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はてなキーワード: 枚挙とは

2023-05-10

anond:20230510103958

選り好みしすぎやろってだけの話な気はするけどな 女に不自由してないアルファオスにしか向かっていかなければそりゃメチャクチャされるやろ

婚活で聞いた話だけど、誰からもお誘いいただけないんです…とか言ってた女性履歴カウンセラーがチェックしてたら100人近くのお誘いを断っててしかもそれを綺麗サッパリ忘れ去ってたっていう残酷な話があった アルファ以外はもはや視界にすら入ってないんよ 見る目がないというかなんというか、普通に信頼できる男友達いつまでも異性から相手にされてなかったりクズが女をとっかえひっかえしてる場面なんてもう枚挙にいとまがないやろ

かなり極端なブサイクなら女も視界にすら入れてもらえない場合はあるけど、誰かに助けを求めてくるタイプメンヘラかになってくるとそことも様相が違ってて、そりゃ見てるところが悪いというか自業自得よって感じだな

2023-05-07

anond:20230501224734

俺は古い人間普通に恋愛結婚したけど、俺にとっての結婚は完全に将来のセーフティネットなんだよな

2人いれば片方に何かがあってもどうにか生活が続けられるし、結婚という縛りで否応なく自分パーソナリティを把握してる人が一人いるってそれだけで相当心強いぞ

メリットがどうこう言い始めて結婚及び腰になる人達って、なんというかすごく自分に自信があるんだろうなと思うわ 絶対病気にならないし絶対会社クビにならんのやろなって

まぁ危機に陥った瞬間に逃げる異性とくっついたらそれはそれでさらに終わってるからそういう意味でのリスクヘッジというのはわからないでもないんだが

最近こういうしょうもないことウダウダ考えて婚期遅れる人が多いんだよな

子供を何人も生みたいとかになると結構大変だけど、普通にそこそこの収入あったら二人分の生活費捻出くらいどうにかなるやろ それで高級外車が買えないからどうとかならまぁ車と一生心中してくれやって感じ 30歳の時に結婚願望なかったけど40歳とか50歳になって急に焦り始めた人の例なんて枚挙にいとまがないのにそういうのも全部見えないんだろうな

別に元気で気力に溢れてて親も元気な若いうちはいいよ 一人で楽しめるんだからそりゃ独身自由に遊びまわったほうが楽しいだろうし困ったら親が助けてくれるんだろうけどさ

高齢になって文字通りの独り身になったりしたらマジでどうするつもりなんだろうね 少ない年金独身仲間とゲートボールしてSNS写真あげて楽しむのかな?

いつまでその一過性の楽しみが続くと思ってるんだろう、結婚とかの縛り抜きでいつまで他人自分にかまってくれると思ってるんだろう ほんとにすごい自信だよ俺には全く理解できない

最近友人の女性が似たようなこと言ってて、こいつ30代になるまで本当に楽して周りからチヤホヤされて育ったんだろうなって衝撃を受けたわ 人生設計がぬるすぎるし恋愛だのなんだのいつまで高校生気分でいるんだろ

2023-05-01

男にも女にも「弱い異性を庇護したい」「強い異性に庇護されたい」欲があります

男にも女にも「強い異性に守られたい」欲と「弱い異性を守りたい」欲の両方があります

(性的マイノリティを除く)

男の「弱い異性を守りたい」欲と女の「強い異性に守られたい」欲は普通恋愛関係で満たすことができます。やはり、男の方が力が強いし、男が歳上の方が一般的ですからね。男の加齢より女の加齢の方に世間は風当たりが強いので

しかし、男にも異性に守られたい欲はあります

これはオタク界隈の「バブみを感じてオギャる」という言葉に表れています

また、女にも異性を守りたい欲はあります

ジャニーズに「守ってあげたい」などというおばさんはその欲を前面に出しています

では、女の「弱い異性を守りたい」欲と男の「強い異性に守られたい」欲はどこでもっとも満たされるのでしょう

それは「母と息子の関係」です

母にとっての息子という「生まれる前から存在を近くで感じていて、産まれたばかりの頃はふにゃふにゃで、少し歩き出すと危なっかしく目が離せず、無邪気で、掛け値なしに愛を表現してくれる小さな異性」。

息子にべったりで成人しても甘やかしてしま母親、「息子を蔑ろにしたら許さない!」と嫁いびりする母親、一方で娘を蔑ろにする母親恋人や妻に母親代わりを求める男の話は枚挙にいとまがありません。

父と娘も似たようなものがあるかもしれませんが、現状子育てに多く関わってるのはやはり母親だし、父親では生まれる前から体内で存在を感じ続けるわけにはいきません

男児母親名誉男性が多い」と言ってたフェミの人がいましたが、小山晃弘わかり手も似たようなことを言っていて、実際その通りなんですよね

息子の母親の方が、裁判員になった際に性犯罪者の刑を甘くしたり、女の服装も悪いとか言い出したりしま

コンクリ事件犯人母親なんか「この女のせいで息子の人生は狂った」と言いながら被害者の墓を荒らしたそうですし

弱くて可愛い息子を、誑かす悪い女から守ってあげなきゃ!と思う心。

女の異性に対する庇護欲は拗らせると厄介なのかもしれません


ブラザーペナルティと言って、弟のいる姉ほど専業主婦を選びやすく、収入も低く、より「伝統的な女らしく」振る舞います

どちらかというと「兄のいる妹」の方が、兄との関係から「男の方が強くて偉くて従うべき」という男尊女卑内面化しそうだと思いませんか?でも、そうはならなかった。

先程言った「息子にベタ甘、娘を虐げる」母親ですが、子供達が「姉と弟」の時にそのパターンが強化されるようです

息子は弱い、息子は無邪気、息子は小さくて可愛い、娘は強い、娘は言葉が早くて生意気、娘は可愛くない、娘に息子の世話や家事を任せればいい…という意識が年齢差によって強化されてしまうのです

