はてなキーワード: 頭骨とは
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230723205746
カテーテルでの手術だが、気管挿管をして全身麻酔で行うことになった。ミリ単位での治療になるので頭をなるべく固定したいとのことだった。
夫いわく、カテーテル検査は局所麻酔で行ったのだが、造影剤が入った瞬間、うわぁつとなる感覚があって、思わず身体が動いてしまう時があるそうだ。
主治医は「脳ではそういう感覚は出ないはずですが」と言っていたが、術中に身体を動かさないように念のためとのことだった。
カテーテル手術が終わったら、1日明けて、開頭手術を行う。
開頭手術は、主治医ではなく、ベテランの脳外科医が担当してくれることになった。
脳外科部長を務めるぐらいのキャリアがあり、後頭部からの手術の経験が豊富だとのことだった。
「頭蓋骨を外したらその部分はどうなるんですか?」
頭骨を切って外して、窓を作り、そこから顕微鏡で見ながら、脳の神経を避けながら、奇形になっている血管をレーザーで焼いたり、クリップを設置したりで、血流がいかないようにする。
こんな大手術に耐えられるのか。
説明を受けた夫が車イスで病室に帰った後、主治医に再度聞いた。
「どのぐらいリスクがあるものでしょうか? 夫の前では聞けないのですが」
持病がいろいろとある夫が開頭手術に耐えられるのか。開頭手術にはなんらかの後遺症が出るのではという不安があること、あまり例がない手術ではないかなど、率直に話をしたところ、執刀を担当する医師から話を聞けることになった。
執刀医も、主治医も、懸念をしているのは、問題の血管からの出血が脳幹にたまったことだという。
今回はたまたま出血量が少なかったから良かったが、次はこうはならないだろう。
脳幹は生命維持に関わる個所なので、なるべく手術を急ぐのは再出血が怖いからだと。
このような部位に血管の奇形があるのは珍しいが、術式としては経験があるし、一か八かのような手術ではない。
「セカンドオピニオンを取りますか?」と聞かれたが、セカンドオピニオンの手配をして、手術の段取りを壊すよりは、なるべく早く手術を受けた方がいいだろうと判断した。
懇談室で待っているのもくたびれて、手術室前のベンチに座っていたら、ちょうど主治医が出てきた。
「無事終わりました。もうすぐ出てきますよ」
と声をかけてくれた。
ICUに運ばれていくところで、
「終わったよ、手術うまくいったよ」
と夫に声をかけたが、麻酔でぼんやりしていて「え、なになに」というような反応だった。
ICUへ運ぶ看護師たちもホッとしたようだった。意識も戻っているしとりあえず、第1関門は通過したと思った。
「明日の手術は延期させてください」
なにか悪いことが起きたのか、とドキッとしたが、
昨日のカテーテル手術は、脳の奥にあってメスがいれられない箇所にある奇形の血管を塞ぐのが目的だった。
夫の体の血管の配置が、生まれつきカテーテルを入れにくくなっているので、時間がかかっていたのだが。
今回は通常とは違う部分から入れるように工夫をしたところ、思いのほかうまくカテーテルが入ったそうだ。
と主治医は説明をしていたが、開頭手術で対応しようとしていた箇所の血管にもカテーテルでアプローチをしてみたところ、ふさぐことができた。
造影しながら手術を進めていたが、画像を見る限り、対応しようとしていた血管のほとんどで血流がみえなくなってしまった。
確かに、血管の影が映っていない。
モヤモヤしていた部分が消えている。
予想していた以上の成功だった。
治療の副作用で、しばらくは激しい頭痛が続いたので、大事をとって入院をしただけで、再出血の恐れはほぼなくなっていた。
退院の時はタクシーで帰宅をした。その日は近所を歩くのも難しかった。入院していただけで体を動かしたわけでもなかったのに夫は10キロ以上やせたそうだ。
「脳ってエネルギーを使うんだね」
リハビリとして、昼間は出歩くと体力が消耗するだけなので、夜二人で歩くようにした。
少しずつ距離が伸びて、やっとスーパーまで行けるようになった。そんなことがうれしい。
並んで歩けることがこんなにうれしいなんて。
めっちゃ好きなんだけど最近豊漁らしくて安くなっててうれしい。
どれくらい好きかっていうと回転ずしでいわしだけ20貫食うとかを日常としてやっている。
とりあえず大量に買って下処理してミンチにして冷凍しとけば好きな時に食える。
(追記)
