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2018-07-04

アニメ史上最低な親

父親部門はとりあえず私が知る限りで一番酷かった碇ゲンドウが暫定一位として、母親部門にしっくりくるキャラが思いつかん。

主人公の母って大概結構いい人してるよなぁ。

2018-02-28

フィクションにおける南極歴史

古代

約2000万年

宇宙から飛来したUFO南極へと落下(影が行く)

10万年

宇宙から飛来したUFO南極へと落下(遊星からの物体X)

1万2千年以上前

堕天翅族がアトランディアの地(南極)に高度な文明を築いていた(創聖のアクエリオン)

紀元前2000年

プレデター南極に降り立つ。人類建築技術を与え神として崇められた。

神殿を建造させ、100年ごとに成人の儀式のために地球を訪れ、エイリアン宿主となる生贄を求めた。しかし、あるとき繁殖しすぎたエイリアンによって敗北し、全てをリセットするため自爆装置を用い南極文明消滅させた(エイリアンVSプレデター)

1838年

アーサー・ゴードン・ピム、友人オーガスタスの協力のもと帆船グランプス号に密航する。

船員たちが反乱を起こして船を乗っ取ったり暴風雨で船が漂流したりするが、辛くも南洋を目指す貿易ジェイン・ガイ号に救出される。

そのまま南極探検に向かい「テケリ・リ」と鳴く動物に遭遇する(ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語)

1868年

ネモ船長人類で初めて南極点を征する(海底二万マイル)

1889年

ノーチラス号は資材補給のため南極秘密基地へ向かう。基地南極の地下にある大空洞に、2万年前に古代アトランティス人が建造した巨大なドックだった(ふしぎの海のナディア)

1930年

ミスカトニック大学ダイアー教授率いる探検隊、南極大陸に向かう。

生物学者のレイク率いる分隊狂気山脈発見。「古のもの」の化石を数体発見するがショゴスの襲撃を受ける。

最終的にたった2名の隊員のみが帰還する。1人は錯乱状態となっていた(狂気山脈にて)

1937年

イギリス軍による「ポラリス作戦」により南極大陸で発見された、凍りつけの「プリズナー・オブ・アイス」と呼ばれる怪物。この怪物兵器利用を企むナチス・ドイツ軍による攻撃が始まった。

アメリカ軍より依頼を受け主人公アメリカ軍諜報部のライアン大尉は「ポラリス作戦」に参加し、潜水艦ヴィクトリア号に乗り込み南極へ向かい基地ナチス怪物と戦う(プリズナー・オブ・アイス邪神降臨~)

1938年

1945年

ナチスの残党が宇宙人との戦闘勝利し、遺跡から聖杯を手に入れ新たな帝国南極に築く(ADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜、難局!ED)

1955年

昭和30年代、敗戦から復興を進める日本は、戦勝国を中心とした国際地球観測年による南極観測への参加を表明する。しかし、他の参加国から敗戦であることを理由罵倒される。そして、日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」とされていたプリンスハラル海岸であり、日本は全く期待されていなかった。その中で、倉持たちは日本世界と肩を並べる時が来たとして、南極観測のために尽力する(テレビドラマ南極大陸 」)

1958年

二次越冬隊を乗せた南極観測船・宗谷が例年にない悪天候と氷河に阻まれ立ち往生してしまう。

その4ヶ月後、往生したままの観測から飛行機基地に降り立ち、本日中に全員が昭和基地から撤退帰国するよう命令が下る。しかし犬達を連れていくことは許されず、潮田達は苦渋の決断で数日分の餌を与え、南極に犬たちを置き去りにして帰国する。

犬達は鎖から逃れ、1年後に生き残っていた兄弟犬タロとジロに再会する(南極物語(ノンフィクション))

1964年

無名雑誌ライターであるオリバー編集長に命じられ南極圏の科学取材を命じられる(南極ピンク作戦)

1966年

南極に生息する怪獣ペギラ南極観測隊の基地を襲撃したが、南極の苔から取れる物質ペギミンHが弱点であることがわかり、それを搭載した気象観測ロケット迎撃されると、黒煙を吹きながらどこかへ飛び去る(ウルトラQ)

1969年

イギリス細菌研究所で開発されたウイルススパイによって盗み出されたが、スパイの乗ったセスナアルプス山中吹雪のため墜落し、ウィルス流出してしまった。

ウイルスは全世界蔓延半年後には35億人の人類を含み地球上の脊椎動物ほとんど絶滅してしまう。

わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界ウイルス活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し絶望の中から再建の道を模索する(復活の日)

1979年

1982年

1984年

南極の奥地にある機械の城ネオラード拠点とする、メカ人間帝国「新帝国ギア」が人類への攻撃を開始する(超電子バイオマン)

1985年

1990年

ロシアは密かに育てていたテレパスたちを使って、南極の地下に生存している種族とのコンタクトを試みている (コリン・ウィルソン「古きものたちの墓」)

1991年

「私」が氷男と結婚南極旅行を持ちかける(村上春樹「氷男」)

1992年

南極舞台にしたクレイアニメピングー」が日本放送開始

1994年

学会で使うテープを間違って娘たちに送ってしまった江崎教授のために両津勘吉中川圭一が協力して世界中を駆け巡る。娘の冬子がいた南極両さん制服のまま海に落ちたり、白熊と格闘する(こちら葛飾区亀有公園前派出所「絵崎教授80時間世界の旅の巻」)

1995年

1997年

西村淳、昭和基地からも遠く離れた陸の孤島南極ドームふじ基地料理人として派遣される(南極料理人(ノンフィクション原作でした))

1999年

太古に南極に落ちた、人間ミュータントに変える隕石のかけらをララ・クロフトが探す(トゥームレイダー3)

2000年

アメリカロシア研究員たちが「古のもの」の遺体発見する(ティム・カーラン「HIVE」)

2000年9月13日

セカンドインパクト南極大陸が消滅する(新世紀エヴァンゲリオン)

2002年頃?

