はてなキーワード: 夢の続きとは
亡くなった私の母は、ガンガン理屈で詰めてくるくせに、隙を見つけて反論すると今度は感情を爆発させてヒステリックにまくしたてると言う、最強強靭無敵の人で、私も随分泣かされたものだった。
今朝、父がバイト先で学生バイトをいじめていることが発覚、家族会議が開かれる流れとなった夢を見た。父は逆に完全な口下手で、家族会議とはすなわち、母による父への公開処刑に他ならない。
漫画のような勢いで跳ね起きて、それが夢であったこと、母はもう亡くなっていることを再確認したが、夢の続きを見るのが怖くて二度寝はできず、朝3時から寝ることも起きることもできず布団の中で震えて過ごした。
これが四十代独身極限ワープア男性の待ちに待った日曜日の朝かと思うと、悲しくて泣けてきた。ケモキュア、私の心を救ってくれ。
フジファブリックの星降る夜になったらを聴いた。
なんか自分が音楽に期待してたものの全部があるような気がした。
もっと覚めた夢の続きに期待していたいし、言葉の先を待っていたい。
そういう気持ちを大切に抱えながら生きていたいけど、目先のくだらない生活に圧し潰されそうだ。
最近の死にたい気持ちと不思議と結びついて、これ聴けたからもう死んでもいいかなって未練みたいなのがふっと薄れた。
これ聴きながら死んだら気持ち良いかな。志村正彦に会えるかな。
大切にしてる気持ちを最後まで大事に抱えたまま死ねたらどれだけ良いことか。
そんな事ばかり考えて現実逃避してる。そうしてるのが一番落ち着く。
どうせ死ぬ勇気なんてないし、考えるだけ時間のムダ、と思って蓋をしてきた。
でもその蓋に重しをできるだけのものがもう何も残ってない。
今から積み上げていくのももう面倒臭い。努力は疲れる。見返りもしょっぱい。
どの色が欠けてもこの夢の続きは描けないからと歌っていたのに、2年後に1人卒業して5人組から4人組になっても活動を継続しているももいろクローバーZ好き
友人に誘われてピンサロに行った。そこはスーパー銭湯の様な外観で、国道沿いのドラッグストアの前にあり、かなりオープンだった。
自分についたのはポニーテールに眼鏡の女性でとてもかわいかった。千と千尋の神隠しに出てくる大浴場の中にすりガラスで仕切られた大きめの浴槽があり、皆そこで楽しんでいた。
自分もそこに入った。もじもじしているとその女性に脱がされ、2人で浴槽へ。
後ろから女性に抱きしめられ、耳を舌でレロレロレロレロとリズミカルに舐められ、右手で息子をしごかれた。
夢とは思えない気持ち良さだったが、なんとそこに服を着た友人と、制服を着たEXITの様な店員2人が乱入してきて、「ちょっとお客さん!本当に困りますよぉ」と店員2人が心底困った様子でこちらに訴えかけたきた。
今取り込み中だからとはいえない雰囲気で、自分は渋々服を着た。女性は出て行った。
どうしたのかと聞くと、「困りますよぉ」としかいわないEXIT店員。何回か聞いてようやく理由を話してくれた。昔のドラッグストアの入口に車を駐車されたら困るというのだ。
「いや、自分の車はちゃんと駐車場に止めた」と主張しても、店員はあそこに車を止められては困ると一歩も引かなかった。しょうがないので国道沿いのドラッグストアの入口に行ってみると、確かに大きな車は止まっていたが、自分の車ではなかった。
自分は怒りに肩を震わせながら店に戻り、再び入口から入り、着物にハンチング帽をかぶったBEGINのボーカルの様な店長にクレームをいった。
店長は大変申し訳ございませんと丁寧に謝罪をしてくれた。その途中お店に電話が入り、別の店員が店長に「店長!主人が亡くなりました!」と伝えて涙する一幕もあった。
自分は今後この様なことが無い様オペレーションをきちんとしてほしいと伝え、「で、どうするの?」という雰囲気を出した。
もう1回あの女性と楽しませてくれるのか?無料で?どうなの?と店長の口から言わせようとしている所で目が覚めた。
今でも誰かの
上辺ばかり気にしてる
その姿を指差して
笑って気付けば
鏡の中の自分だった
少し老けたおばさんなのに
全員注目してるらしい
脅された
今の職場で
何が正しいの?誰を救ったの?
