はてなキーワード: 天邪鬼とは
ブコメでスターを多く集めるコツは早めのブクマで陳腐な正論を書くことだが、
出遅れたブクマでもそれなりにスターを集め、うまくすれば人気ランク入りまで狙える方法がある。
読んだ人が「あ~それはある」と思えるコメントを書くことだ。
では、「あ~それはある」と思わせるのはどんなコメントか。
出遅れたからにはブコメ欄全体にはすでに世論のようなものができあがっている。
表現を変えてそれに乗っかるだけではその他大勢に過ぎず、埋没してしまう。
かといって逆張りもよろしくない。天邪鬼に見えてしまうし、そもそも共感する人が少ない。
一面的になっているブクマ世論も含めてテーマを概観し、それとは違った角度から見るのだ。
そして、奇をてらわずに「もちろんみんなわかってることだろうけど」くらいの温度感ですっと置く。
それには語尾を「~だものね」とか「~するしね」とかにするのが効果的だ。
きみもわかっていただろう?という体にするのだ。
すると共感へのハードルが下がり、「言われてみればたしかにそれもあるね」と思わせることができる。
簡単だろう?
もちろんそのコメントは、ちゃんとテーマの芯を食っていて、かつ議論の流れに一石を投じるくらいの鋭さと説得力が必要であることは言うまでもない。
自分にはこれといった趣味がなく、映画も基本はサブスクで、映画館には年に1.2回行くかどうかだけど、何かの媒体で偶然「破墓」が紹介されていたのを見て興味がわいた。
公開されたら映画館に観に行こう、と思ってたんだけど、
https://anond.hatelabo.jp/20240831201535
↑この先輩も観に行ったらしい。
先輩的にはかなり高評価だったらしく、いろいろと感想を話してくれようとしたのでネタバレされてしまっては困る…と思い「自分も近々観に行こうかと思ってて」と打ち明けた。
すると「是非!」と言ってくれたものの「でも…◯◯さん(私)もこういうの観に行くんだね」と。
意外ですか?と尋ねると「うちの職場の人って映画観ない人多いじゃん?観ても邦画とか(笑)」
……と非常に感じの悪い返答が返って来た。
(笑)というか、明らかに(嘲笑)で、周りの人を小馬鹿にしているのが伝わってきてめちゃくちゃ不快だった。
でも、まあ……この時点ではまだ破墓を観に行こう!という気持ちに変わりはなかった。
しかし……
「◯◯さん(同じ職場の別の人)なんか1番最近観に行ったの◯◯(マンガ原作実写映画)だって言ってたし。わざわざそれ観に行くんなら先にもっと観たほうがいい映画あるでしょ(笑)」
破墓がこの人の言う「先に観たほうがいい映画」なのかどうかはわからないけど、自分の中の「観に行こう!」という気持ちは完全に削がれてしまった。
私は、嫌いな人の好きなものには極力関わりたくなくなってしまう。
それがどんなに質の良いものであったとしても、摂取しているとそれを「好きだ」と言っていた嫌いな人の顔が浮かんできてしまって、結局最悪な気持ちになるのがわかっているから。
まだ摂取する前のものなら尚更「じゃあやめとこ」ってなってしまう。天邪鬼(?)だとは自分でも思うけど……嫌いな人の好きなものだと思うと気持ちが萎える。
それ以上先輩の話を聞きたくなくて、適当な理由をつけてその場から逃げ出した。
この一件以来「もう観た?」と顔を合わせる度に聞かれるが忙しくて予定が合わないとか何とか言ってはぐらかしている。
たぶんもう映画館には観に行かない。
在職中は角が立ちそうで中々本当のことは言いづらいけど、いつか、退職する時が来たら「あの映画、先輩の発言で行く気が削がれて観に行きませんでした」って直で伝えてから辞めたい。
わたしのパートナーはいわゆる「天邪鬼」で、会話の始まりの8割くらいが「でも」で始まるくらいな感じなのですが、そういう人はどうしてそうなるのか、ということに興味を持ちました。ご自身が天邪鬼だと自覚されている方、あるいは周りに天邪鬼な方がいて、その原因を追求されたことがある方、お知恵を貸してください。
昔はその事実に対してややネガティブに「なんで全部反対側から意見するんだろう」と思っていたのですが、最近はそれを利用できるようになってきていまして、例えば、わたしが髪を明るく染めたいと思っていたとして、「夏は髪を明るく染めようかな」と話しかけてしまうと「でも(あらゆるリスクファクターが並べられる)」と始まってしまうので、「夏で明るい髪の人が目立つようになったけど、やっぱり日本人は黒髪だよね〜」と話しかけると「でも、日本人だから黒髪だっていうのはなんかステレオタイプじゃない?」となるので、「そうか〜、確かに」として自分が導きたい結論に持っていくようにしています(瞬発力が必要なので毎回そうできるわけではないですが…)。
なので、何かを否定したいわけでもないのですが、どうしてそうなるのか、について知りたく、おしえてください!