2ちゃんねるオカルト板で「南極のニンゲン」と呼ばれる未確認生物都市伝説が生まれ

2003年

ダイノアースに古くから伝わる伝説「氷の底の爆竜を二度と目覚めさせてはならない。もし目覚めれば、白い恐怖とともにこの世は終末を迎えるだろう…」

南極の氷山からまれた極寒爆竜コンビを、アバレンジャー正義の爆竜たちが迎え撃つ(爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーキンキン中!)

2004年

2006年

コウテイペンギンマンブルが「エイリアン」に拐われて水族館に連れて行かれる(ハッピー フィート )

2007年

新人サファーのペンギン「コディ」がサーフィンワールドカップで優勝を目指す(サーフズ・アップ)

2009年

アメリカ南極観測所“アムンゼン・スコット基地”。キャリー・ステッコは、この極寒の地で働く唯一の連邦保安官。事件など起こりようもなく、せいぜいが雑用ばかりの退屈な日々を送っていた。ところが、冬を控え、あとは数日後に迫った最終便で帰国の途に着くだけと思っていた矢先、他殺体の発見という驚くべき事件に遭遇する。それは紛れもなく南極で起きた最初殺人事件だった(映画ホワイトアウト」)

2011年

2012年

オルタンス、南極フランス観測基地料理人となり1年間の任期を無事に終える(大統領料理人)

2015年

碇ゲンドウ冬月コウゾウ両名が南極に出向きロンギヌスの槍を回収。NERV本部地下のリリスに零号機によって刺された(新世紀エヴァンゲリオン)

2016年1月

18歳のジンカイザワは、南極海の氷山曳航を計画するシンディ このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-12-16

1000の理論と ウ ン チ ー コ ン グ !

私はUEC Advent Calendar 15日目の日記です。

UEC Advent Calendar(https://adventar.org/calendars/2376)というものがあるそうです。昨日も明日も誰かが記事を書くようです。

ところで、今日のAdvent Calendarにはテトリススイーツパラダイス攻略法を平行に解説をされるらしいのですがそれは回答数が0のため(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14183239764)取りやめになったのでしょう。

ところで、【体験談ヤクザと仲良くなったらJKとヤれた話(http://kimamamatome.doorblog.jp/archives/42838562.html

・マシマ理論

ご飯大盛り無料など増せる時には必ず増すべきという理論。大盛りが多すぎた時はご飯を無料で増させる店が悪いので残せば良いから。

・布団理論

布団は気持ちいという理論。あったかくて柔らかいから?。

・本は邪魔理論

本は大きいか邪魔だという理論。圧迫されちゃうから

・最安最特理論

特に飲食店では最安で済ませるの一番得という理論すしざんまいでは一皿だけ食べても1000皿食べても水は飲み放題から

重曹理論

TVのお掃除テクニックみたいなコーナーで汚れを重曹で落とす可能性が高いという理論。同じことばっかりやってるから

・スゴそう理論

字がたくさん書いてあるものはスゴそうという理論。頑張って書いただろうから

・バキ理論

バトルマンガは早く読めるという理論。この前にバキの一巻を初めて読んだら意外と時間がかかったがそれでもバキはすぐ読めるというイメージがあるから

バターたっぷりサクサククッキー理論

バターたっぷりサクサククッキーを作るより無益なことをするぐらいならバターたっぷりサクサククッキーを作った方がいいという理論。おいしいクッキーが生まれることは良いことだから

蒲団理論

読むのが難しい漢字を一度心の中で間違って読んで間違っていることを確認してから正しい読みを思い出してしまいがちという理論かばだんと読んでから違うと思ってふとんを思い出すからね。