知らぬうちにまた一つ
鬱憤を溜める
どこが駄目なのかな
すぐ否定されるね
私の年収を
覚えていますか?
そしたらもう
風に溶けて消えるだろう
今更何に変わろうが
ノートを黒く塗りつぶして
暴かれたらきっと終わり
永遠にもう会えない
何もかも
どこへ行きたいのか
わからないまま
逃げ出せば良かった
私はもう私じゃ居られないから
張り付けた笑顔で笑ってたんだ
怒号の飛び交う職場で
全てのミスを拾いながら
悲嘆にくれる日々
せめてあと一週間
親切さで
今はもう苦しくて
当て付けにされてるだけだけど
支えると言ってた人が
今更裏切り始めたんだ
靴を舐めるなら許すと
そう言って歪な笑みで
生きていくんだ
それだけだ
暑さにやられそうな都心の
オアシスは干上がった
ここには何もない
今は地球上どこにも
居場所なぞなく、輪に入れず
卑しい身分のまま
手を擦り合わせてる
音楽も聞こえない
忙殺されて、ひしゃげた
堅苦しい夢の途中
終わることもなければ
始まることもない
ただ胎のような、青空を蹴った
小さい頃はほぼ毎日悪夢にうなされており、寝るのが恐怖だった。押し入れで寝てみたり、ぬいぐるみと寝てみたり、友だちが旅行土産でくれたリーンと澄んだ音が鳴るペンダントを着けて寝たり、色々試したが悪夢からは逃れられなかった。恐怖のあまり夢の中で気絶して目が覚めるため、ぐっしょり寝汗をかき、恥ずかしながら夜尿症もあった。悪夢が避けられないなら、なんとかして夢から脱出するしかない。夢の中で「これは夢だ!これは夢だ!」と念じながら目を閉じて開いてみる。ひたすら訓練していると、全然ダメなときもあればただ違う悪夢に移行することもあったが、中学に上がるか上がらないかの頃には、7〜8割くらいの確率で成功するようになった。成功率を上げるコツは、寝る前に、天井や部屋の風景を記憶すること。夢の中で目を閉じ、それらの風景を思い浮かべながら目を開けると、成功することが多い(と思っているだけで、実際はとてもリアルな風景の別の夢に移行している可能性はあるが、悪夢から脱出できているなら成功とカウントする)。
高校卒業後、一人暮らしを始めた。歳を重ねたことで精神が安定したのか、勉強してバイトしてどっと疲れて深い眠りにつくようになったからか、気楽な一人暮らしでリラックスできたからか、悪夢を見ることは大幅に減っていった。当然ながら憂鬱な夜もあり、その日はほぼ確実に悪夢となるが、この歳にもなると慣れてきたもので、9割ほどの確率で悪夢から目覚めることに成功する。そこで気づいたのだが、眠るのは楽しいというか、幸せだ。目が覚めるとよくわからないが頭がスッキリしている。パソコンの不調が再起動で直るのも人が眠るのも同じ仕組みなんだろう。布団に入り、あとは寝るだけだと思うと、ほとんどの日は楽しい。しかし、残念ながら楽しい夢から”覚めてしまう”ことも増えてきた。夢から覚める訓練をしすぎたからか、夜通し眠れた試しが無い。えちえちな夢にて、いざ…と思った途端に、後頭部が天高く吸い上げられるような感覚に襲われたが最後、目が覚めてしまう。そのときは、悔しくて悔しくて、何度も歯を食いしばった。
その日も、えちえちな夢の最中に天へ召される感覚があった(”昇天”していないにもかかわらず、だ)。完全に意識は覚醒してしまったが、あまりに悔しくて目を閉じたままえちえちな夢の続きを妄想していた。この状態を”夢うつつゾーン”とする。ここ夢うつつゾーンでは、意識は一応覚醒しているので妄想は続いており、身体も動かせる…と思っているのだが、実際には身体は眠りについているようで、”意識の中で体を動かしている”状態になる。具体的にいうと、実際にはちんちんに触れていないのだが、触っている(触られている)と脳が勘違いしており、その感触も非常にリアルである。しかも、実際に触る(触られる)よりも遥かに感度が高くなっており、異常に気持ち良い…あれ…これヤバイかも!?……と目が覚めると、あれこそしていないものの、我慢汁がすごいことになっていた。童貞時代にこの夢うつつゾーンの快感を覚えたことでしばらくどハマりし、初の対人行為の機会に恵まれた際、「良いは良いけど、期待してたよりは…」と勝手に失望してしまった。相手に申し訳ない。
