はてなキーワード: 自分本位とは
最近なかやまきんに君への善性の押し付けがすごいというか・・・
「誰も傷つけない笑い」みたいなレッテルをめちゃくちゃ貼られてる気がする。
でもあの人、そこまで純粋に良い人ではない・・・と言うか普通の人と同じくらいには自分本位だし、なんなら周りの人間を笑顔にしたいみたいな願望もそこまで無いように見えるんだよね。というか、他人に対して何かを与えたいという望みは全くない感じがする。
彼自身に誰も傷つけずに面白い笑いをしたい、という思いがある上で面白いのではなく、 彼の面白いネタに対して我々が誰も傷つけていないという要素を見出しているだけ。
なので勝手にきんに君に”善”のレッテルを張るのはやめてあげて欲しいと思う。
霜降り粗品のギャンブル、せいやの性欲みたいな分かりやすいクズ?下品?項目が無いというだけで、急に清廉潔白の筋肉だけを愛する人間として祀り上げないであげたい。
そういうの含めて権利者の裁量で著作物をどう扱いたいかを決められるってことよ。
著作物を売りたいなら締付けを弱めればいいし、別の意図があるなら小学生だろうが何だろうが取り締まればいい。
それを現状そうなってもいない意味不明な過程を持ち出して「ってことになる」とか何の話してるんだ?
論点のすり替えなら下手すぎるし、真面目に言ってるなら論ずる価値もないアホにしか見えん。
お前が言ってることは「俺が望むことを実現するためなら他者を害しても構わない」ってことだよ。
はてなーは
俺ビックリしたよ。
絶対コイツらともう作品の感想語りたくないって本気で思っちゃったもの。
たまにいるじゃん映画終わったあとの感想語っても、自分は凄い自慢に持ってくことしか考えてないから話しててめっちゃつまらないし噛み合わない奴ら。
それにしたって遠目で見てる分にはマウント合戦のための知識自慢が参考になったりするけど、もう今のはてなーって何の論拠もなく自慢だけするんだよね。
これはあの映画のこういう場面を参考にしていて、あのセリフはどこそこからの引用なんだって話ぐらいはしてから偉そうにしろって。
「自分は凄くセンスがある」っていう自分本位の大前提をいきなり持ち出して「それに沿っているからこの作品はセンスがある(ソレに沿ってないからセンスがない)」だけ言ってドヤっていく。
こんなん幼稚園児がママに「今日のカレーは甘すぎた(辛すぎた」と言ってるのとなんら変わらねえから。
それでなんで「ふふーん俺様の完璧なレビューが決まっちまいましたね」って顔してるのが完全に意味不明。
しかも何が意味不明って他人の脳みそに考えてもらう癖のついた人達が「あっ、じゃあ俺もその感想に乗っかります」って一口馬主みたいに☆入れまくってトップブコメに押し上げてること。
お前それでいいのか?
ドン引きと失望、いや侮蔑や嘲笑が主成分になっている感情が次々湧き上がってきた。
そうなんだ。
前からちょっと変な人達だと思ってたけど、この程度の連中のくせにあんなにも偉そうだったからいつもいつも物凄く歪で的外れだったんだなって確信に変わった。
本当に気持ち悪いよ。
書き込む前に自分のコメントが、他人から見て意味不明じゃないかを確認した方がいい。
自分の顔を鏡で見ないで手慣れで化粧をして、それをチェックもせずに街を出歩くようなもんだよ。
気づかないうちに眉毛片方切り落としてるのに本人だけが分からないで会社に行ってるような状態だよ。
それを見て「ぷぷぷ、本当にお似合いですね」と言われて「そう?いつもどおりだけど」って澄ましてるような気恥ずかしさ。
共感性羞恥だっけ。
君たちの言い方だと。
フェミのツイート、見てて割と理解できるけど頭の中で常にサンドバッグとして変換されてるから殴りたくなる。
理解できてしまうってことがストレスになって、反射的にスマホを投げ捨てて庭の地面を殴りつけるんだよね。その時、脳内で彼女らを虐殺する映像が流れる。孕ませからの腹パン、爪はぎ、公開処刑、そんな感じ。えぐい鬼畜エロ同人みたいな感じ。
やり方さえ間違えなければ彼女らは理解されていたはず、色眼鏡を外して何がいいのか悪いのか判断した方がいい。偏見を外すためにジェンダー論界隈のツイートを見るけど、すぐにストレスでやめる。これを続けたら本当にフェミを襲ってしまうのでは?という感情があるけど犯罪を犯すことに無頓着なのか、フェミを理解して自分を浄化させることしか頭にない。つまり自分本位な人間だ。
