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2018-10-18

オタク他人の「嫌い」に負けた話

厄落としのつもりで書き捨てる。

サブカルオタクをそこそこの年数やっている人であれば、好きな作品アニメ化コミカライズノベライズ舞台化、実写化した経験がある人は少なくないだろう。いわゆるメディアミックスというやつだが、コンテンツ提供側の思惑はさておき、既存ファン立場からするとよいことなのか悪いことなのか、実際に体験するまでわからない。

せっかくアニメ化したのに原作で好きだったシーンが悉くカットされていたりとか、実写化したのにおでんの具にした方がまだましな大根役者推しを演じてたりとか、まあそういう感じのがっかりメディアミックス枚挙にいとまがない。反対に、メディアミックスが人気を博してファンが急激に増えた結果、新参古参原作信者)の間で溝ができることもある。

で、これを書いている私は、割とメディアミックス前の原作をひたすら愛でる、いわゆる古参原作信者になってしまうことが多かった。学生の頃はアニメに期待をかけすぎたせいで「あんなに楽しい原作がどうしてこんなアニメになった!」「アニメだけ見た人に『原作もつまんなそうだな』と思われるのは嫌だ!」と何度も泣いた。

だいたいメディアミックスに潤沢な予算をつけてもらえるような巨大ジャンルにハマることがあまりないので、仕方がない。予算がない→アニメ等の出来がいまいち新規ファンがつかない→新参ファンが現れないので、古参新参バトルで思い悩むことがない…というのはまあよかった。

なお某覇穹は許す許さない以前に、思い出すと感情が虚無になるからなにも言えない。言えないんだ。

本題。そんな自分が珍しく新参側にまわったジャンルでのことだ。

もともと歴史の長い原作があり、数年前にコミカライズされた。そのコミカライズされた漫画にハマり、漫画の最新巻の内容よりもさらに先を知りたくて、綱を手繰り寄せるような調子原作にもハマった。ストーリーおもしろいし、キャラも魅力的だった。

私と同じように、漫画からハマって原作も好きになったという新参ファン大勢いた。しかも昔から原作が好きだった古参ファン漫画好意的に受け入れてくれている人が多かった。原作おもしろいのが大前提として、漫画版の評価客観的に見てとても高いのだ。ファン歴を問わず語り合える友達がたくさんできたのは、幸運だった。

そのうち、二次創作も始めた。ありがたいことに、何冊か出した同人誌好意的感想をたくさんいただいたりもした。オタクライフは充実を極めていた。

そんな中、ツイッターで知り合ったのがAだ。推し共通していた。

原作をていねいに読み込んで熱心に語っている人だった。ジャンルオフ会で実際に対面してみると、清楚で物静かなお嬢さんといった雰囲気女性だが、話す内容はズバッとしていてキレがいい。オタクらしくややこじらせている。ツイートの文面から受ける印象そのままだったと思う。

そのオフ会を機に、首都圏近郊の同士数人が集まってごはんに行くことが増えたので、私もAも飲み食いしながら推しを中心に原作のこと全般について語り合った。これまた充実していた。

そんな中で、私も他の人も、Aが長いこと我慢していたことに気づかなかったのだ。

Aの正体は、だいぶこじらせた原作信者だった。こじらせすぎて漫画版のアンチになっていた。

ツイッターではそれらしいそぶりは見せなかったが、オフで会っているときに「私あまり漫画版好きじゃないのよね」「(私)さんは原作好きなのに漫画も好きなの?」と言っていたこともあったような気がする。そのとき正常性バイアスみたいなものが働いて、それほどの人だとは認識できなかった。

そのうちAはツイ垢を非公開にしたりなんやかんややった。次に私が見たときには、FFから私やジャンルクラスタの名は消え、プロフィールに堂々と「漫画版が死ぬほど嫌い」の文字が載っていた。

以前Aとつながっていた人たちもこれに気づき対象をぼかしつつ「あの人どうしちゃったの…?」「仲良く過ごせていたと思っていたのに悲しい」とつぶやいていたことをよく覚えている。

先にも書いたように、漫画から参入してきた新参ファンが多く、また漫画版を好意的に受け入れている古参ファンも多いジャンルだ。漫画の最新話が出るたび、フォロイー全員がそろって「最新話のここが最高だった!」「今後の展開を踏まえてこう変えてくるなんてさすが!」等絶賛するタイムラインは、Aにとってさぞ居心地の悪いものだっただろう。

いったん区切りをつけたつもりのAは、プロフィールのみならずツイートでもこれまでの鬱憤を晴らすかのように、大っぴらに漫画版を叩き始めたのだ。

もうだいぶ前に見たきりなのであいまいだが、Aのつぶやきはこんな内容だったと思う。

このあたりで語られている改変はもちろん事実で、原作漫画の両方を兼任するファンからは「漫画という表現媒体ジャンル時代に合わせた改変」と受け止められている箇所だ。

ここが改変されているから嫌い、というボーダーラインは個々人で差がある。ドン引きしつつ、そこが嫌いならまあしょうがないだろうなあ、と思う自分もいた。

で、さらに遡ってみると

などのツイートも出てきた。

総合すると、Aは

漫画版作者が直接制作しているわけではないので、漫画派生アニメは許容する、ということらしい。私にはちょっと理解しがたかったが)

ということが読み取れた。

自分を含め、それまでジャンル内でつきあってきた人たちは、原作漫画版のどちらも好きな人ばかりだったので、交流を切られる対象となったのだと思う。仲良くしていた時期のツイート風貌を知っていると、Aが豹変したように見えた。

結局Aはツイッターから姿を消したが、Pixiv二次創作の新作を挙げるたびに、その作品キャプション漫画版を口汚く罵り続けていた。初めは彼女のことを気にかけていた人たちはいなくなったのは自然の流れだ。代わりに、Pixivの新作が上がるたびに「またあの人暴れてるよ…」というニュアンスツイートがこっそり流れることもあった。私は無駄と知りながらも彼女作品(中身は見ない)を「違反報告」し続けた。

過去、別ジャンル古参原作ファンだった自分を思い出すと、好きな作品メディアミックスが気に入らなかった場合はその媒体をなかったことにして原作だけ楽しむようにしていたと思う。なにかの拍子に思い出してしまったときは、気心の知れたジャンル友達と「ほんとあの実写版主人公セリフ改変わけわかんなかったよなー」などと笑い話のネタにするのだ。