自身、弟の世話や家事をすることで庇護欲を満たし、伝統的な女らしさを内面化するのか、それとも弟に比べて教育愛情をかけられずにそれが収入生き方に反映されるのかはわかりません

たまにいる「おばさんと若い男」のカップルは、女の「弱い異性を守りたい」欲と男の「強い異性に守られたい」欲を恋愛によって満たすレア関係なのでしょう

2023-04-10

人気Youtuberってやっぱりめちゃくちゃ儲かってるんだな

Youtubeでの動画投稿お金になる。というのは自分も昔から知るところではあったのだが、具体的にどの程度お金が入るのかは全く想像もつかなかった。

巷では1再生0.1円という噂だったりYoutuberの年収予測をするサイトがあったりと、その手の信憑性の無い情報枚挙にいとまがない。(この投稿自体ももちろん例外ではないが…)

まり、それだけ視聴者の関心も高いところではあるので、Youtuber本人がネタの1つとしてYoutubeの収支報告をするような動画も数多く存在するのだが、人気Youtuberにも大金を使う動画を上げる者も居る一方、同程度のチャンネル登録者数でも破産寸前と貧乏生活を押し出す者も居て、全て話半分に聞いていた。

そこで詳細は省くが、たまたま軽い気持ちで始めたチャンネル奇跡的に収益化を達成し、晴れて自分の懐にもGoogleからお小遣いが入り始めたことで、自分の知る人気Youtuber達がいかに儲かっているかということが見えてきた。

具体的な数値で言うと、自分チャンネルでは10分程度の動画10再生されると5万円前後お金が入ってくる。1再生0.5円。

この時点で1再生0.1円と言う数値とはかけ離れているのだが、この数値は動画の長さや表示される広告クリック率など様々な要素によって大きく左右される。

そのため、動画時間20分や30分を超える動画であれば1再生1円を超えることも普通にある。

(ちなみに動画時間が8分を超えると、投稿者が動画の間に自由広告を挟むことができるようになる。)

表示される広告の種類は投稿者側で一切指定はできないので、AI自動効果の高い広告を選んで表示しているようだ。長くチャンネル運営するとこの辺も最適化されて収益率もより高く、安定してくるようになる。

じゃ月収にしてみるとどうなのかというと、はっきり言って全く安定しない。

チャンネル登録者が数万人程度だった自分チャンネルで最も収益が高い月で60万円。

しかし、同じペースで動画を上げていても10万円前後になることもあった。兼業Youtuberが多いのはやっぱりこういうところだろうなと実感した。

この差は何かというと、結局「動画バズるか否か」だった。

一度動画がヒットすると、それに釣られて新たな視聴者流入し、過去動画もまとめて視聴されて一気に再生数が増える。

実際、チャンネルが伸びた時期は30万再生程度までバズッた動画が2本ほどあり、平均1万再生程度だった過去動画がそれにつられて数万再生まで伸びた。

だが、それが終わると本来再生数に落ち着く。

逆に言えば、バズらない動画の平均的な再生数がその投稿者の本来戦闘力と言える。

自分チャンネルでは、平時では週に2・3回投稿する動画が平均1万再生行くか行かないか

取るに足らない弱小チャンネルではあるが、これでも月に新卒初任給ぐらいは入っていた。

平均数十万、時に100万再生を超える動画コンスタントに上げている大人Youtuberの収益が数千万や億は下らないのは想像に難くないが、定期的に数万再生程度の動画を上げている中堅Youtuberでも、投稿数が安定すれば月収100万円をゆうに超えていたりする。

これぐらいの投稿者層は兼業も多く、日本でも数えきれない程度には存在している。

もちろん、収益自体にも高いハードルがあり、それに届かない投稿者も星の数ほど居るわけではあるが、HIKAKIN東海オンエアなどとは違い「一般人では名も知らないYoutuber程度」でも片手間で大金を稼いでいる現実を知ると、Youtuberには夢があるというのは間違いないのかなと思える。

2023-03-18

大河ドラマ朝ドラジャニーズ重用しているNHKには批判はできないよな

『どうする家康』も『舞いあがれ!』も『鎌倉殿の13人』も『カムカムエヴリバディ』も枚挙に暇がない。

ジャニーズ批判するということは、これらすべて放映中止したり配信停止したりする必要がある。

2023-03-17

長年付き合った彼女から浮気告白されたが色々考えて不問にした

「お前は彼女の心に一切不満や寂しさを抱えさせなかったか」と問われたときに「はい」と断言できる自信がなかったから。

思えば今まで、パートナーのいる女性関係を持ったという男の話を山ほど耳にし、パートナーがいるけどそれ以外の男性関係を持ったという女性の話を山ほど耳にしたのに、どうして自分彼女がそれと無関係なのだ勝手に思い込んでいたのだろう。

自分彼女(妻)は浮気をしない」と頑なに信じている男性だって、365日24時間パートナーの行動や人間関係を把握している訳ではない。

「私は一度たりとも浮気したことがない」と言い張る女性だって、それを確かめる術はない。女性の脳には「自分の都合の悪い記憶発言を綺麗に消去する」便利な機能が付いているので、本当に浮気したことがないと思い込んでいる可能性はあるかもしれないが。

そもそもキリスト教だってイエス誕生聖母マリア不貞、そして夫であるヨセフマリアに対する許しから始まっている。

不忠を働いた人間一族諸共皆殺しにする権力を持った皇帝側室達を豪華な宮殿に閉じ込めて、最高の贅沢品で囲って、生活の世話をする男の性器を切り落としたって側室達の不貞話は枚挙にいとまがない。女性人生不貞は付き物であり、男性女性と関わる上で「不貞を許すかどうか」ということは避けられないことなのだろう。

女性が命の危険を冒して子供を産む生き物である以上、魅力的な男性が現れれば体を許すのが女性である。それがどうしても嫌だという男性は一生女性恋愛などしない方が良いだろう。

2023-03-16

「篠」から始まる名字の人、どういう気持ちで名乗ってる?