いわしを頭骨ワタ取ってフープロで粉砕するのがメンドイ奴はスーパーの冷凍コーナーで「いわしのたたき身」みたいなの買うとミンチと同じ感覚で使えるやで。
ワイはたたき身からいわしハンバーグ道に入ったんやが今後いわしハンバーグを食い続けるにあたってコスパを考えてフープロを手に入れたんや。
フープロ使う場合は溢れ出るいわし臭対策としてキッチンハイターがおすすめ。
あとワイが好きなんはブクマにもあるけど煮つけに梅干入れたやつ。
化石博物館では去年発見されたミズナミムカシアシカの企画展が開かれていました
同種の化石は以前から一部が見つかっていたものの、今回は頭骨が見つかったため
クリーニングに10日80時間、レプリカ作りに2週間も掛かったと説明されてましたが
どちらもとても早いと感じましたの
すごい根気と集中力ですわ
企画展の展示室にあるものはクリーニングが完全に終わったもので
常設展示の方に置かれたものは石の付着が残っているものでしたわ
瑞浪mioちゃんのコラボ紅茶が公園内のレストランで売っているそうでした
やくならマグカップもの次は瑞浪mioちゃんをアニメ化してほしいですわ
陶磁資料館では「山五陶業 洋食器の世界展」が開かれてましたわ
おそらく以前にも山五陶業の企画展は開かれていて見覚えがありました
加藤孝造先生専用スペースと思っていたところが第一展示場になっていて
いつものところが第二展示場になっていたので、様々な洋食器が見れましたの
アメリカでの鉛規制を契機に、あえて規制が厳しくなったアメリカに工場を進出させて
生産をおこなった発想はすばらしいと思いましたわ
展示されている会社の新品同様の制服と、古い写真に写っている方が着ている制服が
市ノ瀬廣太記念美術館では「天野裕夫彫刻展」が開かれていましたわ
樹齢1300年と言われていたけれども本当の樹齢はその半分だったことが最近ニュースになった
倒れる前に樹勢回復のために行われた枝打ちから素材をいただいて彫刻にしたそうですの
天野先生の作品はベルセルクの使徒を連想させるような幻想的な怪物の彫刻が多かったですわ
彫刻の表面を小さな象さんの像がたくさん歩いているところも特徴です
象さんが作品の基本単位で、たくさん集まって作品に変身しているイメージを抱きました
復元が古かったけれど寂しいです
元増田は絵師あるあると一緒。自分ができてないやつに限って一枚でも多く描けとか、お前がスレに書き込んでる間に他のやつは描いてるだとか、ブーメランを連発する痛々しい人が沢山いる。
正解を言えば競争率の高い分野に転がってるタイプで、多分なろう小説界隈にも売れてないV界隈にもいると思う。
絵師界隈には他にもたくさんいて、
脳内ダンプって感じでまあまあ、読む人のこと全然考えていない悪文です。なにかの主張とかじゃなく現時点での自分の脳内の整理(とちゅう)です。
どっちが狂っているのかはまだ良くわからん。
とりあえず世界には割と正常な部分と狂った部分が両方ある。当たり前だけど正常っぽい動きのほうが多い。
でも正常な主張や理論に基づくそれぞれの人の動きや制度の仕組みが重なって、狂った現実を紡ぎ出す場面も度々目にします。
よくわからないなりに、折り合いつけているんだけど、それはこの世界の狂った部分を認めているわけじゃなく、世の中狂ってるよな〜。世の中の狂った部分に巻き込まれないように注意して安全ルートを生きるしか無いよな〜。といった形で生きます。
自分からなんちゃら教に足を運んで、狂気の渦に巻き込まれる必要ないし。
大企業とかエリート公務員目指して、圧倒的な過労状態で心身をすりつぶしながら、名誉だか金だかを価値の全てであると、そういった謎の心情にすがりついて、生きるのも良くわからないし。いや、わかるんだけど、その先に何があるかと言うと、実は何も無いのではないか、なにもないことをちゃんと理解した上で空虚に自分の命を燃やしていることに気がついているのか、それを飲み込んでの働きなのか。
そういった部分を考えていくと、ルサンチマンっぽくなるんですけど。
ルサンチマンと違うのは、そういう活動をする人の事自体は批判とか反対とかはしないっていう、そういう考えというかポリシーはあったほうがみんな自分の活動を認め合うことが出来て、比較的幸せな世界になるのかなーって思うけど、
みんな他人の行いはおろかで醜く無用なゴミだと思ってる感じはする。自分も他人がやっているどうでもいいこととか、どうでもいいことでエラソーにしているやつ見かけたら、脳天かち割っててめえの頭骨にヒヤシンス植えてやろうか!ってな気分にも一瞬なる。