・THEパーティーゲームDS理論

SIMPLEシリーズクソゲーでも通信対戦があると楽しいという理論マリオカートだってそういうところあるぐらいだから

・落寸号令雷理論

全てのものは何にでもこじつけられるという理論生ハム、サイのエサ説だとか。

激辛料理社会の敵理論

激辛料理は食べる人と作る人、食べられる料理、誰もが得をしないという理論。辛すぎると美味しくないから。

死ぬ直前にドラッグをキメたいかそうではないかもっと話し合われるべき理論

死ぬ直前にドラッグをキメたいかそうではないかもっと話し合われるべきという理論50%ずつで別れそうでもあるし別れなそうでもあるから

・四角を見るな理論

牛角看板の四角は吸い込まれるかもしれないから近づいてはいけないという理論笑福亭鶴瓶も吸い込まれたことがあるぐらいだから

金玉理論

丸いものは全て神が自分金玉を見ながら作ったという理論金玉wikipediaを見てそうだろうと思ったから。

IPPONグランプリ松本人志理論

絶対安全なところから大喜利をやられるとそれだけでムカつくという理論。何であんなに偉そうにしているのかわからいから。

・なんだかんだ言ってamazonが安い理論

amazonはそんなに安くないとか言われたりするが、結局安いという理論kakaku.comでも大体上位だから

唐揚げ弁当No.1理論

唐揚げ弁当栄養バランスが以外にいいという理論PFCバランスが良いから。

連続でもOKですが理論

別に三食カレーでも全く問題ないという理論。3食ぐらい連続なら飽きるというほどのものはない。

バックベアード理論

みんな何も知らないという理論人類の90%はバックベアードを知らないから。

碇ゲンドウ理論

「そうか」、「そうだ」と映画スタンプhttp://akane.website/wp-content/uploads/2015/06/IMG_6154.jpgの左、上二)のみで全てのLINEに返答可能という理論。碇指令もそうしているから。

......残りの979個の理論自分発見しよう!

     ウ ン チ ー コ ン グ !

2016-08-27

君の名は。見た。薄気味悪い感動系の駄作

すごいめちゃくちゃで、ふわふわとした話を圧縮して(いるかのように騙されながら)、勢いで見せられたという感じである

思いつくまま適当文句を言います。誤字脱字はスルーしてください。読みやすさは保証できません。

単純に、これ、この二人の恋愛物語が、なんでこういう話でないといけなかったんだろうって思ってしまった。現実世界写実的アニメビジュアルで美しい世界でやっていればいるほど、プロットが進めば進むほど、リアリティがなくなって、ふわふわしてくる。秒速5センチとかは、ファンタジー要素は、クズ主人公理由もなくモテること以外は別段、物語に存在しないから、ああいクズナルシシズムの物語として説得力があったが、君の名は。みたいに大きな舞台設定をコントロールする力量がないからもうひたすらめちゃくちゃで、あきれる。なんか最後の方とかエヴァもどき精神世界みたいな描写とかもあったし。2016年あん描写見て、何を説得したいのか謎だった。もっと普通ドラマ描写を作って言いたいこと言えよ。

もし、これがテレビアニメ1クールだったら、予算時間も潤沢でなく、画面にオーラもなくお得意の映像美もろくすっぽ使えないだろうから、物語面が強調されて、みんながアレコレと粗を突っつくので「すごいきれいな映像映画を見た!」っていう勢いがなくなり、凡作認定されていただろう。元々新海誠みたいなのって、エヴァンゲリオン村上春樹創作のよりどころにしているような、たいして才能のない作家であって、自意識過剰独りよがりな恥ずかしい妄想で物語を構築しようとする奴が一人で短編アニメをそういう感性で作ってそれが玄人筋セカイ系だのと変な刺さり方をしたせいで、なまじポエムとかキラキラした画面作りがうまかったせいで長編アニメ映画作家としてのレールに乗ってしまったのが間違い。このあたりの、「アニメーション映画の作家」のブランド化を擁立する回路と発想の貧しさってかなり根本的にどうしようもないことになってると思う。漫画みたいにさ何十人何百人と作家がいるんならいいんだけど、新海誠って、ただ異様に夢見がちで異様にロマンチストなだけでしょ? それがこのひとの作家性でしょう? 東宝が大衆向けに成立させるためにいろいろテコ入れ指導しただけで、悪いところは何にも治ってないよ。寝取られ趣味を指導されてセルフパロディで両想いハッピーエンドなんてところは作家の力量の場所じゃないだろう。

君の名は。にしたって文芸的な発想として、基本的にやってることは、ぶっちゃけ今やってるアニメだとリゼロあたりとほとんど変わらない。何か一つか二つ、使い古された仕掛けを元ネタとして、そこに自分の価値観人生観恋愛観青春家族観女性男性観などを展開していく土台にするわけだけど、この映画雰囲気しかない。ひたすら美しい彗星を見上げるキミとボク、っていう。あそこから恋愛物語を出発させていくんだけど、それが、あの映画。40過ぎた男が「オリジナルで」やるのが、あれ。背景美術の美麗さ、超豪華アニメーター陣の画面の力をとっぱらえば、何がある? 単なる借り物の想像力自分語りしているだけでしょ? その自分があまりに貧相なんでもうつらいつらい。

 

ポスト宮崎? つまり20年後国民的な映画作家? 本当にこの人でいいの? まあジャニーズ帝国みたいにジブリ帝国だった時期があるせいでこういうことになってしまったんだろうけど、画面作りに非凡な才能があるというだけで、大した教養もない奴を神棚に飾らなければならないカリスマ祭り上げる発想が薄気味悪いし居心地悪いしもう最悪。

コイツ一度でもテレビアニメの平均的な予算時間やらせたほうがいいわ。君の名は。ではこれまでついてきてくれたアニメーターたちを切り捨てて東宝マネーであてがわれた超豪華なメンツアニメーター引き連れて興行収入はこれまでの最高が1,5億を初日だけで軽々と塗り替えるくらいの大宣伝攻勢。プロデューサーたちは頑張ったよねえ。シン・ゴジラより興行収入あげちゃうかもしれないんだから。宣伝はうまくいったよね。口コミはどうなんだろうなあ。シンゴジラみたいになるのかなあ。どう考えても駄作だけどなあ。