篠原篠塚、篠岡、篠崎など「篠」から始まる名字の人に聞きたい。

他人名前を名乗る時、どういう気持ちで名乗ってますか?

「しの」と聞くと「死の」を連想するのが一般的だと思うので、篠原系の名字

「死の原」「死の塚」「死の丘」「死の先」など、不吉なもの連想してしまうと思います

他にも、死の村(篠村)、死の蔵(篠倉)、死の場(篠場)、など枚挙にいとまがありません。

なので、名前を伝えたら相手に「あっ・・・」と思われてしまうと思うのです。

そういう、空気を壊してしまったような、相手に気を使わせちゃったような、

そんな状況になってしまうことが多いと思いますが、当事者気持ちを知りたいです。

「篠」から始まる名字の人、どういう気持で名乗っていますか?

2023-02-18

anond:20230218161107

それこそiutを作ったのがペレリマンだったらその論文望月のよりは「まだ定式化とか記法既存の話と親和性ある」印象を与えるものになってたかもな(逆も然り)。同じ内容なのに説明アプローチ文章構成の仕方やらこうもわかりやすさに違いがあるのかって例は枚挙にいとまがないわけで

2023-01-30

大河ドラマで「悪役を主人公とする新たなチャレンジ」は新たなチャレンジではない

https://anond.hatelabo.jp/20230129164524

そもそも去年の大河で主役だった北条義時はそれまでの歴史モノからいったら完全に「悪役」のひとで、『鎌倉殿十三人』でも悪役寄りに描かれていた。

もっといえば元ネタになった『草燃える』のころからそう。

さらにいえば、大河ドラマは「悪役とされている人物を描こう」という発想からはじまったんだよね。

大河ドラマ第一作の『花の生涯』の主人公井伊直弼。今も昔も悪役側の人物だ。勘違いされがちだけど、大河ドラマって「王道歴史もの」ではないんですよ。歴史ものって実は新しい視点がないと死ぬジャンルだしね。

他にも『樅ノ木は残った』(原田甲斐)、『新・平家物語』『平清盛』(平清盛)、『元禄太平記』(柳沢吉保)、『春日局』(大奥ものとかでは悪役になりがちな春日局)、『太平記』(足利尊氏)、『花の乱』(日野富子)、『麒麟が来る』(明智光秀)と枚挙にいとまがない。

もちろん、これらの作品主人公達はピカレスクロマンをやっているわけではない。かもちろんそこはお茶の間で流すものなので「実はこういう側面もあったんですよ、こういう事情もあったんですよ」と視聴者感情移入ができるように作られてある。

ひろゆき大河もそうした方向で作られていくんじゃないだろうか。

実はすべて切込隊長陰謀だったとか。

ホリエモンにおいしい餃子を食べさせてあげていたとか。

賠償金に回すはずだったお金孤児たちの支援に回していたとか。

2023-01-14

復活したかと思ったら再び体調を崩してそのまま死去なんて枚挙に暇がないからなー

1年くらいは安心できないのでは

2023-01-13

はてなの弱男って警察を信用してるのかしてないのかどっち?

弱男って痴漢冤罪の話になると疑われたら終わり、絶対白を黒にされるみたいに警察を一ミリも信用しないのに

なんで今回の警察による射殺とかちょっと前の沖縄高校生失明させられたやつとかだと詳細もわからないうちから警察絶対擁護ムーヴかますの?

普通に考えたら痴漢ときでそこまでするなら警官が絡んだ重大事案なんて全力非を認めないムーヴするよね?

沖縄の事例もそうだったし警察による不祥事隠蔽事例なんて枚挙にいとまがないじゃない

どうなってんの?

2023-01-11

気がきかない

気がきかない自覚がある 例を挙げると枚挙にいとまがないが、今は若いからまあ許されてる(と勝手に思ってる)のがどんどんシビアになっていくと思うと恐ろしい

例えば、12月職場でチームの忘年会があった 私はあまりお酒が強くなくて、特にそのときイタリアンワインだったんだけど、ちゃんワインを飲んだ経験がほぼない だからまり飲めないかもしれないですとは伝えつつ白ワインのグラスはもらってた そうしたら、カジュアルイタリアンでお店の人のサーブカジュアルな感じだったので、有無を言う間もなく赤ワインも人数分グラスに注がれて出てきてしまった

私は白で十分だったので、最後まで赤ワインには手をつけられず、でも誰かにこれ私飲めないので飲んでください、とも言えず、結局そのグラスを手付かずで残したまま会は終わってしまった

できれば他の人に譲りたかったけど、自分より目上の人ばっかりでそれも憚られる気がしてできなかった どうするのが正解だったの?