だけど、まあ。エラソーにしてるやつが、エラソーな態度するかどうかと、自分の人生にそのエラソーな態度がなんか関係あるのかとか考えると別に自分の人生になんの不都合もないし、エラソーにしてるやつのこと別にどうでも良くなるので、エラソーにしたことに対して頭かち割るのはやりすぎだよなっていう、常識的な結論がついさっきの激情を沈静化させるので、なんとか平静を保てます。
殺されたくなかったら、交友関係とか家族関係のメンテナンスに力を入れるべきです。
不審査警戒して監視カメラとか防犯ライトとかつけても意味ねーです。
あと自分が狂っているかどうかって、やっぱりわからない気がするので、自分が狂っている可能性をいつも頭の片隅に入れておいて、取り返しのつかない行動(たとえば殺人とか)をやらない、みたいな線引は引いていたほうが良い気がする。
でも自分は家族とか知人とか皆殺しにされて、そいつらが絶対的な悪事してたから犯されたりぐちゃぐちゃのミンチにされたり、死体にしょんべんかけられたりするの当たり前だよな〜みたいな感じで、世界中の人間が狂いまくって自分を敵視した時、殺人の衝動を抑えることができるかと、まぁそんなこと無いんだろうけど、仮にそんなやべーことになったとしたらと考えると、流れぶち壊しですまないけど意外と殺人しないような気がする。
まあ実際になってみないことにはわからないんだけど、屈辱というものがどこから来るのか、ってのは自分が社会のどの位置に存在していて、その位置関係、自分の脳内の中の社会マップみたいな部分で自分のいちを誰しも把握していると想うんだけど、仮にそれを脳内カーストとでもしようか、
脳内カーストとずれた態度をされる、たとえば後輩から呼び捨てにされてパシッてこいとか顎で使われたら、めちゃ怒るひと居ると想う。その人は脳内カーストと現実のズレに恐怖するし怒るわけですよ。なので、最初から脳内カーストがどれだけ信憑性あるのかとか、実は脳内カーストってのは妄想であり、現実世界と対になるものではないってことに気がつけるかどうかな気がする。
それに気がつけば、人はすぐに死ぬし、ゴミ雑巾のように殺されるし、ゴミ雑巾のように他人を殺すっていう現実を受け入れられる気がする。
それ受け入れるとどうなるかといえば、自分の苦しみがなくなるのかな。仏教だと多分そんな答えだろう。
神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)信じてる系の人なら、神様(他、スピってる人とか超常の力(ご先祖様、魂のステージ)などなど)が、私の日頃の行いを評価してさばきを与えてくださる、世の中の幸福のバランスをもとに戻してくれる(公正世界仮説)みたいな、現実逃避のありもしない妄想にすがりついて、死ぬまで苦しんで生きるしかないっぽい。
自分のために怒ってくれるの嬉しい!っていう気持ちはわかるけど、そいつが怒ったからって現実が変わること無いし、もっと現実世界を丁寧に扱って、人間関係とか社会構造のヒエラルキーとか、そういった目に見えないどうでもいいことに固執するの、そろそろ狂っているっていう自覚は、ぽつぽつと気がつく人が出てきてもいい頃合いかな(過度な期待)〜って感じです。
透明のガラス戸ってあるじゃん。あれをガラガラ~つって閉めるふりすると、戸が空いたままにもかかわらず犬がそこに入れない〜っていう、見えない壁の存在を感じてる困っているわんちゃんがめっちゃ萌え萌えきゅんきゅんのヤバかわ動画があるんだけど、(invisible door とかでググれ)昔だと宗教の謎の論理性のかけらもない嘘話を信じ込んで神の教え(文書書いたの人間だろ!)を守れば死後救われる系異常者集団。現代だと人権とか金とか地位とか、そういうこの世に存在しない概念とかイデオロギーを盲信してる人ら(まぁ自分も一部イデオロギーの主張には乗ってるけどそれが宇宙の真理ではなく人間社会の秩序をより良くするための方便で、人工的に作り出された共同幻想であることは自覚してる)はさ、そういう妄想とか幻想を、現実と捉えてて教信者じみたムーブしているの、狂っているとしか思えないし、事実狂ってる。
社会のほとんどの人が空気のように受け入れてる概念(コンセプト)やイデオロギーってのが、妄想の産物であると、共同幻想であると、どれだけ意識しているのか、一人ひとりがそれらを認識すると世界変わるだろうけど、
人間の身体(脳を含む)は基本原始人と同じなので、急激な社会や文化の変革は望めないかな。