つらいなんて感情を持つことすら許されない気がする。
そのくらい辛い気持でいっぱいです。
ワイは元々ドコモ回線を30年以上使い続けてるくらい古参主義なところがある。
だからなのか周りが知っているのにワイが知らないってなると気持がつらくなる性格だ。
タイムラインに出てくるやつは追いかけてるけど過去流れちゃったタイムラインのは拾えてない。
それでもたまに昔のこの作品いいよねって話題になるとワイは見たことも聞いたこともないのですぐにwikipediaで知ったかをエアプをしてしまうのだ。
わかっちゃいるけどやめられない。
ある時おすすめで教えてもらったコンテンツ(この言葉は嫌いだけど暈すために使うわw)を見たら確かに面白い。
面白いんだけど性格がひねくれてて天邪鬼だから逆張りでついおもろないと言ってしまったのが運の尽きだった。
ネタバレかもしれない
「なんか面白いらしいからやってみるか」くらいで、事前の情報ほぼゼロでやってみた
・天邪鬼だから、開始直後いきなり延々と逆走してみて、時間を無駄にする
・「毛がフサフサになるハズ」と期待してがっかりする
・「ネクタイしたり半袖になったりするハズ」と期待してがっかりする
・「おねーさんがこちらを見てくれるハズ」と期待してがっかりする
・ずーーーっと異変が起きないので、「異変が起きないという異変」と読んで引き返し、先に進めたが、単に見落としていただけだった
10秒クリック、年収2年分チャージ。これが完璧に成功すればもう二度と労働に縛られない人生が待っている。手に入れた時間で好きなように人生を生きよう!「俺は実はいつでも辞められるが?」を精神の支えにして普通に働いてもいいし、趣味を仕事にするべく創作活動にのめり込んでもいい。不安から解放され、自由を手にしよう!(ただし勝利者に限る。) 「タイパ」の究極系は「注いだ時間以上の時間を得ること」であることに異論があるものがいるだろうか?(いや、いる。なぜならここは天邪鬼の集まりだから)。
成長型ゲームの根源、本懐、トロ、ミソ、核、爆を超高速で味わえる。数字をインフレさせるだけのゲームのガワを剥がした内側にあるもの、その楽しみ、成長曲線、苦行、カタルシス、味変、ルールチェンジャー、あらゆる要素を駆け抜けていける。そして訪れる静寂の如き、飽き。引き際の悟りと深みへの誘いが波のように交互に打ち寄せる。沼に飛び込みたい気持ちをグッと堪えてデータを削除したとき、きっと君は「何百日とプレイしてしまったソーシャルゲームを手放した直後」のような開放感を味わうだろう。そうだ!盆栽の最大の楽しみはそれを捨てた直後に訪れる!いくつものクローンがあるが、本質は本家が極めているので本家以外を遊ぶ意味はない。人生をドブに捨てたいなら別
この世界で一番楽しいのは可能性を空想することだ。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザの謎。現実世界において完全でないものこそが脳内において真に完全へと近づける。βテストや体験版で「このバグ強すぎるー!!」と暴れまわったり、他ゲーの経験を活かして初心者を狩ったり、ないしはそういうスマーフ野郎半チート野郎を囲んで叩く自警団を気取ったり、βの自由な世界にしかないモラトリアムな楽しみが確かに存在する。そしてなにより無料だから人口密度が高く、ネットで皆でワイワイするのも楽しい。「これって製品版ではさ~~~」「いやいやこれは~~~」で無限に語れるぜ!未完成!それは可能性!十で神童、十五で才子、二十過ぎればセンター試験の点数をいつまでも自慢げにSNSに書いてるちょっと可愛そうな人と古事記にも書いてある。
