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はてなキーワード: 怨恨とは

2017-10-03

9.25 けものフレンズ殺害事件の回答編

やあ。通りがかりの名探偵だ。なぜけものフレンズは死ななければならなかったのか?誰が殺したのか?動機は?君たちにもわかるように解説してあげよう。

まず、前提を整理しよう。

  1. 公式プレスリリースには嘘は書いていない
  2. たつき監督降板は、プロジェクトに打撃を与えることは皆承知していた
  3. 常識外れの愚か者や、隠された怨恨などはない

これだけだ。2点目は、要するに吉崎観音逆恨み説や、カドカワ内部対立説は除外する、ということだ。公開情報からは、常識外れの愚か者存在はうかがわれないしね。これを崩せばどのような荒唐無稽ストーリーも成立するが、今回はその可能性は考慮しない。オッカムの剃刀、というやつだね。

プレスリリースからわかることは

たつき監督ヤオヨロズ/福原P 以下略)にとって、情報を共有するくらいなら、降板するほうがましだ、と考えていた

ということだ。この場合の「情報共有」ということの内容は曖昧だが、よく言われている、3Dモデルの共有説については除外してよいだろう。3Dモデルの共有というのは、要するにヤオヨロズの関与を減らす、ということだが、たつき監督重要性はプロジェクトに共有されていたはずで、カドカワ/制作委員会にも、ヤオヨロズにも、ヤオヨロズの関与を減らすことに合理的理由は見いだせない。

では、たつき監督にとって降板考慮するほどに共有したくない情報、というのは何だろうか?殺害前にも、制作委員会たつき監督不和示唆する事件はあった。テレビ東京関係者不快感を示していた、12.1話の作成承認に関する情報共有だ。ここ増田にも、監督勝手に公開することで、プロモーション全体の計画に悪影響が出ると怒っている記事もあったね。

さて、いよいよ核心に近づいてきた。なぜ、たつき監督は、情報共有を拒んだのか?ここで、たつき監督が成し遂げたことを改めて評価する必要がある。彼は「声優以外のすべて」を担いアニメ成功させた、と言われているが、それは彼の成し遂げたことの本質とは何も関係がない。けものフレンズアニメ特別なのは、一人で作ったからではない。アニメの質が高かったからでもない。作画宣伝予算原作声優等の標準的アニメ評価軸で評価すれば、けものフレンズはせいぜい中の下だ。けものフレンズは、ソーシャルで盛り上がり、社会現象になったから、特別なのだたつき監督福原Pとファンとのコミュニケーション奇跡的にうまくいったから、特別なのだ

これで、情報共有を拒み、降板に至ったたつき監督動機が見えてくる。彼が作りたかったのは、けものフレンズアニメによって作られるファンフレンズのやさしい空間なのだファンとのコミュニケーションをとるために製作委員会確認するような組織では、その空間は作れない。制作委員会は、彼らなりにたつき監督に残ってもらうよう交渉をしたに違いない。でも、たつき監督が求めるような、フリーハンドファンとの直接コミュニケーションは、どうしても認められなかったんだろう。原案吉崎観音であるけものフレンズプロジェクトには、たつき監督希望するやさしい空間を作る余地はなかったのかもしれない。

まとめよう。けものフレンズは、制作委員会との見解の相違から、よいものを作れないと判断したたつき監督により、殺された。監督ツイッターにより引導を渡される、というのは、実に本事件本質を表しているではないか

2017-09-21

ヤンキーの改心におけるキリスト教の影響

よく、改心したヤンキーを褒める言説を揶揄して、「いや、元から真面目な奴の方が偉いに決まってるだろう。」という批判が入る。

ヤンキーイジメられた怨恨か、ネットでも良く盛り上がる。

こち亀がよく引用される奴だ。

この事について最近気づいたんだが、ヤンキー側を褒めるものにはキリスト教の影響が感じられるということだ。

イエスは我々の罪のために死んだ。

悔い改めよ。という奴。

キリスト教においては、元から真面目に生きている者よりも、

過去自分の罪に気づいて悔い改める者が尊いとされる。

何故なら人間は全て罪人だから

そのとおり、キリスト教においては改心したヤンキーの方が偉いのだ。

日本でこういった話が度々美談として語られるのは、

それを言うもの受け止めるものが、ある程度こういったキリスト教的考え方を消化してるからでは無いかと思った。

日本人無宗教と言っておきながら凄く宗教的なところがあるとも言われるが、

こういった形で、日本人精神性の中に知らず知らず入っているものが有るのかも知れない。

また、人間を生まれながらに罪人にする思想は、簡単に言ってしまえばトンデモで、

ニーチェなんかはこれを奴隷根性として痛烈に批判しているし、

日本人にとって本当に有益なのかは考えなければいけないところではある。

2017-09-10

その人は何してほしい?と聞いてる夫ではなく、何してほしいか解らないから何もしないと思ってる夫に馬鹿と言ってる

これの大元話題育児で辛くて死にそうでも旦那仕事絶対休めないからと放っておかれたけど、旦那風邪をひいたらあっさり休んでた休めるんじゃん的な怨恨話でな

それに対して男は具体的に何をしてほしいか言ってもらわないと動けないという男性意見が出てきて

はーなるほどー男ってそこまで具体的に伝えないと全く解らないのかって意見も多かったけど、それに対してあほちゃうって人も居てそれがそのツイートなんよね

https://anond.hatelabo.jp/20170910181855

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170807210954

逆にどこに「性的に切った」と描かれてる?

