』のメッセージなのだ。
(ついでに言うと「一発逆転」もおかしい。異世界食堂は、異世界関係なく日本でちゃんと繁盛している店という設定だ)
なお余談だが、「ギブミーチョコレート症候群」というような、人を病として勝手に診断しレッテルを貼る行為は、10年後には炎上ネタになってそうな気がする。
——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者も存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界はあんなゲームみたいにイージーな世界じゃない。
これは小説からの引用であるので正確な文脈はわからないのだが、こういうこと言う人には、「あなたはリゼロのスバルくんになれるんですか?」と聞きたくなるな。いや転スラのリムルくんでもいいし、他の主人公でもいい。なれるの?
確かに、彼ら主人公は都合のいいチートを持っている。しかし、同じチートを与えられれば、あなたにも同じことができますか?と問われれば、間髪入れず無理と答える程度には英雄的だ。リゼロのスバルくんは死んでも生き返るという能力を持つが、何十回と死に続けても諦めず立ち上がり続けることなぞ、常人には絶対に不可能だ。
この島田雅彦の書く一文からは、島田が異世界転生の表面的な部分しかメタれていないことがありありと伝わってくる。
真に、異世界転生を突き詰めて考えるならば、問題として提出すべきなのは「都合のいいチートを得た、ただそれだけなのに、なぜもともと平凡だった現代日本人が英雄になれるのか」である。
転生系ライトノベルの型(パターン)においては「わたしは突然前世の記憶を思い出した」の一言で存在と一回性の人生の尊厳をまるごと抹殺されてしまう転生先本来の人格について本作は透明化することなく、むしろ転生という事象から生じうる共存の理想をいくつかのかたちで示している。
世界設定のお約束の共有によって発展したライトノベルの異世界転生にはない、前世や転生先となる異世界設定および各キャラクターの奥行きとオリジナリティ、バリエーションの多彩さはまさしくSFの醍醐味であり純文学の風格。
は?????
確かにスルーして単純化する作品もたくさんあるよ。一方で、転生モノの見せ場と言えるくらいには、問われ解答されてきたテーマでもある。
島田雅彦『大転生時代』の解答は、2つの魂が1つの身体で共存するとのこと。
なろう視点で見ると、身体共存モノはそう珍しい設定ではない。というかそれ転生モノじゃない。いわゆる脱法転生モノという類のもので、なろう運営が異世界転生転移モノに対しランキングで不利になる規制をかけたとき、特にかなり流行っていた印象だ。現地人を主人公にしつつ(規制回避)、日本人視点を都合よく設けることができるからな。 09/26 00:50追記:有名なろう作家の丘先生がそれだと規制は回避できないし、当時流行っていた印象はないとコメントされていた。私も薄っすらとした記憶で書いていただけなので、当時人気作を連発して書かれていた丘先生のほうが間違いなく正しいであろう。訂正する。
(09/26 02:20追記:勢い余って筆を滑らせたので、精神同居モノってなろうではどういう立ち位置なのか少し考えてみる。記事の本筋に関係ないので小文字とする。まずなろうは巨大すぎて、全体としてどうなのかというのは語るのは困難だ。自分の所属するクラスタから見ればこうとしか言えない。自分はTSF(性転換)ジャンルのクラスタにいたので、その視点で見るとTSFでは精神同居はさほど珍しくない。『果ての世界で』とか『銀髪巫女』とか『二人で一人の剣姫』とか?R-18で言うとせなちかさんの作品とかがあるよね。ただ、TSFは主流派ジャンルではないのでこれを以て「精神同居はよくある」は言いづらい。次に、なろうでいくつかのワードを検索して、上位のものを見てみると『取り憑かれた公爵令嬢』とか『悪ノ令嬢シャーロットの中の人は、彼女を護りたい』とか女性向けでいくつか人気作がヒットする印象だ。広い意味で見れば超人気作の『悪役令嬢の中の人』も精神同居系女性向け作品のうちに入るかな。ただ、冒頭に主に男性向けで考えるぞと書いてしまったので、スタンダードな男性向けだとどうだろう……。『みつばものがたり』は精神同居の転生モノだがキワモノが強いなぁ。「実は日本人だった先祖の声が頭に聞こえる」とか、そういう設定の作品あったような気がするが、なかなか見つからない。なろう創作者の気持ちで考えれば、男性向けで精神同居させるなら、TSFにする気がする。精神同居ジャンルにかなり近い設定としては、器物転生ジャンルが挙げられるだろう。『転生したら剣でした』『黒姫の魔導書』とか。主人公である転生者は、持ち主と心で会話し、時には体を乗っ取って動かすこともある、みたいな、これは精神同居と外形的にはほとんど一緒かな。