きっと きみたち は もう わすれれて いるだろう。 人差し指だけで 必死な顔をして 一文字ずつ丁寧に キーを叩いていたあの頃を。 タイピングゲームがなければ僕たちは今でも そんな状態で毎日インターネットをやっていたかも知れないんだ。 そしたらブクマで100文字打つのだって 余りにも大変で全く楽しめなかったんじゃないだろうか? コンピューターを使った仕事につくことなんて想像もできないぐらい ただキーをタイプするだけのことがしんどいまま人生を生きていたんじゃないか? マジでちゃんと感謝したほうがいい。タイピングゲームでひたすらキーを叩きまくった時間は決して無駄じゃなかったと俺は信じているぞ。
2画面にして映画やYoutubeを見ながらやれば、運動しつつ動画を見ているので実質時間消費0で運動が出来る。あまりにも圧倒的パフォーマンス。圧倒的すぎて蛇足にならない言葉が思いつかないほどだ。
やってしまえ。どんなゲームなのか気にしてる時間が無駄。やってみれば分かる。体験版でいい。とにかくやれ。脳のリソース管理的にも。
一作だけならガチってもいいっぽい空気があるので一作だけガチらせてくれ。このゲームは本当にタイパがいいんだ。名前の通りちょっと短いハイキングをゲームの中でするだけ。でもそこにはゲームというものの楽しみが詰まっている。箱庭の中で圧縮された個性豊かな人々の営みがあり、世界には相互作用が働いて、それぞれの人物に物語がある。小さな冒険を通して少しずつ成長する主人公。少しずつ操作が熟達するプレイヤー。軽やかで気持ちのよい成長曲線。少年時代を思い出させるスピードで次々に広がっていく世界。刺激される想像力が解法を閃かせ、世界の謎が次々と解き明かされる。挑戦する楽しみ、成長する喜び、小さな友情、時には挫折、そして再挑戦。人生という苦行の中から光り輝くものだけを集め直した生きる喜びの宝石箱。たった2時間程度でたどり着けるエンディングなのに、確かな満足感と高揚感を感じるのは、冒険に求めていたものがこの温かな箱庭の中に詰まっていたから。
生きていれば色々と出来る。何でもは出来ないけど何かは出来る。死んでしまうと何にも出来ない。死後0秒から人間はもう何もできなくなる。生きてさえいれば、空想を広げるぐらいのことは出来る。人生のあらゆる場面が時間消費型のコンテンツなわけだからして、とにかく生きていなければ何も始まらない。一見すれば生きることのタイパがどんなに低くても、死のタイパは0なので相対的には圧倒的に生きることが勝るのだ。生きろ。まずはそこから全てが始まる。
弟はいまだに天邪鬼なのか厨二病なのか、わざと場が白けるようなことを言ったりやったりします。
たとえばちょっと悲しい話をテレビで見た時に、フィクションにしろノンフィクションにしろ、お笑いを見ている時のように面白おかしく笑ったりはしないじゃないですか。でも弟はわざと笑ったり茶化したりするのです、フィクションならまだいいのですが、ノンフィクションでそれをやられると正直引くというか。たとえるなら、戦争の話でよくやった!お前らのおかげだ!とわざとらしく面白おかしく言われても周りも反応に困るじゃないですか。本気でそう思ってるのではなく冗談的なノリのようなんですが、毎度場がしらけています。つまんねーよ、と兄が言ったことがあるのですが、その時だけしおらしくなってまた同じことをやります。