端的にいえば、「スカートから」だね。当たり前だと思うが。。

でもこれじゃ加害者性的意図によらずとしても男と限定してるようなものじゃない(女が性的に切ったならそれはレアケースでそんな歌ではないよね)

相手でもスカート切られたを性的に切ったとするならそれはもう仕方がない(同性愛関係なく)

では

仮に曲中で女が怨恨理由に切ったと明言されていたらそれでもスカートから性的に切られたと思うの?

2017-08-07

https://anond.hatelabo.jp/20170807164043

お前本当になんども言ってることを理解できてないよな

勝手にスケベ妄想してろといってだよ

認めてんの、勝手にスケベな妄想することは

ただ、その解釈事実と違う

それだけ

もし、作品のもの事実として性的被害が描かれてるなら根拠がないと共感できないし、他人はお前の妄想に付き合うほど優しくない

イタズラでもなく、嫉妬怨恨でもない性被害である理由

まあ、ないんだけどな、作り手が悪意として描いてんだから

せめてこれが男の犯行である根拠くらいは示さないと、お前の妄想通りの作品だよねとはならん

いい加減自分のスケベ妄想から離れて客観的に見ろよ

https://anond.hatelabo.jp/20170807165612

PVってのは音楽映像のことだよ

音楽には当然歌詞含む

結局お前の中では、スカート性的なんだよなw恥ずかしい妄想

男の犯行かは描かれなくても性的

イタズラの可能性もあるのに性的

嫉妬怨恨可能性もあるのに性的

明確に作り手が悪意の象徴として描いてても性的

過去犯罪にあった人が、事件とは関係ないPV自分被害と結びつけることは理解できるけど

お前の、色んな可能性があるのにスケベ妄想関係ない作品に性被害レッテルはるのは全くもっておかしいとしかいえない

変態的な感性

いい加減恥ずかしいからやめた方がいいぞ

2017-05-11

どうすれば地球上の人全員がいい感じに暮らせるの?

それは無理なの?

犯罪

差別

貧困

怨恨

嫉妬

そんな世界は無理NANO?

2017-04-28

私は「一般人

こうした発言をする人は、自分が正常な「一般人」だという確信を持っていて、うたがうことがない。

個人的怨恨はいささかもなく、そのことをぜひとも念頭においてほしいのだが、こうした発言は、残念ながら「私は無教養バカです」と大声で叫んでいることに等しい。

なにかを知ること、ほんとうに正しいことを知って、尋常な「一般人」にもしなれるのだとしたら、それは、自分知識限定的であることを認めること、自分判断がほんとうは正しくはないのではないか、とうたがいをもつことからしかはじまらいからだ。


戦時中戦争疑義を呈したり、思想犯として検挙された人を「非国民!」とののしった「一般人」は、自分がまっとうな「国民であることを疑わなかっただろう。

だが、1945年8月15日になって、そのような「国民」にはなんの正当性もない、あるいはそんな「国民」はそもそも存在していなかったことを知って、ポカーンと虚脱状態になってしまった。

発作的に泣き出したり、自殺した人もいた。


当時の人々を見て、なんてバカ国民だろうと思うかもしれない。

だが、『自称一般人」』を「非一般人」あつかいする「一般人」は、戦時中「バカ」な「国民」と何も変わらない。

気づけば自分が信じ込まされていた社会認識を疑う、自分のもの見方を疑うという能力をまったく欠いている点で、何も変わらないのだ。


頭がおかしい人の特徴のひとつは、自分の頭がおかしいことがわからないことだ。

統合失調症にかかっている人が「集団ストーキング」の被害を訴えているのを見ると、哀れに思う。

だが当の本人にとっては、それは普段見ている世界への疑いの末に、見出された「世界真実であることに変わりない。

ネットで見た真実」を信じて、陰謀論者になってしまった人を見ると、哀れに思う。

だが当の本人にとっては、それはやはり「世界真実であることに変わりない。

一般人である自分の見ている世界が、こうした哀れな人々の世界と違うことを、論理的説明できるだろうか。


ふとした瞬間、特定人間意図によって、自分が「非一般人」を憎み、攻撃するように仕向けられていたことに気づくとする。

その時の自分は、まだ「一般人なのだろうか。

一般人」と「非一般人」を区別し、自分が「一般人であることを疑わない人は、人を迫害し、殺す。

そして、自分が人を殺したことをけっして認めることがない。

危険なのはいったい誰だろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170428225941

2017-02-25

ここぞという重要局面で、感情に任せて理性的判断が出来ず更なる事態悪化を招いてしま登場人物について。

たとえば敵にトドメをさせないで躊躇してしま主人公とか(逆に生かしておくべき敵を個人的怨恨で殺してしまったりも)、隠れてろと言われたのに仲間が心配とかで外に出てきてしまって攫われるヒロインとか。