本編のうざったさは、まず、入れ替わりの際の決まりごとの曖昧さ、具体的なルール法則性の明示のされなさ。これにいらつく。元に戻れば記憶が薄れるとか、バカにしてるだろ。

他人と入れ替わったのに学校に行きバイトに行き、お互いの素性を知っても連絡を取ろうとしない。そんな日常を代行するくらい打ち解けても自分が生きている時間や日付に気付かないという脚本がわざと主人公たちをバカにしていて、もう序盤で冷めていた。写実的アニメのくせしてこのラインリアリティの話なんだなと。思春期の男女が入れ替わって? 家族や友人がそれまでと変わらずに? 陰口叩いてくる同級生の威嚇のために机を蹴っ飛ばすの? ホント大丈夫? そのレベルリアリティでやってくの? 女子力が高い男子高校生女子大生が仲良くなる過程ディテールもろくにかけないからランチして笑ってればいいの? 

前半のガバガバリアリティ死ぬほど退屈で、アホらしかったわ。憧れの年上のお姉さんのマネキンっぷり、生々しさの演出タバコって失笑でしかない女性観。もう一段階読み込むと、バカな男たちが惹かれる顔と身体だけの女として、あの先輩を描いているかもしれない。青春の幻影的な? まあ嘘だけどね。魅力的な現代的な女性像なんて新海誠に誰も期待してないでしょう。もう単純に、長澤まさみばりにいい女っていう記号しかない。

主人公をめぐる人間関係にしたって、後半の探索を円滑に進めるメンツの確保のためでしかなくて、ハリボテ感がすごいんだよね。まあこういう部分はオリンピック見ても分かるように日本中スクールガールスクールボーイコンプレックスで単に学園物っていう牢獄にいるようなもんだから、ガキっぽい世界観になるのは国民病なんだけど、ただの事実として、選択した物語のギミックにふさわしい舞台設定の調整と情報量コントロールがド下手。何か原作をつけてアニメを作ったこともない、TV放送で1話20分で回したこともないんじゃそうなって当然だよ。

まあこういう勢いで迫力を出している、野生のバカであるがゆえの新海誠という作家性があるのも事実とはいえ、君の名は。を名作として崇めようとするのはやめたほうがいい。新海誠は文芸的にはリゼロと同レベルなんだから。あのバイト先のレストラン、高級シャレオツぶってるけど、客の民度から察するに最低ランクでしょ? パンケーキのお店のほうがランクはるかに上なんでしょ?  物語の動かし方がつまようじドキュン活用することでしか分からないんでしょ? やばいよ、あれは。つうか長澤まさみがなんか機転を利かすのかと思ったら謝るだけだったし、ガチ思春期男子が顔と身体だけであこがれてる女性っていうイメージなのかもしれないなあ。まあどうでもいいが。

最初から最後まで、子供っぽいふわふわした基準リアリティ物事が進んでいく。入れ替わりギミックぼんやりした設定だけじゃなくて、人間関係とかもヒロインにおいてすら、投げっぱなし。思わせぶりなセリフで色々匂わせるんだけど、それだけ。冒頭で、ヒロインとおばあちゃんが父親とうまくいっていないという物語的な課題提示しているのにほっぽりだす。ヒロイン家系巫女能力があることだけほのめかして、クライマックスの筋に絡まない。ものすごい空虚な存在でしょ、父親が。碇ゲンドウ的ですらない。母親なんて排除しちゃってるもん。


後半の畳みかけるような展開は、正確に把握できたかどうか自信がないけど、もしかしたら、きっちりつじつまが合うように作られているのかもしれないけど、仮にそうだとしても、見ている側との意思疎通がほとんど感じられない。何がどうなれば物語としてオーケーなのか、ゴールが正確に提示されないでしょ? 酒を飲んだら入れ替わりが発生するとか、そんなん言われても、法則性はないのでどうとでもなる展開でさ。

んで助けに来て、おばあちゃんは入れ替わりに気付いても、彗星の話は信じないとか意味不明だろ。父親を説得にも失敗して声を荒げたら「お前は誰だ?」というところでやっぱりあの家系は死んだ母親ふくめて代々そういうことがあったんだと示唆されるわけだけど、なぜか場面転換して逃げ出すように「俺じゃ説得できないのか」って好きな女性父親とのコミュニケーションを放棄して、なんか展開おかしいなあと思ったけど、彼女バトンタッチで世代を超えて組糸の家族和解テーマかと思ったらそっちも何もない。わだかまりを解消するとっかかりが示されるわけでもない。

土建屋放送部とか、人間関係と設定がご都合主義なのはまだ許せても、カタルシスが用意できてない。子供大人が揉めて、対立して、そこで何かしらのきっかけでうまくいきはじめて、カタルシスが生まれるはずなのに、あれ、なに? 避難訓練て。リゼロみたいに、自分が頑張ってますってアピールするためだけにあの状況があったの? 大人たちは? 