こっからはもう全く関係のない話。奇遇なことなんだけど、この数日間、精神同居系ジャンルたくさん摂取しとったなと気がついた。自分は実は最近ずっとWeb小説読んでなくて、ここ2週間くらいのときに少しだけ読み返した程度なんだが、『みつばものがたり』は該当だし、なろう系以前の作品2008年のArcadia連載の二次創作だから転生モノに含めるのは出来ないんだけど、『聖なるかな』の二次創作THE FOOLは転生、人格乗っ取りの是非、精神同居、全て要素として含まれている作品だし、イッキ見したアニメ『戦国妖狐』はまさに精神同居と共存のあり方について描いた作品である。はてブ経由で読んでた『絶対死なないステラ姫』とか『スパイダーマン:オクトパスガール』も精神同居だよな……。)
「転生=人格塗りつぶし問題」からは、「主人公は、前世の自分とどこまで連続していて、どこから不連続なのか?」「主人公は地球の存在か? 異世界の存在か?」「主人公の本当の両親は地球の親か? 異世界の親か?」など、物語を面白くする様々な問いが派生する。名作と呼ばれる転生モノは、少なくとも部分的には答えようとするものだ。
島田雅彦の『大転生時代』は、市川沙央の書評を読む限り、問いに真正面から取り組むのではなく、ただ回避しただけにしか見えない。
(4ページ目から5ページ全体)
市川沙央氏の文章は全体的に意味が取りづらいが、4ページ目からは特に何が言いたいのかわからない。連想ゲームで思いついたことを繋げているだけに見える。いくつかわかるところだけコメントをつける。
「すでに」というので、前の文章を読み直したが、ただのチェリーピッキングだ。
市川沙央は『異世界食堂』を誤読していることは先に述べたが、一方で『異世界食堂』が「日本スゴイ」モノであるのは正しい。「食」という文脈で、日本が異世界より文化的に上回っているという設定であるのも正しい。
しかし、『異世界食堂』が、転生/転移モノの代表的な作品か?というと、全く違う。
先に引用した、「一応ファンタジーです」「剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません」「店主は普通のおっさんです。料理以外できません」からわかるように、『異世界食堂』は正統派的なろう系作品の逆を行くものである。
つまり、正統派とは「主人公が剣と魔法で大活躍」する作品のことだ。
となると、はて、日本に剣や魔法があっただろうか? そう、異世界とは剣と魔法の先進世界であり、日本は剣と魔法の後進国だ。ギャップの上下が逆なのである。
よって、大多数の転生モノにおいて、主人公が無双する力を身につけるのは異世界においてである。転生者だから強いわけではない。超一流の戦士の家に転生したからであるとか、転生設定を完全に抜いても成り立つような作品が多い。
1ページ目の、
という表現のときは、「主人公が日本では活かせない巨大な才能を持っている」という風に善解すればギリ意味は通るかなと考えたが、4ページ目で「経済的・文化的ギャップ」とギャップの中身を限定してしまったところで、市川沙央は言い逃れ不能な馬脚を露わにしたと言える。
(正確に言えば、「日本の古武術を修めていたから強い」とか、「魔法はイメージが力の源泉であり、日本人は水などをH2Oの化学式レベルで理解しているから強い」とか、文化的ギャップで無双する作品もないわけではないが、稀な設定だし、説得力があまりないのでかなり昔に廃れているはず)
俺は序
・中国人が海外で凶悪な事件に遭遇する確率は非常に高く、日本では毎年のように人が殺されているが、「ヘイト教育」を行っているとして立ち上がって非難する日本人を見たことがない
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・私たちは日本に対して強すぎるのではなく、弱すぎるのです。「ヘイト教育」をすべきでないが、日本への警戒は十分とは言えない。
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・平時における日本の政治指導者のパフォーマンスは依然として極めて完璧であり感心する。
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・橋本琴恵は、日本で最も抽象的な女性の一人。深センでの日本人学生殺害事件投稿は人気があり、1万件以上の「いいね」が付いている。日本人は彼女を強く信仰しており、原爆を製造して中国に向けるなど、中国に対する厳しい措置を要求している。
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・中国のメディアは、なぜ中国人が日本で殺害されたニュースを隠すのか?