昔はすごく嫌いだった。お前がそこで個人的感情を優先させたせいでどんだけの人間迷惑がかかる(かかった)と思ってるんだよとイライラした。

なのに最近、逆にそういった登場人物こそ好きになれるかもしれないと思うようになった。

自分自身が常に理性的な行動を取る登場人物共感しにくくなってしまったというのはある。

人間舞い上がってしまうと周囲が見えなくなるし、心配になれば居てもたってもいられなくなるし、惚れ込んでしまった相手には盲目になるだろう。少なくとも自分はそうだ。そこに論理的理由あんまり存在しない。辛い時は辛い。

感情とは厄介なもので、時に理不尽だ。理性でねじ伏せた上で最善の行動を取ったらそれは物凄い盛り上がるが、逆に感情に振り回されて誤った選択をしても、それはそれでどうにもならないものへの無力さを感じさせられて面白い文字通り人間そんなもんだよなとどこかで安堵し、そしてその誤った選択を取ってしまったキャラクター共感してしまう。

逆にどんな事態でも冷静に状況を把握し、最善手を取ろうとするキャラクターには、むしろ近寄りがたさのようなものを感じるようになってしまった。登場人物全てが理性的な行動を取ることでスムーズに進んでいく物語となると、むしろ自分なんかが読んではならないのではないかというレベルで畏怖を感じる。こうありたい、ありたかったという憧れを越えて、劣等感を抱かされてしまう。

ただ単に自分が、現実のあらゆる(という訳でもないけれど)局面感情に任せて失敗してきたから、そういったキャラクター感情移入というか自己投影するようになったというだけの話なのだが。

だが、だからこそ個人感情的な失敗がある程度許容される物語が好きだし、たとえその結果理不尽なバッドエンドを迎えたとしても、自分はその物語を通して癒されているという自覚がある。これから感情的でどこか不安定物語出会いたいなあと、そんなことを考えている。他者が本当に他者として存在している現実ではあまり許されることではないから。

2017-01-04

私女だけど結婚して家事とか絶対したくない

お父さんのほうが稼いでないのに、勝手有給という名の遅刻早退をしているからお母さんより絶対時間余ってるのに、お父さんは一切家事をしない!

今まで全然気にしてなかったしこういうもんだと思ってたけど、逃げ恥とかに影響されて考えるようになり、すごく敏感になってしまった。あと普通に恋ダンスは覚えた。

お父さん、たまーに洗濯物畳んでいるけど、でも年に数回だよね。

お母さんが夜の8,9時まで働いて帰ってきて、バタバタごはんを作っている横で優いる雑誌読んだり時代劇見たりしている。

バカバカしいなあ。

こんなバカなことってないよ。

から結婚しても、家事を私ひとりでぜんぶ背負うなんて絶対やりたくない。私が買い出ししてごはん作って、食器洗い洗濯旦那がやるみたいなそういう分担がしたいよ。

私は、お母さんが今日仕事して、風が強すぎて帰ってきちゃったよって笑って、また夕飯の買い物に出かけるのが何だか辛くてしょうがなかった。

1日中動き回ってその上また働かなきゃいけないの……

夕飯なんて適当でいいのに……そのへんのパンとかお惣菜全然いいのにって。

じゃあお前が家事やれよってそういうんじゃなくて

お母さんがそれを当たり前としていることがいちばん恐ろしいの!

女の人は、たとえ外で働いていようが夫より稼いでようがぜんぶ家事をやらなくてはならないという堅固すぎる何かを彼女から感じるの!!

からタイトル言葉をうっかり言ってしまったときの反応がまた怖かった。

「なんてことを言ってるの!!!

って、それは言ってはいけないやつだぞお前みたいな、ヴォルデモート的なものに対するリアクションだったから……

あとお父さんが家事を手伝おうとしたときに「いい!いい!大丈夫から!!」ってものすごい早さで防衛するし

私が何かやることない?って聞いてもやらせてくれない。

これはどうやるの?って聞いても技術全然教えてくれないのだ。結局奪うように皿洗いをすることにしているけど他は完全に母親領域……どうする……

私は生まれからずっとこれが当たり前だったから、

結婚しても嫌々ながら、でもすんなり家事を全て引き受けてしまいそうで、そしてパートナー社会に対する怨恨を募らせていきそうなのでとても怖い。

というお話でした。

2016-12-31

これが日本年末

これが年末かこれが年末

鉄道好き、音楽オタク日本好き悪魔巣窟

不良天国良識地獄

もうこれ以上こらえることはできない

ななつ星JR北海道2016年4月14日

あの脱線した新幹線をみて君は何を思ったの

2005年4月25日尼崎の地で死んだ私達の同胞たち

その怨恨を解くだろう

右派グループ鉄道オタクノンポリ

お前ら暴走族もも日本社会

醜悪共犯がでなかったか

これ以上ふざけても私達はだまされない

君たちも解体してあげよう

怒らせたら怖い

学生運動勇者まで呼び出しても

今は終わって元に戻すことはできない

良い話す時退きなさい

崩壊崩壊崩壊崩壊しろ

日本直ちに崩壊しろ

粉砕粉砕粉砕粉砕させろ

正月を粉砕させろ

ボイコットボイコットボイコットボイコットしろ

大晦日直ちにボイコットしろ

糾弾糾弾糾弾糾弾させろ

日本人糾弾させろ

2016-11-12

3月23日日経WiiU生産終了記事が当たった件について

任天堂WiiU国内生産終了が発表されました。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ11H18_R11C16A1EAF000/