Aがそうできなかった理由は、まあわかる。好きなものを存分に語り合えるファンはたくさんいたのに、自分と好悪を同じくするジャンル友達に巡り合えなかったからだ。彼女孤独だった。漫画版のあれもこれも嫌いだ!と愚痴を言える場所は5ちゃんねるしかなかったのだ。

その後ずいぶん経ってから、結局私はそのジャンルを離れることにした。たくさんの友達ができたし、まだまだ好きでいたかったが、「そのジャンルを好きでい続けるメリット」を「そのジャンルを好きでい続けるデメリット」が上回ってしまたからだ。

デメリット理由はいくつかあったけれど、Aの件も含まれた。Aの強烈な「嫌い」という名の毒ガスを浴びた結果、自分の中の「好き」という気持ちが弱っていたのだと思う。

偶然とは恐ろしいもので、今週、久しぶりにAのツイ垢を見つけてしまった。つい最近まで鍵垢にしていたのを公開にしたらしい。

彼女は元気だった。元気に(鍵垢で)漫画版叩きをやっていて、「そろそろ漫画版のファンも少なくなってきたから外に出てもいいかな」(意訳)とつぶやいていた。

またあの疲労感に見舞われた。できる範囲健全に楽しもうとしていた自分のふんわりした「好き」という気持ちより、Aの確固とした「嫌い」という気持ちが勝ったのだと思った。なんというか、次元がちがった。

手持ちのすべてのアカウントでAをブロックした後に、これを書いている。

一般的幸福快楽を伴う「好き」という気持ちは、あまりにもデリケートで、自分の手で守らないと弱ってしまう。他人であるAをどうこう変えることはできない以上、私は早めにAの存在シャットアウトして、私の「好き」を守ってあげないといけなかったんじゃないかと思う。まあ相手ブロックする以外に具体的な守り方はわからないのだが。

おそらく死ぬまであの調子のAを内包して、ジャンルは今後どうなるんだろう。もう自分には関係ないけど、ちょっとだけ気になった。

2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-10-11

anond:20181011144911

フェミ被害報告には実態がないが、オタク被害報告には実態があるだろう。

海女キャラとか駅娘にのうりんにetc....

フェミの抗議でつぶされた表現物には枚挙に暇がない

2018-10-08

太く短く生きるあい

死ぬ死ぬぞと言われ続けたあいつが、特に病気らしい病気を患うこともなく40を無事突破した。

20代から体重は3桁、γ-gtpも優に100は超え、血圧尿酸値等々、

人間ドッグでの死亡フラグ枚挙に暇の無かったあいつがだ。

食事は大盛&お代わりの安定の立ち上がり、間食は好き放題、飲みに行けば十度以上のアルコールをがぶ飲みする。

それを俺は傍らで見つつ、節制しつつ、彼にいうわけだ。

「おいおい、死ぬぞ。」と。

そうすると彼はいつも

「いいんだよ、俺は太く短く生きるんだよ。今の欲望100%満たせるなら、明日死んだっていいよ。」

と言い続けて十余年。

これからなのかもしれない、その大病だとか死の兆候は。

けど、もしかしたらあいつはこのまま平均寿命を優に超えて生き続けるのかもしれない。

日々の欲望に忠実に暮らして。

食品炭水化物含有数を眺めて検討したり、うまみを薄めたカサマシ食事を食べたり

そもそも食事飲酒を控えたり、そうしてやっとのことで

ギリ黄色信号の数値を保って生きている。

あいつに死んでほしいなんて全く思わないけど、こうやって俺が先に死んだら、なんかぐぬぬって感じだ。

2018-09-18

ネット政治運動過激化して失敗する

なぜか知らないが、ネット発の政治運動は超高確率過激化する。

行動する保守在特会反原発連合しばき隊まなざし村メガリアヴィーガンなどなど。

ネットで有志を募らなかった、もともと運動していた組織や、組織を取らない相互批判の一匹狼のクラスタは、かろうじて反社会的行動うつってないがそれでもネットの悪影響を受けているように思う。

ネットのせいで先鋭化をかなりしているようにも見える。

面白いのは、左右両方ともにおかしくなる点だ。

当初は過激ではなかったはずの運動も数年で過激化し、反社会的行動に出る。

中には大学教授一流企業役員弁護士などなど、知性や社会的地位の持ってる人間さえ過激な行動に出て、その地位を失っている。

大体ネット政治運動で、問題になった件は、レイプ不倫カンパドロボー脅迫恐喝、名義流用、痴漢リンチ下着泥棒などなど、枚挙にいとまがないが、きちんと組織として賠償したり報告し、再発防止策を提示できた例は一つもない。

おそらくネット政治運動は、何らかの先鋭化して失敗する要素が存在するはずであり、その研究が待たれる。

日本だけではなく、海外政治運動ではテロリズム殺人事件にまで発展しているようで、この混乱は相当続くだろう。

ただ、一つ言えるのは、一般人ネット政治運動には近寄るべきではない。

これだけは間違いない。

2018-09-13

みんな増田ネタ帳作ってないの?

anond:20180912004042

https://anond.hatelabo.jp/20180912084444

ナルホド、Evernote仕事感出すのは面白いな。感謝です。

ところで増田たち、ネタ帳を介さず直接増田してるってマジ?