実は自分というものも存在しないし、自意識ってのはこれら幻想と同じで実在はしていないらしいっすよ。これはなんとなくわかってて、ソフトなんだから、意識も何かしらのデータであり情報であり、波とかいうとかっこよい理系っぽい感じする。なので物質の上に乗っかった性質みたいな感じで、実在しているかと言うと、実在はしていない感じする。神とか金とか役職みたいな感じで、世の中の人が俺の意識あるよな〜っていう感じに認識している(本人含む)ことで初めて、人間の自我とか意識が立証されていて、すごい不安定なものが人間社会の基礎になってるんですね。
ヘレクスルとは、モンゴル、アルタイ、トゥバ、天山に散見される積石塚である。ただ石を積み上げただけではなく、その周りにさらに石を方形、円形にして囲んだ形状を取る。高さ最大50メートル、石囲いは最大一片200メートル。モンゴル人はこれを「キルギス人の墓」を意味する「ヒルギスフール」と呼び、これがロシア語風に訛ってヘレクスルとなった。
その石囲いの外側には、さらに数基から十数基の石堆が存在している。そして、石堆からは馬の頭蓋骨、頚椎、蹄などが発掘されており、ヘレクスルに埋葬された人間への供物として捧げられたと考えられている。馬の骨については、頭骨と頸椎が東を向いて出土するなど、興味深い事例もある。
ここで注意しなければならないのは、この墓(註:そうではないという説もある)を作ったのは遊牧民族であるということだ。つまり、何よりも貴重な資産である馬を殺すことのできるほどの資力と権力を持った人間が、ヘレクスル建造当時存在していた、ということである。つまり、遊牧民族国家の成立の時期を考える上で重要な史跡である。さらに、人口希薄な地域の話だから、かなり広く及ぶ権力を持った人間でないと、大人数を招く宴会を開くことができなかったことだろう。現在もモンゴルは日本の四倍の面積を持ちながら三百万人ほどしかおらず、これは横浜市よりも少ない。
鹿石とは、その名の通り鹿を刻んだ巨石である。ヘレクスルの周囲で出土することが多い。人間、特に武具を描いたものは戦士を表現したものだという説もあるが、それではヘレクスルに埋葬された人物とどのような関係にあるのかまでは、はっきりしていない。文様の抽象化の度合いなどで、三種類の様式に分けることができる。
右側頭骨骨折
急性硬膜外血腫
外傷性くも膜下出血
脳ヘルニア
錐体骨骨折
まだ全治不明
震えながらメモりました。 https://t.co/TGzHxSAaCi— amy0926 (@amy09262) February 20, 2020
こちらでは現地に産する礫岩中に含まれていた片麻岩の礫が20億年前の日本最古のものであったことから、
25人も乗れるエレベーターが「タイムスリップ装置」になっていて、
光の演出後にエレベーターがガタンと動いて、太古の地球に行けますわ。
「太古の地球」には世界最古のアカスタ片麻岩からストロラトマイトなど
有名どころの岩石の立派な大型標本が展示されていて、
始生代のマグネシウムが豊富な火成岩「コマチアイト(コマネチアイトではありませんわ)」
円磨された石英が岩石になった大陸に特徴的な堆積岩「オーソコーツァイト」
などは聞き覚えがなくて興味深かったです。
本当にいくつになっても知らないことばかりですわねえ。
・・・・・・ただ、忘れているだけかもしれない事実がつらいところです。
なぜかモロッコの岩石を推していて、モササウルスの頭骨標本も展示されていました。
でも、出典を明記しないよりはよろしくてよ。
また、入り口のところではモロッコ産のサメの歯とアンモナイトが100円で二つまで「ハンティング」できて、
ついつい没頭してしまいましたわ。
どうせなら現地のチャートを磨いた物のほうが欲しかったですわ。
展示をみるとなかなか綺麗ですし、昔の人も石器に加工していました。
地学系博物館にありがちな動く地質立体模型でせり上がってきた地質断面図に
この岩体を含む地層の走向を追っても石灰岩が露頭していません。
どうしてこんな図が描けたのかしら?と注意してみると、
周囲の地層が褶曲構造をなしており、反対側の翼では石灰岩が露頭していました。
これが反対側では地中のあのあたりに現れると推定して描いたのでしょう、
徹底的に深いボーリングをしたのでなければ。
礫岩から命名したそうです――博物館名と同じくどうにも安直ですわ。
ごろんと道路をふさいでレッカーされそうですわ。
わたくしなら岩の男の子だからロックマ・・・・・・レッキーくんのお名前とっても素敵だと思いますわ。