ホットエントリーにも上がっていたので皆さまご存知かと思います

私としてはSwitchも発表されたので特に驚きもなかったわけですが、何か忘れているような引っ掛かりを感じていました。

で、考えている内に思い出しました。そういえば日経WiiU記事書いていたなと。

はてブ検索してみたら以下の記事が出てきました。

3月23日記事

任天堂、主力機「Wii U」生産終了 年内にも  :日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXLZO98745680T20C16A3TI5000/

かい時期や国内の部分はともかく、日経記事が当たった形になったわけです。

さて、ここでブコメ欄を見てみましょう。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXLZO98745680T20C16A3TI5000/

飛ばしだとかホラ吹きだとかすごい言われようですね。

この記事任天堂の反応は、

任天堂、「Wii U生産終了の報道否定 「来期も販売継続

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/23/news086.html

同社広報は「当社から発表したものではない」と言い、「生産終了の予定はなく、来期も販売継続する予定」


ということです。このブコメにもあるように任天堂日経記事否定していません。

yorunosuke 4~12月まで生産を続けるのであれば矛盾はしないよね。日経飛ばしだと言ってる人は「来期」と「来年」を混同してるのかな?


http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/23/news086.html

この記事ブコメ欄も日系に対する怨恨がすごいことになっています


今回の国内生産終了記事ブコメ欄ですが、前回の日経記事に関する言及ほとんどありません。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXLASDZ11H18_R11C16A1EAF000/


さんざん飛ばしだとかバカにしてきたのに、当たったら過去暴言を完全になかったことにしている。

これってどうなんでしょう?

ネタとか煽りとかじゃなくて真剣に聞きたいです。

日経のことを嘘つき呼ばわりしておいて、事実だったのにその件に関して何もコメントなしですか?

これからも気に入らない日経記事が来たら飛ばし扱いするんですか?

過去飛ばし記事を書いたからという理由で、気に入らない記事飛ばしだと断定することのどこに正当性があるのでしょうか?

日経記事を見ると馬鹿の一つ覚えみたいに飛ばし飛ばしと書いているはてなの人たちに、私は心底ウンザリしております

皆さまからのご意見お待ちしております

2016-10-15

題材提供

事故事件自由に起こせる架空新聞記事作成できるノートで、世界を変えようとする女性の話

思い付いたきっか

基本的なあらすじ

ノートルール

デ○ノートのパクりとか言っちゃいけない。

2016-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20161011230723

被差別側が嫌だっつーんなら、慎むべきなんだよ

これを続けている限り、というより、これを続けているせいで、差別永遠になくならない事態に陥っているんだけど、それについてどうするの?

個人的怨恨はどうしたって発生するでしょう。「差別用語」っていうのは、そういう時に、怒っている人に、対象侮辱するためのキーワードを与えるし、キーワードから紐付けて、同じ特徴を持つ全員に対する理不尽な怒りを持たせることになる。

 

人類が「個人的怨恨」を持たなくなれば、確かに言葉狩りでも差別はなくなるだろうけどさあ、そんな非現実的な………。

http://anond.hatelabo.jp/20161011220327

それはそれとして侮蔑文脈とつながった呼称を使うのはやめろ、ということだよ。

から、この部分に一切意味がないどころかむしろ有害であると言っているんだよ。

ナスビは茄子ヶ原一族に対する侮蔑語から使ってはいけない」という決まりにしたら、この決まり未来永劫に亘って周知し続けなきゃいけないね

だって、周知し続けなきゃ「茄子ヶ原」なんてのは長いから、誰かが不意に「ナスビさん」って言っちゃうもんね。

そうして、「茄子ヶ原一族は『ナスビ』という呼称差別されうる存在である」と子孫代々伝承し続けることになるの。

そういうふうに伝承され続けている以上、個人的怨恨喧嘩などをきっかけにわざと侮辱的に「ナスビ」を使う人間も出続けるだろうね。

 

茄子ヶ原一族差別される存在である」という文脈を、「ナスビ」を差別用語にすることで却って維持することになるんだよ。

2016-10-07

君の名は。』に限らずアニメ絡みの地方論が置き去りにしていること

君の名は。」が物凄い勢いで流行っている。

興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。

 

それ故に、作品情報ネットをやっていると否応なしに目につく。

ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、

pixivニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。

当然、各種論評も多く、肯定的ものから否定的ものまで、

演出に注目したものから制作体制スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。

自分ネタバレの類を全く気にしない人間なので大丈夫だが、

事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。

 

さて、そんななか自分ツイッターとある記事が流れてきた。

記事の名は、こちら

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの

無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

現代ビジネス 貞包 英之氏)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49807

 

「興味深い見方だった」という肯定的コメントがつけられていたことと、

サイトランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、

いざ読んでみると、

 

「ふむふむ。」

「……ん?」

「はぁ!?何言ってるの?」

 

となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分君の名は。」未視聴なのに!

そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、

ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。

 

※取りあげる記事ネタバレ前提で書かれているため、この記事ネタバレ全開です。

また、重ねて申し上げますが、筆者は原作未視聴です。

公式サイトなどで可能な限り情報収集しましたが、至らぬ点がございましたらご容赦ください。

 

記事主題について

序盤・中盤で「君の名は。」について色々分析しているものの、

この記事の主点はあくま地方論であり、作者の主張はこうである

これはなかなかツッコミを入れたい主張である

特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、

戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。

地方を賛美することへの反省」など、なおさらである

片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、

というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、

さも、地方鬱屈を描き安易地方賛美にNoと主張するのが、

戦後アニメマンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。

 

アニメ漫画地方を描くということ

アニメ地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。

実在風景を背景とした漫画アニメが増えたこと、

それに伴い、聖地巡礼アニメによる町興しが注目されていること、

経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、

などが理由として考えられるだろう。

 

しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。

それは「地方であれ、都会であれ、あくま舞台舞台」ということである

 

原義通りの舞台、つまり演劇での壇上を想像してほしい。

細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果音響がある、

それらが充実しているか、特色だっているかは、作品評価を左右する一要素かもしれない。

しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である

 

まりはこうである

地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。

しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。

 

ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作ゲームで、アニメ化されている作品である

この作品舞台とある架空地方都市

そこは大型総合スーパー進出し、地元商店街がその影響で衰退している。

要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や

実家のために地元から離れられない旅館の娘がいる。

こう見ると、まさにこの作品地方の屈折した部分を描いた作品である

 

では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定留保を付け加える」作品だろうか。

自分はそうは思わない。

 

ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、

この作品リア充ゲーム揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。

主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。

 

ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。

それも違うだろう。

 

この作品テーマ公式サイトに明確に書いてある。

「“推理サスペンス”を題材にしたRPG」だと。

まり地方都市性質描写は極めて重要位置にあるのは確かだが、

それとメインテーマ別にあるのである

 

このように、地方である・都会であるというのは、

舞台の基本設定として極めて重要であると同時に、

舞台の基本設定であるが故に、物語主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。

その舞台登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、

そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである

(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。

 

また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。

良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、

良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である

そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台地域は後味よく描かれることになる。

そして、娯楽作品である以上、漫画アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト

どちらが多いかといえば、それは前者の方である

 

これに加え、

人間、そう簡単地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら

ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。

高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。

背景が実在場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、

一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、

それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、

個々の人物を見ると行動範囲はそこまで広くない。

 

旅行登山ツーリング即売会遠征趣味である

学校行事である修学旅行部活全国大会など)

・身内の都合です(転校など)

・突然ワープしてました

 

これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活から離れて動かない。

からそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。

描かれる街が単一都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、

舞台となる地方物語の展開に連動して明るくに描かれるのである

そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、

記事のようなアニメ地方を考えた論評にありがちな

舞台である=描かれた地方作品の重大なテーマである、という構図は

必ずしも成り立たないと思うのである

 

東京vs地方という二項対立

この記事に対して気になるところがもう一つある。

というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも

違和感を感じ、反論したい部分がある。

 

それは、全体として東京仮想敵としている所である

君の名は。ハッピーエンドの場が東京であったことの不満、

東京が揺らがなかったことへの不満、

壊滅した糸守の人物たちが東京へ移ったことに対する不満、

そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。

東京隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。

 

この観点において、もっと瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である

 

物語あくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京故郷幻想特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。

 

これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。

瀧は東京まれである高校には友人がいて、バイト先もある。

それに付随した人間関係や馴染みの店もある。

ならば、彼の故郷新宿区であるのは明白であろう。

 

東京という町が生まれて150年弱、

高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。

当然、そこで生まれ、育ち、その場所愛着を持っている人が存在する訳であり、

東京まれ故郷のないという構図は非常に抵抗を感じる。

 

というよりも、この作品地方東京の対比が大きな要素でもあるのだから

双方ともに住んでいる街を故郷と思えるような愛着知識

人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。

 

もしテロ地震があり、瀧自身や近い関係人物危害があったら、

もしくはアトラス的何かで新宿が壊滅したら、

それこそゴジラが来て東京全部焼き払ってしまったら。

そして、惨事を避ける手段が目の前に提示されていたのなら。

 

きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。

さも片方に地元愛がないような表現は、私はどうかと思う。

 

地方物語に都合よく変えて消費するな」という意見は、

地方研究している人ならば主張することは正しいと思う。

規模が小さい、独自性があるなどの性質から創作世界において、

物語を進めるための非現実的な設定を地方押し付けられる傾向が強いということは事実である

 

君の名は。においても、神事伝承隕石自治体消滅など、

ファンタジー色の強い部分はほとんど糸守町が担っているし、

栃木弁とも茨城弁とも福島弁もつかないようなアクセント

パロディに満ちた謎の施設人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、

地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、

悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。

地方を味方する立場活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、

作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである

 

しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。

そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。

批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナーテレビ朝日東宝に対して

向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。

地方を「消費」可能商品に仕立てているのは、(所在大都市かもしれないが)

作者および制作組織であり、大都市のものでは決してないのである

 

地方大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。

しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、

という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。

不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。

 