それでよく文章になるね。一旦アタマに書く内容をイメージして一気に書き込むみたいな感じか。フミコフミオかよ

いやしかし、遅かれ早かれ、サンタクロースが実は架空存在だってことに、クリスマスプレゼントに喜んでる子ども達も、そう遠くない未来に気づくんだけど、その正体に自然と気づくまでは、真実は隠され続ける。よい子にしてないとサンタクロース来てくれないかもよ「いやー!」じゃあちゃん宿題できるね「できるー!」。無垢子ども達は大人の都合のよいファンタジーに振り回されてることに気づくことがない。しか欺瞞が暴かれる時期にもまだ彼らは大人支配下にある年齢なので、どうしてウソついてたの! などと怒るべきだなどと思いつくこともない。その時を迎えた子どもは、クリスマス前夜にクローゼットの奥に隠されたプレゼントの箱をみてすべてを察する。あっなんだそういう事だったんだ。お兄ちゃんどうかしたの? ううん何でもないそれよりはやく寝ないとサンタクロース来てくれないぞ。「はーい」妹に弟に、そして大人になって次の世代に、イタズラの習慣を受け継いでいく。親にされたんだから子どもに同じことをする権利があるはず。大切にすべき子どもたちを手の上で転がし、欺き、挙句そのことを「微笑ましい」などと嘯く。この態度はあろうことか社会全体で共有されている。逸脱してバラしてしまおうとするヤツの口を無理やり塞いで向こうに引っ張っていく、などというシーンはフィクション現実枚挙にいとまがない。しかしこうした目下の人間を軽くあしらうような習慣が、なんら疑問を持たれずに、一年で最も楽しいイベントの中枢に組み込まれているわけだが、そんなことで人間を大切にするモラルが養われるわけがいであろうが。でもだったらどうする。幼いころにサンタクロースさんはグリーンランドいるから、お父さんお母さんがその役をやるね? などと言えとでもいうの? それはそれでいいような、面白くないような。 ーー『サンタクロースハラスメント

ほらね? 勢いで書くとイマイチ結論の弱い、だったらどうした的な文章になってしまうよ。それにディティールが弱いんだよ。途中になんか寓話的な会話シーンあるけど、説得のための捏造にすぎないし。こういうのは日々の生活リアル体験を貯めていってパズルピースが揃うのを待つ必要があると思うんだけど。そうして初めて心に響く増田生まれる。まれ得る、そういう可能性が発生しうる、もんだと思うんだけど違うかしらん(所要時間1時間15分)

2018-09-11

専門用語で会話しない」は良いこととされているが

業者がお客に、医者患者になどプロ一般人に何かを説明する際、専門用語をできるだけ使わないように…というのが定説だと思うがこれが逆に誤解やわかりにくさを招いていると思う。

専門用語というのはその道の専門家効率よく意思疎通するために作り出した便利な言葉で、定義がしっかり決まっていて曖昧解釈がなく、使うと簡潔に過不足なく情報を伝える事ができてメリットが大きい。

専門用語を封じられたが故に説明が回りくどくなったり、正確さが落ちたり、情報量が減ったりしてコミュニケーションの質が劣化していると感じた例は枚挙に暇がない。

プロ専門用語を適切に使ってわかりやす説明して欲しい。

2018-08-31

自分の頭で考えるっていうやつにろくなのがいない。

 昔から自分の頭で考える」というフレーズがある。

 これが増えたのはオウムテロ事件以降であると思う。

自分の頭で考えないで狂った教祖の言うことを聞くからああなってしまった。自分の頭で考えることができたらあんテロ教祖に従わなかったに違いない」

 という文脈で多用された。



 馬鹿か? と思う。

自分の頭で考えたからアホなことを言い出すやつ」というのは枚挙にいとまがない。

 残念ながら「自分の頭で考えた結果、差別して何が悪いんだ。あんな奴殺した方がいいんだ」と頭の悪い結論に達して障害者を殺しまくったクズがつい最近いたばかりだ。

 無知だったり、考え方が偏ってたり、事実に基づいてない知識で考えたら、どんだけ自分の頭で考えても無駄



自分の頭で考えた結果、余計ひどい結論に達する」連中ばかりなのが、ネット社会で白日の下にさらされてしまった。

 ネオリベネトウヨネトサヨ大体このフレーズが好きであるが、大体偏った人間が使いたがるが、大体トンチンカンな考えを弁護する場合使用される。

 この傾向はもっとからあって、小林よしのりが、さんざん多用していた論法だが、「小林よしのり特に疑え」などとあれだけ言っていたが、

 実際にはアイヌ戦争犯罪も嘘デタラメプロパガンダで、ネトウヨヘイトインキュベーターだった。

自分の頭で考えた結果」がアレなんだから救いがない。

自分の頭で考えろ」だけど、どうやら「自分の頭で考えた結果の誤答」については無防備になるようだ。


 あと、「自分の頭で考えないやつっているのか?」という問題

 そんな奴いねえよ。

 自分の頭で考えて行動してるやつしかいないのに、「俺は自分の頭で考えて判断してるんだ」とどや顔するのも恥ずかしい。

 私は酸素を吸って二酸化炭素吐き出し、好気呼吸してますってのを自慢げに言うぐらい馬鹿らしい。

 その程度の事なのにことさらそんなことを自慢げに言うやつは、大体「お前は自分の頭で考えてないから別の結論になるんだ」と言いたいだけではないか


 

2018-08-27

アイマスPはいい加減に選民思想をやめろ

2か月に1回くらいはよく見る界隈の学級会を煽るタイプ増田です。合わない奴がいるかは知らん。

長いし読みづらいと思うけど知らん。

これから話す「アイマスP」の定義

・世の中のコンテンツアイマスアイマス以外であると考えている者

アイマス以外の事柄には対して興味を持たない者

アイマスPという肩書き特別感を感じている者

現実世界ライブイベントにおいて「客」と「プロデューサー」は別だと考えている者

などのことを言う。

声優キャラを限りなく同一視してるくせに声優ソロ名義イベントには全然足を運ばないだとか、

そういう個人的文句は山ほどあるけど、それは置いといて今回特に言いたいのはマナーの話。

アイマスPは普段からどうやら自分たちの界隈は民度が高い、マナーがいいなどという幻想を抱いているようだけど、そう考えてるのはアイマスPたちだけ。

他の界隈から言われたことはないのか?「アイマスPはめんどくさい」と。

キャラクターの絵やセリフテキストなどに対する解釈で愛が重すぎるとかいうのもあるけど、大半はそこじゃない。

ライブイベントマナーに関して、あまりにもダブルスタンダードがすぎる。

先日参加した大型フェスイベントで隣にいたのが、アイマスの法被を着てサイリウムホルダーで何本も体に巻きつけているタイプアイマスPだった。

そしてなぜか小さいダンボールを小脇に抱えていると思ったら中身はUOのパック。合計で100本ほど。

これだけならテンプレアイマスPきたな~と笑い話で済ませられるレベルだったが、笑い話で済ませられなくなった。

まず全身からなぜか漂うピルクル臭い風呂に入れ。

ライブが始まったら口が臭いコールのたびに隣から口臭が飛んでくる。歯を磨け、食生活を正せ。

先ほどの100本のUOは前の客席のパイプ椅子に叩きつけて折る。両手で折れ。

そのUOは両手に4本ずつのバルログ。そのライブのレギュはサイリウムは片手に1本ずつまでだぞ。

使用済みUOは抱えてきた小さいダンボールに投げ捨てるが、ブン投げているためそこらじゅうに散乱する。ちゃんと片付けろ。

しまいには曲の歌い出しを演者と一緒に合唱し出す。これが決め手で直接怒った。お前の歌を聞きに来てるわけじゃない。

まあ正直、こんな低レベルライブ一年生はどこにでもいる。

から、この人個人に限った話なら個人問題で片づけていいかもしれない。

だが、アイマスPは「自分たち民度が高い、マナーがいい」と思っているのだろう?

