はてなキーワード: メンクリとは
たとえば予想外の不幸にあった時、親から口では心配しているからといいつつ「どうしてあの時○○しておかなかったんだ」、「○○すれば良かったのに」とよく言われる。
心配してくれるのは有難いけど、今更過去には戻れないし最善を尽くした上でなお予想外のトラブルに見舞われることもある。
とてもじゃないが「心配かけてごめんなさい、その通りです。」なんて殊勝なこと私は言えない。
むしろ過去の自分を理不尽に責められているように感じて「そんな事言わないでくれ」と言い返してしまう。
でもそう言い返すと決まって、
「どうしてお前はそんな捻くれた捉え方をするんだ」
「そんなつもりで言ったわけじゃないのに何て言い方するんだ」
「お前は変だ」
と言い返される。
これがもう辛くて仕方ない。私はただ日常のトラブルの愚痴を聞いてほしかっただけなのに、軽く聞き流して寄り添ってくれたらそれで十分だったのに。
その気持ちを伝えても親は「私は変わっている、捻くれている、折角心配しているのに、 」と言う。親だけじゃなくて過去の恋人にすら同じようなことを何度も言われたことがある。
こんなことを言われすぎて私はもう自分が頭がおかしいんだと余計発狂しそうになる、実際、普通の人間なんかじゃないし、人生躓いてばかりのダメ人間だし、メンクリとはもう10数年も通い続けている。
うつ病の診断も出された、自分が元々捻くれていることも自覚していたからそれを治そうと必死に頑張った時期もあった。
けどもうはっきり言って限界で、どこかに吐き出したくてここに書いてる。
もしこの増田を読んでくれた人がいたら、率直な感想を書いてほしい。
それでタイトルに対する考えを教えてほしい、
私はもう考えすぎて何も分からない。何も考えられない。
私が間違ってると思ったらどの思考が間違っているのか教えてほしい。もうどこを治していけばいいか分からない。私は鬱じゃなくて別の病気なのか?だれか助けて欲しい。
故人に語りかけるような、独り言のような、そんなとある曲がマジモンの追悼作品と知った。
作者とともに破滅的な青春を送っていた友人が数年前に死んだらしい。
トレインスポッティングやNHKにようこそみてーな世界もある所にはあるんだな。
SNSで遠巻きに見てた高校生が死んだのを思い出した。ぼちぼち一年半くらい経つ。こちらがボーっと生きてる間にも歳の差が開いてく。
数フォロー圏内でこっちから一方的に眺めてただけ。多分向こうはおれを知らない。でも思考回路といい趣味嗜好といい、コイツは別の世界線を生きる自分なんじゃねえかって思ってた。インターネットでたまに巡り合うドッペルゲンガー。
不登校になったり転校したり留年したり、色々あったらしい。一回り上のオタク連中から面白がられてた。見世物感覚とマジの心配の半々。
自分も紙一重でそういう生き方だったのかもしれない。フツーをやれる能力があったのか、重力に抗えなかっただけなのか。結局まあ大学で躓いちゃったけど。
不安に気づかないほど鈍感でもないし、気づかないフリ出来るほど我慢強くもないし、取り除けるほど賢くもない。分不相応に思慮深い、よくいる愚かな人間。
それでも学校行かない分バイトを始めてみたり、絵を描いてみたり、フォロワーのオタクと会ってたり、生きる事に全くの無気力ではなかったらしい。高認の勉強もしてたらしい。オタクと馴れ合いつつ、人生もぼちぼち進めて安心したいって。
そうやって抗ってる中で、楽しい時間が全くない訳じゃない。でももっと底の方の気分は常に晴れない。そんな感じのことをこぼしてた。
おれが同じ立場ならバイトの応募なんて出来なかっただろうな。案外行動力はあったのかもしれない。じゃなきゃ自殺だってしないだろうな。
人身事故なんて滅多にない地域で、10代男性死亡。最後のツイートはその駅のホームの風景。これで別人ならとんだゾディアックだな。
意識的なものじゃなくて、死ぬ時の気持ちっていうのはもっと切迫してんのかな。希死念慮とは長い付き合いだけど、未だに死んだ事はねえから分からん。
これはただの怠けなのか?生理的問題を抱えていて、それは対処が可能なものなのか?有効な対処がないのなら、救いはないのか?