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・なぜ中国の政治家は、中国人の子供の命より日本人の子供の命を大事にするのか分かりません。
・日本人は私たちの子供たち、私たちの赤ちゃん、さらには銃剣で妊婦の腹から取り出した胎児にすら、申し訳ないと言ったのだろうか?
・中国で日本人の子どもが不幸に遭遇したときの報道量は、日本で中国人の子どもが殺害されたときよりもはるかに大きいのが不思議です。私自身も反省する必要があります。
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・もし中国が本当にヘイト教育に取り組んでいるなら、今でも様々な日本人学校や日本食街が存在するだろうか?
・中国を中傷する日本の伝統的メディアの底知れぬ誇大宣伝はソーシャルメディアのそれに限りなく近く、日本人の反中、反中、さらには反中を誇張しようと全力を尽くしている。それが日中国民の感情悪化の引き金となっている。
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・私たちは日本人に先祖の罪を背負うことを求めていない。しかし、日本人の子供が殺されて、なぜ広東省にすらいない人が犯罪者とみなされるのでしょうか? なぜ日本人は中国人に罪を償ってくれと頼むのでしょうか?
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・過剰な反省は日本の右翼によって都合良く利用される可能性がある
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・暗殺されたのが日本人の子供かどうかに関わらず、加害者は少しも免罪されない。
・日本人男児が殺害されたことに多くの日本人が怒りを露わにしている。同胞が殺害されても無関心の中国人が情けない。
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・9月18日、在日米軍が運転する車が22歳の日本人男性をはね、死亡させた。1.岸田文雄は非難しなかった。2.在日米軍は謝罪しなかった。3.日本は平和だった。 4. 被害者の家族は抗議しなかった 5. 在米日本大使館 ソーシャルアップデートはなかった
・普通の刑事事件、犯人が関与した個別の事件、それなのに日本政府はそれを「外交事件」として騒ぎ立てたがるということは、中国はまだ清朝末期の民国だということだろうか。日本がそんな誇大宣伝をするなら、日本で中国人が被害を受けるたびに、中国も日本の仕様に従い、日本に行って「明確な説明」をすることになるだろう!