現実なのかよくわからない「たそがれ」の場所で幻想的な背景の中でマジックで「好きだ」ださいわ~、普通書かれたらその場で見るだろ。ださいわ~。

何もかもが薄っぺらい夢見がちなファンタジー

そのへんのラノベアニメにないもんっつったら時間メタファ~()であるあの伝統工芸とかなんだろうけど、物語の中のアリバイ作りとかになっちゃってない? 組糸にしたって、ただのドラマティックな恋愛の盛り上げ役っていうかさ、あのアニメの中の世界であの伝統芸能がどういう存在でこれからどうなっていくのか、とか故郷災害で失い、跡形もなく消し飛ばされた人々は、東京でつつましく暮らして結婚とかしちゃいますよ? 憧れの先輩も結婚とかしちゃいますよ 君たちも幸せになろう? 頑張っていこう?

は?

震災記憶自意識過剰文学青年出会って作品にしちゃう最悪のケースの一つ。自分たちを彩る美しい壮大な光景君の名は。の描く震災は、ロマンティックで残酷な恋愛が体験できるアトラクションなんだよ。BGMはRADWIMPSでさ。

要するに、子供の幼稚な恋愛の話しか興味がないし、子供の幼稚な恋愛の話しかできないの。この人は。庵野が言うコピー世代っていうのよりもう一段階ひどい。子供世界観しか物を語れないうえに、何か題材を選んだとしても、それを自分の自意識ファッションみたいに扱ってしまう。

なんか、今回の新海誠とりまメディアとかアニメファンの状況が、裸の王様誕生した瞬間を目撃したような気分になる。



追記

トラックバックで白状がどうとか頭のおかしいこと言っている人がいますがなりすまし変人です。書いてることも奇妙でどういう意図があるのかよく分かりませんが。

2016-08-12

anond:20160811182152

碇ゲンドウ視点で作られていて嫌い、ってシンジくんが言ってるみたいでかわいい

2016-03-05

碇ゲンドウおかし

なんで自分嫌いで他人から好かれない人間とか言ってるのに結婚して自分遺伝子後世にまで残してんの?そんな血を継ぐ子供可哀想とか思わないの?てかそんなメンタル子供作るなよ。察しろよ。

2014-02-11

暁美ほむらは俺なんだ!」と叫ぶtyokorataに催す吐き気とはなんなのか

ミストバーン暁美ほむら鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251

タイトルからして吐き気を催すなにかを感じるッ!

邪悪とか漆黒意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!

ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。

tyokorataとはなにものなのか

名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだってバカッターで言ってた。

原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ

でも結局は自分に自信がない現れらしい。

とにかく家族関係コンプレックスがすげーあるらしい。

口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。

ぶっちゃけまどかマギカ特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。

そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。

今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。

最初に言っておくけど、あいつの見てるほむら原作ほむらじゃない。

ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。

から叛逆で見せたマミさん杏子に対する捨てきれない情とか、さやかなぎさ蘇生させた部分があるという「功利」はない。

からくりサーカスフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。

その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。

Phantom鬼哭街沙耶の唄Fate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから

サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいクレイジーサイコホモだし。

でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。

それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。

ちなみに彼にとって虚淵藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。

少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生藤田先生がそういう人なのは分かる。

別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言吐き気を催すわけで。

母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。

姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族意見に対してキモオタ的な蔑視コメントを吐いてたと思う。

他に好きな作品はジョジョダイの大冒険藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガンヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。

あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用70年代90年代が多い。

別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。

問題は嫌いなキャラはかなり多い。

まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボール悟空しょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョ藤田作品の下衆キャラと同類扱い。

エヴァアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。

嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむら悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)

しかエヴァ時代のノリをまどマギ投影しちゃってて、しか虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。

虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風投影されてるかっていうとね。

「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。

そういう善悪も結局は流動的なのにね。

まどマギ以前のtyokorata

ドラゴンボール』の悟空碇ゲンドウ共通性について - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659

こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。

あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空キャラ性はあながちブレてなかった。

問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。

ジョジョ記事は全体的に楽しかったんだけどねぇ。うん。

ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。

まどかマギカ以後のtyokorata

まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。

賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。

しかもどんどん「邪悪ほむら」像が蔓延して行って、「まどかほむらキモがってる」とかそういう前提でね。

ほむらフェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043

いやほんとこの人何言ってんだろ。

つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。

からほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?

別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。

叛逆ほむら民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いもの無視してるでしょ。

そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。

余談

本当に久々にあいつの日記を見たけどこんな事のたまっていた。

>ジョジョ少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです

何言ってんだこいつ

要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。

> きもちわるい

ですよ。

> 私は貴方じゃないもの

> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!

ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます

どうしてあんな吐き気を催すキモい人になっちゃったんだか。

追記

別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影うんざりするというだけです。

碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、

そもそも「自己投影やすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作キャラをゆがめる手法のもの

他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。

そういう態度が「吐き気を催すキモさ」を感じるんですよね。

もうちょっと他人を認めてもいいのに。

2012-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20120405152135

アニメゲームは14歳になれる装置なんだよ。

30歳の加持リョウジや48歳の碇ゲンドウになることも可能ではあるが、14歳のシンジを選択することが推奨されてる装置

主人公を選ぶのが一番楽しめるように作られている。

アニメ消費以外の場面でも14歳になりきってるか」

そんなのキチガイだろ。

自称14歳のキチオッサンの話なんかしてない。

14歳のように親に依存し、社会ケチをつけ、責任を負わず、周囲に期待するだけの自覚のない無力なオッサンが問題なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20120405150116