みたいな悩みをずっと口にしてた。
はっきりナントカ障害という訳でもなく煮えきらない診断がおりてからも、「障害」を烙印と思ってかなり気に病んでたっぽい。
おれもそういう時期あったな〜〜
でも結局障害かそうじゃないかっていうゼロ百じゃないんだよな。
性格と障害なんてはっきりと線引きは出来ない。する意味もない。その境界にこだわるより、何ができるのかを考える。ごく当たり前かつ重要な気付き。それは理屈じゃなく、自分の時間と身体を使って納得を得なきゃ辿り着けない。そうでなきゃ、今度は鬱かもしれない。自律神経失調症かもしれない。HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……なんて、いくらでも別の「可能性」にすがれちゃうんだよな〜〜
とか思ってる間に死んでしまった。
アニメの世界に行きたいって言ってたな。おれも行きたい。物語があるし。永遠だし。
止まった時間に守られて永遠に老け込むことはなくなったし、現実よりはちょっと近づけたのかな。でもやっぱ死ぬだけじゃ随分と廉価版になってしまうか。異世界転生してアニメの萌え女になれてたらいいよな。全くの虚無じゃ味気ないし。地獄行きがあるなら多分お互いそうだろうな。
おれが死んだらこっちが後輩か。アニメのアイコンしか見てないから姿は分かんねえな。
彼のことは自分を見る鏡のようにばかり思ってたかもしれん。死ぬにも生きるにも振り切れないところに、歳も近く自分みてーな奴が死んだことに光すら感じてたかもしれん。 もうちょっと社交性があったら自分とは違う所も知れたのかもしれんな。楽しく生きるのってそういうのが面倒で嫌なんだよな。
20年前の自分もまったく似たような感じだったからメンクリ行ったらADHDっぽい症状だと言われた(ちゃんとした検査はしてないし、当時は珍しく大人の発達障害を診てる希少な個人クリニックだった)。仕事ができなくて怒られまくって鬱状態で知能低下してたのも加わってたかもしれない。
今でも短期記憶めちゃくちゃ弱くて似た傾向があるんだけど、当時から今までの間で或る程度は鍛えられてて、それは短時間の出来事を振り返ってサマリーすることの繰り返しで改善された気がする。メンクリ行くまでの自分はまるでその瞬間瞬間を生きてる動物レベルの思考しかしてなかったから、今日一日を振り返ることすら覚えてなくてできなかった。何時から何時まで何してた?何時間で何を成し遂げた?がまるで分らなくて、「計画を立ててその通りに実行する」という小学生レベルのことすらもできなかったよ。
仕事でも、耳から聞こえる話を全部は覚える必要ないってことが分かっていなかったから、聞き漏らしちゃいけないポイントを見つけれて無かったんだよね。短期記憶が弱い場合、小さいこと3つぐらいならギリ記憶できるだろうけど、キャパを超える情報量なら「ちょっと自分いっぱいたくさん覚えるのめっちゃ苦手なんで、メモとるの待って頂けますか」を言えたら、いくらか周囲も察してくれるかもしれない。
いつか効率よくメモ取るのに慣れて、カオスになる前にメモ整理して、定期リマインドして…って地道な脳トレが増田にも効果あるといいんだけど。きっちり情報やタスクを管理できる人間になったら重宝される日もくるかもしれない。別に死ぬような話じゃないから追い詰められたような気持にならず気楽に生きてほしい。
いつから死にたいと思うようになっただろうか。小学生の時には口をついて出ていたような気がする。
前回の自殺は友人に止められた。なぜ止めたのだろう、なぜ止めてくれたのだろう。「あなたがいなくなると悲しいから」そう言った彼女は翌日家に来てメンクリの予約を私に取らせた。とてもわがままな子だった。私はあり得る可能性を先生に客観的に話したつもりだったが、時間が解決するかもねと一番弱い薬を処方した。私に必要なのは処方薬ではないことだけはわかっていた。
寝れないと言って貰った睡眠薬は翌日の眠気に耐えられず全て溜めている。
ODで死なないことも知っていた。多くの人間を見た。救急の先生は面白半分で胃洗浄に用いる活性炭をかき混ぜさせたことがある。私はODで運ばれた患者さんを哀れに思っていた。私なら確実に死ねる方法を教えられるのに、この病院には確実に人を殺せる薬がいっぱいあるのに。ICUにいる患者さんのもとへ行って、方法はいくらでもあると教えてあげたくなった。生かされなくていい自由が私たちにはあるのではないか。
タイトルで大体完結してるが一応詳細も含めて
睡眠不足になるとめちゃくちゃイライラしやすくなってちょっとしたことでもキレやすくなったりした
例えば物音がうるさかったら静かに注意すればいいものの怒鳴ったり自分の思い通りにいかなければすぐにイライラすることが多く、もちろんそんなことが続けば人間関係も上手くいかなくなるので自然に病んでいった
オマケに食生活も偏っていたので多分脳に行く栄養が足りてなかったんだと思う
で、スマホ依存も重度になりとにかくスマホスマホと人間関係もますますおざなりになっていってぼっちになった
特に人の癖(?)が無性に気になってイライラしてた、これは多分俺だけだと思うけど
そんな訳でメンクリに通うことになったのだがこの時は原因が分からなったので今まであったことを躁状態に近い感覚でペラペラと喋っていたことは覚えている
結局原因が分かったのだが、主治医曰く「睡眠不足は知らないうちに身も心も壊していく」ってさ
確かに最初からネット依存気味で睡眠も足りなくなっていたけどモロに心壊れていったとはね
ちなみに初診時は夢と現実の区別がついていないような感じだったらしい、どういう意味か詳しくは分からないけど
あと、早くスマホしたくて無性に家に帰りたかった時があったけど、あれは依存というより家に帰って寝たいという身体からのサインだったのかもしれない
というわけでみんなも寝ようね、おやすみなさい
つらい
理不尽に攻撃してきた家族とはもう同居していないし、過去のことといえばそうだ
けれど、ふとした時に殴られたことやひどい言葉を投げつけられた記憶が思い出され、毎回やり場のない怒りと悲しみと恨みに襲われる
その家族は幸せに暮らしているようで、それも少し許せない。せめて少しだけ不幸にでもなってくれたら慰みにもなったのに。
法的に復讐しようとしても、家族だから刑事罰にもならないし民事だって難しいだろう。骨折とかはしてなくて、せいぜい青あざとかその程度だし、証拠になる記録や診断書だってない。あっても争えるか微妙な気がするが。
青あざ程度でも蹴りとか喰らったり、頭に携帯とか投げつけられると眠れなくなるほど痛いし、精神的にも傷つくんだよな。
