はてなキーワード: 公正世界仮説とは
男女の賃金格差についての話題、相変わらず的外れな正当化が多い事多い事。
→だから「同じ仕事」が出来ないのが女性差別ゆえだって話だよ。女は、特に年齢を重ねた女は、正社員として採用されにくい。責任のある仕事を任せてもらえない、あるいはセクハラやルッキズムによる品定めといった不利益を課されるから回避せざるを得ない。それが差別だという感覚が何故ないのか。
ていうか、「同じ仕事なら同じ賃金」さえ守られていればそれでいいのなら、氷河期男性の低賃金だのポスドクだのも別に問題ないって事になるだろ?だって自らその立場に甘んじているんだから。
でも何故か男の場合は当人の意識や能力が低いからで済まされず、ちゃんと社会問題として扱ってもらえる。それがまさに女性差別なんだよ。
それに、そもそも仕事によって大幅に賃金が違うのが不当以外の何物でもないだろう。女の多い保育や介護職は重労働でも賃金が安いというのはよく言われる話。
「女のする仕事だから給料が安い」が事実なのを何故か反転させて、「女が給料の安い仕事を選ぶ」に転換して女叩きをする。実際には採用を決める決定権を持っているのは企業の側なのに、それを無視して。
→なんで全ての会社が例外なく労基法を守っていると信じ込めるんだよ。
男女関係ない(おそらく無意識のうちに男を想定しているのであろう)サビ残だの有休取れないだのの話題では、会社は労基法を守らない事もあると認識した上で語るのに。
女性差別の時だけ沸いてくる公正世界仮説。そういう思考がまさに差別なんだと何故自覚できないんだろうか。
・女が優秀ならば企業はそれに報いる報酬を払う筈だ、優秀な人材をみすみす逃すような愚かな真似はしない。
→だからなんで企業が必ず合理的な選択をするという前提なんだ?
自分が損をしてでも他人を得させないのが日本人の気質だって散々指摘されているのに?他の問題では日本企業の愚かさを叩いているくせに。
この手の正当化を図る人達の何がむかつくって、そんなに現状維持がいいなら自分らが弱者男性でも強者に踏みつけられても笑って受け入れればいいのに、自分達の問題の時だけ差別だ不当だと騒ぐ事。
すっっっっっごいモヤモヤした。気持ちの整理と解消のために書く。
前の記事を書いてから落ち込む引きずっていた状態は解消したが、あいも変わらず返答がない。
一度、何かの拍子でLineの返答があり、その際に「せめて連絡は返してくれ。心配になる」と、鬱憤含みで色々ぶちまけたら「ちょっと重い・・・」と言われてハァ?と思ってしまった。
(連絡送った当時、コロナ禍真っ最中で連絡がなかった=まさか亡くなったか?と思いすっごい心配していた)
そのやり取りがあった以降も年始の挨拶すら返って来ず、ようやく徐々に相手に対する好意が薄れていって軽蔑すら覚える気持ちになっていった。
その相手はXは数ヶ月に一回ペースで更新していて、「おすすめ」タブで観測してしまったりすると「こっちのLineは無視してるのにつぶやけるんですね」という、まぁ酷い嫉妬?に近いものが湧き上がってくる。
「こっちも忙しいから、返信が遅れることがあります。自分のキャパもあるので、無理なときは無理なんだ。ごめんね」って言っておいて1年以上返事ないのは意図的に無視してるんじゃないですか?という気持ちがすごい強い。
100歩譲って本当にそういう性格なんだとしても1年以上ほったらかしてんのは無いだろ・・・
落ち込む気持ちはなくなったが、代わりにふとしたキッカケでやり場のないモヤモヤする気持ち(怒りを多少含む)が湧き出てしまっている。
公正世界仮説じゃないけど「バチあたれやボケ!!!!!!!!!!!」という気持ちもすっっっっっごいある。モヤモヤするなぁ本当。
既存のイデオロギーを再考することなくそのまま受け入れている。保守。公正世界仮説信者。餌。愚民。扱いやすい。畜群。
普遍集団を批判する集団。だいたい嫌われる。うざい。叩かれがち。無視されがち。アホと呼ばれる。実際アホ。
批判集団を狩り、普遍集団を守る集団。普遍集団からの支持を集めがち。嘘つき。
普遍集団のアホさも、批判集団の論理も、あえてわかっていてやっていることが多い。どちらのことも見下している。
正義よりも自己利益を追求する。保守。体制派。だが時流に応じて変節する。狩人。