また構ってほしいのか、聞いていることに対してわざと返事をしない節があります。たとえば何時にここに集合するのでいいか?と聞いたとしたら、他の人はいいとか遅れるとかここの方がいいとか言うのに、弟だけは既読にはなるけど返事がありません。まあ返事がないけど既読になっているし来るのだろうと思ってみんなで待ってもなかなかこず、約束の時間が過ぎてから今何駅(弟の最寄りから待ち合わせ場所への途中)です、とだけ送られてきます。
これについても両親から注意したことがあるのですが、はいはい、みたいな感じであしらわれてこちらについても結局同じでした。
親戚の集まりの食事会でイヤホンをしてVtuberの動画を観ていて1人でくすくす笑っているので大変恥ずかしい思いをしました。親戚の集まりがつまらないのかもしれませんが、年に一回たかだか2時間ほどのものです、大人ならそれぐらい適当に話を合わせておけば良いのです。いやなら最初から都合が悪いと言って来なければいいのです、そのように言いましたが来ると言ったのは本人です。頭に来てマナーが悪いいい加減にしろと注意してやっと渋々やめる、人としての何かが欠けているのでしょうか。我々兄弟はだいたい同じように育てられており、私と兄の感覚も一緒にいると同じだなと思うのですが、弟だけは理解ができません。
別にいろんな家族行事に参加したくないとか興味ないとかではないようなのですが何を考えてこのようなことをしているのかさっぱりわかりません。
もう社会人のはずなのに、外で同じことしてないだろうかと考えるとゾッとするし、いくら家族とはいえもう大人でこのようなことを続けられると嫌になります。そのため私からは弟に連絡することはもうやめたのですが、連絡しないと拗ねてあとからぐちぐち言うので今は母親が連絡係になっています。
マジレスご免。
それを1か月で完全マスターとか夢見ちゃだめだけどね。
もし余裕があるなら....
「習いに行くのが早い」です。
そこは慎重に選ぶ必要が有るかも。
取りあえずハコモノのエレキギターと、アンプを買ってみてくださいな。
参考になるかどうか分からんけど、
Mes.green apple、ミセス、最近音楽番組とかタイアップとかもたくさん出てるから、音楽とかバンドとかそんな詳しくない人も聞いたことある人が多いと思う。(昔から知ってる人からしたら昔から人気だわ!💢かもしれんが許してな、そういう貶す意図はないから💦)
先日ミセスのライブに行く機会があった。彼女がミセス好きで、ノアの方舟に一緒に行く予定の人が流行りのコロナになって俺に一緒に行ってほしいと頼まれた。彼女が好きなのはもちろん知っていたし、フェーズ2からはかなり露出も増えて俺もあああのミセスね、と思っていた。
でもミセスって、陽キャだし、派手だし、若い子向けのバンドっぽいし、俺みたいな陰の者が行っていいライブじゃなくないか!?だって髪、髪さあ。グループを構成するいろんな要素が強さの定番ですって感じだし絶対学校の中心グループとかにいる系の人間じゃん、絶対男女混合のグループの中心にいて、俺らは授業で何かあった時ぐらいしか関わらないのに話してみたら案外話しやすくて、その内挨拶はするようになるオタクに優しい陽キャ、卒業式にだけ写真撮って、それでそれ以降は特に別に何もない、みたいなところまで想像できそうな人達じゃないか!?ファンだってイケイケアゲアゲなんじゃないか!?とか思いながらも、当日は乗船させていただきました。
ちなみに俺はオタクなので、ライブ当日までに楽曲、インスタやTwitter、Wikipedia、直近のインタビューなどとりあえずインターネッツで得られる情報はあらかじめ得ておきましたぞ。彼女にはそんなに急に多量摂取したら死ぬんじゃないの?と言われた、んなわけねーだろ。
ライブ後、いや乗船後、死んだ。
いや、なんだろうな、今死んでもいいなって思った。