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はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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先祖返りか
https://en.wikipedia.org/wiki/Social_liberalism
社会的自由主義[は、社会正義、社会サービス、混合経済、公民権と政治的権利の拡大を支持する政治哲学であり、自由主義の一種であり、限定的な政府と全体的に自由放任主義的な統治スタイルを支持する古典的自由主義とは対照的である。
どちらも個人の自由を重視しているが、社会的自由主義は、社会的不平等に対処し、公共の福祉を確保する政府の役割をより重視している。
■衰退
1960年代と1970年代の経済問題を受けて、自由主義思想はいくつかの変化を遂げた。
ケインズ派の財政運営は自由市場を妨害しているとして批判された。
同時に、増税で賄われた福祉支出の増加は、投資の減少、消費者支出の減少、そして「依存文化」の創出への懸念を引き起こした。
労働組合はしばしば高賃金と産業の混乱を引き起こし、総雇用は持続不可能であると考えられた。
フリードリヒ・ハイエクの影響を受けたミルトン・フリードマンやサミュエル・ブリッタンなどの作家は、社会自由主義の逆転を主張した。
彼らの政策(しばしば新自由主義と呼ばれる)は、西側諸国の政治、特にイギリスのマーガレット・サッチャー首相とアメリカのロナルド・レーガン大統領の政府に大きな影響を与えた。
彼らは経済の規制緩和と社会サービスへの支出削減の政策を追求した。
社会自由主義連合が崩壊した理由の1つは、1960年代と1970年代に国家政府から独立して活動できる金融利害関係者からの挑戦だった。
関連する理由としては、フランクリン・D・ルーズベルトなどの政治家が提唱した社会主義医療などのアイデアが、赤狩りの最中に保守派、特に前述のレーガンによって批判され、社会主義的とみなされたことが挙げられる。
もう1つの原因は、連合の一部を形成していた労働組合の衰退であり、労働組合は自由主義のコンセンサスに挑戦する左翼イデオロギーの支持でもあった。
これに関連して、労働者階級意識の没落と中流階級の成長があった。
社会自由主義を最も受け入れていなかった米国と英国による貿易自由化の推進は、支持をさらに弱めた。
20世紀末から、社会的自由主義は政治的影響力を失いつつあったが、ジョン・ロールズ(政治哲学)、アマルティア・セン(哲学と経済学)、ロナルド・ドゥオルキン(法哲学)、マーサ・ヌスバウム(哲学)、ブルース・アッカーマン(憲法)など、多くの著名な著者の登場により知的復興を遂げた。
って書いてあるけど?
そのため今年のモデルは現行型の最終盤ということで注目度が極めて低い。
ただ「アップル製品は熟成してから買え」とウチの爺ちゃんもよく言っていたけど、
私もAppleの製品はフルモデルチェンジよりマイナーチェンジのときに買うべき派だ。
そういう意味では毎年毎年、目立った変更がなかった現行型の最終盤というのは超絶に熟成は進んでいて、ある意味一番魅力的なiPhoneと言えなくもない。
今年のiPhoneの目立った変更点のひとつがカメラコントロールという感圧式ボタンが追加されたことだ。
あればあったで便利な機能なのかもしれないけれど一言でいうと不必要だ。
絶対にフルモデルチェンジ版のiPhoneでは削られるはずだ。
あとカラフルなモデルバリエーションが揃っていてデザイン的にはProよりも無印のほうが魅力的かもしれない。
とまあ目立った変更点はこれくらいか?
あとあれだ例によってカメラの性能が良くなったんだよね。
その部分の性能を重視する人には重要かもしれない。
けど、ほとんどのユーザーにとっては最早オーバースペックの領域にiPhoneのカメラ性能は入っていると思うから進化しても関係がない。
以上、簡単にまとめてみたけど結論としては、今年iPhoneの買い替えを検討していた人以外は1時間も経てばすっかりと記憶の中から消えてしまいそうなインパクトのない新しいiPhoneということだ。
AppleのAIシステムが、この日までに完成していないということがインパクトに欠けることを助長しているのは言うまでもない。
新しいiPhoneを買えば、こんなにすごいAppleのAIを使えるんですよ!!とアピールできないのはある意味話にならない。
AIに本格対応する(AIブームが終わって無ければ)のも来年のモデルだろう。
ただ繰り返しになりますが、私はアップル製品はマイナーチェンジモデルを買うことにしてるので、現行最終型の超熟成モデルである今年のiPhoneは推しです。