ひとつひとつは細かいんだけど、ちょっとした正しい立ち居振る舞いが一生わからない

2023-01-02

「暇空を消しても代わりはいもの

最初に断っておくとこれはどちらの陣営揶揄批判擁護するものではありません。


例の団体に限らず左派裁判やら記者会見やらネット工作(笑)やらでブルージャパンしてキャンセルカルチャー批判対象に対して行っていた。

実際にそれは有効で、近年でも左派フェミ界隈に対し批判的な言説を行っていた人物がお手紙でその地位から引きずり降ろされ

社会的地位収入を奪われ弱者男性へと転落していった事は記憶に新しい。

実際に必殺・キャンセルカルチャーを繰り出す前にも、お得意のネトウヨ差別者レッテル貼り連呼

批判者を「こいつは社会正義に反しているからこいつの言動には価値が無い」という流れに持っていき、黙らせていた例は枚挙に暇がない。

もちろん一企業などの「そもそも反撃出来ない、し辛い」対象を選んで攻撃、悪く言えば殴りやす相手を選んで殴っていたのが、今までの左派リベラルのやり方だ。

勿論批判である左派は「正義の人」なので、キャンセルカルチャーに対する批判アンチの悪質な嫌がらせとして一蹴していた。


そのやり方を多方面にし続け、ヘイトと恨みを青田買いした結果の先に、暇空という「キャンセルされる社会的地位名誉も無いが資金力(戦闘力)がある」

本来であれば左派にいそうな無敵の人(社会的に)を産んでしまった。

彼は元より左派自称している「正義の人、存在」でも無いので、彼をいくら悪魔化した所であまり効果が無く、逆に批判する言動の汚さが中立的立場から嫌厭される始末だ。

(恐らく氏の発信力が失墜するには、ここでは書けないレベルの「痛い腹」や所謂下のスキャンダルが無いといけないが、今の所は見えて来ていない)

目的はともかく手段は正しい彼の手法は、言ってしまえば今まで左派リベラルがやっていた「合法的嫌がらせ」をパターナリズムして模倣している様にも思える。

虚実ないまぜの問題をぶちあげ世間アジテーターしていく様は、一昔前の「ヘイトスピーチへのカウンター活動を見ているかの様だった。


しかし暇空は左派リベラル的には「男でオタク」という倒すべき悪であり、世間からも同情されにくい属性を持っている。

対する左派リベラルは「女性」を押し出し女性弱者性を盾にして少々の批判矛盾をさばいてきた。

「これは女性差別です!」というヤツだ。実質社会強者である女性が使える最強の盾である

恐らくColabo側には女性の盾がある限り、世間からの同情も買いやすく完全勝利とは到底いかないだろう。


だがしかし左派批判的な者が左派手法模倣して暇空という無敵の人排出した様に、今後はアンチ左派フェミ界隈に対するカウンターとしての存在が生まれる日も遠くないであろう。

即ち、左派フェミニズム言論否定的で、キャンセルされる社会立場も無く、拡散力が高く自前で資金調達出来る能力のある「若い女性」である

(個人的にはV界隈に候補者がいるのでは無いかと思う、何故なら彼女らの収入社会的地位所謂オタク文化の興亡と直結するからだ)

勿論彼女らのバックには「男」がいるのだが、女性を全面に押し出し最強の女性の盾を使うというのは左派常套手段である

左派アンチ馬鹿では無いので、この手法模倣する日は遠くない。


「無敵の若い女性」が左派界隈に牙を剥いた時、世間はどう反応するか見ものである

2022-12-25

anond:20221225211239

古今東西男を誘惑して死なせてしま怪異妖怪枚挙に暇がないよ

鬼太郎的な妖怪として認知されないだけだ

2022-12-18

後悔も適者生存の結果?

人間が感じる後悔は大きく分けて

  • やらなきゃよかった
  • やっておけばよかった

という2種類になるが、このうちより強く感じる後悔は後者の方というのが不思議でならない。

実際の例だと、子供の頃禁止されたことを、大人になってから取り組むなんて話は枚挙にいとまがない。

一方でやらかし黒歴史になったり、多くのものを失う悲劇に繋がることもあるが、いい思い出や武勇伝あるいは笑い話に昇華することだっていっぱいある。

人間感情がこういう仕組みになったのは、そのほうが種の保存に有利な特性だったってこと?

2022-12-14

anond:20221213193234

APが減っても現地回復できる設定はロボに合わないし整備トレーラーで移動すれば移動格差も無くなるがロボでOWという意味は薄くなる

基地に戻るならエリア選択式でいいよねどうせ終盤はファストトラベルしか使わないし

マップを飛び越えたいならヘリとかで移動すればいいのでは?

課題を挙げると枚挙に暇が無い、それならマップ縦横無尽に動き回る、ボスとの激しい戦い、敵を倒すためにアセンを工夫するといった原初AC体験進化させるという結論に至ったのでは

OWにしたら面白いって自分も含めそう思ったけどフロムは「今は」しなかった、それだけの理由があるということ

2022-12-05

タイトルが地味過ぎるアメリカ

パシフィックリム環太平洋諸国

熱血巨大ロボットアクション映画タイトルにしてはなんという平熱ぶりだ。

そこまで有名な例ではないが、小説シャーロック・ホームズの愛弟子 疑惑のマハーラージャ」の原題は「ザ・ゲーム

ホームズ原作イギリス近現代史に詳しい人にはピンとくる知的タイトルらしいが。知らんがな。そして邦題のけばけばしいこと。

日本では、本でも漫画でも映画でもまずはタイトル命だ。手に取らせないことにははじまらない。

ビジネス本や啓蒙書でも、タイトルが違えば全く売れてなかっただろうベストセラー枚挙に暇がない。

アメリカではその逆で、売る気あんのか?というそっけないタイトルベストセラーがよくある。

その温度差の背景には流通の仕組みの違い、コンテンツ消費にまつわるライフスタイルの違いがあるはずだ。

書店出版社ビジネスモデルが立ち行かなくなってるという昨今。

アメリカではどうなんだろう。

アマゾン一強になる前からバズるゼロタイトルの本が、あの無駄に広い国で売れてきたわけだろう。

2022-11-22

ポケモンSVゲーム侮辱しているのか?