14歳の碇シンジに同じ目線共感してるオッサンもキッツイ。

お前加持リョウジの歳超えてるからね、とか、どうかすると碇ゲンドウの方が歳近いからね、と言いたくなる。

「同じ目線で」共感してるかなんてことが

本人ならぬお前にどうしてわかるのか不思議なんだよ。

そんなの下手すりゃ本人だって判然としないだろうに。


たとえばミサトの話をするときミサトさん」と呼ぶ30歳のオタクが居るとして、

そいつが「ミサトさん」と発声するときに、

1・14歳のシンジになりきって保護者のお姉さんを見上げてるのか、

2・入れ子細工のようにシンジミサトの関係性を楽しんでるだけなのか、

3・または全然別な感情や文脈をこめてさん付けしてるのか、

なんてことをどうやって判断してるの他人が?


前述のオタクが1なら一次試験を通過するわけだけど、

元増田の話に当てはまるにはまだ二次試験も通らないといけない。

二次試験は「アニメ消費以外の場面でも14歳になりきってるか」。


どうやって判定するのかなぞだし、

それにもし二次試験に通っちゃったらそいつふあそれのみで精神異常者確定なんだから

アニメゲームがどうこうの話や一次試験関連の話は一切必要ないよね。

http://anond.hatelabo.jp/20120405143241

いや、非オタからすれば、よく30歳にもなって学園ものなんか見てられるよね、って話なんだよ。

しか目線学生だろ。「タマ姉」や「マミさん」に萌えてる連中って、ティーンの中でお姉さんポジションに置かれて無理してお姉さんぶってる"背伸び可愛い"みたいな話じゃなくて、

タマ姉」や「マミさん」を先輩扱いして甘えようとしてる奴が多数派だろ。

16歳の男主人公が18歳の先輩女に甘えるのは違和感がないが、三十路のオッサンが女子高生をお姉さん扱いして甘えたがってるってキッツイわ。

 

14歳の碇シンジに同じ目線共感してるオッサンもキッツイ。お前加持リョウジの歳超えてるからね、とか、どうかすると碇ゲンドウの方が歳近いからね、と言いたくなる。

オタクでも、歳とってから若い頃ハマった作品を見直したとき目線が変わるような人間も居る。

エウレカレントン目線で見ていたのが、ホランド目線を得るとかさ。

その進歩が一切無い人間マジで社会不適合者だと思うよ。

2011-10-15

書評 救世の法

大阪駅一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。

ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。

誤解がないよう、本の内容の前にwikipedia引用しておく。

設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年信仰伝道」の法話が説かれ、1990年から組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月から三帰誓願式が始まっている。

現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗ベースとした教義を説いている印象を受けた。

他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。

言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?



キャッチフレーズは「史上初の地球レベル宗教による地球平和の実現」

今までの宗教は、仏教しかイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、

それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、

そういったものを、より広い視野から、至高存在エル・カンターレ」によって調和調停させる。

これによって未来最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上目的

要するにセカイ系


中二病世界観を大人に適用するための工夫が面白い

ただし、普通ラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。

また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。

そのために補足が行われている。

・その一は「一人で戦わない」こと

 「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。

・そのニは「武力を持って戦わない」こと。

 平和目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング・・・うーん。

・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。

 世界宗教によって世界統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。

 あくまで日本理想宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。

 なぜ日本モデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地から、だそうです

こうやって中途半端自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。

何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまタイプの人ははまっちゃうんだろうな。



共産主義と創○学会以外にはとても寛容

成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから信仰によって他者を排斥するということはあまりない。

唯一のルール教祖である大川隆法信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。

(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教論理的に厳密な人間を極端に嫌う)

幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない

あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである

幸福とは人が未来への希望をもって生きられる世界であり、

それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。

要するに目的が正しいならなんでもありってこと。

大事なのは信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、

その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。

自らの宗教はより上位でそれらを束ねる存在という認識らしい。

社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。

ただし、共産主義と創○学会については否定的。

彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。

セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界幸福量を減らす存在である

非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。

幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。

精神を至上とし、肉体は重要ではないとする 

人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する

あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。

ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです

世間一般では「幸福の科学大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが

あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。


まとめいろんなものごった煮宗教マニア衒学好きにはたまらない残念なエヴァという印象

現代の日本世界情勢の分析について、中途半端現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。

アニメで言うとエヴァンゲリオンを見てる時と同じ感覚

ただし、主人公はシンジ君でもなければ碇ゲンドウでもなく、大川隆法というところがとても残念な感じ。

蛇足として、詳しくは語らないが、今回この本を読んで、なるほど創○学会と仲が悪いわけだと得心した。

2009-10-06

中田氏。おめでとう。

http://anond.hatelabo.jp/20091004232244

中田氏、おめでとう。

39歳、おめでとう

「僕は僕が嫌いだ」

「でも、中田氏できれば好きになれるかもしれない」

「僕は中に入れてもいいのかもしれない」

「そうだ、僕は僕でしたくない」

「僕は僕でしたくない」

「僕は中に入れたい」

「僕は中に入れてもいいんだ」


テロップ

『嫁に、ありがとう』

『ホロに、さようなら』

『そして、全ての非モテ達に』

『おめでとう』

2009-08-15

綾波レイ

 実物空間での、『会話したことの無い憧れの女性』を表現している。会話したことの無さが、表情のなさとして表現されている。

 物語空間重要な位置に立っているのは、思慕の強さのため。

碇ゲンドウ

 実物空間では「僕」にとっての部活動の先輩であることは、劇中で碇シンジと同居していないことからわかる。年長者としての権力をフルに使って愛しのあの子(=綾波レイ)を奪ってしまう。