もあるライブレポートに書かれていた、スペクタクルショー、というものが本当にぴったり合うライブだった。素敵にまとめてあるので全人類読むこと。(https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/128308/2)
途中、これはミュージカルだろうかと思った。楽曲は一通り聞いてきた、有名なタイアップのものから、初期の頃のものまで、でもそうじゃない、そうじゃないというか、全くの別物だった。別物って言い方もちょっと乱暴かも、ごめん、そういうつもりはない。ただあの日俺は"ミセスの楽曲"のミュージカルを見ていた。驚いた、放心した、光るバンドをつけた腕を彼女になんとなく合わせて振りながら、声出すところはよくわからないからそこは何となくノリながら、俺はそれでもモヤがかかったような、急に頭に情報がたくさん流れ込んでくるような、はっきりと言葉にできないような、そんな状態だった。
3時間に及ぶライブが終わり、Atlantisへ続く映像が流れた。すごい、俺はまだ冒険の先へ連れて行ってもらえるんだ、そう思って心臓が急にバクバクしだして、帰りながら泣いてしまった。すごかった、とにかくすごかった、人間あれだけのすごいものを見たら泣くんだと思った。今までにない感覚だった、今までオタクをしてきて、こんな気持ちになったことはなかった。彼女は急に泣き出した俺に驚いて、それでも俺がボロボロになりながらミセスがぁほんとにすごくてぇ、とか言ってたらうんうんと言いながら話を聞いてくれた。
俺はとにかく聞く方を優先して歌詞まで読み込んでいたわけじゃなかったから、上に記載したライブレポートでVikingとFeelingの歌詞の対比とか、自分でセトリ組んだプレイリストとか改めてじっくり聞いて、そしたらまた涙が出た。もちろんセトリ以外の曲もじっくりと聞いた。泣いた。
とにかく愛がすごい。
生きることへの執着や希望がすごい。
寂しいのに優しくて、激しいのに切実で、そこにはミセスの、言うなれば大森さんの、人生があった。
若者だけの曲だと思っていたが、ミセスは多分全人類が好きなんだと思う。ただの新参ファンがが何言っているんだって思うかもしれないけど、ライブを通してもそう感じた。
ライブ前に読んだはずのインタビューを改めて読みたくなって読み返したら全然違う、文章から彼らの声がしてくる。インスタの向こうにいるのは陽キャの男たちではなく、音楽を愛し、ファンを愛する、おちゃめなミュージシャンだった。
愛がすごい作品はいっぱいある、サゲの意図はないけどそういう風になったら嫌だから具体的にはあげないけど、これまでの人生で新作を心待ちにしたり、劇場に何度も足を運んだ作品はたくさんあった。今もある、それはそれで本当にすごい、大好きだ。
でも、なんだろう、ライブってこんなにも違うんだと思わされた。ライブが終わったら人生が変わったような気がした、なんとなく聞いていたCMの曲が、映画で使われたセルフカバー曲が、有名な夏の曲が、俺の中で血肉になった。もう一度あの船に乗船したい、そういう気持ちが止まらない。
実はライブに行く前は流行ってるからと逆張り的に、天邪鬼に構えていた時もあった。そうは言ってもさ、みたいな、でも"素直になる勇気はあるか"、我々が歌った(当時は歌えなかったけど、今は歌いたい!)フレーズがまさにそうだ。