見知らぬ他人にぶん殴られたら一発で暴行罪になるのに。攻撃してきた人が大人しく捕まるかは置いといて。
メンタルは弱いが名前のつく病名がつくほど病んでいるわけじゃない
仕事もできている。実際昔の会社の状況がキツく、涙が止まらなくなった時にメンクリ行った時もデパスしか出なかった(その会社は転職した)
嫌な思い出が反芻されている時、別のことを考えようとしても、すぐ昔の思い出に戻ってしまう。制御できたらいいのに。
とあるドラマで両親に恨みを持つ青年が復讐しようとするもとうに亡くなっており、「まだ謝ってもらってないのに…!」と叫ぶシーンがあったが、まさに同じ気持ちだ。一回でも誠実な謝罪さえあったならば溜飲が下がったかもしれないのに。
行き場のない恨みが頭の中でループしている
まあ現状認識としては(確固たる根拠はないものの)遠からずだと思うんだ。
野球のピッチャーやゴルフ選手がなることがある「イップス」にも似ている。そこまでひどくはないものの。
抜け出すのは簡単ではないのかも知れない。
ただ気にしないようにする、肩の力抜く、だけで良い方に転がりだす可能性もあるし、そんなんじゃ効き目ない可能性もある。
深刻な脳の病気としてのいわゆる精神病とは違うだろうけど、メンクリに相談するのは逆にアリだと思う。例えばだけど安定剤の頓服持っとけばお守りになるだろう。
大原則として「困難は分割せよ」ということがある。別の表現では「スモールステップを設定せよ」
つまり一度にあれもこれもとか、一気に何かを成し遂げようではなく、緩めの目標を設定していこうということ。
テンパった時に深呼吸できたらその日は自分にハナマルあげましょう、みたいなしょーもないやつ。
「以前はあれもこれも完璧にできてたのに、どうにか100%に戻さなきゃ」とか思い詰めると結局「大き過ぎるステップ」を置くことになる。まあまあぼちぼちまで戻せれば生きていくには十分だろ、以前だってそこまで切れ者だったわけでなし…という“意識の低さ”が重要だろう。
あと困り気味の現状をわりとダダ漏れに周囲に(あるいは信頼できる人に)開示しておくのもいいのかも。精神的に鎧をしっかり着込んで身を固めるのは本来いいことのはずなんだけど、それが逆効果になる場合がある。
まあ調子に乗って素人のくせに知ったふうなことを述べてしまったが、自己責任で部分的に参考にするなり笑って読み捨てるなりして貰えれば。
いい方向に転がればいいですな
やあ、アラサー人生初一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。
二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントをありがとうございました。
とくに同じような境遇の人からもコメントをいただけたのが嬉しかったです。
その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。
私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家に避難する生活になってしまいました。
端的に言えば、一人暮らしが自分の気質に合わなかった、それだけ。
家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事はちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。
なのに、精神的なモノ──内側から来る不安や苦痛が際限なく湧いてきてメンタルがダメになった。
医者からは不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。
「一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的な問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。
内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。
ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らしが死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしはちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパンの問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。
さらに、ずっと不安や苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪の感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。
もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。
だから、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。
例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。
でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。
そんな感じで、内側から半ば無根拠に無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。
個別的な問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。
基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。
・孤独が辛い
なんか何をやっていても虚しくなる。
家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分が誰かのために何かしてあげることもない。
他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。
それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。
(医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。
その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。