 部活の先輩は父の幻影を背負っているが、ゲンドウはその父の幻影を本当に父として物語空間に描かれてしまったもの。

碇シンジ

 実物空間における、視聴者幼児的な万能感を持ちながら、無能さにも気付いている『僕』。

 物語空間では、幼児的な万能感が、チェロ演奏能力エヴァンゲリオンを操縦する能力として現れている。

葛城ミサト

 シンジの行動の良し悪しを判定する指導的な親の役割をしていることからわかるように、実物空間において、ミサトは「僕」にとっての父である。加持リョウジとの性的な結合(=アンドロギュノス)や、彼と同じく人類保管計画発動前に死亡することから、彼とは実物空間では同一人物であることがわかる。アスカ的な性的積極性を持っているのは、作り手の単なるイタズラ。

加持リョウジ

 実物空間における同一人物(=葛城ミサト)が持っていない父的な外見を、物語空間で描いたもの。実物空間では、「僕」(=碇シンジ)の父親。

惣流・アスカ・ラングレー

 猥談により、性交というファンタジーは実在するらしいと「僕」は信じている。友達から、それは確からしいものとして聞かされている。

 しかし、内気な性格のために、「僕」と女性の間には距離がある。物語のなかで性交を実現させるために、グロテスクなまでに性的な積極性を持った存在、それがアスカ

 実物空間ではアスカは、友達の恋人という疎遠な存在でしかない。

2009-07-05

ヱヴァンゲリヲン

ヱヴァンゲリヲンのその後

レイシンジを取り込んだまま凍結されるエヴァ初号幾。

廃棄される要塞都市。幽閉されるネルフ関係者

ドクマへと投下されるエヴァ6号幾。胎動するエヴァ8号幾とそのパイロット

セントラルドグマに幽閉されたリリスはその本来の目的である「物語」生成をはじめた。

ADAMを捕食したゲンドウ

リリスから生まれたエヴァ初号機綾波レイ碇ユイ/リリスの魂)と、碇シンジ(18番目の使途/リリン人類)を体内に取り込み「神」へ続く階梯を昇る。

リリスは「物語」生成により因果律を支配し、時空間に多元宇宙を発生させる。

最終目標リリスを撃破する為にエヴァ初号機セントラルドグマへ。

そこへ立ちはだかるEVA6号機と渚カヲル、月の裏側の地中深くの遺跡から発掘されたEVA8号機とメガネ

超絶最終進化形態差延し続ける碇ゲンドウの三つ巴の戦いの果て、全てを「捕食」する事によってエヴァ初号機は「巨大知性体リリス」を破壊するに至った。

「これで、全て終わる。リリスが発生させた「物語」は多元宇宙内で無限物語と登場人物の役割を変異させながら、様々な形象を持って「君と僕のセカイ」を数多の数生み出してきたが、「君と僕のセカイ」の、全ての始まりを断ち切った事で劇終し、僕(シンジ)は救われる」

シンジ独白後、結局宇宙は無数に分裂したままとなった。

シンジを巡る「物語」は収斂したものの、リリスの暴走によって、多元宇宙はそのままとされ「重力変動源」やら「光の国」やら「蟲と話す少女」程度なら可愛いもので「シュバルツシルト境界面を割ったり」「多元宇宙の先の神」とか「天使」とか「妖精」とか「炎髪灼眼」やら「魔法」とか「FSS」とか「ハードボイルドワンダーランド」とか「浮虜記」とか「古事記」とか「日本書紀」とか「聖書」と「カエサル物語」なんかが生まれた。

でも、その全ては「巨大知性体リリス」の記号的限界に直面している事が後に解明された。それらは東洋の島国に棲む少数民族が太古の昔に使用していた「言語」で書かれていたそうな。。

エヴァ日本文学宗教の融合の果てに「物語」の統合を図る「物語」でした。

俺の碇シンジを返してくれ

ヱヴァを昨日観た。まだ気分がもやもやする。増田で申し訳ないが、世間の絶賛の波に乗れなかった一人として感想を書き留めさせてほしい。(以下ネタバレを気にする人はスルー推奨)


旧作エヴァはとことん愚直に立ち止まって考えるアニメだった。「ぼくが何をやっても人を傷つけるだけだ、だったら何もしないほうがいい」。ロボットアニメの主人公がこんなことを言ってしまったら、物語はどこへも進まないのは誰が見てもわかる。あまりにミもフタもなさすぎる。だけどそこまで言ってしまうミもフタもなさに俺は惹かれた。ロボットに乗って戦う少年少女という「いかにもアニメ」な世界観を提示しながら、そこから視聴者を突き放すのがエヴァだった。