ポケモンSVプレイして思うのは、あのポケモンが何故ここまでいい加減なゲームをこの時期に発売するに至ったのかという疑問である

すでにプレイ済みの方であればあまりにも洗練されていないユーザーエクスペリエンス利用者体験/UX)に呆れ果てていることであろう。

剣盾に比較してあまりにも稚拙グラフィックアルセウス比較して不便なキャラクター操作、各種機能へのアクセスのしにくさなど不満に思うことを挙げればキリがなくなってしまう。

今までのポケモンに慣れ親しんでいる人ほど今回のポケモンオープンワールドという新しいシステムを導入したことに対してこの程度だったのかと失望しているのではないかと考えている。

からこそ最大限に配慮しても無理をしないでゆっくり作り上げてほしかったという気持ちが生まれてくる。配慮をしないで言ってしまえば掲題の通りである

こんな愚痴だけならTwitterお気持ち配信しておけというレベルである。ここからゲームネタバレ要素を少なからず含むため純粋に楽しんでいる人は読まない方がいいだろう。

また、筆者はゲームが得意ではないという部分も付け加えておく。そして、ポケモンSVを買った理由主人公キャラメイクが多様に見えたかである

これからの話は筆者のポケモンスカーレットプレイ日記だ。

筆者はポケモンを折り返しにあたる部分まで進めている。この折り返しの定義についてはマップに表示されるメインの目標である3つのストーリーを全て半分ほどまで進めたと言う意味としていただく。

今回のポケモンは、今までと変わらずジムバッヂを8つ集めてポケモンリーグに挑戦する「チャンピオンロード」と、ひとりの少年とある目的のため5つのひでんスパイスを集める「レジェンドルート」、そしてアカデミーにおける暗部であるスター団を解散させる「スターダスト★ストリート」がメインクエストとして用意されている。

素直な人はチャンピオンロードに挑むべく西へ進むであろう。刺激を求める人はあえて難易度の高い東へ進むであろう。そうでなくても構わない。あくまでも筆者の所感である。筆者は無難チャンピオンロード選択した。

筆者はポケモン戦闘が面倒なので好きではない。ただ、ポケモン図鑑を作るゲームであるため、見つけたらとりあえず捕まえるようにしていた。アルセウスで嫌と言うほどポケモンを捕まえさせられたせいかそこはあまり苦痛ではなかった。そして、最初に気づいたことはストーリー関係ない戦闘はする必要がないということであるしかし、ポケモンを捕まえるためには戦闘回避できず、ある程度のレベル上げが必要となる。面倒だけどやるしかない。

レベルを上げるにはトレーナーと戦うことが手っ取り早いのでトレーナーと戦ってレベルを上げていた。そこでひとりだけ黒い吹き出しトレーナーを見かけて戦ったわけだが、強いのであるアイテムを使いつつやっとのことで勝利したが黒い吹き出しトレーナーは挑戦すべきではないと考えた。

その後は最初ジム戦に備えてレベルを上げるためエンカウントを繰り返してジム戦に挑みに行く。ジムテスト面白いなと思ったりむしタイプに有利なほのおとひこうを併せ持つヒノヤコマもいる。しかし初のジム戦でわからされることになる。

テラスタルがクソ強い。というかむしタイプの使い手が何故むし要素0のポケモンをと思っていたがテラスタルを使われて納得した。そういう仕様なのだ。ここでジム戦がどのようなものかを理解した。

そのあとはポケモンセンターに目的地を聞きながら進んでいったのだが、野菜ポケモン想像よりもすごいスピードで強くなっていく。2つ目のジムテストを受けた段階で順番が違うと悟った。

これはオープンワールドゲームであると言うことを思い出せば話は簡単だった。寄り道をすれば勝手に強くなる。これはエルデンリングで教わったオープンワールド知識だ。そして、ポケモンレベルを上げて物理で殴るゲームである。難しいならレベルを上げて戦えば簡単になるのだ。

そこからポケモンSVというゲームが何故ここまで雑な作りなのかを考えさせられることとなる。

寄り道ついでにアカデミーの授業を受けて勉強をしてみる。すると非常に有益情報がいくつか知ることになった。

しかし、それ以外のほとんどは当たり前のことである。でも、この当たり前という考え方は筆者が大人から言えることである。これを子供が遊んでいたらどうなるかを想像するとポケモンSVゲームとして非常に雑であるのにも関わらず今出さないといけなかった理由がわかってくる。

ここから考察となる。

ポケモンSVの表向きのコンセプトは過去未来であるスカーレットがコライドン、バイオレットミライドンということからも明らかだ。

ではその間にある現在はどこにあるのか。それはこのゲームプレイする人たちの体験にある。今、ポケモンをどのように評価したのかが全て現在なのだ

スカーレットバイオレットではアカデミー名前が少し違う。オレンジグレープである。これは今さっき調べた。同じってことはないと思ったからだ。

学校が違えば関わり合う人々も当然異なる。実際にスカーレットではレジェンドルート関係者がオーリなのだが、バイオレット場合はフトゥーである。どちらもポケモン博士として登場するからそうなっているはず。

そうなるとアカデミーの授業を受け持つ教師陣も違う可能性がある。これは実際にプレイしてみないとわからないことではある。

しかし、どちらもコンセプトとして変わらないものがあるはず。公式サイトでも取り上げられている「体験」だ。

ここで最初ユーザーエクスペリエンスにつながる。筆者はあえて洗練されていないと最初評価したわけだが、この記事を書いているのはコンセプトである体験」をおざなりにしてまで今出さなければいけない理由があったと考えたからだ。