というか、わりと余裕はある。
特に食費。
理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。
……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。
食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。
生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。
例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。
単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。
ただ、どの程度までやれば問題ないか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。
もっと実家で家事をやっていれば、その時の感覚を適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。
その他、何につけても全部自分で物事を決めないといけないことが辛い。
昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。
実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビングで家族におはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。
実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的に時間を縛られることもない。
後者に関しては、それが自由でハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。
……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。
これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。
少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。
ただ、何十年か先の未来、自分が天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。
私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。
結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神がボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。
だから、天涯孤独はわりと現実的な未来としてあり得るイメージだ。
そのイメージが頭にこびり付き出すと不安で不安でたまらなくなる。
今はそれが一番辛い。
不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。
これもまた幸いなことに家族もメンタル系の病気に理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。
ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さんに迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。
とりあえずの目標はオールシーズンの家事を経験するため、一年を乗り越えること。
本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。
でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。
その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。
結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタルの健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来の自分の精神状況次第だなぁ。
メンタル不安を抱える友だちの言葉に、なんて返せばいいのかを知りたい。(大正解じゃなくてもいいので、地雷を踏まない程度の「不正解ではない」返答がしたい)
友だちはちょくちょく、
「メンクリ行ってる」
「薬飲むと落ち着く」
「悪夢をみる」
って話をする。
その度に私は「へぇー」とか「そうなんだ」とか反応する。
個人的な理想は、「あなたのこと心から気にかけてるよ」っていうのが伝わったり、友だちが安心したり嬉しい気持ちや和やかな気持ちになれるような、気の利いた素敵な言葉をかけることだけど、悲しいことにそんな力を持ち合わせていない。
つい「そんなことないよ!」とか言ってしまいそうだけど、メンタルの不調の辛さが分からない人間が前向きに否定するのは違う気がして言わないようにしている。
でも、例えば「シャブ漬け」に関しては心から「そんなことないよ」って思っているので、「シャブ漬けだよね?」って言われたら反射的に「いや、そんな事ないと思うけど……」って言ってしまった。
(こういうとき、どう答えるのがいいでしょうか?)
他にも「薬を飲めば落ち着いて生活できて楽しい」系の発言に対しては、「いいじゃん」って思ったので「それなら飲んだ方がいいね」とか肯定してしまった。
でも、それを聞いた相手が「やっぱ薬飲むしかないのかーww」って困った感じで答えたので、私は「あれ、もしかして返答間違えたかな?」って思った。
すごく大切な友だちなので下手に踏み込んで傷付けたくないし、一緒にいるときは相手にとっても等身大でいられる空間だといいなって考えているから、「不正解の返答」はできるだけ避けたい。
かといって、適当に濁した後に突然「みて!ネコかわいい!」とか言うのはあからさますぎて興味ない人みたいで何か変な気がする。
難しいけど、その人に寄り添うことができつつ、地雷を踏まないような返答の仕方があれば知りたいです。
(例えば、「あなたも〇〇なときってある?」とか振られても、それにまっっったく心当たりがないときになんて返せばいいんだろう………。)