ああ、なのに。それなのに。10年経って帰ってきたのはいかにもヒーロー然とした碇シンジとそれを取り巻く生暖かい級友たち、そして予定調和がいっぱいの「いかにもアニメ」な世界だった。あのメガネ娘が空からシンジに衝突して「メガネメガネ…」と地面を撫で回し始めたところで俺はげんなりした。さんざんあれこれ遠回りして、結局戻ってきた場所がここかと。製作者は「アニメ的なお約束ネタとして楽しめるようになったんですよ」というつもりなのかもしれないが、単に居心地のいい世界に帰っただけにしか見えない。メガネ萌えというカルチャーや、美少女が主人公にぶつかるお約束を知らなければ、そもそもあのシーンの意味すらわからない。昔、あんなに「現実に帰れ」といっていたのは何だったのか。安野モヨコ漫画に対して「現実と向き合っている」とか「EVAでやりたくてできなかったことが実現されていた」と絶賛していたのに、そこから何も学ばなかったのか。

アニメ世界には、主人公にとって都合のいい女の子しか出してはいけないという憲法がある。旧作エヴァはその点を一応押さえつつも、あくまでも他者であるというエクスキューズを忘れていなかったと思う。アスカシンジを最後の一線で拒絶していたし、レイシンジに完全には心を開かなかった。それに比べて今作は、「シンジが望めば普通にやらせてくれそうな女子」が多すぎる。反吐がでそうだ。

そして何より、正真正銘のヒーローになってしまった碇シンジ。俺が思うヒーローの条件はいくつかあって、理由なく周囲から好かれていること、敵を倒すことに疑問を持たないこと、そしてストーリー重要でない人の存在を簡単に無視できることだ。ハリー・ポッターは悪人にもそれ相応の事情があるかもしれないなんて考えもしない。「この卑怯者め!」と言って打ちのめすだけだ。エヴァはそんなアニメじゃなかった。敵である使徒も本来は人類と平等の可能性をもった兄弟であり、一方でシンジの一番の敵は父である碇ゲンドウだという背反する設定こそが、エヴァをのドラマ性を高めていたはずだ。それが今作の使徒の描き方はどうだろう。あれじゃただのモンスターだ。特にあの空に浮かぶ球体のあいつ、シンジに心理攻撃を仕掛けた16話の使徒のエピソードがカットされてしまったのが痛い。使徒は憎むべきモンスターだという、ただそれだけで、シンジの心を映す鏡ではなくなってしまった。そんなの悲しすぎる。

今作のシンジは紛れもなくヒーローだった。カッコよすぎるくらいカッコよかった。本当は俺もシンジ君のカッコよさに素直に感動したい。褒め称えたい。でも、最後に一番大事な人の名前を呼ぶのに忙しくてもう一人の重傷者のことを完全に忘れていたところで、俺は動揺してどうしたらいいかわからなくなったんだよ。一番嫌だったのはあの「せめて●●だけは助けたい」ってやつだ。なんだ、その都合よく話をまとめるためだけの安い台詞は。要するに「もう一人の話は次回の映画伏線回収するので、いまはこっちの人に集中してくださいね」ってことか。物語的にはそれでよくても、俺はよくない。そんな製作者のご都合主義が匂ってくる台詞シンジから聞きたくなかった。そうやって感情を整理できるようになったんだね君は。立ち止まって考えるのをやめて、物語のために必要な台詞だけを吐けるようになったんだね。それが「大人になる」ことだって言うのなら、エヴァにハマったあの頃の俺を返してほしい。

幸福の科学アニメじゃあるまいし、あの程度の葛藤を乗り越えたくらいで頭から天使の輪が生えてくるのも気色悪い。こんな鈍感なヒーローが「人間を越えた天使」になるなんて、馬鹿休み休み言え。正直に言えば、旧映画版でもシンジだけが特別な人間として生き残ることには違和感を感じていたんだが、あの時はシンジがあそこまで自己否定して追い詰められた後だったからまだ理解できた。それがどうだ。こんなに易々とカッコよく天使になってしまう今作のシンジ現実世界にどれだけの絶望が転がってると思ってるんだ、もう一度「鳥についばまれて左目の飛び出た弐号機」からやり直して来い!

確かに旧作エヴァは病んでいた。エヴァを真面目に自分に当てはめようとすればするほど、自意識でがんじがらめになっていく感じはあった。だけどそこを出発点にして、みんな別のところに辿りついたはずじゃないのか、と思う。自分の場合、旧作エヴァを観ていた頃は熱に浮かされて「エヴァ的なもの」以外への興味をなくしていた。だけどそのあと、エヴァと全然違う面白さを持つ漫画小説映画とたくさん出会った。現実の生活にも10年分の変化があった。その中でエヴァという作品と距離を取れるようになり、エヴァを咀嚼して自分の血肉にできるようになっていったと思える。あの時エヴァにはまったほかの人も、それぞれ辿りついたんだろうと思っていた。その出発点が、今作で否定されている気がする。昔の友達にもらった手紙を大事にとっておいたのに、久しぶりに会ったら「あれ、なかったことにして」と言われた気分だ。

『序』『破』を見ていて飽きないのはわかる。映像に惹きこまれるのもわかる。だけど皆、こんな切実さのかけらもない馴れ合い世界で本当に満足なのか。スペクタクル萌え要素があればそれでいいのか。こんなものが50年後に残る傑作だなんて、何かの悪い冗談じゃないかと俺は思う。

 
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