ユーザーエクスペリエンス(以下UX)と切っても切り離せない要素はユーザーインターフェース(以下UIである。今回のポケモンUIがかなり不親切である。人と話したいのにポケモンに話しかけてイライラする人は多いであろう。この問題は、対象カーソルをつけるだけで解決する。おそらく実装はそこまで難しくない。それでもつけなかったのである。これはUXを悪くする要素と考えられる。

しかし、別の軸から考えると話が変わってくる。これによってユーザー必然的に何らかの対処をしなければならない。その対処方法の気付きこそ「体験」そのものであるポケモンSVというゲームは失敗から何らかの気付きを得て対処するまでを「体験」としてゲームにした物なのではないか。失敗するための導線はかなり綿密に作られている印象がある。

これは単なる感想なのだが、それ先に言ってよと感じる部分が割と多い。話が逸れるので掘り下げない。

とにかく、失敗させるために何かを作られているようにしか見えないのだ。失敗から得られる経験にこそ意味がある。だからこそUIを不便にして真の「体験」を与えるように作られているのだ。

その代わり、何かが達成できたときにはとにかく褒める。ときには大袈裟とも言えるほど褒めてくる。トレーナーに勝てばそのトレーナーは悔しがった後に拍手してくれるのだ。他にもそのような要素は多く見られる。

これらはゲームクリアした時の達成感を別の軸からみたものと考えてもらえればよい。それはゲームの中で現実にあってほしいものをポケモンというIP表現した結果であると思える。その結果として現代の人たちが最初に何をするかがポケモンを通じてインターネットに表出しているのだ。

ここまできたら結論を話しても差し支えないところだろう。

ポケモンSVゲーム侮辱しているのか」については、ポケモンSVを少ししかプレイしていない筆者の経験からするとYESであるしかし、ポケモンSVプレイして得られる経験を得た筆者としてはNOである

ポケモンSVはかつて社会現象を巻き起こした初代ポケモンオマージュであり、ポケモンを通じて社会を問うということをテーマにしたゲームである

現代社会インターネットで国の境界を跨いだコミュニケーション可能であるしかし、それを享受できる人は多くはない。しかポケモンというIPはすでに様々な国で受け入れられている。

そのポケモンが今の社会に問いたいことを聞くためには今このタイミングで出さなければならなかったのだ。

クリスマス商戦意識した発売日、オープンワールドゲーム最初に何が問われているか社会の答え、それを見た人たちの反応、ポケモン好きが新しいポケモンを見た感想、他にもあげようと思えば枚挙にいとまはない。ポケモンに関わる全ての人たちにポケモンSVは問うているのである

バグポリコレクオリティなど思うところは多くある。しかし、それら全てが現代社会の抱える病気であれば、ポケモンSVは毒となるか薬となるか。筆者は薬になると信じている。

2022-11-06

現在コロナ対応には大きな矛盾を感じずにはいられない。

具体的な不満は枚挙に暇がないが、最も本質的問題であり、そして悲劇を生んでいると感じていることは

他者蔑ろにしてまで自説を押し通そうとする言動跋扈してしまっていることだ。


世界の人がこの疫病に巻き込まれているのだから、どんな立場の人であっても時をみて自省してもらいたい。

果たして、今のコロナ対応は最適であろうか。将来どのようにこの疫病と折り合いをつけていくのが最良であるか。

2022-11-02

anond:20221029191723

人間が感じる後悔には大きく分けて

  • やらなきゃよかった
  • やっておけばよかった

という2種類があるんだが、このうちより強く感じる後悔は後者の方。

実際、例えば小さい頃禁止されたことを、大人になってから取り組むなんて例は枚挙にいとまがない。

一方でやらかし黒歴史になることもあるが、いい思い出や武勇伝あるいは笑い話に昇華することだっていっぱいあるわけで。

から「逃げれば一つ、進めば二つ手に入る」という言葉そもそも、元来こうした人間心理にしっくりくるように出来ていると言っていい。

そして、そんな言葉をよりによってあのママが娘に言っているさまは、そういう人間心理をハックした、体の良い洗脳しか見えないんだわ。

そんなわけで、そのうち慕っていた母親自分を利用していたに過ぎないみたいなことが判明しそうで、そうなったらしんどい展開だなーと今から思ってる。

2022-10-29

大友克洋と『夜、仰向けにされて』の話

 大友克洋全集刊行されているのを、近所のヴィレッジヴァンガードで見かけた。それで思い出したことがあるから、ここで書き留めておく。別に誰かを責めたり批判する目的ではない。

 大友克洋の初期短編で、こんな作品がある。ファンの人ならば、知っている人も多いはずである

―――――――――――――――――――――――――――――

 主人公である現代日本人サラリーマンは、家の寝床眠る時や、通勤列車内での居眠りしている時、或る夢を見る。

 その夢の中で主人公は、決まって、太平洋戦争末期の、南方戦線従軍している旧日本軍兵士である。夢の中での戦況は、良くない。物資も衛生環境も、上官の質も。

 それらは、日増しに、眠りに就く度に、悪化していく。夢の中の主人公は、窮地に追いやられて行く。

 終に主人公は、夢の中で敵兵の銃弾身体を貫かれ、地面へ仰向けに倒れ込む。

 物語ラストは、事切れて仰向けに倒れた、旧日本軍兵士としての主人公の「会社上司作成を命じられた書類を、明日までに仕上げなければ……」というモノローグで幕を閉じる。

 そのラストの画面となる大きなコマは、仰向けに倒れた主人公を、横から撮影したカメラアングルになっていて、広角レンズ撮影したように地面が湾曲している。

 そして、それ以上に決定的なのは主人公が横たわる地面がコマの上(天)側に、青い空がコマの下(地)側に描かれていることである

 現実と思っていた現代人のサラリーマン人生こそが夢であり、戦時中旧日本軍兵士の身こそが現実なのであった。

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 次に、個人的に好きなラテンアメリカ文学作家の一人であるアルゼンチン出身フリオコルタサル(Julio Cortazar)を紹介する。このコルタサル邦訳題名が『夜、仰向けにされて』という短編小説がある。こんな話である