まあ、ガルパンひぐらしの扱いもそれ以上に気になったんですけどね。そういう作品じゃないでしょw

2016-08-23

福原愛準決勝を見ていて漠然と思っていたこ

もしここで福原愛が勝ったら、世の中って希望がないんじゃないかなって思ってしまったということ。

確かに愛ちゃんは才能もあって小さいこからものすごく努力してて、だからこそ日本人なのにあの場所に立つという快挙を成し遂げたのだと思う。

スポーツのために犠牲にしてきたものも沢山あるだろう。

ただ、相手選手である李暁霞を見た時にまずはその規格外な体格に驚いて愛ちゃん負けるな!と思ったと同時に、でも、これで愛ちゃんが勝ったら世の中ってすごく不公平なんじゃないかって思ってしまった。

愛ちゃんかわいい卓球界においては天使のような存在だ。誰からも好かれる性格で、世界中ファンも多い。つまり女の子としての幸せを存分に手に入れている。

もし自分が李暁霞だったら、それでタイトルまで奪われてしまうだなんてことになったら世の中全てに絶望するだろう。

かたや愛ちゃんはまだ捨てきれないものがあって、かたや李暁霞ははじめから持ち合わせていなかったのだから

愛ちゃんのいない表彰台を見て、心の何処かでこの3人にメダルが与えられてよかったと思ってしま自分がいた。

彼女たちは本当に卓球が全てなのだろう。全てを卓球に掛けて来ただけではない。卓球を失えば他になにも残っていないのかも知れないのだ。

リオオリンピック日本メダルフィーバーで大いに湧いて4年後の東京に向けた大きなはずみになったし、これがきっかけで世の中の景気も少しずつ上向きになるのではないかとさえ感じられるほどだった。

誰もがメダルに向かって一生懸命努力をして、それで勝ち取った結果なのだから当然そこに怨恨があってはいけないし、清々しいものであってほしいと信じている。

ただ、もし本当にそう思うのであれば、4年後の大会ではただ自国メダル数を誇らしげに掲げるだけではなく、他国選手日本スポーツ教育の中に数多く受け入れて、他国メダル獲得にどれだけ貢献したかを誇るような大会になってほしい。

福原愛だって中国活動がメインだと聞いている。

日本メダルを勝ち取ることができたのは中国のおかげだったとなるなら、世界未来に対してなんと希望ある言葉ではないだろうか。

4年後の東京オリンピックは、今までのように国の技術力や経済力をひけらかすだけで終わってほしくない。

軍隊を持たない先進国日本からこそできる、国境を超えてメダル獲得を喜び合えるような本当の意味でのグローバルな大会になってほしいと願う。

2016-06-14

サラリーマンのための不倫講座

最近やくざの抗争と同じくらいに、不倫報道が盛り上がっている。

厚生省統計によると、生涯で一度でも不倫をしたことのある人は男女ともに三割程度であると言う。

不倫なんて、単にどこの穴に入れたかどうかだけじゃないか、そう考える方もいるだろう。

傘立てで取り間違えるくらい、頻繁にあることかもしれない。なぜ批判されなければならないのか。

そこで筆者は、これまでのサラリーマン経験に基づき、危機管理コンプライアンス観点から不倫解説しようと思う。

まず、不倫危機管理の面から考えてみよう。

警視庁によると、日本殺人事件動機の一位、実に4割が怨恨、多くが痴情のもつであるさらに、若者自殺する理由は、やはり仕事より人間関係特に恋愛なのだ

危険情事は、身の回り殺人自殺を引き起こす、文字通りの危険行為なのだ

もちろん、飲酒運転人身事故につながると知っていながら飲んでしまドライバーが居るように、不倫危険と知りながらやってしまう者がいる。当の警官ですら、不倫相手殺害容疑で逮捕されるくらいだ。

そう、危険を犯してでも目の前にしかけられたバナナに手を伸ばす、おさるのジョージなのだ

次にコンプライアンスの側面から不倫を考えて見よう。

ばれなければいい、そう考える人もいるだろう。スパイのように顔を使い分け、ただ数時間遊ぶだけなら。

しかし、現実はそうではない。

多くの既婚者が、不倫を始めるとかさむデート代のため家計を使い込み、隠密行動のストレスから言葉なり暴力なり、各々が得意なやり方で家族暴力をふるってしまうのだ。

順調だった会社が、突然給料を出さなくなり、パワハラモラハラの嵐となる。そうなったらどうするか。

再就職する、もちろんそういう道もあるだろう。35歳以下なら、転職市場にでてキャリアアップを目指すこともできる。

しかし年齢がいきすぎていたり、前の会社仕事を引きずっていたら、良い条件での転職は難しい。最悪、日雇い労働だ。



さらフェミニストの方には申し訳ないが、

現在日本では、多くの女は、専業であれ兼業であれ、子育て家事生業として生活の糧を得ている。

女も男同様に稼げればいい、そう思う人もいるだろう。しかし、それを言っていいのはエグゼクティブだけだ。

日本では、男の平均年収430万を稼げる女は上位10%、つまり男でいう1000万プレーヤー

平均的な人生を送っていたら、よほどの運がない限り、無理なのだ

さら離婚となった場合悲劇は女の財布だけではすまない。

日本では、法律上離婚家庭の多くの子供が、経済力の乏しい母親の元で育てられる。

さら離婚した父親の8割が養育費を払わない。揉めた相手に金を出したくない気持ちは分からなくはないが、結果的に多くの子供が母子家庭の中で貧困に陥ってしまうのだ。

不倫不法行為なのは家族人生設計を崩してしまうからに他ならない。

欲望に正直なだけで、身近にいるものが不幸になる、こんな文化理不尽だ。

筆者もそう思う。

不倫を嗜む紳士淑女には、多くの犠牲者のためにも、ぜひ第2のイエス・キリストとなって、裸足で布教の旅に出て、この理不尽制度法律を変える偉業をなして欲しい。

張り付けにされるかもしれないが。

2016-01-28

ネットでの集団的正義感は「行き過ぎている」のか?