アイマスP」という肩書特別感を持っているのだろう?

アイマスPを名乗ることで他のオタクとは違う感を演出したいのだろう?

身に付けるもの等で何のオタクかすぐにわかるのはアイマスに限った話ではないことくらいは理解できるだろう。

アイマスPと他者から認識されることを理解した上で「民度が高い、マナーがいい、特別だ」と主張するならば、

ライブイベントにおける振るまいは個人問題ではない。界隈全体の問題だ。

前述のアイマスPの、どこが民度高い?どこがマナーがいい?特別なのかは知らん。

前半は日常生活における基本的なエチケットだ。ルール以前の話だ。

後半は完全にライブに置けるマナー違反、明確なレギュレーション違反だ。

こういう話をするとアイマスPはすぐに「そんなやつはPじゃない」などと思考停止をするが、

アイマスキャラクターがプリントされた法被を着てサイリウムバルログするような人間アイマスPと呼ばないのであれば、明確なアイマスPの定義を教えて欲しい。

マナーの向上に努めようとする、その心掛け自体は立派だ。

だが現状をきちんと認識しろ

現時点でアイマスPのライブイベントにおけるマナーは、アイマス以外のオタクと完全に同レベルだ。

しろアイマスP」の括りで見られている点において、他界隈のオタクから民度が低いとさえ認識されている。

これが前述の「アイマスPはめんどくさい」の正体だ。

サイリウムの色ひとつで度々揉め事を起こして同調圧力で潰す、ライブ後は感想よりも多く厄介報告をTwitterに垂れ流す、

個人不快感迷惑行為混同して正義感を振りかざす(=アイマス警察)などその他にも枚挙に暇がない。

分母の大きいコンテンツになっているから勿論変なのもいれば立派な人もいる、フツーの人もいる。

から、【他と変わらないかそれ以下】なんだよ。現状は。

なんなら他界からアイマス以外のライブアイマスPを見かけたら厄介だと思え」とすら言われていることを知らないのか?

アイマスを好きというだけで選ばれた人間のように考える勘違いを、いい加減に捨てろ。

その特別感が、選民思想が、アイマスP以外の人間にとって非常に迷惑だ。

以上、アイマスコンテンツは今でも好きだけど【アイマスP】と呼ばれることが嫌になった元アイマスPの感想

2018-08-22

今の日本人って40歳以上くらいか民度急に下る傾向にある気がするんだけど

まず迷信を平気で信じ、その迷信を平気で押し付ける。これが非常に非常に多すぎる、ありえない。この時点で「人それぞれの価値観」というもの理解してないし、「客観科学」という基本的な考え方も理解していない。これだけでどんだけ話が通じない人になってしまうことか…。アレルギーというもの理解せず、肝臓病というものもわからず、つまらないのに平気で酒を押し付け、『今の若者根性がない』などと古く間違った価値観を未だに正しいと信じていて現代価値観の進展をいつまで経っても理解できず、ひどく主観的説教を繰り出し、枚挙にいとまがないよぉ。

20代になるとだいぶそういう人減ってくるんだよな。ネットで大量の正しさ、論理言語化されて共有されているからかな。もちろんゴミクズも大量にいるけど。

2018-07-31

ITはすべてを解決するのか

昔ながらの紙の帳票が幅を利かせている企業では、お偉いさんや客が無条件でハンコ文化を崇拝していたり、何十年も勤めて実質現場ボス存在になっているパートのおばちゃんの抱えてる業務ボトルネックあるいはブラックボックスになっていて手を出せなかったり、一日一改善を口すっぱく言う割にそのノウハウを蓄積するシステムがなかったりあっても部署ごとにフォーマットの違う神エクセルだったり、まあ枚挙にいとまがないわけだけれども、これらをITだけでぜーんぶどうにかできるかというと、なかなかに難しい。

それ以上に、人を動かすコミュニケーション能力の方が重要なのだろう。

私も私なりに頑張っているつもりなのだが、風当たりが強く、少し辛い。

2018-07-26

生産性がないと言われた人間私見

俺はパンセクシャル寄りのバイで、おまけに社会不安障害を抱えていてあまり人と仲良くなれない。なので女性と満足にセックスできたためしがない。風俗店に行ったこともあるがいたずらに時間が過ぎるだけだった。

よって俺は現時点で子どもを作れないLGBTの1人である

しかしそれでいて「生産性発言非難轟々の某議員をあけすけに叩くことがどうしてもできない。

セクシャルマイノリティの内訳ではLGBTマジョリティであると俺は思う。小児性愛ケモナーよりは確実にポピュラー存在だろう、LGBTは。多様化スローガンを掲げてホモフォビア的態度を封殺しようとすれば、LGBT以外のセクシャルマイノリティにも寛容にならなければいけない。人間イマジネーションは奥が深い。俺らが思いもよらないもの行為恋愛感情性的関心を寄せる人は幾重にも存在する。

小児性愛者やケモナー、はたまた四肢切断に関心を抱く人等、これから出会うかもしれないセクシャルマイノリティの全てを受け入れろというのは個人キャパティを超えている。人にはどうしても認められない価値観があって、当人の持つテーゼからまりにかけ離れているがために今はその存在すら想像だにしていないのだ。

こうやって判断の難しいレアケースにどうやって対処するのかと言うことを唱えると「小児への性的接触や獣姦判断能力が低く意思表示が難しい者を弄ぶ暴力行為であり、そういった行為に走る可能性がある人間容認することはできない」というような反論が聞こえてくるだろう。しかしそれは僕からすると間違いで、性的欲求暴走させ周囲を傷つける判断能力の欠落とセクシャルマイノリティであるかどうかは何の因果もないと思う。同世代対象としたヘテロセクシャルLGBTにもレイパー存在するわけで、猥褻事件の要因をセクシャリティに絡めてはいけない。