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 現代人の主人公は、市街地オートバイ走行していた時に転倒事故で負傷し、病院入院することになる。

 入院して以来、毎晩、主人公は或る夢を見るようになる。

 その夢の中で主人公は、決まって、アステカ人狩り戦士たちに追われて密林の中を逃げ惑う、原住民の男である。もしも戦士たちに捕まれば、人身御供として神殿の祭壇上で、生きたまま心臓を抉り出されて太陽神に捧げられる。

 夢の中での状況は、良くない。日増しに、眠りに就く度に、悪化していく。アステカ戦士たちによる包囲網が、どんどん狭まって、夢の中の主人公は、密林の中で逃げ場を失い、追い詰められていく。

 昼間、病院医師悪夢のことを相談しても、怪我精神的なストレスと言われるだけで、毎晩の悪夢を見ることは止められない。

 終に主人公は、アステカ戦士たちに捕らえられて、神殿地下の石牢に閉じ込められる。祭壇に運び上げるのに備えて、生贄専用の御輿に、大の字の仰向けに拘束された状態で。

 主人公の番がやって来た。神官たちが、主人公御輿を担ぎ、神殿の急勾配の階段を登り始める。主人公の足を上に、頭を下に向けた状態で。

 主人公は、必死に夢から覚めようとする。主人公は、夢から目が覚める。主人公は、病院のベッドに仰向けに寝ている。

 しかし、水平感覚おかしい。頭が下で、足が上になっているように感じる。

 気がついたら、やはり主人公は、御輿に拘束された状態で、神殿の頂上へ向かって運び上げられる真っ最中である

 主人公は、物語の冒頭を思い起こす。五月蝿い羽音を立てる金属製の蜂に跨り、大きな石造りの建物の間を高速で移動していた時のことを。

 あれこそが、夢だったのだ。この生贄にされようとしている今が、現実なのだ

 御輿は、神殿階段を登っていく。主人公を仰向けにしたままで。

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 作品の発表年は、コルタサルの方が大友克洋よりも早いようであるしかし「胡蝶の夢形式現実と夢の逆転物語は、古今東西枚挙に暇がない。フィリップ K. ディックほか、多くの作家が書いている。したがって、大友克洋短編コルタサル短編元ネタにしているとは、簡単に断定できない。とはいえ物語の締め括りが、仰向けになった主人公、天地の逆転というところが、酷似しているようにも思える。

 もう一度言っておくが、批判したり責めたりする目的ではない。単に、ふと「過去に、大友克洋インタビューとかで『元ネタコルタサル』と明言していたっけ?」と思っただけである。そして、例えば石ノ森章太郎の『サイボーグ009』のラストは、レイ・ブラッドベリの『万華鏡であるとか、藤子・F・不二雄短編流血鬼』の元ネタは、リチャード・マシスンの『地球最後の男(I AM LEGEND)』であるといったような、オタク好みの由来話を知りたいと思っただけのことである

 大友克洋は既に有名なので、ここではフリオコルタサルの方を宣伝しておこう。岩波文庫から短編集『秘密武器』『遊戯の終わり』『悪魔の涎/追い求める男』が出版されている。特に悪魔の涎/追い求める男』は、堅苦しい文学作品として捉えなくとも、ホラー怪奇ジャンル好きな人にはエンタメとして楽しめると思うので、気軽に手にとって試しに読んでみて欲しい。

 別に岩波書店の回し者ではない。

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

―――――――――――――――――――――――――――――

 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-20

anond:20221020090651

anond:20221019195239

↑の元増田

あらためて補足しておくと、元記事からの俺の主張は、はじめから終わりまで俺個人観測範囲での見解なので、自衛隊の総意とは考えないで欲しい。

あと、結構ダラダラと長い。

なるほど、憲法改正でいずれ正式軍隊として改組されることを見越しての主張なのかな。

その前提で言えば、俺個人専守防衛(この言葉自体迷走してる感はあるけど)を破って自衛隊正式軍隊にするというのはデメリットが多すぎて到底容認できないという立場

自衛隊にいたからこそ明確にそう思うし、事実そう思ってる自衛官も多いと思う。感覚的には7割〜8割。より具体的に言えば、高等工科学校・幹部学校幹部候補生防衛大学校出身者以外の隊員、のうちの9割以上だ。佐以上の隊員はほぼ左記3つの学校出身者で占められる。

今の憲法からこそ入隊したのであって、軍隊になったら辞めよと思ってる人は多い。大抵の隊員は国際的な訓練に参加しないし、訓練自体年中やるわけでもないし、隊員個人経済的な安定とか平和維持活動災害派遣としての役割を持つ自衛隊に意義を見出してて、自分戦争前線に立つことなんて考えてない。前線に立ちたがる「ある意味で志の高い」自衛官なんてほんの一握りだ。そんな奴はとっくにフランス外国人部隊かに行ってる。

正直、プーチンやら習近平やら金正恩やらベトナムミャンマー(間違えた。当事者の人たちには本当に申し訳ない)の軍事政権やら憲法改正賛成派の国会議員やら枚挙にいとまがないけど、自衛官の人たちも「余計なことしてくれやがって」と思ってるんじゃないか