最近よく言われるものとして、

炎上が起こった時、実際に犯罪を犯したわけでもないのに、道徳的価値観から集団でのネット私刑ネットリンチが行われている

個人に対しての行き過ぎた暴力であり、問題視されるべきだ」というものがある。

果たしてこれは本当にそうなのだろうか?

考えてみて欲しい。

「皆の食事会で唾を飛ばしまくり、げっぷをしても悪びれず、異常にキツい香水をつけ、そして会計の時だけそそくさといなくなり周囲に払わせる」

このような人が貴方のそばにいたとしよう。

当たり前だが、よほどおおらかな人でない限り「この人と今後仲良くするのは無理だ、食事などもっての他だ」と思うのが当然だろう。

さて、それが食事会に参加した全員がそう思ったのならどうなる?

10人の参加者のうち当人を除いた9人がこの人とは無理だと思い、関りを避けたらどうなるだろうか。

さらに彼らが当人所業悪口を知り合いらに話していったとしたらどうなるだろうか?

話された人も「そのような人とは私も関りたくない」と考えるだろうし、

当人自分が行った行為の裏返しとして、関わった人からもこれから関わるはずだった人からもNGを突きつけられることになるだろう。

ネット上で起きている集団的正義感による私刑、なんていうもの

これがただ規模が大きくなっただけに過ぎないものである

正義感でやっている人も中にはいるだろうが、

その大多数は「私はこの人は嫌いだ、関りたくない」という意思表示を、とても大勢人間個人的に行っているだけなのである

さて、ここで「ネット私刑はやめよう、一度叩かれた人をそれ以上叩くのはやめよう」と言ったところで、

じゃあ大勢人間たちは何をすれば良いのだろうか?

その不快度の高い人間に手を差し伸べてやるべきだとでも言うのだろうか?

その不快度の高い人間のことはもう放っておけとでも言うのだろうか?