リベラリスト立場LGBT権利拡大賛同する人のどれだけが、明示化されるかもしれないレアケースに向き合う覚悟があるんだろうと、どうしても俺は冷ややかな態度になってしまう。突き詰めていけばみんな結局自分信心に従った勝手のいい「倫理」を持ち出して、自分嫌悪するものを「例外」として門前払いしようとし始めるのではないのかと考えてしまう。結局僕らは女性蔑視の酷いイスラム原理主義者中絶を認めないカトリック信者のように、自分の持つテーゼ一方的に盲信しているだけかもしれない。

生産性のない者に施しはいらない」という言葉をもってして考慮すると騒動セクシャリティに限った話ではない。

カルト教団統合失調症患者アルコール麻薬依存症医療大麻支持者、ニート生活保護受給者パチンコ店経営者ブラックワンマン社長ゴシップ誌記者うなぎ養殖業者、原子力発電業者世間から存在意義を問われ時には社会を卑しめる悪とすら呼ばれる人たちは枚挙にいとまがない。彼ら全てを肯定しようといえば、どこからともなくそれは違うという人が現れて、彼らの短所を挙げ尤もらしく彼らの排除を訴える。世界は単純ではなく、何にだ短所はあるというのに。

俺は別に認められないものがあってもいいと思うんだよ。神じゃないんだから個人的にNGってもの絶対あるし、逆にこれは守りたいってものもあっていい。でもそれを「社会多様化」だとか大義名分掲げて、さも公益のため人の尊厳のために滅茶苦茶正しいことやってるですよって正当化していくの、なんか卑怯だなって思っちゃう時があるんだよ。結局根っこは私信だと思うのね。「ゲイオープンリーになったらなんか良さげじゃん」みたいな気持ちに色々肉付けして説得力あげようとしてるだけなんじゃないのかなってたまに思ってしまう。

みんなが「ゲイが虐められてるの見ると気分悪いかホモフォビア嫌いです」ぐらいの意思表示にとどめたほうが、かえって問題がわかりやすくなるんじゃないかなとか考えちゃう

それから今回の炎上でやるべきなのは議員自民党を叩いて潰そうとすることじゃなくて、カウンターになりうるLGBT理解ある議員応援だと思った。気に入らないものを潰せというのではなくて、自分意見を反映してくれる人を送り込むというアプローチのほうが社会多様性という点では好ましいんじゃないかな。

まとまりがなく幼稚な内容かもしれないけど、あの議員に迷いなく憤りをぶつけることがどうしてもできなくて、その理由を探るために書き記しておきます

2018-07-05

anond:20120904110215

変な敬語枚挙に暇がない。

おれがこの数年、一番気になっているのは「〜になります。」

テレビを観てても98%くらいはそれを誤用している。

若い一般人が言っているならまだしも、年配の社長とか、CMセリフとか、通訳字幕とか、あらゆる場面で誤用されている。

次に気になるのが「させて頂きます。」

何でもかんでも語尾に付ければいいと思っている。

2018-06-26

勝手に採点ブクマブコメ

anond:20180626141122

murishinai 万人から批判されることが「いじり/いじめ」だというのならどうしようもない

msukasuka 例えば「アム◯ェイのトップ糾弾する記事」があったとして、それに賛同ブコメがつくとする。それってイジメだろうか?



かに例えば安倍首相モリカケで盛大な批判食らってもそれは当然いじりでもいじめでもない。

ただ彼の病気だったらどうだろう?政治家資質としての批判はありと言えばありだが、難しくなる。

批判」の中身が問題で、無条件に批判といじり・いじめを対比して良いものではないだろう。

ただまあ100字制限があるのでここまでは言及できなかろうし、

このブクマ家は「批判=いじりいじめ安易な変換をする流れ」に対してより問題意識を持っているのだろう。

だがやはり不完全ではないかと感じたので△。

aflat_1000dai4 あの記事https://anond.hatelabo.jp/20180625202047)についてなら、例えばイケダ氏は弱者なのか、ということ。そこから再考してみて。


弱者か否かを誰が決めるのかという問題絶対揉めるのでこの論は△。

恣意性が介入する割に正義論が容易に入り込む性質のものであるため猛烈な応酬がある割に生産性は皆無というパターンの繰り返しは枚挙にいとまがない。


Agrius_Akita 批判いじめは別(だから問題ない)というコメント見ながら、どちらも手斧を投げるという意味で同じだと思うなど。    それが批判いじめどっちなのか判断するのは第三者だし、人によって判断は違う。


この問題が揉めるのはこういうところに原因があるのでは。

tahatahon いじめといじりとかの言葉を使うからいけない。人の容姿をあげつらったり情けないあだ名をつけたりする行為侮辱批判が正当でも侮辱してはいけないって知らない人多すぎひん?



批判いじめいじりの境界は難しいが、侮辱はいかんだろう。

というか、侮辱批判境界線が曖昧な人がいるのが恐ろしいのだ。



×××

zyzy 正直イケハヤ叩きしていた人は、ほぼ全員自分の中では人格ごみ認定ゴミ箱行きの感覚だった。同じのりで同じ人達がはぁちゅうを叩き出した時点で、ゴミ箱行きは正解だったと確信した。いじめはいじめだ



そういう意味でこのidが一番最悪の反面教師

いじめはいじめだ、そういう主張は構わないのだが、

人格ごみ認定ゴミ箱行きの感覚」などとこれが侮辱でなくて何だというのだろう。

こういうところのズレが恐ろしいのだ。

2018-06-15

日本史テロリストカタログ

テロリストの発想とその支持者がいてビビった。

何を今さら

 

日本ヘゲモニー移動は、テロリストクーデター枚挙に暇がない。

(まあ、良く言えば「サムライジャパン!」ってかんじ?)