おほほほ。ごめんあそばせ。
予定日より2週間早くおしるしの出血があり、陣痛が始まり、夜中に入院。
医師が吸引を試みるも、やっぱり出てこない。
赤ちゃんの心拍が弱くなり「帝王切開に切り替えます」という医師の声。
スタッフが慌ただしく手術の準備をする中、看護師長から「あなたは十分頑張ったわ、あとはこちらに任せてね」と言われた。
夜中の入院から7時間以上経過しており、眠っていない私の意識は朦朧としていた。
麻酔科医からの質問にもうまく答えられず、付き添いの母が代わりに答えてサインしていたようだ。
とにかく、陣痛の痛みを何とかしてほしいのと、赤ちゃんを助けてほしいだけ。
しばらく待って麻酔の効き具合を確認され、感覚が残っている箇所があったけれど、赤ちゃんが危ないので切開することに。
メスを入れられたのは分かった。
下に降りていた赤ちゃんをグイッと取り出すのも分かった。
私は後処理と縫合。
少し痛みを感じて、麻酔を追加で吸入した。
麻酔科医がずーっと話しかけて、眠くて仕方なかったので「眠っていいですか?」と聞いたら「ダメです」と言われた。
手術が終わり、医師から「あなたは今後も普通分娩では産めないから、次は2年ぐらい空けるように」と言われた。
児頭骨盤不適合とのこと。
やっと病室に戻れたものの、しばらくは麻酔のチューブが付いたまま、体を起こすこともできない。
医師が新生児室で赤ちゃんの写真撮って持って来てくれたので、それをずっと眺めていた。
「おまえ、頑張りが足りなかったね」
第一声にわが耳を疑った。
この人の子どもは二度と産まないと心に誓った。
私のいた病院では、帝王切開だと点滴が外れるまでの間、赤ちゃんは新生児室で過ごし、母乳の時間だけ看護師さんが連れて来るというスタイルだった。
「この部屋にはどうして赤ちゃんがいないの?」
「ふーん、部屋に赤ちゃんがいないから産んだ気がしないでしょう?」と私を向いて言った。
長い時間豚骨を煮込んで作る性質上、何食分もまとめて作ってタッパーに入れて冷凍しておく。
乳化していたスープが油と水に分離するのだ。
そして、油の多さに驚愕する。
大体1/4は脂である。
(豚骨からは殆ど脂はでないが、コクを出すために背脂をそれなりに入れる)
スープは300ccとして70ccは脂。70ccの油脂は630kcal。
そして、麺。
いわゆる一玉は大体150gくらいだけど、大の大人はそれではさすがに少ない。
大盛り=1.5倍とすると、加水率40%として、小麦粉は135g。大体500kcal。
これでもう1130kcal。
これに香味油とかチャーシューとか入っちゃうともう見ていらんない。
あと関係ないけど、色々あるラーメンの内、博多とんこつだけが牛乳が入ってるかのような
白いクリーミーなスープなんですが、
あれ、作り方云々の問題じゃなくて脳味噌たっぷりの豚頭骨を使うからなのね。
これ、豆ね。
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。
結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。
病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。一日に1リットルか1.5リットルの点滴が命綱。病院食が出るも自分では全く食べられない。鼻からチューブを入れられたり、果ては胃瘻を造られたりして栄養を流し込んでもらうことになる。
今、悲惨だと思ったか?経腸栄養をしてもらえる老人はまだ幸せだぞ。胃瘻を造ってでも生きて欲しいと願ってくれる家族がいるんだから。赤ん坊に戻ったような、自分でメシを食えない老人は大抵そこでストップだ。医者が家族に話をする。「認知症に老衰もあって体力がなくなり、ご飯を食べられなくなりました。経鼻胃管か胃瘻で栄養を入れることもできますが、どうしますか」家族は言う。「食べられなくなったならそれが寿命です。このまま看取りたいです」そうするとどうなるか。命綱の点滴を減らしていく。1リットルが500ミリリットルに。500ミリリットルが100ミリリットルに。もちろん、そんな量で生きていけるはずがない。最初は大声を出して暴れていたような患者も、それが1週間も続けば動けなくなって、ひからびるように死んでいく。血圧が70くらいになったら家族が呼ばれ、死亡確認をしてお終い。