流石に元気な時にブロックとかして常に目に入らない心掛けてる。ただ、見るということだけはやめられない。
いかにその車両が珍しいか、そのイベントがどれぐらい特別か、完璧な写真を撮れたらどれぐらい嬉しいか。
見かねた誰かが他の趣味に喩えて煽って見せたが撮り鉄は動じない。
撮り鉄という趣味にどれぐらい歴史があり、どれほど社会的に価値があり、どれほど認められているかを語るのだ。
そうして他の趣味で迷惑行為をするのと撮り鉄が迷惑行為をするのとでは違うと語るのである。
彼の言い分たるやまるで撮り鉄が写真を撮るたびにこの世界が大いに豊かになると言わんばかりなのである。
なんということだろう。
彼は自分が幸福を感じた所で他の人間がそれを無条件に共有しないことを理解しないのだ。
お前ば彼の言動はたびたび極めて自分本位なことを平然と当然で必然の如くごく自然に思考していることを滲ませるのである。
彼の都合を世間が最優先するのは当たり前という赤ん坊や一人っ子のような考え方のままで体ばかりが大人になっているのだ。
そういえば顔つきはどこか子供じみていて肌艶だけが年相応に衰えている。
なるほどあれがいわゆるオタクの宇宙人面というものなのかも知れない。
こんな妖怪変化のたぐいがうようよいるのだろう。
なるべく「ラクで楽しく生きたい」というのが生き物の習性であり、人間も例外ではない。
人間が自分本位で他の生き物の命を必要以上に奪っているのは事実。でもそれが無いとスーパーで魚の切り身をリーズナブルに買うことすらできない。
そこはもうある程度思考停止しないと人間社会で「ラクに楽しく」生きていけないのよ。
でも心の中でちょっと引っかかる部分はあるから「いただきます」で供養した気になって気持ちをごまかし、それ以上の事は思考停止するからこそ日常に戻れる。
いわばマニ車と同じ。
増田の家のトイレが壊れたとして、修理業者が生き物全てを救う事を考え出して、一向にトイレが修理されなかったら、増田は家でクソする事さえできない。
昨日か一昨日、『文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え』のエントリを書いた人間です。
でもめっちゃ風評被害をまき散らしてしまったので、ちょっとだけ冷えた頭で過去を捉えなおした記事を書きたいと思いました。
あれを読んで嫌な気持ちになった人に謝れるわけではないし限りなく自己満足ですが、ネットの海に放流しておきたかったので。
就活で心が折れてしまった上に、俺の性格が極端で未熟だったことによるところが大きい。
確かに、客観的に見れば貴重なことを文学部で学んだのかもしれない。
文学部の人や人文学に触れたことがある人は知っていると思うが、文学部は感想文を書き散らすところでは断じてない。
まずは対象となる作品に触れて、自分で疑問を発見したり、隠されたものがあるのでは?と気づく。
そしたら、その疑問や発見を足掛かりにさらに深くテクストを読み込み、適切な研究書・論文を探して読んで根拠を集める。
必要な場合は、過去の理論を適用して新たな気づきがないか探したり、自分の立場を明らかにする。
そうして根拠を十分集めて、最初の疑問や発見に対する結論を導きだす。これが俺の学んだ手法。
思い出してみれば、自分は一年生の時から成績がよかったわけではなかった。
なぜなら入学当初、課題発見力が限りなくゼロに近かったから。お得意の受験勉強では全く何もできなくて、最初に書いたレポートは散々でした。
で、レポートを書けるようになりてえと思った。正直言うとその動機はお子様なもので、アカデミックな論文が冷徹に真理を追究してるみたいでかっこよく見えたから。
まあ悔しかったのか文学が好きだったのか、今ではよく分からんがとにかく少しでも大学の学問に触れたいと思って、そこから色々やった。
教授に質問したり、レポート上手い友達にどうすればいいか助けを求めたり、『レポートの書き方』とかロジカルシンキングの本を読んだり。
それで成績が上がったんでした。
コメントでも指摘があるように俺は自分の評価を限りなく外部に依存する悪癖があり、成績を自分の判断基準にしすぎというのは真っ当な指摘です。
でも、その外部からの評価を得るために自分でいろいろやったなあ、ということをガン無視していたので、それはちょっと認めてもいいのかもしれないと思った。