俺はもうその先に連れ出してもらえた、新しい音楽に出会ったワクワク、一歩踏み出せた感覚、ミセスが見せてくれる愛、なんとかなる!と暖かく背中を押してくれる優しい彼らに早く会いたい。だからFCにも入った、さすがにFCの配信内容を彼女に見せてというのは反則だからな、俺の知らない時代のミセスのブログを読んでまた泣いた。再始動してくれてありがとう、俺に出会ってくれてありがとう。Atlantisはさすがにチケット間に合わなかったが、次あるライブには是非また参加したい、させてもらえるなら、参加したい。その場にいたい。
現場は男性ファンが多くて意外だった、俺が音楽というジャンルに詳しくないだけだろうが、男性アーティストに男性ファンってこんなにいるんだ!?って驚いた、でも男性も絶対に好きになるから気になる人は是非9月のWOWOWをだな…。
ちなみに、ライブ当日会場で彼女が俺を置いてなんか買いに行ったりして、ほんとひどいよな!?ソワソワしてた俺を気にして隣の人が話しかけてくれて、今回が初めてで、最近知ったから若干申し訳ない気持ちもあるんですって言ったら、全然いいじゃん!むしろこれからたくさん好きになっていけるかもじゃん!って色々話して塩飴もくれた、ありがとうございました。ミセスのファン陽キャなのにみんな話してみると実は話しやすかったり、あれ?デジャヴだなこの話???
めちゃくちゃRTされててめちゃくちゃ話題になっていて、誰かがお気持ちツイートでもしたのかな、くらいに思っていたのだが、考察系ツイートが発端と知ったのは、単に件のアカウントをミュートしていたからだろうと思う。
以前のイベントの時RTされてきた件のアカのツイートに対して、ほんの少し違和感と不快感を感じたためミュートしていたのだ。
今回の件とはおそらく不快感は違うのだろうけれど、大体原因は同じではないかと思う。
件のアカはよく長文で考察をつらつらと連ねているのだが、考察するのに前提としているものが妄想と願望によるものが大半のように私は感じた。
きっとその人にとっては、公式のストーリーを読んだ上で考え、こうではないかという結論に至ったのだろうと思うのだか、なぜそう思ったのかが私には伝わらなかった。
もしかしたらもっと前にそういう過程のツイートをしていたのかもしれないが見つけられないし、私としてはその結論は納得できるものではなかったので、その前提はその人のただの妄想か願望にすぎない。
しかしそれを前提として、ならこの状況ではこうであるはず、このキャラの言動の意味は、などと連ねられるために、納得できないことが次々と積み上がっていくのである。
私にとって最早それは考察ではなく、いきすぎた深読みにしか思えなかった。
大学の授業のレポートで、考察に感情を入れるなと言われるが、それに近い。
その人の「こうであってほしい」という感情がものすごく伝わってくる。
しかもそれが共感を呼んでいるのか、ものすごい数のRT数といいね数がついている。信じられなかった。
私は天邪鬼なので、件のアカに限らず、こうであってほしい、こうだったらエモい、などと書かれているツイートを見ると、そうじゃない展開を願ってしまっていた。それは考察ではなく感想だし妄想だし願望だ。
……話が逸れたが、今回は、その人が前提とした“考察”を多くの人が不愉快だと感じたから話題となって荒れているのだろう。
別にそういう自分の考えを書くことは良いと思う。これは妄想だが、とか前置きしてる人には通りすがりだろうと、その妄想実現するといいね、くらいには思えるから。
でも、それらの感想や妄想や願望を考察として、伏せ字もつけず多くの人の目に留まるようなツイートを流すのはどうなんだろうな、と私も思っている。
まぁ、考察“系”のツイートをする人や、それらのツイートをRTやいいねする人とは価値観が違うのだろうから、この記事を読んでも理解されないのだろうけれど。