はてなキーワード: 自給自足とは
誰にも見せるでもなく、自分のためだけに描いていて、それでも最初は気恥ずかしさがあった。
でもいったんやり始めるとこれがなんとも言い難く良い。
自分の絵で抜けるかどうか、つまり自給自足が成り立つかどうかについてだが、これはもう余裕で成り立つ。
多少絵や表現力が足らなくても、脳内の想像力で補完できるのも大きい。
悪い意味で同人レベルの俺レベルの絵で成り立つのだから、エロ漫画かなんて余裕だし、フル勃起で描いていると思う。
手前味噌だがだんだん画力も向上してきて、かなり表現力が上がった。
より良い絵を描くために液タブやクリスタも買った。
こういう話をすると「うpしろ」という声がどうしても増えるが、うpはしたくない。
自分の考えてることや変態さを知られたくない。世に公開するなんて恥ずかしすぎる。
でも最近は見せてみたいという気持ちもあり、いつか世に出すべきか葛藤している。これは俺のクリエイター魂的なのが理由だと思う。
それに言っといてなんだが、世の猛者どもに比べると俺の変態性なんて実際は大したことないレベルだろう、と思う。
ああ。見せたいような、見せたくないような。
永遠に悩んでいる。
自作エロ漫画の良さは、やはり俺の性癖に極めて忠実なセルフオーダーメイドの作品ができることだ。
おかげで俺のエロ漫画は特定のシチュエーションを脳死のように繰り返している。
だがこれでいいんだ。好みの絵でこればっかりで最高だよ。
ほんと最高だよ。
夜にちょっとしこるか…と開始すると、そのまま終わる頃には深夜ということがざらにあり、生活リズムを崩すことが多い。
普段のオナニーが右手にペン、左手に珍棒というスタイルで描きながら興奮したシーンでしごいて、達しないうちに台詞をタイプするため両手でカタカタして、またしごいてという繰り返し。
おかげで数時間、その体制で達しないまま描き続けしごきつつづけるみたいなスタイルが続いている。
うちの親がそういうの好きだったのか、あるいは自分が、
・超有名ピアノとかのとこ
・市が提供してる会場に講師が来て学ぶどっちかというと緩い感じのお絵かき教室
に通って、ことごとく結果が出なかったから、妥協でそっち系になったのか。
とにかく、小学生時代は”近所のおばさんがやってる個人の塾”みたいなところに通ってた。
小6の一年間通ってた。
同級生のお母さんだけど面識なかったし、恥ずかしいとかもなかった。
今の都会の小さい家なら2~3軒が庭に立つぐらいの豪邸でいい車が止まってた。
内容としては中1の教科書を生徒4人の理解度に合わせながら進めていく感じ。当時は気づいてなかったが、今思えば週1の一時間で教科書終わったから、凄くピンポイントで大事なところを重点的に教えてくれてたんだと思う。中1の英語のテストで無双できた。調子にのって、中2の2学期から英語は苦手科目になったが。
10~12畳くらいの応接間みたいなところで授業受けてた。
特定されやすい情報だから書けないけど、絶対忘れないぐらいのインパクトのある旦那さんと奥さんのソロバン塾。
個人宅だったけど、結構広いスペースがあった。12畳はあったと思う。
さぼってもばれないから、さぼってあんまりいかなかった。結局ばれて怒られてやめることになった。
その後なんやかんやあって、ソロバンとの関係性は良好(ただし計算はしない)。
2~3人ぐらい座れる長机が2*3ぐらい並べられてたイメージだからそこそこ広かったと思う。
ただ外観はボロアパート(当時でいう文化住宅?)で、多分2DKを全て習字教室に振ってたんだろう。
先生もそこに住んでるわけではなかったし。
毛筆と硬筆習って、硬筆は昇級機会も少なかったから大したことないけど、毛筆は、段まで到達した。
近所の会館で展覧会もあって、そこに自分の習字が張り出されてて、なんか誇らしかった。
お手本を紅い墨汁で書いてくれて、それを見ながら書くんだけど、席が後ろだと、重ねて謎ってもばれないので、結構なぞり書きしてたんだけど、ばれる時はばれて。
なぞりつつ、個性を混ぜてなぞったことをバレないようにするみたいな変な自分ルールで通ってた。
2~3年通ってたおかげか、字が上手くなったわけもなく、気合入れたら読める字は書けるけど、普通に書いたら翌日には自分でも読めないという、最悪の字下手になってしまった。
ほんとになんでなんだろう。
あと、ここの思い出は、先生が東京か福岡かによく出張か里帰りかなさってて、ひよこ饅頭が数か月に一回もらえたこと。当時は飲み物持ち歩く習慣なかったから、毎回口の中の水分もってかれながらも美味しく食べてた。
夫のほうは多分そんな顔じゃないんだろうけど、なんとなくムツゴロウさんみたいな印象で覚えてる。奥さんのイメージはもう思い出せない。細かったかな。
昔住んでた家の三軒隣ぐらいに、廃墟か芸術家が住んでるか、みたいな家屋があった。
他の家ってちゃんと壁とか塀があって、結構でかい家が多い地域だったのに、そこは草ぼうぼうで掘っ立て小屋が建ってるみたいな。
菜園はなかったかあってもすごく小さかったと思うけど、芸術家が自給自足で暮らしてますって言われてなんの違和感もない。
結構小さい頃に通ってたから、細かいことは忘れたけど、一度そこの生徒と画家夫婦で動物園に行く、みたいなイベントがあって、
動物園に行ったのに、そこらに居る鳩書いて、自分史上最高の絵が描けた瞬間でもあったし、めっちゃいろんな人に褒められた記憶がある。
今はもう、その家屋はなく、隣の家の建て壊しのタイミングで、土地くっつけて大豪邸が建ってる。
40年近く前のことだけど、覚えてることは覚えてるなー。(割愛したことも沢山)
またこういうゆるーい雰囲気の習い事が増えていくような国になったらいいなと思ったり。
余談だけどあと習い事で印象強いのは、妹が行ってた個人宅でのピアノ(某超大手略)とか、
ロシア都市部の富裕エリート層に人気のあったフランス産チーズ、スペイン産ハムをはじめとするグルメ品は商店の棚から消えた。
ロシアは乳製品や食肉産業の発展を含め多少の成功を収めたものの、食料禁輸措置による物価上昇は消費者に年間4450億ルーブルの負担を強いるものとなった。
制裁措置が発動される中、ロシアの指導者らは自給自足経済の促進に多大な精力を注いでおり、ソ連時代の経済を称賛さえしている。
ロシアは、西側諸国の制裁に対する経済的抵抗力を高めるため、何年も前から輸入品への依存度を下げようと努めてきた。
対ロ制裁の影響を見ると、ロシアの輸入依存度引き下げの努力が奏功していないことがはっきりと分かる。
ロシアの自動車業界の一部は、外国製部品の不足により閉鎖に向かっている。ロシアの威信をかけた国産ジェット旅客機は、エンジンなど主要部品の供給を海外企業に依存している。外国製のペットフードや医薬品は商店の棚から消えた。