ということで、もらったコメントを受けて考えてみれば、文学部に行ったから俺の未来がどうこうなんじゃなかったということです。
それどころか、文学部で勉強して知った「テクストを客観的に読んで課題を発見し、資料を参考にしながら結論を出す」という手法はどこにでも通用する教訓なのかもしれない。
いや、そうじゃないかもしれない。俺は社会に出てもいないし、就活にしても本選考が始まったわけではないし、本当に社会に通用するのかは今知りようがない。
とにかく考え直してみた結果、俺は価値ある学びを身につけられたのかもなあ、と思った。
文学部の人、文学部に行きたいと思ってた人、すみませんでした。グチャグチャメンタルで軽率に貶したりして、本当に馬鹿でした。
この謝罪は読んだ人への媚び売りではなく、もらったコメントを読んで自分の学んだものの価値を思い出した結果だと思っている。多分。
これが万人に通用する真理かどうかも知らない。今のところの自分の結論というだけ。まだ未熟な部分が腐るほどあるんだろう。
・ただ文学部は関係ないけど、俺がやらかしたことに変わりはない
そうは言ったところで、俺が人付き合いから目をそらしてきた事実は変わらない。
なので、自分がゼロ地点にいることを自覚したんだから、今度こそ自分でなんかやろうと思った。
今の時点ではまず進路をどうにか決めるのが先だが、その先はバイトかボランティアがグループ立ち上げか、とにかく人と会わなきゃと思う。
がむしゃらにただ会うんじゃなくて、自分と相手の対流みたいなもんを作ればいいのだろうか、よくわからないけども。
しかも、あれだけ叱責のコメントをもらってすら未だに周りの人間を恨んでいる節がある。
ただ、これもコメントにあったことだが、実際には「コミュニケーションをとれ」というアドバイスをもらいながら目を背けていただけの気がする。
自分には合わないから!机に向かってれば楽だから!そういう自分本位の理由でアドバイスを無駄にしてたんだろうな。
それで俺に愛想をつかした人、多分たくさんいるだろうと思います。
あと根本的な問題点として何かに失敗するのがどうしても嫌というプライドと不安があるのも分かった。
なので失敗したら引きこもるのではなく、どこがダメだったか考えて再試行するのを人付き合いで繰り返そうと思う。怖いですが。
「勉強を頑張れるのは一つの長所」という励ましのコメントをくれた人が数人いました。今はまだ大事なものを取りこぼしたしくじり感が強いけど、将来「勉強したことが血肉になってるんだな」と思える日がくればいいと思う。
その一方、「ガクチカでそれを書けばいいじゃないか」というコメントにはあまり同意しない。
なぜなら、就活本に書いてあったガクチカについての説明がとても筋の通ったものだったからです。
就活始まってたくさん読んだマニュアルの大半には、「ガクチカに大学内でのことを書くと視野が狭いと思われる」という指南が書いてあった。
そして具体的なアドバイスとして、「社会人としての素養=コミュ力、社会性をアピールするため大学外部のことを書け」という対策が書いてある。
だからみんなサークル・ゼミのことをアピールするのは極力避け、アルバイトやボランティアのことを書こうとするんです。
これは筋が通っていると俺は思う。なら、上に書いた文学部での学業はガクチカとして不十分だ。特に俺はほとんど一人で動いてしまったから、社会性とコミュ力のアピールにはならない。
で、その上でガクチカをどう書くかはまだ決められてません。とりあえずキャリセンと外部の講座に頼ります。
・自分語り(コミュニケーションが苦手、人格が幼いことについて)
これを治せないのかは分からない。
ただずっとコミュニケーションが嫌いだったかというとそういうわけではなくて、その方法を限りなく間違え続けたあげく人間関係で病んだのがきっかけだった。
小学生の時にいじめを受けていて、それで辛い人の気持ちが分かったつもりになった。
で、自分は優しい人でありたいと思ったので、それ以来誰彼かまわず相手に尽くしまくった。
ただ人格形成が遅かったのか、はたまたその時から他責性格で自分の成長を怠ったのか、自他の区別がつけられず優しさと甘やかしの違いが分からなかった。
その結果メンヘラ製造機になり、それを抱えきれなくて自分がメンヘラになった。