賛成集団を批判する集団。数はかなり少ない。批判集団からの支持を集めがち。二枚舌。
普遍集団のアホさも、批判集団の論理も、賛成集団の意地汚さも、あえてわかってやっていることが多い。
普遍集団のアホさも、批判集団の論理も、賛成集団の意地汚さも、天敵集団の欺瞞もわかっていて、すべてを無視することにして自己の向上に邁進する集団。自己中。
数はめちゃくちゃ少ない。普遍集団と賛成集団からの支持を集めがち。気を抜いていると下の階層に落ちる。
いやーなんかホッテントリすると嬉しいもんですね。ということでブコメを読み返し見てたところやっぱりめいろまは優生学信者ではないのではないかという結論に至りました。もっと得体のしれない気持ち悪いなにかです。ブコメをみて思ったのが、本当に皆さん遺伝大好きだってことですね。
遺伝の影響はもちろんあります。そんなの当たり前です。一方で普通に考えて貧乏人が子供作らなくなって1世代くらいで遺伝的にスポーツ選手の能力上がるわけ無いでしょ。馬鹿なんですか?マイナースポーツに税金投入してガチれば成績あがるし、日本のメダルの3〜5割は女性のおかげだし、あるいは指導者の質とか栄養状態とかそういう直接的な理由はいくらでもありますよね?貧乏人の子が少し減るくらいでそんなに影響すぐ出るわけないでしょ。
あんなものは優生学ですらありません。優生学というのは一定の目的で一定の手段をもって介入することにより集団の遺伝的特質を変化させるとものです。例えば大谷翔平の配偶者に体格に優れたものをあてがえ、だとか特定の遺伝疾患を持った者を断種しろ、とかそういういうものです。
めいろまの主張はそ目的も手段もなくただ単に、現状をよくわからない過去の婚姻事情にもとめているだけで、こんなものは優生学でもなんでもありません。これをなんと呼ぶかはわからないですが、保守でもリベラルでもなく、新自由主義はなんか親和性ありそうな気もするけれど直接には関係はなく、公正世界仮説のワンジャンルでしょうね。一番近いのは往年の少年ジャンプの「主人公がすごい力に目覚めたのは実はすごい血統の子孫のおかげでした!」みたいななにか土着の俗流血統主義的なメルヘンというところでしょう。そういう意味ではブコメの
id:qouroquis ケンシロウも大佐に「おれには二千年もの間 一子相伝によって受け継がれてきた暗殺者としての血が流れている。俺は生まれた時すでに暗殺者だった」とドヤってたのに実は養子だったりするしな(違う
いやーなんかホッテントリすると嬉しいもんですね。ということでブコメを読み返し見てたところやっぱりめいろまは優生学信者ではないのではないかという結論に至りました。もっと得体のしれない気持ち悪いなにかです。ブコメをみて思ったのが、本当に皆さん遺伝大好きだってことですね。
遺伝の影響はもちろんあります。そんなの当たり前です。一方で普通に考えて貧乏人が子供作らなくなって1世代くらいで遺伝的にスポーツ選手の能力上がるわけ無いでしょ。馬鹿なんですか?そんなものは優生学ですらありません。優生学というのは一定の目的で一定の手段をもって介入することにより集団の遺伝的特質を変化させるとものです。例えば大谷翔平の配偶者に体格に優れたものをあてがえ、だとか特定の遺伝疾患を持った者を断種しろ、とかそいういうものです。
めいろまの主張はそんな目的も手段もなくただ単に、現状をよくわからない過去の婚姻事情にもとめているだけで、こんなものは優生学でもなんでもありません。これをなんと呼ぶかはわからないですが、保守でもリベラルでもなく、新自由主義はなんか親和性ありそうな気もするけれど直接には関係はなく、公正世界仮説のワンジャンルでしょうね。一番近いのは往年の少年ジャンプの「主人公がすごい力に目覚めたのは実はすごい血統の子孫のおかげでした!」みたいななにか土着の俗流血統主義的なメルヘンというところでしょう。そういう意味ではブコメの
id:qouroquis ケンシロウも大佐に「おれには二千年もの間 一子相伝によって受け継がれてきた暗殺者としての血が流れている。俺は生まれた時すでに暗殺者だった」とドヤってたのに実は養子だったりするしな(違う
人生で感じる大きなストレスの第1位が配偶者との死別、そして第2位が離婚です。
なぜ離婚はつらいのか、離婚経験がない人向けに語っていきます。楽しんでもらえれば幸いです。