数年後、そういったことをする相手もおらず、Twitterで素人のハメ撮りを漁っていたら「脳イキ」している女性を見た。そういったジャンルのAVがあるのは知っていたが、白目とか絶叫とか全く興味が無いので完全に無視していたジャンルだ。しかし、その動画はそれらのイメージとはあまりにも違っていた。俺が夢うつつゾーンでえちえちタイムを楽しんでいるときの感覚と、その女性のイキ方が、妙にシンクロするというか、親近感しか無いのだ。動画では、散々イカされた後、簡単な催眠術のようなものをかけられた女性が、おもちゃも何も無しにしばらくイキ続けていた。催眠術(笑)演技(笑)と、大半の人が思うだろうが、あれはおそらく本当というか、俺の知っている夢うつつゾーンと同じ…。いつものあれが、まさか脳イキと呼ばれるものだったとは。とゆーか、夢うつつゾーンにいながらも他者の性的介入がある状態なんて、そんなものは、気持ち良すぎるのではないだろうか?羨ましくて羨ましくて、歯を食いしばりながらシコった。
この経験を踏まえ、今自分が覚醒しているのか夢うつつゾーンにいるのかきちんと把握したいと思うようになった。夢うつつゾーンギリギリの所で実際に手を動かしてシコれたら、さぞ気持ちいいだろうからな。目を閉じてうとうとしつつ妄想しつつ全身に神経を張り巡らせていると、眠りにつく前はまず四肢の感覚がなくなると気づいた。この状態で手を動かす(と思い込んでいるだけで実際には動かせていない)。ちんちんに触れると───感度3000倍。というのは言いすぎだが本当に気持ちよくて仕方がない。もうこのまま目が覚めなくてもいいとすら思ってしまう。この、四肢の感覚がなくなったかのような感触に気付けると、脳イキへの道は近い。電車で疲れていつの間に半分寝てた!なんてときがあるが、俺調べだとあのときは結構四肢の感覚がなくなるくらい気持ちよく半寝できているので、ぜひ一度意識してみてほしい(当然だが電車で脳イキ試すのはやめてくれ)。
昔はよくうさんくさいテレビ番組で芸能人が催眠術にかけられていたが、多忙で睡眠不足な人が催眠術にかかりやすいというメカニズムは今となっては理解できる。ああいうのの中にも、マジで一瞬かかってる人は案外いるのかもしれない。つまり俺が言いたいのは、脳イキを手伝ってくれる店があれば教えてほしいってことと、同じようなことをしている同士とか睡眠不足の人とかは催眠術かかりやすいだろうから気をつけていこう、ってことだ。
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
さて出かけようと、マンションのエレベータに乗り、下りボタンを押したら、足元に紙が一枚落ちていました。
何かなと思って拾い上げると、それは楽譜の一部でした。たぶんコピー機で教則本か何かからコピーした数枚のうちの途中の一枚で、
ふーん、なんの曲だろと思って見てるとエレベータが1階についたので、その紙を持ったままエレベータを降りました。
女性「あのう、エレベータの中に私のおならが落ちていませんでしたか?」
私「ん??これですかね?」
と、先ほど拾った紙を渡した。
女性はこれですと言い、受け取って、ありがとうと言って去っていきました。
15歳のとき、地元で一番の高校に行くことが決まってた。でも入学前に急に病気になった。気づいたら5年経ってた。20歳でようやく体調が元に戻った。
ようやく人生再スタートだと、高認を取った。それから予備校に数ヶ月通って、ふと気づいた。何かやってるんだろう私は?