横になって壁見ることしかできねえ何もできねえ何も食えねえみたいな時期が続き、高校で教室に行けなくなった。
精神科には行かずにスクールカウンセリングを一年ぐらい受けたけど、結局克服には至らず。
で、大学に行ったらぼっちを謳歌するぞ、友達なんかいらないぞと思って、それを実行した。
ここで周りの「他人と向き合え」というアドバイスが実際あったのに無視したとすれば、それがさらに人格形成をサボる分岐点だったんでしょう。
上で「友人にレポートのアドバイスを聞き…」と書いたように、確かに数人は大学の友人がいる。しかし自分から全く外部に行かなかったので成長できてないんだと思う。
根本的な原因としては「甘やかすことと優しくすることの違いが分かってない」=「自分がない」なんでしょうか。
ただしばらく考えてもこれを解決する方法が分からない。でも今まで頭でっかちで失敗してきたのは確か。なので今までの沈考から趣向を変え、トライアンドエラーを繰り返す方式で他人と関わろうと思う。
大学生になる人、俺みたいに「人間関係しんどいから一人でいるぞ!」って逃げずに自分から人を見つけに行け、めちゃくちゃ遠回りすることになるから。
・で、将来どうするのか
明確には決められていない。決めたことは、
2.キャリセンなりガクチカ講座なり行って、相変わらず涙目になりながら自己PRの文章を助けを得つつ書く。
(3.橋にも棒にもひっかからなくて全滅したら、大学に推薦があるか聞きにいったり、お金ためて来年の公務員試験を狙ったりする。)
これで全部。
コメント読んでて確かにそうだなと思ったのは、そもそも文学部選んだのだって、恵まれた環境があって自分で決めたんだろうということ。
もうこれは客観的に見てそうなんだろうけど主観的にはまだ周りを恨む他責思考が抜けきってない。改心するのは時間がかかる。
本好きだなあ、もっと知りたいなあ、文学部行きたいなあ、って思った高校生を周りが尊重してくれた、というのが事実なんだろう。
今「尊重」と書いてて思ったけど、周囲の人たちは「文学部は通用しないと知りながら黙ってた」ではなくて、「周りの忠告も聞こえないぐらいなら尊重してあげよう」と思ったのだろうか。
入学して学業の難しさ、つまり「本好き」だけでは文学研究は成り立たないことを知ったわけだが、学業の入り口の入り口ぐらいには立てたと思うので、本懐を遂げたと言っていいのだろう。
・まとめ
一言で言うと、「恵まれた環境にあぐらをかいている+おそらく価値あることを学んだのだろうが、価値を自分で認めきれない+学んだことの活かし方が分からない+今まで逃げてきたことのしっぺ返しを食らってパニクっている」ですかね。
座学じゃない勉強が足りねえんだわ。
これからどうするかは決められてません。大学三年間ずっと他人との向き合い方を学びませんでしたから、未だに絶望感はあります。
ここからは周りに甘えた上に責任転嫁するのはやめて(そもそも周りの責任じゃなかったような気がしてきたので)、自分の人生ここからは自分で何とかするって気持ちでいたい。
風にも負けずクソリプ
丈夫ではないが欲だらけで、常に苛立ち、いつも下卑た笑みを浮かべながら今日もトロール行為
一日にインスタント食品か近所の飯屋の塩分だらけの飯を食いながらスマホ片手にゲームで迷惑行為
あらゆる事を自分本位で考え、見たり聞いたりせずにソース不明な情報を拡散したり煽りに用いる
うらぶれた市街のやっすいアパート一室にてメシと仕事以外は常にPCの前に居て
東に病気の子供あれば、「こいつコロナだ!みんな拡散しろ!こいつの個人情報を晒しあげろ!!」と子供が死を選ぶレベルに追い詰めるネットリンチを扇動し
西に疲れた母あれば、その様を隠し撮りして「【悲報】底辺ババア、肉体労働しかできないwwwwwwwwww」とスレ立てて晒し
南に死にそうな人あれば、闘病ブログに「お前はもうすぐ死ぬのになぁ」「死後の世界なんてないよ?無だけwwwww怖いなぁwwwww」と不安を煽るコメントを大量につけつつ、機会があれば直接出向いて同じ事を言って死への恐怖を煽り
北に喧嘩や訴訟があれば、それを更に煽って界隈が焼け野原化したり公式がIPを畳んだり、リアルでの殴り合いみたいな事件に発展するように仕向け
日照りの時は陰謀論をネットに振りまき、寒さの冬はやっぱり陰謀論をネットに振りまき
褒められはしないが苦にはされ、死を望まれる