「生涯一緒にいようと約束したのに、その約束を守れなかった人」と思われます。
他人から思われるというよりも、むしろ本人がいちばんそう思って苦しみます。
結婚は、振り返ってみると、なんだかんだ命を懸けた判断でした。なんとなくであれ、気がついたらであれ、できちゃったからであれ、自分の長い人生を共にあゆむと決意した相手なので、離婚となるとその決意が底から抜けます。
離婚で味わった感覚としては以下の通りです。長いので読みやすいように分割してます。
このあたりを抱えたまま社会に生息することになります。なので結構キツいです。
離婚経験がない人は、そっと見守りその話題を一切出すことなく楽しい話題を提供しつづけるのがベストです。へたに聞くとそこは地雷原です。もう何が地雷なのかわからないぐらいやばいです。
相手が話し始めたら聞いてあげるのがいいです。「わからなくてもいいからつらさを少しでもわかってほしい」というのがあります。
離婚経験がない人から言われる助言ほどムカつくものはありません。聞かれるまで助言を言うべきではないです。というか聞かれても相手を否定することを言わないほうがいいです。否定はめちゃくちゃ自分でしていて、「肯定される」「肯定する」ということを渇望しています。全肯定botになるのがよいです。
そんなことよりも「コーヒー飲む?」とか「音楽何すきでしたっけ」とか「ピザ頼むんですけど何食べますか?」とか「見て!ネコ!かわいい!」がいちばん心にしみます。
これは離婚経験があっても同じことです。離婚経験があるからといって助言が参考になるわけではないです。一緒にすんな!みたいな感じになることもあります。基本的には相手に寄り添うことが必要です。
離婚者は弱っているので、誰かの一言や行動で簡単に懐くし、簡単に絶望します。とにかく愛らしきものを感じると飛びつくのです。
なので悪意がある人に敏感です。悪意がある人は最初悪意があるわけではないと思います。しかし、その人の無理解や無神経さや誤解によって、離婚者から次第に悪魔扱いされはじめます。言葉にしなくても行動から「どうも自分は悪魔扱いされてる」と感じるはずです。
そして、「そんなに悪魔として振舞ってほしいのなら、本当に悪魔みたいに振舞ってやろうか」と考えて、「ざまぁみろ」と鬱憤を晴らし、復讐する感じだと思います。これがセカンドレイプのようなものです。離婚者は、ありとあらゆる場所でこれをされています。なので、世の中に敵しかいないように感じ、悪魔しかいないように感じます。
条件付きの愛でなければ愛されない、メリットを渡さなければ愛されないと考えてしまい、他人の奴隷のような動きをしたりもします。
このあたりが非常につらいです。
信用できる人を徹底的に探しはじめます。もしくは人間について絶望しやがて1人で立つことを選び1人で生きていくのかもしれません。
それができなければ死を選ぶか、リビングデッドのように目的なく世の中を彷徨うかすると思います。とんでもなく人を疑う割に、やはり信用できる人を探しているのはおもしろいです。
離婚前の彼彼女の状態が良ければ、離婚直後に彼彼女らにポジティブな手を差し伸べることは長期的に見て有益です(利用してはいけません。投資と見るとよいと思います)
人生で最も苦しいときに手を差し伸べてくれた相手には、非常に好感を覚えます。
逆に自分が逆境に陥ったときに助けてくれるかもしれません(必ず助けるとは言ってない)
また、手を差し伸べても、離婚者は手を振り払ったりします。いわゆる試し行動ですが、これに腹を立てて「なんだ!助けてやったのに!」と怒ると、敵対判定されます。離婚者はとてもめんどくさいメンヘラなのです。
N=1なので、べつにこれがすべてだと言うつもりはありません。
頭の片隅にでも置いておいてもらえると嬉しいです。
いま現在離婚した人を助けるためというよりかは、自分がいざ離婚してしまったときに、「そういえば…」と思い出して、現実に帰ってくるときにこの記事が役立つと思います。
離婚前に読んだ方がいいです。離婚防止になるだろうし、離婚後に「このことか」となると思います。
離婚後に読んでも「そんなん知っとるわ」となるはずです。
主語はかなりデカかったと思います。振り返ってみると全体ではなく個人的な感想ですね。不快な思いをさせてしまった方々に深く謝罪します。すみません。