悲惨だろう?ところがどっこい、こうやって看取られるのもまだ幸せな方だ。看取ってくれる家族がいるんだから。死ぬまでお見舞いに来てくれる家族がいるんだから。認知症が進んで医者と家族の区別もつかない老婆に、同じく足腰の立たない旦那が毎日車椅子に乗って会いに来ている。神経疾患で人工呼吸器を着けられ、目でしか会話できないのに、週に1回は孫がやってくるおじいさん。そういう人はゆっくりと衰えていって、静かに家族に囲まれて死んでいく。これは幸せな方なんだ。
本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。
今はまだそういった「本当の独り身」の高齢者は少ない。何だかんだ言って息子夫婦がいたり、親戚がいたりして、見舞いと看取りに来てくれる人がいる。特にこんな田舎では、高齢者の友達づきあいも残っているから。だが、まれに見かける本当の独り身は、悲惨としか言いようがない。そういう老人はたいてい、市営アパートか、先祖から受け継いだ古い家に独りで住んでいる。足腰の立たない高齢者にはたいそう暮らしづらい。そのうち転んで骨を折ったり、肺炎にかかったり、今の時期だと熱中症にかかったりして(クーラーがない家も多いのだ!)救急車で病院に運ばれてくることになる。
病院でもこういう患者は困ってしまう。骨が折れた、肺炎だ、入院させて治療するのはいい。だが、家族もいない、介護サービスも利用していない老人は治療が終わっても家に帰せないのだ。最初の内はまだいいが、老人は何度も繰り返し病気になる。そのうち体力がますます落ちてきて、認知機能も衰えて、やがては独り暮らしなど全くできなくなって、やせこけてわけも分からない状態で運ばれてくる。誰が世話をするのか?介護の費用はどこから出るのか?方針を相談しようにも、親族もいないのだから病院だけで考えるしかない。もちろんソーシャルワーカーが仕事をしてくれるが、果たしてこの老人は、自分独りで生きていけない老人は、生きている意味が、楽しみがあるのか?という思いを誰もが抱える。そんな老人が治療不可能な状態になれば、家族に相談するまでもなく(相談する相手がいないのだから)ゆっくりと看取る、ということになる。わけが分からないまま、病院で誰にも見守られず枯れていく老人。
また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。90歳近くまで元気だった独居男性が、大腿骨頭骨折(老人にはよくある)で病院に入院したところ、あっという間に認知症が進行してわけも分からない状態になった。これもよくあること。隣県に住む息子に連絡を取ってみたところ、オヤジは昔からオフクロにも俺達にも暴力を振るって、家庭を顧みない人間だった。独りで暮らしているのもオヤジの勝手だし、今更世話なんかしたくない。死ぬならそのままでいい。もちろん、キーパーソンの了承のもと看取りコース。これまた悲惨だが、生き様だ。
20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。
748 :ソーゾー君:2013/08/05(月) 20:30:19 ID:kZPKndMU
http://mblog.excite.co.jp/user/lumokurago/entry/detail/?id=14127123
↑1~4まで有るから読め・・「書かせたと言う事だ・・」
精肉加工の倉庫で凍らせて専門の良く切れる刃物を手慣れた作業者がやらないと無理だぞ?
生首は透明のビニール袋に入っていたよな?だけど湿気で曇って中が見えなかったよな?
そして生首の髪は濡れていた・・
凍らせて首を切りビニール袋に入れた。
首の切断面は凍らせて専門の刃物で切断させたものなのはアホでも分かる・・
生首が何の支えもなく立つ為には頚椎一番と後頭骨の間で切断しなきゃならんぞ?
俺の言ってる意味分かる?
しかも犯人とされる少年♂の当時の身長は低くての校門の柱に首を乗せる事は困難だぞ?
しかも早朝に家を出たのか?首が置かれたのは何時だよ?
怪しい男を見たと言う目撃情報は有るんですけどねぇ・・
秋葉原の時と同じだな・・「馬乗りになって返り血を浴びながら何回も刺した」
「銃声のような音が聞こえた」そりゃ胸部貫通で死ぬ人も出るわな・・
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1341660429/
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1393680484/