 

anond:20180615165850

2018-06-10

「当たり前」な意見をあえて世間に向かって言うことが重要

勝間和代さんのカミングアウトについて思うこと http://www.gentosha.jp/articles/-/10481 で、「『私はLGBTQを応援しています』的な誰もさほど反対しないであろう意見をあえて世間に向かって言うべきではない」という趣旨意見があったので反論したい。

「私はLGBTQを応援しています」というのは、日本において「誰もさほど反対しないであろう意見」では決してない

1990年勝間和代さんが大学卒業するくらいの年に行われたWorld Values Survey http://www.worldvaluessurvey.org によると、日本の68.5%の人が隣人に同性愛者が存在することは好ましくないと答えている(当時の29歳までの層に限っても67.8%)。すなわち、勝間和代さんくらいの年代の人が20代だったとき同性愛者はむしろ「隣人に存在することも嫌」という意見の方がマジョリティだったのである

また、直近(2010年)に行われた調査でも、「同性愛は決して正当化できない」と考える人17.6%おり、30%以上の人が同性愛に対して否定的意見を持っている。これらの意見は国政にも反映されており、国会議員には杉田水脈議員 http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8107881.html をはじめとしてLGBTQを応援することに否定的議員は数多くいる。

以上から実際問題として、「私はLGBTQを応援しています」というのは、日本において「誰もさほど反対しないであろう意見」では決してないのである

あえて「私はLGBTQを応援しています」的な発言をしない限り、当事者は誰が味方になりうるのかが分からない

先述の直近の調査によれば、70%近くの人は同性愛に対して少なくとも否定的意見を持っていない。つまり、もはやマジョリティからLGBTQの困難はなくなったのだろうか。実は、問題はそこまで簡単ではない。なぜなら、日本典型的社会において、「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」のような発言は「ネタ」として許容される一方で、「私はLGBTQを応援しています」のような発言は、どんなに正しい意見であっても政治的意見であるとみなされ、発言忌避される空気があるからである

まり日本典型的社会において、当事者の周りの人たちはこう見える。

  1. ネタ」を言う人たち
  2. ネタ」は言わないけれど、LGBTQに否定的であろう人たち
  3. ネタ」を言わないし、LGBTQを応援しているだろうけれど、特に何も言わない人たち

さて、その当事者が誰かに何かを相談したくなった場合、誰に相談すれば良いだろうか。2.と3.の人たちの見分けに100%の自信が持てず、誰にも相談できないということが起きる。特に、上の年代になればなるほど過去には実際に「隣人に存在することも嫌」と考えていた人が増えるのだから見分けは更に困難になる。つまり、このような社会において「私はLGBTQを応援しています」的な発言をすることは、当事者にとって例えば相談相手を見定める上で重要役割を果たすのである

私自身、東京レインボープライドパレードに参加するようになって初めてカミングアウトを受けるようになった。その中の1人は私をご飯に誘い、明らかに挙動不審になりながら、会話も上の空で、最後料理を食べているときにようやくカミングアウトした。私の感覚としては、パレードに参加するような人に対してカミングアウトするのにそこまでの勇気必要ないだろうとも思うのだが、その人にとっては99.99%信頼できる相手であっても残りの0.01%が怖かったということだろう。

従って、そのような当事者に対して「当たり前」な意見を届けることは重要であり、また、残りの0.01%の信頼のために、より明確に意見を届けることが重要であると私は考えている。

表立って差別を受けるくらいなら、差別がより深いところに潜ってしまった方がまだマシである

筆者はこう述べている。

マジョリティが「正しい意見」をまき散らすと、逆に、それに反対することを表立って言えなくなって、差別がより深いところに潜ってしまうと思うんだよね。

差別はどこからもなくなってしまうことが最善だが、仮にそれが無理なら、せめて深いところに潜っているべきではないか。「嘘つきはホモの始まり」、「襲われるから近寄るな」といった発言を表立って聞かされるために、「私はLGBTQを応援しています」という発言自粛しないといけないというのはあまりにも酷い。「私はLGBTQを応援しています」という発言をすることで、これらの発言が表立ってされなくなり、チラシの裏に書かれるようになったならば、それは表立って発言されるより少しは良い社会だろう。

SNSには誰もさほど反対しないであろう意見で溢れている中で、あえてLGBTQが取り上げられるところに問題がある

そもそもSNSには誰もさほど反対しないであろう意見で溢れている。例えば、この前のオリンピックでは「私は羽生選手応援しています」的な意見で溢れていたが、筆者はそのような発言SNSですることにも反対なのだろうか。筆者には、そのような意見にあふれている中で、なぜあえてLGBTQを取り上げたのか、考えてもらいたい。

まとめ

「当たり前」と思っていても、それを表現しなければ必要相手には伝わらない。どんなに当たり前な仕様だってきちんと文書に記さないととんでもないシステムが出来上がるし、当然しているパートナーへの感謝を、口にしなかったばかりにすれ違ってしま夫婦枚挙にいとまがない。「当たり前」な意見をあえて世間に向かって言って、社会もっと「当たり前」な社会にしていこう。

2018-05-29

老人と外人跋扈する台東区へようこそ

会社移転したタイミング位置的に通勤が楽な台東区引っ越したんだけど全然楽じゃなかった

自転車は無灯火、車道逆送、片手運転スマホや傘差し)、信号無視横断歩道がないところで車の間を縫って道路横断なんでもござれ

車は車で停止線の無視信号の無理な突っ切り、無茶な追い越し、自分運転しないから車の都合はあんわからんけど、枚挙に暇がない

せめて事故っても過失を追求されないように道交ルールは守ってるし保険も入ったけど、死ぬほうが先な気がしてきた

田舎地元珍走団とか凄かったし全体的に飛ばし気味な運転の奴ばっかりだったけど

人の密度が高い都会だと毎日生きた心地がしない中通勤してる

2018-05-19

構図が同じだからストレス解消の生贄にされている

日大フェニックスの件、プレーのひどさと言ったら、当該選手は気でも違ったのか、クスリでもキメてんのか?というおかしな、そして危険度の大変高いプレーだったのは確かだが、ここまで蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは、アメフト好きとしても忸怩たる気持ちでいっぱいである。

いわゆる「体育会の病」のようなものについては、たとえば高校野球不祥事がらみや体育会学生私生活のはめはずしやら、バスケットボール協会の長年のアレでアレな感じやら、ついこないだのサッカー協会やらレスリング協会やら相撲協会やら、昔から今に至るまで枚挙にいとまがないわけで、それをいまさらこんな大事日本中がギャースカ言うほとアメフトってみんな興味ありませんでしたでしょう?という感じではあるのだが。