人間は逃げ場がある限り反省はしないものである

先ほどの例で言えば、食事の場でマナーの悪い個人がいたとして、

その食事会に参加した人が周囲に話すことなく、個人的にNGとしただけで終わった場合

そのマナーの悪い個人はその会の面々を切り捨て、また新しい面々の食事会に入っていくだけである

そうして少しずつ少しずつ悪評は広まることになるが、当人は一切反省せずに場を転々とするだけだ。

まりネット炎上が起こった時、

私刑(に見える個人的意思表示)をやめろ、というのは、

その当人拒否することなく受け入れろということと同義である

事件で悪く思ったうちの3割が叩き、7割がそれを黙った場合

当人は3割を捨てても7割側が許してくれたと考え、反省もせず改めもせず、7割側の人間不快にさせに行きだす。

7割側の人間にとってみれば、もう向こう側から関わって欲しくないからこそ、当人の行動を非難しているのだ。

それをやりすぎだと咎められたとしても、次被害に会うのは自分かもしれない以上は個人的に叩くだろう。

炎上の仕組みは簡単なものだ。

まず当人が行ったことがどれだけの人間に受け入れられ、どれだけの人間批判されるかという所から始まる。

見た人のうち9割が賛同する内容なら炎上はしない。

見た人のうちの6割程度が賛同するだけでも炎上はしないだろう。

見た人のうち8割近くが批判する立場になるような、そういう不快な行動をとったからこそ炎上するのである

「煙のない所から火が立つような炎上」こういう表現も時折されるが、これは間違いである。

そもそも本当に何も問題を起こしていないのであれば、火は広がらないからだ。

「このようなことは批判されるべきだ」という人が火を広げるし、「別にこのくらいなら許容範囲」という人が鎮火させるのである

本当に煙のない所に炊きつけたような炎上であれば、それに騙される人は確かにいるだろうが、

大多数の人間は「これ何も問題ないじゃん」と考え、火は広がらない。

個人的怨恨を持った極々少数の人間が、小さなコミュニティに留まって焚き火をしてる程度の、

炎上とは一切言えない小さなものに収まるのである

炎上と言えるほどに多くの人間非難するということは、実際にそれだけ人を不快にさせる行動をとったということである

多くの人間が関わる為、それを「一致団結して蹴落としてやろうとする特定集団がいる」ように見えてしまうのかもしれないが、

実際に集団存在する場合もあるが、そのような「集団的に」批判する人間の数は少ないもので、

さな集団と、集団には含まれないその他大勢がいるだけで、「個人的に」嫌だと各々が呟いているだけに過ぎない、ということだ。

さな集団けが立ち、その他大勢同意を得られないような火は、先ほど述べたようにその集団内だけで焚き火をしている格好になる。

結論として、「行き過ぎている」とは言えない。

行き過ぎているのだとしたら、それはそれだけ大勢人間不快にさせた当人の行動が行き過ぎていただけである

行き過ぎたことをしたら行き過ぎたことをされる、まだ許容できる範囲なら周囲にも許容してもらえる、当然の話だ。

2015-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20150829085753

穢れがあるとすれば、現代の生けるタタリ神たちに群がられてしまったこと。

もの道理と、ことの是非の別をひたすらに拒絶して、憎しみを塗り付けるモノたち。

穢れた、穢れたと哭く声は瘴毒の呼気とともにあり、

禊を、禊をと伸ばす指肢の皮膚は業で溶け、

証を立てよ、と見開く眼は怨恨の炎に焼かれてすでに焦点を失っている。

おそろしいおそろしい。

2015-08-17

いずれどこかで正義の鉄槌を下されて炎上しそうなこと

結論から言おう。

みんな、海外旅行土産を買ったりしてネットだけでなく職場友達に配ったりする時とか、

律儀に税関の検疫所ではんこもらった方がいいかもしれないよ。

海外出張やら旅行やらでの持ち出し持ち込みについて関税法に厳密にはひっかかる奴を指摘されて、

うっかり炎上したり社会的制裁を加えられたりしちゃうかもしれない。

コンプライアンスだの何だので、別に暴行だの盗撮だの分かりやすい奴じゃなくて、

著作権絡みでP2Pやらトレス疑惑とか、道交法で1km/hでも速度違反だと何とかとか、

今のところ違法化後のはっきりした炎上はまだ出てないけど児童ポルノ単純所持とか、

ネット正義の鉄槌を下されて炎上してることがいろいろいっぱいあるけどさ、

自分に少し関係しそうなことでこれも何かのきっかけで燃えそうだなと思ったんだ。

偽造品や麻薬なんかは論外になるけど、食品でも加工品は分かりにくいものがあって、

税関対応規定の書き方も曖昧で気分にすらよる所がある。

非親告罪になるとか何とかは先の話として)著作権保有者側に問い合わせたらヤブヘビになるのと同じ感じ。

アメリカシンガポールへの持ち込みなんかタイミングが悪いと

お菓子でも特別食でも肉のエキスラードが使われてたら没収で虚偽深刻すら取られることもあるけど、

あれって本当に気づかれなかったらスルー

持ち込みだって仮に律儀に空港税関検査を受けた場合ですら

グレーな部分だと結果が場所時間ですら変わってしまう。

でも、例として日本への持ち込みは時効が目いっぱいで考えると最長で7年だし、

罪も以外に軽くないので、(参考:http://www.customs.go.jp/shiryo/batsujo.htm

何かみやげ物とかを無頓着に公開したら、怨恨でもとばっちりのような物でも、

その気になれば実際に罰せられないにしても社会的制裁を与えられそうなんだよな。

(参考:http://www.maff.go.jp/aqs/tetuzuki/product/aq2.html

禁止対象は種類によっては乾燥品でもだめ、加熱しててもだめ、

おみやげ個人消費用の少量であってもだめって明示してあるけど、

実際現物を見せても缶詰やレトルト、封止された乾燥品なんかでも、はんこ付きでちゃんと通ったりするんだよね。

本気で当てはめればグレーではなくちゃんと罪に問われちゃう可能性が十分あるし、

これからどこで目を付けられて火を吹くか分からないから

コソっと虚偽申請(申請用紙にいいえに全部チェックとか)とかもケースによってはやばいよ。

これからの世の中、今まで緩かった部分で何がどうなるか分からないからね。

めんどくさいけどね。自分海外によく行くし好きだからいやだけどね、こんなめんどうなのは

2015-07-23

[]日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種

[チョン・ジェハク コラム]平壌ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!

2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員

今でも鳥肌が立つのは、私たち民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本私たち民族に対する悪意は先に天だと見る。

日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本私たち民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省姿勢で如実にあらわれるというだろう。

そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。

特に亡国的だと呼ばれる地域感情日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たち日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。

1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たち民族永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。

日本1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民略語)をたてて、私たち民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神抹殺するために学校私たち国語を奪ったし、伝統文化に対する否定的意識を教えた。

花札流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たち怠惰国民に成っていった。

しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件日帝植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。

民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。

同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。

これに対し日本は湖南(ホナム)排斥目標地域感情生産し始めた。

植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。

日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝韓半島を離れて私たち民族大同団結あざ笑うことになったことだった。

湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。

日帝が狙ったそのままであった。さら全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。

暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。

そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道キョンサンド軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。

その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国葛藤実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。

日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初北朝鮮対南工作にあって、その次がまだ地域差別実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。

筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情日帝陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。

もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。

私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮自由民主体制に移ってくることができる。そして私たち韓国北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。

したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たち民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。

原文 韓国語

http://www.dailyjn.com/news/articleView.html?idxno=27662

エキサイト翻訳

http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.dailyjn.com%2Fnews%2FarticleView.html%3Fidxno%3D27662&wb_lp=KOJA&wb_dis=2&wb_chr=

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