離婚経験者の中でも「自分はせいせいした」という意見もあって参考になりました。
自分はリアルでは離婚の深い話はあまりしないようにしています。
そもそも離婚したこと・結婚経験があることをあまり話しません。何か恋愛などについて聞かれたときは濁しています。もともとの自分が味方を作りにくく敵対されやすいので、潜在的な敵に弱点を晒さないというのもあります。
たとえば離婚話をして離婚つらかったんですよ〜!と明るく言うと、未婚の人から結婚できたことのマウントだと思われて敵対されることもありました。
「信用できない人に自分の魂部分に関わる深い話をしてはいけない・弱さを見せると凛々として叩く人間がいるので自衛しなければならない」ということは大きな学びでした。
当時は「そんなんだから離婚されるんだよ」とか「メンヘラすぎて無理(笑)」とかの、まさに敵対的なブコメのような言葉が刃のように刺さっていました。ひどいものだと「死にたい」と言ったときに「振られたぐらいで死にたいの?じゃあ死ねよ」などと声をかけられたこともあります。自分にとってはそうした発言がセカンドレイプだと感じていました。弱っているときは、弱い者を叩きたい人が本当に多く集まってくるのだなと理解しました。
言われたときは認知的不協和の解消をされているとか、公正世界仮説によって自分が悪いことにされている、とリフレーミングしています。「離婚でつらかった」という話を聞いて気分が良くなる人は少ないと思うので、「不快な思いをさせてきたこの話者が悪い!」と帰結するのは当然のことかもしれません。
現在はそういう人とリアルで遭遇すると、心の中で敵と判定して切断し、以後は社交辞令的・常識的な付き合いのみするようにしています。
もしかすると人間性の底を常に観察しているような目をしているかもしれません。
また、自分は失恋はこの離婚が初失恋です。元配偶者に依存していたのもありますが「他の人に絶対に行かずこの人と人生をともにしようと苦しいときも耐えていたのになんでこんな目に…」という気持ちが大きかったです。
離婚直後はとてつもなくモテず、ほとんど誰からも相手にされませんでした。恋愛が久しぶりすぎて何もわからなかったし激病みという状態です。徐々に月日とともにモテるようになっていきました。
ただし、モテることは元配偶者への復讐がメインなこともあり、モテてもほとんど嬉しくありませんでした。
また回復の過程で多くの人を恋愛的に傷つけたり逆に傷つけられたりしました。
元配偶者への後悔の念が愛情となって相手に行くけれど、それは元配偶者への贖罪や悔恨や愛情だから、相手のことはちっとも好きではない。相手からは強烈に好かれるけど、好かれれば好かれるほど試し行為をして振ったり振られたりを繰り返していました。これはかなり長期間続きました。
この母親を擁護している人達って要は、公正世界仮説で物事を視ているんだと思う
『追い詰められて子殺しをするかわいそうな母親』とかいうツチノコの話
https://note.com/aozora_aoina/n/n3834f68fcc82?sub_rt=share_b
一部では、「ワンオペ育児で夫の援助を得られず大変な思いをしていたから気持ちが追い詰められて殺してしまった」というような説がまかり通っている。
凄惨なこの事件に思いを馳せたとき、「殺してしまうほど追い詰められたかわいそうな母親」というストーリーを作ってしまうことは、正直無理のない話だと思っている。愛する子に危害を加えるというあまりにも逸脱したことを、追い詰められでもしないとするはずがない、まともな状態ならするはずがない、という含意だろう。いわゆる公正世界仮説ともとれる。
だがそれは「まともな状態で愛する子を殺すはずがない」という公正な価値観に基づいた偏見であり、都合のいい創作物語だ。
実際の虐待親は、別に追い詰められてようが追い詰められていなかろうが、普通に子に暴言を吐くし殴るし蹴るし、うっかりすると子を殺す。
普通の母親が追い詰められて子を殺す、というストーリーはファンタジーだ。
子どもを自分の感情をケアする道具として利用してる母親は、追い詰められていなくても子を殺すし、普通の母親は追い詰められても子を殺さない。
ってなんでそんなウソつくんだろうね
だって、恋愛工学とかホストとか持ち出すまでもなく、モラハラ気質のクソ男に恋人いるとか日常じゃん