ひとつには、これってまさに今の政権政局とおんなじ感じの構図にはからずもなっちゃってるってのは少なくないんじゃないかなと思ったん。

ネトウヨの皆さんは置いておいて、安倍自民消極的賛成だった自称穏健派現実派の人たちあたりが、ボロ出まくりはいえいまさら政権を叩くのも格好悪いし外聞悪いし評判も落ちるだろうけど、日大を叩いてる分には、社会理不尽を叩くことはできるけど自分立場社会的な体裁は崩さずに社会悪を叩けるという感じにはなっているのかなーと思ったりな。

2018-05-06

ネット匿名文化は、正直日本社会を変えられなかったよねという話

内輪で盛り上がった話は枚挙に暇がないが。

ネットを経由して知れ渡った犯罪者であれ、あるいは良い方向に実ったコンテンツクリエイターであれ、あるいは複数人間を巻き込んだムーブメントであれ、

ネットで生まれ育った「何か」がこの国の社会インパクトをもたらす上では、最低限人々に認知される顔と名前必要のように思える。

Vtuberボーカロイド等は仮想存在だが、アレは実は承認されたヴァーチャル名前と顔を有しているしな。

純然たる匿名という属性が、メッセージの持つ伝播性や影響力限界をもたらしているのか、

あるいは日本社会に根強いハイコンテクスト文化匿名メッセージの力を阻害するのか、

はたまた根本的に人間という生き物は名前や顔がないと巻き込みえないのかはわからないが

かなり気になっているところ。

2018-05-05

野球という欠陥だらけのスポーツ 」に真面目に回答してみる

https://anond.hatelabo.jp/20180503192028

出遅れしまったが、野球話題はてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。

競技フィールド問題

ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールド必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー競馬クリケットウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。

言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツ普通である環境標準化問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。

プレイの洗練の問題

プレイが洗練されているかどうかは個人主観に拠るところが大きいが、サッカーシミュレーション柔道レスリング化等、野球に限った問題ではない。

<第三アウトの置き換え>

マンガあまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?

サイン盗み>

これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間無駄な延長に繋がるため。

故意のファールの見分け>

これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)

打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーン目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである

しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのもの認定するのは線引きが難しいので、12連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。

なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者なかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神片岡篤史など)。

<大量リード時などゲーム終盤の手抜き>

サッカーの終了間際のボール回し、競馬勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上距離決勝進出が確実な選手準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。





以下はブコメ意見に対するレスポンス

バット振って当たればラッキーみたいな感じでスポーツとして怪しいかも>

130km/hのボール投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒であるリリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定仮定した場合計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットボールの大きさは10cmもないので、130キロボールと115キロボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。

プロ打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングバットを数cmレベルで、さらコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人静謐クリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。

フォーメーションが決まってるから柔軟性、というか発展する余地がない?>

現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球醍醐味の一つである野手ファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフト制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。

喫煙肥満が云々>

喫煙肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間活躍するのも、ある種野球面白さだと思う。松坂大輔攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい

野球不文律について>

野球不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手野手文句言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。

wikipediaの「野球不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合忖度などは無くすべき慣習のように思う)。

つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。

アップデートの無いゲームは欠陥がかなり残っているでしょう>

まり知られていないことだが、実は野球ルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。

ストライクゾーンってのがマジで理解出来ない 選手ごとに可変でしかも全部審判目視て>

MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判ストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。

<一つのポジションピッチャー)のゲームへの寄与が、他のプレイヤー全員の寄与を合わせたよりも大きい点で、デザインおかしスポーツ

少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手スタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルサッカーバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供ボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。

野球においては投手が多くボールを扱っているか投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球面白いところで、投手負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近高校野球でも複数投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手ゲーム支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。

ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通指標存在するが、2008年から2017年までのMLBリーグトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである

2018-04-10

生活保護を貰い始めたら動物虐待がようやくやめられた

初めにこんな理由生活保護を頂いていることと、自分が不幸にしてしまった多くの命に謝罪します。

自分がなぜこんなことになったか結論から言うと仕事ストレスが原因です。

始めて働いたシステム開発会社仕事をしていた頃、分からない上に興味のない仕事、女にばかり依怙贔屓する上司、どこにも引っかから入社した役員無能な息子が仕切る部署、終わらないし帰れない連日の激務、みなし残業、と枚挙に暇がないストレスが原因で動物虐待に手を染めてしまいました。

内容の詳細は省きますが命を奪うようなことはせず恐怖やトラウマを与えるようなことをしてしまいました。

しか小動物自分の買った生き物では私のストレスが解消されることはありませんでした。

自分はこんなにも苦しんでいるのに、世話をしてくれる人がいて愛情を受けて幸せそうに生きている他人ペットに激しい憎しみを抱くようになりました、他人ペット虐待したい気持ちが沸々と湧き上がってきました。

そんなある日会社で耐えられないようなストレスを受けました。

動物虐待して早くこのストレス放出したくて堪らなくなり、善悪区別すら付かなくなりました。

会社の帰り道に衝動的に近所の飼い猫を攫い虐待してしまいました。

満足ゆくまでした後は元の場所に返してあげました。

私は精神的な虐待が主だったため、すぐにはバレませんでした。

近所は猫が放し飼いされていたので新しいストレス解消の捌け口も沢山ありました。

その捌け口に会社で耐えられないことがあるたびに同じことをしてしまいました。

でも、ある日動物虐待警察にバレました。

原因は分かりません、衝動的な犯行でしたので家の中に証拠は残りまくりですし外の証拠もすぐに見つかります

そもそも私の家には大量の用品があるので、他人の家のペット虐待していなかったとしても言い逃れ不可能です。

逮捕状はありまさんでしたが、すぐに警察事情聴取を受けました。

会社自己都合で退職しました。

前科がつきましたがどうにか刑務所に入ることは免れることができました。

その際に精神科を受診し、鬱を含めいくつかの病名がつく診断が出ました。

このままではもちろん働くこともできないため、生活保護申請受理されようやく保護費を頂きながら生活できるようになりました。

しっかりと眠り食事をとり働いている間は遊ぶことができなかったゲームをし動画サイトを見ながら毎日を過ごしていたらようやく少しだけ精神が安定しました。

なのでこの文章を書けるようになりました。

こんな自分生活保護を頂いて申し訳ございません。

この期に及んでこんなことを書くのは憚られますが、自分子供の頃から働くようになるまで動物が大好きでした、精神が安定した今だから言えることかもしれませんが今でも好きです。