ちなみに知ってると思うけど、自衛隊法により自衛官選挙権がある。Twitterなんかで自衛官公言して内部事情を呟いてる人もたくさんいる。なので、自衛官に対して民間の想いを訴えることはかなり意義のあることだと思う。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329AC0000000165

ただし、自衛隊員の政治的中立に関しては何度か国会議論になっていて、過去法律案が出されたこともある。詳しくは調べて欲しい。

仮に正式軍隊になって、かつあなたが言う「災害対策隊」を編成してその軍隊から分離したとすると:

  • 戦争になっても良いか個人としての経済的な安定が欲しい
  • 単純に戦争したい
  • 戦争してでも国を守りたい
  • 戦争かぶっちゃけどうでも良くて、とりあえず周囲に流されて生きたい、または生きてる

みたいな奴しか残らない。そこに同じ思想を持ったやべえ奴が紛れ込む。名実ともに軍隊の出来上がりだ。

これは今の日本国際的地位とか国民政治への関心の無さとか経済的体力とかを考えると、元々ある民間と元自衛隊心理的距離がどんどん離れて確実にやばい。語彙力下がるくらいやば過ぎる。

からまず第一正式軍隊になるのは絶対に避けなきゃいけない。万が一なってしまったとしても、絶対災害派遣平和維持活動役割は残さないといけない。そう俺は思う。民間との分断が進むと極端な話、軍によるクーデターみたいなことになる。

あなたの主張と直接関係しないけど、防衛予算に関する報道も、俺としては複雑な気持ちで見ている。官民関わらず、予算を急激に増やすとだいたいロクなことにならない。今まさに臨時国会議論されている憲法の早期改正を見越してのことであればなおさらだ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221012/amp/k10013855341000.html

骨太の方針

防衛力を5年以内に抜本的に強化する

仮にこの言葉が「5年以内に防衛予算を対GDP比2%まで引き上げる」ということを意味するのであれば、ほぼ確実に自衛隊内部に大きな歪みが生まれる。

カネの使い道次第だけど、隊員が大幅に増えて、やべえ奴もどんどん増える。組織改編も進んで上が管理しきれなくなって、自浄作用が今以上に効かなくなってやべえ奴がどんどん昇進する。やべえ奴の吹き溜まりも増えて犯罪も増える。

↑の外部リンクにあるように、そのカネの使い道を政府財務省野党、そして他ならぬ俺ら国民は慎重に精査していく必要がある。

で、件の事件の事後対応に関しては完全に同意。まず加害者である自衛官4人は退職するそうなので、懲戒免職の上で実名公表して民事ではなく刑事裁判にかけ、民間以上に重い実刑に処して見せしめにする。郡山駐屯地中隊名を正式公表する。被害者ハラスメント限定しないあらゆる違法行為内部告発するための、警務隊等とは独立していてかつ権力のある窓口を設置する(これは民間第三者機関でもいいと思う)。

あとは、自衛隊法第三十八条厳格化。一応引用しておく。

(欠格条項

第三十八条 次の各号のいずれかに該当する者は、隊員となることができない。

一 禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又はその執行を受けることがなくなるまでの者

二 法令規定による懲戒免職処分を受け、当該処分の日から二年を経過しない者

三 日本憲法又はその下に成立した政府暴力破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者

2 隊員は、前項第一号又は第三号に該当するに至つたときは、防衛省令で定める場合を除き、当然失職する。

あらためて読むと第一第一号と第二号がまじでやばい。門戸広すぎる。

他にもできそうなことは色々ありそう。

最後に。

ドイツは、専守防衛を掲げた国の現状として参考になる事例だと思う。↓はかなり古い記事だけど。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/11/post-3098_1.php

実際に有名無実になっている。

厳密に言うと、専守防衛って言葉に対する当時の政府解釈の違いとか色々背景が異なるはずなので、それは調べて各自判断して欲しい。

追記

トラバ元消えてる。貴重な意見だったのに、もったいない

2022-09-22

anond:20220922193126

没落貴族みたいなケースは枚挙に暇がない一方で、一族全員学者実業家ですみたいな家もあるんだよな。

持続してる家は何が違うんだろうな。やっぱり性欲に目が眩んで頭の悪い美人嫁をとったりしないというところなんだろうか。

2022-09-17

空調服について

空調服という便利そうな服がある。

会社の近くで大規模商業施設の本格的な建設が始まってから作業者の人を

見かけることが多くなったがどうやら空調服は標準装備のようである

 

子供の頃、パワードスーツ落書きをよくしていた。

いつも決まって背部には、謎の換気扇のようなものを書いていたものだが

もしも、その落書きを嬉々としてやっていた子供時代の私が現代タイムスリップして

空調服を来た作業員の人を見たら、ぐわぁつ!さすが未来!!パワードスーツ着とる!!

と大興奮したあとに、あれはただの送風機で風を送っているだけなんだよ、と聞かされてガッカリすることだろう。

 

空調服現場作業ではなくてはならないもののようだ。

私も毎日通勤で汗だくになることを考えると導入するべきだろうか?とよく考えていた。

しかし、結局のところを買うことはなかった。

理由としてはファッションとして空調服をうまく調和させる方法が思いつかなかったからだ。

 

ワークのテイストを取り入れる、ということをカッコつけていってる服屋さんは枚挙にいとまがないが

現代のワークにおいての最重要テイストである空調服を取り入れているものを見たことがない。

 

空調服は非常に便利で実利的である

しかし、一般には普及していかない。

なにかきっかけがあれば、変わるのだと思う。

そういうきっかけを与えるのが天才とあとから呼ばれる人たちなのだと思う。

いまいちパッとしないPDAというガジェットiPhoneという人気商品に仕立てたように

空調服には可能性がある。

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