「女性に人として接する」ってモテと無関係とまでは言わないけど、数ある要素のひとつに過ぎないのは明らかなので、「それでモテます」は、ウソでしかないじゃん
なんでなんだろ、を考えてみた
思うに、この人たちって、
「顔とかオッパイじゃなく人格を評価する“正しい”男は恋愛において報われる」
もちろん、現実はシンプルでも公正でもないから、リアル女はアナとカネしか評価しないクズ男にも普通に沼ってて、彼らだってこのことを知らないわけじゃない
でも、彼らはこの現実を認められない
だって、そのメルヘンな脳内世界に止まる限り、「モテない」男性イコール“正しくない”存在なわけだから、思う存分、叩いたりマウント取ったりしてよいので、こんなお手軽快感供給マシーンを手放すわけにはいかない
どころか、「女性に人として接してる非モテ」に対して、「モテないのは人として接してないから〜(決めつけ)」とか暴力を振るってた側に反転しかねない
だから、この嘘を見つけたら、彼らは群がらざるを得ない
数しかないのだ
科学的な根拠がないだけでなく、多くの人の感覚にも反する嘘を突き通すには、数しかないのである
彼らには、「相手と人として接しないのはモテじゃない」、と反論する道も残ってはいる
これは理の通った対応に見えて、その実「私は相談に対し独自基準のモテを定義し自語り始めた役立たずです」と自ら開陳しているに等しい
しかし、それでも彼らにはその道は残っている
なぜなら無能であることは彼らにとってさしたる痛みではないから
彼らは、自分が
「君がモテないのは女性に人として接してないからだよ」などという嘘を前提に、非モテを悪/格下/劣等に位置づけ、叩いたりマウントをとって快感を搾取していること
善い行いをすれば良いことがあり、悪い行いをすればバチが当たる。
努力をするだけ結果に繋がる。
そういった考えを「公正世界仮説」、それに準じることを「公正世界信念」などといったりするらしい。
善い行いをし続けた者が理不尽に死んだり、悪い行いした人が悠々と生きていることも珍しくない。
努力が結果に繋がるとは限らない。
実際、そんなことくらい分かっている。
しかし、そんなことを承知の上で、漠然と「公正世界であってほしい」とも思っている。
つまり広義的な「ゆる~い公正世界への信仰」に覆われている状態なわけだ。
問題は、これが「あいつは持っているのに、なぜ自分は持っていない」といった感覚を生みやすいこと。
(相対的剥奪感なんていうらしいが、社会学を語りたいわけではないので名称はどうでもいい)
さて、先ほど、世界は公正ではないものの「ゆる~い公正世界への信仰」があると書いた。
この信仰によって「あいつが持っているのだから、自分も持っているべきだ」と考えが出てくる。
或いは「自分が持っていないのだから、あいつも持っているべきではない」と。
実際に奪われたわけではないし、もとから自分の物というわけでもないのに。
では、どうやってこの妄執を解消していくか。
一見すると穏当だが、この手段が極度に達すると本当に「他人から奪うことで手に入れる」ことになる。
そもそも「自分も持っているべきだ」という前提があるため、必要以上の、特別な措置をとりたくないわけだ。
ふたつめは、それを持っている人から取り上げること。
これも実質的に「他人から奪った」形にはなっているが、自分がそれを手に入れるかは重要ではない。
あくまで「自分が持っていないのだから、あいつも持っているべきではない」という考えのもと取り上げるからだ。
みっつめは、「何らかの真っ当な要因によって自分は持っていない(あいつは持っている)」と脳内保管することだ。
しかし、これは公正世界の非現実性、そのギャップを埋めるためにやっている時点で破綻している。
つまり、この脳内補完も現実に則していないため、どこかで無理が生じやすい。
その“無理”が積み重なって自分一人で処理しきれなくなると、今度は“外”に干渉することによって解消しようとする。
そもそも世界は公正じゃないのに「世界は公正であってほしい」と思うことがバグの原因だ。
しかも、この「公正世界」は自分のミクロ的な視点、つまるところ「小規模な世界」に押し込められているのが実情である。
公正な世界なんてものが実現可能であったとして、それが「自分の望む世界」かは別の話、ということだ。