でもそれはただ自分に余裕があったからで、余裕がなくなればこんな酷いことができる人間でもあります

自分が今更虐待した動物にどんな贖罪をしようが結局は自己満足にしかならないと思います

から自分にできることは可能な限り外に出ず、二度と幸せに過ごしている動物ペットたちの前に姿を現さないことです。

自分が不幸にしてしまった動物たちの中にはボランティア保護され新しい飼い主が見つかった子もいるかもしれません、その子がもし自分を見つけたらトラウマが蘇りせっかくの幸せ自分が壊してしまうでしょう。

この生活保護費というのはそんな不幸を二度と発生させないため自分を家に閉じ込めておく対価だと考えています

もし自分が外に出たらまたストレスから動物たちを不幸にしてしまうかもしれないです。

2018-03-18

冷笑系が生まれ理由容姿

ネトウヨなのに、ネトウヨバカにする冷笑系というのが存在する。

公文書捏造だけでなく安倍内閣の悪行は枚挙にいとまがない。

それでも、なぜか「野党はだめだから。。。森友しかやらない。。。」みたいなことを言い現内閣肯定する。

そして、ネトウヨも現政府に反対する人間冷笑する。まるで自分は天の上にいるかのようだ。

タチが悪いのは、ネトウヨではないため批判をくらいにくいのと自分ニュートラルと思い込んでいるからだろう。

ただ、なぜ冷笑系が生まれるのかといえば割りかし「容姿」だったりするのではないかと感じる。

なにか政治に対して入り込めないということだ。

それは、「個人的問題」に大きな問題を抱えていると、政治にも熱が入りにくいからだろう。

結局のところ、政治が変わっても美男美女が得するだけではないかという不信感などがあるのではないか

2018-03-11

同性婚別に禁止されていない

同性婚に反対する理由論理的根拠が無いと思う

https://anond.hatelabo.jp/20180214020955

気持ちは分かるんだけど、双方議論がふわっとしている。それは、そこで言ってる「同性婚」が何を指すのか明らかになっていないからだ。

”同性者間の婚姻契約”は現行法下でも禁止されていない。

まずはっきりさせておきたいことは、「同性婚」が同性者間の婚姻契約意味してるなら、現行法でもこれは禁止されていないし、法的拘束力もきちんと生じるということだ。

その理由契約自由の原則(憲法13条)があるからだ。(なお憲法24条は同性者間の婚姻契約禁止する趣旨ではない。)。

これは例えば、男性同士のカップルが、お互いに婚姻契約書を取り交わして婚姻契約を締結することは妨げられないということだ。実際にもこういう例は多くある(らしい)。

そして、その契約書に書かれた扶養義務婚姻費用分担の定めは、きちんと法的拘束力が生じる。

禁止されていない以上、賛成も反対もないのであって、結婚したい奴はその意思に基づいて勝手にやってください、ということになる。

議論になっているのは民法第4編第2章の”婚姻”だ。

上記の点を踏まえると、「じゃあみんな何を議論して騒いでいるの?」ということになるが、みんなが議論している「同性婚」とは、民法第4編第2章が定める”婚姻”だ。

この場合、上述した当事者間の婚姻契約と異なり、お役所に届出が必要となる(民法739条1項)。

男性同士のカップル婚姻届をお役所に届けたとしても、民法第4編第2章が定める”婚姻”は成立しないことになる。

なぜ当事者間の婚姻契約と違い、民法第4編第2章が定める”婚姻”は自由にできないのか。

結論から言えばその理由は、民法第4編第2章が定める”婚姻”に付属する効果(≒特典)が、徹頭徹尾、男女間の婚姻念頭において制度設計されているからだ。

例えば所得税における配偶者控除相続分、相続税、などなど、枚挙に暇がない。

民法第4編第2章が定める”婚姻”を同性者に対して認めるということは、これらの制度を同性者間のカップル念頭において1個1個検討しなおす(そしてそれは膨大な量の立法作業になる)ということを意味する。

からこれは「賛成か反対か」という大雑把な議論ではないのだ。効果の1つ1つについて議論を詰めていかないといけない問題なのだ

どうすればいいか

じゃあどうすりゃ良いのよ、という問題になるが、理屈からいえば、「同性者間の婚姻についてどのような効果(特典)を認めていくべきか1個1個詰めていくべき」ということになる。具体的には、同性婚を望むLGBT取材するなどして、議論の基礎となる資料をかき集める必要がある。

(ただここで問題になるのが、LGBTの人らが本当に同性婚を望んでいるのか?という点なのだが、客観的資料があるわけでもないのでとりあえずこの点は措く。)

結論

一口に「同性婚」といっても、賛成対反対の二項対立還元できる簡単問題ではないので、きちんと詰めて考えてくれよな!

2018-02-21

anond:20180221112354

ワイドパンツ場合アンクル丈で足首の先端を見せ、且つその足首が細い事がキレイに見える条件だが、単に足が太いことを隠すための便利アイテムだと勘違いして履いてる人が多い。

その結果、フルレングスで履いてトップスダボダボなので、さながら男性の袴(はかま)のような出で立ちの女性が増えてしまった事は、メーカーにとっては予想外だっただろう。

しかしこうなった理由メーカー自身が作り出したとも言える、と私は考える。


スキニーパンツがあまりにも長らく定着してしまい、そのあいだ、足が長くまっすぐ細い女性時代謳歌し、足に自信を持てない女性にとっては暗黒時代だったと言っても良いだろう。

そんな彼女らが救いを求める中メーカーがもたらした光が、まさにスカンツを始めとしたワイドパンツだ。

しかし、体型を強調する代わりにレングスや微妙な緩さといったセンス必要としないスキニーに対し、体型がごまかせる反面 絶妙なレングスやサイズ感が要求されるワイドパンツは、あまりにもギャップが有りすぎた。


またファーストファッション全盛のこの時代ノウハウや知見の共有がなされないまま市場けが急拡大してしまった事も、ワイドパンツにとって不幸といえる。

高いポテンシャルを持ちながらも、正しい使い方や知識が共有されないまま価値を失い、市場から姿を消していった商品衣料品に限らず枚挙にいとまがない。

私は、ワイドパンツという足太女性にとっての一筋の光明が、早晩姿を消してしまう事を強く危惧している。

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