病気に苦しんでいる間、時間が止まっていた。毎日毎日体の辛さに耐えていて、それだけが人生だった。その間に自分の貴重な時間が目減りしていることになんて気づいていなかった。
今私は22歳になっている。子供のころ、いい大学に行くことだけを言い聞かされていて、病気が治ったら当然その夢の続きを追った。だけど、私がやってることって果たして正しいんだろうか。
このまま勉強をして大学に入って、私の人生は好転するんだろうかと考えるようになった。試しに専門学校の見学に行ってみたら酷い言われ方だった。高校に行ってない人は企業に求められないよ。学校に通うこともできないで、ちゃんと勤めてくれるか不安だから、どこも採用しないよ。
この人辛辣だなあと思った。そして、めちゃくちゃ正論じゃん、と思った。
自分のことを客観的に見ずに、馬鹿面して勉強とかしてた。何やってたんだろ。
予備校には通っているけど、全然集中できない。私がやるべきことはこれじゃないんだろうと思う。でも他にやるべきことがわからない。やるべきことがわからないならやりたいことを探したらと親に言われて、考えてみたけど思い浮かばないや。
10代の時間を遊びにも勉強にも使わず、痛みに耐えることだけに費やしてきたんだから。
いっそ、病気が急変して(寛解しているけど別に完治はしてないわけだから)もう一度、ただ痛みに耐えるだけの人生に戻れたらいいのになとか思ったりする。
なんなんだろう。もう楽になりたい
病気かもしれない。助けてほしい。大学生で先週の水曜日から夏休み入ったんだけど、この一週間、毎日18時間前後寝ている。しかも理由が、夢が見たすぎて。
昔から夢見るのは面白くて大好きで夢日記とかつけてた時もあるけど今はそんなことしてない。夏休み初日にほんの出来心で夢見るために寝るか〜!と思って始めてから、やめられなくなった。先週からバイトも二週間休みでそれもよくなかった
寝る前は普通に、今日こそはやめようって思うんだけど寝て起きたときに、その夢の続きが見たすぎて衝動的に二度寝、三度寝…と繰り返してしまう
起きると夕方の6時とかになってて、風呂入ったり飯食ったりやらないといけないことやって、12時くらいになるとまた夢が見たくてしょうがなくなって寝てしまう
病気なのかな、どうしよう
久々に夢ループ切れたから書きなぐってるけど今も夢見たくてしょうがなくてたぶんこれ投稿したら寝てしまう
すごい怖い、どうなっちゃうんだろう俺
一週間とか書いてるけどカレンダーがあるからなんとか日付感覚保ってるだけでまだ3日くらいしか経ってないって言われたらそんな気もするし、1ヶ月経ったって言われたらそんな気もする
大学で話す奴はいるけどこういうときに相談できる友達みたいなのがいないからとにかく孤独感がすごい
とにかくこわい、助けてほしい
起きたら読みます
「経験不足」(くらやみ)の中進む影は 誰も心許なく
企業訪れる度に幾度も冷たい手で俺たちの首筋を優しく撫でた
黄昏を裏切って灯る「周りの空気」(きぼう)の背に縋り追いかけた
地獄へと向かってるとしても
「夢の続きが見たいなら お前は何を差し出せる?」「面接官」(あくま)は甘く囁いた
妄想でで道を作れ
この「選考」(かべ)の向こうに何がある?
嗚呼…可能性に満ちていた筈の若人達の器に運命は其々何を吹き込んだ
それは 誰の悲願か、誰の夢か悲しみ 憎しみが交わって
志望動機は互いを目指す
この「お祈り」(そら)の向こうに何がある?
幼き日々に囚われた昔日の灯が照らし出す、お祈りの文の先を
空の上から見たら 一体何が見えるのだろう
ここではない何処かへ 行ってみたかった
幼き日々に夢見た広い世界の果てには、目眩を覚えるほど不条理が潜む
時に神の姿借りて「社会」(せいぎ)は牙を剥く
「学校」(おり)の中も「学校」(おり)の外も 等しく地獄か……。
「無い内定」(つみ)の重さを背負うほど踏み出す足に意味がある
この闇の向こうに何がある?幼き日々に呪われた 現実はいつ報われる?
《着慣れないスーツ姿》が駆け抜けた軌跡
《冷や汗》を散らして
《積んできた詭弁》を束ねても
《就活の先の暁》には早すぎる
進み続ける 闇の彼方へ…